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2009年10月

October.31.2009「冨を得るための法則⑤」

Photo October.31.2009「冨を得るための法則⑤」
今日の詩::風に揺れ 秋の実りの 緑の実
*ちょっと変わった名前の果物を、野の花の精さんが持ってきてくださいました。

 昨日の続きです。今日も少しでも真理に穿ち入りたいと思います。毎日一歩ずつでも前進するのが信仰者の姿勢です。
「(6)神の噴出口」(P.286)のところです。

 「この世界は神の造り給うた世界であり、ただ善意に満ち満ちている神の子ばかりが住んでいると知ったところのあなたにおいて、神は自己実現の「噴出口」を見出したのである。あなたは神の噴出口であるから繁栄のための想念が泉のごとく湧いて出るのである」と。

 神様にとって自分が必要であるとは何と光栄なことでありましょうか。そして、自分こそ神様の生命の個性化すなわち噴出口であったのです。
『七宝の塔』(2009/9)の6頁には、杉谷範子さんの体験談が載っています。この方も神様の噴出口になった人のようです。司法書士の事務所を開設しています。ある時、司法書士の受験にチャレンジしました。皆様ご存じの祈りの言葉、「我が魂の底の底なる神よ、無限の力、湧き出でよ」という祈りをしながら受験したそうです。見事、平成14年に合格しました。そして、夫婦で特志会員になり、御主人も弁理士試験に合格しました。銀座に特許事務所を開いているとのことです。

 彼女は、「日本の中小企業のお役に立ちたい」という祈りを持ち続けて栄える会員になり、共著で書籍5冊、今年もさらに2冊を出版予定だそうです。昨年は、司法書士の全国研修会の講師も務められたとのことです。
 杉谷さんのご成功の原因は、常に謙虚に、「お役に立ちたい」と神に祈りつつ行動することにあるのではないでしょうか。特志会員になっておられて常に神様に捧げるご生活が基本のようです。私ども夫婦も長年、特志会員にならせていただき、感謝いたしております。杉谷さんは、子育てをしながらの受験勉強だったので大変ではあったでしょうが、常に喜びを持ち続けておられるようです。
 しかも、白鳩会に入会してまもなく支部長となり、母親教室、白鳩誌友会を自宅で開くようになったそうです。また、霊牌供養や宇治の永代供養も熱心に行っておられるようです。素晴らしいのひと言に尽きます。島根の皆様、私たちも、神様の噴出口になりましょう。
  今日はこれで終わりです。http://www.sugitani-office.com/

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】

  2009年10月29日のブログは、「映画『私の中のあなた』」です。生命倫理を問う映画となっていますが、どうもそれ意外に力点が置かれているようです。この物語は私はどこかで聴いた記憶があります。総裁先生は、この作品を読者に薦めておられます。機会があればぜひご覧下さい。ただ、Tジョイや島根の映画館に来るかどうかは疑問です。レンタルで見つけたらお知らせします。

http://watashino.gaga.ne.jp/

 *今日は、午前9時半から長時間の会議だった。私は最近困ることが無くなったと思った。どんなときにも神様は自分が求めたそれ以上のものを与えてくださることを信じることが出来るようになったからだ。

 中内 英生

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October.30.2009「冨を得るための法則④」

Photo_2 October.30.2009「冨を得るための法則④」
今日の詩::豊かなる 実りを愛でて 感謝する
*日時計主義は感謝の生活です。今日もまた、日常生活の中の気がつかない奇蹟を発見して感動し、表現し、感謝したいです。

  今日は、「冨を得るための法則」の続きを勉強いたします。
「(5)富は既に与えられている」(P.282)とあります。この自覚が必要です。祈りの原理は、『既に受けたりと信ぜよ。しからば、汝はそれを得ん』です。すでに実現している世界をイメージできたならば、そのように潜在意識が自動調整して現象を形作ります。「生命の實相の自性円満を自覚すれば大生命の癒力が働いて神癒となります」という聖句があります。この原理を応用します。

 次は、「①富と幸福とは、神という根元から生えてくるところのものである」とあります。今日は、『七宝の塔』(2009年8月号)に出ている鈴木博子講師の講演記録を参考にさせていただきます。この雑誌は、繁栄の原理をじつによく書かれていますので、事業や仕事に従事しておられる人は、ぜひとも読んでいただきたいです。島根でもかなりの人が読んでおられるのではないでしょうか。
 「神という根元から生えてくる」にはどうすればよいのでしょうか。木はまっすぐに生えている木ほど大木になります。蔦のようにまっすぐでない植物は大きく育つことは出来ません。人間ではどうも姿勢が大切なようです。ここには日本人の姿勢のことをかいておられます。座るときは膝を揃えて座るとよいそうです。韓国の男性の姿勢がかっこいいとのことです。これは軍隊で鍛えられたからではないかとのことです。故T元本部講師は常に姿勢がまっすぐでした。私どもが若い頃、「胸を張れ、姿勢を正せ」といつもおっしゃっておられました。形の姿勢の正しさは心の姿勢を正すようです。

 次は、『②富は常に「善き智慧」の形で、多くの人々に求められる「善き考え」の形で与えられることになる。与えられた「善き考え」は直ちにそれを実行に移すことが必要である』とのことです。
  善き知恵は何も自分からだけ出てくるのではありません。友人からのこともあるし、妻からのこともあるし、上司からのこともあります。要するに自分が善き知恵を引きつけるだけの磁石にさえなっておれば、どこからでも冨を得る善き知恵を呼び寄せるのです。それをハイと素直に受けることです。しかし、素直といっても、無我の心や他人を思いやる愛の心がなく、心に利己心が充満していると同じような種類の人を引き寄せますので、要注意です。鈴木さんは、上司から「インストラクターにならないか」と云われてハイと受けたのが運命が開かれる分岐点だったようです。

 さらに、「③「実行」という媒介を通して、「善き考え」が具体化して富になるのである」、と書かれています。鈴木さんは、その後独立してコンサルタントになりましたが、ある会社から専属講師を申し込まれ応諾しました。すると、余りの心労でご病気になるのです。その時、谷口雅春先生の『無限供給の鍵』106頁のお言葉で甦り、病気が徐々に消えていったのでした。
『(前略)凡ての人は神の執事であって、「自分のもの」とては何一つないのです。(後略)』

 「自分は神の番頭であると思え」という言葉もあります。自分にはできないが、神様にはできる、という訳です。この聖典には、与える功徳が無数に書かれております。「与えよ、さらば、与えられん」という繁栄の黄金律を実行する人が永続的に繁栄を持続できるのです。この道は不変の道です。
(つづき)

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
 2009年10月28日のブログは、「谷口清超大聖師一年祭が行われる」です。ご熟読ください。私たちも、出雲の教化部と松江の道場で御祭を仕えまつりました。状況は、先日のブログでご報告させてただきました通りです。

*「おくりびと」という映画を楽天レンタルで注文して、休みを利用して観た。舞台は山形県。焼き場の人が、「死は門である。行ってらっしゃい。また会おうの。」と言って送り出すのだそうだ。死はない。それは肉体の死であって、人間そのものは永遠の生命でありましょう。ある時、主人公が、5歳の時にスナックの女と逃げて数十年も遇わなかった父親の死の知らせを受けた。初めは行くことを拒否していたが、同僚の懇願を受け入れて、亡くなった父親の所に行く。主人公は父親の顔も覚えていない。一緒に逃げた女はすでに遠い昔に父親と別れていた。納棺士である主人公は、父親のご遺体をきれいにしている時、5歳の子供の頃、父親に手渡した小石がぽろっと転がった。父親は死ぬまで彼からもらった小石を大切に持っていたのだった。父親は息子からの小石を持つことによって息子のことを思い続けていたのだった。女は息子から父親を奪い去ることは出来なかった。バックミュージックのチェロの音色が美しかった。チェロは父親が5歳の息子に教えた楽器だった。主人公は恨み続けた父親を赦し、愛し、感謝した。まさに、練成会での父母への感謝の体験談を聞いているような気分だった。
  妻は夫が納棺士の仕事を続けることに疑念を抱いていたが、風呂屋の女将さんが亡くなった頃から心を開いていく。
  妻役で出演していた広末涼子さんは、同郷の高知県出身のようだ。かつて『鉄道員』(ぽっぽや)で観た。この映画は亡くなった娘さんが霊界から姿を現す物語で、若干共通点があるようにも思えた。
 話は変わるが、苫米地さんのいう、霊界で人間は生き続けるという考えを発表すると、自殺者が多くなると云う考え方であるが、「おくりびと」や「ぽっぽや」の映画では世間には自殺を促すような影響を与えたであろうか。
 生長の家では、自殺者は霊界にて苦しい状態を持続することがあると説かれている。この教義を知ると自殺を思いとどまると考えられる。なぜならば、現在よりも自由な楽な世界があると思って自殺するのであるが、自殺により一層、不自由な苦しい世界に入るとなると自殺はできないのではなかろうか。
 御教えには、「今を生きよ」という教えがあり、今しかないのだから、今与えられている現在の地上生活を熱心に行ずる、ここに地上天国建設をするように教えている。その教義が自殺に繋がるとは考えがたい。
 さらに、「人間の実相は完全円満である」ということの自覚を目指す御教えにとっては、完全円満な境地がコンファート・ゾーンとなるが故に、不完全であり、苦しい自殺の世界に心が引かれることなどは考えられない。
 従って、苫米地さんが書いておられるように、霊界の存在を教えることと自殺とは直結すると結論することは難しいようにも思える。しかし、「テレビは見てはいけない」の本はさまざまな面で大変に参考になった。

*ヒマワリちゃんのブログにコメントしましょう。   

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 中内 英生

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October.29.2009「ザリガニを育てる教育」

Photo October.29.2009「ザリガニを育てる教育」
今日の詩::ザリガニを よく見りゃ顔は 外国産

*錦ゴイ 自在の海を 泳ぐなり:
※私たちが見るほとんどのザリガニは材木や何かにくっついて来た外国のものだそうです。日本ザリガニは綺麗な水の中でしか生きられないので北海道の山の中の沢などにわずかに残っているようです。昔の状況を取り戻し、日本の次世代に残したいものです。

 苫米地英人さんの著書『テレビは見てはいけない』には色々と独特の理論が書かれていますが、ご自分の子供さんの教育で「今を生かす教育」風のエピソードが142頁に書かれていましたのでそれをご紹介します。

子供が自分から進んで知識を習得したくなる環境を整えてあげることが大事としています。
 苫米地さんの子供が5歳の時にザリガニを捕ってきたそうです。子供さんはそのザリガニを育てたいと言いだし、自分でグーグルで調べて、育て方が詳しく書いてある本があることを知り、「買ってくれ」と父親に頼んできたようです。苫米地さんがその本を買い与えると、彼は夢中で読み込み、いまも自分でザリガニを育てているとのことです。

 他人に与えられたのではなく、自力でザリガニを捕ってきて、それについて調べたいとの意欲が湧き、本を買ってくれと親に頼んでくる。それも5歳児がです。苫米地さんはこれこそ教育だと考えているそうです。これは素晴らしい教育ではないでしょうか。「今を生かす教育」的な考え方のように思えます。

 本の他の内容は総裁先生が死後についての考え方で疑問を呈しておられたような箇所も散見できるように考えられます。心理学的な解明に於いては大変面白いと思いました。また、なぜ、ブッシュ氏が戦争を起こしたかについても論考しています。

共感する箇所もありました。206頁には、「真に意味がある投資は、教育しかないと思っています。教育によって、真に付加価値のあるものをつくりだせる人間を育てることが、これからの日本人が世界で幸せに生きていく道なのです」と書かれています。教育は重要であろうと思います。昨日、松江道場での20年かけた『正法眼藏を読む』の輪読会のことを書きましたが、誌友会や練成会や地方講師研修会などは真理を学ぶ大人に対する教育であろうと思います。そして当然のことながら、各ご家庭や日本や人類の未来にとって「生命学園」が極めて重要であろうと思います。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう: 
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
2009年10月27日のブログは、「本欄が書籍に (9)」です。

 アマゾン・キンドルや、インターネット講師や、「PostingJoy」(これは未だ)や、さらにやるべきことは多く残されているとしておられます。しかし、私は先日の誌友会で、「生長の家は私が分からない方法へ行っている。私はパソコンもインターネットも出来ません」という苦情がありましたが、島根の信徒の皆様のご協力で、電子空間の拡充以上に、各地の誌友会を神様の愛に満ちた対面での真理伝道の場、かつ地域の灯台とさせていただきたいと存じます。そのためには、お世話係の皆様の「愛と祈りと行動」と、派遣される地方講師の皆様の資質向上の研鑚以外にないのではないかと考えております。
 森林伐採を抑えるために、月刊誌の愛行方法も変わってきていることをご指摘しておられます。
  私も島根教区の信徒様が、総裁先生のお示しくださる方向に進んで行くことができますように微力ながら尽力させていただきたく存じます。

※今日は木曜休日でゆるやかな時間を過ごさせて頂いております。ヒマワリちゃんブログが盛んにアップされています。コメントしてみましょう。

http://hidokeisimane.cocolog-nifty.com/

 中内 英生 

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October.28.2009「谷口清超大聖師一年祭」

Photo_2 October.28.2009「谷口清超大聖師一年祭」
今日の詩::宍道湖に 夕陽赤々  金の星
※生長の家松江道場からの帰り道の宍道湖は夕陽があかあかと輝き、湖面は金色に輝いていました。素晴らしい景色でした。運転手さんが気を利かせてくださったので斐伊川のススキも見ることができました。。それからまだひまわりの畑も健在でした。島根ワイナリーの前の道をひたすら松江方面に向けて走り、今井書店を左に見ながらさらに走っておりますと左にひまわり畑です。ゴッホがでてきそうでした。実に価値ある光景です。

  今日は、午前中は出雲の教化部で、午後は松江道場で、谷口清超先生の一年祭を行わせて頂きました。有り難うございます。教化部にはちょうど、大坪さまから一年祭に間に合わせて大輪の菊の花を何本も持ってきて頂きました。有り難うございました。
 昨日は、浜田での誌友会にお招きいただいて出講させていただきました。これも偶然ではないのでしょう。谷口清超先生が初めて『生命の実相』にお触れになられたのが浜田でした。「浜田をよろしく頼むよ!」と先生が霊界から私にお声をかけておられるように感じました。これは自分で勝手にそう解釈しただけです。浜田が盛んになり、松江が盛んになり、中間の教化部がある出雲が盛んになりますと、島根は素晴らしい人類救済力を発揮するのではないでしょうか。三箇所とも現在も充分に素晴らしいのですが、さらに発展するように努力をさせて頂きたく存じます。

 松江の道場ではさまざまな谷口清超先生に関するエピソードが発表されて楽しかったのです。①ある時、嫁が島に松江の信徒さんが船で先生をお連れしてみんなでスイカを食べたとのことです。②ある日の講習会では、大地震が講習会中にありました。天井に張っているものが剥がれるほどの揺れだったそうです。その時、先生は少しお話がとまりましたが、すぐに再び淡々として話し出されたそうです。その泰然自若たるお姿に信徒の皆様は感動されたのでした。③握手をして頂いたとき、先生の柔らかい手に触れて感動したとのことでした。
④療養所におられた看護婦さんが信徒さんになっておられましたので、いつも講習会の時にお部屋で談笑されて、笑い声が漏れてきたそうです。④誌友会に初めて来られたとき、「どこから来たのですか」との質問をした人に対して、「療養所からです」と答えた青年が、副総裁先生としておいでになったときの驚きは一入だったそうです。⑤講習会でメロンの美味しいものを差し上げたいと思って、いつも数個購入し、全部切ってみて一番美味しいものをお出ししていたそうです。それを先生がお聞きになって、「私はバナナでいいよ。黒いツブツブが出たようなのでいいよ」と言われたそうです。そこで係の人は新しいバナナを用意してちょうど講習会ころに黒いつぶつぶがでるように日数を計算してお出ししたとのことです。⑥つい先日、白鳩会のNさんが芸術感覚での誌友会ということで、道場で写経をしたそうです。その時普段は来ない人(Aさん)が来てくれました。ちょうど取材が入っていたので、誌友会は一階だったのですが、職員の人が二階の実相額の横に谷口清超先生のお写真を置きました。そのお写真を見るや、Aさんは感動しました。彼女は谷口清超先生を非常にご尊敬申し上げていたのです。そして感動と涙の中で写経をしている時、気がつきました。座れない足が曲がって座れるようになっていたのでした。谷口清超先生が治して下さったと参加者一同は感動したようです。素晴らしいことです。生長の家松江道場は特に谷口清超先生の御護りとお導きがあるように思えます。

 今日の式典後の座談会の時、『当時の松江の誌友会の雰囲気は現在とは全然違っていたように思う』と、当時の誌友会を子供のころから知っておられる人が言っていました。おそらく、谷口清超先生はその誌友会での雰囲気と信徒の人々の燃えるような信仰心に触れて、生長の家の組織の素晴らしさを実感されたのではないでしょうか。それ故にこそ、谷口雅春先生の翻訳のお仕事の募集に応募されたのではないかと思います。いずれにしましても、「誌友会」がポイントでありました。

 もう一つ、特筆すべき話がありました。『正法眼蔵を読む』の上巻のはしがきに、「中巻及び下巻は、順次刊行される予定であるから、是非続いて全読して頂きたいと切望する次第である」とお書きになっています。松江の信徒さんたちは毎月、道場行事として集まり、輪読しました。そして20年間かかって四冊の輪読を終えたそうです。ここまで出来る松江が発展しない訳がないと思う次第であります。
 私も松江の信徒さんに負けないように再読に挑戦したみたいと思いました。
 
【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう】
  2009年10月26日のブログは、「終末論の宗教 (4)」です。
終末論のことが書かれていますが、最後に予言者の質のことが書かれています。
『新版 生活と人間の再建』(301-302)の中の御文章をご紹介しておられます。覚えておくと良いのではないかと思います。
①「世の終り」を宣言して人心を恐怖に陥れる者は、おおむね憑依による。
②動物霊など人間以外の自然霊が憑依した預言者は、人間らしくない奇行を伴う。
③憑依現象による預言は、論理的な一貫性がなく、猥雑な語句が交錯する。
④憑依による預言は偏執的で、他者に対して強圧的である。
この4項目です。原文を拝読下さい。
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue/

※今日は、動画で挨拶を10分間アップしようと思ったのですが、携帯電話で撮影しましたのでうまくいきませんでした。10分間ならユーチューブに載せられるそうです。今後、努力してみます。

※インターナショナル・ヘラルド・トリビューンを読んでみましょう。→
http://global.nytimes.com/?iht

 中内 英生

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October.28.2009「冨を得るための法則③」

Photo_3 October.28.2009「冨を得るための法則③」
今日の詩::湖に 秋陽きらきら 銀の砂
※今日はお昼ごろに見た宍道湖はとてもきれいな銀色に輝いていました。

 今日は、「冨を得るための法則③」を勉強します。
「(4)  偉大なる発明家や大事業家のような人達は、この「人を幸福にするアイディア」に波長を合わせて、そのアイディアを具体化した人なのである」と。

 波長を合わせるには色々な方法があります。「神は愛なり、只与う」と言われておりますように、与える生活をしていると神様に波長が合います。「与えよ、さらば与えられん」という言葉は真理です。そういう生活をしている限り生活に、事業に行き詰まることはありません。『七宝の塔』(2009年8月号)1頁には、生長の家栄える会中央委員の小池光子さんが書いておられます。

 昨年のアメリカに端を発した経済破綻は、会社にも不景気の波が押し寄せてきたそうです。
厳しい経営状況の中で、毎日ひたすら祈り、真剣に聖典拝読をつづけました。『新版 光明法語』には、「世の中に無駄なものは一つもない。困難さえもその人に知能を賦与する」と書かれてありました。「神様、この度はどんな知能を与えてくれるのですか」と祈りつつ神様にお聞きしました。「困難に戯れよう」という言葉も見いだしました。それらのお言葉に励まされながら、社員には「表情は明るく、言葉も明るく、皆さんに喜んでいただける真心の仕事をしましょう」と伝えて、ご自分も全身全霊で仕事に励んだそうです。その結果、今期の決算は大変良い結果になったと書かれています。
 かつてのバブル崩壊の時も、座標軸を神様に合わせて家族全員が心を一つにして荒波を超えてきたのでした。そのときも、困難を乗り越えて魂を向上させてきたとのことです。

 この体験談を拝読して、小池さんはご立派な事業家であり、素晴らしい信仰者であることに感動しました。小池さんのお母様は、大変生長の家に貢献してこられてきた人なのです。神様第一に常に捧げておられました。小池さんのお母様の代から陰徳を大いに積んでおられるようです。それが困難に面しても乗り越える力を発揮させるのでありましょうか。お母様からお聞きした話ですが、聖使命会費を支払ってから残りのお金で生活費を使っていたということでした。かなりの昔ですが、まだ豊かでなく充分に生活できない日常でありましても、どんなことがあっても神様への捧げることを第一にしておられたことを思い出します。
  (続き)

 中内 英生

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October.27.2009「冨を得るための法則②」

Photo_3 October.27.2009「冨を得るための法則②」
今日の詩::電車窓 眺めてはるか 琴ヶ浜 時代は鎌倉 思いを馳せる
*浜田の誌友会へ行く途中で馬路で電車は停まり、ゆっくりと動き出したかと思うと、眼前に琴ヶ浜が見えてきた。源平合戦で敗れた平家の姫君がここで住み着き、住民に琴を弾いて聴かせてくれたという。

 今日は、「冨を得るための法則②」を学習します。御教えはお金を儲ける秘訣を教えているわけではありません。人間の実相が開顕すると、自由自在に人を生かし、自分を生かす力が湧出して、豊かな生活が実現することを教えてくれているのです。すなはち、生命の實相が完全円満であるという神の国情報を全人類に知らせることであり、経済人が本当の自分の生命の實相を自覚して、冨を人類の幸福、世界平和のために活用する道を開くのです。

 「(3) 宇宙には神の無限の智慧が充ち満ちており、その智慧は「人を幸福にする無限のアイディア」で満たされている」のです。
 神様の世界は、物質の世界ではありません。霊的実質で出来た世界です。そこには、無限の知恵と愛と生命が溢れています。その世界に如何に私たちが心の波長を合わせるかということです。

  次のような寓話があります。ある人が神様にお金が儲かるように祈りました。神様は「よし、きた」とばかりに天使達を使って天国中を探し回ったそうです。しかし、一円もありませんでした。神様は気がつきました。天国では、一度もお金を作ったことがなかったのです。あるのは神様の愛と知恵と生命だけでした。
 これでお分かりのように神様にお金を儲かることを祈るのではなく、人々のお役に立つことをこそ祈るべきなのです。その結果として必要なる冨は流れ入るようになるのです。

  もう一つの例話をご紹介します。思いこみというものは恐ろしいものです。自分には能力がないと思っていると発見できないのです。地球温暖化でも、防止できないと強く思いすぎるとできなくなるように人類の潜在意識が働きますので気をつけなければなりません。
 『七宝の塔』(2009/1月号)には、稙田茂樹生長の家非常任理事が”『生命の実相』に学ぶ繁栄の黄金律”と題してお書きになっておられます。4頁に谷口清超先生著の『人生の断想』の「祈りと奇蹟」の中のエピソードをご紹介しておられます。このエピソードは、私が若い頃、朝のご放送で先生のこのお話をお聞きした記憶があります。

 ある難破船が永い間海上を漂流していました。何とか早く救助されたいものであると、船員の皆様は全員熱心に神様に祈ったのですが、どこからも救いの手が来ないのでした。船員達は喉が渇いて今にも死にそうだが水がないのです。なぜなら大海原は広がっているが、塩水だから飲めないのです。ところがやっと一艘の船に救助されて、水を求めたところ、救助船はするするとバケツを水中に降ろしてくみ上げると「飲め!」と勧めたのでした。「エッ!」と思いながら飲んでみると少しも塩辛くないのでした。この奇跡はどうしたものかと尋ねると、この付近の海域は大アマゾン川の真水が大量に流れ込んでいるので、海の水は押し流されていくらでも飲めるのだというのです。つまり船員達は飲める水が充満している海を漂いながら飲めない海水だと思い込んでいたために、まさに渇死寸前になっていたのでした。
 
 私たちにもこれと同じようなことがあり、それが当然だと思っている場合があるのではないでしょうか。誌友会にしても『新しい人はなかなか来ないからねえ』と、お誘いできる人がたくさんいても「ダメだろう」と自ら考えて誘わない場合があるかもしれないのです。こんな場合はどうすればよいのでしょうか。私は、絵手紙を描く誌友会をオススメしたのです、自分では絵は描けないと思っていたのがみんなで描くと案外にできるのです。自我の殻が破れたのです。そこから、自己限定を破る喜び、快感が生じてきて人間が積極的になるのです。
(つづき)

※日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
  2009年10月24日のブログは、「絵封筒展、開きます」です。
秋季大祭で総裁先生の絵封筒展をされるそうです。(もしもですが、巡回型の生光展を同時開催していただけると、爆発的に絵手紙が全国に広がるのかもしれません。これは私個人の独り言ですので、悪しからず)
 群馬教区の講習会においでになっておられたことが書かれております。最後に、久しぶりに総裁先生が銀杏をお詠みになられた「俳句」を読ませていただきました。ありがとう御座います。

※今日は、浜田の誌友会へ行かせていただきました。浜田は谷口清超先生が御教えに触れられた記念すべき重要な所です。今後、総裁先生に御教えをお伝えくださいました浜田の土地へのご恩返しをさせていただきたいと存じます。有り難うございます。

 中内 英生

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October.26.2009「初!雲南先祖供養祭」

Photo_3 October.26.2009「初!雲南先祖供養祭」
今日の詩::菊の花 育てし人の 心意気
*大坪様から今年も大きな菊の花を三つ、盛鉢のを二つご提供いただきました。皆様、早めに鑑賞に来てください。絵手紙にしていただき、絵手紙展に出していただけると有難いです。

 今日は、午前中は出雲市内の誌友会に行かせていただきました。12人もの方々がおいでになり、新人の人もお一人来られて素晴らしいことでした。総本山の大祭が近づいた関係が、「住吉大神」についての説明を求められまして、古事記の物語からお答えさせていただきました。
 午後は、1時半から雲南では初めての先祖供養祭がありました。43人もきておられました。今日から雲南では強力に顕幽両界での光明化運動が始まるのでありましょう。皆様は喜びに満たされていました。感謝です。毎月行われることにより、毎月進歩いたします。これが素晴らしいのです。雲南は、「ウン、何?」という感じでしょうか。のんびりと牧歌的です。信仰にはこの雰囲気が必要なのです。

 森下洋子さんと云われるバレリーナがおられましたが、谷口清超先生がお書きになっておられました。一日休むと自分に分かり、二日休むとパートナーに分かり、三日休むと観客に分かるのだそうです。そういう意味でも、毎月先祖供養祭をさせていただくわけです。教区の練成会でもどうしても出来ない二ヶ月だけ休会にさせていただきますが、それ以外は実施です。

 今日はこれで終わらせていただきます。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
 2009年10月23日のブログは、「キンドルを使う」です。アマゾンキンドルはおそらく世界を席巻するでしょう。私も欲しいのですが、求め方がわかりません。私の場合は、総裁先生がご引用された英文書籍が各ご著書に書かれていますので、それをできる限りダウンロードして読みたいと考えております。キンドルは、自分でも本をだせるようです。電子本はアマゾンを通して購入される訳ですが、値段の35%が自分の口座に振り込まれるようです。一般の方の文章家が出現する可能性があります。さまざまな可能性を秘めており、日本語版も遠からず出来るはずです。森林伐採を防ぎ、二酸化炭素削減に寄与するのではないでしょうか。
 アマゾンキンドルで検索してみてください。すでに使用している人達の感想を読むことが出来ます。時代は大きく動いています。流れに棹さしつつ、人類光明化運動・国際平和信仰運動に邁進させていただきましょう。しかし、私は総裁先生が行かれる方向へ全力で自分の生き方の舵を切ることが何よりも、己に与えられた使命を達成し実現させていただく最短距離となるのではないかと考えております。
http://www.masanobutaniguchi.com/

*島根の青年会の皆様!、総裁先生が毎日読んでおられるインターナショナル・ヘラルド・トリビューンを読みましょう。→ http://global.nytimes.com/?iht

*今日一日、まことに有り難うございました。感謝です。明日の午後は浜田の誌友会です。
*柿の絵手紙は、故郷のわが家の庭の柿の実を郷里の方に描いていただいたものです。

 中内 英生

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October.25.2009「冨を得るための法則①」

October.25.2009「冨を得るための法則①」
今日の詩::風凪て 曇りて晴れる 秋日和Photo

 今回は、「冨を得る法則」として数回に亘って連載させていただきます。テキストは、『新版希望を叶える365章』を使用しまして、I地方講師が栄える会支部例会出講のためにまとめておられたのを、ご了解をいただいて使用させていただき、説明させていただきます。

  まず、「冨を得るための第一則」です。テキストでは、P.68~69です。
(1)『「富」というものは人を幸福にするアイディアの実現である。(「物質」の塊でも集積でもない。)』とあります。これは非常に重要なことです。「物質はない」とはどういう意味であるかと申しますと、「物質ではない」ということです。ここに建物があるとしますと、経済的な尺度では数千万円のものとします。減価償却を計算して少し資産が減少します。しかし、御教えはそこには物体ではなく「念体」があると考えます。建物で催事を行いたいという心が建物を必要とし、その心が建築会社に依頼することになり、さらに設計者や下請けの皆様の心が加わりまして、現在の建物になると考えます。しかし、材料はどこからくるかと考えますと、神様の理念が展開して自然界のものとなると考えます。しかし、物質があるのではなく粗雑な念体が物質として見える、確認できると考えることができます。従いまして、冨の姿の裏には、豊かな心=与える心が認められるということになります。
 では、皆様、明るい豊かな愛他的な与える心を持とうではありませんか。必ずそれは実現する筈です。

 次は、『(2)人を幸福にするアイディアはどこから来るかといえば神から来るのである』、です。
これは実に重要です。「波長を合わせる」ということが大切です。総裁先生は、高級霊と心の波長を合わせることが大切であるとご教示されております。自分の心が浄まれば、きよまった霊波を持った高級霊と波長が合います。もし、低卑な波長の心を持てば、そのような低級霊と波長が合います。そして低級な番組を自己の人生に現して行くでしょう。
 さらに神様と波長が合うと素晴らしい世界が現出します。これは「チャンネルという概念」で理解できるのではないでしょうか。NHKにチャンネルを合わせるとNHKの番組が次から次へと映し出されます。従って、最高の神様のアイデアの世界へチャンネルと波長を合わせると、神様の無限のアイデアが自分の心を通して浮かんでくるのです。

 高級霊の中にはご先祖の高級霊があります。人生の半分は前世の業による。四分の一は個人の努力である。さらに四分の一は高級霊の修正によるといわれています。高級霊は守護神様としてご先祖の中でご守護くださっている筈です。
 されば、お仏壇を常に浄め、花を絶やさず、お供え物をして朝晩の聖経読誦を実践しようではありませんか。
 私は、かつては妻にほとんど任せることが多かったのですが、現在では朝晩は努力目標で聖経読誦をおこなうようになりました。これは、総裁先生のご家庭のようになりたい、と考えたからです。二年前までは19歳の時より道場で早朝行事を行っていました。早朝行事を行わなかったのではありません。
 生長の家教化部道場や生長の家松江道場や各地で、先祖供養を行っていますが、これはご先祖さま達の一ヶ月に一度の誌友会のようなものです。それも大切ですが、信仰生活には日常生活での実践が大切なように、毎日のお仏壇の前での御先祖供養が重要です。このようなことを実践することなしで、長期的持続的な繁栄はあり得ないのではないでしょうか。
  (続き)

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
 2009年10月22日のブログは、「キノコ採りと柴刈り」です。山荘へ行かれたことが書かれております。キノコを収穫されたそうです。キノコの酢の物のことが書かれています。
雑木をお切りになったことがかかれています。「未生からいつの間にか伸びたクリの木」という御表現がされております。今日は「未生」という言葉を教えていただきました。

*島根の青年会の皆様!、総裁先生が毎日読んでおられるインターナショナル・ヘラルド・トリビューンを読みましょう。→ http://global.nytimes.com/?iht

*今日は、相愛会教区大会が行われた。300名を超える大盛会となった。渡辺講師の言葉が強く印象に残った。『自己が神と一体であるのならば、神がこの世界を創ったのであるとすれば、山も川も木も海もすべて自分である。これこそ環境問題への取り組みの原点である』と。これは悟りの言葉であり、神想観の直感の世界である。素晴らしいお言葉だと感じた。

*お詫びと削除→September.25.2009「T青年会員の”先祖供養の意義”説明⑧(了)」の項目に於きまして、間違った文章が掲載されているとのご指摘がありましたので完全削除させていただきました。心よりお詫び申し上げます。島根の方ではないようにお見受けいたしましたが、ご指摘を感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い致します。

 中内 英生

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October.24.2009「生命の教育」

Photo_2 October.24.2009「生命の教育」
今日の詩::木漏れ日は 吾を照らして 輝けり

 今日は教育に関しての話を30分間、させていただいた。内容は大体、次のようなものです。

 『生命の實相』第1巻(頭注版)の33頁には七つの光明宣言の第七項が書かれております。
『吾等は正しき人生観と正しき生活法と正しき教育法とにより病苦その他一切の人生苦を克服し相愛協力の天国を地上に建設せんが為に実際運動を起こす。』
この中に、「正しき教育法」とありまして、生命の教育を重視していることが分かります。
 私が今持ってきている雑誌は、『生命の教育』誌創刊号ですが、昭和十年八月一日が発行日となっております。

 「発刊の辞」に於きまして谷口雅春先生は、「人の偉大なるは人それ自身の本質による。金の良質なるは金それ自身の本質による。金は鉱石を外から磨いて純金となるのではなく、その本質を抽出するところに純金が顕現するのである。人間の教育もかくの如く、人間を外より磨くよりは、その本質を内より抽出することによって完成するものである。…(後略)』
 このようにご教示されておりまして、人間の偉大さを教育によって抽出することを目的にしております。
 この雑誌は、私が東京におりましたとき、神田の古書協会の役員さんをしておられた方より分けていただきました。
 私たちが学ぼうとしている「生命の教育」のポイントは、聖典『生命の教育』のはしがき2~3頁に書かれております。
①唯神実相の哲学を根幹とする。
②言葉の創化力で引き出す教育である。
③今を生かす教育である。これは、子供が「何かをしたい」と考えたことをチャンスにして行動を開始するやり方である。
④愛の教育である。
⑤秩序を尊ぶ教育である。(中心帰一)
⑥大和の理念、日本の使命達成のための教育である。現在では、国際平和信仰運動の関係で、「世界平和を実現する教育」という文言が加わるのではないかと思います。

 それらの教育のポイントを実践した体験談をご紹介しながらご説明をさせていただきたいと思います。参考書は、生長の家白鳩会中央部篇の「シリーズ母親教室と私」から引用させていただきます。この五つの本は、実に素晴らしい本ですので熟読していただきたいと思います。 

『明るい家庭と楽しい子育て』①の9頁には、「赤ちゃんからのプレゼント」という題名で榎並千恵子さんの体験談があります。三人目を妊娠してから何度か流産したことがあるので御主人から「諦めてくれないか」と云われて苦しみました。しかし、母親教室に行き、生命の神秘というテーマを教わりました。そんな時、実相の御主人にハイを行じるように教えられて行じました。その結果、素晴らしい神の子が誕生しました。いのちを拝み、御主人を立てるようにされた結果でした。

 その他、②から⑤までそれぞれお一方づつご紹介しました。ご登場の皆様は生長の家の御教えを行じて素晴らしい体験を得られた方ばかりです。生長の家の御教えは、行じた時に初めて功徳があるのです。知行合一という言葉もありますが、身・口・意の三業、または思念・発声音・表情の三業を真理で満たすとき、よき結果が出てくるのです。
(おわり)

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 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】 
2009年10月20日のブログは、「終末論の宗教 (3)」です。最終段落に、このテーマの結論が書かれております。
 生長の家の教えは終末論ではないこと。人間の能力を超えた巨大な悪の力や、サタン、天使とサタンとの恐怖に満ちた闘争が来るなどとは考えない。もし我々人類の前に危険があるならば、それは人類の心の産物であるので、人類の心を変えたならば回避できるとしておられます。 
  以前、「ノストラダムスの大予言」というのが流行ったことがありました。その時、谷口雅春先生がそのことについてお書きになられましたが、同様の真理をお説きくださったと記憶しております。

*今日は、大変お天気がよかったです。お天気に感謝いたします。明日は相愛会の教区大会です。皆様は、ご推進に大変頑張ってこられました。感謝申し上げます。

*総裁先生がブログでお書きになっておられるアマゾンのキンドルを購入した人がいらっしゃったらどこで買えばよいのか教えてください。

 中内 英生

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October.23.2009「重要な誌友会」

Photo October.23.2009「重要な誌友会」
今日の詩::ハピネスや 名前の如し 今の吾
*ハピネスという花があるようです。名前がなかなかいいですね。

 今日は松江の城東誌友会に行かせていただいた。Nさんと云われる女性が来ていました。彼女の話を聞きました。Nさんの母親がかつてこの地区の誌友会に通っていました。すると、ある時、見知らぬ若い人が誌友会に来たそうです。どなたか一人連れてこられたようです。どこから来たかを聞くと、近くの病院からでした。そしてその青年はここの誌友会に通われたそうです。
 名前は、「荒地清超」といわれる方でした。その若者が、谷口雅春先生の翻訳の募集に応募し、合格した後にご上京されたのでした。もし、”松江の城東に誌友会がなかったら”、二代目の総裁先生はあるいは別の方だったかも知れません。現在の生長の家も随分と違ったものになっていたことも考えられます。島根の皆様、誌友会は地域のいのちの燈台です。誌友会を毎月、開こうではありませんか。しかも、この城東の誌友会は現在も60年以上続いており、その発展の結果として生長の家松江道場が存在しているというのは、何という素晴らしいことではないでしょうか。

 そのように今日は大変貴重な話を聞かせていただいたのでした。誌友会では、どんな問題にでも答えることができる教義に対する深い理解と燃えるような伝道精神が必要です。すなわち、担当講師の方は常に資質を向上して行かれることが必要です。このブログを読んでいただいているレピーターの方にも地方講師の人がおられると思います。その人は、「まったく同感!」と思われたにちがありません。そしてご参加される人々はお互いに神の愛を行ずることが大切です。
 しかも続けることが大切です。『生命の實相』第一巻拝読が今日で終わりましたので、86回目が終わりました。馬鹿の一つ覚えで続けているのです。この聖典には信仰の基本が書かれていますので、この聖典を読んでいると、不思議に総裁先生の御文章を深く理解できるようになるのです。『生命の實相』全40巻もこれまた呪文のように読み続けています。高校生の時代からです。記憶しているのでも15回は読んでいます。それで分かったかというと未だに理解が進まないのです。だから現在では布表紙携帯版で16回目に挑戦しています。読めば読むだけ、現在の総裁先生のご著書の偉大さが身に染みて感じるようになりました。

 今夜は、NOVAという一度倒産した会社の英会話教室に行ってきましたが、2001年3月に通い始めましたので、かれこれ8年6ヶ月ほどになります。まったく話せなかったのですが、何とか会話はできるようになりました。皆様と違い、上達が極めて遅いのです。しかし、続けることに関しては、自分で自分をほめたいと思っています。NOVAの会社が倒産しても私は学習を辞めるつもりはありませんでした。私の場合は、講習会推進期間の3~4ヶ月間ほどは時間がなくて行くことはできません。通わない余韻でそれからも休むことが多いのでした。しかし、谷口純子先生が毎朝、英語の学習をしておられるとか、英語の試験を受けられたとか、総裁先生が、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンを毎日読んでおられるとか、お書きになっておられると、私も少しでも御心の万分の一を知りたいと思いまして、現在に至っています。

 TOEFL、TOEIC、英検などの試験も受けて励みにしたいのですが、ほとんど日曜日開催なのです。私の場合は、日曜日はほとんど行事で詰まっています。しかし、英語の学習をしていると、何か挑戦するものが常にありますので、「まだまだ」という気持がありまして、「自分にとってはよいことかな」と思っています。
 私の夢の一つは、島根県から世界に向かって英語で国際平和信仰運動を島根の青年会の皆様とご一緒に発信することです。お釈迦さんのことですが、「座を立たずしてヤマテングウにのぼり給う」というくだりがあるそうです。島根にいながら、国際平和信仰運動が出来るのはインターネット活用以外にはありません。総裁先生のお言葉に、「インターネットの活用は、人類光明化運動の成果に雲泥の相違を来す」とのお言葉があられたように思います。私は総裁先生のお言葉のままに、微力ながら実践させていただきたいと念願しております。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
 2009年10月19日のブログは、「終末論の宗教 (2)」です。終末論の定義や宗教の中心部分と周辺部分との関係や、「終末論を唱えている宗教は万教帰一に入るのか?」との講習会の質問内容の確認を行っておられます。
 最後の段落には、核拡散、人口爆発、地球温暖化を悪と見立てれば…としてそれらは人類の罪の結果であるとして、最後の審判としての核戦争や海面上昇による都市や国家の消滅を説明する教義を掲げる宗教を信ずる人がでてきても、それに対して驚かないとしておられます。拝読下さい。
http://www.masanobutaniguchi.com/

*島根の青年会の皆様!、総裁先生が毎日読んでおられる「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」を読みましょう。→ http://global.nytimes.com/?iht

 中内 英生         

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October.22.2009「桃山・江戸の美」

Photo_2 October.22.2009「桃山・江戸の美」
今日の詩::湖は 波おだやかに 光満ち(宍道湖はとても穏やかでした)

*自宅の庭にあるミカンを収穫してもよいと大家さんからご許可をいただきましのでミカンの実をとっているところです。味はというとものすごい酸っぱいです。どうやって食べるかをこれから研究です。2009_10220004

 今日は、木曜休日を利用して妻と子供とで島根県立美術館へ行ってきた。桃山時代と江戸時代の絵が展示されていた。出光美術館所蔵のものが巡回してきたようだ。
 筆者不詳で江戸時代前期の「柳橋水車図屏風」というのが最初に目に付いた。緑の柳の葉が美しい。インターネットで調べた島根県立美術館に掲載されているのは拡大できないので余り美しくないがご覧ください。
http://www1.pref.shimane.lg.jp/contents/sam/ja/collection/colle_01_00.htm

 鍾馗騎獅図という葛飾北斎の絵もあった。「富岳百景」だけではなかった。鍾馗さんが獅子に乗っている姿だが、この絵を85歳で描いたというのでそのパワーに驚いた。
http://heiankyo.co.jp/shopping/photoviewer.php?photo=hokusai_sisi.jpg

 尾形光琳作と伝えられている「芙蓉図屏風」も美しかった。江戸時代後期である。これらの屏風絵は色彩が鮮やかであるのと、金箔をふんだんに使っているので美しく感じる。この絵も拡大できないので、イメージだけで申し訳ないがご覧下さい。
http://www1.pref.shimane.lg.jp/contents/sam/ja/exhibition/idemitsu_hiden_3.html

 小さいひな壇用の屏風もあったが実に精巧に出来た作品だった。「四季花鳥図屏風(裏波濤図屏風)酒井抱一作である。下記は、掲示されていたのとは違うがイメージ的には同じものです。
http://kafka-die.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/shiki_400.gif

 出雲阿国が歌舞伎の元祖であったと、現代の野郎歌舞伎が出来上がるいきさつが書かれていた。大社町に彼女のお墓があるらしい。

  文人画で浦上玉堂の「山中楽政図」というのが安定感があってとてもよかった。今まで文人画に感動したことはなかったが今日は素晴らしいと思うことが出来たことが嬉しい。「山中楽政図」が見つからないが、玉堂が描いた水墨画を出しておきました。ご覧下さい。
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4SKPB_jaJP267JP267&q=%E6%B5%A6%E4%B8%8A%E7%8E%89%E5%A0%82&lr=&um=1&ie=UTF-8&ei=kDTgSuGjO86GkQXq5sgn&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4&ved=0CCAQsAQwAw

 松平不昧公が使用していた茶器なども展示されていたが、不昧公のお陰で松江はお茶が盛んになり、それに伴い和菓子や庭や茶器などが発達している。これは以前住まわせていた金沢でも同じだろう。金沢は前田さんのお陰である。

蕪村もよかった。蕪村に関しては俳画の件で一度、ブログにてご紹介した筈です。日本画となると、狩野派や琳派や土佐派など色々とあるが、以前よく行った石川県七尾からは長谷川等伯が出ている。七尾美術館で等伯展を見てから七尾の出身であることを知った。
 色々とよいものを鑑賞することはとても大切である。総裁先生が御巡錫の折りに、時々美術館にお出でになられることがブログに書かれているので、私も真似をさせていただいている。同じ作品を夫婦で感想を述べ合うのも自分だけの考え方に偏らないので良いことだと思う。洛中洛外図屏風も立派なものだった。二階の展示室には島根県の江戸時代の画家の屏風絵が展示されており素晴らしかった。

 私が金沢に住まわせていただいた頃に、時々「九谷焼」の博物館に行った。何度も見ているとだんだんと眼が肥えてくるものである。金沢市の大樋焼も好きになり、今でも時々、大樋焼の茶道具を使用している。飴色の茶器である。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
  2009年10月18日のブログは、「終末論の宗教」です。山梨教区の講習会が一割前回を上回り、ねぎらいのお言葉が書かれております。島根も次回の講習会はぜひそれ以上にならせていただきたいと思います。早期から教区が一丸となって推進することが大切であるとお教えただいております。何を中心として教区が一丸となるかと申しますと、神の御心であり、具体的には総裁先生に中心帰一からであります。それは、「生長の家大神ー総裁・副総裁ー御教え」の人類光明化運動活動指針第9条から明らかであります。島根の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

 講習会での質問に対してお答えできなかった分をご教示されております。終末論を説く宗教の万教帰一の中に入るかどうかという質問です。ひと言で応えるのは難しいが、あえてそうするならば「ノー」ということになるとしておられまして、論旨を展開しておられます。拝読下さい。最後に、『心で作る世界』の中の第4章「終末を召(よ)ぶ教義」をご紹介しておられます。終末を説くと終末がやってくるという訳です。私たちも決して人生をつぶやくことなく、日時計日記を書き続けようではありませんか。
http://www.masanobutaniguchi.com/

*今日は久しぶりに明るく温かい一日でした。感謝です。

*常に世界を見る視点を持ちましょう。特に島根の青年会の方へ。国際平和信仰運動は島根から!アドは、「インターナショナルヘラルドトリビューン」です。

http://global.nytimes.com/?iht

 中内 英生

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October.21.2009「画家・横尾忠則」

Photo October.21.2009「画家・横尾忠則」
今日の詩::闇の中 木犀いずこ  香りあり

 日曜美術館(2009/10/18)では、画家・横尾忠則(73)さんが登場していた。この人の絵は私はあまり好きではなかったが、彼の生い立ちからの人生をテレビで知ったとき、憎めない人だと思った。才能に自信があった会社勤めの時、自分に来るはずの仕事が他人に行ってしまった。彼は自信を喪失したのとショックで、上司の所に行き、かなり暴れたようだ。当然、首になることを予想していたら、上司が横尾さんの自尊心を傷つけたことに気がつき、「横尾さん、ごめんね」と謝ってくれたという。両親に溺愛されて自由自在の人柄になったらしい。しかし、彼の絵は特に好きではないがすごい芸術家である。

http://www.tadanoriyokoo.com/vision/index.html

 最近はメダカと共存しているという。メダカの目線で人間界を覗くようにしているそうだ。現在、横尾さんの作品200点が、石川県の「金沢21世紀美術館」で展示されているという。ここには2回行ったが、余りにも奇抜な作品が多くて「何のために?」この美術館を造ったのだろうか、と金沢にいた頃は考えたものだ。
 彼は、固定観念に縛られない画家である。40年以上書き続けている日記が紹介された。その中のもので、1987年4月19日、20日の日記があった。その言葉が大変面白い。

人生すべてを作品として提出する。宗教的であること。つかみ所がないこと。劇的であること。そっけないことであること。物語的であること。祝祭的であること。*自由自在であること。一点の傑作を作る。美学的になること。本能に忠実であること。矛盾を正当化すること(よく理解できない)。迷いを正当化すること(これも良く理解できない)。過激な絵画を制作する。*主題を持たないこと。*様式を持たないこと。極私的であること。
極私的でないこと。他人を模写すること。歴史を引用すること。歴史を否定すること(これも意味がよく分からない)。芸術作品を作ることをやめること。絵を完成させないこと。
絵にこだわること。絵にこだわらないこと。分裂的であること。認められないことを認めさせる。こだわりをトコトン捨てる。などなどである。

  *印の、「主題を持たないこと」「様式をもたないこと」とはそれが絵になるのだろうかと考えたが、実はそれが絵になるようだ。総じて、「自在の心を持つ」ということだろうか。
 筆を置く瞬間、すなはち書いている最中に買い手が付いて、絵を描き終える時さえも他人に委ねてもかまわないという。絵を完成させるよりも、描くという行為そのものに横尾さんは没頭していったようだ。先日、隠岐の島で平均年令が多少高い人達が、書き終わって喜びが湧いたといって大変喜んでくれたことは、横尾さんの言葉と少しは共通しているのかも知れない。
 
 彼は言う。「自分が変化しないことに対する強迫観念があった」と。変化しないと云ううことは、自己が固定してしまい、自分が限定される。その狭い世界が怖かったといっている。
 普通は自分らしさが出てくるように努力するものだが、横尾さんはその逆だ。彼の言葉を借りて表現してみると、『美そのものを求めるのではなく、自分の中の自我的なものをはき出す。その行為に没頭する。すると自然に「美」が描けるようになる』となる。

 『生命の實相』頭注版第1巻188頁には、次のような内容が書かれている。『我々が本当の神の子としての生活を実現するにはぜひ、この偽物の旧我を毎日毎日捨て去らなければならない。これを仏教では懺悔といい、キリスト教では悔い改めといい、神道では禊ぎまたは祓いという。いずれの宗教でも同じである。玉葱の皮をむくように毎日または毎時間一枚一枚と偽物の皮をむいて祓いのけていく。すると後には何も残らなくなって、空無自在な我の真性だけが残る』と。ある種の共通点があるのかも知れない。彼は、少年の感覚を失いたくないという。これもまた、貴重な御発言である。私たちは肉体的に若返ることばかり考えていて心が若さに向かわない人が多いのだから…。

 上記の横尾さんの言葉で、故T元本部講師が私に質問されたことを思い出した。『個性はどうすれば出すことが出来るか?』と。私は分からなかった。故T元本部講師は言う。『個性を否定することだ。個性を捨てることだ。そうすると捨てても尚残る本当の自分の個性が出てくる』と。この意味が横尾さんの言葉を聞いて分かってきたように思う。20年ほど前の問答である。

 横尾さんは、創作のヒントは日々の生活の中で見つけるという。目にしたもの、耳にしたものを日記のように描いていく。自分が面白いと思ったらすぐにそれを絵にしたくなる。絵を描いていて、この絵はこれからどのようになっていくかは、横尾さんご自身にも分からない。「善い絵を描こう」という思いから、自分自身を見放したという。無我夢中で描くという行為は子供しか持っていない。絵を描くということは、絵と戯れていることであり、遊んでいることであり、楽しみでもあるという。こういう感覚でないと人間は解放されて自由になれない。何故なら私(横尾さん)は自由を求めているのであり、それに彼の体が応えている。この状態で初めて、喜びを感じることが出来るというものだ。

 ピカソは自分の画風が出来上がると、それを否定し、次のものに挑戦して変化していったという。ちゃんとした具象的絵は初期の頃に昇華していったようだ。何度も自分の画風を築いては壊し、また築く。それだけのエネルギーが発露していたとも言える。生長の家が、環境問題かと思ったらイスラームを学び、イスラームかと思ったら自然との共存を訴える。本質は変わらず、周辺の真理は時代に応じて絶えず変化する。それは常に脱皮を繰り返して新鮮さを失わない。互いに共通点があるようにも思える。

 横尾さんの絵には何が表現されているのか。それは未知の自分であるという。「自分が知らない自分を描けたら嬉しい」という。横尾さんが「少年の心を失いたくない」というのは歳をとったということだろうか。しかし、73歳で未だに自在の心を持てるということは、すごいことであろう。少年は自分が持っているものや、地位や名誉にこだわらない。そのような柔らかい心を持ち続けたいとしている。未完成の魅力、未完の横尾忠則氏である。彼は言う。「自分は謎である」と。謎と云うことは、どれだけ自分に可能性があるかについて、無限の可能性を感じるということだろうか?。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
2009年10月16日のブログは、「シイタケを収穫」です。ご自宅でシイタケを収穫されたそうです。雷とシイタケの発芽について書いておられます。拝読下さい。

*インター・ナショナル・ヘラルドトリビューン(2009/10/20)では、バチカンからのニュースが掲載されている。苫米地英人氏が「日本のテレビ番組は地球全体から見ると地域的な日本だけのことでの番組がほとんどである。それは番組を作る人達が英語がよくわからないからでは?」というような意味のことが書いていた。総裁先生は、毎日上記の新聞を読んでおられて地球全体のことを考えておられる。島根の信徒さんで英語が読める人は、余力があれば総裁先生のようにヘラルドトリビューンを読んでみては如何でしょうか。勿論、インターネットです。新聞は島根では一日遅くなるようですから。
http://www.nytimes.com/2009/10/21/world/europe/21pope.html?ref=global-home

*今日は、生長の家松江道場で午前中は、写経を午後は先祖供養を行った。午前は、『新講甘露の法雨解釈』をテキストとしての講話、先祖供養では、『人生を支配する先祖供養』をテキストとしての講話を担当させていただいた。講話を担当させていただけて大変に有難かった。動画は、写経の風景です。

 中内 英生

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October.20.2009「花開く”日時計女流俳人”たち」

Photo October.20.2009「花開く”日時計女流俳人”たち」

◎皇后さまお誕生日、おめでとうございます。心より感謝申し上げます。

今日の詩::船欠航 風強けれど 行事あり
*船の欠航は秋と冬との季節行事のようです。

 島根教区で写メール俳句を始めてからすでに1年が過ぎています。さまざまな方々がこの試みに参加して下さっています。心より感謝申し上げます。特に白鳩会の皆様は熱心に投句しておられます。私もそれに触発されて毎日、作らせていただいています。さらにホームページまで作る女性が出て参りました。男性では、桜森人さんや出雲筍さんがHPを開設して活躍しておられますが、今日は活発に神性表現をしておられる日時計女流俳人の皆様方をご紹介したいと思います。三人とも地方講師であります。

 まず、「石見の琴姫」の名称で美しい石見の自然と文化・伝統を紹介しながら、生長の家の御教えを伝えておられるNさんがいます。「石見讃歌・琴姫の舞い」というHPです。見ているだけで、総裁先生が御提唱される神性表現の意味が理解できるようにも思います。HPの主人公は、地方講師会の副会長のお役をいただいていますし、組織の方でも総連会長さんとして大活躍している方です。

http://kotohimeiwami.jugem.jp/

 次は、「ニコニコ由子ワールド」さんです。この方は書道の塾を開いていますが、高校の書道の講師もこなしている多忙な方でもあります。しかも組織の方では総連会長さんをしておられ、生命学園の園長さんでもあります。今年、準教務に昇格されました。大変楽しいHPを開設しています。アクセスして読むだけでほのぼのとした幸福感を共有できます。

http://nikonikoyoshiko.cocolog-nifty.com/blog/

 最後に、「野の花の精」さんをご紹介します。このHPの主人公は、生教会の副会長さんでもあり、1月に行われる「絵手紙・絵封筒展」の運営委員長も務めておられます。絵を描く神性表現法にも喜びを見出し、素晴らしい絵です。総裁先生からブログでご紹介していただいたこともあります。かつては教師職がご専門でしたので、現在も生命学園に深く関わっております。ご自分の畑を耕しながら無農薬で野菜を作って地産地消を実践しつつ、野原や自然界の美しさを俳句と写真で表現しておられます。またご自分で工夫したお料理を「イキイキ健康レシピ」として紹介をしておられます。特に花に関する知識が豊富です。多様な才能を開発しつつあります。

http://nonohananosei.jugem.jp/

 その他にもHPはまだ開設しておられませんが、絵で力をふるっておられる「松ぼっくり」さんやその他、「日本晴れ」さん、「天照」さん、「あんみつ姫」さん「太陽の子」さん、「夏つばき」さん、「カナダ純子」さん(海外からとはビックリです)、「あいちゃん」さん、「みかづきちゃん」さん(小学生さんです)などの日時計女流俳人の方々がおられます。記載漏れがあればお許し願いたいですが、沢山の方々がご投稿してくださり、一日のはじめに写メール俳句を見ると明るい気分でその日を出発できるというものです。

 また、これら三人のHPの主人公は、教化部のHPで各種リンクから入ることができますし、「写メール俳句の世界」にもほぼ毎日、投稿して賑わいを与えてくれています。しかし、ご本人のHPに入りますと、その表現力は実に実に見事です。ぜひホームページをご覧頂きたいと思います。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】

 2009年10月15日のブログは、「箱根で一泊」です。
谷口恵美子先生とご一緒においでになられたようです。いつもの楽しい自然との触れあいかと思いましたら、野良猫の子猫を通しての出会いの考察です。さらに人間関係の一期一会の出会いの考察に及んでおられます。都会の大勢の雑踏の中での出会いと箱根での子猫との出会いを比べて、両方とも無視できない関係を秘めているのでは?と論を進めておられます。拝読下さい。

http://www.masanobutaniguchi.com/

*隠岐の島から帰って参りました。動画は、初めて「神性表現」に挑戦された隠岐の島の皆様方です。50年ぶりに絵を描いた。60年ぶりに絵を描いたという方々がほとんどでした。先月「、絵を描きたい人は手を上げて下さい」というと、手を上げた人はたった一人だけでしたが、今回絵を描いて「良かったと思う人は?」というとほとんど全員手を上げました。すなはち「出来ない」という自分の殻、すなはち劣等感が消滅したのです。これは実に素晴らしいことではないでしょうか!

 中内 英生

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October.19.2009「プラシーボ的効果」

October.19.2009「プラシーボ的効果」
今日の詩::波高く 船は揺れども 島動かず 

 『生命の實相』携帯版17巻の130頁には、「第3章『無』もない世界に入る話」という章があります。その130頁には谷口雅春先生の座談でのお言葉が掲載されています。あたかもプラシーボ効果的な内容ですのでご紹介させていただきます。内容は大体次のようなものです。テーマは偽薬という訳ではないので、「プラシーボ的効果」としました。

 神戸に丸善鉱油店という鉱油店がある。その店の御主人は一代に数十万円(当時)の資産を作った偉い人だそうです。その奥様が最近、胃潰瘍になった。切開施術しなければ治らないという診断です。親族会議の結果、施術はやむを得ないいうことになり、京都の大学病院で入院施術をせられた。
 某内臓外科の博士が執刀開腹してみると、患部があまりにも広汎にわたっているので、既に悪いところだけを切除するには耐えない。もう手のつけようがないというので悪いところを切り取らずに、そのままそっと縫い合わせて、本人にはもう悪い患部は切り取ったから治ると言い聞かせておいた。しかし、医者としての責任上、親族の人には、実は切開してみると、余りに患部が広がっていて、もう手がつけられないような状態であったから、開腹しただけで切除はしないで、そのままで縫合した。事情はかくの如くであるから、宜しくご了解願いたいという発表があったという。ところが開腹して二日目から患者は患部の悪いとことが切り取られてしまったと信じたので元気が出て食欲が出て、お粥を食べ出したが、何ともない。そのうちに硬い普通食を食べても何ともなくなった。結局患部は切除しないで、切除してもらったという観念だけで治ってしまったのです。

 もう一つ体験談をかいておられます。133頁です。大体、次のような内容です。

 熊本支部の沢田正人さんの親類にあたる方で70歳以上のお婆さんがいる。このお婆さんが今から20年ほど前に胃ガンだというので切開手術を受けた。とことが開腹してみると、胃ガンがあちらこちらに飛び火していて、患部が広汎にわたっているために手術の手の下しようもなく、そのまま患部を切除しないでそっと縫合しておいたというのです。本人は患部を切除してもらってもう病気はないと信じたのです。そのためずんずん病気が良くなって、それ以来20年間も達者で生きているという話を沢田さんがなさったというのです。

 故人となりましたが、私が知っていた方でHさんという男性がおられました。病院で、胃ガンの宣告を受けまして、あと3ヶ月といわれました。彼は練成会に来ました。彼の顔を見ると末期症状と云われていましたので顔色は非常に悪かったのを記憶しています。練成会を受けると食事ができるようになりました。10日間の練成会を終了してから、病院に行きました。奥様はお医者さんにお願いしました。「主人に治ったと言ってください」と。Hさんは、胃ガン完治の宣言をお医者さんから聞いて喜びが湧きました。それから、「治った、治った」と言って体験談をしました。そして胃ガン患者を御教えで治すことに全身全霊を捧げるようになりました。十年くらい経った時、Hさんから次のように言われました。「先日、病院に行ったのですが、医者から本当にガン細胞がなくなっていると言われました。」と。以前は、奥様に頼まれてお医者様が癌消滅を伝達したのでしたが、今回は本当になくなってしまったのでした。私はこの体験談をお聞きして、如何に心が病気に影響を与えるかを知ることが出来ました。

 今日はプラシーボ的効果についての考察をさせていただきました。お付き合いいただきましたことを心から感謝いたします。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
 2009年10月13日のブログは、「生光展へ行く」です。先生もご出品になられております。次回は島根からも出品できるように進めたいと考えております。これらの生光展の展示作品がもし島根でも見ることが出来るようでしたらうれしいです。
 また、原画展を総本山の大祭の時にも検討中だそうです。島根からもバスがでますので、島根の皆様、ぜひご一緒しましょう。この日は一年中で最も喜びが満ちあふれた日です。総裁先生のお言葉を拝聴できます。ブログを拝読下さい。
http://www.masanobutaniguchi.com/

*隠岐の島へ行くために七類からでなく境港から出港しました。七類からの船が出なくなったのですが、風と波の関係のようです。境港からの船も大変揺れました。揺れるときは横になって船と一緒に揺れていると楽です。西郷港まで何と4時間かかりました。動画は境港です。

 中内 英生Photo_3

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October.18.2009「龍宮住吉本宮顕斎の意義を再確認しましょう」

October.18.2009「龍宮住吉本宮顕斎の意義を再確認しましょう」Photo
今日の詩::風は凪ぎ 灯下学びて 夜シンシン 
*今日は静かな夜です。寒くなりました。お風邪を召しませぬように。
今日のブログは、11月号『大和島根』に掲載予定の小職の文章です。(一昨日に行われました青年会員学習会にてA光明実践委員さんが提出された小論文も引用させていただいております。)

 祝!秋季大祭
 島根教区の神の子の皆様、有り難うございます。
十一月は総本山の秋季大祭があります。二十一日は、「第二十九回龍宮住吉霊宮秋季大祭」、「第三十二回龍宮住吉本宮秋季大祭」があり、二十二日は、「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」であります。島根の地より心からお祝い申し上げたいと存じます。
 さて、今日は大祭に因みまして、龍宮住吉本宮ご顕斎の意義について考えてみたいと思います。

 住吉大神様は、『古事記』に於きまして、イザナギノミコト様が築紫の日向の小戸のアワギハラにて禊ぎ祓いをされました時、天照大御神様がお生まれになられるに先立ち、宇宙浄めの神としてお生まれになられました。また住吉大神様は水と塩とを以て浄めるところの海の神様として、また上筒之男神、中筒之男神、底筒之男神と云われる三柱の神様として、上中下を整える秩序の神様としても表現されております。あるべきものをあるべき姿にあらしめることを浄まると申すのです。それが住吉大神様であります。

 具体的に申しますと、私たちは人類意識の迷妄によって混濁している自己の潜在意識を洗浄しなければならないのです。人類意識は病気や短命の迷妄を背負っているだけでなく、人間を“神の子”“仏の子”“如来の実現”として見ずに、“罪の子”“罪悪深重の凡夫”“悪因悪果を先祖から引き継いでいる人間だ”というような重大な迷妄を背負っているのです。人類出現以来、幾世代にわたって連綿として引き継いできたこの種類の迷妄はまことにその根は深くして、人生百般の禍の根因として存在しています。そのような大なる迷妄は、個人の意識の努力や勉強だけではとても洗い浄めつくすことは不可能なのです。そこで住吉大神様の御出御を仰ぎ奉って、宇宙を浄め、日本国百般の事象を浄め、われわれ人類の潜在意識に蓄積されている迷妄を浄めつくしていただくことが必要となる所以であります。龍宮住吉本宮ご顕斉の意義はここにあります。その先には世界平和があり、七つの燈台に刻印されておりますところの大聖師谷口雅春先生の御悲願があると拝察申し上げるのであります。
 
 従いまして、御祭神の住吉大神様は、一切の秩序を整えてこの日本の国の安泰とならしめるというお働きの神様として、鎮護国家・宇宙浄化の神様として顕現し、大聖師谷口雅春先生が龍宮住吉本宮をご顕斎されました。鎮座祭の時は、私は場外係をさせていただいておりましたが、朗々として本山境内地に響き渡る谷口雅春先生の招神歌と御気合いで魂は喜びに打ち震え、その時の感動が忘れられません。

 ここで云う「龍宮」というのは実相世界のことです。「生長の家」という名称も本来は「実相世界=実相大宇宙」のことであります。ですから生長の家の神様というのは龍宮の神様であり、住吉大神様とも申し上げるのです。
 鎮護国家というのは、国を鎮め護るということですから、住吉大神様は古事記神話の中に出てきますけれども、国の危機的な状況の中にあって、それを常にお救い下さる御働きとして表現されております。さらに近年の生長の家の運動では、「国際平和信仰運動」として世界平和を目的としておりますので、「鎮護国家特別誓願」に於きましても、冒頭には「世界平和」というお言葉が示されております。まことに尊いことでございます。

 住吉の大神様は浄めの神様でありまして、言葉によって浄められるのです。宇宙浄化の祈りの中に「アオウエイ」の唱えごとがありますがその母音によって一切の言葉を浄めるのです。これは「言霊」と申します。
 例えば「ア」の場合はこれは言霊学的に言いますと、天の声です。「オ」は地の音です。「ア」というのは伸び広がる言霊です。「ウ」はその伸び広がる言葉に対して、縮まるところの言葉です。「エ」はその天と地とを一つに結び合わすところの言霊の働きであり、「ウ」は一切のものを生み出すところの言霊の働きであり、「イ」はそれが命として外に現出してくる働きです。この「アオウエイ」の言葉でもって天地の一切のものを浄めるのです。このようにご教示いただいております。
 総本山が建立されましてから、日本の国が非常に平和になって参りました。「吾に神殿は不要である」と生長の家大神様は神示の中で仰せられています。『生命の實相』こそ神様の神殿であると示されておりますが、今や人智が尽き人力が尽きたところで、神様にお出まし願い、浄めていただくために人間にとりまして、神殿が必要である訳です。従って、「出龍宮顕斉殿」と名付けられております。人間が実相世界に超入する所の宇治別格本山にある「入龍宮幽祭殿」とは逆になります。

 島根の信徒の皆様、御祭の日には、人智を捨てて、我の心を捨てまして、住吉大神様の浄めの霊的波動を受けるべく出龍宮顕斉殿に額ずく思いを持ちましょう。ご自宅におられる方は「実相」額の前にて祈りを捧げましょう。

住吉の大神、宇宙を浄め給う。 住吉の大神、宇宙を浄め給う。宇宙浄めの天の使いとして生まれしが○○○○(氏名)なり。神は私に使命を授け給う。今日何を為すべきかを教え給う。その教えられたる使命を実践することが私の生き甲斐であります。

総本山秋季大祭の良き日に、衷心よりお祝い申し上げ、総裁谷口雅宣先生に中心帰一の真心を捧げ奉り、人類光明化運動・国際平和信仰運動・とりわけ島根教区の光明化を秋季大祭に於きまして強く強く決意いたそうではありませんか。

*今日は、午前午後と地方講師の受験勉強会が行われました。皆様は実に真剣に取り組んでおられます。感謝です。動画は出雲大社での生命学園の皆様の参拝です。また、今日は、安来で新しく生命学園が開園されました。おめでとうございます。

 中内 英生

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October.17.2009「タイガー・ウッズ」

Photo October.17.2009「タイガー・ウッズ」
今日の詩::一輪の コスモス咲きて 微笑えまむ

 総裁先生のブログ(2009/9/30)”「生命は不死」は危険な教え?(2)」に掲載されていた、苫米地英人氏著『テレビは見てはいけない』という本を購入して読んでみた。その中で少し参考になるかな、というのがありましたのでご紹介いたします。プラス思考のエピソードです。ブログで問題としておられる箇所は、89頁から92頁「自殺者増加の一端はテレビが担っている」のところのようです。
 102頁に”敵のパットを「入れ」と願ったタイガー・ウッズ”という小見出しです。一部ですが内容をご紹介します。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%83%E3%82%BA

 同じスコアでウッズとコースを廻っていたライバルが、グリーン上で5㍍ほどのパットを打とうとしている。外せばウッズの勝ちです。プレーオフですから、敵がパットを決めるとタイになり、振り出しにもどってふたたびグランドを重ねることになるのです。ウッズにとっても、優勝して高額な賞金が手にはいるかどうかの瀬戸際です。
 数百人のギャラリーが固唾をのんで見守っています。緊張感溢れる場面です。咳一つない静寂の中で、緊張感に満ちた表情のライバルがパットを打つのです。ボールはコロコロと穴に向かって一直線に転がっていきます。
「さて、この時、タイガー・ウッズは、何を考えていたのでしょうか?」
ウッズは、「入れ!」と念じていたのです。もし入ったら勝負が持ち越される敵のパットに対してです。一体何故でしょうか。

 ウッズは幼い頃から、自分の父親に、そのような厳しい場面と向き合ったときの考え方を徹底的に植えつけられてきました。じつはウッズの父親は、アメリカ陸軍の特殊部隊、グリーン・ベレーの隊員でした。
 父親は自分がたたき込まれた「自己イメージをいかに作り上げるか」について、その考え方をそのまま息子の教育に応用しました。「天才ゴルファー」と幼少期から注目を集め、その後もずっと世界の頂点を極め続けているタイガー・ウッズは、まさにグリーン・ベレー教育の賜物と言える存在だとのことです。

 通常であれば、やはり相手の失敗を祈るのが普通でありましょう。しかし、ウッズの自意識は、相手の失敗を願うような自分を許さないです。
「世界最高のゴルファー」である自分にふさわしいライバルであれば、この程度のパットは決めて当然だー。このように考えるのです。
 相手が成功してくれないと、自分のレベルが下がってしまいかねない。「外れろ」と願うのは、「外れてくれないと自分は勝てないかもしれない」と考えることですから、自分の「高い自己評価」が下がってしまうのです。ウッズにとってそれは、相手と同じか、むしろ相手より下に自分を置くことにほかなりません。

 だからウッズは「入れ」と本気で願ったのでした。彼にとっては、そのように高いレベルで勝負を繰り広げる自分こそが「快適な状態」になっているのです。敵が弱いとかえってやる気を失います。実力が伯仲すればするほど、闘争心をかき立てられ、「より高いステージに到達できる」とウッズは心から嬉しくなるというのです。

 大体このような意味のことが書かれています。この本の主題は別の所にあるのですが、日時計主義を研究していると、ついこのようなエピソードに目がいきます。島根の皆様、ウッズの考え方は如何でしたでしょうか。私たちは常に神想観をして高邁なる自己を自覚し、生きなければなりません。要するにタイガー・ウッズさんの上を行く考え方を持つ必要でありましょう。空高く 大社詣りに はしゃぐ声

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
  2009年10月12日のブログは、「グーグルのブック検索 (2)」です。著作権の問題や世界中の書籍を電子書籍によって読むことが出来るようになることに対しての諸問題について提示しておられます。また、セルゲイ・ブリン氏の論説に対する疑問も提示しておられます。拝読下さい。
  http://biography.sophia-it.com/content/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%B3

*今日は午前中から生命学園(出雲・松江合同)で出雲大社参拝と稲佐の花でも清掃ボランティアに行きました。帰ると、相愛会の壮年層の勉強会やら打ち合わせ会議やらであれやこれやとやっている内に一日が終わってしまいました。稲佐の浜は初めて参りました。秋風に 種残し咲く 月見草。

 中内 英生

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October.16.2009「継続は力なり」

Photo_2 October.16.2009「継続は力なり」
今日の詩::石見の海(ミ) 夕陽うるわし はや暮れて
*今日は暗くなるのが早くなりました。夕陽が落ちるのが早いのです。昨日は、松江から出雲に向かって走っていますと、道の真ん中に大きな夕陽が沈む珍しい光景を目にしました。「道の果て 夕陽沈むや 秋の暮れ」。

http://www.kawaguchiko.ne.jp/~snifuji/

 「継続は力なり」の言葉が大好きです。二十歳代の後半でしたか、河口湖練成道場に遊びに行ったことがあります。道場の職員さんが言いました。「K本部講師(現在の宇治別格本山総務)は、黙って一年間行じてみてその後道場員に指示するのでついて行かざるを得ない」と。当時は、K本部講師は、浅間神社というところに早朝に起きて神想観に行っておられました。私も一度行ってみましたが、寒さで凍えるほどでした。しかし、その厳しい「行」は続けられたのでした。私はその時、「継続は力なり」といつも講話で言っておられるK本部講師はご自分のご生活を語っているのだと知りました。まずは一年間、行ずることが必要でありましょう。

 江津の先祖供養祭が昨年11月に始まりました。今日で一年間、続けたことになります。参加者は喜びが湧いて来たようです。継続は力なり、です。今後きっと何か善いことがおこってくるに違いありません。というよりも一年間続けられたと云うことそのことが、まずは善いことが起こったと云うべきでありましょう。

 今夜は青年会の会員学習会がありました。「龍宮住吉本宮建立の意義」についての発表がありました。とても立派なご発表でしたので、明日、レポートをご紹介したいと思います。今日はここまでです。

 中内 英生

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October.15.2009「『新版栄える生活365章』に学ぶ②」

Photo_2 October.15.2009「『新版栄える生活365章』に学ぶ②」→「繁栄ブログ」へ
今日の詩::紅茶飲み 秋の気配の 窓の色
*今日は、足立美術館へ行ってきました。

 今日は、3頁から4頁までの「今、あなたは地上に平和を打ち建てる主導者である」の所です。拝読する前に質問を出させていただきます。

問い①世界平和はこれから実現するのですか?
問い②何故、祈っても世界平和が実現しなかったのですか?

 これらの質問は、島根の皆様にとりましてはそれほど難しくはないでしょう。
先ず、問い①ですが、4行目です。「世界の平和は既にあるのである。聖書に示されたる”みこころの天に成る世界”は既にあるのである」というところです。既に実現しているというのは、神様の世界、実相世界に於いてです。しかし、現象的に実現するための大前提として、2行目には、「あなたの心に平和が打ち建てられてこそ地上に平和が現れるのである」と書かれていますので、私たちの心・念の世界が平和にならなければならないでしょう。それに、特筆すべきは、生長の家が国際平和信仰運動として、世界平和を明確に目標にしていることが実現を早めると考えられます。

 問い②ですが、4頁の2行目です。「祈ることは、祈る内容を映写機にかけて映写する方法ではある。しかし心のレンズが合わなかったら、画面がぼけてしまってハッキリと実現しないのである」とご教示されております。
 すなはち、神想観をするにしてもハッキリと心で描くことが必要でしょう。また、『日時計日記』を毎日つけて、明るいことだけを心に描くことが神様の世界に既にあるところの世界平和の世界に心の波長を合わせることになり、現象化すると考えられます。

 「祈り合いの神想観」で祈ると実現しやすくなると言うのは、①愛に満ちた祈りとなる。②宣言の力、③明確に祈る、などの点がポイントでありましょう。その中に③があることが大切であります。繁栄につきましても、同様に、繁栄をハッキリと心に描くことが大前提となりましょう。 どうぞ、拝読下さい。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
 
 2009年10月11日のブログは、「グーグルのブック検索」です。グーグルに関する本を一冊読んだことがありますが、コンセプトはすごいです。しかし、それが著作権の侵害や
絶版本や再版未定本が手軽に読めるようになるかも知れませんので、問題があるようです。このことは非常に便利ですが本の著作者にとってはショッキングなできごととなるとしておられます。やろうと思えば盗作も簡単に可能になるかもしれない。
地図の検索でも個人情報がもれるということで問題でしたが、それに類することが今後も起こるかも知れないようです。

*今日一日、ご先祖様の御守り、神様のお守りに心から感謝いたします。
 
 中内 英生

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October.15.2009「ゴーギャンと野生②(終)」

Photo October.15.2009「ゴーギャンと野生②(終)」
今日の詩::朝寒し 羽織りて祈る わが家かな
*少し寒くなって参りました。祈りと愛行の季節到来です。

 続きです。ゴーギャンについて考えてみたいと思います。
写真家浅井慎平さんは時代の流れに流されて生きる人々の群像を撮りました。「我々は何者か?」というゴーギャンの問いかけと同じ視点であったろうと思います。2009年の日本の姿です。しかし、流されて生きる人もいれば、その流れを変えようとする人もいる筈です。

 ゴーギャンは1901年タヒチからヒヴァオア島に移り住みます。ここには野生が残っていたからです。そして最後の2年間を暮らします。絵を描く一方、マオリの人々を支配しようとするヨーロッパ人の行政や教会と戦っていました。
彼は、滞在記に次のように記録しているそうです。マオリ族の神話に心を引かれたのです。

 月の女神ヒナが地球の神テファトウに言った。「人間の死んだ時、また甦らせて下さい」と。地球の神は月の女神に答えた。「嫌だ。俺は決して甦えらせてはやらない。人間も死ぬ。植物もそれを喰って生きているものと同様に死んでいくのだ。地球も死んでその終わりが来るであろう。それは、もう永遠に甦ってくることはないだろう」と。
http://www.alohanavi.com/html/modules/xfsection/article.php?articleid=90

 神話はその民族の潜在意識が物語化されたようなものではなかろうか。「蘇り」を否定すると、ヨーロッパ人に支配されて甦ることのない民族の運命が予見できるとも考えられるから気をつける必要がある。日本の神話は、死んでも蘇り、どこまで行っても生き続ける内容になっている。このような神話を持つ民族はそれなりの民族の運命を辿ることになるのだろう。何故ならば、言葉は神であり、創造力があるからだ。

 1903年5月8日、ゴーギャンは54歳の生涯を閉じました。現代から考えてみると、随分と若くして亡くなったと思わざるを得ません。故郷に残してきた家族のこと、若き日の思い出など、色々と考えながらでありましょう。
 ゴーギャンの墓の側に、ゴーギャン自作の女性の「像」が置かれています。そこには、「オヴィリ」=「野生」と書かれています。文明から逃れて野生を求めてやって来たゴーギャン自身の姿かも知れないとナレーター氏は語っていました。

 ヘイリーさんという21歳の女性歌手がいるようです。声がとても奇麗です。彼女が歌詞を作り、ゴーギャンの歌を歌ってもらいました。前回のブログにアクセスできるポイントを描いており来ましたのでお聞き下さい。題名は、「時の翼にのって」です。作曲は、牟岐礼さんです。次に歌詞の一部を載せます。ゴーギャンの気持ちが伝わってきます。
『海 朝日 心の底から愛してる 喜びに満ちた太陽よ 黄金の光線 なげかけて 見えるもの すべてに 手をさしのべる
時の翼に乗って 心に導かれるままに 自由に飛ぼう 永久に飛ぼう 私の夢を帆に乗せて 私の愛を帆に乗せて 星だけを道しるべにして 海 朝日』

 自然と野生を愛したゴーギャンが甦ってくるようです。国立近代美術館で実際の絵をご覧になったかたはおられますか?

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
 2009年10月 9日のブログは、「紙を使わない出版 (3)」です。
電子ブックに関してのことです。ソニーから出ていることは知っていますが、まだ購入してはいません。それも私が読む本はほとんど生長の家の本関係が多いので、現在は生長の家書籍は電子ブック化していませんので今のところ必要がないからです。しかし、時代は変わろうとしていると書かれています。
 先生は、ヘラルドトリビューンを毎日読んでおられるし、英語の雑誌や書籍を読んでおられるので、キンドルという電子ブックは普通の単行本1500冊分に相当すると書かれています。電子ブックの特徴は、従来型の送本や配本の必要がなくなるようです。
 昨日の宇治での会議でも発言があったが、そうすることにより会員同士の密接なコミュニケーションや運動組織内部の情報伝達ルートが失われる可能性があるということもご指摘になったおられます。そうならないための準備を今からする必要があるとご教示されております。青年会の若い信徒さんや100歳を越えても頑張ろうと考えておられる超信仰者(自作の言葉)の皆様はご準備下さい。私もこのキンドル購入は検討したいと思います。
http://www.masanobutaniguchi.com/
http://global.nytimes.com/?iht
http://newtou.info/entry/713/

*日経新聞(2009/10/15)のコラム欄「春秋」で介護に疲れた家庭が崩壊したことに関しての感想が書かれていた。先日、「介護」シリーズでブログを書かせていただいたが、現代に於いては、この問題で苦しんでおられる人々が少なからずいらっしゃるようである。是非とも「人間神の子」の御教えを伝えていただきたいと願っている。

 中内 英生

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October.15.2009「ゴーギャンと野生①」

Photo_2 October.15.2009「ゴーギャンと野生①」
今日の詩::海山は 人変われども そのままに     

 ゴーギャンの絵には不思議な安らぎがあるという。2009年、東京竹橋の国立近代美術館ではゴーギャンの絵が飾られた。大作である。2009/9/28のNHK番組「楽園の絵がやって来た」ではゴーギャンが伝えるメッセージが聞こえてくるようだった。生き方はともかくとして、少なからず自然を愛したゴーギャンの心が理解出来そうな気がする。100年前に描かれた歴史的大作であるらしい。しかも非常にシンプルなものを感じさせる。この絵とメッセージの「我々はどこから来たのか?我々は何者か?我々はどこへ行くのか?」は、絵に描き込まれているが、NHK番組で何十回となく聞いたコトバである。
http://www.gauguin2009.jp/
http://www.nagoya-boston.or.jp/gauguin/index.html

 このゴーギャンの絵の世界をポリネシアのマオリ族の血を引くヘイリーさんという女性に歌ってもらう内容もあった。美しい歌声だ。
http://listen.jp/store/preview.aspx?pid=00028947821526&fn=00028947821526_1_01&tm=1255532917349
 マオリ族は船で島から島へと渡りながら生活する。キリスト教が入ってくるまでは島での神を信仰して自然な生活を営んでいたらしい。キリスト教は他の宗教の存在を認めないのでマオリの神々はどうなったのであろうか。

 有名な写真家浅井慎平さんが登場していた。何度もタヒチに行っているという。南の島へ移り住み、なにゆえにゴーギャンは文明を捨てたのか。その絵は、死を直前にして描き上げたものだという。絵には謎めいたタイトルが左上に書かれている。「我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへ行くのか。」
http://www.tahiti-tourisme.jp/islands/society/tahiti.html
http://yoshiokan.5.pro.tok2.com/new/mao.html

 生長の家の信徒である私たちは、その答えはすでに教えられている。しかし、ゴーギャンにとっては知りたくても知り得なかった命題なのではなかったか?。人間であれば誰でも避けては通れない命題である。
http://www.sankeipro.co.jp/SimpeiAsai.html

 ゴーギャンは画家になる前は、株の仲買人であった。そして成功した。彼の給与は、給与明細が残っており、3,000フランだったという。当時の平均収入の6倍の収入であった。従って、裕福な暮らしをしていた。25歳で結婚する。デンマークのメット・ガットという女性と5人の子供を持った。その後、経済恐慌となり株価が暴落した。ゴーギャンは株の仲買人を辞めた。1885年に「画架の前の自画像」という絵を描いている。仕事を辞めて妻の実家に身を寄せていた時の絵らしい。趣味だった日曜画家からプロの画家になろうとした。しかし、家族が猛反対をする。その後、ゴーギャンは家族を捨ててまで南の島タヒチに野生を求めて旅に出る。その強い思いが生じたのであった。

 写真家浅井慎平さんも同じような日本の高度成長時代を生きてきた。しかし、ある時からゴーギャンの問いかけが心に響いて来たという。浅井さんはパノラマカメラで通行人の写真を撮り作品を出している。浅井氏は言う。「いつの頃からか、我々は何者かという問いかけをしなくなったのではないか?」と。これは大変怖いことだ。時代に流されてしまい、自分が自分でなくなってしまったようだ。
(つづく)

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】

  2009年10月 8日のブログは、「エコカーへの転換を急ごう」です。各社のエコカーの情報を詳しくお書きになっておられます。最後に、国内の自動車メーカーがこぞって「燃費重視」の新型車を開発していることは、温暖化抑制が人類的合意になったことの表れであり、さらに、政権交替した日本政府が「1990年比25%削減」という大きな目標を掲げたことで、「待ったなし!」の認識が生まれつつあることが大きいとし、我々もユーザーとして大いに協力したいとのお言葉で締めくくっておられます。
 島根教化部は、プリウスが一台在り、また軽自動車は停車するとエンジンが切れるのを使用している。信徒の皆様にも大いにエコカー転換に協力していただくように働きかけたいと思います。

*今日も一日、神様の御心のままに、人類光明化運動・国際平和信仰運動のために私を自由にお使い下さい。

 中内 英生

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October.14.2009「『日時計主義とは何か?』に学ぶ④」

Photo_4 October.14.2009「『日時計主義とは何か?』に学ぶ④」
今日の詩::都路の 生八つ橋は 夢の味
*帰りに家族に「生八つ橋」をお土産に買いました。(京へ来て 生八つ橋は 夢の味)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E3%83%84%E6%A9%8B

 今日の学習は、「悪を放置するのか?」21頁3行目から30頁の10行目までです。先ずは、質問です。
①生長の家は悪を放置するのか?
②悪はどこにあるか?
③「悪は人の心の中にある」とは、どういう意味か? 
④悪事をはたらいた人を死刑に処せば悪はなくなるか?
*ご著書を拝読しない限り、なかなか難しい問題です。ご自分で答えを出してから、ご著書をお読み下さい。何倍も御教えが心に染みこんで参ります。
 
【答え】

①の答えは、22頁の8行目です。
『生長の家では、「悪を放置する」のではなく、「本来非存在」である悪を本来の無に帰するために「善を行う」ことに力を入れる、』ということです。
  この答えの詳しい考え方は、30頁の4行目です。ここに至って、先生は「悪本来無し」の教義の神髄を説き尽くしておられます。

 『私は、「悪という実体」はないと言っているのだ。実体のないものは、放置するもしないもないのである。そこにあるのは「悪」ではなくて、私たちがある事件や人物に対して、心の”物差し”を当てた時に「負の値」を示したーという「状態」があるだけである。この”物差し”の当て方を変えたならば、同じ「状態」であっても、負の値を示さない(つまり、悪いと思わない)かもしれないのである。こうして、「心によって悪が消える」という魔法のような可能性が生まれてくる』とご教示されております。それは単なる「状態」であるとのことです。「悪には実体がない」とは何という幸運なことでありましょうか。もし、自分が悪を冒してその結果としての悪はどうなのかと言うことになりますが、悪が本来ナイのなれば、その結果は、「罪本来無し」となります。「罪本来無し」と心底信ずることが出来たとき、その奥に神の生命のみが実在すると知ったとき、罪そのものが消えることになります。そして自己処罰の観念が消滅して、一切の悪現象の流転からはじき出されるのです。

②の答えですが、25頁の4行目からです。おそらくこれが答えです。
『私たちが普通に「善」とか「悪」と言う場合、それは、ある「状態」に対する評価である場合がほとんどなのである』と。
 「悪」とは単なる状態であり、実体ではないということです。前頁に書かれていますが、生長の家は、戦争という実体の存在を認めません。戦争というものは、一定の空間上の容積や質量をもった物質的存在ではない。戦争は実体ではなく状態である。戦艦やミサイルなどは平和時にも存在する。それが使われる場合の、ある特殊な状態を戦争というのです。
  聖戦という言葉がありますが、神は戦争を創り給わないので、聖なる戦争がある筈がありません。神示によりますと、戦争とは、「迷いと迷いとが相打って自壊する姿」であります。

③の答えは、26頁の8行目です。
『私が「人の心の中にある」というのは、「悪を悪として感じる原因は、人間の心の中にある」という意味である』とご教示されております。
 心とは、「善悪を測る物差し」です。この物差しは、各人によって違うことが多いのです。
 単純に、コップの水が半分入っているとき、ある人は「半分しか入っていない」と不平を言い、ある人は、「半分も入っている」と感謝する。しかも、喉が渇いているときと乾いていないときとは随分と反応が違うともあります。

④の答えは、30頁の1行目です。
『私は、A氏の肉体は消えても「悪」はなくなるとは思えない。また、別の条件下で、”物差し”が一部狂ったX氏やY氏が現われて、悪事をはたらくことになるだろう』と書かれております。A氏は悪の実体ではないからです。

 島根の皆様、今日の問題と回答は如何でしたでしょうか。生長の家の根本的な教義が『日時計主義とは何か?』に説かれております。ご著書は常に拝読いたしましょう。そして実践する人にして初めて総裁先生の御心すなはち神意を理解するに至るでありましょう。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
2009年10月 6日のブログは、「絵封筒、どうもありがとう!」です。ある教区の教化部長さんからの絵封筒をご紹介しておられます。他にも信徒さんからの絵封筒をご紹介しておられます。島根のある信徒さんから「部長からの絵封筒ですか?」と聞かれましたが、私ではありません。残念ながらそんなに上手ではありません。
 継続は力です。ゴッホは毎日一枚の絵を描いていたようです。松山にいた正岡子規も毎日ものすごい俳句を作り続けました。「量は質を作る」という、私が若いときに読んだ立花隆さんの言葉が大好きです。島根の皆様、一月の「絵手紙・絵封筒展」に向けて大いに描きましょう。
http://masanobutaniguchi.com/

*今日で、宇治での会議が終わった。色々と学ばせていただくことができた。大変、有難いことです。京都の建物を見ると、色々と変化に富んでいることに気がついた。これはおそらく古都なので建設する建物の大きさに制約があり、そのためにデザインにお金をかけているのではなかろうかと思う。これは私見である。

 中内 英生

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October.13.2009「『日時計主義とは何か?』に学ぶ③」

Photo October.13.2009「『日時計主義とは何か?』に学ぶ③」
今日の詩::ビルが建つ みやこ宿場の 今むかし 
*今日は、会議のために宇治別格本山に来ている。京都駅を通過したが、駅前には大きなビルが建ち並んでいる。総裁先生がこのビルについてブログにお書きになっておられたことを思い出した。何と言おうか。都会的というか、古く歴史のある京都の雰囲気とは少し違うようではある。

 今日は、17頁の4行目から21頁の2行目までです。「2,日時計主義の生き方。」について学びます。

問い①…日時計主義とはどのような生き方ですか?
問い②…日時計主義の生活についての総裁先生の御表現のお言葉はどのようになっていますか?
問い③…悪とは如何なるものですか?
問い④…どうすれば「感動」できるようになりまか?

 一応、これまでにいたしましょう。このようにあらためて「問い」を発しますと、「?????」となります。そして改めて御文章を拝読しますと、よく頭に入るということでありましょう。

①の答えは、18頁の2行目からの御文章を頂きます。
『自分はこの標語を『日時計主義』だと云っている。そして『生長の家』では出来るだけ、輝く喜びの時刻だけを記憶し、語り、思い出す。喜びに言語の再現力、言葉の創造力を応用するのである。』
 言葉で表現すると成る程、を解ります。御文章で確認することが大切でありましょう。悪を語って治そうとするよりも、善を語って賛嘆する方が実際的な効果が上がるのはご存じの通りです。

②の答えは、19頁の2行目からです。
『生長の家では、神が創造された「本当の世界」(実相)は善一元であって「悪はない」と考えるのである。また、我々人間が肉体を使って生きる世界は、心によって一時的につくられる仮構(ニセモノ)の世界であると考える。それは、各自が一種の”心のレンズ”を透して見る世界だから、心で悪を認めれば認めるほど、”心のレンズ”は曇り、本来ある神の創造(実相)が見えなくなる、と説いている。そのような、神への無限大の信頼と信仰にもとづいた生き方をすることが、「日時計主義の生活」である。』。以上です。
 不完全な悪や病気や不幸は、私たちが目を覚まして見る「夢」です。それに対して眠ってみる「夢」もあります。夢チャンネルに合わせているといつまでも夢の続きをします。そうればよいか?それはただ、目を覚ますだけでよいのです。「ああ、なかったのだ。神様が作らない不幸も、病気も災難もなかったのだ」と目を覚ますことです。その為には、聖典を読誦しましょう。神想観をしましょう。感謝をしましょう。隣人に神の愛を捧げましょう。

③の答えですが、20頁の1行目からです。
『私たちが「悪」と称するものの多くは、心の持ち方や条件しだいで「悪でなくなる」ことを示す。これによって、「悪」とは強固で永続的な実体ではなく、人間の心や諸条件で変化する”心の産物”であることを、読者に伝えようと思う。』とご教示されております。
 雨が降ったら、笠屋をしている長男が喜ぶ。晴れたら屋根葺きを仕事にしている二男が喜ぶ。このようにある母親はどんな天気でも喜んだといいます。良きことだけを見つけて感謝しましょう。

④の答えですが、20頁の9行目からです。
『だから、私たちが心の持ち方を変えればー例えば、現実を自分中心の”意味”として解釈するのではなく、あるがままに”感覚”する態度に変わるだけでもー目の前の”現実”は変貌し、感動すべきものが多く発見されることを示したい。』とご教示されております。
 今日一日、あなたは何に感動されましたか。何を感じましたか?感動することが人生では大切であると、総裁先生からお教えいただいております。国木田独歩は、『私はびっくりしたいのです』とまで云っております。感動しましょう。「神様、私をして神のみわざの素晴らしさに感動させてください」、と祈りましょう。神様はあなたに素晴らしい感受性、真善美に対する感動力をお与えになられるに違いありません。

http://www.kojobunko.net/21back/index1-14.html

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
 2009年10月 4日のブログは、「小樽、火点し頃」です。私も小樽の町を散歩したことがありますが、場所によっては異国情緒が漂っています。先生は講習会にお出でになっておられます。そして、小樽の町の写真を掲載しておられます。そして講習会の和やかな雰囲気を書いておられます。拝読下さい。

*今日は会議出席のために宇治に参らせていただいております。教化部では練成会の最終日でした。申し訳なかったのですが、後をお任せしました。宇治では、島根の信徒の皆様のご先祖様を礼拝させていただきました。合掌。

  中内 英生 

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October.12.2009「柔道家 嘉納治五郎」

October.12.2009「柔道家 嘉納治五郎」
今日の詩::灯火つけ 急ぐ家路へ 自転車で

  流れ落つ 星くず集め 天の川

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 今日は苦手は得意となるという話です。嘉納治五郎に関しては有名な人だから島根の皆様はご存じでありましょう。歴史ヒストリア(2009/10/7)で放映されていた。治五郎は158㎝で小柄な体だ。彼は熱血教師であり、柔道家であり、国際人であったという。
 しかし、最初はひ弱なインテリ青年であった。東京大学に通っていた線の細い人物だったらしい。現在も彼が使用したぼろぼろの稽古着が残っている。明治8年開成学校(後の東京大学)に通い始める。成績は究めて優秀だった。しかし、彼にも悩みがあった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E7%B4%8D%E6%B2%BB%E4%BA%94%E9%83%8E

 小柄で虚弱な体質だった治五郎はその成績を妬む生徒からいじめられる対象となっていた。彼は言う。
『学科の上では他人に後れを取るようなことはなかったけれど、当時、少年の間では強い者(腕力?)が跋扈して、常にその下風に立たねばならない勢いであった』と。『柔道家としての私の生涯』という著書に書いているらしい。しかし、治五郎は負けず嫌いだった。

 17歳の夏、変化が起こった。骨接ぎを生業にする人は柔術の心得があると聞いた。柔術とは、平安時代に起こった武術のことである。制剛流の組打形などというのがあったらしい。これは相手と組んで戦うものだ。急所を狙うことで相手の息の根を止める柔術を習うことで治五郎は強くなることを目指した。
 入門した治五郎は戸惑ってしまった。師匠は、基本から教えるのではなくいきなり乱取りばかりだった。当然投げられるのみだった。師匠に術のかけ方を尋ねてもただこう言うだけだった。
『柔術は習うのもではない。投げ飛ばされて体で覚えるものだ』と。
そうは言っても、傷だらけにはなるし、そんな非合理で気の遠くなるような上達方法は、インテリには納得がいかなかった。

 そこで彼は力学的な研究を始めるのです。柔術を理論的に分析し、技のシステムを解明していきました。師匠が技をかけるとき、重心をどこに置き、どういう体を使っているかを、模型の人形を使って運動力学的に探求していったのです。治五郎が使っていた柔道人形という模型が今も残されているそうです。
 治五郎は人形師に頼み、人間と同じように関節の曲がる模型を特別に作らせたのでした。『整骨新書』の各骨真形図というような書物からのアプローチも行いました。一つ一つの柔術の技が、肉体に与える影響を研究し、かつ整骨の解説書も研究したという。
 相撲など様々な競技の研究も行った。広い視野と旺盛な知識欲を持った治五郎は、日本にまだ伝わっていなかったレスリングまで研究している。治五郎は裸足で石の上を歩く修行もした。理屈ばかりのインテリ青年ではなかったようだ。そして、とうとう、「柔道」完成させたのでした。そしてオリンピック種目に柔道が入るのに大いに貢献したのでした。 
 私は決して島根の信徒さんに柔道を宣伝しているわけではありません。マイナスは努力によって大いなる得意種目となるということをお知らせしたのです。何事も同じです。
http://veohdownload.blog37.fc2.com/blog-entry-3039.html

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
    2009年10月 3日のブログは、「五輪のブラジル開催を祝福する」です。
先生は、「東京での五輪開催に何回も反対」しておられたことが書かれています。
「21世紀には、重厚長大で1点集中型のスポーツイベントは本当は不要」としておられます。それは当然、二酸化炭素排出と自然破壊に通じるからです。従って、リオデジャネイロの五輪も、アマゾンやセラードなどの貴重な生態系と資源を破壊しないで五輪開催ができれば、21世紀以降に人類は希望を見いだせるとしておられます。その新しい視点で、リオ五輪の決定を祝福しておられます。原文を拝読下さい。
http://masanobutaniguchi.com/

*練成会第二日目は、夜に祈り合いの神想観を担当させていただいた。無我のパイプの中を神様の愛が通過するのが快い。純粋に神の愛を行ずる祈り合いの神想観で私は浄められる。明日は、早朝から宇治へ会議に参らせていただきます。
 動画は10月生まれの人の練成会でのお誕生会です。

 中内 英生

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October.11.2009「心の表現として体を見る①」

Img597 October.11.2009「心の表現として体を見る①」
今日の詩::星空の 自転車に夜風 身に染みて

 『心で作る世界』を再読している。今日は、練成会で「健康」についての講話を担当させていただいた。「心の表現としての体を見る」という第五章は今日のテーマにはもってこいだった。
 先日は嬉しい報告があった。癌にかかっていた人に数ヶ月前に指導させていただいたが、色々と心的施術を受けていただいた。心の使い方が上手になっていったようだった。毎月、練成会を受けるように勧めておいたが、素直に毎月受講しておられた。「このまま行けば治るのではなかろうか」と思った。しかし、病院での手術も受けたという。そして、医者が驚いてしまった。悪性のものがこの数ヶ月で良性に変化していたのだった。そのまま放置しておいても治っていただろう。しかし、施術したからこそ、良性に変化したことを実証できたのだった。

 さて、191頁から192頁には、潜在意識について説かれている。また、「吾々の心と外界との境界とはどこにあるのだろうか?」と問いを読者に投げかけておられる。結論としては、「現象世界が心の影であるならば、吾々の肉体もその現象世界に存在しているのだから、当然心の影であるとの結論が導き出される」とのことである。
 従って、この章では肉体は心の影であるとして、論理を展開されるのである。
今日はここまでにさせていただきます。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
2009年10月 1日のブログは、「山のキノコと対面」です。休日を利用して、奥様と山荘においでになられたことが書かれております。先生の御写真とキノコの絵などが掲載されております。

*今日は練成会が始まった。久しぶりに浄心行を担当させていただいたので、いつもより大変忙しかった。沢山の人々が神様が導かれる浄心行によって浄められるということは有難いことである。

 中内 英生 

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October.10.2009「オカメインコ」

Img595 October.10.2009「オカメインコ」
今日の詩::陽光は こぼれては落ちむ  秋の葉に

 今日は、松江市のある誌友会場に行かせていただいた。陽光うららかな日、実に素晴らしい天気だ。玄関に入るとオカメインコがいた。鳥は人間とは違うのだが、生命に於いては一体である。同じであっても生命の多様性において違うことがまた素晴らしい。『光の泉』(2009/10月号)P27には、次のように谷口雅春先生の御文章がある。

 『聖フランシスは、そう云う風な立場にいた人だと思われます。ある時『兄弟なる火よ、どうぞ私を焼いてくれるな』などと云って火に呼び掛けています。迷信くさいようだけれども、火だってコップだって兄弟なる生命であってみな神の子なのです。それが解らないものは『山川、草木、国土、悉皆成仏』の釈迦の悟りが解らないです。是が解れば天地万物すべてのものにおのずから感謝出来る気持になり、『ああ、コップよ、お前がいて呉れるので、俺は水が飲めるのだ。有難い』と云うような調和に総てのものに呼びかけて感謝される様になるのであります。総てのものを聖なる『生命』の世界と観じて拝んで生きていくのが生長の家家族の生き方であります。』 

  生命の世界於いて一体であるということはどんなことがあっても神様の世界から外れることがないと云うことであり、誠に有難いことであります。
 私が高校生の頃のことですが、高知県の四万十市(旧中村市)に住んでいたのですが、宿毛市の港にセメント運びのアルバイトに行っていたことがあります。ある時、宿毛市で大火がありまして、運転手の人が焼け跡を見に行こうということになりました。行ってみると、道路の側に一軒だけ二階建ての家が残っているのです。不思議な光景でした。数年経って、この家の住人が地方講師の方でありまして、私の母がその体験談をお聞きしたそうです。火が近づいて来たときに、御主人は二階で神想観を実修し、「神様の世界には火事はない」という神想観をしていたそうです。奥様は、ふと『昨日まで、ご飯を炊いたり、お風呂を沸かせたりしてお世話になっていた。それを火に対して嫌うとは何と言うことだろうか。間違っていた。済みません。火よ、有り難う!』という気持になりました。すると、それまで自分の家を目指して進んでいた火の風向きが急に方向を変えて去ってしまいました。そこで一軒だけ焼け残っていたのだそうです。火と人間のいのちが一つであるという自覚が出来まして、「一切の生物処を得て争うものなく、相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし」という聖経『甘露の法雨』の「神」の項目の世界が現出したと考えられます。「その感謝の念のうちにこそ…」という神様のお言葉がしみじみと思い出されます。神様は、ご先祖様は目に見えないところで私たちを護ってくださっています。日経新聞(2009/10/9)によると、「土星を包む巨大な輪」として土星から600万から1200万㌔の先に広がっているそうです。可視光望遠鏡で見るのは難しいとのことです。見えなくても土星を包んでいるように、見えなくても私たちは守られているようです。しかも、感謝したときに、守られていることが目に見える形で実現するようです。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
 2009年9月30日のブログは、「「生命は不死」は危険な教え? (2)」です。
脳機能学者・認知心理学者である苫米地英人氏の本(『テレビは見てはいけない』)に書かれている「来世存在」に対する考え方をご紹介と共に、疑問を呈しておられます。また、苫米地氏の「qualification」について論じておられます。拝読下さい。

*午前中は曇っていたが、午後は晴れてきた。秋の陽光の有り難さが身に滲む。松江の大庭という場所での誌友会だった。会場責任者は実に誠実な人である。写メール俳句を行うと言っておられた。ご夫婦で早朝行事を行っておられるという。お仏壇をお参りしたとき、深甚のなる聖経の真理の雰囲気がしたのも不思議ではない、と思った。

 中内 英生

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October.10.2009「『新版栄える生活365章』に学ぶ①」

Img593 October.10.2009「『新版栄える生活365章』に学ぶ①」
今日の詩::花に触れ 癒しの郷で 一休み

 今日は、谷口恵美子先生のお誕生日です。心から感謝申し上げます。おめでとうございます!

  島根の皆様、今日から、『新版栄える生活365章』の学習を致します。島根県民の皆様すべてが豊かにご生活できますように。豊かにかつ自然と共に歩むご生活をされますように心から祈りつつ、学習を開始いたします。まず、はしがきです。

問い1
 人類の方向転換はどの方向へ向けたらよいか?
問い2
 この書で提唱する生活法を谷口雅春先生は何と名付けておられますか?

 まず、「問い1」ですが、はしがきの2頁11行目からに書かれています。この聖典は、儲けるための本ではなく、宗教書というべき本であり、倫理的生活をすれば自ずから繁栄を身辺に引き寄せるということです。次のように説かれています。

『今まで、唯物論的に物質を先にもとめて幸福生活の安定や精神的安定を得ようと求めていたが、それでは恒久的な幸福生活の安定も、精神的安定も究極的には得られないと知れた今では、その求める順序を逆にして、唯物論的追求を先にするのをやめて、唯心論的に人類文化の進歩の方向を転換することが、個人の幸福生活の安定を得る方法でもあるし、同時に人類の平和の安定を得る確実な方法でもある筈である。』

 このようにご教示されおります。物資がない時代には物を先に求めざるを得なかったかも知れないが、それでは安定はなく安心立命もあり得ない。そこでまず、心を豊かに保ってその結果として豊かな生活を実現するという方法である。神想観を実修するのも、先祖供養を行うのも、心の世界を豊かにすることにあたる。神想観は己の心を豊かにし、先祖供養はご先祖の心を豊かにするに至ると考えられるからです。

 次は、「問い2」です。同じく「はしがき」3頁の6行目からです。
『謂わば吾々の提唱する生活法は、”実用的唯心論”ともいうべきものである。」とお示しいただいております。
 また、「実用にならない唯心論は、単なる観念論として排斥されても仕方がないが、各人が実行して直ちに実際生活に効果をあらわす方法である。それは宇宙の存在の大海を広義の心として観て、心の世界から自分の欲するものを発掘して繁栄でも健康でも平和でも思いのままに現実世界にあらわす方法である」としております。

 これらの真理は、ともかく実践が必要でありまして、どんな美味しい食事も食べない限りは栄養にならないのと同じです。
 今日はここまでに致します。お読みいただきまして感謝申し上げます。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう: 
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】

 2009年9月28日のブログは、「「生命は不死」は危険な教え?」です。福岡教区の講習会での質問へのお答えです。永遠の生命はイスラーム過激派のテロや戦争末期の特攻隊などの生命軽視の思想に結びつくことはないということを論理的にお説きになっておられます。なぜならば、イスラーム過激派は現世では勝てそうにない巨大な敵に対して、自己の無力感の故のテロであるし、特攻隊も日本が負けるかも知れないという悲壮感からの行動である。生長の家では、「現象は本来無し」と否定するのではあるが、真象を見出して共に感動を共有するとか、この世に地上天国を実現することが可能であるとして、国際平和信仰運動を展開している。それ故に、決して否定的になることはないし同様な考え方になることは決してない。
 また、「生命は不死」の立場から輪廻転生を説いて、善業を積むことをすすめることが出来るとしておられます。明確な論理の展開です。拝読下さい。

*今日も、「日時計日記」をつけることが出来ました。感謝いたします。

 中内 英生

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October.09.2009「しまね花の郷」

Img590_2 October.09.2009「しまね花の郷」
今日の詩::花の咲く 花の郷にて 花見せむ

 昨日は、子供と一緒に「しまね花の郷(さと)」という所に休日を利用して行った。「コスモスが咲いていますよ!」という信徒さんのお言葉があったからだ。行ってみて驚いた。素晴らしい公園だった。東京で時々、神代植物公園へ行ったがあそこほどの広大さはないもののよく整備された素晴らしい場所だった。自分の家の近くにこんなところがあったとは!宝物発見である。
http://www.shimane-hananosato.com/

 自然溢れる神話の故郷で、四季折々の花との触れあいをしてくださいとパンフレットにはある。春は牡丹、夏はヒマワリ、秋はコスモス、冬はシクラメン、その他、菊とかいろいろあるようだ。元来、植物の大好きな私にとっては秘密基地を見つけたような気持になった。動画も撮ったので見ていただきたい。「花に触れ、花と学び、花で感じる。癒しの郷出雲の花公園」とも書かれている。

 エントランス広場、本館、歩廊、花壇広場、花の小径、ガラス室、花の水辺、子供広場、模様花壇、花の丘、芝生広場、ハーブ園などがあるという。美しさに触れる、心豊かな時間を過ごすことができると思う。因みに入場料は大人200円、小中校生は100円である。また、四季折々の催し物があるという。もうすぐ菊の季節だ。

 驚いたのは、杉野宣雄さんの主催であるというネイチャー・プリントやレカンフラワーという形式が心を引いた。これはボタニックアートを提唱する杉野宣雄氏が開発したものであるらしい。花がいつまでも咲き続けるフレームアートで、麗しく乾かした花はまるで宝石のようであると。カレンとはフランス語で「宝石箱」の意味であるらしい。
興味のある方はホームページを開いてみてください。曽田好美さんといわれるインストラクターが指導しているとのことです。出雲在住の方です。10月10日の午前中に実習指導があるらしい。
http://hanatomidori228.blog60.fc2.com/

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】

 2009年9月26日のブログは、「キノコの神さま (3)」です。泰二氏の神頼みについて書かれています。7年前に山荘を造ったと書かれていますので、先生の山荘でのご生活が作品の構想の源泉になっているのかも知れません。理論がほとんどなく楽しく拝読できます。しかし、その中に深い真理を御表現されているようです。拝読下さい。

*昨日は息子と一緒に出雲中央図書館へ行ったが残念ながら休館日だった。それで出雲で一番大きな本屋さんへ行った。すると、『鏡の法則』という本が目に付いた。パラパラとめくってみると、両親への感謝、赦しのことなどが書かれていた。ふと思い出したが、宇治の練成会を受講して本を書いてベストセラーになったという人がいると聞いたことがあるが、確か同じ名前の本だったように思った。生長の家という名称を使わずに思想、哲学が伝わることも素晴らしいことでありましょう。しかし、私たちは「生長の家」を全面に出して運動する必要があります。何故ならば生長の家とは、「大宇宙」を現しており、御教えの全面をお伝えすることが大切であるからです。
 重要なことは生長の家の運動は、個人の救いのみならず、国際平和信仰運動によって「世界平和」を目的としていることです。

  中内 英生

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October.08.2009「『日時計主義とは何か?』に学ぶ②」

Img591 October.08.2009「『日時計主義とは何か?』に学ぶ②」
今日の詩::やすらかに 嵐の音を 聞き祈る
(「日時計主義とは何か?」P14~17)

 第二回目です。なかなか進まなくて申し訳ありませんが、継続して行いますので飽きずにお付き合いをお願いします。

問い
①生長の家で「日時計主義」といいう言葉が最初に使われたのは、どこですか?また、誰の言葉ですか?
②時代背景はどのようなものでしたか?

 ①から説明します。日時計主義という言葉を日頃、私たちはよく使用しているし、また毎日、『日時計日記』をつけています。しかし、いつからかとか誰が作ったか、などということは中々思い出さないのが現実のようです。
 例えば、電灯を毎日使用していますが、誰が最初に作ったかということや、両親が自分を生んでくれたことは知っていますがしみじみと感謝するということなどはほとんどないようです。毎朝の先祖供養の時に、『大調和の神示』を拝読してもです。練成会で両親への感謝を教えられて感謝誦行を集中的に行うことがあると思い出して感謝できるようであるのです。
  だからこそ、この言葉の起源を探り、ご教示下さった谷口雅春先生に感謝をさせていただきたいと思います。

②ですが、答えをP15に書かれているようには中々思い出せないのではないかと思います。総じて言えば、世界恐慌の頃であり、100年に一度と騒がれていた現代の状況と多少似ているかも知れません。違うと言えば大いに違います。当時と比べて個人的にも備蓄が多いようです。
  15頁の8行目には次のような内容が書かれています。
『1929年の10月24日には、ニューヨークのウォール街で起きた株価暴落がきっかけとなって、「世界大恐慌」に突入していった。谷口雅春先生が、この『生長の家』誌を出版しようと決意されたのは、ちょうどそのころです。』
 従って、日本が世界大戦への道を走り始めた頃であって、世の中は非常に暗くなりつつあった時のようです。しかし、日時計主義の御文章にはまったく暗い影がありません。これが私たちが教えられている日時計主義です。

回答
①P14の1行目に答えがあります。昭和5年(1930年)の3月1日を発行日とする『生長の家』誌創刊号の中です。谷口雅春先生が最初にお使いになりました。
②1929年の世界大恐慌の頃です。
 島根の皆様、今日の学習は如何でしたか。楽しかったでしょうか。私はこのような教義の学習が楽しくてたまらないのです。そして求めても会いがたき師と御教えに今生で巡り会うことができた己の幸運を魂の底から嬉しく思うのです。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
  2009年9月25日のブログは、「キノコの神さま (2)」です。泰二氏の信仰深化の物語とでもいうべきでしょうか。自然との共生が感じられます。石で作ったキノコの神様は私たちの心の中にもあるのかも知れません最後に、泰二氏の心の中の、科学者と夢・希望とが戦っている心象風景を御表現されております。

*昨夜は栄える会の情報交換会があった。会員数が昨年よりも増加してきていることを知って嬉しかった。それも、支部例会が盛んになってきたことが裏にあるのではなかろうか。
*今日は木曜日で休日です。先ほどまで台風の風が強かったのですが、おさまりました。風の音を聞きながら神想観をするのも大変嬉しいです。なぜかわくわくして子供に返ったような気分です。

 中内 英生

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October.07.2009「介護に光を見出す④(終)」

Img589 October.07.2009「介護に光を見出す④(終)」
今日の詩::バラの実が 嵐の前に 揺れ動く
*今夜は颱風一過の予定です。こんな秋色の美しいバラの実が成っているとは知りませんでした。お隣のIさんに教えていただきました。

 今日は、シリーズの四回目です。「健康と長寿」ブログに入れておきますのでご参考にしてください。

  まず、舅姑と嫁との人間関係(『新版女性の生き甲斐』P173~P177)についてです。谷口輝子先生のご指導と書かれております。
 東京にすんでおられるSさんの実話だそうです。谷口輝子先生はSさんに『そのお姑さんを煙たがって嫌だなあ嫌だなアと排斥する気持ちがあるんじゃありませんか』とお聞きになりました。……『その嫌がる気持ちがお姑さんに映って、人を嫌がらせる雰囲気をお姑さんが発散せられるんですよ。いわばあなたが、嫌がる雰囲気を出している、お母さんは観世音菩薩で、あなたを済度するために三十三身に身を変じて、あなたの雰囲気を身にあらわして、〃お前はこんな心の雰囲気をだしているよ〃と、ハッキリ判るように嫌な嫌な匂いを出していられるのですよ。お母さんは私の魂を救うために来て下さった観世音菩薩であると思って嫌な気持ちを起さずに、感謝して親切な心で愛しておあげなさいよ』とご指導されました。

 Sさんは、非常に感動して、私は本当に悪い嫁であった。お姑さん済みません……あの臭い匂いはお姑さんの匂いではございません。私の心の臭い臭い匂いでございました。このような念いで身体じゅうが懺悔の念で一杯になって……そしてSさんは自宅へ帰られました。そして、『お姑さん、唯今かえりました』とその部屋の襖をひらいてお辞儀をしましたが、今日はどういうものか、いつもの臭い臭い匂いがしないのです。それきり其の御母堂のくさいくさい体臭は消えてしまったのでした。
 これらの実話でわかることは、さきの話の舅の〃漏らす汚物〃といい、のちの話の姑から発散するたまらない〃体臭〃といい、いずれも、嫁の心を観世音菩薩が舅姑に於いて具象化せしめ給い、嫁の心を「悟り」に導きたまう大慈悲のあらわれで、嫁の心に舅姑を嫌がる心がなくなったとき、その不快現象は消えてしまったというのです。
 すなはち、自分の心が変われば、相手の心が変わったのでした。人間は本来一体であるのです。
「立ち向かう人の姿は鏡なりおのが心を写してや見ん」と、黒住教祖の説かれた真理が本当であるということの実例であります。
 この観世音菩薩様の理論こそ、私たちを感謝に導き生活に救いを成就させる秘訣であります。

 次は、『新版幸福生活への招待20章』(P246)からです。「神様の生命は宇宙に充ち満ちている」という内容です。
 神様の宇宙に遍満しているところの生命が吾々の内に宿って、そして個人の生命となってあらわれているのです。それは、肉体は別々だけれども、その肉体の底を流れているところの神の生命は、互いに一体でつながっているということなのです。
 この真理は、潜在意識の説明の中で、氷山という説明もありますが、海に浮かぶ島であるという見方もできます。その島は離ればなれになっているように見えますが、地球は繋がっていますので、底の方では繋がっているのです。そのように人間の奥底では神の生命に於いて一体であるのです。

  『新版幸福生活への招待20章』(P206)には、「業の悪循環を断ち切る」方法が書かれています。重要な一説です。その業の悪循環を断ち切る道が「感謝」なのであると説かれています。感謝の心は万事を好転させるのです。これが運命好転の秘訣です。

  『新版幸福生活への招待20章』(P197~199)には、「〃汝ら天地一切のものと和解せよ〃」との教えについて説かれております。 
 生長の家の教えの根本になっているのが実にこの神示です。「天地一切のものと和解する」。つまりすべてのものと仲良くなることが人間が健康になり幸福になる本なのです。本当の和解と言うものは「感謝」した時に、その和解が成立するのです。感謝によって、色々の功徳があらわれるのです。しかも、「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」と説かれております。
 島根の皆様、聖経『甘露の法雨』を出して見てください。「大調和の神示」の所です。「その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう」と示されております。そして、4頁には「神があらわるれば乃ち 善となり、義となり、慈悲となり、調和おのずから備わり、一切の生物処を得て争うものなく、相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし。」と示されております。つまり、あらゆる人生問題解決の鍵がここに示されていると言えるのです。

 また、『新版幸福生活への招待20章』(P284)には、「本当に魂の進歩が得られるのは、その憎くって堪らん人、腹が立つような相手にでも、その相手を恕して感謝をするという修行をすることによってであるとご教示されております。「神の子無限力」という言葉があります。この無限力は、学力の向上やスポーツなどで使いやすいですが、許し難い相手を赦すという意味でも使われるのです。いみじくも、キリストが、『汝の敵を愛せよ』言った如くです。

  また、『新版幸福生活への招待20章』(P207~208)には、「家族互いの精神葛藤に注意せよ」とあります。その内容は次の通りです。
 「すべて人と人とは、精神が感応してそれが形に現れて来るのです。誰かが家庭で病気をしているとするならば、その病人自身の心によって起こっていることもありますが、その家族の中の誰かの心が、そこに反映して病気が起こっていることもあるので、感謝の念に換えて家族互いの心が調和した状態に変わった時に病気は自然に消えるのです。
 その家の御主人が病んでいるときなどは、家族に対する無言の叱責である場合があるので、家族互いに反省して生活を整えるようにと、『『生命の實相』』にはご教示されております。

また、『新版幸福生活への招待20章』(P208~209)には、「信じて念ずる通りに顕れる」と示されています。大意は次の通りです。
 彼をよくしてやるのは説教ではなく、愛であるのです。どんなに不完全に見えようとも、その奥にある「善」なるものを見出して、それを尊び拝んでやることである、と示されています。。
 礼拝主義の生き方が大切です。「日時計主義を他人に及ぼした場合」です。これは『生命の實相』』第7巻に示されている生き方です。
他人の悪を心に記憶せず言葉にも表現しないで、相手の本質の神を拝むのです。
 日時計主義の生き方とは、現実的にはまだ「光明」が充分現れていなくても、現象の背後にある実相を信じて、それをコトバで認め、引き出すことで、地上に「光明」が現れる、とする生き方です。それは、「日時計日記」を書いて世の中の光明面をみる習慣をつけることで身について参ります。

 以上ですが、皆様、如何でしたでしょうか。何処まで行っても生長の家は現象と実相を峻別すること。愛を行ずることです。実相を拝み出すことです。
 このシリーズはこれで終わりです。資料をご提供くださいましたS地方講師に心から感謝申し上げます。

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 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
 2009年9月24日のブログは、「『産経新聞』は大丈夫か?」です。サンケイの記事や見出しの言葉に対してご批判をしておられます。
 私も産経を毎日見ていますが、同様の記事内容を覚えています。拝読下さい。

*今日は、午前中はISOの職員会議があった。夜は栄える会の情報交換会議だった。昨年度よりも約6名だが会員が着実に増加しているのが嬉しい。単なる勧誘によるものではなく、支部例会が盛んになりその結果としての会員の増加のようだ。このペースで伸びていただきたいと切に願うものである。島根に繁栄する栄える会会員が200名となれば島根県の経済界に少しずつ生長の家の御教えが浸透していくだろう。ともかく支部例会を重視しつつゆっくりと確実にだ。

 中内 英生

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October.06.2009「介護に光を見出す③」

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今日の詩::中心を 立てて見事に 成就せり
*今日のテーマからの俳句?です。季語がありません。

  今日は昨日の続きです。初めてお読みになる方は、①からお読みいただけると幸いです。
今日は、生長の家教職員会が「教育フォーラム」という行事を出雲市市民会館で行いましたが、素晴らしい行事でした。担当講師はT地方講師でしたが、参加者の皆様にとって子育てや姑との関係とか色々と学ぶことがたくさんあったようです。さて、テーマについて学習します。

 まず、昭和35年3月、講習会での体験談(静岡県浜松市米津町 鈴江静代さん)の紹介です。『新版幸福生活への招待20章』P199~P200・『新版女性の生き甲斐』P165~P173等をご参考にしてください。
 昭和35年というとかなり古いようですが、真理は不変です。従って宗教卵焼き論で考えると、黄身の部分です。
 彼女は、「舅を世話してあげよう」という気持を持っていました。そこで反省したのでした。
『〃可哀想だ、世話してやる〃という気持ちでは相手は反発を起こす。P199~P200』とあります。

「お父さんを見てやる」というような高ぶった気持ちがございましたもんですから、もう本当に良くゆく筈がなかったんでございます……」このように反省しておられます。
そこで彼女は、「観」を転換します。
 
『お父さんは〃徳〃を積ませに来てくれた』(P200)という気持です。彼女は言葉を続けます。
「毎日〃本当に本当に憎らしい憎らしいこの糞爺〃と思うような気持ちで、何時も暮らしておりましたが……その当時お父さんは大腸カタルでウンコも大変もらしておりまして、お酒は来た日から一日一升飲みました。食べる物といえば何を差上げても小言ばかり、
〃本当にこんなお爺さん死んでくれた方がいい〃といつもそう思っておった」というのです。

故小路金蔵講師の個人指導で彼女の魂は甦ります。
 小路講師は「あのお爺さんは貴女の所へ徳を持って来たんですよ。」と指導したのでした。
 「現象的には、やっぱり〃糞爺!〃という気持ちが去らないでおったんでございますけれども小路先生のその〃徳を与えに来た〃という言葉は〃神の声〃となって私の潜在意識に毎日響いておったんでございます」と考えたそうです。相手がいないと徳を積むことができません。そのキッカケをお爺さんは作ってくれたのです。

 203頁ですが、もう何でも「有難うございます、有難うございます」と感謝できるようになって来たのでした。最初は「言葉」で形式的に「有難うございます」と唱えていたのが、本当に「有難い」という気持ちになって来ました。言葉は心を変えるという法則(言葉の創化力)です。そしてこのお爺さんの穢い穢い汚れ物を洗濯している時にでも、もう「穢い」という気持ちはなくなってきました。最初は「憎い、憎い」と思っておったお爺さんが、段々本当に「可愛い」気持ちになって真実の愛情が湧いて来たのでした。本当の愛は、美醜を超えるのです。

 そうすると、お爺さんが初めて嬉しい顔をして、それを見ることが出来ました。(204~206頁)今までの親不孝を、お爺さんの前に手をついて、頭を下げてお詫びをした。そしたらその時お爺さんが「ニッコリと、その年老いた顔に微笑をたたえて、嬉しそうに笑われた。お爺さんがこの家へ来てから、初めてその笑顔を見た。そのうち大粒の涙がポタポタッと両方の目から流れ落ちて……
 その翌日の朝のこと、いつもは静代さんが、「お父さん、お早うございます」と言って、お爺さんに挨拶しようと思った途端に、お爺さんの方から先に、「お早うございます」と言ってニコニコと笑って挨拶してくれた。それからというものは、打って変わって孫を可愛がってくれるし、色々と家の手伝いもしてくれるようになって、お爺さんと家族とは本当に調和して、親子睦まじく幸福に暮らすことが出来るようになった。

  これは実話です。信仰生活というのは決して道場だけにあるのではなく、生長の家では「家庭が道場である」というのです。臨済宗という禅宗では考案というのがあるようですが、生長の家ではこのようなことが「考案」となるのです。
 どうぞ、島根の皆様、ご家庭で心から魂の底からご両親をご家族の皆様の『生命の實相』を礼拝いたしましょう。

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  2009年9月23日のブログで、「“求道と伝道”で芸術的人生を」です。
 お彼岸の中日に当たる日に、東京・原宿の生長の家本部会館ホールで午前10時から「布教功労物故者追悼秋季慰霊祭」が執り行われましたが、先生のご挨拶が掲載されております。顕幽両界ともに協力し合って光明化運動を行うこと、求道と伝道で芸術的人生を送ることをご教示されております。求道と伝道とは車の両輪です。呼吸は空気を吸うことと吐くことと両方必要です。身体の維持には食べることと排出することと両方必要です。深く求道したときに、深く強く伝道できるのです。これは信仰者にとっては自然のことです。拝読下さい。

*毎日ブログを書かせていただけるということは本当に有難いことです。このホームページに移りましてからこれで504件目のアップです。前任地で2年間ほど書かせていただいておりましたので、最初は、クレームが付くのではないかという多少の不安感もありましたが、続いて書かせていただけることに大きな幸福感を感じます。
 総裁先生と同じことをさせていただくことにより、先生の御心を少しでも学ばせていただきたいという思いからの出発でしたが、自然に総裁先生の御心を教区の信徒様に分かりやすくお伝えしたいという気持になって参りまして現在に至っております。

*教育フォーラムでは外で行うのが、2回目でしたが、初めてのお母さん方も参加しておられて、笑いあり涙ありで、「本部のこの企画は実に素晴らしい」という実感が湧いてきました。フォーラム形式の討論、相談、回答という双方向の会話は実に素晴らしいです。島根の生教会はこのフォーラムによって地域に新しい時代を開くのではないでしょうか。動画はフォーラムの様子です。
 
  中内 英生

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October.05.2009「介護に光を見出す②」

Img588 October..05.2009「介護に光を見出す②」
今日の詩::秋桜の 風にそよぎて 夢心地
*あちこちにコスモスの花が咲いております。大変、美しい風景です。

 前回のつづきです。今日も一日、「学びと気づき」の連続です。
神想観を実修することの大切さが述べられています。神想観の「観」とは心の眼で観ることです。そして観ずれば現れます。神癒すなはちメタフィジカル・ヒーリングでしょうか。
 
 『新版幸福生活への招待20章』の261頁に「真の人間を観る修行」というが書かれています。内容は大体次の通りです。
 人間には仮の相と実の相とがあり、仮の姿は現象ですが、実の相を〞実相〃といいます。その実相は、神の大生命が吾々に宿って人間となっているのですから、完全円満で、病気もなければ憎しみも争いも…悲しみも憂いも、そんなものは無いのです。その〃真の人間〃を観れば、本来無病の〃真性の人間〃があらわれます。聖経には「汝ら自身は〃真性の人間〃にして、そのほかの如何なるものにも非ず」とあります。その「真性の人間」を見ることが大切です。

 次に『新版幸福生活への招待20章』(262頁~263頁)には、「般若心経を生活に活かす教え」という内容が書かれています。拝読下さい。
 また、『生命の実相』(頭注版)の第1巻66頁には、『「真の人間」を観る修行』という項目があります。
 『般若心経』にある観自在菩薩のせられた般若波羅蜜の修行は、実に徹底した「神想観」の修行です。観自在菩薩はこの観法においてこの「真の人間」ほんらいの面目が、不生、不滅、不垢、不浄、不増、不減の光明生命であって、これのみが唯一の実在である。従って、それは病むことも死すこともない。そのほかのものは皆「無明」である。病気や死などというものはことごとく「無明」であって、存在しないとしております。
  *この否定が徹底すればするほど肯定が強くなります。否定をせずに、病気があると思いつつ、健康であると念じましても、病気と書いた上に健康と書くようなもので、字そのものの意味が分からなくなります。病気という字(観念)を消した上に健康と書く(念ずると)、ハッキリと意識の上に健康が浮かび上がってきます。
 蓮華日宝王地観を実修してみましょう。

  「愛による更正」という重要な一節もあります。(『生命の実相』第1巻168頁~169頁)です。
 
 本物の人間は本来神の子すなわち仏性であって「病気はない」のですから、病人というものは必ず自分の心でつくった「観念(かんねん)の牢獄」の中に閉じこもっているのです。 (中略)  病人は心の底が温かい愛にうえている。 (中略) こういう心、すなわち人間の本性を互いに孤立した連絡のないものだと思い違っている心が、形にあらわれて「病気の肉体」になっているのです。ですから病気を治すには、まず病人の心から「人間は孤立して淋しいものだ」という誤った先入観念を取り去ってしまわなければならないのです。そのためには、人間と神との関係を知的に理解するということも必要ではありますが、何よりもまず具体的な愛、愛の生きた言葉、病人への力づけ、親切な態度、勇気をつけ、心を明るくするような言葉によって、なるほど人間は自分一人という小さな力で孤立して生きているのではないという事実を眼の前に見せるのです。アリアリと手で触れるように兄弟の愛で見せると、その結果、病人が心に兄弟の愛、神の愛をアリアリ感ずる。ここに本当の「神から癒す力」が流れ入る門が病人の心にひらかれるのです。
 ここに書かれている内容は実に重要です。私たちは練成会を担当させていただいたお
りますが、お出でになった参加者に対して、人間的な深切というよりも、神の愛の表れとしての自分を祈り、そして相手に接していく。神が吾を神の子として観たまうように、自分も相手を神の子として拝ませていただく。ここが大切であると思います。

 愛の実践の重要性が書かれています。『新版幸福生活論』の32頁の1行目~8行目です。大体の内容は次のようです。
 『真に彼の内部的なもの、その霊性・神性・「神の子なるもの」を愛するならば、どんな容貌でも、貧乏で、卑しい位置でも、声はどうでも、スタイルはどうでも愛する事が出来るのです。諸君は光明皇后のように癩病者でも愛することが出来ますか。癩病者も、その霊性が「仏性」であることを見、その本性に礼し敬して愛するならば、「見ることは創造すること」ですから、仏が其処に創造され、癩病患者の背の膿血をお吸いになった光明皇后は、其処に癩病患者が、東方阿閦如来となって顕現された姿を見給うたのです』と。
 原文でご確認下さい。ここは有名な場面です。この話はたとえ話ですが、現実には相対するご病人は東方阿閦如来 が自分の悟りを深める導きのお姿として礼拝するということも必要であるとも考えられます。このように考えますと、悪の姿はどこにも見つからなくなってしまいます。礼拝と感謝の生活のみとなります。
 実践が大切です。「汝の隣人を愛せよ」という言葉を守り、病んでいる人は病んでいるキリストであるとして救済活動にいそしんだマザー・テレサの生き方は光明皇后様のような生き方であったようです。

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 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】

  2009年9月20日のブログは、「キノコの神さま」です。
「その石像は、泰二たちの山荘の裏の、カラマツ林の中にあった。」という御文章から始まる小説です。石像をキノコの神様と呼ぶという処から物語が始まっています。心休まる小説です。

*今日は、一日あれやこれやの会議だった。午前9時半から午後6時過ぎまで行われた。このような時は歩いていないのです、歩くことが楽しく感じられるから不思議です。島根の信徒の皆様、今日一日感謝いたします。祝福祈願という聖経読誦を教化部で行っていますが、聖経をあげて下さった方はお名前をかけるようにしました。お申し込みの方もどうぞ拝読下さい。

 中内 英生

How great is the power of gratitude. P15 [Open the doors of your life. no,1]

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October.04.2009「介護に光を見出す①」

October.04.2009「介護に光を見出す①」Img586
今日の詩::陽に当たり 幸福溢れ 顔に笑み

 10月3日に地方講師研修会が行われましたが、S女性地方講師が「介護に光を見出す」をテーマに素晴らしいご発表がありました。ご本人の了解をえましたので、レジュメをもとに若干の解説をしながらご紹介させていただきたいと思います。

 介護の問題でも何でも同じですが、実相と現象の区別をハッキリさせることが大切です。思考が混乱している人は、実相と現象とをまぜこぜに考えている場合が多いのです。
 人間は本来「神の子」であって、完全円満です。これを実相(じつのすがた)といいます。生長の家では、「唯神実相」といいまして、善一元の世界を指します。この真理の修得が大切です。
 それに加えて、自覚に従って周囲の現象世界が変化して現れるという、「唯心所現」という考え方があります。五つの感覚器官(眼・耳・鼻・口・皮膚)によって感ずる五感の世界を現象世界または現実世界といいます。「環境も肉体も心の影」といいまして、現象であり、仮の相であります。従って、この世は三界(欲界・色界・無色界)は唯心所現であるから、心で認めたものが現れるということです。そして心によって変えるのです。
 以上の二つの真理がどんな問題を解決するにも必要な真理です。

 次は、「病気本来無しの哲学」(『新版幸福生活への招待20章』259頁から260頁)です。
 『生命の實相』の実相篇には、病気が〝夢〟であるということが、書かれています。次の御文章を思い出してください。
『いったい、皆さんは「病」というものが実際この世にあると信じておられますか。
「病気」というものを神がこの世に造り給うたと信じておられますか。もし神にして「病気」というものをお造りにならないならば、病気は第一義的にいえば本当は存在しない。ただそれはあるように見えているにすぎないのです。』

 第一義的には存在しないということを〝病気は夢である〟と、いいます。それはあるように見えているにすぎないのです。
 それは本当は「無い」のですが、あるように見えているから「迷い」なのです。「ない」ものをあると思っているから「迷い」です。「迷い」という心的状態が客観的にあらわれて映っている。これを病気とかいろいろの人生苦とかいうのです。これを譬えていいますと、「大生命」は(映画をスクリーンに)映す映写機械の本源に輝いている光のような、不可思議光(光明生命)です。  
 本来われわれ自身の「生命」が「光明生命」でないならば、影さえも顕わすことができません。光がなかったら映画を映すことができないと同じです。いろいろの病気や、いろいろの苦しみを「人生という映画」にうつし出すことができるのは、病気や苦しみ以上の「光」がその本源にあるからです。この「光」こそ、われわれが大生命からいただいている「真生命」です。いい換えると、それは神が造り給いしままの「真の人間」であって、この「真の人間」のそのままを観る時、その内容は、「円満完全」であって、なんらの欠点もない。無論、病気や不幸は全然ないのです。

 このように実相と現象とを分けて考え、実相は完全円満であると考えるとき、①大安心の境地に入り、②その「自覚」により次には完全円満なる実相が顕現する。
 このような結果を生じてくるのです。
(つづき)

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  2009年9月18日のブログは、「米が東欧へのMD配備を中止」です。アメリカが突然、東欧諸国へのミサイル防衛(MD)施設の配備計画を中止すると発表したことに関してのご考察です。イスラームとの対立ではなく、イスラームとの対話を目指したオバマ大統領の考え方やさまざまな国際政治の動きに対して論考を行っておられます。
 島根の信徒の皆様、必要なる情報は大いに入手して、総裁先生の御文章を理解させていただく基礎力を作りましょう。勿論、神の国の情報が最重要情報でございます。この世界は努力以外に道を切り開くものは無いようです。「努力こそ神である」とも言えます。しかし、「出来ないからやろう」ではなく、「できるからやろう」という考え方が生長の家流です。

*今日も一日、神の御心のままに!

 中内 英生

緑濃き ネギいただきぬ 帰り道

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October.03.2009「コスモスを詠もう!」

October.03.2009「コスモスを詠もう!」
今日の詩::コスモスの 風になびきて 吾を呼ぶImg575

  高橋睦郎さんと云われる方がコスモスについて書いていた。(朝日2009/10/3)。「花をひろう」というテーマである。その内容を掻い摘んでお知らせします。
http://www.hanakotoba.name/archives/2005/09/post_86.html

 菊は古代の輸入植物です。奈良時代末期に中国から入ってきたようです。キク科のコスモスは近代の輸入植物です。メキシコを中心に熱帯アメリカに原産するコスモスは25種類を超えるようです。コロンブスのアメリカ大陸発見後、ヨーロッパに輸入され、改良を繰り返して庭園用や切り花用として広がりました。
http://www.hana300.com/kiku00.html

 コスモスは日本へは明治9(1876)年、工部美術学校講師となったイタリア人ラグーザによってもたらされたとも云われますが、一般に定着したのは大正時代のようです。どことなくアール・ヌーヴォーの感じが漂っているとのことです。茎は太く枝分かれし、枝ごとの先端に紅、薄桃色、白などの幅の広い舌状の花をつける。花片の数はふつう八枚だが、変種には八重咲き、丁字咲きなどにもなるようです。
  秋に群生して咲くことと形状が桜に似ていることから、アキザクラ、またオオハルシャギクと日本名で名づけられているとのことです。それだけ日本に根付き、受け入れられたということでありましょう。

 欧米の花の詩にコスモスが出てくることは、まずないそうです。そんな中で日本人のコスモス好きは群を抜いているらしい。至る所にコスモスの新名所がある。新しい土地にも強い順応性を持ち、空き地や河原、道のほとりでも容易に咲くということもある。

 何故、桜の木が日本にはたくさんあるかというと、日本人は桜が好きだからだ。それで、桜が増える。お酒の好きな人は家の中にお酒を置いている。真理の好きな人は真理の本が家の中に増えていく。コスモスの好きな日本人は至る所にコスモスを植える。なぜコスモスを好きなのか?これは桜が好きなのと関係があるのかも知れない。桜は潔さ、清らかさなどの象徴でありましょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%A9

 コスモスや 実りの秋の メッセンジャー(光明島根人)
 皆様もどうぞコスモスを詠んでいただいて、秋の素晴らしさを右脳で満喫しましょう。
そして、俳句に神性表現して感動を共有いたしましょう。携帯電話をお持ちの方は、写メール俳句を教化部にご投稿下さい。私も詠んでみます。

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  2009年9月17日のブログは、「フランスの“次の手”はGDP改革?」です。
フランスがGDPの経済指標について再検討をするということについて、「好ましい」とのお考えを述べておられます。二人のノーベル経済学賞受賞者を含めた諮問委員会は、 「GDPは人間の幸福増進の手段とすべきなのに、現在は目的化している点に問題がある」そうです。これは、光明化運動でもある面では言えるのかも知れないとも考えられる。
 また、GDPは国家間の経済力の指標と見なされることがあるけれども、国民一人一人の「福利」の指標ではないとしている。従って、アメリカはGDPは第1位であっても、国連開発計画が定める人的開発指数で測ると世界第15位である。

 以前、私はブータンのことを調べたことがあるが、幸福満足感度で世界一を目指しているようだ。
  最後に、「自然資本」の新しい考え方をご紹介しておられます。「自然資本」の固有名詞はご記憶にありますでしょうか。また「環境を重視する日本の新政府」と書かれております。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E8%B3%87%E6%9C%AC
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080325/151121/

*今日は地方講師・光明実践委員研修会がありました。真理の学習は実に素晴らしいと思います。魂の喜びが悠然と湧き起こって参ります。研修会の一風景です。担当のT地方講師は谷口清超先生が松江の誌友会にお通いになられたことも話していました。それぞれのご発表は大変素晴らしかったです。感謝です。

 中内 英生

中秋の 名月なりと 人の言う

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October.02.2009「生命学園で地域貢献」

Img574 October.02.2009「生命学園で地域貢献」

今日の詩::稜線を 抱くが如く 雲流れ

 今日のブログは、『幸せを運ぶ教育』(平成21年秋号)16頁~17頁に掲載していただいた文章に若干の修正を加えてまして掲載させていただきます。

 神の子の皆様、有り難うございます。
 まず、島根教区の「四番目の生命学園の開園」についてお話しします。島根教区では、生教会会長さんを中心に生教会が活発に活動しつつあります。現在、生命学園は出雲、松江、益田と三カ所ありますが、今年度さらに安来に開園される予定です。生命学園は、相愛会も白鳩会も青年会も協力し合って推進運営できる素晴らしい場です。子どもさんのお母さん方は必ずしも生長の家の信徒さんではありません。従って、そのお母さんが白鳩会の母親教室にお出でになられるようになればまさに素晴らしいことになります。勿論、母親教室にお出でになるお母さん方が子どもさんを生命学園に送り出すという方向性は当然です。

 次は「幸福を招く教育フォーラム」についてです。来年度に向けまして、「幸福を招く教育フォーラム」を開催できるように講師養成のための学習会を開催しております。また、講演の為の練習として、教化部で教育講演会を開催しておりましたが、教化部で練習するのではなく、今後、外部の施設を利用して幸福を招く教育フォーラムとして開催する必要性が出て参りまして、既にそれを実施しております。

 次は、「地域の子どもを育てよう」です。江戸時代の昔、子どもを育てるのに寺子屋というのがあったそうです。そこでは奉仕的にお坊さんとか学のある武士などさまざまな人々が子どもを地域の宝としてみんなで育てる土壌があったようです。かつて某生命学園園長さんが、『地域全部の子供たちを自分の子どもだと思って生命学園で面倒を見させていただきたい』というような意味のことを発言しておられましたが、素晴らしい園長さんとしてのご自覚であると感動いたしました。

 次は、「ビデオ撮影」で、生命学園の宣伝です。生命学園の素晴らしさをまずは島根の生長の家の皆様に知っていただきたいと念願しております。従いまして、今後、島根教区の三つの生命学園をビデオ撮影し、30分間のDVDにまとめ上げまして、誌友会等でも放映できるようにしていきたいと考えています。また、教化部や松江道場、益田生命学園会場等では生命学園で描かれた絵を掲示して常に、生命学園をアピールしております。

 次は、「表現の場の拡大」です。生命学園では楽しく絵を描く神性表現をしたり、歌を歌ったりしています。その為に、できるだけその作品を教化部ホームページにアップして感動を共有するように努めています。子供たちの自由闊達な描き方は実に素晴らしいものです。
 8月28日に開催しました教区でのチャリティコンサートでは、生命学園の園児による歌がありました。あらゆる場所での生命学園の園児による神性表現に挑戦しております。
http://www.youtube.com/watch?v=IsuQi_TUbGs

 次は、インターネットの活用です。青少年練成会で一日の行事が終わったとき、担当者は今日一日の写真を色々と組み合わせまして教化部ホームページにその日の内にアップしております。それが子どもさん達を青少年練成会に送り出した親御さんたちにとって実に安心するのだそうです。
 また、『子育て相談ブログ』というのを立ち上げまして、子育てに関する御教えを少しずつ掲載しつつあります。このブログがあるということだけで、教育に力を入れているという印象を与えるようです。 

 最後は、「生命学園で地域貢献」です。生命学園は、徳育の面で、生長の家が地域への直接貢献ができると考えています。クリーン・ウォーカーという、清掃活動なども素晴らしいことです。地域が実際に清浄になります。それと同様に、地域の子供たちの心を耕し、清浄にするという活動はまた素晴らしいものです。学校や一般のご家庭でも教えられない「神の子の自覚」を生命学園で学ぶことはどんなにかご両親や子どもさん方にとって幸福でありましょう。「自転車で行ける生命学園」という言葉を聞いたことがありますが、遠くの生命学園に通うのではなく自転車で行くことができる生命学園を江戸時代に寺子屋があったと同じような感覚で島根県中に開園することができれば、多くの若いお父さんお母さん方は、幸福に思い、もっともっと生命学園に通う素晴らしい子ども達が増えるのではないかと期待しております。

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 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】 
  2009年9月15日のブログは、「自然と人間 (5)」です。自然を対立物と見るか、人間を自然の一部として見るかについての深い御論考が書かれております。リン・ホワイト氏の自然・環境破壊の元凶はユダヤ・キリスト教神学にあるとの主張に対する反証を試みておられること、最後に、宗教学者中沢新一氏の言葉、「今日、人類が知性を結集してつくりださなければならないのは、このような倫理なのではないか」との言葉を引用しておられます。余力のある方は中沢新一著『対称性人類学』も読んでみましょう。かなり読み応えがあります。
http://masanobutaniguchi.com/
http://www.amazon.co.jp/%E5%AF%BE%E7%A7%B0%E6%80%A7%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E5%AD%A6-%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E9%81%B8%E6%9B%B8%E3%83%A1%E3%83%81%E3%82%A8-%E4%B8%AD%E6%B2%A2-%E6%96%B0%E4%B8%80/dp/4062582910

*「チャレンジ精神」…有名なデヴィ夫人についてです。デヴィ夫人は60歳を少し過ぎていますが、生まれて初めて自転車乗りに挑戦しました。練習で何回も転びました。補助輪を付けても転びました。泥だらけになりました。そしてとうとう自転車に乗ることができるようになりました。
「デヴィさん。その年令で自転車乗りは大丈夫でしたか?」夫人「新しいことに挑戦するのは怖くない。挑戦する気持ちを失うことが怖い」
 島根の神の子の皆様、デヴィ夫人に負けないように、新しいタイプの誌友会に挑戦いたしましょう。
http://ameblo.jp/dewisukarno/

*多伎での石器の発見は相当にスゴイことらしい。以前、私が住んでいた金沢市の家のすぐ近くに保古という地名で公園があった。そこが日本歴史上の縄文時代の最初の有名な発見地だった。この発見によって、日本の縄文時代がすでに相当の文化が発達していたことが分かった。縄文時代は、約16,500年から約3,000年前(紀元前10世紀)の間をさしている。三千年前にはすでに部族の統一があり、約2700年頃前に現在の天皇朝が建国された。そのことを考えると、ここ出雲の土地はものすごく古くから統一的な集団生活が営まれていたことが考えられる。その流れが國譲りの神話となって展開する。今回の発見は、12万年前だからだ。そこに住んでいた祖先の遺伝子を島根の私たちはおそらく受け継いでいるのだろう。島根の信徒様、この土地に生まれたことに大いなる誇りを持ちましょう。
 その発見地は時々、誌友会などで行く多伎である。無花果が美味しい。無花果で思い出すのは、絶えずワケギをしないと枯れるという谷口雅春先生のたとえ話とキリストの言葉で枯れたという話である。余談だが、道の駅キララ多岐の絵を描きたいと思っているが、まだ実現していない。子供からの情報によると、ここにはパンの美味しいのを売っているという。
http://www.cgr.mlit.go.jp/chiki/doyroj/station/cgi-bin/station_info.pl?param=3213

 中内 英生

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October.01.2009「『正法眼蔵を読む上巻』に学ぶ①」

Img584 October.01.2009「『正法眼蔵を読む上巻』に学ぶ①」
今日の詩::リンリンと ジンジンと鳴く 夜の闇

 今日から、少しずつ『正法眼蔵』の勉強をさせていただきたいと思います。昨年、私は松江道場に参りました。すると、よく松江道場にお出でになられるという人から、「谷口清超先生が、『正法眼蔵を読む』という本をよく読んでください、といわれたので私たちは松江道場で全巻を輪読しました」とお聞きしました。私はあの難しい御本を読んだだけでもすごいことだし、しかも全巻を輪読したとは何と素晴らしいことだろうと考えました。しかし、よく考えますと、松江という土地は、谷口清超先生と非常にご縁が深い土地であるのです。先生は松江にて菩薩道を発願されて東京へお出でになられたのでした。わたしたちはその事を肝に銘じて、「島根こそ谷口清超先生の御心を生きよう」と先生のご愛念にお応え申し上げたいと存じます。さて、松江の信徒さんに見ならいまして今日から少しずつ、勉強して参ります。

【はじがき】
①谷口清超先生が、『正法眼蔵を読む』の本を法燈継承の記念出版として選んだ理由は何ですか?
②道元禅師は一宗一派を認めましたか。

 ①の答えですが、「はしがき」1頁の7行目に書かれています。
『何故私がこの『正法眼蔵』を記念出版の書物として選んだかというと、本書の中で道元禅師はくわしく嫡々相承の真意をのべておられるからである』と。
この嫡々相承は面授となって現れます。この書は光明化運動の中心者の継承についてお説きになられた最重要項目中の最重要項目といったものではないかと拝察申し上げます。

 ②ですが、「はしがき」の2頁の15行目から3行において答えがあります。
『本書でも道元自身は「禅宗などと言うな」と教えられ、そんなものは釈迦の教えられた呼称ではないと、一宗一派を完全に否定しておられるのである。この点も万教帰一の立場ときわめて通ずるものがあるので、…』
 禅は全であり、宗派に凝り固まるものではないというべきであろう。私は28歳の頃だったろうか、4日間福井県の永平寺に座禅を組みに行ったことがある。帰りに面談があり老僧から『喫茶乎』と書いた書を頂いたことがある。私は、谷口清超先生が『正法眼蔵』についてお書きになっておられることを老僧に言った。すると老僧は、「禅宗の僧侶ではないのに、よく勉強して大変素晴らしい解釈をしておられますね」という意味のことを言われた。禅宗の専門家が谷口清超先生のご著書を拝読しておられることを知って、嬉しく感じたと共に、禅宗のお坊さんの心の広さを痛感した。

 この「はしがき」には、昭和50年11月号の『生長の家』誌での谷口雅春先生の御文章が書かれている。谷口清超先生のことを書かれた御文章である。また次のようにもお書きになっておられ、当時、拝読したとき何とも名状しがたい気持になった記憶が甦る。
『…私も決して死するのではないのである。「身を現ぜずして渇仰せしむる」摂理であり、摂理に従って現象界から姿を隠すだけであるーその時が来るのは自然の理であるのである。…私は安心して私の後を継ぐ者ありとして、安心していつでも涅槃に入ることが出来るのである。併し私は滅するのではない、「常に霊鷲山及び余の諸々の住処に在り」で、いつでもアフリカでも、カナダでも、ブラジルでも姿をあらわして衆生を教化するのである。』

 そして最後の行には…、
「中巻及び下巻は、順次刊行される予定であるから、是非続いて全読して頂きたいと切望する次第である。…」と。
『切望』をいう字をお使いになっておられます。島根の信徒である私たちは特に心すべきであります。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】

 2009年9月13日のブログは、「倫理的消費者の潮流」です。

この経済不況下でも、「倫理的投資者」と言われる人達が増加しつつあるそうです。
 最後に、ホテルでのリムジンカーに乗った新郎新婦の姿を書いておられます。写真も掲載しておられます。そして、「倫理的結婚式」の英文のホームページをご紹介しておられます。そして近々結婚式とご縁のある人々に参考にして欲しいとのことであります。島根では如何でしょうか?
私が昨年に遭遇した結婚式では、結婚式や新婚旅行で輩出した二酸化炭素排出を相殺して炭素ゼロ結婚式をしたそうです。しかも全国テレビで放映されたとお聞きしました。
 さて、次なるカップルはどなたでしょうか?

*今日は不思議に出雲にしてはあまり風のない夜だった。

 中内 英生

*次は、10月2日に行われた、「聖使命会員並びに組織会員感謝祝福祈願祭」の様子です。

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