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2008年10月

October.30.2008「谷口清超先生!有り難うございます!」

October.30.2008「谷口清超先生!有り難うございます!」
今日の歌::時速く 今日は昨日と 遷れども 真理の川は 流れ変わらず

 谷口清超先生!有り難うございます!

 私は昭和42年5月に生長の家本部練成道場(通称飛田給道場)に入らせていただきましたが、その頃、道場は立て替えている最中で、練成会は本部で行われていました。電気係と放送係を仰せつかっていた私は、しばしば谷口清超先生のご講義の時、放送室でアンプを操縦させていただきました。その時、必ずメモをとることにしていました。清超先生の言葉の響きが何ともいえず荘厳な雰囲気があったことを覚えております。道場が新しく建ってからも、毎月、練成会のご指導においで下さいました。誠に有難い日々でありました。

 飛田給道場で練修生制度という制度に入らせていただいていた私は、谷口雅春先生がお住まいの「お山」と云われるご自宅に、月に一回、大学生の集いがあり、そこに3年間、参加させていただけました。学生は20人くらいだったでしょうか。2時間の集いでした。1時間半の間、決められたテーマに従って発表と意見を出し合い、最後の30分間に谷口雅春先生のお言葉がありました。その間、谷口輝子先生と谷口清超先生が谷口雅春先生のお側にお座りになり、学生の話を静かに聴いておられたことを思い出します。そのお姿を今も忘れることができません。

 ある時、上司から『君の話がでてね。清超先生が、”彼は教化部長ができる人だね”と言われたよ』とのお言葉を頂きました。緊張が全身を走りました。私のような者でもそのように思って頂けるとは、一所懸命に頑張らなくてはいけない、と思いました。それから約15年の歳月が経ちました。あの谷口清超先生のお言葉なかりせば、今の自分はないのは当然であります。

 大先輩である故T元本部講師がアメリカにおられた頃、仕事で帰ってこられました。数人集まり、新宿で食事をさせていただきました。話は法統継承の話になりました。突然、故T元本部講師が涙を流しながら言われました。『谷口雅春先生も谷口清超先生も同じだ。法燈に於いて御一体である。谷口清超先生に中心帰一して、教勢を伸ばしてください。谷口清超先生の代に教勢が伸びることがこれから何よりも大事なことだ』と。声が大きかったことを記憶しております。故T元本部講師の涙を見たのは、この時と、昭和天皇さまの御崩御の時と、総本山で谷口雅春先生の御前でご挨拶の言葉を述べられた時の三回だけでした。再び、故T元本部講師の言葉が私に聞こえてくるように感じます。「谷口清超先生と谷口雅宣先生は法燈に於いて御一体である」ということを。

 団体参拝練成会で谷口清超先生にご指導を頂くようになってからのことですが、ご指導が終わりお帰りになられる時、教化部長は先生に握手をしていただくことができました。いつも先生に信頼感に満ちた笑顔で握手をしていただけました。嬉しかったです。一年間の教化力の充電をしていただいたようなものでした。毎回、感謝と感動の握手でありました。谷口清超先生に、心から感謝申し上げます。これからは高き霊界から、私たちの運動をどうぞ、お導きくださることをお願い申し上げます。

*島根教区には、昔からの信徒の皆様が沢山おられます。島根教区での総裁谷口清超先生に関する思い出、エピソードなどがございましたら、教化部にご連絡下さい。谷口清超先生の御遺徳をしのびつつ、副総裁谷口雅宣先生に中心帰一したさらなる教勢発展に繋ぎたいと存じます。(400字詰原稿用紙2~3枚程度)。また、インターネットをしておられない信徒さんのために、短くても、「谷口清超先生への感謝の言葉」を用紙にかけるように致したいと存じます。教化部にお問い合わせ下さい。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年10月30日のブログは、「谷口清超先生へ感謝の言葉を!」です。副総裁先生の皆様への感謝のお言葉が掲載されております。また、谷口清超先生への感謝の想いを吐露できる場所を設けようとお考えになり、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)「フェースブック」(Facebook)上に「谷口清超先生、ありがとうございます!」というグループを作られたそうです。「有志の参加を募る!」とお書きになっておられますので、島根のインターネット信徒の皆様、ぜひご参加ください。参加方法はブログに書かれております。

 中内 英生 

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October.29.2008「谷口清超先生、ご逝去される」

October.29.2008「谷口清超先生、ご逝去される」

 2008年10月28日の副総裁先生のブログにて「谷口清超先生、ご逝去される」と題してお書きになっておられます。以下、副総裁先生の御文章であります。

 生長の家総裁、谷口清超先生は、10月28日午後10時21分に老衰のため、東京・渋谷の生長の家総裁公邸にて亡くなられました。満89歳でした。ここに謹んでご生前のご法恩に篤く深く感謝申し上げるとともに、これからの生長の家の人類光明化運動・国際平和信仰運動を高き霊界からお導き下さることを心から祈念申し上げます。先生、永い間、本当にありがとうございました。(後略・ブログにて拝読下さい)

 私達、島根教区の信徒一同は、副総裁先生とともに謹んで谷口清超先生のご生前のご法恩に篤く深く感謝申し上げるとともに、これからの生長の家島根教区の人類光明化運動、さらに国際平和信仰運動を高き霊界から御導き下さることを、心から祈念申し上げたく存じます。谷口清超先生、永きにわたってのご指導、誠に有り難うございました。心から感謝申し上げます。

 谷口清超先生は、島根県松江市でのご静養の御時、生長の家のみ教えに触れられ、人類光明化運動にご挺身されて、私達を永きにわたってお導き下さいました。島根教区とは大変、ご縁が深いのではないかと存じます。
 今後、私達島根教区の信徒一同は、副総裁谷口雅宣先生に中心帰一して、御教えの伝道、島根教区のさらなる教勢発展、国際平和信仰運動の進展を堅く堅くお誓い申し上げます。

 谷口清超先生、本当に有り難うございました。

 中内 英生

◇お知らせ◇

島根教区の信徒の皆様へ

本日10/29(水)午後6時より教化部・松江道場にて聖経『甘露の法雨』を読誦します。今日、明日、記帳の受付をいたします。

以上

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October.28.2008「アイヌ神謡集」

October.28.2008「アイヌ神謡集」
今日の歌::祈り終え 犬は鳴くなり 散歩へと 祝福あらむ 吾等の街に

 『銀の滴、降る降るまわりに。金の滴、降る降るまわりに』
 この詩を聞いたとき「何という美しい言葉の響きなのだろうか!これがアイヌ民族の魂なのかもしれない」と感動した。かつて大正時代、アイヌ民族に知里幸恵さんという方がおられたそうだ。『アイヌ神謡集』という本を書いた人である。9月21日の副総裁先生のブログにアイヌの熊の風習があることを書いておられたが、NHK番組『その時歴史が動いた』で、「アイヌ少女 知里幸恵の闘い 神のうた 大地にふたたび」としてアイヌ神話の世界を紹介していたのをみて、少し理解できてきた。また、ブログにおいて参考図書として御紹介された中沢新一著『対称性人類学』において、神話の世界を説明しているのを読み進むにつれ、自然と人間との関わりや神話の世界を理解し、それに従ってブログの内容が少しづつ分かってきたように感じる。

 知里さんは金田一京助氏(1903~1922)との出会いが運命を決めた。彼女はアイヌ神謡集を通して、「本当の豊かさとは何か」を訴えたとしている。(岩波文庫 525円)。日本人は本来、文字を持たなかったが、アイヌ民族も文字がなかったそうだ。現在使用している漢字は、中国、漢の人が作った象形文字であるし、ひらがなはそれを簡素化したものである。そして、アイヌは色々な伝承を沢山持っている。語り部もいた。残念ながら彼女は、アイヌ神謡集を書き上げた夜に亡くなっている。心臓病であったという。

 明治以降、アイヌの生活は変わった。ロシアの進出に対して防衛をしなければならない明治政府は、蝦夷地の掌握に乗り出し、北海道として国民の移住を進め、開拓を始める。それまで住んでいたアイヌは、その政策の中で翻弄させられることとなる。アイヌはそれまでは、狩や漁をして生活し、決して自然を粗末にすることはなかった。すべてのものに神々が宿るという考えに貫かれていた。アイヌに対しては、同化政策を行い、個人の名前を日本名にし、そのために民族の誇りは失われていったようだ。

 アイヌが神々が宿るとした森や原野は切り開かれていった。アイヌの子供たちは本土から来た和人に差別されつつ生活することになる。しかし、幸恵さんは、立派な日本人になろうと思って、大正6年、女子職業学校に入学したが、そこでも差別をされる。学友から「ここはあんたの来るところじゃないよ」と云われて孤立することになる。アイヌは劣った民族と教え込まれたという。幸恵さんはそれでも立派な日本人になろうとして努力するが、和人とアイヌの間には厚い壁が築かれていたそうだ。

 しかし、アイヌの世界には囲炉裏端でアイヌの古老が語った、昔話・カムイユカラ・言伝え・子守歌などなど、その中には人間と動物や自然が家族のように一体となった対称性論理の世界がある。 また次のような物語があると番組では紹介されていた。
 むかしむかし、獲物が捕れなくなって、アイヌが困っていると、フクロウの神様が見かねて、その訳を探ってくれました。鹿やサケの神様は、『アイヌが獲物を捕ったとき、無駄にしたり粗末にしなければ、再び獲物を送り届けてあげよう』と言います。フクロウの神様にこれを聞いたアイヌが獲物を捕った時、大切に無駄なく扱い、神様への感謝を忘れないようにすると、鹿やサケが帰ってきました。その後、アイヌは幸せに暮らしました。

 この物語の中には、人間中心主義の合理主義の世界は見出されない。自然と人間との共存共栄の世界が見えるのではないだろうか。(つづく)

*中沢新一著『対称性人類学』を読み終えた。294頁には、次のように書かれていた。
「ここにいたって、私は確信をもってこう語ることができます。神話的思考に見出された対称性の論理は、じつは無意識のおこなう作動から生み出されたものであり、その無意識はホモサピエンスの「心」の基体をなすものとして、どのような抑圧や情報化の操作や非対称性論理による組み替えが加えつづけられようとも、人類の「心」の中で不変の作動を続けています。そのため、この無意識のおこなう対称性=高次元性=流動性=無限性をひめた潜在能力は、たしかに形而上学化された世界の中で自由な活動を奪われているように見えるけれども、それがひめもつ潜在的な能力を豊かに発達させていく可能性は、少しも損傷を受けていないのです。」
 これを読んで安心しました。島根教区の光明化運動を行うにあたって、充分な手応えが必ずあるということでしょう。それでは、まず神想観を実修して、三正行を行いましょう。

*絵は、「赤き林檎」です。Photo

 中内 英生

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October.27.2008「貧酸素水塊」

October.27.2008「貧酸素水塊」
今日の投句:帰宅して 灯火親しむ 読書かな
(このような時間を過ごせることは、本当に有難く、この時間は人生の宝石のようなものではないだろうか)

 貧酸素水塊という言葉を初めて知った。NHKの『サイエンス・ゼロ』(2008年5月16日)では、「江戸前ブランドを守れ」として、本来は東京湾で獲れて江戸前寿司のネタになる筈のものが、番組で並べられた9種類の寿司のうち、東京湾で獲れるはずのネタは6種類が減っているという。それは海水の中の酸素に変化があり、魚介類の減少傾向にあることが原因であるらしい。

 貧酸素水塊という魚介類のとっては「死の領域」が増加している。住宅の排水や、工場の廃液の中には麟や窒素が沢山混ざっている。いわゆる栄養塩を多く含んでいる。従って、栄養が豊富なので、植物性プランクトンが多く発生することとなる。プランクトンは植物性プランクトンの他に動物性プランクトンがおり、動物性プランクトンが植物性プランクトンを食べることになっているのだが、食べるのに追いつかないのだそうだ。要するにバランスが崩れている。そこで植物性プランクトンが発生しすぎることになる。その死骸を海底のバクテリアが分解するので酸素が消費されて、貧酸素水塊となり、魚介類が生きていけなくなり、死滅し減少することになるのであるという。負のスパイダルが展開されている。

 しかし、神奈川県栽培漁業協会という施設が紹介されていたが、マダイやヒラメなどをある程度栽培し、海へ放流すると云うことを行っているそうだ。そうすることにより、ある程度魚介類の減少を防ぐことが出来るという。

 映像では、子供たちが海藻である「あまも」の苗をうえていた。あまもは海中に大量の酸素を生み出すし、小魚たちの温床でもある。残念ながら、護岸工事などによって、あまもを植える浅い海が減っている。しかし、関係者達は、子供が植える程度のあまもで回復するとは考えていないが、少なくとも海を大切にする心を子供たちに教えることが出来るとしている。そして、豊かな東京湾を取り戻したいと努力しているようだ。番組は「持続的漁業」が大切であると訴えていた。

 それには、私達に出来ることと云えば、生活用水を流すにしても出来るだけ海の富栄養化を防げる流し方を考えるべきなのだろう。生ゴミを庭で肥料化し循環型生活をすることも、極めて倫理的生活であるともいえる。しかし、どの家にも庭があるわけではない。便利快適の消費型生活を最上とすると、都市に偏った人口分布になるのだろう。田舎に家があれば、やや循環型生活に近い生活をする可能性ができてくる。出雲はどうか?私の今までの住居地から比べると、かなり自然が豊かな生活地の部類に入るように思える。田んぼや畑や山や海がある方が、気持が落ち着いてくるように思う。自然の愛に抱かれて生活することは素晴らしいことではないだろうか。誠に有難い生活であると思う。

*NHKで『激流中国 13億人の医療』という番組があった。医療格差がかなりあるという。都市に行って診察を受けるのに診察券が必要なのだが、それがなかなか手に入らない。そこでダフ屋が登場するらしい。医療費は前払いで自己負担だという。以前は、国が面倒を見ていた。しかし、様々な理由でそのようになった。地方では高度な医療を受けられないとしている。だから都市の病院に行かざるを得ない。病院は、以前は国からかなり補助があったが、現在は5%なので、医療費を高くしないと高度な医療を維持できないそうだ。お隣の中国は食材の問題が現在、世界を揺るがせているが、医療に於いてもなかなか大変なようである。かつて売血のために使った注射針からエイズが感染した問題もあるという。環境問題にも大いに配慮し、二酸化炭素排出を減少させ、かつ幸福な生活をしていただくように祈りたい。

*絵は「フェイジョア」の実です。Photo_2 味は洋なし風味。生まれて初めて食べました。香りが良いです。星野さんが教化部に持ってきてくれました。まだ残っているかも知れませんので、食べたい人は明日早めに教化部に来てください。

 中内 英生

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October.26.2008「アフリカ縦断ツアー」

October.26.2008「アフリカ縦断ツアー」
今日の歌::八雲乗り 大社の杜に 神集う

 エジプトからケニアを通過し、喜望峰へ行くツアーがあるそうだ。『灼熱の砂漠を越え緑の大地を行く』という番組をNHKで放映していた。日本人も3人?いた。移動と宿泊費として費用は50万円である。全部バス旅行で、宿泊はホテルではなくテントで寝泊まりする。風呂も入れないことが多い。114日の旅である。砂漠は白いと思ったが、黒砂漠もあった。ナイル川を通ったり、リビアやスーダンを通ったりで色々変化に富んだ旅だ。砂漠でタイヤが砂に食い込んでバスが止まり、みんなで押して脱出するのには驚いた。

 途中で兵士が乗り込んできた。これから通過する所は盗賊(エチオピアの強盗団)が多いからだという。物騒だがそれでもツアーが成立するとは!スーダンで、イスラム神秘主義のスーフィーの集団を映していた。この映像が一番、興味が持てた。一人の男性が陶酔状態になっていた。スーフィズムの哲学と、これらの集団との関係はどんなだろうか?と色々と考えてみる。

 エチオピアは7300万人の人口だが、エチオピア高原でツアーはキャンプをした。何と、3100㍍の標高である。まあ、大変なツアーだと思ったが、様々な国から来た若い人たちが殆どなのでそれでも楽しいのだろう。若いときは、何をやっても楽しいものだ。アディスアベバ、ナイロビなど色々と見学しつつツアーは進んでいく。しかし、「タダにするから、君、行かないか?」と云われてもお断りしたい気持になる。

 私達の家族も長期間のツアーみたいなものだ。神様から選ばれて家族となり、魂の修行をする。お互いに愛し合い、拝みあい、地上天国を実現するツアーである。「天国浄土実現ツアー」とでも云うべきか。すごいことだ。出雲大社に行く途中に「神立食堂」というのがあるが、どこの旅行社のツアーかと考えると、神立の旅行会社なのかなとも考えてみる。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
  2008年10月24日のブルグは、「米大統領候補の外交方針」です。マッケイン候補とオバマ候補の違いなどアメリカ大統領選について書いておられます。
 アメリカの同盟国に住む者として、アメリカの生長の家信徒への影響に関心ある者として、世界一の経済国と資源消費国の動向によって大きく影響される地球環境を憂える者として、今回の大統領選に注目しているとしておられます。
  また、10月24日付の『ヘラルド朝日』紙に掲載されたデービッド・サンガー記者の両候補の世界観の“原点”のようなものについての記事を紹介しておられます。
 最後に、「日本も、変わらなくてはいけないのだ」と結んでおられます。

*今日は、わが家で午後、中高生誌友会が開かれたようだ。神様のご用に使っていただけることはそれだけ徳を積ませていただくことであり、家に福が舞い込むようになる。感謝。絵は熊の縫いぐるみです。Photo

  中内 英生

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October.26.2008「講習会のお礼」

Photo October.26.2008「講習会のお礼」
今日の歌::自然界 いのちすべては 育つなり 緑の森に 人は生かされ

 今日は、平成18年11月号の『光明島根』の挨拶文を前もって掲載させていただきます。
        ー講習会のお礼ー
                              
 合掌、有り難うございます。
神の子の皆様。この度は講習会のご推進、運営、参加者のお世話など色々とご協力を頂きまして、誠に有り難うございました。心より感謝申し上げます。

 何よりもお天気が良かったことが有難いことでした。小職にとりましても島根では初めての講習会でございましたので、色々と戸惑うことがあるのではないかと考えておりましたが、皆様の素晴らしいご活躍を拝見し安心して最後まで務めさせて頂きました。今回の講習会は、特別に、神様のお護りを受けて実施させていただいたとの感を深くしております。

 副総裁先生は、10月19日のブログにて次のようにお書きいただいております。
題名は「銅鐸の輝き」であります。全文は、ブログを拝読してください。

 (前略)島根県出雲市で行われた生長の家講習会では、澄みきった青空のもと3千人を超える受講者が参集してくださり、和やかな雰囲気の中で真理研鑽の半日をもつことができたことは、誠にありがたかった。東西に広い島根県では、これまで2会場に分かれて講習会をおこなっていたが、今回は出雲市の1会場にしぼった関係から、受講者数は前回を下回ったようだ。しかし、そんな中で、男性の組織である相愛会と青年会の推進結果が前回より伸びたことは特筆に値する。約半年にわたる推進活動に尽力くださった島根県下のすべての生長の家の幹部・信徒の皆さんに、心から感謝申し上げます。(後略)

 副総裁先生ご夫妻をお迎えし、終了後に会場玄関にてお送り申し上げて、運営委員の皆様にご挨拶を申し上げました時は、半年にわたる皆様のご推進のお姿が次から次へと思い浮かび、また生長の家大神の御言葉をお伝えする副総裁先生ご夫妻様をお迎え申し上げたことは、生長の家大神様をお迎えしたことであると思った時、感謝と感動がこみ上げて参りました。

 また、白鳩会副総裁谷口純子先生は、本部の日時計日記に次のようにお書き下さっております。全文は、本部のホームページで日時計日記「島根教区講習会」をご覧下さい。

(前略)講習会では、会場のロビーに教区の皆さんが描かれた絵手紙が展示されていました。新しい試みだと思いました。午後の聖歌の時間に、バックのスクリーンにそれらの絵てがみが写されました。素晴らしい力作もありました。グリーン募金にご協力下さった方に、ご希望の絵てがみ(額入り)を差し上げたらしいです。
 聖歌の曲目は、「花園にて」「神は何処に」の二曲でした。難しい曲を選ばれました。「神は何処に」は、講習会では、あまり歌われることはありませんが、改めて聞くとよい詩だと思いました。
 午後の講話で副総裁は、消費をすることで、豊かにものを集める生活が幸せにつながるという幻想を捨て、今与えられている沢山の恵みを感謝して受け、その中に喜びを見出すことの大切さ。そこから本当の意味での豊かな生活ができる。そのような生き方が、今人類が直面している、地球温暖化、金融危機を解決する道でもあると、説きました。
 講習会にご参加下さった皆さま、推進活動、今日の運営等にご協力下さいました、皆々さまに、心から感謝いたします。              感謝・合掌

 また、副総裁先生より、特に壮年層の育成と誌友会の活性化を行うようにご指導賜りました。この二点を今後、実現して参りたいと存じます。壮年層の増加のために様々な創意・工夫を行うこと。誌友会の活性化は、組織から開催率向上を呼び掛けるとともに、新人が来ても充分満足できるように地方講師の資質の向上を図ること。また、新型誌友会では、絵手紙は軌道にのりつつありますので、それを確実に花開かせ実を結ばせること。俳句や短歌なども取り入れる方法も模索して行くことなど。色々と楽しくやって参りたいと存じます。どうぞ、ご協力下さい。  再拝

*絵は、「出雲大社」です。

 中内  英生

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October.25.2008「沸騰するドバイ」

Photo October.25.2008「沸騰するドバイ」
今日の歌::壮年や  十年前は  若き人

 ドバイはアラブ首長国連邦(UAE)を構成する7つの首長国のうちの一つだが、当然にイスラームの国である。教化部近くの一畑観光に立ち寄ってみると、ドバイの観光パンフレットがあった。盛んに観光客を勧誘しているのだろう。NHKでは、『沸騰都市ドバイ 砂漠に湧き出た巨大マネー』というタイトルで特別番組を組んでいた。世界一高いビル(ブルシュドバイ)の建設工事が行われていた。高さは発表されていない。発表すると別の国でそれ以上の高いビルを建てられて世界一でなくなるからだという。物件も高騰している。四年前に4000万円だったものが現在は2億円になっている。バブルではないかと考えられるが、現実はそうなっているようだ。

 人口は140万人。1000万人が住めるようにとの建設がなされているという。世界最大級の人工島、これはヤシの木を形取っているらしい。物件は10倍ほどに高騰している。ザ・ワールドという人工島も造られつつある。何故、発展し人と金が集まるかというと、所得税や法人税がかからないからだという。10年前は砂漠だったこの地はまさに沸騰している。

 「海のナキール」と言われるナキール社のマルワン・アルカムジ氏は28万人が暮らす人工島を造りつつある。しかし、日本の大手建設会社の社員が言っていた言葉が印象的だった。「この繁栄は何時までも続くとは考えがたい」と。しかし、永遠ではなくてもまだまだ続くのだろう。今回のアメリカ発の金融危機はドバイにどのような影響を与えているのだろうか?

 現在、2000億円のプロジェクトが20以上あるという。韓国のサムソン建設という会社もここで動いている。「海のナキール」に対して、「陸のエマール」といわれる会社が陸地に建設を続けている。ドバイ首長国のムハンマド首長が「この砂漠を世界一の都市にしよう」という野望を掲げ、ドバイへ世界の金が動いたとしている。何故、世界一を目指すのか?その根底には、文化の香り高い、かつ世界をリードしてきたイスラームの誇りがあるようだ。形の世界は心の影である。幻術師の現す幻術の如く、ムハンマド首長の心の世界を、人々は見ているのではなかろうか。しかし、現象界は表現の場であると教えられてはいるが、砂漠が都市に変貌するとは何ともものすごいパワーではある。

 建設労働者はインド労働者が多かった。大変熟達している。しかし、最近のインドの好況でインド労働者は、インドのの賃金が良くなってきたのでなかなかドバイへは以前ほどは来なくなったという。
 世界の投資を呼び込もうとしている。そのための努力がなされている。投資が少なくなると、ドバイの建設計画が大幅に遅れるからだ。

 砂漠で若者達が四駆で疾走する遊びが流行っているらしい。その映像が映っていた。昔は、ラクダで走り戦ってきた。今は四駆なのだろうか?現代の若者に、かつてのイスラーム戦士の遺伝子が生き続けているということだろうか。砂漠では砂以外の何もない。しかし、この砂漠で巨大会社の社長でも頭を大地につけて、アッラーの神に祈りを捧げる姿は、日本ではなかなか見ることはできなかろう。
 できれば、私達は、朝夕の神想観と先祖供養を確実に行い、イスラームの方々との間に「対称性の論理」を見出したいものである。 

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
  2008年10月23日のブログは、「ギャオの独り言 (3)」です。ウサギのぬいぐるみのデカパンのことが語られております。「悪本来無し」の真理が説かれております。最後に、
「このふくざつでコーキューなロンリをぜひ知ってほしいと思う」とギャオをして言わしめております。縫いぐるみをして言わしめる真理の論理展開に「ウーム!」と唸ってしまいます。

*NHK番組『心の時代 アーカイブス』で酒井雄哉さん(大アジャリ)という方の千日回峰行の回想会話があった。なかなか至難の難行の修行である。二回行ったという。常行三昧という休まず、立ち止まらずで誦行をするという行もあるという。とても真似はできないが、生長の家ではそれが日常生活を修行化するという万人に開かれた信仰である。ここが違うのだろう。難しいお経を誰にでも分かりやすく『生命の実相』等で説かれている。さらに、現在は、副総裁先生が科学の事象を取り入れながら現代人に分かりやすく説いておられる。私達は、それをひたすら学び、修得し、生活し、伝えることだけでよいのである。易行道ともいい、さらに楽行道ともいう。講師会長さんに聞いてみると、酒井雄哉アジャリのことを詳しく教えてくれた。

*今日は、午前中は五者会議だった。次回の講習会についても話し合った。「お父さん、お母さんのための練成会」の準備を今から始めないと間に合わないので話し合った。この練成会で壮年層の方々が沢山お出でになると誠に有難い。

*絵は美味しい「サツマイモ」です。一口食べれば、「幸せ~」という所でしょうか。

 中内 英生 

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October.24.2008「ユダヤの夢(二)」

October.24.2008「ユダヤの夢(二)」
今日の歌::争いは 心の世界に 作られる 心穏やか 世界は平和

 (つづき)テルアビブの商店街が映し出されていた。1996年、ショッピングセンターでパレスチナの青年の自爆テロがあり、そこで13人が亡くなった。ここにたまたま来ていた、その日に15歳の誕生日を迎えたベトヘン・シャクワちゃんも亡くなった。しかし、ここではそのような事件が次々に起こるので、それに囚われていては先へ進めない。悲しんでばかりはおれないという。何ということか!

 取材班は母親のアヤレットさんを訪ねた。シャクワちゃんの部屋は当時のままだ。時間が止まったようだ。彼女の日記には、平和を求める気持の詩が沢山ノートに書かれていた。目的はユダヤ人とアラブ人との和解である。
 今まではキリスト教とイスラム教との相互理解のことを考えてきたが、ここではユダヤ教とイスラム教である。復讐からは何も生まれない。アヤレットさんは、そう思い、女性だけの対話集会を始めた。イスラムの教えについてお互いに議論しあっていた。ユダヤ人の女性は「来るのではなかった」と言っていた。お互いにけんかのようになる。しかし、第一段階はそれでよいとアヤレットさんは考えているようだ。
 生長の家的に考えるとすると、神の創られた世界は完全円満であり善そのものであるという実相世界を内観する神想観、過去の悲しみや苦悩を消滅させる浄心行や亡くなられたご先祖様に真理をお伝えする先祖供養祭が実施されるようになれば、というよりも実施されるようにならなければ、本当の平和は来ないのではなかろうかと考えられる。

 次は別の場面である。イスラエルでパレスチナから来た19歳の青年が建築の労働に従事していた。シャディ・アフマッドさんである。具体的にはヨルダン川西岸地区からきていた。ここは人口1万人程度の住民でしめている。パレスチナ人だけが住む。かつてはオリーブの栽培が盛んだったという。地元では仕事がなく失業率が40%だという。だから出稼ぎに行かざるを得ない。残念ながらイスラエルはパレスチナと戦っている。それでも生活のために出稼ぎに来ている。

 さらに別の舞台。テルアビブのカルメル市場が撮されていた。ユダヤ人に関する定義のナレーションがあった。国を超えて、ユダヤ教を信じる人をユダヤ人というのだそうだ。ここイスラエルには各国からユダヤ人が移住してくる。100万人を超えるユダヤ人が移住してきたという。
 旧ソ連から来た家族もいた。奥さんが商売をしていて、御主人が迎えにきていた。娘二人の家族である。長女18歳は徴役だという。下の女の子がたベリーダンスを踊ってくれた。もともとユダヤの踊りだったが、現在ではイスラエルの女性の間で流行しているという。

 この番組を観て、色々と考えさせられた。現在、生長の家はイスラム教に関する学習を開始しているが、国際平和信仰運動の進展と共に将来はユダヤ教の人も信徒になることが予測されるのではないだろうか。偶然であるが以前、英会話教室でユダヤ教の青年と宗教に関して会話したことがある。相手は、私が付けている生長の家のバッジが何なのかを知りたくて、会話が始まった。万教帰一を説明したが、相手が若く精神的に柔軟だったせいだろうか、分かってくれたことを記憶している。「万教帰一の御教え」はユダヤ教の人にも説明すれば分かってもらえるということなのだろう。(おわり)

Photo_2今夜は、木次で壮年層の学習会があった。『真理』第3巻をテキストにしての学習だったが、一段落すると写メール俳句投稿を行った。俳句の専門家である八幡さんが来て大変良い指導してくれた。①写真、②俳句または短歌、③コメント、④ペンネームの四つの要素があるとOKである。恐らく、教化部HPは、相愛会の写メール光明俳句で埋め尽くされるだろうと予測される。

*絵は「シロサイ」です。

 中内 英生

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October.23.2008「ユダヤの夢(一)」

October.23.2008「ユダヤの夢(一)」

**総裁谷口清超先生 ご誕生日 おめでとうございます。**

今日の歌::講習会 終えて数える 受講券 感謝と感動 また甦る
(昨日は、白鳩会の沢山の幹部の皆様が二階講堂で受講券を確認していました。熱心にご推進し、運営していただき感謝に堪えません。)

 探検ロマン『世界遺産』では、「白亜の街 ユダヤの夢」という番組があった。イスラエル・テルアビブの話である。ユダヤ人の皆さんが自由な暮らしを求めて余所からやってきた。テルアビブは未だに自爆テロがあるが、それを考えていては生活できないようだ。ここのベングリオン空港は、1972年に日本赤軍が銃を乱射したところでもある。あの事件発生の時は、本当に驚いた。

 テルアビブは、人口38万人、イスラエル最大の都市である。そこに押し寄せるユダヤ人のために、鉄とコンクリートで造った初めての近代建築群がある。出来るだけ簡単に簡素に造ったという。それが約1000個の建物だそうだ。バルコニーがあるのが特徴だ。これらの白亜の建築群(世界遺産)を見に来るのは、半数以上が海外からのユダヤ人観光客である。

 ウィキペヂィアによると、「シオニズム」とは、イスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しよう、あるいはユダヤ教、ユダヤ・イディッシュ・イスラエル文化の復興運動(ルネサンス)を興そうとするユダヤ人の近代的運動といわれているが、後者の立場を「文化シオニズム」と呼ぶことがあるが、実際には様々な関係があると思われるという。「シオン」(エルサレム市街の丘の名前)の地に帰るという意味であるそうだ。しかし、単純に考えると、自分たちの理想郷である国家を持つという運動と解釈してよいだろう。そういう意味でここは重要な意味を持つ。

 1948年5月1日、イスラエルが独立を宣言した。この独立宣言が契機となり、そこに住んでいた70万のパレスチナ人が難民となった。そして第一次中東戦争が発生することとなる。この悲劇は未だに継続している。現象界は念の造る世界であるので人類の想念を浄化する以外にない。神は戦争を創り給わないから、戦争は神様の世界にはないのだ。人間の念の世界だけにある。
 (今日はこれで終わらせていただきます。後半のクジラの話を先に書いていたら長くなった)。 

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年10月22日のブログは、「歯磨きを使いきる」です。半分に切って中から使うという方法は知りませんでした。軟らかいチューブについてご説明されていますが、その通りだと思います。早速実行させていただきたいと思います。 合掌。

*世の中には色々な仕事がある。医療にしても、医者だけが医療専門家ではないようだ。NHK番組で、「臨床工学技士」という仕事を紹介していた。手術の時など、今までは看護婦や医者が操作していたのが、余りにも機械の機能が高度化・複雑化してきたのでこの仕事が専門家してきたのだという。彼らは医師の友であり、患者が元気になって帰っていくのを見ると、この職業について良かったと思うようだ。体外循環装置や人工心肺装置など熟練と高度な技術と責任感を要する職業である。手術で何時間も集中しなくてはいけないからだ。いずれにしても楽な仕事はないということだろう。若者よ、がんばれ。

*男性の方々の表現の場を作りたいと思います。大東の八幡文男さんは俳句の専門家です。他に川柳の専門家もいます。教化部のホームページに写メール添付で俳句とペンネームを書いてお送り下さい。明るい話題を見つけるようにいたしましょう。光明俳句、いいこと俳句とでも名づけましょうか。私も努力して送りますので、男性の方、どうぞご協力下さい。和歌でももちろん結構です。誌友会でもできるのではないかと思います。
 
*面白い話が出ていましたので、ご紹介します。クジラが「聖なる魚?」と崇拝されているベトナム沿岸部で、船の転覆事故に遭った少年が「クジラに救われた」と告白し、地元紙が報道する騒ぎになったという。中部ダナンに近い、クアンガイ省の漁村出身で、ド・バン・タン君(16歳)で、おぼれる寸前にクジラの背に押し上げられ助かったと云うのです。タン君の話によると、炊事係の彼を含め8人を乗せた漁船は、2006年5月12日、南シナ海の西沙(パラセル)諸島沖に向け出港しました。嵐に遭い、17日朝に高波にのみ込まれ転覆し、全員が海に投げ込まれました。
 乗組員は次々と彼の視界から消え去り、残っていた男性船員も数時間後「サメに足をかまれた!」と叫んで、海に沈んでいきました。タン君も死を覚悟し「神に祈った」が、その数分後、奇跡が起きた。目の前に大きなクジラが出現しました。彼の体を海面から浮かび上がらせるように背中で持ち上げたというのです。
 「必死になって背びれにしがみついた」タン君は、丸2日後の19日朝に救出されました。海に漂っている彼を発見した捜索船の船長は、クジラの姿は見なかったが、「タン君が海水をほとんど飲んでいなかった」点から、クジラによる救命と断定しました。「クジラ信仰」が厚いこの地域では、おぼれた乗組員を救ったクジラ伝説は数知れないという。信仰するとその結果が顕れるということだろうか。
 信憑性に否定的な専門家もいる一方、神奈川・藤沢市の新江ノ島水族館では「ごくまれにだが、考えられるケース」であるとのことである。クジラには自分の子供を呼吸させるため、水面に押し上げる習性があり、この本能に従った可能性もある。また、好奇心が旺盛な子クジラが、自分より小さいタン君を押し上げて遊んだ可能性もあるらしい。これはスポーツ報知に書かれていた記事のようだ。
 タン君が神様に祈ったというのは素晴らしいです。嵐の湖で祈ったという会社社長の話をグレンクラーク教授が書いていましたが、覚えておられますか?

*今日は、木曜休日だったが、久しぶりの休みだった。副総裁先生は木曜日もご自宅で仕事をしておられるようなので、そのことを考えると、私も何か一日中、本を読んだり、原稿を書いたりで、一日が終わってしまった。絵も二つ描いた。恥も一緒にですが。絵は、「使い切り歯磨き」です。Photo

 中内 英生

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October.22.2008「大返済時代も何のその!」

Photo October.22.2008「大返済時代も何のその!」
今日の歌::愛犬や 主(ヌシ)にとっては 我が子かな

  先日NHKで『自治体の大返済時代』といういう番組があり、夕張市だけかと思ったが、最後の方に島根県が出て来た。地方公共団体の負債額を県民人口で割った「県民一人当たりの負債額は島根県が最高である」というナレーションがあったが、何のそのである。上記の御教えに従えば、生長の家の御教えを行ずれば、必ず最高の豊かな島根県になることは信じて疑わない。

 『生命の実相』第6巻頭注版71頁~76頁に、高橋正雄さんの父親が残した借銭問題の解決が書かれている。75頁には…、

 高橋さんは「わしには借金があるんだぞ。獅子奮迅」と毎朝大声で叫ぶということによって、獅子奮迅の力が湧いてきた。これは語尾の「獅子奮迅」という言葉の力が働いていることは見逃せないのであります。(中略)わしにはこんなに借金があって追い出されてもしかたのない自分であるのに、こんなに良い家に住まわせてもらっているのは、これ天地から生かされているのである、ただありがたい、じぶんの力で生きているのではない。天地をつらぬく生命が自分に宿って生かそうとしているのであるーというありがたいという気持この実相を知るありがたい気持は、小我の力を否定して、「大生命われに宿って生きる」の自覚である。この自覚があってこそ「獅子奮迅」という言葉も自然に出て来たのであり、この言葉の力も生きて来たのであります。(後略)

 とご教示されている。出雲大社の大神が統べ護り給う島根県に住まわせていただいて誠に有難いことであると家族一同心から思わせていただいている。
 
 以前、副総裁先生がご紹介されていた中沢新一著『対称性人類学』を読んでいると、対称的とは同質のものとして認めることのようなので、神と自分との対称性を見出すことによって、大生命の力が自分に於いて噴出することになるという訳でありましょう。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
 10月19日のブログに、朝日新聞(10月19日付)をご覧になられての御文章がありましたので、取り寄せて読んでみた。「カバー 氷河の一角 地球異変」と見出しがあり、初雪を前に作業員が氷河からシートを取り除いている。ここまで温暖化は来ている。
 また、第二面には、水陸両用の「水害時 浮く家」が出ている。4200万円である。水害時の恐ろしさを知った人が購入している。しかし何故購入するかというと、「洪水の季節は冬。好きな水辺で暮らしつつ、洪水があっても住み続けられる安心があるなら、払う価値がある」という訳である。
 オランダでは国土の三分の一が海抜零㍍なので深刻だ。オランダ国民に「最も怖いものは?」と質問すると、戻ってくる答えは「洪水」だという。「テロ」より怖いとしている。
 2008年10月21日のブログは「ウランも枯渇する」です。
 原子力発電についての先生のお考えは、「原発は大量の処理不能の放射性廃棄物を生み出すから、決して「クリーン・エネルギー」などではない。また、それを地下深く埋めておけばいいという考えは、「環境倫理」にも「世代間倫理」にももとる。さらに、核武装へのオプションを残しておきたいという観点は、現実的のようであって本当は現実的でない、とご教示されている。
 さらに、『ヘラルド朝日』(10/21)の環境学者のダニエル・ボロキン氏の説で論考しておられます。経済的埋蔵量を掘り尽くすのに5年、消費し尽くすのに25年としている。しかし、忘れてはならない要素は人口増加であり、それが計算に入っていない。中国、インド、ロシアなどの中進国の人口増加とエネルギー使用量の増加を要素に入れるともっと厳しくなる。石油エネルギーに頼った生活以上に不安定化する可能性がある。
 結論として、枯渇せず、かつ他から奪わないものといえば、再生可能な自然エネルギー以外にないことになるとしておられます。

*今日も島根教区の信徒の皆様にとって素晴らしい一日でありますように。生長の家大神様の無限の愛の祝福が、すべての島根県民の皆様の上に満ち溢れますように。
*絵は、「犬」です。講習会が終わりましたので、再び絵と恥をかかせていただく予定です。
 中内 英生

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October.21.2008「マリアさんはどこから?」

Photo_2 October.21.2008「マリアさんは何処から?」
今日の歌::マリアさん 万教一つの 教えから

 竹内マリアさんの番組が今年4月にNHKでありました。コブクロと松たか子さんとの共演がありました。マリアさんはご存じ、元相愛会連合会長・竹内地方講師の娘さんです。「人生の扉」、「元気を出して」、「駅」などを歌っていました。山下達郎氏とのご結婚、出産などを通して、人生を歌に託して作詞作曲し、歌っておられます。どの歌も人々に勇気を与える内容が込められているように感じました。講習会の時、谷口純子先生との会話で、竹内マリアさんの話が出ました時に、「娘さんと学校がご一緒」だったことを話されました。マリアさんはデビュー30周年だそうです。

 朝ドラ『だんだん』のテーマソングとナレーションで私も毎朝聞かせていただいております。「出雲阿国」という方がどんな女性だったか知りませんが、出雲阿国の生まれ変わりとでもいうべきか、出雲大社の雰囲気を歌い上げているとでもいうべきか、いずれにしましても素晴らしい歌唱力です。番組の最後に、「嫁ぐ娘に贈る母親の心の歌」を歌ってこの番組が終わりました。ウィキペヂィアには、竹内マリアさんの略歴が掲載されていました。

  「出雲大社近くの老舗旅館「竹野屋」主人でもある竹内・大社町(当時)元町長の娘として生まれる。特にキリスト教徒ではないが、世界的に通用する名前をとの父の考えからまりやと名づけられた」と書かれています。ムリだとは思いますができれば、元町長の後に、生長の家地方講師と書かれていると、神道の出雲大社の傍に位置する老舗旅館の娘さんにつけたお名前がキリスト教に関係しているのは万教帰一の教えから来ていると理解されるのではないかと思いますが如何なものでしょうか。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年10月20日のブログは、「氷河シートと水陸両用の家」です。10月19日付の『朝日新聞』に掲載されている「氷河に日よけシート」についてお書きになり考察しておられます。最後に海面上昇の問題に触れられ、オランダの水陸両用の家があることや、オランダや”水の都”ベニスの海面上昇の対策について進んでいることが書かれています。最後に、次の御文章で結んでおられます。これは東京の歴史に残る先見のお言葉となるのではないかと考えます。

 私は、「ウォーターフロントの開発」などという考え方は、もうやめるべきだと考えているのだが……。
 
  島根の信徒の皆様!講習会が終わり、少しは「ばっくらと」されましたか?講習会の懇談会の時、誰よりも真剣に真理を行じられる信仰者のMさんが質問されました。「毎夜、仕事が終わると伝道に歩いた。何ヶ月も伝道していると、家内から苦情が出るようになった。ところで、副総裁先生はどのように家庭サービスをしておられるのでしょうか?」と。私もお聞きしたかったのだが、私にはとうてい出来ない質問内容だった。副総裁総裁先生は、ざっくばらんにご紹介された。具体的内容のご紹介は遠慮させていただきますが、生長の家は家庭を取るか仕事を取るか、光明化運動を取るかという時、三者択一や二者択一ではなく、家庭も取り、仕事も取り、運動も取るというすべてを同時に成就させる道ではないかと思います。神の子は無限力だからです。真理を求め、愛を生活に行じ、自他一体の愛行として伝道するという信仰のスタイルです。持続可能な行き詰まらない楽しい信仰こそが、生長の家ではないかと思います。ご自宅でお茶を飲んで、ばっくらとしながら、また頑張りましょう。絵は、「教化部の急須」です。皆様のお越しをお待ちしています。

 中内 英生

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October.20.2008「ソフトボールの金メダル」

Photo_3 October.20.2008「ソフトボールの金メダル」
今日の歌::一夜明け 光は去れど 輝きは さらに増すなり 出雲の國に

 『NHKスペシャル』では北京オリンピック、ソフトボールの上野由岐子投手を追っていた。最強のアメリカ戦が鍵だったという。そのために隠し球を上野は開発した。強打者のブストスとの対決では、力で勝負しようと云う迷いが生じたとき、ホームランを打たれた。かっこいい所を見せようとするのは迷いなのだろう。上野は時速119㎞という世界最速のボールを身につけたからこその自信だったようだ。ある選手のカーボン製のバットをへし折ったこともある。それだけ威力がある。しかし、ブストスとの勝負は力ではなく歩かせて、次の選手を討ち取るという手法も用いた。自分のかっこよさよりも、チームの勝利を優先させた。

 宇津木麗華監督は、世界に勝つために上野にアドバイスをした。さまざまな球質の球を身につけることを。そして、シュートボールを身につけたが、国際試合でほとんどシュートは投げなかった。すぐにデータを分析されるからだ。大切なアメリカ戦で、威力を発揮した。相手は全然打てなかった。

 オーストラリア戦でのことだった。延長戦9回の表で上野はすでに250球を投げていた。自分の手の皮が剥けたことに気がついた。それを気がつかれないように力投した。上野はもし打たれても、『チームメイトが取り返してくれる』という気持が強かった。「自分のボールを信じて投げよう」と、自分と友を信じた。その気持になったのは高校生時代だった。当時すでに小学時代から天才投手と呼ばれるようになっていた。「自分で投げて自分で抑えていけば、どんな試合でも勝てる!」そう信じていた。天狗になっていた。その時、上野は腰の骨を折った。選手生命をも奪いかねない事故だった。しかし、その時、友人等は毎日、上野を励ましてくれた。
 上野は考えた。『友人達はこんなに私の再起を願ってくれていたのか?そうか!自分だけで試合をしているのではなかった。チームメイトが私を護ってくれていたのだ』と気がついた。
 
  アメリカ戦の時、西山監督は上野に聞いた。監督は上野の手の皮が剥けかけているのを知っていた。『上野、行けるか?』上野は間髪を入れず答えた。『行けます!』。上野は自分を信頼して使ってくれるのがとても嬉しかった。そして、監督は信じていた。「アメリカに勝つのは上野しかない」と。
 アメリカの投手はオスターマン投手だった。今まで、長身の彼女が投げる球に日本の選手は歯が立たなかった。時速100㎞に近いスピードと変化球が売り物だった。浮き上がるライズボールと落ちるドロップを使い分けて、日本選手のバットは全然当たらなかった。しかし、この投手のフォームの癖はすでに研究していた。ライズボールとドロップボールを投げる前に、オスターマン投手の腕の上がる位置が違っていた。それをベンチにいる人が見極めて、「上」「下」とバッターに向かって叫ぶ。そして打った。
 オスターマン投手から、ホームランを奪い、一点を叩き出した。日頃の練習の成果だった。オスターマン投手の顔に動揺が走った。それからの日本選手は打て出した。そしてとうとう、金メダルを獲得した。

 「諦めなければ夢は叶う!」。上野投手の好きな言葉だという。彼女のグラブには、「非常識への挑戦」と書かれてある。その言葉通り、上野投手は、準決勝から二日間で三連覇し、413球を一人で投げ抜くという常識破りの活躍で、日本を優勝に導いたとしている。
 小学生の頃から、天才ピッチャーと呼ばれてきた。中学時代に、ソフトボールが五輪種目になって以来、金メダル投手を夢見てきた。身長173㎝と世界の競合の中では決して恵まれた体格とは云えないが、グランドは勿論、宿舎での食事時間にまでトレーニングを取り入れるという努力で世界最速のスピードボールを身につけたとしている。

  副総裁先生から、「創意・工夫」で御教えをお伝えすることをお教えいただいている私達は、上野投手に負けないような三正行の創意・工夫の努力をしようではありませんか。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年10月19日のブログは、「銅鐸の輝き」です。講習会の成果について、「相愛会、青年会の参加者数が伸びたことは特筆に値する」とのお褒めのお言葉をいただきました。また、「約半年にわたる推進活動に尽力くださった島根県下のすべての生長の家の幹部・信徒の皆さんに、心から感謝申し上げます」とのお言葉を賜りました。有り難うございます。 帰りに、島根県立古代出雲歴史博物館に立ち寄られたそうです。銅鐸に関してのさまざまな考察をしておられます。以前、同じものを私も見学しましたが、さらに副総裁先生のご解説を拝読して視点の素晴らしさを学ばせていただきました。島根県信徒の方々は必読のブログです。(私の銅鐸の絵は、「アルバム集の”絵ッッコーナー”」に載せております。絵と恥を同時にかくことにしております)。

 また、Web版日時計日記には、谷口純子先生が島根教区講習会のことにつきましてお書きくださっております。誠に有り難いことです。影山白鳩会連合会長さんと尼委員長がコメントの書き込みをさせていただいております。両先生のお言葉を信徒の皆様にお伝えさせていただきます。合掌。

*講習会の御講話の中で、谷口純子先生は新聞の明るい話題をご紹介されました。また、副総裁先生は写メールを使って、明るい話題をメールする意義を説かれました。時々、本欄に投稿される「ゆきねえ」さんや「あいちゃん」にもお願いしたいのですが、生長の家の行事でなくてもよいですので、明るい出来事がありましたら、写メールで教化部に送っていだだけませんか?読んでおられる信徒さんとご一緒に喜び合いましょう。
 また講習会が終わりましたら、ブログのお客さんが20日はたくさん来てくださいました。講習会前日と講習会当日はすくなかったのですが、今日は多いです。これから考えますとおそらく島根の信徒さんではないかと思います。少しずつですが、島根教区の方々がインターネットを使っての光明化運動に参画していただいていることは喜びです。これからは、「只見る」組でなく、ご一緒にみんなの明るく素晴らしいホームページを作って参りませんか?。絵は「のり」です。

 中内 英生 

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October.19.2008「講習会開催」

Photo_2 October.19.2008「講習会開催」
今日の歌::出雲野に 光放ちて 神立ちぬ 秋の日和の 大社の如く

  今日は、待ちに待った講習会が開催されました。終日、生長の家副総裁谷口雅宣先生と白鳩会副総裁谷口純子先生に素晴らしいご指導をいただくことができました。心より感謝申し上げます。
 また、推進と運営に関しまして、相愛会・白鳩会・青年会をはじめ多くの信徒・会員などの皆様方に大変真心あふれるご推進・運営をしていただきまして誠に有り難うございました。心より、お礼申し上げます。午後の質疑応答がとても興味深く、楽しい内容でございました。また、終了後、懇談会が行われましたが、和気藹々として楽しい内容で盛り上がったところで、予定の四時を回りまして、参加者の皆様はもう少し先生と懇談をさせていただきたいような思いではなかったかと感じられました。
 グリーン募金を行い、希望者の方に絵手紙の上手な方の絵を差し上げました。これは新しい試みでございました。
 今後、誌友会の開催の充実や聖使命会や普及誌購読者の拡大など課題は沢山ございますが、二年後の講習会を目標に、信徒一同、心を合わせて喜びの中に運動させていただきたく存じます。今日は誠に有り難うございました。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年10月17日のブログは、「ギャオの独り言 (2)」です。「カシキンマン」の名前は、「貸し金マン」なのでしょうか?副総裁先生の楽しい真理童話の世界です。

*『生物から見た世界』(エクスキュル/クリサート著)を読了しましたが、生物から見た環境世界を考えることも、生物の心を知るためには必要ではないかと思えました。絵は「あおむし」です。アオムシから見た環世界を考えました。
 中内 英生

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October.18.2008「なぜ夜間見えるのか?」

October.18.2008「なぜ夜間見えるのか?」
今日の歌::八雲乗り 神降り立ちぬ  すすき野に

  NHK「ダーウィンが来た」では、ジャンプ筋肉がよく発達しているメガネザルの生態を放映していた。インドネシアは貴重な自然が沢山あるが、タンココ・バトウアングス自然保護区はスラウェシ島という島にあるという。たった12㎝の小さな猿である。世界にここしかいないスラウェシメガネザルという。約3㍍飛ぶ。自分の身体の25倍だそうだ。夜、光を当てると普通の夜行性動物は、網膜の所に特殊な膜があり眼が光るが、その反射膜に反射させて、わずかな光まで夜行性動物はみることが出来る。しかし、このメガネザルには、その膜がない。そのため、眼を最大限に大きくして光を取り入れ、フクロウのように何でも見えるように進化した。

 この猿は、餌の昆虫に飛びかかる瞬間、目を閉じる習性がある。もし反撃されるようならば、眼にダメージを受けるからだ。メガネザルは片目だけで脳と同じ大きさがある。目が大きくなりすぎたため、何と眼だけを動かすということはできないようになった。その代わりに、首が自由自在に動く。その姿はまるでフクロウのようである。進化の別の形である。それにしても、変化する環境に適応するために誰がそれを考え出したのだろうか?不思議でならない。

  母親のメガネザルが子供を加えてジャンプする姿が映されていた。ジャンプするのは上手だが、歩くのは苦手なのだ。理由は後ろ足が長いからである。メガネザルには子供に餌をやるという習性がないという。子供は昆虫を捕って食べる以外にない。

 ここスラウェシ島は200万年の間、陸地と繋がったことがない。この島の生物は98%がここでしかいない種であるという。いろいろと有袋類の生き物もいるらしい。進化という生命の動きは、本当に不思議で素晴らしいものである。これら固有種は神様の生命多様性そのものなのだろう。姿を見たい人は、インターネットで検索してみてください。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年10月16日のブログは「カボチャをくり抜く」です。ハローウィンのカボチャのいわれやお作りになった作品を絵にしたためておられます。お若い頃の楽しいエピソードも書いておられます。

*副総裁先生ご夫妻を出雲空港にお迎えいたしました。誠にありがたく、嬉しい限りであります。明日の講習会は天気は良いようです。

 中内 英生

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October.17.2008「美味しい天ぷらうどんを食べませんか?(三)」

October.17.2008「美味しい天ぷらうどんを食べませんか?(三)」
今日の歌::秋日和 誰にとっても 秋日和

 今日は、昨日に続いて「地産地消」についてである。
農地から宅配で昨日とれた野菜を配ると顔の見える関係が築かれるそうだ。百歳バンザイで百歳でも配達していた女性を紹介していたが、すごいことだと思う。フードマイレージの計算で、地産地消は二酸化炭素を出さないと云うだけでも自然界への慈悲行ではなかろうか。農作物は、無農薬なので葉も食べられる。
 
 安田弥生さんという農業の主婦の方が紹介されていた。一週間に一度、25軒の消費者に届けている。スーパーよりも多少高めだが、安全性があるとしている。kikiさんは安田さんの秋のジャガイモの収穫を見学した。kikiさん自身もジャガイモを掘ってもみた。
 安田さんは、6年前に畑を借りて野菜を作り始めた。地域の消費者に支えられて、40種類の無農薬野菜を作っている。彼女は、その土地にあるものを使い、自然と調和した農業を目指しているとしている。化学肥料を使わず、わざわざ近くの林から集めてきた落ち葉で堆肥を作る。これは総本山の献労と同じではないか!落ち葉はミミズや微生物の働きで豊かな土に還る。その堆肥で育ったジャガイモだ。地域の中で栄養分が循環し、野菜が育つ。それを人間が食べる。これはごく自然の現象である。

 人間は肉や野菜など他の動植物を食べて生きている。わざわざ遠くから輸入するのは人間だけだ。自然界の生き物は自分の住んでいる所で餌を見つけて生きている。その違いは何か?人間は自然界の法則に背いているのではなかろうか?
 自然界は、植物を虫が食べる。その虫を蛙などの動物が食べる。それらの死骸は土に還り、それを養分としてまた植物が育つ。地域の中で循環が行われ、生き物同志が支え合っているといえる。

 しかし、現在の日本は、外国で育てたモノを人間の都合で大量に運んできている。それぞれの地域で循環するという自然界の営みからかけ離れたものとなっている。しかも、大量に食べ残しを捨てている。それが、日本の食糧自給率40%にさせている。現在、農作物は遠くから輸入されている。しかし、地産地消で地域から作る農作物も出始めている。kikiさんは、それらを気にしながら食材を買い求め、食事をしたいとしている。
 日本人は外圧に弱いと言われているが、ここまで農業を衰微させなくてもよい方法があるのではないだろうか。以上で三回にわたって「天ぷらうどんの真相」を解明して参りましたが、これで終わりです。島根の皆様、できるだけ地産地消で倫理的食事を心がけましょう。わが家の庭では今年は、ミニトマトや茄子やキュウリが沢山収穫されました。地産地消です。産地から炊事場まで20㍍ほどの輸送で、排出する二酸化炭素はほとんどありませんでした。

 中内 英生

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美味しい天ぷらうどんを食べませんか?(二)

October.16.2008「美味しい天ぷらうどんを食べませんか?(二)」
今日の歌::うどん食べ 四万㌔の 出前かな

 kikiさんは考える。『日本人が食べ物を外国から運んでくるのだって、大変な手間だと思う。天ぷらうどんはどうなんだろう。材料はどこから来たのだろう』。
ネギは中国からで、6000㎞だ。
(今朝のサンケイ新聞に、「中国製インゲンに殺虫剤」と書かれていたので、少し輸入先が変わってくるのかも知れない。食の安全は他人任せではいけないということだろう。そうなると地産地消が好ましいということにはなる。しかし、現在、農業をやっているのは年輩の人が多くて、若い跡継ぎがいないとも聞いた。これをどう解決するかだろう)。

 エビはインドネシアからで、6000㎞。うどんの材料の小麦と醤油の原料の大豆は、ほとんどアメリカからで10000㎞。卵は千葉県産なので50㎞(東京まで)なのだが、
ニワトリの餌のトウモロコシはアメリカからなので、10000㎞となる。
何と、天ぷらうどん一つ食べるだけでも地球規模の出来事だったと気がついた。
 一つの天ぷらうどんのために、食材は飛行機や船舶で運ばれてくる。その輸送に沢山の石油を使う。要するに二酸化炭素を出して地球を汚している。(自分が知らないところで、「知らずに犯した罪」が出来上がっているのだろうか。)
 日本に食べ物を輸出している国では、問題は起きないのだろうか?

 日本のエビの輸入先のことを考えてみる。日本は世界のエビの三分の一を消費し、ほとんどアジアの国々から輸入している。
 タイでは、マングローブの森を伐採してエビの池を作る。マングローブは、熱帯の豊かさを支えている。かつてのインド洋沖地震でもマングローブを伐採していない海岸の村は被害が少なかったという。マングローブは。豊かな生態系を作っているが、根元の海水はプランクトンが豊富だ。そのプランクトンを求めて、魚やエビなどが集まり、そこで育つ。
 しかし、1980年代から1990年代にかけて、マングローブの森は伐採が進んだ。伐採のあとには、エビを養殖するための池が作られた。森は次々と養殖池に変えられた。
養殖池では人工飼料を使い、大量のエビを育てることがあるという。生産コストが下がり、利益が増やせるからである。

 大学の講師をしていたドォーシットさんという方を紹介していた。彼は副業でエビの養殖を始めたが、収入が断然違うので、エビ養殖業者に転業し、多額の利益を得たようだ。いわゆる、自動車を買い、家を建て、子供を留学させる等という豊かな生活をしたいからだ。
 エビは大きさで分ける。値段が高いので、地元の人たちはなかなか手が出ない。このエビは主として日本に輸出するという。
  以前に養殖池だった場所は、大量のエビを育てたために、5年で池が使えなくなったという。エビの排泄物で土壌が汚染されたためだ。池だったところの荒廃した風景が映されていた。その後、タイではマングローブの伐採は禁止された。しかし、このような状態は多くのアジアの国々で繰り返されたとしている。
 今日の新聞によると、タイとカンボジアは交戦しているので、アジアはマングローブの問題だけではないようだ。
 
  kikiさんは再び考える。『私が大好きな天ぷらうどんのエビを食べるたびに、その向こうでマングローブの森が消えていったのかも知れない』と。
  日本の私達は、安くて美味しいエビを食べたい。アジアの人々はお金を稼いで、楽な生活がしたい。しかし、人間の都合で沢山のエビを育てると、自然が破壊される可能性がある。
  kikiさんは言う。『私は環境を壊さずにエビを食べたい!近くで捕れたエビを食べられたらよいと思う』。

『今こそ自然から学ぼう』(26頁11行目~27頁3行目)には次のようにご教示されている。

(前略)エネルギーを無駄遣いする我々の生活習慣が大きな原因となって、途上国の自然が破壊され、多くの生物が絶滅し、貧しい国の人々が犠牲になっているのを知りながら、「それは現象世界のことだから、対処は政治家や官僚やNGOに任せておき、我々は神の道、仏の道をきわめるべきだ」などと考え、一向に自分の生活習慣を変えようとしない人は、「炎が上がらないような火」であり、宗教的には「値打ちがない」と言わねばならない。(後略) 

 現在、地産地消の動きが広がっている。私は時々、「地元島根で生まれて、ここで結婚し、ご年輩になられた方は、地産地消型人生と申します」、といっているが、地元で生活し地元を良くすることは実に素晴らしいことだと思う。人生の成功を夢見て、若い人たちみんなが都会に行くと、地方はお年寄りばかりになり、都会は若者ばかり多くなってしまうかも知れないからだ。実際はそれほど厳しくはないだろうが…。要するに日本の足腰(地方)が弱体化すると考えられる。
 地産地消に関しては、また長くなるので明日のブログで書かせていただきます。(続き)

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年10月14日のブログは、「ギャオの独り言」です。恐竜のぬいぐるみであるギャオの一人芝居であるが、真理をご教示しておられます。楽しい御文章です。拝読下さい。

 今日は、教化部は準備のために職員さんはフル回転だった。相・白の連合会長さんも最後の確認のために教化部に来ておられた。感謝。

 中内  英生

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October.15.2008「美味しい天ぷらうどんを食べませんか?」

October.15.2008「美味しい天ぷらうどんを食べませんか?」
今日の歌::カミアリーナ 出雲の神に 護られて

 あなたは友人と外出していて、そのようなお誘いを受けると、どう反応いたしますか?どうでもよいような事のようですが、天ぷらうどんを食べることが、国際的事象であるということを知った上で食べることも大切でありましょう。

 NHKの『地球データマップ』では、驚愕のデータを提示していた。現在の日本の食糧自給率は40%だそうである。韓国などは、輸出団地と名前がついた農地があり、国を挙げて日本向けの野菜の輸出に取り組んできたという。日本人は糖度を大切にするので、糖度のチェックをし、これくらいの糖度なら日本で売れるとして輸出している。
 日本の商社は中国の山東省でネギを作ることを依頼している。人件費が安いので安いネギが生産できる。当然のことながら、日本の農家がネギを作っても、ネギの価格が大幅に下がり安くなるので太刀打ちできないとしている。大打撃である。最近の餃子に始まり中国の農作物の敬遠があるので、中国産品についてはこのデータは少し古いかも知れない。また、江蘇省や福建省にも生産拠点を置き、一年中、ネギを作り日本に輸出する体制になっているという。ご存じの通り、値段は国産の半分である。日本の商社は、大切な日本の農家の経済事情は眼中にないのであろうか。

 これは輸送技術の進歩が大きい。コンテナの温度を安定化することで、鮮度を落とさずに輸送できる。日本でも魚を冷蔵輸送する技術がある。魚は仮死状態であるが死んでいない。そのまま遠くへ運ぶことが出来るので鮮度が高いという訳だ。

 データでは農産物の輸入が増えるにつれ、日本の農地が減少している。当然のことだろう。従って、日本の食糧自給率はこの40年間、下がり続けているとしている。一番自給率が高いのが、アメリカで125%だ。要するに輸出している。次がドイツ、イギリス、そして日本の順であり、日本は1960年には70%だったのが、2000年で40%に減少している。

 たしかに、1960年ころ、私が10代の頃は、地元で取れた野菜や米や魚を食べていた。エビやウナギやシジミなどは四万十川や後川で捕ってきてはおかずにしていた。1960年以降、欧米風の食事が一般的となった。それと共に、小麦や肉牛の餌にするトウモロコシの輸入が増加していった。
 食糧自給率の低下は戦後の経済成長と深く関わりがあるという。日本は1960年代自動車など工業製品を沢山作り、外国へ輸出する政策をとり、急速に経済を成長させた。
 しかし、1980年代、工業製品の輸出を増やす代わりに、農産物の輸入を増やすべきだと、外国から圧力がかかるようになった。やがて、1991年の牛肉輸入自由化や農産物の輸入が認められ、自給率が低くなっていった。そして現在、モノやお金が行き来する国境を超えたグローバル化が進んでいるという現状である
 わが教区の講師会長さん宅はほとんど野菜をご自分の畑で作っておられるという。無農薬なので安全かつご自分で作るので運動にもなり、かつフードマイレージが零である。

  WTO(世界貿易機関)は、農産物などの貿易をさらに自由化するような決まりを作ろうとしており交渉が続けられている。しかし、それに反対する動きもあるそうだ。各国の農民は、自国の農業をまもるために、貿易を制限すべきだと主張している。

コメンテーターの女性「kiki」さんはいう。『日本から外国へ車を売り、農産物を輸入する。しかし、もし、車が売れなくなり、相手の国が異常気象で不作になったら、食べ物がなくなる。農産物は生きるために必要なモノだ。しかし、自然環境に左右される。そこが工業製品と違うところだ』と。

 長文になりそうなので、今日はこれで終わりにしたい。天ぷらうどんの全容解明は明日のお楽しみです。

*今日は終日、「聖歌隊」が最終の練習をしていた。白鳩会連合会長さんの話によると、感動の練習風景だったそうだ。今日は秋日和だった。午後の時間に、カミアリーナに行き、聖経を拝読させていただいた。副総裁先生ご夫妻様がお出でになられる10月19日がどうぞ、良い天気でありますように。島根全信徒の願いである。

 中内 英生

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October.14.2008「ガラパゴスはわが内にあり」

October.14.2008「ガラパゴスはわが内にあり」
今日の歌::今日もまた 出雲の神の 護りあり

 「NHKスペシャル」ではガラパゴス島の現状を報告していた。ご存じガラパゴス島は、ダーウィンの進化論でも有名で、島根の皆様が一度は行きたい島ではないかと思う。しかし、その観光がどうも動植物にとっては仇になっているようだ。ここには、リクイグアナやウミイグアナがいる。ウミイグアナは、陸での生存競争に勝てない種が、海に潜って海藻を食べる技を身につけたイグアナである。そのウミイグアナが、人家の辺りをうろうろと卵を抱えて産卵場所を探していた。本来、ウミイグアナは砂を掘ってその中に産卵する。そして、生まれた場所に産卵する習性があるので、自分が生まれた砂地がもう既に、整地されて人家と庭になってしまった場合は、かわいそうに人家の庭に生もうとするのである。そのウミイグアナは芝生の上に3個産んでいた。残念ながら孵化しないだろうとのことであった。自動車の下を行き来するイグアナは、見ていて何かかわいそうな気がした。

 ガラパゴス諸島の世界遺産登録が取り消しになるかも知れないとのことである。それはエクアドル政府が動植物の保護に真剣に取り組まなかった結果であるとしている。ここは500万年前、海底からマグマが噴出し、冷えて島となった。この島に移り住んだ動植物がそれぞれの島で独自の進化を遂げたのである。200年前までは人間の影響を受けなかった。しかし、ここ進化の動植物の楽園も人間が移り住み、人口増加によりゴミ問題も起こっている。また、外来種を人間が持ち込み生態系を崩している。山羊は人間が連れてきた動物だが、草を食べ尽くして従来種の絶滅を助長しているという。従って、政府は、10億円をかけて8万頭を駆除した。ヘリコプターで上空から山羊を鉄砲で撃つのである。また密猟の問題もある。ナマコが沢山捕れるので、密猟者がナマコを捕り、中国の商社が高値で買うという。ナマコは中国料理に使うので乱獲されている。ナマコは、プランクトンの死骸や有機物を食べるので海を浄化するのに役立つのだ。そのナマコが密猟によって減っているらしい。従って海が汚染される可能性がある。

 番組は密漁船らしい不審船の内部を撮していた。取り締まり役人は、水槽の中を調べることが出来なかった。もし、ナマコがいなかったら、損害賠償を請求されるからだ。役人は密猟者からの取引現場を抑えられなかったことを残念がっていた。
 ここには、飛ぶことを止めた鳥、ガラパゴスコバネウや数々の貴重な動物たちがいる。ダーウィンの進化論ではフィンチの嘴の違いやリクガメの違いが有名である。

 できるだけ人間の影響を与えないためということで、観光はクルーズで行われる。観光客は年間500億円を島に落としていく。87隻のクルーズが使用されているが、観光客が出すゴミと住民の出すゴミの問題がある。島の中央のゴミ処理所があるのだが、一日に1㌧のゴミが出るので容易ではない。このゴミ処理場の近くに住むフィンチは他の場所のフィンチに比べて激減している。フィンチがゴミ処理場で生ゴミをあさる光景が撮されていた。近くの巣では、ハエの幼虫がフィンチの雛に寄生していた。雛がうまく育たないことはゴミ処理場が原因の一つではないかと専門家は推測していた。観光産業が生き物を追いつめているのである。

 エクアドル政府は、観光客を減らすことは経済的にできないとしている。もう一つの方策として、住民を減らすことをガラパゴス州のクルス知事は決断して実行した。ナイトクラブを摘発した映像が出ていたが、不法滞留者を摘発してもまた帰ってくる恐れがあるという。タクシーの運転手も摘発されていた。「不法滞留者は48時間以内に退去すべし」という非常事態宣言に続く大統領令を発布している。ガラパゴス島の収入が本土に比べて格段によいことが不法滞留の原因の一つのようだ。また、退去命令を実行しても、再び帰ってくることを止める法律が現在はないとのことである。

 世界遺産の指定を受けて30年になるが、人口は10倍の26000人となった。海辺では、バイクなどの廃棄物の上にイグアナが生活している。法的処置によって人間にとってはガラパゴス島に住むことが厳しくなったということだろう。しかし、動植物にとっては好ましい現象ではある。従って、現在、ガラパゴス島は進化した動植物の自然保護の実験場となっている。今日も世界中から、観光客が押し寄せてくるが、自然と人間の共存をいまこそ実現しなければならない。生き物の楽園を守れるか否かの正念場であろう。

 しかし、考えてみると私達の周囲には、同じような状況があるのではなかろうか。島根は緑が多い県ではある。しかし、人口が密集している県に於いてはかなりガラパゴス島に近い状況があるのかもしれない。それを解決する秘訣は、人間中心主義の利己心を捨てることであると教えられている。これらの問題を考えるとき、私達にとっては徹底して、副総裁先生のご著書を拝読して実践する以外に人類と地球生命を救い、環境問題を解決する道はないのではなかろうかと思う。

*今日も講習会の真心のご推進を有り難うございます。感謝であります。
 中内 英生 

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October.13.2008「物質になぜ質量(重さ)があるのか?」

October.13.2008「物質になぜ質量(重さ)があるのか?」
今日の歌::山あるき 緑目に滲む 秋日和

 物質になぜ質量があるのか。このテーマは、「物質無し」を御教えをいただく私達にとっては興味のつきない問題ではないかと思う。日経新聞(2008/10/8)は次のように報じている。

 物質の質量は「動きにくさ」によっても決まるという。137億年前にビッグバンと呼ばれる大爆発によって宇宙が誕生した直後、物質を構成する基本粒子「クォーク」は質量がなく、光の速度で自由に飛び回っていたとされている。ところがその動きにブレーキをかける仕組みが生じたため、「クォーク」は質量を獲得したとされる。

 ノーベル賞受賞者である南部陽一郎氏は1961年、その仕組みとして「対称性の自発的破れ」と呼ばれる理論を構築した。動きにブレーキをかける仕組みがあってはじめてクォークの動きが鈍り質量を持ったという。このわずかな”ずれ”が宇宙や人間が現在存在する世界が生まれたことを示しているとしている。

 自然界の物質はクォークを基盤に出来ているとされる。分子は原子より構成され、原子は原子核よりなり、原子核は中性子や陽子よりなり、中性子や陽子はクォークよりなるとされる。

 このブログの読者はすでに詳しく各新聞やテレビで内容を把握しておらるとは思う。恐らく私がよく観るNHK「サイエンス・ゼロ」でも解説されると思われる。そのことを楽しみにしていたい。しかし、どのように発見し、理論が確立されても、発見者が偉いか、その仕組みやそのものを造った人が偉いかというと、造った人が偉いことは当然であろう。無から有を作り出した創造主は善にして唯一の神である。その神に日々祈り、感謝の生活を捧げる者こそ偉大な信仰者であると云えるのではないだろうか。

 他の二人の受賞者に関してであるが、小林誠氏、益川敏英両氏は、宇宙誕生の直後に現在の世界を構成する粒子と性質が正反対の「反粒子」がまったく消えてなくなり、現在の世界が粒子だけになった謎に迫ったとしている。
 粒子も反粒子も、その振る舞いは同じ物理法則で説明できるようだ。しかし、60年代になって、両者が同じ法則に従わない例が詳しい実験で見つかったそうだ。「CP対称性の破れ」と呼ばれる現象で、このわずかな違いで、自然界の反粒子が極端に少なくなったとする理論を構築したとしている。南部陽一郎氏の理論とはことなるものの、この理論も世界が今の普通の粒子だけで成り立っていることを明らかにした。

 1973年、当時、物質のもととなる最も基本的な粒子「クォーク」は3種類あることが確認されていたという。ひとつ未知のものを増やして四種類のクォークで説明しようとしたがうまくいかなかったようだ。
  益川敏英氏が「クォークが六種類あれば説明できる」と考えた。三種類の存在しか確認されていなかったにもかかわらず、二倍にするのは冒険だったという。しかし、小林誠氏の検証でうまく説明できることを確認した。そして1973年に京都大基礎物理学研究所が発行する英文誌に「小林・益川理論」として発表された。

 70年代に四番目と五番目のクォークが発見され、最後のトップクォークは94年にみつかったという。CP対称性の破れについても、高エネルギー加速器研究機構が茨城県つくば市にある一周3㎞の「加速器」という大型実験装置を使って検証した。米スタンフォード大学でも同じ実験が繰り返され、2001年までに、裏付けられたとしている。

 今日のはかなりな難易度の高いテーマであったが、一応、このブログでも確認することに意義があると考えた。島根の信徒の皆様、今後も学習意欲を高めて多いに学ぼうではありませんか。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年10月12日のブログは、「第30回生光展が開かれる」です。東京第二教区の講習会のお礼と、13日から始まる生光展について書かれている。発起人の中に、松江市ご出身の彫刻家山根八春氏の名前がでている。副総裁先生の友情出品もあるそうです。新企画で、新しいタイプの「技能と芸術的感覚を生かした誌友会」の参考になる展示もあるそうです。
 もし、近くならば見に行きたいと思うのは島根の信徒さん全員ではないかと思う。しかし島根では現在、講習会最終の推進を行っており、副総裁先生ご夫妻の御来県を心からお待ち申し上げている次第であります。

*今日は終日、松江から大田まで、点から点へという感じで推進を行った。「落ち穂拾い」のような感じである。『ええ』『はあ』などとの返事の方も多かったが、予定の所までは確認できたようだ。ほとんど山間部で歩きも多かった。最後は遅くなったが、以前、練成会においでになった方の家だったが、組織にも入られ問題が解決している姿を見て嬉しかった。組織に入り、継続的に徳を積み、共に菩薩の道を歩む人々の問題解決能力の強さを痛感した。
 中内 英生

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October.12.2008「コーティング(四)」

October.12.2008「コーティング(四)」
今日の歌::秋空や 泳ぐ魚は イワシかな

(つづき)翌年2001年1月の世界選手権大会では、レース直前まで平井コーチは北島にハッパをかけ続けた。しかし、男子100㍍平泳ぎ決勝で残念ながら第4位に終わってしまった。その夜のことである。鈴木大地と共にソウルオリンピックで金メダルをとった鈴木陽二コーチに声をかけられたという。鈴木コーチは、平井の顔をじっと見ていった。『欲が出過ぎている。それが選手に伝わり、プレッシャーになったんだ』と。

 平井はハッとなった。「自分は選手と一緒になって、熱くなりすぎていた。それでは選手を導くことはできない」と。平井は、コーチとして最も大切なことに気がついた。”選手の一歩先を歩かなければならない”
 翌日の200㍍の平泳ぎの時だった。平井は、他の選手の泳ぎを必死で観察した。そして、後半の勝負の戦略を立てたのである。平井は、北島に言った。
『自分のレースをしよう。結果は後から付いてくる』。そしてとうとう第三位に入賞した。
 三年後のアテネでは、二種目で金メダルを獲得し、ついに二人で世界の頂点に立った。 
 平井コーチが日頃、心がけていることを話していた。選手に対してウソをつかないことだそうだ。泳ぎがいい時は、良いという。悪いときは、悪いという。そうでないと、最後に信頼してくれなくなる。
 研究の結果、北京のオリンピックでは、北島に泳法を変えさせた。その責任は重いとしている。コーチが迷うと選手が迷ってしまう。コーチの一言一言で選手の記録が変わるからだ。北京での北島は、100㍍決勝で落ち着いて、まずスタート台を入念に拭いた。その台はすべりやすくなっていたからだ。すべるとスタートがうまくいかなくなる。平井は言った。『勇気を持って、ゆっくり行け!』結果は、58秒91の世界新で金メダルだった。北島選手は、平井の言葉を100%信じた結果だった。完璧なレース運びだった。

 インタビューの時、北島の言葉がまたまた有名になった。
『すみません!何も言えない!』と言って泪を拭った。
平井コーチも何度も涙をぬぐっていた。そして、北島は平井コーチに近づき、『先生!読み通りでしたよ!』と言って、平井コーチの胸に金メダルをかけた。平井コーチの胸で金メダルが輝いた。平井コーチは思った。『北島は何という気が利く選手なのだろう。こんなにコーチの気持ちを分かってくれている』と。そして涙をぬぐいきれなくなる。

 100㍍と200㍍では身体の使っているところが違うという。あわてずに水をかいている時の方が肩胛骨がきれいに動いている。ゆっくり泳ぐと大きな筋肉を使って泳ぐので結果的には速くなる。身体が伸びきるので、抵抗のない良い泳ぎになることを、平井コーチは発見したのだ。それは何と、芸術のような泳ぎとなる。

 しかし、勝負はそれからだった。教え子は他にもいた。中村礼子選手は100㍍背泳ぎ決勝では、残念ながら6位となりメダルを逃した。平井コーチは心に誓った。『200では絶対にメダルを取らせる』と。

 『やってきたことを信じろ』。平井コーチは中村礼子選手に決勝の前に言い放ち送り出した。そして、銅メダルとなり、それは二大会連続銅メダル獲得だった。戦略を練りに練って臨んだ結果だった。厳しい練習とそれから出てくる自信。そして『自信を持て!』と叫び続けるコーチの言葉。しかもアドバイスはワンポイントで伝えることが大切であるとする。なぜならば、二つ以上の指示を出すと相手が混乱するからである。平井コーチは言う。『最終的には、自分自身にうち勝った人間がメダルを取ると思うので、忍耐力と克己心を持てる人がプロフェッショナルであると思う』と。今回のテーマである「コーティング」を書く時、色々と教えられることが多かったように思う。感謝である。(終わり)

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年10月11日のブルグは「上を向いて歩こう (2)」です。連日の世界恐慌予言のラッシュのことが書かれています。その事に対して、「“落ちていくもの”を見るのではなく、“上がっていくもの”に目を向けよう。」とご教示頂いております。これは経済だけの問題ではなく、私達を取り巻く現象世界においても言えることでありましょう。
 株価の下落は消費心を減退させ、それが二酸化炭素削減につながり、自然破壊の速度が鈍るとしておられます。そして、自然エネルギーの利用と他国や自然との共存の産業構造に切り替える重大時期にきていると書かれています。また、『生命の實相』第37巻幸福篇上の御文章を掲載しておられます。株で失敗して高血圧症になった人に対するご指導です。また、次のようにもお説きになったおられます。

(前略)このような誤謬と欲望で膨れ上がった地球大のバブル(風船)に、アメリカのどこかで穴が開いたのである。だから、日本発の誤謬や欲望も同時にしぼんでいくことは当然だろう。その誤謬や欲望に加担していた資金が消えていくことに、なぜ苦悶し、悲しむのか。「悪業は悪果として現れたとき消滅する」と考えれば、バブルがしぼんだ時こそ、新たに善業を積む機会の到来である。(後略)

 そして最後に、次のように結論しておられます。

(前略)我々は今、唯心所現の法則の展開を目撃しているのだ。

 今日の御文章で、現在の経済不安定が何を意味し、何を学ぶべきかが釈然といたしました。島根の信徒の皆様、必ず拝読してください。

*今日は、終日秋晴れの中を、松江、雲南、出雲などを感謝訪問しました。感謝であります。
 中内 英生

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October.11.2008「コーティング(三)」

October.11.2008「コーティング(三)」
今日の歌::信徒あり ここは山中 クマも出る(今日は、山の中の幹部宅を感謝訪問をした。こんな所にも御教えを信ずる人たちがおられると思うとただ有り難かった。)

(つづき)北島選手は、体に痛みがあると、レース前は気持が高ぶって”野獣”みたいになるのだそうだ。痛みがあると集中できないので、本人が不完全燃焼のままでレースに向かってしまう。従って、痛みは精神面にかなりの影響を与えるという。それはそうであろう。
 メンタル面の強化は、ハードトレーニングを課して、みずからが乗り越える時、はじめて精神的に強くなるとしている。これは、信仰の面に於いても、自らに早朝行事を課し、聖典の毎日数頁拝読を課し、普及誌愛行を課するという生き方と共通するものだろう。これらの「行」を乗り越えたという自信が、彼の信仰を強くする。練習なくして、メダルはないがごとく、「行」なくして信仰の深化と強化はない。三正行が強調される由縁である。
 身体を鍛えながら精神面を鍛えることが大切である。その後、平井コーチは北島選手と共に、世界の頂点を極めることになる。

 小学一年生の時、平井さんは水泳を始めた。面白くてたまらなかった。18歳の時、有名な早稲田大学の水泳部に入部した。しかし、芽が出なかった。3年生の時、責任者から言われた。『泳ぐのをやめてマネージャーをやって新人の面倒をみて欲しい』と。彼は一時、落ち込んだが、マネージャーをやることにした。平井さんは、選手の記録を付け、アドバイスをしているうちに、記録が伸びて行った。そうして平井さんは人を育てる面白さに目覚め、その仕事にのめり込んでいく。

 大学卒業前、大手保険会社の内定を受けたが、それを断り都内のスイミングスクールのコーチとして就職した。任されたのはジュニア・コースだった。いつかオリンピック選手を出したいと、毎日子供たちの特訓に打ち込んだ。その合間をぬって、有名コーチの練習方法を見学し、「指導法」を懸命に覚えた。コーチになって10年目に一人の少年に出会う。当時、北島康介だった。北島はタイムが飛び抜けていた訳ではない。しかし、その少年の目を見て、この少年とオリンピックを目指そうと心に決めたという。普段強がりを言う子供でもレースの前になると、不安な目つきになるという。しかし、北島少年は、普段はやさしい眼をしているのに、レースが近づくと次第に、集中力で目つきが鋭くなっていたという。平井さんは言う。『目つきがいいなあ、と思ったんですよ』と。平井コーチは周到な育成計画を練った。『弱きになるな。攻めて泳げ!』と教え続けた。そして、北島康介が17歳の時、日本選手権でシドニーオリンピックの出場権を獲得した。

 平井コーチは、北島少年の思い出を語る。当時、平井コーチは、パーマをかけていた。ある日、練習が終わってもなかなか北島少年は帰ろうとしなかった。平井コーチは、被っていた帽子を脱いだとき、パーマがグチャグチャになっていた。北島少年は、平井コーチの頭を見て、『カボチャ!』と叫んだそうだ。師弟が、心の通い合う関係だったのだろう。

 平井コーチは、シドニーに乗り込んだ。しかし、これまでにない重圧が押し寄せてきた。平井コーチの心は浮き足だってしまった。200㍍の予選の時に、北島選手に言った。『予選は軽めに泳いでもよい』と。その言葉がアダとなった。予選落ちした。試合後、平井コーチは北島に頭を下げた。『すまない。俺のせいだ』。北島は、こくりと頷いたという。平井コーチ自身が弱きになっていた。今まで、そんなことを言ったことはなかった。彼は思った。「コーチとして恥ずかしい!」と。平井コーチは、リベンジを誓った。『何が何でもメダルを取る』。その後、北島と共に猛練習に打ち込んでいくのだった。(つづく)

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年10月 9日のブログは、「イモムシからサナギに」です。詳しく観察しておられます。絵が楽しいです。学生時代に、ファーブルの『昆虫記』を読んだことがありますが、昆虫の世界は、また実に楽しいものです。
先日、ユクスキュル・クリサート著の『生物から見た世界』という本をご紹介しておられましたが、本には「人間にとっての部屋」、「イヌにとっての部屋」、「ハエにとっての部屋」など絵で紹介していて意外性があります。それぞれの動物や昆虫にとって、人間の見る世界とは違いがあるようです。島根の信徒さんで興味のある方はぜひお読み下さい。しかしながら、さなぎから蝶になるなどという生態は何という不思議な生き方でありましょうか。

*昨日は、安来地区の感謝訪問に行った。有名な足立美術館の建築に携わり、長期にわたって美術館と関わりを持ってきた若林さんという方と話が出来た。若林さんは地元幹部の御主人である。若林さんの話によると、創立者の足立氏は、借金をしながらでも、「日本美」をテーマに、日本画を中心に収集し、庭園も日本庭園とした。敷地は竹藪を切って造成し、そこに建てたそうだ。彼は眼の付け所が違っていたという。そこに一日いるだけで、気分が爽快になるので医者などが、気分転換に利用するという。しかし、建物のそばの道路を走ったが、駐車場はバスや乗用車でほとんど満杯で、これらの沢山の人々があの建物の中に入ると、かなりな騒がしさになるのではないだろうかと心配した。庭は人が入れないので管理がゆき届いており、あるアメリカのデータによると、日本庭園で最高によいのは、足立美術館の庭であるという。それは、若林さんによると逆に侘び寂を理解しない西洋流の考え方見方であるとのことであった。その見方は本質を突いていると思った。

*サンケイ新聞(2008/10/10)によると、中山教授と・京大研究チームが、「ウイルスを使わずにIPS細胞を作成した記事が掲載されている。発ガン性が少なく、より安全としている。安全性が確保されればされるほど、副総裁先生が危惧しておられたことが起こる可能性も出てくるのかも知れない。『小閑雑感』を拝読しましょう。
*錦織さんが、ストックホルム・オープンで8強に入っています。色んな所で試合をしているようです。
 中内 英生

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October.10.2008「コーティング(二)」

October.10.2008「コーティング(二)」
今日の歌::眼前に 緑の斜面 迫り来る 思わず叫ぶ ターザンのごと

 (つづき)平井コーチはホテルに帰ってからも北京への戦略を練っていた。北島選手の200㍍の泳ぎはメドがついたという。(これは金メダルが取れるという意味だろう)。しかし、100㍍は泳法に改良の余地があると考えた。(結果的には、200㍍のゆっくりとした力強い泳ぎで成功した)。試合前の北島選手の言葉を覚えている。「(世界記録は出せなくても)せめて金メダルは取らないと申し訳ない」と。恐るべき自信に満ちた言葉ではある。

 背泳ぎの中村礼子選手は精神面が最大の課題であると踏んだ。アテネの200㍍で銅メダルを獲得したが、連続で取れるかどうかが問題だった。一位と二位の選手は抜群に強い。だから金と銀はムリ。可能性としては銅メダルだった。しかし、三位に入るかも知れない選手は、中村選手ではなかった。その選手は、150㍍からのスパートが猛烈である。随って150㍍から中村選手がその選手と同時にスパートしても負ける。戦略はそれからだった。中村選手に、100㍍を過ぎたときからロングスパートをかけさせる。そして、150㍍で相手にスパートをかけられても、逃げ切る。戦略は、見事に成功した。私はこのいきさつをテレビで見ていて、コーチの指導が如何に重要であるかを教えられた。”選手の力を十二分に出し尽くさせる”の一言に尽きる。そのためには、相手の選手のデータを集め、また自分の選手の長所・短所を知り尽くして、勝利するように向かわせることだろう。

 コーチの役目は、「選手をさらなる高みに導くことである。そのためには、選手の一歩先を歩かなければならない」と云う。この考え方は、直下の人の指導に応用できると思う。
 また、選手は自分を信じなければ能力は出てこない。「自信とは自分で自分のことを信じる」ということだからだ。

 合宿中に情報が入った。ハンセンが予選落ちしたのである。この情報には、日本にいた私も家内と共に驚いた記憶がある。平井コーチは分析する。「ハンセンが4位で予選落ちの結果は、先月出した北島の世界記録の重圧が原因である。あれだけの実力者でも、精神のバランスを崩すと力が出ない」。その時の、ハンセンの泳ぎを平井コーチが解説していたが、泳ぎが硬くなっていて、十分に前に進んでいかない状態だった。競泳とはそんなメンタルなものだったのだろうか!

 平井コーチは言う。「精神的なものが重要である。最後はメンタルな勝負となる」と。
その精神はどのようにして鍛えるのだろうか。再び、平井コーチは言う。「精神は体で鍛える」と。随って、アリゾナ高地合宿は、極限のトレーニングであったそうだ。北島選手は「全然、きつい。体が壊れる」「マジで吐きそう!」と悲鳴をあげていた。厳しいトレーニングを乗り越えたという自信が、本番で、崖っぷちの選手たちを支えるという。このトレーニングで、北島選手たちは、気力を出し尽くして、迷いを振り切った。

 北京オリンピックで北島選手と中村選手とが二大会連続メダルとなり、上田春佳選手も日本新を連発したので、平井コーチはとても喜んでいた。平井コーチの言葉を聞いていると、コーチする人間の喜びが私達に伝わってくるようだった。人を育てることが如何に楽しいことであるかである。振り返って私達をここまで育ててくださった先輩達に心から感謝する次第である。(つづく)

*昨日は松江の業者廻りをしたが、山の中の青年会員の家も感謝訪問した。お父さんは松江道場にもよく行ったことがあると話しておられた。山の斜面の緑の壁がとても印象的だった。色々と善いことがあった。また、帰りに常々行きたかった島根県立美術館での「エリック・カール展」を見た。よく出てくる「はらぺこあおむし」や様々な絵を見ていると、心が童心に帰ってしまうのだった。
  中内 英生

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October.09.2008「”寅さん”はどこから来たか?」

October.09.2008「”寅さん”はどこから来たか?」
今日の歌::アフリカや 遠く旅した 旧石器 いつの間にやら 日本人なり

 2008年10月 6日の副総裁先生のブログ「対称と非対称 (5)」に、哲学者の梅原猛氏と分子生物学者、福岡伸一氏の対談のことをお書きになっておられる。朝日新聞(6日)を取り寄せて読んでみたが、色々と興味あることが書かれていた。

福岡伸一さんの言葉
①日本人の心の中には鴨長明が「方丈記」で生命は流れている泡沫のようなものだと書いたように、肯定的な無常観や生命観、自然観が根ざしているように思う。
*肯定的な無常観という言葉を初めて知った。

②人間の細胞というのは、入れ替わって、流れて、うつろっている訳であるが、それは次の瞬間、ミミズの一部になるかも知れないし、それが廻り廻って別の生命の一部になって地球全体で循環と共生を繰り返している。
*これは、分子生物学の基本的な考え方を示していると思われる。また福岡さんの著書に『生物と無生物とのあいだ』という本がある。内容は面白いです。(生長の家では存在の奥に、理念を認めるので、若干考え方が違うのではないかと思われる。分子生物学的考え方だけだと、人生が虚無的思考に陥りやすくなるのではなかろうかとも危惧される)
 ローソクの炎は存在するのではなく、ガス体が燃焼する時の温度がある一定の高温になったときに、それを外部から”存在する”と見えているのに過ぎない。また、川はそこにあるのではなく、水の流れがある間だけ、存在するように見えるだけである。肉体は,食べたものが体内で至る所に拡散し、長い間、流れてそして排出される。あたかも極めて緩やかな川の流れの如きものである。栄養分の流れがあるだけで、肉体としてあるように見えるだけでその実体は何もないのである、という驚くべき論理の展開を拝読した記憶がある。それは、毎夜仏前で拝読する「久遠いのちのうた」を連想させるものである。しかも、「久遠いのちの歌」には「法身こそまさに我なり…」と、変化無常のさらにその奥の世界が示されているのである。

③最近の生物学で興味深い研究がある。男性だけが持っている染色体にY染色体があるが、これを分類して写本の系譜のように辿ると、人類の男がどういうふうに旅をして来たかが分かる。それによると、アフリカから出発した波が3回、日本に到達する。第一波は、旧石器、第二波は縄文、第三波は弥生時代である。日本列島は、ヨーロッパやアジアの抗争でいられなくなった人達が最終的に流れ着いた。日本は人類の坩堝のようなもので、日本人が単一民族であるという考えは笑止千万である。
*このことで思い出すのは、高校生時代、東洋大学在学中の兄から魚返(オガエリ)?教授の本を読ませてもらった。その本の中には、当時の血液学の権威者古畑教授の血液論が書かれていた。それは、「日本人の血液は世界で最も混血が進んでいる」と。
 また、男性のY染色体の移動の研究を、「サイエンス・ゼロ」で見たことがあるが、私はたいへん驚いた。人間同士は戦争をすべき間柄ではないと思った。また、万教帰一の御教えも、日本で生まれるべくして生まれてきたのではなかろうかとも思った。

梅原猛さんの言葉
①西洋と日本では時間の捉え方が違う。日本は循環である。日本文化の根底には、循環や放浪を「よし」とする流れがある。一遍とか西行とか芭蕉とか、映画の「寅さん」もそうである。

②日本人を奥まで辿っていくと、日本文化の中にはかつて人類に共通していた文化、思想的伝統があるのかも知れない。それが21世紀、22世紀に生かさねばならない。

③近代の西洋哲学は、人間だけが理性を持ち、自然を科学的法則で動くモノとして奴隷のように支配できる、という人間中心主義の考え方を持っている。これをひっくり返す原理を作り、自然中心の哲学へと転換しない限り、環境破壊という人類の危機的な運命を逃れられないと思う。そういう思想は西洋に学び、縄文の世界観を持つ日本のような国でないとできない。(*これに関しては、副総裁先生が既に自然中心の哲学を確立しておられるのではないでしょうか?私達は、この哲学を確実にかつ十二分に体得し、実践し、理論装備し、さらに他人にお伝えする使命を与えられていると考えられる)。

*ちょっと理論が多くなりましたが、如何でしょうか。世界に貢献する資質を持った日本人の将来像が思い浮かびそうではありませんか。そして、島根の皆様はもう一度、6日の副総裁先生のブログの御文章を拝読してみてください。より一層、理解を深めていただけると思います。
*ノーベル化学賞が、米ボストン大名誉教授、下村脩氏に授与されるそうです。おめでとうございます。詳しくは新聞でどうぞ。

  中内  英生

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October.08.2008「コーティング(一)」

October.08.2008「コーティング(一)」
今日の歌::木犀や どこもかしこも 香りあり

 以前に、本部の友人から「コーティング」に関する本を紹介されて読んだことがあるが、この度、競泳コーチの平井伯昌さんのことがNHK番組「プロフェッショナル」で放映され、興味を持った。コーチするということがどんなに難しく素晴らしいことであるかを教えている。金メダルは選手なしでは取れないが、コーチなしでも取れないようだ。平井さんは、オリンピック前には選手の強化に専念しているが、普段は子供の水泳もコーチしているという。
『才能だけで成り立つスポーツじゃない』『まじめな子しか残ってこない』『競泳とは同じ所を単純に行ったり来たりするスポーツだから』と、彼は言う。

 平井さんは、北島康介(25)選手や、アテネオリンピックの背泳ぎ銅メダリスト・中村礼子選手を育てた。または、上田春佳選手も育成している。平井さんの練習方法でまず驚いたのは、選手にゴムチューブをカラダに巻き付け、もう一人が陸上からチューブを懸命にたぐり寄せる。そうすると高速で泳ぐことができる。高速で泳ぐことを、選手のカラダに覚え込ませることが目的だという。これは素晴らしい練習方法だと思った。私達でも、難易度の高い仕事を能力のある先輩がどんどんこなしていくのを目の前で見ていると、いつの間にかそれが当たり前となり、自分でも出来るようになるということと同じような状況であろう。

 平井コーチは、「レースで勝つためには常に”攻め”の泳ぎを貫く」ことにしているという。映像は、中村礼子選手のスタートを撮していた。スタート・バーを横に持っていた。よく分からないのだが、横に持ってスタートすること自体が、守りの態度であると平井コーチは見て取った。スタート・バーを縦に持つことは難易度は高いが速くなるという。気持が守りに入ると、常に安全な方へ、安全な方へと行くので記録が伸びなくなるらしい。平井コーチはそれを指摘した。中村礼子選手は言う『平井先生は、すごく厳しいので鬼に近い。でも適切なアドバイスをしてくれる』と。

 北島選手のライバルには、アメリカのブレンダン・ハンセンがいた。当時、100㍍と200㍍の平泳ぎで北島選手を超えて世界記録を持っていた。脅威だった。
 ある時、北島選手の右肩が痛くなった。故障である。北島選手は『自分の最大の敵はいつも自らの故障である』としている。世界記録を生み出す無理な筋肉の使用が故障と痛みを引き起こしたとも言える。平井コーチは、入念にビデオで北島選手の調子の良いときのフォームと、痛みを感じて泳ぐフォームと調べた。結論は、「フォームを変えれば、痛みは消える」だった。しかも、常に「ワンポイント」で教えるという。複数を教えると、選手が混乱して集中できない。これが力を殺ぐ原因にもなるという。
 北島選手は言う。『平井コーチはどんなハプニングにもついて来てくれる。普通のコーチには出来ないことではないか」と。これは師弟の信頼関係である。そうあるべきだろう。
 コーチとは、選手のどんなトラブルにも対処する。そして常に選手の一歩先を歩んで、熱くなってはならない仕事のようだ。冷静に、常に冷静にである。

 ある時、平井コーチは、世界新を次々と生み出している水着を選手達に着用させた。北島選手は、そこで世界記録を出してしまった。平井コーチの予想を超えるものだったという。私もこのニュースには驚いたが、これで着用が自由になるように動きが傾いていった。
  北京オリンピックの前、平井コーチのチームは、一ヶ月のコーチ合宿のためアメリカへ旅立った。コーチはお粥とみそ汁の箱も持参していた。標高2000㍍を超える場所だった。アリゾナ州のフラッグスタッフである。空気の薄い高地でトレーニングすることで心肺機能を高める。そして持久力アップを図るためであるという。常に筋肉疲労を計算しながら泳ぎ込むという科学的な方法でもある。(続く)

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年10月 7日のブログは、「上を向いて歩こう」です。米国発の金融危機に端を発した混乱が世界を飲み込もうとしていることを、「心で作る世界」であるとお教えいただいています。また、脱化石燃料の経済や、朝日新聞(2008/10/6)第一面にも掲載されている、タワー式太陽熱発電所などにも触れておられます。最後に、次のようにお教え下さっております。

 「つまり、産業の新旧交替がこれによって加速化し、長期的には、社会の需要に正しく応えられる企業や産業が栄え、経済はやがて上昇していくに違いない。少しつらい時期があっても結局、上を向いて歩き続きける者が勝利するのである。」

 島根の皆様,上を向いて頑張りましょう。
*ノーベル賞に、南部陽一郎氏、小林誠氏、益川敏英氏が選ばれました。おめでとうございます。日本人としては6年ぶりですが、3人の授賞は初めてであるようです。
*今日は、昨日の出雲の半分を歩かせていただいた。竹下繁蔵さんの所にもお寄りした。偶然に前相愛会連合会長の大坪さんが来ておられた。竹下さんは、90歳を超えて、副総裁先生のブログを拝読するために、インターネットをご自宅に設置した方である。庭は、立派な松や植木が沢山あった。こんな家に生活していると長寿を保てるのであろう。勿論、精神面は一番大切ではあるが、積極性には驚くべきものがある。
 今日の訪問は30カ所を超えていたが、昼間であった関係上、留守の家が少しあった。
皆様は、総連会長さんを中心に喜びの中でご推進しておられる。何故かを総連会長さんにお聞きしたが、『いつも支部長さんや会員さんを喜ばし、楽しくさせるにはどうすればよいか、を考えて実践している」とのことであった。なるほど!である。

 中内 英生

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October.07.2008「絶滅危惧種」

October.07.2008「絶滅危惧種」
今日の歌::お茶が出て 煮染め出るのが 出雲流

 今日は、出雲の市内や山の中を主に感謝訪問に歩かせていただいた。「家の孫とあなたのお嬢さんとが小学校で同じクラスですよ」と言う家もあった。そこでは築地松という防風林を御主人に説明していただいた。どんな颱風の時も家を守ってくれたとのことである。100年以上も庭に植わっている松もあるが、年数の関係で幹が破壊されている部分もある。それを補強していた。もう役に立たなくなってもおそらく愛おしくて伐採することができないのではないかと思う。颱風は今年は上陸していないようだが、こんな時はどうなるのだろうか。後半に書いている沖縄の珊瑚でも白化現象を起こしたときは、颱風が一度も来なかったときだったそうだ。それは、颱風の力で深海の冷たい海水が夏場に浜の近くに押し寄せることができず、浅瀬の海水温が高くなったからだという。今年はその報道はなかったが、何か颱風が来ないことによる異変が起こる可能性はない訳ではないだろう。

 松は松食い虫などの害虫の関係や、松の木そのものが弱くなった関係かは分からないが、減少傾向にあるという。先日も、出雲市内で害虫駆除の薬の散布をしたところ、体調不良を訴えた人がいるという情報が伝わっていたので、そのようなことがあると駆除薬も散布を控えるようになるのであろう。
  害虫は絶滅して欲しいのだが、なかなか減少せずにさらに進化して強くなる傾向にあるのでなかかろうか。

 読売新聞WEB版(2008/10/6)には、「絶滅危惧種、哺乳類の4分の1」との記事があった。日経新聞でも報道されていた。沖縄のアオサンゴもその仲間に入るという。各国政府や環境保護団体などで構成する国際自然保護連合(IUCN)が作成した最新の「絶滅のおそれのある生物リスト」が10月6日に、スペイン・バルセロナで開催中のIUCN総会で発表されたとある。

 今回改めて調査した哺乳類は、地球上で知られる約4分の1が絶滅のおそれがあり、動植物全体では調査した4万4838種のうち1万6928種が絶滅危惧種とされたという。地球温暖化や森林伐採の関係が多いと考えられる。ナキウサギなども低い山に住んでいるウサギは生活地を奪われていなくなることも予測されている。

 IUCNは野生生物の絶滅の危機レベルを定期的に調査しているが、哺乳類の調査は1996年以来12年ぶりで、海洋哺乳類の調査は初めてであるらしい。

 リストには、日本の動植物309種が掲載されたという。新たにリスト入りしたものの中には、沖縄県名護市の大浦湾や石垣島で大群落が確認されているアオサンゴがあるが、大浦湾のアオサンゴは昨年、米軍普天間飛行場の代替施設予定地からわずか約4㎞の地点で約1000平方メートルに及ぶ大群落が発見されたばかりだったそうだ。

 哺乳類全体では1500年以降に世界で確認された5487種を対象に調査した結果、少なくとも76種が絶滅、1141種を絶滅危惧種として掲載していると報じている。
悲しいことである。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
10月 6日のブルグは「対称と非対称 (5)」です。朝日新聞(10/6)に掲載されている哲学者・梅原猛氏と分子生物学者・福岡伸一氏の対談についてお書きになっておられます。福岡伸一氏著『生物と無生物との間』という本をご紹介されたので読んだ記憶がある。
梅原猛氏は有名な哲学者です。また、「自然中心主義」は地球上のさまざまな民族や地域にあるとのことであります。

マテ=ブランコの「二重論理構造」や中沢新一氏の「対称性論理」の話もあります。最後に、島根の皆様によく熟読していただきたいお言葉がある。次のような内容である。
「罪」と「罰」は宗教上の概念でもあり、神を信じる人々は、昔から自分たちの不幸の原因を創造主である「神」に帰することはなく、自分たちに原因があると考えたが、自分たちに罪があるから、その結果として神が罰を自分たちに下されるという考え方は、『創世記』の“禁断の木の実”の昔から現代にいたるまで続いているとしておられます。
しかし、それは「真理」というよりは、対称性論理で動く我々の潜在意識の創作なのである、とお教え頂いております。このことは実に重要である。罪が実在ではないということは、人類を罪と悪業の輪廻から解放するからである。聖経『甘露の法雨』には、「神はすべてなるが故に 神は罪を作らざるが故に 神のほかに作り主なきが故に 此の世界に犯されたる罪もなく 報いらるべき罪もなきことを教えよ。三界の諸霊 三界の諸生命 この真理を観じ、この真理をさとりて、一切苦患の源となるべき 顛倒妄想を催破すれば、天界の諸神ことごとく真理の合唱を雨ふらし 現世の生命ことごとく光りを仰ぎ、惑障ことごとく消滅し、此世はこの儘にて光明世界を示現せん。」と示されている。「対象と非対称」の一連の御文章は、心理学の新しい視点から、御教えの「罪本来無」の真理をご教示くださっておられると拝察申しあげる次第であります。感動であります。

*感謝訪問から帰ったところ、今日訪問した家の方が教化部にお出でになられ、沢山の参加予定者の名簿を届けてくれたという。嬉しい限りである。感謝!

  中内 英生

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October.06.2008「インドの衝撃」

October.06.2008「インドの衝撃」
今日の歌::パソコンに 向かいて何を 書こうかな

 私達が日々、進歩しているように外国の方々も色々と進歩・発展しているようである。NHKで「インドの衝撃・貧困層を狙え」としてスペシャル番組を放映していた。企業が農村の貧困層をビジネスに変えたという。インドでは現在、11億人が住んでいる。その中で7億人が農村に住んでいる。ユニリーバという会社が25円の洗剤を農村用として開発した。農村は石鹸を日常的には使っていないという。燃料も牛の糞を乾かして燃料としている。自給自足の生活である。ユニリーバはこの石鹸を子供を使ってキャンペーンを張っていた。「農村はビジネスにならない」というジンクスとこの会社は破った。

 このことで思い出すことがある。昔、経済書で読んだ内容だが、ある靴メーカーの営業マンがアフリカへ行った。驚くことに誰も靴を履いていない。彼は本社に電話した。「アフリカは靴は売れません。靴を履く習慣がないのですから」と。別の靴メーカーの営業マンがアフリカに来た。そして本社に電話した。「これからどれほど靴が売れるか分かりません。恐らくすごく売れるでしょう。何故なら誰も靴を履いていないのですから」と。その会社は売り上げを多いに増加させたという。

 インドの女性は、18歳までにほとんど結婚するという。その理由で学校への行かせないとのことである。彼女たちには畑の仕事があるからである。ユニリーバはその農村の女性たちに徹底的なセールスの研修をした。教育の機会を失っていた彼女たちは、研修で「お金を儲けることの意義を教えられる」。そして、彼女らは初めてお金を手にすることが出来るようになった。「ビジネスをしたい。お金を稼いで家族を助けたい」。この二つの思いがある女性は誰にでも出来るとしている。そして、知り合いの農家に安い洗剤を売り、それが巨大市場となっているらしい。

 日本の日清ラーメンも「インド日清」を作り10円のラーメンを売っているというが、なかなか定着しない。インドの人々は最初食べたインスタントラーメンの味を好む習慣があるらしい。また、総合商社ITCが経営する農村に現れたショッピングモールが年間、5000億円の売り上げをしているらしい。

 普通、農家は公設市場に農作物を売り、ITCもそこから穀物を購入していた。そこでは買いたたかれる。ITCも5%の手数料を取られる。そこで、インド7000カ所に公設市場があるが、6400の農家にインターネットを引き、衛星放送を使用し、さらに太陽光電池パネルを設置して、直接農家から農作物を買うようになった。農家も利益が上がり、ITCも安く購入できる仕組みが出来た。毎日の各公設市場の相場価格と、それぞれの地域の価格がインターネットで分かる仕組みである。農家は穀物をITCのショッピングモール持っていき、買ってもらう。その伝票を隣り合わせのショッピングモール内の代金引換所でお金をもらい、目の前に広がる商品を購入して、家に帰るという仕組みになっている。 

 初めてカラーテレビを購入した家庭が撮されていたが、「長持ちしますように、故障しませんように」と、祈りを捧げていた。日本と大分違うようですね。ショッピングモール内でのブランドはITCブランドがほとんどである。インドの農村の消費パワーに火がつくと、中国を超えるかも知れない。当然それは二酸化炭素排出問題を惹起するのであろう。世界には、40億人の貧困層がいるという。ITCは成功の仕組みを世界に向けて発信しようとしているようだ。自給自足の生活、伝統的な生き方が企業によって変わり始めたとしている。7年後には、40兆円を超えるビジネスになると予想していた。あくまで予測ではある。

*今日は、白鳩会と栄える会の会議があった。皆様、講習会のご推進にがんばって下さっております。有り難うございます。講習会までもう少しです。

  中内 英生

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October.05.2008「高温化」

October.05.2008「高温化」
今日の歌::凛とした 山の大気よ 冬の朝(出雲は平地なのですが、かなり寒いようです)

 今日は、地方講師の受験勉強会が開催された。質問があった。「七つの燈台の点灯者の神示とあるが、燈台が七つあるのですか?」と。「燈台とは人生の燈台であり、宗教をあらわし、七つとは完成であることを意味している」、等と色々と説明させていただいた。質問を受けることはとてもありがたく、それによって、もう一度聖典を調べ直す機会が与えられる。
この神示を拝読していて、重大なことに気がついた。
「われ嘗て神の祭壇の前に供え物を捧ぐるとき先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である」との聖句である。「われかつて」とは何を意味しているのだろうか?」生長の家に於いて顕れられた神様は、二千年前にキリストに於いて顕れたという意味であろうか。聖書に「神の祭壇の前に供え物を捧げる時、まず汝の兄弟と和睦して後に供えよ」という意味の聖句があるようである。それを受けての、「われかつて」なのかも知れない。

 誠に幸運にも私達は生長の家の運動をさせていただいているが、これらの聖句から類推すると、宇宙創造の神様は、人類にキリストを使わし給い、その他、偉大なる教祖を使わし給うたということであろうか。そして、現代に於いては谷口雅春先生をお使わしになり、総裁先生、副総裁先生となって、宇宙の真理を説かれる。その壮大なる歴史の流れの中で、私達が菩薩として、活動させていただいているということは、何という光栄なことでありましょうか。

 その他の質問は、「聖使命菩薩とは何ですか。観世音菩薩も聖使命菩薩と同じ菩薩ですか?」。「生命の法則と、生命顕現の法則と、生命創化の法則の違いを教えて欲しい」。なかなか良い質問が多かったと思う。

 作家の倉本聡さんが、日経新聞(2008/10/6朝刊)に、「環境への危機感が足りない」温暖化ではなく、高温化であると訴えていた。かれは、富良野でゴルフ場の跡地を利用して自然塾を開いているが、子供たちを始め、多くの人たちに木を植え、森を守り育てる大切さを実感してもらいたいからだという。このような事業もなかなかよいものである。倉本さんはこれを「ハチドリの一滴」といっておられるそうだ。この話は、南米で山火事があり、動物たちは避難した。しかし、あの小さなハチドリだけは水のあるところに行って、嘴に水を含んでは、上空から火事の現場にその水を落としていたという話である。それを他の動物からは笑われたのだが、そのように、先ず一人から始めなければならないという教えでもある。谷口雅春先生はお悟りを開かれ、谷口輝子先生とともに、御教えをお伝え下さいました。そして、現在の私達が御教えにより幸福となることができていることを考えると、「思いが本物」であるならば必ずそれは実現するということでありましょう。
感謝あるのみであります
 中内 英生

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October.04.2008「光の科学者」

October.04.2008「光の科学者」
今日の歌::シンシンと 何の音やら 虫の声

 光ファイバーの研究者である科学者小池康博さんという方をNHK「プロフェッショナル」は紹介していた。個人的に言えばこの番組で紹介されない限り、知ることはなかっただろう。有り難いことである。54歳の若さである。ほとんど国から2億円という膨大な予算をもらっているという。光を自在に操る技術を開発しているらしい。しかもガラスではなく不可能といわれていたプラスチックの光ファイバー技術を実用化させたとのことだ。説明を聞いているうちに、私にも何となくすごいことが分かってきた。

 今までの主流はガラス製である。ガラスなので曲げることが出来ない。だから屋外使用が主流であった。屋内に入れるときは、屋内の銅線でデータを送らなければならなかったという。当然にスピードは遅くなる。それが、プラスチックなので屋内でも使えることになる。2時間の映画が数秒でダウンロードできるらしい。それは世界初となる発明となるそうだ。ノーベル賞級だとしている。

 しかし、小池氏は独占的に一企業と組むのではなく、複数の企業と組み、技術をおしげもなく公開する。技術とは子供であり、育てなければならない存在だからだという。彼は、小休止するときには、慶應義塾大学のカフェに行くそうだ。そこでピアノを弾くために。即興でメロディーを弾いて見せた。すでに200曲ほどの曲を作っているが、論文数はそれ以下なのだそうだ。

 彼の発想は、「心のままに発想する」ことだそうだ。机に向かっているときには良いアイディアがでない。学会や国際会議の後、飛行機に乗ったときに新しいアイディアがでてくるという。ホストの茂木健一郎氏によると、脳はそんなものだという。すなはち、目の前にしなくてはならない仕事がない時間にアイディアがでるという。集中の後のリラックスの時間に脳は発想するらしい。それから考えると、会議で議題を審議しているときよりも、その後のコーヒー・ブレイクの時に良いアイディアが出る可能性がある。すなはち、休憩は必要なのだろう。
 先日、ディスプレーの大型化に挑んだ。大型化すると青が抜けるのが今までの常識だった。しかし、小池氏は青色がそのまま出色できるようにして、世界の科学者を驚かせたという。

 弟子の一人が研究に励んでいた。新しいプラスチックをコンピュータ上でその性質を確認できるという研究である。それならば、試作する前に、性質が分かってしまう画期的なものだという。しかし、研究室の後輩達に示す流儀があるらしい。それは、「常に根本を突き詰めろ」ということ、「まずは基本に帰って考える」ということのようである。

 「なぜここまで続けることができたのか?」の質問に対して、「好きだから研究をやっている。楽しいからやっている」との返事が返ってきた。小池氏は研究していると意識せずに笑顔になっているようだ。やはり、何事も好きであることが成功の基礎なのだろう。これは成功した人の共通点である。
 
 専門的な話が沢山でてきたが、レーザー光線は、プラスチックファイバーの中で曲がる。また、多重散乱するという。それを出口で束にまとめる技術がいるのだそうだ。???
 小池氏は一年に一回、故郷宝塚の神社を訪ねている。子供の頃、近所に手塚治氏が住んでいてその影響力は強かった。小池氏は幼稚園の頃より科学者を目指したらしい。彼は言う。「科学者よりも自分が鉄腕アトムになりたかったのかも知れない」と。

 21歳の時、光ファイバーと出会う。そこから実験を続けて、どん底の世界をくぐってきた。その頃、ガラス製光ファイバーが成功した。彼のプラスチック製は頓挫する。その頃、プラスチック製光ファイバーの研究を止めてアメリカでレンズの研究をしに来ないかという誘いが来た。心は揺れた。彼は「潮時かも知れない」と諦めようとした。渡米を承諾したあとで、渡米期日が近づく頃迷いが生じた。アインシュタイン博士の光に関する数式が彼の脳裏に閃いたからである。その数式に基づけば、プラスチック製光ファイバーの中で光はもっと遠くに届くかも知れない。小池氏はそう考え、渡米を中止した。もし、渡米していれば現在の彼は存在しないであろう。また、プラスチック製光ファイバーが成功はかなり遅くなったかも知れない。

 かれこれ14年間、研究を続けた。根本を突き詰めること、「光とは何か」との根本的研究まで遡ったという。彼は言う。「本当に孤独だった。誰も助けてくれない」。しかし、一週間のうち、土曜日の夜だけは自分を解放した。夜中にジャズのライブを聴きにいった。それ以外は研究に没頭した。小池氏はいう。「この研究が好きだったから、14年間続けることが出来た。だからこだわることが出来た。大変だったが不幸ではなかった」と。

 小池氏はプラスチックの新素材を開発し、大手がそれを製造するという方法をとっている。学生さんに教えながら仕事をさせていた。熱に耐える素材、強くて高速通信が出来る素材を必要としていた。小池氏は学生に言う。「成果を急がないことだ。遠回りでも基礎に戻ることだ。科学者の責任は重い。すべて解明し、ブラックボックスをなくして世の中に示すのが科学者の責務である」と。

 博士課程の学生に関してであるが、「若いっていいね。自分の若い頃を思い出していいね」と語っている。プロフェッショナルとは、誠実に一歩一歩、未来を作っていく人である。未来を予測するのではなく、未来を作っていく人がプロフェッショナルだと思う。
 島根の信徒の皆様、かなり共感するものがあるのではないでしょうか?

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年10月 3日のブログは「対称と非対称 (4)」です。今日のはご解説で少し理解できました。拝読してください。一昨日から『無意識の思考--心的世界の基底と臨床の空間』にチャレンジを開始したのは良かったのですが、相当の難文です。ご解説がないと理解できそうにありません。

 中内 英生

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October.04.2008「適応能力」

October.04.2008「適応能力」
今日の歌::適応は 時間かけたる いのち技

 ラクダ科の哺乳類でビクーニャというのがアンデスにいるそうだ。毛は高級品である。『ダーウィンが来た』ではその映像を映していた。集団ではオス一頭に対してメスが複数である。力の強いオスだけが子孫を残すことができるようだ。冗談だがビクーニャに生まれて来なくて良かったと思う。それに引き換え人間界では腕力の関係で結婚する訳ではないので、結婚の機会があれば、是非とも良縁を成就していただきたいものである。ビクーニャが棲むところは標高4000㍍の高地だ。高地の草は数㎜しか育たないという。その草を食べるのに都合の良い歯の構造になっている。そのように進化した訳である。

 説明によると、約5000万年前にラクダの先祖がいたが、それがフタコブラクダと、ヒトコブラクダに進化した。その一方、ラクダの先祖からグアナコに進化し、アンデスでビクーニャにさらに進化したという。高地なので生活しにくい筈であるが、ビクーニャの血液の中の赤血球は人間の3倍であり、空気の薄い所に見事に順応し進化した。もしかして、アンデスの人々も赤血球が吾々よりも多いのかも知れない。彼らは、日本人の遺伝子とかなり類似していると聞いたことがある。

 この動物は、喧嘩するときに何と、人間の子供みたいに唾を掛け合う。草を食べて胃液が満たした緑色の唾を胃から出して相手に吐きかけるのだ。まともに顔や鼻を直撃すると相手は参ってしまう。自然のなせるワザであるが、ビクーニャ達は糞は同じ場所、共同トイレのように思うが糞をする。そこに何と野生のジャガイモが発生するのである。このジャガイモは糞の上にしか育たないのだと云う。

 野生の世界では、お乳を必要とする子供が親を失った場合は死を意味する。しかし、この動物は不思議な生き物で、親を失った子供を自分の子としてお乳を呑ますのである。この映像を撮したのは世界で初めてであるという。家族の絆が強いということであろうか。思い出して頂きたいが、副総裁先生の新年のご挨拶で、「家族が共に輝く」ことを御強調しておられた。この御文章を拝読してから、私の考え方も大いに変わったように思う。自分が家庭にいるだけで家庭は安定し、家族は安心するのではないだろうかと考え、仕事が終われば出来るだけ早く、帰宅し家族と会話するようになった。要するに普通のお父さんになったのだろうか。それでよいと思う。この方が幸福感がある。今日はビクーニャに色々と教えられた。ビクーニャやグアナコはインターネットで撮した写真を確認してください。この文章に張り付けましたが、技術力が低い関係かうまくいきません。

*ご夫婦で生長の家を実践・伝道しておられるある白鳩さんが言っていましたが、『信仰の仲間と話しているといつまでも一緒にいたいと思う』と。会議が楽しい筈です。それくらい心の波長が合った同志と共に、真理をお伝えする人類光明化運動が出来るとは、何と素晴らしいことではないでしょうか?信仰の友は人生の宝です。伝道の喜びは、神様が、谷口先生が与えてくださいました。神様は、「吾は、汝の友となりて汝を助けむ」と言っておられるようです。

 中内 英生拝

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October.03.2008「神様、仏様、稲尾様」

October.03.2008「神様、仏様、稲尾様」
今日の歌::見果てぬ夢を 観るが如くに(副総裁先生のブログに掲載されている宇咲冬男博士の俳句に続けてみました)。

 NHK番組で、「稲尾和久選手」のことを「その時、歴史が動いた」で放映していた。残念ながら、稲尾選手が活躍しておられた頃は、現在もだが、私はほとんど野球には興味がなかった。小学時代は山と川で遊び呆け、中学時代は、卓球に専念し、高校時代は読書に専念していたのでほとんどテレビでその勇姿を見た記憶はないが…。しかし、イチローの奥さんが松江だし、松江の錦織さんが16強に入るし、松江を舞台として、「だんだん」が始まるしでなんだか島根はすごい底力を発揮してきているのではないだろうか。ただ事ではないと思う。家内に「神様、仏様、稲尾様」という言葉を話すと「大分、古い言葉ね」との返事が返ってきた。当然古い筈で、番組は古い歴史を扱っているのだから…。さて番組の内容だが…。

 西鉄のエースで、その奮闘ぶりを描いていた。昭和33年(1959年)10月21日には、西鉄ライオンズは日本シリーズで3連敗から、4連勝して日本一となった。稲尾投手が長嶋選手らに投げ勝ったのだった。あだ名は「サイチャン」と云われたという。眼の形がサイに似ているとか、どーんと構えた姿が草原のサイににているとか色々と解釈があるらしい。
 余談だが、『エコ大紀行』によると、クロサイは減少しているという。サイの角が漢方薬になったり、美術品になったりで密猟が横行しているからだとのことである。さらに余談だが、イボイノシシは、草を食べるのに、行儀良く前足を折ってイノシシ風に正座して食事をするそうだ。その行為はエネルギーの浪費を防ぐためであるという。しかし、それは人間からの解釈なのだろう。
 またしても余談だが、野焼きにしても、そのままだと良い草が生えないが、野焼きをすることによって灰が肥料となり、若い草を育てる。その草を野生動物が好んで食べるという環境保護の一環での野焼きもあるという。泥炭地を野焼きしてヤシの木を植えて、ものすごい二酸化炭素を大気中に放出するのとは大分違うようだ。話が飛んでしまったので元に戻る。

 稲尾選手は、21歳でエースとなる。1シーズン42勝でシーズン最多記録である。また、20連勝で1シーズン最勝記録もうち立てている。空前絶後であろうと解説している。
稲尾選手と野球との出会いは、小学6年生の時だった。別府市の星野組が第20回都市対抗野球大会で優勝した。別府は湧きに湧いた。そして、その影響もあってか、中学生となり野球を始めた。偶然、学校にあったキャッチャー用のミットを使用した。剣道の面を着けた。

 彼は漁師の息子だった。船の櫓を漕ぐことにより、足腰が自然に鍛えられていたという。また、神社で足腰を鍛えるために訓練したらしい。そして、高三の時に転機が訪れる。西鉄ライオンズが稲尾選手に眼をつけて、スカウトマンが家にやってきた。稲尾は大喜びだった。しかし、父親は猛反対だった。『球を投げて金を稼ぐ? お前は漁師になるんだ!』と。父親は七人兄弟の末っ子の稲尾には漁師を継がせようと思っていた。それでも稲尾は、父親に食い下がった。父親は最後に折れた。

 この話を聞いて、19歳の頃の自分を思いだした。19歳で上京し、生長の家の道場に入所しようとしたとき、父親は反対こそしなかったが、代わりに母親が心配して反対した記憶がある。そして、入所して1ヶ月後、父親から手紙が来た。『お前の選んだ道は正しい。お父さんはお前を尊敬している』と書かれていた。父親からの初めての信頼のメッセージだった。その時の感動を忘れてはいけないと常々思う。

 稲尾選手の父親は、「よし、三年間だけ待ってやる。結果がでなかったら漁師になれ」とのいうことになった。しかし、現実は厳しかった。選手と云うよりも、バッチングピッチャーだったという。「手動式練習機」と呼ばれた。来る日も来る日も、400球以上の球を投げさせられたという。しかし、これが良かったのではなかろうか。その後の、稲尾選手の活躍を知りたかったが、残念ながら録画はここで切れていた。再放送も録画していないようなので、尻切れトンボのようだがこれでご勘弁願いたい。もし、島根の信徒さんで全部録画しておられる方がいらっしゃったら、録画DVDをお貸しください。しかし私達もできれば、「神様、仏様、○○様」と云われるように無限力を発揮したいものである。

*中国の四川省の地震被害はその後、どうなったのだろうか。オリンピックで忘れ去られたように報道されなくなったが…。学校倒壊の被害は何故起こったのか?「NHKスペシャル」で放映していた。日本は震度6強で人的被害が出ないように建築物が規制されているが、中国はそこまでは規制していなかったようだ。耐震性不足を重視していない構造になっているという。その方がコストが安くなるからだ。また鉄筋が小さいなど色々と番組は報道していた。日本の場合は、中規模の地震が時々あるので耐震性に神経質になるが、中国はそのような地震はそれほど多くはないという。そのために、地震準備がおろそかになる可能性があるとしていた。さまざまな問題もありましょうが、一日も早い復興を願わずにはいられない。 

*今日は木曜休日であったが、白鳩会は正・副連合会長さん、事務局長さんが聖経読誦やら電話推進やらで出てきておられた。毎日のご推進、有り難うございます。また運営に万全を期するために、教化部会館も今日もですが、講習会まで開館する予定である。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年9月30日のブログは「札幌で見た虹」です。写実的な美しい御文章で書かれています。また、最後に文学博士宇咲冬男氏の俳句を掲載しておられます。副総裁先生はこの方の俳句集も読んでおられるのでしょうか?驚きました。

 中内  英生

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October.02.2008「客と共に京菓子を作る」

October.02.2008「客と共に京菓子を作る」
今日の歌::カーテンや 動くは風か 秋日和 

 京菓子の匠である山口富藏さん71歳が「プロフェッショナル」に出ていた。菓子は職人が作って売るものだと思っていたが、どうもそうではなく、お客さんの要望に応じて納得のいくように作るのが本当だとのことである。現在、問題化している残留農薬の問題でも、客が求めない内容であることには間違いはなかろう。

 京菓子は、どれも同じような形に作るのではなく、「羅漢像」のようにあえて不揃いに作るのだそうだ。しかし、注文する客はどんな人たちかと思っていたら、由緒ある会の茶会とか、有名なお寺の茶会とか、客としても最上客の人たちのようである。一個当たりの値段は言っていなかったが、内容を注文するくらいなので、それなりの値段なのだろう。それは要するに「古都の雅を演出する京菓子」を作って客に喜んでもらうことに尽きるようだ。山口さんは、華道の家元から言われた「一期一会」という言葉を大切にしているという。一見の客でも、得意先の客でも一期一会という意味では同じであるとしている。どちらも一所懸命に尽くすという精神である。

 父親が信用ある京菓子の職人であったようだ。山口さんは、「もっと合理的にやるべきだ」と考えていた。しかし、父親は違った。「自分でやったら、分かるさかいに…」と。ある時、その父親が亡くなられた。若くして山口さんは、後を継ぐことになる。自分ではうまくできているつもりなのに、客からは「お父さんと違ったな」と言われた。十年間、言われ続けたという。それでも客は、他の京菓子店へ注文を移動することはなかった。山口さんが京菓子作りが上手になるように、十年間待ってくれたのだ。有り難いことだと想う。それは、おそらく山口さんの人柄にもよると考えられる。

 「遊び心」が大切であるという。すべてではないと思うが、注文を受けて一つの京菓子を作るにも、様々な本や資料をあさり、客の心・思いが満足するように創作しつつ試作する。客に試作品を見せても、相手が満足しなければ再び工夫をするようだ。そういう意味で、「京菓子を客と共に作る」ということなのだろう。相手の好みを考えながら、相手が満足する菓子作りをするということだろうか。
 また人の心と心を繋いでこそ「京菓子」としている。この世界では、単に美味しいだけではいけないようだ。金沢に住んでいたころに、よくお抹茶をいただいた。そこでは、この和菓子はこういういわれであるとか、抹茶碗のいわれであるとか、お菓子の敷物の紙の説明であるとか、色々と毎回説明するのだった。そんなことより、美味しければよいと考えていたが、和菓子・抹茶碗・お抹茶・敷物の紙などを通じて会話が弾み心が通うことが、大切なのであろうと理解した。最近の京菓子で客が喜ぶ傾向は、「かわいい」ということなのだそうだ。若者の好みの傾向が、京菓子の世界にも及んでいると云うことになる。

 また、山口さんは竹箸を使っていた。竹の皮を残して作るのだそうだ。そうすると菓子がくっつかないとのことである。しかも、自分で作るという。生長の家ではマイ箸が一般的になってきたが、これからは「自作のマイ箸」というのが登場するかも知れない。その方がマイ箸に関しての会話が弾むだろう。それは、当然の事ながら、二酸化炭素削減につながる。考えすぎかも知れないが、市販のマイ箸を私も何本かもっているが、それを制作するのには少しは二酸化炭素が発生していると考えられるからである。生命学園や青少年練成会などでは製作可能かもしれない。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年9月29日の内容は、”環境と「環世界」 (2)”です。動物学者ユクスキュル氏の紹介した「環世界」のご説明から始まっております。ダニの「環世界」を書いておられます。動物の汗の成分である「酪酸」という言葉を初めて知りました。また、ダニは哺乳動物にありつくまで、18年間絶食して待つことが出来る能力をも身につけているとのことです。私達はダニではないが、生長の家にお誘いするのに、ダニに負けないようにしたい。『涅槃業解釈』には、「いっせんだい」という救われない人々があるという釈迦の言葉を退けて、谷口雅春先生は「そのような救われない人々は決していない」と断言しておられる。
 また、最終節で『甘露の法雨』(33頁~34頁)の一節をご紹介しておられます。

 中内 英生

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October..01.2008「地球の叫び」

October..01.2008「地球の叫び」
今日の歌::月初め 心新たに 予定組む

 NHK番組で「エコツアー」なるものを放映していた。キリマンジャロはアフリカの最高峰であるが、スタッフが登っていた。残念ながら、氷河の縮小については余り語られていなかったように思う。スタッフは旅行の喜びの方が先行しているようにも思えた。スワヒリ語で、キリマンジャロの「キリマ」は「山」、「ンジャロ」は「輝く」を意味するという。

  舞台はかわって、カザフスタンとウズベキスタンにまたがる塩湖を放映した。ここはアラル海だが、塩湖の砂漠の中に廃船がポツンと座っている。船の墓場である。アラル海へ流れ込む川の水を潅漑用に使用し、半世紀で湖が四分の一になった。潅漑は現在は禁止されている。元のアラル海にもどそうとの動きが出ているというが、まだ実現していない。

 また、ギリシャのウミガメの産卵が放映された。ここは25℃の海水温なので、ウミガメが産卵に来るのだという。しかし、観光開発でどうもウミガメさんにとっては安らかな場所ではないらしい。海辺は終日、大音量の音楽が鳴り響き、ウミガメの産卵という雰囲気ではない。浜辺に残されたイスに挟まれて死んだウミガメや、プラスチックを餌と間違えて飲み込んだカメや、釣り糸を飲み込んでしまったカメもいる。傷ついたカメの世話をしている女性は、「人間と生き物は共生できるか」という問題を問いかけていた。先日、ゴビウスで見たが、日本海にも沢山のゴミが捨てられているようだ。そのゴミを様々な海の生物が餌と間違えて飲み込み死んでいく。恐らく、ゴミは秘密裏に投下されているのだろう。残念なことである。

 「エコツアー」の番組では今の地球の状態が映し出されている。数日前には「だんだん」も始まった。島根県人にとっては興味はつきない。昨日は、出雲弁を少し教えていただいた。「あげな」「こげな」「そげな」という言葉があるという。「あんな、こんな、そんな」という意味のようだ。「有り難う」という意味で「多きに」という言葉を私も田舎では使っていたが、「だんだん」とは「だんだん多くなる」という意味で、感謝を表すのだという。生命多様性の考えからして、方言は大切である。私達島根県人は、大いに方言を使おうではありませんか。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年9月27日のブログは、”環境と「環世界」”です。生物学者であるエストニア出身のヤーコブ・フォン・ユクスキュル氏の「唯心所現」に近い考え方をご紹介しておられます。『生物から見た世界』という翻訳本が出ているそうですので確認してみたい。「環境」と「環世界」との違いについて論考しておられます。ちなみに「環世界」とは翻訳者である日高氏の造語であるとのことです。ユクスキュル氏は、人間以外の生物の感覚に肉薄して、生物の環世界を人間に理解できるように再構成しようとした稀有な学者であるとしておられます。面白そうです。島根の読者は『心でつくる世界』も合わせて再読されたい。
 中内 英生

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September.30.2008「奥出雲多根自然博物館」

September.30.2008「奥出雲多根自然博物館」
今日の歌::木の香り 蕎麦の花咲く 奥出雲

 今日は、雲南を推進感謝訪問に歩いた。その中で奥出雲の佐白(さじろ)の信徒さん宅を訪れた。静かな山間の家である。小屋には親子の牛がいた。その家の近くに、どうも「メガネの三木」のとんがり帽子のような建物を発見した。まさか、ほとんど人も歩いていないような田舎に大きなメガネ屋がある筈はないと思った。玄関には恐竜がいた。不思議に思い、地元の信徒さんにお尋ねすると、やはり「メガネの三木」が関係していることが分かった。

 この建物は、世界の化石と珍しい鉱物を一堂に展示しているという。宇宙の進化と生命の歴史をテーマにした博物館らしい。食事や宿泊もできるようだ。どうして、このような施設がこんな田舎にあるのかを調べてみた。

 佐白の人達は昔から地元の荒神さんを大切にしていた。「三寳荒神社」として、天照大神、豊受大神、須佐之男命が祀られている。当初ちょっとした祠があったそうだが、明治43年夏の台風で吹き飛んでしまった。その後も毎年、お祭りだけは欠かさずしていたが、この荒神さんには昔から、無断で手を掛けて木を切ったり、土手の草を刈ると祟りがあるという言い伝えがあり、人々は、一切手を出すことはなかったという。

 その荒れ果てた荒神さんを何とか元のようにしたいと願っていたのが、實治氏の三男である多根良尾であった。良尾は、19歳の時、東洋紡績に集団就職するため、佐白を後にして兵庫県姫路市へ旅立った。その際、この「三寳荒神」に願を掛け、それが少年の心のエネルギーになったという物語は「志學荒神社」の石碑に刻んであるという。そして私財を投じて、「志學荒神社」として再建したらしい。

 良尾氏は、もともと父親に似て手先が器用で、仕事の合間に従業員の持ってくる柱時計や目覚まし時計・腕時計、自転車の修理等を請け負っていた。瞬く間にその噂が広がり、仕事以上に忙しくなり、商売としてやっていけると確信した。 そして、1930年、姫路市に 正確堂時計店を創業し、1950年には名称に父實治の実家、「三城」の名前を付け、(株)三城時計店を設立し、1960年には本社を姫路市直養町に移転し、社名を (株)メガネの三城に改め、眼鏡専門店の小売店に移行し現在に至っているとしている。
 
 大神のご加護を一身に受け、世界を翔る「メガネの三城」を造りあげ、ほぼ成功を納めたと自ら実感した彼は、1985年(多根良尾81歳)、解願の篤志をもって復元建立の話をまとめ、上棟祭の斎行に及んだという。しかし、良尾氏は翌年、完成を見ずして亡くなられた。その後は、多根遺族会がこの事業を継承することになり、1986年、錦秋の中、竣工遷座祭を斎行した。                

 また、そして、佐白の地に昔のにぎわいを復活させたいと願った良尾の思いを汲み、
1987年、(財)奥出雲多根自然博物館 が建設された。この博物館は、多根良尾氏が、「誰もが子供のときに自分の特技を生かした希望と志を持ち、自立心を養い、その実現を誓って欲しい。全国から親子でこの志學荒神社にその志を立てに来てもらいたい」と願い、更に子供の夢を育てる「奥出雲多根自然博物館」の建設計画を立てたという。

 また氏は、賑わいのある美しい故郷になってほしいと、道筋に街灯を取り付け、周辺の山々に約700本の桜の植樹、子供の遊び場を備えた佐白公園の整備、そして生家跡には三階建ての「厚生寮」を建設し、「多根教育福祉基金」など青少年の健全育成に情熱を注いできたという。

 このようないきさつのようである。神社を参拝できなかったが、地元の方々に愛される神社であるようだ。多根良尾氏がこの地を出発するに、その父親の地元定着が鍵であったと考えられる。父親の實治(さねはる)氏の生い立ちを簡単に記する。

 實治氏は一年半ぐらいの放浪の旅をしたようである。どこを経由したかは記録も言い伝えもない。その旅の途中で天然痘の病にかかり、顔はあばたでブツブツであった。「ジャギ(邪鬼?)の三城さん」とも呼ばれた。広島県にある三城家から遠く中国山脈を越え、点々と歩き回ってたどり着いた所が島根県仁多郡奥出雲町三成であった。ご縁があったのが八幡宮の代宮家の陶山(スヤマ)という宮司の家であった。陶山家四代目の英雄氏の話によれば…、

「ある晩、風采のあがらない小柄な男がその代宮家に泊めて欲しいと言ったので、泊めてやることにした。翌日夜があけて立ち去ろうとしたが、余りにも彼のいでたちが汚れていたのを、陶山家初代峯之丞氏の妻トミノさんが思い余って、『もう一晩泊まりなさい。その間にあなたの着物を洗濯してあげましょう。』と引き止めた。」との事である。

 その着物というのは白の木綿で、ちょうど全国行脚の修行者の身なりをしていた。彼はトミノさんの申し出に素直に応じた。彼はもう一晩泊めてもらう事になったので、お礼に何か手伝いができないかと思った。そんな時、峯之丞氏がさかんに八幡宮の神札を一枚一枚筆で書いているのを見た。寛治は、鉄をハンマーで叩いて小刀をつくり、硬い木を刻んで神札のスタンプを作った。簡単に神札ができるようになった。それがもとで放浪生活に終止符が打たれ、陶山家で厄介になることになったという。
 
 また、實治氏は「易」をみるのが得意だったので、彼に人生相談するために遠くから人がよくやって来ていた。八幡宮や雨川の若宮神社(現在は大歳神社に合祀)がいつの間にか皆の人気の場となり、みるみる内にお供え物などで神社はうるおった。
 他にも、時計商と修理、方位見(家の見取り図を作り良し悪しを判断する)、命名、針灸、製茶、屏風作り、畳の張替え、木版や横笛も作っていた。書の達人、鼓の達人でもあったそうだ。何でも出来る器用さが、村では有名であった。しかしながら、器用すぎて一人一芸の金もうけにならず、決して裕福ではなかったという。

 これは徳積みだったのだろう。多根良尾氏の父親である寛治氏の行動は、『生命の実相』に書かれている西田天香さんの行動を思わせる。良尾氏の成功は父親の陰徳が影響しているのではなかろうか。『生命の実相』(頭注版)第5巻209頁~212頁を拝読いただきたい。無我の奉仕が息子に及び、「世界のメガネの三木」を作ったとも考えられる。そして、恐らく産土の神様であろう荒神様を大切にすることが、この事業の強力なバックボーンになっているのではなかろうかとも考えられる。谷口雅春先生が、産土の神様には月に一度は参拝するようにとご教示されているが、「そうだったのか」との思いである。
この地は、松本清張の「砂の器」の舞台となった所で暗いイメージがあるように思えたが、全然そんなことはなく、感謝報恩の物語の大舞台であった。

*H、N

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