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2008年11月

November.30.2008「リバプール」

Photo November.30.2008「リバプール」
今日の歌::炬燵でも 以外と寒い 部屋の中

 イギリスのリバプールと言えば、ビートルズだそうである。伝説の港町といわれている。『探検ロマン世界遺産』(2008/10/04)で、紹介していた。英会話教室でリバプール出身の女性インストラクターが、「一番有名な日本人は誰か?」という質問を生徒にしていた。「先生はどう思いますか?」と聞くと、『イギリスでは小野ヨーコ』と言っていたことを記憶している。ここはビートルズの始まったところで、ジョン・レノンの育った家などを映していた。マシュー・ストリートからビートルズの演奏は始まったという。残念ながら私はビートルズには興味がなかったので、彼らが日本に来たときなどの記憶は余りない。友人で、ビートルズの髪型を真似ている人もいた。この港町をエリック・リンチさんという黒人の方が案内していた。先祖は、アフリカから連れてこられた奴隷だという。彼はそのことを隠さなかった。

 このリバプールは、かつては奴隷売買の港だったという。奴隷は商品で、子供も赤ん坊も取引商品だったという。男性よりも女性の方が子供を産むので高値がついたらしい。奴隷貿易によってイギリスは巨額の冨を得たとしている。奴隷貿易の仕組みが紹介されていた。まず、ヨーロッパ人が、銃や火薬をアフリカの国や部族に持ち込みお互いに戦わせる。そこで負けた方は捕虜となり、その捕虜を購入し、船でキューバや西インド諸島の植民地に運ぶ。植民地からは、砂糖などの産物と交換してヨーロッパに持ち帰る、というサイクルである。人間一人の値段が、当時一年間の収入分に相当していたとのことで、莫大な利益となった。しかも、人権は無視され、誇りは喪失され、言語さえも奪われ、残酷な姿となった。ヨーロッパ人は、正当な手段で購入したとして手を汚していない。しかし、余りにもむごい姿であったようだ。リバプールでは今でも当時、首に繋いでいた鉄の鎖で奴隷の石像を繋いでいる映像が映されていた。

 15世紀末から300年の間に、ヨーロッパの国々が運んだ黒人奴隷は少なくとも1000万人という。リバプールは、18世紀以降、奴隷売買の中心地となった。
 ペニー・レインという通りがあった。ビートルズもペニー・レインの歌を作って歌っている。しかし、ペニーは、ジェームス・ペインという奴隷商人の名前から来ている。そのことを知る人は現在はいないとしている。1833年、奴隷制度が廃止された。しかし、まだ差別はあるとNHKは訴えていた。
 アフリカで生活していて、突然に襲われ、家族はバラバラになり、都合で子供は殺されたりすることもあったそうだ。船で輸送中、病気になれば生きたまま海に捨てられた。過酷な扱いを受けて死ぬまで働かせるということが170年前まではあったという。現代でも、レアメタルなど地下資源などを廻って、それに似た構図がまだ残存しているこもあるかも知れない。

 かつて、『ルーツ』という有名な映画があった。奴隷となったキンタ・クンテの物語が表現されていたことを思い出す。日時計主義のブログで、こんな暗いことを書いて申し訳ないが、何故、書くかというと、このような世界歴史の中で、先祖が奴隷ではないとはいえ、黒人である「オバマ氏」の出現は、驚くべき世界歴史の転換期を表しているのだろうと思われるからである。また、イスラームの教えにおいて、アッラーの元に、白人も黒人も誰でも平等であるという信仰が、このような世界歴史があればなおさらのこと、さらにイスラーム人口が増加するのではないかと予測されるからである。

 イスラームの教えは、極めて理論的であるようだ。今日は、地方講師受験勉強会を行ったが、生長の家がイスラームを学ぶに従って、イスラームの教義と求道と実践力の影響を受けて、教義に強い実践型地方講師が多数輩出されるようになり、活力溢れる島根教区の運動が展開されるのではないかと期待できるからである。

 今月も誠に有り難うございました。信徒の皆様に心から感謝申し上げます。

*絵は温かい上履きです。

 中内 英生

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November.28.2008「”実相界と現象界とのつながり”を拝読して」

Photo_3 November.28.2008「”実相界と現象界とのつながり”を拝読して」
今日の歌::カイツブリ 消えて現わる  水の精

 機関誌(平成20年12月号)の質疑応答集には、実相と現象とについてご教示されている。熟読を要する6頁である。島根の信徒の皆様はこの御文章の内容をしっかりと自分のものとされたい。今日は御文章から「実相と現象」を学びましょう。

【実相及び実相世界】
①神の創造された完全な世界
②仏の浄土
③無限次元の世界が実相世界である。
④次元が増えていくと、その世界は、次元の少ない世界よりも自由度が高くなり、矛盾や衝突が減少する。
⑤実相世界は、誰も衝突することのない、共存共栄の世界である。(高速道路のジャンクションで道路が交差してぶつからない喩え)

【現象及び現象世界】
①実相が本当は在るのだが、それを感じようとする時に、私たちは、こちらの現象というものを頭の中でつくっている。目で見えるものだけを見て、耳で聞こえるものだけを聞いて、鼻で匂うものだけを嗅いで、頭の中で作り上げた世界である。
②現象のことを、普通の言葉では「現実」と呼ぶ。
③感じた通りに存在しているようであっても、真実の意味において存在するのは実相だけであり、「現象」とは、それに対する脳の中の一種の”反応”みたいなものである。
④実相のほかに現象という”別物”があるのではなくて、脳の中では、実相を現象として把握されるのである。
⑤頭蓋骨の中の空間で、現象や現実が作られるのである。つまり、心によって現象(現実)が作られる
⑥我々が生きている世界、普段から知っている世界(現象世界)は、縦と横と厚みをもった三次元の空間が、時間というもう一つの次元を通して移り変わっていく世界である。
⑦現実(現に事実としてあると考えている)は、脳の中でつくられた世界であり、本当に在るのではない。

【真象とは何か?】
①現象(現実)の中にも、実相にあるものが間接的に映し出されることがある。
②現象世界にあっても、実相世界の素晴らしさが何となく分かるような、実相ではないけれども、実相の影みたいなものがある。それを生長の家では、「真象」という。「真実のものが映し出された現象」という意味である。
③人々が幸せに過ごしている姿、幸福な家族が団欒で食事をとっている光景、結婚したての夫婦が仲良く歩いているなどの姿である。
④真象は、天国や実相世界そのものではない。実相世界にあるものが影のように投影されて見える現象である。
⑤私たちの生きている世界の中で、感動を与えてくれるものは、皆、真象である。
⑥「真象を認める」という心を養うことが大切である。現在は、この運動をしている。

【真象を認める修行とは何か?】
①苦行や修行のような、宗教的に特殊なことをしなければならないわけではない。
②日常生活の中でもっと日時計主義を生きればよい。
③特殊なことを必要としない。ものの見方を変える。
④人生の積極的な面に注意を向ける。
⑤物事を得ようと思わずに、与えてみようと思う。
⑥人生には、このままでも色々な善いもの、素晴らしいものが至る所に転がっているのが見えてくるし、感じられる。
⑦現在の生長の家の運動は、「真象を認める」活動を日常の中で展開していく運動である。
⑧地域での誌友会を活性化して、その中で日時計主義を実践する。
⑨神想観や先祖供養などの宗教行によって、「人間・神の子」の意識に目覚めることが重要であるが、同時に意識改革の具体的な実践をともなう必要がある。(具体的な実践とは、日時計主義の生き方をすることである)。

【偽象とは何か?】
①本当でないニセモノ、真実が欠けて映っているもの、例えば、光に対する闇のようなものが偽象である。

【闇の存在とは何か?】
①会場の光が当たっている部分と当たっていない暗い部分がある。暗くなっている部分を闇という。しかし、闇というモノがあるわけではなく、光が当たっていなくて、暗くてよく見えない部分を闇と呼ぶだけだけである。闇があるのではなく、闇と呼ぶだけである。
②闇が黒く見えるように、実相世界の素晴らしさが何かに隠されて映っていない部分を偽象という。偽りの現象という意味である。
③偽象とは、具体的には、戦争のような人々の争い、病気、死のことをいう。

【死とは何か?】
①「人間は肉体だ」と考えていたら、肉体は死んでしまう。死んだ肉体はある時点から必ず腐っていく。すると死は在るように見えるが、光の欠如が黒々と見えるようなものであり、「人間の死」ではなく、肉体が一度なくなることである。

【肉体とは何か?】
①一種の宇宙服である。人生が一区切りすれば、用無しになった宇宙服を捨てて、別のものに着替えるまでの肉体のない状態が、死のように見えるというだけである。それ故に偽象である。

【繋がりと関係】
①実相と現象は空間的に存在する二つの別の世界のようには、考えない。
②手を黒板の近くに寄せると、影を映す。現時点で二つの手の影が黒板に映っている。会場に大きなライトがあるからである。実相世界と現象世界とは、実物の手と、黒板に映った手の影のような関係にある。喩えると実際の手が実相で、手の影が現象である。
③実相に喩えた実物の手は、色が付いているし、厚みがある、触ったら温かみがある。影よりも、沢山の要素や情報を含んでいるのが実際の手である。それに比べて、黒板に映った手の影は、確かに私の手の形を映しているので、影を見れば、その元である実際の手の形が何となく想像できる。
④繋がりというと物理的な連絡通路があるように聞こえるが、そうではない。
⑤「感動を与えてくれる真象が出てくる」ことを、「実相と現象とのつながり」と言えなくもない。
⑥結論を言うと、現象生活を送りながらも、心は実相世界に焦点を合わせて、偽象ではなく、真象を見て、それを表現する生き方をすれば、現実世界と実相世界のつながりが頻繁に経験できる。

 御文章を整理してみて、これは最新版の「般若心経講義」ではないだろうかと思った。また、谷口雅春先生が、詳密講習会や記念式典などで御教えの神髄をお説きいただいていた頃を思い出していた。あの頃の感動が、谷口雅宣先生の御文章を何度も拝読しているうちに甦ってきた。有り難うございます。

【日々、谷口雅宣先生のブログを拝読しよう】
  2008年11月28日のブログは、「27・28・29」です。11月27日が、先生の29回目の結婚記念日だったそうです。おめでとうございます。
 思いである横浜の光景を書いておられます。また、「赤い靴」のこともお書きになっておられます。叙情溢れる御文章であると感じました。

  私の場合はかなり晩生で、37歳で結婚しました。まだ小学生の子供がいるので、体力を必要とする夏の季節が長いなあという感じではあります。しかし、青少年練成会でのわが家の参加貢献度は普通のご家庭よりも少し高いのではないかと思っています。信仰的な島根教区に来させていただき、仕事にも家庭生活にも満足しております。

*今日は、五者会議が午前中にありました。急に寒くなりました。温泉が嬉しい季節になりました。絵は、「カイツブリ」です。

 中内 英生

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November.28.2008「法統継承の真義」

November.28.2008「法統継承の真義」
今日の歌::宍道湖や 今も変わらぬ 原風景

 今日は、青年会の学習会が夜間、松江道場であった。Y青年会員Photo が、「法統継承」について発表された。テキストは、『歴史から何を学ぶか』であった。法燈とは一つには真理(久遠を流るるいのち)そのものを意味する。また、法燈は、法燈継承(総裁の位置)をも意味する。二つの意味説明から発表は始まった。青年会には少し難しいかなと考えていたが、難なく説明していた。若き信仰者たちの真摯な求道の姿があった。

 「面授」の説明もあった。不立文字と言われる悟りを伝授するのに、生長の家では面授の形を通して法燈が継承される。その荘厳なる姿を理解できたようだ。
  生長の家の継承の仕方と、仏教の継承の仕方と、キリスト教の継承方法と、イスラームの継承形式はそれぞれ違っている。生長の家の場合は面授である。また、運動に足並みを揃えるということが必要であり、生命界の大真理である「中心帰一」を信徒である私たちは、実践させていただくのである。

 「生長の家大神ー総裁・副総裁ー御教え」の理解と実践によって人類光明化運動は強力に進んでいくと思う。そのような学習を青年たちと二時間にわたって行った有意義な学習会だった。

 谷口純子先生がかつての教修会で言われたことであるが、…ある時、谷口雅宣先生に質問されたそうだ。「いつも生長の家のお仕事をしていて休む暇もないようですが、私たちが生きている間に世界平和は来るのでしょうか」、と。先生は、「自分たちが生きている間に世界平和が実現しなくても、私たちは一つの踏み石でよい。ただ、一生懸命に運動すればよい」という意味のことを言われたそうである。学習している間に私は、谷口純子先生のこのお言葉を思い出していた。
 「若い青年の皆様がどうか、人類光明化運動の使命感と実践力を、谷口雅宣先生のお姿から学ばせていただくできますように」と祈らずにはいられなかった。私もまた御教えを戴きつつ、一つの踏み石として、少しでも島根の皆様にお役に立たせていただきたいと願っている。
 
【日々、谷口雅宣先生のブログを拝読しよう】
2008年11月27日のブログは、「生長の家大神の姿 (3)」です。
 「生長の家は、”万教帰一”を教義の中心に据える宗教であるから、生長の家大神の姿は具体的には表現しないのである」とお説きくださっております。このことは重要であると念を押しておられます。
『真理の吟唱』の「観世音菩薩を称うる祈り」には、「生長の家の礼拝の本尊は観世音菩薩なのである」と書かれており、それは、「世の中の一切衆生の心の音(ひびき)を観じ給いて、それを得度せんがために、衆生の心相応の姿を顕じたまう“観自在の原理”であり、…(中略)…三十三身に身を変じてわれわれを救いたまう」のであり、そのお姿は千変万化するとしておられます。従って、鬼嫁や意地悪な姑や地球環境破壊となって、何かを教えてくれることになる。
 「新天新地の神示」のことも書かれています。また「七つの燈台の点灯者の神示」から説き進まれ、『ヨハネの黙示録』の「七つの金の燭台の間を歩く者」のことも示しておられます。そこに登場する霊人は、観世音菩薩の千変万化する姿から解釈すると、無限の表現の中の一つとして理解できるとしておられます。
  最後に、七つの「燈台」と「燭台」との意味と違いをご教示されています。このことは私は知りませんでした。そしてまた、谷口雅春先生のお考えを深く類推して述べておられます。
  この「ヨハネの黙示録」の箇所の拝読は、個人的にはかれこれ100回を超えている。谷口雅宣先生の御教示を拝読して、血沸き肉踊るの感を深くしているのは私だけではないだろうと思う。島根の皆様、今日の御文章はしっかりと拝読しましょう。

*絵は、「白鳥」です。

*桜森人さんの「写メ俳」のホームページはとても美しいです。皆様、アクセスしてください。「野の花の精」さんもお作りになりませんか。皆様、どなたでも、ご自分の「写メ俳HP」をご希望でしたら、光明島根人にご連絡下さい。

 中内 英生

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November.27.2008「環境問題雑学」

Photo November.27.2008「環境問題雑学」
今日の歌::雪おろし 風を防ぐか 築地松

 NHK番組『地球エコ』(2008/6/29)によると、「冬ソナ」の最初の舞台になったというナミ島という韓国のことがでていた。ここはヨン様が有名になった原点だそうだ。かつてこの島は、観光客がたくさん来ていた。しかし、いつのまにかゴミがたくさん集まるようになり、あまりの汚さに観光客の足が遠のいたそうである。そこで、上質のゴミを集めて、さまざまな芸術品を作るようになり、それが有名になって再び観光客が集まるようになったそうだ。ホテルのロビーの飾りは、ゴミとして出されたガラスの加工品だった。 
 しかも、ある時、「冬ソナ」の一シーンだけナミ島で撮影するという話が来た。しかしその話はいくらでも無料で島で撮影してもよいという契約になり、ナミ島の宣伝になったという。島の至る所にゴミで作った芸術品が置かれているのを撮影していた。「ウーム。ここまで、やるのか!」という感想である。創意工夫が生み出した驚くべき「ごみ力?」の偉大なることよ!

 『地球エコ』(2008/10/12)では、何故北極の氷が解けるのか、ということを解明していた。温暖化ガスの関係は勿論のことであるが、もう一つの要素は「煤」だそうである。ススと読む。ホッキョクグマはワゴンアザラシを食べて生きる肉食獣である。しかし、流氷が少なくなり、その関係でワゴンアザラシが来なくなった。餌がないホッキョクグマは、飢え死にしつつあるということのようだ。氷解に拍車をかけているのがススである。
 自動車や工場から出された細かいススが上空に昇り、北極海の上に移動して、雪と共に落ちてくる。その雪は黒くなる。そうすると、白い雪は太陽光を反射しやすいが、黒い雪は太陽光を吸収して熱となって北極の氷を溶かすのである。だから、一日も早く、電気自動車化もしくは燃料電池車化になることが必要であるという訳である。それは上記のナミ島のように創意工夫で必ずできる筈だ。ここ数年で、石炭火力発電所を増やした日本のやり方は如何なものかということだろう。もっとも、発電所ではススが出ないように処理して排気しているのかも知れないが…。

 もう一つ、『命の森 名嘉睦稔』(2008/9/7)という版画家の紹介をしていた。沖縄の人である。祈りの中で浮かび上がったイメージを、早いタッチで彫り上げる。「地球寿ぐ」というイメージの版画を彫っていた。地球の周りで様々な生命が拍手を送っているというイメージである。彼に、月から映した地球を見せてからの、イメージ版画だ。これから考えてみても、絵や芸術というものは、見える通りに描くのではなく、感じたとおりに描くものであるということがわかる。昨日、益田の豊内さんが益田生命学園で子供たちが製作したという絵とご自分の絵を描いてきた。当然のことながら、教化部のHPに掲載する予定である。実によい。素晴らしい、の一言だ。絵はその人独特の味わいのある絵が描ければよいのではないだろうか。目指すのはナンバー・ワンではなく、オンリー・ワンでありましょう。

 私が観る番組は、録画して仕事の空き時間に観ることにしている。なぜ、テレビを見るようになったかというと、でありますが、四年ほど前、谷口雅宣先生の講習会やその他の場で先生が言われることが、科学的なことが多く、初めてお聞きする情報が多々あった。それは私にとって強烈なカルチャーショックであった。自分がとっさに理解できない情報もあった。自分がおたおたしていて、信徒さんに谷口雅宣先生の御心をお伝えすることはできないと思った。そこで、録画専用のデスクトップパソコンをコジマで月賦購入し、NHKの環境問題や最新の科学的な番組を中心に観るようになった。それから、谷口雅宣先生の御講話になんとかついていけるようになった。しかし、仕事が忙しくなるとなかなか観ることができなくなり、現在はパソコン内の録画スペースはほぼ満杯のようである。
 
 『世界遺産』もほぼ観るようにしている。ピサの斜塔を「探検ロマン 世界遺産」(2008/9/20)で観ることができた。西洋の建築物で驚くのは建築の年月が長いことである。この建物が建てられている場所は湿地なので、傾いているのはピサの斜塔だけでないという。嘗ての海洋都市であったピサが有り余る財力にものをいわせて作った55㍍の塔であるらしい。しかも、1173年に建設が始まり、200年間かけて完成している。

【日々、谷口雅宣先生のブログを拝読しよう】
2008年11月25日のブログは、「生長の家大神の姿」です。生長の家の大神様のお姿についてのご教示です。
  神に関する重要な御考察です。本部のご神像を神様の姿であると勘違いしている人が出て来ているのかも知れません。今日の先生のブログを起点に、もっと積極的に教義を説明してゆきたいと思います。御神像はイメージであるとしておられます。原型は服部仁郎氏の製作です。服部氏の著書は、たしか『今を生きる』?でしたか、読んだ記憶があります。講話もテープで販売されていたのを聴いたことがありますが、現在の私たちの話とは随分違っており、「物質無し、現象無し」という真理を徹底的に話しておられたように記憶しております。私が上京した頃、奥様が本部神癒祈願部におられました。先輩のご紹介で、奥様の話をお聞きしたことがあります。生命の実相に書かれていたような出来事があったそうです。
  生長の家の大神様を、谷口輝子先生がご覧になられたご様子を紹介しておられます。谷口雅春先生の開悟の章もお書きになっておられます。さらに、モーセが観た神との比較をしておられます。そして、声で聞こえたり(肉耳ではない)、姿を観たりする(霊眼)のに関して、「“神姿”を拝する人の別があるのだ、と私は思う」とご教示しておられます。受ける側の違いであるということでありましょう。

 開悟ということで、私は深く心に染みた体験があります。二十五年ほど前のことですが、楠本加美野本部講師が生長の家本部練成道場で指導しておられました。座談会の時、質問がありました。「楠本先生は、いつ悟りを開きましたか?」という不躾な質問でした。楠本本部講師は答えます。「僕はないねえ。ないけれどね。一年間、自分のことを考えずに、人の幸福ばかりを祈っていたら、自分の姿が神だとわかったね」と。本当の神は外の求めるのではなく、却って自分の内にあったという訳でありましょうか。

*絵は、「絵筆」です。

 中内 英生

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November.26.2008「竹中直人」

Photo_2 November.26.2008「竹中直人」
今日の歌::吟行や 傘をさしつつ 落ち葉踏む
 大東の相愛会長さんで俳人の八幡さんが、先日、俳句仲間とご一緒に、雨の中を吟行されたそうです。俳句を作りながら歩くことを吟行というのだそうです。なかなか善かったと語っています。

 高速道路のサービス・エリアで『奔放』という中国版の印刷物を手にした。その中に、先日、『裸の大将』に出演していた竹中直人さんのインタビューがでていた。あの映画で、夫役の竹中直人さんの直向きで、無知で、生真面目な姿が、私の心に痛かった。印刷物を少し読んで、これは面白いと思い、持って帰った。その中には、最近出演した『まぼろしの邪馬台国』に関するコメントがあった。「何故、出演をきめたのか?」という理由を聞いている。妻役が吉永小百合さんである。彼は言う。『僕はいつも来る仕事は断らないんです。脚本を読んでから判断することも嫌いですし、仕事を選ぶことをしたことがないんです。仮に苦手な役が来たとしてもやってしまうんです。これはデビューのときから同じスタンスですね』と。
 相手を選ばない。仕事を選ばないということは、仕事をする上での大切な姿勢でありましょう。感謝して受けるということでしょうか?

 何が彼にとって贅沢かを答えていた。何もないオフの日はどうするか?である。
 『気分転換をするタイプの人間ではないが、この間まで自分が監督で「山形アイスクリーム」という映画を撮っていて、二日間だけ休みができた。帰宅したら娘は受験で家にいないといけないから、息子とふたりで軽井沢に旅行へ行ってきた。これはちょっと贅沢な時間だった』と彼は言った。息子さんというご家族と過ごすのを贅沢な時間であると感じる竹中直人氏は何と素晴らしい人であろうかと思った。実は、私もそう思っているから同感の思いがあるからだ。

 47歳の時、運転免許を取得した。そこで何か変化があったかというと、車内で音楽を聴くことだという。
『車内で聴く音楽は家で聴いているそれとは、圧倒的に違うことがよく分かった。自分の運転する車の中で耳に入ってくる音楽は、感じ方が全然違う。僕はフィッシュマンが好きなので、よく聴きながら走っている。あとは本当にたまにだが、娘と一緒に鎌倉のほうへドライブしてお寿司を食べに行くんです。娘と好きな音楽を掛け合いながらドライブをするという、本当に贅沢な時間を過ごしたりしている』とのことである。
 家族、特に子供さんとご一緒にいることが最高の幸福であるという人間味豊かな竹中直人さんだからこそ、人情溢れる演技ができるのでしょうか?

 彼はまた仕事への思いを語っていた。
『この仕事が好きだから、また映画が撮れたらいいなとか、そんな感じです。もともと、仕事を仕事と思っていないので、流れに身を任せつつ、いろんな人と出会えて楽しめればいいと思っている』、とのことである。何よりも仕事が好きであることだろう。そうなると、仕事と思わずに楽しいスポーツでも行うような気持だろうか。私も、現在の仕事が何よりも楽しいし、満足している。この気持が相手に伝わるのではないかと思う。私はかつては技術屋的な人間だった。ボイラ二級技士や乙種危険物取扱者の資格もとり、ボイラマンとして、道場で仕事をしていた期間が長かった。しかし、講師にならせていただき、多くの人々の個人指導をさせていただいて、人々の苦しみや悲しみを知ったとき、何とかその人たちのお役に立たせていただきたいと願うようになった。そして、現在がある。その頃から人間が好きになった。人に会うことが楽しくなった。その楽しさの中で、御教えをお伝えするという仕事をさせていただけるということは何と自分は幸運で、幸福であることかと一日が終わったときにつくづくと思う。

【日々、谷口雅宣先生のブログを拝読しよう】
2008年11月22日のブログは、「生長の家の秋季大祭が終わる」です。秋季大祭の模様をお書きになっておられます。最後に「よい式典だったと思う」と結んでおられます。
懐かしい「ブルー・シャトウ」の歌詞を書いておられます。先生がご覧になられたヨーロッパのお城のような建物の絵にしてされておられますが、「シャトウ・ルージュ」を御命名されたそうです。

*将棋の女流タイトル戦、第16期倉敷藤花戦3番勝負の第二局が23日、岡山県倉敷市で指され、16歳の挑戦者、里見香奈女流二段が清水市代・倉敷藤花(女流王将)に午後3時49分、133手で勝ち、2連勝で初タイトルを獲得したとのことです。16歳8カ月での初タイトルは、林葉直子元女流名人、中井広恵女流六段に次いで史上3番目の年少記録になるようです。里見さんは島根県出雲市在住の高校2年生で、大社でしょうか?職員のIさんの話のよりますと、子供さん同士でご一緒の学校だったこともあり、小さい頃から将棋の試合であちらこちらによく行っておられたそうです。ともかく、熱心でないと強くならないのでしょうね。私たちも、熱心に信仰生活を実践いたしましょう。さらに強力な信仰者になる筈です。それにしましても、朝ドラの「だんだん」が登場したことや、テニスの錦織圭さんや、イチロー選手(奥様が松江のご出身)やいろいろと島根は実力を発揮し始めました。大変に素晴らしいことです。

*相愛会連合会副会長の持田さんが、「写メ俳」のホームページを立ち上げたそうです。皆様、どうぞ、アクセスしてください。教化部のHPから入れるようにいたします。この「写メ俳」はおそらく全国に広がると予想されます。「全国光明写メ俳ネットワーク」が構築され、その日に全国の人が詠んだ俳句を読むだけで心が明るくなるようになれば、素晴らしい運動となるのではないでしょうか。谷口雅宣先生が講習会でお教え下さいました、神性表現の一形式として写メールを使うことをお教えいただいたことがはじまりです。読者の皆様、気軽に「写メ俳」してください。宛先は、「bch05742@nifty.com」です。①写真を撮る。②俳句を詠む。(季語すなはち季節の言葉を入れる)③コメント④ペンネーム記載。以上でできあがりです。コメントが無いと俳句だけではよく分かりません。「奥の細道」でも、散文があって、その後に俳句が出てくるので理解できるのです。次は有名な奥の細道の出だしです。私が大好きな文章の一つです。

  月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
 「草の戸も住替る代ぞひなの家」

読めましたでしょうか。高校の古文です。少しばかり長かったのですが、このような情景描写の中に俳句はあるのです。従ってコメントが大切であると、私は考えております。「なぜ、旅にさすらうのか」を論じたいのですが長くなりますので、今日はこれにて失礼をいたします。

*絵は、「茅葺き民家」です。

 中内 英生

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November.25.2008「原理主義とは何か(3)」

Photo_3 November.25.2008「原理主義とは何か(3)」
今日の歌::寒空や 祭りの庭は 人まばら
 
(続き)
 テロリストは決して偶然に生まれるものではないとしている。P65には、「テロリストが生まれる時代背景」が述べられている。マハトマ・ガンディーを暗殺した、ヒンドウー・ナショナリストのナトラム・ゴドセのことも書かれている。映画で『ガンディー』を観たことがあるが、最後に現れたテロリストの心理描写は当然のことながら、表現されていなかったと記憶している。

 P24には、そのゴドセと「9.11」の主犯モハメド・アタとの共通点を述べている。飛行機を乗っ取ったが、目的建物への到達ができなかった9.11の飛行機内部の状況を再現した映画があった。谷口雅宣先生がご鑑賞されたと書かれていたので、私も映画を観に行った。真面目な誠実な青年が首謀者として描かれていた。実行の前にアッラーの神に祈りを捧げている。もう一度、これらの青年たちのことを振り返って考えてみたい。

 P251には、「経済復興はテロを絶てるか」として考察している。テロリストは貧困な状況を見てきた高等教育を受けた青年たちが多いという。従って、貧困がテロの温床として、アメリカを中心として、経済援助を盛んに行うようになった。しかし、その効果を認めながらも、それは本当に成功するだろうか、と筆者は疑問を呈している。そうでない場合があるからだ。それは、イスラームの「誇り」の問題である。これを見落として、問題は解決しないとしている。
 財産がたくさんできて裕福になっても自殺する人がいるし、充分に生活ができる老人ホームでも満足しない人がいることを考えると理解できるのではないだろうか。

 P256、257には、カシミール問題が書かれている。アフガン人の誇りを健全な形で回復することの重要性が述べられている。筆者は、「そのためには我々は、もっとアフガニスタンの文化や歴史を学ばねばならない。ましてやイラクをや。イラク戦争で傷ついた彼らのプライドを考える時、米国との断絶の深さに、私は戦慄を覚える」としている。 私たち、島根の信徒は「まず、世界の人々のことを知ろう!」と決意しようではありませんか。知ることは愛することである。谷口雅宣先生のブログを拝読すると、如何に先生のご意識とご行動は、常に足下を浄めながらも、絶えず世界人類に向かい、谷口雅春大聖師のご悲願の実現のために、かつ地球全体の救済と光明化を目指しておられるではありませんか。先生の御心を、私たち島根の信徒の心とさせていただこうではありませんか。 

  P263には、「ブッシュ・ドクトリンは成功するか」として論考しております。先生が、かつてブログで「ブッシュ・ドクトリン」のことをご指摘されたように、相手を敵と見なしたならば、「有無を言わさない他国への攻撃」があるということは、大変危険なことです。そういう意味で、今回、民主党のオバマ氏が共和党に勝利したということは、その点ではやや回避されたと観るべきであるのかも知れません。

 P264には、キリスト教原理主義者を支持する層は米国で確固たる地位を占めているとしています。そして、キリスト教原理主義とイスラーム原理主義が描く「正義」と「不正義」の対決の構図の先に待っているものは、さらなるおびただしい流血と犠牲を生む荒涼とした世界であると警告しております。それを避けることができる道は、対話と相互理解以外にないようです。従って、私たち信徒は「万教帰一の御教え」をしっかりと広めなくてはなりません。
 この本の著者は単なる知識人ではなく、世界平和への使命感、特にイスラームへの愛があるように見受けられましたが…。著者の情熱が文章から伝わって参ります。このような愛をもつ人が、イスラームを善い方向へ変えていくのでありましょう。

  テロリストの善悪二元論は、生長の家の「唯神実相論」から考えると、間違っていると言えましょう。しかし、それは「間違っている」と責めるだけでは決して解決はしません。イスラームの受けた歴史的苦しみを知ることは、愛することに繋がります。それは同悲の心ではないでしょうか。そして、次に実相の神と神が創られた完全円満なる実相世界をお伝えするということが大切ではないかと思います。
 寛容なるイスラームと非寛容なるイスラームが同居しているインドネシアは、テロもあるようです。しかし、2億人になろうとするインドネシアに生長の家をお伝えすることは、かなり有効な可能性があるのかも知れません。同国が人口が多いということは、最大のイスラーム教徒を抱えているということでもありましょう。イスラームの人々に御教えをお伝えするポイントになるのかも知れません。

  友人からの情報によりますと、東京ではイスラーム教徒の女性と結婚する日本人男性がイスラーム教徒に改宗するケースが増えているとのことです。彼女たちへは日本的文化(確率は低いかも知れないが生長の家の御教え)が伝わりますので、双方向となるでありましょう。インドネシアのイスラームが変わると、世界のイスラームが変わる。世界のイスラームが変わると、世界人類の運命が変わる。こんな「夢」を考えることも楽しいではありませんか。世界歴史の大きなうねりの中で、イスラームに対して生長の家が貢献できる場が将に与えられ始めたのかも知れません。環境問題の始まりの頃を思い返しましても、今回、イスラームへの取り組みを考えましても、谷口雅宣先生の偉大なる先見の明に、感動を覚えかつ敬服いたさずにはおれません。国際平和信仰運動に於いて創意工夫を行い、神の國実現のために、島根の信徒として少しでも尽力させていただこうではありませんか。

 以上で、この本の勉強を終わります。谷口雅宣先生が参考として挙げられた本ですので、是非読んでみて下さい。絵は、「残された柿の実」です。

 中内 英生

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November.24.2008「良心」

Photo November.24.2008「良心」
今日の歌::大山や 雪被りたる 姿よし

 11月21日の谷口雅宣先生のブログで、K音楽プロジューサーのことをお書きになっておられた。その中で「良心」というキーワードを書いておられた。昨夜、Kプロジューサーのことに言及しているエイペックスの松浦社長の講演状況を報告している記事を見つけた。そこにも「良心」という言葉があったので、ご紹介します。分かっていることですが、K氏のお名前は伏せさせていただきます。テレビや新聞で見ると、関係者の前で頭を下げているK氏の姿が、謙虚な本心を表現しており、「普通の被告とは違う」という印象を与えている。

  「松浦社長 慶大学祭でK被告への想い語る」というテーマです。「2008年11月22日(土)20時59分配信:スポニチ」となっております。内容はというと…
慶応・三田祭で初めて講演したエイベックスの松浦勝人社長は、K被告についても言及したとしております。
 松浦社長が講演するのは初めてだそうです。三田祭実行委員会が学生に調査したところ、聴きたい対象に「ビジネス」「起業」が挙げられ、貸しレコード店を国内屈指のエンターテインメント企業に育てた風雲児に講演を依頼したという。

 登壇当初は緊張した様子だったが、「ホントに僕でいいの?僕は(日大出身で)慶応に落ちてるし…」と明かして、会場を和ませると舌も滑らかになったそうです。
 私自身も日大出身なのでこの言葉で和みました。
「就職活動もしてみたら西武百貨店に落ちた」と意外な過去を明かしながら、起業を目指す学生らに言ったという。
「絶対に誰にも負けないことが1つでもあるなら起業した方がいい。僕の場合はダンスミュージックだった」と語ったとのことです。

 「誰にも負けないものを持つ、作る」ということが先ず要求されそうです。
私の中学時代の卓球の先輩で、住まいは私の家の隣に住んでいたNさんは、特別に勉強ができるという人ではなかった。しかし、「創意工夫と努力」に関してはずば抜けていた。あれから45年近くになる。彼は現在、一部上場会社の社長になっている。先輩の中で最も社会的成功を得た人だが、謙虚な人柄です。

 松浦社長がそこで出会ったのが小室被告だという。「16年前からのお付き合いです」と振り返った。講演会の進行を務めたフジテレビの平井理央アナから「戦友ですか?」と尋ねられると「そうですね」としみじみと語った。
 温かい友情が伝わってくる。『生命の実相』第7巻に書かれている倒産寸前の事業家A氏を助けた話を思い出した。それは、かつて貧しく乞食のような生活のをしていた人が、その事業家A氏に助けられて、勇気をもらい社会的に成功したのだった。彼がA氏を倒産寸前から助けたのだった。

 松浦社長は、忘れられない言葉があるという。K被告が「松浦くん、シンセサイザーはボタン1つ押すだけで曲が変わるんだ」と言ったことである。エイベックスがダンスミュージックで急成長していく中で「この言葉はあらゆる方法論を含めすべてのヒントを与えてくれた」という。

 講演では「してはいけないことをしてはいけない。罪はきちんと償ってほしい」と言った上で「小室さんはものすごく才能のある人だ。もし彼が何かやりたいのなら協力したい」と明言した。事実、保釈保証金の半分をエイベックスが納付するなどバックアップをしているという。

 学生から「いまの時代に大事なものは?」と聞かれた時、「良心」と答えた。
「小室さんのやったことに限らず、いろんな事件などが起きているのを見ると、自分にあるかどうかは別にして“良心”が大事だと思う」としみじみと語ったと「スポニチ」は伝えている。

 何と善い話ではないですか?心温まる友情の実践でありましょう。「戦友」という言葉で思い出すことがある。神は戦争を創り給わないので、戦友という言葉にはいささか引っかかるが…。私にはT氏という親戚の90歳後半の男性がいる。T氏はいまだにマラソン大会にでたりして元気だそうだが、私が高校時代に、T氏から感慨深い面もちで、「戦友は、肉親の兄弟以上の関係だね」という言葉を聞いたことを思い出す。
 また、東京に住んでいたときだが、桜ヶ丘だったかよく覚えていないが、満州少年開拓隊?というような名称の記念館のような所に行った時、担当の方が満州経験者だった。満州という国はもう存在しないが、やはり同じような意味の言葉を聞いた。どんなに苦しい時にも、一緒に乗り越えていく所に真の友情が湧いてくるのでありましょうか。
 島根の信徒の皆様、今日もまた、限りない自己の能力開発の可能性に挑戦して参りましょう。
 ところで、今日は、「初写メ俳」は如何でしょうか?ブログでは数名の方々がコンスタントに楽しく写メ俳をしておられます。

*お詫び…インターネット・アクセストラブルで、原稿のアップが一日遅れました。お詫び申し上げます。読者の皆様へ。絵は、「餌を探す雁」です。

 中内 英生

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November.23.2008「原理主義とは何か(2)」

Photo_2 November.23.2008「原理主義とは何か(2)」
今日の歌::出雲では 柿はたくさん 生るという

 今日は、先日のテーマ「原理主義とは何か」とつづきです。この本には、原理主義とは、何もイスラームにかぎっておらず、キリスト教や、ヒンズー教、日本の本居宣長、水戸学、吉田松陰などもその流れの中で論じています。また、大本教の出口ナオも出ており、興味がつきません。水戸学はその源流にあたる水戸光圀の隠居所である青山荘を三度、訪れたことがあります。さて、この本の中で、ビンラディンのことが書かれており、理解をどのようにすすめるかの示唆があります。

①「ビンラディンに凝縮されるイスラームの近代」について、なぜ、彼は湾岸戦争の時、多国籍軍という西洋の軍隊がサウジアラビアに進駐してきたことに烈火のごとく怒り、冷戦後の唯一の超大国アメリカに闘いを挑んだのか。その動機を考える場合に、こうした200年にわたる近代イスラームの歴史を考えることは不可欠である。(117頁)

 *この夏の教修会にて、数名の方々がイスラームについてご発表なさられたが、最後に谷口雅宣先生が、「誰からの指摘もなかったので言いますが、植民地化をされる前と植民地化後とはイスラームは変わった」ということを言われました。この本でもそのことが指摘されています。私たち日本人は、短期的な被占領という体験はありますが、200年間にわたるような被植民地化という苦しい経験はしておりません。それが、意識の中に上りにくい理由の一つでもありましょう。

②結局のところオサマ・ビンラディンには、思想的に目新しいものはない。基本的にはイスラーム原理主義サイイド・クトォブのレトリックが多用されている。16歳の時に、彼はエジプトのムスリム同胞団に接近し、サイイド・クトォブの著作から多大な影響を受けたとされる。神の陣営に属するイスラーム教徒と、神に敵対する陣営に属する西洋及びその手先の世俗民族主義とに世界は二分されているという世界観に立って、「ジャーヒリー」に対する戦いを説いたサイイド・クトォブの主張に共感したビンラディンは、イスラームの大儀に目覚めたのである。(119頁)

 *サイイド・クトォブは、上記のように思想的には、急進的な行動を主義とする元祖であるようだ。P104~P108には、「原理主義の父・サイイド・クトォブ」として、詳述されている。善悪二元論に徹する考え方は、どうしても真面目に考えれば考えるほど、テロリズム的になるのかも知れない。

③1996年9月、オサマ、ビンラディンは、以下のように米国に対する宣戦を布告している。「イスラームの民がシオニスト・十字軍連合及びその同盟者によって科せられた攻撃、不法、不正はあきらかにされねばならない。ついにムスリムの地は安価になり、彼らの冨は敵の手の中の戦利品となるにいたった。彼らの血はパレスチナやイラクで流されている。(中略)これらの攻撃の最大のもの、預言者…アッラーの祈りと平和がその上にあらんことを…が亡くなって以来、ムスリムが被った最大の攻撃は、二聖モスクの地、すなわちイスラームの家の基礎にして、啓示の場所、信託の根源にして高貴ならカァバの場、すべてのムスリムのキプラ(礼拝の方向)がアメリカの十字軍とその同盟者によって占領されていることである。われらはそれを嘆き、ただ『アッラー以外に何らお力はありませぬ』と言うのみ。
 ビンラディンの怒りは深い。中東とは遠く離れた日本から見ると、奇異な印象さえ受けるほどだ。こうしたビンラディンの怒りの深さを理解するためには、近代以降、西洋の進出に苦しんできた中東イスラームの精神史を理解する以外にはないと言えるだろう。何故ならイサマ・ビンラディンという一人の人間の中には、西洋近代と直面し、対峙し、時にこれを吸収してきた近代イスラーム世界の葛藤と屈辱の歴史が流れているからである。
(120頁)

 *それにしても私たちは、余りにも中東のムスリムたちの悲しみを知らなさすぎたのではないだろうか。谷口雅宣先生のお言葉によって、島根の信徒は学びつつある。もっとムスリムの気持ちを知り、また、先輩宗教であるイスラームからも学びつつ、真実の救いを提供させていただきたいものである。イスラームを学ぶことによって、彼らの真面目で真剣で、責任感溢れる生き方が少しばかり理解しつつあるように思える。
 『コーラン』や『ハディース』もぜひ読んでみたいと思う。

【日々、谷口雅宣先生のブログを拝読しよう】
  2008年11月21日のブログは、「良心的な人は長寿?」です。長生きしたい人にとっては興味深い内容です。良心的な人はそうでない人よりも長寿だそうです。科学的な証明データに基づいた結論です。私は『百歳バンザイ』という番組を毎回のように観ていますが、みんな良心的で感謝に満たされているという共通点があるようです。
 また、社会的に成功した人は、長寿になりやすいのだそうです。社会的に尊敬され、自分の時間とエネルギーを社会のために注ぎ、周囲と調和し、信頼されている人は生活が安定し、ストレスが少ないので長寿という訳である。だから、社会的成功は人生の目的ではなく、善き生き方の結果である。
  有名な音楽プロジューサーK氏の反省の言葉をご紹介されている。その言葉に対して、先生は、「この反省を今後の生活の指針にし、“内在の神”の囁きである良心をくらますことなく生きていけば、K氏にも再び社会的成功の道は開けるに違いない」とエールを送っておられます。深き愛情溢れるお言葉に感動いたします。

*子供と妻が、今日は夜8時過ぎの出雲空港着の飛行機で帰った来た。11月22日開催された、幕張メッセイベントホールで行われた「第27回 全日本小学校バンドフェスティバル」が終了したからだ。残念ながら銀賞だったという。金賞は10校なので銀賞はその次のようだが、高松小学校は、「金賞」に等しい銀賞だと思う。またこの小学校では、白鳩支部長のTさんの娘さんが音楽のご指導をしておられると聞いたが…。ご苦労様でした。今日はどうぞゆっくりと休んでください。

*絵は、「水上の羽音」です。

 中内 英生

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November.22.2008「式典でのお言葉」

Furoukyou November.22.2008「式典でのお言葉」
今日の歌::人の波 小春日和が 祝う今日

 今日は大変に天気がよい日だった。島根教区の受賞者の皆様は勿論のこと、私たちも大変に嬉しい一日だった。しかし、総裁先生がおられないことは誠に残念でありました。次なる文章は、私のメモですので、あまり正確ではないし、書き間違いも多々あるでしょう。谷口雅宣先生がお言葉の内容をご発表されるまでは、粗雑な速報としてご理解下さい。

 今日の「記念式典」で、総裁代行の谷口雅宣先生は、次のようにお話になられたように思う。
 去る10月28日に総裁先生が天寿を全うされた。毎日、お会いしていていたので、亡くなられたという感じがしない。総裁先生は、今日も東京のご自宅におられるような気がする。肉体は必ず消滅することを教えられている。しかし、肉体は無いが総裁先生は、この記念式典にご出席しておられるのではないかと思う。

 アメリカでは黒人大統領オバマ氏が誕生した。黒人の人口が増加しているという単純なことではない。カトリック教徒の54パーセントはオバマ氏に投票した。ラテン系の65パーセントはオバマ氏に投票した。今回初めて選挙で投票する若い人たちは、70%がオバマ氏に投票した。
 きっかけはブッシュ氏の失政である。戦争を二回行った。世界的な金融危機を引き起こしたことが失政として挙げられる。金融危機は、今まで強かったアメリカだけではどうすることもできない。日本や中国、インドなどが協力している。アメリカの一国支配が崩壊して、力ある国々が支え合っていく状況になった。

 『衝撃から理解へ』というご著書をご出版された。副題として、「イスラームとの接点をさぐる」としている。今年8月に、生長の家教修会にて、イスラームを勉強した。その1年前、国際教修会にて同じくイスラームを勉強している。キリスト教は、先進国で広まっているが、イスラームは中進国や発展途上国でさらに広まりつつある。先進国は子供をあまり産まないが、中進国や発展途上国は、子供をたくさん産む。従って今後、イスラームが世界最大の宗教となることを予測されている。万教帰一の教義のある生長の家では、最大となる宗教であるイスラームの研究をしておかなければならない。

 『衝撃から理解へ』のはしがき6頁からご紹介された。日本語の本は、日本人のメガネを通して見ているので正確ではない。エルファドル博士の一冊の本との出会いが、教団の進路を決めたようだ。博士のハードカバーの新刊書をニューヨークで発見した。『過激派からイスラームを護る格闘』という意味の本だった。生長の家ではニューヨーク市郊外で博士を招聘して教修会を開催した。博士は脳腫瘍を患っておられたようだ。それを押しての出講だった。
  エルファドル博士の日本語訳『イスラームへの誤解を越えて』と、谷口雅宣先生のご著書『衝撃から理解へ』の二冊を読むと、生長の家のイスラーム関係の考え方が理解できる。

 一冊の本が一人の人生を変えたということはある。しかし、団体の進路を変えたというのはあまりないことである。
 谷口雅春先生は、永田文進堂で、一冊の本に出会い、神に対する考え方が変わられた。これは、『生命の実相』自伝篇に掲載されている。
 また、谷口清超先生は、島根県浜田市の陸軍病院で、田中上等兵から『生命の実相』を借りてお読みになられた。そして、上京して結婚されて、谷口雅宣先生がお生まれになられた。もし、田中上等兵がマンガでも読んでおれば、「たぶん、私はいない」とおっしゃられた。そして、それは波長の問題でもある。

 イスラームには、1500年の歴史がある。だから、学ぶことも多い。イスラームの本を生長の家に置き換えると、現在の運動の参考になる。
(P166?)に「権威と権威主義」について書かれている。大辞林で書かれている権威の意味をご紹介された。権威は、自ずから他を服従させる力である。権威主義とは、「トラの威を借る狐」というように、自分には力がないのに、相手を従わせようとするやり方である。それは上には親切にし、下にはつらく当たる。従って、権威主義は嫌われる。

 イスラームの根源は、「コーラン」か「ハディース」である。コーランは、岩波から出ている。ハディースの10巻は、他社からでている。聖典そのものも大切だが、その解釈が重要である。生長の家は理性的な宗教である。例えば、「甘露の法雨を読めば病気が治るから読め」と単純には教えない。理性的に説明する。
 「奇蹟」というものは、日常の中に感じることを一層重要である。だから、生長の家は盲目的な信仰を勧めない。
 それと同じように、イスラームは、理性主義が主流である。イスラーム原理主義は、イスラーム信徒の一部である。全体的に、イスラームの信徒は、理性主義の人が多い。

 *大体、以上のような内容のお言葉であったように思う。違っていても大きくは違っていない筈である。現在、長崎から移動中である。三日間、大変お世話になりました。感謝です。こんなにも信仰的な素晴らしい教区に来させていただき、感謝です。
*人の上に立つよりも、人の役に立つようになることが大切であると言った人がいる。また、聖書には、キリストのことを評して、「学者らの如く非らで、権威ある者のごとく語り給えり」と書かれている章句があるそうだ。イスラームを学んで、私たちの信仰の幅と厚みを作りましょう。必ず、素晴らしい信仰生活が生まれて参ります。また、今日のお言葉で、①『衝撃から理解へ』②『イスラームへの誤解を超えて』③コーラン3冊④ハディース10冊、これらの本の読破にチャレンジしませんか?

*デッサンは「金龍湖」です。絵の具がなかったので…。

 中内 英生 

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November.21.2008「原理主義とは何か」

Photo November.21.2008「原理主義とは何か」
今日の歌::目を奪う 港夜景に 冬の風

 小川忠さん著『原理主義とは何か』を読んでみると、原理主義とは何もイスラームだけに限ったものではないことが書かれている。また、9,11テロに関しても書かれているがその歴史の流れの中で理解する必要性も説かれている。「なるほど」と思われる一冊だ。この本は、谷口雅宣先生のご推薦の本であるので、興味のある方は是非、お読みいただきたい。

①(18頁)「原理主義」という用語の問題性について、「原理主義」は概してイスラーム専門家には不評である。「イスラーム原理主義」という言葉は、イランのイスラーム革命以来、欧米メディアで多用されるようになった。一般には急進的で暴力的なイスラーム保守思想、社会・政治運動を指す言葉として用いられる。(中略)しかし、注意しなければならないのは、ビンラディンが自身を「原理主義者」と規定したことは一度もなく、これはあくまで欧米メディアがつけた他称であるという点だ。
 *日本は欧米の影響を明治以来相当に受けている。従って、欧米が言っていることをかなりな程度で鵜呑みにしていることがあるかも知れない。ここは冷静に考える必要があると思う。

②(23頁)元来、多神教として絶対唯一の聖典をもたず体系化された教義がなかったはずのヒンドウー教や神道が、「ヴェーダ」や「古事記」を聖典視するのも、聖書に基づく教義が確立したキリスト教と対峙するために、教義の体系化というキリスト教的要素を取り入れて近代宗教としての脱皮を図ろうとするとする取り組み、と理解することができよう。
 …ヒンドウー教や神道は、宗教と言うよりも、生活全体、考え方全体であると言われている。宗教法人に組み込むような小さなものではないようだ。

③(23頁)原理主義のイデオロギー的特徴として以下の五点を掲げている。
○近代化による宗教危機に対する反応
○選択的な教義の構築
○善悪二元論的な世界観
○聖典の無謬性の主張
○終末観的世界認識と救世思想
である。また、組織的特徴として以下の四点を挙げる。
○選民思想
○組織のウチとソトとの明確な区別
○カリスマ的な指導者の存在
○厳格な規律、行動規範
*これらは、すでに谷口雅宣先生のご著書で明らかにされている。選択的な教義の構築などは、平素、私たちも陥りやすいところでもあるのではないだろうか。例えば、仏教で「文証」という言葉があるようだが、「聖典のここにこう書いてある」と強調することは、そうでないことを別の所で書かれているのを無視して主張する場合に問題となるようだ。これは、根本的な真理についてではなく、周辺部分の真理についての記述でそのようになる可能性がある。従って、その判断は自分でするのではなく、総裁代行であられる谷口雅宣先生がご教示された御文章で確認してから判断すべきでありましょう。 
 この原理主義についての学習はかなり真剣に行う必要があるようだ。島根の信徒の皆様、ご一緒に頑張りましょう。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年11月20日のブログは、「日本の温暖化対策は間に合うか? (2)」です。
ここ長崎では、ガソリンスタンドを見てみると、安いので128円で、大体130前後のようだ。
 税額をガソリン以外に、石炭、天然ガスなどにもガソリン並みにかけるべきだとしておられます。イギリスやドイツやデンマークではかなりの税額がかかっている。だから、無理なことではないとご説明しておられます。
 また、同意については経済界と麻生首相の難しさを述べておられます。
  また、神奈川の炭素税の独自導入のことや、東京都が環境税(炭素税)導入を見送ったことに対して、神奈川県と足並みを揃えてほしかったと知事に対して要望しておられます。

*今日は、午前に住吉霊宮の御祭、午後に龍宮住吉本宮の大祭があった。「神楽舞」がとても美しかった。また、かつての赴任地のYさんが布教功労賞であるとしてお出でになっていた。総本山でお会いできたことを神様に心から感謝した。Yさんは長年御教えを共に学んだ私の教友とでも言うべき人である。最近は、御主人と共に、毎月、教区練成会を受けておられるそうだ。

*デッサンは、「温古資料館」です。ちょっと太めに描いたでしょうか。
 中内 英生

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November.20.2008「イスラームとは何か(3)」

Photo_2 November.20.2008「イスラームとは何か(三)」
今日の歌::出雲路を いと寒き日に 旅立てり
 *今朝は、秋季大祭が行われる総本山に向けて出発した。道中、本が読めた。イスラーム関係の本である。このテーマをどのようにして、島根の信徒の皆様にお伝えするかが私にとっては新たな課題である。全く触れたことがない宗教だからこそ、モチベーションを維持できるのではないだろうか。さて、『イスラームとは何か』のつづきの勉強をしたい。

(続き)
①クルアーンに「ハムル」に近づくな、と命じられている。いわゆる飲酒の禁止であるが、ハムルは葡萄酒を指す。しかし、世の中には葡萄以外を材料とする酒はいろいろとある。(157頁)「アルコールは酩酊作用があり、礼拝を忘れるからである」と説明されています。ハムル以外は言及されていませんので、これはなかなか難しい問題です。現代は、さまざまな食材からアルコールを作ることができるので、葡萄酒と限定できないのかもしれません。仏教に、「葷酒山門に入るを許さず」という言葉がありますが、アルコールは修行に於いてはどうかという考えがあるようです。また、アルコールは、頭をボーさせるので、何か苦しいことがあればそれを忘れることができるので、疑似的楽しさを味わえるかも知れません。しかし、いつも楽しい人は、アルコールを飲むと楽しさを忘れるので、却って本当の楽しさから遠ざかるのかも知れません。
 私の場合は、以前は少し嗜んでおりましたが、ブログを書かせていただくようになってからは、アルコールを飲むと文章を書くことができなくなるので、現在は飲酒はしておりません。つき合いが悪いと言われることもありますが、仕方がありません。それにいつも楽しい心がありますので、呑まなくても良いようです。
 アルコールが入っていると、精神統一がしにくくなり、従って納得のいく神想観ができにくくなるのではないでしょうか。「酒は呑んでも呑まれるな」という言葉もあります。そういいつつも、呑まれてしまいがちなのが肉体人間です。最初から呑まないという手もあります。

②ムハンマドの時代を理想とする観点から言えば、よき時代は質素な時代であった。ムハンマド自身が継ぎのあたった衣服を着ていたことや、彼が教友と車座になっているところへいくと、誰もが同じような服装でどの人物がムハンマドか分からないような情景も伝えられている。(196頁)生長の家では、こうでなければならないという服装はないと教えられている。その人が神の子の自覚を持てるような服装であればどんなものでもよいという。従って、粗末な服装が本人が納得しその場に相応しければそれでよく、豪華な服装でもその場に相応しくて自分の自覚を鼓舞するものであれば良いと言うことである。
 まあ、キチンとした服装をすると、その服装はその人をキチンとさせるようです。心は形に影響を与え、形は心に影響を与えるということでありましょうか。

 『イスラームとは何か』の本の内容を少しばかり、二回にわたってご紹介して参りましたが、次のテーマを書きたいですので、これで終わります。新書版で安価ですので、読んでみて下さい。副総裁先生のご紹介です。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
 2008年11月19日のブログは、「右脳と左脳」です。
右脳を使用し鍛えると、直感力が増加するということのようです。

右脳
①感覚の受容に勝れている。
②直感的思考。
③磨くともっと向上する。
④絵を描くことによって、「世界がすごく豊かに見える」ようになる研修がある。
⑤右脳の機能が目立つようになった時、空間の感覚が消えて、”今”だけあるという感覚になる。また、宇宙と一体化してとてつもない幸福感に浸れる。(これは左脳の言語野が破壊された患者さんで、右脳の活性化がなされた状態であるという)

左脳
①言語の働きに勝れている。
②論理的思考。
③プログラミング
④計理処理
⑤日常生活には必要である。左脳が得意とする言語による表現や論理的思考もおろそかにしてはならない。

 以上のような内容のご教示であります。どうぞ、アクセスして拝読してください。

*総本山についてから、相愛会連合会長さんや白鳩会連合会長さん、地方講師会長さんや竹下先生などにお会いできた。なんだかとても嬉しかった。私は既に島根の國の住人にならせていただいたのであろうか?信仰深きこの地に引き寄せられ、この教区に赴任させていただけたことを誇りに思う。明日からご一緒に参列させていただきます。感謝。

*デッサンは、「浦上天主堂」です。

 中内 英生

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November.19.2008「イスラームとは何か(2)」

Photo_3 November.19.2008「イスラームとは何か(2)」
今日の歌::雷鳴や 大地喜び 雪は降る
昨日、雪が降ったようでしたので、今日は初雪ではありませんですが、寒いです。松江の先祖供養祭に行って来ましたが、寒いのに沢山の方々がお集まりでした。 

 (つづき)
①イスラームの礼拝では、最後に額を床につけて、神を讃える。それがもっとも謙虚な「しもべ」の姿として、礼拝を象徴している。(90頁)生長の家では、神想観の姿勢は、宇宙の秩序を象徴化しており、それが真理を表現しているとしている。礼拝そのものが、何かを表現している。以前、ラジオで聴いたのでは、神に自分を投げ出す…全託することの象徴行事として、イスラームの礼拝の姿があると説明していた。

②ムハンマド自身も、煉瓦を運んでモスク作りの先頭に立った。(91頁)率先して献労をされたということでありましょう。

③人間自体が高貴な被造物であり、肉声はもっとも高貴な楽器であるとされる。肉声によるアザーンの選択には、そのような感覚が背景としてあるかもしれない。(93頁)モスクから日に五回、礼拝の時限を知らせるアザーンが流されるが、一日五回、神想観のお知らせを教化部からメールで知らせるようにでもなれば、できるでしょうか?それにしてもイスラームの人々はすごい実践力をお持ちだと思います。

④エルサレムに向かって祈ることは、セム的伝統の継承者として彼らにとってごく自然であった。(95頁)広辞苑によると、セムとは、「旧約聖書に見える人名であり、ノアの長子でセム語系の始祖と伝える」とある。またセム族とは、「セム語系の言語を話す諸民族の総称であり、アラビア人・エチオピア人・ユダヤ人が含まれ、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教を生んだ」としている。

⑤イスラームは知識を重んずる宗教である、とよく言われる。ハディースにも、「知識の探求はすべてのムスリム(男性信徒)とムスリマ(女性信徒)の義務である、という。あるいは、もっとも良き信徒は、クルアーンを学び、(学んだ後は)教える者となるという。つまり、知識の探求は、信仰に発する信徒の一般的な努めであり、ブハーリーの努力も信仰行為の一環であった。(148頁)求道と伝道の両方が大切であるということでしょうか。

⑥ムハンマドが、イスラームに於いては知識が宗教的権威を決定する、という原則を定めた。後は、その原則に合致する人々が次第に権威を持つようになった、と言わざるをえないわけである。(153頁)聖典の読誦と教義を正しく把握することは、生長の家に於いても大切であります。
(つづく)

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
  2008年11月17日のブログは、「南カリフォルニアが燃えている」です。
異常乾燥が続いていたカリフォルニア州南部では今、複数の山火事が発生して大きな被害が出ているとのことであります。勅使河原・教化総長からの17日の報告によると、活動や幹部信徒の住居にも影響がでているようです。
「山火事は鎮火の方向へむかっているというが、幹部・信徒に被害がないことを祈っている」と結んでおられます。私たち島根の信徒も、ご一緒に祈らせていただきましょう。

*デッサンは、「温古資料館から練成道場を眺める」です。

 中内 英生

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November.18.2008「イスラームとは何か」

November.18.2008「イスラームとは何か」
今日の歌::芋畑  堀りて新らし 土の色
*俳句の意味だが、今日は大社の誌友会に行かせていただいた。会場は呉服店の二階だった。新人がお一人来ておられた。帰りに、自作のサツマイモをいただいた。
 午前中は、相愛会の無量寿の会の集いがあった。逞しい熟年の方々が多数お集まりであった。私も将来このような人々になりたいと願った。服部さんと云われる方が俳句の本をお出しになって有名になっている。島根の信徒さんの文化創造の実力の程が分かる。高レベルの素晴らしい教区であると思う。

 小杉泰さんの『イスラームとは何か』という著書を、副総裁先生がかつてご紹介しておられる。小杉さんの原稿は、最初に奥様(孝子さん)が目を通すのだそうだ。ご一緒にエジプトに留学されて、アラビア語に親しんだという。夫婦でアラビア語を読んで暮らしている日本人はそう多くはないように思うと書かれている。
 著者は、今後の21世紀文明の事を考えると、イスラームという未知の文明の中から学ぶ作業は、大いに意味があるという。この点、生長の家では、すでにイスラームの理解を進めているということは素晴らしいことでありましょう。 
 筆者は20年ばかりイスラームを研究し、そして本にしたという。イスラーム研究が好きだからこそできたそうだ。好きでないと、上手になれるものではないだろう。この本で、私が、「これは!」と思ったことをチェックした。従って要点ではない。

①イスラームは、西暦7世紀のアラビア半島で、ムハンマドという人によって創始された。日本では、聖徳太子の時代である。(8)
②日本人が長安を世界第一の都会と思っていた頃、さらにそのはるか西方で、長安を凌ぐ世界最大の都市バクダードが繁栄を誇っていた。(9)
③イスラームという言葉のもともとの意味は、「帰依する」ことで、信徒は「ムスリム」(帰依する者)と呼ばれる。(9)
④かつて使われた「アラーの神」という表現は、多神教的であり、イスラームが神の唯一性を強調することを考えると、日本人のプリズムを通してイスラームを見てしまうことになりかねない。(10)
⑤日本人は外の文明に敏感であった。そして取り入れてきた。その点がイスラームと似ている。(12)
⑥ムハンマドは通常の家庭生活を送っていたので、仏陀やキリストとは違う。(27)
⑦啓示が始まったとき、ムハンマドは40歳であった。55歳の妻がおり、9歳、7歳、6歳、5歳の四人の娘の父であった。(27)
⑧神の言葉=啓示を預かるので「預言」という。未来に起こることの予言ではない。(32)
⑨一番最初に入信したのが妻のハディージャであることは間違いない。(33)
⑩巡礼は、全世界の人種も民族も異なる信徒が聖地に集合する様は、イスラーム共同体の年次国際大会のようなものである。水平的な同胞意識を高揚させる。男性は二枚の白布、女性は白衣と決まっている。垂直性においては、神に対する謙虚さを示している。水平性に於いては、同胞の平等を示している。(77)…おそらくこれらの信仰内容が、いまだにイスラームが発展を続けている源泉ではないだろうか。
⑪カーバ聖殿。カーバと呼ばれているものは、立方体の石の建物である。中はがらんどうになっている。(77)
⑫クルアーンは、最後がすべて長母音で終わっている点に注目してほしい。(83)
⑬クルアーンを「神の徴」と信ずる者がいかに生きるべきか、社会生活の実践について、ムハンマドがその規範となった。(86)

 *今日はここで終わりまして、明日この続きを書き出す予定です。文字化すると、少し理解が進むようです。⑤の意味は重要です。本当にイスラームを理解するのは日本人であるのかも知れません。その中でも生長の家の人は特に理解が進むでありましょう。副総裁先生のご著書『衝撃から理解へ』を拝読して、島根教区の信徒さんが最もイスラームへの理解が進んでいると云われるようになりたいものであります。特に青年の方々に希望いたしたいと考えております。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】   
2008年11月16日のブログは、「人獣混合で問題は解決しない」です。

 iPS細胞の研究について、規制のタガが緩みかけていることを心配しておられます。特に倫理的に問題があると思われる種類の胚の研究である。
 今回解禁となる研究の中には、動物の除核卵細胞にヒトの細胞を混ぜる異種間の核移植が含まれている。これは大変なことである。そして、科学者の中には禁じられている方法をこっそりと実施する可能性もあるのではないだろうか。例えば、人と猿との合成である。
  先生は、ES細胞の研究には一貫して反対のお立場である。受精卵を破壊して作るからだ。逆に、未受精卵の核を取り除いたものに体細胞の核を挿入することで、受精卵と同等のものを作り出す技術があるが、胚が自律的に細胞分裂を開始した時点で、霊魂の関与が認められるとしておられます。今回の解禁される研究で、動物の卵子の核を取り除いたものの中に人間の細胞を核移植することで、動物と人間の遺伝子が混合する危険性を生んでいるとしておられます。

人間を含めた生物は個体としてある前に、現象的には何十万年も進化の過程を経た生態系の一部として存在する。他の系とは混合し得ない。それを混ぜ合わせることで改善していると思うことは、人間の思い上がりであろう。人間だけが、自然界から生きていけると考える科学者が多いことを、不思議に思うと述べておられます。

  島根の信徒の皆様、遺伝子問題は決して難しくありません。慣れていないだけです。副総裁先生の御文章は、最新のものですので、何度も繰り返して拝読してみてください。理解できないことがあれば、ご説明いたします。申し訳ありませんが、島根の方だけです。メールアドレスは、HHH02342@nifty.ne.jpです。必ず、お名前を書いてください。

*絵は、大社の誌友会でいただいたサツマイモです。自作だそうです。Photo

 中内 英生

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November.17.2008「総裁先生への感謝」

Photo November.17.2008「総裁先生への感謝」
今日の歌::伝道に 一筋の道 歩まれし 教えの御親 旅立ち給ふ
遺されし 信徒の使命 大にして 中心帰一の 真理に徹せむ 

今は早や 高き霊界 おわします 常に吾等を 導き給ふ

 今日は、12月号『光明島根』に掲載予定の原稿を前もって掲載させていただきます。

        谷口清超先生、有り難うございます。

  神の子の皆様、有り難うございます。ご存じの通り、生長の家総裁谷口清超先生が10月28日午後10時21分にご昇天されました。驚天動地の驚きでございました。一瞬、偉大なる総裁先生が御昇天されて、今後どうなるのだろうかと考えましたが、既に副総裁谷口雅宣先生が全面的にかつ強力に私たちをご指導くださっておりますので、何の不安も心配も全く不要であるとすぐに思い直しました。私たちは今後、副総裁谷口雅宣先生に純粋に中心帰一して、全身全霊で人類光明化運動・国際平和信仰運動に邁進させていただくのでございます。

 追善供養祭は12月17日、生長の家本部練成道場にて行われます。島根県教化部では同時刻に、教化部会館にてインターネットを使用して、テレビ中継を行います。私たち信徒は、聖経『甘露の法雨』を拝読して、総裁谷口清超先生への感謝の真心を表現させていただきたく存じます。私は、生長の家本部練成道場にて、聖経を拝読させていただきますので、皆様は万障お繰り合わせの上、教化部においで下さい。御都合でお出でになれない方は、地元で信徒相集いて、谷口清超先生への感謝の聖経読誦を行いましょう。

 谷口清超先生は、大正8年10月23日、広島市南竹屋町に、父・荒地清介様、母・多賀代様の御長男としてお生まれななっておられます。昭和16年12月、東京帝国大学文学部心理学科を22歳でご卒業をされました。昭和17年1月に、陸軍二等兵として22歳で応召されました。その後、肺結核を発病され、島根県浜田陸軍病院にご入院されておられましたが、同室の田中上等兵から、『生命の実相』を借りて読まれまして、ご病気は快方に向かいました。その後、松江市の病院にも移られたとのことでございます。そして、昭和20年に御上京されて、人類光明化運動に参画されたのでございます。

 谷口清超先生のご快復の地が、島根県であったということは私たち島根教区信徒に取りましては誠に大きな喜びでございます。癒しの島根県でございます。安来には安立美術館があり、「癒し」の美術館として愛用されている由でございます。
 島根教区全信徒の皆様、12月17日の追善供養祭には、感謝の聖経読誦を真心を込めて行いましょう。そして感謝の実践として、教勢をさらに拡大して、谷口清超先生の深きご愛念にお応え申し上げようではございませんか。
 再拝

*今日は、江津ではじめて先祖供養祭が行われました。参加者20名でした。皆さんは大変喜んでいただきました。全部で約2時間で、御祭の後、40分間の講話でした。この地域は必ず発展するものと予測されます。絵は、江津の先祖供養をした会場から見た風景です。

   中内  英生

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November.16.2008「源氏物語二」

November.16.2008「源Photo_2 氏物語二」
今日の投句::雨上がり 落ち葉の上を 踏み歩く

(続き)当時の上流貴族は、熾烈な権力争いをしていたそうだ。それが中流貴族の式部の家庭に影響を与えたという。上流貴族の政変の影響を受けて、式部の父親は失職してしまう。その時、式部は知り合いの貴族の所で「女房見習い」として働きます。華やかさとはかなさとが背中合わせの貴族社会の無常さを式部は実感しました。それらは、すべて『源氏物語』を書く上の肥やしになったようです。人生体験と源氏物語の内容がダブっているのです。

 式部は、年頃になると恋愛経験を重ねていきます。内容はあまり信仰的ではないので、ここでは書きませんが、人生経験を文学にしていくところは、コロンでもタダでは起きないという芯の強さがあったのではないでしょうか。
 式部は、長徳4(998)年に、藤原宣孝と結婚しました。彼は、妻子ある中流貴族でした。当時は、一夫多妻制度で夫がそれぞれの妻の家を訪ねるという社会習慣だったそうです。その点はイスラーム社会と少し似ているのかもしれません。しばらくすると、宣孝は式部から遠ざかります。その時、彼女は宣孝に歌を送り、その心が通じて、宣孝も式部の元へ行くようになり、やがて女の子を授かります。

 ところが、宣孝が疫病で突然に死亡します。結婚後、わずか2年です。式部は幼い一人娘と共に絶望の淵に立たされます。彼女は、その悲しみを埋めるのに文学に求めます。当時は漢字は男性のもの、平仮名は女性のものと決まっていたようです。しかし、式部は漢字も読めました。それまでの文学は竹取物語のように荒唐無稽な物語であったのですが、『源氏物語』はリアリティに富んだ新しい小説・物語となり、人々の心を引きつけました。早く夫が亡くなった悲劇を、そのまま起爆剤としたのではないでしょうか。マイナスをプラスに転じました。彼女は、「はかなき物語を書きつづった」としており、それが『源氏物語』となったようです。

 「夕顔之巻」や「六条御息所」や、「空蝉」などの記述は、番組の解説ではご本人の体験であるとしております。当時、一条天皇と結びつくことで、権力を得ようとした藤原伊周は妹の定子を結婚させ、その教育係として清少納言を付けていた。片や、藤原道長は娘彰子を一条天皇に嫁がせていたが子供がなかった。そこで、道長は紫式部を登用したという。やがて彰子には男子が誕生して、道長は長期政権の座に着くことになったそうだ。

 式部が道長に召し出されてから、宮中で非常なとまどいがあったという。しばらくして、式部は半年間、宮中から離れ、家に閉じこもったらしい。宮中での人間関係に苦しんだようだ。その後、式部は、意を翻して再び宮中に帰ってきます。そして、「一の字もかけない」かのように振る舞います。何でも分からない振りをして、宮中の女性たちに問うたのでしょう。そうすると、女官たちは、つきあってみると実に善い人だと云うことに気がついたのでした。

 源氏物語は、その後、政治劇へと展開します。そして、寛弘5(1008)年11月17日(明日です)、ちょうど1000年前に一条天皇に献上されました。一条天皇は、源氏物語を絶賛します。しかし、式部は冷静であったようです。この源氏物語は、1000年もの間、読み続けられています。それは、漢学者だった父親から教わった式部の才能と父親の失職・結婚・夫の死という人生経験と道長から起用されたという時代背景とが奇跡的にミックスされたからであると、番組は語っています。表現力の豊かさは、読んだ書物の冊数に比例するようです。ともかく、良く読み、よく他人の話を聞いて情報を入れましょう。それが、纏まった形でアイデアとして湧出いたします。

 日本文学研究者のドナルド・キーンは、源氏物語に感動したといいます。彼の講演を一度聞いたことがあります。また、シベリアで抑留中に源氏物語を読んで、終戦後、源氏物語を研究したという人もいるそうです。源氏物語は54帖書かれていますが、1000年もの間、魅力を失わない物語はすごいと思います。
 全く、質は違いますが、『生命の実相』は、1000年間以上、読み続けられる聖典となるでありましょう。このご著書に、触れることができたことに、まず感謝をさせていただきたく存じます。

*今日は、生命学園で簸川の公園に行った。途中で、鴨を見るためにバスから降りたが、何と、今年初めて島根県に一羽だけ飛んできたという「ハクガン」を見ることができた。誠にもラッキーでありました。しかも、午前中は、朝は雨が降っており雨の天気予報であったが、午前中は晴れてしまった。有難いことです。

*絵は「洋なし」です。

 中内 英生 

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November.15.2008「深切」

November.15.2008「深切」
今日の投句::青空や やがて落ちなむ キウイかな

 『生命の実相』第7巻には、「(八)深切の生活を生きよ」という項目がある。まず、喜びの無い王子が喜びを獲得する過程がかかれている。毎日人に深切をするという、たったそれだけのことで王子は幸福になったというのである。与えたら物理的には自分の持っているものは減少することになる。しかし、幸福感は別である。

まだまだ多くの深切を人に与えよ。
まだまだ多くの賞讃を人に与えよ。
まだまだ多くの生命を人に与えよ。与えること多き者は刈りとること多き者だ。

 上記の御文章は、私たちに、与えることを促しておられます。そして、それが確実な幸福への道でありましょう。次には、みすぼらしい服装の男性に、その家の女将さんが靴を贈呈した話がかいてある。雪の朝に、その男が道の雪かきをしてくれた話だ。幸福感をもったのは、女将さんよりもその男だろうとしておられます。与えた方が幸福になるという素晴らしい原理である。それならば、幸福になるのは、今すぐにできることでは無かろうか。

 もう一つ話がある。ある紳士が乞食をつれてきて食事をさせ、激励とお金を贈呈した。その後、紳士は事業が行き詰まってしまった。ある時、見知らぬ男がお金をいくらでも貸しましょうと申し出た。よく見ると、自分が以前に食事をさせた乞食だった。紳士は、急場を切り抜けることができたのだ。

 愛行とは、単に雑誌を配ることだけではない。神の愛を行ずることである。先日、写メ俳で、娘さんの靴を磨いてあげているという話があった。伝道には、家庭外伝道と家庭内伝道があるが、家族に深切を施すのは家庭内伝道である。家族のために愛を尽くすとき、自分が如何に家族を愛しているかを実感する。家庭を天国にすることが、生長の家出現の使命の一つである。自分の家族を愛することが神の愛を実践することである。

 今日、私は仕事を終わり、今、家にいることができた。何と有難いことだろうか。心からそう思える。かつて、海外勤務の時には、家に帰りたくても帰ることが出来なかった。そのことを思うと、身に余る幸福を感ずる。妻よ、ありがとう。子供たちよ、有り難う、棲んでいる家よ有り難うという気持にならせていただける。

 家族のために頑張ると云うよりも、神様のお仕事をさせていただき、さらに家族を与えられ、その中で生活させていただけることは何と幸運でありましょうか。「足るを知る」ことの大切さを、副総裁先生よりお教えいただいている。まず、日常生活の中でそのことを行じてまいりましょう。今与えられていることに感謝を致しましょう。毎日、毎日を喜んで喜んで生活して参りましょう。

   今夜は栄える会の運営委員会が開かれた。栄える会の大幹部である安野地方講師から、今後は栄える会の支部例会が重要になると云う話があった。副総裁先生が常に「誌友会を盛りあげなさい」とお教えいただいていることを、栄える会で行うことになる。
 また、明日は、生命学園の野外研修だが、天気はどうだろうか。出雲と松江の生命学園が合流するのだという。どこかで、お好み焼きを焼くと聞いている。ちょうど、お好み焼きが焼けた頃に挨拶に行くのもよいかなと考えている。ちょっとズルイかもしれないが…。
 島根の信徒の皆様、今日一日、有り難うございました。感謝です。皆様のお陰です。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年11月14日のブログは、「チャリティーコンサートへ行く」です。島根教区でもできるようになりたいものです。本部ではもう26回目だという。谷口雅春先生の「宇宙荘厳の歌」や谷口清超先生の「虚空の讃歌」のことが書かれております。副総裁先生は、このような独特の宗教音楽が生長の家の聖歌として遺されたことは、私たちの「運動の幅を大きく広げる」ことになっているとしておられます。お帰りの時、暗い夜道であったが、闇の中にいても「神は隠り身におわしますかな…」という歌が心に浮かんで、何故か周囲が暖かく感じられたとのことであります。絵画と写メール俳句ともう一つ、音楽が加わると島根教区はさらに信仰と運動の幅が大きくなるのでありましょうか。

*絵は、「木次の山河」です。Photo_2

  中内 英生

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November.14.2008「紫式部」

Photo November.14.2008「紫式部」
今日の歌::寒き身に 月の明かりと 星ひかり
今日の予想::貴方の笑顔がきっかけで、善い運命が開けます。

 紫式部という文士をご存じであろう。このような人が日本にいたと云うことは素晴らしいことである。しかも女流である。文学的価値としては、世界最高級であるとの説がある。式部は、当時藤原道長との関係で、一気に有名になったらしい。時々見ているNHK『その時歴史が動いた』で放映していたのを鑑賞した。源氏物語千年紀と云われて世間では盛り上がっているようだ。しかし、内容が恋愛ものであり、真理から云うと「如何なものか?」という内容なので、私たちの信仰の世界では盛り上がることはおそらくないだろうと考えられる。源氏物語が一条天皇に献上されたのは、寛弘5(1008)年11月17日だったという。紫式部日記にはその当時のことが詳しく書かれているという。

 番組では、源氏物語は光源氏が様々な魅力的な女性との恋愛を重ねるという恋愛物語であると共に、光源氏が高貴な身分から転落した後、再び栄華を求めて権力争いをするという政治サスペンスであると分析している。しかし、何故、式部は『源氏物語』を書くことができたのであろうか。(余談だが自宅の庭には、大家さんが紫式部という紫色の実がなる植物を植えてくれている。)式部は、平安時代の半ば、京都で生まれた。中流貴族の娘であった。しかし、彼女は幼い時に母親に死に別れたため、母親の記憶はない。

 父親はしばしば外に妻を作り家を空けたという。その式部の心の透き間を埋めたのが文学であった。父親が漢学者だったため、書物は身近に沢山置いてあった。当時、日本で生まれ、使われ始めたばかりのひらがなの和歌や物語もよんだ。中国の漢詩や歴史書に親しんだという。要するに読みあさったらしい。この読書が式部を形成していく。式部の父親は息子に漢籍を教えた。かたわらで聞いていた式部の方が覚えが早かったという。しかし、漢籍は宮廷で男性が出世をするための知識であったので、一般女性には不要なものであった。父親は式部に向かって嘆いた。「お前が男でなかったことが、わが家の不運である」と。これは紫式部日記に書かれているらしい。多読のお陰で、式部には教養が身に付き、物事を一歩引いた視点で見る力を付けることができた。

 十代半ばで、ある時河原で見かけた怪しげな僧侶のことを呼んだ歌が残っているという。それは、「お坊さんが内職のために本来できない陰陽道の真似をして、御祓いをし、礼金を受け取っています。何と浅ましいことでしょう」という内容の歌だった。多くの本を読むことにより式部には物事の本質を見抜く視点が出来上がっていた。

 私たちも大いに読書をしようではありませんか。聖典は勿論のこと、副総裁先生がご紹介しておられる本を読んで見ては如何でしょうか。また、谷口清超先生の御著書の全拝読を目指してみては如何でしょうか。ともかく読むことは、後で限りないアイデアが噴出して参ります。残念ながら、原則として頭に入れただけしか脳からは出て参りません。
(つづく)

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
  2008年11月12日のブログは、「モルジブの決意」です。金融危機や経済危機で温暖化対策が忘れられそうになっているのをご指摘し、環境省が環境税の導入を実質見送ろうとしていることを、恥さらしの部類に入るとしておられます。
 また、モルジブ国のシード新大統領が、観光産業から得た資金を基金に回し、スリランカとインドの土地移住先の購入を検討中とのことであります。
  首都マレは、日本の援助で建設された堤防によって周囲を護られているが、他の多くの島にはそようような備えはないとしております。
  1992年に島嶼国同盟を結成し、先進国に排出量を下げるよう訴え続けているが、同盟国の人口は、世界の5%を含むとのことです。
  最後に、京都議定書で約束が守れないような先進国は、少なくとも道義的に、海面上昇で国土を失う人々を受け入れる義務が生ずると、断じておられます。

*今日は午後に三成の誌友会に参りました。出雲市内のようでした。開始の三十分前に、谷口清超先生へ感謝の聖経読誦をさせていただきました。絵はサツマイモです。 
 中内 英生

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November.13.2008「名古屋の繁栄」

November.13.2008「名古屋の繁栄」
今日の歌::ハクガンや 雪で浄むと 人の言う

今日はあなたにとってどんな日?→良いことがやって来ます。

 名古屋という都市は現代も繁栄をしている。この名古屋についてNHK番組『その時歴史が動いた』では、松平宗春というお殿様の物語を語っていた。これを見て、幕府の倹約的経済政策への中心帰一の考え方と、他を喜ばすという自由主義経済の考え方の二者択一について考えさせられるものがあった。時の将軍吉宗の倹約政策に「自由経済政策理論」をもって立ち向かったのは、江戸時代の藩主では宗春だけであったという。現代でいえば、すごいことではある。評価は分かれているようだ。さて、内容を見てみたい。

 徳川吉宗は財政難のために、享保の改革を断行した。質素倹約を旨とした生き方である。しかし、この改革に思わぬ伏兵がいたことを知った。それは、尾張名古屋の松平宗春というお殿様であった。宗春は「よく働き、よく遊べ」と奨励した。そして、名古屋を繁栄に導いた。その宗春と将軍吉宗とは対立することになる。遊興的な行動を自らも行い、民の経済循環を良くしようとした。

 享保の改革は一日二食を徹底させ、質素倹約をさせた。そのため、15年後の幕府には、100万両の蓄えができたとしている。しかし、幕府は豊かになったが、国民は豊かではなかったようだ。
 松平宗春は、兄が病気でなくなり、宗春が後を継ぐことになって、小藩から尾張(名古屋)藩主となり何事も変わってしまった。もともと宗春は、幕府の倹約方針に反感を持っていたという。

 城主となった宗春は、「民には息抜きが必要である」と、芝居小屋や遊郭を認めた。するとその回りには、さまざまな商売が栄えるようになったという。盆踊りも許可したらしい。人々は喜んだ。盆踊りの最中に、残念なことに宗春の2歳の娘が亡くなった。しかし、盆踊りは続行したという。城主になった初めの頃は、宗春は、将軍吉宗から大変期待された。しかし、次第に不仲になっていく。

 何事も派手にすることが、将軍吉宗への挑発となったらしい。それに対して、吉宗は怒った。宗春は、自分の政治に対する考えからをまとめた『温故政要』という著書を出版しようとしたが、幕府に差し押さえられてしまう。
 次第に、名古屋には、遊興に深入りする人物が出て来て、身を持ち崩す人も出て来たらしい。

 元文3年、参勤交代の折、6月9日、重臣たちがクーデターを起こして、宗春は城主の座を去ることになる。これには、吉宗が関わっていたと説明していた。宗春は御三家の人だったが、処分された異例の出来事だった。治世はわずか8年間だった。それからは、幕府の中央集権が強くなっていく。そして、中央集権体制の結果、100年間の徳川の歴史を130年間、引き延ばす結果になったとのことである。
 しかし、宗春は、結果的には経済都市名古屋の基礎を築いたことになった。それ以後の宗春は、25年後、65歳で亡くなったが、罪を赦されなかったらしい。

 確かに、民の生活を自由に派手に行うことは経済が発展すると言う面もあろうが、その時の幕府の方針に背いて、尾張で政治を行う場合は逆風が吹くことはやむを得ないのかも知れない。戦国時代は充分にそれでよかったのであろう。しかし、確信犯的に逆風を覚悟で宗春は行動していたのかもしれない。自分なりのしっかりとした経済理論があり、幕府の詰問に対しても逆に確固とした信念で反論していたという。しかし、お上が贅沢になると下は歯止めが利かなくなるのが通例ではありましょう。自分ならどうしただろうか。どちらかというと質素倹約が性にあっているので、おそらくそちらを選んだに違いない。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
 2008年11月11日のブログは、「日本の温暖化対策は間に合うか?」です。温室効果ガスが前年比で2,3%増加したことと、政府の温暖化政策への行動計画の発表等をお書きになっておられます。また、「ドイツのように、太陽光などの自然エネルギーで発電した電力を、電力会社が買い取る価格を引き上げる対策を実施してほしい」とのお考えです。私もテレビでドイツの電気買い取り状況を見ましたが、これくらいやらないと動かないのではないでしょうか。
 また、東京都の石原慎太郎知事に関しては、環境対策に関する限り、彼なりの方法が効を奏していることを認めておられます。
 
*今日は久しぶりの木曜休日です。絵は「ハクガン」です。Photo_2
 中内 英生

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November.12.2008「アマゾンの金鉱」

Photo_3 November.12.2008「アマゾンの金鉱」
今日の歌::庭に出で 霜夜の星の 数かぞえ

 「金」を「カネ」と読むのと、「キン」と読むのと両方がある。カネは貨幣などを表すが、金本位制の名残だろう。また、「キン」は金属である。その金の堀り方については、何回かはテレビで見たことがあったが、環境破壊との関係で放映したこともある。今日は、アマゾンの金鉱についてである。ブラジルは広い国土があるから、色々な鉱物資源を産出するのだろう。 

 NHK番組『探検ロマン・世界遺産』では、かつての「アマゾンの金ラッシュ」について放映していた。これは、17世紀に栄えたブラジルのオウロプレトという街で、現在7万人ほどらしい。ブラジルは、アマゾンという密林があり、世界の二酸化炭素の吸収を行うと言われている。しかし、その伐採が進んでいるとも云われている。かつてNHK「スペシャル」で見たが、某国が大豆の生産をブラジルに依頼し、ブラジルの密林を伐採して農地を作り、さらに農地から港まで運ぶ鉄道を敷くという大がかりな事態まで招いている。その場合は、かなりの密林がなくなるのは当然である。

 ここで云う金鉱もどうやら環境破壊に繋がるのかも知れない。まあ、日本でも弥生時代に弥生人が日本に入ってきて、森林を伐採して田畑を作ったことからして日本最初の環境破壊といえるのかもしれないが、現在では、人と自然との調和を目指すという考え方でさまざまな工夫が凝らされるようになった。白鷺やトキが住める昔ながらの田畑も充分に可能である筈である。さて。

 ここオウロプレトでは、まだ金鉱が残っているらしい。番組では夫婦で金鉱を掘るのに都会から来ている人もいた。子供に教育を与えたいのでこれ以外に方法はないという。金鉱堀りは10人のチームで、行動するという。この町では、食材を買うのにお金ではなく、「キン」で支払っていた。お店に金の秤が置かれていて、その重さで支払う。給料も金で配っていた。それでも一ヶ月で一人7万円ほどだ。この辺りの町の給料の5倍であるという。短期間でも「それなら行こう」という気になると思う。

 ブラジルは格差社会であるらしい。一割の金持ちが国の半分の冨を所有している。六割の人々は貧しい。だから、海外での出稼ぎに行くのだろう。お陰で日本でも企業は労働力確保で助かっている筈だ。生長の家が世界に広まるのも、ブラジルの方々のお力が大きいので、神様の広大無辺なる配慮かも知れない。ドイツに練成会のお手伝いに行かせていただいた時も、ブラジル人の方々が沢山来ておられた。

 オウロプレトには、嘗ての繁栄を物語るように、2200の金鉱の後があった。宝石の採れる所もあるらしい。この町にポルトガル人によって奴隷が連れてこられ、町の6割が奴隷であったという。日本は奴隷制度もなく、奴隷として扱われた歴史がないので心情的には理解がしがたいが、なかなか大変な状態であったと記録されている。アフリカで普通に生活しているのを、同じアフリカ人がヨーロッパ人の依頼を受けて、奴隷狩りを行い、有無を云わさずに新大陸に連れて行く。それは動物なみの扱いを受けて大変な思いをされたと思う。このオウロプレトでも、奴隷が来て、仕事と扱いの激しさで2~3年で死んでいったという。今、アメリカでは、奴隷の子孫ではないが、黒人のオバマさんが大統領になった。隔世の感がある。

 生長の家では現在、イスラム教への研究が進みつつあるが、イスラームは人種の差別をしない宗教という意味で新しい世界を開く内容がふんだんに盛り込まれているのではないだろうか。副総裁先生のイスラムに関するご著書『衝撃から理解へ--イスラームとの接点をさぐる』が近々、出版されるので島根の信徒の皆様とご一緒に学ばせていただきたい。

 本論からやや外れたが、金を掘削するのに、やはり穴を掘る方法もあるが、木が生えた土地を破壊しつつ、水で「金」を濾して行く。この作業のために、その場所の自然環境が破壊されるようだ。貨幣や株や土地などの財産は、変動しやすいが「金」は変動しにくいということで財産として求めることもあるだろうが、環境破壊という面もあることも心に留めておくべきだろう。

【日々、副総裁先生のブログをご一緒に学びましょう】
  2008年11月10日のブログは、「理性と教典解釈 (2)」です。昨日の質問の続きです。
①まず、「教典の解釈」であって「真理の解釈」ではないことを確認しておられます。
②イスラームの各派についてご説明されています。
③宗教の教典を「字義どおりに解釈する」ということは、解釈の余地を最小限に狭めるということである。原理主義の是非について(⑤を参照)。
④法源から理性を排除した信仰によって、平和はもち来されることはない。
⑤現代のイスラーム原理主義国家で禁止されていることが列挙されている。島根の皆様はどのようにお感じになりますか?

*今日も元気に御教えを学び、実践し、愛行をいたしましょう。

*日経新聞(2008/11/12)には、「電気料金環境対応型に」として、経済産業省は地球温暖化対策を加速するため、2009年度内にも電気料金制度を改訂する方針を固めたとのことである。温暖化ガス排出の少ない太陽光などの新エネルギーの調達費用の明示を電力会社に義務付けるのが柱である。電力会社が利用者に費用の負担を求めやすくするとしている。中長期的にみると料金の上昇要因となるが、低炭素社会づくりを急ぐには家計や企業の負担増は避けられないと判断したという。副総裁先生がおっしゃっていた法制化がいよいよ動き出したのでしょうか?

*絵は「バナナ」です。最近、子供たちがよく食べています。
 中内 英生

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November.11.2008「登山と夫婦愛」

Photo November.11.2008「登山と夫婦愛」
今日の歌::出雲吹く 初冬の風や 海辺から 

 「NHKスペシャル」(2008/10/20)では、「白夜の北極圏・高さ1300㍍大岸壁」というのを放映していた。「夫婦で挑んだ白夜の大岸壁」と副題がついていた。この番組を夫婦調和を目指している人に見ていただこうと録画した筈だったが残念ながらミスレコードだった。東京都奥多磨町に住む山野井泰史さんと「たえこ」さんご夫妻の登山記録である。ご夫妻は二人暮らしだ。野菜も自宅で作っておられる。どうして夫婦で登るのだろうかと思ったが、二人とも登山家だからだ。

 厳しいクライミングだが、「楽しいから登る」のだそうだ。達成感が何とも言えないんだろう。ドーパミンが多量に放出されるのが予測される。今回はグリーンランドの山に挑んだ。かつて、ご夫妻は、ギャチュンカンという7952㍍の山に挑んだ。雪崩が襲い、50㍍滑落した。妻は宙づりになり、夫は衝撃で目が見えなくなった。-30度の中、夫は見えないので手袋を脱ぎ、素手でハーケンを持って位置を確認して下山した。左手の小指など数本を失った。妻も同様だった。命が助かったのが不思議なくらいだった。それから登山はできないと考えていた。しかし、登山の楽しさは再びご夫妻をチャレンジさせた。指が短くなった妻用のハーケンを自分で作り、自宅にある練習用の模擬岸壁で体力を付けたとしている。
 
 収入はメーカーからのアドバイス料が年間300万円くらいである。収入のほとんどは登山に投入する。これほどの気合いで自分の好きなことに打ち込める夫婦は幸せなのだろう。自宅の模擬岸壁は山の仲間が作ってくれた。体力は以前の6~7割程度回復したそうだ。御主人は、独身の頃は、ソロで登る人だった。その道では有名な人だそうだ。単独無酸素登頂をやっていた。そこで先輩であり尊敬する9歳年上の女性と結婚した。

 しかし、指が短くなった状態で何故ここまでして、夫は夫婦で登山しようとするのだろうか。彼は言う『夫婦二人で頂上に立ちたい!』と。素晴らしい言葉ではないでしょうか。
ご夫妻は、人類未登頂のグリーンランドの「オルカ」に2007年8月16日、12時37分、頂上に立った。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年11月 9日のブログは、「理性と教典解釈」です。横浜の講習会のことをお書きになっております。「宗教の経典の解釈」の質問についてお答えです。質問の正確な内容は、本文をお読みいただきたいのですが、私は次のお言葉で私はハッとなりました。意味を知らない訳ではないのですが、新しい御表現を拝読すると脳が活性化するのでしょうか。

宗教では、「教えの奥深いところが共通している」というのが万教帰一の意味である。

 また、質問は一部誤解があると指摘されている。また、「教典の解釈」と「真理の解釈」とは意味が異なるということもご教示されている。また、真理の解釈は、天動説から地動説へさらに相対性理論へ変化するなど、科学の進歩によって変わるように、時代によって周辺部分は変わることを示しておられます。また、ご著書『信仰による平和の道』を紹介しておられますので、未読の方は早めに拝読してください。

*絵は富士山の雪帽子です。

 中内 英生

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November.10.2008「ノーベル化学賞」

Photo_4 November.10.2008「ノーベル化学賞」
今日の歌::北風や 吹きて感謝の 築地松 
(最近は、松食い虫のために随分と築地松が減少したそうだが、この松のお陰で家屋が防護されているそうだ)。

 NHK番組「サイエンス・ゼロ」(2008/10/19)で、ノーベル化学賞について点検していた。物理学賞は既に書いたので、今日は化学賞を書かせていただく。この授賞で興味を引いたのは、下村脩さんには「光る物質が美しい」という美に対する感動が根底にあったとする下村さんの後輩とも言うべき科学者が説明していたことだった。夜間に発光するプランクトンや発光キノコなどは実に美しいという。GFPという緑色蛍光タンパク質の発見が授賞の対象だ。しかし、下村教授の発見を、コロンビア大学のマーチン・チャルフィ教授とカリフォルニア大学サンディエゴ校のロジャー・チェン教授が実用化して有益な状態にしたことで、下村教授の授賞も決まったという。有難いことである。その後輩によると、下村教授は、「本当に研究が好きな人」だとのことである。

 共同通信によると、下村教授は1928年、京都府福知山市生まれ。陸軍将校の父について、幼少期を大阪などで過ごし戦中に長崎県諫早市に行った。16歳のとき原爆を体験したという。
 爆心地から20キロ近く離れた場所ではあったが、下村さんは後に「建物の中が明るい閃光でいっぱいになり、目がくらんだ。すぐにとてつもない爆発音が聞こえ、衝撃波を感じ、耳が痛くなった」と当時の記憶を語っている。

 下村さんによると、発見当時の「利用法何もなかった」という。しかし、発見者も驚く応用の発展があった。オワンクラゲから抽出された緑色蛍光タンパク質(GFP)は、そもそも自然界では“脇役”の存在である。発見者の下村脩さんも、「(最初は)何の利用法もなかった。ここ10年間でGFPの応用が驚異的に発展を遂げたことに私自身も驚いている」と話していたらしい。「サイエンス・ゼロ」でも、彼の論文では「こういうこともある」という大したことはないという表現だったと聞く。

 下村さんは、オワンクラゲの発光物質を抽出する過程で、青く発光するタンパク質「イクオリン」を発見した。同時にごく少量のGFPも見つけた。
 オワンクラゲの発光の主役はイクオリンで、GFPはイクオリンが放つ青色の光のエネルギーを奪って、緑色の蛍光に変換する脇役にすぎなかったとしている。
 「GFPの蛍光を出す部分の化学構造を解明した1979年で、化学者としての仕事は終わり。その時点でGFPは、美しい緑の光を放つ不思議なタンパク質にすぎず、何の利用法もなかった」と。
 ところが、90年ごろからの遺伝子工学の発展に伴って、生命科学やバイオテクノロジーの研究に幅広く使われるようになり、今や欠かせないツールになった。それが授賞に繋がったのだった。運命はどこで開けるか分かりませんね。こつこつと努力を積み重ねることが必要であります。

 私たち信仰者は科学者のごとく、真理の探究と生活化に情熱を傾けるような生き方をしたいものです。派手な生き方だけでは、基本エネルギーが枯渇しいつかは行き詰まるようです。島根の信徒さんのように地道な信仰こそ、人生を最後まで全うする信仰者の生き方ではないでしょうか?

*練成会は、75名の方がご参加下さいました。このエネルギーが、地元の誌友会に伝わりますように祈ります。また、生長の家が初めての初参加者も数名来ておられて、有意義な練成会でした。関係したすべての人に感謝を致します。
 「谷口聖超先生への感謝の言葉」の所に次々に、皆様の感謝の言葉が掲載されています。感謝と感動が伝わって参ります。

*絵は、「教化部の近くの民家」です。

 中内 英生、

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November.09.2008「写俳」

Photo_5 November.09.2008「写俳」
今日の歌::肌寒し まだ見ぬ山の 雪思う

 今日は練成会第二日目だが、夜の時間に、八幡地方講師に来ていただき、写メール俳句の説明と実習を行った。俳句は驚くほどみんな良くできたように思う。写真と俳句を一緒にしたものを、俳句界では、写真俳句で「写俳」というのだそうだ。すでに、写メール俳句は、先日からブログに掲載されている。光明島根人は私のペンネームである。みんなうまい。皆さんも、やってみては如何でしょうか。写真を撮り、俳句を作り、コメントをして、ペンネームを入れて、送ってください。俳句をやっているとボケないといわれている。(アドレスはbch05742@nifty.com)「いいこと写メ俳」「光明写メ俳」などとしてアップしたい。

 練成会では初の試みであった。八幡地方講師はペンネームを八幡里洋という。何故に、里洋かとお聞きすると、理容を職業としているからだそうだ。なかなか面白いではないだろうか。この表現方法は、先日の講習会の御講話の折に、副総裁先生がおっしゃられたことである。副総裁先生の御心を即実践の島根教区でありますので、写メール俳句の教区の流れができますように努力したいと考えております。一年くらい続けると、何らかの形あるものに仕上げさせていただきたいと思います。

「秋の朝 知るや知らずや 靴磨く」と詠んだ桜森人(さくらもりと)さんは、高校生の末娘の靴を毎朝磨いているそうだ。これには感動した。キリストが弟子の足を洗ったような心境だろう。私は、子供たちの靴を揃えることは始めたが、磨くことまではやっていない。できればこれも見ならおうと思う。

 絵封筒に関しては、副総裁先生のブログに掲載されていたAさんと、Hさんに体験談をしていただいた。お二人とも感動しておられた。これからもさらに続けていただきたいものである。副総裁先生から、「絵手紙バトル」という言葉もお教えいただいた。これくらいの気合いで描かなければいけないのだろう。

 昨日から、始まった「谷口清超先生、有り難うございます」のコーナーは、石田地方講師を一番目に掲載させていただいている。順次、掲載していきたいと思う。島根教区信徒の総裁谷口清超先生への感謝と真心のメッセージである。また、練成会開催中に関わらず、寸暇を惜しんでのワープロ入力の努力をしてくださる職員の方々に感謝します。

 練成会は今日で60名を越えたので嬉しい限りである。人が喜ぶことをすることは何と楽しいことだろうか。12月3日には、松江道場で、一日見真会が行われる。午前十時から午後四時までの予定だ。この見真会が成功すると、必ずその喜びは、各地域に飛び火し誌友会の活性化に結びつくと考えられる。

 今日は、寒い日となった。冬は寒い方がよいのではないかと思う。昔から懇意にしていただいている知人から柿の実を送ってきてくださった。この柿は、人生は花ばかりではなく、花も実もあることが必要であるからとして、「人生と教勢発展の実り」を象徴化するために植えた柿の木だが、8年かかるところが3年ほどで実ったらしい。こういうこともあるのだろうか。それとも温暖化の仕業か?品種改良をしているのだろうか?それはともかくとして、その真心のお気持ちが何とも嬉しかった。それにしても、島根県教化部の事務室にはお菓子や果物が絶えることがない。お米も信徒さんが沢山奉納してくださるし、練成会でも困ることがない。嬉しい限りである。感謝。

 今日は、練成会で多用のため、決まったテーマで書く時間が無かった。従って行事の感想のような文章になって申し訳ないです。では、明日またこのブログでお会いいたしましょう。絵は、「落ち葉」です。循環型自然の姿です。

 中内 英生

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November.08.2008「ノンフィクション作家・澤地久枝」

Photo November.08.2008「ノンフィクション作家・澤地久枝」
今日の投句::完熟や 匙にて掬い 柿甘し

 澤地久枝さんというノンフィクション作家の番組を観た。NHK番組『人生の生き方』で「声なき声を聞く」という題名だった。この方は73歳になっておられるようだが、大変にお元気である。昭和の歴史と向き合うという姿勢だそうだ。『妻たちの2,26事件』やミッドウェー海戦のような重い事件がテーマである。

 ミッドウェー海戦では日米全戦死者3419人の個人ファイルを作るなど徹底した取材方法を取っている。これには驚かされた。『海よ眠れ』では、菊池寛賞を受賞している。アメリカまで行って、遺族に取材している。

 彼女は心臓手術を3回したそうだ。心臓病で肥大しているという。東京女子医大病院で心臓の専門医である榊原先生のお世話になっている。榊原先生は、彼女が作家としてデビューしたとき、心から喜んでくれたようだ。この番組には榊原先生の御写真が2回出て来た。榊原先生の描かれた絵がどういう訳か一枚、わが家にはある。単なる木が立っている絵だが、偉い人が描いたと思うとそれだけで「オオッ」と思ってしまう。また、どういう訳か、奥様が私の結婚式にお出でいただき、祝辞を述べていただいたことがあり、不思議なご縁を感じる。奥様と澤地さんとは仲がよかったようである。お二人とも気さくな方のようだ。

 澤地さんは64歳の時、三度目の手術を受けた。彼女は言う。「生きていることに意味がある」と。心臓病になっても決して不幸だとは思っていない。うまくつきあうようにしているらしい。何と、67歳の時に沖縄に行き大学の聴講生となり、「国際関係論」を学んでいる。その熱心さにはすごいものを感じる。生き方にそれくらいの執念のようなものが必要なのだろう。ご自分ではある使命感を感じておられるようだ。

 私たちは、人類光明化運動をさせていただいている。完全円満なる「生命の実相」の世界の情報を神想観に於いて綿密に取材し、人やものごとの善情報を日時計日記で確認するなど、そしてそれをお伝えすることに全力を尽くすべきであろうと考えられる。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年11月 7日のブログは、「絵封筒、届きました。(2)」である。
 Aさんからは、大根島のことはお聞きしたことがある。Aさんは、柿の絵手紙を100枚描き、そのたびごとに実力を養成していったようだ。大根島の廃船について、副総裁先生は、「朽木となっても船としての意志を維持し続けている廃船に、私は白骨のような威厳を見たのである」とお書きになられている。この段落の御文章は実に美しい。

*今日から、教化部ホームページの「その他」のトップに、「谷口清超先生、有り難うございます」という「谷口清超先生への感謝の言葉」を掲載することになった。ココログを利用して掲載する。島根教区は、インターネット会員は数%に過ぎないので、古い信徒さんは感謝の思いが深い。それで表現の場がほしかった。島根教区の信徒の皆様、どうぞ、感謝の言葉を教化部にお送り下さい。

*絵は、「梨」です。

 中内 英生

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November.07.2008「ユング心理学と仏教」

November.07.2008「ユング心理学と仏教」
今日の歌::立冬や 冬のかけらも 見当たらず

   2008年10月 8日の副総裁先生のブログ「対称と非対称 (6)」にてご紹介しておられる『ユング心理学と仏教』(河合隼雄氏)を読了した。心理療法家であり、京都大学名誉教授である河合氏の文章は、個人指導をする上で大変参考になったと思う。興味のあることが多く書かれていた。

 P238 阪神大震災のことがかかれている。「やはり話題になったのは、日本では災害後に暴動や略奪が起こらなかったことである」と。アメリカではそうはいかないらしい。また、(P239)「日本人は震災のショックを人々が全体として受けとめているので、孤独を感じる度合いは、アメリカほど強くはないと思われるからである」。この文章を読んで少し嬉しくなった。

 P217には、何と「1000の風」の詩が載っていた。これは、秋川雅史さんが歌っていた歌だが、作者不詳の西洋人の詩とかかれているので、秋川さんの歌う歌とは詩の内容が若干違っていた。秋川さんは愛媛県の西条市のお生まれだが、「私が子供の頃は、お前は西条のクズだと言われていました。今は西条のホコリと言われています」と言っていた。この街には、愛媛教区生教会会長の伊藤勇二さんが住んでおられるが、大活躍をしておられると聞いている。ともかく生命学園作りの天才である。

 P192には、雑巾がけをしたご婦人のことがかかれている。彼女は、夢を見た。近所に徳が高い僧がこられた。大急ぎで講演会会場に行くと既に講話は終わっていた。がっかりした。帰ろうとすると高僧が現れ、一枚の雑巾を手渡され、あっけにとられているうちに目が覚めた。そのことを河合氏に話しているうちに、彼女の家は使用人がいてそんなことをする必要はなかったのだが、彼女はそれ以来、家の廊下の雑巾がけをするようになられたという。これは大変、素晴らしいことではないだろうか。

 P169には、「心理療法の根本は、クライエントの自己治癒力に頼ることだ、と私は考えています。」と書かれています。本人の治癒力を信じて引き出すのが生長の家で言う自己治療であり他人治療でありましょう。療法家が相手を癒すのではなく、患者に癒しの力が出るように協力するとも書かれています。「なるほど」、です。

 P162には、「”死にたい”という言葉でしか自分の「生きたい」気持を表現できなかった、と言われ、この一言で私は大いに教えられたのです。」とあります。「死にたい」という言葉は、本当は「生きたい」という思いの表現だったようです。

 P121には、「私は誰か」という質問には答えられるが、「私とは何か」という質問には答えられないのではないか、と書かれています。人間の本質の問題でありましょう。これを御教えでは端的に「人間神の子」と教えられております。実に有難いことです。まだ、色々とありますが、これで終わります。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年11月 6日のブルグは「単行本『衝撃から理解へ』」です。副総裁先生の新刊です。イスラームに関するご本ですので少し理解しにくいかも知れませんが、いずれ皆様の前で解説させていただきますので、どうぞ、ご購入下さい。

*今日は、午前は、白鳩会総連・地区連会長会議があった。大半は、講習会のことで費やされたようだ。お互いの健闘を讃え合った。本当によくがんばって下さいました。有り難うございました。午後は、壮年層学習会に関する勉強があった。正副会長さんはそれぞれに相当に勉強しておられる。優秀である。

*絵は、「教化部にいただいた無花果」です。Photo

 中内 英生

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November.06.2008「インドの製薬会社が日本の製薬会社を買収」

November.06.2008「インドの製薬会社が日本の製薬会社を買収」
今日の投句::寄鍋や フードマイレージ 考える

 インドの製薬会社の進出を「NHKスペシャル」で、「インドの衝撃Ⅱ」として放映していた。日本の会社が買収するのかと思ったらその逆で、インドの製薬会社が日本の製薬会社を買収していた。会社はグローバル化をしているというべきか。IBMにしても、昨日の日経新聞に一面広告で出ていたが、すでにアメリカを離れていると聞いたことがあるが…?。昔はIBMのパソコンは買うときは安かったが、故障して修理するときには高くついた。現在はどうであろうか?さて、インドであるが…。

 インド人口は11億人と云われている。21世紀で最も成長する国であると云われている。日本に上陸して、買収された会社がインド流ビジネスにタジタジとしていた。かつての高度成長期の日本のビジネスマンとは少し違っていた。インドの経営者の方がかつての日本のビジネスマンに似ていた。30年ほど前にコマーシャルソングで流行した「リゲイン」のコマーシャルソングが懐かしい。「黄色に黒は勇気の印…」というような文句だったろうか。

 昨年、大阪の共和薬品工業が買収されたという。共和の幹部は言う。「インドの経営者は恐れと同時に頼もしさがある。インドの製薬分野での世界的な力を借りたい」という。インドの製薬会社「ルピン」の年間売り上げは520億円らしい。すごい勢いである。会長はルピタ氏である。共和は、もちろん日本企業だが、錠剤に糖衣を被せる技術で躍進したようだ。確か子供の頃、苦い筈の薬が甘くなったことを覚えている。共和は、独立しては生きていけないと考えて、ルピンの参加に下る道を選んだという。親類筋でもあるようだが、国内ではパナソニックとサンヨーの買収劇もある。

 インドでは、子供の頃から交渉力を身につける教育訓練がなされている。その授業風景が映し出されていた。バス登校がよいか、自転車登校がよいかの議論が白熱化していた。日本でもそのような教育訓練は少しはされているのだろうか。家の子供からは聞いたことはない。

 ルピンの会社の得意とする薬品は、ジュネリックという特許が切れた薬品だそうだ。例えば胃薬では、生発薬が60円だとすると、ジュネリックは18円である。これで競争力を付けるのだそうだ。そして、コストダウンをするのにしのぎを削る。製薬の技術に関してだが、インドは人件費が安いので、高度な医学の知識を持った人たちが沢山入社しているという。営業に於いても、決して妥協を許さない。要するに、結果としての数字を求める。徹底的に経営に於いて成果を求めるようだ。ルピンの社長は、買収会社は、その他に何社か、日本の製薬会社を買収すると計画を発表していた。

 アメリカでは日本企業がアメリカ企業を買収し、そうかと思うと、インドの企業が日本企業を買収する。いわゆるグローバル化である。インターネットの発達で、情報伝達も速い。この流れに、生長の家の国際平和信仰運動も乗っている。素晴らしいことではないだろうか。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年11月 5日のブログは「オバマ大統領の誕生」です。この御文章が掲載されることをお待ち申し上げておりました。
 副総裁先生は、アメリカ国民の大半は、ブッシュ氏の路線からの決別を選択してくれたことに対し、アメリカ国民の選択の正しさと賢明さに尊敬の念を表すとともに、心から感謝申し上げたい、との感謝の意を表しておられます。
 また、9・11事件以来、生長の家で変わったのは、イスラームという宗教を知る努力が本格化したことであるとして、生長の家の万教帰一運動の進展を述べておられます。私も、イスラームを勉強し始めることができて大変に嬉しく感謝しております。 
 また、民主党のオバマ大統領が誕生することで、アメリカ国民のエネルギーと創造力が地球温暖化抑制へと大きく舵を切ることが期待されるとして、おられます。
 また、その温暖化対策にしましても、現在の日本の閉塞状況にあっては、江戸末期の“黒船の来航”のように、アメリカ初の黒人大統領・オバマ氏が、日本社会の目を覚ますような一矢を放つ可能性を私は密かに期待している、としておられます。
 島根の信徒の皆様、オバマ氏は47歳で壮年層です。島根に壮年層の会員が増加する予兆であると思います。1月16日~18日は、「お父さんお母さんのための練成会」が開催されます。沢山の壮年層の皆様をお誘いいたしましょう。

*絵は、「熟柿」です。Photo

 中内 英生

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November.05.2008(夕)「アメリカ企業の買収」

November.05.2008(夕)「アメリカ企業の買収」
今日の歌::母上の 喜び給ふ 絵手紙を 今日も描かむ 明日も送らむ

 「NHKスペシャル」で、「第1回アメリカ買収」という番組があった。今日は、オバマ氏が米国大統領選挙の勝利宣言をしたばかりである。副総裁先生のブログが待たれる。副題は「ジャパン企業によるアメリカ企業の買収」である。「アメリカを買って、世界を取れ。原子力ビジネス、東芝の賭け」ともある。ウェスチングハウスという会社があるそうだが、この会社は全世界の原子力発電の技術の半分を持っているらしい。

 原子力発電は、御教えでは世代間倫理の問題があり、不可の立場に立つ。今日は、別の角度から考える。この会社を買収することにより、東芝は世界標準を取り込もうとしているらしい。東芝は、タービンの製造で勝れているという。千分の五㎜という差による技術がある。しかし、なかなか東芝の技術をウェスチングハウスの技術者は認めようとしなかった。

 日本とアメリカの関係は、1970年代は主に輸出先であった。自動車、カラーテレビ、工業製品などである。1980年代は、円高・貿易摩擦の関係でアメリカでの現地生産が始まった。そのために、新たに工場建設や買収を行った。自動車関連企業が多かったようだ。コロンビア映画を買収し、1989年はロックフェラーセンターを買収した。この出来事は新聞で見た記憶がある。そして現代は、再び、世界を手に入れるためにアメリカ企業を買収し始めたということらしい。

 今回は、第1回目だが、第2回目はどのようになるのだろうか?共和党のオバマ氏が大統領になることは、日米関係にどのような変化をもたらすのだろうか?ともかくアメリカは世界をリードしてきた。しかし、それは永遠の繁栄ではないようである。世界の歴史は、力によって上がる者は必ず下がるということを証明している。

*今日は宍道での白鳩誌友会を担当させていただきました。誌友会前に、みんなで谷口清超先生への感謝の聖経読誦をさせていただきました。有り難うございます。

*絵は、「吾が宿」です。Photo_2

 中内 英生

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November.05.2008(朝)「新型人工心臓の妙・夢が人を動かす」

Photo_2 November.05.2008(朝)「新型人工心臓の妙・夢が人を動かす」
今日の投句::窓からの 光差し込む 冬の部屋

 ある人が描いた一つの夢が多くの人を動かすようだ。NHK番組『プロフェッショナル』では、野尻知里さんという56歳のスーパー大和撫子を紹介していた。医療機器エーカー米法人に所属する。彼女は新型の人工心臓を作っている。体内の埋め込むのは映像をみているとなかなか大変なようだ。機械は、回転するが軸が無く、磁力で浮いたまま回転するので血栓ができにくいのだそうだ。軸があるとどうしても血栓ができそれが脳に上がると、脳がストップするらしい。

 彼女はアメリカで仕事をしているが当然の事ながら周りは全部、アメリカ人である。「チア・リーダーになりきる」ことがリーダーとしての彼女のモットウである。御主人の利彦氏と娘さんとの生活である。仕事は常にウルトラポジティブの姿勢を崩さない。前向きにスタッフを盛りあげる。アメリカは心臓病大国である。その中で夢を叶えようとする。「夢を叶えるのは自分」であると常に自分に言い聞かせる。やることはやる。決してあきらめない生き方だ。

 人工心臓の専門的なことを話していたが、取りつけると再び、心臓の筋肉が快復して動き出すことがあるそうである。この新型人工心臓は、何とたった0,05㎜だけ浮くように作られている。軸が無いというだけで血栓ができにくい。

 彼女は幼いときから勝ち気な少女だった。医学部に入り医者となったが、心臓の外科医を止め、医療機器メーカーに入社した。取材の時は、彼女の開発した新型人工心臓はヨーロッパでの認可を受けたところだった。しかし、それを付けた患者が何人か死んだ。調査をしたところ、旧型人工心臓の場合に投与する薬を、新型人工心臓の場合も同じように投与していたことが原因であると分かった。

 彼女はいう。「外部からのプレッシャーを決して部下にはもらさない。新型人工心臓の開発に関して”中止するという選択肢もある”と云われることもあるが、それを乗り切るのだという。彼女は逆境にたつと逆に強くなる。悲しいときもあるが、泣くだけ泣くとすっきりする。泣くことで禊ぎをすませて、元気が出てくるとのことである。

 この危機は、一分間で1300回転から1400回転だそうだ。アメリカでの認可の目標は3年後だ。立ち止まっている時間はないとしている。プロフェッショナルとは、「情熱を燃やせることを見つけること。それを見つけたら、粘り強く、あきれめずやり続けること。障害があったらそれをスプリングモードにすることだと思う」と。どうやら夢が実現するまで行動を止めない女性らしい。しかしそれが実現したらさらに目標を掲げるのだろう。「夢は必ず実現する」というのは生長の家の御教えであるが、野尻知里さんのような超積極的な生き方をしていると、どうも不可能が可能になっていくようである。

*絵は、「柿の実」です。
 中内 英生

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November.04.2008(夕)「フード・マイレージを減らそう」

November.04.2008(夕)「フード・マイレージを減らそう」
今日の投句::鰯雲 風さわやかな 布団干し

 フードマイレージという言葉は最近は一般的になってきた。NHKで「日本の食卓大研究」という番組があった。輸送距離×量(重さ)を算出する。日本の場合は異常な高さだそうだ。もしも外国からの食材が来なくなると食糧危機に陥るという。どの国よりも先に飢ええてしまうかも知れない。日本は一年間に9002億㌧㎞だという。これは、アメリカや韓国の3倍である。また、フランスの9倍だそうだ。何故こんなに多いのだろうか。

 寿司のネタを考えてみると色々と分かった。番組に出ているいくつかの食材が紹介されていた。数の子はカナダからで21000㎞である。サケはチリからで15400㎞である。マグロは2200㎞で台湾から。ホタテとマダイは国産だった。エビはベトナムからで6600㎞だった。タコはアフリカ北西部のモータリアという所からで、20、800㎞だった。ヒラメはアメリカからで18600㎞だった。全部食べてみると、106,600㎞で地球を2,7周分という驚くべき距離だった。

 色々な理由があるらしい。北洋サケ・マス漁業は、200海里問題の関係で獲れなくなり、アラスカから輸入することになったらしい。歴史的な色々なことがわかる。しかし、現代は分かりにくいフードマイレージもあるそうだ。いわゆる「隠れフードマイレージ」である。例えばマダイは日本産だが餌は殆ど輸入である。南米ペルーの魚粉と輸入品の穀物(大豆・小麦粉・トウモロコシ)を混ぜ合わせて作るという。だから、隠れフードマイレージというらしい。

 卵でも日本産だが、餌は殆どアメリカからだというので、これも隠れフード・マイレージであろうか。その他にも色々とあると思う。何故、困るかというと輸送するときに二酸化炭素を排出するからである。だから、地産地消が良いとされている。できるだけ地産地消を心がけたいものである。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
11月2日のブログ「芭蕉の俳句」では、俳句を詠むときの心得をお示しいただいている。
それは、「自分の作品の1つ1つが、辞世の句になるような力の入れ方を、芭蕉はしていたのである。その真剣さに、私は頭が下がる。」という最後の御文章である。私もこのような気持で投句するように努力したいと思う。また、副総裁先生は、スケッチブックや絵の具や絵筆などもご出張にご持参しておられるようだ。これも真似させていただきたいと考えている。
 また、2008年11月3日のブログは、「絵封筒、届きました」である。Hさんの絵封筒を見て、私も「すごいなあ」と思った。ともかく右脳の開発が光明化運動には必要であるということが、御文章の終わり部分に書かれている。
 現在、始めているのは「写メール俳句」であるが、「絵メール俳句」はどうですかと青年会委員長さんに云われた。柔軟な考えに驚いた。ともかく実践し続けることが大切のようであります。

*今日は白鳩会の会議や練成会の打ち合わせや「お父さんお母さんの練成会」で終日、会議だった。有り難うございます。

 中内 英生

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November.04.2008(朝)「不思議な赤い海」

November.04.2008(朝)「不思議な赤い海」
今日の投句::子供らの 赤い声する 風の中 振り向き見れば 秋の陽光
 
 赤い海があるとは知らなかった。NHK番組『ダーウィンが来た』(2008/09/21)では、神秘の赤い海を報じていた。海ではあるが、海の表面だけの話で真水のようだ。場所はオーストラリアのタスマニアである。この赤い海域は、5㎞×7㎞の全体が赤いという。「…という」というのは行ったことがないからである。天足通で行けるといいですね。
この赤い水の下部分は真っ暗のようだ。赤い色の性質として、青い光は一番深くまで届くが、上に赤色があると赤以外の光は届かないという。この辺りは深いかというと、水深5㍍なので浅い。

 ヒトデの仲間のテズルモズルなどという生物がいた。ウミエラというのも。(どんな生物だったか覚えていない。失礼。)タスマニアには、ご存じ、タスマニアデビルが棲息する。オースロラリアには、アボリジニが一番先に来た。アボリジニといえどもアフリカを出発したホモサピエンスで、オーストラリア・ツアーのメンバーである。同じ種族の同じ場所から出発したヨーロッパ・ツアー組が突然に船を使ってオーストラリアへ行ったに過ぎない。だから彼らは皮膚から太陽光を吸収しすぎるヨーロッパ構造になっているので皮膚癌などが多いと云われている。その点、アボリジニはメラニン色素で太陽光を遮断する。そういうわけで、5百年ほど昔、人間がオーストラリアに来た時の話であるが。犬を連れてきたので、犬は有袋類の動物が食べる食べ物を食べた。従って、オーストラリアの有袋類は絶滅したとしている。人間の破壊は生物の世界を根本的に破壊しつつあるようだ。非対称性の論理で生きているからであろうと考えられる。動物の生命と人間の生命とは繋がっていると感じる、対称性の考え方に及ぶとこのような行動は少なくなっていくのではあろうが…。

 この赤い真水海の原因は、ボタングラスという植物のようだ。この海に流れ込む川の上流にボタングラスが多く繁茂しており、タンニンを多く含んでいる。タンニンとは、お茶の葉に多く含まれている物質である。このタンニンが酸素と化合して赤くなるという訳だ。赤くなると云うのは、オキアミでも赤くなる。また別府温泉なども鉄分で赤くなる。赤くなるにしても色々と条件が違うようである。

 ここには、サメが卵を産みに来る。ゾウギンザメの親は一㍍もあるが、世界に500種類ほどいるサメは4億年前から姿を変えていないようだ。このサメのことで、ある実験を思い出す。サメは海水から出しても適当に水をかけていると死なない。そして、水槽から出すと云うことは、気圧を身体に受けるということだ。一週間してサメを解体してみると、何と、4億年間、全身が軟骨質のサメに硬い背骨が生じている。4億年の間の条件が突然に変わると、環境の変化に応じて4億年を飛び越えて進化するという訳だ。生命の力の素晴らしさである。ゾウギンザメは数百㍍の深海に棲んでいるが、ここには食べ物が少ないので、卵を産んでも肉食の魚に食べれる危険性がないのだそうだ。

『ダーウィンが来た』が面白いのは、生物多様性の世界を紹介してくれるからである。皆様もどうぞご覧下さい。

 中内 英生

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November.03.2008(夕)「笑いの奥に人生がある」

November.03.2008(夕)「笑いの奥に人生がある」
今日の投句::白糸や 外灯に照る 秋時雨

 落語家の柳家小三治さん(68歳)がNHK番組『プロフェッショナル』(2008/10/21)に出ていた。話芸で有名である。小三治は言う。「笑わせるのではない。つい、笑ってしまうのが芸だと思う」と。一年間で200回の高座に上がるらしい。彼は、肉体的にはリウマチを患っており、それを押しての高座だ。

 彼のモットウは、「背伸びをしない。声が出なければ、出ない自分で勝負する」である。要するに力まない生き方である。高座での持ち物といえば、扇子と手ぬぐいだけ。落語とは、「自分が消えて登場人物だけが出てくるというのがよい」と考えている。確かに、声色や話し方を変えながら、様々な人物が落語家に於いて表現される。難しいことではなかろうか。しかし…。
 落語は覚えたセリフをしゃべるのではなく、その人の気持ちになることであり、その気持ちからセリフが出てくるとしている。花伝書にある「形に入り形を忘れる」という芸道を学ぶ姿勢であろうか?

 彼は、新宿生まれだ。お父さんは校長先生。師匠は五代目の柳家小さんだった。師匠から『前の話は面白くねえな』と全否定された時があった。その時は、大変に悩んだそうだ。それさえもを乗り越えた。師匠の言葉が頭から離れず、常に面白くするにはどうすればよいかを考え続けたという。それが名人、柳家小三治を作ったようだ。
 「落語を面白くするには、面白くしようとしないことだ」と言い切る。それは、作為の力みでは本当の面白さや笑いは出てこないと云うことであろう。彼は、面白く話をするのではなく、そのまま素直に演じてみようと思ったという。そこから道が開けてきた。
故T本部講師は、実に人の心を捕らえる講話をしていた。どうすれば、「感動する話ができますか?」とお聞きしたことがある。答えは『自分が感動することだ』そうである。

 彼は自分のリウマチを決して不幸だと思っていない。「病気になって他人様の助けをかりて良かったと思う」と言っている。自分が痛んで、他人の心の痛みを分かるようになった。しかし、本当に痛い病気だからこそ本当にそう思うようだ。
  夏場は、クーラーで身体を冷やさないように重ね着をする。色々と苦心があるらしい。

 「人間は何故笑いを必要とするのですか?」という茂木健一郎氏の問いに答えた。「笑った時は、みんな嬉しいんじゃないんですか!人間らしく生きていると、笑いが出てくるのではないでしょうか」と。彼は、人を笑わせ幸福にするのが自分の使命であると考えているようだ。

 こんな落語がある。不精者が集まって、誰が一番不精なのかを判定する「不精会」というのをやろうということになったという。その中の一人の不精者が言った。『面倒だから止めよう」と。

 彼はお客さんを非常に大切にし、感謝している。「お客さんの励ましがなかったら、ただただ寂しい闘病生活かなー。良く倒れないよねー」。
 決して、力まない。「小さく、小さく」という気持で、そのままの心で落語を語る。68歳ではあるが、未だに修行の途中であるとしている。「プロフェッショナルとは?」との問いに対して彼は答えた。
「今まで沢山の”プロフェッショナル”の番組を見せていただいた。プロフェッショナルの番組を思い出す時に感じるのは、周りからは”すごいなあ。立派だなあ。プロフェッショナルだなあ”と思うんです。だけど、本人はそんなことを思っていないと思います。そんなことより、今のことで夢中だと思います。それがプロフェッショナルではないかと思います」と。

 一所懸命生きておられる人は、何歳になっても魅力があるようです。彼は永遠の青年でありましょう。自分の生き方もそのようでありたいものであります。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年11月 2日のブログは、「芭蕉の作句」です。岐阜市の講習会で30秒の時間を持ったということをお書きになっておられます。島根の信徒さんができることは、例えば誌友会にて祈りの時に谷口清超先生への感謝の祈りをさせていただくとか、誌友会の前に、聖経を読誦するとかはできますので、自主的にできる皆様はしていただくと良いのではないかと思います。
 また、副総裁先生は「私は、教団の最高指導者が死亡しても生長の家が運動を中断しないのは、我々の最大の使命は「人間・神の子」の真理を伝えることにあると考えているからだ」ということをお述べになられたと書かれております。副総裁先生の御心を我が心として、私たち島根の信徒は、光明化運動の歩みを一瞬たりとも決して止めることなく、副総裁先生にひたすら、ついて参りましょう。

 また、芭蕉の句について、書かれております。以前、NHK番組『その時歴史が動いた』で、「芭蕉」を放映していました。何人かの信徒さんには見ていただきましたが、VTRを見ると大体の芭蕉の心がわかります。見てみたい方はご連絡下さい。先日より、相愛会の大東の八幡さんが写メール俳句を始めました。教化部ホームページのブログを見て下さい。
永遠と一瞬とを俳句に読み込むという芭蕉は旅によって新境地を開きました。私の大好きな『奥の細道』は何度も推敲を重ねたようです。ある俳句を詠む島根の方に教えていただきましたが、「一つの句を100回転がす」のだそうです。私の好きなのは、「道のべの 木槿は馬に 喰はれけり」というようなそのままを読み込む句が好きです。
 副総裁先生がますますご健康で、ますます私たちを御導きくださることに心からの感謝の祈りを捧げたいと存じます。

 中内 英生

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November.03.2008(朝)「アイデアの出し方」

November.03.2008(朝)「アイデアの出し方」
今日の歌::秋寒し 毛布かけての 祈りかな

 どのようにすると、よきアイデアが出せるかということは非常に大切である。創意・工夫が仕事や光明化運動や生活の仕方を変えるのであるが、生長の家的にいうと、まず「ふと思いつく」源泉とでもいうべき潜在意識の浄化が大切であるということになる。常に神に一致して生活すること。良き言葉の種を植えるために、『日時計日記』をつけるなど重要項目がある。

 NHK番組「プロフェッショナル」(2008年10月21日:脳活用法スペシャル)では、脳科学者である茂木健一郎氏が7つの提案をしていた。茂木健一郎氏は、副総裁先生のご著書の中で、「クオレア」の研究でご紹介されていた人だ。

 第一の方法は、「寝る発想法」である。アイデアは零から出てくるわけではない。経験や知識を組み合わせることによって、出てくるという。アイデアが閃くとはそういうことである。まず脳髄の前頭葉で「どうすればよいか?」とリクエストをする。すると、側頭葉が情報を組み合わせてアイデアを出す。それは、前頭葉と側頭葉の会議のようなものである。そのために、脳に時間を与えるために「寝る」のだそうである。「仕事に迷ったら寝る」と、目が覚めたときに答えが頭に浮かぶという訳だ。アニメ作家の宮崎駿氏は言う。『一度寝て目が覚めた時が一番脳が元気で活力がありよいアイデアが浮かぶ』と。
  寝る前の神想観に効果がある由縁である。その祈りで、「神に問題の解決を委ね、全托する」のである。

 第二の方法は、「考えるときには場所を選ぶこと」である。脳は外からの情報にじゃまされない所や情報が遮断された所で動き始める。心理学的に言うとひらめきが無意識から浮かび上がるということだろうか。マッテ・ブランコのいう無意識の存在は、錯綜した意識の源泉という意味よりも、無限の可能性をもつ意識という意味合いが強いようだ。そういう意味ではないかと考えられる。従って、トイレで閃くというトイレ学派がしばしば存在するらしい。自分の書斎を行きつけの喫茶店に持つという人は多いはずだ。私たちは、神想観で五官の世界を去るので、現象界の情報が遮断された場所を選んだことにはなる。会社のトップの人で、真っ先に会社に行き、社員が来るまでに自分だけ時間を作る人もいる。

 第三の方法は、「苦しいときにもあえて笑う」ことだという。笑うと脳がリラックスしてよきアイデアが湧きやすいようだ。「朗らかに笑って生きよ」と御教えにはあるが、脳科学的にも正しいと云える。講話の前に笑いの練習をすると真理の吸収もよくなる。また、顔が笑っていると、脳も笑い出して、笑うに相応しい状況・境遇を作り出す脳の働き、すなはち良きひらめきが出るようになる筈である。『生命の実相』第7巻に「ほがらかに笑って生きよ」という項目があるが、約80年も前に脳科学的にも良いと云われることが御教えの中でお示しいただいていると云うことは驚きである。

 第四の方法は、「開始前に決まった動作をする」ということである。決まった動作から、モードの切り替えが行われる。精神散漫モードから精神集中モードに切り替える。本番前に動作の共通項目を持つということである。故F元本部講師が、講話の前に必ず祈っておられたが、これもその方法だろう。私たちが、一日の始めに神想観をし、先祖供養をするというのもこれに当たるのかも知れない。
 
 第五の方法は、身体性を重視するということである。身体を動かすと自然にアイデアが湧いてくる。会議をして幾ら考えてもよい方法が思いつかない時でも、家庭訪問をして推進し、身体を動かしていると、良き推進方法や解決方法が心に浮かんでくるというものである。

 第六の方法は、「やる気」を起こすために何らかの報酬を与えることである。報酬とはお金のこともあり、達成感のこともある。お金という報酬もそうであるが、達成感を持つと喜びが湧いて、「やる気」に繋がると考えられる。しかし、この世で一番の尊い報酬は「愛情」であると茂木健一郎氏は言う。確かにそうだ。
 達成感を持つとどうなるかというと、脳の中にドーパミンが放出されて快感を感ずる。その快感のために人はさらに前に進もうとする。ドーパミンを出すにはどうするかというと、小さな成功体験を通して、「やった!」という思いを起こして、それを「やる気」につなげるのである。

 第七の方法は、あこがれの人を持つ、または見つけるということである。善き師との出会いが、その人の人生を変える。脳科学的に言うと、「ミラー・ニューロン」というらしいが、勝れた師の姿を見ていると同じように自分が行っているように脳が考えてしまい、次の段階で自分が同じようにできるようになるらしい。
 もし、そのような人がいない場合はどうするかというと、「できるだけ他人の善いところを見つける」ことによって同じような状況を作ることができるとしている。これは、いわゆる「日時計主義」ではないだろうか?善き友人や先生がいない場合は、御教えでは「善き書に親しめ」と教えられている。それは聖典の拝読であり、三正行の一つである。

*『生命の実相』布表紙携帯版第6巻を読了した。108頁に故丹後トキさんのご発言が掲載されています。私が石川教区勤務の時、七尾に住んでおられましたが、100歳を越えてもなお、お元気で御教えを実践しておられました。ご立派な方でした。

 中内 英生

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November.02.2008「走れ砂漠のカメレオン」

November.02.2008「走れ砂漠のカメレオン」
今日の歌::学生で 賑わう秋の 電車かな 

 NHK番組『ダーウィンが来た』では、「走れカメレオン」というのを放映していた。ベンゲラ海流の影響でできたナミビアの大西洋側にあるナミブ砂漠(8000万年前に出来た世界一古い砂漠と言われている)に棲んでいるナマクワカメレオンを紹介していた。砂漠の朝は寒いが午後一時となると摂氏50度となる。時速5㎞で走り、砂丘の上で生活するナマクワカメレオンは左右の眼が別々に動いており、360度見えることになる。

 ここは8000万年前に砂漠化したので、本来、木の上に生活していたカメレオンは砂漠の上に降りざるを得なかった。そして進化して生き延びたのだ。彼らは砂漠に生きているコエムシダマシという昆虫を食べる。それは水分の源である。長い期間を通して、適者生存、環境の変化への適応を遂げた生物は進化して生き続ける。私達も日本と世界の環境の変化に適応して生活し、変幻自在に進化して生き残りつつ、神通自在の伝道を行って教勢を拡大して参りたい。副総裁先生からは、「創意・工夫」というお言葉を頂いております。

*副総裁先生ブログ(2008年9月29日)でご紹介されていた『読書のすすめ』(岩波書店)を読了した。
 最後に掲載されていた養老孟司さんの文章が面白かった。(285頁)

「(前略)電車で読むものがないときは、隣の人の新聞や本を読む。開いてある頁を、私が先に読み終わる。他人が読んでいる本の頁を、めくるわけにはいかない。それがじつにイライラする。最近は老眼で、小さい字が読めない。それで、もっとイライラする。さらに、このやり方は、読む主題を自分で選べないという欠点がある。隣が中年のおばさんだと、宗教関係のパンフレットを読んでいることが多い。電車の中で、無関係な説教を読まされると、さらにイライラする。すでに病気なのかも知れない。(後略)」

 こんな感じである。「中年のおばさん」というのは何となく分かるような気もする。ともかく本を読むことは如何に大切であるかということが書かれている。しかし、掲載されている全員が著書を持っている人たちである。アウトプットも必要なのだろう。
 また、北村薫さんが書いている「宝石探し」の中に、金子みすずの「大漁」という詩が掲載されていた(94頁)。観点の違いをまざまざと見せつけられたように思う。
 朝焼小焼だ 大漁だ 大羽鰯の 大漁だ。 浜は祭の ようだけど 海のなかでは 何万の 鰯のとむらい するだろう。

 聴いた話だが、かつてK元本部講師がブラジルに出張されたという。彼は、K氏は御教えを純粋に信仰し行ずる宗教者である。ブラジルの幹部がK氏をアマゾン川の魚釣りに誘ったらしい。K氏は拒絶することなく連れて行ってもらった。幹部の方は釣りが上手なのか、運良く魚が釣れた。つり上げられた魚が草の上に横たわっているのを見てK氏は言った。『この魚にも家族はいるのでしょうか?』と。K氏を案内してきた幹部の方は、K氏が何を言わんとしているのかを直感した。そして、釣りをするのを止めて、何も言わずに聖経『甘露の法雨』を読誦し始めたそうである。必要ならば魚の殺生もするが、魚といえども遊びで殺生すべきではないということなのだろうか?

  また、223頁には中村元氏の「読書による理解」という文章が載っていますが、島根県出身と書かれています。副総裁先生のご著書でも拝見したお名前ですが、島根県のどこのご出身でしょうか?ご存じありませんか?

*今日は、「講習会感謝奉告祭」が行われた。今日で一応、講習会関係は終了し、次の運動態勢に移る。幹部・信徒の皆様、誠に有り難うございました。心より感謝申し上げます。誌友会の活性化に力を注ぐときである。また、午後は、二時間であったが、地方講師・光明実践委員研修会が開催された。多数の地方講師が参加していた。素晴らしいことである。夜は、青年会委員会が行われた。青年の意欲的、積極的な意見が頼もしい限りである。

 中内 英生

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November.01.2008「アイヌ神謡集三」

November.01.2008「アイヌ神謡集三」
今日の歌::眼とじれど 赤き林檎の 香りかな

 (続き)幸恵は出版のために、写真を撮りに来た人が何気なく言った言葉が心に引っかかった。『もし、幸恵さんがアイヌだと名乗らなければ誰も和人だと思いますよ。そうすれば見下されることもないのに』と。
 幸恵は考えました。「なぜ、アイヌを見下すのだろうか。物質的な価値に振り回される都会人がアイヌより豊かだというのか?私はアイヌだ。どこまでもアイヌだ。口先ばかりでシサム(和人)になったって何になる。私はアイヌであることを喜ぶ。おお、愛する同胞よ。愛するアイヌよ。アイヌである自分だからこそ、本当の豊かさを人々に問えるのではないか」と。そう考えて、幸恵は校正の最後の作業を進めていきました。

 幸恵は神謡集の冒頭に一片の詩を載せました。
「フクロウの神が語ります。
銀の滴、降る降るまわりに。金の滴、降る降るまわりに。
 という歌を私は歌いながら流れに沿って、人間の村の上を通りながら下を眺めると、昔の貧乏人が今、お金持ちになっていて、昔のお金持ちが今の貧乏人になっているようです。私は、貧しくみんなからバカにされ、いじめられている家族の元を訪れました。そして、彼らが神々への感謝を忘れない人々だと知ると、この家族を幸せにしてあげました。私はいつでも人間の国を護っています、とフクロウの神様は物語りました。
銀の滴、降る降るまわりに。金の滴、降る降るまわりに。」

 美しい一片の詩です。神への感謝を基本にした生活が強調されています。ここには、人間中心主義の自然を道具にする生活は見当たらないようです。敬い、助け合い、感謝する心が伝わってきます。
 幸恵はこの物語を通して、人間が本来大切にしてきたことを伝えようとしたのでした。ところが8月、無理を重ねた幸恵は心臓発作と起こします。病状が重く安静にしていなければ命に関わると医者から言われました。しかし、幸恵は病をおして原稿の最終確認を続けます。
幸恵は、「この本を著すことは、命を失っても成し遂げる自らの使命」と考えていました。
9月18日、幸恵は原稿のチェックをすべて終えました。まさにその夜、幸恵の容態は急変します。その日のうちに息を引き取ったのでした。19歳の若さで亡くなりました。

 大正12年(1923年)8月10日、幸恵の死から11ヶ月後、『アイヌ神謡集』が出版されました。幸恵がその命と引き換えに書き上げた本が出版されたのでした。その序文にアイヌの先住民族宣言が書かれているそうです。

 「その昔、この広い北海道は私たちの先祖の自由の土地でありました。それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第次第に開け行く。その昔、幸福な私たちの先祖は自分のこの郷土が、末にこうした惨めな有様に変わろうなどとは、露ほどにも想像し得なかったでありましょう。激しい競争場裏に敗残の醜さをさらしている今の私たちの中からもいつかは二人でも三人でも強いものが出て来たら、進み行く世と歩みをならべる日もやがては来るでありましょう」

 この文章を読みながら、アメリカのオバマ大統領候補のことを思わずにはいられなかった。この本は、多くのアイヌの人々の心を動かしたようである。アイヌと名乗り誇りをもって生きようという人が次第に現れてきたとのことです。バチェラー八重子氏、森竹竹市氏、、知里真志保氏、違星北斗氏などの名前が紹介されていた。この本は、アイヌの人々が誇りを取り戻し、アイヌ文化とアイヌの心を広く世に伝える大きな出発点となったとしています。知里幸恵のメッセージは、今もなお現代の私たちを変える力があり、一人一人がそれを受け取ることが出来るとしています。

 今年2008年(6月)にはアイヌにとっては大切な年となったようです。アジリチェプノミ(秋)初鮭を迎える儀式が復活しました。その年に最初に捕れたサケを神々に捧げて豊漁を祈る儀式だそうです。このような心を持つと、食べ残しなどはなくなるのでしょう。
1970年代、アイヌの儀式は復活し始めました。アイヌのような少数民族が、自らの文化や権利を主張し始めた時代だったようです。

 昨年9月13日、国連総会で、「先住民族の地位と権利を認めるという宣言」が採択されたそうです。今年6月6日、日本の国会で、「アイヌ民族を日本の先住民族と認める決議」が全会一致で採択されたとのことです。約140年にわたる悲願であるアイヌの復権に大きな一歩を踏み出したとしています。

  私がアイヌの人々を見たのは、小学校の頃、全国巡業のような形でアイヌの踊りやクマの儀式や文化を紹介するイベントがありました。その時はもちろんクマは殺しませんでしたが、コグマが来ていました。今回、イヨマンテの副総裁先生の御文章を拝読し、また対称性の論理の考察でアイヌの文化と神話、その考え方を改めて見直しました。

 中内 英生

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October.31.2008「アイヌ神謡集二」

Photo_6 October.31.2008「アイヌ神謡集二」
今日の歌::子供らよ よくぞ来たりし 吾が家に  天国の園 創らんとする

 (続き)明治政府は、アイヌ文化消滅の方針をとったという。同化政策である。
大正7年、言語学者の金田一京助が幸恵の家を訪ねてきました。金田一は囲炉裏の傍で幸恵の祖母が語る言葉や、アイヌの習慣を聞いていました。「学者が必死にアイヌのことを学ぼうとしている」。幸恵は驚いた。そして金田一が帰る時、幸恵は聞きました。「私達の伝承は、そんなに値打ちのあるものなのでしょうか?」と。金田一は答えます。「あなた達アイヌの伝承は貴重なものです。あなた方が決して劣った民族ではないという何よりの証拠なのです」と。

 それを聞いて、幸恵は涙を溜めて語ったのです。「私はこれまで自分たちアイヌのことは、何でも恥ずかしく肩身が狭いことだと思ってきました。でも、それは間違いだと気づき、今、目が覚めました」。
 金田一は幸恵に依頼しました。「いつか、私のアイヌ研究を手伝って欲しい」と。今の学校を卒業したら、東京に来るように幸恵は金田一から求められました。

 大正9年、幸恵は女学校を卒業しました。17歳でした。このころ幸恵は心臓病を患います。そして上京できず金田一との約束を果たせずにいました。そんなある日、金田一からまっさらのノートが届きました。
 その時から、耳だけで聴いていたカムイユカラの伝承を幸恵はそれを初めて文字にして行きました。左側はアイヌ語による記述であり、右は日本語による訳文とした。文字のないアイヌ語を正しく表すためにに、幸恵はローマ字を使ったのでした。
 消し去られていくアイヌの風習を学び記録することで、幸恵はアイヌ文化をより深く理解していくのでした。

 幸恵は次第にアイヌ民族の素晴らしさを自覚するようになります。「美しい大自然に抱擁されて生活していた私達の先祖は、まことに自然の寵児、何という幸福な人たちであったでしょう」と民族の素晴らしさに感動します。

 大正10年4月のある日、金田一のもとに幸恵のノートが届きました。その内容は金田一の期待を大きく越えるものでした。克明に書かれた文章は、アイヌ文化を鮮やかに甦らせていたのでした。
 金田一は考えます。「自然や神様を敬うアイヌの考え方は、近代の日本人が失いかけているものではないか」と。
 金田一は幸恵のノートをもとに、本の出版を思い立ちます。そして日本の民俗学の第一人者である柳田国男を説得します。「アイヌの伝承が失われる前に本にする必要がある」と。柳田も賛同しました。

 幸恵は改めて、出版の協力を金田一から求められました。しかし、幸恵の心臓病への不安は消えませんでした。「アイヌの文化を伝えるまたとない機会ではないか」と考え、幸恵は上京を決意します。大正11年、5月15日でした。
 幸恵は文字に残す作業に本格的にとりかかります。アイヌの人であるという誇りとアイヌ文化の素晴らしさを再認識する作業でもありました。

 上京して一ヶ月後、幸恵は繁華街に出かけました。百貨店に入り、感じました。
「私はただ、別な人間の住む星の世界を見物にでも来たような気がした。自分で欲しい、自分の身につけてみたいなどとはちっとも思わなかった」と思いました。
自然と共に生きるアイヌの誇りが甦ってきていたのです。

 自然と共に生きるという生長の家のテーマは、島根県にいるとしみじみと感じます。島根県には、出雲を中心とした文化と、石見地方の文化と隠岐の島の文化の三つの文化があるという。それぞれが、特色があり素晴らしいものである。それぞれの特色を生かした生き方、画一的でない手法の光明化運動の在り方がそれぞれの地域の活性化を促すのではないかと考えられる。出雲は門前町であり、松江は城下町であるという違いはあるようですが、出雲は極めて宗教的であり、松江は高度な文化があると見受けられます。石見は17世紀頃、世界の三分の一の銀産出量を誇り、銀を媒介として世界を相手に交易を行っていた関係であろうと思われるが常に前向きの信徒さんが多い。隠岐の島文化は後鳥羽上皇や後醍醐天皇がおられたところであり、温かく大らかで包み込むような人情味厚い風土であるようだ。それぞれが素晴らしい個性溢れる地域性が見て取れるのではないだろうか。
(続く)

*大坪さんが三つ菊の花を持ってきてくれました。見に来てください。写真は強化ホームページのブログの所に掲載しています。

【日々、副総裁先生のブログを拝読しよう】
2008年10月31日のブログは「本は電子化する」です。
インターネット技術により、宗教の本質部分ではないが、周辺部分を瞬時にして世界中に伝達できる時代が来ているとしておられます。それに関して「宗教運動も真面目に検討すべき時になっている」とお示し下さっております。今まで、文章伝道によって生長の家の運動が伸びてきたが、森林伐採の問題があり、電子本の時代が到来しつつあるとのことです。現在、出版業界では昔からの書籍を電子化する作業が大規模に行われているようで、それは出版業界の一大変化を予告するとしておられます。
  そういう近未来を見越した現代の生長の家の新しい“文書伝道”方法の開発が今、緊急に求められているとのことであります。

*絵は、「フクロウの神」です。

 中内 英生

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