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2009年9月

September.30.2009「『新講「甘露の法雨」解釈』に学ぶ③」

Img583 September.30.2009「『新講「甘露の法雨」解釈』に学ぶ③」

【何故これが経本になったか】
今日の詩::絵手紙を 互いに語る 感動は 友を見つけて さらに喜ぶ
*信徒さんでない方ですが、絵手紙を描いている人に巡り会いました。お互いに共感しました。

 12頁です。
 谷口雅春先生は元来、『甘露の法雨』をお経として書いたものではなかったようです。
 ある日、単にインスピレーションが天降り、すらすらと頭を自然に流れるように書いた自由詩が『甘露の法雨』であったそうです。しかし、「単に」とは申しましても、すごいことではないでしょうか。
『甘露の法雨』の次に、『天使の言葉』という詩もありますが、あの自由詩も続いて出て来たそうです。
 あまりにも長いので、雑誌に発表するときに一段落したところで半分に切って、前半が「甘露の法雨」、後半が「天使の言葉」という題にして雑誌に発表したのだそうです。
 先生にとっては単なる自由詩だったのでお経にするつもりはなかったとしておられます。
 また、生長の家そのものが、もともと宗教として出発したのではないのです。
 宗教をこしらえる等という逞しい野望など決した無かったとのことです。
 しかし、それが発表されると驚くべき奇跡的な功徳が現れて、人が集まるようになってきて、自然と宗教の形態を取ることになったとしておられます。
 宗教というものは、人間が製造するものではなく、神から出発して高級霊界の動きとなり、それが人間界に現れて自然に救済の力が現れてくるものであるとご教示しておられます。

 以上の内容を拝読して、「我の力み」を捨てることが大切であると感じました。そして、無我になって神の御心に従うことこそ、神様と一体化し、神様をお招びする第一ではないでしょうか。
 すなはち、神様の世界の構図の第一の真理は、中心帰一ですので、総裁先生の御心を神のみ心として運動を展開するとき、はじめて宗教的な偉大なる力を発揮することができるのではないでしょうか。

 お経は、「理屈のない真理である」と、かつての上司、故T元本部講師から教えていただきましたが、その神のお言葉、観世音菩薩様のお言葉を拝読し、朗読して行くとき、神の御心を我が心とすることができるようになると思います。
 信仰生活は、それほど難しいものではないように感じます。素直に三正行を行じて、日時計日記をつけるなどと言うことは簡単なことのようではありますが、実に重要なことです。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
  2009年9月11日のブログは、「フランスが炭素税導入へ」です。このことは新聞なども報じられているようです。
  フランスが先進国で初めての炭素税導入に踏み切ることにご注目しておられます。
9月11日付の「ヘラルド朝日」の記事もご紹介しておられます。
 また、新政府の炭素税に似ている環境税を検討していることに対して、実施を希望しておられます。
 そして、さらに負担が増加しても、「それでも、地球温暖化を全力で抑制しなければならない」ということを国民が納得するように、「今後の日本経済は“脱化石燃料”の方向に進むことで発展する」というメッセージを明確に打ち出してほしいとしておられます。
拝読下さい。

*今日も素晴らしい一日でありますように。神様、有り難うございます。

 中内 英生

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September.29.2009「『新講「甘露の法雨」解釈』に学ぶ②」

Img582 September.29.2009「『新講「甘露の法雨」解釈』に学ぶ②」

【『甘露の法雨』は観世音菩薩の説教である】

今日の詩::稜線を 包むが如く 雲流る
*今日は雨だったが、山の端を雨雲が包み込むように流れていった。この雨によって山の緑は生命力を回復するのだ。

 11頁からです。『甘露の法雨』という言葉は、観音経(法華経の普門品第25という一章をここだけ独立させている)の中に、観世音菩薩が「甘露の法雨をそそぎ給いて煩悩の焔を滅除し給う」と書かれている一節から来ているという。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E8%8F%A9%E8%96%A9

 すなはち観世音菩薩が一切衆生のために「甘露の法雨」をそそぎ給うたのです。「甘露の法雨」は物質の雨ではないのです。
 「法雨」すなはち「真理の雨」です。
 そのように観世音菩薩が、真理の言葉の雨を降らせて煩悩の焔を滅除して衆生を済度したまうというのです。
 その真理の言葉が現実化してここに現れてきたのが、この聖経『甘露の法雨』であると書かれています。
http://www.ssfk.or.jp/p/a/075410.htm

 生長の家の本尊は、仏教では観世音菩薩であると言われていますが、この観世音菩薩が、「甘露の法雨」を注ぎ給うて、人類救済のために真理をお伝えになりました真理の言葉が書かれているのが、聖経『甘露の法雨』であるということであります。イスラームはクアラーンという聖典を神のみ言葉として毎日何度も朗唱しているようです。生長の家の信徒は毎日、神様のお言葉を『甘露の法雨』によって朗読することができます。これは何と有難いことではないでしょうか。従って、朗読されるところに、必然的に神の癒しが実現するのであります。

ともかく、毎日、ご先祖に対して拝読し、時間があれば拝読しましょう。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
 2009年9月 9日のブログは、「自然と人間 (4)」です。国際本部の「森の中」移転の候補地調査に関連して、このテーマでのご考察をしておられます。
サンパウロでの「世界平和のための国際教修会」のテーマは、世界の宗教のもつ「自然観」の研究であったこと。また、聖書の天地創造に関する谷口雅春先生のご教示(生命の実相』頭注版第11巻万教帰一篇上)やイギリスの宗教学者、カレン・アームストロング氏(Karen Armstrong)の著書『神の歴史』の中の一節をご紹介しておられます。拝読下さい。
http://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E2%80%95%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E6%95%99%E5%85%A8%E5%8F%B2-%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%B3-%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%B0/dp/4760111468

*今日は、雨が降っていたが、この雨に感謝できた。

 中内 英生

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September.28.2009「『新講「甘露の法雨」解釈』に学ぶ①」

Img576 September.28.2009「『新講「甘露の法雨」解釈』に学ぶ①」
今日の詩::畑にて 護られ作業 秋の風
*通勤の途中で、畑を作っている男性が神様の秋の光の中で守られながら農作業をしておられるように見えました。

 この聖典は、現在、生長の家松江道場で行われている「写経の集い」で写経実施の前の講話のテキストになっている。深遠な真理を御文章を拝読しながら学ばせていただくと、生長の家に触れさせていただいたわが身の有り難さが身に滲みてくる。時間ができてから、ブログにと考えていたが、次から次へと仕事が巡ってくるので、どうも余暇はできないようだ。従って、時々になると思うが、島根の皆様と共に学習を始めたいと思う次第であります。以前、台湾で仕事をさせていただいた頃に、青年の皆様に連続でお話ししさせていただいていたことがある。

http://www.ssfk.or.jp/p/a/105062.htm

 聖典には、厚い本として『ユイマ経解釈』や、『無門関解釈』、『正法眼蔵に学ぶ』など多数あり、信徒であるならばぜひ拝読すべき重要聖典である。これらの聖典を理解する力があれば、当然のことながら現在の総裁先生のご著書の内容を深く理解できるものと思われる。自分自身のことを言えば、真理の御文章を深く読みこなすことができる力量をつける必要性を感じる。
 では、「はしがき」から参りましょう。

 『甘露の法雨』の功徳として色々と書かれている。ハワイの第百大隊、442部隊の活躍の裏に『甘露の法雨』の御守りがあったという内容である。弾丸が貫通しなかった例などがあったそうだ。これは、谷口雅春先生が講習会でお話になっておられた。
 もう一つは、田中靜壱大将のことである。反乱軍の将校を鎮圧した話である。『甘露の法雨』をもって行かれたようだ。

 『甘露の法雨』の国家的人類的な大功徳についてご教示されている。「はしがき」の最後の2行には次のように書かれている。

『この聖経が如何にして書かれたか、これが「法華経」普門品第二十五にある、観世音菩薩が「甘露の法雨をそそぎ給うて衆生の煩悩の焔を滅除し」という聖句に如何に関係するかは本文の記述によって知っていただきたい。』

  このお言葉を話される先生の言葉の響きが未だに脳裏に響いてくるように思う。何とも言えない神の癒し、救いの響きのようだった。
 ハワイの部隊に関するアメリカの二世の人の本を一冊読んだことがあったが戦後、アメリカの政界に色々と働きかけていたことが書かれていたと記憶している。また、若い頃見たNHKでのハワイ二世部隊についての特集があったが、言葉では言い尽くせないものを感じた。ハワイ出身の友人の話によると、当時の二世部隊はヨーロッパではハワイの言語を使っていたという。従って無線で傍受されてもハワイ語はドイツ人やイタリア人には理解できなかったという。

 田中大将に関しては、偶然、神田の神保町で『ああ皇軍最後の日』という本を発見して読んだことがある。そこには、自決された時の机の上の図面が書かれていたが、たしかに『甘露の法雨』という文字があった。
 当時のことを題材にした映画でも、このことを描写していた、『甘露の法雨』の表現はなかったように思う。

 そのように、『甘露の法雨』の功徳は個人のみならず、国家を救い、さらに全人類、全地球をも救うのでありましょう。生長の家の進むところに甘露の法雨が読誦される。従って環境問題に携わり、地球の全生命を救済しようとしている現在の生長の家の運動は、”『甘露の法雨』の功徳は「地球の全生命をも救う」”ということになるのではないでしょうか。そのように考える時、島根の私たちがこの運動に参加させていただいている光栄と自分に与えられた使命の偉大さに感動せざるを得ないのです。そして、現在の運動をご指導下さる総裁先生の御悲願を成就させていただきたい、という願いになり、その御悲願が我が魂の祈りとなる筈であります。それは総本山の七つの燈台に谷口雅春先生が書いておられる御悲願の成就に一致すると拝察申し上げてさしつかえないのではなかろうかと考えられるのであります。あくまで私個人の私見でございますが、「三界万霊悉皆実相開顕成仏燈」がそれであります。すべての世界の生命が成仏するという御悲願であります。その中に地球世界のすべての生命がある筈であります。

http://snis.jp/

 島根の神の子の皆様、『甘露の法雨』の功徳を知ると同時に、大いに毎日読誦いたしましょう。

 中内 英生

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September.27.2009「 ブレイン・マシン・インターフェース」

Photo September.27.2009「 ブレイン・マシン・インターフェース」
今日の詩::今日もまた 生きる力は 感謝から

 頭で念ずるだけで機械を操作する技術「ブレイン・マシン・インターフェース」というのがあります。かつてNHKで「脳」の番組の時、見た記憶があります。これに関する記事が日経新聞(2009/9/27)に出ていたので島根の皆様にご紹介します。

http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0902/200902_058.html

 これは略して、BMIですが、脳が出す信号だけで機械などを操作する技術です。これは大変な技術と思いきや、私たち自身がその高度な技術を日常的に使い続けているのでした。脳波や血流、磁界の変化などの微弱な信号と、記憶や運動、思考といった脳の機能との関係を分析して、人の意図を推定して機械を動かすようです。1980年頃米国の研究者が猿の脳波などでコンピュータを動かす実験を始めました。90年代以降、脳波計や機能的核磁気共鳴画像装置、近赤外光計測装置など関連する計測機器の性能が大幅に向上したようです。それに加えて脳科学の進展があり、脳の活動をリアルタイムで計測し、機械を動かせるようになってきたらしいのです。

 これはまだ開発と研究途上ですが、①患者の脳表面に置いた電極に伝わる信号をコンピュータで解析する。②患者が脳で四つのイメージを念じて中央のカーソルを動かす。これはもちろんディスプレー上です。
 頭に脳波信号を発疹したのを受信するのに、「侵襲型」と「非侵襲型」があるようです。侵襲型は、手術や電極を神経に刺すことによって被験者を傷つけてしまいます。しかし、信号を直接取り出せます。かつ、応用範囲が限られるようです。移動できないからです。
 それに対して、「非侵襲型」は脳波計や近赤外線計測装置などで頭の外から測る方法です。被験者を傷つけませんが、ノイズが多く精度が低いため、計測装置や解析法に工夫が必要としています。

 将来、パソコン画面に自分が心に描いた映像が写し出される日が来るかも知れません。しかし、私たちが絵画を描くとき、そのような機械を使わなくても、それを実現しているではありませんか。人間は本当に素晴らしいと思います。

 今日はここまでとさせていただきます。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
  2009年9月 8日のブログは、「新産業の育成に歩み出そう」です。
原発の増設に関してですが、温暖化抑制のために自民党と経団連の代替案は、原子力発電の新興だが、これは今回の総選挙で国民から否定されたと解釈しておられます。
 民主党政権下で、再生可能エネルギーの利用技術開発とその利用を結束して進んで欲しいとしておられます。
 「できない」点を見つけ出して文句を言うよりもできる点を見つけ出して拡大していくのが責任ある正しい態度であるとしておられます。
 私も島根の光明化はこの方法以外にないと考えています。できないことやマイナスのことを嘆いても決して前に進みません。少しでも一歩でもできることを発見して前に進むことが大切でありましょう。
 その方法は、政治の分野と言うよりの心理学が扱う分野であるとのことです。イギリスの科学誌『New scientist』8月22日号で、説教方式よりも「できる」と訴えた方が効果的だとのことです。「Yes, We can」で有名になったオバマ氏はある民主党党首を決めるための選挙で、劣勢と分かった日にこの言葉を使い始めて、クリントン氏に劇的に勝利しました。「できる」という言葉は相手の無限力を信じる、相手から力を引き出す神の愛の言葉であると思います。この方法は環境問題でも同様の効果があるとしておられます。
  「自然保護心理学」という言葉も使用しておられます。国際教修会でのテーマ「自然観」のことも書かれております。

 病室も窓から自然の風景が見える患者の方が、煉瓦の壁しか見えない患者よりの治りが早いそうです。
  余談ですが、私の知人Hさんのことですが、彼はある時バイクで関西から長野へ向かう途中で自動車と正面衝突して病院に入りました。奥様が駆けつけたとき、足に彼の名前を書いた荷札がつけられていたそうです。医者に聞くと、「ほとんど死んでいるので治療しても宇田だから放置している」とのことでした。妻は言いました。「主人はこれくらいで死ぬような人ではありませんので、心配しないで治療して下さい」と。医者は患者の妻に励まされて渋々治療を開始しました。一ヶ月後に、意識が回復しました。足は粉砕骨折でした。しかも脳に頭蓋骨が突き刺さりましたので、一部切除しました。彼はその間、夢を見ていたのです。いろんな霊界とでも考えられるようなさまざまな世界を夢見ていました。そのたびごとに、『甘露の法雨』のお経が聞こえてきました。そして、『お前の行くところはそこじゃないぞ』と上方から聞こえてくるのです。後で分かったことですが、彼が尊敬していた、故F元本部講師が毎晩、彼のためにお経を読誦してくれていたのでした。最後に、『お前の行くところはここだ!』と言う声が聞こえました。よく見ると白樺の林があり、しかも額縁のように周りを囲んでいるのです。「不思議なところだなあ」と思いました。ハッと我に返りました。彼は目を開けて窓の外を眺めていたのです。そして完全回復しました。脳をシャーベットのように切除しているので『何か故障はないか?』と尋ねましたが、異常はさらにありませんでした。そして完全回復して私のところに訪ねておいでになったのでした。

 最後に、地球環境問題を取り上げる段階から、自然と人間との本来あるべき親しい関係を取り戻すために、「産業」を育てるという積極的な観点の重要性をご教示されております。拝読下さい。
http://masanobutaniguchi.com/

*動画を見て下さった人から感想が届いた。やはり、写真、絵、動画という風に総裁先生のように種々織り交ぜて表現する方が喜んでいただけるようです。現在、開発中なのは動画に自分で詠んだ俳句を朗読するという形式です。写真俳句を写俳というように動画俳句ですので、動俳でしょうか。ちょっとゴロが良くないですね。それから下手な英語の朗読動画もできるだけ行ってみたいです。ご迷惑かも知れませんが。私は欲張りですから…。

 中内 英生 

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September.26.2009「長谷川りん二郎の猫②(了)」

September.26.2009「長谷川りん二郎の猫②(了)」
今日の詩::曼珠沙華 山ぎわに咲く キツネ花 炎(ホムラ)の如し 野火は広がる 
*益田一日見真会の会場の周囲には曼珠沙華がたくさん咲いていました。 

 (つづき)Img571
  ある時、猫のタローは、長谷川りん二郎氏が最初に絵を描いた時のノビノビとしたポーズをとらなかったという。頭を引っ込めて背中を丸めてしまうのです。その時、りん二郎氏は気がつきました。『これは温度のためだ。猫は寒くなると背中を丸くする。寒いときに背中を伸ばすことは、絶対に不可能である。これから日増しに寒くなる。この絵を続けて描くには、来年の9月まで待たなくてはならない』と。
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/jimbutsu_ver1.0/b_jimbutsu/hasegawa_rin.htm
http://www.oi-bijutsukan.com/item-0606024.html

 りん二郎氏は、「この絵を完成させるためには来年を待たなくてはならない」と言っているうちに、いつの間にか6年の歳月がかかってしまった。
 りん二郎氏は「タローの履歴書」というのを書いている。職業は「睡眠研究株式会社社長」体重「ずっしり重し」とある。そしてタローを書き始めて5年くらい経った時、タローが死んだという。

 りん二郎氏は言う。
猫は死ぬとき、その姿を人に見せないという話を聞いたことがある。タローは死に場所を探してりん二郎氏の家を去ったのではないだろうか。それでもタローが突然、食堂の窓に飛び乗って私の方を見るのではなかろうかと云う夢のような望みを持つのだった。
 数日後、瀕死の状態で見つかったタローは、りん二郎の家で息を引き取った。アトリエに残されたタローの絵はまだ完成されていなかった。それから数日後、私はタローの髭を想像で書いた。それは簡単な申し訳のような髭だった。

 私が髭を見ると、白い髭になっていた。
宮城県立美術館には未完の大家長谷川りん二郎の渾身の傑作となる「猫」が掲示されているという。

 りん二郎はタローの眠りをキャンバスに再現するために工夫を凝らした。絵の具はキャンバスの質感を生かすために薄く塗られている。あえてザラザラとした感じを残すことで、猫の毛並みの肌触りを表現している。
 そして、よく見ると猫の頭とお尻の部分の色が微妙に違っているのです。長い歳月をかけて描くうちに、タローの毛の色は少しずつ変わって行った。りん二郎が部分ごとに仕上げていった結果、描いた猫の毛の色も少しづつ変わっていったのでした。リン二郎は、その時々の猫の毛の色を忠実に捉えることで、タローと向き合った時間までも、この絵に塗り込めたのです。

 息子さんの長谷川光児さんは次のように言っている。
『幸せな時間というものを、描くことができた絵画ではないだろうか。父親なりの「課題」を気にしないで、リラックスした気持で描くことができたのではないだろうか!』と。
 日常のことを、そのままの生活の素晴らしさ、美しさを書いた小説家に、庄野潤三氏がいる。総裁先生のご著書に書かれていたので私も一冊、読んでみた。実に日常の生活の素晴らしさが表現されている。庄野潤三氏は先日お亡くなりになった。ご冥福を心からお祈り申し上げます。日常生活の中に真理があり、美があり、信仰がある。信仰生活とは特別なものではないのです。日時計主義の生活とはそのような生活ではないでしょうか。如何に物質を持っているか、というよりも如何にそれを神の愛の実現として感受し、感謝できるかでその人の幸福感は決まると考えるのです。

 理想の美を追い求めた画家りん二郎氏が、フト振り返った時、そこに猫のタローが居た。自分に寄り添う愛すべき存在に目を向けた時、人々の心を捉えて放さない「猫の眠りの名画」が誕生したのでした。
 彼は言う。

 『私たちは当分、猫を飼わないことに決めた。しかし、私たちは折に触れてタローのうわさをしている。私たちはまぼろしの猫を飼っているというのが本当である』と。

  猫の姿の中にまで美を感じるという画家長谷川りん二郎の生き方、描き方は素晴らしい生き方ではないだろうか。息子さんの評価が、幸せな父親として捉えられていることによって交差証明されているように思われる。(終わり)

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
  2009年9月 7日のブログは、「「温暖化ガス25%減」を貫こう」です。
民主党の鳩山由紀夫代表が、日本の温室効果ガス排出を「1990年比で25%減」らすとの2020年までの中期目標を宣言したことに関することなどが書かれています。現在は、世界に向けて宣言したのでそうとうに有名になりました。賛成と反対、色々業界によってあるようですが、それを実現するすることを私たちは貫かねばなりません。さまざまな考察をお書きになっておられます。拝読下さい。
http://www.masanobutaniguchi.com/

*機関誌『相愛会』(平成21年6月号)28頁には、岡山の藤本和久刀匠の記事が掲載されている。父親の藤本昭さんは、私が某練成道場でお世話になっているときに、聖使命会の拡大の話をしていただいていたことを記憶している。入会された人には、真理の言葉を彫り込んだ文鎮をプレゼントしていた。藤本地方講師に指導された男性Aさんがある時に練成会にお出でになった。次の話はAさんから私がお聞きした体験談である。Aさんは、ある時耳が痛くなって耳鼻科に行った見た。すると、「耳癌にかかっている」と宣告された。彼は、困って一週間の間、寝込んでいた。ふと、藤本昭地方講師に指導を受けようと思いついた。藤本講師は指導した。『病気はないんですよ。無いので今日から仕事をしなさい」と。Aさんは喜んで病床から起き上がり、一日中仕事をした。次の日に目が覚めると驚いた。布団一面に血がべったりと流れていました。Aさんは、『私はこれで死ぬんだ。藤本地方講師に指導を受けたのが間違いだったのだ』と思いました。彼は急いで病院に行きました。調べてもらいましたが癌の症状は完全に消滅していたそうです。癌になっていた耳の細胞は、一晩で剥落してしまったのです。それが血膿となって流れたのでした。
 
*今日は、益田で一日見真会が行われた。若いお母さんが多かったように思う。ここで祈り合いの神想観を実修し、父母への感謝誦行を実修できることは素晴らしいととだと思う。参加者の魂の浄化が益田市民の素晴らしい幸福生活を現出するのでありましょう。

  中内 英生  

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September.25.2009「長谷川りん二郎の猫①」

Img570 September.25.2009「長谷川りん二郎の猫①」
今日の詩::秋風に 黄色き花の 咲き乱れ
*動画を「写メール俳句の世界」にアップしています。ご覧下さい。

 NHKの「迷宮美術館」(2009/8/27)で、眠りをテーマに放映していたが、函館の長谷川りん二郎さん(1904-88)という画家の猫の絵を紹介していた。私が感動したのは、画伯が猫の傑作を描いているのだが、『美を追究していたが、気がつくと自分の周囲に美が転がっているのに気がついた』というくだりである。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/050226.htm

 彼は学生時代のことだが、函館の町が大火事になったとき、悠然として函館山に登って、大火事のスケッチをし続けていた。そして、何事も無かったかのように家に帰ってきたという。それだけ絵が好きだったのだろう。彼の作品には未完のものが多いが、常に描きたいものを描いたという。次は彼の言葉である。

 『目が直接、物に触れている時間、視線と現実がぶつかる場所に、生まれる鋭い微妙な新鮮な世界、それは離れていてハッキリみえ、見えていて隠れている。』

 彼はこの感覚を追い求めていたのだろう。しかし、りん二郎の独自のものが世間の注目を浴びることは無かったようだ。彼は日常の物を描いていた。もう一つ言うと日常のものの中に「美」を見出していた。その描いた「美」の理解者は家族だった。妻の「鎮」(しず)さんは働いて一家の生活を支えたという。妻が夫の生活を支えて夫を成功の支えになったケースに、御木本真珠の社長婦人、初代ヘンリー・フォード婦人、市村清社長夫人、
カーライル婦人などを思い出す。奥様の献身が無ければ夫の成功はなかったと思われるようなケースである。息子さんの長谷川光児氏は言う。

 『バラを描いていて、涸れたら妻に買ってくるように言い、形、色が違うと言っては買い直す。大変といえば大変だが、楽しい生活だった』。
 一家は貧しくとも、お互いに支え合って生きていたという。

 「タロー」という猫の思い出が語られている。
『私がアトリエにいると、タローは時々そっと入ってきて描いている私をじっと見ていた。それからぴょいと椅子の上に飛び乗ってぐっすり眠ってしまう。タローは一日の大半を寝て過ごした。眠ることが仕事ではないかと思われた』と。
『家内は、”主人にそっくりです”と言った。これには返す言葉がなかった。私は多眠性であり、夜十分眠った上に必ず昼寝をした』という。

 次の言葉が私の心を打った。
『あせらなくていい。穏やかな心で描き続ければ!』。悠然と眠り続けるタローはりん二郎にそう言い聞かせているかのようだったという。そうした日々を重ねていくうちに、りん二郎は自分に似た猫の寝姿に心をひかれ始めるのでした。彼は言う。
『眠っているタローを見るのが好きだった。彼の呼吸につれて、全身が静かに脈打ち、その動きが伝わって、ふさふさとした毛並みが絶えず動いた。』
『その上には空間が無限に広がっている。それはかつて見たことのない不思議な光景だった』と。

 そう考えてみると、私たちその存在そのものが不思議な光景なのではないでしょうか。
自分の上には無限の宇宙があるのですから。りん二郎はみずからの分身のように、眠る猫の姿に、「飾らない、ありのままの美しさがある」と気づいたのでした。
 島根の皆様、今日のポイントはここではないでしょうか。
飾らない、そのままの姿というのが一番美しいようです。
今日はここまでです。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう: 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
  2009年9月 4日のブログは、「アメリカは意外と冷静」です。
前回の鳩山論文に関してのことです。最後に、次のような意味のお言葉で結んでおられます。
『選挙公約は結局、国内向けだから、北朝鮮の核外交や中国の軍備増強などの厳しい国際関係の現実に直面すれば、民主党政権も“理想”を“現実”に合わせる方針転換を余儀なくされるだろう』、と記事を締めくくっているのに対して、先生は『同感である』としておられます。
 また、昨日の新聞に於いて、鳩山総理がアメリカのオバマ大統領に対等の関係を求めたという記事が日米関係の変化を語っているようです。日経、産経、朝日のそれぞれの記事を読むと幅広く理解できるようにも思えます。本文を拝読下さい。
http://masanobutaniguchi.com/
 
*今日は隠岐の島で先祖供養祭があった。お元気な皆様がさらにお元気になられたようだ。先祖供養祭での動画をアップしましたのでご覧下さい。今月は会場でDVDでチャリチィーコンサートの様子をご紹介しました。「歌が素晴らしい!」と言って感動していただけると思いきや、「誰々さんが出てる!」といった声がほとんどで想定外の出来事でした。来月は、一時間ほど、内地なみに神性表現の絵手紙を描いてみるという意見もだされました。「乞うご期待」です。動画は、「隠岐の島の先祖供養祭その①」です。
 明日は、朝6時出発です。益田での一日見真会へ行って参ります。

 中内 英生

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September.25.2009「T青年会員の”先祖供養の意義”説明⑧(了)」

Img572 September.25.2009「T青年会員の”先祖供養の意義”説明⑧(了)」
今日の詩:活性化  脳に刺激の 秋日和
*休日でも、この一週間でできていなかったことなどを、何かしているので、脳は動いて止まらないようです。常に、心が光明化運動に向かわせていただけることは、ブログのお陰です。お教え下さいました総裁先生に心から感謝申し上げます。

 霊魂が母体に宿るときは一般的な程度の霊魂であれば無意識的に自覚しないまま生まれ変わりの霊的波動に引き付けられて受胎するそうでう。時々、「自分で両親を選んで生まれてきた」という表現を聴くことがありますが、ここにはそのようには表現されておりません。原典になる御文章があればお教え下さい。
 そのときは親(特に母親)の精神状態に合う霊魂が引っ張ってこられるようです。そのため母親が興味を持っているものの影響の強い子供が生まれることが多いとしております。これは胎教も問題を言っているのではないでしょうか。谷口雅春先生の御文章を拝読すると、胎教の時代にはできるだけ調和した雰囲気のものに接することを奨めておられます。お腹の赤ちゃんに対して、外側から話しかけていると、生まれてから話し始めるのが早いとも言われています。特に、聖経『甘露の法得』などを常に読誦したり、父親が写経をして母体に巻くなどすると、胎児は愛と真理を感受して素晴らしい子供に生長することでありましょう。

 人工授精の場合は生まれ変わりの霊的波動が無いところへ宿ってくるので、「意識が目覚めている段階の霊魂」であるとしております。特殊な興味を持っている霊魂が宿っているとも書かれています。
 小児麻痺などはウィルスが原因であり、霊魂は関係がないように思えますが、その背後には病原性のウィルスたらしめる霊的影響者がいなければ病原性のウィルスの形にならないとしておられます。背後の霊的影響者とは流産児です。宇治には全国流産児無縁霊供養塔が建立されていますが、この供養がなされてから全国の小児麻痺患者が激減したと伝えられています。

 霊の逆念を向けても、自分自身がその念を受け取らなければ病気などにならないようです。どんな心になれば受け取らなくても済むかと申しますと、明るい心であり、愛と知恵と感謝に満たされた心です。霊的波動という「因」がありましても、「縁」になる暗い心がなければ、病気や人生苦としては現象化しないようです。

 祀られていない霊が全て苦しんでいる訳ではないようです。高級霊になつた祖霊は祀られなくても迷ったりはしないとしております。霊界でも修行と、彼らを導く高級霊達がいて、霊魂は向上していくようです。しかし、ご先祖様を供養して自由自在になっていただきたいという、子孫の愛念は神に通じますので、そういう子孫は自然と健康になり繁栄するようです。

 最後に、『第四章:霊波の感応による運命の形成』です。ここには、さまざまな実例が紹介されています。

 病気を治す第一として、「人間神の子」の縦の真理の自覚と、天地の道徳ともいえる「横の真理」を行ずる事が大切だとしております。横の真理とは、『大調和の神示』の実践でありましょう。
 天地を貫く道徳とは、別の譬えとしては、「夫婦の調和」や「祖霊への報恩感謝の供養」があげられます。

 また、霊位の高い神様(神棚)などと祖霊をいっしょに祀ると、ご先祖様が遠慮してしまうことがあるので、神棚などは上部に設置し、ご先祖様は下方に祀るなどすると良いとのことです。

 参加した青年会員から質問がありました。
①「祖霊と水子は分けて祀るべきか?」という問題です。
「『人生を支配する先祖供養』の本にはその点は書かれていなかった」ようです。同じ仏壇でお経をあげるとしても、心がけに違いがあるとしています。
ご先祖に対しては報恩・感謝・尊敬の念で。流産児に対しては、「愛と懺悔」であり、供養の意義が違うためであるようです。詳しくは、『流産児よやすらかに』をお読み下さい。また、島根教区の練成会では先祖供養と流産児供養とを分けて供養祭を行っており、流産児に関しては、K地方講師が担当され、素晴らしい感動的な講話とともに、色々と体験がでております。

 これで一応、終了です。まとめてくださいましたT青年会員に心から感謝いたします。ご一緒に勉強してくださいました島根の信徒さんに心から感謝申し上げます。青年会学習会の動画は、9月18日ブログに掲載しております。ご覧下さい。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
  2009年9月 3日のブログは、「鳩山論文の不思議 (2)」です。鳩山氏はウェブサイトを持っておられるとのことです。これは大切なことです。「不思議」の原因について、論考を重ねておられます。さまざまな御考察を経て、「今回の鳩山論文に感じる“不思議”は、別の方向に向かっていく」としておられます。
http://global.nytimes.com/
http://www.hatoyama.gr.jp/indy_frame.html
http://www.hatoyama.gr.jp/masscomm/090810.html
*論文の英訳は最下段から入れます。

*今日は、隠岐の島に来ています。毎月、港と会場とホテルとの往復です。私が台湾で勉強させていただいていたとき、上司の故T元教化総長は、常に台湾の人々への伝道だけを考えておられ、少しの時間でも、『甘露の法雨』を拝読し、聖典を拝読しておられ、ご自分を磨いておられたお姿が脳裏に焼き付いて離れません。

 中内 英生

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September.24.2009「『日時計主義とは何か?』に学ぶ①」

Img569 September.24.2009「『日時計主義とは何か?』に学ぶ①」

 このテーマでは、島根教区の皆様が総裁先生のご著書を学習される参考としていただくために書かせていただく予定です。前任地の教区のブログでは、いくつかのご著書でこの形式で勉強させていただきましたが、島根ではまだ行っていませんでしたので、再開いたしたく島根の皆様とご一緒にぼつぼつ勉強して参りたいと存じます。固い内容になる可能性がありますので、あまり無理せずにお読み下さい。総裁先生と谷口清超先生と谷口雅春先生の御文章の中を生長の家大神様の御心が貫いているということを御文章に於いて確認させていただく作業ができれば、大いなる喜びであります。時々、掲載させていただきます。

出題は、「はしがき」からです。1頁~7頁
質問①日時計主義とは何ですか?
質問②何のために日時計主義を生きるのですか?
質問③「日時計主義」という名称は、いつ誰が名づけたのですか?

質問①の答えは、1頁の2行目からです。
 ひと言でいえば「人生の光明面を見る生き方」のことだ。(それが今日重要なのは、世の中の”悪い面”に焦点を合わせたニュース報道や評論、論説、テレビ番組等が社会に氾濫しているからだ。)

*明るい、積極的な人生の見方・考え方をする人は多くの人々から喜ばれて、多くの人々が協力者となり大いに人生に於いて成功するに違いありません。

質問②の答えは、4頁の10行目~5頁の3行目までです。
 私のいう「人生の喜び」とは、収入の多寡や所有物の多さのことではない。他人と比較などしなくとも、自分の周囲に、そして自分そのものの中に、真実や善や美はあるのである。それを見出すための心の訓練が「日時計主義」である。読者はぜひ、その生き方を習得され、さらに他の多くの人々にもこれを広めて、愛と信頼と明るさに満ちた地球社会実現に向かって、歩み出していただきたい。

*明るい所ばかり、善ばかり、美ばかりを見つめていると、確かに心が光明に満たされるようです。そして、同類親和の法則により、明るい物事が増加していくのです。これは単に個人のことばかりではなく、人類光明化運動とはこのような運動でありましょう。
 
質問③の答えは、5頁の7行目~11行目までです。
 この言葉はもともと「I record none but hours of sunshine.」という英文を端緒とするが、それを日本において「日時計主義」と名づけたのは生長の家創始者、谷口雅春先生が初めてである。もう77年も前のことだ。それをひとことで言えば、「人生の光明面を見る思想」であり、そういう生き方である。

*生長の家創刊号に掲載されているこの日時計主義は生長の家の精神そのものでありましょう。「知ることの差は小なり、行うことの差は大なり」であります。生長の家の御教えは別名、実践哲学とも言われます。信仰は生活であるのです。何を持つかではなく、如何に生活するかでその人の価値は定まります。

 中内 英生

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September.24.2009「T青年会員の”先祖供養の意義”説明⑦」

Img567 September.24.2009「T青年会員の”先祖供養の意義”説明⑦」
今日の詩::敬老の 日に祝うべき 年輪美
*長き人生に輝きを持つ老いは、熟年パワーと云われ、霊的にはさらに強力なパワーを発揮します。  

 昨日のつづきです。
祖霊が子孫に与える影響について書かれています。マイナスの影響よりも、ご先祖に神通自在の力がでてきますと、子孫を護る守護力が強くなるとしています。二つの説明方法があります。
①大地は神様、根は先祖、幹は両親、枝葉は子孫、木の実は人生の実です。良き実を結ぶには、大地に肥料が必要です。肥料とは、真理の供養を感謝報恩尊敬の心で施肥するということです。
②人生の半分は前世の業によります。四分の一は個人の努力です。あとの四分の一は高級霊の修正とのことです。従ってご先祖が高級霊になっていただくと、四分の一のところが強化されることになります。
 もう一つ踏み込んで考えます。ご両親の元に生まれるのは前世の結果であるとしますと、両親に感謝するとき、前世の業を超越し浄化することになります。感謝は魂を浄化するからです。
http://www.uji-sni.jp/

 ご先祖は、自分に関心のある縁者や子孫が好まない行いをすると、子孫が反対観念を受けることがあると書かれています。
 子孫が正しい行いであっても反対観念をご先祖から受けると困りますので、そういう影響を受けないように、祖霊に真理を知って悟っていただくように先祖供養を十分に行う必要があるでしょう。
 親が反対する結婚の場合のことを谷口雅春先生が別のご著書でお書きになっておられたことを記憶しています。聖典の名前は失念いたしました。両親の思いはご先祖を代表する場合があるので、親の反対を押し切って結婚しても面白くない結果になることがあるとしています。それはご先祖の霊的な否定力が働くことがあるようです。従って、ご両親によく理解していただいてから結婚することが良いようです。なぜならば、ご両親はご先祖様の代表者であるからです。

  ご先祖様は死んだのだから、聖経を聞くことができないと思うのは間違いであるとしています。
 祖霊に聖経を上げたら病気などが治るなどという体験談があるのは、ご先祖が聖経を聴いてくださった証拠の一つといえます。生長の家は他の正しい宗教を排斥するものではない、むしろ他の宗教をも生かします。さらに加えて、生長の家はご先祖が信仰していた宗教を敬うことを奨励しております。

 個性の存続についてですが、人間は死んで霊魂になっても個性は消えないとしています。むしろ悟りの段階が高い霊魂ほど個性が発揮されて独特の進歩を遂げているようです。この間の消息は素晴らしいことです。

 死後に個性が消えるということは、地上での経験に意味が無いということになってしまいます。『生命の実相』頭注版第1巻5頁から10頁に、「二、吾等は生命顕現の法則を無限生長の道なりと信じ個人に宿る生命も不死なりと信ず。」の説明で個性生命の存続が説かれています。
http://www.kyobunsha.co.jp/shopping/books/toucyuba.html

 また、死というものは上級学校へ入学するようなものであるとしています。その際、制服を取り替えるように、肉体という道具を脱ぎ捨てたり、その他のもろもろの習慣や印象をも脱ぎ捨てることになります。普通一般的には今世の業を霊界にもっていく場合があるようです。しかし、突発的事故などの場合は脱出するように前世の業を脱ぎ捨てるとしています。生長の家の方の場合は、非常に安楽な亡くなり方の信徒さんがほとんどです。善業が十分に積まれているからでありましょう。

 寿命はあらかじめ定められていますが、正しい生活を行わなかったりして役目をはたさないと、早めに霊界に戻って行く人もいるようです。逆に、人類救済の使命に熱心に取り組んでおられると、寿命が延びることもあるとしております。島根はご高齢の人が多いと云われております。9月22日は「敬老の日」でしたが、ご年配の人にとって非常に住みやすい土地柄であることを意味しております。しかも環境となる若い人が、お年寄りを大切にする土地柄であるからこそです。それは大変に素晴らしいことです。誇るべきことではないでしょうか。

 人間は、短命だからといって未熟な魂とは限らないようです。禅宗の道元禅師も53歳で没しておられます。しかし、NHK番組『百歳バンザイ』を見てみると、長寿となるにはそれなりの世の中への貢献度または生き甲斐が必要であるようです。また、何歳まで生きると決意すると、そうなるように精神生活も食生活も変わるのではないでしょうか。三界は唯心の所現であるからです。
http://www.higan.net/blog/news/2008/10/zen1.html
http://www.nhk.or.jp/100banzai/file/index.html

 また、何らかの特別の役割があったり短い期間で目的を達成してしまったために、短命となった場合もあるようです。むしろ高級霊にそういうことが多いとしておられます。イエス・キリストや吉田松陰などもその中に入るのかも知れません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%BE%E9%99%B0

 卵細胞の分裂だけで人間にはなりえないそうです。葡萄状鬼胎のようにまったく人の形になりえないのはそこに神様の理念が天降らなかったということです。しかし、身体が作られ始めると、そこに霊魂の関与が認められるので、それを壊すことは殺人に等しい罪悪となります。従って、ES細胞で実験を行うことなどは、生長の家ではすべて反対です。では、IPS細胞はどうかといいますと、IPS細胞で受精卵的な細胞を作ることが可能であるということになりますと、霊魂の関与が認められることになりますので問題が残ることになりましょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E5%A4%9A%E8%83%BD%E6%80%A7%E5%B9%B9%E7%B4%B0%E8%83%9E

 今日はこれで終了です。あと一回です。島根の皆様、ゴールはもうすぐです。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】

  2009年9月 2日のブログは、「ブラジルを巡講して」です。国際教修会を中心にしてまとめられています。素晴らしいです。来年の11月28日には総裁先生ご夫妻様が島根に御巡錫されます。前回以上の参加者でお迎え致したいと存じます。すでに講習会の準備が進められています。二年に一度の講習会をステップにして島根の教勢は拡大して参ります。島根でも、御掲載の映像ほどではなくても何らかの形で講習会推進の記録が欲しいところです。
 島根の皆様、今から来年の11月28日の講習会のことをお伝えいたしましょう。

*昨日は、小雨だったが落ち着いた一日だった。講話の準備や資料作成などをしつつ一日が終わった。感謝の日々です。あと、一回で、「先祖供養の説明」ブログが終了する。T青年会員に感謝です。
 それから、「写メール俳句の世界」に毎日、素晴らしい作品がたくさん掲載されています。休日にもかかわらず、Y担当職員さんがご自宅でアップしてくれています。この欄にでている写俳で、ホームページを持っている方は、自分のHPにも掲載されていますのでご覧下さい。写真が大きく写されており、どれをとっても見事です。
http://www.sni-shimane.com/blog.php

 中内 英生

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September.23.2009「”人生の扉を開く”」

合掌、島根の皆様、今日は英語で脳の活性化です。10~11頁です。発音はイマイチですが、これでも一応、外人に通じます。聞き直されることもたまにありますが…。この聖典は左が日本語、右が英語になっています。英語も読んでみましょう。少しだけでも、国際平和信仰運動の気分が味わえるのではないでしょうか。中内英生拝

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September.23.2009「T青年会員の”先祖供養の意義”説明⑥」

Img568 September.23.2009「T青年会員の”先祖供養の意義”説明⑥」
今日の詩::天高く 波間から見る 隠岐の島
*これは、西郷の港にあるホテルです。デザインが素敵です。

 つづきです。この連休は「先祖供養説明」で終わりそうです。今日は、「第三章の”魂と霊魂について”」の所です。
 『甘露の法雨』の「霊の項目」の霊とは霊魂のことです。ここに生長の家の霊魂に関する基本的考え方が示されています。『生命の実相』全40巻などは、一般大衆に「生命の実相」が理解できるように書かれた解説書のようなものです。それに対して『聖経』のお言葉は、”理屈、理論のない真理”です。端的に御教えが示されているのです。従って、朝晩、『甘露の法雨』と『天使の言葉』を仏前で拝読すると御教えの基本的な全貌を一括して理解することができるというものです。ご存じの通り、『天使の言葉』は、『甘露の法雨』が長いので半分に区切って『天使の言葉』とされたようです。御教えの基本的な考え方を毎日確認することは、信仰生活の上で大切なことです。基本的な真理の理解が深くなりますと、現在の総裁先生のご著書のお言葉がさらに深く理解できるようになるのです。
イチロー選手が基礎的運動を決して欠かさないことで、大記録を生み出す元を作っているのと同様です。基本から応用へという方式は学問もスポーツも信仰生活も同じなようです。
さて、つづきをお話しします。

 現世や霊界に映し出される仮の姿が、現実世界においては肉体であり、霊界においては霊体であり霊魂のことです。”『久遠生命』の神示”には、「幽体も霊体も念の影である」と示されています。聖経『天使の言葉』34頁6行目~35頁3行目までには、「肉体を去りたる念は、その念の力にてなお一つの個性を持続し、幽界に於いて生活をつづけん。汝らの霊魂と称するもの是にして、…」とあり、霊魂の定義をご教示されております。
その霊魂の耐久力たるやものすごく、持続時間は無限であり、「久遠生き通し」と云われている所以です。「神の子の特性」の最上のものでありましょう。

 霊魂自身は、念の波で構成された体なので物質的な決まった形はないようです。自分は病気だとか思っているとそういう形に自ら構成し苦しむことになるとしております。肉体に形があるように、理念としての形はあるのですが、それは「物質抜きの形」であると表現されております。

 ご先祖の霊魂に対して、真理を伝えて救って差し上げると、供養してくれた人や家族を助けてくれたり守護してくれたり、光明化活動の手助けをしてくれるようになるとしております。従って、先祖供養は実生活の於いても大切なのです。
 かつて島根の教化部長をしておられたK元本部講師からお聞きした話ですが、『仏前で先祖供養をしていると仕事のことが心に浮かんでくるので最初はそれを振り払おうとしていた。しかし、もしやご先祖のお導きのインスピレーションではなかろうか、と考えてそれを聴く気持になったとき、実に素晴らしい仕事上のアイデアをいただくことができた』と教えていただきました。

 輪廻転生についても書かれています。物質的波動の体と霊的波動の体が重なり合って現世に於いて私たちは生活しており、死ぬと分離するのです。しかし、肉体は宇宙服であり、地上生活を営んで、神の愛を表現し、魂の修行をさせていただくための道具であり、神の宮です。自分自身ではないのです。

 念の蓄積を業といいます。その業の影響を受け霊体が作られてその種類により肉体が作られる。そのため「業」とは外から見れば「体」ともいえるようです。念波で構成されていますので、念波で浄めることができるのです。清まれば地湧の天国浄土が出現します。「大調和の神示」で、天地一切のものへの感謝と特に両親への感謝は大事であるとされています。生まれ変わるということは前世の総決算として、同波長の両親の元に生まれることを意味します。逆に考えますと、両親に感謝できると、前世のすべてに感謝できたことになります。「その感謝の念の内にこそ汝は我が姿を見、我が救いを受けるであろう」と大調和の神示に示されているように、すべてが好転します。聖経には、『神が現わるれば、すなはち、善となり、義となり、慈悲となり、調和自ずから備わり、一切の生物所を得て、争うもの無く、病むもの無く、苦しむもの無く、乏しきもの無し」と大調和の現象世界が出現することが示されております。

 仏教では霊魂を認めていないように思われていますが、霊魂のことを有(う)と呼んでいると示されています。
業という仮存在の念の変化に従い、現世への投影の場が変わることを、「死ぬ」または、「生まれ変わる」といいます。しかし業はあくまでも仮の存在であるから本来無いと自覚すると一切の人生の悩みが吹き消されてしまうとしております。要するに魂が自在を得るのです。生まれ変わりについてですが、霊魂として生まれ変わっても、いわゆる宗教的に自覚が変わるところの、「生まれ変わり」とはならないことを気をつけましょう。宗教的な生まれ変わりは、イエスとニコデモとの会話にあるように、「ひと新たに生まれずば、神の国を見ること能わず」以外にはないようです。即ち本当の自分を自覚することです。
 今日は、ここまでとさせていただきます。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう】
  2009年9月 1日のブログは、「鳩山論文の不思議」です。相当、厚みのある御文章です。ニューヨークタイムズ紙に掲載された鳩山由紀夫氏の文章に関してのご考察とご助言です。手違いで掲載された英文の論文に関して、最後の一節を設けて、「傷口が広がらぬよう、早く手を打ってほしいものだ。」との御文章を書いておられます。強いご愛念が感じられます。拝読下さい。
http://www.masanobutaniguchi.com/

*合掌。今日は、かつて連載させていただいた犬塚勉画伯のご命日であるそうです。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2009/0705/index.html

*今日も素晴らしい一日です。島根の皆様、「写メール俳句の世界」はご覧になっておられますか。毎日、きっと嬉しくなります。
http://www.sni-shimane.com/blog.php

 中内 英生

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September.22.2009「T青年会員の”先祖供養の意義”説明⑤」

Img566 September.22.2009「T青年会員の”先祖供養の意義”説明⑤」
今日の詩::自転車は 秋風なびき 大社まで
http://www.izumooyashiro.or.jp/

 つづきです。島根の皆様、もう少しです。頑張りましょう。
 ご先祖様といえども悟りの段階において偏りなどがあるとしています。仏教などでも宗派自体がそもそも悟りを何処に重点を置くかという「偏り」でできたようなものです。ポイントの置き方という表現が妥当かも知れません。それはどの経文を重視するかという形で現れるようです。

 また、長男や長女などに関係なく、子孫はそれぞれに先祖供養をしなければならないとしています。先祖あっての子孫であることを忘れてはいけないのです。感謝の真心を尽くす人は神様に波長が合うので運命が良くなるのは当然であると言えましょう。

 他の家や教化部などで聖経を読んだからといって自宅の霊前で聖経を上げないようではいけません。なぜなら教化部のような所までは遠慮して聖経を聞きにこられず家にとどまっている祖霊もいるからのようです。この辺は、かなり人間的と言えるのではないでしょうか。

 教化部や道場においての早朝行事などにおける聖経読誦と自宅であげる先祖供養の聖経読誦では意義が違うようです。教化部や道場においての早朝行事などは主に自分の悟りを深める目的です。自宅で行う聖経読誦は祖霊に対しての報恩感謝とご先祖様の開悟のためです。
 神を祭祀する上で、本当の神とある種の霊魂が神として祀られている場合があるが、後者が本当の神でないからといって粗末にしてはいけないとしています。そういう霊魂も尊敬して丁寧に扱うことと、天地一切のものに感謝することが必要です。相手も自分も生かすという「愛の教え」に適うことになります。そこに本当の神が現れてくることになるそうです。これは、神の解釈が、①創造神、②応化神、③個別霊、の三種類あるということを知っていないと理解が進みません。①は「醸む」、上下咬み合わせる、など新しいものを創造する意味があります。②は「輝く身」から来ます。③は「隠り身」の意味です。時々、ビルの屋上に小さな祠がお祀りしている場合がありますが、その土地に以前、お祀りされていた祠であることがあるようです。

 自分の内なる本当の神(相手の神性を礼拝する真心)が現れてくれば、悪霊の逆念などを受け付けなくなります。逆に恐怖心などがある場合は逆念を受信しやすくなるようです。従って、「自分は神の子であるから、神の黄金色輝く無限の守護の霊波に包まれており、如何なる悪念波も悪霊波も自分に近づくことはできないのである」という思念をすべきでありましょう。

 また、あちらこちらの、ある種の霊魂を家庭でむやみやたらと祀るのはよろしくないようです。いつの間にかその霊魂の気に入らない行動をとってしまった場合に、逆念を受けるようなことも考えられるからであるそうです。まあ、俗に言う「触らぬ神に祟りなし」
でありましょうか。
 また、ある種類の霊魂の本尊などを廃棄するのは良くないということになっています。逆に祀り方を地祀りにしたり、「祠」を作ってあげてそこへ移してお祀りをしてあげると、祭祀に報いるに福徳を与えてくれることがあるそうです。宇治の末一稲荷神社などはその一例でありましょう。

 生まれ変わりについての考え方が書かれています。荼毘にふすと遺体が燃えてなくなることで地上と魂のつながりがなくなって、生まれ変わりにくくなるので、骨壷の中身は速やかに墓の土に還元してあげるほうが良いそうです。そうすることで地上と魂のつながりが回復するのが早くなるとしています。魂はたいてい生まれ変わりを望んでいるので、人工流産はもってのほかの悪行為です。現在の日本はほとんど火葬となっているので、上記の原則は採用できないようです。しかし、ヴェッテリニからの霊界通信としてはそのように書かれています。

 自然流産は魂の進歩の過程において、意識を持ったまま羊水の中で生活するという経験だけが足りない魂であるがゆえに起こることだとしています。しかし、堕胎(人工流産)はせっかく必要があって生まれ変わって修行できる場を与えてもらったのに強制退場させられたようなものであるので究めて良くない。すなはち殺人に等しいとしております。

 念霊や残留想念のことが書かれています。そういった場所や物には近づかないか、速やかに念が成仏していただくように、聖経『甘露の法雨』を読誦すべきです。それで念霊は消滅する。本人が忘れていても残留想念として仮にあるからです。交通事故がよく起こる場所で、『甘露の法雨』を読誦して浄めると以後、事故がなくなったという話はこの点を考えると理解できます。

 また、例えば何らかの病気になったとき、病気の原因を祀られていない先祖の霊魂に求めた場合、うまく探せない場合もあります。その場合、『あの人を供養してない、またはこの人を忘れていた』という風になると、自分自身が迷ってしまうので良くないのです。一人出家すれば九族天に生まれる』という言葉の通り、まずは自分が悟りの段階を高くして迷いに引っかからないようにすることが大切であるようです。

 いずれにしても正しい宗教の伝統を尊んで行うことがご先祖の気持を生かすことになり人生が常に「万事好都合」となります。
毎日の祖先供養の際に注意すべき点の一つとして、日本人の祖先は天皇中心の愛国者であるため、祖先の霊魂の冥福と守護を祈願する時には、皇霊を遥拝して「大日本神国観」を厳修すると良いとご教示されています。
 また、古い墓石を移転させたり新しいものに取り替えたりする場合は、しっかりと御霊移し等の式典などを行い、古い墓石を粗忽にあつかったり不浄なところにおいたりしないことが大切であるとされています。それらは専門家にお願いするとよいようです。

 なぜなら今までの霊魂の念波(霊波)がその墓石に印象されていて子孫に影響を与える場合があるからだそうです。ちなみに古い墓石を削りだして立派な工作品にするのは問題ないと書かれています。私は具体例に遭遇したことはありませんが、真心で対するとき真心が返って来ることは当然でありましょう。
 今日はここまでにいたします。尚、これらの論文はすべて、『人生を支配する先祖供養』を元にまとめられていますので、内容的に違ってる点がございましたらご指摘下さい。訂正させていただきます。
(つづき)

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう】
  2009年8月31日のブログは、「民主党政権の誕生を歓迎する」です。論文を拝読していつも感じるのは、この御文章について行くには相当の不断の勉強が必要だということです。さて、内容のポイントをピックアップしてみます。
①政権交代劇が、永田町での隠れた政争の結果起ったのではなく、炎天下の白日、国民全体の明確な意思表明として行われたことに、今回の総選挙の第1の意義があると考えられる。(直接民主主義的である)
②しかし、選挙前や選挙期間中に、真剣な政策論争はほとんど見られなかった。
③日本に2大政党制が到来することを待ち望んでおられた。
④民主党政権の誕生を歓迎する第1の理由は、政権交替そのものへの支持である。つまり、政治参加によって政権が交替しうるという事実を国民が体験したという意味で、今回の選挙結果を歓迎する。
⑤民主党支持の第2の理由は、民主党の掲げる政策の方が、自民党のそれよりも環境への意識が高いからである。
⑥民主党支持の3番目の理由は、ナショナリズムに対する注意深さである。(参考として、『Voice』誌本年9月号をご紹介しておられます)
 かなり密度が濃い内容です。本文を拝読下さい。
http://masanobutaniguchi.com/

*昨日は、末娘と一緒に出雲大社を参拝した。帰りに「竹野屋」を訪問した。御主人は、父君が戦前に自宅で生長の家の聖典をたくさん購入しており、自然にそれを読んでいく内に生長の家の信仰に入られたのだそうだ。「自分と似ているのかな」と、語り合っていく内にお互いにそう思った。子供の数も同じだった。戦前の赤坂の本部での誌友会のことや私が25年間お世話になった某練成道場の昭和20年代のこともお聞きできた。Y大の商学部でのことなども話された。いずれにしろ、物質的な御利益信仰として入信したのでなく、父親を通して、生長の家から正しい人生観を頂いたことが最高の御利益であるいう考え方が一致したことはとても嬉しかった。
http://www.gambo-ad.com/izumo-tamatsukuri/hotel/takenoya/

*出雲大社の一畑電車駅の近くで自転車タクシーがあったので娘が乗せてもらった。写真に写しました。「写メール俳句」の方に載せています。
*エチゼンクラゲの天敵ウマズラハギ(カワハギの仲間)で退治する実験が、何と隠岐諸島で始まっているという。朝日新聞(2009/9/21)に掲載されていた。
http://fishing-forum.org/zukan/mashtml/M000204_1.htm

 中内 英生

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September.21.2009「T青年会員の”先祖供養の意義”説明④」

Img564 September.21.2009「T青年会員の”先祖供養の意義”説明④」
今日の詩::ハスイモの たくましき茎 葉を支え(絵は通勤路の側の畑にできていたハスイモです)。

 つづきです。今日は、「祖霊の祭祀及び供養に関する問題」についてです。

 「高い悟りを持つ霊魂は供養する必要が無い場合もあるが」とあります。これは高徳の悟りを開いた人のことを言うのでしょう。一般的には供養が必要であるようです。しかし、総本山の奥津城で谷口雅春先生に聖経読誦する場合はどうでしょうか。私見ですが、①谷口雅春先生への報恩感謝の聖経読誦という意味があるのと、②自分自身の内に聖経読誦により、谷口雅春先生に波長があう波動を起こすことによって、大聖師からもお導きを受けることができると考えられます。

 お坊さんであるけれども、紺屋の白袴という意味で、祖霊の先祖供養を怠ったため祖霊のさわりを受けていた体験談も書かれています。私たち島根の生長の家信仰者は、総裁先生のご指導による「三正行の実践」を行じましょう。
 また、「位牌」はご先祖の御霊様と子孫との間を繋ぐアンテナの役割を持つものであるとされています。
 仏像でも榊でも拝む人のほうに向けられています。それは拝む人がそれを見て、心に菩薩の救いの心や真理の悟りが入り、その心境でご先祖様を拝むと、その「拝む心」を祖霊が受けるからであるそうです。
 神棚や仏壇、祭壇の本尊などは信仰の媒体でありますので、粗末にすると祖霊から警告されたり災いを受けたりすることもあると示されています。それらは御霊様の象徴であるからです。

 神棚や仏壇のようなお宮はそこにだけ神や仏や祖霊がいるわけではないが象徴として必要です。人がその人の象徴である肉体を通して親切や愛を表現するように、お宮に対しても同じように大切にするべきです。
 また、墓相やお墓の形式などは外から整えればそれでよいというものではないとしています。真心を尽くすことの方が大切であり、そうしておれば自然と形は整ってくるとご教示されています。だからといって、粗雑でもよいという訳ではないのです。先祖供養やお墓などが祖雑になるということはそれだけ心がこもってないということにつながるからです。従って、供花やお茶やお水などは怠らず、お仏壇はいつも奇麗にしておく必要があります。

一番大事なのは、真理を会得して心を優先して形を支配するようにすることが大切であるとしています。
 また、墓地にいる霊魂は迷っている霊魂、または悟りの段階の低い霊魂のようです。従って、墓地で瞑想にふけるなどと云うことは決してしないことです。先日は、有名人のグループ「S」のメンバーの方がお酒を飲んで大声で叫んだと云うことで事件として扱われていましたが、浮遊霊の感応も考えられるのです。幸いにして復帰できて良かったです。

 また、故T元本部講師が晩年に、『墓参りに来てもワシは墓にはいないからな』と言っておられたことを思い出します。お墓は象徴やアンテナであり、T元本部講師の霊魂そのものは谷口雅春先生、谷口清超先生にお仕えして霊界で自由自在に人類救済の活動をしておられるものと考えられます。

 神道の「一霊四魂説」が書かれています。統括主体である、実相の霊である直日霊(ナオヒノミタマ)と①「荒霊」の他に、②叡智の魂である「奇魂(クシミタマ)」、③家族とともにいて家に祀られる「幸魂(サチミタマ)」、④天界に上って社会国家などに活動する「和魂(ニキ゛ミタマ)」があるとされています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%9C%8A%E5%9B%9B%E9%AD%82

 墓石の移転などはあらかじめ墓の主である祖霊に承諾を得て粗忽の無いように儀式を行ってから行うべきことが書かれています。神主や住職にきちんとお願いして丁寧に行うことが良いようです。
 仏壇などで家族や親戚の中で他宗派の霊を祭るのは問題は無いとしています。さらに『甘露の法雨』は万教帰一のお経なのでうってつけといえます。
 また、子孫が宗派をなぜか変えたくなり、変えた宗派に入るとぴったりと自分に合うような気がする場合は祖霊が改宗したがっているからであるとしておられます。しかし、基本的には変えない方がご先祖も喜ばれるようです。

(つづき)今日はここまでにします。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう】
  2009年8月27日のブログは、「ちょっと夏休み」です。総裁先生が、二日間、山梨県の山荘に行かれたことが書かれています。こちらは「ほっと一休み」です。

*今日から連休です。島根の皆様、休日でも変わりなく三正行を実践いたしましょう。信仰生活に休日はありません。私は木曜日には海外に出張します。エーと、海外と申しましても、教区内海外でありまして隠岐の島です。
 
 中内 英生

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September.20.2009「T青年会員の”先祖供養の意義”説明③」

Img565 September.20.2009「T青年会員の”先祖供養の意義”説明③」
今日の詩::ソーラーの 電波時計で 今日も行く 

 前回の続きです。
 「献餞」(ケンセン)という言葉をご存じでしょうか。これは神道用語でありましょう。次のように書かれています。
 神前でも「献餞」とは神の恵みを感謝するためのものなので、単なるお供えではないのです。普通の神様の前でのお供えは感謝のためのものですが、仏前で食べ物などのお供えを差し出すと、まだ空腹を感じている霊魂などに対して、愛念が届きそれを霊魂が食べておなかを満たすことになります。
 空腹に悩んでいた霊魂はお腹が満たされてやっと聖経を聞いてもらえる気持になるというのです。段階の高い霊魂にとってもお供えなどを通しての愛念は滋養になり魂の生長の手助けになるとのことです。逆に悪念や逆念は魂の生長の妨げとなるようです。分かりやすく云うと霊界へ行って、空腹を感じる霊魂は、食べ物のお供えがないと空腹感がなくらならないのでお経を聴く気にならないのです。

 「幽斎」とは自分の心でもって先祖の心に対するもので、「顕斎」とは現実のお宮などを設置したり、お供え物をすることです。仏壇や祠を作ると霊界に同等の霊的修行場ができるそうです。
 また、宇治別格本山の入竜宮幽斎殿とは自己を清めて実相竜宮界の境涯に超入する修行の場です。入龍宮に対して、総本山には「出龍宮顕斉殿」があります。こちらは神様がお出ましになって浄めてくださるという御殿です。
 霊魂は普通、50年ほどで地上に生まれ変わると云われていますが、不幸な死に方や、恨みや迷いを強く持って亡くなった人は50年たっても浄化しきれない場合があるので個別で位牌などを作っておいてあげるほうが良いとされています。

 また、家庭では基本的には他の家の霊魂や無縁仏などは祀らないほうが良いようです。なぜならば、集まりすぎたりして自分の力で裁ききれなくなることもあるそうです。従って、他家の霊魂などは、神社や寺院など、すはなち教化部や道場の先祖供養祭でお祀りしてもらうと良いことになっています。

 宗教を変えると祖霊の反感を買う場合があるようです。ただし、生長の家は万教帰一で各家庭の宗教をそのままで続けるので宗旨替えということがなく、基本的には問題はありません。
 また、聖経『甘露の法雨』は、もともとは自由詩であったが読んだ人に奇跡が起こっていったために、いつのまにかお経になって行ったようです。この間のいきさつは、『新講甘露の法雨解釈』に書かれています。

 先祖供養を行うときに心構えが重要です。①祖霊に聖経を上げるときはあくまでも報恩感謝の気持ちで行うことです。「このお経を聴いて悟りなさい」などと思うのは失礼に当たるのです。②前置きの言葉でご先祖が自由自在の境涯に達することを願うことです。③時間を決めて聖経をあげること、などです。
 焼香などのお香は死者の霊魂の体臭などを消して仏様や、菩薩が降臨しやすくするためのものです。逆に先祖供養をしていると、お香を焚いていないのに、お香の香りがすることもあるそうです。
 先輩の故T元本部講師が谷口雅春先生に、「先祖供養で大切なことは何ですか」とお訊ねしたとき、雅春先生は、「霊界があるということ、感謝報恩の思いで供養すること」と言われたそうです。上記のご教示に一致します。
 
(続く)今日はここまでとします。ご先祖供養を朝晩、毎日行うと先祖の御守りで実生活や仕事が実にうまく進行して参ります。ウソだと思っても実践してみてください。先祖供養の功徳を実感するでありましょう。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう】
  2009年8月25日のブログは、「幸福の方程式 (4)」です。
 ビーフ・ステーキの例からサケフレークの握り飯の例に変化しております。また、色々と考えながら食べるとせっかくの美味しい牛肉がまずくなるかも知れないが、そのまずい思いこそ人間としての価値ある行為であるとしておられます。私もそれを感じます。
 余談ですが、簡単に時間をかけずに得ることができるお店で、モスバーガーがあります。宍道や大田や江津や出雲にあるのです。そこに立ち寄って、エビかキンピラか魚のバーガーを食べるのです。主商品はハンバーガーや鶏肉です。でも様々な生長の家的な理由で肉は食べないのです。そのように考えながら注文すること自体が神の子である人間の選び方でありましょう。因みに、コーヒーが気に入っています。コーンスープもいけてます。
  マルチタスクに関してのご説明があります。日本語では、「ながら○○」です。バーチャルの世界に浸っていると、実体験のクオレアが感じられにくくなるとしておられます。
 そして、我々人間は、論理性と感覚認識とを統合させることで、人間らしい生き方ができるように造られている。それこそが、神様が人間に与えた"地上生活の青写真"であり、言い換えると、左右両脳を十分使ったときに、本当の意味での幸福や生き甲斐を感じるのであるとご教示されております。
 また、宗教的には、神の恵みに感謝することである。左脳に偏った生活は神の御心ではない。他者との一体感が幸福の鍵となる。結論として、「日時計主義」の生き方こそ、幸福生活への道であるとお教え下さっております。少し長くなりました。悪しからず。長いときには、信徒さんに、きっと「長~い」と言われてしまいます。できるだけ短くしたいと思っています。

*今日は、相愛会の熟年者の無量寿の会合がありました。皆様大変お元気です。また壮年層の勉強会がありました。皆様は大変優秀です。続いて五者会議が開催されました。今日も素晴らしい一日でした。有り難うございました。感謝感謝でございます。

 中内 英生

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September.19.2009「T青年会員の”先祖供養の意義”説明②」

Img561 September.19.2009「T青年会員の”先祖供養の意義”説明②」
今日の詩::無花果の 実り豊かな 里の冨

*この絵は、出雲大社の近くの「島根ワイナリー」にある敷地内のレストラン?のようです。

(続きです)

 神棚や仏壇はその一家にまつわる魂の寄り合い場所となり、そこを拠点とし霊魂が修行をするので大切なものであるとされております。わが家でも仏壇を一つ備えています。独身時代からのものですので余り大きくないのですが、転勤族としてはやむを得ません。これは吉祥寺の駅の近くの仏壇屋で求めました。いつもお詣りができるというのはなかなか善いものです。小さな箱でも、清浄な場所を作って聖経をあげるのでも良いとされていますが、普通のご家庭では購入可能なものではないでしょうか。北陸で勤務していたとき、驚いたのは、「仏間」があること。そして大きな仏壇がある家が多いことです。形は心の影という原理から申しますと、ご先祖様がいつも心にいらっしゃると云うことでありましょうか。

 位牌は清浄な木や紙で作るとよいとされています。日持ちの度合いから考えますと、紙、木材、石の順でしょうか。戒名だけだと死んでずっと意識を失っていた霊魂は自分の位牌に気がつかないことがあるので俗名も書いておくか、神道式で俗名のあとに比古之命又は比女之命と書いて作ると良いとされています。宇治の霊牌は、○○比古之命又は○○比女之命と書くようになっています。
  亡くなって50年以上経ったご先祖様は位牌または霊牌にまとめて○○家先祖代々親族縁族一切之霊と書いても家族なので問題ないとされています。昨日は江津で先祖供養祭がありましたが、同様の礼拝は多く書かれていました。特に亡くなってから間もない霊魂や意識を取り戻して間もない霊魂は個別の位牌があると良いとされています。50年以上経った霊魂は、地上に生まれ変わっているという前提で、個別霊の霊牌は「○○家先祖代々…」にまとめることになりますが、ご両親や身近な方の場合は人情として個別霊の霊牌でお祀りするのが自然でありましょう。

 不幸な死に方や、恨みや迷いを強く持って亡くなった人の位牌は50年以上経っても生まれ変わっていない可能性があるので、個別にしたほうが良いとしています。
 霊碑や墓石を作るときの儀式は強く権威のある態度で行うとしています。浮浪の霊などの霊波の影響を受けないためです。
 生長の家が主に神道式の儀式作法を採用しているのは日本において、その他の宗教の人の反発を受けにくいという点から採用されています。
 国際平和信仰運動の理念から考えると、感謝、報恩、尊敬など精神的なものはそのまま伝えて、形式的なものは変化可能であるとしています。先祖供養でもそれが言えます。しかし、形式を整えるとしてましても、各国で勝手に判断して決めることではなく、総裁先生のご指導によるのは当然であります。

 神社は一応、宗教法人ですが、神道の「かんながらの道」とは自然の道が生活習慣にまで現れたものであるので特定の教義を宣布するところのものではないようです。家にも山にも何処にも神様が宿るとして礼拝する生活習慣です。この心の姿勢こそ環境問題を解決するポイントであり、「鍵」でありましょう。宗教は伝道します。しかし、神社の神主さんが伝道に歩いているのも見たことはありません。
  若い頃に、全国の御陵をすべて巡拝させていただいたことがあります。時々、神官の人達がお祀りをしていることがあるのです。お聞きすると、「今日はこの御陵にお祀りされている天皇様の千○百年祭です」とのことでした。途方もない昔の方も丁寧にお祀りする伝統が繁栄を呼ぶのでありましょう。

 『人間は本来神の子なので何かを付け足さなくてはならないということは無い。霊にも本来はお宮が無くてはいけないだとか、お供えが無くてはいけないということは無い』。これが、先祖供養の第一義の意義です。しかし、第二義的には応病与薬的に、『宮を欲するものには宮を与え、食を欲するものには食を与える』ことも必要とされています。先祖供養が行われる所以です。
 霊の悟りの段階によってはそれらを欲しがる霊もいるため、お供えして供養し誠を尽くすことが先祖に対する道であるとしています。しかも私たちは一時的ではなく、毎日永続的に真心を込めてであります。そう考えますと、形式は違いますが、イスラームの方々の一日五回の礼拝に匹敵するのではないでしょうか。
 供養の仕方は各家庭の宗派の方式に添う方が良いとされています。私自身も、生長の家に熱心になって初めて、自分の家の宗教が臨済宗であることを知りました。

 島根の皆様、このブログを機会にもう一度、『人生を支配する先祖供養』を拝読してみましょう。
(つづき)

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう】
  2009年8月24日のブログは、「幸福の方程式 (3)」です。三つの思考実験についての予想結果についてお書きになっておられます。そして最終段落に人間の幸福感についての御結論が書かれております。
 人間の心に生まれる“幸福感”というものは、社会的文脈なしには考えられないということです。言い換えると、人間は、自分個人が客観的にどんなに“幸福な状態”にあるように見えても、その状態が、他人や他の生物の犠牲のもとに成り立っていると感じられる場合は、幸福感は得られない。これが、人間に与えられた「自他一体感」の意味である。そういう感性に優れている人が追求する幸福と、そうでない人の幸福感とは相当異なることが予想できると、ご教示しておられます。

*午前中は、秋日和の秋季慰霊祭でありました。感謝です。午後は、絵手紙・絵封筒展の打ち合わせ、続いて地方講師受験資料作成会議でした。

 中内 英生

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September.18.2009「T青年会員の”先祖供養の意義”説明①」

Img563 September.18.2009「T青年会員の”先祖供養の意義”説明①」
今日の詩::流れゆく 夜長に微か 音楽の

*この花は、クリーム色ですが何の花か分かりません。自宅近くの畑に咲いていました。

 今日は午後1時より、江津での先祖供養祭とその後の地方講師受験勉強会があった。大変に有意義だった。続けることが大切でありましょう。午後五時にすぐに教化部に向けて江津を出発し、午後七時半からの青年会学習会に間に合った。今日は先祖供養の意義がテーマだった。かなりよくまとめており、私も大変勉強になった。次はT青年会員がまとめてあった「先祖供養の意義」の文章に若干の解説を加えつつ、本人の許可をいただきましたので、掲載させていただきます。島根の信徒の皆様にもご参考になると思います。テキストは、『人生を支配する先祖供養』です。

 『先祖の仏性を開眼するために』のまとめがあった。
 親子や世代間での考え方の違いがどうしても出てきてしまうが、それは封建社会の時代にもあることであり、かつての家族制度が破壊された現代においてはどうしても増えてしまうようである。そのよな状況の中で先輩である親や老人たちから見て若者たちが脱線しているように感じて心配になった時どうすべきか?これは親として当然の悩みであろう。その答えの一つとして子供や若者の中の神性や仏性を信じて神想観をしたり、祖霊に感謝の聖経読誦をすると祖霊の守護の力が強くなり子供や若者が良化してくる。これは実に重要なことである。説得で子供が言うことをなかなか聴いてくれない場合も、先祖供養や流産児供養で良くなった例は多々ある。

 祖霊に感謝の聖経読誦などといった祖霊のための供養法に決まった形式は無い。なぜなら霊魂ひとりひとりの趣向が違うからである、加えて霊魂の悟りの段階によりその処置方法は違う。しかし、だいたいの供養の心得や仕方はあるのでそれがこの本に書かれている。

 処置のことよりも先に「死」とは何かを知るべきである。悟りの段階が高い霊魂は意識をハツキリもって肉体から魂が離れていくが、未熟な霊魂は意業・口業・身業といった不浄なるものを清めるために強度の苦しみを味わう。その病的苦しみが強いと神の恵みの摂理により意識を失うことになる。そしてそのまま霊界の待合所(冥界、中陰)に移行するのである。待合所では神道では50日間、仏教では49日間のあいだ肉体の病臭や死臭の移り香の不快臭を浄化するために大体そのくらいの時間滞在させられるという。
仏教では滞在期間の終わりを満中陰と呼び、その後、受持の高級霊の案内を受けて新しい修行の場を割り当てられることになる。

 待合所の滞在期間が終わった霊魂にまず高級霊の霊波のスクリーンで自らの過去を客観的に見せられる。そのときの反省の度合いにより高級霊に案内される場所が違ってくるらしい。反省している様子を仏教では三途の川の脱衣場の寓話としてあらわしている。三途は仏教においては地獄道、餓鬼道、畜生道の三悪道だが生長の家では欲界、色界、無色界の三界としている。霊界には低い段階の霊界だけでなく高度に清まった世界もあるということである。

 霊魂は現実界に影響を与えることができる。気になる祖霊がある場合などは特に、その祖霊が祭ってほしいと思っている意識がその人の中に流れ込んできている場合がある。死の際に苦しみ意識を失った霊魂においては、何十年と意識を失ったままのものもいる。そういった霊魂は死んでいることに気が付かず、生前の病気などを思い出して苦しむようになる。だから、名前を呼んであげてお経をあげると、霊魂は自分が既に死んでいると言うことを自覚することができて、霊界での修行を開始するとしている。この辺りのことは、聖経『甘露の法雨』の「霊」の項目で確認しておきたい。

 死後も自らの「思い込み」で病気などを表し苦しんでいる霊魂に、聖経などを聞いてもらい真理を悟って霊魂が苦しみから解放されるのが先祖供養においての第一歩である。①感謝報恩の心で供養する。②真理の供養、③お供えという愛念の表現、④時間を決めてお経をあげる、など大切な事項がある。
 死んでもなお苦しみ続けている人の念波は生きている人(特に子孫や縁者、その霊魂が関心のある人)に影響を与えるので、霊魂が苦しんでいる間は悪い影響や病気が起こり苦しみから解放されると生きている人も急に病気が治ったり運勢が好転したりすることがある。また祖霊などの考え方にあわない行動をとっていると反対観念を受けうまく物事が進まなくなることがある。そういった場合にも祖霊に対して聖経などを聞いてもらい真理を悟っていただくと反対観念が無くなっていくようである。

 ご先祖供養は大切であるので、毎日行いましょう。島根教区でご夫婦で早朝神想観や先祖供養をされるご家庭もあります。総裁先生のご家庭に学ばせていただき、私たちもできる人から実践させていただきたいと存じます。

(つづく)

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう】
  2009年8月23日のブログは、「幸福の方程式 (2)」です。「幸福とは、我々の環境条件にあるのではなく、そこから何を得るかにある」という主旨を書いた元国際ジャーナリストのピコ・ライヤー氏の幸福論のご紹介です。「幸福は、それを追求しないときに最も自然に現れ」、「自分の望みを必要に合わせることでやってくる」という内容についてのご考察です。前回のエリック・ワイナー氏の幸福論との比較や、他者・他の生物・環境・動物などとの関わりなどを考慮に入れるべきことやステーキを食べる際の、ムンバイ・北朝鮮・日本の友人宅などの三つのケースの思考実験などをお書きになっておられます。究めて緻密なご論考です。ぜひ原文の全文を把握してみたいです。

*今日も素晴らしい一日でした。明日は秋季慰霊祭です。ご先祖のご供養をさせていただきます。感謝です。

 中内 英生

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September.17.2009「大発見!谷口清超先生が通われた誌友会」

Img562 Dsc03540 September.17.2009「大発見!谷口清超先生が通われた誌友会」

 以下の文章は、平成21年10月号『大和島根』に掲載予定の小職の挨拶文です。前もって、島根のインターネットご活用の信徒様にお伝えいたします。(花の絵は、自宅の庭に咲いていた花です。)

  神の子の皆様、有り難うございます。
如何お過ごしでしょうか。毎日、神想観と聖経や聖典等の読誦、そして愛他行を行って信仰深化を進めておられると存じます。インターネットをご活用しておられる皆様には、毎日お目にかかっております。感謝申し上げます。

 さて、今日は特別のニュースをお知らせ申し上げます。それは「誌友会」が大変重要であるという話です。9月15日に私は松江道場での写経と先祖供養祭に行かせていただきましたが、終了後に谷口清超先生が誌友会にお通いになっておられたという建物に案内していただきました。木造の建築物が未だに残っており、某宗教団体の事務所として使っておりました。実物を見ることができて大変に良かったです。清超先生は浜田の病院で御教えを伝えられ、『生命の実相』をお読みになられました。そして松江の病院に移転されたそうです。その病院から現在の生長の家松江道場にほど近い建物で行われていた誌友会にお通いになったと伺っております。その頃、谷口雅春先生が翻訳者を募集しておられ、それに応募されたところ合格されて、上京されることになったようです。この地で谷口清超先生は菩薩の道を発願され、ご上京されたと思うと感無量でありました。もう一つ申し上げますと、皆様が現在、素晴らしい誌友会を開催しておられることが、清超先生への感謝の証になるのではないかと考えます。

 私は、御教えの素晴らしさは当然でございますが、その誌友会の内容が先生のご上京を促される一要因になったのではないかと推察いたしております。おそらく生長の家の御教えを日々の生活に行じておられる信徒さんが多数参加しておられたのではないでしょうか。その人々の雰囲気や体験実話や日々のご生活やを見聞きして生長の家は間違いない素晴らしい御教えであるとお思いになられたのではないでしょうか。そう考えますと、『誌友会』という存在は、その地域の実に重要な人生の燈台であると思えるのです。
 
 皆様が、島根教区の誌友会を素晴らしい、楽しく明るく、和顔、愛語、讃嘆に満ちあふれた会合にしてくださっておりますことを常々、感謝いたしております。誌友会を盛んにする祈りを深めておられるからこそです。皆様が日時計主義を実践しておられるからこそ新人が集まってくるのです。私たちが御教えを行じますとき、甘い砂糖にアリが集まる如く沢山の人々が誌友会に集まって来ておられます。そして、常に新しい人を信仰にお誘いし、愛を行じつつその地域の人生の燈台となっておられる皆様に心から感謝申し上げます。

 谷口清超先生がお亡くなりになられて、早やくも一年が過ぎますが、浜田と松江、すなはち島根教区が谷口清超先生の信仰の郷里でははなかろうかと思います。谷口清超先生に対する心からの感謝を、さらなる教勢発展という形で現して参りたいと存じます。すなはち具体的には、誌友会に新しい人々をお誘いして喜んでいただくことです。そうなることにより、霊界の谷口清超先生がお喜びになられるのではないかと拝察いたします。そしてその感謝の心は、現総裁谷口雅宣先生への中心帰一の信仰姿勢に繋がっていくものと存じます。島根の神の子である信徒の皆様、今月もますますお元気で信仰に徹して行かれますように…。

(写真は、谷口清超先生がお通いになられた誌友会場の玄関です。建物の前に立っているのは地元の幹部さんです。許可をいただき撮影しました。)

再拝 中内英生

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September.16.2009「日時計主義の”写メール俳句ブログ”が燃えている」

Img559 September.16.2009「日時計主義の”写メール俳句ブログ”が燃えている」
今日の投句::林檎の実 情熱色で 頬を染め 

 我が島根は「写メール俳句」のホームページ化が進みつつありまして、総裁先生のお言葉に従い、「感動の共有化」を進めつつあります。投稿者が多い中で、特に3人の女流俳人がHPを開設しています。この流れは、日時計主義の実践と、新しいタイプの誌友会などに大いに色とりどりの花を添えるものであると考えられます。信徒の皆様のご協力に心から感謝申し上げます。

「野の花の精」さん(地方講師)。  http://nonohananosei.jugem.jp/
「石見の琴姫」さん(地方講師)。  http://kotohimeiwami.jugem.jp/
「ニコニコ由子ワールド」さん(地方講師)。 http://nikonikoyoshiko.cocolog-nifty.com/blog/

 どのホームページもとても楽しいです。皆様は教化部の「写メール俳句の世界」に投稿してくださっていますが、ご自分のホームページでは谷口先生の真理のお言葉を引用しつつ、日時計主義のコメントを書いておられる人が多いです。
 また、島根教区に「写メール俳句」の伝統を作ってくださった、桜森人さん(地方講師)のホームページは本格的です。    http://syahai.jugem.jp/
  もうお一人、91歳を過ぎてパソコンを始められインターネットに挑戦し、ホームページを開設された「出雲筍」さん(地方講師)のホームページも充実しておりまして、ご年配の方々に勇気と希望を与えてくれます。どうぞ、ご覧下さい。
http://izumotakenoko.cocolog-nifty.com/blog/

 次なる”島根の進化”といたしましては、動画をそれぞれのホームページへ取り入れることにチャレンジしたいと考えております。
 島根でインターネットができる信徒様に日課としてお勧めしておりますのは、まず最初に、総裁先生のブログ、次に白鳩会総裁先生のブログ、次に各組織のWebsiteです。
特にヒマワリちゃんブログ(白鳩会壮年層の皆様方)   
http://hidokeisimane.cocolog-nifty.com/
と青年会ブログ
http://sni-simaneseinen.cocolog-nifty.com/
はお勧めです。それから上記にご紹介いたしました個人のブログです。全部見ていると少し時間がかかりますが…。

 総裁先生のお言葉で、「インターネットを活用するかどうかで光明化運動の成果に雲泥の相違を来す」という意味の御言葉があったと記憶しておりますが、島根はそのお言葉を忠実に実行したいと念願しております。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう】
  2009年8月22日のブログは、「幸福の方程式」です。8月にブラジルで開催された生長の家ブラジル全国大会で御発表された“幸福の方程式”についての御論考です。簡単に言うと、『幸福 = 実相』となるようです。それは、『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』(2009/7/22)に書かれていたエリック・ワイナー氏の論説記事に対する異論であるとしておられます。彼の主張は、「現実を見るのに、期待をもたずにすれば幸福が来る」とのことですが、それに対して、クエスチョンを呈しておられます。彼の論考は、「真の幸福とは何かを示していない」と。拝読下さい。

*イチロー選手が9年連続200本安打を達成した。松江の福島造船でもお祝いしているのかも知れない。イチロー選手は言う。『ちいさいことをかさねることが、とんでもないところに行くだだひとつの道』と。私たち信仰者にとって、心に響く言葉ではないでしょうか。どうせやるなら私たちもイチロー選手の域まで行くことを目標にすべきなのでありましょうか。倦まず弛まずが神の道です。私自身が一発勝負の性格ではなく、”ゆっくりじっくり目立たず着実に”をモットウに生きています。気がつくと『一㎜だけ伸びているのかなあ』と言った感じです。

*今日は、自分が関わっている行事らしき行事は特に無かったので、色々と講話などの準備ができた。島根の信徒の皆様とご一緒に菩薩の道を歩ませていただいておりますことを家族一同心から感謝申し上げます。

 中内 英生

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September.15.2009「橋本関雪」

September.15.2009「橋本関雪」
今日の詩::何の花 小さいけれど 美しき 
(郷里の自宅近くの知人宅の玄関にあった植物の花です。まさか花が咲いているとは知らず近づきました。あまりの健気さについ撮影しました。)Img560

 昨日は、子供と一緒に、宍道湖畔の島根県立美術館に橋本関雪展を観に行った。今まではこれほど、行くことはなかったが島根県は美術に関してであるが、県民に対してかなりの優遇措置が取られているようにも思う。さて、パンフレットの内容に従って関雪について書かせていただこうと思う。

 関雪がイヌの毛の一本一本を丁寧に描いている絵は、犬塚勉画伯が草の一本一本を丁寧に描いているのに共通するものがあるのではなかろうか。犬塚氏は、自然を愛するが故に描くことができた。橋本画伯は、イヌを愛するが故に描き切ることができた。私たちは、神の国を愛するが故に、神の国の一つ一つを現象界に描き切ることができるのではなかろうかと考える次第である。これが今日わたしが、島根の皆様にお伝えしたいテーマです。従って、次の課題は神の国とは何かということになり、神を愛することが必須となります。私たちの運動は、神様をこの世にあらわす運動ですので、神を知ることが大前提となると考えられます。総裁先生からお教えいただいているように神想観の実修が必須となるのです。

 橋本関雪(1883-1945)は、神戸に生まれています。父親は漢学という中国の学問の先生で、中国をはじめとする海外から客が訪ねて来るような環境で育ったそうです。幼くして母親と離れて暮らすようになったために、その寂しさから動物をかわいがり、それを得意な絵に描いて遊んだようです。大人になってからも多いときには、50頭も飼っていたそうです。動物好きの画伯です。11歳の時、日本画家のもとで勉強すると、たちまち博覧会で大人の画家に負けないほどの才能を発揮したと言います。15歳から一人で絵を描きながら山陰地方を旅行していたので、島根にも関雪の絵が眠っているかも知れないとしています。(万に一つの発見を期待して古い倉庫を探してみましょう。もしあれば幾らでしょうか。すごいと思います。)

 ピューマのような珍獣を家の中で放し飼いにしていたそうです。子供の頃、三日がかりで馬の毛の一本一本まで描ききったとされるほど、動物画にはこだわりを持っていました。昭和初年から関雪の晩年にかけては特に動物画を好んで描き、そのリアルな毛並みの線が間近で観察し尽くしたであろうことを語っています。描く表情には力があり、まるで人間のように情感豊かな生き物のように感じられます。

 中国には30回以上も行っています。そして南画を描くようになります。名作がたくさんあります。また、37歳の時ヨーロッパを訪れ、ゴーギャンやゴッホの絵画に出合い、それらに感動しました。彼らの絵画には、南画が画家の心の内に起こった思いを描こうとするのと同じ要素があったからだとしています。つまり関雪は彼らの絵画を見ることで、南画本来の在り方を追求することが自分の正しい道であることを確信したそうです。
http://www.weblio.jp/content/%E5%8D%97%E7%94%BB
http://www.gauguin2009.jp/items4.php
http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4SKPB_jaJP267JP267&q=%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%9B+%E3%81%B2%E3%81%BE%E3%82%8F%E3%82%8A&um=1&ie=UTF-8&ei=zpqvSqqjL8WIkQWjg6CWBg&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1

 さまざまな文化を自分自身の内部で接触することで新しい画風を生み出していったようです。私たちも、生長の家の御教えとイスラーム、芸術、自然などとの邂逅、出会いにより様々なバリエーションの満ちあふれた光明化運動を進化させようとしています。素晴らしいことです。
http://www.kansetsu.or.jp/
http://plaza.rakuten.co.jp/shumeic/diary/200810200009/
http://osaka-art.info-museum.net/selection/mod/mod_07.html

 今日はここまでとさせていただきます。後は、インターネットで関雪の絵を味わってください。

*島根の信徒の皆様、HP開設者が5名となりました。おめでとうございます。『我らは世界のインターネットを光の言葉で浄化する!』。これが私たちの合い言葉です。それは総裁先生の御心に通じるものであると思います。それぞれ素晴らしい写メール俳句を掲載しておられます。特に、開設者の投稿写真は画素数が高いので、プロ並みです。アングルも俳句も大変良いです。読者の皆様、どうぞ、コメントをアップしてください。

*お詫びとご了解::このWebsiteはインターネット講師の認定をいただきましてから、教区外のお客様が大変多くなりました。お出でいただきまして誠に有り難うございます。そこで、ご了解いただきたいことがございます。このブログは、島根教区の信徒の皆様への小職の毎日の手紙として書かせていただいておりますので、言葉が教区外向けとなっておりません。従いまして意にそぐわない思いを抱かれるかも知れませんが、どうかお許しいただきたいと存じます。皆様の益々の信仰深化をお祈り申し上げます。

 中内 英生

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September.14.2009「仕事も家庭も生き生きと」

Img557 September.14.2009「仕事も家庭も生き生きと」
今日の詩::我がいのち 林檎のいのち 一つなり

*この絵は、隠岐の西郷にある図書館です。

 島根の神の子の皆様、今日は振り替え休日で教化部は休館日です。しかし、このブログは皆様がお読みになる、ならないに関わらずアップさせていただいております。生きている証であり、信仰に休日はないという証明でもあります。『常楽への道』という御本がありますが、「倦まず弛まずが神の道である」という意味が書かれており感動したことを覚えております。では、今日は昨日の講話の内容のつづきです。もう一つのテーマは「仕事も家庭も生き生きと」です。このテーマは、「仕事と家庭は両立できる」という考え方が基本でありましょう。まさに現代的テーマです。昔は専業主婦が多かったのですが、現代では仕事をしている女性が多いようです。しかし、仕事という概念が、給料という収益があるかどうかという考えが一般的です。御教えではそれだけではないという話です。さて…。

 テキストは、『女の教養』を使用いたしました。『生命の実相』の女性教育篇です。女性が「仕事と家庭・家事との両立」という内容がある聖典を見つけられなかったのですが、もし発見している方がおられたら教えてください。

 仕事と家庭の両立という器用な生き方は人間の多面性、多様な生き方を開発するものでありましょう。そのように積極的に考えた方が生き生きと力を発揮できるのではないでしょうか。
 それを両立できるとするのが生長の家の考え方であり生き方です。
朝日新聞(2009/9/13)の社説を読むと、「日本では現実には色々の理由で働く女性が増え、労働力人口の4割以上は女性。ところが家事や育児、介護などの負担は依然として女性に重く、仕事を続けられなくなる女性も多い。約6割が出産を機に仕事を辞めるため、年代別の労働力率のグラフを描くと、真ん中の30代がへこんだM字になり、他の先進国では見られない形である」という。現実はそうかも知れません。

 女性の家庭でのさまざまな使命を果たしつつ社会での仕事に従事するのは大変かも知れませんが、能力開発として考えて積極的に見る見方もありましょう。両方、喜びの源泉です。

 日本の戦前・戦後の女性は、主婦業専念型が多く、従って、子供の数も多かったようです。皆が皆、そう考えているのではないのでしょうが、就業率が高まるにつれて家庭よりも仕事が優先されて、出生率が低下していくことも考えられます。

 生活スタイルの多様化が進むにつれて、結婚をなされない女性が以前よりも増加しているのも事実のようです。「なぜ結婚しないか」の統計が各所から色々と出されていますが、独身の女性が経済的に自立した場合、結婚して出産し、子育てをして苦労する?よりも、独身のままの方が生きやすいと考える人も出てくる可能性があるようです。しかし、時代の流れの中で、より良き生き方考え方を大いに考えるべきでありましょう。

  このテキストから、関連のありそうな御文章を拾ってみましたので、ご参考までにご紹介いたします。
 「働くとは夫ばかりか?(37頁)」という項目があります。家事も立派な労働です。
 昨日の地方講師研修会で、O全国講師が、ご自宅で奥様の従来の仕事であった食器洗いを替わりに洗っておられることを楽しいと表現しておられました。総裁先生も家事をご担当されることもあると書いておられる箇所があります。これは男性側からの家事参画型生き方であります。

 「家庭婦人は職業婦人よりも長時間働いている」(41頁)という項目があります。ハッキリ分けて考えられる時代背景があったようです。生長の家では、「働くとは端を楽にすること」とありますように、家事も立派な労働と考えます。
 「婦人自身”働く”という言葉の意義を認識せよ」(43頁)との項目もあります。ご自分が認識するのみならず、御主人やご家庭の方々も含めて、その努力に感謝することが大切でありましょう。大調和の神示には、「父母、夫、妻」など一切の人々に感謝するという意味が書かれています。この項目には、何と、「家政の業務に対する報酬を支払った判決」が紹介されています。それだけ家事は大切だということでありましょう。

 会社の仕事には特殊技術も必要であり、修得に時間がかかります。また仕事に一定の成果をだすためにはそれなりの期間も必要です。従って一般の独身女性が仕事に従事する場合、晩婚化がある程度、進む可能性も考えられます。それに対して、「子育てを終えてから、自分の個性を生かすために仕事を始める。それでも十分に時間がある。なぜなら日本人は長寿化しているからである」との考え方もあります。この考え方は、仕事を優先したいと考えておられる女性に対する光でありましょう。

 夫婦共稼ぎの場合ですが、経済的に夫の収入に頼らず、妻が収入をもつのは、経済的に夫に養ってもらっているのではなく「夫を愛するが故に結婚している」という事実の確認であるとも教えられております。それにしましても、女性にとっては、出産・育児・教育は人間社会の重要な大事業です。もっと女性が行きやすい社会的家庭的な状態を作るべきでありましょう。
 「働く女性は、働く夫の気持を理解できるようになるという考え方」もあります。いずれにしましても、女性の能力が開発されることが日本の世界の幸福につながるといっても過言ではないのでありましょう。
 
 谷口雅春先生は、女性に関する聖典を多くお書きになっておられます。このテーマで学習する機会に、島根の信徒の皆様、女性に関する全聖典、谷口純子先生のご著書の拝読・読破をめざそうではありませんか。
 今日はこれで終了です。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう】
2009年8月21日のブログは、「青柿を拾って」です。久しぶりにジョギングをされたこと。途中で青柿が拾われたこと。それを絵手紙にお描きになったこと。青柿が落ちても尚、虫やバクテリアに己を与える精神に見ならいたいとされていること。などなど、難しい論理の展開からはなれてご生活や自然の状況をお書きになられると何故か私もほっとします。
http://masanobutaniguchi.com/

*今日はゆっくりとさせていただきます。感謝です。この前の木曜日は練成会で出勤でしたので振り替えです。

*「ニコニコ由子ワールド」が開設されました。これで島根の白鳩さんは、三つ目のHPご開設です。おめでとうございます。

http://nikonikoyoshiko.cocolog-nifty.com/blog/

 中内 英生

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September.13.2009「自然と共に生きる」

Img555 September.13.2009「自然と共に生きる」
今日の詩::瞑想に 秋のそよ風 頬に触れ

*この絵は昨日の私の絵と同じ画材です。家の庭に自生したカボチャを親子で描きました。

 今日は、地方講師・光明実践委員研修会でO全国講師から大変素晴らしいご指導をいただいたが、私も一講話を担当させていただいた。O全国講師は誌友会開催の重要性を分かりやすく楽しくお説き下さった。大変有意義だった。私は、一項目ごとにほぼ均等に少しずつ説明させていただいた。以下、掻い摘んでご説明いたします。

 テキストは、『今こそ自然から学ぼう』でした。この問題の根本は、宗教法人『生長の家』環境方針(328頁)に記載されている。環境問題を理解する上に於いて、最も重要な内容です。信仰と環境問題との一致が必要であり、万物礼拝・感謝の心において環境問題が発生する可能性はゼロです。
 記憶によると、谷口輝子先生が道を歩いておられた時、他人の家の水道から水が垂れていたそうです。すると輝子先生は、突然水道に近づき、その蛇口を閉められたそうです。そして、『私はものが無駄に捨てられているのを黙ってみておられません』という意味のことを言われたそうです。その精神が生長の家の環境方針の基本です。

 「内なる自然と外なる自然」について話しました。これは「はしがき」(ⅳ頁:13行目~)に書かれています。地球環境が外なる自然であり、遺伝子関係などは内なる自然です。両方を勉強する必要があるようです。

 生命操作の技術に関する先生の御結論も、はしがき(ⅵ頁8行目~)に書かれています。ご参考のために列記します。生殖細胞(卵子・精子)の操作に反対。子を選んで得ることに反対。人の胚の利用に反対。ES細胞の研究に反対。クローン胚の研究に反対。死亡胎児の利用に反対。卵子提供、受精卵提供に反対。非配偶者間人工授精(AID)に反対。以上です。2002年10月15日初版発行ですから、現代ではもっと別の問題があると思いますが、基本的な考え方に変化はありません。

 『なぜ食器を洗わないのか?』(24頁)も説明しました。これは重要です。信仰生活は当然ながら環境問題に及ぶということです。使ったものは自分で始末するということ。出したゴミは自分で持ち帰るというような生き方はごく自然なことでありましょう。当然なことを行うのが生長の家です。

 「ディープ・エコロジーの視点」(28頁)という考え方をお説きになっておられます。マスコミなどでは、「自然に優しく」という言葉がありますが、それは人間が一番偉いという傲慢な考え方であり、人間中心主義でありましょう。その考え方が現在の地球環境問題を惹起してきたのではないでしょうか。翻って、「人間は自然の一部」との考え方は謙虚な考え方であり、環境問題を解決するのではないかと考えられます。

 41頁12行目からは、「観世音菩薩の説法」として環境問題が解かれています。この箇所は、私が大好きな先生の御文章であり、いつ拝読しても『実に美しい御文章だなあ」と感じています。
『…観世音菩薩は、自らを「暖まる地球」「飢餓に苦しむ人々」「絶滅する生物種」「激化する気候変動」「災害に苦しむ人々」の姿に身を変じて、我々人類に大切な教えを宣示したまうのである。その教えを学び、実践することが宗教活動でない筈がないのである』と書かれています。それは、地球をバックにして叫ばれる総裁谷口雅宣先生の大説法であります。

 「世代間倫理の欠如」(45頁)についても説かれています。次世代のことを考えなければならないということです。自分だけの世代のことを考えるだけでは足らないということです。二酸化炭素の地下貯留でも、もし地震があって穴が開いた場合はどうなるのでしょうか。原子力発電で、残留放射能をどこかに安全に捨てたとしても100年後、200年後には万に一つ、漏れるかも知れないのです。遺伝子の関係でも、一つ変えると幾世代にわたって影響を与えるでしょう。それが自分だけの利己的な判断で行うことは危険性が余りにも高いといえるでしょう。

 生長の家は、宗教団体としては初の環境ISOの認証取得を果たしました。(53頁)しかも、それだけではありません。現在では、すべての運動に於いて「カーボンオフセット」または「カーボンニュートラル」を目指している。要するに、二酸化炭素排出によっておこる環境破壊という罪を犯すことなく人を救うという善業を積むことを目指しているのです。それがひいては、地球を救うという大きな善業を積むことになるのではないでしょうか。
 
 「地球に国境はない」(100頁)ことも書かれています。宇宙飛行士が人工衛星から見ても、どこにも国境らしきものは見当たらないようです。それは当然でありましょう。国境というものは、人間が作った垣根です。理想的な国境として、米国とカナダの間の国境を挙げる人がいます。両国は強い友好関係がありますので、国境的なものを設ける必要がないようです。

 人間中心主義からの脱皮(102頁)が書かれています。人間のために他の動物や自然があるのではなく、自然の一部として人間が存在するという事実を認める必要があるようです。

 もう一つ、「石油産出にはピークがあるか」という問題です。まだまだ石油はあるようですが、掘り出すのに困難なことが多くあるようです。しかし、それよりも、技術の開発が使用エネルギーを変更させることが重要でありましょう。石器時代から鉄器時代へ移行した時に、決して石がなくなったわけではなかったのです。鉄を産出し道具にする技術が開発されたのです。すなはち、石油があろうがなかろうが、技術が高度化し太陽光発電をもっと産出したり、地熱発電を強力に起こすことができるようになれば、石油・石炭などの化石燃料を使用することがなくなるのです。総裁先生が、日本の技術に期待すると書かれていることが如何に、重要であるかが理解できるのです。

 肉食の問題(197頁)も書かれています。宗教的な「殺す無かれ」の戒律を守ること。肉体的には決して良くないこと。そして環境問題を引き起こすことなど、知りかつ他人にお伝えする必要があるようです。

 最後は、エタノールの問題です。エタノールは米国ではコーンをエタノールにすることにより、世界の穀物の値段が高騰して大変困った人々が現れました。また、ブラジルではサトウキビでエタノールを作るので、アマゾンの森林を伐採開拓するようです。アマゾンの森林は重要であり、世界の温度が高くなるのを調節する働きがあるそうです。その温度調節機能装置がなくなると云うことのようです。それ故に、エタノールの使用も問題があるようです。
 結論は、太陽光発電や地熱発電や風力発電を増設することです。島根県教化部でも来年度は、設置したいと考えております。言うべきことはまだかなり残っているのですが、時間の関係で終わりです。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう】
  2009年8月20日のブログは、「神は偉大でないか? (5)」です。『God is Not Great』の第5章は、“病気治し”をめぐる宗教の問題が書かれています。「信仰で治すか、医学で治すか?」の問題も語られています。
 生長の家の信仰では「医者を取るか信仰を取るか?」という二者択一の問題は発生しないことが多いとしておられます。
 また、ヒッチェンズ氏が示す事例をいくつか掲げておられます。宗教が医学を否定した言動により起こる弊害のようなことが書かれています。それは行き過ぎのこともあるとの論考を展開しておられます。
いろいろな話がたくさん掲載されています。拝読しましょう。

*今日は地方講師・光明実践委員研修会が開催された。全国講師のO本部講師のお陰で普段参加しない講師も多数参加した。教義の学習もさることながら、中心帰一の信仰姿勢と、御教えをお伝えする伝道精神を確立することは誠にも重要です。

 中内 英生

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September.12.2009「9月出雲練成会が終了」

Img556 September.12.2009「九月出雲練成会が終了」
今日の詩::指揮棒の 動きに合わせ 二千人 光の波は うねりつつ行く

 今日で9月の出雲練成会が終了した。今回は浄心行と先祖供養の担当講師が交替して、新鮮な気持ちでご担当されたようだ。この教区の素晴らしいところは、大教区のように優秀な地方講師がたくさんおられるということだろう。今後、さらなる精進と教勢の拡大に大いに力を発揮していただきたいと願っている。練成会は魂と魂とが触れる場である。真心を出した分量だけ、練成会員から魂的な感動を与えてくれるように思える。講話の途中で何度かこみ上げてくるものを感じつつそれを抑えるのに苦労した。キリストは語り給う。『汝の隣人を愛せよ』と。愛こそすべてであろう。練成会を担当させていただく度に、この言葉は真実だと感じるのは私だけではあるまい。自他の神性に奉仕する。これがスタッフの合い言葉であろう。今日からさらに初心に帰り、神想観、聖典読誦、愛他行に徹したい。

http://www.sni-shimane.com/album.php?CatID=87

 今回は、久しぶりに二日間とも宿泊させていただいた。先輩講師からよく言われていたことだが、『寝ている間も練成ですよ』と、谷口清超先生にお教えいただいたそうだ。これは、実感として理解できる。
 私は土壌改良係を自認しているが、土の中に空気が入り、自然肥料が豊富な島根の土壌をさらに素晴らしいものを生み出せるようにお手伝いさせていただきたいと願っている。

 仕事が終了してから、出雲ドームで行われているという「2000人の吹奏楽」?に子供が出ていたので迎えにいった。八時半頃全部が終わったのだろうか。兵庫県から来ているという高校生のブラスバンドの見事な動きのある演奏を聞くことができた。指揮者も演奏者も女性だったように思うが、すごい迫力だった。一人の指揮者のタクトの元に演奏されるという形は、私たちの国際平和信仰運動に似ているのではないかと思えた。

 最終のフィナーレで2000人全員が出て来た。照明が落とされた時、子供たちがその演奏に合わせて光の棒を振りながら演ずる。世の中が現象的に明るい時も、現象的には暗く見える時も、指揮者の元に全員が光の棒を振りながら世の光となって行進する。フィナーレの様子と私たちの人類光明化運動とを重ね合わせて、谷口雅春先生が生長の家大神様の啓示を受けて創始され、二代目総裁谷口清超先生に受け継がれ、さらに現総裁谷口雅宣先生にタクトが移行して私たちをお導き下さっている。その一員として自分自身も参画させていただいているではないか。その荘厳なる世界の光明化運動の姿をイメージして、心から感動した。
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=514908004
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=506239004
http://lunchmusic.exblog.jp/9531148/
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kmyt312341/view/20090905/1252141178

 終了して「おだ」のスーパーの駐車場で家族を待っていたがかなり遅くなってから車に近づいてきた。この吹奏楽は近日中にテレビで放映されるそうだ。

  島根教区から世界へ発信ということで、私たちは、総裁谷口雅宣先生に中心帰一して、さらなる進化を続けさせていただきたいと思っています。ブログアップが、一日遅くなりました。(おわび)

 中内 英生

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September.11.2009「”女性の天分を生きる”③(了)」

Img554 September.11.2009「”女性の天分を生きる”③(了)」
今日の詩::まめ人の ケヤキの如く 伸びてゆく
*島根の信徒様は、多面的に幅広く魂を成長させて信仰生活と光明化運動を展開しておられるようでうす。 

  つづきです。
さて、「おしゃべり」について書かれています。女性はおしゃべりが得意ですが、他人の私事や悪いうわさ話などは気をつけなければならないとしておられます。「おしゃべりに気をつけましょう」(107頁)と書かれています。逆に、良いことを言う井戸端会議にするとするとよいようです。現在、出雲練成会を開催していますが、讃嘆箱というのがあって他人の讃嘆する所を探して、それを書いて投稿するのです。良いことを見つけると自分の身辺に良いことが出現して参ります。類は友を呼ぶという心の法則です。従って、毎日、日時計日記をつけることは重要な行事ではないでしょうか。人の痛いところに触れる言葉を言ってはならないし、他人の痛みに触れずに愛するのが神の愛です。『愛は刑よりも強し』という御本がありますが、スターデーリーが書いたのを、谷口雅春先生が翻訳されたものです。深い愛の御考察が書かれています。

 また、「感情は肉体の声」という所に、「結婚は神聖である」(267頁)とあります。結婚は魂と魂の結合であるからです。離婚しても良いケースもあるとしています。これは、281頁です。内容はというと、お調べください。生長の家では、決して離婚してはいけないという訳ではありませんが、努力してできれば丸く納めるのが常道でありましょう。従って、『汝の夫または妻に感謝せよ』と大調和の神示にはあるのです。

 「結婚の条件」(291頁)も書かれています。ポイントは簡単でした。『誠実さ』がキーワードであるようです。確かにそうでしょう。「結婚は尊敬できる人と」(293頁)と書かれています。尊敬し合うことがポイントです。愛する人に対しては『愛と尊敬が必要です。そして愛するとは実相を観ることです』といわれた谷口輝子先生のお言葉が思い出されます。

 「家族の健康」について、299頁~329頁に書かれています。肉体は心の影という論理から理解できます。「常に明るい心で生活すると家族が健康になる」としておられます。眼の病気、聞こえない病気、しゃべれない病気、夜泣き、扁桃腺、アデノイド、トラホーム、指先の怪我、凍傷、歯痛、テンカン、皮膚病、吐き気、無痛分娩、母乳不足、血液の病気、子宮癌、乳児脚気、脱腸、冷え、更年期障害など色々とお教え下さっておられる。

 また、「よい子を育てる秘訣」(331頁~363頁)が書かれています。夫婦が調和していると良い子どもが育つのです。良い子とは、自分が幸福であると思える子どもであり、両親に感謝する子どもです。だから学歴が高いことと幸福とは一致しないようです。

 私たちに関連が深い「毎日の基本的神想観」(13頁)についても書かれています。「食事をするときには自分自身に適する食物と、適しないでも常食として常に食しなければならない食物があるのと同じように、一定の言葉を念ずる基本的神想観をすることは正しい主食品を常食とするようなものである」とお示しいただいております。私も、一日一回は基本的神想観を行っていますので、安心いたしました。

 また、「愛の四つの段階」(41頁)についても書かれています。あなた様はどの段階でしょうか。愛される喜び、自分を愛してくれる人を愛する喜び、自分を愛しない人を愛する喜び、自分を害する人を愛し得た喜び、以上の四段階です。

 「女性の本当の願い」(189頁)についても書かれています。本文でご確認下さい。
現代は、家の制度がなくなったからとて、「家を無視してはならない」(229頁)とあります。「家を無視する者は、自分自身の家庭も壊れやすいのである。無視したものが無視される」とあります。与えたものが与え返されるからです

 「快楽と幸福は違う」(276頁)とも書かれています。快楽は肉体から来るが、悦びは魂から来るのです。幸福感についてですが、貧しい発展途上国の子供たちと、豊かな日本の国の人々とどちらが幸福感を味わっているかというと、統計的には発展途上国です。五感の快楽的なものは、先進国は豊かであるはずですが、どうもそれは幸福感そのものを生み出していないようです。感謝が大切でありましょう。真象を見出してそれを日時計日記に書くという現在の生長の家の運動こそ時宜に適した素晴らしい行法でありましょう。

 「人生のすべてを知る」必要性(292頁)について書かれております。女性として生きることにより、人生の三分の一、結婚することにより、人生の三分の一を、母となることによりさらに人生の三分の一を知ることになるとしておられます。他を愛する経験により魂が高まるのでありましょう。しかし、マザーテレサのように、結婚しないでも魂が高められる人もあるようですのでそれも考慮に入れる必要がありましょう。

 「人工流産」(377~378頁)についても書かれています。人工流産は計画的殺人であるとしておられます。受胎の瞬間から生命が宿る、と総裁先生からお教えいただいております。自然流産と人工流産の宿る霊魂の違いについても書かれています。

 まことにも、「父はあらゆる男性の象徴、母はあらゆる女性の象徴」でありますから、父母への感謝が大切である所以です。「神に感謝しても父母に感謝しえないものは神の心にかなわぬ」と大調和の神示には示されています。

 さらに、「夫婦調和はこそのつけどころ」というのが『生命の実相』には書かれています。「私だからこそ、嫁に行ってあげた」というと不調和になります。「あなただからこそ私を嫁に迎えてくれた」というと仲が良くなります。そういう意味です。

 島根の皆様、「女性の天分について」三回にわたって学びました。お読みいただきまして有り難うございます。できるだけ、1頁と少しだけで終わることを心がけていますが、連続ものだとどうしても長くなりがちです。悪しからず。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう】
  2009年8月19日のブログは、「神は偉大でないか? (4)」です。豚の禁忌についての御考察をしておられます。豚は生物学的に猿に次いで人間に近いことなども最後の段落でご指摘されております。
 豚にしていえば、私がお世話になった某練成道場では私が入所当時、豚を飼育していましたので、私も担当いたしました。成熟した豚を手放す時は何とも空しい思いになります。残飯を大きな桶に入れて水とメリケン粉を入れて手でかき回すのが日課でした。初めは身体全体がくさくなるので嫌でしたが、次第に慣れてきました。上司に「なぜ豚の世話をさせるのか」を質問しました。「ものを言わない動物の心を知ることによって、人の心を理解する力を養うのだ」と教えられました。「君達は将来、指導者になるのだから、信徒様の心が理解できなければならないからだ」と教えられました。人間と豚とは当然のことながら違いますが、当時の修行方針だったようです。

*今日は、米国同時多発テロの起こった日です。このテロ事件が私たちの運動にも多大な影響を与えることとになりました。心からご冥福をお祈り申し上げます。
*練成会第二日目です。練成会の期間は、教化部が輝いて見えます。なお、教化部のHPで「写メール俳句の世界」に今日のお誕生会のクス玉割りをアップしました。この方法は、私が某教区にいた時にやっていた方法です。皆様は大変喜んでくれます。

 中内 英生

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September.10.2009「”女性の天分を生きる”②」

Img553 September.10.2009「”女性の天分を生きる”②」
今日の詩::虫の音と 秋の夜長を 祈りせむ

 つづきです。
 最初は、「夫を成功させる妻(181頁)」です。常に夫を立てて自信をつけさせることができる妻は日本では、「あげまん」と呼ばれることもあるようですが、それは実に大切なことです。「常に明るく愉快な気持でおれ。家庭に明るさを常に満たして置く家庭では、良人の事業は発展し、その社会的地位は上がり、子どもは健康となり、夫婦は調和するのである」と示されています。逆に、「良人を不幸にする妻」(219頁)という項目もあります。「私はあなたを幸福にするために生活するのです。これが夫婦生活に於ける互いの標語でなければならない」とあります。そういう気持を持たずに、相手から幸福にしてもらいたい、と愛を求めてばかりいると不満な不幸な妻となり、不幸な妻と一緒にいる夫は不幸な夫となる訳です。

 次は、「良人の信仰問題」についてです。「常に良人を立てましょう。」(194頁)とあります。信仰のない良人と結婚生活に入ったならば、良人を自分の信仰に急激に引きつけようと思ってはならない、と教えられています。夫に対して聖典の分かりにくい箇所を見せて、「教えてください」と言って、教えてもらうと自然に御主人は生長の家の御教えを知ることができるようになるのです。

 つぎは、「良人に自分の今日の予定を話しておく必要性」のことが書かれています。御主人を、「母の愛で包みましょう」(191頁)と書かれています。自分の予定をすべて話してから外出することを奨めておられます。生長の家に反対する夫がいると、「買い物に行きます」といって生長の家の会合へ行く人がたまにあるようです。良いことをするにしましても、ウソは付かないのがよいのです。

  次は、「嫁姑の仲を良くするには?」どうすればよいかが書かれています。嫁は本当の娘です。姑は本当の母親です。この考え方ではじめて調和することができます。このことは実生活では実に重要なことです。嫁姑の例話として私は時々、桜井イセ子さんという方の体験談を引用することがあります。

 また、「夫婦愛は作り出すもの」(182頁)と教えられています。一般的には、「独身の女性がさがしているような理想の独身男性というものは現実の世の中にあるものではない」とのことです。結婚後に、お互いに進歩・向上していくのが夫婦です。たまにですが、立派な社長さんの秘書をしている女性で眼が肥え過ぎて若い男性に満足できない人もあるようです。そんな人は、「結婚後に夫婦愛は作り出すものであり、人格を磨き合うもの」であるとの考え方が役に立つでしょう。また、親孝行の男性を選ぶとうまくいく例があります。親孝行者に悪い人はおりませんから。

 家庭での女性の在り方が説かれています。「夫は針・妻は糸(226頁)」という言葉があります。家庭生活の快適は、家族互いに相手の権利を尊重するところから得られるとしておられます。中心帰一と陰陽調和の原理を知る必要があります。陰と陽とどちらを先にすべきかというと陽の方です。これは夫婦の問題であって、団体の場合は別です。

  また、「家計を豊かにする秘訣」を学びました。テキストには無かったのですが、『真理女性篇』第10章「冨を築くための新しい生活設計」(104頁)から選びました。列記します。島根の皆様、『真理』を紐解いてみてください。
①清貧礼賛の心を捨てることです。礼賛すると清貧が出て来ます。
②冨は扱う人の心によって清まりもすれば汚くもなる。お金に本来、清濁なしです。
③冨は知恵・愛・生命の現れである。「夫の天分にかない、最も大勢の人のお役に立つ良き知恵と愛と生命力とを与えたまえ」と祈るとよいのです。
④冨とは貨幣のみではない。家、空気、身体、日光等々に感謝しましょう。
⑤現在与えられているものに感謝すると次の冨が与えられる。これには奇跡的な展開が待っていることがあります。
⑥食物、空気、日光、衣服、住まいに感謝すること、その功徳は無限である。④とほぼ同じです。
⑦家族が仲良くする。特に夫婦調和が事業の発展に大いなる影響を与えるとのことです。だいたい次のような内容が書かれています。
*常に明るい言葉を家族互いに話しましょう。
*家庭で咎める心で説教をしてはいけません。家庭で裁判官となるよりも、弁護士となりましょう。
*意見が違うときに、すぐに高い声を出してはいけません。夫婦の愛情表現の仕方を研究することです。怒鳴ることをやめましょう。甲高い声で怒ることをやめましょう。穏やかに話しましょう。
*自分自身が富となる。冨が冨を呼ぶ。豊かな心になりましょう。金持ち争わず、です。
*神の無限の跡継ぎである神の子であると念じましょう。良きアイデアが湧いてきます。
*父性原理と母性原理を応用します。要するに、「与えること」と、「素直に受けること」です。
 今日はここまでにします。さようなら。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう】
  2009年8月18日のブログは、「神は偉大でないか? (3)」です。ヒッチェンズ氏の『God is Not Great』の第2章、「Religion Kills」(宗教は殺す)についての論考を重ねておられます。祭政一致または祭政分離について世界の様々な事件を例にあげつつお説きになっておられます。また、第3節の最終行で「政教一致は危険な形態と言わねばならない」として生長の家の立場を明らかにしておられます。
 島根の皆様、私たちも世界の事件が身近に考えることができますように、総裁先生の御後に続いて、これからも大いに勉強いたしましょう。

*今日は練成会第1日目です。上々の雰囲気です。

 中内 英生

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September.09.2009「”女性の天分を生きる”①」

Photo September.09.2009「”女性の天分を生きる”①」
今日の詩::抹茶碗 押し頂いて 味わいぬ

 今日は、上記の講話を行わせていただいた。学習なので少し硬かったがやむを得ない。内容は、『女性の幸福365』がテキストだったが、私のは旧版のを使用したので、頁数が少しずれた。どんな箇所を学ばせていただいたかを書かせていただきますので、参加されなかった島根の女性の皆様も、どうぞテキストを紐解いて学習してください。

 第8項の「をんな生ける意義あり」から始めた。「女性の天分」(233頁)について説かれている。
 女性の天分とは、本質的に愛である。愛を行ずる女性は、神様の最高の傑作である。子どもを産み、育てるという使命と喜びがります。多くの女性に、もう一度生まれてくるとすると男性ですか女性ですか、と質問すると、「女性です」と言うそうです。理由を聞くと、「子供を産み育てる悦び」があるからだそうです。また、愛、純潔、優しさ、清らかさなども女性の天分でありましょう。

 「女性と男性は天分が異う。(チガウ)(237頁)」ことが書かれています。女性の天分は、男性の天分と相補い合って完成すると説かれています。それは質が違うのです。優劣は付きません。男性と役目が違うのです。男尊女尊が生長の家の考え方です。
 警察犬のたとえで申し訳ありませんが、かつて、私は『プロフェッショナル』という番組で有名な訓練士の警察犬についての話を聞いたことがあります。彼はいいます。雄イヌは勇猛果敢でひるまない。雌イヌは、用意周到で決して物事で抜けることがない、と。従ってどちらも優劣がないそうです。

 「男性と女性とは位相が違う」(245頁)と説かれています。上記の話と同じです。
また、「経済的に独立しても」(248頁)、それだけで人間は満足できる存在ではないことが説かれています。経済的に生活可能でも人間として満足できない。愛情の問題があるとしておられます。「神は愛なり」であるから愛が実現しているのが天国です。その天国を家庭に実現して、「生長の家」としましょうというのが私たちの光明化運動です。

 「家事は女性の尊い天職」(252頁)とあります。家事の仕事を他人に依頼すると、相当の代金を支払わなければなりません。立派な仕事であり労働です。また、結婚を取るか、仕事を取るかで迷っている若い女性に対してですが、子育てを終えてから、自分の天分を生かす仕事をしても十分に時間がある、と白鳩会総裁先生の御文章にありました。

 次は、第6項の「あなたが光れば家庭は天国」のところです。
「結婚とは何か」について書かれています。結婚とは本来一つの魂が二つに分かれて、再び一つとなり、完体となることであると説かれています。(169頁)「結婚は互いに半分である魂が自然に相寄って完体となる生活行事である」とのことです。それには「魂の半身」という考え方を理解する必要があります。独身の人は、どうすれば魂の半身が見分けられますかと質問する人がありますが、結婚した相手が魂の半身であるようです。
 もう一つ、「補足の原理」という考え方があります。自分の美点は相手の欠点、自分の欠点は相手の美点でもあります。補足の原理とは、一方が慌て者だと、片方がおっとりしているなど違った性格になるようです。
 もう一つの考え方は、『ちょっと私的に考える』にお説きになっておられますように、人間は神の子であり完全であるが、すべてを自分で表現できないが相手に於いて表現の場を見出すことになる。それ故に相手に魅力を感じるというような意味です。少しニュアンスが違うといけませんので、正確には、ご著書を拝読ください。

  今日はここまでにしておきます。明日から出雲練成会です。愛を行ずる練成会で幸福になりましょう。ではさようなら。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう】
 2009年8月20日のブログは、「神は偉大でないか? (5)」です。『God is Not Great』の本は、アマゾンでは1000円以内で購入できそうです。先生がお読みになる本を私たちも自由自在に読みこなせるような実力が欲しいものです。
 ヒッチェンズ氏は神を批判しているのではなく、宗教組織を批判していると指摘しておられます。宗教卵論が最後に登場いたします。三読を目標にして学びましょう。

*今日は家に帰ってみると、どなたかがお抹茶を持ってきてくれていた。感謝。抹茶はカテキンの塊のようなもので、茶道の先生は癌にならないといわれている。カテキンはそれを発見した人が、「菌に勝て」という思いで名付けたそうだ。本当だろうか。
*今日は、午前中は会議があった。出席率は非常によいし、皆様の雰囲気は愛と明るさと希望に満ちており、最高に素晴らしかった。新しいタイプの誌友会に話が及んでいたが、島根の白鳩さん達はとても熱心に行じておられるようだ。

  中内 英生

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September.08.2009「聖書を理解する②」

September.08.2009「聖書を理解する②」
今日の詩::秋風と 道を学ばん 民の家

 「学者等の如くあらで、権威ある者の如く」が今日のテーマである。要するImg551 に教義を知っているだけではなく、生活に生きていることが宗教者の宗教者たる所以でありましょう。私たちは御教えをお伝えするに当たり、単に頭脳で考えて教義を伝えるだけではなく、実際生活に生きて、生活そのものをお伝えすることに祈りといのちを捧げるべきではないでしょうか。

  次は『この一冊で聖書がわかる!』の73頁の意味です。
先ほどの引用では、イエズスが「会堂で教え」とあるが、会堂で説教するのは、30歳以上の男子で招きがあれば誰でもできたというから、イエズスもそうしたのであろう。ただ、イエズスの説教は、他の律法学者たちとはまったく違ったものだったという。そのことが「マタイによる福音書」などで述べられているらしい。
「イエズスが、こう話し終えられたとき、人々はその教えに驚いた。なぜなら、イエズスが、律法学士のようにではなく、みずから権威をもつ人のように、お教えになったからである。(第7章)
 大先輩の故T元本部講師は、『常に本部講師はこのように講話をしなければならない』と話しておられた。要するに生活からにじみ出た講話でなければ、単なる話で終わってしまい、相手の魂を打つことはできないということでありましょう。

 神からユダヤ人に与えられた律法を研究する学者達の説教は、もっぱら祖先からの伝承を語り伝えるだけのものであった。それなのに、イエズスは「自ら権威をもつ人のように説教したからであったという。
 それに対して、「人々は驚いた」とある。この驚きは二種類あった。真の権威を見る驚きと、何と傲慢なことをするのだという驚きであった。特に宗教人は、後者の驚きをもってイエズスを見たという。
 まるで自分が神であるかのように話していると宗教人はとらえた。それは、神をも恐れぬ行為、傲慢な態度、律法の教えを覆すやり方だと判断した訳であった。それでもイエズスは、権威をもって語ることを決してやめなかったという。

 この権威はどこからくるのだろうか。私は無我の精神、すなはち、「生長の家大神ー総裁・副総裁ー御教え」の流れの中に己の身を置くことにより、自ずから自分の魂の底から湧き起こる権威ではないだろうかと考える。どのような指導力が発揮されたとしても、「総裁先生のお力が働いたのです」と言いうる謙虚さこそ本当の権威ではないでしょうか。実際に悟りも力も先生から与えられたということは事実である。『生命の実相』に書かれているが初期の信徒が自分の指導で体験が出ても、「谷口先生のお力が働いたのです」とのみ言っていたという。私は、このような信仰こそ信徒としての理想の姿を見ます。『常楽への道』の著者が、毎日の祈りで、『我が祈りが谷口先生の祈りと一つでありますように」との意味の祈りを書いていたがこれが本当の姿でありましょう。そのためには『菩薩は何を為すべきか』を再読、三読したいものであります。
http://www.kyobunsha.co.jp/shopping/books/ISBN4-531-06281-7.html
http://www.ssfk.or.jp/p/a/105182.htm

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう】
  2009年8月16日のブログは、「神は偉大でないか?」です。先生の御文章はできれば三回拝読したいものです。クリストファー・ヒッチェンズという人の書いた『God is not Great:How Religion Poisons Everything』のご紹介をしておられます。宗教組織に対する批判が書かれており、生長の家と共通するものはないかとお考えになりながら読まれたそうです。すると、「普段から感じていることとさほど違わないものが多かった」と書かれております。
 又、最後に、氏が「我々が尊重するのは自由な探究、開かれた心、そして理解そのもののための知の探究である」という態度は、生長の家創始前に『神を審判(さば)く』を著した谷口雅春先生に共通したものがあると感じ、(すべてには賛同しないが)むしろ好感を覚えたのであるとお説きくださっておられます。島根の皆様、拝読ください。
http://www.masanobutaniguchi.com/

*今日の午後は雲南の誌友会へ行った。山間の美しい場所にその家はあった。昔から続いている誌友会のようだ。このような所へ行かさせていただき、信徒様を礼拝し、真理をお伝えさせていただける光栄は、教化部長職ならではの喜びではある。
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&aq=0&oq=%e9%9b%b2%e5%8d%97&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4SKPB_jaJP267JP267&q=%e9%9b%b2%e5%8d%97%e5%b8%82
 午前は、生教会の学習会と役員会だった。来年度のフォーラムのために講師養成の学習会を毎月、行っている。皆様、大変熱心です。求道の強さと深さが、伝道の強さと深さに反映される。教勢の拡大の重要なポイントである。予行演習として行っていた教化部での幸せを運ぶ教育フォーラムは、9月からは外へ出て一般の施設で行うようだ。また、チャリティコンサートでの生命学園の発表第二弾がユーチューブにアップされた。お聴きください。青年会の歌もアップされています。
http://www.sni-shimane.com/blog.php

 中内 英生

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September.07.2009「繁栄の話④(了)」

September.07.2009「繁栄の話④(了)」
今日の詩::ユーチューブ 己が姿に 感動す

 「繁栄の話」の最終回です。Img550
最初に、「毎日必ず何かを貢献する」(P.194~195)を学びます。
朝起きて、今日は何かをしようと考えることも大切ですが、『今日一日、光明化運動のために生長の家の神様、わたしを自由にお使いください』と祈ることはさらに重要です。
 人間が生きているということは、神が、この世界が、人類が自分の貢献を何事か希望している証拠です。私たちの方から言えば、私たちが生きている限りは、神に対して、そしてこの世界に対して、人類に対して何かを貢献しなければならないのです。あなたが何事かをするとき、この仕事は神のため、世界のため、と思って「この仕事をさせて頂きますことを感謝致します」と念じてすれば、決して疲れることも少なく、生き甲斐が感じられ、精神も身体も一層健やかになるのです。(原文で内容をご確認ください。分かりやすくするために少し文章を変えています)

 次は、「I am" X ”の特権」(P.195~196)を学びます。
あなたは素晴らしい特権をもっています。あなたの内に「Iam…」が宿っているのです。あなたは「私は…である」と念ずるところのものになります。あなたはこの特権を愚かなことを実現するために使ってはいけません。「私は神と一体である」。と常に念じて、「神と一体である」ところの実相を日常生活に実現するようにしたいものです。神との一体感が深まれば、何を為すにも恐怖感がなくなり、自信力が湧いてきて、人と時と所とに応じて適当な智慧が湧いてきて、失敗することがなくなるのです。
その知恵を得るのは神想観によってです。絶えず祈りましょう。イスラームの人々は一日何度も祈っておられるようです。

 次は、「幸福への精神的導火線」(P.201~202)です。
あなたの受けるべき運命を「最高」のものとして創造しましょう。そして「最高のもの」が自己に近づきつつあると信じましょう。『毎日毎日、自分は一層幸福になり、一層健康になり、一層繁栄に向かいつつある』と信じましょう。このような明るい根本的信仰姿勢があなたを今よりも一層幸福に健康に繁栄に導く導火線を築くことになるのです。

 次は、「今ある恵みに感謝する」(P.202~203)を学習しましょう。このことは実に重要です。なぜなら、既にさまざまな事が与えられており、感謝したときにこそ幸福感が湧出するからです。
 「既に求むるものを受けたり」という信念から、衷心からの熱情的な感謝をするならば、「奇蹟的に」その求むるものを得ることができるのです。先ず、既に与えられている無数の恵みについて感謝しましょう。空気、日光、住宅、衣類、家族、食物、健康等すでになくてはならないものを与えられているのです。病人は「まだ健康を与えられていないのに感謝などできません」と言うかも知れませんが、全身病気の人など殆どいないのです。肺臓が悪くても多分眼は見えるし、耳は聞こえるでしょう。
手も足も動くであろう。たとい盲人であつても食物は食べられるでしょう。感謝すべき点をさがしたら無数にあるのです。感謝すべき点を探し出して感謝しましょう。「ポリアンナ」というアニメをNHK衛星放送で放映していますが、私は時々観ています。彼女はお父さんから『聖書には800回も、”喜びなさい”、”楽しみなさい”と書いてある。神様は人間が喜ぶことを欲しておられるんだよ』と教えられて、何事でも「良いこと探し」の名人になったのでした。

 次は、「神に、家族同僚などに感謝する」(P.203~204)です。
身辺の全てのものに感謝するとともに、それらの恵みを与え給う神に感謝しましょう。
『ああ、神の造り給いし此の世界の妙なるかな!無限の智慧に満たされてあるかな!無限の愛に満たされてあるかな!無限の生命に満たされてあるかな!無限の供給に満たされてあるかな!無限の調和に満たされてあるかな!』と讃嘆の神想観を行うときには神に対して最大の感謝を捧げていることになっているのです。また、暇があるごとに「神様、ありがとうございます。」と感謝の言葉を黙念するのもよいのです。神に感謝したならば次に自分の家族、勤め先の先輩同僚その他のメンバー等にも感謝すべきです。
 素晴らしいことです。もうすでに私たちは神の祝福の恵みの中に生きているのです。

 最後に、「富の種蒔き」(P.44~45)を学びましょう。
貧しい人も、その人が実相において貧しいのではないのです。彼は実相世界にある「霊的富」を現象界に表現する方法を知らないだけのことです。彼は多分「与えよ、さらぱ与えられん」の心の法則を知らないのです。この法則は繁栄の黄金律と言われています。人を救うために資金を出すことが、富の「種」蒔きになるのだということを知らなければなりません。従って、神様への御献資である聖使命会が私たちを確実に大いに豊かにしてくれるのです。これで、「繁栄の話」を終了します。資料をご提供くださいましたI地方講師に心から感謝申し上げます。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう】
  2009年8月14日のブログは、「日本に帰りました」です。ニューヨークから成田へおもどりになられました。これからもどうぞ宜しくご指導をお願い申し上げます。

*今日は、チャリティコンサートでの青年会と生命学園の歌がアップされました。素晴らしいです。島根教区のIT技術もようやくここまで来ることができました。関係者に心から感謝申し上げます。

 中内 英生

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September.06.2009「繁栄の話③」

Img549 September.06.2009「繁栄の話③」
今日の詩::何事も マイナス転じ プラスなり 弱きところは 最強となる 
 
 「繁栄の話」の続編です。
「真の富はエデンの楽園から」(P.188)を学習します。
必要な建設的目的に使うために蓄積された富は、実相の投影ですが、未来に起るであろう不祥事を予想して蓄える富は恐怖の投影ですから、その予想する心が予想する不幸を呼び寄せることになります。
 しかし、これは保険制度を否定することではありません。保険は安心料とでも言えるサービス商品でありましょう。安心は安心を呼びます。
 また、さらなる社会貢献のために蓄積する財は、これもまた善であると言えましょう。蓄えておきませんと多くの人々のための大きな仕事はできないからです。
 真の富というものは、一切のものがそこから生み出されて来る「エデンの園」(龍宮海)即ち実相世界から供給されて来るのであって、常に実相世界に波長の合う心を
もってさえおれば必要に応じて、それが現象界の富となって供給されます。如意宝珠観という神想観がありますが、豊かになりたい人は、如意宝珠観を日々実修いたしましょう。

 次は、「欠乏は心の産物」(P.189)を学習いたしましょう。
すべて欠乏というものは、自分の心の産物です。現象の智慧によって実相の智慧を覆い隠してしまった結果です。他人を助けるべき時に助けなかった結果でもあります。
常に今すでに与えられていることに感謝することです。それは欠乏ではなく満足です。満足と感謝は豊かな世界を育みます。もつと全智なる神の智慧に随うべきでありましょう。すべての人間の内部には無限の智慧が宿っているのです。その智慧を引出す道が神想観です。

次は、「豊かさをもたらす思念」(P.192)です。
 永遠の魂の悦びや永遠の豊かなる流れは人間的工夫によって得られないものです。自分の魂の底にある霊を通して神に繋がることによってのみ、私たちは永遠の魂の悦びと供給の豊かな流れとを受けることができます。私たちは何としても、現象的力だけに頼らずに、内なる霊の鍵を通して無限の供給の流れと結びつかなければなりません。 それには、『わが魂の底の底なる神よ、無限の力よ、湧き出でよ!』と暇あるごとに常にこの言葉を黙念して、内部の神の世界から無限の力を汲むべきでありましょう。

 次には、「事業好転の思念」(P.193)を学習しましょう。
どんなに神に祈っても、問題が好転しない事があるならば、それは自分で問題をつかみ過ぎているからです。問題を神に全託しましょう。問題を掴んでいるから、解決の通路がふさがれているだけです。そんな時には、心をその問題から完全に放してしまうがよいのです。『この問題を神様あなたにお任せします。わが意を成さんとするに
非ず。神のみ心のままにならしめ給え』と祈ることによって、自分の心が自己解放をとげます。自分の心を自由にしてあげることが大切です。問題の解決法は必ず浮かんできます。

 最後に、「繁栄をもたらす就寝前の思念法」(P.193~194)を学習しましょう。
『今日一日の仕事を神の智慧によって導き給え』と、毎朝ささげられるこの祈りは、その日の最初から自分のなすべき仕事を神に預けて、自己の内なる無限力を開発する適当な祈りです。その祈りに続いて、『神はわが内に宿り給うて、今日わが為すべき事を教え給う』と、その祈りの成就の黙念をすべきです。
 そして、就寝前や夜の神想観のときに、『今日一日の仕事を神の智慧によって導き給うてありがとうございます。今夜の眠りをやすらかに護り給いて、明日また神の仕事をさせて頂く力を内に回復せしめ給え』と祈ってから眠るのです。この祈りを続ける時、自分で力むことがなくなり、神から無限の智慧と力とが流れ入る心のパイプが解放される結果、事業も順調に行くようになるのです。繁栄は偶然に起こる事象ではなく、真理と法則に従って行ずる時、誰にでも実現するものです。
今日はここまでです。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  2009年8月12日のブログは、「谷口純子氏の講話」です。8月8日に行われた「生長の家ブラジル全国大会」で谷口純子・生長の家白鳩会総裁先生が行われたご講話の様子が公開されております。
 今後、島根でも動画に挑戦して行きたいと思います。

【今日の良かったこと】
①ユーチューブをT職員に教えてもらいながらだが、自分でアップできた。
②『健康と長寿』のブログを作ってもらった。これは、特に島根の70歳以上の方々のためを意識してのブログです。「竜宮海」さんと「無量寿」さんです。長生きをしていただきたいのです。
③天気が快晴だった。
数えると色々と出て来ますね。

 中内 英生

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September.05.2009「繁栄の話②」

Img545 September.05.2009「繁栄の話②」
今日の詩::絵筆取り 右脳のままに 感動を  師はのり給う そのまま描けと
*面倒だとか、後でとか、うまく描けないとかの脳からの信号を無視することが大切なことのようです。

(つづき)
さてつづきです。「生活力欠乏の原因」(P.184)について学習します。
「物質は物質に非ず、それは神の愛の具象化である」としております。だから決して物を粗末にしてはいけません。私たちが一片のパンのかけらをも神の愛として感謝する心になったとき、私たちは実相の世界にある無限供給の霊的波動に波長を合わすことができ、必要に応じてその欲するものを現実の世界に実現して来ることができるのです。
 物だけでなく時間も同様です。ある人はちょっとした時間も無駄にせずに、『生命の実相』を拝読しました。そして、年令が30歳に達したときには、全40巻を10回以上拝読していました。
 また、石川には昔は沢山の金箔工芸の職人さんがいました。御主人が金箔の作業をして、そのちょっとしたわずかな金箔のかけらを妻が集めておくのです。そして、それが多くなったときお金に換えると大いに生活の役に立ったと言います。何事も大切にする心が、神の世界に波長をあわせるのでありましょう。

 次は、「天の倉に与えられた徳」(P.185)について学びます。
すべての富は物質の量ではなくて、天の倉に蓄えられたる霊的なる「徳」であり、その眼に見えない「徳」が必要に応じて物質的な富として形を変えて現象界にあらわれてくるのです。神は人間を自己の最高実現として最高の「徳」を実現することを目的としていられるのですから、「徳」を行じ「徳」を実現するとき、おのずから経済的に豊かに「実相世界の富」をこの世に実現することができるのです。
 神の子らしい生活を行うことが豊かな生活です。それは儲ける商売ではなく、人のために何かを設けてあげる愛行です。それが冨に変わるのです。
 人間は、神の最高の自己実現であり、宇宙に咲いた美花です。花のように明るく美しく生きて参りましょう。

 次は「現象の奥にある実相の富」(P.185~186)について学びます。
人生の目的は人格を神格にまで高めることです。現象にあらわれている富をのみ求めることは却って「実相の無限の富」を忘却させて、自分に与えられている富を縮小することになります。神は愛を与え給い、智慧を与え給い、生命を与え給うておられます。それを感謝して受け、かつそれを多くの人々のために働かすとき、神様の無限供給の世界に波長が合って物質界の富としてあらわれて来るのです。横取りの世界ではなく、縦取りの世界です。

 次は、「無限の宝庫を開く鍵」(P.186~187)について学びます。
愛行をもって「実相無限の富」の宝庫を開く鍵としましょう。実相の富は無限ですから、そこから幾ら富を引出してて来ましても、そこには尚、無限の富が残っています。無限から幾ら取りだしても残りは無限大です。しかし、預金がないのでは、引き出すことはできません。徳を積まないで現象の富のみを獲得しようとしても結局は無理があります。それは奪うことになるので、冨を築けば築くほど逆に奪われてしまうのです。
  ですから、聖使命会で神様に捧げることが、預金すなはち、心の世界に徳を積むことになるので、現象世界に冨が実現してくるのです。
 私の知人で、どんなに貧乏しているときにも、聖使命会費だけは先に出して、残りのお金で生活していました。そして三人のお子さんをお育てになりました。そして現在では隆々として繁栄しておられます。

 最後に、「富は聖なる目的に使うもの」(P.187~188)を学びます。
現象の富は神の国なる実相の富の現象界への延長であることを知らなければなりません。それは実相世界の素晴らしさを現実世界にあらわすための聖なる目的のために使わなければなりません。還元すれば建設的な目的のみに使わなければならないのです。
お金は天下の回りものと言われているように、自分のものではありません。それを神様の御心に適う道に使うことが、さらなる繁栄を呼ぶことになります。「神様、このお金を神の御心に適うようにお使いください」と祈りつつ使用させていただきましょう。
今日はこれで終わりです。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  2009年8月 5日のブログは、「アマゾン群馬の森へ(現地時間4日)」です。大きなキリストの像は、「群馬県人会」で考えたわけではありませんか、高崎白衣観音像のようなものでしょうか。若い頃に一度、拝観した記憶があります。
http://www.takasakikannon.or.jp/

*今日は、午後は大社道場での誌友会に参加させていただいた。このような場所があるということは、実に有難いことです。最後に、参加者全員に祝福の祈りをさせていただいた。夜は、栄える会の会議があった。島根の栄える会は次第に進歩発展していくように感じられて大変に嬉しく思います。
*動画を「組織」→「白鳩会」に入れました。合い言葉を唱えておられるのが出ています。島根の白鳩の皆様!。この動画をご覧になられたら、大いに運動が盛りあがってくるでしょう。
 島根教区でも動画でのユーチューブが、ようやくできるようになりました。嬉しいです。島根教区HPの看板にある「写メール俳句の世界」に、小学校のブラスバンド練習と俳句を読むのを入れておきましたが、なかなか自分としては素晴らしいと思います。画質と音声も十分に出ています。総裁先生が、インターネットを活用するかどうかは、光明化運動に成果に雲泥の相違が生じるという意味のお言葉があられたと記憶していますが、私はまさにそれを感じています。

 中内 英生拝

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September.05.2009「看病」

September.05.2009「看病」 →「健康と長寿」ブログへ

 健康が仕事の資本でもありますが、『生命の実相』携帯版78頁には次のような意味の事柄が説かれております。

 看病とは、病気を看ると書く。何でも心で看るものが形の世界に現れるのが原則ですので、看病して病気を看ると病気が一層ハッキリと形の世界へ現れてくるのです。看病するよりも、「観実相」をすればよい。病気という仮相を見ずに、既に完全である神の子なる実相を観て不動の心でいることによってこの石川さんの奥さんは長男を治されたのです。

 このような内容です。看病疲れという言葉があるのですが、闇は暗いですから闇を見続けると悲観的になりますので、疲れるのが当然であるかも知れません。無い闇を有ると思って見続けるのですから草臥れるのは当然でありましょう。病気の奥にある完全健康なる自分の実相を観ることが大切であります。要するに実在する健康そのものを観ずるのです。

(尚、島根の皆様、「健康と長寿」「繁栄」「子育て」ブログはこのコーナーにアップした後に、各ブログに同様の記事を掲載させていただきますのでご了承ください。)

 中内 英生

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September.04.2009「繁栄の話①」

Img542 September.04.2009「繁栄の話①」
今日の詩::秋風に 驚きイヌは 吼えてあり
*出雲は次第に秋風が強く吹くようになりました。風が強いので松の風よけが発達したようです。すべて皆よし、の世界です。

  今日は、I地方講師が、栄える会の支部例会に出講するためのレジュメを作成してこられたので、ご本人のご了解を得て若干の説明をしながらご紹介いたします。繁栄(無限供給)の話をしていると繁栄が生活の中に実現していくものです。生長の家の繁栄講話は、儲ける話ではなく、如何にして神の御心に適う生活をするかという内容です。結果的に栄えるのです。また、バランスシートを見ながらの、経営指導ではなく、栄えるための心得を説くものです。そして、経済的に豊かになるだけでなくあらゆる面で調和した生活が実現するのです。『栄える生活365章』を拝読していただければお分かりのように、この聖典はまさに宗教書であり、聖典であります。

 テキストは『新版 生活の智慧365章』を使用しています。島根の皆様でお持ちでない方は、どうぞ渡橋の教化部にありますのでご購入ください。松江道場にも少しはあると思います。

「神の贈りもの」(P.21)という項目があります。そこには次のような内容が書かれています。
 『神は無限です。あなたの心のチャンネルを広く開けばいくらでも神の無限供給が広く入ってくることは間違いないのです。自分が持っている能力でも金銭でもそれを自分のものと思わないことです。その、神からの”贈り物”を預からせて頂いているのだと思い、それを最も神様の喜び給うであろう方面に使わして頂くことです。この世は新陳代謝と循環との世界であり、新陳代謝と循環が行われている間だけ人間は生きているのです。それが止まったら人間は「死」ぬのであり、この世から去ることになります。』
 *ここには「与えよさらば与えられん」の真理が説かれています。自分の能力で如何にして生活の資源を得るかではなく、自分の能力を如何にして多くの人に使っていただくかです。もちろん、足元のことは面倒だからしないが、華々しいことなら行うというのでは信仰ではありません。「汝の隣人を愛せよ」がキリストの信仰でした。隣人とは家族であり、地元であり、会社の人々です。「百歳バンザイ」の番組でつくづく思うのは、出演者の方々は何らかの形で多くの人々に与え続けていることです。速やかなる循環を促しているのでありましょう。

  次は、「すべての恵みの本源を知る」(P.24)です。
『何よりも大切なのは、私たちの生活になくてならぬ全てのものは、実はその本源は神様から来るということです。』
  縦取りと横取りの話です。縦取りとは神様から頂くのです。横取りとは人からもらうのです。神に祈りて、神様のお役に立たせていただくこと。その結果としての冨は、神の御心に適う豊かさです。大切な要点は、神の御心に適うかどうかであり、それが得になるか損になるかという視点ではないということです。

 もう一つ学びましょう。
「物質は神の愛の実現」(P.183~184)です。
 キリストがある時、奇蹟を行ないました。五つのパンを五千人に分けたら食べ飽きてなお籠に十二杯の山盛りのパンが残りました。イエスは、「一片のカケラも残らないようにそのパンの屑を集めなさい」と弟子に指示しています。これは重要なことです。ここに真の無限供給の原理があります。一片のカケラもすべて神からの賜なのです。その賜を尊重する心のあるところに、そのカケラが増殖して、ついに十二杯の籠に山盛りのパンとなったのです。神からの贈物を尊重しないで、ただ単にそれを物質的な塊だと、軽くあしらっているところに、人間が貧しくなる原因があります。物質はそのまま「神の愛の実現」です。そのことを私たちは教えられています。
 あるお坊さんが菜っ葉を川で洗っていました。すると一枚の菜っ葉が手からするりと抜けて流れて行きました。お坊さんはあわてて菜っ葉を追いかけ、川から拾い上げると、それを両手で押し頂いたという説話があります。その精神があれば、大量生産、大量消費、大量廃棄で二酸化炭素排出と地球温暖化はなかったでありましょう。物質を神の賜物と考えず、単なる便利快適を実現する道具であると考えるところに、真理から外れた迷妄があるのではないでしょうか。
 聖経『甘露の法雨』28頁に、「物質の奥に、肉体の奥に、霊妙きわまりなく完全なる存在あり。これこそ神に造られたる儘の完全なる”汝そのもの”にして、常住健康永遠不滅なる”生命”なり。汝ら今こそ物質を超越して汝自身の”生命”の実相を自覚せよ」と説かれております。聖経は理屈のない真理です。
(つづき)

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
 2009年8月 3日のブログは、「サンパウロからベレンへ」です。楽しそうな写真が掲載されております。珍しい魚料理なども豊富に出されたそうです。
アサイという椰子の一種のアイスクリームを召し上がったそうです。おそらく下記のものだと思いますが、違っていたらご免なさい。
http://www.petit-asterisk.com/lifestyle/200609/212220.php

*世界遺産でピッツァのことを放映していた。イタリアのナポリの話である。さまざまな征服者がこの地を何度となく支配した。その度に卵城とか新城とか色々なお城ができた。15世紀に当時世界最強であったスペインの王宮ができた。その後、1861年、19世紀にイタリアは統一されてナポリはようやく自由になった。そこでピッツァ職人の有名な人(ラファエッレ・エスポージトさん)がイタリアの国旗である緑と白と赤の色を彩ったピッツァを焼き、王妃マルゲリータ(マルゲリータ・マリア・テレーザ・ジョヴァンナ・ディ・サヴォイア)に差し出した。余りのおいしさに王妃は、こ「これは何という名前のピッツァですか」とお聞きになったところ、ピッツァ職人は、何を思ったか「陛下と同じ、マルゲリータでございます」と答えたという。それでこの名前が残った。ピッツァよりも寿司のにぎりが好きという人には関係のない話ではある。私の場合は、子どもが沢山いるのでピザはとても安価で子どものお腹を満たしてくれるので嬉しい。

 中内 英生

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September.03.2009「聖書を理解する②」

Img539_3 September.03.2009「聖書を理解する②」
今日の詩::みずからの 力で生えし カボチャかな
*植えた記憶はないのにいつのまにできたか知らないが、カボチャができていた。

 聖書についての考察を続けさせていただきます。島根では、キリスト教の方は究めて少ないようです。出雲大社に行く途中に教会があるが、出雲にも所々にあるといった風である。71頁です。誌友会が如何に大切であるかを暗示しているようなことが書かれています。考えすぎでしょうか。

 「イエズスのどんな行為がユダヤ社会をおどろかせたのか?」では、イエズスは何をされたのでしょうか。乱暴に言ってしまうと、悲しむ人を慰め、治癒をほどこし、貧しい人に目を向けました。よく奇蹟がどうのこうのと興味本位にとりあげられますが、奇蹟がイエズスの神性を証明するものではないとしています。彼が短い生涯において表現した「愛」のみが、彼の神性を明らかに証明しています。
*ここの行は、魂がしびれます。*

『マタイによる福音書』には次のような記述があるという。
「イエズスは全ガラリヤを巡り、その会堂で教え、み国の福音をのべ、民の中のすべての病、すべてのわずらいをお治しになった」(第4章)
「イエズスは、すべての町や村をめぐり、その会堂で教えを説き、み国の福音をのべつたえ、多くの病気と、さまざまのわずらいとを、いやされた。また、牧者のいない羊のように、疲れはてて、ぐったりしている人々を見て、あわれにお思いになった」と。(第9章)。

*これらの文章は、私たちがもし地方講師や誌友会のお世話役であればできることではないでしょうか。まぜ沈滞化するかと申しますと、答えは単純です。沈滞化はあなたが神の愛を現すのを待っている姿であるからです。

*さらに次のような文章が続きます。
こういうイエズスに多くの人が出合い、すぐさま救世主がこの世に現れたと思ったわけではない。なぜならば、ユダヤ人庶民は食物を得るために朝から晩まで働くのに精一杯で、ユダヤ教の厳しい律法を守ることなどおろそかになっていたからであった。苦しむ人々を救済し、希望を与えることは、本来は宗教者がしなければならないことです。ところが当時のユダヤ教の宗教関係者は、これを怠るどころか、庶民とはまったく離れた存在であったと記述されています。

*宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』を思い出します。人生にとって大切なことは、”神様の手足となって、神の国を地上に持ち来す媒体とならしめ給え、という祈りと行動を持つことでありましょう。

http://www.o-hanashi.net/media/1/rdk_miyazawakenji_amenimomakezu.mp3
*私たちは願わくば相愛会・白鳩会・青年会の誌友会にて御教えを説かせていただき、神の愛を行ずるために祈り行い、病気のある人は癒させていただきたいものです。誌友会こそ真理の燈台であり、地域の人々の人生の燈台であります。
 
【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
 2009年8月 2日のブログは、「国際教修会でのスナップ」です。御写真からすごい熱気が伝わって参ります。私たちがこれらの御写真や御文章を拝読して感動するとき、私たちの脳は同じような疑似体験的なものを得ている筈です。この考え方は茂木健一郎さん風の説です。
http://masanobutaniguchi.com/

*映画「ドライビング・ミス・デイジー」をご紹介されていたので、ようやくレンタルDVDで入手して観た。ツタヤは遠いし、ゲオは私が観たいのが少ないしで、インターネットで借りることにした。しかしこの方法はなかなか品物が届かない。物語は黒人ドライバーとユダヤ系ドイツ人の年配の女性との会話である。未亡人の婦人はなかなか老黒人ドライバーを受け入れなかったが最後に、「You are a best friend.」と言わしめた。彼女は最後には痴呆になり、特養施設のような所に入っているのを、黒人ドライバーと老婦人の息子さんが尋ねる場面で終わったが、その時は正気だった。しかし、なぜ痴呆になるのか分からないが、人生に生き甲斐をもって生きている「100歳バンザイ」の人々は全然、ぼけていない。共通点はいつも他人に何かを与えて喜ばしていることのようである。 http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id16114/

*今日は、久しぶりの休日でした。感謝です。休日もなかなかよいものです。早朝行事の担当が終わって少しゆっくりしてから教化部会館を出ました。

 中内 英生

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September.02.2009「聖書を理解する」

Img534 September.02.2009「聖書を理解する」
今日の詩::光出せ 闇消さずとも 力みなく 自ずと消ゆる 喜び込めて
*困ったことが現れても困る必要はない。精神集中して光、愛、知恵、真心を出していくことに全力を尽くそう。そうすると気がついたら、闇は消えているものだ。 

 『この一冊で聖書が分かる』(三笠書房)という本を読了した。白取春彦さんといわれる方の著書である。記憶にないがどこかでご紹介されたのを購入していたのではないかと思うが、とてもよく分かった。少しご紹介しておこう。文章そのものではなく大意を掲げる。

 25頁、「私たちの多くは、イスラエル人、ヘブライ人、ユダヤ人を別々の人種だと思っているが、これらは同一の民族で、みな過去は遊牧民であったイスラエル人である。ことに第二次世界大戦時のヒットラーがひきいるナチスのせいで、ユダヤ人という特殊な人種が存在するのだと思いこまれているが、彼らはみなイスラエル人である。ユダヤ人という人種は存在せず、ユダヤ教を信じる人々がユダヤ人と呼ばれているだけである。
*このことは、『世界遺産』でイスラエルの近代建築が世界遺産になっているのを紹介する番組で知った。

27頁だが、ナザレのイエズスをどのように判断するかで新約聖書を聖書と認めるかどうかが決まるとしている。私たちが普段、聞かない情報だが諸外国では常識なのだろう。
*ユダヤ教…ナザレのイエズスという男は、せいぜいユダヤ教の尊師(ラビ)の一人に過ぎないとする。まして、神でもないし、神の子でもないし、神から送られた救世主でもない。よって、我々は聖書(旧約)に描かれている神からの救世主の到来を待つのであるとする。
*イスラム教…イエズス・キリストは人間であり、神の警告を人々に伝える役目をもった預言者である。しかし、それでも改悛しない人間のために、神は人間に最後の預言者マホメットを送った。
*キリスト教…イエズス・キリストは神の子であり、かつ神のもう一つの現れである。旧約聖書が述べていた神こそ救世主イエズス・キリスト自身であり、彼は新しい契約を人間と交わした。
 こんな風に書かれている。その他色々と書かれているがキリスト教理解に大いに参考になる。

 もう一つ行ってみよう。I am that I am. の有名なくだりである。ここに書かれているのは、私たちが聞いているのとは少しニュアンスが違うかも知れないが、知識として学習しておきたい。47頁である。
 モーゼの前に現れたまったく新しい「神」…ある日モーゼはいつものように、羊の群れを牧しながら荒れ野の向こうにあるシナイ山に行くと、不思議なものを見る。柴が燃えているのに、いつまでたっても燃え尽きない。そこで、神から声をかけられたのだ。しかし、その姿は見えない。モーゼは神の名前を尋ねる。すると神はこういった。『私は在る者である』と。これまで、神は自分のことを「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」というふうに、代々の族長が信じていた神、いわゆる一民族が信じてきた神だと告げている。しかし、この時はそうではなかった。時分は、「必然的存在」だと名乗るのであった。
 「在る者」とは、単に「今ここに存在する者」という意味ではない。かつて存在し、現在もなお存在し、永遠に存在する者であるという意味をもっている。というのも、古代のヘブライ語では時制がないために、動詞は過去・現在・未来のどれにも使うことができるからである。だから、簡単に「I am who I am」と訳すことはできない。この宣言は驚くべきものがある。…
*ここのくだりは、この時代に於いては革命的な神観であったようだ。現代に於いて、神は完全円満であるとする神観はまさに革命的であり、本当の神を全相に於いて観る生長の家の哲学と信仰は世界を変えるものであろうと考えられる。
 この本は内容がかなり面白いので余裕が在れば順次ご紹介させていただきたいと思う。聖書の知識が人を救うわけではない。しかし、愛するとは知ることである。キリスト教の人々を愛するが故に、知ろうと努力する。

*わが家では今まで、サンケイ、日経を取っていたが、今日から朝日も取ることにした。偏った考えの内容があるとも聞くが、科学面で詳しい。さまざまな角度からの物の見方を知る上で役に立つのではないかと思う。

*今日は、静かな教化部では何も行事のない一日だった。こんな日もあってよい。色々と書類作りが進んだ。

 中内 英生拝

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September.01.2009「チャリティコンサート総括」

Img533 September.01.2009「チャリティコンサート総括」
今日の詩::今日もまた 生きる悦び いや増して
*人生は楽しい。心からそう思えるようになった。これも当然のことながら御教えのお陰である。

 今日は、午前中に聖使命会員・組織会員感謝奉納祭が行われた。茶話会の時に、やはりチャリティコンサートのことが話題にのぼった。参加者の心に如何に染みこんだかがよく分かった。また、この度のコンサートは、聖歌を通して谷口清超大聖師への感謝を深めて、総裁先生への中心帰一の信仰につなげるのが目的だった。感動の連続だった。このコンサートが成功した影には、Tさんという相愛会長さんで、音楽のプロフェッショナルが副運営委員長で入っていたことが大きい。感謝限りなしである。

 また、午後はチャリティコンサートの総括が行われた。それによると皆様は大変喜んでくださったことがわかった。初めてだったので行き届かないことも多かったと思う。しかし、涙を流すほどの感動をこのコンサートは与えてくれた。写メール俳句にもいくつかその感動が語られている。

 続いて、小学生練成会の総括が行われた。今回の小学生練成会参加者は前年度よりも多かったようだ。生命学園が一カ所益田に増えたことも大きい。やがて10月には、安来にも生命学園が開園される。また、生命学園のビデオ作成会議も行われた。この教区は、光明化運動に何かが必要になってそれを提案すると、すぐさま協力態勢が敷かれて、いとも簡単にそれを成し遂げるという特技がある。つくづくすごい!教区だと思う。

 夜は、青年会の委員会が行われた。生き生きとした青年と会話をさせていただくことによって、頭脳が若返り軟らかい考え方に生まれ変わることができる。感謝である。

 もうすぐ、ユーチューブでコンサートの模様がアップされると思う。ともかく実現には多少の時間は確かにかかるが確実性は常に高い。お楽しみに。今日はこれで終わらせていただきます。

 中内 英生拝

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