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2008年9月

September.29.2008「人類の不幸の原因」

September.29.2008「人類の不幸の原因」
今日の歌::毎日の 生きる証の ブログかな
(毎日、島根の信徒さんが読んで下さっていることに感謝しています。絵手紙はかなり充実してきているようですが、講習会が一段落ついたところで、各組織のホームページを充実させたいと考えています。インターネットは光明化運動の手段として大変重要であるようです)

 日経新聞(2008/9/29付)には、「景気低迷、長期化懸念も」「米国発の世界同時減速」と書かれている。また、「日本の景気は2002年から6年にわたる戦後最長の回復が途切れ、後退局面に入ったとみられる。資源高と輸出鈍化で収益を圧迫された企業は生産と設備投資を抑え、消費者心理も冷え込んでいる。米国の景気は金融危機の直撃で一段の減速が予想され、新興国経済の足取りも重くなっている。内外需ともけん引き役を欠く中で、日本の景気後退は浅くても、低迷が長引く恐れがある」とも書かれている。

 これが一つの言葉の力なのであろう。しかし、景気低迷とは言っても、私達は現実に生きている。すでに色々と与えられていることに対して、「足るを知る」という感謝を副総裁先生から教えられている。まずその事から感謝していこうではないか。『生命の実相』第6巻のはしがきには次のように書かれている。

 人類の不幸の根源を知らない人が多い。不幸の根源のうち最大なるものは、自己を罪人とする人類の罪悪意識であり、その罪悪意識が潜在意識にあるがために人類は自己処罰として一切の不幸(戦争・病気・不慮の災禍等を含めて)をつくりつつあるのである。

 戦争・病気・不慮の災禍等の中に「景気の低迷」も入るのだろう。景気が低迷する以前に、人々の心が低迷しているのかも知れない。自己処罰という解釈で、肉食に対する自己処罰もあり得るのであろう。「殺すなかれ」という格言を古い善き宗教は持っている。「殺すものは殺される」という動・反動の法則が働いて戦争という状態を生み出していることも考えられる。心が人生を動かしているのであれば、当然、世界の動きも人類の心が動かしていることになる。その心の動かし方が神様の御心に叶っているかどうかが、大切である。私達に与えられた使命、人類光明化運動・国際平和信仰運動を今日も邁進させていただきましょう。神様からのご使命を頂いているということは、私達は、誠にも光り輝く「天使」であるということである。

*今日は、明るく純粋な連合会長さんとご一緒に浜田周辺を感謝訪問させていただいた。若い元気な総連会長(牧田さん)さんが運転してくださった。天照大神の化身であるような明るい青砥副会長さんが道案内をしておられた。浜田市の或る地区では、初代の白鳩支部長を務められたという水黒さんという方(88歳)にもお会いできた。お顔とご雰囲気が、「初代」という感じがした。谷口雅春先生の時代を感じた。
 二年に一回の講習会となると、推進の感覚が動く度に回復してくるというのが実状である。「余所の皆さんも大変よく推進していますよ!」というと、「私もがんばろう」という思いになるのが日本人の性格のようだ。数年前のブログに既出のもので申し訳ないが、西洋のジョーク集の中には次のように書かれている記事がある。豪華客船が沈没しそうになったとき、船長は全員を海に飛び込まさなくてはならなくなったという。みんな飛び込みたくないようだ。船長はアメリカ人に言った。『飛び込んだら英雄になりますよ』と。イギリス人に言った『飛び込んだら紳士だといわれますよ』と。イタリア人に言った。『飛び込んだら女にもてますよ』と。フランス人に言った。『飛び込むな!』と。それぞれが、すぐに飛び込んだという。残った日本人に言った。『みんな飛び込んでいますよ』と。そう言われると、日本人はすぐに飛び込んだという。なんだか分かるような気がする。日本人は、団体行動を好むようだ。それは、昔は農耕民族で、みんなで田植え、稲刈り、茅葺きの屋根葺きなど、村人みんなで力を合わせて行う仕事が多かったようだ。それで日本人の遺伝子の中に、「他の皆さんはどうするのだろう」という感情が起こりやすい、と聞いた。余談だが、「村八分」という制度でも村の人がお互いに手伝うところを手伝わないという意味のようである。しかし、火事と葬式だけ(記憶なので自信ない)は手伝うというので二分は別というのが村八分であるという。考えてみると、本当に困ったときは、助けるという心優しい農耕民族ではなかろうか?結論を言うと、「みんなよく頑張って、誘っていますと」という方がどうも講習会にはよいようだ。
*H、N

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September.28.2008「良縁成就(最終回)」

September.28.2008「良縁成就(最終回」
今日の歌::青年や 研鑽の眼に 光あり

(続き)小見出し『親孝行の娘の場合』の所です。
 …したがって「生長の家」にお入りになっている方々は、平素から正しく御教えを実行しておられる限り、必ず素晴らしい結婚生活にお入りになるのであって、何等の心配もいりません。中には過去世において何回も結婚生活を経験し、今世においてはもはや結婚生活を経験する必要のない人もおられますから、縁談が起こらないことを以て、その人の信仰を否定し去ることはできません。この世に於いては、いろいろの為すべき仕事があり、人類救済の仕事や芸術的な仕事に打ち込むために結婚生活をしないでおられる方もおられてよろしいのですが、原則としては素晴らしい結婚生活にお入りになる事によってすべての女性の幸福は確保されるのであります。

*ここで云う結婚されない女性とは、マザー・テレサさんのような方でしょうか。「原則としては素晴らしい結婚生活にお入りになる事によって」というのは、この世界は陰陽の調和により生命が存続するという原則、そして家庭に天国浄土を持ち来すという使命が私達にあるからであると、拝察いたします。天国浄土の名前は何と、『生長の家』であります。…御文章は続きます。

 例えば、私が同じく奈良市で講習会をしたその時、体験談をおっしゃいました方に五条市五条町の金岡ゆき子さんという方がいらっしゃいました。金岡さんは大阪の或る会社に勤めておられたのでありますが、この会社に入社するとき、実は彼女が高校出でないために一度は断られたというのです。けれどもゆき子さんが帰ってお父さんにその事を申しますと、お父さんはそのことを慰めて、その夜一心に祈りながらお手紙を書き、社長さんに訴えて下さいました。そのお手紙の中には「この子は真面目で、親孝行で、素晴らしい娘であって、この子を雇って下さる事によって、会社のためにもきっとなるに違いない」という事が書かれてあったのです。このお父さんの愛念の手紙が社長さんの心に通じて、幸子さんはその会社に入られる事になったのでした。

*父親の愛念が光っています。

 ところがその後、このゆき子さんの書類が経理課の方に廻ってきて、或る青年の手に渡りました。彼は主として計理とともに人事をも扱っていて、大学出の人の人事を担当していたのですが、どういう訳かゆき子さんの書類がその人の所に廻ってきた。青年はこの書類を見て幸子さんに非常に関心を持ち、「今時こんな娘は珍らしい」と思って会社の帰りに面会を申し込み、近くの喫茶店でいろいろ話を聞いたのです。するとこの青年はゆき子さんの明るい素直な、微塵も衒いのない態度に非常に心を打たれて、後で分かったところによると、同僚に「僕はこんな娘さんと結婚したい」ともらすようになったのだそうであります。
 やがて二人の恋愛は急速度に進行して、ゆき子さんがその事をお父さんにうち明けますと、お父さんは怒って「やっとの事で会社に入ったと思ったら、すぐ結婚するとは何事だ、家の経済状態も考えてほしい」とおっしゃったのでありますが、しかしそこは「生長の家」の一家でありますから、お父さんの大変物わかりが好く、結局いろいろ話し合って「三年間待って、その間にこの恋愛が本物であるという事がわかったら、結婚させてあげよう」とおっしゃった。そして三年間清い交際が続き、昭和三十八年の四月には目出度く結婚なさる事になりました。(終わり)

*すぐに結婚ということではなく、余裕を持って三年間の期間を置いてというのは智慧でありましょう。本物の恋愛ならば、待つことが出来、またすべての人々の祝福の中でご結婚されることが、今後の「家形成」の上に置いても重要な要素であります。結婚とは単なる男女の組み合わせではなく、家と家との婚姻であり、社会的事象であるからです。
これで、「良縁成就」シリーズは終わります。谷口雅春先生は、女性のためのご著書を多く書いておられます。絶版のものもありますが、新かなで復刻されたご著書もあります。どうぞ、拝読下さい。

*夜は、青年会の学習会があった。委員長の「先祖供養の意義」についての素晴らしい基調発表があり、それに関しての活発なディスカッションがあった。自分の若い頃を想うと、故T元本部講師が、常に質問に答えてくださった。その深いご愛念を思うと、決して続いてくる青年に対しての対応を怠ってはならないと考える。島根の信仰土壌ば非常によく青年達は純粋に育っている。これらの若者達が次代の生長の家を担ってくれることを思うと、誠にうれしい。青年を育てバトンを渡して下さった前任の教化部長さんに心から感謝する次第である。
*H、N

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September.27.2008「焼き鯖ずし(その三)」

September.27.2008「焼き鯖ずし(その三)」
今日の歌::宍道湖や ベタナギゆらり 動かざる(今日、推進で案内してくださった総連会長さんによると、まったく波がない宍道湖の凪は「ベタナギ」というそうである)。

見上げれば 秋の夜空に 煙火音 明日はあるいは 運動会か

 それからかなりの月日が流れた。ある時、悪天候が続き、船が難破寸前で港に帰ってきたことがあったという。積み荷はバラバラで、無造作に水揚げされた魚の山は土間の上で競りを待っている。しかし、買い手は数の把握ができずに戸惑うばかりであった。
 ところが、木次の商人は至って冷静であった。あの秘技である鯖よみを応用して、サッと落札してしまう。それはそれはアレよアレよの時間であったという。そして、木次に持ち帰った魚はいつものように正確であり、そして買い求めた人々のまな板の上で料理される頃、港ではまだ競りが続いていたという。

 この話もまた広がるのが早かったらしい。以来、出雲国木次は「鯖読み」の発祥かも知れない。いや、発想の地かもしれないということとなった。そして当然のことながら、その語源の意味は、腐れやすいことから生まれた「早読み」であることが、全国に知れ渡り今日に至っているとしている。

 あの焼き鯖を始めた魚屋たちは売れに売れて大忙しであった。働く姿を見ていた近所の一膳飯屋の父親がのちに、この町の定番料理絶品(焼きさばずし)を誕生させることになるのだった。汚名を演じさせられた鯖が「いとおしくてならない」と、いとおしければいとしいほど、その身を生かさなくてはと、自慢の五目寿司に焼き鯖の身を「こなごなにして」入れ、付加価値を付けたのであるとしている。

 これだけの物語をもつ焼き鯖ずしを先日は頂いたのであった。どなたかが、映画化するか、アニメで物語を作ってくれると、木次の名前は「焼き鯖寿司」と共に、再び全国に伝わるのではないだろうか。これで「焼き鯖寿司物語」は終わりである。
 
*今日は、下意東、玉造、来待、宍道と感謝訪問をさせていただいた。車の中は、ガイドさんのようなよどみのない美声のアナウンスが流れていた。信徒さんへのお世話が大変、行き届いた総連会長さんだった。また、ご病気であっても、電話推進をしておられるという地方講師の方にもお会いし、その菩薩心に熱いものを感じた。「このような真心の信徒さんがここにもおられた」という出会いの感動だった。「神よ、今日お会いした方々の上に、幸あれ、そして、推進の力を与え給え」と祈らずにはいられなかった。

*NHKの「エコ大紀行」という番組が放映されていた。ウガンダのマウンテンゴリラを見に行くツアーだった。現地のトラッカーという職務の人たちがツアー客を誘導していた。しかも、ゴリラを発見して、一時間だけしかゴリラの側にはいてはいけないのだそうだ。彼らにストレスがたまるからだという。子供のゴリラがいたが、いつも父親ゴリラと行動を共にしていた。そうすることにより、子供ゴリラは安心して育つのだそうだ。ちょっと考えさせられた光景だった。
*明日は、午前中は、カミアリーナで受け入れの総集会が行われる。各担当者が大変、行き届いた準備をしてくださっているようである。感謝。

*「ゆきねえ」さんと云われる方から、September.24.2008「星野仙一監督」の文章についてのコメントをいただきましたので、後半に少し、生長の家の考え方を加えておきました。愛の行いは、必ず福をもたらすとの考え方です。
H、N

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September.26.2008「焼きさばずし(その二)」

September.26.2008「焼きさばずし(その二)」
今日の歌::列車では 最前列の コンセント 見つけて乗りて パソコン開く

 木次の商人達は、神話に絡めた「数読みの秘密の技」を身につけ、一度に八つを数えていたのである。まさに、遠距離の不利を最小限に抑える「特殊な数える技」を身につけていた。
 このことを他の商人達は、「素人」のすることであると軽蔑していたが、競り落とした金額とその数はそう違うことはないものであったという。
 そして、この数え方は年月と共に磨き上げられ、数秒単位の妙技は、山里の七不思議とまで言われたと伝えられている。

 そうした事実とは裏腹に木次商人の才能が何ともうらやましくなった人たちも現れた。当然、妬みを生み、何か卑しいことでもしているかのように「木次モンの鯖読み」と巷では言うようになっていたという。それに木次の鯖読みはええ加減なもんだ、ええ加減なもんだと、誤った噂に尾ひれがついて、木次のモンはエエカゲンな商売人しかいないと広まっていた。何ごとも勝ちすぎないことが大切なようである。勝ちすぎると、現象界ではいずれピークを迎えることがある。人の盛衰でも言えるが、国の盛衰では500年単位で高下すると聞いたことがある。しかし、その中で力で押さず、徳をもって人を生かすものはその限りではないようだ。人を生かすという徳積みこそ菩薩の行である。その道を木次商人達は歩んでいく。

 そんなある時、木次商人は「全国魚大会」の参加のために、人力車や馬車の行き交う東京に出る機会が訪れたという。これは、おそらく明治時代であろう。会場には思ったほどの人が集まっていなかった。不思議に思っていると、主催者側の人であろうか、部下とおぼしき人が、上司であろうと思われる人に叱られている場面に遭遇した。『人数が報告よりも少ないではないか!鯖読みをしていたのか!出雲の木次モンとわしらは違うぞ!』と。それは一瞬も二瞬も尻込みしそうな状況であったそうな。腐らぬうちに、腐らぬうちに、の願いから考えられた木次の数え方が、全国津々浦々に無惨な形で伝えられ拡散していたのであった。木次商人は愕然とした。

 これは木次町の発展を阻害する。汚名を着せられ「モン」扱いされてしまった。全町民に「大変、申し訳ないことになった」と後悔した。しかし、これからが木次衆のエネルギッシュなところではある。そして、木次商人の真骨頂を発揮し、新しい商売の動きを起こしていった。「何とか鯖と木次町民の名誉を回復したい」と考え抜いたのであった。魚屋は「まず謝ることが第一だ。身を焦がしてでも…。そうだ、「鯖を焼いて持ち歩こう」と決意した。

 このようなことから木次では”焼き鯖”が始まった。以来、今でも泳ぎ出しそうなその鯖は熱くて逃げないように串に刺されて、焼かれることになったのだという。
「災いを転じて福となす」という木次商人の猛烈なエネルギーは、すごいと思う。世のため、人のためという木次商人の気心は、現代の木次地区の相愛会の皆さまにも受け継がれているのではないであろうか。(続く)

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年9月25日のブログは、「絵封筒を描く」です。しかも、スズメガの幼虫をお描きになっておられます。驚きました。もしや、動き出すのではなかろうかと、クリックしてみましたが、動きませんでした。島根の画伯の皆様、虫にもチャレンジしてみませんか?

*H、N

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September.25.2008「焼きさばずし(その一)」

September.25.2008「焼きさばずし(その一)Photo
今日の歌::焼き鯖や 木次商人 永遠に 

 先日、相愛会の会議のために、夜、木次(キスキ)に行った。会議の前に、美味しい「焼きさばずし」を頂いた。この木次は、非常にしっかりとした運動が展開されているとのことである。会議のとき、お茶を自前で持参するという提案には驚いた。しかし、これまでは市販のペットボトルのお茶がだされていたので、当然のことながら容器の処理に二酸化炭素が排出される。二酸化炭素排出を削減しようと云う議題があるときに、あえて増加する方法をとるのはどうかという訳である。適切なご提案であろうと考えられる。さて、鯖ずしであるが、お店で「”焼きさば”と”鯖を読む”の由来噺し」という文書を頂いた。長い文章なので、それを元にして何回かに分けてお伝えする。

 「鯖ずし」を作っている木次は、出雲の国の大河である、斐伊川の中流部に交通の要として山浅い商都として現在にある。ここは今も、かなりの商店街や賑わいがある。
明治以前のこと(江戸時代か?)であるが、仕入先である杵築(現在の大社町)、小伊津(平田市)方面の漁港から魚屋が担いで木次の数軒の魚屋へ卸していたという。それを木次の魚屋は町内や近在に売り歩いていた。交通機関と道路が発達していない頃の奥出雲三郡の中で生魚の来る限界は木次までということになっていたという。しかし、限界といわれながら、その鮮度は他所の同環境の追随を許さなかった。近隣の町村からの評判もよく、山の中の「網元の町」とまで言われ、その人気は過熱したらしい。それは、先人の見事なまでの綿密な計算が隠されていたといわれている。

  木次周辺の近郷農村では農繁期のエネルギー源として、昔から鯖を好んで買い求めた。生魚の来る限界の地理に加え、その鯖は”鯖の生き腐れ”といわれるほどに腐れは早かった。
 いかに木次に鮮度のよい魚を持ち帰るか、そしてお客さんに喜んでもらえるか。木次商人はそのことに腐心し、心血を注いだ。運搬に時間の短縮の余地はなかったようだ。当時の港での競りの状況は想像できないが、これの時間短縮に智慧を総動員しそれに賭けた。
 それには、杵築、小伊津に出入りする魚屋との縁組みであったり、直接派遣であったりした。そして、まず木次流の量の把握の仕方を編み出した。それは一匹二匹とか、ニーシーローハーというような悠長な数え方ではなかった。なんと、バンシ、バンシ(木次の競り用語)と八匹単位で積み上げていたという。その「八」は「やまたの大蛇」伝説に由来するものかとしている。(つづく)

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
 2008年9月23日のブログは、「人生を芸術表現に喩えて」です。布教功労物故者追悼秋季慰霊祭でのご挨拶が掲載されています。すぐにお言葉を拝読できることは誠に有り難いことです。

*インターネットがつながらず、一日遅れました。悪しからず。絵はエンゼルストランペットです。信徒さんの家の前に咲いていました。H、N

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September.24.2008「星野仙一監督」

September.24.2008「星野仙一監督」
今日の歌::信徒等は 先祖尊び 集い来る(今日は松江の先祖供養祭でしたが、皆さま沢山お集まりでした。講習会推進をお願いすることが出来ました)

 星野仙一監督がインタビューされている「人生を語る」という番組があった。第二回で「妻との約束」というテーマ。星野氏はドラフト会議まえに巨人軍から指名を受けると通知されていたという。しかし、ドラフト会議では指名されなかった。怒りを感じたが、中日から指名されたという。そこから星野氏の熱血野球が始まったらしい。当時の水原茂監督から、「巨人を見返してやれ」と云われ、投手として巨人キラーとなった。しかし、家を建てた頃、怪我をした。奥様は何も言わずに看病してくれた。給料はさがるし、どうしようかとネガティブな事しか考えなかったらしい。その後、がんばったがカラダが悲鳴を上げていた。痛み止めの注射を打ってがんばって耐えたが、とうとうユニフォームを脱ぎ引退した。

 星野氏は解説者となり、取材をしながら監督の勉強をしたという。そして39歳の若い監督が誕生した。2年目、中日をリーグ優勝させた。若い選手には厳しかったが、「鉄は熱いうちに打て」との諺どおり、鍛えただけの選手になってくれたという。しかし、その人物の器というものはある。しかし、「銅は金にはならないが、細工によって金以上の価値を持つことは出来る」と。これは名言であろう。

 妻(扶沙子さん)が悪性リンパ腫となった。すてきな奥様だったようだ。細君は娘に「パパは急にやさしくなったけど、私はそんなに悪いの?」と言っていたという。星野氏は方針を変えて、今まで通りのわがままな自分で通すことにした。それが、妻を心配させない道だと思ったから。星野氏は監督を辞め、妻と二人きりの生活を大切にし、旅行などをした。ある時、細君は言った。『パパは野球をもう一度したいのではないの?』と。ちょうど、その頃、監督に帰ってきて欲しいと、中日から申し出があったらしい。

 名古屋ドームが完成する数日前、細君の病室を訪ねた時、帰り際に細君が目で星野氏の姿を追っていたことが思い出されるという。そして、家に帰りシャワーを出したが、湯が出ない。娘さんに『元栓を閉めているのではないのか』と聞いたがそうではなかった。何か異変を感じていた。夜中に病院から電話があった。星野氏が行ったときは、すでに意識不明であったという。細君が亡くなって、数日後の名古屋ドームのドーム開きにどんな顔になるか苦心したという。カメラマンが何度も撮そうとするが、最後にこう言った。『俺はシャッターを押せないよ。監督!今日は撮影を止めようよ』と。しかし、何とか写真は残っているらしい。

 細君は娘さん達に言っていた。『名古屋ドームでパパの胴上げを見たい。見てから死にたい』と。ご結婚されてから28年間の結婚生活だったという。葬儀の時、星野氏の妻への感謝の言葉が感動を誘った。話すたびに、周囲の人々から嗚咽の声が聞こえていた。立派に子供を育ててくれたこと。夫に不満一つ言わずにひたすら支えてくれたこと。母として妻として立派だったことを。星野監督のコトバを聞いて、大和タケルの命とオトタチバナ姫の物語を思い出した。全国に40数カ所の御陵がある。その御陵を若いときに、全部参拝したことがある。その時、いくつもの大和タケル伝説がありお祀りしている神社があることを知った。三代目市川猿之助が梅原猛氏に初の脚本を依頼し、新橋演舞場で「ヤマトタケル」を上演したのを、妻と共に観劇に行ったことがあるが、愛する人のために捧げる美しさに感動した記憶がある。泪がとまらなかった。

 ヤマトタケルノミコトが神奈川県三浦半島と千葉県房総半島との間の水道を渡ろうとしたところ、その海の神が波を起こしたため、船はくるくると回転してしまい、一向に前に進むことが出来なかった。すると、この船に一緒に乗っていたヤマトタケルの妻であるオトタチバナヒメが立ち上がって言った。「わたしが、この乱暴な海の神を鎮めるために、あなたのかわりに海に入ります。あなたは、天皇から命じられた任務を立派に果たして、ご報告申し上げなければなりません」と。そして、次の歌を詠んだ。「さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも」(相模の国の野で燃える火の中で、あなたはわたしの名を呼んでくださいました。)これは、だまし討ちに合い、野火で焼かれようとしていたとき、ヤマトタケルノミコトは、オトタチバナヒメに、『大丈夫か?』と問いかけたのを思い出したのです。海神の怒りは静まり、無事に海を渡ることができました。その水道は、若い頃に一度確認のために船でわたった記憶がある。

 ヤマトタケルノミコトは亡くなったオトタチバナヒメをしのび、東征を終えて足柄峠にさしかかると、足を止め「吾妻はや」(吾が妻よ)と三度呟いた。今は無き彼女への嘆きは、それ以降、東国を「あづま」と呼ぶ由来になったという。

 星野監督の話を聞き、魂の半身である夫婦がいたわり合うことの大切さを学ばせていただいたような気がする。また、プロ野球界に「人間神の子無病の真理」をどなたかが、お伝えることはできないものであろうか。「お前百まで、わしゃ九十九まで」という言葉があるように、私達は明るく元気で長生きし、夫婦互いに拝みあい人類光明化運動で受けたご恩の万分の一をお返しさせていただきたいものである。

 愛する者のために捧げる方法はいろいろあるであろう。生長の家の出現によって、愛する者のために生きるという捧げ方が編み出されている。なぜならば、愛する者こそ幸福にならなければならない使命があるからである。神は愛であるからである。神を行ずる者こそ、幸福である必要がある。『生命の実相』13巻倫理篇162頁9行目には次のように説かれている。

 (前略)谷口倫理学では、人間は「本当にあるもの」(善)が顕われたら飯を食わんでも死なないし、また必ず死ぬまでに適当なる食料が与えられるということを実証して、自然界の法則を破ってしまうのであります。谷口倫理学の前には不可不の法則は零になってしまうのです。(後略)

 倫理篇ですのでちょっと難しいですが、P149~P161辺りを拝読しましょう。愛するが故に智慧が湧出し、愛するが故に、みんなが幸福になる大調和の智慧が発現することがご教示されています。何故なら神の創られた世界に不完全はないからであります。完全円満なる実相を観ずることにより、メタフィジカル・ヒーリング(神癒)が成就するという道をお教えいただいていることは、何と私達は幸福でありましょうか。無量の勝方便は、完全円満なる実相を想うことによって得られるということは誠に有り難き真理である。『善と福との実現』という谷口雅春先生の聖典もあります。

*H、N

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September.23.2008「都市の貧困層」

Photo_3 September.23.2008「都市の貧困層」
今日の歌::神々が 今も住むらし 出雲國

 地球白書(2007008)のはしがきには次のような内容がかれている。

 われわれが、都市貧困層のニーズを満たすことができるかどうかは、今世紀最大の人道問題の一つであるという。また、それが、近くの高級マンションの住民のセキュリティから南極大陸の氷床の安定性まで、世界規模の重要な問題を決定づけていくことになる、と。世界に残された健康な生態系を救うための取り組みの行方が、脅威を受けている熱帯雨林や珊瑚礁ではなく、地球上でもっとも自然とかけ離れた都市の街頭で決まるとは、何とも皮肉なことであるとしている。
 生態系が提供する、食料、線維、淡水、安定した気候には、あらゆる都市が依存しているというのに、その生態系の機能が危機的状況にあるという。最新の科学的な推測によると、この「生態系サービス」の三分の二近くはすでに破壊されてしまっているらしい。われわれの課題は、「メキシコ南部とグアテマラのジャングルに遺跡となって残る、偉大なマヤ文明の都市が辿った運命を回避すること」であるとしている。マヤ文明の都市が廃墟となったのは、領土内での抵抗勢力との争いだけでなく、数世紀にわたり自然の修復力を大きく上回る略奪的農法を続けて、周辺の農地と水資源の深刻な劣化を招いたことも原因だった、としている。ウィキペヂィアで調べてみたが、次のように書かれていた。

 9世紀頃から中部地域のマヤの諸都市国家は次々と連鎖的に衰退していったらしい。原因は、遺跡の石碑の図像や土器から、メキシコからの侵入者があった、北部地域に交易の利権が移って経済的に干上がった、など有力な説だけでも多数あるが、古典期後期(A.D.600~900)の終わり頃の人骨に栄養失調の傾向があったことが判明しているため、焼畑(ミルパ)農法や建造物に使用する漆喰を造るために、森林伐採を行い続けたため、地力の減少によって食糧不足や疫病の流行が起こり、それによる支配階層の権威の失墜と、数少ない資源の奪い合いによって戦争が激化したことが共倒れを招き、衰退に拍車をかけたと考えられているという。

 これから考えると、無理なやり方は、長続きしないということである。持続可能な地球を回復するために、努力したい。マヤについては戦争については知っていたが、土地の疲弊に関しては自分の意識の中にはなかった。また、『地球白書』をよんでいると、自分の心が地球の生命と一つになるようだ。副総裁先生の長年にわたる私達に対するご指導のお陰であると思う。普通、個人で学習しても地球と一体、人類と一体という感覚には、なかなかなりにくいのではないだろうか。

*出雲市立出雲文化伝承館を子供と一緒に見学した。ぱったりと毎日のように教化部にお出でになる信徒さんにお会いしたのには驚いた、といっても、地域の範囲から云っても会わないのが難しいくらいかも知れない。地元の彫刻家である大野明山という人が、文殊菩薩像を制作していた。素晴らしいものだった。これだけでも心が満足した。ここは、子供が参加している琴グループが練習で使っていた日本間とそこから見る見事な日本庭園がよかった。松頼亭は1日2万円、出雲屋敷は1日施設貸出料が3万円で、四時間未満は半額となっている。別館で、出雲出身の漫画家:平野勲氏の展示があった。祭を中心に描いており一人一人の表情と姿を克明に描く。こういう表現法もあるのだなと感心した。いずれもプロの芸術表現である。
 文化伝承館へ行く前に、○○○○館というところにいったが、ちょっとがっかりしたので、予定を変更して、伝承館に行ったのだった。「終わりよければすべてよし」である。しかし、生長の家の御教えでは、途中経過が大切で手段が神の御心に叶わなければ何にもならないということである。今日は推進はなかったが、信徒さんは一所懸命に推進をしてくださっている。教化部も開館している。感謝申しあげる次第である。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年9月21日のテーマは、「イオマンテを考える」です。アイヌの儀式であるイオマンテについて、マテ=ブランコのいう「対称的関係」の自覚との関係で考察しておられます。
 アイヌ民族は、間宮林蔵が間宮海峡を発見したときなど、非常に協力してくれたことが記録されていますが、その後、さまざまな政治的結末があり、現在のような状況のようです。しかし、自然と共に生きるという精神は現代に於いて実に重要であり、未だに生き続けているのではないでしょうか。

*絵は、「イースター島のモアイ」です。かつては森があったと云われています。H、N

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September.22.2008「世界に広がる格差社会」

Photo_2 September.22.2008「世界に広がる格差社会」
今日の歌::曼珠沙華 アゲハ舞い来て 蜜を吸う

 『地球白書』を読んだことがあると思いますが、「2007-08]はテーマが「世界に広がる格差社会」となっている。副総裁先生は時々この本からの御引用があるので、島根の信徒さんは読んでいただきたい本の一つである。出雲中央図書館には、この本が置いてある。

 2008年、世界人口の半分、32億人が都市居住者となるとしている。ここは出雲市なので、田んぼや畑が多くて都市とは言い難いが、東京や大阪などは地球白書でいう「都市」の範疇に入るであろう。日本では理解しづらいが、世界的に云うと「現在、都市のスラム人口はおよそ10億人」である。そのうち、5億人以上は水道も下水もない状況で暮らし、年間160万人が不衛生が原因で命を失っているそうだ。「持続可能」とは、富める人にとっては「豊かさよ永遠なれ」であり、貧しい人にとっては「明日も生きていけるように」という意味であるとしている。

 この本を出版しているワールドウォッチ研究所の所長「クリストファー・フレイヴィン」氏の紹介がなされている。
 1955年、カリフォルニア州生まれ、ウイリアムズ大学にて経済学と生物学を専攻して、77年に卒業した。同年、ワールドウォッチ研究所へ入所した。81年に上席研究員、90年に研究担当副所長、96年に上席副所長、2000年にレスター・ブラウン氏を継いで、第二代の所長に就任している。

 同研究所の年次刊行物である『地球白書』には、創刊の1984年版から彼は執筆を続けているようだ。この時すでに風力発電や太陽電池の将来性を高らかに訴えていた。当時はどちらも従来のエネルギー源に対して価格競争力が全く弱く、彼は現代のドンキ・ホーテとも見られていたという。しかしながら、近年、風力発電は欧米で目覚ましい展開を見せている。伝統的な風車の国スペインはこの分野では、世界のトップグループとなった。

 日本は太陽電池では世界のトップにあり、彼は日本の技術力を高く評価しているという。10年後は「水素利用の燃料電池をもったクリストファー・フレイヴィン氏」をイメージしているらしい。そして、それは地球と地球上の全生物のための彼の願いであるとしてる。何しろ二酸化炭素が出ないのであるのだから…。

 スラムではトイレがない。男達はプラスチック袋に排便をして、それを彼方へ投げ捨てるという。女達は暗くなるのを待っている。スラムで水売りから買うバケツ一杯の水価格は、水道が整備された地域の37倍であるらしい。インドネシアでコーヒーが不作になっても生活に困るのはプランテーション労働者であり、パリでもロンドンでもケニアからのコーヒーの香りをいつものように楽しむことができる。ニューヨークのハーレムに住む男性が65歳まで生きられる確率はバングラデシュより低いという。高所得国のエコロジカル・フットプリントは低所得国の8倍である。華やかなオペラハウスのすぐ近くのスラムで、毎日、幼い命が消えているとしている。日常化した暴力もスラムを脅かすと書かれている。エコロジカル・フットプリントについては、「http://www.ecofoot.jp/what/index.html 」で調べてください。共通的生命の立場から考えると、島根県にいる私達にとってはこれらの状況を知る必要があり、また御教えをお伝えする国際平和信仰運動を推進する以外にないと考えられる。現象としてはそれらを認めつつも、神の創造の世界には不完全は本来ないと達観しつつ、完全平和な実相世界を生きることでありましょう。『菩薩は何を為すべきか』のはしがきには次のように書かれている。島根の信徒さんは是非、全御文章を拝読ねがいたい。

 (前略)…菩薩と云うものは「一切衆生」すなわち人類を自分の心のうちにとりいれなければならない。今や人類は全面戦争か平和かの危機に立たされているのに、自分だけは安閑としていてはならないのである。それを救うために出発した運動が人類光明化運動である。人類光明化運動は、”人類の危機”を自分の心のうちにとりいれた人々の菩薩行である。…(中略)…現象界の空しくしてうつりかわる無常のものであると云うことを知りながら、人類光明化運動に尽くさずにはいられないのが菩薩である。…(後略) 

*島根は平和という意味では、大変に恵まれているようだ。今日は、石西の感謝訪問をさせていただいたが、信仰的な素晴らしい方々ばかりである。訪問させていただくのがありがたかった。島根県は出雲大社の御守護が強く働いているのではないだろうか。
*絵は「民家の曼珠沙華」です。赤の点だけですが…。H、N

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September.21.2008「良縁成就(三)」

Photo September.21.2008「良縁成就(三)」
今日の歌::ブナの樹や 炭素吸うては 酸素吐き

 匹田さんの物語の続きです。小見出しは「心が変わるとき」です。

 さてもう一度匹田さんの話に戻りますが、昭和37年の4月であります。匹田さんはその後大阪で谷口雅春先生のお話を聞き、心境が一変なさったのでした。匹田さんの息子さんも、それからすすめられて宇治に「生長の家」のお話を聞きに行き、すっかり心が変わり、それ以来は一家中が入信して、家の雰囲気ががらっと変わってしまったのです。すると息子さんが宇治から帰って来られたその翌日には、もう別の縁談が起こり、その相手の娘さんは非常に立派な方で、学歴も大変優れた方でありましたが、さて見合いをしてみると、両方とも非常に気に入って、すぐその翌日に婚約をしたのでした。こうして今ではそのお嫁さんも「生長の家」の講習会を東京にまで来てお受けになるように素晴らしくおなりになり、一家中が大変円満な、悦びのあふれた生活を送るようになられたのでした。

*講習会の受講の素晴らしさは当然のことですが、宇治のお話とは練成会のことでしょうか?また東京の講習会とは全国大会のことでしょうか?その素晴らしさが息子さんの心を変えました。

  この実例でもおわかりになるように、結婚生活は一度失敗したからといって決して失望すべきものではなく、むしろ再婚や三婚において、より一層優れた結婚が出来る場合もあるのです。要は、私達の心が神様の御心に叶っているかどうか、より一層神様の御心が現れているかどうか…であります。そして自分一人だけが「生長の家」であると思っていても、それは実はそうではなく、やはり一家中が皆で信仰するようになられた時に、本当の「生長の家」の信仰になるものであります。

*魂の半身は複数いると教えていただいています。それ故に、再婚や三婚が可能であるといえます。またぜひ家族みんなで生長の家の信仰をさせていただきたいものです。しかも「代々」です。そのためには、家族と家庭を大切にし、徳を積ませていただこうではありませんか。

 この現象界には類を以て集まるという法則がありますから、家庭の中が和気藹々としている時には、それにふさわしいお嫁さん、あるいは、お婿さんが必ず与えられます。すべての幸福は「神」を第一にし、「神」の御心に聴く時、そして神の御心に随う時、確保されるものでありますが、物質的条件や、利害損失を第一に考える時、かえって現象的にも失敗をし、不幸な結婚生活を経験しなければならなくなるのであります。

*『この現象界には類を以て集まるという法則がありますから、家庭の中が和気藹々としている時には、それにふさわしいお嫁さん、あるいは、お婿さんが必ず与えられます。』というお言葉は大変有り難い御教えです。「必ず」と書かれています。大いに家庭の中の雰囲気を良くしましょう。

*今日は、午前中は白鳩会の若い白鳩の学習会があり、「実相と現象」のテーマで話をさせていただいた。この話をさせていただくことが一番うれしい。なぜならば御教えの神髄の部分であるからである。熱心に聞いていただいたことに感謝している。ともかく、聖典を拝読することだ。『あなたは自分で治せる』に「般若心経講義」があることも紹介させていただいた。現象は本来ないということがもっとも分かりやすく説かれているのは、『心で作る世界』の「視覚の中のプログラム」である。何度も熟読を乞う。何度か挑戦していくとパッと分かる時が来ます。実に重大なことが書かれている。この御文章を読み解いていく時、この世界がバーチャル・リアリティの世界であり本来ないと観ずることができるようになる。そして、先日の副総裁先生のブログ「”百万の鏡”が映すもの(1~5)」に説かれている『聖経天使の言葉』の御解釈の真意を受け取ることが出来るのではなかろうかと思う。講話終了後、引き続いて、出雲地区の相愛会の総連会議に出席させていただいた。午後は、石見地区の相愛会の総連会議が開かれ、それに参加させていただき、両会場とも、ミニ講話で講習会の意義を再確認した。
*絵は、「ブナの大樹」です。H、N

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September.20.2008「世代間倫理」

Photo September.20.2008「世代間倫理」
今日の歌::松江城 堀にぼんぼり 秋まつり

 『世界遺産』で、ワルシャワの旧市街を放映していた。この番組は一度観たことがあるが、再放送も録画していたので二度見ることになった。歴史の中でポーランドは大変な体験をしてきたようだが、逞しく生きている。ナチスドイツが占領したときには、ワルシャワの人々は、地下室を造り、地下道を掘って行き来していたそうだ。日本人にはこんなことができるだろうか。ニテツキさんという方が案内していたが、旧市街は大変に美しかったという。1939年、ワルシャワは破壊されてしまう。ナチスドイツがワルシャワを撤退するときに徹底的に破壊したらしい。ポーランド国民は、ナチスドイツが負けると考え、「ワルシャワ蜂起」をしたという。しかし、悲劇の結末を迎えたそうだ。

 その後、ソ連が入ってくる。ソ連流にワルシャワ市街を立て直すというソ連の計画が分かったとき、ワルシャワ工科大学教授のヤン・ザフファトビッチ氏は、立ち上がる。ここは世界で初めて三権分立をうち立てた土地であるという。ポーランド民族の誇りをかけて旧市街を復興させた。彼は言う。『破壊されたものの復興は、未来に対する責任である』と。この言葉に教授のすべての思いが込められているという。その後、ソ連が公認したが、この地はソ連軍がドイツ軍を偽って、数千人のポーランド将校を殺したカチンの森事件の地でもある。番組では、カチンの森事件を取り扱った映画の収録をしていた。

 しかし、過去の悲劇をあまりにも強調すぎると、言葉の創化力によって歴史が繰り返される可能性もあるのではないだろうか。この点は気をつけなければならないのではなかろうか。もう一つ、『破壊されたものの復興は、未来に対する責任である』という教授の言葉は、世代間倫理の点から、一考を要するところであろう。生長の家では、環境破壊や遺伝子操作や原子力発電所の廃棄物処理や二酸化炭素の地下埋め込みのことやで問題提起をしている。未来を常に見据えることが必要であろう。また、この世界遺産は、破壊される前から残存する建物はあまりなく、新しく再建されたものが多い。再建されたものに対する世界遺産としての評価がなされたところに価値があるとしている。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年9月19日のテーマは、「北極の海氷は残った」です。ホッキョクグマの問題もあるが、北極の開発について、ロシアのほかカナダやノルウェーやアメリカなどの周辺国が先を争っており、そういう開発が進めば進むほど、開発優先の論理が力を増すことを副総裁先生は危惧しておられます。カナダが北極海近くに軍事基地を造ったとか、ロシアが国旗を海に沈めたとか、北極海は大陸棚はロシアの続きであるとロシアが発表したとか、北極海がしだいに熱くなってきているようだ。

*今日は、午前中に秋季慰霊祭が行われ、午後は講習会大盛会の24時間連続聖経読誦が始まった。昼間は女性講師、夜間は男性講師が担当するという。お一人、1,2時間は聖経読誦に参加するのであろうか。入れ替わり立ち替わり参加しておられる。初めの時間には20人ほど参加していた。夜は、松江で相愛会の総連会議が開催された。結論は足を運んで推進し受講者を増加させるということであった。
*絵は「草原の朝」である。H、N

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September.19.2008「携帯電話が人を殺す?」

September.19.2008「携帯電話が人を殺す?」
今日の歌::今日もまた 生かされてあり 健やかにPhoto

 タンタルという希少金属があるそうだ。コンゴではこの希少金属を反政府組織が先進国に売り、その収入で武器を購入する。コンゴの内戦で、300万人の人が亡くなっているそうだ。これは、『地球データマップ』の内容である。タンタルは携帯やパソコンで使用されるという。自分の携帯は自分のお金で買う。そこに何の法的不都合はない。しかし、その背後にはこのような状況があるということを私達は知らないでは済まされないではなかろうか。地下資源が戦争を引き起こすという訳である。

 もう一つのテーマが提示されていた。「報復の論理」である。アメリカにとっては戦争とは、常に他国で行われていた。2001年9月11日、初めてアメリカが攻撃されて戦場となった。その報復のために、テロに対する戦いとして、アフガニスタン、イラクを攻撃する。イラクには最終的には大量破壊兵器はなかったようだ。これは「先制攻撃」という、「ブッシュ・ドクトリン」の路線の線上にある行動であると考えられる。イラクに大量破壊兵器はなかったが、石油があったということになろうが、その戦争で多くの罪のない国民が傷ついている。

 ハンナちゃんというイラクの女の子が写っていた。バクダッド郊外でお姉さんと畑に行ったとき、落ちてきた不発弾にさわったのだという。お姉さんは即死、ハンナちゃんは左足を失った。アメリカのクラスター爆弾だという。アメリカの力と報復の論理ではたして今後、平和な世界が築けるのだろうか?ということであった。このハンナちゃん事件がもし、アメリカであったとしたらどうなるのだろうか?。副総裁先生がアメリカ大統領選挙をご心配しておられるのがうなずけるのではないであろうか。

 憲法第9条の「国家間の紛争解決の手段としての戦争放棄」の問題も提起されていた。これには色々と論議があると考えられる。第二次世界大戦以降、日本を含めてわずか数カ国しか世界で戦争をしなかった。ほとんどが戦争をしている。20世紀は何と1億人が戦争で亡くなったという。グルジアもその中の一つであろうが、現代は民族主義の関係で紛争が起きている地域がかなりあるようだ。

 地雷の問題も出ていた。地雷は戦争の後も人々を苦しめる。対人地雷禁止条約という条約があるという。その女性のリーダーは、「地球市民」という言葉を使用していた。地雷に関しては、『すべては愛のために』の主演女優アンジェリーナ・ジョリーが映画の中で最後に地雷を踏んで亡くなるシーンが思い出されて痛ましい。

 生長の家を知らない人々はそれぞれの立場で世界平和のために努力をしておられる。私達は、国際平和信仰運動として全人類に、「善なるただ一つの神」を伝道して世界平和を持ち来す使命があることを自覚しよう。講習会推進もその一環の中にあると考えられる。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年9月17日のブログは「対称と非対称」です。18日も続きとなっております。チリで生まれ、イギリスで精神分析・精神医学を学び、アメリカで研究を深め、ローマでも活躍した精神分析家、イグナシオ・マテ=ブランコ氏の論理を展開しておられます。参考図書のマテ-ブランコ著/岡達治訳『無意識の思考--心的世界の基底と臨床の空間』(新曜社、2004年)は専門書なので5000円以上かかるようですが、島根の皆さま、読破に挑戦しては如何でしょうか。

*今日は、松江の推進に歩いた。時々、講習会推進以外に個人指導的な相談をされることがあるが、少しでもお役に立たせていただいていると思うと嬉しい。二人の地元の幹部さんが同乗してご案内して頂けるのがまた楽しい会話となっている。「どこへ行く 船頭多し 秋の風」秋の風のようにあちこちそよいで訪ねながらの道中であった。支部で目標を達成したところがあったようだ。感謝、絵はイメージとしての故郷のわが家への道である。「山里の 道は続きぬ 吾が家まで」H、N。

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September.18.2008「良縁成就(二)」

Photo_2 September.18.2008「良縁成就(二)」
今日の歌::山を見て そぼ降る雨も またうれし  自然の中に 生きる吾あり

   9月11日の「良縁成就(一)」の続きです。匹田さんの体験談です。次のように書かれています。

 匹田さんはこの場合、自分では「これが一番いい」と考えておられたかも知れませんが、事実はそうではなかった。しかもこの結婚の失敗は、相手の娘さんが悪い人だからではなく、息子さんと”合わなかった”だけのものでります。したがって、この娘さんにはこの娘さんにふさわしい相手がどこかにあるのであり、そこに嫁げばきっと幸福な生活にお入りになるに違いない。そこで私達は、ただ単に家柄とか財産とか学歴とかというような外的なもので配偶者を決めることは誤りだということが判るのであって、そこが商品と人間の結婚との違いなのです。
 
*相手の心がどの様な心かをお互いに知ることが必要でありましょう。将来の理想はどうか、家庭をどの様にしたいか等をよく話し合うことも大切でありましょう。『生命の実相』頭注版第40巻88頁には「配偶の観相学的選び方」まで教えて頂いております。人間はどうしても外見や肩書きにとらわれやすい面があります。自分に適したということが大切です。御文章は続きます。

 「家」や「自動車」であれば、或る性能を持ったメーカー品であれば、どこの家に持っていっても合わないということはまずありませんが、人間には”個性”があり又その魂が地上に入学してきて修行すべき課目も、それぞれの人間において違っている.従って最適の配偶者を選ぶためには、「魂」の領域までわけ入った”調査”をしなければなりません。しかし当たり前の手段では、そのような調査は、不可能でしょう。そこで私達はどうしてもみずからの魂を浄め、家の雰囲気を浄化し、そこに最もふさわしい「お嫁さん」を迎え入れるようにしなければならない。「我」の心で選ぶのではなく、「神」の心が選ぶとき、はじめて最も適当な素晴らしい配偶者を得る事が出来るのであります。

*「自分が幸せになりたい」と思っている心は、利己心ですので必ずしも幸福にならず困難を招くことがあるかも知れません。「他人を幸せにしたい」という心は、愛他的で神に通じる心ですから、神様に波長が合い、幸福になるでしょう。『ちょっと私的に考える』という副総裁先生のご著書がありますが、「半身半疑」というテーマで、魂の半身に対する考察をしておられます。まだご結婚されておられない方は是非、拝読下さい。

 尚、先ほど「配偶の観相学的選び方」の一部をご紹介しておきますと…。
…観相学の成り立つ根本原理は、三界は唯心の所現、肉体は心の影、環境は心の影、運命は心の影、形態は心の影、顔はその人とその住む世界を代表す、顔の中心部位たる鼻は宇宙または環境の中心たる自己をあらわす。ということであります。人相は当たるも八卦当たらぬも八卦というような不確実なものではありません。当たるのがあたりまえであって、人間は実にその顔のとおりの心なのであります。嘘も隠しもありません。自己知る、天知る…でありますのに、お化粧ばかりして、わたしは決して悪い心は持ちません…とすましておっても駄目なのであります。心鋭きものは顔も鋭く、心だらけたるものは顔もだらけ、心精悍なるものは顔も精悍であり、心柔和なるものは顔も柔和であります。しかし皆さんが夫をお選びになる上で、精悍が好きか柔和が好きかは別問題でありますが、ともかくこれだけの根本原理を知っておいていただいたら、柔和なつもりで嫁に入ったら精悍な人だったというような予想はずれのことはありません。…

 生長の家では、大は宇宙の法則から小は子供の育て方に至るまで教えていただいております。島根の信徒の皆さまは、御教えの神髄を掴めるように、また現代に即した御教えを体得できるように努力いたしましょう。

*イチローさんが200本をうちました。奥様は松江の方です。共に喜びましょう。
  今日は木曜休日ですが、夜は相愛会の会議で雲南へ参りました。夜は二軒づつ家庭訪問をしている人などあり、信仰的な雰囲気の素晴らしい会議でした。相愛会さんは教区をリードしつつ講習会を大変がんばっております。

*絵はススキです。「ススキ野に 時折吹けり 風さやか」H、N

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September.17.2008「鬼太郎誕生」

Photo_3 September.17.2008「鬼太郎誕生」
今日の歌::隣より 子供の声で 目を醒ます 秋の夕寝の 快さかな

 水木しげるさんの「人生の生き方」の第3回目をNHKで放映していた。終戦時、お父さんが米子に迎えに来たそうです。しかし、左腕が十分に手術されておらず、化膿するかもしれないということで東京へ再手術にいった。しかし、そのまま東京に居着いてしまった。魚を売り歩く商売もした。右腕だけでも魚をさばけたそうだ。一儲けしようと米の買い出しもした。しかし、肝心の資金を落とすなど失敗もあった。輪タクという人力車のような商売も始めたが、本物のタクシーが現れて道具を手放した。傷痍軍人に誘われてお涙ちょうだいの募金をしたが、相手の財布の紐はなかなか堅かったようだ。子供の頃田舎のお祭の時、そのような方々を見かけたことを記憶している。
 
 神戸までたどり着き、水木アパートで紙芝居の作家と出会うことができ、紙芝居を書き始めた。それからマンガの世界に入る。126頁のマンガを描いて3万円だったという。生活費としてギリギリの金額なので、手を止めるとお金が入らない。迫力ある生活だったそうだ。色んなマンガを描いている。水木さんは言う。『僕は賢かったんですねえ!』と。水木さん独特のおとぼけのようだ。その頃、「墓場の鬼太郎」の創作が始まったらしい。これが大いに受けた。水木さんは言う。『上手なウソがつけるようになった。それが物語の秘訣だ。ウソで食えるようになった』と。ともかく、飯を食うことで必死でひたすらマンガを描いたそうだ。『ガロ』にも出した。このガロは、私は内容が好きでなかったので、余り読んでいない。

 その頃、両親が上京して見合いを勧めた。会ってみると、航空母艦?のような女性だった。それが現在の奥様である。彼女は結婚に際して”水木さんはまあまあの生活をしているだろう”と思ったが、実際に生活すると落差がとても大きかった。水木さんは朝から夜まで描き続ける。声もかけられない生活が続いていた。甘くない結婚生活だった。それでも時々、バナナを買ってきて二人でおおいに食べたという。しかも腐りかけだが、中身はかえって美味しかった。バナナはお米のように南方では主食である。ある時、水木さんは、歩いていて妖怪「金霊」が空を飛んでいるのを見た?。カナダマと読むそうだ。この妖怪を見ると、お金が入って来るという。その後、大きな仕事が入ってきた。それから大金持ちになったと水木さんは言っていた。そばで、奥様が『えっ』と言って笑わせていたが、とても明るいご夫婦を演じているようだった。
 何故、マンガを続けることが出来たのかとの質問に対して、『好きだからできた』と言っている。仕事とは確かにそうで、お金が儲かるからではなく、好きでないと上手にはならないし続かないのではないかと思う。まさに同感である。私達も、心から御教えを愛し、神様が好きだからこそ信仰が続いているのではないかと思う。『詳説神想観』147頁には、次のように書かれている。

 …あのマグダラのマリアが、イエスの御足の上に涙を流してその髪の毛でイエスの御足を拭ったという時の感じは、そんな深い感じであったでしょう。そういう感じが起こってこなかったら、吾々が神を愛していると言っても、まだ「観念」で愛しているので、生命のどん底から愛していないのです。イエスはその時「婦(オンナ)よ、汝は赦されている!」とおっしゃったでしょう。吾々もまたマグダラのマリアと同じく、まず泪を流すほどに神を愛しなければならないのです。…

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年9月16日のブログは、「睡眠と思考」です。睡眠時と覚醒時の意識のちがいについてご教示くださっております。顔の絵がとても印象的です。また、『新版幸福生活論』133頁~164頁には、睡眠について説かれております。拝読下さい。
*絵は「電気スタンド」です。「長生きの 電気スタンド 二十年」H、N

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September.16.2008「大聖典」

September.16.2008「大聖典」
今日の歌::有り難し 行く先々で 手を合わす ご先祖導く 推進の旅

 今日は、感謝訪問をさせていただいた家で、『生命の実相』」大聖典を拝観した。購入された方は既に故人であられたが、素晴らしい信仰者であったという。庄原の原さんとおっしゃる方である。ある日、皇居で叙勲を受けるために上京された。上京したとき、付き添いの方がどこに行きたいかをお聴きすると、「生長の家本部」であるという。そこで偶然、谷口清超先生にお目にかかることができ、感無量の体験をされた。大聖典を前に説明をお聴きしていると、当時の故人の感動が伝わってきて胸を打つ。谷口雅春先生の熱烈な嵐のような信仰の波が、今も尚この庄原には波打っていると思った。数軒先には、星野講師会長さんのご自宅がある。星野夫人からとてもよい俳句をお聞きしたが残念ながら失念した。まず、俳句が先に浮かびその後、絵のイメージが浮かぶという。新境地である。『生命の実相』第2巻第5章「神への道しるべ」には、次のように書かれている。大いに高級霊界からのご指導を頂きたいものである。

 …かりに吾々が絵を描こうと思って、絵に精神統一をしていますと、その精神集中力が磁石的な引力となって絵を完成するに必要な霊界の波動が、「類をもって集まる」又は「類は類を招ぶ」と云う心の法則に従って集まって来るのであります。絵でも文学でも発明でも同じ事であります。インスピレーションと云うのが、霊界の波動を感受することを云うのであります。…

 最後に、副会長さん宅で御主人の体験談を聞かせていただいた。お祭の夜に、自転車で走っている時、小川に落ちてしまったという。現在は、コンクリートで固めているので、とても堅い。約15分間、気を失っていたらしい。しかし、普段はこの小川は水が流れているが、この時に限り不思議に水門を閉めていた。閉めた人は生長の家の信徒さんだったそうだ。そのために気を失ってはいたが、水で窒息することはなかった。何ごともなく家にたどり着いたそうだ。また御主人は、かつて大病を患い、九死に一生を得て回復した体験もあるという。偶然はないというが、細君の明るさ、徳積み、信仰深さ、毎日のご先祖供養などが複合して「水門を閉めるという偶然」を起こるべくして起こしていたのではないかと考えられる。

 歴史を感じさせる山手の家に住んでおられるご夫婦をお訪ねした。ご先祖は尼子氏であるという。庭には大きな杉の木が数本立っていた。かつて庭には一面に美しい苔がむしていたという。家は、かなり古く家の中心部分は400年位は経っているであろうとのことであった。御主人の雰囲気も歴史を感じさせる落ち着きと重みがあった。周囲の山もすべてご自分の山であるという。最近の鹿被害の話もあった。近くに風力発電所が建設されつつあるそうだ。その関係で鹿や猪が土地を追われてこの付近にも出没するようになってきたという。風力発電所は自然を破壊して動物の棲息域を狭めるということを初めて知った。自然エネルギーを得るために自然の動物を追いやるという悲しい話だった。両立はできないものだろうか?それはともかく、この家には何よりも生長の家の信仰が代々伝わっていることが素晴らしいと感じた。総じて、島根県は代々信仰が伝わっている家が非常に多いのではないだろうか。信仰面に於いて世界一としているが、おそらく本当に世界一だろうと思われる。

 玄関でご挨拶してすぐに次の訪問先にいくつもりではあったが、今日は所々上がらせていただき、ご仏前で手を合わさせていただいた。時間のある場合は、「大調和の神示」を拝読した。自分が読経するのか、ご先祖に招かれて読経させていただいているのか分からないが、実によい雰囲気で感謝訪問を終了した。

 夜は青年会の会議があった。メンバーはどの人をとっても素晴らしい信仰者の集団である。講習会推進を着実に行っている真剣な会話がとても印象的だった。前教化部長さんの長年にわたる青年育成の素晴らしさにいつも感謝をしている。   

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年9月15日のブログは、「メディアの責任を問う」です。メディアの在り方や犯罪統計について、論理展開をしておられます。また、最後に、「日本社会でも、メディアが悪事の報道ばかりを続けていることと、経済や政治に明るさが出てこないこととの間には関係があるかもしれない」と結んでおられます。その可能性は十分にあるではないでしょうか。

*絵は「Photo 早春の桜」です。H、N

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September.15.2008「ゴビウス」

Photo_4 September.15.2008「ゴビウス」
今日の歌::環境と 遺伝子汚染  迫り来る 太古からいる 大山椒に

 今日は「敬老の日」というが何歳から老人というのであろうか?地元の方にお聴きすると町内会で65歳の人にお祝いを出していたが、余りにも多いので、(取り決め当時から考えて、想定外に長生きしているという意味だろうか?)75歳まで引き延ばしたという。まあ、現代人は70歳過ぎてもともかくお元気である。出雲市で60歳になってよかったと思うのは、500円の温泉が300円で入ることが出来ると云うくらいのことか。しかし、余りにも多く、元気だと今後、風呂代も変更を迫られることがあるかも知れない。

 今日は午後に、皆さまご存じの「ゴビウス」へ子供にせがまれて行ってきた。宍道湖の生物の体験施設である。お馴染みのシジミやエビやさまざまな生物を飼っていた。その中で、宍道湖に棲息しているかどうかは知らないが、大山椒魚(オオサンショウウオ)が一匹いた。大山椒魚は3000万年前に化石が発見されているのでその頃からの生物であると云える。しかし、説明文には、環境汚染による絶滅の危機にあると書かれていた。「出雲神話街道」を通って出雲から尾道へ行く道路脇に、「大山椒魚生息地」と書かれている所がある。種類は世界に日本型と中国型の二種類のようだ。

 絶滅の危機にある原因は、環境汚染の他に遺伝子汚染もあるという。サンケイ新聞(2008/9/15付)によると、加茂川の大山椒魚は44%が雑種であるという。両生類の研究の専門家である京都大大学院の松井正文教授の分析を掲載している。分析結果は、111匹の内、13%が中国産、44%が中国産の雑種であるという。雑種は、幼生の何と71%を占めている。すなはち加茂川では純粋日本種の存続が危うくなっているという訳だ。まだ他への飛び火はしていないが…。ワニガメにしても、ブラックバスにしても琵琶湖の外来種にしてもすべて人為が原因のようである。

 昭和47年に岡山の業者が中国産800匹を食用に輸入、その一部が京都の料亭に流れ、文化庁が自粛を指導し、商品価値を失って加茂川に捨てられたり、いけすから逃げ出したりという経路で加茂川の大山椒魚が雑種化したのではないかという。それに対して、行政対応はかなり遅れているという。かつて愛媛県で見た新聞の内容だが、道路工事でのり面に業者が草の種子を蒔く。その種は中国産であるという。業者は安価なので安易に中国産の種子を蒔いていたらしい。規制はできないとしていた。専門家は、その種子が日本種と混ざり、日本種が消滅してしまう危険性があると警告を発していた。いずれにしろ、ここまで個性化した日本固有の種が失われるのは、生命多様性の原理から云っても誠に残念なことである。「自己の経済的利益・趣味的利益」という”利己心”を中心に考える業者や関係者の行動が取り返しのつかない環境汚染・遺伝子汚染を引き起こしているのだろうか?「世代間倫理」の問題は、どうやら大山椒魚の世界にも当てはまるのかも知れない。

*「創作童話・ゴビウス君」…昔、宍道湖にゴビウス君という渡り鳥が来ました。カモの一種なのですが、みんなと一緒に餌とりをしないのでした。なぜかというと、カモ語が少しおかしいのでみんながバカにしていたからです。彼がしゃべるカモ語は、語尾が「うす」といって最後が薄くなり消えていくような感じでした。普通のカモは、どこかに行く時には、「行くカモ!。行くカモ!」と表現するのですが、ゴビウス君は「行くウス」と言うのでした。語尾が「ウス」と訛るので、あだ名が「ゴビウス」となったのでした。カモ語は、何かに誘った時に「行くカモ!」と言って曖昧な返事をするカモの常套語でした。渡り鳥なので季節が来ると飛び立つのですが、ゴビウス君は飛び立たず、とうとう土着となりました。そして宍道湖に棲む他のカモと結婚して、幸せに暮らしました。めでたし、めでたし。
(ほとんど、親父ギャグです)。

*絵は「四個のサクランボ」です。「つやつやと 共に仲良き  サクランボ」H、N

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September.14.2008「環境フェスティバル」

Photo_4 September.14.2008「環境フェスティバル」
今日の歌::黄金の 夕陽沈むか わが池に   

 松江市環境フェスティバルを見学した。従来からこの手の催し物はできるだけ見学することにしている。現在、出雲市に住んでいるが、島根県のゴミの分別再利用がどうなっているのかを知りたかったので特に興味があった。様々な出店があったが、フリーマッケトが60店ほど出店していた。同行していた子供もいくつか買ったようだった。

 食事コーナーの側のある販売店にどこかで見たような人がいたが、数日前に講習会の弁当の内容と容器を説明に来た男性だった。声をかけると、私の顔を思い出してくれたようだったが、「泳ぐ牛」という牛肉を使った商品を勧められたのには驚いた。どうも生長の家の考え方はまだ理解してくれていないようだった。しかし、「山陰エコシステム」という有限会社のコーナーを見ると、この弁当の会社も環境問題解決に参加しているのが分かった。

 山陰エコシステムは、参加企業(団体)から生ゴミや刈った草木などを回収し、たい肥に変えるとしている。①材料を破砕、粉砕 ②水分調整(この時、色々と混ぜるらしい) ③一時熟成 ④二次熟成(いわゆるEM菌を散布している)⑤選別 ⑥たい肥の製品化 ⑦出荷 …である。製品は各生産組合や農場で使用する。生ゴミの所で弁当屋さんからでた生ゴミが出され、最終段階で出来た有機質たい肥を利用して生産した有機野菜を弁当会社が購入することになっているそうだ。有機肥料は自宅でも出来る。生ゴミを「食品循環資源」と説明していた。家畜の糞尿・動物系固形不要物も材料にするようだが、昔は人糞も肥料にしていた。衛生上の問題がクリアーされなくてはならないが、日本の科学技術で解決すれば人糞はおそらく肥料の中でも上位クラスのエネルギーを持った有機肥料に変貌するのではなかろうかとも考えられる。江戸時代は人糞回収業者がいた。(私の幼少時にもいたことを記憶している)。貧乏人よりも金持ちの人糞が栄養分が残っているので値段が高かったらしい。今はほとんどの人が江戸時代の金持ちよりも栄養価の高い料理を食べているのではなかろうか?…先日、訪問したご家庭ではゴーヤを作っていて大きなのが沢山実っていたが、ほとんど有機肥料であるという。この方式では、有名な「残留農薬」の心配もない。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年9月13日のブログは「ペイリン氏の“危うさ”」です。自民党総裁選のことが書かれています。またそれよりもアメリカ大統領選に大きな関心事があるとしておられます。記者の質問に対して、共和党副大統領候補のペイリン氏が先制攻撃の論理を展開するブッシュ・ドクトリンの存在も知らなかったことに対して、同盟国に住む者としては安心できないということ、そして、次期ホワイトハウスがブッシュ氏と違って、国際協調路線を歩むことを希望しておられます。島根の皆さま、国際問題にも大いに強くなりましょう。

*今日は大田の方を感謝訪問に回らせていただいたが、どの家も自然の中で景色のよい所に建っていた。総連会長さん宅では、御主人が新しく会社を始めるというのでみんなで繁栄を祈らせていただいた。日本海側に面した窓を持っている家は、夕陽が実に美しいようだった。このような所で生活していると、既に自然と共に生活しているので、素直で純粋な信仰が定着するのであろう。皆さまはその純粋な信仰で講習会推進を真心一杯にがんばっておられた。H、N

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September.13.2008「講習会ご推進に豊かな実りの秋を迎える」

September.13.2008「講習会ご推進に豊かな実りの秋を迎える」

今日の歌::ワイナリー 試飲コーナー 有り難し 土産買うので 尚高くなる (出雲大社の近くに島根ワイナリーがある。試飲ができるが、ワインは飲めないので、葡萄ジュースを一杯のむ。得をした気分だが、無銭飲食のような形で帰るのは気が引けるので土産を買うと、結局高い試飲となってしまった。)

 10月号『大和島根』掲載予定の挨拶文を前もって掲載します。10月19日が講習会ですので、あと一ヶ月と少しです。

 講習会ご推進に豊かな実りの秋を迎える!!

 神の子の皆様、講習会のご推進を心から感謝申しあげます。十月で皆さまのご推進の豊かな実りの秋を迎えました。また自然界では、あちこちで稲刈り、栗や梨、無花果などの豊かな秋の実りの収穫が行われております。今年は自然界も講習会推進と同じでことのほか実りがよいようです。ご推進の実りの秋を迎えるに当たって、私達は「祈りに始まり、祈りに終わる」運動ですので、神様に常に祈って祝福し特に半年間の推進期間のお導きを心から感謝しつつ活動をいたしましょう。周囲の協力者である配偶者やご家族様、同士の方々はもとより沢山の方々に、一方ならぬお世話とご愛念を頂いております。また地元に鎮座まします産土の神様にお導きに対する感謝を致しましょう。先日、松江に参りましたら、毎日夕方より御主人の推進の車に乗せてもらってご一緒に推進に行かれるという方がおられましたが、毎朝の祈りで「神様、どうぞ私を講習会推進のために私を自由にお使い下さい」と祈っておられるとのことでした。このような無我の祈りこそ尊い祈りでございます。
 
 先日、推進に歩いていました折りに車に同乗しておられた方が持ち物をどこかに落とされまして、探しておりました。私は「どの様にして探しているのですか?」とお訊ねいたしますと、「ありました。ありました。有り難うございます」と念じつつ探しておられるとのことでした。するとやがて見つかりました。これと同じで、「参加者がいない。参加者がいない。困ったな」と念じつつ推進いたしますと、参加しない人の所へばかり推進に行くことになりがちです。潜在意識の働きです。「参加者が沢山いる。参加者が満ちあふれている。うれしい、ありがたい」と言って推進しておりますと、参加してくれる人の所に推進することになります。どうぞ、大安心してニッコリ笑って、「生長の家大神は天の使いである私を導き給う」と念じつつご推進ください。

 常に光り輝くような喜びが自分の魂の奥底から湧き起こっていることが大切です。心が明るくなるには「我」の心を捨て去ることが必要です。人間心を去って、神様の御心を常に前面に押し出しましょう。自分が輝けば、相手も輝きます。ある人が北海道の道路を夜間に走っていました。ほとんど車は通行していません。夜間の道路はご存じの通り反射板が光って非常に明るく感じるのです。同乗していた人が言いました。「道路は電灯がついてこんなに明るいのですから、自動車のライトを消してはどうですか?」と。運転手は「それでは消してみましょう」と消灯した途端に、道路の反射板の明るいライトも消えたのでした。同乗車は「あっ、消えた」と言いました。運転手は他の車が通っていず、直線コースに入ってから行った行為なのですが、「分かりましたか?道路のライト(反射板)が光っているのではなく、こちらの自動車のライトが反射して光っているように見えたのです」と説明しました。神の子の皆さま、これと同じで自分が光り輝けば相手が光り輝くのです。まず、自分を神より来たれる天使であり光であると念じつつ、最後まで明るく楽しくご推進下さい。

 ある日、大社のある信徒さんの家に参りました。その方の話によりますと道路を隔てたご自宅の前の家から出火し、右の家に類焼し、さらに道路を隔てた信徒さんの隣家に飛び火したそうです。隣の家とは1㍍も離れていなかったようですが、まったく奇跡的に類焼を免れました。ウソのような話でしたが、本当の話でした。玄関には、『来る人も また来る人も福の神』と書かれた短冊が掲示されていました。私は「これだ!」と思いました。「自分は神の子であり、光である。よき人来る。よき人来る」と心に宣言し、念ずることは、闇や悪しき事件と波長が合わなくなるのです。講習会とはまさに、生長の家大神様が副総裁先生を通して説法される島根県民に開かれた大法宴であると同時に、推進によって陰徳を積ませていただき私達の運命を最大限によくさせていただく方法でもあります。

 もう一つ。大社の古い街並みの話ですが、その地区は、火事が極めて少ないのだそうです。何故かというと、火事になったら消防車が入れないような狭い道なので、住民の方々は最大限の注意を喚起して生活しているからなのだそうです。困難な時や所ほど心が慎重になり心を引き締めるので、よき結果が生じるのです。「困難は向上のチャンスである」という訳であります。ご推進に行き詰まったときには、如意宝珠観を実修して、コンピュータソフト「神通自在」(仮称)を心にセットし直し、「日時計日記」に記載して明るい心でご推進ください。必ず成就いたします。 

 ”ご推進の豊かな実りの秋を迎えるにあたって”、さまざまな困難を乗り越え、喜びの中に自己限定をうち破って、神の子無限力を発揮し、心に余裕をもって見事に各組織の目標を達成され大盛会となりますことを期待し念願し確信いたしております。講習会当日までひたすら喜びと感謝前進あるのみであります。感謝合掌。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年9月12日のブログは”逆立ちした「9・11」”です。同時多発テロ事件から7年がたったというので、被害国・アメリカを中心に、その後の“テロとの戦争”などの諸対策の効果をめぐって様々な議論が起こっているとのことであります。そして、10日付の『ヘラルド・トリビューン』紙に載ったマイケル・スラックマン記者のカイロからのレポートをご紹介しておられますが、我々日本人を含む“西側”の立場から見るこの事件と、イスラーム側(特に、アラブ人)から見たこの事件の意味が、あまりにも違うことに驚かれたとして様々な考察をしておられます。原文をご熟読下さい。所で、島根の信徒の皆さまで『ヘラルト・トリビューン』紙を読んでいる人はいらっしゃいますか?いらっしゃったら教えてください。
*絵は、「 」です。H、N

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September.12.2008「功徳と恩返し」

Photo_2 September.12.2008「功徳と恩返し」
今日の歌::山間に 谷間に住む 信徒たち 朝日を拝み 自然に感謝す

 今日は朝7時半に出発し三会場を推進で回らせていただいたが、一会場目は出雲神話街道の山手の所だった。「生長の家のお陰です」と涙ながらに感謝の言葉を述べるのを聞くと、こちらも感動を覚えるのだった。
 二会場目もまさに山の中だったが、会場主は毎朝、朝日を拝み、家族を拝み、周囲の人々に感謝してお世話活動をしておられた。その中で90歳を過ぎた女性で肌がつやつやとしている白鳩さんがおられたが、大変にお元気そうであった。しかも一人暮らしをしているとのことだったが、子供さん達に云わせると親を自由にさせることが親孝行とのことである。野菜を作っては子供さん達に送っておられるのであろう。この地域で信徒さん達が支え合って、御教えを実践している幸福な姿が大変印象的だった。
 三会場目は出雲の近くだったが、栄える会の方の料亭だった。栄える会の会員である女将さんはかなりの数の確定者を提出されたと言っておられた。相当に人を引きつける力のある方のようである。どの人のご体験も感謝に満ちていたが、運転手で来ておられた白鳩さんの御主人の体験を奥様から聞いた。ある日、彼は40歳代でくも膜下出血になり瞳孔が開いていたとのことだった。しかし、お母さんが聖経を熱心に拝読して後遺症はなく救われたのだった。この体験には私も驚いてしまった。
 今日は沢山の方々の感謝の体験を聞かせていただいた。もしビデオにとって島根の信徒さんにお見せすることが出来れば、生長の家の素晴らしさと島根の信徒さんの報恩感謝の姿がより一層鮮明に理解できるのではなかろうかと思えた。また、報恩感謝の念は受講者数にも反映するではなかろうか。言う気は勇気である。自己限定をうち破ったときに、神が現れるのであろう。

 夜は栄える会の運営委員会であった。栄える会は講習会の推進に大変力を入れてくれている。その会議の中で、安野講師がロシアのウラジオストックにいったが笑いがないという話や、与論島に行き、珊瑚が沢山死んでいる現状をみてきたという話があった。そして珊瑚の枝をお土産にもってきてプレゼントされた。その珊瑚が箸置きにならないものかとも。さすが、常に前向きの考え方である。お会いするたびごとに何か新鮮なものを与えてくれる。珊瑚の箸置きは温暖化を人々に自覚させる方法の一つではなかろうかとのことである。
今日で推進は白鳩さんの方は一区切り終わった。明日から、戸別訪問となる。ただ感謝して前進あるのみ。

*絵は高原の二輪の花です。H、N

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September.11.2008「良縁成就(一)」

Photo September.11.2008「良縁成就(一)」
今日の歌::高原に 人知れず咲く 花二輪
高原に 一面の花 咲き乱れ

 良縁成就の話で、今回のは少し長いので分けてご紹介します。谷口清超先生著『愛は勝利する』の296頁です。

 私が昭和38年頃奈良に参りまして講習会をしました時、奈良市般若寺町に住んでいらっしゃった匹田露一さんという人が次のような話をして下さいました。それは、この露一さんだけ一人で「生長の家」の御教えをやっておられる頃に、長男にお嫁さんを迎えることになったのですが、その時、露一さんは自分の一存で親戚の娘さんの中でこれは素晴らしいと思われる人を貰ったのでした。その場合露一さんは、相手の娘の”家柄”を主として考えたとおっしゃるのです。ところが、その人をいざお嫁さんに迎えてみると、息子さんとどうしても不調和で、全然合わない。最初から嫌がっていたのを無理に結婚させた訳ですけれども、ついに、息子さんは夜帰って来なくなった。毎晩のように酒を呑んでは遊び歩くのです。そこで仕方なく二ヶ月で離別することになったのであります。これはお嫁さんを迎えるとき、お父さんが相手の娘さんの気持ちを息子さんの気持ちを主として考えてあげず、ただ”家柄”を主体として考え、「我」を押しつけたところに失敗の原因があったのです。しかしいくら叱ってみても、息子さんが帰らないでは、とうてい結婚生活は成り立ちませんので、ついにお父さんも我を折って、離別することにきめたのでした。

 このようにお書きになっておられます。結婚する本人同士の気持が一番大切だろうと思います。昔は、政略結婚があったり、色々だったと思いますが現在は自由です。自由であるが故に女性が結婚したくないとなると、結婚できない男性が出てくると云った状況が生じているようです。島根には世話好きの人はいませんかね?
 聞いた話ですが、ブラジルからお嫁さんを募集していて、手紙に本人の男性の写真が入っていました。なかなかよい男だったそうです。ブラジルの港で迎えると云うことで彼女は行きました。しかし、それらしい男性はおらず、かなり年輩の男性が待っていました。要するに、他人の写真を挿入して送ったのでした。今では考えられないことですが昔はこんな事もあったのでしょうか?

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
 2008年9月10日のブログは、「スケッチ原画展 (2)」です。宇治の大祭で展示された原画の事を書いておられます。なお、収益金は、森林の再生を目的とした活動に寄付されるそうです。将来、島根教区でも、それに似たことが出来ればと考えていますが…。自分でやってみて感ずるのですが、ともかく、ご自分で描いてみると副総裁先生のお気持ちが理解しやすくなるように思いました。白鳩会の皆さまは、最近よく描いておられるようです。頂く葉書は絵手紙が多くなって参りました。ベジタブル・アートで展示している星野さんは、先日、ユメ・タウンの映画で「崖の上のポニョ」をみて景色の美しさに感動したそうです。あの映画は全部手書きだそうですが、感動の新境地が新しい画風となって現れてくるのではないでしょうか。上手になるよりも、自分自身の絵になりきることが大切でありましょう。尚、ユメ・タウンの映画は毎月一日は大人千円だそうです。よいことをお聞きしました。
*絵は愛媛の浅木強運さんにいただいた写真集『君に優しい物語』をもとに描いたものです。H、N

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September.10.2008「今日の推進」

September.10.2008「今日の推進」
今日の歌::宝石や 夜と朝との 星光 (出雲は空気が澄んでいるのでしょうか?都会では味わえない美しさです。今日も、風呂場の窓ガラスにヤモリが訪問していました)

 今日は、松江を三カ所推進に行かせていただいた。素晴らしいと思うのは、着実に確定者をあげておられることだ。頭が下がる。松江道場では、今日はご年輩の方々が、真心一杯に聖経を読誦しておられた。それが終わって、写経をしておられた。素晴らしいと思う。昼食はご一緒させていただいた。有り難い限りである。ここは城下町なので、金沢を思い出す。雰囲気が似ているのではなかろうか。

 どの会場でもほとんど同じ話を20分間から30分間行っている。参加者に応じて多少変えている。たいていは、講習会推進は生長の家大神が先頭にたって導き給う、ということと、御教えへのご恩返しと徳積みを話している。しかし、御教えの根本的部分を知りたいと考えている方がおられるときは、一部それに対応することにしている。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年9月 9日のテーマは、「紙テープで絵を描く」です。鉛筆の絵が掲載されています。今日、白鳩副会長さんの足達さんのところで、推進でしたが、柿の絵百枚だけだと思っていましたが、何と、花の絵を表装したり色々な絵を描いておられました。それが大変素晴らしい出来映えなのです。どうも、一つのものをやり遂げると、別のものに挑戦する思いがでてくるようです。NHKの「世界遺産」番組を見ていると、宗教芸術が多いことに気づく。その時の状況にもよると思うが、特殊な芸術家とスポンサーの存在があることがおおいようだ。宗教はそういう形で神性表現を行ってきたということだろうか。

*毎日、14人から15人の方が訪問していただき、誠に有り難うございます。島根の方々であることを願っております。毎日書くのは大変でしょうと言われる方がおりますが、時々書くのと毎日書くのとでは当然、毎日書く方が楽のようです。毎日書く力は愛媛の信徒さんに頂いた力です。感謝です。H、N

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September.09.2008「グルジアの歴史」

September.09.2008「グルジアの歴史」
今日の歌::朝晩の やはり島根と 寒さ知る

 グルジアの歴史について、中途半端であったので、ウィキペヂィアで調べたことを掲載する。映像や写真がないと、理解はかなり進みにくいがやむを得ない。現在、『イスラムとヴェール』という本を読んでいるが、大学へ提出した論文なのでイメージが浮かばず苦労している。さて、一応読むといった感じでしょうか。
 
 この地は、紀元前6世紀にはオリエントを統一したアケメネス朝ペルシャの一部となった。その後、紀元前1世紀にローマの支配に入った。グルジアの歴史は、主に西グルジアと東グルジアに分けられる。グルジア史は、大まかに分けると、ローマ時代以前は、主に西グルジアにあるコルキス王国(Egrisi王国)が栄えていた。ローマ支配紀頃から東グルジアにカルトリ王国(イベリア王国とも言われた)が勃興し、しばらくカルトリがグルジア史の主役となるとしている。

 4.6世紀にキリスト教に改宗した。6世紀頃に、この頃ラジカ王国として知られていた古代コルキス王国(この間ずっとEgrisi王国が正式名らしい)はビザンツ治下に、カルトリ王国はペルシャ支配下となる。その後、グルジアはアラブ支配下に入る。ラジカ王国は、9世紀にアブハジア人を主体としてアブハジア王国として独立した。イベリア王国は、同じく9世紀に、アショト・バグラトゥニによりアラブより解放された。11089年頃グルジアが統一され王国となるが、後ビザンツ帝国の属国になる。

 長い間ビザンツ帝国の一部であり、文化的にもその影響が大きい。その後、オスマン帝国、ペルシア、ロシアなどの支配を経て、ロシア革命後の1918年5月26日にロシアから独立を宣言するが、赤軍に首都を制圧され崩壊。ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国の構成国となり、ソビエト連邦に加盟した。1936年には、ソ連邦構成共和国(グルジア・ソビエト社会主義共和国)に昇格している。冷戦下に耐えられるソ連を目指すため、民族問題が取り上げられることはなかった。またスターリンの故郷という側面もプラスに働いており、大きな問題に発展することも可能な限り抑えられた。

 しかし、ソ連後期から黙殺されてきた民族的な問題が表面化した。そのため、1990年11月にはグルジア・ソビエト社会主義共和国よりグルジア共和国に改名され、1991年4月9日に独立宣言を行い、5月にはズヴィアド・ガムサフルディアが大統領に選出された。これは同年末のソ連邦の解体により、実効性を持つに至った。独立後も多くの閣僚はソ連旧共産党員であったことや強権的な統治が行われたために、政局不安は改善されず、治安も悪化し内戦状態に至った。アブハジアやアセチアでは分離独立運動が起きている。ガムサフルディアは1992年1月にクーデターにより追放され、1992年から2003年まで、エドゥアルド・シェワルナゼが最高権力者であったという。

 2003年11月2日の議会選挙の開票には出口調査などによって不正の疑惑が指摘され、アメリカが非難を表明していたが、11月22日になって、選挙に基く新しい議会が召集された。これに対し、反対派の議員はボイコットした。議会前には25000人の反対派市民が集結していたが、開会の辞を読み上げられる最中、これらの市民は議場に乱入した。シェワルナゼ大統領は議会から逃亡し、11月23日には大統領を辞任した。代って、野党「ブルジャナゼ・民主主義者」の党首であるニノ・ブルジャナゼが暫定大統領に就任した。ブルジャナゼ暫定大統領は、従来の閣僚(ナルチェマシュヴィリ内相、ジョルベナゼ国務相、ゴジャシュヴィリ財務相、メナガリシュヴィリ外相など)を一掃したらしい。

 旧野党勢力は、2004年1月4日に行われた大統領選挙では、野党「国民運動」のミヘイル・サアカシュヴィリ党首を統一候補として擁立した。しかし、「労働党」のナテラシュヴィリ党首が議会選挙のやり直しに反対し、「伝統主義者連盟」が離脱を表明するなどの動きもあった。ロシアを後盾にアジャリア自治共和国を事実上中央政府から独立して支配してきたアスラン・アバシゼ最高会議議長が非常事態宣言を発令し、暫定政権に反対するなどの動きを見せた。結局、大統領選挙の結果はミヘイル・サアカシュヴィリの圧勝に終わり、これに反対する野党勢力も一転して選挙結果を受け入れた為、一連の混乱も収拾した。

 3月28日に議会再選挙が行われた。結果は、国民運動が得票率75%で大多数の議席を獲得し最大与党に躍進した。一方、その他に議席獲得に必要な7%の得票率を超えられたのは新右派と産業党が連合して結成された右派野党だけであった。今回の選挙は独立後のグルジアで最も自由な選挙のうちの1つだったと考えられるとしている。

 しかし、アバシゼ議長はこれらの選挙結果を依然として認めず、アジャリア自治共和国との交通路を封鎖するなどの措置を取り、中央政府との関係は一触即発の状態となった。3月18日にはアバシゼ議長とサアカシュヴィリ大統領との会見が行われ、一時は事態が収拾するかと思われたが、アジャリア側が4月末より橋を爆破するなどの措置に出てきたため、中央政府は国境や港湾を封鎖するなど圧力を加えた。更にアジャリアの首都バトゥミでは大統領支持派による議長退陣要求デモが1万数千人規模にまで膨れ上がり、ますます緊迫した状況となった。5月5日にはロシアのセルゲイ・イワノフ国防相がアバシゼ議長と会見し、辞任を勧告した。これにより議長は同日中に辞任しロシアに出国した。また、中央政府はアジャリアに大統領直轄統治を導入し、アバシゼ議長の元で続いてきた事実上の独立状態は終わった。

 2007年11月に与党サアカシュヴィリ政権に対する野党デモの鎮圧を期にグルジア全土で非常事態宣言が発令されるなど政情不安は続き、これに対するサアカシュヴィリ政権の強硬政策は、民主化の後退を位置付けるものとなった。2008年8月8日、親露派分離派地域である南オセチア自治州にグルジア軍が侵攻するが、2日後に撤退した南オセチア紛争 (2008年)が勃発。12日、トビリシにおいて、サアカシュヴィリ大統領がCISからの脱退を正式に宣言。今後は北大西洋条約機構(NATO)加盟と欧州連合(EU)加盟を視野に活動する意向が示されているが、現在両同盟からの勧誘の動きはないとしている。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年9月 8日のブログは「脳波計は真実を語るか?」です。インドの犯罪捜査の一方法のようですが、これは「両刃の剣」であると書いておられます。
 インドの出生前診断の技術が男の子を選んでいるというニュースがかつてありました。これもまた、自然に逆らう両刃の剣ではないでしょうか。

*H、N

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September.08.2008「婿養子を迎える」

September.08.2008「婿養子を迎える」
今日の歌::朝起きて 寒さ感じる 祈りかな

 「良縁の成就」に関して、講師会長さんが谷口清超先生の別の御文章持ってこられましたのでご紹介します。『美しい人生のために』257頁から260頁迄です。《 》内は私の文章です。

 高瀬ふゆさんは、自分の娘さんに、何とかして立派な婿養子を迎えたいと思い、寝てもさめても、ただそればかりを思い便所の中に入っても、「よい婿さんを与えてください、既によい婿さんが与えられました」と祈っておりました。

《常に祈ることが実現のアイデアを受けることにつながるようですが…。》

 そしてこの人はありとあらゆる祈りを試み、講習会をきいてからは「既に受けたりと信じて祈れ」と教えられましたので、そのようにも祈り始めました。また長崎県の歯医者さんが、総入歯の患者さん3人が来て欲しいと思って、玄関先へ出て、本当は誰もお客さんが来ていないのに「よくいらっしゃいました。総入歯ですか。どうぞこちらへ」と一人一人、あたかも総入歯を注文に来る患者さんが来たかの如くに身振りよろしく一人芝居をして、患者さんが既に来てくださったと確く信じて待っていたところ、本当に年末には三人の患者さんが、総入歯を注文してくれたという話や、大阪の伊丹幸さんという料理屋で、そのまねをして、お客さんが沢山来られるようになったという話をきいて、自分も娘の婿さんが与えられたいと思い、その通りを試みました。先ず、ふゆさんは誰も来ていないのに玄関先まで出ていって、
「よくらっしゃいました?ああ娘の縁談のことでいらっしゃったのでございますか。それはまことに有り難うございました。どうぞこちらへ。」
と座敷へ招き入れる格好をして、それから座って、
「なるほど、それは結構な話でございますね。それではその人を婿養子に迎えることに致しましょう。結婚の日取りは何時がよろしゅうございましょうか。ははあ、成る程、それがよろしいですね。それではそのように早速取りはからいまして…」
 というような挨拶を実際にやって、仲人さんが本当に来られたような一人芝居をしておられましたが、それでも、どうしてもいい縁談が来ないのでした。高瀬さんは、祈りは四六時中の思いが実現するのであるというので便所の中に入ってでも、「ええ婿さん、ええ婿さん」と、婿さんのことばかり考えておられたのですが、どういうものか、一向に婿さんがあらわれてこないのです。

《一所懸命だけではうまく実現しないようですが、いつかは必ず突破口が見出されます。祈りは大切ですが掴みすぎるといけないようです。祈りと神様への全托そして感謝です。》

 しかしながらそのように行き詰まった心の状態で苦しんでおられるとき、ふゆさんはふと、今まで自分がご主人に少しも感謝せず、娘さんにも感謝できないで、かえってそれらの人々をを憎んでいたことに気がついたのであります。
  というのは、私はこの娘がいるから、こんなに婿養子で苦しむのだと思い、昔死んだ自分の息子のことを恋しがって、あの息子さえ生きていてくれたら、自分はどんなに幸せであろう。婿さんのことで、こんなに苦労はすまいと思うと、死んだ息子までもうらめしくなって来て、一人でイライラと不平不満の心を抱いて苦しんでいた事に気がついたのであります。

 ふゆさんは、そのように自分の周囲の人に対する愛の足りない、思いやりのない気持でいながら、いい婿さんがほしい、いい婿さんがほしいと、そればかりを祈っていた間違いを知りました。自分が天地一切の者と和解していなかったから、神の御心に感応しなかった。だからいい婿さんが現れて来なかったのだということに気がついたのでした。それ以来、ふゆさんは、今まで御主人の欠点ばかりを見てさばいていた心を捨て、御主人の長所をみて拝み、娘さんに感謝するようになり、家族の人々とうちとけて、本当に温かい愛の心でなごやかに和顔・愛語・讃嘆の生活を送りはじめますうちに、ある日ひょっこり、素晴らしい婿養子さんがあらわれて、とんとん拍子に話が進み、遂にその人をもらうことになって、今では地上天国のようなたのしい生活を送ることが出来るようになれたのであります。

《現在与えられている人や物や事への感謝が祈りの成就の基本です。御主人への感謝、亡くなられた息子さんへの感謝、そしてご両親への感謝が大切であります。結婚適齢期のご子息をお持ちの島根のご両親様、どうぞ総裁先生の御文章をよくお読みになり、希望を実現して下さい。地上に素晴らしい「生長の家」を作りましょう。》

*メンテナンスの関係でアップが遅くなりました。陳謝。H、N

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September.07.2008「哺乳類、胎盤を獲得」

September.07.2008「哺乳類、胎盤を獲得」Photo
今日の歌::夜は更けて 闇に虫の音 細り行く

 有袋類というのがオーストラリアなどに棲息している。カンガルーやコアラなどだ。なぜ、袋で子供を育てているかというと、彼らには、胎盤が発達していないので、胎内で育てることができず、体外で育てることになっている。NHKの『ダーウィンが来た』ではそのことを説明していた。そこで…。

 地球の歴史からいうと、2億5千万年前のことである。シベリアで地球の運命を変える出来事があったという。地球の内部から直径1000㎞の火の玉がつき上がり大量の溶岩が吹き出したらしい。「らしい」というのは、あくまで推測だからだ。誰も見ていない。痕跡からの推測である。「説」なのだろうが、CGで見ると実際の出来事のように思えてくる。…その結果、現在の半分にまで地球の酸素濃度が落ちた。そこで、生き残った哺乳類の中に、酸素が少ない環境で生き延びるため、カラダの仕組みを大きく変えた種があったという。

 その大きな変化の一つは、カラダ全体を覆っていたあばら骨の下半分をなくして、横隔膜を作り効率よく肺に空気を出し入れできるようにしたことである。
 もう一つは、「卵」を生むのをやめて、お腹の中で子供を育てるようにしたことだ。臍の緒を通して、母親が胎児と直接つながり、より多くの酸素と栄養をお腹の子供に与えることができるようになったことである。そして、子供が生まれると、子供と向き合って慈しんで育てるという、哺乳類独特の方法が生まれた。人類の遠い祖先(人体形成の)が、次の生命を繋ぐための進化の一形式だったとしている。
 何と、生命はどんな環境の中ででも自分のカラダを変えてまで生きていく。生命には環境変化に適応して身体を変えるほどの力があるのだから、「発想の転換」くらいはできるのではないだろうか?逞しい生命力が私たちには宿っている。

*今日は第一回地方講師・光明実践委員受験勉強会を行った。15名の参加者だった。勉強会内容は、録画し隠岐の島の受験者にも見てもらう予定である。皆さま、大変に熱心です。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年9月 6日のテーマは、「環境税制への移行」である。
①日本経団連が環境税の実施を容認する立場に変わった、ということをお書きになっておられます。名目であっても一歩前進と評価しておられます。なぜなら、これによって、日本の税制全体の中に「温室効果ガスの排出を社会へのコストとして認める」という考え方が初めて導入されるからで、この思想が、地球環境問題解決にとって最も必要な前提だとしておられます。
②また、環境省が「地球環境税」について検討を開始したこと。
③フランスが、航空運賃に課税して途上国への貧困対策費を捻出する「国際連帯税」というのをすでに施行していること。
④「世界の富裕層が温室効果ガスのコストを負担して貧困層の負担を和らげる」という仕組みのでき方のスピードが気候変動による被害の増大を防げるかどうかについて、「こればかりは「神のみぞ知る」のだろう」と結んでおられます。

*H、N

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September.06.2008「息子さんの良縁成就」

September.06.2008「息子さんの良縁成就」
今日の歌::ペタル踏み 背に汗にじむ 風の中

 昨日は、良縁成就の体験談を聖典からご紹介したが、今日、星野地方講師会長さんが昨日に引き続き、体験談の資料を持ってこられたのでその中の一つをご紹介する。谷口雅春著作集第3巻『女性の本質』180頁から182頁で、宮城県の菊池いはさん(当時64歳)の親御さんとしての体験談である。

 (前略)私が生長の家に入信いたしましたのは…17年前、母が精神分裂病で仙台の国立脳病院に入院し、私も…家庭におりまして強度のノイローゼになりました。
 当時、私の家は宮城県でも優秀な米穀集荷業を手広くやっており、多勢の使用人がおりましたが、なかなか手不足のためみんな…金庫もお店の方も他人任せでございました。
 私は病床にありまして本当に不安でなりません。苦悩の末に若柳町の生長の家相愛会に救いを求めたのでございます。三木武夫さんや岩口さんのご愛念を頂きまして、死の宣告を受けました母も本当に奇跡的に全快し、私も三日間で病床から立ち上がったのでございます。
 ”この素晴らしい御教えを一人でも多くの人にお伝えしよう、神の愛を貰いきりにしてはいけない”と思いまして、第一回目の誌友会をやらせていただいたのでございますが、本当に多くの方が出席されまして、本当に有り難いことと思っています。
 その時ちょうど、私の家では長男が結婚適齢期でございましたので、先生に、
「よき半身を得るにはどうしたらいいか」とお訊ねしましたところ、
「結婚のことはご先祖様にお任せし、あなたは毎日、神想観や『甘露の法雨』をおあげして、沢山の愛行をすることですよ」と言われたのでございます。
 その娘(長男の嫁)は、花巻の瀬川さんという方から頂いておりますが、先方に参る前の晩に仏壇の中からその娘を戴き、先生のおっしゃいましたように、一ヶ月のうちに素晴らしい半身を得たのでございます。(後略)

 体験談はそれからも続くのであるが、結婚にしぼって考えると、①ご先祖にお任せの心境になる。ご先祖様が必ず見つけてくださるという心境であろう。②神想観で既にお嫁さんががきてくれている姿を観ずる。③ご先祖が神通自在の境地になるように、感謝の先祖供養をする。④必然的に成就するように徳を積む、ということであろうか。
 この方の体験談も大いに参考になると思う。島根の皆さまは聖典により、谷口雅春先生のお言葉を拝読してください。

* 今日は、第3回青年会OBの集いというのが開催されていたので参加した。自己紹介では各自、生長の家に入信して色々と功徳があったという体験談を聞くことが出来た。孫や曾孫まで沢山おられ、家が栄えているという話も沢山あり、わが家も先輩たちにあやかりたいと思うほどだった。安来からきておられる方々が安来節を歌い、もう一人の方がドジョウ掬いを踊ったので私も少し教えていただいた。生まれて初めてのドジョウ掬いの体験だった。
 何故、青年会OBの集いなのかを考えてみたが、やはり世話人代表の方(大谷佳弘さん)の青年会委員長当時からの温かいお人柄ご仁徳とそれに賛同する人々の深い信仰と温かさに起因するのではないかと思えた。講習会を盛りあげるために、講習会が開催される年に「集い」を行っているそうである。温かく愛深い島根の信徒の一端を垣間見た見たような気がした。また、島根教区では、御教えによって幸福になった人々とそのご恩返しをしたいという方々が沢山おられるということであろう。
 
* 昨日の鳩のことに関連してもう一つ思い出を書いておきたい。以前、高知に帰ったとき、当時の青年会のTさんに聞いた話だが、ある日、谷口雅春先生が講習会でおいでになられ、教化部の近くのホテルにお泊まりになったという。ホテルの係の方が先生のお部屋を開けた途端、ビックリ仰天したらしい。この辺りは、鳩が沢山飛んでいる。その鳩の群が先生のお部屋のベランダに集結し、一所懸命に部屋に入ろうとしていたという。理由は分からない。先生は、その様子をお部屋の中からじっとみつめておられたという。世の中にはこのような現象もあるのですね。

*65回ヴェネチア国際映画祭にて、映画祭の協賛団体による各賞が現地時間6日に発表され、宮崎駿監督『崖の上のポニョ』が映画誌「CIAK」による観客賞を受賞したとのことです。よかったですね。

*芸術で門脇さんのちぎり絵をアップしました。講習会推進でご本人の隠れた才能発見です。ご自宅の庭にユリの花が沢山咲いており、それをモチーフに今後、ちぎるそです。乞うご期待です。「ちぎり絵」手紙など挑戦しては如何でしょうか?

*【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年9月 5日のテーマは「“発想の転換”の時代」です。
最近のレアメタルが採れる“都市鉱山”などという考え方をご紹介されております。
『日本経済新聞』夕刊にある、長崎大学大学院教授の川村雄介氏の説のご紹介もあります。海洋資源の活用である。残念ながら、島根には日経の朝刊は読めますが夕刊は届かないようです。
 また、颱風や豪雨や雷の破壊的エネルギーをエネルギーに変換することなどをご提示されておられます。「日本の技術でできないことはなかろう!」と私も考えます。NHKの「サイエンスゼロ」を毎週見ているが、日本の技術は相当なものである。副総裁先生の言われるように発想を転換し、「資源はない」という境地から「資源はある」という気持に転換しなけばならないだろうと考えられる。
次のアドレスに颱風や雷利用について書かれている。現段階では難しいという意見が多いようだが。H、N http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211932972

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September.05.2008「神様への領収書」

September.05.2008「神様への領収書」
今日の歌::神集い 熱気みなぎる 学舎に

 今日は地方講師・光明実践委員研修会があった。皆さまのお気持ちは講習会で一杯であった。先日、推進の時に新しい家が建ち、お嫁さんをお迎えになられたという方の家を訪問し推進の会合を行ったが、同じように家が建ち、お嫁さんが来られたという体験談が見つかったのでご紹介させていただくことにする。谷口清超先生著『運命の主人公』の52頁から54頁である。「神様への領収書」です。《 》内は、誠に恐縮でありますが私のコメントです。 では…。

 まず明るい心でいると、いい事が次から次へとあらわれてくるという事でありますが、岩手県の北上市黒沢尻町に住んでおられる小笠原ツメノさんは、長い間家がなくて困っておられたのでした。ご主人が早く亡くなって、子供さんと二人でいろいろ苦労してあちこち引っ越しして歩いておられましたが、或る日盛岡市の私の講習会があった時聞きに来られ、
「いつも思っている心の状態が真の祈りだ。だからいつも有り難いという心でいると、その祈りが実現するのだ。祈りは必ず叶えられる」
 という話を聞きました。
《やはり講習会を受講することが大切です。いつも思うこと、「命宣り」が祈りです。》

 そこで小笠原さんはいつも、家がすでに与えられて有り難うございます。有り難うございますという心を持ち、家の設計図を書いて、明るい感謝の心で生活を続けておられますと、やがて設計図に描いた家以上の素晴らしい家が与えられ、今現にそこに住んで楽しく暮らしておられるのであります。
《設計図を描くと云うことが大変に重要なようです。描くと、潜在意識の内なる創造力が動き出すのではないでしょうか?誌友会のための部屋を神様に祈ることも房舎施となり徳を積むことになると考えられます。》 

 お店があって、お勝手があって、座敷が二つあったら、息子に嫁を貰っても大丈夫だしーと思っておられたところ、与えられた家は二階に八畳がもう一間ある家だったそうであります。「これは有り難い」と、小笠原さんはますます感謝して暮らしておられましたところ、最近になってこれまた素晴らしいお嫁さんが与えられて、今ではちゃんと二階の八畳も役に立ち、皆で仲良く暮らしておられるのであります。
《『求めよ、さらば与えられむ』です。まず、求めましょう。そして、『既に受けたりと信ぜよ。しからば、汝はそれを得む』です。これは祈りの極意です。》

 しかも小笠原さんがこのお嫁さんを貰う時も、青森の西条先生のお話を聞いて、
「欲しいものがあったら、先に神様に領収書を書いて、”神様○○を与えて頂いて有り難うございました”と言っていると、必ずそれが与えられる」と教えられ、その通り翌年の正月の書き初めに「領収書」と大きく書いて、
「素直な明るい可愛い親孝行の娘、息子の半身として仲良く一生を暮らす娘」
 と書いて、神様に差し上げ、明るく楽しく確信をもって毎日祈っておられたのであります。すると、この神様への「領収書」に書いてある通りの素晴らしいお嫁さんが与えられて、小笠原さんは大変喜んでおられるのであります。
《「領収書」を書くことは相当に、実現力を強めるようです。書いて張り出してみましょう。》

最後に、『私はこうして祈る』173頁から180頁に書かれている「良き配偶者を得るには」をご紹介させていただきます。

 「神の心の中には唯ひとり、私の魂の半分が存在するのである。わが魂の底の底なる自覚にはその相手がどこに今いるかを知っているのである。どこに私の魂の半分がいようとも愛は磁石的な力であるから、自分の魂の半分が必ず相互から近づくことになって、調和して祝福された状態で結ばれることになるのである。神様、わが半分の魂を造りたまい、幸福なる結婚にまで導き給いつつあることを感謝いたします」

 島根教区の独身の方々がどうぞ、ひとりでも多く幸福なるご結婚をされ、幸福なご家庭を築かれますように、祈っております。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年9月 4日のテーマは「黒ハトと灰ハト」であります。横浜でご覧になられた鳩のことをお書きいただいております。「近くに巣でもあったのだろうか。“平和の象徴”のハトも、戦うときには戦うものだと思った。」と結んでおられます。ビデオが大変ドラマチックです。このような機能を島根教区のHPでも備え付けたいのですが、現段階では残念ながら技術力不足です。伝書鳩は、子供の頃に飼っていたことがあるので思い出す。餌付けの時に残酷だがお腹を減らさせて、空腹が恐怖心を超えるようになると雛は、飼い主の手の平にある餌を食べるようになる。一度食べると雛は人間をあまり怖がらなくなるものである。

*絵は「木の実Photo 」です。

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September.04.2008「宍道っ子シンジー物語」

September.04.2008「宍道っ子シンジー物語」
今日の歌::お互いに 子供と遊ぶ 至福の日

イルカきて 我と遊べや 海の中
 
 太古の昔のことだったが、小さなクジラほどの男の子のシンジーという海の動物が日本海を泳いでいた。そのうちに、とても静かな入り江があったのでそこに行ったり来たりしていたが、とうとう棲み着いてしまった。あまりにも静かで平和な入り江だった。

 でも、海から押し寄せる砂が少しづつ入り江付近に堆積していくのをシンジーは気がつかなかった。この辺りの海は、砂が押し寄せて近くの浜は鳥取砂丘と後世に名前がついてしまったほど砂が多かった。だからシンジーが気がついたときにはもう遅かった。入り江は泳いで日本海に出られないほどに浅くなっていた。シンジーは少し焦ってきた。でも、シンジーは、きっと自分は日本海にでることができるに違いないと信じていた。とても信心深くて何でも素直に信じるのがシンジーの性格だった。そこで神様がシンジーの名前をつけてくださったのだった。

 日本海からは友達たちが『シンジーこっちに帰ってこい』と何度も呼ぶ声が聞こえてきた。でも彼は、待てど暮らせど入り口の浅瀬は逆にしだいに浅くなり、しかもつながっていっていることに気がついた。そして、とうとう日本海へは出られなくなった。

 シンジーは祈ります。『神様、私のいのちを助けてください。背中の方は段々と干上がっていきます。暑いです。』
神様は答えました。『シンジーよ、お前は自分の幸福ばかりを考えて入り江で遊んでばかりいたのでこんなことになったのだよ』
シンジー『私のカラダは変わってもいいですから、命だけは助けてください』
神様『それではお前のカラダを小さくしてあげよう。浅瀬がもっと浅瀬になっても生きていけるように、シジミの姿にお前を変えてあげよう』

 シンジーは神様に、カラダをシジミに変えてもらい、塩水が混ざった湖の中で生き続けることが出来るようになりました。しかも、シジミは増えて今では人間をも生かすことができるようになりました。宍道湖と現在、名前がついているのは、シンジー君から来た名前だからなのです。

 現代から一千万年ほど経ったある日、日本海のプレートに大きな変化が起きました。日本海が陥没し、それに伴って宍道湖の入り口がくずれて再び日本海とつながってしまったのです。するとシジミに急激な変化が起こりました。何と宍道湖のシジミ達が互いに集まってきたのです。そして、見る見るうちにシンジーの元の姿に戻ってしまいました。シンジーの意識もはっきりしてきました。そして、シンジーは日本海に帰ることが出来たのでした。シジミは、実はシンジーの一つ一つの細胞だったのです。シンジーの「身」なので神様がシジミと名づけたのでした。シンジーは自分のカラダを捧げて人間を生かしたので、その積徳によって絶滅することなく日本海に帰ることができたのでした。めでたし、めでたし。

*島根の信徒の皆さま、「シンジー物語」は純然たる創作ですので、あまり深く考えないでください。H、N

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September.03.2008「二つの極寒ツアー」

Photo_2 September.03.2008「二つの極寒ツアー」
今日の歌::まつりごと 真の人は 何処にぞ 

 今日は、冬の中高生練成会をどこで行うかの話し合いがあった。三瓶山に宿をとるか、教化部に宿をとるかだったが、結局は色々な理由で教化部となった。三瓶山は温暖化したとはとは、高い山なので冬季はかなりの危険度がたかい。安易な考えは禁物だ。そのように考えているとき、NHK番組『体感エコツアー』「氷上の妖精・タテゴトアザラシ」というのがあった。中高生練成会で自然に触れると言ってもここまでは当然無理だが興味が持てた。二つのツアーが紹介されていた。カナダのケベック州のツアーだ。一つはタテゴトアザラシの赤ちゃんを見に行くツアーで15万円である。3月始めの2週間だけのチャンスだ。もう一つは、雪の家を造り一晩宿泊するツアーである。これは、5泊6日で55万円。大人だけであっても三瓶山のイノシシと鹿の子供を見に行くとか、雪山でテントを張り一泊するということになると、相当腕の立つインストラクターが指導しないと、面白いかも知れないが危険度は増加するだろう。

 さて、タテゴトアザラシの赤ちゃんを見に行くツアーは、半分は日本人だという。場所はマドレーヌ諸島である。ヘリコプターで移動していた。ツアー客は、ムスタング・スーツを着る。氷の海に落ちたときの対策だそうだ。ツアーインストラクターは、子供の頃からアザラシと遊んで育った男性だった。アザラシを捕ることを職業にしていたが、ある時から状況が変わった。動物保護団体から、「アザラシ殺しをやめろ。カナダの恥だ」と一時犯罪者呼ばわりをされたことがあった。途端にアザラシの皮が売れなくなった。そこで観光に切り替えたという。

 アザラシは流氷の上で出産する。タテゴトアザラシの赤ちゃんは、生まれてから毎日お乳をもらい、2500㌘づつ脂肪を蓄える。母親は一週間乳をやり、赤ちゃんは海へと旅立つという。真っ白なアザラシの赤ちゃんは「ホワイト・コート」というらしい。3月末に氷が解け出す。しかし、暖冬のため、今年は早く解ける。育ち切らなかった赤ちゃんの安否が心配だと解説していた。温暖化はアザラシを棲めなくさせ、アザラシを餌にしているホッキョクグマは絶滅することになるのだろうか。

 もう一つのツアーは、マイナス50℃摂氏のイヌイットの世界へ行くサバイバルエコツアーだった。参加者は気象学者も入っていた。「ななこ」さんという日本人写真家が参加していた。気象学者のアーヴィット・シリスという男性との会話が面白かった。ななこさん曰く「雪の家は温かいですか」「温かいとはどういう意味なのかね。海も(温暖化で)温かいよ。これからは何ごとも前向きに考えないとね。生き残るんだ。楽しむんだ」と。
この極寒ツアーはイヌイットのインストラクターでないと無理のようだ。参加者を集めてサバイバルトレーニングを開始した。イグルー(雪の家)を作る練習をする。インストラクターが言う。「雪は敵ではない。友達だ」と。雪には45種類の雪がある。一番良い雪を使ってイグルーを作る。

 雪のブロックを重ねて、家を造るのだが重ねていくのは、やはり熟練したイヌイットが行っていた。一つ間違えば「死」が待っているからだ。参加者を前に出発前の祈りをリーダーが先導していた。自然に対する畏敬の念がないと危険に遭遇することになるであろうと考えられるからだ。時速30㎞でソリを使って移動する。体感温度マイナス50度である。途中で、彼らは停まって何か食べていた。レッドベイという果物だ。貴重な動物の食物だという。ダイヤモンドダストも舞っていた。雪の風紋も美しい。オーロラも激しく舞う。トナカイの角が氷上に立っているのもあった。ここで死んだのだろう。ツアー客は、凍らせたトナカイの肉や魚を食べていた。イヌイット流の食事のようだ。リーダーが説明する。『もし、皆とはぐれたら夕陽に向かって走ってください。そこは海にです。そこには必ずイヌイットが棲んでいるので助けてもらえる』と。しかし、本当にはぐれたら大変である。

 必死の思いで二時間半でイグルー作り完了だった。五時半が日没なので、それより遅くなるとかなり寒くなる。外気温マイナス40℃。しかしイグルーの室内はマイナス7度摂氏だった。最後はアザラシ猟の体験ツアーであった。アザラシが来ないように願っていたが、銃を用意して何時間か待ったがやはり来なかった。ツアー一行は出発地点に猟をせずに帰った。それで善かった。海はハドソン湾である。そこからワモンアザラシが1~2頭でやってくるという。最後にアバイバル・ツアーの終了式を行ってすべてが終わった。「ななこ」さん曰く。『イグルーの中ではみんな赤の他人なのだが、家族のように自然に感じてしまう』と。私にとっては見ているだけで寒くなるような番組だった。大自然は美しいが寒い。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年9月 2日のブログは、「福田首相の責任感」です。かなりの激しいお言葉で論述しておられます。御文章を拝読してください。最後に、「それにしても、日本の政治は寂しい」と、結んでおられます。私たち島根の信徒は、副総裁先生の御心を我が心として、人間神の子の真理をすべての島根県民にお伝えいたしましょう。この御文章は必読です。
*絵は「秋の黄色花」です。

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September.02.2008「もしも僕の家の庭から塩水が湧いてきたら?」

Photo September.02.2008「もしも僕の家の庭から塩水が湧いてきたら?」
今日の歌::不可思議や 緑の茎に 赤き花

 これはツヴァルのことだが、もしも私が住んでいる出雲市の家の庭に、塩水が噴き出してきたらどうすればよいのだろうか?まず市役所に飛んでいくだろうが、市役所の庭にも、出雲市一帯に同じような塩水噴出現象が起きるとすれば?
 NHKで『ツヴァルの選択』として、「高まる移住熱」との副題のある番組が放映された。ニュージーランドがほとんどのようだが、かの國は自国に有益でない移住は好まないようだ。年齢も18歳~45歳としている。番組ではフナフチという中学一年生の移住に関する感想文を朗読していた。子供たちはほとんど皆、ツヴァルから離れたがらない。しかし、自体は深刻だ。ここはツヴァル語と英語を話している。英語の女教師が移住をする理由を言っていた。「私は泳げないからです」と。ジョークだが笑えなかった。

 これまで自給自足の國であった。捕ったサカナをそのまま海で食べていた。これがツヴァル流であるという。10年前から満潮の時、地面から海水がわき出るようになった。ツヴァルは26平方㎞で三宅島の半分だ。
 IPCCの最新報告によると、今後100年間に地球の気温は、6,4度上昇が予測されている。海面も何と59㎝上昇が予測されるという。しかし、オーストラリア政府がツヴァルに設置している潮位計によると、この13年間で7,5㎝上昇しているらしい。だから、予断を許さない状況だ。

 ツヴァルは、一番高いところの標高が1,5㍍である。珊瑚礁の上に作られた島なので海水の潮位があがると周囲の水圧で地面から海水がわき出てくる。この現象は10年前からのようだ。大潮のときが一番危ない。大潮の時、島の南側が高潮に襲われた。温暖化と異常気象が原因だ。塩水湧出と高潮により複合災害が発生している。
 ツヴァルは、2000年前から人が住み始めたようだ。もし、ヤシノミがなければ人は住み着けなかったという。ここはイモが主食だったが、塩害で採れなくなった。それで米を買うようになったらしい。主食をお金で買う時代に突入した。そのためには現金収入が必要になる。海外への出稼ぎが必要になった。それに伴い人材が流出する。ツヴァル政府にとっては、水没もだが、人材流出は危急存亡の危機であるという。ニュージーランドへの移住が主だが、教育を受けた富裕層だけ移住できる状態で、弱い貧しい人々は残されるとしている。

 商品を購入するので、ゴミ問題が発生した。お金がものをいう社会となり、出稼ぎに勢いが出ている。しかも、外国へ行くので感染症の問題も当然ある。気がつくと感染症が島に持ち込まれていた。エイズの問題である。関係者によると、毎年確実に増加しているという。タブーだからといって黙っていられない。国を滅ぼしかねないとしている。
 自分たちが知らない所に原因があるのをどうすればよいか。加害者は見えない。
 日本の写真家遠藤秀一さんがさまざまな生活の写真を撮っていた。それを公表して温暖化防止の一助としたいという。国は大変だが、写っている子供たちの顔は底抜けに明るい。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
  2008年9月 1日のブログテーマは、「新世代のバイオ燃料に期待」です。北海道の原野に沢山生えているススキの1種「ジャイアント・ミスカンサス」(GM)が新世代のバイオエタノールの原料としてかなり有望であるとしておられます。勿論改良開発が必要です。日本の技術力が世界中のCO2排出削減に役立つことを考えたら、「5%」どころか「50%」の削減も日本によって可能であると講習会で話されたそうです。日本の技術力の有効活用がなされるように願っております。

*今日は3カ所、推進に行かせていただきましたが、ご夫婦で生長の家のお役を二代にわたりお受けし、陰徳を積まれた結果と申しましょうか、最近、家が新築され、お嫁さんも来てくれたという嬉しい体験談をお聴きしました。
*絵は、「不思議花」です。H、N

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September.01.2008「花のお江戸」

September.01.2008「花のお江戸」
今日の歌::しんしんと 庭に虫の音 聞こえくる

 現在、住んでいる場所は先人のご苦労の上に生活させていただいていることが多いのではないだろうか。多かれ少なかれ、その恩恵を被っていることがあると考えられる。NHK歴史番組で「歴史ドキュメント・ゼロワン・徳川家康”江戸”建設に挑む」があったが、荒れ地を日本の中心地とした決意には相当のものがあったようだ。「もし、一粒の芥子だねほどの決意があれば、この山に動いて海に入れと言えば必ず実現するだろう」という古聖の言葉が思い出される。やはり、決意が大切である。

 豊臣秀吉の小田原攻めの時、家康は秀吉から「関東を与える。城は江戸に築くが良い」と言われたという。家康は幼少の頃から、今川義元の所で人質としての生活をおくるなど苦労の多かった人物だ。秀吉の言葉で家臣達は動揺した。その家臣達を説得して関東に移転した。「江戸で力を蓄えて、上方に攻め上ればよいではないか」と。しかし、家康は、関東へ行き大きな衝撃を受ける。現在の東京よりはるかに広い海が広がっていたようだ。欠点といえば、湿地帯が多かった。そこを住宅地とするには工夫があった。溝を掘ると水分がしみ出てくる。そうすると土地の上の部分は乾いてくる。また、山を削っての埋め立ても相当行ったという。家臣達が率先して土木工事を行ったそうだ。しかし、利点は、全国から船が立ち寄っていたことである。この時代、水運が一番重要であると家康は考えていた節がある。大阪の港と街作りがモデルになったのではないかと説明していた。

 いずれにしろ、決定後、家臣とその家族の6万人が、一ヶ月で三河から江戸へ移動した。そして、まず家臣の居住地域を確保した。その場所は今は銀座となっているが三十三間堀というのがあったそうだ。また家康は真水の入手に腐心したという。住宅地辺りは、海が近いので井戸を掘っても海水が混ざっていたらしい。彼の家臣に大久保籐五郎忠行という人がいた。合戦により負傷し、いくさに出ることが出来なくなったので菓子を作っては献上していた。大久保は江戸でも菓子を作っては家康に献上していたらしい。家康は考える。「菓子を作るのに必要な真水を大久保はどうして入手できたのだろうか」と。それは三鷹市の井の頭の池からの涌き水であることが判明した。井戸の頭であるので井の頭なのだそうだが、それほどの極上の水が出ていたという。

 命令を受けた大久保は、井の頭から20㎞離れた江戸へ水路を造り、3ヶ月で完成させたという。江戸では初めての水道である。昔、井の頭公園に行ったことがあるが、それほどの所とは知らなかった。
 前島という所も家臣達が率先して土地造成を行っている。また、薬の専門家を呼び寄せ、医療の充実にも尽くした。「佃」の漁師は33人大阪から招いている。販売権を与え、彼らは魚河岸をつくった。そこからも景気の良い江戸っ子が生まれたとしている。私も佃煮がここから生まれたことを初めて知った。

 寿司は、初めは大阪風の押し寿司だったが、つくるのに時間がかかった。そこで登場したのが、ネタの質を大切にする江戸前寿司である。天ぷらも登場する。新宿に綱八というお店があり、東京在住の時は、たまに行ったことがあるが、東京の天ぷらはうまい。地方から江戸へ独身で来ている人たちのファーストフードとして愛されて現在に至っているようだ。家康は関ヶ原で勝利を収めたが、当時としては辺境の地江戸に幕府を開き、その可能性に賭けた。180の大名と数万人の家臣を住まわせている。日比谷入江も埋め立てて諸国大名の住宅地とした。そのために、天下普請を命令した。大名の財政が苦しくなる。家康は強圧策だけでなく、大名達に徳川家が愛用している熱海の温泉を勧めたりなどしている。最初はわずかな家と見渡す限りの湿原しかなかった江戸だが、享保年間に100万人の人口となり、当時としては世界最大の都市へと成長した。家康が江戸に移り住んで26年後、75歳で家康はこの世を去ることとなる。

  明暦3年(1657年)の明暦の大火において天守閣も焼失し、江戸は10万人が焼死したという。当時の実力者である保科正之は居城よりも街作りを優先し、焼け出された庶民を救済したようだ。また、彼は焼け落ちた江戸城天守の再建について、天守は戦乱時において必要なものであって、天下太平の世においては無用のものであり無駄な出費は避けるべきと主張した。そのため江戸城天守は再建されず、以後、江戸城天守台が天守を戴くことはなかった。保科は会津藩の藩祖となる。

 家康は26年間、江戸の町作りに奮闘した。彼は、岩淵夜話で次のように語っているという。「困難に直面した時にこそ、心も引き締まって慎重になり、務めも正しいものとなる。それこそ人も国も長く保つ秘訣である」と。私たち島根の信徒は、神様から与えられた任地である島根を名実共に「信仰世界一」となるように精進いたしましょう。黄金色に輝く信仰世界一の國島根!

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年8月31日のブログは「頭の回路を切り替える」とのテーマにてご教示下さっております。『JALスカイワード』8月号(P79~P82)に宮崎駿さんのインタビューが出ているが、副総裁先生は右脳と左脳の関係から解き明かしておられる。私も二日前に読んだのだが、島根の信徒さんにご紹介したと思い、持ち帰っていた。すでに8月16日に「ぽにょ」の題名で宮崎さんのことは書いたのだが、副総裁先生の読みの深さに驚き、再び読み直した。右脳左脳はその働きが一体化していることもお教えいただいております。

 宮崎さんの文章の中で、作品は「すべて妄想です」といっている。無から生み出す世界だからだ。それにしてもすごい妄想である。『崖の上のポニョ』は5歳の子供が見て理解できることを基本に置いたという。しかもすべて手書きであるらしい。また、「出し切らないと、ダメなんです。全力を出し尽くしたと言えるかどうか。そう言えれば、しまったと思うことがいっぱいあっても、立ち直ることができます」と言っている。『生命の実相』生活篇の「背水の陣を布け」を地で行ったような言葉ではないか。今日は、自分でブルグのテーマにしたいと思って頂いてきた宮崎駿氏の文章を、副総裁先生がお書きいただいていた。何故かしらとても嬉しい気持である。今日はかなり長文で申し訳ない。
*絵は沖縄の海のイメージです。Photo H、N

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