« August.28.2008「グルジア基本情報(1)」 | トップページ | August.30.2008「和製蒸気船」 »

August.29.2008「水木しげるとオーム」

August.29.2008「水木しげるとオーム」
今日の歌::誕生日 健康だけで 親孝行(今日は子供の誕生日である。家で誕生祝いをした)

 先日、副総裁先生のブログで、水木しげるさんとオームのことを書いておられた。水木しげる本人のトークがNHK『知るを楽しむ』「第2回・人生の歩き方」に登場しておられたので、ご紹介したい。「ビンタか死か」という副題であった。話しぶりからなかなか素晴らしい人のように感じた。私は戦後生まれなので詳しいことは知らない。以下、水木さんのトークを追う。

 水木さんは現在86歳。思い出の半分を占めるのは戦争のことである。壮絶な戦争体験をくぐり抜けてきたようである。昭和18年の21歳の時、召集令状が来たという。現代と当時とは違い、しょっちゅう召集令状が来る雰囲気だったそうだ。本人は墓場に行く気持でも、人々は熱気に溢れていた。鳥取の連隊に入隊した。そこで待っていたのは、ビンタとしごき日々だったという。代表で殴られていたらしい。集合に遅れたといっては殴られ、銃が錆びているといっては殴られた。しかし、ビンタは平気だったそうだ。なぜなら「自分は強いから」という自覚があった。そのうち、生きて帰ることは出来ないと云うニューギニアのラバールに送られた。敵とマラリアが待っていた。

 終日、敵が攻めて来るというので陣地構築をした。腹が無性にへったらしい。その時、偵察任務に就いていたとき、水木さんの小隊は全滅した。本人が生きているので全滅ではないが。前の方で、偵察で望遠鏡で見ていたらオームがいた。オームを見ていたら、助かったのだった。望遠鏡には10羽くらいのオームの集団が見えていた。楽しそうに話をしている。「キレイだなあ」と思って見ていた。敵はその時、後から来た。気がついたときは遅かった。建物があったのでそこを後方から狙ったようだ。それから水木さんの必至のサバイバルが始まった。2時間で軍靴の底が抜けたという。それだけ必至で走った。靴は捨てた。銃も捨てた。捨ててはいけないと言われていたが逃げるためには重いので捨てた。裸で海に飛び込んだ。

 ジャングルの中で水木さんは不思議な体験をする。真っ暗なジャングルの中でコロンだことがないという。むしろ「保護」されている感じだった。そして5日間、ジャングルを彷徨った。そして原隊に帰ったとき、ショックを受けた。「何でお前だけが死ななかったんだ」と言われて愕然とした。歓迎されると思ったら喜ばれなかった。当時は常に、「全員死ね!」だから生きることが恥とされたという。当時軍隊は、「生きるより死ぬことを美徳とする」風習だったらしい。そこで、水木さんはマラリアを発症する。

 マラリアで高熱を出しているとき、敵軍の爆撃を受けて左腕を失った。まだ手があったが、こんな手は切らなくてはダメだということで切ったという。衛生用品がなくて、生死の境をさまよった。そこで驚くのは、水木さんは決して「そのまま死ぬ」という気持にならなかったことだ。「私の場合は、よほどダメでもダメだと思わないんです。顔はダメそうでも、言葉ではダメですといっても心では絶対に死なないという確信があった」と。「彼は食べたい!」と思い出した。食べたいとは生命力である。父親も胃が丈夫だったので、自分も丈夫だったのではないかと言っている。「百歳までは生きるでしょう」とのことである。

 近くに、トライ族の集落があった。トライ族のところに食べ物を求めていった。水木さんにとっては天国のようなところだった。毎日、片手で崖を登っていったという。夜に行ったこともある。夜のトライ族の生活を見たいと思ったらしい。軍隊では行ってはいけないことになっていたが、行ったという。トライ族は水木さんのために本人が耕作する畑まで作ってくれたそうだ。大変に仲が良くなった。彼らの食生活は、火をたいて串焼きにして食べる。または、芋などはバナナの葉でくるんで焼いて食べるという。すっかり「森の中で精霊と共に生きるトライ族」の虜になった。雰囲気が気に入った。そのゆったりした生活がよかった。水木作品の妖怪もジャングルに生きる自然霊の影響かも知れない。トライ族には昼寝の時間がある。その中で、美人のエプペさんという女性が親切にしてくれたらしい。残念ながら結婚していた。友人が水木さんを悪くいうとエプペさんが、かばってくれた。

 その後、敗戦の知らせがきた。トライ族に別れを告げに行くと、「日本に帰るな」と言われたらしい。水木さんは、トライ族と共に残って生活しても良い、とも思っていたそうだ。トライ族が、将校室に行き、隊長に水木さんをニューギニアに残すように頼みに来た。友人から、「日本に帰りお父さん、お母さんに無事なのを見せてからもう一度ニューギニアに行ってはどうか」と説得された。日本に帰ってくるとマッカーサーが占領をしていて、ニューギニアには行けなくなった。そして終戦から26年経って、トライ族の友人と再会した。ここの生活が理想の生活であり、また多くの戦友を失った地でもあった。

 その後、『総員玉砕せよ』というマンガを描いたが、死んだ戦友が描かせたのだと思うを述懐している。水木さんは言う。戦争は不自然ではないだろうか。若者同士を殺し合わせることは自然ではなく、無理な出来事であると。その出来事が現在、「グルジア」その他で起きているのは悲しいことである。

 水木さんが、美を認める心があったこと。和する心が強かったこと。上官に対して憎しみの心がなく自分の強さを確認していたこと、自分は絶対死なない、生きて帰ると確信していたことなどに特徴があろうと考えられる。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年8月28日のブログは「“百万の鏡”が映すもの (5)」をお書きいただいている。前回で結論がでたと考えていたが、今回が結論のようである。島根の読者は熟読されたい。

 御文章は、我々が心でつくる現象世界の違いと、唯一神霊の心の反映としての実相世界との違いをご教示されている。そして最後の段落には次のような御文章が書かれている。そこまで読み進むに至って、何故か不覚にも涙がこぼれてしまった。

 我々はとかく「自己は肉体なり」との誤った認識から“敵”や“悪”を現象世界に映し出すが、神はそのような誤りを犯し給わないから、実相世界は善一元、美一元、真一元なのである。その実相においては、「すべての生命が一体」であるから、「調和おのずから備わり、一切の生物処を得て争うものなく、相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし」(『甘露の法雨』)ということになる。

*絵はオームです。Photo_2 H、N

|

« August.28.2008「グルジア基本情報(1)」 | トップページ | August.30.2008「和製蒸気船」 »

小話」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1068448/23336059

この記事へのトラックバック一覧です: August.29.2008「水木しげるとオーム」:

« August.28.2008「グルジア基本情報(1)」 | トップページ | August.30.2008「和製蒸気船」 »