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2009年5月

May.31.2009「クルアーンを読む態度」

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今日の歌::今日はしも 五月終われど 梅雨はまだ

 総裁先生がご紹介された本に、『聖典”クルアーン”の思想』という大川玲子さんのご著書がある。その本の16頁にはクルアーンを読むときの望ましい態度が書かれている。それをどのように読みとるかである。

 ヨルダン人の友人に、子供の頃、クルアーン読誦大会で優勝した若者がいる。彼は大人になった今でも頼まれて、生まれた村のモスクで朗唱することもあるらしいが、普段はごく普通の勤め人である。その彼がクルアーンの研究をしている筆者にこういったことがある。
『クルアーンを手に取る時は、できればスカーフをかぶって欲しい。もちろんあなた次第ではあるけれど、アッラーへの敬意を示すという意味だから、僕は読誦するときはいつも、まず手をきれいにしてクルアーンを手に取る。そして口づけし額に当て、悪魔祓いの句を唱える。それから読誦するんだ』と。

 この文章をよんで、『生命の実相』に掲載されている「杉江重成」さんという石川県七尾の人が、『生命の実相』を拝読するときは、お香を焚いて拝読するということを、総本山の団体参拝練成会で谷口輝子先生の録画放映でお聞きしたことを記憶している。その中で、谷口輝子先生は、『だから、生長の家は伸びざるを得なかったのです』と語っておられた。拝読の態度如何で、すでに結果は予想できるのかも知れない。
 聖典の拝読や、神想観を実修するのでも、イスラームは一日5回も祈りを捧げている。家庭にイスラームが根付き、信者が増えるのも、そのような信仰生活が影響しているのかも知れないと考えたことである。 

大川玲子さん→ http://www.meijigakuin.ac.jp/~iism/shoinprofile/okawa.htm

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  2009年5月23日は、「“ミニブログ”が燃えている」です。しかし、「ミニブログ」というのは先生がおつけになられた仮名のようです。本名は「ツイッター」というそうです。
この御文章の終わりの方では、宗教運動のことも書かれている。そして、ネット上では、相互に面識のない者同士の新たな関係が世界中で毎日生まれ続けているので、多くの人々が心の支えを失っている時代には、このようなネットの特性を生かして、神への信仰をひろめることは宗教者の義務だとの考えが、賛成論者を突き動かしているようだ、とお説きになっておられます。この御文章をお聞きして、さらにインター・ネットを活用しての、島根での展開をさせていただきたいと存じます。島根では、相愛会・白鳩会・青年会もHPを開始したようです。次には、Web版の日時計日記などができるとよいなあと考えています。

総裁先生のブログです。→ http://www.masanobutaniguchi.com/

*世界経済フォーラム2009(ダボス会議)の、世界経済フォーラムに40カ国の首脳の政財界のリーダーたちが2500人が集まったという。「世界は危機にどう立ち向かうのか」というNHK番組(2009/2/15)があった。私は、その最後に南アフリカのツツ元大主教の言葉が印象的だった。彼は、南アフリカで人種間の和解につとめ、その功績から1984年にノーベル平和賞を受賞された。深刻な経済危機の中にあったツツ元大主教のメッセージだった。
 ”世界は一体どうしたのでしょうか?我々は競争に取り付かれています。どうしても、成功したいと帳簿をごまかす人もいます。それほど、強いプレッシャーを感じているのです。その結果、胃潰瘍が今やステイタス・シンボルです。忙しさが自慢なのです。私たちが考えることと言えば、金儲けのことばかり。神はおっしゃいます。『自分の胸に聞いてみなさい。それで本当にいいのか』と。あなた方は神の子です。かけがえのない存在です。力も与えられています。その力は弱き者のためです。弱き者を救うための力なのです。”
 NHKが最後に宗教家の言葉で番組を終えたことが、時代がお金中心の時代から心の時代に変わって来たように思えた。
*ダボス会議→
  http://www.mizuho-ri.co.jp/research/economics/pdf/research/r081201keyword.pdf

*今日は、栄える会の繁栄講演会で話をさせていただいた。生命の実相を自覚した事業経営者が島根教区に多数出現して、生長の家の運動に参画していただくように、推進させていただきたいと思います。そのためには、常に御教えに触れるチャンスを作っておく必要がありますので、各支部での支部例会の開催を促して参ります。そして、繁栄講話を担当できる地方講師を多数、育成させていただきたいと念願しております。

 中内 英生

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May.30.2009「かぐやと月の真実(最終篇)」

Img077_2 May.30.2009「かぐやと月の真実(最終篇)」
今日の歌::松江城下 春一番の 見真会

(続き)昨日の続きで、最終篇です。
月の北極に将来の有人基地を作る候補地になっているそうだ。なぜ、極地かというと、太陽の光が横から射すからだという。要するに太陽光発電をするためだ。それ以外のところは光が常時射すという訳ではない。一年中太陽光が当たる場所があるという。それで候補地となった。

 クレーターで永久影の場所がある。そこには光が射し込んだことがない。従ってこの中には氷か水があるかも知れないという。そこで、南極のシャックルトン・クレーターを調べた。直径21㎞ほどだ。深さ4200㍍。斜面内側の角度は30度。TAXAの宇宙科学研究本部の春山純一郎さんがコンピュータで調査した。ここは一年に2日から3日のチャンスしかなかったという。そこで内部を映し出すことに成功した。月の永久影の中を見ることが出来るようになったのは大進歩らしい。

 アメリカも2020年までに月面基地の開発を始めるという。4年後には長期滞在を可能にしたいという計画である。
 日本はというと、かぐやでの観測の次は月に着陸するという計画である。日本は太陽光発電が得意分野なのでエネルギー創出は問題ない。
しかし、コメンテイターの鈴木氏は、国際協力で進める方向を検討して欲しいと発現していた。確かにそうだ。「かぐや」だが、今後は、高度を半分に落として、もっと詳細に見ることが出来るようにするとのことだ。そうするとさらに、月に関して分かることになる。そして地球の昔を知ることができるというものである。しかし、それらの知識は、なにゆえに必要とするのだろうか。人間は全知全能の神の子であるということなので、万一、すべてを知らないということは耐えられないことであるからではないだろうか。まさに知ることが喜びの世界である。”実相を観ずる歌”の「神は智慧にして吾は神の子なれば、吾はすべてを知り、すべてのもの吾を知れり」である。
(終わり)
次は地球の映像です。
①  http://www3.nhk.or.jp/kaguya/archive/
②     http://www.nationalgeographic.co.jp/science/photos/photo_science.php?GALLERY_VignVCMId=884ee04f3e2b4110VgnVCM100000ee02a8c0RCRD&no=0&class=131072

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
2009年5月22日のブログは、「手書きと手描き」です。新しい手法に挑戦しておられます。デジタルとアナログとの融合も試みておられます。常に進歩して止まない総裁先生の御姿勢を学ばせていただきたいと思います。
*今日は、松江で一日見真会が開催された。40名の参加者だった。みなさま大変、喜んでご参加されました。

 中内 英生

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May.29.2009「かぐやと月の真実(その2)」

Img079 May.29.2009「かぐやと月の真実(その2)」
今日の歌::月よりの 使者も見とれた 地球の美

 昨日の続きです。
 日本は月の有人拠点を考えて準備しているそうだ。国立天文台准教授の渡部潤一さんが説明した。我々は普通は月の表側だけを見ている。従って裏側をになくてはならない。
 表面にはウサギ模様のまったいらな所がある。これは海じゃないかといわれていたが、実は溶岩でできている。表面には2000メートルの山もある。裏側は、黒い部分はほとんどない。クレーターだらけだ。直径10キロメートルから20キロメートルのが多く、100キロメートルの大クレーターもある。
 月の二分性と言われているそうだが、表と裏とはまったく違う。表側は溶岩が吹き出しているが、裏側はなぜないのかまだ解明されていない。分かっているのは、重力は表と裏で違うということである。

 裏側のティコ・クレーターについて説明があった。クレーターから放射状に白い線が延びているクレーターだ。このクレーターは、直径84キロメートルある。縁は5000メートルの高さだ。それは一億年前にできた。小天体の衝突で大量の岩や石が吹き飛ばされた。2000キロメートルも吹き飛ばされた石もある。この衝突で、月面に1万5000メートルの穴があいた。しかし、衝突の反動で底が徐々に盛り上がった。中央に中央丘という山があるが、2480メートルもある。縁から底へはテラスという階段のような地形になっている。この中央丘は、地下からせり上がってきたと考えられている。しかも、クレーターは今でも月には出来続けているという。

 地球はと振り返ってみると、アメリカのアリゾナ州にあるバリンガー・クレーターというのがある。直径1,5㎞だ。深さ170㍍。天文学的には最近に落ちた。5万年ほど前である。
 また、オーストラリアにゴッシズ・ブラフ・クレーターというのがある。直径22㎞。1億4千年前にできた。しかしかなり風化している。
 それに反して、月の場合はまったく風化していない。月を調べて、地球の衝突史を調べることが出来るとしている。要するに、月を調べると地球が分かる!
 地球では46億年から40億年前の間のことは余り残っていない。一度どろどろに融けているので分からない訳だ。それで、月を調べて地球を知る方法が採られているという。

 月にはいろいろと地名があった。アペニン山脈、晴れの海、ピタゴラス・クレーター、それから日本人の名前のクレーターもある。タイゾウ、ナオノブ、ヨシ、ヒラヤマ、アサダ、ニシナ、キムラ、ヤマモト、全部で13人の名前だ。
 キムラ・クレーターは、直径28㎞。木村榮(ヒサシ)さん(1870~1943)は、明治時代に活躍した天文学者であり、その名前に因んで付けられた。岩手県奥州市に国立天文台水沢VERA観測所というのがあるが、そこで観測していたらしい。この学者は日本の天文学者として、世界が始めて認めた人だ。

 国立天文台の亀谷収助教授が説明していた。
地球の自転軸は、時間とともに変化している。そのため同じ地点から同じ星をながめてもずれが出る。木村さんは、1901年にそのズレを精確に求める計算式を見つけたという。いわゆる「木村のZ項」の計算式である。(この辺りは高校で学習したことを少し思い出してきた。)そして、天文学のノーベル賞といわれるゴールド・メダルを東洋人として初めて授与された。従って、1970年に木村さんの名前がクレーターに付けられたという。
(つづく)…興味のない人にもおつきあい頂き申し訳ありません。
リンク先は満地球です。
  http://wms.selene.jaxa.jp/selene_viewer/jpn/observation_mission/hdtv/hdtv_038.html

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
2009年5月21日のブログは、「“若者撃退器”を足立区が導入?」です。生長の家では後継者育成の関係で考えられないことですが、世の中はいろいろな事情があるようです。

*今日は、「イスラームの礼拝」を真似できるかどうかを確認するために、五回の神想観を実修してみたが…残念ながら4回で終わった。谷口雅春先生のCDで神想観をさせていただいた。五回の礼拝とは、夜明け(ファジュル)夜が白み始めてから日の出前まで。正午過ぎ(ズフル)太陽南中の後から影と本体が同じ長さになるまで。午後(アスル)影と本体が同じ長さになってから日没まで。日没(マグリブ)日没直後から残照が消えるまで。夜(イシャー)日没後の残照が消えてから夜が白むまで、である。精確には同時刻にはできなかったが、なんとか4回実修することができた。今日は、時間が取れたからだが、普段はなかなか実施は難しいのかも知れない。しかし、それを行っているイスラームの人々は、信仰人口が現在も増加していることを忘れてはならないだろう。イスラームは、何よりも実生活での行を大切にしているように思える。『日時計日記』を付けて、三正行を行うようにご指導くださる谷口純子先生の御心が少し理解できるような気がした。(『聖典「クルアーン」の思想』57頁より。)

 中内 英生

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May.28.2009「かぐやと月の真実」

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今日の歌::月よりの 満地球の出 ただ青し

 今日は、久しぶりの休日であった。夫婦で買い物に出かけたり、子供の世話をしたりでそれなりに楽しい一日だった。さて、表題について、『サイエンス・ゼロ』(2009/1/16)で月探査機のかぐやの映像を放映していた。実に興味をそそる内容だった。興味のない人にとってはどうってことはないかも知れない。その人はどうぞこの文章は飛ばしてください。

「満地球の出」→  http://space.jaxa.jp/movie/20080411_kaguya_movie01_j.html

 ガリレオが望遠鏡で宇宙をはじめて覗いてから、2009年で400年が経つそうだ。従って、今年は「世界天文年」というらしい。
 日本はかぐやを月に飛ばしているが、月に起こった出来事は地球にも起こっているので
、月を調べることによって地球の過去を知ることが出来るようだ。
 コメンテイター氏は、航空宇宙工学専門の東京大学教授の鈴木信二さんがまず登場していた。

 かつてアポロが月面に降り立ったが、テレビで見たときの映像の感動は今でも覚えている。しかし、一つ間違えば帰還できなかったという。そんな時代である。人工衛星を打ち落として、実験をする国もあるようだが、国際協力で色々と研究していただきたいものである。
 2007年9月に打ち上げた「かぐや」がとらえたハイビジョンの映像は優秀なものである。一年に二度しか観測できないという「満地球の出」を月面から美しい映像で写し出すことに成功している。
 月から見た地球は、実に青かった。そのような映像を常に見ていると「地球に国境はない」とお説きになられる総裁先生の御心を少しは理解できるのではなかろうか。民族主義で血で血を洗うような事態は回避できるのではないかと考えられる。

 月周廻衛星である「かぐや」は重さ3㌧、全長4,8㍍、14の観測機器を搭載している。その中にNHKのハイビジョンカメラがある。これで色々と観測出来るわけだ。
 月の上空を100㎞から観測を続けている。
①月の砂漠とは?、②クレーター誕生の秘密とは?、③世界が注目する「月の氷」はあるか?、等々知りたいことがいっぱいだ。

 この月の砂漠は実に歩くのが難しいようだ。そこを如何に移動するかを研究しているグループが探査ロボットを開発している。
 月の砂はレゴリスといい、月の表面を覆っている。触ると軟らかくフカフカだ。しかし細かい粒子なのでスコップはなかなか通り難い。月の砂は風化しないので角張っている。地球の砂は、私たちはは何も意識しないが、水や大気で風化しており、さらさらだ。それだけでも違う。それから考えると、風化は実に大切な出来事のようだ。
(続き)

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  2009年5月20日のブログは、「自動車は“環境性能”重視へ」です。
新聞の内容のご紹介と最後の段落で、今回の経済危機は必ずしも悪い結果だけを生みだしていないことが分かる、とご教示されています。また、困難は時として人間を苦しめるが、その困難を乗り越えることで、新しい可能性に向かって飛躍する者もいるとされております。ぜひ、その仲間入りをしたいものです。
また、日本にさらに勝れた環境性能を実現してほしいが、アメリカ産業界からそのようなヒーローが必ず頭をもたげてくるのを期待するとしておられます。
 総裁先生の情報入手は地上を網羅しておられますので、既にその徴候があるのかも知れません。

*東山魁夷画伯の『泉に聴く』という本を、谷口純子先生がご紹介しておられたので、それを読んでいる。13頁に、次のような文章が出ている。
『その泉を、いつ、どこにでも見出し得るということは困難である。早く飛ぶことだけに気を奪われているからである。鳥たちの最も大きな不幸は、早く飛ぶことが進歩であり、地上の全ては、自分たちのために在ると思い違えていることである。さて、このまま飛び続ければ、鳥の群れは滅びてしまうのではないかと、ようやく鳥自身も気がついて来たようである。それが、遅すぎたのでなければ幸いであるがー。私も、この鳥の中の一羽であり、人はすべて荒廃と不毛のこう野の上を跳び続ける鳥である。…
 自己を無にして、はじめて、真実は見えると、私は泉から教わった。自己を無にすることは困難であり、不可能とさえ私には思われるが、美はそこにのみ在ると、泉は低いが、はっきりした声で私に語る』

 これを読んで、画家というものは静かにかつ深く、人生を人類を見つめることができるのではないかと思った。観ること、描くことは、振り返って、客観的に自己を見つめることが出来ることに繋がるのかも知れない。
  東山画伯にとっては、無私、無我こそ美の根源でありましょう。
また、『私たちはゆっくりと人生を味わいながら生きていきたい』と、つくづく思ったことでした。

 中内 英生

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May.27.2009「子育て相談」

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今日の詩::色白き 菩薩のかんばせ 蘇鉄花

 「生命の教育」をもう一度、学習しなおそうと想う。日本は古来から学習意欲が旺盛だったようだ。江戸時代の寺子屋はその最たるものだろう。子供の頃からよく育てることを大人達は心得ていたようだ。従って、親でも、名づけ親、育ての親など幾種類もの親を作って子供を育てていた。それが明治の時代に力を発揮したのであろう。
 映画『王様と私』で名高いシャムの国は、明治維新を真似て国作りをしようとしたが、それは上からの改革で日本のように下から盛り上がる改革ではなかったようだ。

 「子育て相談」のブログを作ったが、今月はなかなか時間を捻出できずにいる。しかし、この問題は、島根の人々にとって必要であると考えられるので何とか努力をしてみたい。コメントを書き込める所もあるので、そこから「質問」をしていただいても良いと思う。島根県のすべてのお父さんお母さんのお役に立つことが出来るレベルにまで高まるように学習しながら作り上げていきたいと考えている。

http://sni-kosodate.cocolog-nifty.com/blog/

 今日は、これで終了です。

 中内 英生

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May.26.2009「禅が生んだ絵」

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今日の詩::梅雨入りで 天地見事に 生き返る

 かつて知人に伴われて出雲市の或るお寺へ行きますと、字ではあるがほとんど絵のような書を見せていただいた。それには何と書かれているのか、解読はかなり難しかったが、とても自由自在というか、バランスが良いというか、そんな書だった。それらのお寺で時々字ではなく、絵が書き添えられていることがある。それは何を意味するのだろうか。

 NHK番組『日曜美術館』(2009/4/19)で「禅が生んだ自由と奇抜」というのを放映していて、興味を引いた。立松和平さんが説明役だった。
 『妙心寺』は幕府の圧力に屈しなかったとしている。狩野山雪の絵もたくさんあった。
人間の世界は、勝った者は奢る。そしてこの寺は、明智光秀をもかくまっている。当時、彼をかくまうことは、寺の存続をも脅かす可能性があった筈だ。
 しかし、妙心寺は禅の精神の故に、かくまっている。

 私はこの寺にある「すたすた坊主」という禅の絵に興味を引いた。
白隠というお坊さんが描いたそうだ。この絵は、「放下」を表現しているという。
彼にとって、絵を描くのは、修行の一つだったとしている。
「スタスタ坊主」の絵には、裸のお坊さんがニコニコとして走っている絵だ。持たないと云っても、大きなお寺もあるし、持ち物もあるだろう。
しかし、それを『自分のものとして持たない』という意味と、『色即是空』という意味での「持ちようがない」という意味があるのかも知れない。
 番組ではそこまでは踏み込んで論じていなかったが、「絵は修行の一つ」という言葉に圧倒された。

 芭蕉の俳句について、かつて総裁先生が論じておられる。それは命がけで作る芭蕉の俳句の覚悟についてご教示されたものだった。
 生長の家では、『今を生きる』という御教えがある。また、『一所懸命』という生き方も教えられている。 

今日一日、神の御心を生活そのものに於いて芸術化するのが私たち神の子の使命であるようだ。
  それらのことを考えていると、妙心寺にある禅の絵は、部屋を飾っていく絵ではなく、人生に必要な絵であると、立花和平さんは語っていた。

 絵を描く楽しさは、自己生命の表出という意味での楽しさと、今を集中できる楽しさと、それを多くの人と共有していく楽しさとがあるに違いない。
 私は、少しばかり絵手紙を嗜ませていただくことにより、多くの絵を描く人々と心を通わせることができることを、心から嬉しく想い、信徒に道を切り開いてくださいました総裁先生に心から感謝を申し上げる次第であります。

 今日はたまたま、知人の紹介でご一緒された人から絵をいただいた。明るく夢が膨らむ絵である。その方は、昨年、突然絵を描きたくなり描き始めた。そして現在は、専門的な所でデッサンの勉強をしておられるという。
 どうやら、絵について知ると、さまざまな方々と会話が弾むようである。要するに右脳の世界の開発と展開でありましょう。それは今までの人生の容積に匹敵する。

 中内 英生 

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May.25.2009「生長の家とは如何なるものか②」

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今日の詩::光っちょう 君らの背中 コガネムシ
*すごく光っている虫をたくさん見つけました。名前は分かりませんが、詠みました。初夏ならではの虫の増加です。

 今日のブログは、昨日の続きです。生長の家の御教えの総論を学習いたしましょう。総論学習では、『生命の実相』第一巻の総説篇、『新講甘露の法雨解釈』、『生長の家とは如何なるものか』など、お勧めしたい本です。さらに横への展開として、教育論や、繁栄の法則を説く経済理論、治病や祈りなどがありましょう。縦への新たなる展開と致しましては、谷口清超大聖師のご著書、現総裁先生のご著書などがあります。基本を大切に学びつつ、総裁先生が展開される新たなる御教えの学習を徹底いたしましょう。

⑨『躓く刹那に光明に転向せよ。われらはたとい躓くことありとも渋面せず、その瞬間起き上がりて光明に面せんことを期す』これは日時計主義の大切な生活法です。
 逆境はわれわれを鍛えて中身の善さを出してくれる冶金の坩堝です。ピンチはチャンスです。(p60)
 難関が来るたびにっこり笑うのがよいのです。→自身の力で幸福な運命を建設できるということです。弱いところが却って強くなります。(p60-61)

⑩『隣人を光明生活に生かせ。われらはできる限り悩める隣人を扶けてその暗黒なる生活を光明に転向せんことを期す』愛他行の奨励です。徳積みが必要とされます。
 われわれはことごとく一体→周囲の人が幸福にならないと自身も本当の幸福ではな
い。この真理は重要です。自分の眼界に展開する世界は、実は自分の世界です。その世界に不幸な出来事がみえるとすると、幸福感を味わうことが出来ないのです。(p61)
「物質では短期間扶けよ。温かい愛では常に助けよ」とあります。→相手の無限力を呼び起こすことが、根本的救済法です。すなはち法施です。(p64)
 まず一人が和顔愛語の「生長の家」の人になることが肝腎です。(p67)教えを受けた人が実践することが、教えを広めることになります。『目覚むる心地』にてご教示いただいておりますように、個人のご生活でも御教えを実践することが大切です。

⑪『まず自分に深切であれ。われらは自己の好むところを他に施し、自己の好まざるところを他に転嫁せざらんことを期す』。生命を礼拝するとは、自分自身を敬い拝むことになります。「自分を愛する」とは=自分を神の子であるとみることです。→その見方で他に与えるとき、自分基準で他を観ますので、相手を神の子であると観るようになります。(⇒自他一体の真理から来るのです)(p69,75)
「自分は神の子」と自覚して生活することは→自覚が他人へ共鳴します→すべての人に、神の子が現れます=本当に隣人を愛するとはそのようなことを言います(p77-78)

⑫『真理を伝えるのは愛の道。われらはすべての人類をして健康と幸福と安住との生活を得しめんがため、この光明思想「生長の家」をひろめ全人類に真理を伝えんことを期す』
 生長の家をひろめるとは→神の子の自覚を広めることです→他の人も同じく(自他一体)であり→相手に知らせたいというのが=菩薩の行です。(p79)

⑬『皇室および一家の祖先を礼拝せよ。われらは生命は永遠なるを信じ、毎朝、皇霊を遥拝し奉り、次いで一家の祖先の霊魂を祀れる祭壇または仏壇の前に座してその冥福と守護とを祈願し、かつ自身の生命も永遠なれば常に若く愉快に青年のごとく生きんことを期す』。
 生命は永遠なる存在です。(p91)
 ご皇室は→日本国の重心です=天皇様の御恩沢を忘れず崇敬の誠を捧げることが道に適う生き方です。(p91)
 先祖の信仰を生かすことは→先祖と和解することです→先祖に光を当てることになります。→一家を光明化することになります。→自身も光明化されます。(p103)

⑭『ものの内在生命の尊さに目覚めよ。われらは実在の実相のみを見、移り変わる仮の相にとらわれず、常に光風霽月のごとき生活を営みて情を動ぜざらんことを期す』行雲流水の心、引っかからない心が極意です。
「生長の家の教育法」とは?=内在生命より万能力(神の子)を引き出すことが目的です(p104)
「物」を「物質」とみるのでなく→神の生命と見ることです。(p105)
生長の家の生き方は→すべての事物の奥底の善さを見出し生かす生活です。(p107)

⑮『「久遠の今」の生命を発掘せよ。われらは今日一日をできるかぎり強く明るく正しく十分生き抜き生き尽くして悔いなき生活を送らんことを期す』。今しか存在しません。過去はありません。未来も無いのです。久遠の今の哲学を理解いたしましょう。
 生きるとは=生命を引き出すことです。(p107)
 今日一日=明日でなく「今」を行ききることが大切です。(p108-109)
 児童の成長は→「今」でないと発達しない。→その時機を見失わないよう引き出すので す⇒「生長の家の教育法」を学びましょう。(p121-122)

⑯『善と愛と智慧と光明とを生かせ。われらは常に善と愛と智慧と光明とが人の実相なることを信じ、常につとめて善に還り、愛を行い、真理の書を読み、全人格の雰囲気と心の習慣とを神のごとく完全なるものたらしめんことを期す』。
 生命の教育に於いては、物の破壊は=決して悪ではない、と観る。
 子供を悪人と宣言すると→悪童、悪い子供が現れる(p136)
 →悪人はない→わからないために失敗する。→仕方を誘導してあげるがよい。→そうすると、神性・仏性があらわれるのだ。(p137-138)

 以上ですが、如何でしたでしょうか。Mさんの文章を元にして生長の家の全体像を観ることができました。有り難うございます。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  2009年5月19日のブログは、「温暖化時代に陸地が隆起」です。世界の様々な陸地隆起現象やそれに付随する問題についてご教示されております。拝読下さい。

*島根教区でブログを立ち上げさせて頂いてから一年を経過したが、各組織も既に開始していることは嬉しい。更新と内容の充実を図っていくことで、内圧を高めることができましょう。

 中内 英生

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May.24.2009「生長の家とは如何なるものか①」

Img439 May.24.2009「生長の家とは如何なるものか①」
今日の詩::今日もまた 前進しつつ また前進

 一昨日、松江青年会のMさん(女子青年)の発表がありましたが、生長の家の総論を学習する上で有効であろうと考えますので、ご本人の許可をいただき、読者に読みやすいようにして掲載させていただきます。テキストは、『生長の家とは如何なるものか』です。

編者のことば(p1-3)からです。
 触れた部分を全体と思い「判った」と考えがちである→私たちは「永遠に道を求めるもの」である。
 本書は「生長の家とは如何なるものか」に明確に答えられたものをまとめたものである。
生長の家の全相を正しく理会し、実践し、神誌・聖典が十二分に生きるようにしていただきたい。

①生長の家の意義と誕生について
「生長の家」の誌友および読者はすべて「生長の家」の家族としてこの祈願に従いて生活し、修養し、おのおの隣人を照らす燈台たらんことを期す→これは、谷口雅春先生の御文章です。
「生長の家」とは=大宇宙、実相の世界である→無限創造、伸展、活気溌剌としている。(p4)従って、常に生長の家○○会と、生長の家を付けて呼ぶべきであります。このことは重要です。
 誌友(実相の浄土を生きる)が現世を照らす光として各々隣人をてらすことである。(p8)真理を理解するということは、同時に生きることであり、世を照らす燈台となることを謳っております。毎月の誌友会を開催することにより、その地域の燈台となることにより、この項目は完成いたします。

②各宗教に対する生長の家の立場はどうか?
われらはあらゆる宗教が大生命より発せる救いの放射光線なることを信じ、他宗をそし
らず、他人の尊崇の対象たるものに敬礼せんことを期す。
 各宗教は光である。(p8)
電燈の光のように用途が異なるのです→どれだけ他にあってもよいのです(p11)
正しい他宗教を肯定しています。万教帰一の御教えです。

③神の子の生活を今生きよ
 われらは自己を神の子(または仏子)なりと信じ、常にけだかく人生の道を歩み、
内なる魂のほこりを傷つけざらんことを期す。
 神の子とわかるとは=神の子を今生きることである ⇒自分の懐に百万円あると知る時→使いたくなる=すなはち「知る」とは→活動するということとは表裏一体である。
る。(p24)
 今、この瞬間から神の子を活動させることは大切である(p25)

④いっさいのものを拝め
われらは野を、野の花を、み空を、み空の星を、蒼海を、大地を、火を、水を、いっさ
いの大自然と生物とを観るに、その背後に神の生命の円相を観、その生命を敬し、礼し、愛し、いやしくも浪費せざらんことを期す。
 神の子の活動環境はどこにあるか?=それは生長の家である。(p25)
現象を見るとき、実相を見て、敬し、礼し、愛し、浪費しない生活が=生長の家の生き方である。(p26)
 物の生命を発揮させて使うことにより=物のイノチが生きる⇒人も「今」を生きることにより、人のイノチが生きてくる。(p31-35)

⑤心を清く空虚にせよ
 われらは「心の清き者は神を見ることを得」との真理を信じ、心をあくまで清く尚く純
に素直に保たんことを期す。
 心清き者とは?=「我のないもの」を言う。→理屈が詰まっていると素直に受容れできない。我の心を捨てよ。(p35)
 知恵や学問の塵埃を移し変え心のコップを空けることだ。=心を空虚にして→『生命の実相』を拝読することが大切である。(p39-40) 

⑥自己の欲せぬことを思うな。
 われらは「類は類を呼ぶ」の心の法則を知るをもっていやしくも自己の欲せざることを
心に思わざらんことを期す。
「類は類を呼ぶ」と云う心の法則がある=「横の真理」と言う。→膨れる病気はふくれる心の陰である=現れたら迷いが消える「肉体は心の影」という。(p40,46)
『生命の実相』をよむ→心が和んで万事よくなる→相手の実相を観ずると→相手も温和になる⇒円満完全な性格が現れる。調和した世界が現出する。(p48)

⑦自他の悪を思わず常に光明に転向せよ
われらは自他の悪を云為する時間あらば、神を想い、完全を想い、自己の新生と生長と
に利用せんことを期す。
「肉体は心の影」である。⇒「迷いの心」を起こさないよう努め、善なるよき心=「自覚の心」を保つようにすることだ。(p53)
「神を想い、完全を想い」心を一転して、「神と一つなる自分」を新しく発見することである。(p55)

⑧神とともに無畏無憂の生活を送れ。
われらは常に無限力とともに生くることを信じ、神に背くことのほか、何ものをも恐れず、
取越し苦労をせざらんことを期す。
 明朗の極点は=「神の無限力」と一体で生きる自覚である。(p56)神を知ったとき、本当に明るく生きることが出来る。
 重大事で恐るべきことはその自覚を失うことである→自覚されあれば重大事は方向転換する。(p56)問題が問題なのではない。それを恐れ、意義を悟らず、神の子の自覚を失うことだけ問題である。
 柔道のように、危殆に引き摺り込まれるときこそ→「不幸」に背負い投げを食わすべき好機である。(p58-59)困難はチャンスだ。

 なかなか素晴らしいコメントを描いておりましたのでご紹介致しました。後半のは後日掲載いたします。

*今日は午前中は、相愛会の熟年者の集いがあった。教化部にお出でになるような人は、大変お元気である。午後は、評議員会やら幹事会やら五者会議があった。楽しい一日だった。感謝合掌。

 中内 英生

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May.23.2009「”自覚”の重要性」

Img072 May.23.2009「”自覚”の重要性」
今日の詩::陽は降りて 柿の若葉が キラキラと

 昨夜、松江で青年会の会合に参加させていただいたが、テキストは、『生長の家とは如何なるものか』でした。
 その中で、「神の子の生活を今生きよ」というテーマがありました。
 そこには、「自分は神の子である」と自覚すると、神の子を今、生きるようになる、と書かれていました。
 私たちは、懐中に100万円持っていると自覚すると、100万円を使おうといる意欲が湧いてきます。
 自分の中に無限力があると自覚すると、無限力を発揮したいという願望が出て参ります。願いを持つことは必要ですが、その前に、それは生命の世界に、神さまの創られた世界に既に実現しているということを自覚しておく必要があります。

 今日は益田で一日見真会が行われました。運営を除いて46人でした。浄心行があり、講話あり、で感動の連続だったようです。生長の家が始めての人が6名来ておられました。夜は、4時過ぎから7時まで地方講師の受験勉強会が開かれました。これは私より、二人の指導講師が主役でした。新規受験者は3名あるようです。
 また、終わってからですが、津和野から青年の方がお出でになり、面談を致しました。今後のことを話し合いました。

10時半ころ漸く自宅に到着いたしました。感謝合掌。

 中内 英生

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May.22.2009「イスラム・世界・日本(その3)」

Img071 May.22.2009「イスラム・世界・日本(その3)」
今日の詩::日の本の 使命雄々しく イスラームへ 貢献せんと  日々生くるなり
*日本のイスラームに対する貢献は色々とできるでしょうが、その中で、国際平和信仰運動は信仰面に於ける際だったご使命ではないでしょうか。

 イスラームとキリスト教との対立は8世紀から始まった。その後、産業革命後はイスラームとヨーロッパとの対立の構図になっている。産業革命後は、ヨーロッパによるイスラームの国々の植民地化が始まり、石油が流出していくことにより、イスラームの国々の人々の感情は変わったといわれている。
 しかし、現在は以前とは随分と違っている。パリの中にもイスラム教徒が住んでいるようだ時代になってきた。

 山内教授は現在のイスラム教国の特徴を述べていた。
人口に関して云うと、中東では60%~70%が25歳以下で若い。これは島根とは随分と違うようだ。従って、20%半ばを平均にして、中東では失業率が生まれているという。これが世情不安に繋がるのだろう。

 ガザでは1950年には、24万人だったのが、2008年には150万人になっている。この人達を吸収する産業はない。要するに就職口がないのである。
 彼らは、不満、貧困、苦痛、フラストレーション等を発散する受け皿としてテロに走ると、教授は説明した。だから裕福になれば、テロは起こらない、としている。
 それは言えるかも知れない。日本においても、現在、共産革命が起こる可能性は皆無といって良いだろう。しかし、1970年まではそうではなかった。豊かになった現在では、共産革命を起こす意味がない。

 トルコでは女性の権利が向上した。1923年、共和国となりイスラム圏でいち早く近代化した。現在、EUへの加盟を申請中である。
 現在のトルコについては、NHKの番組で見たことがあるが、かなり日本人にも理解できる状況であるように思えた。
 生長の家ではイスラームについて現在、学習中であるが、異文化であるが故に、学べば学ぶほどに私たちの心の幅が広がるであろうと考えられる。

 イスラームの人達は宗教行事や生活を厳格に守っているかという質問に対して、教授は答える。
 テロに走る人間がそうそういる訳ではない。みんな、イスラームの教えと西洋の文明とをバランスをとって生きている。
 ”断食”ラマダンについても語っている。『その時に食べる人はあるだろう』とのことだった。しかしイスラームはそれに耐えるという。島根の信徒であるあなたなら如何ですか。
 俗の問題を討論していた。”性”についてだが、イスラームでは正式の結婚の形態をとった以外の性交渉は認められていないという。
 イスラームの考え方は次のようである。
『性は神によって与えられている男女のいとなみである。だからこそ、結婚しなさい。だからこそ、家庭を作りなさい。健全な社会人として生きて行きなさい。それが神の御心にかなうのである』と。
 この論理は、表現こそ違うが、生長の家の考え方と似ているのではないだろうか。谷口雅春先生のご著書に『新しい結婚』という本があるが、イスラームの考え方と比較する上に於いても拝読していただきたいと思う。

 性の問題を、俗的であるという風に日本人が考えることは、イスラームに於いては必ずしも俗ではなく、むしろ聖なるものとして、キチンと位置づけていくという見方であるらしい。「性は聖」として解釈する。
 また、「テロというものを是とするような考え方」にばかり引っ張られるのではない解釈が必要である。

 最後に、教授は日本とイスラームについて語っておられた。イスラームの人達は言っている。
『日本は目立たないが日本という国は好きだ』と。
そういう意味で、日本はイスラム教国にとって決して欠かすことができない。
イスラームは我々と異なる故に世界の広さと深さを教えてくれるである。

 太田さんが言った。『私は酒を飲まないんです』。次に相棒の人が言った。『私は酒を飲めないんです』と。
山内教授は答えた。『お二人とも、イスラムの世界で十分にやっていける!』。
 現在、私は『ハディース』を読んでいるが、山内教授は、翻訳されたハディースの紹介文を書いておられた。
  しばらく、このブログではイスラーム以外のことを書いていたが、久しぶりで三回シリーズで書かせていただいた。読んでいただき、誠に有り難うございました。

*今日は、午後誌友会に行かせていただき、夜は松江道場で青年会の学習会に出席させていただいた。お二人の方が発表していたが、お二人とも文章化し、実に良くまとめていた。今年の青年会は目が離せません。
*明日は、益田の一日見真会です。

 中内 英生

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May.21.2009「誌友会は健康によい」

Img435 May.21.2009「誌友会は健康によい」
今日の詩::芍薬の 紅く燃ゆるは 吾が想い
*昨日は一日中、松江道場でお世話になりましたが、すごいきれいな芍薬が玄関に飾られていました。午前中は、写経、午後は先祖供養祭、夜は役員会でした。

  今日は、6月の『大和島根』の原稿を掲載させていただきます。このブログを愛読してくださる島根の信徒様への速達便です

”誌友会は健康によい”

 神の子の皆様、有り難うございます。
 皆様は、毎月の誌友会に参加しておられると思います。練成会も真理を求める人達を対象にして、数ヶ月の休会を除いてほとんど毎月開催しています。実はそれには理由があるのです。練成会は信仰深化の重要行事ですので、参加者は気が付くと大変健康な状態になっていることが多いのです。食事も美味しいし、ともかく楽しい雰囲気で行事を行うことができるからです。
  しかし、毎月三日間の練成会に常にご参加できる人は限られております。従いまして、毎月、一回または数回、ご自宅の近くで行われる誌友会に参加することが最も良いのです。表題の言葉を思いついたのは、『光の泉』誌(2009年5月号32頁)からです。「信仰は健康によい」というテーマで総裁谷口雅宣先生が小論文をお書きくださっております。次に抜粋文を掲載させていただきます。

 『テキサス大学の社会人口統計学者、ロバート・ハマー氏が1992年から続けているこの分野の研究成果には、動かし難いものがある。それをまとめると、次の二つに要約されるー
 ①教会など宗教行事にまったく行かない人は、毎週教会へ行く人に比べて、八年後まで  に死ぬ確率は二倍である。
 ②まったく教会へ行かない人と、毎週教会へ行く人との中間段階にある人々の寿命は、  両者の中間的位置にある。
このような統計結果が出る理由には、様々なものが考えられる。例えば、教会は一種の社交場であり、コミュニティを形成するから、そこに集まる人々の間には親しく近い関係が生じるだろう。すると、普段の互いのコミュニケーションも密接になるだろうから、心臓発作や脳梗塞で倒れたときも、教会メンバーがそうでない人よりも速く病院へ連れて行ってもられるかもしれない。そうなれば、医学的理由ではなく、社会的理由でも平均寿命は長くなるーという具合にだ。』

 これは、物理的な理由であります。私たちの誌友会は毎週とまでは開催できないにしましても、それに近い極めて親切な行動がお互いにとられているようです。次の御文章でそれを理解することが出来た。

 『しかし、その一方で、宗教が肉体の一部である脳に影響を与えることで、ストレスに対する心身の反応自体が、宗教を信じる人とそうでない人との間で違ってくることも考えられるのである。』

 この御文章の続きには、最も興味深い宗教行の継続と前頭葉の厚みとの関係が述べられています。それはそれとして、毎週、教会に行く人が健康を維持しているということは何を示唆しているのでしょうか。それは、私たちにとっては、毎月の誌友会は喜びを増幅させ、健康を増大させると云うことではないでしょうか。

 島根教区に参らせていただき、時々誌友会にも行かせていただいています。その時、いつも仲良く集まる方々の顔はつやつやとして実に健康的であることに気が付きます。最近は、真理探究の誌友会のみならず、技能と芸術的感覚の誌友会が行われていますので、マンネリ化する暇がないほどではないでしょうか。
 私は、出来る限り皆様の先頭に立たせていただき率先垂範で絵手紙や俳句を作らせていただいています。私の絵を見て、「これが教化部長の絵ならば、私はもっと上手に描ける筈だ」とお考えになり、描き始めている人もいる筈です。そういう意味でも、私の絵は、「新たに描く勇気と希望」を与えていると自負しています。

 何事でも新しいことに挑戦するという精神が大切でありましょう。最近は、新しく『繁栄ブログ』を始めさせていただきました。少しでも島根県の皆様が豊かになりますように、自然と人間との共生に基づいた繁栄を築くことができますようにとの願いからです。
 また、今月は、『子育て相談』のサイトも立ち上げさせていただきました。それらのブログを書いておりますと、自分の心の中に、島根教区の信徒の皆様は勿論のことでありますが、すべての島根県民の皆様がどうぞ、幸福でありますように、すべての島根県民の皆様が豊かでありますように、との願いと祈りを常に想起することができるようになったのは、自分にとっては大変嬉しいことです。

 皆様も、どうか誌友会の活性化にご尽力いただきたいと存じます。そして、誌友会に地元の人々がご参加になられ、誌友会と皆様ご自身が地元の人々の心の燈台となりますように念願して止みません。誌友会は私たちの地域のいのちの灯台であります。
 誌友会こそ、身近に常に助け合うことが出来る偉大なるコミュニティではないでしょうか。
 誌友会で皆様の幸福を祈り、ご先祖を供養し、そこを私たちの人生の心の拠点として生きて行く時、さらに一段と、人間味のある温かい雰囲気の島根の土地柄になると思います。
 素晴らしい神の子である島根の信徒の皆様、ご協力を心から感謝申し上げます。 

 中内 英生

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May.20.2009「『甘露の法雨』の連続講話と写経」

Img065 May.20.2009「『甘露の法雨』の連続講話と写経」
今日の詩::抹茶よし 美あり名もあり 松江風

 今日から、生長の家松江道場で、写経と『甘露の法雨』の連続講話が始まった。『新講甘露の法雨解釈』をテキストとして、講話する。今日は、はしがきの所だった。この本は、台湾でお世話になっていた時代に、青年の方々に話させていただいていた本である。読み込むほどに、御教えの素晴らしさに感動する。
 
 また、写経も行われた。5名来れば良いと思っていたが、10名の方がお出でになられた。島根教区では写経の集いは、誌友会で行わない限り松江だけなので、ご都合のつく方はお出でになり、『甘露の法雨』の話に耳を傾け、そして写経に専念していただきたい。現在の松江は、日本三大船祭のホーランエンヤの真っ最中なのだが、残念ながら私は見ることができない。その分、生長の家の運動が進展するのでそれでよいと考えられる。

 写経はI地方講師が懇切丁寧にご指導されていた。その関係か、皆様は非常に精神集中しており、神想観に勝るほどの心境を感得されたようだ。私のは約40分から45分間の講話だったので、書く時間が不足して、自宅で残りを書くという人もいた。いずれにせよ、説明もI地方講師の最高の指導説明なので参加者は満足していた。
 日程は、毎月の先祖供養祭のある日の午前中開催である。

*今日は、夜は松江道場の役員会が開催された。夕方に時間があったので何枚かの絵手紙を描くことができた。

*青年会のホームページはご覧になりましたか?教化部のホームページの「各種アクセス」から入り、組織のアクセスの「青年会」の所をクリックしてください。この頁へ是非、コメントをお願いします。コメントが一番の励みになります。島根の皆様、どうぞよろしく!

*今日のブログは短いです。

 中内 英生

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May.19.2009「イスラム・世界・日本(その2)」

Img070 May.19.2009「イスラム・世界・日本(その2)」
今日の詩::林檎さん 今日の笑顔は きれいだよ

 昨日の続きです。
イスラエルは、1947年ユダヤ人によって建国された。
この地に以前から住んでいたイスラム教徒のパレスチナ人との間で今もなお、抗争が続いている。

 パレスチナという地をどう考えるかがポイントである。
太田氏…イスラームという話題の時は怖いです。
「悪魔の詩」(サルマン・ラシュデイ)のことや、デンマークの風刺画のことでしょうか?

 イスラム教とにとってはユダヤ教やキリスト教などの一神教の中で、モーゼを介してユダヤ教が出現した。
預言者たちを神が天下したとしている。
 キリスト教はイエスと介してできた。しかし、この二人の預言者たちの言葉を人類は守らなかった。そこで「これで最後だ」ということで、送り出した者をムハンマドという。
 そこで人類社会の終末と破滅、すなはち最後の審判を説く。
こうして厳格なものの考え方というものがでてきたのであるが、

 しかし、一般の我々は、きちっと信仰を守り生きていかなくてはならない。
普通の人にとっては、日常生活を正しく生き、そして夫婦子供が相慈しみながら、家族を大事にしながら、自らの道を生きていく、これが『イスラムの平安の道』である。

『2001年9月11日の同時爆破テロ事件は何故起こったのか?』

 イスラム原理主義を掲げるグループがアメリカで同時多発テロを起こした。この背景は次のように考えられる。
①石油と貧困
 イスラムにとっては石油は神からの恵みである。しかし、イギリス・アメリカ・欧米が自由に掘り出し、それらの国々の冨の基を作った。しかし、それが必ずしも自分たちイスラム教国に還元されなかった。今でも、貧困や不公正がまかり通っている。こういう言い方は、耳に入りやすい。
②アメリカへの反発
 現在の中東・イスラム世界の腐敗をバックアップしているのは、アメリカではないか?と云う考え方がある。しかし、アメリカという国と正面から向き合わないと、中東の将来はないという切迫感と終末論的なものと宗教的信念が結びついて、積極的な言動となった。
③進まぬパレスチナ和平
 イスラエルの背後にアメリカがある。アメリカ有ってのイスラエルである。従って、アメリカにショックを与えなくてはならないという考えで出て来た事件である。しかし、それによって周囲を巻き込んで、さらに混迷を深めることになった。

山内昌之教授はこのような説明をしておられた。
私は再び、『衝撃から理解へ』を拝読する必要性を感じた。

*今日は夜は加茂の誌友会へ行かせていただいた。仕事の話と酒の話が出て盛り上がった。しかし、酒の話といっても酒に関する様々な考察である。「葷酒山門に入るを許さず」とは霊的にはどういう意味か、とか。酒の効用と医学的限界についてとか、「酒は飲んでも飲まれるな」とか。「飲酒とパソコン・ブログ」についてとか、色々と楽しかった。

 中内 英生

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May.18.2009「イスラーム・世界・日本」

Img061 May.18.2009「イスラーム・世界・日本」
今日の歌::旧道を 抜けて江津の 橋渡る 今日の仕事の 有難きかな

「イスラーム・世界・日本」という題で、『爆笑学問』(2009/4/22)という番組で放映されていた。担当者は「爆笑問題」というお笑いの人だが、その人がまじめな番組にチャレンジする姿が新鮮だ。
 答える人は、歴史学の大家で、東京大学大学院教授の山内昌之先生です。生長の家での今までの学習のおかげで、知っていることがほとんどだが、島根の信徒さんにとってまだ知らない人がいるかも知れないので少しは役に立つかも知れないと想う。
山内教授は、インターネットで調べると、2006年に紫綬褒章を受けておられなかなかすごい人のようだ。
以下は山内教授のコメントだが、実に重みがあります。

 イスラームを西洋の側からだけから見てはならない、とのことです。これは、日本人は明治以降、欧米の思想を通して、イスラームを見てきたからです。
 日本人のような鷹揚な宗教感覚ではイスラームの考え方はなかなか分からない。文化の多元性、多重性に対して寛容な国民から見るならば、どのような役目が日本にはあるのだろうかと考えるべきである。
 それは、キリスト教とイスラム教との対話、キリスト教文明の欧米文明の中でイスラム文明との調和的な役割が果たせるのではないだろうか。
両者の対話の調停を果たしていくような役割を日本が果たすことはできる。
*これは国際平和信仰運動で「万教帰一のみ教え」を展開する生長の家と考えを同じくするような内容ではないでしょうか!

イスラム世界をつなぐ架け橋が必要である。
日本人はヨーロッパ的に考える『考え方』は比較的なじみやすい。また、日本は中国、韓国との関係が深いので、東アジア的なものの考え方もできる。その中で、イスラームを考えることが必要だ。

 しかし、イスラム教徒のものの考え方や、その行動を無視してこれからの歴史の考え方やその行動を無視して、これからの歴史、あるいは将来の政治というものを考えられない。
 そういう人たちの物の考え方や生き方を理解することが大事だという問題意識が自分にあった。
 私自身は、ふつうの日本人と同じで、宗教は、生まれながらにして檀家仏教です。格別に自分が確信している宗教的信仰は余りない。

 イスラームに関してですが、イスラームとは何か、というものを考えるというよりも、むしろ、イスラームというものが信じられている地域で、実際に起きていることを見極めていく学問がある。それが「イスラム地域研究」と言われている学問ですが、私の関心はそちらの方である。

 ガザ戦争というのがある。ガザでイスラエルとハマスとの間で戦闘状態になっている。(2008年12月から2009年1月まで)
イスラエルは、1948年、ユダヤ人によって建国された。この地に以前からいたイスラム教徒のパレスチナ人との間で、今も尚抗争が続いている。
 パレスチナという地域をどう考えるかがポイントである。
太田氏…イスラームという話題の時は怖いです。
「悪魔の詩」(サルマン・ラシュデイ)のことや、デンマークの風刺画のことでしょうか?

 イスラム教徒にとっての考え方ですが、ユダヤ教やキリスト教などの一神教の中で、モーゼを介してユダヤ教が出現した。預言者たちを神が天降したとしている。これがユダヤ教です。
 キリスト教はイエスと介して出来た。しかし、この二人の預言者たちの言葉を人類は守らなかった。そこで神さまが「これで最後だ!」ということで、送り出した預言者をムハンマドという。

 教えは、人類社会の終末と破滅すなはち「最後の審判」を説く。
こうして厳格なものの考え方というものが出て来たのであるが、しかし、一般の我々は、きちっと信仰を生活に守り生きていかなくてはならない。
 普通の人にとっては、日常生活を正しく生き、そして夫婦子供が相慈しみながら、家族を大事にしながら、自らの道を生きていく、これがイスラムの平安の道である。

*これらのことに関しては、私たちは以前より理解が進んでいるのではないだろうか。インドネシアの女性が介護の職業に就くため日本に入ってきている。その女性たちはテレビで見ると、穏和な性格をしているようだ。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
2009年5月16日のブログは、「信濃川の夜景」です。講習会でのご指導のため、新潟市にお入りになられたことをお書きになっておられます。夜景の御写真がが美しいです。新潟北越教区の講習会は前回以上の参加者でした。素晴らしいです。

*今日は、江津の先祖供養祭に来させていただいた。御祭の後は、地方講師の受験勉強会があった。何と、7人の人が残って勉強された。これには驚いた。全員が受験されるかどうかは分からないが、御教えを学ぼうとする熱気は、江津の将来を予感させるに充分なものがあった。

 中内 英生

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May.17.2009「認知症介護のエキスパート」

Img064 May.17.2009「認知症介護のエキスパート」
今日の詩::練成を 終えて五月雨 降りて善し

認知症介護という仕事がある。大谷るみ子さん(50)という方が、『プロフェッショナル』(2009/3/10再)に出ていた。グループホームというシステムの『ふぁみりえ』という施設のホーム長をしておられる女性である。日本には、200万人といわれる認知症患者さんがおられるという。その一角での活躍ぶりだ。場所は大牟田。

 彼女は言う。『どんな認知症患者さんでも心は生きている。感じる心は残っている。だから相手の世界におじゃまするのです』と。
 私も認知症の方に幾度かお会いしたことがあるが、本人はつらくなくても相手が自分を認識してくれないことに、周囲の者はショックを受ける。それが夫婦であったりすると、今までの生活は何だったのだろうと考えてしまうようだ。

 彼女は家族から見放された認知症の方々をグループホームで引き受けている。昼夜を問わず徘徊を始めた人にもつきあっている。彼女は患者さんを積極的に地域の人々と接触するようにしている。普通は、どこかに行くとき、患者さんをホームに預ける。しかし、大谷さんは、そんな機会にこそ、患者をその場に行かせるという。

『あなたは、とても大切な人』という思いで患者さんの話を聞くという。この言葉は、マザー・テレサのグループのシスターが死に行く人の耳元で、『あなたは神さまにとって大切な人なんですよ』とささやくのと酷似していると考えられる。
 だから、彼女のグループホームにはいつも平安が満ちているようだ。

 大谷さんは、30歳代に大きな経験をした。一人一人の心と向き合う姿勢は苦悩の日々から生まれた。熊本に生まれた大谷さんは、幼くして父親を亡くした。そして母親の手一つで育てられたようだ。
 手に職を付けるようにと勧められるままに、21歳で看護士になった。看護士の仕事はやり甲斐があった。力を尽くせば患者も家族も喜んでくれる。数年経つと、外科病棟でガンを患う人々を受け持つようになる。
 大谷さんは、患者の声に懸命に耳を傾け、正面から向かい合った。向かい合えば必ず手応えがあった。

 36歳の時のことだった。勤務先の病院が運営する特別養護老人ホームの現場責任者を命じられた。入居者のほとんどが認知症のお年寄りであった。しかし、大谷さんは、向き合えば必ず道は開けると理想に燃えていた。
 しかし、現実は壮絶なものだったようだ。『虫が身体を這う』と言って暴れる人がいた。看護士の名前を叫び続ける人もいた。それでも大谷さんは、逃げずに向かい合おうとスタッフに呼び掛け続けた。一年が経ったある日のこと。鍵がついて「つなぎ」を着ている女性を目にした。スタッフに聞くと、女性はすぐに全裸になってしまうという。入居の時、すでに「つなぎ」を着ていた。彼女は人間として扱われていないことに衝撃を受けた。どのようにしたらよいのか彼女の模索が続いたようだ。

 大谷さんは、そのころデンマークまで行き、認知症介護について学んだ。そこでは認知症の人も行動を拘束されていなかった。
 読んでいた本や音楽は患者が好きだったものをスタッフが調べて用意したものだった。患者は認知症を患う以前と同じような生活ができるようにしていた。デンマークのグループホームのスタッフが言った。『人はみな、人生のリュックサックを背負っている。その中身を知らなければ認知症の介護はできない』と。大谷さんはその言葉に、介護の神髄を見出したようだ。

 『グループホームに皆さんは人生のリュックサックを背負って来られるのよ。グループホームに来て、一旦それは下ろされる。そのリュックサックの中から色んな出来事を引き出すことから介護が始まる。だからスタッフが自分に馴染んだ生活を準備するのでその生活を持続することが出来る』。

 それは愛の生活では無かろうか。『生命の実相』に書かれている福島博さんの療養所などと似ているのかも知れない。「愛」が基本にあるとき、あるいは認知症の患者さんも快復することがあるかも知れないと感じた。大谷さんは、映像で見る限り、実に愛深いご性格のように見受けられた。
 生長の家の場合は、「神の愛を行ずる」とともに、「完全円満なる患者の実相を観る」ということが加わるのでありましょう。

彼女は言う。『相手の心に向き合うのが仕事です。プロフェッショナルとは、何が大切かということをちゃんと分かっていて、たくさん壁があるのだけれども、それに向き合って、いつも志を高くもって進んでいく人ではないかと思う』と。私は彼女の”心に向き合う”という御姿勢が非常に参考になりました。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】            
2009年5月14日のブログは、「横浜でバラを愛でる」です。
横浜で薔薇をご覧になられたことをお書きになっておられます。御写真とエッセイによって、私たちも同行させていただいているような気持になってしまいます。拝読下さい。

*今日は、練成会が終了した。かなり充実した内容になってきたことを感謝する。一人でも救われていくことが喜びである。昨夜は、まったく生長の家が始めての若い女性を信徒さんがお連れになった。そして二日目の最後まで受講されたが、「祈り合いの神想観」で、お父さまに感謝できるようになられたようだった。皆さんも感動しておられた。まったく始めてのご参加でも感動を与えることができる内容の練成会になって来つつあることはうれしい。

 中内 英生

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May.16.2009「職業 武装解除(三)」

Img069 May.16.2009「職業 武装解除(三)」
今日の詩::絵筆持ち 紫蘭を描きて ニッコリと

 このテーマでもう一回だけ書くことをお許し願いたい。
瀬谷さんの弟さんは、リハビリーに通っているという。右半分は動かない。障害者用の作業所で働いておられるという。健康回復を祈りたい。少年時代の脳内出血の後遺症が残ったのだった。彼は一ヶ月ほど昏睡状態だった。医者からは99%助からないと言われていた。しかし、奇跡的に死地より生還した。

 その彼が言う。『姉ちゃんは、僕の誇りだよ』と。その言葉で家族に対する罪悪感が徐々に無くなっていく。弟が病気で家族が看病をしているとき、自分はやりたいことを見つけたからそこを出ていくということが、果たして正しいだろうか、ということを考えていた。仕事をしていてもそのことを考えてしまう。
 しかし、実際の現場では、自分の家族が死んだことを悲しむことすら、贅沢であるという状況があるので、比べられるものではない。

 彼女は十年間、数々の紛争地を渡り歩いてきたが、忘れられない言葉があるという。このことを書くべきかどうかを考えたが、一応書かせていただくことにする。
初めて行ったシオラレオネの子供の厚生施設でのことだった。その中の一人の少年と会話した。次は彼の言葉である。

 ある日、自分の村が武装集団に焼き討ちされた。武装集団から、父親の腕を切り落とさなかったら、家族全員を殺すからと言われて、父親の腕を切り落とすしかなかった。
その後、武装集団に拉致されて、戦場に出された。内戦が終わって自分が元の家族の所に戻りたいと思っても、家族の方がもうあんな子はいらないと、思われている。
 武装集団は、男の子を拉致する目的で、しかも家に帰れない状態を作るために父親の腕を切り落とさせたようだ。
 彼は思う。『自分は社会から忌み嫌われる存在で本当に生きている意味があるのかと悩む。心のより所がない』。

 瀬谷さんは、その少年の話を聞いてあげた。すると、少年は、『話を聞いて認めてくれたというだけでも、このまま生きていていいんだ、と思えた』と言ったという。
 少年の言葉を聞いて、そんな思いを持っている彼らのために出来ることをしたい、と覚悟を決めることが出来るキッカケだったという。
 少年を「父を傷つけるという行為」に駆り立てた人達は、少年の獲得を目的として行動したと考えられる。

 不条理を一番感じているのは、現地の人達のようだ。
ある時、瀬谷さんは、スーダンのジャバに行った。18歳未満の少年兵が2万人に達したことがあるという。彼らの社会復帰は難しいと考えられた。そこで、瀬谷さんは、9日間、ジャバに滞在し、マイケルという少年の将来について尽力している。彼に言った言葉は、『少しでも希望の灯があれば、人生は自分で変えられる』と。詳しいいきさつは省かせていただく。
 彼女は言う。『プロフェッショナルとは、やらない言い訳をしない人である。唯でさえ難しいお仕事をやらない言い訳をすると、さらにミッションの遂行が困難になる。言い訳をせずに、改善するための方法を考えて行動するのがプロフェッショナルである』と。

 女性がここまで勇猛果敢に世界平和のために行動できるとはすごい女性だと思わずにはいられなかった。

*今日は、練成会第二日目です。参加者数は47名に達した。スタッフの皆様は実に内容のある素晴らしい練成会しておられるのでいつも感心している。

 中内 英生 

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May.15.2009「武装解除(その二)」

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今日の詩::泥水も 調和するなら 浄き水

 昨日の続きです。
 感心したことだが、瀬谷さんはいつもインスタント・カメラを持参している。何故かというと、アフリカなどの紛争地域では鏡がないので自分の顔を見たことがない人がいるのだそうだ。それで写しては100枚ほど皆にあげるのだという。
 余計な話だが、このインスタントカメラそのものは安いが、フィルムが高い。しかし、紛争地の子供たちを喜ばす為に、そうしているらしい。紛争地の子供たちは非常に元気だ。

 彼女はマラリヤにかかりそうな時に飲む薬を持参していた。かかりそうな感じは自分で分かるという。もう一つ驚いたことだが、現地で喉が渇いたので井戸水を汲んできてくれた。見ると、泥水だ。現地の人は平気のようだが日本人はそうはいかない。しかし、その泥水を一口だけ飲む。すると村の人たちはその姿を見て、受け入れてくれるのだという。ここの道理は分かるような気がする。
 台湾で仕事をさせていただいていた頃、上司のT元教化総長から、『相手が出す食べ物を何でも食べなさい。その行為をみて仲間だと思ってくれるのだから』と。当時は、びっくりするような、豚の○○○○とか、豚の○とかでも思い切って食べていた。そういう行為が大切なのだろう。
 かつて赴任していた教区で、お濃い茶というお抹茶の濃いのを回しのみしたことがある。この儀式?を経て、私は仲間と認定してもらったのかも知れない。それはともかくとして…。

 彼女は、NGO日本平和紛争予防センター事務局長のようである。なかなかすごい活躍ぶりだ。HPは→ http://www.jccp.gr.jp/
 彼女はネコが好きだというが、生まれは群馬県新里村だ。現桐生市である。3歳年下の弟が幼いとき脳出血で倒れたという。弟さんは奇跡的に助かったが後遺症が残った。そして、彼女が高校生の時、ルワンダ内戦の写真と出合った。そこには死んだ母親に取りすがって泣く幼い子供の姿が写し出されていた。
『彼らの為に何かをしたい!』。強い衝撃を受けたのだった。
18歳の時、国際支援の仕事を目指して東京の大学に進んだ。しかし、常に或る思いがあったという。
『病気の弟を残して、自分は家を出た。中途半端なことをすることは出来ない』と云う思いだ。

 その頃、彼女は元兵士の社会復帰を支援する業務に進むことにした。そして、イギリスの大学院に入学し、『紛争解決学』を学んだ。
 そういう学問があるということを私はこの番組で初めて知った。私は大学では、「国際関係論」の単位を取ったが、さらに徹底した方法論なども学ぶのだろう。  

 その後、彼女はアフリカのシオラネオネへDDRのプロジェクトに参加した。シオラネオネはご存じであろうが、世界で一番平均寿命が低い国である。子供の時になくなるケースが多く、また内戦で早く死ぬのでそうなる。国境無き医者団の○○さんが、『徹子の部屋』に登場しておられた。妻からそのことを聞いて、彼の著書を読んだ。それで平均寿命が低い理由を知ったのである。

 この仕事は危険と隣り合わせのようだ。紛争地の復興を助ける重要な仕事であるが、その意義と価値を誰よりも認めてくれるのは、『弟』さんだった。電話で弟さんからよく言われた。『姉ちゃんは、僕の誇りだよ』と。身内のこの言葉は相当の勇気を与えただあろうと思われる。

 26歳の時、2003年、アフガニスタンでのDDRに参加した。そして外務省職員として働いた。3年で259の部隊を武装解除し、プロジェクトは成功を収めたという。
 アフガニスタンのカルザイ大統領は、彼女の功績を称えた。瀬谷さんを、『ミスDDR』と呼んだ。
 しかし、間もなく同僚から彼女にとっては大変つらい話を聞くことになる。
社会復帰した兵士達が、仕事になじめず、次々と武装勢力に加わり始めているという話である。瀬谷はその話を聞いて自分の仕事のすべてを否定された気がした。
 ”自分は何のために、この仕事をやってきたんだろう。”
彼女はこれまで自分がこれをやろう、と思っていた原動力みたいなものも無くなってしまった。
 どうすればよいのか?自分の仕事には意味があるのか?送り出してくれた家族の顔が何度も浮かんだ。悶々と考え、半年ほど経った時だった。ある日、ふと思った。(おそらくこれは、生長の家流に考えると、ご先祖の高級霊のお導きか世界平和を指導しておられる特命守護神さまの高級霊波を受信したのかも知れないとも考えられる)

 ”何の為にこの仕事を選んだのか?”
 思い出されたのは、初めて見たルワンダ内戦の写真(死んだ母親に取りすがって泣いている子供)と紛争地で出合った元兵士達の顔だった。
彼らのお役に立ちたい、と飛び込んだ自分を思い出した。紛争地の現実は厳しい。しかし、一人一人の声を聞くことは出来る。ここからもう一度、やり直してみよう、と考えた。
 瀬谷さんは、再び紛争地に向かったという。そして今はアフリカのスーダンで武装解除の仕事をしている。

 目の前の一人一人と向き合いながら困難な仕事に挑んでいるようだ。
瀬谷さんのこの話を聞いて、私自身が生長の家に19歳で入らせていただいたとき、日本と世界の為にご尽力されている谷口雅春先生の少しでもお役に立たせていただきたい、という一念であったことを思い出させていただいた。

 もう一つ思い出させていただいた話がある。禅の研究で有名だったT元本部講師が学生達に話した内容だった。『皆さんは、死んだらどこへ行きたいですか、極楽ですか?地獄ですか?もし極楽ならその人は利己主義者ですよ。地獄へ行って、苦しんでいる人々を救い、鬼達を改心させるようにするのが菩薩ですよ』と。この菩薩行を瀬谷さんは行っておられるのであろう。映画の『すべては愛のために』の主人公も世界の子供を救うために活動していたが、それらの方々の博愛精神はすごいと思った。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
 2009年5月13日のブログは、「運命を獲得する (2)」です。個人の運命に関してのイスラーム的考え方の考察を行っておられます。この御文章の中で、映画『アラビアのロレンス』のことを書いておられます。英語の会話まで覚えておられるようです。驚きました。私はもう一度この映画を観てみたいと思いました。
 そして、イスラームと生長の家の御教えの共通点を述べておられます。皆様、必読です。

*今日から出雲短期練成会です。どうぞ宜しくお願いまします。

 中内 英生 

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May.14.2009「職業 武装解除」

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今日の詩::イカ釣りの 灯りともるか 春の海
隠岐の島に来ているが、ホテルの前の港に幾艘かの小舟が浮かんでいた。灯りの数が違うなあと思って観ていたが、ホテルで花の世話をしている女性に聞くと、たくさん電灯があるのがイカ釣り船で、そうでないのが蟹漁やあじや鰯などを捕る船だという。なーるほど!

 武装解除が職業であるという人のを初めて知った。自分で会ったわけではないが『プロフェッショナル』(2009/4/27)で知った。「瀬川ルミ子」さんと云われる方だ。武装解除のことをDDRというらしい。『すごい仕事があるものだなあ』と感心した。私たちは『国際平和信仰運動』を担当させていただいており、唯一絶対の善なる神を信じ、その神への信仰をお伝えすることにより、世界平和を持ち来そうとする。この人は、そのような信仰を持っておられるかどうかは分からないが、別の方法で世界平和を持ちきたそうとしていた。頭が下がる思いがした。

 彼女はかつて国連職員であり、スーダンの内戦に遭遇した。内戦が終息し、約18万人の兵士を社会復帰させるのが任務だった。スーダン内戦は、1983年北部のイスラム勢力と南部のキリスト教勢力の間で勃発した。ものすごいことで、20年余りで約200万人の生命が失われたという。
 4年前の2005年1月、南北包括和平合意が成立し、武装解除に応じる合意がなされた。しかし、長年戦ってきた兵士の社会復帰は容易ではなかったという。

彼女は言う。
『私たちがするのは、現場で実際に直接、元兵士とかコミュニティと関わる部分なので、そこを含めて重点的に見ようと思っている』と。

 兵士は最後には自分の村に帰る。その村の状況は彼らが帰ることができるかを確かめる。また帰るにはどうすべきかを調査する。実際に村に行って元兵士達が帰るための戦略を練る、という。
 或る兵士は、自分の村が盗賊に合い焼き討ちされたところへ帰るのだそうだ。そこへ帰って元兵士達は喜んで受け入れてもらえるのか?
 彼女は村へ行って聞き込み調査をした。あちこちに焼けた家があった。
『村の主な収入源は何ですか?』
『私たちの収入源はほとんどない。土地は痩せている食べ物がない。種もない。産業といえるものは何もない』
しかし、彼女は大事にしている流儀があった。それは、『目の前の現実に、答えはある』というものだった。

 この村は手作り煉瓦をたくさん作っていた。何にするのかを聞くと、「学校を建てるため」だという。焼き討ちはされたが、建物の復興は始まっている。建設に関する技術を元兵士に与えて村へ帰すと村は喜んで受け入れてくれるのではないだろうか。

 彼女は睡眠時間は4時間足らずだという。昔、読んだ谷口雅春先生のご著書で、「青年は睡眠時間は少時間でよい」と書かれていたように思う。多く睡眠をとるのは世界平和への熱意が薄いからだというような意味の御文章があったと記憶している。『厳しいなあ』と嘆息した記憶がある。精確には覚えていないのだが、それを読んで以来、私は睡眠時間が4時間は難しいので5時間以内に抑えてきた。最近は睡眠時間の効用も理解しはじめたので少し長めにとっているが、数年前までは5時間以内に抑えてきた。しかし、彼女は4時間足らずである。すごいことだ。

 スーダンでは道行く人々が銃を持っている。南北の境界線付近ではそれが目立つという。市民が武器を日常的に持つと危険だということをインタビューで答えた人がいた。喧嘩になるとすぐに銃に訴えるということだろう。そこには憎しみの連鎖しかない。その連鎖をうち破ることが大切だ。すなはち心の武装解除を行う。

 この国は水不足が争いを生んできた。昔の農業国日本の稲作での水の争いのようなものよりもっと酷いだろう。それは生きるための水である。彼女は政府に井戸を掘るように提言した。
 元兵士達からじっくりと話を聞くことにした。内戦で疲れ果てている。内戦が終われば兵士達は使い捨てとなる。将来に対する不安でいっぱいになっている。
しかし、彼女は「人には道を切り開く力がある」と訴えている。
『人生は自分で変えられる』ことを!

 これは生長の家の御教えと酷似しているのではないだろうか。自分の内なる可能性を無限に信じることが、能力開発には必要である。
5月12日の総裁先生のブログには、イスラームの運命に関する考察を行っておられる。私たちもじっくりと考えて参りましょう。
(続く)

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  2009年5月12日のブログは、「運命を獲得する (1)」です。イスラームの運命に関する考え方の考察です。『聖典「クルアーン」の思想』や『ハディース』を参考図書としてご紹介しておられます。余力のある人は読んでみましょう。尚、総裁先生の御文章にコメントをされた人はありますか。私のブログもそうですが、双方向のコミュニケーションがさまなまな良き変化を生んで参ります。

*今日は午前は先祖供養祭だった。勿論隠岐の島です。ますます良くなります。
 
 中内 英生

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May.13.2009「久しぶりの隠岐の島

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今日の詩::夕凪に 浮かぶ小舟に カモメ舞う

 今日は、隠岐の島に来ている。何度か足を運ばせていただいたが、少しずつ伸びる機運が盛り上がりつつあることを感じる。まず、生長の家の御教えを充分にご理解していただくことだろう。理解できれば、覚仏となり、理解すれば動かずにおられなくなって行仏となる。隠岐の島の方々の純粋無雑な信仰が素晴らしい。

 幸いにして、ここでは海道さんと云われる方が元気で活動しておられる。その方に続く人が何人もいらっしゃるので、将来が楽しみである。
 明日は、先祖供養祭があり、単発的ではなく一年間続けて行くうちに何か善い形ができあがって行く筈だ。腰を据えてじっくりとお伝えして参りたい。地元の方々が、喜びに満ちあふれ、生活に真理が行じられて幸福になり、その溢れる幸福感が周囲に伝道となって展開していく。
 御教えが伝わっていく一番良い形がこの隠岐の島で展開して行くのではなかろうか。常に「チャンスは今」である。

*今日は、相愛会のホームページが開設されたようである。ホームページは更新が大切ですので、皆様、情報やコメントを投稿いたしましょう。白鳩会と青年会も開設しています。コメントを投稿しましょう。携帯でも投稿可能です。

*現在、このブログともう一つ「中内英生の繁栄ブログ」と「英文ブログ」を立ち上げているのですが、残念ながらなかなか進みません。しかし、時間を作って、島根の皆様のお役に立たせていただけるように努力してまいりたいと思います。繁栄ブログは、男性のためです。英文ブログは、青年のためのつもりです。もう一つ開設したいのは、「教育ブログ」です。これは女性用です。

 中内 英生

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May.12.2009「画家片岡球子」

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今日の詩::集い来る まめ人の目は イキイキと

 画家である片岡球子さんという方の番組を見た。最近は日曜美術館というのを時々見ている。これも総裁先生からの影響である。番組は2009年5月10日の放映のものだ。この人の自由な絵に感動した。さて、番組の内容であるが…。

 彼女はかつて「ゲテモノ描き」と云われた画家のようである。長寿で103歳まで生きた。画業を80年間続けられた。型破りの画家だったらしい。「枇杷」が初めて入選してから、その後になかなか入選が果たせなかった。横山大観のグループにいたので日本画的な表現にはなかなかついていけなかったらしい。彼女の絵は描きたいものを描くというものだった。絵そのものに生命力を感じる。「めでたき富士」という96歳の時の絵は、富士山のそばに青い太陽が浮かんでいる。
 当時、余りにも入選しないので、彼女は飛び込み自殺を考えたこともあったようだ。そして、東京にいた彼女は故郷のいいなずけに手紙を出した。「どうか、縁が切れたことにしてください」と。
 所属する会の流儀とは違い、自分流の描き方をすると落選するようだ。彼女が自分の流儀を通したところに落選の理由があったようである。

 そのころ、彼女の絵が日本画の重鎮といわれる小林古径という人の目に止まった。
「あなたの絵は、私が考えてもゲテモノだよ。だけどもゲテモノでいいから、自分の主義主張を変えないで、自分流に勉強していきなさい。今に、知らない間に薄紙を剥ぐように何か変わった所へポンと出る日が来る。その時からあなたの絵は少し変わってくると思うから、何十年かかってもその座から滑り落ちてはいけない」と、ご注意を頂いたという。

 彼女は言う。『天下の古径先生からそういう良薬をいただいたので大変有難いと思って、ただ今も感謝しております」と。
  彼女の才能を認める古径先生の言葉が片岡球子に描く勇気を与えたようだ。悩みの中の彼女は勇気づけられた。そして、それから彼女は自分の絵を強く貫いていった。

 彼女の絵は背景にも焦点を当てている。遠近法や構図にとらわれない絵だ。全国を回って描いたスケッチがある。写生旅行もやっている。
 ある時、富士山を描きに行った。すると雲の中から富士山が急に現れてきたので、片岡は感動して絵にならなかった。そして何もせずに帰ったそうだ。いつも彼女を写生の場所まで乗せていくタクシー運転手の言葉である。
  彼女には、「終わり」がない。常にこれでいいという満足をしない人だったようだ。
彼女の絵は、色彩も、組み合わせも思いのままだ。
 彼女は言う。
『他人が私の富士山の絵を見て、病気が治るように元気づけられたり、豊かな心になってくれたらいい』と。
『いつか富士山に褒めてもらえるように、祈りを込めて書き続けた』という。

 彼女の絵の大胆さには驚く。しかし、すべて計算の上に描かれているという。そして彼女は感じたままを見えたままを描いていく。
 1984年79歳から、『面構』というシリーズに挑戦する。
江戸の浮世絵師とか、足利尊氏とか、さまざまな人間の顔を描いている。彼女の尽きることのない情熱が絵から伝わってきた。
 80歳を前に、自分の苦手な分野にも挑戦していったという。100歳まで描いている。

コメンテイター氏が言っていた。「苦手の連続が作品を生み出す」と。
諦めることなく自分を貫いて描き続けた。彼女の笑顔は実に無垢な表情をしていたという。
最後に『天に献げる地上の花』というテーマの絵を紹介していた。

 私は、この番組を見て、片岡球子の描き方が素晴らしいと感じるようになった。聖使命会取扱者の方々へ絵封筒を描く予定だが、彼女の絵を見て勇気が湧いてきた。
実際の絵は、インターネットで見て下さい。
http://www.oida-art.com/nihonga/kataokatamako/kataoka.html

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  2009年5月11日のブログは、「矢印探偵は行く (4)」です。このシリーズはこれで終わっております。

*今日は、午前が会議、午後が学習会の講話「実相と現象」、そして、聖使命会員感謝奉納祭(この時、組織会員も祝福している)、夜は、受験勉強会だった。少しは多用な一日だった。明日は、朝から隠岐の島へ行かせていただきます。

 中内 英生

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May.11.2009「ルーシーの器」

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今日の詩::冷蔵庫 入れしミカンの 皮ヒヤリ
*温度が高いので、外に出しておくとすぐにダメになるので、冷蔵庫に入れていた。あと三つで完食である。

 ルーシー・リーの器は、モダニズムに基づくシンプルな形態と極限まで削ぎ落とされた装飾が特徴といえるそうです。ルーシーの静寂なときを刻むような器はロンドンで高く評価され、88歳で病に倒れるまで豊かな表現力に培われた作陶を行ったといいます。現代、日本の陶芸家に多大な影響を与えているとしています。さて、彼女の事について調べてみたのだが、NHK番組でも彼女をことを放映していた。

 三宅一生というデザイナーの人が日曜美術館(2009/4/26)に登場していた。彼がルーシーからプレゼントされたという陶器のボタンを紹介していた。そのボタンの何と味わいのあることか!
 ルーシー・リーはウィーンのユダヤ人家庭に生まれたという。最初、三宅さんは、「リー」と名前があるので中国か韓国の人かと思ったそうだ。
 彼女の陶器には力強さと彼女の心が現れているという。彼女はロクロを使い、手で形を創り出す。20歳の時、ウィーン工業学校へ入ったが、その後陶器作りの道に入っているころ、ナチスドイツの迫害が始まった。そこで彼女はイギリスに逃れたという。

 三宅さんは、『小さな女性だが笑顔がきれいな女性』と言っていた。質素で自分を律してきたという人格である。イエス、ノーのハッキリした人で『イエス』は小さな声で、『ノー』は大きな声で答えたという。
 三宅さんがイギリスのロンドンでルーシー・リーさんを訪ねたとき、紅茶を出してもらった。帰るとき、何と、三宅さんが一番気に入った白の器を下さったという。白はルーシーの色らしい。彼女は『日常の中に美を求めて』、器を作っていた。

 『私は器を作っているだけなのよ』と、彼女は言うが実に美しい器である。ルーシーにも一時、迷いが生じた時があるようだ。その時の、彼女の作品はルーシーらしくない作品になっている。バーナード・リーチという男性の陶芸家が大きな窯で焼き迫力ある作品を生み出していた。ルーシーは彼を尊敬していた。彼はルーシーに言った。『あまりにも薄すぎて、陶器らしくない。人間味がない』とリーチから酷評されて、ルーシーは模索を繰り返した。
 リーチを真似た厚手の陶器も試した。しかし、うまくいかなかった。そして、10年かけてルーシーの手は自分らしい形を探り当てた。

 透けるように薄く、しかし凛としたルーシーの器。探り当てた形をリーチは認めた。リーチはルーシーを評価した。
『古今、いつの陶芸家のどんな直接的な影響も受けない。その自由こそ、彼女の作品の本質となっている』と。
 女性の陶芸家は女性らしい作品を作る。かつて石川県にいたとき、陶芸家の九谷焼きの陶芸家の一覧表を見ると、女性の陶芸家がいたことを思い出す。

 ルーシーが製作に使っていたのは、小さな電気釜だった。それをマンションに置いていた。リーチの大きなのぼり釜と違って、電気釜ならば都会のマンションのアトリエで一人で扱うことが出来た。
 彼女はその製作の中で、釉薬(ゆうやく、うわぐすり)の実験を繰り返したという。彼女は言う。
『すべての新しい作品は、新たな始まりである。私はいつまでも生徒であることを止めないだろう!』と。

 彼女は、自分がやりたいことをどんどんやっていく。そして、いつも新しくなりながらである。
 三宅さんは、その製作の形を説明した。『7-8年は最初は認められないが、レベルアップさせていくので、世間から認められるようになる。しかも孤独ではなく、素晴らしい友人を持つことが出来る。

 ルーシーは逆境にめげない精神を持っていた。それが製作した形に反映される。
三宅さんも自分の仕事について、語っていた。『作り手半分、着手、半分です』と。
従って、作る人と使う人、または鑑賞する人がその価値を作り出すということだろうか。
三宅さんは、ルーシーの器を見て、『宇宙がそこにある』と感じたそうだ。
ルーシーに対する感想も述べていた。『懐かしい友達に会ったような気がする』と。 

 彼女は実験と発見を繰り返してきた。1995年に彼女は亡くなった。遺言に、『大切な友達、三宅一生さんに送りたい』とあり、陶器の贈り物を関係者が送ってきた。
 私はこの番組を見て、最高のものを求め続けている人はお互いに理解しあうということを知った。また、自分本来の形があり、それを求めていけばよいということも教えられた。

 私は、飴色の大樋焼きの湯飲みを持っていて、それがお気に入りだが同じお茶でも器が良いと味が変わるようにも感じるのだが…。

*今日は実に静かな日だった。ISOの職員会議を行った。島根の信徒の皆様、「島根神性表現ネットワーク」の「島根教区青年会」からアクセスして、コメントを書きましょう。

 中内 英生

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May.10.2009「大山捨松とは?」

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今日の詩::軒を借り スズメ宿とる 夏はじめ
 今日は、軒下に5羽らしき雀の後ろ姿が見えていた。また昨日、子供が巣から落ちた小雀を拾ってきたが、残念ながら今日、永眠したようだ。そこで子供たちは『甘露の法雨』を読誦して冥福を祈り、雀を葬ってあげたらしい。

 NHK番組で「世界と出合った日本人」として、「大山捨松」さん(1860-1919)のことが放映されていた。(2009/4/26)
 彼女は会津藩にいた時はまだ乙女だったが、官軍の攻撃を受け、城に立てこもって鉄砲で応戦した。彼女は鉄砲術の名人だったそうだ。時代は明治に移り彼女は変身する。そしてアメリカのニューヘイブンへ留学した。ベーコン牧師の家庭で生活し、国から年間、現代の金額で言えば一千万円の費用を出してもらい、日本は最高の教育を受けることを要請しそれを実施した。ベーコン家には6年間、世話になった。末娘のアリスさんとは生涯の友となったという。

彼女は、学校の卒業演説で、当然ながら英語であるが、イギリスと日本との不平等条約について演説し、イギリスを批判した。その堂々たる論旨と演説にマスコミは感動したと書かれている。当時から彼女は祖国日本に尽くしたいという思いが強かったようだ。

 彼女は大山巌(陸軍大将)と結婚し、何不自由なく生活できるようになったが、社会に貢献したいという気持を抑えることができなかった。そして、明治17年6月、日本最初の『慈善バザー』を行ってそのお金を病院に寄付して大きな反響があったという。
 バザーに関しては、教化部や組織の費用の足しになるように行った経験はあるが、慈善事業が本来の出発点であることを初めて知った。この考えで行くならば、バザーを行い、その収益をグリーン電力に寄付するとか、世界の子供の福祉の増進の為にユニセフに寄付するなどを行うことが、出発点の大山捨松さんの主旨に合うようにも思った。

 当時、同じ留学生仲間だった津田梅子さんは、日本の女子教育のために津田塾大学の創設を志したが、その事業に大山捨松さんは協力している。そして、当時、大学にアメリカの家庭でお世話になったベーコン家の娘のアリス・ベーコンさんを大学に招いて教鞭を執ってもらったとしている。

 大山捨松さんのいた会津藩は、松平家が治めるようになってからだが、有名な保科正之を藩祖として、最後の城主が松平容保だった。彼は幕末に於いて白虎隊など壮絶な戦いを繰り広げ、その末に官軍に降伏し、しかし許されて明治の世に一般人として、東京市で亡くなったという。会津藩出身の人には、例えば映画『バルトの楽園』で描かれた松江豊寿さんという徳島県の板東俘虜収容所長など、色々と富国強兵に走る明治の中にあって人間味溢れる生き方をした方がいるようだ。『バルトの楽園』は第一次世界大戦後、ドイツ人俘虜達に人道的かつ寛容に接し、地元住民とも交流させた実話を題材に映画化したものである。

 元に帰るが、大山捨松さんは、日本で女性が社会で活動するようになる初期の方々の中の一人であるようだ。
 生長の家はまだ日本には出現していなかったので人間神の子の宗教的自覚はなかったとしても、祖国日本に尽くしたいという強い思いが、彼女に素晴らしい能力発揮をさせたと考えられるのではないだろうか。現代は、生長の家のみならず、一般社会でも大いに女性が能力を発揮しておられる。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
5月8日は、『矢印探偵は行く(1)』、5月9日は、『矢印探偵は行く(2)』、5月10日は、『矢印探偵は行く(3)』です。総裁先生がご多用な中でも自由自在な創作意欲を持たれ、能力発揮をしておられるお姿に神の子の生き方を学ばせていただけます。楽しく読ませていただけます。どうぞ、拝読下さい。

*今日は、教育講演会があり、多湖周子本部講師がお話になられた。皆様、非常に感動しておられました。きっと、この講演会を機会に、生命学園が増加するでありましょう。

 中内 英生

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May.09.2009「王貞治監督」

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今日の詩::夕暮れに わが家に泊まる スズメあり

 王貞治監督を知らない人はいないと思うが、王さんに関して、『王貞治監督のメッセージ』(2008/11/29)としてNHKで放映されていた。世界一のホームラン王としての貴重なコメントが数々あったのでご紹介する。

”『結果は自分で掴め、プロは徹底しなくてはならない』、というのが彼の信念である。しかし、徹底しても結果は必ずしも出ないが、結果を出すチャンスが出てくるという。”

  練習をしない限りチャンスも出てこない。ともかく練習し、”集中力”を付ける以外になりようだ。私たちにとっては『神想観』は集中力をつけるのに最適であろう。
”この一球は二度とない。”これは若手がミスをした時に発した言葉である。次の言葉がすごいと思った。
『プロはミスをしてはいけない。人間はミスをするもんだ、と思っている人は、必ずミスをする。俺は人間だ、なんて思ってはならない。プロというものはミスをしてはいけない』と。
 確かに人間はミスをするものだと思っていると、潜在意識が甘くなってミスを許すようになるのだろう。
 王監督は若手に厳しい面がある。その厳しさの裏には野球選手として成功して欲しいという願いがあるからだという。
 彼は言う、『若手の育成が急務だ』と。これは生長の家においても、どの団体においても云えることなのではなかろうか。
 王監督は、かつてご病気をされた。そして手術を経験している。『自分は無限だ、と思っていたが、病気をして自分にも限りがあると思った』という。そして、選手達へ伝えたいものがあると切実に思うようになった。

 『悔しいとか、怒るとかを見せないと、勝利の女神が見ていても思いが伝わらない。勝利の女神は一所懸命にやっている人にこそ微笑むんだよ』と彼は言う。

  昭和34年、王監督はプロの選手となった。しかし、なかなか打てなかった。そこで「オウ、オウ、三振王」と野次られたらしい。そして彼は、一本足打法に挑戦したという。家の中の畳の上で打法を練習し、自分が納得がいくまでバットを振り続けた。明け方まで練習が続くことも屡々だったらしい。それをコーチしたのは、荒川博さんというコーチである。彼は述懐する。『畳を随分破けました。一日一枚ずつ破られた。それだけ稽古をやった。何百本か、何千本か分からないくらいバットを振って朝まで練習をやったことが幾らでもある』と。
 そこまで聞いた時、どうやら天才とは練習を続ける力のある人のことを云うのではないかと考えてしまった。

 妥協を許さない練習量、練習方法。その中で王選手は一本足打法を自分のものにしていった。
 一本足打法は、王の意思の強さで完成した荒川さんはいう。
王選手は言う。『結果が出るまで頑張るのがプロの務めである』これは王選手が自ら掴んだ信念である。
『プロというのは、トコトンやらなくてはいけないんだ。徹底しなくてはいけないんだということですね。もう一つは、どう取り組んだかということよりも、結果で判断されるということです』と。これは厳しい言葉だが、プロは厳しいのが当たり前である。
『この二つのことですよね。だから選手達には徹底して強化、それから自分が前進するというか…。
私は野心だとか野望とかいう言葉を使って話ましたけどそのくらいの思いもないとね。みんな同じようなレベルの人が何かを得ようとして頑張っているのですから、普通の人と同じことをやっていたんでは、そこまで到達できないんですよ』と。教えられる言葉ではないだろうか。 

 そして、かつてないホームランバッターの誕生である。その秘密は磨き抜かれた技術だけではなかったようだ。巨人の外野手として活躍していた国松あきらさんは、王選手の打席での気迫、精神力を間近で見ていた人だ。ピッチャーのボールが手から離れるまで見て凝視している。その精神力がホームランを生み出していた。

王選手がノートにビッシリと色々と書いていた。少し紹介しよう。類い希な集中力を生み出した言葉である。集中力の勝利といえる。
◎バットは傘を持つが如くにもつ。
◎ボールをとらえるミートの瞬間にバットの早さは最高に。
◎打席で集中するための心構えは、よいことも悪いことも忘れてボックスに立つこと。
◎こちらが待ちかまえている所になげ込んでくるのだから訳がない。
◎ボックスに於いては自分は世界一だと思う。
◎この一球は二度とない。

 島根の信徒の皆様、王選手のノートの中身です。記録や天才は、偶然の産物ではないようです。練習に次ぐ練習の積み重ねで天才は生み出されるようです。生長の家では、無限力を出す秘訣は、①無限力の自覚、②百練千磨、③大調和、です。そうです。あなたこそそそれができる天才です。

 王さんは、68歳で現役を引退された。昭和34年のプロ入りから50年の歳月である。引退の時の、挨拶が心を打った。

『95年以来20年間、ユニホームを(ソフトバンク)着せていただきました。大変、幸せでした。体調不良のため、思うように勝てなかったのは、すべて監督の責任でございます。強く強く責任を感じております』と。

チームリーダーの小久保選手は、王監督から「勝つことがすべて』という言葉を教わったとしている。王選手が指揮官としての責任を強く感じて引退されたが、どこへ行ってもそれまで獲得した個性は消滅するわけではない。その後、WBCの名誉監督として、再び勝利することになる。まだ、かなり続くのですが、長いですので王貞治監督に関してはこれで終わらせていただきます。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
   2009年5月 7日のブログは、「映画『スラムドッグ$ミリオネア』」です。インド生まれの作家の小説を原作にして、イギリス人監督によるインド人の映画のようです。あらすじが書かれています。Tジョイにはまだ来ていませんでしょうかね?。

*今日は、地方講師研修会と総会が行われた。素晴らしい雰囲気であった。常に研鑽を続けていると必ず道が開けるものである。前述の王貞治選手のようにである。

 中内 英生

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May.08.2009「繁栄その三」

Img041 May.08.2009「繁栄その三」
今日の歌::永休み 今日で終わりと スズメ鳴く
*昨日は木曜休日だったので随分と休んでしまった。休んでもほとんど普段と同じように仕事らしいことをしているので、ペースは変わらない。少し違うと云えば子供と過ごす時間が多いことでろうか。有難い極みである。
 昨日に続いて、『新版 生活と人間の再建』の繁栄関係の学習です。

○たとえば此処に或る豪商があって多数の商品を倉庫に所有しているとする。ところが時局の影響を受けて商品の価格が暴落しはじめたとする。するとその豪商が驚いて「損失」の観念を心(潜在意識)に思い浮かべる。するとその潜在意識の「損失」の観念が、内在せる潜在意識面に落ち込んで行く。潜在意識は「損失」の観念を受けると反射的に「恐怖」の感情を惹き起こしてそれに対応するためのエネルギーを混乱した状態で内部から爆発さす。その内部の混乱した爆発力で其の人の行動が支配されるために、その人は周章狼狽して、倉庫の中の商品を安い値段で叩き売る。その同じ時局的環境の中にいながら、或る人はそれを好機会として、恐慌状態で投げられている商品を極めて有利な条件で買い占める。そして巨富を作り上げるのである。恐怖と云うものは潜在意識から発現したエネルギーの混乱した爆発であるから、理性的なものではない。従って事件に処して適当な判断をするものではない。しかし、「損失」や「敗北」や「病気」を現在意識が描いて潜在意識の鍵盤を叩く限りは、潜在意識の琴線(ピアノせん)は「恐怖」の音調を奏でるほかはないのである。だから恐怖の感情を奏でないためには、現在意識が「損失」や「敗北」や「病気」を描かないようにすることが必要なのである。
(235頁1行目から236頁2行目)
◎現今の金融恐慌と云われているものには、上記の要素が多々あるのではないだろうか。 それに対して、繁栄の道を歩んだ人で、『メガネの○○』を創業した奥出雲の多根良尾氏などは報恩感謝の経営をしていたのではなかろうかと考えられる。地元の信徒さんにお聞きした話だが彼の父親は、かつて放浪の旅を続けていたらしい。奥出雲にたどり着き、ある神社で宿泊を申し出る。一泊して出ていこうとすると、神主の奥様が彼の余りの服装の汚さに、クリーングを申し出てもう一泊するようにさせた。彼はそのお礼にと色々とできる限りのことを行い、特に「神さまのみ印」一つ一つを神主さんが書いていたのを、金属の印を作って焼き印?によってすぐにできあがるようにしてあげた。そうしている内に信頼を受けて、その地に定着したという。そして男の子ができた。その子は若くして、都会に就職しているうちに会社の仕事の余暇に時計?の修理を奉仕で行うようになった。そして独立する。しかも地元を出るときに、地元の荒神さまのお社の修復を決意して、事業が成功したら修復させていただくことを祈念して旅立ったという。その結果、全国に展開する、「メガネの○○」となったとお聞きした。やはり、地元への報恩感謝の思い、そして無償の奉仕がここまで事業を成功させたと云えるのではなかろうか。
 また、今回の全国幹部研鑽会や青年会全国大会で総裁先生が、実相の世界に波長を合わすと共に、高級霊の霊波のお導きを受けることをご教示くださったが、地元の荒神さまのお導きがあったのかもしれない。

○人々は時々物質の誘惑に会うのである。殊に光明思想を知って、人生が心で支配し得ると知るようになるとき、その心の法則で利己的に「物」を集めたくなったりする。斯くの如き誘惑は無論退けなければならない。「人、全世界を得るとも魂を失わば何の甲斐かあらんや」である。
(280頁4行目から7行目)
◎御教えによって救われた事業家はそのご恩返しを神さまに対して行うことによって、さらに繁栄することができるのでありましょう。家の繁栄も同様です。生長の家の説く繁栄の原理は、誰でも行うことが出来る方法です。若いときに、神田の古本屋で『繁栄の書』という谷口雅春先生のご著書を入手しましたが、如何に正しい真意に基づいた繁栄と云うことが大切であるかを教えていただいております。

○結局、最後の結論は、努力しただけの価値を得ると云うことである。人生は貴方の内に宿る「無限の宝庫」から如何にすればよりよきものを引き出し得るかを実験するための研究室であり、それを実験している間に沢山の幸福な楽しい収穫を得るのである。これは自然科学者が自然の法則を試験する時と同じように勤勉且つ忍耐強く「心の法則」に従って実地に試みるその努力の程度に従って新しき発見や新しい富源にぶつかるのである。
(328頁8行目から13行目)
◎『富源』という言葉があることを初めて知りました。ともかく努力なくして繁栄無しであります。
 世間一般の話で申し訳ないが、かつて宮城に行ったときに、「おでん三吉」というお店にいった。そこの人が当時生長の家を信仰しておられた。話によると、宇多田ヒカルさんのお母さんである藤圭子さんが幼い頃、流しの芸人をしていた両親と共に仙台にきたという。宿泊するお金がないので、土間でよいので泊まらせていただきたいとお店に申し出た。当時は、「おでん三吉」という屋号になっていたかどうかは知らない。御主人は気持ちよく泊めて差し上げた。そして翌朝、親子はお礼を言って立ち去ろうとしたのだが、御主人は奥様に、商売で得たお金を差し上げなさいと、奥様に追いかけさせた。その真心に感謝して、一年に一度、感謝報恩の思いでその店にお出でになられるという。絵に描いたような美談だった。”おでん三吉”をインターネットで検索したが、大いに繁栄しているようだった。真心はどこでも生きてくる。私たちに必要なことは、お金を儲けるということではなく、人を生かすと云うことでありましょう。お金はそれに付いてくると思われる。

○実業界に於いて永遠に行われている所の競争や、買い占めや、投げ売りや、それから起こる恐慌や、逼迫は戦争中に行われる無慈悲な残忍な状態に比すべきものがないでもない。如何なる慈悲も容赦も弱き者に対して示されないのである。大会社は弱き中小会社を容赦なく壁に押し付け叩きつけるのである。斯くの如き酷烈な状態に於いても「神は我が護りであり、我々の力である」と云う信念は我々をついに救って呉れるのである。
 恐怖心の克服
かかる残忍なる社会的経験、倒産、実業に於ける失敗等は時として我々を神経的恐怖症に冒さしめることがあるものである。名状しがたき恐怖心に苦しむことは実に耐え難き苦しみである。
(239頁の13行目から340頁の10行目)
◎事業経営や人生を生きることは詰まるところ、人間が行うのであるから、基本的な繁栄の原則を実践すれば必ず成功し、繁栄することになる。私たち信仰者にとって何よりも大切なことは、神との一体感である。神との一体感を持ちながら人を生かす道を行うとき、家庭は、事業は栄える以外にない。

○総ての恐怖と失敗の原因は、神との一体感の欠乏、又は神の性質(愛他)がわが内に欠乏せるに依るのである。それ故にその救治法は明らかである。愛他の心を深く起こし、自己を挺身して他を救う心になることである。自己を護る心は恐怖心の原因になるのである。そして「神の愛われに流れ入りてわれを満たしたまう」と念じて、自己の内に欠乏せる所の神の愛を自己の内に満たせばよいのである。
(341頁10行目から342頁2行目
◎『アイデアは愛である』と言った人があるが、決して言葉の遊びではない。智慧が具体的なアイデアとなって展開する。しかし、良い儲け話はないだろうかと考えてもうまくいかないであろう。それでも、うまくいった後も、神さまへの感謝と報恩の思いを持たない限りは長続きしない。私たちが求めているのは、永続性ある繁栄ではないだろうか。
 私の友人で事業を行っている人がいるが、彼は事業が発展して新社屋を建設したとき、二階を生長の家の道場にして、信徒さんに使っていただくようになった。神さまへの感謝を忘れない経営は、自分をして毎日の感謝の祈りと社会へ奉仕に向けるのである。自分の家屋を提供して真理の学びの場とすることを房舎施というそうである。

*これで一応、『新版 生活と人間の再建』の繁栄に関する学習は終わりです。島根の信徒も皆様、三日間、お付き合い有り難うございました。

*2008年11月3日にNHKで放映された「大統領の演説」という番組を見たが、感動的だった。特にオバマ氏の演説は素晴らしく感じた。DVDがありますので、見たい人はお貸しします。但し、島根の方へです。

 中内 英生

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May.07.2009「繁栄その二」

Img042 May.07.2009「繁栄その二」
今日の歌::蚊は飛びて 空中遊歩 夏知らす

 今日は、昨日の続きです。『新版 生活と人間の再建』からです。

○吾々が真理にふれる時、そして神との接触が行われたと自覚された時、あらゆる方面に吾々の生活が輝いて来て、病は癒やされ、家庭は調和し、事業は繁盛におもむき、「行く所可ならざるなし」というような状態になるのが普通である。
(174頁3行目から5行目)
◎信仰を始めたときには、何事も都合良くいくのだが、仕事が忙しくなると神想観や聖経讀誦を忘れがちになることがある。そうすると心が企業利益にのみ集中して、お客さんを喜ばすという本来の企業人の使命感を失う場合がある。神さまに波長が合わなくなるといつの間にか元の黙阿弥になる。逆にそんな時こそ、信仰的な再起を図る良きチャンスとなる。神に使わされた商売人とななり、神さまの番頭であるという自覚が戻ってくる。

○吾々が金銭を大切にしないならば、金銭は吾々を大切にしないであろう。
(189頁10行目から11行目)
◎大金持ちでなくても小金持ちさんでもお金を大切にする人は多い。ある人は、毎晩、お客さんから頂いた紙幣を、アイロンで引き延ばして翌日使ったという話がある。硬貨を磨いたと云う話はまだ聞いたことはないが、大切にすると、金銭は大切にしてくれる所に集まると考えられるので、金持ちとなるのである。

○多くの富める人の生活につきまとうものが、家族の病気や、家庭の不調和や、団体と団体との面白くない葛藤等によって起る不幸であるということは、その冨が他から幸福を奪った結果得られたような部分があるからである。
(190頁10行目から12行目)
◎人をだまして得たような冨は、逆念を受けて事業がうまくいかなくなる場合がある。それは念の世界を浄化していないからだ。限りなく相手を喜ばして祝福して相手の方からお礼にもってくるような冨は永続性があると考えられる。
 私の知っている或る事業家は、色々な形で他人に捧げて、しかもその利益を神さまにも大いに捧げながら、繁栄を持続している人が多い。

○無限循環の法則について
豊かに与えるに従って、神は豊かに与え給うのである。
(195頁2行目から196頁10行目)
◎私たちが他人に与えると云ってもそれは自分のものではない。考えてみるとすべて神さまが作られたものである。神さまから与えられたものを、次へ回すだけのようである。神さまは、個人が冨を独占する為にはそれを与えていない。循環をこそ、望んでおられる。従って、自分を通しての無限循環をこそ私たちは祈るべきであろう。竜巻が起きる時、突如として空中に真空が発生する。その理由はまだ分からない。その時、真空に向かった空気が流れ込む。これが竜巻となる。私たちが、神の愛で以て、誰かに与えたとき、心の中に真空(無我)が起こるその真空に向かって神のイノチが流れいるのである。これを無限供給という。

○すべてのもち物はいわば神さまからあずからせて頂いているのであるから、放つといっても無暗に無駄に浪費せよということではないのである。
(197頁5行目から6行目)
◎「これは自分のものではない」とういう根本的自覚から、「預からせていただいている」という謙遜な気持が湧いてくる。従って、特に丁寧慎重に扱おうという慎みがでてくる。自然にそのもの、商品やサービスなどを大切に扱うようになる。それがお客さんの注文として返ってくるのである。

○冨は如何に使用すべきか
もし若干の金を持っていて何かに使おうとするならば、しばらく目をつぶって、「神さま、これはあなたのお金でございます。このお金をあなたはどういうようにお使いになられますか教えてくださいませ」と心に祈って、そして「神さまならこのように使うであろう」というように考えて、そのように使うのが、本当に「与えよさらば与えられん」の法則に叶う所の与え方であるのである。
(198頁1行目から6行目)
◎自分は手元に与えられている金銭を、神の御心に従って適当な方面に活用するために、神さまから任命された番頭であると考えることが必要です。自分のものであるという執着なしに、しかも他人のものだという「おろそかにする」という気持もなしに扱うと、自然にその番頭さんの所へ豊かな冨が帰ってくるという訳である。

○人に与えよといっても必ずしも金のことではないのである。又何か大きなものでなければならなぬことでもないのである。どんな小さなものでも、亦それが形あるものでなくても、吾々は真心からのおくりものを与えることができるのである。
(199頁5行目から7行目)
◎私たちが持っている聖典や普及誌を貸してあげたり、病人を訪問して励ましたり、道野辺の花をもっていってあげることも出来る。雨が降っているときに、傘に入れてあげることもできる。現在、島根で行っている写メール俳句は自分が神性表現をすると同時に、それを見た人にさわやかな喜びを与える。これは実に素晴らしい施しではないだろうか。

○そして折角、人様がしてくれる深切でも、一寸もありがたい気持で受けないで、人の欠点ばかり探して、自分ばかりを偉いものだと思って、感謝の心がないからそれでも下痢して天の恵みを受け入れることができないのだ。そういう人は温かい愛の心がないから、腸が冷えてどんな薬を服んでも下痢してとまらないのだ。その根性を治さない限りはいくら薬をのんでもその病気は治らないのだ。」
(203頁1行目から5行目)
◎これは長野県の木村周吉さんという人の指導体験の一節である。自分の気持ちはなかなか自分では気がつかないことが多い。それを指導で気がつかせてあげて、病気を消し、事業の低迷を消し、不調和を消すというのが生長の家である。その救済法の根本が、唯神実相の教えと、唯心所現の法則である。しかしどんな指導も、その根底に、神の愛と実相直視の精神が必要でありましょう。事業の展開に不安がある場合は、何か潜在意識の中に不安の原因があると考えられる。そんな時、是非とも練成会を受講して潜在意識の中を浄化して繁栄する潜在意識に転換してください。

○精神的おくりものの中にも特に大切なものは真理を施すということである。真理を知れば、健康も、冨も喜びも、調和も、あらゆる善きものが得られるのである。
(206頁5行目から7行目)
◎施しの中には、物施と法施を教えられている。物施よりも法施が尊いといわれている。だから物がなくても精神的な施しはできる。真理をお伝えすることが大いなる「与えもの」となる。少しも求めずに与えましょう。

○祝福する者は祝福せられる
(206頁9行目)
◎どんな時にも、多く与えた者が、多く与え返される。相手が自分に悪意を抱いていても、相手を祝福するのだ。なぜならそれが神の子の生きる道であるからである。そこから神の法則が自分を天国浄土へと運んでくれるのである。

○神は決して報いを求め給うのではないのである。けれど恵みを受けた吾々としては、神にその得たる所の一部分を感謝の意を以てささげかえすということが必要である。
(211頁3行目から5行目)
◎神は善人にも悪人にも平等に太陽の恵みを与え給う。神さまは無神論者にも平等にイノチを与え、心臓を動かし、光を与えて来られた。太陽の光は太陽から発するが、決して太陽に帰ってくることはない。そのように自分から何かを誰かに与えても、その人から与え返される必要はない。そう考えると、気が楽ではないだろうか。生長の家は自給他足、他給自足である。
 私たちは、神さまを冨を持ってくる便利な小使いさんと見るのではなく、受けた恵みを私たちが捧げ返すところの生命の本源であると見るべきであります。そこにこそ、無限繁栄の道があります。

*今日は昨日の「繁栄」の続きです。皆様、是非とも『新版生活と人間の再建』をお読み下さい。教化部にまだ在庫があります。

 中内 英生

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May.06.2009「繁栄の原理」

Img038 May.06.2009「繁栄の原理」
今日の歌::テッセンの 色鮮やかに 春歌う
*教化部に咲いたテッセンの色が実に美しいので詠みました。

 今日は、『新版生活と人間の再建』を拝読しておりますと、繁栄についてのご教示が多いように見受けられましたので、抜粋してみました。文章の前後は、このご本を購入してご精読してご確認ください。途中ですので、何度か書かせていただきます。ちょっと長~いです。悪しからず。

○富むことが貧しきものに対する搾取とならずして、富むことが貧しきものに対する豊富なる貯蔵庫となることができるのである。自分が豊かに実ることが、人類全体への祝福であるような美しき冨を築くことができるようになるのである。これは唯物論ではできないのである。唯物論を精算してすべてのものは神より来たり、神に交通することによってのみ、すべてのものが得られるという唯神実相論の世界観に立たなければならないのである。
(34頁4行目から9行目)
◎搾取と云うことは、現代に於いては環境に対することも搾取になっているのかも知れない。奪わずに繁栄するとことの倫理的繁栄というものがあるはずである。豊かなる冨がなければ貧しき人に施すことは出来ないだろう。自分が持つことは他を喜ばし、生かすためである。そのような冨が清まった冨でありましょう。しからば、聖使命会に入ることなどはその部類になるのではないでしょうか。(中内)

○善のみが実在であるから吾々を支えてくれるところの実在する力はただ善のみであるのである。善に支えられないものは結局は滅びるのである。吾々が栄えるところの原理は結局「実在」見出すこと、実在は絶対善であるからその善の上に生活をうちたてるとき、現象界にも真の善が出て来るのである。
(55頁の11行目から56頁の2行目まで)
◎永続する繁栄、持続可能な豊かさというものが大切です。一代限りで消滅するような繁栄は何と寂しい限りでありましょうか。その為には、多くの人のお役に立つことが大切でありましょう。例えば、村で何代も医者をしている人がいるとします。それは一つの職業であるかも知れませんが、多くの村人に喜ばれているからこと存続するのです。それは善を行うことによって実現する筈であります。

○「行動する」即ち「働く」ということは自分が働くこと進展することが「側をらくにする」という意味であるのであって、人のために設けることが自分もうけとなるのである。自分が富むことをそれ自身目的として望むのではないが、人を富ますことによって自分が富むのである。(63頁6行目から9行目)
◎ハタを楽にするのが働くである、とはよく聞くコトバです。設けるとは他人のために何かをしてあげることであると教えられています。例えば一人の人を喜ばして一円の収益があったとします。相手が一億人になりますと、一億円の収益となります。そのように多くの人のお役に立つことが必要です。しかも、さらにそれを神様の目的にも使うようにすればなおさら繁栄することになります。

○(前略)人に与えよ、されば汝らも与えられん。人は量(はかり)をよくし、押しいれ、ゆすり入れ、あふるるまでにして汝らのふところに入れん。(後略)(ルカ伝第六章第36節ー38節)
(64頁6行目から7行目)
◎与えるという行為が大切です。与えている人は豊かな雰囲気が致します。しかし、どんなに有名な人でありましても、人から儲けようとしている事業者はたくましさは感じられましても何となく人格が低いような気がいたします。事業や仕事に従事している信仰者である人々は、常に与える心と行動を持ち続けたいものです。

○まず吾々は「与えたる力とその反動とは等量である」というニュートンの第三法則がたんに物質界のみならず精神界にも、道徳的世界にも、経済的世界にも厳重に行われる事を知らなければならないのである。
(65頁11行目から13行目)
◎生長の家のクリーン・ウォーカーの先駆者は谷口清超大聖師であります。ご自宅から本部会館まで空き缶を広いながらご出勤されるお姿は仏菩薩のお姿でありましょう。島根教区でも相愛会の方々は、その登録をしておられる人が多く、それは「美的環境」を与えるところの仏施であります。菩薩とはそのような人のことをいうのでありましょう。

○職業は人類への奉仕と自己訓練のためである
人間は金を儲けるため職業を求めてはならない。人間が職業をもつと云うことは、(一)神の愛の実現のためーーすなわち、人類の幸福のために奉仕せんがためであり、(二)職業を通して自己内在の能力を喚び出し、それを訓練発達せしめ、自己教育を完成し、困難に面しても屈服せず、一切のことに行き届く注意力を養成し、兄弟同胞に協力することの喜びを知り広く深く人格を完成せんがためであるのである。報酬として来る金銭のごときは単なる人格完成途上の随伴的功徳であって、職業の主要目的ではないのである。如何にその報酬たる金銭の額が多くとも、捧げられる生活を送ることなく、金銭を目的として自己の労力を売るものは、それが肉体を「売る」点に於いて「売淫」と異ならないのである。(後略)
(81頁8行目から82頁5行目)
◎ここの所は少し長いですが、既に職業に就いている人も心すべきことであります。職業に就いていないときはどこか、精気を失いがちです。そのような時こそ、無償の奉仕を行ってみては如何でしょうか。職業がないと考えることも一つの考え方ですが、自己訓練の時間を神様から頂いたと考えることもできましょう。国家資格への挑戦など色々とできるのではないでしょうか。5月3日の研鑽会では若い女性の方が栄える会に入り、国家資格を取得し、見る見るうちに栄えていく体験談をされました。感動致しました。生きた信仰者とはこのようなものかと思いました。報酬は必要ですが、それ以上に自分は人々に何をもって奉仕するかをよくよく考えるこでありましょう。自分でなければできないこと。それは神様からいただいた個性でありますので、それを以て人類に奉仕する時、その結果として報酬が与えられるのでありましょう。

○自己の快楽をねがわず、人のために愛他行をつくしているとき、魂の法悦が得られるのは無論のこと、その法悦から来る無上の平和の心境がやがてその事業にも健康にも反映して楽園のような具体的生活を実演し得るようになるのである。すべての人間の幸福と不幸とは、自分自身が「内部神性」の導きに従っているか、従っていないかによって定まるのである。
(93頁1行目から6行目)
◎愛他行の功徳です。魂の法悦が感じられる時、商売のことを忘れて人のために愛する、祝福するという気持が出て参ります。その時、一般的にいうと、どうせならばそういう方と取引がしたくなるものです。取引先の方々や、社員やお客さんに感謝をすることが大切でありましょう。冗談ですが、お賽銭を投げたくなるような有難い雰囲気の人格になりたいものです。

○(前略)かかる家庭に於いて計画されたる事業には、生命が生き生きと働かないが故に、その事業には生気がなく自ずから衰退する外仕方がないのである。そこから色々の困難と災厄とが続出してくるのである。それは、その家庭の生活が生命の原理に背いているからであるのである。吾々はかくて生ずる一切の不調和を生活者自身の心の影として反省し、争いを調和に変え、憎しみを感謝に変え、執着を「真の愛」に変えることによってのみ問題は解決するのである。(後略)
(124頁13行目から125頁5行目)
◎夫婦の調和が大切です。生命の原理を生きたとき、家庭がまず栄える家庭となります。その調和した家庭人が事業を行うとき、仕事を行うとき、栄える仕事、繁栄する事業となるのは当然です。家庭で調和することは実に大切なことです。
 以前、ラジオ放送でお聞きした話ですが、谷口雅春先生が長期ご出張のあと、東京に帰えられた次の日は必ず奥様とお出かけになられたそうです。その時、地方からお出でになった方があっても面会せずに、出かけられたとのことです。先生は、『夫婦の調和が何よりも大切だからです』と述べておられました。大きな事業には夫婦の調和は欠かせないということでありましょう。

*コメントを◎印で書かせていただきましたが、如何でしょうか。このような時代であるからこそ、大いに繁栄の原理を体得して、持続可能な倫理的繁栄を実現しようではありませんか。倫理的繁栄とは、主に環境問題に配慮したという意味合いがあります。

 中内 英生

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May.05.2009「高級神霊のお導き」

Img039 May.05.2009「高級神霊のお導き」
今日の歌::アクアスは 熱気溢れる  こどもの日

 今日は、昨日の続きで最終回です。
「日時計主義」と「臭い物に蓋」とはどのように違うかを述べられた。日時計主義とは、神が創られた世界は完全であるという信仰から来る。悪いものを肉眼では見ても、まだ神の世界が映って来ていない、光が当たっていない、と思って観る。
 それに対し、「臭い物に蓋」というのは、本来見るべき現象から目を背けて見ないということである。
(逃げるということでありましょう)

『小閑雑感パート13』のP56「真象と偽象」を拝読された。
例えば、何かの影が映るとすると、その影が本物のように見えることがある。それが真象である。
(アナログテレビから、地デジになってから、遠近はないがかなり本物らしくなっている。)本物が映っている影だから、真象であり、ニセモノが映っているのが偽象である。
 しかし、犯罪や病気は偽象であるが、犯罪でも家族を守るために人を殺める場合もあるだろう。病気でもそれによって反省して立ち上がることもある。
 だから、真象と偽象とはデジタル的ではない。灰色的な部分がある。分け方としては無段階の分け方となる。
(要するにハッキリ分けられないということでありましょう。鬼のような相手を観世音菩薩様として拝むことにより、仏心が現れるなどというのはこの部類に属するのではないかと思う。
 松原泰道さんという101歳の和尚さんの話を『心の時代』(2009/2/18)で聞いたが、継母との確執で悩んだが、継母は空襲で亡くなった。しかし、辛く当たってくれたその姿は、どんな人をも拝むことができるようになるための、仏の慈悲の救いの姿であると知ったと語っておられた)。

 現象界は上記のように、善にも悪にも受け取ることができる。
その中で人生は選択の連続である。悪いことが現れていても、それは良くなる前兆だと考えていると良い方向に向かうのである。それは小さな選択の連続だ。

 心の癖(業)は、パワーを持っている。一度行うことを行為という。二回三回行っていると、「業」となる。それを仕事にして毎日、行う人を”業者”という。
(業者という言葉をお聞きし、私には成る程とうなずけるものがあった)

 世界を変えようとする人は、日時計主義を生きる人である。
それには良いアイデアを得なければならない。

『小閑雑感パート13』P225の”「ふと思いつく」こと”の『続 真理の吟唱』の「高級神霊の導きを受ける祈り」についてお説きになられた。
人は重要な選択の時に於いても、フト思いつくのである。
普段は自動運転操縦をしており、生活を無意識に任せて生きている。
 だから、自動運転に任せているのは、普段と同じだと思っているからだ。「今日は特別な日だ」と思ったら、必ず特別な日となる。
(これはすごいお言葉ではないだろうか!)

 良いことのみを認めようと思ったら、良いことはどこにでもある。
現代の企業は、柔軟な頭を持った若い人を求めている。人間は神の子であって不可能はない。柔軟な頭脳を持つには、日時計主義が必要である。

(ご参考までにであるが、『新版生活と人間の再建』78頁に「かくの如き人間を求む」という項目があり、どんな人間になれば役に立てるかということが示されております。)

『努力をしなければならないが出来ない』と思うのは間違っている。
オートパイロット(自動運転操縦)から抜け出すのは、日時計主義以外にはない。
 一つのことを選択すると、その選択した時点から次の選択も違ってくる。
(その時に、高級神霊の導きを受ける必要があるのであろう)

人生の選択は、一瞬、一瞬が玉突きみたいなものである。
選択の連続で、人生は決まってくる。だから、いつも醒めた意識でいることた大切である。
(醒めた意識とは、神に目覚めた無我の境地のことでありましょう)。

 あるタレントの事件のことを言われた。あの行為は本人の意思ではない。あの行為のアイデアはどこか別の所から来たと思う。
(それは先日言われた自縛霊などのこと等でありましょう)。
良きアイデアを受けるには、神想観の実修が大切である。

 生長の家は、伝統的に霊界のことを言わなかった。個人指導で、『あなたは先祖供養をしていますか?流産児はいますか?』ということはある。しかし、霊界のことを余り話さない。
  『あなたは○○の生まれ変わりである』などと云うことは言わない。
何故なら、それは証明できないからであると考える。
生長の家では、「宗教としてはもっと別にやることがある」と考える。

心の波長を高級神霊に合わせることは大事である。しかし、それは双方向のトランシーバのようなものである。対等に近い関係である。
霊波が来ても、それを受け入れるかどうかは自分で決める。
霊波が来るというのは、相手と同波長であるということである。
従って、一方が他方を操縦すると云うことはない。
霊の話よりも、「潜在意識」の考え方を導入したらよい、のである。
何故なら、潜在意識の考え方は、一般的に認められているからだ。

 ”霊界に行った人に潜在意識が無い”ということは証明できない。
霊界の人の潜在意識から通信が来ることが考えられる。
(この時、先生は、絵を示して肉体の無い潜在意識をご説明された。『聖経天使の言葉』P34には、「肉体を去りたる『念』は、その念の力にてなお一つの個性を持続し、幽界に於いて生活をつづけん。汝らの霊魂と称するもの是にして、…と示されている)。

 しかし、私たちは関与している霊は高級であって欲しいと思う。
同書P229~230を拝読された。
 暗い方面ばかりを考えていると、そんなものしか見えないし、暗いものしか寄ってこない。
 しかも、単なる「明るい物の見方」や「観の転換」だけであってはならない。行動することが必要である。

最後に、P234の「ガイコツは何故踊るか」のところをご説明された。先日の書いたが因と縁の話である。
双葉を出すためには、種と水分、光、肥料などが必要だが、「種」が根本的な原因であり、不滅の神、仏である。それは、肉体を持っていると”生きていること”が有難いとは分かりにくいが、ガイコツとなってしまうと、”種”が有難いと分かる。生きていることだけで有難いことが分かる。それで、ガイコツが踊り出したと云う訳である。
(私は、三回お聞きしてようやくその意味を理解できた)。

 人生はビリヤードのように青やら赤やら白やらと、一つを打つと次を打ち、また次を打つという連続である。それは小さな”選択の連続”と考えられる。
どの方向へ行っても高級神霊の導きを受けながら選択することが必要である。

(最後のお言葉に私は感動した)。
(青年の皆さんは、)”世界を背負って行く神の子として生きていって下さい。”

*これで私のノートの記録は終了です。書ききれずにもれたり、聞き間違いなども多々あるかも知れませんが、粗雑な速報としてご容赦下さい。大体の雰囲気は掴んでいただけたと思います。
 二つの研鑽会、一つの全国大会に参加された人々、そして島根の留守を御守りいただいた信徒様、誠に有り難うございました。
*今日のは、少し長~かったですね。悪しからず。私は、14年前に教化部長にならせていただいて、全国大会の四先生のお言葉はすべて記録して参りました。島根に参らせていただき、今回から信徒さんに内容をご報告できますことは、誠に光栄です。

 中内 英生

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May.04.2009「世界を背負う神の子」

Img040 May.04.2009「世界を背負う神の子」
今日の歌::アイデアの 芽吹き盛んに 湧き起こる

 五月三日の青年大会では、総裁先生は若者への期待を込めて色々と話をされた。最後に壇上で手を取られて使命行進曲を歌われ、さらに講習会のように壇下の通路にて青年達と握手をされた。この映像を拝見し、総裁先生の並々ならない青年へのご期待が感じられた。ブログにもその旨をお書きになっておられる。

『新版生活と人間の再建』P85を拝読された。「自己発見と自己発掘」のテーマでの御文章である。

 人間は、その内性に於いては神である。しかし、神であるけれども自己が発見し、発掘しただけのものしか現象界に於いては自分のものとはならないのである。先ず自己発見が大切である。「自己とは如何なるものか」ー汝みずからを知れと云うのがソクラテスの箴言であった。汝は肉情の奴隷となくべく定められたる単なる動物的存在であるか。それとも肉体は唯の道具であって「霊」なる存在であるところの「神」自身が自分であるか。この二つの人間観の中間的な立場にある人々も多数あり、「人間・神の子」と概括的に自覚した立場にある人々も、自己発見の深さに於いて多種多様であり、一様だと云う訳には行かないのである。(後略)

 外見は猿の毛が抜けたような動物であるが、それが人間であろうか?
進化したホモサピエンスが人間であるか?
人間の内性は神である。その神もキリスト教やユダヤ教で云う神は、唯一絶対の神であるが、日本語で云う神とは唯一絶対の神のことではない。
 唯一絶対とは、対が無いということ、二つ比べるものがないと云うことである。従ってここで云う天地創造の唯一絶対の神と”我々の内性とは同じである”とする。
創られた肉体は、外見に過ぎない。人間の内性と宇宙創造の唯一絶対の神とは一つである。(このお言葉をお聞きした時、何故か悠然と喜びが私の心の底から湧いてきた。)

 しかし、現実は唯心所現の世界であるので、自分で内性の素晴らしさを発見したものしか現れない。
 現象の「象」は、形作るという意味である。形として現れたものを現象という。
それは五官の感覚を通して認識する。現象とは五官で感じた世界である。
電波は感覚では感じられない。だから生活には問題がないとも言える。電波が見えたり、聞こえたりすると生活できない。
 現実とは、五官で感じた情報を、脳の中で処理した世界である。
(この御表現が分かりにくい人は、『心で作る世界』の「視覚の中のメカニズム」を拝読下さい)

 先生は、脳の働きについて話された。これはいつも講習会などで話される内容である。脳幹部や古皮質の部分は、カエルや両生類などにもある。そこから動物的欲望が出てくるが、動物的欲望(食欲・性欲・睡眠欲等)そのものは無いと困る。それは、肉体維持や種族保存のために必要である。しかし、それだけでは人間はカエルなどと同じになってしまう。
 新皮質の部分(脳の裏側あたりにある)が人間の場合は大いに発達している。この新皮質が動物的欲望などを制御している。従って、判断力や理性などはここから発する。人間の特徴である新皮質を生かした生き方が大切である。

 (かなり重い内容ですので、ここで一休止です。”ブログ読み  最初の五行で 息切れる!と言われないためにも…)。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  2009年5月 3日のブログは、「第61回生長の家青年会全国大会終わる」です。先生は、
参加者の中には未会員の青年もいるために、基本教義を説明しながらの講話となったので、講話の最後の方で時間が足りなくなったという印象は否めない、と言う意味のことを書いておられるが、私たちにとっては実に充実した内容でありました。
 青年会全国大会のご感想を色々と書いておられます。また、青年会の二つのホームページを挙げられ、「本欄の読者からの声援をお願いする」と書かれている。
 青年には声援が必要です。”島根教区青年会”もすでに青年会ホームページを立ち上げt、動き出している。ホームページ運営で大切なことは、作ること以上に更新率である。幸いにして、島根県教化部のホームページは一年を経過したが、100%更新率を維持しているようだ。これは島根教区関係者の絶大なるご協力による。
 今度は、島根の青年会へのご声援をぜひお願いします。何が必要かというと、愛情溢れるコメントであります。
 青年会HPへのアクセスは、「島根神性表現ネットワーク」にある島根教区青年会からどうぞ!

 中内 英生

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May.03.2009「人生の目的」

Img044 May.03.2009「人生の目的」
今日の歌::原宿や 怒濤の如き 若い波
*ちょっと大げさですが、大会を終わってから原宿駅へ行くと、まったく動けないほどの若者の数だった。伝道の対象は幾らでもいるな、と云った感じでしょうか。

 青年会全国大会の大体の内容の速報です。内容に漏れがあると思いますが、ご容赦ください。
 谷口純子先生は、『新版生活と人間の再建』のP70(4行目)~P71(7行目)をお読みになり、人生の目的を説かれた。 その中の一部を掲載させていただくと、…
 
 (前略)あらゆる宗教は人間の実相即ち「本当の自分」を自覚せしめそれを最高度に実現するためのものでなければならないのである。人生の目的は結局其処にあるのである。(後略)
*皆様は全文を御確認下さい。
 また、同書P93の7行目~P95の6行目まで:「神の御心は幸福と健康にある」の所を拝読された。自分の運命は自分が作るということが書かれている。
  今の現実は、過去の想念が作り、未来は今、何を思うかによって決められる。

 また、『突然の恋』のことを話されたが、今日は「結婚」について話された。未婚の人にとっては、「どういう人と結婚するか」が大変重要である、と。このご本の中には、関連項目として、「突然の恋」と「半身と結婚」という項目がある。

考え方に二つある。一つは自分で決める、というもの。もう一つは、結婚相手は既に決まっているという考え方である。

連続ドラマ『つばさ』?の中で二日間続けて、『一つの魂が二つに分かれて元の一つになるんですね』というセリフが出て来た。
 また、『だんだん』の主題歌を歌っていたマリアさんの歌詞に、『♪ 天が描いたシナリオに沿いあなたと私知り合うの ♪』というのがあるそうです。
(これは”縁の糸”という題名です。マリアさんのお父様は、元相愛会連合会長さんなので彼女は生長の家で説く真理を知っておられるのかも知れません)
 または、「男女は赤い糸で結ばれている」などの「既に運命によって決められている」という考え方と、「相手を自分で決める」という考え方とは、相容れないと考えられるとされた。

 "decision to love"という意味を説明された。「決めた恋」とも訳される。愛するための決定とでもいうのだろうか。結婚の相手を決めることは重要であるが、正しい結婚の目的を持つことや経済的理由の要素もあるかも知れないが、また外見で決めることも要素としてはあるかも知れないが、一番大切にして考えるべきことは、「相手の人生の向上のために自分は与えることができるかどうか」である。
(これは、自分の幸福よりも、相手を如何に幸福にしてあげるかを考える愛他的な感情が大切であるということではないかと思う。)

「半身と結婚」のエッセーをご紹介された。
人は性格が反対の人と結婚することが多い。人間はそのままで完全であるが、今この現実ではすべてが現されている訳ではない。従って、自分に於いて表現されていないものを相手に見出して魅力を感じる。そして結婚に至ることがある。

 無限のイノチ、供給を既に与えられているというのが、私たちの信仰である。
その中で現実の私たちの人生は、想念で作りだしていく。

『新版生活と人間の再建』のP94の8行目からP95の6行目までを拝読された。
『生命の実相』を知ること。信仰を持つこと。それは聖典を拝読する等して、人間神の子を理解することによって、想念が清められる。従って聖典を読む必要がある。

『新版生活と人間の再建』P50の3行目~P51の1行目まで。
 考え方、観方として、悪とはまだ充分に善が現れていない部分が悪に見えるに過ぎないと観る。

 皆さんの今朝の朝食を誰かが買って来たのかも知れない。何かを誰かがしてくれたかも知れない。しかし、その背後に、神の愛があると知る…。
”自分”を生かそう生かそうとしている神様の愛の想念がこの世界には満ち満ちていると、知ることが大切である。神の愛に生かされていることを知ることが大切である。

(このお言葉の時、先生は声を詰まらせてしばらくお声がでなかったように私には感じられた。先生は神様の愛を全身でお感じになっておられるのだ、と思うと私自身もジーンとしてきた。日時計主義の展開として、日時計日記を書くと云うことは、如何に神の愛がこんなにもあんなにも自分の周囲に満ち溢れて、自分を愛して止まないのであると、神様の御存在を確信することに秘訣があると思わせていただいた。谷口雅春先生の御文章の中に、『神の善意』という御表現があったことを思い出した。
 大先輩のK本部講師に教えていただいたことだが、両親の様々な姿の中に愛を発見することにより、神の愛が両親を通して自分を愛してくれていたことを理解する。そして、自分の地上に於ける”生”を初めて肯定することができる。その時、はじめて両親へのご恩返しのために全ての人、物、ことへの奉仕と愛行とご恩返しの感情となる。それが本当の愛行と使命感に展開することになる、と。
 谷口純子先生のお言葉をお聞きしているうちに、日時計日記をつけるという方式は、神の愛を理解し受け入れ、喜びの報恩感謝の伝道に自己を内部より駆り立てる徹底した宗教行ではなかろうか、と思わせていただいた。)

*少し長くなりましたので、谷口雅宣先生のお言葉は明日にさせていただきます。島根の信徒の皆様、三日間、有り難うございました。

 中内 英生

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May.02.2009「今こそチャンスの時」

Img045 May.02.2009「今こそチャンスの時」
今日の歌::神宮の 緑の森の 空気良し
*明治神宮と皇居の緑から放出される酸素で、東京都民は生かされているということを聞いたことがある。それだけ緑が多いし、ご皇室によって生かされているということだろうか。

 朝が明けるのは、ここ東京では島根よりも早いようである。今日は、相愛会と栄える会との合同全国幹部研鑽会が明治神宮で行われた。次は一部ではあるがその速報である。
白鳩会総裁先生の御講話は、前日の白鳩会とほぼ同じであったように思う。同じお話を二回、お聞きすると内容がより深く理解できることを感じた。
 総裁先生の御講話は、ほとんど同じであるが、昨日、ガイコツの話をされて時間がなかったのを、詳しくお話いただいた。因と縁の話である。

 日時計主義には二つの面があるとされた。これをお話になられた。観と行動化ということであろうか。最初にははっきりとおっしゃらなかったが、次第に明らかにされた。
また、『小閑雑感』パート13は、宗教的なことが多く書かれている。(その関係か、私もこの本はとても早く読み進むことが出来た)

 日時計主義は観の問題であり、光明面を観る、真象を観るという日時計主義だけでは足りない。
 現象は、真象と偽象とをハッキリ分けられないことがある。不況のどん底にいても、善いモノがある。
 また、キンカンの絵を提示されたが、落ちるということを不吉に考える人もいる。しかし、落ちたキンカンを美しいと感じることもできる。黄色のキンカンに緑色の部分(カビ)を描いた。これを汚いと考えることも出来るが、美しいと思うことも出来る。現象はどちらでも解釈できるということである。

*主体者は自分*
 日時計主義の見方と行動の両方が大切である。行動するには正しいアイデアを得るということが大切であり、ふと思いつくことでおおかたの人は行動している。そのふと思いつくことは、高級神霊の導きを受けることもできるが、低級な霊の影響を受けることが出来る。
しかし、主体者はあくまで自分である。受信する自分が清まっておれば、清まった高級神霊の導きを受けるがそうでないと、それなりの霊の影響を受けることになる。

*あるタレントの事件*
先日からあるタレントが酒を飲んで叫んでいたということがあった。この辺りには酒を飲ます所がある。そのようなところは、かつての古戦場であったり処刑場であったりして自縛霊がいるということも考えられる。
(私も先日、テレビで某タレントのことが報道されたとき、妻にその話をしたことを思い出した。谷口雅春先生もそういうことがあるということを話しておられるのを録音テープでお聞きした記憶がある。)

 神想観をして神に波長をあわせることの重要性を説かれた。それは高級神霊の受信機となることである。
また、酒に関して、酒を飲むなとは言わないが、節度をもってやってもらいたいと言われた。
(私はブログを書く関係で、現在はまったく酒を呑まないようになった。だからいつも素面であるが、『本当に飲まないのですか』と時々疑われることもある。残念ながら、要するに酔いたいという気持が無くなってしまったようである。)

 霊界のことに言及された。そういう話ははぐらかすことにしている。霊界のことは分からないのです。自信をもって言うことによって、それを信じる人が現れる。そして犠牲者もでることもある。
(確かに、何年か前にもそういう団体があった)

 霊界と心理学の問題は同じである。どちらに解釈しても良い。
ふと思いつくというのは、霊界から霊波を送ることがある。放送霊波に波長が合うというのは、実は対等の関係である。トランシーバの様にである。双方向である。
『小閑雑感』P229を拝読された。(ここは重要である。!)

『小閑雑感』P234の「ガイコツはなぜ踊る?」を話された。一種のなぞかけである。「因」と「縁」の話である。
因は原因で、縁は助因である。現在、自分がいることは父母がいることが原因、と考える、さらに遡ると最後はアダムとイヴとなる。それ以上は何も無くなる。
 そういう因と縁の話を爺さんや婆さんにしたら不快がッたので、これらの話をまとめて野原のガイコツにくれてやったら次々に起き上がって、喜んで歌を歌い始めたという良寛さんの話のようである。それを分析しつつお説きになられた。
(大変、面白かった。)

 種子が双葉を出すのには熱や光や水分や栄養素が必要である。しかし、原因は種であり、あなたが種ですよ。本当の姿は種で、不死不滅の仏性があなたですよ。それを言うとガイコツが踊り出したということである。
(意味がようやく初めて分かった)
一つのものには、その原因があり、それにはまた原因がありということだが、根本原因である種にも感謝し、縁(お世話になった人々)にも感謝するというのが日時計主義である。

*現在は、悪いもの(豚インフルエンザや不況など)が現れていても、よい方を選択することにより切り替えることができる。
*生長の家を学んだ人はそれが出来る!!。
*現代は、新しい発想、新しい生き方が求められている。
*経済がごちゃごちゃになっている今こそ、新しい世界の構築に踏み出していただきたい!
最後に、『新版生活と人間の再建』P62の1行目から5行目を読んで結びとされた。

(*印は私が付けたものだが、今までの人間中心主義の利潤追求の考え方だけでは経済界は成り立っていかないということだろう。神様の御心を中心とする人間と企業の生き方が必要である。それを先生は示されたのではないだろうか。

 ”生長の家大神ー総裁・副総裁ー御教え”の観点から考えてみると、生長の家栄える会は総裁先生から、生長の家大神様から重大なるご使命を付与されたといえるのではないであおろうか!それは、『新しい世界の構築』である。)

*島根の皆様へ:記録としてはかなり粗いですが、ご容赦ください。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  2009年5月 2日のブログは、「第1回生長の家相愛会・栄える会合同全国幹部研鑽会終わる」です。持田さんの写俳のことをお書きになっておられます。総裁先生にお喜びいただき、本当に良かったと思いました。さらに社会を世界を動かす程に、進めて参りたいと存じます。

 中内 英生

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May.01.2009「日時計主義と世界を変える行動」

May.01.2009「日時計主義と世界を変える行動」
今日の歌::五月晴れ 私を変える 言の葉は?
 昨年は、「神性表現」でBタイプの誌友会をお教えいただいた。これはおそらく島根ではかなり成功するだろう。今年、先生から戴いたキーワードは、「世界を変える行動化」ではないかと個人的には思った。

 今日は、白鳩会の全国幹部研鑽会が行われた。昨年と同じ会場だったが、内容が幹部用の話が多く大変素晴らしいものだった。体験談は選りすぐりのものばかりだった。

 午前に白鳩会総裁先生の御講話があった。
新刊『突然の恋』のP216のエッセイの内容を話された。『人は突然の恋に落ちたら仕方がない』といわれる谷口純子先生に対して、ご主人であられる若き日の谷口雅宣先生は
『人間は偶然に盲目的に人を好きになるものではない』というお答えが返ってきたというお話から始められた。
 また、『太陽はいつも輝いている』の中に書かれている、「偶然と奇蹟」についても話された。
 たくさんある偶然に対して、自分の心・見方が短調だから日常生活が単調であるように思えるに過ぎない。
 また、『大道を歩むために』の中の「自然流通の神示」のご解説もあった。自分の心が短調になっているので、生活が単調に思えるだけで、従って異常現象を求めるのではないか、というお言葉に、私はその心の論理を理解できた。
 
 『日時計日記』をつけ始めた時には、よいことは余りないと思っていたのが、自分の身辺に幾らでも良いことがあるということに気がつくはずであるということを話された。
 そして、気がつくとは、当たり前の自分が、今ここに神の全徳を受け継いでいる神の子であり、永遠の生命を生き、すべてのものと生かしあい、生かされる大調和の世界に生きている。神の子人間が今ここにあるということを気がつくことが大切であるとお説きになられた。私は、そのお言葉に日時計日記を記載する秘訣をお教えいただいたように思えた。

 そして、『新版生活と人間の再建』のP49~P51の「善悪の境を超えて」を朗読されて結論とされた。これが「日時計主義」であると。
 今日のお話は、「日時計主義とは何か?」という非常に内容の濃いお話だった。 

 午後は総裁先生の御講話があった。
日時計主義で人生を見るだけでは完全ではなく、身・句・意の三つの表現手段を使って、あらゆるものを変えていく力がなくてはならない、とされた。
 先生は、私たちに運動の拡大行動を強く促されたように感じた。近々、機関誌で御文章を拝読できますので、島根の信徒さんはこのブログの文章は単なる速報としてお読み下さい。まとめの内容的としては大変、不十分です。
『新版生活と人間の再建』のP60~P62の、「東洋と西洋を超えるもの」、「中道実相の道」を読まれた。また、「生活創造は行動から」(P62)の御文章が結論的なもののように思えた。そこには次のように書かれている。

 「生活の正しき創造は、この正しき人生と人間との観方から始まらなければならないのである。然したんなる「観」だけでは生活の座り方が決まっただけであって、真の生活の創造は「行動」によって行わなければならないのである。如何に行動するかが問題である。ただ世界をあるが儘に善しとみているだけでは生活の創造はできないのである。行動なき観だけでは設計図はできたが建築しない家のようなものである。生活は自己建築しなければならないのである。
 生活の自己建築は、自己拡張から始まるか、自己没却から始まるか…これが問題であるのである。……

 この思考の前提として、前出の「東洋と西洋を超えるもの」、「中道実相の道」が書かれているようだ。このご本が書かれた時代背景も現在と違うことを説かれた。
 人口増に対して、食物である穀物生産が追いつかないこともおっしゃられた。豚インフルエンザのことにも触れられた。
また、
『日時計主義で満足するのではなく、行動を取ることが大切である。現象世界を変える力がなければならない。そうでないと、生長の家はあってもなくても同じということになる』と言われた。これが私が今回、先生から戴いたメッセージのように強く思った。

『小閑雑感』P56の「真象と偽象」についても話された。真証と偽象はハッキリ分けられないこともある場合があるということだった。
 なによりも生きている意識が実相に波長があっていることが必要であること、従って真理を学び、神想観し、生活し、伝道することが必要であると。
 自分が神様の御心を受けるにしても、アイデアを受け取るモードになっていないといけない。(これには素直な軟らかい心を維持するために心の行を積む必要があるのだろう)

 興味深く思えたのは、高級霊のお導きに関することだった。これは、『小閑雑感パート13』のP225、P228の”「ふと思いつく」こと”「ふと思いつく」こと(2)”から引用された。
 高級神霊の導きを受けるのにも自分がそれに波長が合う状態にしておく必要がある。

 「霊界の話が好きな人とそうでない人がいる」と言われて、楽しい話となった。これは心理学的にも解釈できるし、神霊学的にも解釈できるので、どちらでもよいとのお言葉だった。
(要は自分が真理に立脚した思いと行動を取れるかどうかであろう。)

  生長の家の行事をするときだけが生長の家の活動ではない。日常的に愛他的に生きているかどうかが重要であると。
(次のお言葉が心に痛かった。)

普通、何かを買おうとすると安いものを買うということになる。しかし、安い商品は、周囲に二酸化炭素を排出してそれを処理しない商品があることがある。
 安いというだけで肉体的に満足させるのは、地球環境を破壊することに繋がるのだろう。振り返ってみるとき、企業活動で繁栄はしているが、環境破壊をしているかも知れないと思える活動もあるかも知れない。これはよく考えて購買活動を展開する必要があろう。
 昨年、出雲の市役所近くのJ店が撤退し、別の店が入ったという妻からの情報であった。北陸にいたときに、P店のような超安い店であるらしい?。それは上記のものに入るだろうか?。

 最後に先生は、良寛さんの話をされた。『小閑雑感』P234の「ガイコツはなぜ踊る?」である。「縁」の話である。この話が一番、楽しい興味あるお話だった。詳しくは、ご著書で確認してください。教化部に在庫があります。
 『そして、肉体というものは「縁」である。どんな困難に直面しても、神性仏性を目覚めさせる縁である。なぜなら、神性仏性を発揮する力があるからである』と結ばれた。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  2009年5月 1日のブログは、「第1回生長の家白鳩会全国幹部研鑽会終わる」です。開催の模様をお書きになっておられます。どうぞ、拝読下さい。

*島根の白鳩会の皆様、埼玉のメインホールと宇治の会場に行かれた方々、有り難うございました。明日は、相愛会・栄える会の合同全国幹部研鑽会です。

  中内 英生

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