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2009年8月

August.31.2009「親孝行とは何をすることか?④(了)」

Photo August.31.2009「親孝行とは何をすることか?④(了)」
今日の詩::また来たよ 喜び迎える 隠岐の山

 生長の家の教育とは何かについても言及している。(P207)。生命の教育という教育法を私たちは教わっている。例えば①実相を観る教育、②讃嘆の教育、③今を生かす教育、④秩序を尊ぶ教育、などなどである。

 「人間神の子である」と言って人間の中なる生命を目覚めさせるのであるから、その結果はどうしても、人間・神の子、相互礼拝とならざるを得ないのであって、夫婦は互いに仲よくなり、子宮癌も子宮筋腫も消え、親子は拝み会って、ヒロポン中毒は解消する。兄弟は互いに仲よくなって、相手に与え奉仕する精神になって互いにつくし合うから、事業も栄え、国が確実なる基礎の上に立って再建されるのである。
 『親子、兄弟で互いに相互礼拝の関係になれば、仲よくなり、つくし合える関係が築けると思います』とFさんは語った。

 また、新版『真理』第5巻女性篇は、男性が読んでも、女性の生き方や考え方などが分かる革進書だと言えると説明していた。発表者のFさんはさらに言う。
 『自分は今年34歳になりますが、「父母への感謝の意義」で考えることは、まず一番に生んでくれてありがとうと感謝の気持ちあります。その父母に今何が出来るかと思うと、やはり「親孝行しないと」という気持ちがあります』と。
 なかなか素晴らしいご心境です。やはり生長の家の御教えのお陰でありましょう。

 また、「親孝行とは何をすることか(P189~P190)」については次のように語った。
『自分が善かれと思ってしたことが、却って親を困らせてしまうこともあるかもしれません。特別何かをするのではない、日常的なことでも良い。自分の経験からですが、親の願いを聞いた時に、日常的なお願いもありますが、不得意なお願いもあります。でもそれを叶えることで親も喜びますし、自分自身も不得意なことが、得意になり成長できるチャンスだと考える』と。このような素直なご心境です。素晴らしいことです。

  また、「暗い心」についてもテキストには書かれていることを話した。「暗い心は病を起す。従って、明るくなることである。(P193~P194)」と。
『生長の家を知るまでは、自分の病気のことで悩んだり「なんで自分が?」と暗い気持ちになったこともあります。でも、この文章を読んでいるうちに、そう考えていることが、親不孝してるんじゃないか?と思いました。本来、病は無い。心にも病は無い。と、改めて気付かされました。だから今も常に心の中で「健康」という言葉を念じています』と。

 次は「息子のヒロポンが治る(P201~P206)」という箇所です。これはもう一人の発表者も選んでいました。Fさんはご自分の体験を語った。
 『初めて一人で宇治の練成会に参加した時は、本当にこんな感じでした。でも、神想観、先祖供養、浄心行などをやっていき、今まで分からなかった親へのありがたみ、感謝の気持ちを気付かされました。そして、家に帰ったときには親には、「ありがとうございました」と一番に言ってました』。
 素晴らしいことではないでしょうか。練成会は生長の家の御教えのダイジェスト版を身体で学ぶところです。まだの人は是非、練成会をお受けください。本部練成会は10日間が多いです。島根は二泊三日ですので、4回受講すると、10日間受講したと同じようなご体験をすることができます。

*昨夜は、隠岐の島で真理学習会を行った。毎月、同じ船で行き、同じように学習し、同じように次の日に先祖供養際を行い、同じ船で帰る。このくり返し、継続が発展につながる。継続は力である。身体を巡る血液は、心臓に発し、動脈を流れて毛細血管に到達して、栄養分を運んだ後は老廃物を回収しつつ心臓に至る。そして途中で腎臓や肝臓を巡ってから血液を浄化する。そして身体は発育し、かつ健康を確保することができる。同じような活動がもし逆に行われたりしたら、肉体を維持することは困難である。単調なくり返しではあるが、その中にさまざまな創意・工夫を盛り込むことができるというものである。まず何よりも定期便を出し、そのルートを確保することだろう。これはどんなことでも言えると思う。さらに隠岐の島で、個人指導ができるようになれば、一人、また二人と具体的に生きた体験が広がり、御教えが伝播していくのではないだろうかと期待している。
 今日は先祖供養祭だった。段々と皆様が輝いていくように見える。きっと隠岐の島でのご使命をそれぞれの信徒さんが喜びを以て御実践されるようになられるだろう。
http://www.town.okinoshima.shimane.jp/

 中内 英生

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August.30.2009「親孝行とは何をすることか?③」

Photo_2 August.30.2009「親孝行とは何をすることか?③」
今日の詩::闇を見ず 光をみつめて ただ進め
*しばらくすると、自分が光だけの中に住んでいることを発見することになる。

 このテーマに関して、F男子青年会員の発表があった。内容のすべては書き込めないが、だいたい次のようなものである。

 「父母への感謝の意義」については、Fさんは、新版『真理』第5巻女性篇をテキストに使った。はしがき(Pi~Pii)からの引用である。
 『あなたたちは、この書を読んだら、在来考えておられた「女性」の生き方とは異る生き方をすることが、自分の本当の幸福であったと気が付くと思う。その意味に於いてこの書は真の人間革命の本であり、女性の真の革進の書と謂える』とのことです。従って、Fさんは女性もだが男性にとっても重要な本であると説明していた。

 「親孝行とは何をすることか」ということを考察している。(P189~P190)。
『親孝行をするということは一体どうすればいいのであるかというと、何も難しいことはない。親の欲し給う如く、素直にその通りにしてあげたら、これが親孝行である。親の欲したまわないことを、勝手に人間知恵で、こうしたら善かろうか、ああしたら善かろうかと思ってやると、親の好まないことを却って親に強制していることがあるのです。『向かわんと擬すれば(かまえれば)却ってそむく」と云う言葉があるが、人間知恵のはからいは駄目です。
 この言葉は、禅宗無門関に書かれている言葉である。『無門感解釈』を拝読してみましょう。禅の奥義を究める一つの道は、『正法眼蔵を読む』を読破することです。これは道元の曹洞宗であり、様々な考案は臨斉宗です。
http://www.rinnou.net/

 「暗い心は病を起こす。明るくなりなさい(P193~P194)」ということについての考察が行われた。『ああ、私はこんなに体を痛めているが、これが親孝行だろうか。いや、お父さん、お母さんに貰ったこの体だ。その体よりもなお一層尊い自分の「心」というものがある。この体よりもなお一層尊い「心」と云うものを、親からいただいているのに、私は親が死んだから悲しい悲しいと、暗い暗い心を起して、親からいただいた一番尊い遺産であるところのこの「心」を苦しめておった。このような暗い所に押し込めて、心を切りさいなみ、苦しめておった。これほどの親不孝があろうか。ああ済まなかった。これからもう数日しか生きないこの生命・身体だけれど、この心を暗い暗い牢獄にいるが、せめてその間だけでも、親からいただいたこの「心」を喜ばしてあげましょう。』
 この言葉は誰の言葉か分かりますか?ご両親を短時日で失い、悲嘆の余りに肺結核になられた黒住宗忠の言葉です。その後、海から登る太陽を拝んで、「天照大神の御いのち、吾に流れいる、流れいる、と感じた。そして一週間の間、嬉しくなって笑い通した。すると 何と、当時は大患といわれた病気が消滅したのです。このお話を谷口雅春先生が講習会の時にお話になられると、私の心はうちふるえたことを覚えています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%85%A7%E5%A4%A7%E7%A5%9E

 F青年会員は次に、「息子さんのヒロポンが治る(P201~P206)」という箇所を引用されました。ヒロポンとは戦後はやった麻薬や覚醒剤のような種類のものらしいです。それが練成会で治ったという男性の体験をお聞きしたことがあります。シンナーも脳の働きをかく乱するようです。しかし簡単に手にはいるので、若者が使ったり、麻薬もインターネットで売買していて捕まったということを新聞でも見るような時代になったようです。つい最近では某タレントさんの事件もあったようです。しかし、両親に感謝したとき、そのそれらはウソのように、走馬燈のようにはかなく消滅してしまうのです。次は、引用した文章の内容です。どうも練成道場での話のようです。それが本当ならば、御教えを求めている人々のために伝道活動を開始しようではありませんか。さて、次はその内容です。

 『母親が思わず「ありがとうございます!」と合掌して言うと、息子も「ありがとうございます!」と丁寧に手を合わして言ったというのです。それから息子は講堂へ出て話をきくようになり、性格が生まれかわったようにすっかりよくなりました。そして十日たって母親が帰りましょうと言ったら、もうしばらくおりたい、と言う。そこで息子を一人置いて母親が国に帰って来たのです。そのうち今度はわたし(父)が迎えに行きまして、息子の顔を見るや否や「お父さんありがとうございます」と言ったという。父親は嬉しくて泣けて来ました』。

 こういう内容です。感謝と礼拝以外にこれらの中毒を消滅させる道はないようです。

 *人間は何事を成就するにしましても不断の努力が大切でありましょう。努力無くして、かけ声だけで物事を進めようとすれば、いつの間にか疲れて参ります。谷口雅春先生は早稲田の英文科におられたし、総裁先生はコロンビア大学の修士課程をご卒業されている。白鳩会総裁先生は英語が堪能であられるし、英語は現在は国際語として通用するようになっている。国際語が日本語でありたいものだが、残念ながらそうはなっていない。アメリカでは日本語よりも中国語を推し進める傾向もあるとNHKでは報じていたことがある。どうもそれが現状のようだ。その英語学習にして言えば、日本を代表するいわゆる英語達人も、リーディングを英語力のエネルギー源として徹底的に洋書を読破していったらしい。
 まず、野口英世は、10~12歳の頃、全5巻からなる洋書、"Barnes's New national Readers"を風呂焚きをする時も入浴の時も片時も離さずに読み込んでいったという。英語のリーディングは、更に熱を帯びて16歳頃には、難解な「カーライル伝」を読みこなしていたらしい。
  植物学者として活躍した南方熊楠は、英国留学中、大英博物館にある資料を片っ端から読んでいったという。当時からスゴイ人だったようだ。この人は粘菌の研究で有名である。年金ではない。また、結婚の申し込みの手紙を毎日書いたことでも有名だ。その英語力は群を抜き、英国雑誌「ネイチャー」への投稿論文は何度も掲載され、国内よりも海外で著名となったという。
  戦後GHQとの交渉で活躍したケンブリッジ留学生白洲次郎は、最近テレビで良く出るが、全29巻もの分厚い、英語版ブリタニカ百科事典をボロボロになるまで愛用したと聞いている。いずれにしても、努力なくして世の中のお役に立つことはないだろう。私たちは、お金を儲けたり立身出世をするために学ぶのではなく、世の中の役に立つために学びたいものである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%93%E3%82%A2%E5%A4%A7%E5%AD%A6

http://www.noguchihideyo.or.jp/

http://www.minakatakumagusu-kinenkan.jp/

http://www.youtube.com/watch?v=OSmVoM2atVk

*今日は、隠岐の島へ行くことになっている。毎月、規則的に行くことにより、隠岐の島の進歩発展は必ず継続し約束される。このことを私は現在の宇治別格本山の総務K本部講師から学んだ。学んだと言うよりも、当時のT元理事長からK本部講師に学ぶようにと指示があったから学ばざるを得なかった。同様にして、どんなに多用であっても生長の家の行事が毎年、立教記念式典が行われ、総本山の大祭が行われ、宇治の大祭が行われることにより、進展して行くものである。努力は必要である。誠にも『継続は力である』。それも自分がやってあげているという気持ではどうしても自分の中に不満が出てくる。させていただくという感謝の思いが必要ではなかろうか。

 中内 英生

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August.29.2009「親孝行とは何をすることか?②」

Img538 August.29.2009「親孝行とは何をすることか?②」
今日の詩::生まれ来し 娘に感謝の 誕生日
*わが家では、夏は誕生日が続きます。

  一昨日のつづきを行います。両親に感謝することは実に重大です。島根の信徒の皆様、これを機会にご両親への感謝を徹底いたしましょう。生長の家では浄心行という宗教行事がありますが、練成会で行っています。参加者の皆様は感謝できた感動を味わっておられるようです。さて…。

 『人生の扉を開く』第4集(P178)からの引用です。このご著書は、左は日本語、右側は英語です。結構、難しい言葉を使っています。やさしいロングマンの英英辞典のレベルなどではないようです。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%B3%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%8B%B1%E8%8B%B1%E8%BE%9E%E5%85%B8%E3%80%884%E8%A8%82%E6%96%B0%E7%89%88%E3%80%89%E3%80%90CD-ROM%E4%BB%98%E3%80%91/dp/4342785722

http://www.ssfk.or.jp/p/a/105262.htm

 「父母に感謝せぬ者は神の御心にかなわぬ」。これが、「大調和の神示」中で重要な箇所です。汝らの兄弟のうち、最も大なるものは汝らの父母である、と示されています。我々にとって、父母は「神」の代行者でもあります。父母への反抗は「神」に反逆するところの行為となりますので、幸福を自らの手で奪い取ってしまうことになるのです。ところがこれと反対に、自分自身が“神の子”であることを知り、父母を愛し敬する者は、祝福された人生を送るので。このような内容が説かれているとのことです。出典は、谷口清超先生著『運命の主人公』からです。反論する人があるかも知れません。ご両親から虐待された人、記憶の中に両親がおられない人などです。しかし、それでも両親に感謝することは、あなたの幸福実現のためにはどうしても必要であり、またそれは可能であるのです。

 さらにもう一つ、『人生の扉を開く』第2集(P48)からの引用です。「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」とは、どういう意味でしょうか。我々の生命は祖先を通じ、父母を通して、神の生命が今ここに顕現しているのです。父母を媒介としてのみ人間の生命は神に繋がるのですから、父母に感謝しえない者は、人間と神とを繋ぐ媒介の一つを断ち切ることになり、神に何かの功徳(おかげ)を求めても得られないことがあるのは当然である、としておられます。これは、谷口雅春先生著『人生の秘訣365章』からの引用です。

 次は、『人生の扉を開く』第1集(P28)からの引用です。『親に感謝する心は、「いのち」の根を培う』としております。皆さんを小さい時から、心から愛し育てて下さった父母がおられたという事実があります。そんな「有難い」ところを、もっともっと強く心に思いうかべ、恵まれた自分であったことに感謝し、コトバに出して言ったりすると、「生きがい」が出て来、「生きているよろこび」がわき、生命力がモリモリと噴出するのです。自己の地上に於ける『生』を自ら肯定できるようになります。この御文章は、谷口清超先生著『人は天窓から入る』よりの転載です。

 次は、『人生の扉を開く』第1集(P122)からです。発表者は、この聖典からの引用が多いようです。「生命は祖先に始まり子孫につながる」というものです。子供はみな御祖先からのいのちの流れの中で生れて来ており、大きく育ち、そして又親となり、子を生み育てるということになる。だから当然、御祖先への感謝がなければよく育ちません。家族同士仲よくくらし、ご祖先のお祀りなどもよくして、一家中のいのちが生々と栄えるようにしなくてはならないのであります。この内容は、谷口清超先生著『病いが消える』よりの転載です。
 
 本部講師の著書からの引用も行っております。楠本加美野本部講師著『父母の愛を求めて』(P123~P125)からです。「親に感謝するとどうなるか」が書かれております。大生命の愛が生きた肉体を備えて眼に見え、手で触ることができるように現われてきましたのが両親の愛です。このことは、『生命の實相』第1巻の総説篇に説かれております。両親の愛を通してのみ神の愛を知ることができるのです。自分は生かされていたのだと、自分を生かそう生かそうとしている天地一切のものに感謝できるようになります。翻って、すべての人を、ものを生かすところに自分の生きる道があったのだと、愛に目覚めることができるのです。従って、愛行こそは自分の使命と、使命感に燃えた生甲斐ある生活が送れるようになるというのです。すると、人間として生れた真の幸福を発見することができます。『七つの燈台の点燈者の神示』は、生長の家の根本教義と言われております。そこには、“汝ら天地一切のものと和解せよ”と書かれております。それは、人類が永い間願っていた争いのない平和な世界が実現できると宣言した言葉です。また、すべての人の中で最も大なるものは父母であると高らかに宣言しております。しかも、“神に感謝しても父母に感謝せぬものは神の心にかなわぬ”とまで説き、空想的神信心を戒めております。従って、神に感謝することが神の御心に適うということです。そして、「天地一切のものと和解する」ためには親への感謝がポイントであると示されております。

 以上、だいたい以上のような内容をY光明実践委員は発表されました。大変、素晴らしい内容でありました。島根の信徒さんはどうぞ、それぞれの聖典で、ご確認ください。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
   2009年8月 2日のブログは、「国際教修会でのスナップ」です。8月1~2日にサンパウロ市のフンシャル劇場で開催された「生長の家国際教修会」の会場風景をお届けくださっております。
http://masanobutaniguchi.com/

*今日は相愛会の素晴らしい研修会が始まった。明日の朝までだが、宿泊と言うことは、早朝行事を行い、心を一つになって神様に振り向けるということでありましょう。大変、素晴らしいことであると思います。

 中内 英生

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August.28.2009「チャリティコンサート開催す」

Img540 August.28.2009「チャリティコンサート開催す」
今日の詩::コンサート ここは異次元 天使たち

 今日は、チャリティコンサートがビッグ・ハートで行われた。こんな素晴らしい雰囲気で聖歌を聴いたのははじめてだった。何かの大会で聖歌を聞くことはあるが、コンサートで集中して聴いていると、谷口雅春先生、谷口清超先生、谷口雅宣先生の御三代にわたってのご恩をしみじみと思いださずにはいられなかった。コンサート中、眼をつぶれば、谷口清超先生のお優しいお声が今すぐそばで聞こえてくるようで、何度となく涙を禁じえなかった。開演の前に、先の追善供養祭のDVDで総裁先生のお言葉をお聞きし、そのあとで開催のご挨拶をさせていただいた。今回は、I地方講師に台本を作っていただき、それにそって話させていただいた。以下、その主たる内容である。
http://www.city.izumo.shimane.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1154569615501&SiteID=0

神の子の皆様、有り難うございます。今夜はようこそ、ご多用の中、夜間にもかかわりませずおいでくださいました。日頃は生長の家の運動へのご尽力に心から感謝致しております。この場をお借りいたしまして厚く御礼申し上げます。

 .この度のチャリティコンサートは、出演者の方はすべて聖使命会員である生長の家信徒であり、全員がチャリティコンサートの入場奉納金を奉納なされての出演で、会場内 の全ての方が『谷口清超先生への感謝』の思いでいっぱいでございます。心から感謝申し上げます。皆様の善意の浄財はユニセフにお使いいただけるように寄附させていただくことにしております。
http://www.unicef.or.jp/

 前生長の家総裁谷口清超先生は平成20年10月28日午後10時21分にご昇天されました。平成21年3月1日に新しく総裁にご襲任されました谷口雅宣先生への真の中心帰一は、前総裁谷口清超先生への純粋なる感謝の思いから始まると考えます。音楽をこよなく愛された谷口清超先生への感謝の表現は、お作り頂いた聖歌を中心としたコンサート開催が勝れた方法ではないかと考え、企画させていただいた次第でございます。また、聖歌を中心とした歌唱等も、神性表現の一方法として素晴らしいものであると考えております。

 .谷口清超先生は陸軍従軍中に肺結核になられ、浜田市の陸軍病院に入院中に田中さん
という上等兵に『生命の實相』を借りて読まれて、生長の家に触れられました。宗教嫌いであられた谷口清超先生は、その後転院した松江市で入院中に、島根県の信徒さんに看護を受けられ 、松江市内での誌友会に参加されて信仰を深められ、肺結核が完治されました。現在も谷口清超先生が通われた誌友会開催の家屋は現存しているとお聞きしております。そして、翻訳という谷口雅春先生の人類光明化運動のお手伝いを決意されて上京なさり、私達をお導き頂くようになられたのです。このように、島根県は特に谷口清超先生に非常にご縁の深い教区でございます。
http://www.kosho.or.jp/public/book/detail.do;jsessionid=172C7980760E7772CBDBFE877C55439C?tourokubi=3B43F152539A686ADCADF9D514A25BCA22F99FE8BC0A2C69&seq=1&sc=DDCF501DB17F1EDF4ED18997687098EA

 谷口清超大聖師追悼のDVDが奇しくも、このコンサートを待っていたかのように最近新発売されました。皆様に、約13分に抜粋短縮したものですが、ご覧頂きました。皆様と共に谷口清超先生への感謝の思いを一層深く出来たものと思っております。
 長くなりましたが、あらためて皆様に感謝の意をお伝えし、開演に当たってのご挨拶 とさせていただきます。
http://www.ssfk.or.jp/p/a/105264.htm

 これで私の挨拶は終わった。素晴らしいコンサートでありました。このような雰囲気は人類光明化運動に強力なる威力を与えるものと思わせていただきました。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
 2009年7月30日のブログは、「グラフィティー作家のこと」です。サンパウロ市の大きな“落書き”についてのご紹介です。ご紹介されたホームページを検索するとユーチューブが多用されている。もうこのような時代になったのだとの実感がした。島根のホームページは少しでも先生の後に続いて行きたい。

*今日は、チャリティコンサートにご出演の皆様、そして遠くは安来や益田からおいでくださいました皆様、誠に有り難うございました。感動を共有できましたことを心から感謝申し上げます。

*感謝とお詫び。コンサートのコメントをいただいたのですが、操作ミスで紛失いたしました。お名前が書かれていませんでしたが、コメントへの感謝と謹んでお詫びを申し上げます。

 中内 英生

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August.27.2009「親孝行とは何をすることか?①」

Img541 August.27.2009「親孝行とは何をすることか?①」
今日の詩::雑踏を 闇は包めり 柔らかに

 8月25日の青年学習会でY光明実践委員(青年会事務局長さん)が発表された内容に解説を少し加えながらご紹介したいと思う。テーマは、「父母への感謝の意義」であり、テキストは『新版真理』第5巻(女性篇)を使用している。

 黒住教教祖の黒住宗忠の話が出ている。「孝は百行の基」”こうはひゃっこうのもと”と言われているように、孝行はすべての善行の根本となるものである、との説明があった。凡ゆる善徳の根源をなすものが親孝行であり、その実践により、生活が豊かに富み、肉体も健康となる。その根本である根を培うのが親孝行である。また、親孝行するには、親の欲し給う如く、素直にその通りにしてあげることであるとの説明があった。さらに、両親に対して素直ということが大切である。凡ゆる徳の中で一番素晴らしい徳が素直さである。それは「我」の絶滅であろう。しかしながら、『親から泥棒をしてこいと言われたら素直に泥棒に行くのが素直であり、親孝行であるのか?』という質問があがった。それに対して皆様は色々な角度で考察を続けた。実に興味あるやり取りを聞くことができた。

http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4SKPB_jaJP267JP267&q=%E9%BB%92%E4%BD%8F%E5%AE%97%E5%BF%A0&um=1&ie=UTF-8&ei=1seWSuThHqby6gPNnc25CQ&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4

 また、平成21年度『ひかりの言葉』5日の日訓からの説明があった。「父母はあなたをこの世に登場させて下さった恩人である」と書かれていたそうだ。人間は「神の子」であるが、それは肉体人間のことではなく、肉体は「神の子」の霊が使う道具である。父母はその道具を作って与えて下さっているというだ。肉体は、私たちが地上生活をするために、なくてならぬ道具であり、宇宙服である。だからこれを下さった父母には、まず第一に感謝するのが当たり前であろう、という意味が書かれていたという。出典は、谷口清超先生著『輝く未来が待っている』のようだ。

もう一つ紹介された。平成21年度『ひかりの言葉』19日の日訓からだった。「神は大地、祖先は根、父母は幹、子孫は枝葉である」という。宇治の霊牌供養のパンフレットにありありそうな文章だ。神は大地に譬えることが出来る。そこにはどんな生命をも生み出す根元があり、要素があり、養分がある。それにつながるものが“根”である。根は吾々の祖先である。祖先を大切にし、人間の生命の幹は父母であるから、父母に感謝し、父母を大切にすることによって、枝葉の子孫が栄えるのである、としている。この出典は、谷口雅春先生著『女は愛の太陽だ』であるという。

http://www.uji-sni.jp/

 さらに、『人生の扉を開く』第4集P160からの引用である。この本は、職員の朝礼で、毎朝拝読している内容だ。「父母に感謝しえない者の人生は“切り花”の如くである」としている。根があるからこそ枝葉がある。親があるからこそ子がある。親は根で、子孫は枝葉ですから、栄えようと思うものは親を大切にせねばならない。親を大切に思う心は根を培い、ひいては自分の生命(せいめい)を延ばす本になる。どんなに子が親を思うよりも以上に、親は子を愛している。谷口雅春先生著『人生読本』からの引用であるという。吉田松陰の、「親思う心に勝る親心…」という歌を思い出す。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%BE%E9%99%B0

  今日のテーマは、なかなか密度の濃い内容なので、これで終わりたい。つづきは明日です。
*今日は久しぶりの木曜休日だった。

 中内 英生

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August.26.2009「祈りと行動」

Photo August.26.2009「祈りと行動」
今日の詩::空を飛び 自在の心  雲となる
秋の高いところにある雲は、自分の神通自在の心の顕れでありましょうか。

 『生活と人間の再建』(P68の10行目から)には、次のような意味のことが書かれている。

 『祈りは必要である。しかし、キリストはただ祈ってばかりいたのではなかった。彼は伝道した。彼は自ら進んで行動した。努力なしではなにものも与えられることはない。』

 キリストではないが、時間があれば自分は何かを他に与えよう。祈りは自分のことばかりを祈らずに、他に為に祈らせていただきましょう。教化部では、お申し込み者に対して祝福の祈りを捧げることになっている。私も時間があれば聖経をあげて、お申し込み者に神の祝福の祈りを捧げているが、逆に自分自身が深い愛の心に満たされていくのを実感することができるので、幸福感に満たされてしまう。誠にも「情けは他人のためならず」、である。
 今夜の教育六者会議での話だが、生教会のT会長さんが生長の家教育学会で発表されたそうだ。素晴らしかったという。ここに至るまで、実に生教会の方々は行動をし続けている。祈るだけではなく、行動が結果を生むのだ。

 島根では先祖供養を通して地域の信仰の活性化を行っている。具体的に動き出していただく主体は、地元の人である。私は、土壌改良係であるといつも言っているが、信仰の土壌さえ肥沃になっておれば必ず、そこに播かれた種は芽が出てくる。しかも水分と日光を与えることを忘れてはならない。水分は潤いのある「愛」であり、日光は信仰の情熱である。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
 2009年7月28日のブログは、「ブラジル到着時の様子」です。動画サイト「ユーチューブ」での総裁先生の映像が入っています。島根教区でも宇治の大祭以来ユーチューブを使用し始めたが、携帯の能力がいまいちなのでどうかな?という感じではある。このコーナーでは一ヶ月遅れて、総裁先生のブログを追っかけさせていただきます。島根の皆様もユーチューブのご使用は如何ですか。動画を携帯で撮って、写メ俳の投稿と同じようにコメントをつけて電送します。するとこちらでアップします。宛先は(bch05742@nifty,com)です。

http://masanobutaniguchi.com/

*今日は、午前中には新規受験勉強会の資料作りを行った。優秀なスタッフがいてくれるので、有難い。教義の細部で私よりもよく知っている場合があるのには驚く。
午後は、生教会の学習会が行われた。毎月、学習会を行い、生教会講師の養成を行っている。どの人をとっても実に優秀である。
夜は、幹事会、五者会議が行われた。どの組織も明るく楽しく運動を行っているようである。
 中内 英生

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August.25.2009「大発生と大絶滅②(了)」

Img535 August.25.2009「大発生と大絶滅②(了)」
今日の詩::宍道湖に 秋風吹いて 波光る

 昨日のつづきを行います。オーストラリアのラクダが大発生しているという。ラクダは本来、オーストラリアにはいなかった。物を運ぶために連れてこられた。現在の野生のラクダは100万頭と言われている。干魃がオーストラリアを襲う。しかし、ラクダは干魃には強いようにできている。地球温暖化が続くとオーストラリアはさらに異変が起こるとされている。また日本は豪雨が多くなっている。中国は洪水である。地球温暖化の末には、乾燥化と豪雨が集中的に襲うような地球になるという。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20081215_eat_camel/

 美唄市に宮島沼という湖がある。この小さな湖には真雁の群れが5万羽も来る。日本とシベリアとの中継地点としてこの湖を使っているようだ。ところで、鴨は一年だけのペアーを組む。マガンは、一生涯ペアーを組むそうだ。その違いがある。マガンは落ちもみが好きだ。島根の宍道湖などにくるマガンも田んぼで落ちもみをよく食べている。一羽で一日130㌘のオチモミを食べる。従ってオチモミは不足する。それでマガンは田畑の野菜へ突進する。
http://www.city.bibai.hokkaido.jp/miyajimanuma/23_center/23_center.htm
http://www.yachoo.org/Book/Show/84/magan/

 花と昆虫の関係は受粉という動機で切っても切れない関係にある。島根でも今年は梅雨が長かったので昆虫が活動せず、果物の受粉はお百姓さんが行っていたようだ。北海道のエゾエンゴサクという種子の受粉は、マルハナバチという昆虫が行うという。しかし、最近はエゾエンゴサクという花が温暖化の影響で早く咲く。従ってマルハナバチが活動を始めたときには、枯れた花しかないので受粉ができないという事態が起こっている。季節がズレ始めたのである。
http://homepage3.nifty.com/wako3/saibaiharu/ezoengosaku/ezoengosaku.htm
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%90%E3%83%81

 また、鳥世界の食物連鎖の頂点に立つイヌワシは全国に400羽しかいないらしい。生態系というものは実に纏まっているが、どこかが狂うと生物種が生きることが難しくなるようだ。イヌワシは野ウサギをエサにする。今まで草が生えていない野原で野ウサギを捕獲していたが、地球温暖化で野草が長く伸び、草むらに野ウサギが隠れてしまうので捕獲が難しくなる。従って、せっかく育てた雛がエサ不足で死んでしまう事態が出ているという。IPCCによると、このまま地球温暖化が進行すると、全生物種の40%が死滅すると言われている。
http://www.google.co.jp/imglanding?imgurl=http://sa-i.sakura.ne.jp/blog/img/img484_P1080578s.jpg&imgrefurl=http://zoo.kokage.cc/blog/sb.cgi%3Fcid%3D122&h=373&w=550&sz=49&tbnid=l968CyKecPt4sM:&tbnh=90&tbnw=133&prev=/images%3Fq%3D%25E3%2582%25A4%25E3%2583%258C%25E3%2583%25AF%25E3%2582%25B7%2B%25E5%2586%2599%25E7%259C%259F&hl=ja&usg=__MCXeH1TGVfFc5h6cJm9wgaTQv2k%3D&ei=v_qTSrWiCajq6gOvpJn7AQ&sa=X&oi=image_result&resnum=1&ct=image&q=%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%83%AF%E3%82%B7+%E5%86%99%E7%9C%9F&start=0

 アルゼンチンアリというのが岩国市などで大発生している。これは外国産の材木などに着いていたアルゼンチンアリが繁殖し、従来の日本アリを駆逐している。日本アリは巣を攻撃され、幼虫をエサにされなどして消滅しつつある。1993年に広島の五日市市で発見されて、大発展している。トビイロシラアリという日本のアリは縄張り争いに負けて撤退しつつある。これらは便利快適を追求して、お金にものを言わせて外国のものを輸入してきた従来型の考えの結果でありましょう。アルゼンチンアリは人間が住む人工の環境が非常に適しているようだ。従って、山などには繁殖していない。日本のアリに比べて動きは非常に速い。また、日本のアリは草の種をあちこちに運んで植えたり、クロシジミという蝶の幼虫を育てたり、アリマキと共生したりで、さまざまな生物と共生して生きてきたが、アルゼンチンアリには共生能力はないそうだ。従って、アルゼンチンアリの大発生は、他の昆虫の大絶滅につながると考えられる。
       http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%AA

 ドイツでは、クリマノイトラールという(二酸化炭素ゼロの意味だが)標章があるそうだ。その印があるのは、牛はメタンガスを出して地球温暖化ガスを放出するが、その処理をする事業に資金を拠出することにより、相殺して二酸化炭素ゼロとなるのだという。
http://www.theraline.de/klimaneutral.htm

 上記の出来事はほとんど人為的な地球温暖化が生み出したことがらである。そこで私たちにできることといえば、何だろう。まず朝摂りの食材などは、地産地消で二酸化炭素排出ゼロではないだろうか。まず、足元から、できるところから始めようではないか。わが家では数ヶ月前から、生ゴミの堆肥化が進められている。その分だけでも「出雲エネルギーセンター」に出さなくても済むので石油使用量が減少する。また、教化部へはできるだけ自転車通勤を心がけている。雨の日や、遠方へ行って夜遅くなる日以外は使用する。
http://www.city.izumo.shimane.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1127349793917&SiteID=0
http://alic.vegenet.jp/panfu/zukanmokuji.html

*午後には誌友会へ行かせていただいた。出雲は誌友会会誌後1時間で、お茶となる。お茶を飲みながら座談会である。夜は、青年会の学習会のために松江に行った。青年と真理について議論することは本当に楽しい。もっともっと勉強しなければ、と思う。動画が明日青年会にアップされるでしょう。

 中内 英生

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August.24.2009「大発生と大絶滅①」

Img526 August.24.2009「大発生と大絶滅①」
今日の詩::クマゼミや 全山鳴きて  夏終わる

 生物が大発生するとエサの量はだいたい一定なので、食物がなくなり大絶滅になる可能性があるという。大量発生は以前はエチゼンクラゲが有名だった。中国の沿岸で発生し、日本海を浮遊し死んでいく。それは網にかかると網が破壊されるほど重量があるそうだ。NHK番組『ちょっと変だぞ、日本の自然、大発生スペシャル』(2009/2/19)というのがあった。さてその内容だが…。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Nemopilema_nomurai1.jpg

 大阪ではクマゼミが大発生している。100万匹ほど発生しているのではないかという。クマゼミは体長は6㎝くらいになる。私が子どもの頃は他の種類が多かった。羽根が透明なクマゼミは珍しくてこの蝉を捕獲すれば得意になっていたものだ。しかし、ヒートアイランド現象で大阪は乾燥し地面が固くなっている。蝉の幼虫は孵化するとすぐに地面に入らないと死んでしまうそうだ。他の蝉の幼虫は力がなくて硬くなった地面の中には入ることができない。それで死んでしまうから成虫もいなくなったようだ。しかしクマゼミの幼虫は強いのでどんな硬い地面にも入ってしまう。それでクマゼミだけが生き残るという。
このクマゼミは木の枝に尾の産卵管を通して産卵するが、電線とおなじような場所にあるインターネットの配線を木の枝と間違えて産卵管を通す。それでインターネットが断線する。クマゼミの産卵管の先はものすごく硬いので貫通が可能だ。地球温暖化とヒートアイランド現象、これは人間が作ったものである。その結果、大阪はクマゼミが大発生し、他の蝉はいなくなったというのである。

http://www.photolibrary.jp/search/?p=%A4%AF%A4%DE%A4%BC%A4%DF

 また、三陸海岸の泊浜ではウニが大発生している。しかし、よく見ると回りは海の砂漠である。磯焼けというそうだ。そのウニは実はあまりない。ウニは海中林の海藻を食べて育ち生きるという。しかし、海中林を構成している海藻のアラメという海藻がほとんど亡くなっているのだ。何故かというと、この辺りは以前と比べると海水温が高くなっている。1度摂氏高くなると、アラメという海藻の芽は出にくくなるという。従って、アラメが消滅してしまい、ウニはいるが、エサがないので内容は食べられないようなウニだけがたくさん存在するようになったという。日本全国の39の海のある県の中、34の県で磯焼けが起こっているという。水温の上昇は地球温暖化が原因である。「珊瑚も類」という藻があるが、ここからはウニを増やす物質が出る。それに反して海藻林からはウニを減らす物質が出るという。従って、海藻林がなくなるとウニが増加するらしい。それらは何億年もかかって作られた海の生態系だが、一度の温度の上昇によってそれらが破壊されつつあるとのことである。
 この番組を学習すると、破壊されつつあるシステムが実に絶妙に働いていたことを知って、生命界の神秘に驚くばかりだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Seaurchin.jpg

*今日は、江津の先祖供養が行われた。参加者は15名前後である。継続されることは実に素晴らしいことだ。継続は力であるからだ。今日は大田からも信徒さんがお出でになった。御祭のあとは地方講師の受験勉強会がいつものように約2時間、開催された。二人の受験生が熱心に受講しておられた。H講師会長さんとI地方講師が指導に当たった。理路整然として見事なものである。教化部で行う受験勉強会が主となるが、ここは受験勉強会の出前となる。私ももっともっと真剣に真理を学ばなければならないと、この受験勉強会を見て思った。先輩の故T元本部講師は、私が仕事のお伺いで部屋に行くと、いつ行っても聖典を拝読し、ワープロで抜き書きしていた。そして少しでも時間があると聖経を拝読しておられた。故T元本部講師が聖経を読むようになったのには理由がある。ある時、お会いした某会社のO社長さんが実に雰囲気が良くなっていた。どうしてそんなに雰囲気が良いのかとお聞きすると、O社長は、『聖経を○万回拝読したから』と答えたという。それでT講師は、O社長に負けてはいけないと考えて読み始めたという。O社長さんのお名前が、この度の宇治の盂蘭盆供養大祭でお祀りされることがパンフレットに出ていたので懐かしく思い出された次第である。私たちは諸先輩の信仰のよき習慣を継承していく必要があろうと考えられる。

 中内 英生

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August.23.2009「見えるとはどういうことか?」

Img528 August.23.2009「見えるとはどういうことか?」
今日の詩::学ばんと 秋の夜長を 読み通す
*これからは聖典等の拝読の季節です。

 今日、私は地方講師受験勉強会の昇格受験勉強を受け持った。5時間が瞬く間に終わった。『心でつくる世界』をテキストにして学習をしていたが、42頁の『見えるとはどういうことか?』を学んだ。私はここの学習が大好きだ。かつて一冊の生物学の本を読んだ。20世紀の最大の発見は眼球に於ける見えるということの意味を分子レベルで解明したことであると書かれていた。私たちはテレビやパソコンで映画を観る。その際、現物が平たいパネルの上で動いているわけではない。こまかい光の点滅がディスプレー上で行われている。その点滅の変化が網膜上で起こることは誠にもすごいことである。そのことを本は解明していた。分子式が色々と並んでおり、私の理解能力の限界を示していたが、人間の身体の進化の果てにこのような高度な認識の道具を作り、時間と縦横の空間、さらに霊界や潜在意識などという厚みがある認識の形式を理解するに至る。すごい!と言わざるを得ない。さて、43頁の4行目には次のような意味が書かれている。

 人間のもつ感覚器官で最も重要なのは「目」だと言われている。なぜなら目は心の窓と言われるだけでなく、脳に直接つながった神経細胞を持ち、さらに一つの目だけで1億3700万個の光の受容体を持つ。この数は両眼を合わせると2億7400万個となり、人体の感覚受容体全体の70%に相当するという。目は、全体では10億個以上の部品からできており、目だけで心臓の約三分の一の酸素を必要とし、体内の器官の中では最大量の亜鉛を消費する。つまり人間は生きるために、それだけ大量の情報を目から得なければならないということである。だから、人間は「視覚的動物」とも言われる。

 大体このような意味である。話はちょっと横道にそれて申し訳ないが、「目は口ほどにものをいう」という言葉がある。高校で習った漢文の時間に起承転結というのを学んだ。それは次のような文章である。「京の三条の糸屋の娘、姉は十六妹は十四、諸国大名は弓矢で殺す。糸屋の娘は目で殺す」。こんな内容の文章だったと思う。いずれにしろ、目は心をよく反映するので、嬉しそうな、楽しそうな、愉快そうな目をしていることが必要だろう。谷口雅春先生の御文章で、目にはずるそうな目や誠実な目や色々あるが、ずるそうな目の人は好きになれない」という意味のお言葉だったと記憶している。私はこの御文章を拝読して、何だか安心したという記憶がある。

  もう一つの、御文章の大意を考えてみよう。45頁の6行目である。
そもそも、この光とは何だろう。地上の光の大部分は太陽からやってくる。太陽がなくなれば、したがって地球はたちまち暗黒となる。ものがみえるのは、その太陽からやってくる光がものに反射して、我々の視神経を刺激するからである。では、太陽から反射される光は、すべてが人間の視神経に感じられるのか?答えは否である。というよりも、地球に届く太陽エネルギーのほとんどは、人間の目には感じられない。感じられるのは、そのうちのほんのごく一部分の可視光というものだけである。

  この太陽から来る光には、太陽風というのがある。それは一種の電磁波であるが、太陽から四方八方に吹き出している風である。でも、それは地上を吹く空気の風とは違って、電気を帯びた気体の風のようです。太陽風の速度は、毎秒300~800キロメートルもの速さで太陽から吹き出しているそうです。そのエネルギーですが、太陽風の温度は地球の近くでは10万度もありますが、粒子は1cm3あたり10個程しかなく、ほとんど真空に近い状態とのことです。しかし、この希薄な太陽風が地球へ運んでくるエネルギーは莫大で、日本全国で毎秒消費されるエネルギー量に相当するとしています。ともかく、莫大なエネルギー量でして、太陽光発電は、その中のエネルギーのほんの一部であるということでありましょう。

  徳の中で何がもっとも上位に置かれるべきであるかというと、「明るさ」であるという。明るくないと何も見えない。ここにも太陽の如く明るい光の如き心が大切であることが示されている。
『私の行くところに太陽が照り輝く。私は太陽である』。私の大好きな谷口雅春先生のお言葉である。
 
 今日は横道が多かったですが、『心でつくる世界』は現代版『生命の実相』とでもいうべきものです。どうぞ御拝読下さい。

*今日は地方講師受験勉強会があった。伝道をし愛行をする決意の方々の雰囲気は素晴らしい。地方講師を目指すと言うことは、決して肩書きではなく、人を救わせていただくこだと思う。今日の二名のインストラクターの方も実に優秀です。このような素晴らしい地方講師さんとご一緒に、同志としてご指導させていただけることは本当に光栄です。        桜森人さんによると、所属の平田東相愛会は受験勉強会参加者が2名もあったそうです。『人類光明化運動・国際平和信仰運動をすすめるには、真の信仰者を何人育てるかということだと思いますが、前向きに勉強会に参加されたことに敬意を表し、また非常に頼もしく思いました』とのことです。

 中内 英生

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August.22.2009「宮崎あおいさん」

Img525 August.22.2009「宮崎あおいさん」
今日の詩::奇蹟とは 日々の生活に 見る光

 宮崎あおいさんが原寸大で日建新聞(2009/8/18)に載っていた。何だろうかと見てみるとカメラの宣伝だった。オリンパスペン。父親が兄の修学旅行のために買ってあげたことを記憶している。父親はカメラが好きだった。夜遅く写真の焼き付けをしていた。暗室があるわけではなく夜に写真を作った。当時は白黒だった。オリンパスペンを制作した人の体験記が生長の家の雑誌に掲載されていたことを記憶している。私が中学時代だったろうか?
 宮崎あおいさんは、篤姫役で有名になったが、篤姫は江戸城明け渡し後、2千人?くらいだったか、責任をもって大奥の女性の行き先を世話をしたことで有名である。明治政府が援助を申し出たがそれを断る。そして亡くなったときは、ほんのわずかなお金しか残っていなかったらしい。しかしかつての大奥トップとしての責任を最後まで果たしたその誠実さは、言いようのない共感を感じる。また、先日観たアニメ、「テッコン・キンクリート」での声優で彼女の声を覚えた。

 さてそんなことを書くつもりではなかった。全面を使ってのオリンパスのコマーシャルには、「私の世界は、想像以上だ。」という題名の詩が書かれている。その内容がどうも写メール俳句の神髄を説いているように思えたのでそれをご紹介したいと思う。

いつもの時間に目が覚めて
いつものかばんを持ち、いつもの靴を履いて、
いつものわたしで、いつもの時間に家を出る。
いつもと同じ歩調で歩きながら、いつも通る道に花を見つけた。
いつものかばんから買ったばかりのペンを取り出し、パチリ。
いつもと違って見える。なんかいい。
昨日の雨が、水たまりになっている。パチリ。
いつもはジャマなだけの水たまりなのに、きれい。
今日はそこにあってくれてありがとう。
いつものお店。そこでたまに見かける女の子は店長の娘さん。
撮っていいですか?
いつもはおとなしく恥ずかしがり屋なのに、
カメラの前でははじめて見るような笑顔だ。
お店を出たあと、空を見上げてまた、パチリ。
すっかり見慣れたと思っていたビル越しの空が、
いつもと違う表情をしておさまっている。
思わずドキッとしてしまう。
私のまいにちがこんなに特別なものだなんて、知らなかった。
ペンと私の帰り道、もうすっかり夜。その時ドーンと大きな音。
そうか、今日は花火の日。2009年の夏を、パチリ。
私の世界は、わるくないぞ。
想像以上に、とても素敵だ。
小さいことは、よろこびを大きくするから。
オリンパスのマイクロ一眼、ペン。

 最後の宣伝は写メール俳句には関係ないが、一応書いておいた。このような日常生活の中に奇蹟を発見することが私たちを明るくし、喜びに満ちた生活にするのだと思う。

 中内 英生

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August.21.2009「転んだとき力がつく」

Img529 August.21.2009「転んだとき力がつく」
今日の詩::四万十や 幼き日々の 水遊び

 『生命の実相』第7巻2頁には困難に対する神の子としての考え方が示されている。
次の如くである。

 兄弟よ、海の波が巌にたわむれるように、困難にたわむれよう。猿が木の幹をよじ登るのを楽しむように困難を楽しんでよじ登ろう。もし軽業師が綱の上を渡らないで、平坦な大道を歩くだけならば、誰も喝采する者はないであろう。梅の花は烈々たる寒風の中で開くので喜ばれるのだ。
 兄弟よ、私は苦しみに耐えよとは言わない。「生長の家」では苦しみにたわむれるのだ。いかなる苦しみも戯れに化するとき人生は光明化する。
 盤根錯節は「生命」が戯れるための一つの運動具である。諸君はスキーを多難だというか。登山を不幸だというか。ゴルフを艱難だというか。競泳を悲惨だと言うか。いかなる苦しみも戯れに化するとき人生は光明化し、そこから剛健なる無限の生命力が湧いてくる。

 多少、パソコンの変換文字の違いがありますので、本文でご確認いただきたい。さて、その困難は魂の生長という意味に於いては大いに意義のあるもののようです。
 先日、親類のTさんと話をしました。彼は、転んで起きるときに力がつくという話をしてくださいました。何の話かというと人生の話ではなく、合気道の話なのです。植芝盛平先生という創始者が、大本教におられたそうで、この武術を編み出したのだそうです。しまもこの武術は相手を敵とみなさないので試合をしないようです。まったく不思議な武道です。さて、Tさんですが、長年お付き合いしていただいていますが会社の社長さんです。

 彼は今までは毎週、二回も合気道の稽古に通っていたらしいのです。しかし、最近は週に四回も行っているというのです。何故かという理由を聞いてみました。合気道では若い人と稽古をするととても楽しい。ちなみに彼の肉体は実に若いのです。そして顔や雰囲気も若者のようです。それでも私よりも二つ上です。また、合気道は転ぶときに受け身をするときに、筋肉がつくそうです。また、起き上がる時には、身体に力を入れるので健康にも実によいらしいのです。彼の父親は、現在99歳ですが未だにマラソンをしているといいます。しかも60歳代からマラソンを始めたようです。どうも私の親類筋には長寿の遺伝子があるらしいです。ちなみに何歳生きるかを聞いてみると、120歳だそうです。なるほど。考え方も実に軟らかいです。前向きです。光明面を観ています。

*光明面をのみ見るときに、暗黒面は消えていく。本当によくぞ生長の家で暗黒面消滅法を教えてくださったと心から感謝する次第であります。

*雲南のある支部長さんが言われました。支部長を引き受ける時は、家庭的にもとてもできる状態ではなかった。しかし、ほかに受け手がないので引き受けた。そして年月が過ぎ、今振り返ってみると、現在では何にも問題のない素晴らしい家庭になっている、と。このお言葉をお聞きし、私は一瞬、その支部長さんを拝みました。何という素晴らしいお言葉であろうか、と。私たちは、真理の聖典を拝読し、神想観をし、先祖供養をし、そしてお役に着かせていただき愛行をさせていただくとき、どんな問題でも解決し、本当に素晴らしい人生が舞い込んでくるのであります。

中内 英生拝

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August.20.2009「宇治で思い出したこと」

August.20.2009「宇治で思い出したこと」

今日の詩::ユリの花 秋風吹きて 香り乗せ Img543

 宇治の盂蘭盆供養大祭の全国流産児無縁霊供養祭の時のことです。神官として境内地を歩いていたとき、手を振ってくださる人がいました。一瞬、どなたかを思い出したので会釈をしましたが、その後ご連絡をいただきました。その方は私の昔のことを書いておられましたが、それは相当昔のことで、私が若い頃のことです。  私が某練成道場に勤務していたときのことです。ある教区のご年配の女性が長時間トイレから出て来ないといって受付に連絡に来たのでした。

それは某年五月の白鳩会全国大会に皆様が宿泊された時のことでした。私はすぐに現場に行きました。すると、数人の人がトイレの前に立って話をしているのです。場所が場所だけに私は戸惑いました。すると、どなたかが「急を要することです。中に入ってどうなっているか見て下さい。話しかけても全然、返事がないのです。お願いします』と言いました。私は意を決して扉の金具に足をかけて、かなり高い扉の上を乗り越えて中に入りました。現在の私の体型とは違い、身軽でした。案の定、中では倒れておられました。すぐに扉を開けて、救急車を呼んでいただきました。その間、その方の周囲を整えて神想観に入りました。『彼女はすでに完全円満である』との念を強く把持できるように努めました。そのうちに救急車がお出でになり病院に連れて行きました。

  既に亡くなっておられたのですが、ご縁はあまりなかったとはいえ道場員として完全な祈りと愛を捧げることができなかったという無念の思いがこみ上げてきました。私たちは、故T元本部講師から、『私たちは谷口先生と信徒とを繋ぐ奉仕員である。そのことにいのちをかけて行じなさい』ということをくり返しくり返したたき込まれていました。それ故の無念の思いでした。道場にいると、時々、このようなことがあるのです。  しかし、某教区の方が言われました。これは私への慰めだったかも知れませんが、『その女性は一人暮らしだったので、みんなにお経をあげていただき、聖地である練成道場で昇天できたことは幸福だったのではないでしょうか』と。その晩は、道場の方式に従い、朝まで道場員が交替でご遺体の前でお経をあげさせていただきました。  このことを、宇治でお会いした方が教区の先輩からの伝え聞いて私に言ってきたのでした。

長期間、忘れていたことを私は思い出しました。そして、もっともっと真心を込めて、島根教区の信徒の皆様、島根県民の皆様の為に愛を行じ、真心の祈りと行動を捧げなければならないと決意したことでありました。

 もうお二人、宇治でお会いした方で台湾の人がいました。私が台湾時代にお世話に成った方です。一人は開拓専門の女性でした。生長の家大好き人間で、母親教室を学校を借りて開催するのです。日本と随分と違うなあと思ったことと、彼女の伝道の迫力にはいつも圧倒されていました。このような方がおられたので台湾の光明化は開拓されていったのでしょう。 もう一人は、台湾で青年会作りでともに活動した方でした。私は40代半ばでしたので台湾の若者と波長が合いました。当時、台中で活躍しておられた「○○」さんと云われる男性の人にも宇治でお会いすることができました。懐かしかったです。どこにいっても一所懸命に御教えをお伝えさせていただきたいという思いは能力の有無にかかわらず発心の19歳の時から変わっていないようです。

 宇治でお会いしたある若い教化部長さんからも色々と教えていただきました。教化に関しては私の方が経験があるのかも知れませんが、徳の積み方、真理の理解度などはとてもその人にはいかないません。世の中には若くても素晴らしい人がたくさんおられるようです。  今日はここまでにさせていただきます。  

中内 英生   

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August.19.2009「宇治盂蘭盆供養大祭終了」

August.19.2009「宇治盂蘭盆供養大祭終了」
今日の詩::山越えに 秋陽さんさん 中国道
*中国道を通って帰って参りました。Img544

 今日で大祭は終了した。このブログも休まず書くことができた。また、毎日お読み下さっておられる方がいらっしゃるとお聞きして心から感謝申し上げる次第です。もっと、充実したブログになりますように、少しでも島根の皆様のお役に立たせていただけますように微力をささげさせていただきたいと存じます。

 お仲間の教化部長の皆様と色々と情報交換をしていると島根での次の一手が見えてくるようにも思います。ともかく生長の家の運動は、喜んで感謝しておこなう運動でないと長続きがしません。それにしましても、大先輩の楠本総務の体力たるやすごいです。一日中、朝から晩までよくできるなあ、と思いますが、私がご指導いただいた三年半の楠本本部講師と現在とは変わっていないように思えました。やはり、神様の御教えをお伝えするという使命感と喜びで生きておられるのではないでしょうか。

  今回は、どういう訳か教区の人で色々な人にお会いできた。嬉しかったです。『覚えていますか?』と言われても、思い出せないこともあった。それだけ沢山の人々と生長の家のお陰でお会いできたということでありましょう。しかし、相手の方から感謝のお言葉を頂けるのは本当に有難いです。元気の源です。谷口先生のお陰です。

 今日は、車が宇治を四時過ぎに出発して、教化部に10時20分頃に着いた。お疲れ様でした。おっと、生長の家は「お元気様」というんでしたか。この大祭の間に、宇治からの情報をホームページにアップしていただきました。動画ができるのですね。すごいです。今後は、この動画を活用して色々とやってみたいです。アップしたのはほとんど私の旧式の300万画素の携帯ですので、もっと画質のよいものを採用したいです。英語で真理の言葉の読み上げの動画もやってみたいです。例えば、『人生の扉を開く』などから御文章をお借りしてです。
 島根に来させていただいて、一日も欠かさずにブログを毎日更新させていただいていることを心より感謝いたします。ブログは航海日誌のようなものですので原則、毎日書くのでしょうが、なかなかキチッと書こうと思うと肩の荷物が重くなります。肩の力を抜くことが必要でありましょう。今日は、特に他の情報はございません。これで終わらせていただきます。
 感謝合掌。

 中内 英生

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August.18.2009「終戦の日③(了)」

Dsc03444 August.18.2009「終戦の日③(了)」
今日の詩::宇治よりの 動画アップで 元気でる
*私流に言わせていただくと、「宇治」は盂蘭盆供養大祭と同義語で、秋の季語ではないかと考えられる。強引すぎますかね?

(つづき)
   谷口雅宣先生は、生長の家の運動史に関連して、生長の家第二代目総裁を御襲任された谷口清超先生の大東亜戦争をめぐる御論説について簡単に触れておきたいとしておられる。

 谷口清超先生は、昭和六十年十一月の新総裁襲任生長の家秋季記念式典に於いて、日露戦争から大東亜戦争に至る日本の行動について、次のように述べておられる。
*この日の数日前、私はこの日に合わせて東京で結婚式をして長崎に向かった。私は本部練成道場の職員をさせていただいていたが、この日はどうしても参加させていただくべき式典であると感じていた。その判断は間違っていなかったと確信する。私はそのころの講話では毎月、法燈継承についての内容を必ず入れさせていただいていた。
 次に、清超先生のお言葉の内容を記載します。島根の皆様は、正確を期するためにⅶ頁でご確認下さい。(『新編聖光録』の部分が谷口清超先生の御文章の内容です。)

 即ち明治天皇様が日露戦争の宣戦布告をされまして、日露戦争が行われ、日本が死力を尽くして勝利し、獲得した満州の資源と利権。これを今上陛下(昭和天皇様)はお譲りを受けられていたが、その後、色々な事件が満州で起こり排日運動が高まった。そこで絶対にこの権利を死守しなければならないと考えたのが当時の政府であり、軍部であった。しかしながら今上陛下は満州の事変を拡大するなとおっしゃっておられた。ところがその御心に反して、どんどん満州に軍を進め、遂にそれがシナ事変、そして中国大陸に布陣する大戦争になってしまった。そこへアメリカが色々なことを言ってきて日米交渉が行き詰まったのです。この時にもまた今上陛下は、アメリカと和平交渉をしなさいということを強くおっしゃっておられたのですが、軍部及び政府はそうではなくして、開戦の方向へ決定を迫られていった。これは国民世論がものすごくそれを支持していたからですが、そういう風にして遂に大東亜戦争に突入し、結局敗戦ということになった。(『新編 聖光録』298~299頁)

 谷口雅宣先生は言われる。『前述の御発言の主旨を一言でいえば、「大東亜戦争の原因は満州の権益に対する日本全体の執着心と、天皇の御心を無視した政府や軍部、一般国民である」ということになるだろう。従って、大東亜戦争が”聖戦”(神の意思を体した戦い、もしくは神が指示された戦い)であるはずがない。谷口清超先生は、新総裁となって以来、これと同じ主旨の論文を次々と月刊誌に発表された。本書の80頁に添付した「大東亜戦争をめぐる谷口清超先生の御文章」というリストが、このことを如実に語っている』と。

 以上のような谷口雅宣先生の御文章です。おそよ40年前に、私の上司のK元本部講師が講話で言っていたことを思い出す。『戦争を起こした人は誰かを当てます。皆様の中で日米開戦の時、日の丸の旗を振って行進した人はいますか?』。すると多数の人が手を上げた。『はい、今、手をあげた人達が戦争を起こした人です』と言っていた。中には怒りを抑えきれずに抗議し卒倒した練成会員もいた。しかし、谷口清超先生、谷口雅宣先生の御文章を何度も繰り返し拝読していくと、そのご真意が己の心にハッキリと浮かび上がってくる。
 谷口清超先生の御文章のリストのご紹介はまたの機会に譲ることにする。いずれにしろ、生長の家の運動の中で大東亜戦争の真実を御文章を拝読して把握し、さらに戦乱で散って行かれた英霊に対して真心のご供養を申し上げ、護国の英霊と成られ、さらに国際平和信仰運動の守護神ともなっていただくように、明日は心身ともに浄め、真心を込めて、精霊招魂神社の御前で英霊の皆様に対して聖経『天使の言葉』読誦のご先導をさせていただきたいと切に念願する者であります。
 勿論のことでありますが、総裁先生ご夫妻様が聖経をあげられ、ご供養をされるのであります。それは三代にわたって総裁先生がご供養されるところの誠にも尊きご供養の式典であります。斎主であられる生長の家総裁谷口雅宣先生のご奉祀のもと、生長の家白鳩会総裁・谷口純子先生のご臨席のもとに行われるのであります。
本祭の時間は、午前9:00~10:45。精霊招魂神社の御祭の時間は、午前10:55~11:45までです。全国流産児無縁霊供養塔供養大祭は午後1:00~1:50。末一稲荷神社大祭は午後2:05~3:00です。教化部から行っているレンタカーは終了後、帰ります。私も同乗させていただく予定です。島根の信徒の皆様で、お時間の取れます方々は上記の時間に合わせて総裁先生と心を一つにして聖経を読誦してください。  
(終わり)

*!特報!!!青年会のホームページで動画をアップするテストに成功しました。一歩前進です。これから神性表現の幅ができます。私のブログでは「動画メール俳句」すなはち動メ俳を作ろうと考えています。

*今日は、浄化の火で御霊抜きした霊牌を焼却させていただいた。午後は、招霊祭だったが、どういう訳か、30分間ほど早く終了した。夜は盆踊り大会があった。懐かしい人々にお会いできてうれしい。みんなで元気に一人でも多くの人々を救わせていただき、真理の輪を広げましょう。

 中内 英生

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August.17.2009「終戦の日②」

August.17.2009「終戦の日②」Img524
今日の詩::栗の木に 苔むす様は 自然なり
*精霊招魂神社でリハーサルをしているとき、側の大きな栗の木を見ると根元には青々とした苔がたくさんできていた。美しいと感ずるのは右脳であろうと考えられる。

(つづき)
「大東亜戦争の評価」と並行して、生長の家の光明化運動で戦後大きく変わった点がもう一つ存在する。
 立教当初、雅春先生は個人の問題や社会の問題を「心によって解決する」という立場をとられていたが、前述したように、個人を越えた最大の社会問題である戦争を経験した後は、一転して政治への関与を志されるのだった。これは、生長の家社会事業団の設立(昭和21年)に始まり、優生保護法改正運動の提唱(同34年)、生長の家政治連合の結成(同39年)へと展開することとなる。これと並行して谷口雅春のご著書も政治に関するものが増えた。『憲法の正しい理解』(同43年)、『占領憲法下の日本』(同44年)、『続占領憲法下の日本』(同45年)、『占領憲法下の政治批判』(同46年)などが、それぞれ十万部を超えて頒布されている。
*当時、上記のご著書を何度も拝読した記憶がある。「師の御心を知りたい!」との一心であった。「走っていて転んでもよい。日本を救わなければならない」という意味の谷口雅春先生の御文章に接したとき、私も勇気を消極的な自分にむち打って勇気を出して友人に師の御心をお伝えしていった。そしてそのためには自分の人生を捧げなくてはならないと決意して、生長の家に入らせていただいた。当時は、政治的にはそれだけ緊迫していたようだ。

 しかし、宗教と政治が一体化した運動には弊害が現れ、教勢は拡大せずにむしろ縮小傾向が見られ、政治目標も達成できないまま時間が経過していった。そして昭和58年夏に、生政連の活動は停止された。この後、生長の家は政治運動から完全に撤退し、個人や団体の利益のためではなく、”神の御心”を第一として生きる信仰者をあらゆる分野に於いて増やすために、布教と伝道活動に力を傾注することとなった。

*師の御心のままに師が行かれる所へ行き、師が目指すところを目指したい。これが弟子としての真情ではないかと思う。生長の家は中心帰一の御教えであり、『生長の家大神ー総裁・副総裁ー御教え』の展開を考えたとき、現総裁先生の御心のままに行動することは弟子として当然のことでありましょう。
 生政連の旗が各教区に与えられるとき、本部では生政連旗に祈りを捧げた記憶がある。私は、本部の会場で参加させていただいたが、私は谷口雅春先生が御気合いをかけられる瞬間は目をあけて見ていた。雅春先生は両手を並ぶ各教区の旗に向けて祈りの波動を照射するが如く、両手を旗に向けて動かしておられた。私はそれを見て、先生の”強い強い御意思”を実感せざるを得なかった。
  師はご著書で語られる。『キリストの言葉には、”人その友の為にいのちを捨つる、これより大なる愛はなし”、とあるが私たちは、”人その國の為にいのちを捨つる。これより大なる愛はなし”である』との師の御文章に触れたとき、私は奮起せざるを得なかった。微力ではあっても自己の持てる力のすべてを捧げよう。そう思わずにはいられなかった。
 当時の谷口雅春先生の御心は、「明想浄机」という項目で『生長の家』誌にお書きになっておられた。私たちは、それによって先生の御心をいち早く知ることになる。現在では、谷口雅宣総裁先生がブログに書いておられる。このように師の御心を日々、ブログによって世界中から知ることができる宗教は、いまだかつて地球上には存在しなかったでありましょう。その点でも生長の家は、最高の現代に即した運動形態をとっている世界宗教ではないでしょうか。
 島根の信徒の皆様!。インターネットを活用して大いに、師の御心を学び、かつ実践させていただこうではありませんか。
  嬉しいことに、白鳩さんは少しずつご家庭にインターネットを導入しておられるようです。写メ俳同人の「松ぼっくり」さんは、一年かけて御主人にご了解を得て、先日導入されたそうです。それは、谷口雅宣先生のブログを拝読するためであります。インターネット導入がまだの方は、どうぞ携帯でご覧下さい。
  (つづき)

*今日は、かなり暑い日となった。霊牌から「みたまぬきの儀」を執り行う送霊祭が主なものだったが、私は、霊牌を安置している場所からベルトコンベアーで外へ送り出すのが任務だった。愛知のK教化部長のもとでつとめさせていただいている。
 宇治へ来ると全国からお出でになる知人に出会うことができることがうれしい。楠本総務が、『年に一度なつかしい人々にお会いすることができるのは、ここにおらせていただいているお陰です』と言っておられたが、誠にもそうであると思う。

 中内 英生

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August.16.2009「終戦の日①」

Img517 August.16.2009「終戦の日①」
今日の詩::青空に いのちを繋ぐ 蝉の夏

 昨日は終戦記念日だった。正午の時報と共に黙祷を捧げさせていただいた。
 戦争に関して言うと私は昭和23年2月8日に生まれたので戦争のことは知らない。しかし、母から空襲のことはよく聞かされていたし、学校の先生からも何度も話があった。家の近くの神社は爆風で飛んで破壊され、その境内地でよく遊んだ。高校の近くには大きな窪地がありそこでは水田耕作がされていた。そこは戦時中、爆弾が落とされてできた窪地だという。現在は埋め立てられ住宅になっている。当時のことを調べていくと、筆舌に尽くしがたい思いがする。しかし、…。

 戦争とは何かということを御教えは、「神は戦争を創り給わないから実相に於いては本来存在しない」と教えておられる。また、「人類の迷いと迷いとが相打って自壊する姿である」とも教えられている。私たち信仰者に於いては、御教えに於ける戦争の考え方を正確に理解しておく必要があろう。また、島根の信徒の皆様は『歴史から何を学ぶか』の「監修の辞に替えて」の所を熟読されたい。ⅳ頁の16行目からⅷ頁の6行目までに書かれている大体の意味をお伝えしたい。しかし、微妙に意味が違っていてはいけないので、是非とも、総裁先生の御文章で確認していただきたいと願っている。

 『生長の家の運動は、昭和5年の立教からすでに四分の三世紀を経過している。この時間の流れは仏教やキリスト教の歴史と比べると極めて短い。しかし、運動の手段や方法に於いて生長の家は何度も大きな変化を経験している。これは創始者谷口雅春先生の生きてこられた20世紀が戦争の時代とも呼べるような変化と動乱の時代であったことと大いに関係している。時代が変化すると、それにつれて宗教の運動の方法も変化する。

 最初の大きな変化は、日本も参加した世界大戦と共に起こっている。普通の歴史教科書では、第二次世界大戦は1941年に始まったことになっているが、この大戦の原因となる種は、ずっと以前から世界各地に播かれていた。日本が大東亜戦争と呼んだ戦争に限って言っても、それに先立つ日中戦争、満州事変、さらには日露戦争にもその原因を遡って見ることができる。日本はこれらの戦争の一方の当事者であるから、日本政府が自らの行為を正当化するのは当然であると言ってもよい。天皇陛下を仰慕され、「天皇信仰」を説かれた谷口雅春先生であるから、「萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(大日本憲法第1条)と定められ、かつ「神聖ニシテ侵スベカラス」(第3条)として自ら天皇を戴いた当時の政府が、陛下の御意思を尊重し、また当時の軍隊も、「天皇ハ陸海空軍ヲ統帥ス」(第11条)と定められた通りに陛下の意思に沿って行動していたと信じられたとしても不思議ではない。しかし、事実はそうでなかったことを、我々は戦後知ることになる。文献から推測する限りに於いて、谷口雅春先生がこのことを知られたのは戦争末期の昭和19年の末ごろである。それまで谷口雅春先生は、「皇軍必勝」の色紙(短冊)を書き続けられながら日本軍の勝利を祈念されていた。

 このような経緯があったため、谷口雅春先生は戦後しばらく、大東亜戦争を陛下の御意思を無視した「侵略戦争」として否定的に評価されることになる。しかし、大戦後にやってきた米ソの「冷戦」という新事態の下で、国内に戦前の日本社会のすべてを否定し、社会主義・共産主義革命を目指す勢力が台頭し、国政に影響を及ぼすようになってきた。そこで谷口雅春先生は、天皇を含めた日本の伝統を擁護する立場から、かつての戦争もアジア・アフリカ諸国の独立等の「良い結果」をもたらしたという点を捉えて、積極的な評価を発表されるようになられた』。

 上記の意味を、入信して長く信仰しておられ、その時代、時代に於いて師と共に感じておられた方々は充分にご理解できるのではないかと思う。また、最近入信された方も谷口雅宣現総裁先生の御文章を拝読するとき、その真意をご理解するに至ると思います。さらに冷戦下においても大変な思いを日本人はしてきた。沖縄の人々のことやシベリアから帰ってきた人々や今に至るまでその影響は残っている。
 私の知人だが、御主人が戦死したと知らされ、子ども(知人)を連れて母親は再婚された。しかし数年経ってから御主人が戦地から命からがら帰ってきた。子ども(知人)の顔を一日として思わない日はなかったと言っていたという。
 戦争の歴史の中でも、生長の家は存続した。そして現代に於いて世界宗教として海外にも展開しつつある。これが人為のものであれば、消滅したかも知れない。しかし、神様は人類に生長の家を通して光を注ぎ給うと考えられる。
(続く)

*今日は、有難く暑い一日となりました。明日から宇治の大祭です。私の担当は、奇しくも、8月19日、精霊招魂神社大祭に於きまして、英霊がお祀りされている精霊招魂神社前で、聖経『天使の言葉』を拝読する任務を仰せつかっております。

 中内英生 

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August.15.2009「メキシコ美術(おわり)」

August.15.2009「メキシコ美術②」
今日の詩::軒の下 突然鳴いて 歓迎す

 妻のフリーダは、『メダリオン(円形装飾)をつけた自画像』(19Img516 48)を描いている。メキシコでは顔の周りにつけるこの衣装は通常は、誇りと喜びの象徴としてお祝いの時などに使用するらしい。
http://sankei.jp.msn.com/photos/culture/arts/090715/art0907150755000-p1.htm

 また夫のリベラは『フチタン川』(1953-56)というのも発表している。現地の生活の一こまである。リベラはそれらの生活や習慣や思考にメキシコの原点があると考えたようだ。今福龍太さんと云う方がコメンテイターとして加わっていた。東京外国語大学大学院教授をしておられる。彼は言う。「メキシコ革命は、ヨーロッパのものとは違う。先住民時代への伝統回帰である」、と。

 画家リベラは、そのようにメキシコ人のアイデンティティーを求め続けた。それと同時にもう一つ目をつけたのが、毎年11月初めに行われる『死者の日』(11月1日ー2日)である。メキシコ人にとって死と生は一体である。この行事は、家族親戚がお墓に行って、お祀りをし、歌を歌い踊り、食事をし、お酒を飲み、その日に帰ってきた先祖の魂と共に祝うというものであるようだ。ご先祖は生きているということを前提にしてお盆もあり、間もなく始まる宇治盂蘭盆供養大祭もあるのだが、死者の日の祀り方は、日本人の感覚とはかなり違う。それは「楽しく明るく愉快に」である。この行事は世界的に有名なようだが、私は英会話教室へ行くまではまったく知らなかった。

 リベラは、『死者の日』(1934-4)も描いている。決して不吉な感じで描いているわけではないようだ。却って喜びと感謝の思いであろうか。
http://blogs.yahoo.co.jp/white_olive_rakuen/3486409.html

  メキシコは、左脳のコトバによる伝達よりも、右脳によるイメージ伝達の方が発達しているようだ。従って、文書よりも壁画運動が発達する。以前の壁画は、警察の取り締まりの中で行われていた落書きだったが、現代は、彼らは立派なアーチストとしてみなされて、壁画を描いて貰いたいとの依頼がたくさんあるようだ。いわゆるストリート・アートである。映像を見ると、彼らはスプレーを多用している。そして実にうまい。テクパトウルというグループが紹介されていた。

 メキシコ人とは何かという問題が論議されていた。今福教授は言う。『現代は、貧困の故に、アメリカへの季節労働、そして不法越境などにより、メキシコの古い共同体は崩壊しつつある。また16世紀にはスペイン人が入ってきた。その後、19世紀には移民の流入、20世紀には沢山の人々が流れ込む。ソ連の圧政により逃れてきた人々、トロッキー夫妻もその中の人だろう。ナチスドイツから逃れてきた人々、そういう人々でメキシコは存在する。しかも、60%は先住民と白人との血を引いている。その中で、アイデンティティーを探し求めるという意味は、何なのか。アイデンティティーとは、自分が自分であることの自我同一性の認識であるというが、今福さんは、『自分の中にある他者性の発見』であるとした。この発現は重要であろうと考えられる。それはメキシコ人の中にある先住民であり、スペイン人であり、その他移民してきた民族であるのだろう。
  http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4SKPB_jaJP267JP267&q=%E4%BB%8A%E7%A6%8F%E9%BE%8D%E5%A4%AA&um=1&ie=UTF-8&ei=ltGESv-zKIOHkQXmj9TBBw&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4

 あくまで説ではあるが、アフリカ起源説に従えば、すべての民族はアフリカから同一の母親を起源として誕生したとしている。数十万年、数百万年を経て移動して世界に散らばり、環境に適応する人体に変化させて、約500年前にアメリカで再び合流したとされる。
 日本人にしても、旧石器時代から二回にわたって日本列島に到達し日本民族の基盤になったとの説がある。それからさまざまな人々が到達し、日本民族を構成するに至ったのだろう。それ故に、あえて誤解を恐れずにいうと、万教帰一の御教えは、自己に内在する極めて数多くの民族の考え方を包含している日本民族のアイデンティティーではなかろうか。そして自己の内在する他者性の発見であるのかもしれない。それ故に、日本の地に於いて、世界中の人々を調和させる力を秘めている万教帰一の御教えが誕生するに至ったのではなかろうかと類推するこができるのではなかろうかと考えられる。
 すこしメキシコ美術から離れたので元に帰ることにする。

 リベラやフリーダの物語では、トロッキーが登場する。ロシア革命の時、レーニンと行動を共にしていたが、メキシコに亡命したトロッキー夫妻の事なども歴史を振り返り、生々しい。リベラとフリーダは夫婦不調和を絵に描いたような画家夫婦だったようである。美を描き出すいうよりも、感情を絵画に託するという感じだろうか。しかし、いかなる感情でも、昇華され表現されたものは「芸術的表現の美」であるようだ。
それは、夜叉や不動明王などが描かれているのと同様なのかも知れない。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%84%E3%82%AD%E3%83%BC
      http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4SKPB_jaJP267JP267&q=%E5%A4%9C%E5%8F%89&um=1&ie=UTF-8&ei=g9KESsX6J4KdkAX594ybBw&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4

http://www.cnet-ga.ne.jp/kenta/mitsu/fudou.html
(おわり)

*昨夜は地元の「ななえ祭」というのが高松小学校であり、行ってきた。小五の娘が入らせていただいている吹奏楽団がオープニングで演奏するというので午後4時に一度、いってみた。盆休みでないととても行くことはできないが、ラッキーだった。はじめて聴いたがとても素晴らしかった。指揮の女性の先生は支部長さんの娘さんだとお聞きしている。昨年は幕張メッセまで行き、銀賞だったという。次は中・四国大会へ行くらしい。夜は、屋台や花火やらなにやらで賑やかだった。私は全くのノンアルコールなので酒の楽しさは無い。しかし、こういう解放された祭の楽しさは、本当に久しぶりであった。祭と行っても御輿が出るわけでもなく、高松町ビッグイベントとでもいうものだろう。町長さんの立派な挨拶もはじめてお聞きした。生教会のA講師にもお会いした。ななえ祭の踊りを指導しておられるらしい。どこへ行っても生長の家の方によくお会いする。昨日は、雨天が続く中でも偶然の快晴日だった。高松町の皆様の平素の行いがよいと天気も味方をしてくれるのでありましょうか。

 中内 英生

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August.14.2009「真珠層」

Img512 August.14.2009「真珠層」
今日の詩::蝉時雨 ようやく夏が 夏らしく

 「真珠層」をつくるタンパク質を特定したとの記事が、日本経済新聞(2009/8/14付)第30面に掲載されていた。少し興味があったので読んでみた。真珠は、御木本さんが、自然真珠を研究して、真円の真珠にまで苦労の末に開発したものであるという。宝石は女性がつけることで宝石の輝きを増し、真珠は女性が身につけて女性そのものを輝かせる、との考えで”世界中の女性を喜ばしたい”との思いで私財をなげうって開発したらしい。

 特に奥様がうどん屋を営んで開発資金を提供し、貧困に耐えてきた。ヨーロッパで養殖真珠はニセモノであるという風評が立ち、裁判に及んだ。それは真珠の販売で売り上げが落ちる宝石関係者の妨害でもあったのだろう。裁判では科学者の「ニセモノであるとは言えない」との説が採用され。御木本氏は完全に勝訴する。その時から、御木本氏の日本真珠が世界に羽ばたくようになったと記憶している。さて…。

 アコヤガイの貝殻の内側は、真珠とほぼ同じ構造の「真珠層」で構成されるが、この形成に主要な役割を果たす2種類のタンパク質が特定されたそうだ。東京大学院農学生命科学研究科の長沢寛道教授らが14日、米科学誌サイエンス電子版に発表したという。このサイエンス電子版というのは、科学者の発表機関としてよく耳にする。

 生物は貝殻や骨、歯のような硬い組織を生み出すが、このメガにズムは十分解明されていないようだ。研究成果は真珠の輝きの謎だででなく、「バイオミネラリゼーション」と呼ばれる生物の鉱物形成反応全体の解明に役立つと期待されている。

 アコヤガイの貝殻の内側の真珠層と外側の「稜柱層」は、ともに炭酸カルシウムが主成分であるが、結晶構造が異なるため、真珠層だけが輝いている。
 研究チームは、この結晶「アラゴナイト」やキチン質などから成る真珠層の形成に、「Pif80」と「Pif97」と呼ばれる2種類のタンパク質が不可欠であることを、遺伝子操作実験などで確認したらしい。

 いずれにしても、これだけ科学が発達しても、ごく一部だけが分かってきたということでありましょう。かなり前の話だが、私の上司のK元本部講師が、「科学を研究すればするほど、ほとんど分からないということが分かる」と講話で言っていたことを思い出す。御教えの求道でも同じではないだろうか。信仰をすればするほど、『まだ自分はほとんど分かっていなかったことが分かる』という謙虚な思いになるのではなかろうか。またそう言う思いにならなければ信仰者ではないだろう。そして求道の旅は永遠に続くのである。誠に有難いことに、私たちの運動では、常に生長の家大神様の御心をお受けになられて、総裁先生がお導きくださり、時代に即した御教えを中心真理と同時にお説き下さるということである。

 島根の信徒の皆様は、他県に行っている子どもさんやお孫さんが、お盆休みで帰ってきておられると思います。今日も一日、明るく楽しく、真理を実践し、御教えをご家族、ご親戚にお伝えいたしましょう。
*今日はかなり暑くなりそうです。有難いことです。

 中内 英生

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August.13.2009「メキシコ人のアイデンティティー美術①」

August.13.2009「メキシコ人のアイデンティティー美術①」
今日の詩::カラフルな 神の恵みの ゴーヤかな

 『日曜美術館』というNHKの番組をよく観ている。「アイデンティティーを求めてImg521  20世紀メキシコ美術」(2009/8/9)というのがあった。
美術関係は観ることは嫌いではなかったが、総裁先生の御提唱による絵手紙を書き始めてからどういう訳かよく観るようになった。この日も、カン尚中さんと中條誠子さんがホスト役だった。メキシコ美術は実にカラフルでエネルギッシュである。しかも何かテーマがある。それはなぜであろうか。メキシコは現在、1億4千万人の人口だ。そのうち、60%はネスフィーソという人達で、白人と先住民族の地をひいている。メキシコは、不幸にして16世紀、古代マヤ文明やアステカ文明があったがスペイン人の侵入によって滅ぼされている。歴史記述を調べると当時の様子が分かり胸が痛くなる。16世紀から白人が入ってきたが、その後もスペイン人の優位性は続いた。現地の人々はメキシコ人のためのメキシコを目指して、1910年~1917年にメキシコ革命を起こしたという。それはヨーロッパに於けるように新しい革命の考え方によるものではなく、伝統復帰の革命だったという。このころから有名な壁画運動が始まったようだ。

 この番組では、画家であるホセ・クレメンテ・オロスコとディエゴ・リベラが紹介されていた。
リベラが描いた「メキシコの歴史」(1925年)が有名である。美のための美術というよりも、意思表現のための美術といった感じでしょうか。今まで学んできた絵とは少し違うようだ。
http://blog.livedoor.jp/tiamexico/archives/51085263.html
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Orozco_-_Dartmouth_c.JPG

 もう一つ、オロスコの「ナタルシス」(1981年)というのもある。壁画という表現方法があることを知った。紙だけではなく何にでも表現できるのだろう。絵手紙、絵封筒と様々である。

「十字架を自らの手で壊すキリスト(1943)」という作品もある。斧を手にして十字架を壊すことでスペインの征服を壊すというような意味であろう。西洋文明によってメキシコの本来の信仰や生活が壊されたことへの伝統回帰であるとしている。
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2009/0802/index.html

 画家ディエゴ・リベラはメキシコ人とは何かということを絵画で問い続けたという。私たちは、「真象」とは何かということを、日々「神性表現」で己に向かって問い続けているようにである。『夜の風景』(1944)という作品がある。

 メキシコの先住民が多く暮らしているフチタンというところが紹介されていた。ここは女性が働く母系社会であり、「女の街」といわれているらしい。原点回帰という意味だろうか。リベラは原住民の絵を多く描いている。
『テワンテペックの女たち』(1923)では堂々とした女性が描かれている。日曜美術館では紹介されなかったことをインターネットで調べていくと、私生活ではかなりの状態であったようだ。『サンゴウンガ』(1928)という作品もあるが、なかなかインターネットで探すことは難しかった。悪しからず。

 フリーダ・カーロ(1907-1954)は、リベロの妻であり、離婚し、復婚した。奔放な性格が逆に炎のような絵を描かせているようだ。その彼女の人生たるや凄まじい。リベロに愛された自分と、愛されなくなって失望している自分と『二人のフリーダ』(1939)を描いている。彼女が御教えに触れておれば、御主人を拝み、先祖供養を行い、芸術的才能をもっと高まった形で表現できていたのではなかろうかと思ってしまう。
http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/K/Kahlo/Kahlo.htm
(続く)

*今日は、午前中には地方講師会の打合会があった。この会合が終了しこれで何とか盆休みに入ることができた。島根の皆様に心から感謝です。

 中内 英生

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August.12.2009「母ガニの愛(終)」

Img510 August.12.2009「母ガニの愛(終)」
今日の詩::宍道湖の 湖畔に近き ふしぎ屋根

 (続き)
 中村さんが31歳の時、人生を変える事件が発生した。奥多摩にドライブに行った家族が忽念と失踪した。湖に落ちたのではないかとの憶測があった。当時は、東京から高速道路が山梨県や河口湖の方まで伸びて、東京にいる人にとっては休日は奥多摩や山梨県へいく人が増えた時期である。私は仕事で時々、運転したが突貫工事で高速道路を作った関係か、雨の時は土砂で車が埋まってしまったり、中央分離帯に印のものを置いているだけで、正面衝突したりすることがあり、行くのが怖かったことを記憶している。
 彼は、三度目の潜水で車を発見した。彼は自分の技術が人の役に立つことを知った。『どうせやるなら人の役に立つ仕事をしたい』。翌年、彼は独立した。しかし、金はなく何を撮影すればよいのか分からなかった。

http://www.town.okutama.tokyo.jp/kankou/okutamako/okutamako01.html

 その頃、東京湾を撮ろうとした。当時はかなり多摩川も汚染されていたことを記憶している。私は調布に住んでいたが、多摩川に散歩に行くと、川で釣りをしている人がいたが、魚は病気をしているのが多いと聞いた。現在は、かなりキレイになっていると聞く。彼が潜水すると、何かが自分に飛びかかってきては落ちて行った。彼は驚いた。何かと思い移した。それは卵をいっぱいつけた母ガニが飛びかかってきていた。卵を護るために外敵である中村さんのカメラに対して必死で戦っていたのだった。それは10匹ほどだった。その時、「スキーン」と彼の心に衝撃が走った。相手は、小さなイソガニだった。

http://www.zukan-bouz.com/kani/iwagani/isogani.html

  何でこんなヘドロの海で生まれなければならないのかと、思った。彼は3匹を水槽の中に入れて神奈川県の真鶴岬の海に行き、せめて三匹だけでもきれいな海で生んで欲しいと放った。「自分は良いことをした」と胸がスーとした。救われた思いがあった。その時、彼は突然気がついた。『自分は何という偽善者だったのだろうか。堤防から放り投げたとき、音がする。その音に他の魚が餌だと思って一斉に集まってくる。ボクは海のことを何を知っていると云うんだ。身勝手な、自然界の法則に適っていないことをしてしまった。こういう心が東京湾を汚してしまったんだ』と彼は反省した。

http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/tosiseibi/machi/keikan/50sen_100sen/tantyouchi50/ta17.html

 東京湾の生き物が半端な生き物ではない。東京湾は歴史が古い。沖合には相当に深い部分もある。彼は、『”自然にやさしく”ではなく、謙虚に自然と、如何につきあっていくか』であるという。彼の言葉で驚いたことは、総裁先生が「自然にやさしく」という言葉を好まれないということを言われたことがあったが、それと中村さんの言葉がほぼ一致しているように思えたことである。「自然に優しく」とは、人間が自然の一部であり、自然に生かされていることを自覚せず、人間こそ食物連鎖の頂点に立つ最強者であると考える人間中心主義の考え方なのではなかろうか。

http://www.biotop-niigata.net/_content/3_fodchn.html

 彼は、10日に一度、身体の手入れをする鍼灸院に通っている。還暦を過ぎて、やらなばならないという仕事が増えて、身体を酷使するようになったという。後、何年潜れるか?それを考えながらライフワークに挑み続けている。

 甲イカを撮る中村さんを映像は追っていた。甲イカは昔は沢山いたらしいが、随分網で捕ってしまった。漁獲されて、現在は数が相当少なくなってきているらしい。その甲イカを撮ろうと挑んでいた。人間が汚した東京湾でも甲イカはいのちを繋いで生きている。それをぜひ、見てもらいたいという念願がある。
 ある時、甲イカを捕る仕掛けを見つけた。そこには卵をたくさん産み付けていた。夜の海に潜ったが残念ながら目的とする甲イカは一匹だけだった。しかし、一応は撮影できた。彼は言う。『撮ろうと思うと、相手にこの気持が届いているのではなかろうか。だから”空”の状態で行かないと!』。

http://www.q.turi.ne.jp/ika/index.html

 プロフェッショナルとは、『一つの目標を持ち、それにひた走り、最後には完成させる人であり、最後まで努力を怠らない人である』と。

 ひたすらに行じつづける人に、道は開けるようだ。『神は自ら助くる者を助く』である。

*今日は、午前中は地方講師・光明実践委員の受験資料作りを行った。午後は斐伊川の誌友会へ行かせていただいた。その家には昔は庭に狸が来ていたそうだ。また近くにはイノシシがたくさん出て野菜を食べるという。イノシシも生きなければならないので餌を採るのに必死の思いであろう。明日から教化部会館はお盆休みに入るが、地方講師会の会議資料作成のために明日の午前中は会合を持つ予定である。
*松ぼっくりさんのご自宅でパソコンが入ったとのことである。大変嬉しいことだ。

 中内 英生

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August.11.2009「母ガニの愛①」

Img515 August.11.2009「母ガニの愛①」
今日の詩::宍道湖の 湖畔に聳ゆ ふしぎ屋根

 水中写真家の中村征夫さん(63歳)の映像が映っていた。『プロフェッショナル』(2009/7/28再放送)である。仕事の流儀は、「魚に対して”礼を尽くす”」のだそうである。世界の海に潜って魚を撮っているほとんどが正面からの顔だ。正面から撮すことができるのは、魚が安心している時だけらしい。
 ヒゲダイを撮影していた。生き物が一番大事にしているのはその暮らしである。その環境が脅かされないように、気配りしながら近づいて行くことが一番大事なことのようだ。

http://www.squall.co.jp/

 沖縄の慶良間の海を撮していた。ここはご存じ珊瑚礁である。美しい慶良間の海岸線が続いている。オニヒトデが大発生していたこともある。環境の悪化とで保護地域を離れると珊瑚の墓場が続くらしい。オニヒトデは、一説によると、農地に肥料を大量に入れた地域から大量の有機物が海に流出し、その流出栄養が大発生を促すとのいう。真因は定かでないが、気候変動も含めた人的原因があるらしい。
 その珊瑚の墓場の中に5㎝の珊瑚の赤ちゃんが生きていた。赤ちゃんが叫ぶ。
『生きたい!』。これは小さい珊瑚の声なき声である。いのちを全うするために生きていることが現実だ。
彼は言う。『赤ちゃん珊瑚は、目の前にある環境の中で満足はしていないかも知れないけれども、その中で懸命に生きているということに対して非常な敬意を払います。そういう生き物がいる限り、ボクはやっぱり見てみたい。写真を撮っていきたいという風に思う。それにしても赤ちゃんはいいね。赤ちゃんは全部、すべて可愛いね』と。

http://www.asahi.com/eco/TKY200907280206.html

 魚を安心させる撮影の技があるそうだ。それは相手を安心させるためにゆっくりと動くということらしい。だから、正面から撮影できる。
ある時、ジンベエザメを偶然撮影した。このサメは大きい。しかし、人を襲うようなことはないという。気がつくと周囲が全部サメだった目から火花がでた。撮影したことを覚えていない。恐怖のあまり失神したようだ。なぜならば当時は、『ジョーズ』の映画が大ヒットしており、サメに対する恐怖があったという。ジョーズの映画はヒットしている時には見ることができず、後日鑑賞したが、海に入ることが怖くなった記憶がある。
    http://images.google.co.jp/imgres?imgurl=http://www.dotosaka.com/whalesharkmouth1.jpg&imgrefurl=http://www.dotosaka.com/whale%2520shark%2520in%2520donsol.html&usg=__FivQCkPbqLMGNiyyFU5yB6YsBLc=&h=1770&w=2658&sz=1090&hl=ja&start=6&um=1&tbnid=J9QemO4VIdb3jM:&tbnh=100&tbnw=150&prev=/images%3Fq%3D%25E3%2582%25B8%25E3%2583%25B3%25E3%2583%2599%25E3%2582%25A8%25E3%2582%25B6%25E3%2583%25A1%26hl%3Dja%26rlz%3D1T4SKPB_jaJP267JP267%26sa%3DX%26um%3D1

 偶然良い写真が撮れる時はどんな時か?。それは、『撮るぞ、撮るぞ』という力みがないときのようだ。これは生長の家の御教えに一致しているのではなかろうか。魚の世界は野生の世界である。だから、その中にお邪魔するという謙虚な気持を失わないことが大事なようだ。

 彼には、東京湾で汚れた海をとり続けている一面がある。終戦直前に彼は秋田県の田舎町に生まれた。小柄で内気な少年だった。高校卒業後、東京の家電販売の店に囚虜久下という。しかし、一年で辞めている。アルバイトで食を繋いだ。19歳の夏、水中カメラを持ったダイバーに会った。自分もやってみたいと思った。潜る度に新鮮な驚きがあり、彼はのめり込んだ。彼は水中カメラ撮影のプロダクションに認められ、国内外の海を夢中になって撮った。
 中村さんの年代は、2年ほど遅れて私は生まれている。従って、その時代の匂いを思い出しながら番組を鑑賞することはとても共感ができると思う。
(続く)

*今日は、チャリティコンサートの打ち合わせなどがあった。教化部会館では特に大きな動きはなかったようだ。
*絵は、O本部講師からいただいた絵手紙です。実にさわやかな筆致です。

 中内 英生 

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August.10.2009「合歓木の奇蹟」

Img509 August.10.2009「合歓木の奇蹟」
今日の詩::無花果の 香り優しき 里みやげ

 昨日、荒神谷遺跡へ小学生と一緒に行きましたが、樹医であり栄える会の勝部治良さんが、昨年に引き続き、樹木の説明をしていただきました。専門家からお聞きすると実に良く分かるというか、樹木の不思議さが理解できるようです。

http://www.kojindani.jp/park/index.html

 まず、樹木は上の茂っている部分と、根っこの部分がバランスしていることです。根っこの根毛が切れると上の葉の部分は枯れます。だから、私たちも目に見えない先祖を大切にすることが必要であるという話でした。よく分かる話だなと思いつつ聞きました

 人間が作った樹木や野菜などのの植物は、ワンパターンです。それに対して、自然界の植物はすべてその地の環境に適応して進化していくので、自然の樹木はすべて個性があるとのことです。自然が如何によいか、強いかが分かります。金策の一環として杉を大量に植えた山は雨に弱くて土砂崩れがするのでも知られています。

 目で見ることを「見学」といいます。それに対して深く考えながらみることを、「観察」といって、心で考えながら観るのです。今日は観察をしましょう。

 太陽の光ですべての樹木は生長します。神様の愛の光と同じです。日本民族はその光を天照大神様としてあがめました。科学的に云ってもそれは真実です。太陽の光によって、光合成が行われて、植物は育ち、植物を食べて昆虫類は大きくなり、昆虫類を食べて小動物が、というように食物連鎖によって地球生命が栄えていくのです。さらに昆虫によって植物の勾配が行われます。今年の夏のように梅雨が長引くと、虫が行動を起こさなくなり、従って農作物の勾配が行われません。農家の人は人間の手で勾配させていると聞きます。

 合歓の木は皇后様が大変、大切にしている木のようです。暗いところに置くと、葉が数時間で萎んでしまいます。太陽に照らされると再び葉が開くのです。これは太陽の光を受けるようにできているからです。

 樹木の葉が出るときは、最初は双葉でも次からは必ず奇数で出てくるそうです。不思議です。素晴らしいことです。樹医さんでも理由は分からないそうです。樹木は口をきいてくれませんからね。

 樹木の事を知りたい人は、下記が勝部さんのアドレスですので閲覧してみてください。檜風呂などの販売などをしておられるようです。。
http://www.izumo-kamiari.jp/enterprise/08214-1346.php

*今日で小学生練成会が終了した。昨年よりも人数が少し多かったようだ。生命学園が増えるたびに小学生練成会の参加者が増加するようになり、島根県に教育面で実質的に貢献できるようになりたいものである。小学生参加者29名、育成にあたってくれた中学生 7名だった。中学生が小学生の育成指導で手伝いに来てくれた意義は大きい。

 中内 英生

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August.09.2009「主体の自我の座は脳の中にはない」

August.09.2009「主体の自我の座は脳の中にはない」
今日の詩::雨降らず 荒神谷の バーベキューImg506
                                                         
 NHK番組『サイエンスゼロ』で「ヒトの謎に迫る」という番組があった。(2009/7/31)。脳の不思議に迫っている。ここ数日、デスクトップパソコンの録画機能の使いすぎで、ハードディスクがダウンしたが、教化部掛かり付けのパソコン医者がすぐに対応してくれて、何とか今日から再び機能が回復した。さて…。

 考えるからヒトなのか、ヒトだから考えるのか?これは大きな命題である。脳は約1400㌘であるという。羽生善治さんの脳の働きについて科学のメスが入れられた。説明を試みておられたのは、理化学研究所の田中啓治さんという方だ。彼は定義する。「ヒトとは何であるかというと、自分を訓練する存在である」と。この方が脳をさまざまに調べてみて、その考える主体が脳の中にはないと、番組でおっしゃられた。私は、それではどこに主体はあるのか?を聞きたかったのだが、それに対してのコメントはなかった。生長の家で言えば、目に見えない霊とでもいう表現になるのだろうか。目に見えない存在は、科学では証明できない限り発言することは難しいと考えられる。しかし、上記の表現でも私に対しては充分に衝撃的なコメントである。

 さて、「直感」について研究されていた。将棋を指すヒトは前頭連合野という所が活性化する。しかし、プロ棋士だけは、大脳基底核という部分が反応する。アマチュアは反応なしである。しかも、直感は脳のどの部分が働くか?考えて答えを見出すというよりも、直感で分かるという。それは、嗅周皮質と脳幹にある網様体という部分が活性化するという。精神集中している時に活用するといわれている。(何やらよく分からないが、番組でご確認いただきたい。試みたことはないが、過去に遡及して観ることができることを聞いた。勿論、有料らしい。)
 しかし、脳を調べれば全てが分かるわけでもないようだ。却って分からない部分が増えるともいう。ヒトは合理的にものごとを判断する傾向がある。しかし、必ずしもそうではない場合もある。目先に利益がぶら下がっていると、それを選択する場合がある。この実験では、徳を積んでから遠回りに陰徳が現れるのを待つか、他を喜ばせずに自分が先に得をすることを選ぶという御利益信仰を選ぶかという、ごくありふれた選択についての実験のように思えて興味を覚えた。

 そして、田中さんは、脳の研究をしていて、「ヒトは脳の中にさまざまなデータを蓄積し、それを活用するが、ヒトの主体の自我の座は脳の中にはない」という発言には衝撃を覚えた。脳科学はそれからの研究をどのように行うのだろうか。田中さんによると、脳科学の研究は始まったばかりであるという。そして、それに自分の人生をかけることができるほどの価値ある重要な学問であるそうだ。

 さて、脳は全身のエネルギーの四分の一を消費する。かつての化石を調べてみても、脳そのものは化石としては残らない。頭蓋骨を調べて脳の容量を推論する。ヒトの研究に於いて、700万年前のアルストラロヒテクスから500万年前まで脳の容量は変わっていない。しかし、ホモ族は200万年前から現在に至るまで次第に大きくなっている。理由は何かというと食物であるらしい。頭蓋骨を調べてみると、ホモ族は次第に歯が小さくなっている。それは肉食を含む雑食に変わってきたからだという。やわらかい肉を食べることによって歯が退化したとされる。肉は高エネルギー食物であるらしい。肉食を避けることを推し進めている私たちにとっては相当の矛盾だが、科学的にはそうであるとNHKは言っている。私が言っている訳ではない。人類は他の野獣と違って身体に武器を身につけていない。従って、知恵と工夫で戦わざるを得なかった。それが脳の発達を促したのであろうか。そう考えると、知恵と工夫さえあれば、不利な条件・環境も決してマイナスではない。島根教区は、知恵と工夫さえだせば素晴らしい進歩と発展を遂げることができるのではなかろうかと。この番組を観ながら考えた次第である。

*小学生練成会は、小雨は少しだけ降ったが、何とか帰るまで保ってくれた。荒神谷では恒例のK樹医さんの授業があった。肉なしバーベキューをみんなで楽しんだ。夜は、使命行進曲を子供たちがバトンを回しながらタイコを叩いた。楽しい小学生練成会の第二日目が終了した。写真をたくさん掲載しています。ご鑑賞下さい。

 中内 英生

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August.08.2009「人は何のために働くのか(最終回)」

August.08.2009「人は何のために働くのか(最終回)」
今日の詩::子供らの そうめん流しに 笑顔あり

 続きです。これで最終回です。Img504

①どんな小さな仕事でも、家庭や隣人を生かす仕事であるならば、その仕事は「神の愛」につながる仕事です。他人が喜んでくれる笑顔を見るとき、自分の心に喜びがこみ上げて参ります。それを実践している限り、その実践の程度に従って、人生には悦びがあり、生き甲斐が感じられるのです。他人を喜ばして生きる。これほど偉大な人生はありません。さらに現代的意義から申しますと、地球の全生命を生かす二酸化炭素排出削減こそ、「他を生かす」という事業の最たるものではないでしょうか。生長の家は実に素晴らしい徳積みをしていると言えるのはないでしょうか。

②若し生き甲斐が感じられなかったら、その人は「自分のため」のみに生活していて他の人を生かす事を怠っているからでありましょう。自分の幸福のために他に求める生活は、寂しい生活です。生き甲斐が感じられないことは「自己嫌悪」の変形です。「自己嫌悪」が起こるのは、自分が「誰のため」にもなっていない事を自分自身で知っているからです。人間は、誰かの為になるために生まれている人生です。しかし、誰の為にもならないとするならば、彼は人生からも退職したくなるのです。それは緩慢なる自殺、すなはち病気や悲しみ苦しみとなるのです。

③人間は金を儲けるため職業を求めてはならないのです。人間が職業をもつと云うことは、次の二つの意義があります。(一) 神の愛の実現のため すなわち、人類の幸福のために奉仕せんがためです。(二) 職業を通して自己内在の能力を喚び出し、それを訓練発達せしめ、自己教育を完成し、困難に面しても屈服せず、一切のことに行き届く注意力を養成し、兄弟同胞に協力することの喜びを知り広く深く人格を完成せんがためであるのです。報酬として来る金銭の如きは単なる人格完成途上の随伴的功徳であって、職業の主目的ではないのです。
 このように考えたとき、如何なる仕事でありましても、貴賤はないのです。我が手を通して神は愛を行じ給う。このように考えたとき、どんな仕事にも喜びが湧いてくるのではないでしょうか。

④『生命の実相』第7巻の「共通的生命の歓喜のために働け」という章は、働くということが如何に尊いかをご教示しておられます。このような御文章は他に類例がないと考えられます。仕事の讃美です。ご熟読下さい。

以上
*「繁栄ブログ」を読んでくださった某経営者が大変、喜んでおられることをお聞きして嬉しかった。厳しい経営環境といわれる中で少しでも、繁栄に関する御教えをお伝えさせていただき、元気を出していただけることは無常の光栄です。
*今日から小学生練成会が始まった。夕方はそうめん流しがあった。子供たちは大喜びです。栄える会の方のご提供です。夜は、浄心行でした。素晴らしい雰囲気でした。感謝です。

 中内 英生

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August.07.2009「人は何のために働くのか?②」

August.07.2009「人は何のために働くのか?②」
今日の詩::みどり濃き ロビーに置きし 観葉樹

 続きです。パソコンの不具合のため、一日アップが遅れました。悪しからImg503 ず。さて…。

『生命の実相』第7巻の「今、天地の開ける音を聞け」では次のような内容のことが書かれております。

①天地が開ける音を聞くことが必要です。どこにその扉はあるのでしょうか。それはどうも心の中にあるようです。『生命の実相』第7巻には、「天地の開ける音を聴く」話がでています。
我の心の殻が破れる音であり、魂の解放の音です。『創世記』の冒頭には「神はじめに天地を創造りたまえり」と書かれています。私たちの世界は、まず最初に「造る」ということによって始まっています。私たちの「生命」の本質は「創造する」ということ、言い換えると、「働く」ということです。仕事をすること、創造すること、制作すること。これは生命のハタラキであり神の御業であり、神の子の生き方でもあります。キリストも言っているように、「神は今にいたるも働き給う」のです。では、私たちも働こうではありませんか。私たちの生きる道はただ働くことのほかにはないのです。働きを嫌悪することは、「生きる」ことを嫌うことです。「働く」ということは、「生命」がみずから生きる道を歩むということです。「生命」の本質は「神」です。そして神は「愛」ですから、「愛」は「生命を生かす道」すなはち「働き」によってのみ完成するのです。働いているときはじめて「愛」が生きてくるのです。
 失業していても、いつも人の為に働いている人は、顔が目が輝いています。そんな人をこそ経営者は見逃しません。ぜひ我が社に来て欲しいと思うに違いありません。

②また、愛に反する願いは成就しません。神は愛であり、愛の実現のためにこの世界を創造したのです。祈りは「愛」に伴われなかったならば、神の目的と調和しませんから、その祈りは成就しません。一時、成就したように見えましても長続きしないのです。愛のために創造された宇宙ですので、愛に反する一切のものは、一時は栄えるように見えても、それは神の創造目的に反抗するのですから、結局は破滅してしまうほかはないのです。「誰かのためになる」と云う条件を満足しないような希望は、唯の好奇心や利己心の満足を期待するものであるから、神の協力をかち得ることはできません。先ず自分の能力のうち、誰かを悦ばす能力があるかを顧みましょう。それは文書にせよ、音楽にせよ、舞踊にせよ、法律にせよ、発明にせよ、炊事にせよ、何でも他のためになり、また、自分に出来ると思うことで、生活を立てることが出来るように祈れば、そして努力を継続すれば希望が成就するのです。
人類の歴史は、その事を学習する歴史であるのかもしれません。

③仕事の意義と尊さを知らねばなりません。賃金のために働く者は、自分を売るものことになります。「仕事」は表面は賃金のために働くような外観を呈していますが、「仕事」の最も重要な内在的な意味は、人は仕事を通して人類に「奉仕」し、仕事を通して「愛」を実現し、「仕事」を通して自己の「魂」を発達向上せしめると云うことです。仕事がなければ、吾々は人類に奉仕することができず、愛を実現することができず、自己の魂を向上せしめることができないのです。仕事は自己の魂を向上進歩せしめるための教材であるのです。
 仕事を通して愛を実践しようとしていう人は、聖者でありましょう。その人の顔は輝いています。

④仕事で生き甲斐を得るにどうすればよいか?
人類のために何事かを成そうと云う希望は、それは人類全体の潜在意識の協力を得ることが出来るし、同時に神の波長と同調するから、神と協同動作をすることにもなるので、そのような希望は、やがて必ず成就するのです。その希望の中に利己的貪欲が入り込むならば、その希望は不純となり、必ずしも人類全体の潜在意識の協力が得られなくなり、神の普遍の愛と同調しなくなり、その希望が達成し得られなくなるのです。どんな小さな仕事でも好いのです。兎も角、直接にでも間接にでも誰かのために役に立っていると思える仕事を、それは賃金を貰う仕事でなくともよいのです。何かをすることです。人間は何らかの仕事を成すことによって人類の兄弟に貢献し、同時に自分の魂を磨く機会を与えられるのです。これが地上に人間が降誕した使命です。それを実行する事によって、人は「存在の意義」すなはち、生き甲斐を感じ自分の生命の力に自信を得ることができるのです。
   私は、自分の持っている力を他人のためにひたすら捧げさせていただこうと実践し始めた時期があります。数ヶ月経ったときで。毎日のように感謝の言葉を聞かせていただけるようになりました。すると、私の心の中の劣等感が自然に消えてしまい、「私のような者でも人々のお役に立たせていただけるのだ」という喜びが湧いてきました。そして現在に至っています。他人のためにお役に立たせいただくことは何と素晴らしい生き甲斐の感じを獲得できるようです。大いに他人のお役にたたせていただこうではありませんか。

*今日は、午前中は会議だった。喜びを表現し合う会議はいつまでも終わって欲しくないという思いを抱かせてしまう。午後は、先祖供養祭だった。その後、ミニ講話をさせていただいた。その後は、地方講師受験資料作成の会議だった。夜は、平田の西田で誌友会に参加させていただいた。二時間があっという間に終わった。信仰を生きる人の体験談を聞くことができたのはラッキーだった。帰りに平田の栄える会支部長さんが送ってくださった。毎月、十数人の参加者だという。しかも先祖供養祭を中心に行っているそうだ。きっと、ご先祖様に導かれて繁栄の道を歩む人々を多く輩出するに違いない。

 中内 英生

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August.06.2009「人は何のために働くのか?」

Img499 August.06.2009「人は何のために働くのか?」
今日の詩::城下町 松江循環 バスの旅

 去る八月一日に、地方講師・光明実践委員研修会が開催されたが、I男性地方講師が次月の相愛会誌友会のテーマの研究発表をされた。内容が実に充実したものだった。若干の解説を加えながら、内容をご紹介したいと思う。

 働くとは、「人が動く」と書いてある。だから、行動をしないといけないのです。また、言葉の音声から考えてみると、「側を楽にする」ということになる。従って、私たちが、「行動し」、「自他の生命を生かし」、「愛をあらわす」ことこそ働くという意味でありましょう。

 それから考えてみると、働くとは必ずしも給料が入る仕事ばかりではないことを分かる。また、「働く」、「仕事をする」ことによって生ずる効果は計り知れない。給料以上に神様から「魂の向上」という給料が頂けるからである。

①働くことをを通じて自分の魂が成長する。
  創意工夫をすることが、どれほど自分の知恵と愛を高めるか分かりません。教化部では毎月、練成会を行っていますが、スタッフが常に創意工夫をこらして、愛を実践し、お出でになった練成会員のお一人お一人を拝んでおられます。特別な宣伝はしていませんが、毎月70人以上の人が口コミで知らされてお出でになります。練成会員の魂が生長する以上にスタッフの方々が生長させていただいております。

②自分の能力が開発される。
  以前、NHK番組『プロフェッショナル』で紹介された社長さんだが、電子機器関係で世界一のシェアだった。彼曰く。「何よりも、このような経営の決断の体験は貴重です」と。お金が儲かることよりも、大きな仕事をさせていただけるという体験を尊んでおられたのには驚いた。

③世の中のに奉仕し、社会発展に貢献できる。
  企業の理念は、本来、利潤追求ではありますが、その利潤は無限循環する資金の確保によって、社員とその家族を養い、お客様を栄えさせ、商品を提供することによって消費者を喜ばし、現在ではさらに、環境に負荷をかけないというハードルを設けて、地球生物を深く愛するという次元に至りつつあります。二酸化炭素排出削減はその現実の目標であります。真の意味での社会貢献は「倫理的企業」といわれるようになってはじめて、神の御心にかなった本当の企業となるのでありましょう。従って、自分自身なる存在は、所属の企業を通して、世の中と社会に貢献することができるのです。

④人様のお役に立つことが出来る。
 他人様、世の中の役に立つことが人生の目的のようなものでです。『もっと自由な世界がある』27頁には、谷口清超先生の言葉が掲載されている。「講師をしていらっしゃるのですから、良いことをすれば必ず良いことが出てくるのです。良いことを積極的にやって、結果がどうあろうと全て神に任せておけばよいのです。人は無限に生きるのですから、良い種子を播いておけば、跡継ぎの話も出てくるし、色々よい話が出てくるのですよ。どんなことでもいいですからどんどん良いことをやってください。…」。このような内容である。「諸悪莫作、衆善奉行」である。ともかく良いことをやっていこう。ここで考えられることは、「させていただく。徳を積ませていただく」という謙虚な思いであろう。総裁先生のブログにお書きになっておられた「誠実な間借り人として」という御文章が思い出される。
⑤「儲ける」という言葉があるが、それは他人のために、「何かを設けてあげる」と、お礼が収入として返ってきて、「儲け」となる。まず、与えることである。

 今日はここまでにしておきます。数回、シリーズを続けさせていただきたいと存じます。

*今日は木曜日で休日だった。梅雨明けとはいえ積乱雲は出ていなかった。このような天気も味わいながら生活し日時計主義を生きることこそ重要でありましょう。以前、21年前のことだが、昭和天皇様が御崩御されたときのことである。私は東京にいたが、毎日毎日雨が降っていた。東京気象台の記録的降雨だった。人々の陛下のご容態をご心配申し上げる国民の心が天候に現れているのではなかろうかと、その時、思わずにはいられなかった。

  中内 英生

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August.05.2009「生命学園で地域貢献」

August.05.2009「生命学園で地域貢献」
今日の歌::餌求め 窓に張り付く ヤモリかな
*以下は、生命学園に関するものです。また、絵はO本部講師にいただきました絵手紙です。ホームページもご開設されたそうです。素晴らしいです。

 神の子の皆様、有り難うございます。Img505
 まず、島根教区の「四番目の生命学園の開園」についてお話しします。島根教区では、生教会会長さんを中心に生教会が活発に活動しつつあります。現在、生命学園は出雲、松江、益田と三カ所ありますが、今年度さらに安来に開園される予定です。生命学園は、相愛会も白鳩会も青年会も協力し合って推進運営できる素晴らしい場です。子どもさんのお母さん方は必ずしも生長の家の信徒さんではありません。従って、そのお母さんが白鳩会の母親教室にお出でになられるようになればまさに素晴らしいことになります。勿論、母親教室にお出でになるお母さん方が子どもさんを生命学園に送り出すという方向性は当然です。

 次は「幸福を招く教育フォーラム」についてです。来年度に向けまして、「幸福を招く教育フォーラム」を開催できるように講師養成のための学習会を開催しております。また、講演の為の練習として、教化部で教育講演会を開催しておりましたが、教化部で練習するのではなく、今後、外部の施設を利用して幸福を招く教育フォーラムとして開催する必要性が出て参りまして、それを計画しつつあります。

 次は、「地域の子どもを育てよう」です。江戸時代の昔、子どもを育てるのに寺子屋というのがあったそうです。そこでは奉仕的にお坊さんとか学のある武士などさまざまな人々が子どもを地域の宝としてみんなで育てる土壌があったようです。かつて某生命学園園長さんが、『地域全部の子供たちを自分の子どもだと思って生命学園で面倒を見させていただきたい』というような意味のことを発言しておられましたが、素晴らしい園長さんとしてのご自覚であると感動いたしました。

 次は、「ビデオ撮影」で、生命学園の宣伝です。生命学園の素晴らしさをまずは島根の生長の家の皆様に知っていただきたいと念願しております。従いまして、今後、島根教区の三つの生命学園をビデオ撮影し、30分間のDVDにまとめ上げまして、誌友会等でも放映できるようにしていきたいと考えています。また、教化部では生命学園で描かれた絵を掲示して常に、生命学園をアピールしております。

 次は、「表現の場の拡大」です。生命学園では楽しく絵を描く神性表現をしたり、歌を歌ったりしています。その為に、できるだけその作品を教化部ホームページにアップして感動を共有するように努めています。子供たちの自由闊達な描き方は実に素晴らしいものです。
 八月開催予定の教区でのチャリティコンサートでは、生命学園の園児による歌があります。あらゆる場所での生命学園の園児による神性表現に挑戦しております。

 次は、インターネットの活用です。青少年練成会で一日の行事が終わったとき、担当者は今日一日の写真を色々と組み合わせまして教化部ホームページにその日の内にアップしております。それが子どもさん達を青少年練成会に送り出した親御さんたちにとって実に安心するのだそうです。
 また、『子育て相談ブログ』というのを立ち上げまして、子育てに関する御教えを少しずつ掲載しつつあります。このブログがあるということだけで、教育に力を入れているという印象を与えるようです。 

 最後は、「生命学園で地域貢献」です。生命学園は、徳育の面で、生長の家が地域への直接貢献ができると考えています。クリーン・ウォーカーという、清掃活動なども素晴らしいことです。地域が実際に清浄になります。それと同様に、地域の子供たちの心を耕し、清浄にするという活動はまた素晴らしいものです。学校や一般のご家庭でも教えられない「神の子の自覚」を生命学園で学ぶことはどんなにかご両親や子どもさん方にとって幸福でありましょう。「自転車で行ける生命学園」という言葉を聞いたことがありますが、遠くの生命学園に通うのではなく自転車で行くことができる生命学園を江戸時代に寺子屋があったと同じような感覚で島根県中に開園することができれば、多くの若いお父さんお母さん方は、幸福に思い、もっともっと生命学園に通う素晴らしい子ども達が増えるのではないかと期待しております。

*今日からプロフィールのところに、但し書きがついています。気がつかれましたか?これは、インターネット講師に関するものです。数日間、ちょっとそれを意識しすぎまして、持ち前のものが、でていませんでしたので反省しています。元のスガタ?に帰ります。明日は、木曜休日です。木曜は原則として早朝行事担当ですが、色々と予定が入りまして担当は一ヶ月に二回くらいのペースになります。
*夜は、栄える会の情報交換会があった。嬉しいことには、松江は9月から毎月、地方講師を招聘して支部例会を行うらしい。今後必ず繁栄する人々が続出するであろうと考えられる。地方講師会も、繁栄講話ができる地方講師を養成するために地方講師研修会で努力を継続している。実に素晴らしいことだ。

 中内 英生 

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August.04.2009「夫婦の絆を育む」

Img498 August.04.2009「夫婦の絆を育む」
今日の詩::むらさきの 匂うが如く 花は咲く

  先日の地方講師・光明実践委員研修会にて、益田のS地方講師が上記のテーマでご発表になりました。素晴らしい御発表内容でした。レジュメを元にして若干の解説を加えまして、ご紹介いたします。

 天国は自分自身で作ることができます。作ると言っても、手で作るのではなく心で作るのです。しかも、何もない所から作り出すのではなく、既にある天国浄土(理念世界)に心の波長を合わせることにより、映し出すのです。天国浄土はまず家庭に作り出すべきです。生長の家は、世界中の家庭を天国浄土化する運動です。ですから、「生長の人」と言わずに、「生長の家」というのではないでしょうか。

 まず、結婚の意義について考えてみる必要があります。 結婚というものは、本来“一つ”の魂が二つの陰陽に剖判して、それが再びもとの“一体”に帰ることです。従って、結婚生活は、本来一つの生命が二つに分化したものが、元の一つに結ばれることによって更に現在よりも一層優れたる子孫を育て上げ、ますます価値高き生命の創造を重ねて行くための道場になるのです。

 あなたの“半身”を見出すにはどうしたらよいのでしょうか。しかし、半身の見分け方というのは本来、ないのです。結婚した相手が魂の半身です。また、愛は、決して性欲ではなく、相手の人生を深く思いやる心です。愛は、互いに“半身の魂”を見出して、半身と半身とが相合ってもとの完体にならんとする要求でもあるのです。

 それで“美貌”とか、「美人型」という類型ではなく、“内”から浮かび上がってくる個性ある
魂の振動がことごとく異なるから、その顔貌から“自分の魂”と互いに“半分”であるところの半身の魂”を選びとって、もとの一つの“完体”となるべくひきつけられる。これが、恋愛なのです。かなり難しい表現になりました。悪しからず。
総裁先生は『ちょっと私的に考える』のご著書の中で、自分に無いものが相手にあるから魅力を感じるのではなく、自分の内部に既にあるがそれを表現していないものを相手に見出すので魅力を感じるのであるとお説きになっておられます。そうでないと神の子が不完全であるということになるからです。神の子はすべてを内部に備えているのです。「なるほど、そうだったのか」と納得いたしました。

 夫婦の性格の相違についてですが、それは「補足の原理」と言われています。性格が違うから良くないのではなく、性格が違うから良いのです。性格が合わないのが本当の“半身”なのです。性格が合わない事を気にすることはないのです。性格の相違から、物事に対する着眼点や観察眼が異なって、相補って完全なる判断ができるのです。『我の心』を出すか出さないかで調和するかどうかが決まってきます。

 次に結婚の幸福について考えてみます。ここですでに夫婦となったものは、互いに半分の魂だから夫婦となったのです。従って、内在の実相であります。夫婦が互いに一つの家庭に一緒に住むということは大切なことであり自然なことです。実相においては既にすべての夫婦は幸福であるほかはないのです。現象的には、必ずしも幸福でないご夫婦もあるようですが、心の使い方しだいでそれを練習して上手になれば、実相そのままの調和した夫婦になります。そのためには、夫婦は互いに愛を表現しなければならないのです。夫婦の間で大切なことは、愛プラス尊敬です。尊敬がありませんと、調和しない場合があります。御教えは実相の存在を教えてくれています。どんなに現象的に尊敬できそうになり相手でりましても、実相に於いては完全円満なる配偶者です。その実相を尊敬しましょう。夫婦になったという事実だけで幸福だと思い感謝して生活するのが良いのです。感謝が夫婦生活では何よりも大切です。

 夫婦の魂は一体です。妻は、良人の言う言葉を感謝して拝んで受けることにより、素晴らしい家庭、子どもを育てることができます。それが、「幸福」ということであり、良人を信じて拝んでいるということです。また、良人は妻を観世音菩薩として拝むのであります。相互礼拝の世界です。家庭生活の宗教行事化です。「おじいさんの言うことに間違いない」という童話があるくらいです。

 おおよそ、以上のような内容でした。実際の夫婦の表現では、握手をするとか、御主人が会社に出かけるときに玄関で拝むとか、色々を方法はあるようです。いずれにしましても、『生命の糧は愛にして、祈りと愛語と讃嘆とは愛を実現する言葉の創化力』と教えられておりますので、ご夫婦で親子で愛を実践することをお勧めいたします。

*今日は、聖使命会員・組織会員感謝奉納祭が行われた。続いて、講師派遣委員会が行われた。夜は、青年会委員会があった。皆様はそれぞれのお立場で一所懸命に真心を行じておられます。感謝、感謝であります。

 中内 英生

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August.03.2009「繁栄講話(最終回)」

Img500 August.03.2009「繁栄講話(最終回)」
今日の詩::梅雨明けか 蝉の声する 窓の外

 続きです。
神は愛であり、善であり、すべてのすべてです。神は罪を造り給わないので、罪は本来存在しないのであるという一大真理に到達した結果、今まで罪を償うために自分を自縄自縛して苦しませなければならないという自己処罰の観念が、潜在意識から取り除かれることになったので、その結果、「貧乏でないと天国へ行けない」というような潜在意識が心の中から除かれて、初めて広々として世界に出ることができるのです。

 繁栄するためには夫婦が調和することが大切です。冨を実現するためには、家庭生活が調和したものでなければならないのです。特に夫婦生活が調和したものにならなければならないのです。妻が夫の経済能力を軽蔑しているようでは、冨はできないのです。

心の器を大きくすることが大切です。供給が無限であれば、供給が無限であれば、大海原から塩水を汲み取るようなものであって、一人が余計に汲んだからとて、他の人の汲み取る分量が減るわけではないのと同じです。この場合、大きい入れ物を持って行けば多く与えられ、小さい入れ物をもっていけば少なく与えられるのです。私たちが受け取る量はその人自身の人物の器の大きさの大小によるのです。
 それならば、最も大きな器の人物になろうではありませんか。しかし、この場合は受け取るといっても必要なものだけ受け取るのですから、大きな理想と人類を生かす大きな計画をもたなければならないのは言うまでもありません。

 神様ほど交際が広い人はいません。神様ほどすべての人に対して精力をもっている人はありません。それならば、もしあなたに職業がないならば、神様にお願いするのが一番良い方法であると分かります。神様は無限であり、どこにも満ちておられ、人々の魂の奥底にささやきかけて、『おい、君。あの人を雇ってやってくれ給え』と言ってくれるならば、言われた人は自然に雇わずにはおられなくなるのです。

 生長の家創始以前ですが、谷口雅春先生は職業がないときに、毎日『既に職業が与えられた』という祈りをされたそうです。すると、誰かが持ってきた新聞に高級翻訳係募集という公告を見つけました。それに応募したところ、希望以上の給料で雇われたそうです。

 福田のない人はどんなに焦っても冨は出て来ません。長いこと水を与えなかった手押しポンプをいくらハンドルを動かしても水が井戸の底からあがってこないのと同様です。『与えよ、さらば与えられん』との法則を活用しなければなりません。まず、他に対して与えることであります。聖使命会費も毎日神様に人類の幸福を祈って、捧げる気持でおりますと本当に与える功徳が現れてくるのです。人に対しても、物施、法施、和願施、房舎施などと常に与えることを実践する人に冨は現れてくるのです。

 私たちは人間の創造も及ばないくらい、大いなる完全な神の恵みによって生かされているのです。自分の収入の十分の一を神様に捧げるという什一献金の精神は、神の御心にかなうことであり、これを実践することが昔も今も変わらぬ繁栄の道であるのです。神様に捧げる、すなはち他人の幸福のために献金するということです。世界の良き宗教にはさまざまな形式で同様のことが行われています。(終わり)

*今日は、会議が二つあった。それぞれに担当者は素晴らしい信仰でリードしておられる。感謝、感謝であります。

 中内 英生

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August.02.2009「繁栄講話②」

August.02.2009「繁栄講話②」
今日の詩::それぞれの トマトの顔に 表情がImg493

 続きです。
人生は、譬えて言えば「心」という役者が演ずる舞台です。成功したい人はすでに成功者のごとくに演出し、高徳者になりたい人はすでに高僧の如くに演出し、健康になりたい人は既に健康であるかのように眉を伸ばし、役者がある人物を舞台で演ずるように、心から自分のなりたいと思う人物になりきって人生という舞台で演出するとき、その人の「心」は人生で、その通りの姿をあらわすことができます。
 役者さんは舞台で悪役を演じている時は、人相が悪くなるそうです。逆も言えるそうです。善い役者さんは、痩せた人を演ずるときには、体重まで落とすそうです。ある時代劇で薩摩の若者を演じていた役者さんがNHKの『トップランナー』で語っていましたが、お墓へお参りしてお墓の前で、「一所懸命に演じさせていただきます」と拝んだという。そこまで役になりきるために努力をするようです。

 光明思想はアメリカでも日本でも、共通している精神がある。それは『信じて自分自身を偉大なる者だと思い、必ずこうだと思えば、その瞬間から、その通りに自分と周囲が築かれ始める』ということです。
 三業という言葉があります。身、口、意です。生長の家的に云えば、「思念・発声音・表情」です。その三つでなりたい人物になりきることです。自信は他信を呼んで思い通りの人生が実現します。

 世界を変える偉大なる力と接触する道は、最大多数の人間に最大多数の善を為そうと思って、自分の生活を正しくすることです。これが繁栄の最大のポイントです。お金を儲けることが『栄える』という意味ではなく、最大多数の人々を幸福にすることができるというのが、栄えるという意味です。持続可能な繁栄が必要です。そのためには他から奪わないことが必須事項です。「奪うものは奪われる」という動反動の法則が働いて、永続的な繁栄ができなくなるからです。逆に、「与えよ、さらば与えられん」という法則により、他者に幸いをもたらすことが必要です。二酸化炭素排出削減も倫理的繁栄にはどうしても必要です。地球温暖化により、多くの生物の生活環境を奪うことは神の子の繁栄者とは似ても似つかないやり方であるからです。

 私たちが何を希望するにしても、心を集中してその実現を信じ、目的実現に向かって動き出すと、「生命の霊的元素体」が集まってきて、私たちを助けて自分が希望する人生の形に築き上げてくれるのです。希望実現を心に描くこと、それをハッキリと観ること、心で事物のひな形を造ることが大切で、これが信念となり、物事を成就させます。
 色々な方法があります。日時計日記に記載するのも極めて善き方法です。模造紙に大きく墨で黒々と書いて、書斎に貼っておくのも一方法です。神想観で、精神を統一したときに、『既に受けたり』と念ずるのも重要な方法です。要は、実践し続けるかどうかです。三日坊主では実現しません。

 冨を循環させることが大切です。お金は使ったら勿体ないという風に世間では考えられていますが、お金は使っても持っている人が変わるだけで世界のどこかには合計すれば同じ額の金があるのです。だから、宇宙経済の上から少しも勿体ないことはない。しかも効用の上から言うと、お金は使えば使うほど増えるのです。
  毎晩、入ってきたお札にアイロンをかけるという話を聞いたことがあります。また、財布の中のお札は古いのよりも新しいのを先に出すとよいという話もあります。財布の中に一万円札に切った新聞紙をいっぱい入れて『私は豊かだなあ!』という気分を味わうという話もあります。冨を循環させるのに最も強力なる循環は、神様に捧げることです。それを聖使命会というのです。銭湯に行くと湯船の底に循環器があり、その奥に濾過器があってゴミやチリやアカをを濾過します。湯船がお湯を循環器に与えているのです。そうするときれいなお湯が循環器から湯船に帰ってくるのです。そのように、神様に冨を循環させると冨が清まっていくと考えられます。

 宇宙は一つの生命体です。私たちは経済状態でもマイナスの状態を生じますと、必ず宇宙の供給の流れが環流して、そのマイナスの状態を埋めてくれるようになっているのです。だから私たちの生活が大宇宙の一つの流れに繋がっているという実相に目覚める限り、私たちは絶対に、「貧しい」ということはあり得ないのです。宇宙は無限供給ですから、その無限供給に繋がっているとき、私たちは貧しくなることはできないのです。
 自分と宇宙との一体感が必要です。身体は一つであるという一体感があり決して違和感はありません。腕や足などが独立して意思をもって動くという感覚はありません。脳髄の統一的支配によって意識が統一されています。そのようでありますと、足が痛いと自然と手で足を押さえるようになるのです。身体の一体感の然らしめるところです。そのように、自分と宇宙とは一つの身体である、もっと分かりやすく表現すると、宇宙は自分の身体であると感ずることです。これは例えば、脳髄で考えても、自分は脳髄だとは考えないようなものです。身体全体を自分だと認識するように、自分の身体が自分ではなく、宇宙全体が自分であるとの認識です。それは宇宙を造った偉大なる力が自分の力であるとの認識に至るのです。

 貧しいやるせない窮乏感に襲われてきたならば、静かに別室に退いて「神想観」をして精神を統一し、『神と我とは一体である。神はすべてのものを持ち給う。神が持ち給うものを私もまた持つのである。すべてのものは私に与えられているから、私は決して貧しいということはないのである。』という意味の言葉を強く自分が自信ができるまで思念するのがよいのです。
 如意宝珠観が豊かな気持を維持するのに有効です。また、常に与える気持を持ちましょう。常に知恵と愛を与えましょう。そして決して求めないようにしましょう。それは神との一体感を維持する上で重要な行法です。

 栄えるためには「感謝」が必要です。その感謝とは、天地一切のものへの感謝、取引先の業者さんへの感謝、従業員など協力者への感謝が必須です。感謝の念こそ、天地一切のものと和解する最善の魂の響きであり、既に受けたものに対する最も素直な応答であり、これから将に来たらんとして実相世界に既に準備されている善き事物を現象世界に受像するために必要な魂の響きです。『その感謝の念のうちにこそ汝は我が姿をみ、我が救いを受けるであろう』と神示にはあります。
 経営者の皆様は栄える会には何のために入会するのでしょうか。お金を儲けるためでしょうか。ある人は、すべてのものに感謝できるようになるために栄える会に入ると言っています。それはまさしく正解でありましょう。

 たいていの人は、自分の一番足らないところばかりが目について、それにのみ心を集中してそれについてのみ思い煩いますから、その波長が、『不足、不足』と念じますので、不足なものだけが波長があい、不足なことが集まってきます。もしどんなに不足なことがあろうとも、既に、まだ豊かであることを知って感謝するようにするとその不足は消えてしまいます。これは重要な真理です。
 既に与えられていることに感謝するのが、信仰生活です。日時計日記を記載するのは、その事に目覚めるためであるとも言えます。一に感謝、二に感謝、三四が抜けても五に感謝です。私の先輩で長く光明化運動を続けておられる人はみんなどんな時にも感謝の念を失わなかった方ばかりです。
 ある方が個人指導を受けました。左手の湿疹がなかなか治らないのです。指導講師が言いました。『右手は湿疹はないんでしょ。感謝をしなさい』。そのある方は、一ヶ月間、右手に感謝をし続けました。すると、気がついたら左手の湿疹もなくなっていました。「感謝は癒す」であります。人生の病である貧乏でも同じ事です。
(続く)
 
*今日は、8名の方で新任地方講師・光明実践委員学習会が行われた。皆様は大変、フレッシュです。求道と伝道をさらに励んでいただきたいと思います。家に帰ると花火を河原でやっていた。一番下の娘にせがまれて見に行った。堤防で夕涼みというよりも涼しすぎるほどの気温の中で美しい花火を見た。この花火の起源は、江戸の大火で亡くなられた人々の霊を慰めるために行ったと聞いているが、どなたかご存じありませんか。本部にいたときに、窓から見た神宮球場での夏の花火の大きさにはいまだに感激の念が止まない。

 中内 英生

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August.01.2009「繁栄講話①」

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今日の詩::ほがらかに 笑って生きる 栄え人

 今日は地方講師・光明実践委員研修会があった。発表は実に素晴らしい内容だった。島根の地方講師は実に優秀である。ここは、繁栄講話にも力を入れているようである。ちなみに、N地方講師が繁栄講話の仕方という研修発表があった。内容を見てみたい。既に繁栄しておられる方は不要かも知れないが、復習のつもりでよんでいただきたいと思う。テキストは、主として『生命の実相』第2巻第六章「経済問題の解決」である。

 自分は神の子であり、神の持ち給える一切の善きものを自分も分かち持っているという自覚を持つことです。一切の供給は神より来たることを知らねばならない。 

 『神言い給いけるは、我らにかたちどりて我らの像のごとくに我らを造り、これに海の魚と空の鳥と家畜と全地と地に匍うところのすべての昆虫を治めしめんと。神その像のごとくに創り給えり。神言い給いけるは、見よ、吾全地の面にある実のなるすべての草と、核ある果実のなるすべての木とを汝らに与う。これは汝らの糧となるべし』(「創世記」)。
 人間はこのように、決して本来貧しくあるように造られていません。貧しくあるべく造られていると思う者は、造り主の愛がどれほどのものか、その力がどれほどのものかを疑っていることになります。

 考えてみますに、吾々は神の子であって無限の神の供給源から養われているのでありますから、吾々に与えられている能力にしましても、健康にしましても、各個人の富にしましても、それは決して有限の所から取ってくるのではないのです。

 本当の大富豪と言いうる者は、自分名義の財産は何一つなくとも、「大宇宙銀行」に無限無形の預金があって、それをいつでも引き出せるという自覚をもっている人だけです。
 
 本来、神に創られ、神に生かされ、無限供給の神と一体であるところの人間が、みすぼらしくもその日のパンに困ったり、職業が得られなかったり、免職される心配で震えておらねばならなかったりするのは、実に不合理な話でありまして、どこかにきっと間違いがあって、無限供給の配水管に栓がされているに相違ないのです。

 そこで吾々が地上の世界に神の国そのままの豊かなる世界を実現しようと思いましたならば、キリストの言ったように、「まず神の国と神の国の義しさとを求めなければならない」のです。
 現象界は唯心所現の世界であるから、心に従って自由自在に貧でも冨でも現すことができるということです。心の法則を利用することです。そして言葉の創化力を活用することです。

 マーデン博士はニューヨークのある大繁盛をしている店の事務所を訪れたとき、一つの標語が書いてあるのを見て、その店が繁盛する理由をなるほどと感心したと言っている。それには、「われらは我が家の繁盛のみをここで語る」と麗々しく書かれてありました。語るものは、みな出てくるのです。これは言葉の創造力です。これが存在に入るための法則です。言葉に出して言うとき、必ず心は影響を受けます。そして心に常に思っているとおりに、その人の運命は造られるので、言葉は神であることを知らねばなりません。そして三界は唯心の表れであることをしらねばなりません。

 大変、素晴らしい真理が説かれています。二、三回で終了するようにしたいと思います。次回をお楽しみに!

*今日は地方講師・光明実践委員研修会の後、正副会長会議が行われた。色々と話すことが楽しい。昼食の時間には、推進委員会が開催されて情報交換が行われた。安来地区で、生命学園が開設されることが発表された。嬉しいことだ。これで教区では四カ所になる予定である。生教会会長さんが大変に頑張っておられるようだ。

 中内 英生

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July.31.2009「人生は幅広く」

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今日の詩::茶を注ぐ いつも変わらぬ 夏の宵

人生を おちらと歩む 出雲道

 最近、NHKで放映されている、クラシック音楽や日本の伝統芸能や○○座公演の舞台やらを時間があると見ている。今まではそんな精神的な余裕はなかったようだ。見るようになった理由にはもう一つある。それぞれの分野で一流の方々はそれぞれにすごいということだ。そのことを発見したので、そのスゴイを見たいと思う。西洋オペラなど未だかつて観たことはなかった。しかし、最近では字幕を味わいながら観ることがある。自分としてはかなりの変化ではある。

 先日、『風の街』という劇団「さじき童子」の舞台を観た。戦後間もない頃に、自然溢れる郷里が工業化していく中での物語だった。舞台では、どうしてみんな輝いているのだろうか。どんなお役の人も、精一杯演じている。それを考えると、私たちは人生をもっともっと精一杯に演じなくてはならないのではないかと思ってしまう。

 アメリカ版のミュージカルでブロードウェイの物語『カンパニー』というのがあった。ある独身ビジネスマンの恋や結婚を巡る悩みの物語だった。それらを観ていると、悩みや苦しみのようなものも物語の材料になっている。その巧みさ、そして何事も無駄はないということにただただ驚くばかりである。しかも、御教えから考えるとそれらの悪現象は本来無い、と喝破するのである。あわてずに、おちらと、味わいながら生きていくのが良いのではないだろうか。そしてそれが島根流かも知れない。『だんだん だんだん』と唱えながら…。

 20歳後半の頃、東京から福井県の永平寺に座禅を組みに行ったことがある。若い学生がたくさん来ていた。ドイツ人の男性も来ており一緒に座禅を組んだものである。帰りに老師から色紙をいただいた。そこには、『喫茶乎』?と書かれていた。色紙には湯飲みが描かれており、簡単明瞭な分かりやすい内容だった。私は問うた。『これはどういう意味ですか』と。勿論、言葉の意味は分かっているのだが、あえて問うてみたのだった。老師は答えられた。『人生はすべからく急いではいけない。勝利の山に登ろうとして遮二無二他人を押しのけて進むのは人間として本当の生き方ではない。山の途中で立ち止まり、お茶を飲みなさい。そして麓の方を見渡してその眺めを味わいながら再び登るのです。そういう意味で、”お茶を飲みませんか”という意味です』と、答えられた。この老僧の言葉が未だに忘れられない。

 永平寺の庭で献労をさせていただいたときのことだった。小川が流れていた。見るとメダカかそれよりも少し大きな魚がたくさん泳いでいた。しかし、私が近づいていっても少しも逃げようとしない。私は興味を持って、その小魚の背中に触れたのだった。しかし、以前として、小魚は逃げようとしない。それもそのはずである。永平寺は精進料理で統一されているので、魚さえも食べないので魚が人間の殺気を感じなくなっているのでは無かろうかと思った。

 急がない人生、深く一歩一歩味わいながら歩む人生、そんな人生もよいのではなかろうか。総裁先生が色々と映画や本のご紹介をしてくださっておられる。ここ出雲ではそのすべてには対応できないにしても、意識的に情報収集をすると、東京で無関心でいるよりかは大いに情報が入手できるようだ。人生を、幅広く明るく豊かに生きていきたいと思う。

*今日は、午前中は霊牌奉送祭があった。夜は五者会議が開催された。少し早く夜は八時過ぎに終わることができたことは嬉しい。
*Hさんから絵手紙をいただいた。今日の絵は私が描いた絵ではなく、Hさんがお描きになられたものである。大きな封筒に描くとなかなか迫力がある。小職の38年勤続の祝いの絵手紙だった。誠にも有難く、心より感謝申し上げる次第であります。

 中内 英生

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