October.03.2008「神様、仏様、稲尾様」
October.03.2008「神様、仏様、稲尾様」
今日の歌::見果てぬ夢を 観るが如くに(副総裁先生のブログに掲載されている宇咲冬男博士の俳句に続けてみました)。
NHK番組で、「稲尾和久選手」のことを「その時、歴史が動いた」で放映していた。残念ながら、稲尾選手が活躍しておられた頃は、現在もだが、私はほとんど野球には興味がなかった。小学時代は山と川で遊び呆け、中学時代は、卓球に専念し、高校時代は読書に専念していたのでほとんどテレビでその勇姿を見た記憶はないが…。しかし、イチローの奥さんが松江だし、松江の錦織さんが16強に入るし、松江を舞台として、「だんだん」が始まるしでなんだか島根はすごい底力を発揮してきているのではないだろうか。ただ事ではないと思う。家内に「神様、仏様、稲尾様」という言葉を話すと「大分、古い言葉ね」との返事が返ってきた。当然古い筈で、番組は古い歴史を扱っているのだから…。さて番組の内容だが…。
西鉄のエースで、その奮闘ぶりを描いていた。昭和33年(1959年)10月21日には、西鉄ライオンズは日本シリーズで3連敗から、4連勝して日本一となった。稲尾投手が長嶋選手らに投げ勝ったのだった。あだ名は「サイチャン」と云われたという。眼の形がサイに似ているとか、どーんと構えた姿が草原のサイににているとか色々と解釈があるらしい。
余談だが、『エコ大紀行』によると、クロサイは減少しているという。サイの角が漢方薬になったり、美術品になったりで密猟が横行しているからだとのことである。さらに余談だが、イボイノシシは、草を食べるのに、行儀良く前足を折ってイノシシ風に正座して食事をするそうだ。その行為はエネルギーの浪費を防ぐためであるという。しかし、それは人間からの解釈なのだろう。
またしても余談だが、野焼きにしても、そのままだと良い草が生えないが、野焼きをすることによって灰が肥料となり、若い草を育てる。その草を野生動物が好んで食べるという環境保護の一環での野焼きもあるという。泥炭地を野焼きしてヤシの木を植えて、ものすごい二酸化炭素を大気中に放出するのとは大分違うようだ。話が飛んでしまったので元に戻る。
稲尾選手は、21歳でエースとなる。1シーズン42勝でシーズン最多記録である。また、20連勝で1シーズン最勝記録もうち立てている。空前絶後であろうと解説している。
稲尾選手と野球との出会いは、小学6年生の時だった。別府市の星野組が第20回都市対抗野球大会で優勝した。別府は湧きに湧いた。そして、その影響もあってか、中学生となり野球を始めた。偶然、学校にあったキャッチャー用のミットを使用した。剣道の面を着けた。
彼は漁師の息子だった。船の櫓を漕ぐことにより、足腰が自然に鍛えられていたという。また、神社で足腰を鍛えるために訓練したらしい。そして、高三の時に転機が訪れる。西鉄ライオンズが稲尾選手に眼をつけて、スカウトマンが家にやってきた。稲尾は大喜びだった。しかし、父親は猛反対だった。『球を投げて金を稼ぐ? お前は漁師になるんだ!』と。父親は七人兄弟の末っ子の稲尾には漁師を継がせようと思っていた。それでも稲尾は、父親に食い下がった。父親は最後に折れた。
この話を聞いて、19歳の頃の自分を思いだした。19歳で上京し、生長の家の道場に入所しようとしたとき、父親は反対こそしなかったが、代わりに母親が心配して反対した記憶がある。そして、入所して1ヶ月後、父親から手紙が来た。『お前の選んだ道は正しい。お父さんはお前を尊敬している』と書かれていた。父親からの初めての信頼のメッセージだった。その時の感動を忘れてはいけないと常々思う。
稲尾選手の父親は、「よし、三年間だけ待ってやる。結果がでなかったら漁師になれ」とのいうことになった。しかし、現実は厳しかった。選手と云うよりも、バッチングピッチャーだったという。「手動式練習機」と呼ばれた。来る日も来る日も、400球以上の球を投げさせられたという。しかし、これが良かったのではなかろうか。その後の、稲尾選手の活躍を知りたかったが、残念ながら録画はここで切れていた。再放送も録画していないようなので、尻切れトンボのようだがこれでご勘弁願いたい。もし、島根の信徒さんで全部録画しておられる方がいらっしゃったら、録画DVDをお貸しください。しかし私達もできれば、「神様、仏様、○○様」と云われるように無限力を発揮したいものである。
*中国の四川省の地震被害はその後、どうなったのだろうか。オリンピックで忘れ去られたように報道されなくなったが…。学校倒壊の被害は何故起こったのか?「NHKスペシャル」で放映していた。日本は震度6強で人的被害が出ないように建築物が規制されているが、中国はそこまでは規制していなかったようだ。耐震性不足を重視していない構造になっているという。その方がコストが安くなるからだ。また鉄筋が小さいなど色々と番組は報道していた。日本の場合は、中規模の地震が時々あるので耐震性に神経質になるが、中国はそのような地震はそれほど多くはないという。そのために、地震準備がおろそかになる可能性があるとしていた。さまざまな問題もありましょうが、一日も早い復興を願わずにはいられない。
*今日は木曜休日であったが、白鳩会は正・副連合会長さん、事務局長さんが聖経読誦やら電話推進やらで出てきておられた。毎日のご推進、有り難うございます。また運営に万全を期するために、教化部会館も今日もですが、講習会まで開館する予定である。
【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年9月30日のブログは「札幌で見た虹」です。写実的な美しい御文章で書かれています。また、最後に文学博士宇咲冬男氏の俳句を掲載しておられます。副総裁先生はこの方の俳句集も読んでおられるのでしょうか?驚きました。
中内 英生
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