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2009年4月

April.30.2009「コンゴーインコと遊び心」

April.30.2009「コンゴーインコと遊び心」
今日の歌::旅に出る 帰宅するまで 待てよ花
今日は、午後3時過ぎに家を出て東京に向かった。家では昨年から増えて、今年も咲いている花がある。どうか、花よ。私が帰ってくるまで散らないでいて欲しい!

 明日、明後日、明々後日と行われる全国行事のために上京している。時間と共に動くので、決して時間の余裕はない。しかし、これではいけないと、上野か六本木のルーヴル博物館展へ立ちよりたいと考えたが、明日は間に合わないし、明後日は会議だし、明々後日は、帰る必要があるしで結局、行けないようだ。また、機会を探そう。

 さて、王様インコというインコがいるそうな。これはアマゾンの上流に棲んでいる。
『ダーウィンが来た』(2009/4/28)で放映していた。このインコはコンゴーインコというそうだが、虹色の羽根がついており、派手な出で立ちである。寿命50年。すごい長持ちがするが、夫婦となっても決して離れることはない。性格上の不一致もないとのことである。嘴を足のように使って木を登ったり降ったりする。嘴が異様に強い。ブラジルナッツという木の実を砕いて食べる。これが栄養価が非常に高い。因みに他の動物は余りの皮の固さにこの実を食べることが出来ないようだ。
 しかも舌を巧みに使ってたべる。舌の中に関節のある骨が入っており、大変重宝している。

 このインコは長さが横幅1㍍もあるが、木の葉を摘んだり、ブランコをしたり、敵が来るとそっと近づき、『ギャ!!』と声を出して脅して追い払ったりで、遊び的に人生?鳥生を楽しんでいるようだ。
 大体3歳くらいの人間の知能があるといわれている。
 同種の動物園のコンゴーインコが写し出されていたが、何と知恵の輪を簡単に外していた。ブラジルナッツという豊富な食べ物があり、それを独占できるので時間の余裕ができて、遊ぶ時間を生み、その遊びが智慧を生むのだという。ナールホド!という訳で、人間にも時間の余裕が必要であるようだ。

 このコンゴーインコは子育てに忙しい。室の中の雛鳥はなんと一ヶ月で、20倍にも体重が増える。
 また、この鳥は土を食べていた。雛にも土が与えられる。何故かというと、先ほどのブラジルナッツには毒があり、土の中のミネラルがその毒を中和させてくれるのだという。
 神様は色々と手の込んだ智慧をコンゴーインコにお与えになっておられるようである。

 中内 英生

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April.29.2009「言葉の力④」

April.29.2009「言葉の力④」
今日の歌::いつの間に 春が運びし 花の群

 アメリカには演説を大切にする文化的な背景があるという。これは国によっても色々と違うのだろう。フランスなどは実に言葉そのものを大切にしている。日本はどうだろうか?
  番組はマサチューセッツ州のファーミングリバー小学校の様子を写し出していた。先生は、『誰か、前に出て、家でどんな風にエネルギーを節約しているか話して!!』と言っている。

 ある女の子は、『家ではエネルギーを節約するために、テレビを観ない時には、付けっぱなしにしないようにしている。ママは一日に一つの番組しか見せてくれないの!』という風にである。

 小学校の二年生から、ショウ&テル(show & tell)という授業を受ける。決められたテーマについて、子供たちがみんなの前で話すという授業だ。
 時には違う主張も受け入れ、時には反論もするということをくり返しながら、人前で語りかつ議論する。演説大国アメリカの姿である。
 ケネディの演説も、少年時代のとんでもない努力の積み重ねでできあがったものらしい。

 それは”大統領の星”を目指す特訓である。そうしない限り、偶然には大統領は生まれてこない。そうすることによって、大統領になるチャンスが生まれると言えよう。
 ケネディ家では、大統領を目指すためにさまざまな特訓がなされていた。母親は晩ご飯の時、熱血のお母さんとなり、必ず一つのテーマを出して、五人の子供全員にスピーチをさせた。それが終わらないと食事はさせない。

 父親は、子供に対して、”大統領になって欲しい”という夢があった。父親が与えた特訓はフットボールのボールを渡して、『死ぬ気で奪い合え!』『真剣勝負しろ!』とフットボールの奪い合いをさせたのである。
 子供たちはすべてが真剣勝負だった。それは常に聴衆と『生』(なま)で向き合い、懸命に訴えかける演説にとって、大切な心の姿勢であった。従って、ケネディの名演説はいきなり出来たものではないとしている。

 それらは練習に練習を積み重ねた結果であろう。王貞治のこともいずれ書きたいと思っているが、世界一となったのも誠にも練習の積み重ねの結果である。マリナーズのイチローもそうだ。人間神の子無限力を私たちは教えられている。しかし、練習を行わない限り、その無限力が発揮できる筈もない。
無限力を発揮する秘訣は①無限力の自覚、②練習の積み重ね、③大調和、である。
 島根の信徒さんは、現在、神性表現では日本一ではなかろうか!しかも投稿者が増加しつつある。これだけ行うと上手になる筈である。

*今日は休日だった。これからしばらくの間は、信徒の皆様や職員の皆様とお会いすることが少なくなる。写メ俳コーナーは、おそらく毎日開店になると思いますので、どうぞ御投稿下さい。職員さんの無我献身のご努力です。

*募集!!”全国幹部研鑽会及び全国大会」の写メール俳句”旅日記”を募ります。bch05742@nifty.com

 中内 英生

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April.28.2009「言葉の力③」

Img425 April.28.2009「言葉の力③」
今日の歌::筍や 写メ俳にして 絵を描く
*ボツボツ絵メ俳が出てくるような気配ですが…。これができると”右脳大いに活性化”でしょう。「動画メール俳句」→「動メ俳」も挑戦しているのですが、技術的にうまくいきません。どなたか、お詳しい方がおられたらお教え下さい。鳥の動きを表現したいのです。そして羽音と共に、作者の俳句を詠む声を録音するという方式をやってみたいのです。

 オバマ大統領の演説の続きです。要するに、「Yes, We can !」という言葉で民主党候補決定の流れが変わったが、これは「可能性の神話」であると番組は言っている。しかし、歴代の大統領で魅了した演説をした人は多いが、ジョン・F・ケネディやレーガン大統領やクリントンなどは、上手下手というよりもスタイルが違うという表現がピッタリである。声を張り上げる演説は、国は違うがヒットラーがいるという人があるかも知れない。しかし、それは真実に魂に響くだろうか?

 大統領の演説では、自然体のスタイルがある。力まない話し方だ。そしてその場の雰囲気に嵌っているようである。
 四年に一回変わる大統領はその方針を掲げて、国の意見が共和党と民主党で二つに割れたものを、一つにまとめ上げるのがこの就任演説であるとされている。
 このように説明されると、「なるほど!」と、就任演説の位置づけがよく理解できるというものだ。
 今日のご紹介は、ケネディである。よほど魅力があったのに違いない。子供だった私も友人との会話の中に、「ケネディ」が出て来たことを記憶している。
 高知で育った私は、家では谷口雅春先生、谷口清超先生に関する話が絶えなかったが、学校ではソ連の素晴らしさを一部の教師から強調されていたことを記憶している。そういう時代だった。
  ケネディ大統領は訴える。

 今日、我々が祝うのは政党の勝利ではなく、自由である。
ものごとの終わりと始まり、再生と変革なのだ。
今日の世界は大きく変わっている。
人類は貧困を根絶させる力を手にした。
しかし、人間の生命をも根絶やしにできる。
(この時代は、冷戦中であり、軍拡競争で人類滅亡の恐怖に陥っていた時代だった)
強大な東西両陣営が現在の道に満足する訳にはいかない。
双方とも近代兵器の過大な出費に苦しみ、恐るべき核兵器の拡散におびえている。
恐怖のバランスという危うい状況を改めて、人類の最終戦争を避けようとしている。
ここで新しいスタートを切ろうではないか!!
(ケネディは核兵器による人類滅亡の危機感を語り、新しい道に進むことを訴えたのであった)
永い歴史の中で自由の危機を守る役割を与えられた世代は少ない。
私はこの責任にひるまず喜んで引き受ける覚悟だ!
この場所、この時代に背を向けるつもりはない!
(みずからその先頭に立つことを高らかに宣言したケネディ大統領だった。この演説を不朽のものとした”言葉”をケネディは続けます)。

それゆえ、アメリカ国民の皆さん!
『国が何をしてくれるか』を問うことを止め、
『自分が国のために何が出来るか』を問うていただきたい!!
(ケネディは国民に、国に頼るのではなく、共に危機を乗り越えて行くことを求めたのでした)。
Ask not, what your country can do for you.
Ask what you can do for your country.
(ほとんど同じ単語が並んでいるのですが、意味は全然正反対になっているという意外感があるようです)。

 これらの名演説は時代と共鳴しているからこそ感動があるとしています。この時代は、ソ連のスプートニク計画があり、キューバ革命があり、アメリカ国内での人種問題ありと云った状態の中で、米国民の閉塞感が充満していた時代だったようです。
 その中で、『僕等で変えていこうよ』と、若いケネディが出て来たのでした。
私は大学ではアメリカ歴史を専攻しましたので、少しずつ思い出してきました。

 この演説は、言い方、アクセント、微妙な間の取り方が重要なことらしい。これはその人のセンスにもよる。生長の家の講師でも、調子よく謳い上げる人もいれば、私のようにとつとつと語る講師もいます。間を取る話し方をする講師の話は、聴衆の心に考える時間を与えますので、心で充分に理解が出来て、エンヤ温泉のようにジワーと効いてきます。
 昔、私が某練成道場にいた時に練成会をハシゴする人がいて言った内容が印象的でした。
『K道場の練成会は、その時にはあまり感動しないが、一ヶ月ほど経ってからジワーと感動が湧いてくる。T道場の練成会は、その時は燃え上がるような感動があるが終わって家に帰るとすぐに感動を忘れてしまう』と。
 この言葉に私はショックを受けました。何が違うのだろうかというと、信仰とは話術ではないということです。でも、今日は話の仕方のことを書いているので、矛盾していますがご勘弁下さい。

 今日は長くなりましたので、これで終わりまして続きは明日にさせていただきます。このブログを見て、決して悲観しないでください。話し方も大切ですが、信仰心はもっと大切だからです。

*今日は終日、デスクワークに追われた。これから長期休暇に突入する。しかし、この期間に努力する者こそ魂を伸ばすことができるのだろう。信仰者に休日はない筈だ。それは休む事なき不断の菩薩行である。
 ゴールデンウィークの間もブログはできる限り書かせていただきますので、読者の皆様どうぞ宜しくお願いいたします。島根に来させていただき一日も休むことなく書き続けて、一年を経過しました。現在は、毎日平均約30名の方々がご訪問下さっております。心から感謝申し上げます。

 中内 英生 

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April.27.2009「民族主義イデオロギー」

Img029 April.27.2009「民族主義イデオロギー」
今日の歌::今日もまた 描いて送らん   絵手紙を

 NHK番組(2008/8/7)で「環境平和スペシャル」というのがあった。『資源・環境・平和』の考えとはどう違うのかなどと考えながら拝見した。するとこれは「核のない未来をつくるため」という副題で、アウシュビッツと広島の原爆の内容だった。生長の家の日時計主義とはいささか違いがあると思うが、なぜアウシュビッツでの出来事が起こったかについての、登場人物のコメントがあったので興味を覚えた。
 私たちは御教えによって、現在は民族主義を超える運動を行っている。環境問題なども、「地球に国境はない」との言葉にもあるように、万物一体、人類は皆一つである、との真理を生きようとしている。
 しかし、逆に一つの民族を強調することによって、人間性をも超えてしまうことがあるのではなかろうかとの不安もある。今日の主題はそれである。

 以前に、人間の細胞のミトコンドリアのDNAを調べる科学があることを紹介した。そこで見出されることは、民族はどこにも見つけることはできず、アフリカを起点として、ただ一人の母親から分かれた人類全体一家族とでもいうような世界だけが発見されるという。人類一体の真理とは、単に心情的なものではなく、医学でもあるようだ。

 この番組のさらに副題は、『記憶の遺産』である。法則から言うと、不完全を記憶し過ぎると、次にも不完全がでてくる可能性がある。従って、潜在意識に記憶を留めない方がよいのだが、この番組では記憶を風化させないことを強調している。

 ポーランドの一角にあるアウシュビッツにユダヤ人、ロシア人、ポーランド人等が収容されたという。六千ボルトの高圧電流で逃亡できないようにしていたらしい。推定で110万人が処刑されたようだ。ガス室は、旧ソ連に攻め込まれた時、ナチスドイツ軍が逃亡する前に、爆破した。「働けば自由になる」と言われて働いたが決して自由にはならなかった。目を背けたくなるような映像がたくさんあったが、観た。
 そこで、興味あるコメントをアウシュビッツを脱走した元囚人の男性が語っていた。

『民族主義的イデオロギーが人間性をうち破るほど優先され、正当化されるたび、人間は人間に対してこのようなことができるのです』と。

 谷口雅春先生の御在世中に私たちは、日本民族の誇りを教えていただいた。中心帰一の宇宙の真理を表現しているのが日本の姿であるともお教えただいた。
 その民族主義を強調することが、現在の国際平和信仰運動を行う上でうまくかみ合わせることは難しいかも知れない。
 民族主義は、ドイツにもロシアにもお隣の中国にもある。民族主義イデオロギーが原因で戦争になる可能性もあるかも知れない。
 私たちは、御皇室を尊崇しつつ、天皇様の愛の御精神と御生活を学び、私たちの実生活に実践させていただくとともに、全ての民族を祝福される天皇様の御心を私たちの心として生きて参りたいと思う。
 私たちの精神とは、地球の万物を含めることは勿論のことであるが、すべての民族を礼拝するという愛と礼拝の民族主義とでも云えるのかも知れない。ここまで行くと、いわゆる一般的に云うところの”民族主義”とは違ってくるだろう。
  これらのことに関して、『信仰による平和の道』を精読したいと思う。

 中内 英生

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April.26.2009「後藤新平の人作り」

Img030 April.26.2009「後藤新平の人作り」
今日の歌::椿咲く 春のうららか 次は何? 

 この人の名前は、台湾に仕事に行っているときに現地の方からお聞きした。随分立派な人であったそうだ。台湾の都市作りや様々な活動を行っていたという。金沢市の八田さんなどもこの建設の流れの中にあったのかも知れない。八田さんは台南にダムと広大な水田を作り、台湾の食を豊かにした人だと聞いている。しかし、後藤は本来医者である。

 明治の時代となった時、東京は江戸時代のままの街並みだった。人口は増加していくが衛生面や安全面では次第におかしくなっていったらしい。
 昭和五年三月二十七日、関東大震災の6年後に帝都復興院総裁としてその役目につく。それまで、東京市長、鉄道員総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣などの役についていた。やったことがないのは総理大臣だけであったという。
 私は、後藤新平の写真を見ると、男性としてなかなかかっこいいすごい人物であると感じた。

 後藤が若いときのことだった。(明治15年4月6日)に、岐阜で板垣退助が凶漢にさされて倒れた。側近の人々は、駆けつけた医者があまりにも若いので、不安がった。そのとき、後藤は板垣に言う。『ご負傷でしょうな。ご本望でしょう』と。板垣は、この男が政治家なら大成するだろうという意味のことを言ったという。
 私は高知県出身だが板垣退助の話は時々、学校の先生から聞いたことがある。板垣の流れは弾圧で細るが、そこから高知の水野龍のような人もでてきた。

 水野龍は、移民の送り出しを行っていた「皇国植民会社」の役員であったがブラジルに向かい、1907年11月には労働者不足にあえぐサンパウロ州政府との間に、「1908年以降に3000人の移民を送り出す」旨の契約を締結し、その後日本全国で移民希望者を募ったという。これは奴隷解放によって労働者が不足したことによるようだ。その後、水野龍はブラジル移民に生涯を賭けることになる。

 さて、後藤は20歳の時、西南戦争に行った。そこでコレラが発生するという出来事にあった。当時、1年間で10万人が死亡したという記録もあるようだ。免疫力の無い日本人が、外国船の来航によってコレラにかかっても不思議ではなかった。
 このとき、後藤は考えた。『国家によって国民の生命を守るべきである』と。

 日清戦争の時だった。帰還兵の伝染病対策を児玉源太郎から任された。似島で、23万人の検疫を行る準備をしなければならなかった。睡眠時間が3時間で通したという。余りの過激な業務に、部下が行った。『そんなことは人間ではできません』。後藤は叱咤する。『それならば人間以上の力を出せ』。

 後藤は、自分が満足することが出来な場合、物を投げたり叱りつけるという状態だったという。しかし、後藤は自らを叱咤激励することにより、極限まで自分を追い込み、その結果、部下はついてきてくれた。そして23万人の検疫は終わった。
 ある時、部下たちが上司の話をしていた。「あのA上司は頭が悪い。嘘の報告をしても見抜けない」と。そこへ後藤が入ってきて、それを聴いた。そして言った。
『いちいち部下の細かい報告を気にしていたら仕事は出来ない』と。後藤は、仕事の細部は部下の自主性に任すべきだという考えをしていたようだ。

 検疫の仕事が終わり、仕事を委託した児玉源太郎から礼を言われた。そして筺の中に入っている書類を差し出した。それを見ると、後藤への抗議の手紙が一杯詰まっていた。児玉は、後藤にそのことを言わずに、すべて任せてくれたということを知った。
 余談だが、児玉源太郎は司馬遼太郎の『坂の上の雲』によると、乃木軍が苦戦しているところへ行って、特別な役職をもらって指導に当たった。そして勝利に導いたと書かれている。
 後藤は、後藤語録とでもいえるようなものを残している。
『ヒラメの目をタイの目のようにすることは出来ない』。

 南満州鉄道の初代総裁時代のことだった。
『午後、3時ころの人間は使わない。満州は午前8時の人間でやる』。午後三時の人間という意味を精確には番組では説明していなかったが、朝の早い人を採用するとでもいう意味だろうか。知っている人がおられたら教えて下さい。
 そして後藤は、満鉄沿線に最高のインフラを整備した街を作り始めたのであった。

 明治41年7月、首都東京の都市計画が練られ始めた。明治中期に人口が増加し初めたが、大正に入ってから200万人を越えるようになった。
 大正6年、後藤は都市研究会を設立した。そして若手の建築学者や官僚と共に考え育てようとした。
後藤は、上からの都市計画だけではなく、個人の自治的精神を強調したようだ。これもまた、現在の私たちの運動に通じることではないだろうか!

 大正12年9月1日、午前11時58分、マグネチュード7,9の地震が起こった。『生命の実相』自伝編にも書かれている関東大震災だった。すぐに、帝都復興計画を練り直さなければならなかった。そして区画整理という日本独特の手法でこの計画が進められていく。
 帝都復興祭で完成を見たのは、昭和5年(1930年)3月26日だったが、後藤はそれを見ることなく亡くなった。昭和4年4月13日だったという。71歳。

 晩年の後藤は、ボーイスカウトの育成にも力を入れて、少年少女の精神的育成を行っている。このようなすごい人が、子供の育成に力を入れている。もっと私たちも、生命学園に力を入れても良いのではないだろうかと考える。
 子供たちへのメッセージの録音が残っていた。
①まず、我が身を修めるというほかはない。我が身を修める自治の力が治国平天下の基礎である。
②人のお世話にならぬよう(自助)
③人のお世話をするように(互助)
④そして報いを求めぬように(自制)
少年時代から心がけてこれを実行するのであります。

 確かにそうだと思うのだが、後藤がそれを実践して生きてきたことが素晴らしいのではなかろうか。また、死の直前に残した言葉が私の心を捉えた。
『金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ』。

 彼が言うとおり、東京復興のために、台湾や旧満州で育てた人々が、後藤の仕事を手伝ってくれた。これは島根の光明化運動においても、人材養成の重要性と云うことが言えるのではないだろうか。それには、純粋無雑な神の御心を第一とする生き方、が要求されるのかも知れない。

 中内 英生

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April.25.2009「創意工夫」

Img032 April.25.2009「創意工夫」
今日の歌::芝桜 一面に咲く 世羅の郷

 今日は、所用で休暇を取り、雲南からもう少し足を伸ばした。日本一の70万株の芝桜のある「花夢の里」という所へ妻と子供たちを連れて行った。天気は曇りと雨だったにも関わらず、ここには次から次へとバスとマイカーが到着して入場していた。花は終わりかけており、この時期としてはどうかと思ったが、山の中であるにも関わらず、たくさんの人を呼び集めることができるのは、総裁先生からお教えいただいている創意・工夫の結果ではないかと感心した。これは一つのアイデアの成功である。

 『ちょっと良い話』という本だったか、記憶が定かでないが、ある貧しい農村で、一人の農業従事者がミカン?を植えてそれで人を呼び込もうと村人の一人一人を説得して大成功を納めた話を記憶している。一人の人の信念がたくさんの人を動かして成功するという話は幾らでもある。足立美術館の創立者もそうであるらしい。
 聖経の中に『握れば一点となり、開けば無窮となる』との聖句があるが、今を起点として動き出すとき、神の無限力が発揮されるのである。
 この「花夢の里」の創設者は同じように、夢を描いたのであろう。夢を描くことは誰にでも出来るが、描き続けることができる人は少ない。それは信仰に属することであろうからだ。

 約一年間、同じことを、言い続け、行い続けると周囲の人は必ず動き出す。これは宇治のK総務が上司である時に教えていただいた方法である。箸一本でバケツの中の水をかき回すと一度では水は動かないが、次第に全体が動き出すのと同じことである。最初から何も全体が動き出す必要はない。約5%の人が動き出すと、あとの95%は動き出すものであると言われている。聖使命会員の増加にしても、普及誌購読者にしても、関係者は他人が言わなくてもそのことを、どこへ行っても一年間は言い続けることだ。それで全体の人が少しづつ動き始めるのである。言葉の力を教えられている私たちこそ、言葉の創化力を活用したい。

 この花夢の里には、菜の花畑もあった。春雨が降っていた。カメラを雨から青のデニムの上着で守りながら、『春雨に 濡れて映さん 菜の花を』。家族がいるということは本当に有難い限りである。妻に子供たちに感謝する。家に帰ったら4月26日になっていた。それで、このブログは一日遅れでアップさせていただいた。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
 2009年4月24日のブログは、「“誠意ある表現”の大切さ」です。
総本山の谷口家奥津城の前の、「谷口輝子聖姉二十一年祭」の時のご挨拶の内容です。ご精読下さい。
  自分の手を使って書く字が誠意を伝えるとしておられます。総裁先生は、講習会の時には、絵封筒を描かれるそうです。それらの行為ははるかに時間がかかりますが、相手に与える内容が豊かなものとなるとしておられます。
 私(中内)は、聖使命会の復活と昇格を取り扱った人へ、毎月、絵封筒を出させていただいている。時間がかかるが、喜んで戴いているのだろうと信じて描いている。毎月一日の聖使命感謝奉納祭でたくさんの熟年の方々が聖経をあげ、会員祝福のために来てくださっているが、これまで聖使命会員が減少が激しかったのが昨年度は、半減しているようだ。また、練成会で誕生月に来てくださった方にも、絵の色紙を描かせていただくようになった。これも喜びの一つです。少しでも総裁先生がなさっておられることを、真似させていただきたいと思うと、自然に絵を描くようになりました。

 中内 英生

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April.24.2009「谷口輝子先生を偲んで」

Img031 April.24.2009「谷口輝子先生を偲んで」
今日の歌::人育て 愛と厳しさ 兼ね備え 輝子先生 偲びて止まず

 今日は、谷口輝子先生の21年祭を行わせていただいた。素晴らしい一日だった。『輝子先生を偲んで』という谷口恵美子先生御監修の聖典を再読させていただいた。この聖典には、「谷口輝子先生御生誕百年記念」と書かれている。元生長の家理事長である吉田武利本部講師の文章が「世界のお母様 谷口輝子先生」として掲載されている。

 五十嵐千年氏が、輝子先生のお宅に行かれた時のことが書かれている。
輝子先生が封筒の宛名を墨で書いておられ、滋賀県と書かれるために賀の字に筆を下ろしカの字を右へ筆を引かれようとした時に、『かあさん』と雅春先生のお声が聞こえてきた。すると、すぐに『はい』とご返事をされて、筆をそのままおかれて雅春先生のお部屋に行かれたそうです。その『はい』のお姿に、五十嵐氏はただただ合掌されたとのことです。
 もう一つの話は、私も忘れられないお言葉です。『生長の火をかざして 永遠の谷口雅春先生』(29頁)よりの引用です。
 
 昭和60年7月22日、生長の家総本山・鎮護国家出龍宮顕祭殿に於いて、「故、生長の家総裁谷口雅春尊師追善供養祭」が執り行われた時のお言葉です。小職はこの時は、駐車場係でしたので、会場内に入ることが出来ませんでしたが、場外に鳴り響く谷口輝子先生のお言葉の響きに魂が打ち震えたことを記憶しています。この日は、大変暑い日でした。お言葉は次のように書かれています。

 この中にいらっしゃる皆さんの中で、涙がこぼれる方は、どうぞこの長崎の総本山のお庭に涙を捨てて行ってくださいませ。そしておうちへ帰られたらもう泣かないことにして、そしてこれからこそ、魂になって自由自在な活動を活発にしていらっしゃるであろう谷口先生と皆さんは、魂的には肉体がある時よりもがっちりと一体になっていけるんでございますから、これからこそ生長の家の信者である人達は、光明化運動を活発にして戴いて、谷口先生のお心に応えて戴きたいと思うのでございます。
 どうぞ、お泣きになるような暇があったら、人類光明化運動を一所懸命なさって戴きとう存じます。皆さんのご協力をお願いしたいんでございます。
 これから皆さん、一所懸命働きましょう。ぞうぞよろしくお願いいたします。

 毅然としてさらなる前進を訴えられる谷口輝子先生のお言葉に、肉体エネルギーの最後の一滴まで人類光明化運動に捧げ尽くされた谷口雅春先生のご意志を感じさせていただいた一瞬でした。

 もう一つ書かせていただきます。谷口雅春先生が生長の家本部練成道場にお出でになられてご講義された時のことです。私は当時、職員として奉職させていただいておりました。
雅春先生は、生長の家の御教えは輝子先生のご病気を治したい一心で、さまざまな治療法を研究され、ついに人間本来無病の生命の実相の真理に到達することが出来た。この真理は輝子先生のお陰で発見されたのであるとして、壇上の右の所にお座りになっておられる谷口輝子先生の所まで歩いて行かれて、深々とお辞儀をして合掌されました。この光景を拝見して、会場は割れんばかりの拍手の嵐でした。夫は妻を拝み、妻は夫を拝むという御教えを、谷口先生ご夫妻は御実践され、私たちにお教えいただいたのでした。私は当時は独身でしたが、お美しい夫婦愛に感動させていただきました。

 現在の私たちは、総裁先生ご夫妻様のお姿で夫婦愛を学ばせていただくことができます。生長の家の御教えが釈迦・キリストの教えを完成するという意味の中には、家庭生活をお教えいただいているということもあろうと存じます。
  私ども夫婦も先生の真似をさせていただいて、夫婦で朝、神想観をして、ご先祖様に聖経をあげさせていただいております。また、私は今までは色んな所へ一人で暇を見つけては行っていることが多かったのですが、最近は夫婦で時間を作りだしては絵画を見に行ったり、買い物に行くように努力しています。夫婦で感動と情報を共有することは実に大切であることを教えられます。

 今日は、谷口輝子先生をお偲び申し上げまして、人類光明化運動の原点に帰らせていただきました。誠に有り難うございました。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
 2009年4月22日のブログは、「日本を“資源大国”と呼ぶべきか?」です。日本の近海に眠る化石燃料などを開発することを資源があるとして推進を行う動きもありますが、そうではなく太陽光や風力、地熱などの資源をもっと活用するという意味での資源大国であらねばならないとしておられます。
 時代は大きく変わろうとしています。さまざまな形で自然エネルギーの開発を行われようとしています。ハイブリッドや電気自動車などへの変化からその動きを体感できるようになるのではないでしょうか。

*今日は、午前は教化部にて、午後は松江道場にて谷口輝子先生の21年祭を執り行わせていただいた。夜は、青年会の皆様と勉強会だった。今日も一日、誠に有り難うございました。
*写メール俳句の愛好者の皆様、谷口輝子先生を偲んでの俳句か短歌をお作りください。谷口輝子先生へ真心を捧げさせていただきたいと存じます。

 中内 英生

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April.23.2009「霊魂とは何か?」

Img033 April.23.2009「霊魂とは何か?」
今日の歌::わが庭の 柿の新芽に 光射す

 先日、青年会の方から「霊魂について」の質問があった。それで、昨日と今日の二日をかけて、『人生を支配する先祖供養』を拝読した。何度も拝読しているつもりであるが、細かい部分で充分な認識がされていなかったことに気がついた。それで、「霊魂」であるが…。

84頁
(前略)…「霊」とここにあるのは「霊魂」のことであります。霊魂という場合は普遍的霊ということではなく、なんらかの体を備えた個別霊のことであります。仏教は「無我」の教えですから、「霊魂」というものを第一義諦としては認めないのであります。生長の家でも、先刻説明したましたように、第一義諦としては迷う「我」も極楽へ行く「我」もないというのでありますけれども、現世、霊界等のスクリーンに投影された念像が、ちょうど活動写真の銀幕上に躍っている人物のように、個別の姿をあらわして見えるのが、現世の銀幕においては肉体であり、霊界の銀幕においては霊体であります。この霊体をあらわしている仮我を、霊魂というのであります。霊魂という実体が実在するのではない、その正体は念の波によって、そこに実在するかのごとくあらわれている活動写真のごとき映像であります。…(後略)

 霊魂の正体は、「念の波」とあります。今度は、聖経『天使の言葉』の一節から学びます。34頁です。

 肉体を去りたる『念』は、その念の力にてなお一つの個性を持続し、幽界に於いて生活をつづけん。汝らの霊魂と称するもの是にして、『念』の浄まるに従ってそれに相応わしき高き霊界に入り、…

 「肉体を去った念」そのものが霊魂のようであります。要するに個性生命である私たちは死なないということだ。もう一つ言うと、生き続けるということである。次に『人生を支配する先祖供養』95頁には、…。

 (前略)この現象生命はどういう状態で現象界に存在に入るかというと一つのバイブレーションとして存在するのであります。このバイブレーションを客観的に観察すると一つの念体である。霊魂または霊体というのはこれであります。…(後略)

 念の体が霊魂です。だから霊魂の念が変わると姿や霊界の環境が変わり、念が浄まると、霊魂の姿が浄まるのでありましょう。ご先祖の魂が自由を得るということでしょうか。供花やお供えものによる子孫の愛の表現やお経による真理把握でご先祖が悟境に入ることが可能であるということである。それは子孫に対する守護力の強化に繋がるようです。同じく95頁です。

 太陽が七色のバイブレーションが集まって一つの無色の光線になっているのと同じように、われわれはこの肉体という物質的波動の体の他に、霊体的波動の体というものが一緒に複合して一つに現れているのです。それがある期間たつと物質的波動の体と、霊的波動の体とは分離せねばならぬ時期が来るのです。そして霊的波動の体だけが霊界に生活する。これが霊魂であります。

 少し分かりかけたような気持がします。さらに96頁です。

 …業の内容は念の蓄積でありますから、念は振動でありますから、振動は客観的に観る時は体であります。だから業とは体であるということができるのであります。まず業が霊体という念の体を創り、その業の種類に従ってさらにまた肉体という念の体を作り、その二種の念体がぴったり一つに重なった時肉体を備えた現象人間が出来上がるので、霊体が肉体という念の体を、分離して生きているのが霊界の霊魂であります。それで霊魂というのも、念の波動体であります。…

 波動の体は、肉体もあれば霊体もあるのですが、肉体の波動が無くなったのが霊魂であるとのことであるとのご教示であります。『物質無し、肉体無し』の悟りが大切である由縁でありましょう。さらにもう一つ、根本的な魂の救いに関する御文章がありました。生長の家独特の唯神実相論由来の救済法です。98頁です。

 生まれかわるということはあるにはあるがそれは現象の仮の「有」が生まれかわるのであって、それは要するに活動写真の影のようなものであるのです。活動写真を見るのにあると思ってあるという立場で見るから実際あるように見えるのですが、結局それは影で無だ、無いもんだということを知ればよいのです。ただ実相の我のみある!この本当の、「実相の我」「金剛不壊の我」をわれわれが知った時、いっさいの人生の悩みは吹き消されてしまうのです。…

 素晴らしい究極の救いの一節です。『新講甘露の法雨解釈』116頁の図解、肉体、エーテル体、幽体、霊体、本体(実体)の所を御確認いただきたいと存じます。今日のブログは難しい教義のようなものになりました。悪しからず…。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
 2009年4月21日のブログは、「本欄が書籍に (8)」です。『小閑雑感 Part 13』が、生長の家の3大運動組織の全国幹部研鑽会と全国大会を期して、5月1日付で世界聖典普及協会から発売されるとのことです。毎日、ブログを拝読しておられる人は、再読することによりさらに深く総裁先生の御心を体得することができるでありましょう。

 中内 英生

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April.22.2009「桜とお城」

Img036 April.22.2009「桜とお城」
今日の歌::大山を 眺める吾は 春の使者

 今春の「写メール俳句」では桜の写真をたくさん見せていただいた。その中で何か別の建物や人などと組み合わせる方がおられて、これもまた素晴らしいと想う。桜と立派な建物、桜とお城、桜と花見客など何とも言えず素晴らしい。
 その素晴らしさはどこにあるのだろうか。それはその人の心の中にあるとしか言いようがない。宇宙を見上げてその無限性に感動する。無限は自分のうちにあるのだから、それを移入して感動しているとも云えるのだ。

 しからば、この春、皆様が御表現なされた美の世界は、外部にあるように見えて、実は私たちのイノチの中にあるということなのであろうか。素晴らしいことである。
 今日の俳句のように、宍道湖からの大山もなかなか素晴らしい景色だが、その大山に向かって立つ自分のいのちのなかに大山のいのちが立っているともいえるのではなかろうか。

 『脳を鍛える』という言葉を新聞やテレビで見ることがある。現在、私たちが行っているの右脳開発はまさに「脳を鍛える」ことになるのであろう。何かに感動する。何かに美を見出す。何か、『よいこと』を見つけては喜ぶ。それらはみな「脳力開発」となる。使わないと、どうしても退歩萎縮してしまう。生命は使うところに強化の秘訣がある。私たちの感動は、まず「誌友会」参加から始まるのではなかろうか。誌友会もいろいろと工夫され、真理探究の誌友会と技能と芸術的感覚を活用する誌友会と両方できた。これらは右脳開発にもってこいである。
 真理探究の誌友会で担当させていただくときは、時間のある限り時々だが、神想観の実修をさせていただいている。

 大山は雪を被っている時もある。嵐の大山もある。先日、宍道湖から見た大山は実に雄大で伯耆富士と云われるに相応しい姿をしていた。ある時、宍道湖は海のように荒れていた。その時に大山が湖に映っているとしたら大山の姿は千々に乱れているであろう。
 そのように、ある人はAさんを酒飲みでどうしようもない、という。しかし、酒飲み友達にとってはこれほど素晴らしい友人はない。ある人はBさんを世界で一番ダメな人間という。しかし、ある人は、彼を世界で一番素晴らしい人であるという。見る角度によって、人間や歴史の評価は変わってくるものだ。しかし、私たちは、常に神様の視点で世界と人間とを観る。そして、不完全な姿の奥に完全円満な世界と人間とを見出して、『はなはだ善し』と礼拝するのである。そして、その世界から写し出された真実の映しの姿を真象として、ひび発見してそれを賛嘆し、感動するのである。それを『神性表現』とお教えいただいている。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
 2009年4月17日のブログは、「ウサギとカメ (3)」、18日のブログは、「ウサギとカメ (4)」、20日のブログは、「ウサギとカメ (5)」です。真理をおりまぜながら物語が展開して参ります。自由自在に物語を展開される御文章にはただただ驚くばかりです。

 中内 英生

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April.21.2009「日時計主義と神性表現」

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今日の歌::真象を 映してやみん さくら道
今日のブログは、5月の『大和島根』掲載予定の挨拶文を出させていただきます。どうぞ、よろしくお願いいたします。

 神の子の皆様、有り難うございます。
 日々、日時計主義のご生活を送っておられることと思います。いつも太陽の輝く時刻のみを記録する生活こそ生長の家の生活です。『日時計主義とは何か?』と『太陽はいつも輝いている』の総裁谷口雅宣先生のご著書の中には、明るい心とその表現がいかに大切であるかが説かれております。また、神性表現としてさまざまな形式で真象を認めて表現することにより、明るいことが集まって来ると共に、多くの人々との感動の共有ができると説かれております。

 島根教区では、写メールと俳句を合体させて、簡単に表現できる『写俳』が行なわれつつあります。他にも色々の形式がありますので、この形式にとらわれる必要はありません。この形式での表現方法がテレビなどで紹介されておりますが、私たちの行っている方法はその精神が、前出の二つの本に書かれている日時計主義によって貫かれておりますので、そのことを充分に考慮しつつ、行ってみてください。

 これは意味優先の左脳に対して、感覚優先の右脳を開発する方法でもあります。私たちの脳はほとんど左脳領域を使っているようです。しかし、右脳も左脳と同じ容量があります。その右脳を私たちはそれほど開発し活用していないようです。従いまして、右脳を開発することにより、その能力が向上し、右脳と左脳とを合わせて見事に全体としての能力向上を果たすことができるとしております。それが実生活への真理表現能力の向上となり、愛行と伝道能力の向上となることは間違いありません。

 俳句は川柳ではありません。俳句は松尾芭蕉によって古来からの和歌と同等の位置を得たとしております。芭蕉も若いときは、面白ろおかしく表現する川柳的な表現を行っていたこともあったようです。しかし、ご自分の表現形式に満足できず、旅に出ます。そして『奥の細道』において、永遠と一瞬とを同時に表現できるような俳句の表現方法を確立したのでした。総裁谷口雅宣先生は、このような”俳句表現に命を懸けてきた芭蕉の生き方”を評価しておられます。
  この点を充分にご理解いただくようにお願いいたします。とりあえず、二つのご著書を拝読してください。俳句を作り始めてから拝読するか、拝読してから俳句を作り始めるかはどちらでもよろしいです。
 
 形式は、五・七・五ですが、冷やかしや、おかしさや、おどけや、言葉遊び等を表現し強調するのではなく、唯一絶対の神の世界から映し出された真象の美を表現するのが、俳句でありましょう。日時計主義の延長である神性表現であることを決して忘れてはなりません。季語にとらわれる必要はありませんが、できれば日本古来の季節感を表現する季語を使っていただくと、それらしい表現となるのではないでしょうか。季語は季語集も出されておりますが、インターネットで『季語』で検索すればすぐに分かります。

 川柳には川柳の良さがありますが、しかし私たちが行おうとしているのは、総裁谷口雅宣先生が御教示される神性表現の一形式でありますところの『俳句』であります。この点を充分にご理解いただき、誤解なさらないようにしていただきたいと存じます。
 有名な花伝書には「形より入り形を出る」ことが書かれていたと記憶しております。古人が確立した形式というものは、それなりに意味があるものです。まずは、総裁先生の二つのご著書を拝読し、精読して、俳句を作ってみましょう。年齢はまったく関係ございません。

 毎日作っておりますと、すらすらと五・七・五の文字が出てくるようになります。写メール俳句を毎日作り、カメラ機能が付いた携帯電話を持って毎日、「良いこと探し」をしている方々に聞いてみますと、いつもどこかに『良いことはないかな?』『美しいものは無いかな?』と考えて一日が終わるのだそうです。楽しくて仕方がないそうです。しかもご自分でホームページを作って表現される方々まで出現しました。
 教化部ホームページには、『写メール俳句の世界』に皆様からのご投稿を毎日、掲載しております。携帯電話でも見ることが出来ますので、どうぞご覧下さい。

 中内 英生

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April.20.2009「電気自動車」

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今日の歌::夜の雨 春の石見路 走り越し

 「電気自動車、走行距離1,5倍」という見出しが日経新聞(2009/4/16)のトップで出ていた。蓄電池だが日本の環境技術はすごいと思う。創意工夫で色々と次から次へと出してくる。
 政府は民間企業や大学と共同で、環境に配慮した次世代自動車向けの蓄電池を開発するという。今年度から2015年までに210億円を投じて、電気自動車で走行距離を1,5倍とし、コストを六分の一に抑える目標を設定した。30年度にはガソリン車なみに走行できる新型電池の開発も目指すという。環境対応車の性能を改善し普及するという考えのようだ。

 電気自動車は最初はエジソンが開発した。しかし、技術系社員だったフォードが独立してガソリン車を作り、売り出した。それが爆発的に発展して電気自動車は影を消した。しかし、ガソリン車の行く末がこのように地球温暖化で地球を汚染する原因の一つになろうとはフォードも考えていなかっただろう。そしてその競争に負けたエジソンが作りだした電気自動車が再び、現代に於いて脚光を浴びて再登場する。最終的には燃料電池車になるのかもしれないが、それまでは電気自動車が大いに力を発揮するに違いない。しかし、その使用する電気が、できれば自然エネルギー由来のものであることを誰もが願っているだろう。そうでないと、石炭火力発電で二酸化炭素を排出しながら、電気自動車を走らせてもほとんど同じことになるからだ。
 火力発電から排出した二酸化炭素の地下貯留や海底に送り出す方法は賛否両論だと云われている。要するに、技術が完成されていない。次世代倫理において、問題があると生長の家では考えるのである。

*今日は、午後の江津の先祖供養祭、受験勉強会、夜は浜田の誌友会だった。帰りは案外早く帰ることが出来、11時には自宅につくことが出来た。感謝。
*写メール俳句の参加者が増えているようだ。未だに名前を明かさない人がおられる。それがまた良いのだろう。時々、写メール俳句を投稿しているという地方講師の方の講話を家内が母親教室でお聞きした。その方の話によると、松江の自宅近くの道路でアヒルと鴨のグループが大変、困っていたという。それで、彼女は、自動車の皆さんに停まっていただいて、彼らを近くの池に誘導してあげたらしい。そのグループは、彼女の誘導に素直についてきて、無事に池に入ることが出来たという。めでたし、めでたし。

 中内 英生

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April.19.2009「”祈り合いの神想観”と神の愛」

April.19.2009「”祈り合いの神想観”と神の愛」
今日の歌::今日もまた 神愛は満ち 溢れ給う

 今日で、4月の出雲練成会が終わった。最終日の「祈り合いの神想観」でいつも感じることだが、自分の力を感じないということだった。何か別の神様の愛のようなものが指導しているように感じてしまう。早朝行事で神想観をしているときとは違う。また、どなたかを一対一で祈らせていただいている時とも違う感じがする。何かが天降っているように思ってしまう。

 頼りない表現をしていて申し訳ないが、見えるわけでもなく聞こえるわけでもないのでそのような表現となる。勿論、『人間苦の解放宣言』には断定的に書かれているので、その通りにお伝えしているにすぎない。
 相手の方々の本当の幸福を我がことのように願い、神の癒しの天降らんことを祈る。それだけでも、人間のなす行為としては何という美しい行動ではないだろうか?

 祈り合いの神想観は、故吉田武利元本部講師がご指導を始められたとお聞きしている。生長の家本部練成道場に在住の時には、ご自宅の続きに四畳半ほどの、『神想観の部屋』を増築して「行」を行っておられたようである。祈り合いの神想観のご指導の時だったが、祈ってもらいたい一人一人に対して、的確なアドバイスコメントを与えて、マイクを次に回していた鮮やかな指導ぶりを彷彿とさせる。司会をしていた私は、精神を統一して祈っておられた吉田講師の雰囲気に圧倒されたものだった。

 祈り合いの神想観の宗教行は、パイプになる先導者と祈る側の人々の心が無我になって神様の愛を通過しやすいようにすることが、秘訣のようだ。だから我の心では到底、行ずることは難しいだろう。
 逆に、純粋な信仰心を常時持ち続ける人であるならば、充分に可能であると考えられる。年齢や経験よりも、唯一絶対の完全な神のみが実在するという純粋な信仰心が不可欠であり、それがあればこの宗教行は成功する。

 また、今日は、はじめて写メール俳句をよくご投稿しておられる方々の会合があった。神性表現というものが、こんなに楽しいことであることを、総裁先生から私たちはお教えいただいた。参加者のみなさまは、一日中『善いこと探し』に専念しておられるようだ。これは実に大きな信仰生活上の変化と言えるのではないだろうか。
 この場で確認したことがある。それは、私たちの神性表現の根拠は、総裁谷口雅宣先生のご著書『日時計主義とは何か?』と『太陽はいつも輝いている』である。NHKなどで写俳の番組があると聞いているが、私たちのは似てはいるが根本精神が日時計主義に基づいていることを忘れてはならない。

 練成会は、如何に参加者に対して神の愛を行ずるかである。別の表現をすれば、神縁に触れた人々に、神様の愛を感じていただく媒体にならせていただくのが担当講師や運営側の心得であるかも知れない。今回の練成会は、私の感想としてはかなり満足度の高い練成会であったように思う。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  2009年4月16日のブログは、「フロリダの誌友会を地方紙が報道」です。生長の家のインターネット時代の到来を感じます。ともかく早いです。
 島根の青年会のホームページも始まりました。パソコンが難しい方は、携帯電話で総裁先生のブログ拝読からお始め下さい。バーコードを読み込む機能が現在の携帯にはほとんどついていますので簡単に、アドレスを取得できます。

*今日は天気は上々であったようです。練成会を担当させていただいておりますと、ほとんど室内での仕事ですので天気のことを忘れることがあります。

 中内 英生

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April.18.2009「菩薩道」

Img035 April.18.2009「菩薩道」
今日の歌::回峰行 如来と歩む 菩薩みち

 大行満大阿ジャ梨の光永覚道さんが『回峰行に生きる』として『心の時代』(2008/6/15)に出演していた。その中で、「菩薩とは何か」ということを語っておられる。

 比叡山の行は菩薩行というらしい。悟りに近づくための修行である。悟りを得てしまうと如来さんになる。悟りきってしまうと、非常に性格が穏やかになり座禅や禅定に入ってしまう。
 比叡山の場合は、菩薩行と云って、如来になるための修行をしている最中の行というので菩薩行ということになる。
 菩薩は本来、いつでも悟ることが出来るのだが、一人でも色んなご縁のある方たちが一緒に悟りの世界に入って行けるようにということで、一緒に悟りの世界に近づくために修行をしておられるという立場である。いわゆる、現在進行形という形になる。修行している最中であるという形となるので、毎日、七里半を歩くという。八は完成で悟った世界を意味するので、それに限りなく近い七里半らしい。そして悟りに近づく修行を続けるのだ。
 回峰行のことを練行というが、修行を続けていくということが非常に大切であるとしている。

 まだ、色々と教えさせられる言葉がたくさんあったが、明日、練成会の講話で『菩薩は何を為すべきか』について話させていただく予定なので、ちょうど回峰行のことを書かせていただいた次第である。しかし、それにしても一千日も毎日七里半も歩くとは何という持続力・継続力であろうか。しかも、道ばたの一木一草に至るまで、お経を唱え、拝みながら夜中に4~5時間をかけて歩く礼拝行である。お堂の前では特定のお経を読むという。最後には、食欲や睡眠欲を抑えて行に励むという。普通の人間ではできない。だから出家という。私たちは在家である。特別の行を行わず、そのまますべてを浄化して生活するという方法である。私たちの千日回峰行は、毎日、父母を、配偶者を、家族を、家を、空気を、水を、食べ物を、会社を、社員を、あらゆる人と存在を拝んで行くという礼拝行である。千日回峰行の厳しさから比べると三正行などの行は、実に『楽行道』でありましょう。しかしそこには、常に円満完全なる喜びが満ちているのではないだろうか。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  昨日に同じく、2009年4月16日のブログは、「フロリダの誌友会を地方紙が報道」についてです。情報は一瞬にして世界を駆けめぐります。
 島根教区青年会のホームページも数日前に開設されました。この情報は、まだ世界中を駆けめぐってはいませんが、駆けめぐることができる可能性は十分あります。島根の信徒の皆様、拝見してください。携帯でご覧になられることをお勧めします。ただし、電話会社との契約条件を充分にご確認ください。

*今日の練成会では、夜は久しぶりに『繁栄』の話をさせていただいた。土・日に男性の方がたくさん繁栄の講話を聞きにきてくださるように精進したいと考えている。繁栄には会社の繁栄も家庭の繁栄もある。しかし、生長の家で説かれる原理は共通である。それは唯神実相論や三界唯心の理論を根本としている。現代のように現象的には不景気といわれている時代こそ、その中で大いに向上して行きたいものである。
 また、練成会では今回お出でになられた方々と出来るだけ面接してアドバイスさせていただくようにした。これが徹底すると色々と喜ばしい体験が出てくることがある。私のはほんのそのお手伝いではある。

 中内 英生

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April.17.2009「浄心行」

April.17.2009「浄心行」
今日の歌::美しき 庭の花折り ビンに挿す

 最近は、写メール俳句の投稿者が多くて驚いています。感謝しています。おそらく、ペンネームで登場なので投稿しやすいのではないでしょうか。また、桜さんや「野の花の精」さんがHPを作っておられるのもかなり影響を受けているのではないでしょうか。しかし、どの写メ俳も実に気に入っています。私のコメントは、皆様にとっては五月蠅いかもしれませんが、ご辛抱下さい。コメントを入れなくても動くようになるまで、と考えております。 また、俳句が実にうまくなっておられます。それを見て気後れがすると言っている方がおられましたが、ご心配あらせられるな。上記の私の俳句を見て下さい。巧まないところが善いのです。季語のことを考えるとおそらく投稿されないでしょう。それよりも、自然に詠んでご投稿される方がうれしいです。
 また、写メ俳伝道師なる方が石見におられて、ご自分もご投稿されますが、誌友会に行くたびごとに、写メール俳句の神性表現をお勧めになっておられるようです。感謝です。
 
 私が好きな短歌ですが、正岡子規の『瓶に挿す 藤の花房 短かければ 畳の上に 届かざりけり』です。彼は結核で寝ておりましたので、そのまま横に見える藤の花を詠んだのでした。何の力みもない。不如帰という口の中が赤い鳥の名前を同人誌の名前にしていたようです。喀血で口中が赤くなる自分と口が赤い不如帰とを同一視する悲壮な感じがしないわけではありませんが、最後の最後まで俳句と短歌を詠んでいました。数は覚えていませんが、ものすごい数です。数をこなすということが必要です。

 マリナーズのイチローさんが張本さんと同じ記録を達成しました。イチローさんの奥様は松江の方ですので、マツエーズのイチローさんと言いたいところですが、そういう意味でも応援です。しかしそれだけではありません。この千両役者は、修行僧のように自己を磨き、鍛え、決して自分を甘やかさないようです。私たちも信仰者としては、信仰の基礎力修得の実践を学ぶべきでありましょう。それは平たく言えば三正行です。    
 
 今夜は浄心行がありました。一ヶ月に一度、私は神の御前で赦されて、『罪本来無し』を神様から宣言されるのでした。この一時間余りの浄心行は、私にとりましては無限の魂の安らかさを与えてくれます。心から感謝です。生長の家の御教えに触れさせていただき、また、浄心行に巡り会うことが出来たことをこよなくうれしく思えます。また浄心行の時には、いつも『愛は刑よりも強し』のはしがきの御文章を思い出します。皆様、御確認ください。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  2009年4月15日のブログは、「ウサギとカメ (2)」です。楽しい物語です。このような物語性のある童話が自在に文章化できるようになりたいものです。谷口雅春先生も、谷口清超先生も童話をお書きになっておられます。

*今日は練成会第一日目でした。他県からもお出でになっておられました。また、今回から面接に力を入れて、少しでも皆様のお役に立たせていただきたいと思います。

 中内 英生

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April.16.2009「言葉の力②」

Img027 April.16.2009「言葉の力②」
今日の歌::春なのに 冬に戻るや 寒い風

 『言葉の力』の第2回目です。「”you”と世間話」です。今日は1981年に就任した故レーガン大統領の演説についてです。イケメンの大統領でした。失業や不況について、テレビを通して大統領が国民に語りかけています。例えば…

 皆さんに初めて国の経済状態を報告して6ヶ月が経ちました。皆さんの電報、手紙や電話そして陳情が歴史を変えました。

 このような、勿論英語での演説です。しかし、聞いても決して絶叫型ではなく、語りかけるという雰囲気です。そして、”you!”(あなた!)と何度も話しかけるように語るレーガン大統領は、国民が大統領から直接一対一で話しかけられるような気持にさせる話術だったと言われています。
 レーガンはこの話術の手法を若い頃に聞いていたラジオの番組から学んだと云います。
 
 第32代大統領のフランクリン・ルーズベルト大統領のラジオ番組では、放送で国民に直接、語りかけるスタイルと親しみやすい語り口をレーガンは大先輩のルーズベルトから学んだと言われています。
  次はレーガン大統領の話し方と内容です。

 数日前、ある南部出身の議員が私の所へやってきました。議員は地元から戻ったばかりでした。彼はある住民から質問を受けました。我々の経済回復計画についてです。この計画については前回、説明しましたね。特に減税について。この議員は我々の計画に賛成していたので、時間をかけて専門的な点も説明してくれたのですが、いくらかの問題点があるとも言ったのです。
 質問したこの住民は、話を礼儀正しく聞き、こう言いました。
『ごたくはもういいよ。知りたいのはお前さんが、大統領側なのかそうでないのかと云うことさ!』と。

 レーガン大統領は、政治の話を世間話のように語り、国民の支援を集めました。演説の最後の別れの時の言葉がふるっています。

…皆さんは、今まで通り、その力を発揮してください。ここで立ち止まる必要はありません。ありがとう。そして、おやすみなさい。
 
 レーガンの演説術は、政治的な専門用語でなしに、普通の会話みたいな話をしているから共感ができるようです。島根の地方講師さんにも、そのような語り口の方がおられるのではないでしょうか。一般の人への講演などは一般的な普通の言葉を使うことが実に大切です。
  レーガンの話には何か心が引き込まれていきます。レーガンの演説には人の心を動かす技が隠されていたようです。そのキーワードは何かというと、『you』(あなた)です。youの使い方がレーガン大統領は非常に上手だったといいます。

 かつて谷口雅春先生の御講話の中で、私たちに対して、『あなた方は、住吉の大神の分身分霊です。』さらに、『全身全霊である』といわれたときには、魂が震え上がったものでした。優生保護法改正の運動をしていた頃に、御文章が発表されました。それには、住吉大神様から信徒へのお言葉として文章がつづられておりました。その最初に、『汝、我が愛する御子!』と呼び掛けておられ、この呼び掛けに魂が打ち震えたものです。さらに遡れば、『人類光明化運動発進の宣言』に於きまして、「友よ、助けよ。同志よ、吾に投ぜよ!』と師は私たち一人一人に訴えかけておられました。高校生時に拝読した私は、そのお言葉に何度、感動し落涙したか分かりません。

 全体を、というよりも、マザー・テレサのように、「一人を救おう!」という一対一を感じさせる方が相手に真心が伝わるようです。全体を救おうとするのではなく、眼前の一人を愛し救おうとしたその精神が、世界中の人を動かしてヴォランティーアの活動となったようです。誌友会活性化の基本もそこにあると考えます。お隣のお婆ちゃんを、近所の人々のお一人お一人を、マザーが眼前の人々を、「病めるキリスト」として奉仕したとき道が開けてきたように、活性化の道が開けるのではないでしょうか?

 レーガンは、”you”の多用により、自分に向かって話しかけてくれていうという気持を持たせることに成功したのでした。何故、”あなた”が素晴らしいかというと、一番会話的だからです。大国の大統領であるレーガン大統領から、”あなた”と云われたら、誰でもうれしくなるではありませんか。また『あなた』の言葉は一対一だからです。そういう話術であり、人の心を掴む技術です。また、レーガン大統領の演説の特長は、身近な話を交えて話すことだったそうです。
 この話し方は親近感を持たせてくれます。内容は一緒ですが、言い方によって最後まで聞きたくならせるか、あるいは途中で、一眠りでも入れようかと思わせるかは、話し方です。
 番組では社長さんの二つの社員を前にした演説の仕方を演じていました。まず、まずいやり方です。

 我が社の命運は、中国の富裕層に向けた高付加価値製品をどう開発して販売するかということにかかっております。経済発展の目覚ましい中国に於いて安心安全な我が社の製品が注目を浴びており、今こそ製造部門と営業部門が一体となって、商品の開発に取り組まなければなりません。
 
 どうも、これでは硬くて聴衆の皆様は頭に入ってこないようです。内容は同じですが、もう一つはよい例です。

(社長さんは社員である聴衆を見渡してニコッと笑って)
この前ねえ。上海のスーパーマーケットへ視察に行ったんですよ。そしたら、ちょうどうちの商品を買っている若いお母さんがいたんです。そこで聞いてみました。『中国製品より3割も高いのに、どうしてその商品を買ったのですか?』ってね。そしたら、こう言ったんです。『少しくらい高くても安心できる商品ならこっちの方がいいんです』ってね。実はね、こんなお母さんが、今中国には何千万人、いや何億人といるんですよ。その人たちが喜んで買ってくださるような商品を、みんなで一緒に開発しようじゃありませんか!!
(大拍手)

 大変に分かりやすいです。俄然、社員にはやる気が出てくるというものです。抽象的ではなく具体的ということは大切なことです。
  今日のは、生長の家の御教えをお伝えする時に、少しはご参考になったのではないかと思います。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  2009年4月14日のブログは、「ウサギとカメ」の童話です。楽しい御文章です。この童話を拝読して、私も何か作ってみたくなりました。うちの子供たちは、自作の物語を色々と作っては発表しお互いに笑っていることがあります。童話を創作できるということは右脳が活発化しないとできないのでありましょう。どなたか、チャレンジしませんか。

*今日は、木曜休日でした。少し寒かったですね。

 中内 英生

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April.15.2009「平成の歌会」

Img023 April.15.2009「平成の歌会」
今日の歌::写メ拝の 達人いでて 世を癒す

 「平成の歌会」というのがあるという。サンケイ新聞(2009/4/14)によると、「平成の歌会」の投稿歌を募集しているらしい。今年は後鳥羽上皇が隠岐島で没してから770年に当たることを記念し、表彰式を島根県海士町で9月26日に開催するという。歌題部門の優秀作は、冷泉家時雨亭文庫の協力で隠岐神社に献詠するほか、自由部門の選者による選評会も行うとのことです。

 私は隠岐には、これから何度も行くと思いますが、残念ながら海士町には行っていません。地図で見ると、どうやら本島とは少し離れているようです。そこで歌会があるようです。投稿要領を見ると、歌題部門の歌題は「秋夕」…「あきのゆうべ」と読むそうです。自由部門は現代短歌だそうです。三首一組2000円の投稿料です。6月25日の締め切りと書かれています。
 9月に隠岐の島へ行きたい方、応募してみては如何ですか?

また、宮内庁のホームページによりますと、平成22年歌会始のお題が「光」と定められたそうです。生命学園でも応募したことがありますが、気持が御皇室に向かいとてもよいものです。
 お題は「光(ひかり)」ですが,「光」の文字を使用していれば「月光(げつくわう)(げっこう)」のように熟語にしても,また,「光る」のように訓読しても差し支えないとのことです。
 お題の「光」は、50年前の昭和35年の歌会始のお題にも選ばれているとしています。この昭和35年の歌会始は,天皇皇后両陛下(当時皇太子同妃両殿下)が昭和34年4月10日にご結婚されてから最初に行われ,初めてお二方でお歌を詠進された歌会始です。同じお題が二度選ばれることは,戦後の歌会始では初めてのこととなります。

 詠進歌の詠進要領を調べました。
1 詠進歌は,お題を詠み込んだ自作の短歌で一人一首とし,未発表のものに限る。
2 書式は,半紙(習字用の半紙)を横長に用い,右半分にお題と短歌,左半分に郵便番号,住所,電話番号,氏名(本名,ふりがなつき),生年月日及び職業(なるべく具体的に)を縦書きで書く。
無職の場合は,「無職」と書く(以前に職業に就いたことがある場合には,なるべく元の職業を書く。)。
なお,主婦の場合は,単に「主婦」と書いても差し支えない。
3 用紙は,半紙とし,記載事項は全て毛筆で自書する。
 その他、色々と書かれています。応募したいかたは、宮内庁のHPでご確認ください。そして応募の締め切りは9月30日までです。さてもし選ばれた場合ですが、皇居での歌会始めにご招待されるそうですので、その時はぜひ私にもご連絡下さい。
 その時のことを考えただけでもワクワクしてきませんか?

*今日は午後は浜田の誌友会へ行かせていただいた。行くのに2時間以上かかる。会場は武道館というところだった。参加者はいかにも生長の家の信徒さんらしい明るくさわやかな雰囲気とお顔の方々だった。それだけで癒される思いがした。谷口清超大聖師が御教えにお触れになられた所、それは浜田である。谷口清超先生のことを語るにおいて、『浜田』を外すことはできない。その生長の家の素晴らしい歴史と伝統のある『浜田』は現在、数多くの地方講師や幹部の皆様が元気に明るく活発に運動を展開しておられます。がんばれ!がんばれ!ハ!マ!ダ! がんばれ!がんばれ!ハ!マ!ダ!。浜田の生長の家が大いに発展することが、霊界の谷口清超大聖師にお喜びいただくことに繋がるのではないかと推測いたします。

 中内 英生

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April.14.2009「今日の出来事」

Img021 April.14.2009「今日の出来事」
今日の歌::生き物は 夜の気配に 寝静まり
*出雲は大変に静かです。風が吹いているときはかなり騒がしいのですが、夜中になると車もあまり通りませんので生活するのには大変にうれしいところです。

 今日はテーマは特に作っていません。最近、このブログの文章が『長~い』という人が増えていますので、今日は短文です。
 午前中は、『教育講演会』を行いました。これは、来年度からの「教育フォーラム」の予行演習です。教育フォーラムは、新人対象で教区の各地で30人以内くらい集めて行うので、その練習です。10人来ていただいて話を聞いていただければよいと考えていましたが、ちょうどそれくらい来てくださいました。まずまずの成功!今年度は8回行いまして、毎回、進化します。

 午後は、『チャリティ・コンサート?』の打ち合わせでした。最初は、島根の生長の家に音楽関係の人はあまりいないように聞いていましたが、いざ開催ということになりますと、あの人はどうか、この人はどうか、と色々と情報が集まるのには驚きました。このコンサートは、谷口清超先生の宗教音楽をお聞きするのが主たる目的です。そして、今まで隠れていた人々がコンサートを機会に、生長の家の表面に浮かび上がってくることができれば素晴らしいことになると思います。

 夜は、今年度最初の地方講師昇格受験の学習会がありました。受験に合格するかどうかよりも、一年間学習された人は、生長の家の御教えをかなり深く理解することができるようです。特に、総裁先生のご著書の完全読破を目指しますので、現代の諸問題に相当に強くなるのではないでしょうか。今日は充実した実に多用な一日でありました。
 『今日の出来事』はこれで終了です。

 中内 英生

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April.13.2009「言葉の力」

Img028 April.13.2009「言葉の力」
今日の歌::昨夜まで 拡声器の声 ハタと止み 元に戻りぬ 静寂の街
 
 『アメリカ大統領の演説』は、世界を変える言葉を発信してきたという。NHKでは『大統領の演説』(2008/11/3)として放映された。マケイン候補は[Stand up and fight](立ち上がり戦おう)を言い続け、オバマ氏は[Yes, We can.]を叫び続けた。二人の候補者は如何に自分が大統領に相応しいかを訴え続けてきた。それは言葉の力の応用である。「演説」こそはアメリカの民主主義を作った言葉であるとしている。

 大統領にはパワーの秘密があり、世界を変える言葉が大統領選挙にはあったようだ。この番組には、アナウンサーの三宅民夫さんや、ダニエル・カール氏、リサ・ステッグマイヤーさん、ビビる・大木さん、この人はコメジアンだろうか?遥洋子さん、ギタリストのマーティ・フリードマンさん、上智大学名誉教授の松尾弐之さん、津田塾大学準教授の山中俊宏さん、などが出演していた。

 民主党のアイオア州党集会(2008/1/3)が行われた。本命視されていたのはヒラリー・クリントンである。ニューハンプシャー州予備選挙(2008/1/8)でヒラリー氏は勝利を収めた。『私に与えてくれた復活の機会、今度は一緒にアメリカ全土へ』といってリラリー氏は演説した。それはテレビカメラの前で涙を浮かべたヒラリー氏に女性票が流れたということのようだ。これで勝利すると見られたが…。
 1月8日にオバマ氏が発した一言が、候補者選びに大きく流れを変えたとしている。
それは『Yes, We can.』という短いフレーズだった。彼は言う。

それはこの国の運命を宣言した建国の文書に書かれた信念だ。
そうだ! 我々にはできる!!
それは奴隷や奴隷廃止を目指す人々がささやいた言葉だ。
自由への道を切り開くために闇夜をくぐり抜けた言葉だ。
それは移民たちが口ずさんだ歌。
遠い岸辺を出発した時に、開拓者たちが厳しい未開の地を西へ進みながら口ずさんだ歌。
そうだ! 我々にはできる!!
それは組合を作った労働者たちの合い言葉。
選挙権を求めた女性たちの、
新しい開拓地に月を選んだ大統領の、
山頂へと我々を導き、約束の地を示してくれた王の言葉だ。
我々にはできる!!

「そうだ!我々には出来る!!」という言葉が、オバマ氏の存在を世界へ強くアピールして行くものとなったのである。
 しかも、この演説に感動したミュージシャンたち(ウィル・アイ・アムほか)が、演説そのものに曲を付けてインターネットで公開すると、全世界の一千万以上という驚異的なアクセスを記録したようだ。
  ヒラリー・クリントン氏も敗北を宣言し、『別々だった道は今一つになった。今日、私もオバマ氏と足並みを揃えて言います。イエス、ウイ、キャン!』
  オバマ氏は、言葉の力をエネルギーに変え、民主党全国大会(2008/8/28)でヒラリー・クリントン氏との激戦を制し、大統領候補へと駆け上ったとしている。

 私自身もこの番組を見ていて思わず落涙してしまった。この言葉は人々に力を付与してくれるのではないだろうか。人間には無限力がある。このことを言葉で言い表したときに、我々は感動する。3月1日は、総裁先生は二酸化炭素の削減と教勢発展を同時に成就することをご教示された。この御言葉を成就することが私たち島根の信徒に与えられたご使命でありましょう。イエス、ウイ、キャンである。
 この総裁先生から与えられたご使命にお応え申し上げることが、二代目総裁谷口清超先生の御心にお応えすることに繋がり、初代総裁谷口雅春先生の御心にお応えすることに繋がり、さらに生長の家大神さまの御心にお応えすることに繋がることになるのではなかろうかと拝察申し上げる次第であります。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
 2009年4月12日のブログは、「家族で夕食会」です。楽しい家族でのお食事の様子が書かれています。また、先生は野菜のお寿司を握られたそうです。『私もやってみようかな』、とふと思いました。

*写メール俳句で、天皇・皇后両陛下ご結婚50年のお祝いの俳句や短歌をお送りいただいた。有り難うございます。両陛下の御写真もあったが、肖像権の関係で別の写真を掲載させていただいた。ご容赦ください。素晴らしい両陛下のお言葉に改めて、感動いたします。
*今日は、安来の誌友会へ行かせていただいた。最後に神想観を実修させていただいた。皆様を実相世界へ誘う神想観は、生長の家の運動において大変重要であり、『日時計日記』などでお教えいただいている三正行の一つである。参加者のほとんどの方が日時計日記を毎日書いておられるとのことで大変うれしく思いました。

 中内 英生

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April.12.2009「粘菌」

Img016 April.12.2009「粘菌」
今日の歌::粘菌と 名づく生き物 不思議なり
 
 皆様は、『粘菌』という生物をご存じでしょうか。植物でもなく動物でもないという存在です。『不思議生物・粘菌』として「サイエンス・ゼロ」(2008/8/29)で放映されていた。世界で粘菌は数百種も存在するという。子実体というものを作ったりして、動物でもあり植物でもあるという性質があるという。菌類でもないようだ。

 北海道大学電子科学研究所の中垣俊之準教授が研究成果を語っていた。粘菌は実に賢い原理を持っているそうだ。迷路に置いてあっても、その先に餌を置いておくといつの間にか粘菌の細胞が伸びてきて餌を食べてしまう。しかも最短距離を経路探索するのが不思議である。
 粘菌は森の中にはどこにもいるそうである。何と一時間に1㎝動くという。この粘菌の動きの原理を応用して『粘菌ロボット』というのを東北大学工学部の石黒章夫教授は作って研究していた。動きが自由自在だ。映像で説明できないのが実に残念。

 宮崎駿さんの『風の谷のナウシカ』でも粘菌は心をもつ生き物として、「腐海」の中に存在させている。100年前の昔のことだが、南方熊楠という人がいた。粘菌の研究というよりも、「知の巨人」として記憶している。彼は粘菌研究の第一人者だった。彼は、博物学者であり、民俗学者であり、エコロジストである。熊野の森に分け入り、200種類の粘菌を観察し記録した。柳田国男氏への手紙が残っている。

 粘菌は動植物いずれともつかぬ奇妙な生態を持つ生き物で、イギリスの教授は、『他の星からやってきて、動植物の起源となったのではないか』と言っている。私はこの粘菌を用いて、生と死は一体何なのか、研究を続けている。

 熊楠がいう、粘菌を通した生と死の研究とは何だったのか?変化する粘菌の姿から生命を捉える粘菌の難しさを感じていたようだ。岩田準一氏への手紙もある。

 人が見て形のない、つまらぬタンのようなものと軽視する状態こそが、生きた粘菌の姿で、もはや胞子を守るだけとなった粘菌は、まさに死んだ状態だ。死んだものを見て、粘菌が生えたと言って、生き物とみなし、生きた粘菌を見て、死んだも同然と思う人間の見識の方がまるで間違いだ。

 粘菌から、『生命とはなにか』を見出そうとしていた熊楠の精神は現在の粘菌研究にも受け継がれているかも知れないとしている。粘菌は何か哲学に通じるものがあるのかも知れない。
 粘菌は餌がなくなり飢餓状態でピンチになると、みんな集まって10万個くらいの細胞が集まる。そしてナメクジ状になってはい回る。実に不思議!そして適当な所へ行くと、ニョキニョキと伸びていき、子実体(胞子)を作る。インターネットで検索してみてください。

 どうして一カ所に集まることができるのか?どうして10万個という細胞になったことが分かるのだろうか?それについては、立命館大学生命科学部の長野正道教授が研究をしていた。色々と研究が進むにつれて、実に単純な法則で動いていることが分かってきている。一個一個は大して優秀な細胞ではないが、それぞれが力を出し合って、自在な生き方をすることができる。『細胞性粘菌』という粘菌は、狭いところを自在にくぐり抜けることができる。私はここに『協力』ということが偉大な力を発揮することを感ずる。
 中垣俊之準教授は考える。『生きているということはどういうことなのか。なぜ粘菌が面白いのか。単細胞というのは生き物の基本単位である。粘菌にはあらゆる生き物の根元的なものがあると考えられる。粘菌の情報処理のかしこさを考えたとき、ひょっとしたら、私たちの知性の起源に迫っていくためのモデル(材料)になるのではないか』と。

 実に不思議生物である。この粘菌は高校時代だったか、映像で見た。それ以来、不思議な生命体として私の脳裏に焼き付いている。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  2009年4月11日のブログは、「タケノコを掘る」です。ご自宅で筍を掘られたようです。楽しい御写真が掲載されています。

*今日は、教化部で出雲生命学園の入園式がありました。19人の入園者がありました。
カレーライスを食べまして楽しい時間を過ごしました。午後は、生教会の学習会でした。夜は青年会の皆様が幹部会を開きまして同席させていただきました。素晴らしい一日でした。

 中内 英生

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April.11.2009「天皇皇后両陛下のご結婚50年を心よりお祝い申し上げます」

Img011 April.11.2009「天皇皇后両陛下のご結婚50年を心よりお祝い申し上げます」
今日の歌::金婚や めでたき節目の 両陛下

 天皇、皇后両陛下は10日、ご結婚から50年を迎えられた。サンケイ新聞(2009/4/10)によると、両陛下は宮内記者会との記者会見に臨まれた。陛下は、『多くの人々からお祝いの気持を示されていることを、誠にうれしく、深く感謝しています』と国民に謝意を示されたという。また、皇后様も『今日、こうして陛下のおそばで金婚の日を迎えられることを本当に夢のように思います』と述べられたと報じられている。

 お互いにお贈りしたいのは『感謝状』。天皇、皇后両陛下は、ご結婚50年に先立ち行われた記者会見で、そろってこう述べられたという。会見で両陛下はともに寄り添ってきたこの半世紀を振り返り、お互いの労苦を心から労われたという。また、陛下はこれまで両陛下を支えた人々への感謝を述べられた際には、お声を詰まらせて感極まった表情を浮かべらられたそうである。まさに感謝のお気持ちに満ちた記者会見となったと報じられている。

 私たち信徒は、天皇陛下の御心を心として夫婦仲良く、夫婦でお互いに「感謝状」を贈るような生活をしたいと思う。天皇様の愛の御心、ご生活を学んでそれを実践させていただくことを私たちは教えられている。
 金婚と言えば、谷口雅春先生、谷口輝子先生の金婚式の時を思い出します。お揃いでご指導くださることの信徒の幸福を感じました。

 両陛下が、御健康であらせられることは私たち国民にとりましては、限りない幸福なことであります。
  陛下は、皇后様について『常に私の立場と努めを重んじ、私生活においては昭和天皇をはじめ私の家族を大切にしつつ、私に寄り添ってきてくれたことをうれしく思っています』と感謝の念を示された。
 皇后様も『50年の道のりは長く、時に険しくございましたが、陛下が日々真摯に取るべき道を求め、指し示してくださいましたので、今日までご一緒に歩いて来ることができました』と、陛下に謝意を述べられたそうである。

「夫婦としてうれしく思われたことは?」という質問に対して、陛下は「二人が健康に50年を迎えられたこと」を挙げられたという。『何でも二人で話し合えたことは幸せなことだったと思います。皇后はまじめなのですが、面白く楽しい面を持っており、私どもの生活にいつも笑いがあったことを思い出します』と。皇后様の明るさに支えられてきたということでありましょう。明るさは女性の素晴らしさの一つであります。

 陛下はお答えの最後に、『結婚50年を、本当に感謝の気持ちで迎えます。終わりに、私ども二人を50年にわたって支えてくれた人々に、深く感謝の意を表します』と述べられた。この時の陛下は、感極まって涙をこらえるように表情を浮かべられたという。
私は、この文章を拝読し、『君民同治の神示』の一節を思い出さずにはいられなかった。天皇陛下が国民に感謝し、礼拝され、国民が天皇陛下に感謝し礼拝申し上げるという、『感謝と礼拝の満ち溢れた素晴らしい日本国』を実感させていただいた。

 「改めて(皇后様に)言葉を贈られるとすればどのような言葉になりますか」との質問に対して、陛下は、『感謝状です』とハッキリとおっしゃったという。陛下は、『皇后はこのたびも努力賞がいいとしきりのいうのですが…』とつけ加えて会場は笑いに包まれたという。
 続けて『これは今日まで続けてきた努力をよみしての感謝状です。本当に50年間よく努力を続けてくれました。その間にはたくさんの悲しいことやつらいことがあったと思いますが、よく耐えてくれたと思います』と皇后さまの長年のご努力を労われたと書かれている。
 皇后様も、『このたびも、私はやはり感謝状を…。何か、これだけでは足りないような気持ちが致しますが、心を込めて感謝状をお贈り申し上げます』と述べられたという。
 島根の多くの信徒さんも、私と同様に両陛下のお言葉に感動されたのではないだろうか!

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
2009年4月10日のブログは、「天皇皇后両陛下のご結婚50年をお祝いして」です。
 ブログの御文章の最後に、総裁先生は、天皇皇后両陛下の記者会見で、心に強く響いたポイントを二つ挙げておられます。
 一つは、天皇陛下が日本国憲法で規定された「象徴天皇制」を高く評価されている点を挙げておられることです。危機対応の明治憲法との比較をされております。
 もう一点は、『伝統墨守』のことです。伝統的行事をすべて守っていくとはおっしゃらずに、「天皇の望ましいあり方」に沿うのであれば、個々の行事の改廃については次世代の判断に任せるとのお考えであるとしておられます。そして、”天皇皇后両陛下ご自身は「伝統墨守」のお考えではないことを、我々はしっかり理解しておこう”とお書きになっておられます。重要な御文章ですので、必ず拝読下さい。

*今日は松江の先祖供養祭でした。ご協力下さいました皆様に心から感謝申し上げます。
*写メ俳同人の皆様!謹んで、両陛下の金婚のお祝いを申し上げ、一句お詠み下さい。
 中内 英生

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April.10.2009「北極大変動」

Img013 April.10.2009「北極大変動」
今日の歌::何よりも 緑の宝石 手に溢れ (今日は、川跡の誌友会へ参りました。相愛会の誌友会で絵を描いたのは初めてです。皆様はご熱心で積極的です。題材は野菜でした。皆様の絵はもう少しで発表されると思います。右脳を使い続けると描くのは苦にならないようです)。

 少し遅くなったが、『NHKスペシャル』でLNGプラントについて放映していた。すでにこのことは現実に、東京ガスで使用しているので、北極化石燃料使用と地球温暖化と東京都民とは切り離せなくなってしまっている。残念だが、動いているようだ。

 ノルウェーの海底のガス田開発の模様が出ていた。所謂ゴールド・ラッシュだという。平たくいうと、地球温暖化で北極の氷が溶けて、海底油田や海底ガス田などを掘削しやすいようになってきたことである。日本の掘削技術がそれを可能にしている。
 開発で町は活況を呈している。氷が地球温暖化で溶けると、町が賑やかになるのとは比例している。皮肉ではある。さまざまな国から労働者が集まっている。労働のために男性が増えているようだ。

 バレンツ海では氷が減少している。ロシア連邦のガスプロム社が動き出している。3兆8000万立方㎞のガスを抽出可能だとして開発に力を入れている。北極海の海がロシアの大陸棚の続きなのでロシアの領土であるとして海にロシア連邦の国旗を降ろしたパフォーマンスは有名だ。これには周辺国家は反発している。『資源・環境・平和』はこの地でまさにリンクしている。総裁先生が言われる通りである。

 温暖化がすすむと、海底資源が掘りやすくなるが、巨大氷山も崩れて流れやすくなる。それをロシアは船でロープをかけて移動させる方法まで開発しているようだ。インタビューでは『ガス田開発は地球環境には良くない』ということを明言していた人がいたが、それでも止められないようだ。
 北極海は地球の未開発の化石燃料の四分の一が眠っているらしい。しかし、私たちの地球温暖化防止の思惑とは別の所でプロジェクトは動いていた。東京ガスが東京の1千万世帯に供給するために、2008年3月にガスを輸入した。これは新聞でも読んだ記憶がある。

 北極海の氷が融けて、さまざまな現象が現れてきているが、化石燃料の使用を止めることが出来ず、欲望達成の手段にしようとしている。一日でも早く、化石燃料に頼らない社会を作らなくてはならない。
 現実には電気自動車やハイブリッド車の開発利用が行われ、環境関係の予算が組まれつつある。がんばれ日本!環境技術は世界一なのだからそれを大いに活用して地球温暖化防止に役立てるのが使命でありましょう。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
 2009年4月 8日のブログは、「夜桜を見る」です。アットホームは御文章です。終わり頃に自縛霊のことがかかれています。夜桜が思いを起こさせるのかも知れないとしておられます。

 私は夜桜を見ると、梶井基次郎の文章を思い出します。確か、『美しい桜の木の下には…云々』という内容だったかと記憶しています。先生の御文章と内容的に少し似ています。高校生の頃、梶井基次郎の文章が大好きでした。『檸檬』は特に好きでした。文章にいのちをかける純文学の世界です。

*今日は暑いくらいでした。太陽熱での温水装置の湯が充分に熱くなっていました。川跡の相愛会ではお二人、総裁先生のブログを毎日拝読しておられました。お一人はプリントアウトして読んでおられました。そうしないとなかなか読みにくいのだそうです。総裁先生のブログを拝読する信徒さんが増加していることを知って大変、うれしく思いました。

 中内 英生

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April.09.2009「仮想水?」

Img010 April.09.2009「仮想水?」
今日の歌:春風に 夜行列車は ガタゴトと

  「やはりタダは高くつく」という小論文がサンケイ新聞(2009/3/30)に掲載されていた。五十嵐徹さんという方が「一筆多論」に書いておられた。要旨は次の通りである。

 南半球の農業大国オーストラリアが、慢性的な干魃に悩まされている。先頃も死者200人以上、山林35万㌶を焼失する山火事があったが、消火用水の枯渇も被害を広げた一因だったといわれている。
 しかし、日本が世界でもトップクラスの水輸入大国であり、豪州の水不足にも実は無関係といえないこともまた、それ以上に知られていない事実であるらしい。「安全と水とはタダと考えている」と揶揄されるほど水資源に恵まれてきた日本人にとっては即座に納得しがたいが、後に紹介する数字が何よりも雄弁に語っているとしている。

 もちろん、ここでいう水資源とはペットボトルのミネラルウォーターのことではないようだ。仮想水(バーチャルウォーター)と称される概念で、「外国からの輸入物資を、もし国内で生産するとすれば必要とされる水資源の量」とでもいえば、少しは理解しやすいといえる。
 例えば米である。ある試算だと、精米1㌔を生産するには約8000㍑、重さにしても実に8㌧もの水が必要とされているらしい。同様に、大半を輸入に頼る小麦粉では4,5㌧、大豆が3,4㌧、トウモロコシも2トンの水が消費されるとのことである。

 驚くのは肉類である。同じ1㌔当たりでは鶏肉は4,9㌧、豚肉では11㌧だが、牛肉に至っては何と100㌧もの水を要するらしい。これは作物に比べて肥育期間が長く、トウモロコシなどの飼料生産に使用される水も計算に入れているからである。
 仮想水の輸入先はこれまで米国が断然トップだった。牛肉の最大の輸入相手国だった事情が大きいとしている。それが例のBSE騒ぎで豪州が米国に取って代わってしまった。豪州からの仮想水輸入量は飛躍的に伸びているという。

 それにしても、ステーキ200㌘の背後には2㍑入りペットボトルが1万本並んでいるというのだから、考えてみただけでも気が遠くなる。東京大学の沖大幹教授ら同大生産技術研究所グループが2005年のデータをもとに推計した結果では、食糧自給率が4割に過ぎない日本の仮想水輸入量は年間約1000億㌧で、大半は農産物に起因しているとのことだ。
 日本国内の水資源消費量が約900億㌧というから、それをはるかに上回る量の外国の水を日本人が消費している計算となる。もちろん仮想水は日本からも輸出されているが、圧倒的な日本の入超になっているという。

 心配なのは、途上国を中心とした世界の人口急増を背景に水資源の地域格差が急ピッチで拡大していることであるという。
 水の惑星といわれる地球ではあるが、その大半は海水である。人間が有効利用できる淡水は、わずか2,5%に過ぎない。水資源の問題は途上国、貧困国ほど深刻であるが、いずれも先進国でも水不足は避けられないだろうと専門家は見ているとしている。

 日本も今のまま仮想水の大量消費を続けられる保証はない。いずれ世界相手に大きなトラブルにも発展しかねないようだ。
 1995年、当時の世界銀行副総裁イスマイル・セラゲルディンは、「20世紀の戦争が石油をめぐって起きたものだとするなら、21世紀は水をめぐる戦争だということになろう」と予測している。その見方が現実にならないことを祈るばかりであると論説副委員長である五十嵐徹氏は書いている。

 フードマイレージの考え方もあるが、『仮想水』の考え方もあるということを初めて知った。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  2009年4月 7日のブログは、「北朝鮮の“飛翔体”」です。
全国民注目というか、その中でのできごとを様々な面からご考察しておられます。最終段落で先生のこの国への現時点での御結論をご教示されております。拝読下さい。

*写メール俳句への新規ご投稿がつづいております。写メ俳伝道師さんに感謝です。
尚、私の家に、バイオでの生ゴミ処理機が来ました。少しでも焼却による二酸化炭素排出が少なくなり、自然肥料が出来て一石二鳥のようです。

 中内 英生

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April.08.2009「ブログ」

April.08.2009「ブログ」
今日の歌::ブログって 一日終わる 島根人Photo

 写メール俳句を投稿しているらしい信徒さんからブログの感想を書いた葉書をいただいた。感謝します。内容はというと。『ブログは昨年はなかなか読めませんでしたが、受験後は楽しく(?)読んでおります。でも、私が『今日もながア~』と言いながらブログを読む姿を見て、主人が一句。『ブログ読む 最初の五行で 息切れる』(怒らないでくださいませ)。二人で笑いました。写メール俳句は旅行先でついつい調子に乗ってたくさん投稿して未だに終わらず恥ずかしい思いです。(後略)』
 
 私としましては、努力して1ページで終わらせようとしているのですが…。思うように参りません。また、この葉書は絵手紙となっておりまして、ヘッドホンの絵が描かれております。そして、一昨日の総裁先生のブログで音声によるご指導がありましたのに感動されたという俳句が書かれています。『総裁の お声のご指導 大感動!!』

 総裁先生のブログを拝読し、先生に日々、心を合わせる島根の信徒さんが大勢出現することを期待しています。パソコンをお持ちでない方は、携帯電話での拝読にチャレンジしましょう。なお、ご自分の通信契約内容は充分にご確認下さい。

 中内 英生

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April.07.2009「中村伸一医師②」

Photo_3 April.07.2009「中村伸一医師②」
今日の歌::サクサクと 林檎を食べる 音がする

(つづき)
 中村医師が最も力を入れているのが訪問診療である。これは私ども講師にとっては、誌友会出講に当たるであろう。彼の訪問する患者は40人もいる。ある家庭を訪問した。何気ない会話をする。それにより患者さんが何を考えているのかを知るのだそうだ。診察の最中に寝たきりのお爺さんに痙攣が来た。入院するのが一番簡単だ。しかし入院せずに家に居たいという願いをかなえつつ治療を続けるのは容易ではないとしている。それは地域の人々の強い思いが中村医師を突き動かしているようだ。それは、『最期まで家で家族と暮らしたい』という願いである。
 中村医師は全国に先駆けてサポート体勢を作ってきた。町の介護スタッフ、保健士さんとの連携。患者の情報を交換し、三位一体で患者と家族を支えていく。それにより、4割が自宅で最期の時を迎えるようになったという。病気を治すというよりも、家族を人生的に満足させるというのが目的であるようだ。 

 夜、自宅に帰っても中村医師の仕事は終わらない。携帯電話で急患の呼び出しがあるのではないかと携帯を放さない。酒は飲まず、お茶で済ませることが度々だという。『呑みたいんですけどねえ』という言葉に実感がこもっていたようだ。ストレスも色々とある筈だ。
 しかしまあ、その方が身体には良いのではないだろうか。私も現在は一滴もアルコールを飲まなくなってしまった。いつもしらふである。それはブログと関係がある。毎日、夜9時頃からだが、文章が出来るまでほとんど眠ることはない。なぜ書くかというと、このブログ書きを続けることによって、総裁先生のお気持ちの万分の一を分かりたいという願いからである。それは同じ行動を実践することによって、初めて先生のお気持ちが少しでも理解できるのではないかとの期待による。

  4日後、亡くなった人の家族から電話が入った。10年間診てきた人だ。93歳のお年寄りであった。介護してきた家族の人の労を労った。診療所に帰り、死亡診断書を書く。彼に関するさまざまな思いが甦ってくる。診察室でいつも笑っていたこと。自慢の巻物を見せてくれたことなど。ガンと分かったとき、『延命治療はいらない』と、毅然といったこと。二度とこのお爺ちゃんのことをカルテに書くことはないんだなと思うと何とも云えない気持になる。カルテも紙ではなく、電子カルテのようなものに書いていた。中村医師が某メーカーの技術者と共に開発した道具だ。手書きなので気持が文字に現れていくので後で読んでもよく分かるという。『この保存ボタンを押したのが最期になります』と、彼は合掌して保存ボタンを押した。

 『一人一人と向き合うのは大変だけれども、やり甲斐がある』と。”忙しいですね”といわれることがあるが、”忙しい”とは充実しているということなので出来るだけプラス思考で考えているという。
 総合病院と診療所の医師との違いを述べていた。総合病院の医師は、患者の人生の一点で関わり、そして過ぎていく。診療所の医師は、患者の人生の日常を支えていく。地域医療の原点はそこにある。
 私もかつては、総合病院ではないが、たくさんの方々のお世話と指導をする某練成道場に勤務していた。その時は上記のような状態だった。しかし、現在の役職をいただき、出来ている訳ではないが、信徒さんの人生を長く支えさせていただくのが役目であると考えるようになった。これは本当に生き甲斐があることだ。

 彼は訪問診療の時に、患者さんの気持を考える。そして話しかける。寝たきりの患者さんならば、『”寝ながら何を見ているのかな?”、患者は必ず窓の外を見る。”このきれいな紅葉をこの人は楽しんでいるのだろうか?”』といつも気にするらしい。

 ある人が前立腺ガンが骨への転移で動けなくなった。患者は家に戻ってきた。往診に行った。どんなに辛い思いをしているかと思って語りかけたら、患者さんが『中村先生、やっぱり家はいいよ。俺は家の横に流れている川の流れの音を聴いているだけで生きている、という実感がするなあ!!』と言ったのには驚いた。それだけ、人は家族の中で生活し、住み慣れた家を愛しているのだろう。
 精神分析学の祖であるフロイドの最期の言葉の内容を思い出す。『人生では何よりも家族の愛が最高である』と。
  外の風景を眺める。季節の変化が分かる。大事なことであるとしている。

 2㎞ほど離れた自宅からツエを突きながら、脚を引きずりながら歩いてくるお爺ちゃん。『お前しかいないんだから、頼むぞ!』と言われるとき、『これほど意気に感ずることはないと思う。プレッシャーよりも、こんな若造の自分を頼ってくれる人がいる』と。このことに感謝しているようだ。
 患者の人生に寄り添うのが地域医療の神髄である。この感情はこの村に来て17年間に育まれた。
 島根を受け持たせていただくということは中村医師のような気持を持たなければならないということなのだろう。私を含めて講師の人々はその精神が必要なのかも知れない。故T先輩から何度もお聞きしたことがある。『医者は、注射を間違えると患者が死んでしまう。講師は、言葉を間違えると相手の人生が死んでしまう。だから、絶えず学びなさい!絶えず聖典を拝読しなさい』と。私は気がつくと、T先輩の言葉を地方講師研修会や学習会の時にはいつも思い出している。
(おわり)

 中内 英生

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April.06.2009「中村伸一医師」

Photo_4 April.06.2009「中村伸一医師」
今日の歌::機会待つ 机の上の 絵の具たち

 診療所といえば、小さな田舎の病院といったイメージだろうか。『プロフェッショナル』(2008/1/13)で中村伸一さんという診療所の医師を紹介していた。「星降る町で」がサブタイトルである。ここでは4割の人が自分の家で最期の時を迎えるのだそうだ。全国平均の3倍である。従って、上手に病気を治す医師という紹介ではなく、田舎のご老人の気持を大切にして治療をする医師として紹介されている。この方は全国から注目を集める地域医療のスペシャリストである。島根でも地域密着型の光明化運動として地元の信徒さんや一般の方々、お一人お一人を生かした教化活動が大切であると思う。中村医師の医療活動に感動する。

 中村医師はあらゆることを行うという。内科、外科、皮膚科、小児科、心療内科、アレルギー科、エコー、内視鏡、ガンの切除手術など。
 番組は『医療の原点がここにある』としている。地域医療の危機が叫ばれる中で、精神的な取り組みとして、中村医師たちのグループの取り組みが注目されているらしい。全国から医師や、医学生が視察に訪れる。彼らは言う。『こういう医療もあるんだな!』と。福井県おおい町名田庄地区の山村に身を置いて17年。ただ一人の医師として、命を背負う重圧と日々向き合っている。
 彼は、インタビューアーに言った。『ちょっと危ない患者さんが今一人いるんで』。そう言って、彼は携帯電話を見た。

 自宅にいるお年寄りの患者さんを診る。原因不明のけいれんが起こってきた。さらに老夫婦を肺炎が襲ったといるらしい。『自宅での暮らしを続けたい』。これがこのお爺ちゃんの思いだ。この夫婦の思いを支えきろうとしているのが中村医師の愛である。小さな山村で患者さんと向かい続けている。これは人生を地域医療に捧げた一人の、知られざる格闘のドラマであるとしている。『現代の赤ひげ』とでも言うべきだろうか。私たち島根の菩薩たちも、それぞれにきっと知られざる尊い愛行の日々が多々あるのに違いない。それを探して行きたい。

 中村医師は言う。『患者さんから”良い人生やった!”その一言を聞く喜びのために、診療所所長の医師を続けている』ようだ。この気持は分かるように思う。
 名田庄地区は人口3000人だ。3割が65歳以上の高齢者である。朝8時過ぎ、ただ一人の医師、中村さんはジャージ姿で1分間の駆け足で職場へ行く。 
 一日60人も患者が訪れる。風邪、皮膚病、脳卒中の後遺症患者など。しかし大変に和やかな雰囲気だ。『顔も頭も性格もいいから腰ぐらい悪くてもしょうがない』などと言って、患者を笑わせる。生長の家的に言うと、『心臓も、胃も、頭も性格もいいでしょう。悪いのは腰だけですよ。顔は悪いのでないから顔は笑っては如何ですか』とでも言うのだろうか。
 基本的な疾患以外は総合病院を紹介するという。しかし、出来る限りの治療をここで行っている。それは車で遠くの病院へ行ける人はいいが、身寄りのない人、老夫婦などがこの村には居る。『そういう人から自分は逃げられない!』と。これは愛以外の何ものでもない。中村医師の言葉には共感を覚える。
 
  彼は、『病気ではなく、人を診る』。カルテには性格、趣味等まで書く。これは本当は必要なのだろう。
 岡カネ子さんという方が4ヶ月前から膝の痛みを訴えていた。変形漆関節症というのだそうだ。膝の軟骨が減り、ひどくなると歩くのが難しくなる。中村医師は、「膝に負担がかかることは避けるように」伝えた。しかし、岡さんの趣味であるグランドゴルフは、あえて止めなかった。彼女は、数年前、夫婦で交通事故に遭い長年連れ添った夫を亡くしたという。苦しい日々の中で岡さんを支えてくれたのは村の仲間たちとのグランドゴルフだった。グランドゴルフはゲートボウルと違ってかなりの距離を歩く。それが膝には善いのだろう。中村医師は、『その人らしい人生を支える』のが方針のようだ。
 昼食の時、彼が自宅に戻ると自分の畑で採れた野菜の袋が置かれていた。中村さんはその気持に感謝する。患者さんとは、『人と人とのつながり』で繋がっている。決して医者と患者という関係だけではないようだ。
(つづく)

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  うっかりして気がつきませんでしたが、4月4日の下の部分に「王様の顔」という御文章と絵と音声がありました。対局の反対のものは認められないという論理のご説明です。先生が講習会などでよくお話になられるテーマです。

*今日は、会議が午前9時半からあった。午前の会議も、午後の会議も大変楽しかった。夢が実現するという思いがわき起こるからである。島根はものすごく伸びる可能性を秘めているように思う。一人一人が実に素晴らしいからだ。

 中内 英生

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April.05.2009「読字障害」

Photo_2 April.05.2009「読字障害」
今日の歌::一歩また 一歩と進み 退かず

 『読字障害』という病気があるらしい。『NHKスペシャル』(2008/10/12)で初めて知った。ある人は3頁を読み切るのが限界であるという。脳は文字は苦手なのであろうか。最初に紹介されていたのは、天才的な世界的に有名な恐竜博士の右脳の発達だ。彼は化石の一カ所を見ただけでどの恐竜のどこの骨かを即座に言い当てることが出来る。地面に埋もれた化石の見えない部分まで見える。7000年前のモンタナ州で緑が生い茂った世界やトリケラトプスの一群が棲息している状態やをありありと描くことが出来るらしい。
 この博士の名前はジャーク・ホーナー博士だ。恐竜はは虫類よりも鳥類に近い。は虫類からは遠いらしい。この博士は何と!文字を読むのが苦手である。博士は小3の頃、読字障害と診断された。読むこと以上に書くことが苦手であるらしい。アメリカでは10人に1人が読字障害のようだ。日本はというと20人に1人の率で読字障害者がいるという。

 総裁先生のお言葉にあるように、言語は左脳が司る。しかし、脳の39野と40野の部位がおかしいと読字障害に陥るという。私たちは文字を読んでいるようだが、どうも頭の中で音に変えてから読むことになっているらしい。それができないと読めなくなる。さきのジャーク博士が文章を読む映像が出ていたが、博士はいちいちパソコンに打ち込んで音声機能を使って音声にして耳から聞いた文章を理解するという方法を取っていた。これには驚いた。

 片岡鶴太郎さんという人がいる。俳優でもあり、画家でもある。この人は読むのが苦手であるという。絵にのめり込んだのも読字障害と関係があるかも知れないと彼は考えている。ピカソやフォードやウォルト・ディズニーなども読字障害の人らしい。この読字障害という病気が存在に入ったのは、19世紀のイギリスにおいてである。ひょっとして私も読字障害なのかも知れない。何しろ英文が読めないから。
 
 人間には、生まれつき言語を操る能力がある。しかし、人類の進化の過程にあって、『チンパンジーと人類の共通の先祖』から人類が分かれてからのことだが、人類にはブローカ野はあるが、チンパンジーにはブローカ野はない。
  ブローカ野とは人の脳の領域の一部で、言語処理、及び音声言語、手話の産出と理解に関わっている。ブローカ野は大脳皮質の前頭葉にある、下前頭回の弁蓋部と三角部に位置するという。言語を司るので、ブローカ野やウェルニッケ野は左半球優位だが左右両極性でもあると書かれている。この辺りは申し訳ないが、私の理解を超えているのでご自分で調べていただきたい。

 190万年前の発見された頭蓋骨で、脳の中では最も古い脳がある。これは人類の脳の標本の中で最も古いものだ。
 また、160万年前、ホモ・エレクトスという人類の先祖はどの程度の言語を使っていたのだろうか?『よく分かるな』と思うのだが、ブローカ野など言語を司る脳の部位が発達しはじめている。脳内で文字を音に変換する脳の部位である39野、40野も発達しつつある。他にもウェルニッケ野という部位もある。(ウェルニッケ野は言語中枢や音声言語の自然な発音リズムや比較的普通の文法などといったものと関係しているらしい)
 これらの脳の発達の段階では文字は発明されていない。文字が発明された時点で読字障害が出て来たといえる。(本来、脳は文字を読むようには形成されていないらしい。脳のある部位の代用によって字を読んでいると考えられる)

 エチオピアで250万年ほど前の世界最古の石器が見つかったようだ。その時の原人を「アオストラロピテクス・ガルヒ」という。この石器の使用には39野、40野が大きく関わっているという。石器を使い複雑に使用するのに、この脳の部位が欠かせないらしい。この部位は情報処理センターである。視覚、聴覚など感覚の情報を処理する。従って39野、40野はそのころからの発達である。しかし問題は、聞く話すという言語情報は、読む書くという言語情報ではないことだろう。
 イラクで最古の文字が発見されている。ウルク遺跡(最も初期の楔形文字”古拙文字”もウルクから発見)や5300年前のメソポタミア文明にはくさび形文字が使われていた。また牛や水を現した絵文字が残されているらしい。
 しかし、重要なことは、『文字を読む書くという脳の機能の領域』は、本来、脳にはないらしい。文字や絵文字は数千年前に作りだした人間の発明品に過ぎないとしている。

 読字障害の歴史を辿ると、次のようになる。
①250万年前…石器を使用して39野、40野を鍛える。
②160万年前…言葉の芽生えが認められる。
③20万年前…ホモ・サピエンスの誕生
④5300年前…文字の発明
⑤1896年…読字障害の発見

 アメリカでは文字を読めない子供の学校がある。従って脳の39野と40野を活性化する学習をしていた。文字を覚えるのに、手を使い身体を使って覚えようとしていた。これが、39野、40野という脳の部位の劣性を補うのだろう。
 ピカソも読字障害であったそうだ。読字障害の人は逆に右脳が強いことが多いらしい。図形を立体として成立するかどうかを瞬時に判断する実験をしていた。この場合は読字障害の人が判断力が強いようだ。問題のある脳の部位は左半球なので、逆に右脳が発達して補うのだろうか。
 神想観で実相の姿を描くのは、右脳活性化であるかも知れない。物質抜きの理念の姿を強く心で描くことであるからだ。

  前出のジャーク・ホーナー教授にしても、読字障害だが音声に変換して理解するという努力をしている。『視覚的に観る力』が非常に強く、世界的な学者になっている。『ジュラシック・パーク』で琥珀の中に沈んでいた蚊が吸った恐竜の血液のDNAで恐竜を再現した博士のモデルとなっているらしい。
 博士の存在で、『読み書きだけが全てではない』ことを示したと言える。

 藤堂たかなおさんという学生さんも読字障害だが、デザイン力に勝れている。彼の大学時代の恩師である教授の言葉が自信を付けさせてくれた。『お前は面白いものを持っている。そのまま頭の中にあるだけじゃダメだ。手を動かせ。そして描け』と。『その言葉のお陰で今の自分がある』と、藤堂さんはいう。彼はこの冬からフランスを代表する建築デザイン事務所への就職が決まっているらしい。

 結論は何かというと、左脳が使えなければ右脳を使うことによって人生は成功するということだろう。現在の芸術的感覚での誌友会は、意味優先の左脳の活用よりも、感覚優先の右脳を活発化することによって、両脳を開発する。全体としての能力を増大させる。その開発した分は、家庭での真理実践力や社会への伝道力に少なからざる力を付与することになるのは間違いないと信ずる。島根はその真理の誠実な実験場として、大きな成果を挙げるに違いない。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  2009年4月 4日のブログは、「公衆電話という存在」です。公衆電話と携帯電話との比較、考察をしておられます。拝読下さい。

*今日は地方講師・光明実践委員研修会であった。この研修会で、私たちは総裁先生に中心帰一の信仰姿勢を再確認して一ヶ月の教化活動を実践することを誓い合う。私たち講師に取りましては大切な一日であります。 

 中内 英生

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April.04.2009「分子人類学」

Photo April.04.2009「分子人類学」
今日の歌::天気良し 相変わらずの 寒い風

 分子人類学について書いたのは何時だったが記憶が定かでないが、この学問は万教帰一を説く生長の家の参考になりそうなので再びご紹介しておく。これはあくまで分子人類学の紹介であり、御教えではないことを最初に念を押しておきたい。そして『科学』は、「説」を示すがそれは変化する可能性があることも付言しておく。

 NHKの番組で『日本の教養』(2008/7/22)という番組があった。爆笑問題さんの番組である。分子人類学の篠田謙一さん(国立科学博物館篠田謙一研究室)という人が太田光さんと田中祐二さんに説明していた。この学問は、基本的には日本人はどこから来たのかということを探る学問である。頭蓋骨や骨を見て色々と説明していた。骨がくっついているので結核末期の人であるとか、15歳くらいの女の子であるとか、斬首された悪い人であるとかいうようにである。そこで、お二人はどこから来たかということを、太田さんと田中さんの唾液で調べた。

 唾液の細胞の中にあるミトコンドリアのDNAを調べる方法である。その遺伝情報は母親から子供へと受け継がれて行く。その情報は途絶えることがないらしい。従って、母方の祖先を太古の昔まで遡ることができるという。残念ながら父方ではない。母方のみ残るらしい。
 DNAのタイプには、「D4a」とか、「M7Sa1a」とか、「N9a」とか色々とあるようだ。血液型の分け方とか、人種の分け方とかいろいろとあるが、ミトコンドリアのDNAの分け方は新しい分類法である。この分け方をすると世界中の人類の系図を作ることが出来る。いわゆる家の系図は、男性系統を中心にどこかを捨象して作っている。そのような一部の作り方ではなく全人類の系統図を作る方法である。それが出来る。
 そしてDNAの全グループを網羅してみると、『15万年前の東アフリカ』に全ての人類は行き着くことが分かるという。

 篠田謙一さんは、これで調べると母方はヨーロッパ人ということになった。
『ハーシー』と名付けられた女性の人骨が発見されている。これは約320万年前の猿人である。「アウストラロピテクス・アファレンシス」という。その頃は、おそらくアフリカ全土で数万人という程度の人口だっただろうと篠田氏はいう。その中で、およそ7万年前にアフリカを出て中近東へ行き、さらにインドを経てアジアへ広がった。その一部がオーストラリアへ到達し、アボリジニとなる。アジアに行った人々の一部は日本に到達し、その後、数万年をかけて、さらにアリュウシャン列島が陸続きだったので北アメリカに到達し、さらに南アメリカに到達する。そしてペルー、メキシコに至る。

 アフリカからヨーロッパへの進出は、おそらくネアンデルタール人がいたので進出しにくかったのではないかと篠田氏は言う。しかし、私の記憶では、ネアンデルタール人とホモサピエンスとの結婚による両人種の特徴をそなえた人骨の発見があったのでそれだけの理由ではなかったのではないかと考える。それは、太陽光線が少ないヨーロッパへの進出は、メラニン色素が多いアフリカの原人の進出には適さなかったのではないだろうか。太陽光線の体内への吸収が不足すると骨に異常を来すからだ。その欠点を自己変革により、メラニン色素を減少させて色を白くして太陽光線を吸収しやすくすることにより進出することを可能にした。メラニン色素が減少すると同時に目は青くなり、髪は金髪となる。身体の進化にはかなりの年月を費やした。それならばアラスカなどのメラニン色素が多い人々はなに故に生きていくことが出来るのか。その答えは簡単である。アザラシの肉の中に太陽光線を受けなくても充分に生きることが出来る栄養素を含んでいるのだ。しかし、近年、エスキモーの食事の西洋化によってその健康が脅かされつつあると聞いている。

 さて、約7万年前のネアンデルタール人に『ホモ・ネアンデルターレンシス』という存在がある。『ラ・フェラシー』と名付けられている。
 7万年以前にアフリカを出ていったグループは色々ある。このネアンデルタール人は少し前に出ていった。北京原人は100万年以上前にアフリカを出ていったらしい。ジャワ原人も先に出ていった。それらの原人の後に、現代人の祖先ホモサピエンスはアフリカを出ていく。篠田氏は、何かアクシデントがあったと考えられると言う。その中で居残り組がアフリカ人として生活するに至る。

 そして、2万年前に南アメリカに到達した私たち日本人の先祖のモンゴロイドと、4万年前にアフリカからヨーロッパに入ったコーカソイド(白人)が、コロンブスが発見したというアメリカの地域で初めて出合うことになる。そこに白人が、黒人を連れてきて、今から500年前に三つの流れが出合うことになったという訳である。しかし、残念ながらあまり幸福な出会いではなかったようだ。
 4万年の間、アフリカから出て行き違う道を旅した、同じ母親を持つ人類の兄弟達が最後に一緒になった。アメリカが世界中の人種の坩堝たなったのは不思議ではない。袖振り合うも多生の縁というが、『袖振り合うも遺伝子の縁』であると篠田氏はいう。人類皆兄弟だったというのは本当だろう。
 この分子人類学で、我々は国と人種の垣根を超えて皆兄弟であることを知る必要に迫られているのではないだろうか。

 私たち日本人は、砂漠を越えてやってきた。それが『月の砂漠をはるばると』という歌を好んで歌うのは遺伝子のなせるワザであろうか。また、『名も知らぬ遠き島より』という『椰子の実の歌』を歌うのは、ルーツが南洋にあるからであろうか。私の記憶では、基本的には旧石器時代に一度と縄文時代に一度、日本に流れ着いた。出雲族はどの流れかは知らないが、いずれにしろ320万年前の同じ母を持つことになる。
 DNAの発見は実に大きい。人類の系図はすべて纏まった一つのものであり、別の種は存在しない。これが事実のようだ。
 500年間生きた私たちの祖先は単純に数えても100万人以上にもなる。我々は集団の歴史を背負って生きているのだ。

 この番組でDNAの話から突然、デザイナーズベイビーの話になった。DNAが分かりすぎて、優生学を実践するとなるとナチスドイツのように民族浄化などという悲劇をもたらす可能性があるのではないかとの議論になった。優秀な人間だけが良いということになると社会そのものを破滅に追い込むとの発言もあった。
 相手のDNAが分かり、相手に恋愛を感じていても、顔は好きだがDNAでは寿命は短い遺伝子だから結婚や止めておこうという事態が出て来るかも知れない、など。また人間はそういうことを考えたがる脳の癖がある等と篠田さんは言っていた。議論を吹っかけていたのは、太田さんだが、ひょっとして、『神を演ずる前に』と『神を演ずる人々』を読んでいるのではなかろうかと思えるような的確な議論だった。

 篠田氏は言う。7万年前にアフリカから出ていった人々はごく一部だった。それらを調べてみると、どこにも『国』というものがない、と。勝手に国という囲いをしているに過ぎない。これは日本固有の民族や特質を否定することものではないだろう。その底にある人としての一体感を言っているのではないだろうか。『今こそ自然から学ぼう』の中に、「地球に国境はない」という小見出しがあるが、「人間の遺伝子に国境はない」ということだろうか。神は多様性をこそ尊び給う。様々に種が別れ、人種が分かれたということ自体が多様性の必要性を示している。

 『いわゆる国もない。民族もない。65億人はどこかでつながっている!一つの家系である』と、氏は言う。人類総親戚という考え方である。篠田氏の説く世界は壮大だ。

 篠田さんは説明する。人類進化の科学の説明によると、私たちは600万年前にゴリラやチンパンジーから別れた。そしてこの600万年という人類の歴史カレンダーを一年に譬えると…。人類の祖先がアフリカを出たのが8月である。人類のうち現代人の祖先ホモサ・ピエンスがアフリカを出たのが12月25日のクリスマスである。西洋文明が出来上がるのが12月31日の午後11時である。我々が歴史といっているのは、人類の歴史の最後の1頁だけを歴史と言っているのに過ぎない。しかも、地球の温暖化を引き起こしたのは最後の瞬間であるとすると、何ということをしてくれたのか!といった所であろうか。しかし、これは何とかしなければならないだろう。その為に、私たちは創意・努力をしているのである。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  2009年4月 2日は、「休日のベンチ」です。奥様と休日にショッピングに出かけられたときのことが書かれております。ベンチで子供たちがゲームに熱中する様子を論じておられます。宅の子供もその傾向があるので、総裁先生のお言葉に同感であります。

*今日は特に行事はなかったが色々と細かい打ち合わせが続きました。感謝です。今日の文章は長くてすみません。また、年表があると分かりやすいのですがこれまたお詫びです。

 中内 英生

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April.03.2009「太田雄貴選手」

Photo_2 April.03.2009「太田雄貴選手」
今日の歌::朝目覚む 新聞配達 イヌの声

 フェンシングというものはほとんど興味がなかった。しかし、NHK番組『トップランナー』(2008/12/9)で北京オリンピックの銀メダリスト太田雄貴選手(23歳)を見て以来、すごいなと思えるようになった。一昨日は彼の名前がニュースにながれ、日本人として初めてフランスのエクス・アン・プロヴェンスフェンシングクラブに参画することを発表していた。

 日本の選手はWBCでも、サッカーでもどうも韓国選手に対して苦手意識があるようだが、太田選手もそうだったという。最強シードではない韓国のチェ・ヨンジョル選手に東京で負けている。
 太田選手はこの番組ではコーチのオレグ氏のことを中心に語っていた。オレグ氏は試合の日には褒めてくれるのだそうである。それは自信を付けさせるためだろうか。しかし、ある時に、何も言わなかった。聴いてみると、『今回はもう太田選手には言うことはない』と言った。それだけ信頼されていた。また、オレグ氏は言う。『太田選手はフェンシングで一番大切な”勝ちたい”という気持が強い』と。オレグ氏がフェンシングのコーチとして来日して以来、多くの日本の選手は強くなった。しかし、太田選手はコーチの仕方が、『合わない!』といって近づかないようにしていた。しかし、自分では行き詰まっていたらしい。

 太田選手は、大津の生まれ。お父さんが3年間、フェンシングをしていたそうだ。それでお父さんに教えてもらった。少年フェンシング大会で優勝している。天性の負けず嫌いだという。お父さんは、相手選手が自分に勝って喜んでいる姿を見るのが好きだったという。言い訳か、本当にやさしいのか分からないと息子さんは言う。
 ある時、父親は香川県にオリンピック選手がいるというので、母親が香川県出身と云うことだけでコネを付けて、息子の練習を見てもらうことになった。そこで世界のすごさに触れ、衝撃を受けた。しかし、聴いてみるとそのオリンピック選手は、第一回戦で敗退であるという。世界のすごさが驚いてしまった。

 全日本選手権大会でのこと。いつも教えてもらっている大先輩の市ヶ谷さんという人と戦った。試合に入る前の先輩のアスリートの顔に驚いた。太田選手が17歳の時だった。決勝戦だった。10対2で観客は市ヶ谷選手の勝利を確信していた。しかし、市ヶ谷選手のミス?で太田選手が一点取ったとき、彼は所謂、『ゾーン』に入ったという。それは『無』のイメージだった。雑念が全くなくなった。勝つイメージをしたことと現実が同じという境地に入ったという。負ける気がしなくなった。そして、奇蹟の逆転劇で優勝したらしい。
 この境地は何だろうか。私たちの信仰と共通しているところはないだろうか。この境地に到達するのには、不断の努力が必要なのは言うまでもない。しかし、これは悟境に近いようにも思える。しかも私たちの三正行は太田選手のフェンシングに匹敵するものでは無かろうか?

 剣の先が相手に触れるのに今までは一千分の一秒で審判機が作動したが、ルールが改正されて一千分の十四秒でないと作動しなくなった。それで太田選手はスランプに陥ったらしい。彼は失うものがなくなるくらい落ち込んでいた。そして『もう失うものがなくなった時、何にでもチャレンジできる』ことを知った。そして、自分を伸ばしてくれるコーチはもう『オルグしかない』と思ったという。、『オルグしかいない』という思いが、『彼にはコーチされたくない』という思いにうち勝ったのだ。

 彼は依頼した。『オルグ、レッスンを取って下さい。お願いします』と。オルグの心の大きさが、太田選手を待ってくれていた。オルグ氏は言う。『とてもうれしいとは言えません。いままで敬遠されていたのですから。しかし選手が困っているときは、手を差し伸べる。これがコーチだと思った。それでコーチすることにした』と。オルグコーチは言う。『太田選手に必要なのは自信だけです。技術は問題ない』と。そして太田選手はアジア大会で優勝した。

 『スランプと挫折が教えてくれた』と太田選手は言う。オルグコーチが”背中を押してくれた”ことになる。
 太田選手の母校である平安中学は野球が有名だった。そこでフェンシングで有名にしたいと考えたらしい。彼は子供たちに教え、伝えたいとしている。普及育成あっての強化である。フェンシング人口を増加させてピラミッドの底辺を広げることこそ頂点と高くすることが出来る。2010年にパリで世界選手権が行われる。フランスはフェンシングの本場だそうだ。負けず嫌いストの第二章が始まっている。
 このピラミッドの考え方も、私たちに大変、参考になるのではないだろうか。

 この文章を書くに及んで、無の境地に入った太田選手に共感を覚えた。私たちは無心に御教えを行じてお伝えしていきたい。総裁先生の3月2日の御文章、3月1日の白鳩会総裁先生のご就任のご挨拶には信仰の極地がご教示されている。

 中内 英生

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April.02.2009「腰痛は何処から来るか?②」

Photo April.02.2009「腰痛は何処から来るか?②」
今日の歌::虫とヒト なに故分かる 花の色

 今日は午前に家内が買い物に車で行くときにジャスコに降ろしてもらいあちこち歩き歩いてデオデオでまた乗せてもらった。午後は久しぶりに自転車でサイクリングをした。吟行も含めて。出雲ドームの人工温泉に初めて入り、身も心も癒された。陽光を受けながらの温泉はなかなか良い。従って、今日は『ヒトは歩くべし』というテーマで二回目です。

 先日の続きです。農耕が始まり、前屈みになって種を植え、穀物を粉に挽く作業がどうも腰骨に影響を与えるとNHKは語っています。従って逆に伸びることが必要なのでしょう。原始的な粉ひき作業を一日に2,3時間くらいしていると、椎間板は無くっていくそうです。そんなに極端ではないにしても、徐々にでしょう。
 しかし、腰椎の中でぎっくり腰のほとんどは原因が分かっていないらしい。
また別の面白い実験をしていた。『心理的ストレス』が腰痛に及ぼす影響があるとのことである。同じ動作でも、判断をしなければならなかったりする心理的負荷は、本来の重さよりも相当に重い負荷をその人の腰椎に及ぼすらしい。その心理的負荷の種類は実験によると何も特定のことには限っていないようだ。
 『Wの悲劇』で有名な夏樹静子さんも腰痛に苦しんだという。その時は、新しいジャンル(純文学・伝記)に挑戦していて心理的負荷の重圧がかかっているときだったようだ。
  逆に言えば、何事も『簡単!簡単!』と軽く楽しく問題、課題に対処する方がよいのかも知れない。彼女は激痛に絶えかねて心療内科で指導を受け、筆を絶って1ヶ月後に腰痛は消えていた。

 心因性のものは心療内科で解決するが、実質的なものはどうだろうか。
NHKは実に面白い実験をしていた。痛みは脳のどの部分で感じているかである。例えば腰に原因があるときは、神経を伝わって、『視床』経由で、脳で感じるのだそうだ。しかし、物理的な故障がないのに慢性的に痛む場合は、『視床』を経由しないで脳そのものが痛みを感じるのだそうだ。心が痛むと言うべきか。脳自身が痛みを感じると言うべきか。従って、整形外科と心療内科が連携をするケースが出始めたという。

 結論は、『歩ける限り歩く』である。歩くと全身の筋肉が動き始める。脳が活動を始める。アフリカで出現した吾等の先祖は600万年の間二足歩行で歩いている。腰痛が始まったのは1万年前の農耕と共に腰への負担が増えてからだ。現在、農耕に匹敵するのは、車社会だろう。今、生長の家では二酸化炭素排出削減で光明化運動との両立を実施しつつある。できるだけ車に乗らないとなると、自転車や徒歩、そして近隣での『誌友会』が活発化せざるを得ない。それが逆に健康保持に有効であろう。先日の団参でも数台のバス利用ですべて二酸化炭素の相殺を行っている。島根の旅行業者はまだ二酸化炭素削減を考えている会社はないようなので、排出分だけ本部を通してグリーン電力に還元するという方式だ。総裁先生からご教示いただいている二酸化炭素排出削減と人類光明化運動の活発化という新方式を島根教区ではあらゆる面で実践していきたい。(おわり)

*今日は、久しぶりの休日だった。新年度は始まったが、まだエンジン始動の体勢である。島根の信徒さんの潜在能力を最高に引き出せるような本年度になることができれば有難いと思う。まずは『携帯電話で総裁先生のブログ拝読』に教区全体で取り組みたい。

*振り返ってみると、早いもので島根でお世話になり、ブログを書き始めて3月31日で365日を経過した。前任地でも書いてはいたが、島根では毎日読んでくださる方がおられ、大変な励みになった。小職の駄文を読んでくださり、心から感謝申し上げる次第である。今後も鋭意努力させていただきます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。尚、写メール俳句は皆様が盛んに作ってくださり、総裁先生にご報告申し上げることが出来る日を楽しみにしています。総裁先生がお示しくださる世界を常にいち早く実践して永続的に成果を挙げることが出来る教区となりますように、協力させていただきたいと考えております。

 中内 英生

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April.01.2009「豚と島を耕す」

April.01.2009「豚と島を耕す」
今日の歌::朝雨や 四月にしては やや寒しPhoto

 豚には『鼻耕』という特質があり、鼻で雑木や蔓草を根っこから掘り起こして食べてくれるという。日経新聞(2009/3/29)には、耕作放棄地となった棚田で豚を放し飼いする山口県上関町の氏本農園の氏本長一さんのことが書かれていた。豚による休耕田の開発のことを以前書いたことがあり、参考になると考えた。しかも、「ここで生きる」というサブタイトルである。この言葉も気に入った。

 氏本氏にとって、故郷には気がかりなことがあるという。1982年に上関町には原発建設構想が浮上して四半世紀がたった。賛否をめぐる住民の対立や、将来への不安が人口流出を加速させたのだろうか。05年の国勢調査では同町は人口減少率が中国地方で最高であるらしい。一時は三千人を超えた祝島の人口も、今は五百二十人ほどになっている。六十歳以上の人口比が八割を占めるという。
 それほどまでではないにしても島根も多少似ているのかも知れない。

 島に適した平地はないらしい。急な斜面に先人達は手作業で石垣を積み、棚田や枇杷畑を営々と築いてきた。しかし、農道などの公共事業の恩恵のない離島の営農は、年々厳しくなっているようだ。
 「島の文化、風土にあった農業とは何か」。自力での振興策を自問してたどり着いたのが畜舎のない豚の完全放牧による農地再生であった。
 島の文化…と考えたとき、私は隠岐の島の信徒さんに如何にして喜び溢れる信仰生活をしていただくべきかを考えざるを得なかった。島根県にしても「島」の「根」という呼び名である。何にしてもこの土地独特の方法があるに違いないと模索する。

 配合飼料を与えない豚は、旺盛な食欲で耕作放棄地の雑草を食べ、土を深く耕してくれる。糞尿は有機物として土壌に還元する。繁殖させた豚は食肉、加工品として出荷が始まっているらしい。
 氏本さんの実験の成果を見た近隣のお年寄りが、荒れた棚田の再生を依頼するようになったという。耕作可能に甦らせた農地は二年足らずで2㌶に広がった。
 島では、原発計画の賛否をめぐり住民が対立して、伝統行事を中止した年もあった。立場の違いを超えて、すべての島民の農地再生に手を貸したい、というのが氏本さんの立場であるという。氏本さんの言葉を考えるとき、私たちにとっては壮年層、青年会、生命学園の育成などに振り返らざるを得ないのではなかろうか。

 しかし、氏本さんの目的は荒れた農地を整備するだけでは終わらない。「島で子を産み、育てる生活ができる農業を確立して初めて再生といえる」という。ここまで考えている。ご立派である。郷愁にとどまらず、「農」の経験と技術を自負するプロとして取り組む『島の蘇生術』であるとしている。
 氏本さんの財産は、BSE(牛海綿状脳症)問題を機に築いた消費者とのパイプである。北海道時代の人脈で、東京・西麻布のレストランのシェフや、銀座の和食店主らが遠路、祝島を訪れて、肉や野菜を直接買い付けてくれるようになったという。
 安全で美味しい農作物を作ること。そして「島のコミュニティを再生する物語も消費者に届けたい」と願っているとのことである。
 
 創意と工夫で必ず、その土地にあった方法は見出されるものである。光明化運動も総裁先生から『創意と工夫』をしていくようにご教示されている。今日も、明るく楽しく、右脳と左脳の両方を使用しながら、『創意と工夫』を実践したいお思う。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  2009年3月31日は、「急須が見ている…」です。顔の形をした急須が描かれています。私は、台座の木の質感の御表現がすごいなと思いました。島根の信徒の皆様、拝読ください。

*今日から新年度です。また本日より教化部には素晴らしいニューフェイスの若い人が入りました。宜しくお願いします。

 中内 英生

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