November.30.2008「リバプール」
November.30.2008「リバプール」
今日の歌::炬燵でも 以外と寒い 部屋の中
イギリスのリバプールと言えば、ビートルズだそうである。伝説の港町といわれている。『探検ロマン世界遺産』(2008/10/04)で、紹介していた。英会話教室でリバプール出身の女性インストラクターが、「一番有名な日本人は誰か?」という質問を生徒にしていた。「先生はどう思いますか?」と聞くと、『イギリスでは小野ヨーコ』と言っていたことを記憶している。ここはビートルズの始まったところで、ジョン・レノンの育った家などを映していた。マシュー・ストリートからビートルズの演奏は始まったという。残念ながら私はビートルズには興味がなかったので、彼らが日本に来たときなどの記憶は余りない。友人で、ビートルズの髪型を真似ている人もいた。この港町をエリック・リンチさんという黒人の方が案内していた。先祖は、アフリカから連れてこられた奴隷だという。彼はそのことを隠さなかった。
このリバプールは、かつては奴隷売買の港だったという。奴隷は商品で、子供も赤ん坊も取引商品だったという。男性よりも女性の方が子供を産むので高値がついたらしい。奴隷貿易によってイギリスは巨額の冨を得たとしている。奴隷貿易の仕組みが紹介されていた。まず、ヨーロッパ人が、銃や火薬をアフリカの国や部族に持ち込みお互いに戦わせる。そこで負けた方は捕虜となり、その捕虜を購入し、船でキューバや西インド諸島の植民地に運ぶ。植民地からは、砂糖などの産物と交換してヨーロッパに持ち帰る、というサイクルである。人間一人の値段が、当時一年間の収入分に相当していたとのことで、莫大な利益となった。しかも、人権は無視され、誇りは喪失され、言語さえも奪われ、残酷な姿となった。ヨーロッパ人は、正当な手段で購入したとして手を汚していない。しかし、余りにもむごい姿であったようだ。リバプールでは今でも当時、首に繋いでいた鉄の鎖で奴隷の石像を繋いでいる映像が映されていた。
15世紀末から300年の間に、ヨーロッパの国々が運んだ黒人奴隷は少なくとも1000万人という。リバプールは、18世紀以降、奴隷売買の中心地となった。
ペニー・レインという通りがあった。ビートルズもペニー・レインの歌を作って歌っている。しかし、ペニーは、ジェームス・ペインという奴隷商人の名前から来ている。そのことを知る人は現在はいないとしている。1833年、奴隷制度が廃止された。しかし、まだ差別はあるとNHKは訴えていた。
アフリカで生活していて、突然に襲われ、家族はバラバラになり、都合で子供は殺されたりすることもあったそうだ。船で輸送中、病気になれば生きたまま海に捨てられた。過酷な扱いを受けて死ぬまで働かせるということが170年前まではあったという。現代でも、レアメタルなど地下資源などを廻って、それに似た構図がまだ残存しているこもあるかも知れない。
かつて、『ルーツ』という有名な映画があった。奴隷となったキンタ・クンテの物語が表現されていたことを思い出す。日時計主義のブログで、こんな暗いことを書いて申し訳ないが、何故、書くかというと、このような世界歴史の中で、先祖が奴隷ではないとはいえ、黒人である「オバマ氏」の出現は、驚くべき世界歴史の転換期を表しているのだろうと思われるからである。また、イスラームの教えにおいて、アッラーの元に、白人も黒人も誰でも平等であるという信仰が、このような世界歴史があればなおさらのこと、さらにイスラーム人口が増加するのではないかと予測されるからである。
イスラームの教えは、極めて理論的であるようだ。今日は、地方講師受験勉強会を行ったが、生長の家がイスラームを学ぶに従って、イスラームの教義と求道と実践力の影響を受けて、教義に強い実践型地方講師が多数輩出されるようになり、活力溢れる島根教区の運動が展開されるのではないかと期待できるからである。
今月も誠に有り難うございました。信徒の皆様に心から感謝申し上げます。
*絵は温かい上履きです。
中内 英生
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