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2010年2月

February.27.2010「幸福の法則を知る」

February.27.2010「幸福の法則を知る」Photo_2
今日の詩::蓬莱の ツバキ紅 群れて咲く

 私はかつてある会合で、『新版幸福生活論』をテキストとして話をさせていただいた。「幸福とは何か」ということがこの本には書かれている。私たちは幸福になるには、まず「幸福になる法則」を知ることが必要でありましょう。「因果の法則」という法則があります。原因があって結果があるというごく単純な法則です。要するに良いことをしましょう。よい結果が出てきますよ、ということです。幸福になるには難しくないということです。

 そして「幸福感」と自分の現在に対する「満足感」ということが大切なようです。ここでいう「満足感」とは、決して現状に満足して進歩を忘れるという満足感ではなく、すでに多くのことが与えられているという満足感であり、感謝の心です。すはなち、真象を認めて感謝するということでありましょう。
 
 良い種を蒔くと良いことが現れます。悪い種を蒔くと悪いことが現れます。原因結果の法則です。従って、仏教の極意は決して難しいことではなく、「諸悪莫作、衆善奉行」であると教えられております。
 生長の家では、「思念・発声音・表情」は運命を作る重要な言葉の創化力です。良いことを思い、良いことを語り、良い表情をしましょう。かならず運命は好転するのです。
 日常生活をそのように訓練することは当然に必要です。さらに神想観によって、すでに完成している自分の幸福な姿を描くことも必要でしょう。
 もっと実行しやすい易行道を申しますと、寝る前に20回、目が覚めてから20回と自分に言い聞かせるようにして小声で唱え、自分の潜在意識に入れるようにするのです。これが非常に効果が上がる方法です。心理学的な初歩的な方法であると思わずにやってみてください。驚くべき効果を発揮します。

 「大調和の神示」という重要な神示があります。感謝の言葉を唱えることは神様に波長を合わせることになります。これは、日時計主義の生き方です。
 私は、時々、『私はこうして癌が治った』という谷口雅春先生の御著書の中に掲載されている「乳ガンが消滅した福島和子さん」の体験談をご紹介することがあります。
 乳ガンの宣告を受けたのですが個人指導をお受けになり、ご主人や父親に感謝した時、ただすべてが有り難くなり、翌日手術のために入院したところ、どこにも乳ガンの痕跡も無かった、と言う体験談です。乳ガンが消えたから素晴らしいと思ってご紹介するのではなく、回心のありようが余りにも見事であるが故にご紹介しております。

 この世には、悪が満ち満ちているという考え方もあります。それがおそらく現在では一般的でありましょう。将来、生長の家の日時計主義の考え方がごく一般的な考え方であると認められるようになった時、地球世界は変わるでしょう。
 この聖典の41頁には、「パンドラの箱」という話があります。すべての悪を封じ込めていたのを、パンドラさんが開けたものですから、世界中に悪が広がったという逸話です。しかし、生長の家の御教えは、その悪そのものは存在しないと教えられています。悪があるのではなく、そこに善という「神」が現れていないというのです。
 キリストの所へ生まれつきメクラの青年を弟子が連れてきました。弟子は師に質問します。『この青年がメクラであるのは、本人の罪か、両親の罪か』と聞くのでした。キリストは云います。『神の御栄えの顕れんがためなり』と。

 私たちは、何か不幸なことが現れた時、原点に帰ることが必要なのです。原点回帰が答えです。どのような原点かと申しますと、神の御心という原点です。
 神様は、『神、光あれ、といい給いければ光りありき』と旧約聖書に書かれていますが、光が神様の最初の初心です。神様の初心とは、すなはち光です。その初心を私たちは神の子ですから決して忘れることなく実行していかなければなりません。
 それは要するに、日時計主義の生き方を実践することです。島根の信徒の皆様は毎日、日時計日記をつけておられます。また真象を認めて絵手紙にしたり、俳句を作っておられます。大変、素晴らしいことであると思うのです。それは神の御心にかなうことです。

 皆様、実相世界の基本構図はどのようになっているとお考えでしょうか。それは「中心帰一」の姿です。
 従って、その基本構図を生きる時、神の御心を生きることになるのですから栄えるのは当然です。生長の家では、総裁先生に中心帰一をして運動を展開いたします。それは神の国の構図を生きることに他ならないのです。だから、生長の家は世界に伸び続けているのです。

 西洋の童話に「お爺さんの言うこと、間違いない」という物語があります。お爺さんが失敗しているのにも関わらず、お婆さんはお爺さんの素晴らしさを信じて生きていると最後には繁栄したという物語です。それはとりもなおさず、中心帰一をご夫婦において生ききったからでありましょう。
 現在、総裁先生は、常に信仰者のあるべき姿として、自然界に負荷をかけない愛のある行動が必要であると教示しておられます。
 そのことは、「四無量心を自然に対して行ずる」生き方が求められるようになっております。それは自然界への今までの接し方に反省が必要であるとしております。自然を利用するだけで後を荒らしたままにするのは本当の愛ではありません。自然界を生かすことを教示されております。人間と自然との共存共栄です。

 運命をよくするには、明るい心になることが必要です。古代の日本人は、天照大御神様がお隠れになったとき、大変困りました。しかし、アメノウズメノミコト様が踊りました時に、八百万の神様が大いに笑ったのでした。すると、天照大御神様がお出ましになったと古事記神話には書かれております。
 笑うと身体が健康になります。よいアイデアが湧いて参ります。運命が良くなります。

 次に食物の話を致します。
人生に対する考え方は勿論大切ですが、大切なことの一つに食べ物があります。肉食忌避を教示されておりますが、それは、「肉体的にもよくない。愛に背く。環境問題を引き起こす」などという理由があります。
 肉食産業全体をいうと全地球上から発生する二酸化炭素の52㌫だそうです。これは実に驚異的な数字ではないでしょうか。従って、野菜中心の食生活をし、地産地消という食材を移動しない方法が大切になっていくのです。

 話は変わりますが、ゴキブリをお好きな方はおりますか。おそらくいないと思いますが、このゴキブリこそ同じ形態で何億年を生き抜いた強者であるのです。私はこの昆虫を尊敬します。(ジョークです)ゴキブリさんは、そのような粘り強い生き方をしているのです。
 さて、ゴキブリに関連してですが、(今日たまたま会議の会場でお会いした。)ある友人がおりますが、彼は、ハエ博士と言われています。すごい有名な人なのです。彼はかつて昭和天皇様にご進講申し上げたことがあるそうです。ハエに関するお話を終わり、質問の時間に入った時、陛下は、『ハエは自然界でどのような役目をしているのですか?』とご下問あらせられたそうです。友人はそんなことは今までに一度も考えたことがありませんでした。陛下は「どんないきものでも生きている限り、自然界での使命、役目があるということをお考えになっておられる」ということを教えられました。
  どんな生き物にも使命があるのならば、出来るだけ殺さないということが大切な信仰生活でありましょう。

 天皇陛下の愛の生き方に学ばせていただくことにより、私たちはさらに愛深くなれるのではないでしょうか。天皇陛下は実際に自然界に対する大きな愛をご生活に行じておられるのですから。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう】

 2010/02/25のブログは、「ハイチでも現れた人間性」です。リフキン氏の「相手を思いやる意識の素晴らしい進化」とハイチでのことを書いておられます。また、インターネットや携帯電話での活動も詳しく書いておられます。
 私は、ハイチに関しては、某会社の携帯電話での募金の話も聞きました。人類の歴史に関しては神の子の本性が表現されつつあるという御表現をとっておられます。
まず、本文を拝読下さい。
http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は本部で第59回生長の家代表者会議(第1日目)があった。来年度の運動方針についての発表があった。東京は暖かくて少し雨が降っている。午前10時過ぎには島根教区の幹部の皆様は本部に到着した。座席は最前列だった。二日間、総裁先生、白鳩会総裁先生の御前に座らせていただくと、人格が変わるのではなかろうかと思われる。「聖者は無為にして化す」という言葉がある。一年で二日間、最前列に座ることを許される日である。

 中内 英生

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February.26.2010「愛とは四無量心」

Photo February.26.2010「愛とは四無量心」
今日の詩::朝靄に 霞む山の端 春始め

 ある日、私は青年会の会合で愛について話をさせていただいた。「愛」とは仏教で云う四無量心です。愛は自他一体の自覚とも云われていますが、それぞれ内容が異なります。親子の愛や、夫婦の愛や兄弟愛や隣人愛や郷土愛、愛国心、人類愛、一切生物への愛など自他一体の自覚とはいえ、決して同じ内容ではないのです。それを智恵の心で見分けることが必要です。

 最高の愛は、「神我一体」の迷い無き愛でありましょう。また、万物へ愛という意味で、「四無量心を行ずる神想観」の新バージョンを総裁先生がご発表になりました。この神想観は、来年度の『光明島根』に掲載する予定ですので、たびたび行うようにしていただきたいと思います。

 智恵という言葉は、別名は秩序とも云いますが、秩序は神様の世界から来るのです。土はそのまま置いておきますと土のままです。そこにバラのいのちが働きますと、土から栄養分を吸い取って美しいバラに配列し直すのです。

 恋愛でもそこに秩序が表現されたとき清まった恋愛となります。谷口雅春先生の御著書に、『新しい結婚』という聖典があります。まだ結婚しておられない独身の方はぜひとも拝読していただきたいと存じます。

 愛の問題でも何でもそうですが、正しい人間観がどうじても必要です。人間を肉体と見るか、神の子として拝むか、という問題です。もし、肉体であるならば、肉体は食欲、性欲、睡眠欲などの肉体維持機能が付随しておりますので、それを実行するのが人生の目的であると言うことになります。この心は種族保存の本能と一般的には云われております。

 これに対して、肉体は霊魂がこの地上で神の生命を表現する道具である。霊的実在である神の子人間こそほんものの人間であると言うことになりますと、神様の愛と智恵と生命をこの世に表現することが人生の目的であるということになり、素晴らしい人生を歩むようになります。

 さて、清まった愛とはどのような愛であるかと申しますと、相手を自分の都合の良いようにしたいと思う心の分量が多いほど、本当の愛から遠ざかると云われております。逆に、相手の人生を思いやり、相手の本当の幸せのために生きようと思う程度が多いほど清まった愛であるようです。

 最後は、慈悲喜捨の最後の修行である「捨徳」の完成です。誰でもこの世を去る時が来ます。その時期が来ていない時こそ、捨徳を実践する。すなはち、「執着の愛を捨てる」ということであります。

 人はさまざまな人生を歩み、色々な体験をします。それを通して人の魂は高まっていくようです。魂の高さはどのような基準で図ることが出来るのでしょうか。霊界通信が『生命の実相』霊界篇に書かれていますが、「峻厳なる愛」または「愛深き冷淡」とでもいうような愛の心と行動こそ、魂の高い証拠であるとしております。

 島根の青年会の皆様、独身の方が多いと思いますが、聖典の中から、「愛」について、抜き書きしてみては如何でしょうか。「智恵の言葉」にも沢山、「愛に関する定義」が書かれておりますが、書き写していくうちに本当の愛とは何かを体得されるでありましょう。

※今日は、明日からの会議のために一日早く上京した。出雲よりもかなり暖かいことを実感した。羽田から電車などを乗り継いでいくうちに汗をかいてしまった。やはり東京は北陸よりも気温が高いようだ。

  中内 英生

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February.25.2010「フォークシンガー 高田渡」

Photo_2 February.25.2010「フォークシンガー 高田渡」
今日の詩::子供らは 春の祭の 花舞台

 この人のことを私はあまり知らない。しかし、フォークという時代があったことをここでは書きたいと思う。NHKの「知る楽」「こだわり人物伝」「孤高のフォークシンガー高田渡③」(2010/02/24)からである。

http://www.takadawataru.com/

 高田さんは、10年間の沈黙を破って曲を発表した。ここに至るまで酒におぼれ、曲が作れなくなる苦悩の時代があったようだ。
 音楽の流行にあらがい、民衆の心を唱い続けることへの葛藤があったともいう。高田さんは自分のスタイルにこだわり続けた。番組を見て、年齢的には私よりも上の方だが、自分と似ている面もあると思った。飲酒などはまったく関係ないが、自分の生活パターンを変えないことが似ているのだろうか。朝は神想観、そして普通の信仰生活と愛行、などなど私自身も42年間、生長の家でお世話になっているが基本的な生活習慣にまったく変更はない。

 高田渡、岡林のぶやす、と言った人を生み出したフォークブームは昭和40年代に頂点を迎えたという。部屋にはテレビはなかったので、ラジオからはフォークソングが聞こえてきていた。私はといえば、練成に明け暮れ、昭和42年から4年間は夜間大学に通わせていただき、歌った歌と云えば、「宇宙荘厳の歌」とか「実相を観ずる歌」とか「招神歌」などだった。学生運動盛んなる時代でもある。河口湖では伝道練成会が始まり、信徒さんは伝道へ伝道へと信仰が外に向いていた時代ではなかろうか。

 全日本フォークジャンボリーというのを昭和44年から3年にわたり開かれている。野外ライブだ。岐阜県の坂下町という所、現在の中津川市だという。東京から電車とバスを乗り継いで、半日以上かかる。山間の町で行われたにもかかわらず、全国から若者が大挙して押し寄せた。
 フォークソング、すなはち世の中の疑問や若者の悩みを歌に託したメッセージソングに聴衆は世を徹して聴き入ったという。
 イベントの規模は膨らみ、3回目には25000人もの人が訪れている。
  毎年イベントに招かれた高田渡は、フォークシンガーとしての地位を不動のものとしたとしている。
 ライブをやれば会場は大盛会だった。昭和49年に、「春一番ライブ」というのを行っている。
 余談だが、「春一番」とは九州の漁師さんの使っていた言葉であり、海が荒れる時期の風を意味したようだ。しかし、言葉の響きがいつの間にか「春告げ風」のような響きに使い方が変わっていったという。この情報は、NHKの「俳句」の番組で知った。

 高田渡には、大手レコード会社から声がかかり、立ち続けにレコードを発売した。
 高田渡の後を追うように、吉田拓郎やかぐや姫が注目を集めて大手レコード会社からデビューした。

 シンガーソングライターのなぎら健一さんは語っている。なぎらさんは高田渡と30年以上の親交があった。フォークソングブームの中、昭和47年にデビューした。なぎらさんは云う。『何でもフォークっぽければいい。そこに思想も何もいらなくなった。ただギターを持って、ハモっている形であれば、フォークだよ、ということで流行ってきちゃうんですね』と。
 そんな時代であったようだ。私の知らなかった世界だ。その中で、高田渡は若くしてフォークブームに火を付け、フォークの重鎮となっていった。

  私は、日常のことを歌にするというフォークのあり方はすばらしとは思うが、根本は人間観、人生観ではないだろうかと考える。肉体を自分とするか、霊的存在である神の子を自分とするかで、生き方考え方が違ってくる。私たちの方法は、後者であろう。日常生活の中に真象を見いだして感謝し賛嘆する生き方である。さらに芸術的にまで表現し感動を共有する。それを世界に発信するということになる。

 私がフォークソングに興味を持ったのは、日常生活を歌い上げていることだ。内容はと言うと、「若者の疑問や悩み」なので決して日時計主義ではない。しかし、特別な奇跡的なことではなく、日常に話材を求める点は今までにない斬新さを感じた。私たちの中から日常な喜びを歌い上げた日時計主義歌手が出現できないものだろうか。竹内マリアさんのようなシンガーソングライターである。島根の青年会の皆様、如何でしょうか?。そんな人が島根の青年会から出たらうれしいですね。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう】

 2010/02/24のブログは、「感情共有文明は可能か?(2)」です。ジェレミー・リフキン氏の近著の文章の一部をアマゾン・キンドルで入手されたことが書かれています。それにしましても、総裁先生の行動スピードの速さは驚異的です。島根の信徒の皆様、せめて日々のブログを拝読いたしましょう。
  元に帰りますが、リフキン氏の考え方は日時計主義であるとのことです。ホッブス、ロック、ベンサム、フロイドなどの人間観とは違うとのことです。
  そして、「人類史の底を流れる本質的特徴は、相手を思いやる意識の素晴らしい進化である」というような性善説的な考え方をもっているとのことです。
http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は木曜休日だった。早朝行事担当だったので、早朝に教化部に行った。日中はあれこれと生活し、花の郷にも足を伸ばした。今日一日、素晴らしい一日だった。

 中内 英生

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February.24.2010「生命科学者 上田泰己」

February.24.2010「生命科学者 上田泰己」
今日の詩::チチッと鳴き メジロ飛び来る 吾が庭にPhoto

 NHK番組「プロフェッショナル」(2010/02/23)に生命科学者の上田泰己さんという34歳の方が出演していた。発生・再生科学総合研究センターの理化学研究所の人だ。若い、すごい、の一言に尽きる。生命の時間を調べているという。体内時計という言葉を聞いたことはあるが、それを研究しているらしい。自然分娩の時間や病気が発生する時間もいつごろ起こるかも一定の規則的なものがあるという。

 人間は夜、強い光を受けると体内時計がおかしくなるようだ。だから、夜型の生活で夜中にコンビニに行くのが普通になると、微妙に体内時計に影響を与えるということも考えられるかも知れない。上田さんがやっていることを、「知の異種格闘技」という風に表現していた。自分の研究分野と違った分野の人々と協同で研究することにより、新たなものが発見できるという。
 これは本当だろう。私たちがやったこともない絵手紙に取り組み、見たこともないイスラームを研究することにより、今までにない新しい生長の家運動が展開されることが予想される。私自身が「随分と、考え方に自由性が広がった」と思う。他人から見ると大した事はないかも知れないが…。
  彼は言う。『わけの分からないことこそ、鉱脈がある』と。

 体内時計は地球の自転に合わせて動くらしい。体内時計は、脳内の視交叉上核に中心的な時計組織があるという。そして、指揮する。他の体内時計は、身体の各所にあるということが分かっている。生き方は素晴らしいが、体内時計の遺伝子を変更して体内時計に変化を与える研究をしていたので、世代間倫理の問題はないか、慎重に対処する必要性を感じてしまった。
 
 彼は子供の頃考えた。『自分って何だろう。命ってなんだろう』と。高校の校長先生で緒方道彦氏という人がいた。緒方先生の話が大変面白かった。海外の登山などさまざまな事にトライした人らしい。その生きざまに共感した。上田さんは、東大医学部へ進学した。そして、大学院へ行った。しかも若くして異例の抜擢があった。
 その時、『失敗するわけにはいかない』と焦る気持ちが出てきたという。

 重い気持ちでひたすら論文を書いた。そこに、恩師の緒方先生が肝臓癌で倒れたという情報がもたらされた。上田さんはすぐに、恩師の元を訪ねた。緒方先生から、『これを君に貸してあげるよ』と言って、『生命の本質』というノーベル賞学者の本を貸していただいた。そこには、大胆で自由な考えが書かれていた。ジョークめかしく、「いつか人工的にゼロからウサギを作って、皆さんを驚かしたい」と書かれていた。半世紀以上前の学者の発想だった。その本に驚かされ影響を受けた。

 その一冊の本が上田さんの研究人生を変えたのだった。それから、よい論文が書けるようになった。行き詰まっていた上田さんの研究で、大胆な発想が再び生まれるようになった。
 時計遺伝子は、現在20個見つかっている。
常に上田さんは次のことを考えている。『すべてを疑い、考え抜く』ことだ、と。

 自分の論文を世に出す前に点検する。すべての責任が自分にかかってくるからだ。従って、常に緊張感があるという。『生命とは何か?』という課題の研究を続けている。私たちの信仰生活とは、見ている面が少し違うようだが、真実を求めるという意味に於いては似ているのかも知れない。上田さんは生命を外面から研究し、信仰者は生命の本質を直感して生活に生きる。

 彼は、プロフェッショナルとは何かを答えた。『見えないもの、形がないもの、そういったものに形を与える。そういう人だと思う』と。『僕はそう言う人になりたい』というのだった。すでにそうであり、さらにその完成度を高めていくだろう。私たちも、信仰の完成度を日々高めていきたいと思う。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう】 

 2010/02/23のブログは、「感情共有文明は可能か?」です。アメリカの文明批評家、ジェレミー・リフキン氏の近著『The Empathic Civilization』のご紹介です。内容の問題点は、「感情共有の範囲を拡大させ、かつエントロピーを縮小させる方法は何か?」となり、「何となく、生長の家が向かっている方向と共通点があるように思う」と書いておられます。
ブログの本文を拝読下さい。
http://www.masanobutaniguchi.com/

  ※インターネット人口はどれだけあるかといういと、日経新聞(2010/02/23)によると、「世界のネット人口は16億人を超える」とあった。小見出しは、「境界越え力増す”人の波”」である。最後には、「ネットの進化はとどまらない。新たな技術が登場するたびに熱狂が広がる。それをどう使いこなすのかの答えはまだ見えていない」と。使い方こそ、生長の家が日時計主義のポスジョイやホームページで大いに活用すべきでありましょう。
日時計主義のポスジョイを一つ投稿する度に、世界の光明化に役に立っていると考えるとうれしいです。島根の皆様、皆様の光明の情報が、迷いの情報、虚の情報量を凌駕することを目指しましょう。その時、「三界唯心の理」により、世界平和が実現するのでありましょう。

※今日は、午後は雲南の先祖供養祭があった。夜は五者会議だった。大変、楽しい一日だった。

 中内 英生

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February.23.2010「伝道の大切さ」

Photo February.23.2010「伝道の大切さ」
今日の詩::寒ありて 春に花咲く チューリップ

 今日は、「伝道」についての講話を行わせていただいた。大体、次のような内容だった。 信仰に於いては求道と伝道が車の両輪である。車は両輪がなければ前に進まないということを知る必要がある。息は吸い込むだけでなく吐かないと生きていくことはできない。現在、私たちが教えていただいている言葉で言えば、「三正行を徹底しよう」ということであろう。

 また、覚仏と行仏との考え方がある。悟るだけの仏ではトン得の悟りであり、行動する仏となって初めて本物の仏となるということである。成仏は仏に成るというよりも、仏を「鳴り響かせる」という所まで行って初めて「仏と成る」という考え方もある。
  テキストは、『信仰の活人剣』と『信仰による平和の道』と『菩薩は何を為すべきか』を使わせていただいた。
 『信仰の活人剣』のp9には、「生長の家」出現の精神が掲げられている。「…友よ、助けよ、同志よ、吾に投ぜよ…」という当時の日本の人々への谷口雅春先生の強烈なメッセージが書かれている。『生命の実相』自伝編に詳しくお説きくださっている。皆様と共に熟読させていただきたいと思う。
 しかし、この運動は自我で行ってはならない。常に神に祈ることが必要であると、p11には、「先ず神に祈れ」と書かれている。生長の家大神様からの運動であり、発信源は関しては、「霊界よりこの地上に生長の家運動をはじめた神秘者」という御表現がある。(『生命の実相』頭注版第1巻16頁)
 それから、p13には、生長の家の目的が書かれている。総説編にある、「生命礼拝、生命の法則に随順して生活する」という項目にある目的である。
 そして、p14には、「地上天国実現」を目指すことが明記されている。『生命の実相』第1巻3頁(頭)には、「元来、生長の家は人類の思想中よりその転倒妄想を去らしめ人類生活の全面を光明化せんがために出現した」と書かれている。しかし、現在の日本だけを考えてみると、かなり実現していることが多いのではなかろうか。
 しかし、実現させたいと思ってもなかなか実現していないこともある。それが現代に於ける生長の家の目的である。このことに関しては、『信仰による平和の道』のp100 に掲げられていることは重要である。すなはち生長の家の目的は「世界平和」であること、しかも政治的軍事的に実現する世界平和ではなく、唯一絶対の神への信仰によってもたらされる平和である。このことを私たちは肝に銘じなくてはならない。そして、もう一つ、各国の運動を統一的、組織的に立案し実行することである。
 今月の月末に行われる、「生長の家代表者会議」では全体会議で意識統一が図られる。今回はおそらく、八ヶ岳への国際本部の移転などを紹介されると思われるし、単層伝達や、二酸化炭素の相殺のことなどが話題にでると思われる。

 また、『信仰の活人剣』のp23には、生長の家は、迷いの言葉の洪水に対抗すべく、生長の家の人類光明化運動が出現して、明るい言葉の雑誌をどんどんと普及することが書かれている。しかも、現在は日時計主義の生き方が強調されており、明るいことを認め語り記録して、その明るさを地球上に溢れさせようとしている。これは実にすばらしいことだと思われる。
 また、p25には、「選ばれた使命」という項目があり、「使命感」が幹部にとっては重要であることが強調されている。「使命を生きる祈り」という祈りもある。これは、年間スケジュールの『光明島根』にも掲載されている。ご活用いただきたい。
 
 同書p26には、「神は献身を要求し給う」とあり、楽しいことではあるが、決して楽なことではないようだ。しかし、徳を積み、人々の幸福のために献身すると必ず素晴らしいことが後々まで実現して来ることは確かである。
 私たちは、菩薩としての使命を実践することを考える前に、「人生の目的如何?」をまず考えるべきであろう。それについては、p49に書かれている。神をこの世に実現することが人生の目的であるとしている。菩薩道を歩み、人のために生きること自体が、神の生き方であり、すでに人生の目的を生きているのではなかろうか。

 また、同書p59には「伝道こそ信仰の生命」として、伝道なき信仰は本当の信仰ではないことが書かれている。従って、p68には、仏の使命は説法であるとして、真理をお伝えする法施の大切さが強調されているようだ。
 しかも、p69には、伝道するだけではなく育てる、すなはち「わが羊をやしなえ」として、キリストが十字架にかかる前に弟子に託した言葉がつづられている。谷口雅春先生の御著書『ヨハネ伝講義』の御文章だが、キリストの言葉を読んで、「滂沱として涙が流れた」ことが書かれている。谷口雅春先生がキリストの言葉を神様からのお言葉として受け取られたからであろうか。
 私たちは、「吾が羊をやしなえ」というお言葉を誌友会にお出でになる会員、信徒、初心者、などすべての人をさらに菩薩の境地に達するように、お世話をさせていただく必要があろう。

 また、『菩薩は何をなすべきか』のp55には、有名な「第9条 生長の家大神ー総裁・副総裁ー御教え」が書かれている。生長の家の運動に於いて、信仰姿勢に於いてこのことは、特に重要である。
  しかも、p103には、「第12条」について書かれている。すなはち、「謙虚に求道し、愛行させていただく」という精神と行動が必要であるとしている。
 私たち、島根教区は平成22年11月28日(日)に講習会を開催させていただくことになっている。それは、二年に一度の最大の行事であり、生長の家大神様が天降り、総裁先生を通して、私たち島根県民に真理の説法をなし給うのであります。前回に増して、参加者が増加するように最大限の伝道を行わせていただく決意であります。

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 講習会は、平成22年11月28日(日)です。新しい人をお誘いしましょう】

 2010/02/21のブログは、「京都と犬張子」です。京都第一教区の講習会が前回を上回り大盛会であったことが書かれております。また、犬張り子のことは絵手紙に書かれた絵をご掲載しておられます。拝読下さい。
http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は、白鳩会さんが会合を開いていた。盛会だった。夜は、青年会が学習会を開いた。一期一会というが毎回が真剣勝負である。

 中内 英生

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February.22.2010「人類最古の哲学」

Photo February.22.2010「人類最古の哲学」
今日の詩::早春の 岬に吹くは 潮の風

 2010年2月11日の総裁先生のブログ「建国神話のメッセージを読む」で『人類最古の哲学』という本をご紹介しておられた。それで、インターネットの古書で取り寄せた。中沢新一教授の著書は、以前も総裁先生がご紹介しておられて、なかなか面白い内容である。

10頁から11頁にかけて、興味あることが書かれています。「はじまりの哲学」という小見出しです。内容を簡単にご紹介します。

 今日の学校教育は、神話についてほとんど語らない。神話は幼稚で非合理的、非科学的で、遅れた世界観を示しているとされている。それ故価値がないと。戦後の日本は、古事記や日本書紀に語られている神話を殆ど教えたがらなくなった。これは惜しいことである。
 記紀の神話は、明確な政治的意図をもって編纂されているが、その中には新石器文化に属している、なかには中石器時代にまで遡る性質をも示している、極めて古い来歴を持つ神話が沢山保存されている。これは諸文明の中でもあまり類例がない。
 アマゾン河流域の原住民が語り続けてきた神話とそっくりの内容も持った神話が、『古事記』にはある。それが、北米インディアンの神話とも共鳴し合っている。人類最古の哲学的思考の破片がきらきらと光っているのが見える。そんな魅力的なものを子供達に教えないことは何と勿体ないことか。
 学校教育が教えるものはせいぜい、この100年から150年間の間のモダン時代に集積された知識に過ぎない。哲学と言っても、ギリシャで創られた2500年ほどの歴史しかない。ところが「はじまりの哲学」のある神話では、少なく見積もっても3万数千年にわたる非常に長い歴史を持っている。その長い期間に、人間が蓄積してきた知識と知性が神話には保存されている。神話も絶えず変化や変形をしてきたが、核の部分には、最初に燃え上がった哲学的思考のマグマの熱が、未だに保存されている。従って、神話を学ばないことは、人間を学ばないということに、ほとんど等しいかと思えるほどである。

 このような内容です。従って、2月15日のブログ「神話について」の最終段落では、「神話には様々な複雑な要素が含まれているので、重層的な解釈も可能である。そこで、日本人にとって重要なこの神話について、今後さらに少し踏み込んで検討することにしたい」とお書きになっておられます。続きをお書きになられるようです。

 島根の皆様、今後、総裁先生のブログで神話についての内容がありましたら、必読です。
神話を事実であるとして素朴に教える場合と、哲学的に解釈する場合と、歴史的視点から解釈する場合と色々とあるようです。中沢教授の御著書は哲学的解釈であるとしております。

 八岐大蛇の神話にしましても、話者は信じているかどうかは別として、子供達に実際にあったものとして話することもあり(私は母親に子供の頃、眠る時によく聞きました。実に実に懐かしいです。)、農耕の歴史的なものとして、洪水で様々な方向に川が氾濫していたのを、治水工事によって氾濫しないようにしたことを、八岐大蛇を退治したというように表現したのであると説明する人もあり、谷口雅春先生のご教示のように、世界を覆うロシアの智恵を退治して、日本の象徴である稲田姫を救うという霊感的御解釈もあります。
  いずれにしましても今後様々な面から、総裁先生が「神話」について現代人に分かりやすいようにご教示くださいます。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう】

2月20日のブログは、「バイオガソリンは”環境配慮か”?」です。ブラジル大統領のことや、さまざまな情報をお書きになっておられます。最終段落で、「食糧と競合する燃料」であるので、ブラジルの場合はアマゾンの森林破壊の進行を御懸念しておられます。従って、一気に電気自動車への移行が優れているとしておられます。拝読下さい。
http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は、教化部は閉館だったが、午前は西浜、午後は加茂の誌友会に行かせていただいた。どこへ行っても誌友会は楽しい。しかし何と、平成22年2月22日だった。よくこんなに2が並んだことかと驚く。

 中内 英生

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February.21.2010「団体参拝練成会終了」

Photo February.21.2010「団体参拝練成会終了」
今日の詩::早春の 森に精霊 満ちてあり

 今日で4日間の練成会が終了した。参加者は目標に達しなかったものの、大変に皆様は喜んでいただくことが出来た。これはうれしい。バス一台、ワゴン車一台、大きな乗用車一台で行くことが出来た。TさんやHさんの体験談が素晴らしかった。来年は、目標を達成したいと思う。九時半ころに教化部前につくことが出来た。安来はさらに一時間かかる。参加の皆様、有り難うございました。

 できるだけ練成の情報を出そうと思っていたのですが、今日の動画は電池切れでうまく撮れませんでした。期待しておられた人がいたと思います。お詫びいたします。島根の皆様、今日は、これで失礼いたします。

 中内 英生

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February.20.2010「銀と銅」

February.20.2010「銀と銅」
今日の詩::春風を 電気に変える 神のわざPhoto

 「銀」というと昨日までのブログで、加山又造氏の金銀のことを書いていたので、今度は銀色と銅色かとお思いの方があられるかも知れないが、実はオリンピックの銀メダルと銅メダルのことである。日経新聞(2010/02/17)「春秋」には、永守社長のことが書かれている。「自分が変われば世界が変わる」という御教えの一つの実証のように思い、内容をご紹介します。全文は、日経新聞第一面をお読み下さい。
http://blog.goo.ne.jp/zen-en/e/2c6a77e52acc5bfb7eb1a09d8f7cd690

 バンクーバー冬季五輪で日本人メダリストを二人出したモーター製造の日本電産サンキューは、2003年まで3年間、赤字続きだったという。
 当時の社名は、三協精機製作所だった。精密モーター大手の日本電産が買収し、息を吹き返したという。なぜであろうか?

 「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」。日本電産の永守重信社長は長野県の三協精機に毎週通い、目標をあきらめない永守流を社員に説いて回ったという。30坪(100㎡)の工場を、ハードディスク駆動装置のモーターで世界首位の企業に育てた経験を、三協社員にぶつけたらしい。一円の無駄にも目を光らせたらしい。お金の問題ではなく、無駄を省くという心がすべての仕事に反映する。ここが大切であろう。

 そうした永守流が、スピードスケート男子500㍍で銀メダルを取った長島圭一郎選手、銅メダルの加藤条治選手に乗り移ったかのようだったと書いてある。このレースの瞬間を私も実況中継のテレビで見た。一度はトップに躍り出た。

 前回のトリノ五輪ではメダルに届かなかった二人が雪辱を果たしたのだった。トリノでは13位に終わり、今回も一回目6位だった長島選手には、永守さんのような粘りがあったという。

 「一位」にこだわる永守さんは、「金メダルをとってこいよ」といって選手を送り出したらしい。「銀と銅では不満かも知れない」という声が日本電産サンキューであがっているという。再建中も、永守さんは士気を考え、スケート部を廃部にしなかったという。「金をとるまで頑張れ」と永守さんは思っているだろうと、春秋のライター氏は推測していた。

 しかし、ここまで期待された選手はストレスでつぶれるであろうか?逆に力が湧いてくるのだろうか?この場合は力が湧いてきた実例であろうと考えられる。「士は己を知る者の為に死す」という諺があるようだ。志を持った士は、自分の本当の気持ち=志を知ってくれる者に対して命をも惜しまないということだろうか。アスリートにとっては、金メダルを目指さない者はいないであろう。

 それにしても、トップの気持ちが社員に徹底すると、オリンピックのメダルにも届くとは素晴らしい心の法則ではなかろうか。そのためには、時間、回数というような要素も無視できない。思いだけでは徹底する筈がない。もし、永守社長がご自分で毎週、仕事の一環として長野県の会社に行かずに、ファックスだけで通達したのならば、オリンピックで銀銅のメダルが取れたかどうかは疑わしいだろう。時間はいのちの要素なので、そこの場所へ行くかどうかは大きい。行動は、身口意の三業のうち、身であり、強烈な言葉の創化力であろうと考えられる。

 次は私が子供の頃の話である。現在、ファックスなどのサービス業の創業者でK.Iと言われる方があったが、社長さんは詐欺に合い、倒産するというところまで行った時、奥様の一言で再起したということを、青年会全国大会で谷口雅春先生がお話になっておられた。「時間はいのちの重要な要素なので、その会社経営に使う時間が少なくなると会社がうまく行かなくなる」という意味のことを講話しておられたことを記憶している。

 島根の皆様、何事でも成功させようと思ったならば、それに費やす時間をできるだけ多くしようではありませんか。現在、私たちが総裁先生から教えていただいていることは、日時計主義であり、神想観と聖典読じゅと愛行です。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう】

  2010年2月19日のブログは、「船は遅くていい」です。何事も早いことが良いと思っている人が多いかも知れないが、ブログの御文章により早いだけがよいのではない、ということに気がつかれると思います。樫の木の成長は遅い方が良い場合もあります。ちなみに私は何事に付けても遅い方です。拝読下さい。
http://www.masanobutaniguchi.com/

※「美しい地球を未来に」のテーマで総本山と教区事例発表とまとめの講話があった。教区では長崎北部と鹿児島が発表されたが、徹底した活動であり大変素晴らしかった。感動しました。大いに島根の参考になると思う。また、まとめの講話では、生長の家に対する世界の評価を知り、素晴らしいことになりつつあると思い、この運動は間違いないと確信しました。
※夜の体験談で、六人のうち最後にTさんが話ました。感謝いっぱいの思いを話されまして、会場に大輪の花が咲いたような気が致しました。素晴らしかったです。

 中内 英生

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February.19.2010「日本画家 加山又造③」

Photo February.19.2010「日本画家 加山又造③」
今日の詩::海で育ち 波と遊びし 貝の詩

(つづき)
 『火の島』を1961年に描いている。34歳で初めて手がけた金屏風だそうです。噴火を続ける桜島の凄まじいまでのパワーを描いています。大地を揺るがす轟音と広がり続ける噴煙。地球原始の力を見せつけるような火山活動です。そんな火山の持つ強烈な生命感を金色と赤色を使って凝縮し表現したとしています。
http://www.mk-one.co.jp/japan/j016.html
http://www.nikkeivi.co.jp/shop/kojin/sample_movie/art_18.html

 加山氏は、金銀の魅力に引きつけられ、独自の表現方法を追求して行ったのでした。そして遂にその成果を結実させます。

 有名な『春秋波濤』です。1966年作です。満開の梅の山と燃えるような紅葉の山です。春と秋が一つの画面に同居し、随所に金銀の装飾がちりばめられています。
春は、新しい命が芽吹き、梅の花が山を埋め尽くしています。
 やがて秋になれば、金色に包まれた燃えるような紅葉の葉が全山を覆います。中心には力強い生命力を表現したかの如くに、キリ金の黄金色がぜいたくに使用されています。

 番組のナレーターは、「日本人が感じる季節感、永遠の生命が金色によって表現された」としています。加山氏は言っています。
『正直言って、以前は自分の絵画の中に金銀を使用するなどとは、とても考えられなかった。金銀色の持つ重さは経過していく時間をさえ吸収してしまうのだ。超現実的なものではなく、最も象徴的なものである』と。

 この絵で、金銀の持つ永遠性は、うねり逆巻く波の表現にも表れているとしています。銀色の線で描かれた「波濤紋」です。その波は西洋の遠近法とは逆に手前を小さく、奥を大きく描く「逆遠近法」です。こんな方式があるとは私は知りませんでした。
 寄せては引く無限の繰り返しを感じさせる波です。それが絵の中に永遠のいのちと無限の時間を与えているようです。
 それが加山氏が辿り着いた新しい自由な日本画だったのだとしております。

 加山氏は51歳の時、水墨画40点を一挙に発表しました。彼が挑んだいのちの新しい表現方法であるとしています。
 44歳の時、病で二度の大手術を受けた後、絵と深く向き合うようになります。
そして、『千羽鶴』を発表しました。(一番上の作品です)

http://izucul.cocolog-nifty.com/balance/2009/01/post-ea68.html

そして、自問自答します。
『自分とは何か?絵画とは何か?その原点に立ち帰らなければならない』と。
昭和53年、彼は美術界に衝撃を与えることになります。
当時の新聞には、「この秋の歴史的事件、水墨画復活」などと書かれているのが紹介されていました。
 そして、自らの個展で40展もの水墨画を一挙に公開したのでした。

 1977年『月光波濤』を発表します。
月灯りのもと、岩場に激しく打ち付ける波が表現されています。したたり落ちる水と、飛び散る飛沫、止まった時が永遠に続いてしまうかのようです。そういう感じの墨絵です。
(三つの内一番下の作品)
http://izucul.cocolog-nifty.com/balance/2009/01/post-ea68.html

加山氏は次のような意味のことを言っていました。
『私が水墨画を描く時に、ものすごく静かな世界を墨を入れながら描いている。ゾクッと感じられるような一瞬が出てくるような気がする。つまり、いのちがざわめいている、生きている、生まれると云った感じが、墨の不思議さから見える気がする。日本の情緒、死生観とかが出てくる』と。
 テレビではよく聞こえない部分があったのでやや不正確だが大体このような意味だったように思います。
 私は、墨絵というものがこんなすごいものかと、初めて思いました。これから墨絵に対する見方が変わるでしょう。ポスジョイの「書」のところに墨絵が出ていましたが、大変素晴らしいと思います。

 生と死を封じ込めたかのような静かなる一瞬、加山氏が挑んだ精神世界です。76歳でこの世を去る迄、旺盛な好奇心で制作に取り組んだといいます。『”日本の美とは何か?”を求め続けた一生でした』とナレーターは讃えていました。”素晴らしい”と番組に出ていた参加者は言っていました。
(おわり)

※今日は午後は献労があった。山に登りながらの献労は大変心地よいものだった。現場まで歩くのが実に快い。

 中内 英生

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February.18.2010「日本画家 加山又造②」

February.18.2010「日本画家 加山又造②」Tirisogalo_tenpihosi
今日の詩::渋柿の 日々甘さ増す 天日干し

 (つづき)
 加山氏が感動したのは、俵屋宗達の「扇面散図屏風」だった。琳派の屏風絵です。琳派の絵は実にデザイン的に美しいのです。繰り返しの美があります。
 今日は、本山に来ていますが、ポスジョイに水仙の花を投稿しましたけれども、葉の並んでいる繰り返しの姿にはやはり琳派的な美を感じてしまうのです。
  しかし、繰り返しているからと云ってもまったく同じと云うことはあり得ません。私たちの身体でも、常に同じように見える細胞の交替が行われていますが、あらゆる面で状況が違っているはずです。

 幼い頃、父親の工房の画集で見慣れていた筈の絵が、その時、まるで違ったものに見えたのでした。加山氏は言います。

 『古く見慣れてしまっていた宗達の屏風を鑑賞しているうちに、頭の奥のさらに奥の方から、心底温かいうれしさがしみじみと感じられてきた。』と。

 華麗で優美なデザイン的装飾、型による繰り返しの表現、京都が生んだ日本ならではの様式美、琳派の名作の数々は、最先端の西洋画をも遙かに超え、現代に通じるもの、革新性に溢れていると感じたのでした。

尾形光琳の『八橋図屏風』があります。   
http://www.salvastyle.com/menu_japanese/korin_bridge.html

加山は言います。
『若い私は、ハッキリと自分の可能性の灯を見つけ得た気がした』と。

1950年には、「狼」を発表しています。
デザイン化された草が表現されています。同じ形の繰り返された狼たちが表現されています。加山氏は琳派の様式を巧みに取り入れて新しい日本画を生み出したようです。

1955年は『駆ける』を表現しています。
そして、この作品は画壇で高く評価されることとなります。しかし、加山氏は決してそれで満足することはありませんでした。
http://izucul.cocolog-nifty.com/balance/2009/06/vs-5b3c.html

 自らが目指す日本画を完成させるためには、どうしても必要なものがあったといいます。
それは、琳派の神髄、金と銀への挑戦であったのです。
 私は以前、金沢に住まわせていただいたことがあり、事務所の隣が金箔工芸館でした。金箔の芸術は素晴らしいものがあると感じます。また、鶴太郎さんの絵もよく金色を使っておられます。私も時々、金色か銀色を使うことがあります。

俵屋宗達作の『扇面貼付屏風』という絵があります。
加山氏は言います。
『繊細な金銀が見せる世界は、現代の新しい美にはるかな道を示してくれている気がした』と。

 加山氏が見いだした金銀の魅力とは何だったのでしょうか?加山氏は金箔銀箔の伝統的技法を学ぶために自ら専門家に教えを請い、修行を始めたのでした。
金箔を押す。金箔が粉になった「砂子」を撒く。細く刻んだ金箔を絵画の上に施す「裁金」(キリガネ)。
 加山氏は、限りなく可能性を追求していったのでした。キリ金の作業を手伝っていた長女の文子さんは次のような内容を語っています。
  加山氏は道具まで自分で工夫して作っていたようです。
『色々な筒を切って、糸を通したりするのが父の仕事でした。自分でやったり、サイズによって、網の目を決めるということです。自分が興味をもったことには、トコトン追求する。それが顕著だったように思う』と。

 島根の信徒の皆様。画家の生き方は、信仰者の求道の姿勢に似たものがあり、参考になると思いませんか?
(つづく)

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。 講習会は、平成22年11月28日です。新しい人をお誘いしましょう】
  2010/02/16のブログは、「政治的意見は性格による?」です。ニコラス・クリストフ氏の記事をご紹介しておられます。面白い内容です。最後に、

”「政治的意見は、性格や生理反応が関係している」という視点を、頭の隅に置いておく価値はある”とご教示されております。

※今朝は、外へ出てびっくりした。雪が降っていた。そこで雪靴で本山へ出かけたのだったが、九州に来ると全然、雪はなかった。やはり南だなあと思った。
※皆様、お元気で第一日目の受講を終わりました。

 中内 英生

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February.17.2010「日本画家 加山又造①」

February.17.2010「日本画家 加山又造①」Photo
今日の詩::蕗の薹 犬の散歩で 春を知る

  迷宮美術館(2010/02/13)で、加山又造という日本画家の人生を放映していた。
 加山氏の代表作に「春秋波濤」という1966年の作がある。実に見事な作品である。
http://blog.goo.ne.jp/supika09/e/e2330144a8752919edc7558cd8dea4cb

俵屋宗達から300年経っています。彼は昭和の琳派と称された巨匠でもありました。新たな日本美を求めて、昭和2年京都の西陣に生まれています。
 父親は勝也氏、和装図案家でした。古今東西の画集が図案の資料として工房には溢れていました。子供の又造にとって、中でもお気に入りは、北斎漫画でした。
 まだ馬という字を覚える前から、馬の絵を描いていたというのです。
小学校卒業後、日本画家を目指して、京都の名門美術学校へ入学しました。京都市立美術工芸学校絵画科でした。

 13歳の時に描いた群猿図があります。1940年です。お猿さんの絵でした。身体を寄せ合う細密な描写です。しっかりとした技術と感性が感じられる絵です。
1942年には、「きつね」を描いています。学校では描き方は勿論、使う道具も紙の種類も、準備の仕方まですべてきっちりと定められていました。
(子供の時の絵はインターネットで調べたが、なかなか見つけることができません。あしからず。)

 加山は、伝統的な日本画をたたき込まれてひたすら技術を磨く日々を送ります。
私たち信仰者も、まずは御教えの基本的な行じ方を徹底的に学ぶ必要があるのではないでしょうか。
 昭和16年、16歳の頃、太平洋戦争が勃発します。戦闘が激化し、いつ命を落としてもおかしくない時代の中で加山はある決意をします。
 『伝統的な進学よりも、思い切って自分を試してみたい!』

 加山は京都の素晴らしさは痛いほど分かっているつもりだが、一分の隙もなく構築された古都にはどうにもならない息苦しさを感じていたようです。
 17歳の時、生まれ育った京都を去ります。東京の「東京美術学校」へ進学します。しかし、自由を求めて上京した東京で今までにない戸惑いを感じます。そこには小林古径や山本丘人などがいました。東京美術学校の教授陣は、自由に新しい日本画を描き通そうとしました。

 しかし、加山は、『自由にやれ、と言われても、どうしていいのか皆目分からない』と思います。加山は、絵の道で初めて暗黒の迷路に入り込んでしまったのです。
(人間は、魂の目覚めの前段階でこのような状況に陥ることがあります。これは後になって、自分にとっては、必要だったということが分かるのです。しかしその時は、分からないようです。勿論、これはあくまでも『自分にとって』です。)

 昭和20年に終戦となります。敗戦後の日本から大きな波のうねりが押し寄せてきます。例えば、「日本画滅亡論」です。「日本画の保守的な表現方式では世界に通用する芸術とはなり得ない。西洋的表現こそ正しい。」などという論調だったそうです。

 新しい日本画を模索していた加山は、そんな時代の渦の中に沈んでしまいます。
1950年作の「動物園」23歳の作品です。デフォルメされた動物の形がありました。大胆な色彩です。そこには若き加山の苦悩があったとしています。
 彼は回想します。『それは自分の思い描いている絵画の創造とはほど遠いものであった』と。    
http://search.artmuseums.go.jp/gazou.php?id=2791&edaban=1

 当時ようやく流入してきた海外の美術雑誌や画集に学んだヨーロッパの新しい絵の表面的な合成に過ぎなかったようです。
 そんな時、東京で開かれたある展覧会で運命的なある『絵』との再会を果たすのでした。それは東京国立博物館でした。それは、俵屋宗達の「扇面散図屏風」という琳派の屏風絵でした。
(この絵も有名ですが、インターネットで検索できませんでした。ご自分で検索してみてください。悪しからず。)
(つづく)

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう】

2010年2月15日のブログは、「神話について」です。民俗学者の大林多良氏の定義や、インドネシアのセレベス島北部のミナハッサ族に伝わる釣針喪失神話が海幸・山幸の話との類似などをお書きになっておられます。大変興味尽きない内容です。
http://www.masanobutaniguchi.com/

※産経新聞(2010/01/11)の産経抄には、東京・銀座での写真展をプロジュースした島根県出身の高橋一清さん(65)のことが書かれていた。松江の人でありましょうか。
 文藝春秋の編集者だった高橋さんは、「芥川賞、直木賞作家をもっとも多く育てた男」として知られるという。現在は松江観光協会での通常勤務の他、有名作家を招いて地元で文学学校を開き、『松江観光事典』など関連書籍を編集するなど、多忙を極めているらしい。『松江には、和の心、日本の美が残っている。おいしい料理、温泉だけではない。文化で人を引きつけたかった』とのことだ。定年後文学館の館長などの誘いを断り、故郷に帰る道を選んだ理由を語っている。『もっと旅をして見聞を広めてほしい。そこで故郷の良さが再認識できたらもっといい』と。
 こういう方が松江にはおられるようです。さすが松江、と思いました。谷口清超先生が東京へお出でになったところです。

※人工衛星の”「いぶき」の観測データの解析結果(二酸化炭素・メタン濃度等)の一般提供を開始”するそうです。これは、明日からのようです。各国の状況が視覚的に確認できるのでしょうか。今朝のテレビニュースで放映していましたので、検索してみました。18日からのようです。
http://www.gosat.nies.go.jp/jp/related/201002.htm

 中内 英生

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February.16.2010「勝間和代さんの人生を変えるコトバ」

February.16.2010「勝間和代さんの人生を変えるコトバ」
今日の詩::回廊を 渡る子供ら 春の風Photo_2

 朝日新聞(2010/02/06)に「感情を引きずるのは自分の責任」という題で書いておられた。これは、勝間さんが翻訳した訴訟コンサルタントのフィリップ・マグローさんの著書『史上最強の人生マニュアル』にあった言葉らしい。
 それは、自分が正しいか相手が間違っているかという問題ではなく、被害にあって抱いた悪感情をどこで断ち切るか、コントロールすべきかということらしいです。

 これは、『生命の実相』第7巻頭注版p104の「十、わが心の王国を支配せよ」の御文章を拝読するとより一層と言うよりも、実質的に体得できるのではないかと思います。要するに、生長の家の聖典には既に同様の事が説かれているのです。ただ、勝間さんの文章は現代女性の感覚と言葉で書いておられるので、理解しやすいという面はあると思います。『生命の実相』をもっと読み込んで参りたいと存じます。『生命の実相』を拝読すると、存在の実相と方法論とを確実に教えていただけることが分かると思います。

 勝間さんは書いています。「どうしても私たちは、自分は悪くないと思いこんで、相手に責任を押しつけ、被害者になることで自分の心を落ち着かせようとします。しかし、ここで問題なのは、自分が正しいかどうかではなく、誰が事態を変えられるか、なのです。そして、それは往々にして自分しかないのです。」と。

 実に巧みに表現しておられます。『生命の実相』第7巻p113を紐解いてみましょう。
『ところがこの恐怖の感情は自分と神と一体である。自分は大宇宙と共に生きている、たとい外見はいかに見えようとも、あらゆる事物が渾然として自分自身の生長のためにのみ運行しているとう根本観念が、心の奥底に植えつけられさえすれば自然に消滅してしまうべき性質のものであるのだ。」とご教示されております。
 その心境に至る方法として、就寝前十分間、時間が許せば三十分でも一時間でも神想観をするように勧めておられます。そして、p114の1行目からですが、「かくしてわれらが神との無限の一致に到達するときはたとい外見がどう見えようとも、万事万物が自己を中心として、自己を育ててくれるために運行しているという霊的実感がたましいの底の深いところから湧きあがってくるのである。」と示されております。

 『生命の実相』を拝読する時、素晴らしい無限力が湧出して参ります。島根の信徒の皆様、大いに拝読いたしましょう。私が思いますのに、読み込めば読み込むほど、現在の総裁先生のご教示の深さがより一層、理解できるのではないかと思います。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう】
 2010年2月12日のブログは、「「神武東征」のもう一つの見方」です。武光誠教授の『一冊でつかむ天皇と古代信仰』という著書の紹介をしておられます。大変興味深い内容のようです。拝読下さい。
http://www.masanobutaniguchi.com/

※日経新聞(2010/02/12)の春秋には、堀田庄三さんのことが書かれている。1950年代から70年代にかけ住友銀行の頭取、会長を務めた堀田庄三さんは、晩年の楽しみの一つが水彩画だったという。「葉を緑ではなく、青で描く。感じたまま大胆に」という描き方だったそうだ。取締役を退いた後の85年の言葉。堀田さんはその2年前まで日本航空の会長職にあったらしい。自分の色を出せなかった心残りが、絵の大胆な色使いに現れたのかも知れない、と「春秋」は分析していた。こういうような見方もあるということを初めて知った。善し悪しは別として「なるほど!」、である。

※「季語」という言葉がある。梅の花は季語の一つだとは思うが、元来日本の花であろうか。実は、中国である。メイと音読みで発音するという。それが、「ウメ」となる。その事実を日本人が意識しないまでに、日本の花となった。その功績は、奈良・平安朝を通しての王朝の人々の梅花愛好のによるところが大きいとのことである。有名な小野老(オノノオユ)の「あをによし寧楽の京師は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」という匂うは、梅の花のことであろうと。これは、朝日新聞(2010/02/6)の「高橋睦郎の花をひろう」からである。この欄は大変面白いので時々読ませていただいている。 

 中内 英生拝

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February.15.2010「神のような振る舞い」

February.15.2010「神のような振る舞い」
今日の詩::冬木立 エナジー貯めて 時を待つPhoto

 『生長の家白鳩会』機関誌(平成21年10月号)4頁からは総裁先生により「信仰による戦争の道」が書かれている。12頁には、次のように書かれている。

 (前略)私は上の分析に概ね賛成するが、⑤については異議を唱えたい。なぜなら、ここで指摘されている「神のような振る舞い」とは、「残虐で無答責」という意味だからだ。旧約聖書に出てくる”神”は、確かにそのような振る舞いをするのだが、そんな神への信仰は、生長の家とは無縁である。しかし、人間を罪深く、価値の低い存在として見る信仰では、全能の絶対神は、人間を虫ケラのように殺戮して何ら顧みることはない。だから「特定の神」への信仰が問題なのであって、「神への信仰」一般が残虐行為を生むと考えるのは間違いである。…(後略)

 私は「人間観」と「神観」とは人制に於いて実に重要であると言うことをこの御文章で知った。「人間を罪深く、価値の低い存在として見る信仰では、全能の絶対神は、人間を虫ケラのように殺戮して何ら顧みることはない。」とは如何なる意味であろうか。神から虫ケラのように殺戮されることを考えることができる信仰では、そうされることを当然とする自虐的な人間観があるということだろうか。そのような思いは、さらに現実的不幸を生み出してゆくのではなかろうか。
 幸いにしてそんな「無慈悲な神」への信仰は、生長の家とは無縁であると、ご教示されている。
では、逆に「人間は神の子であり、完全円満である」とする信仰では、その人間を生んだ神そのものも又、完全円満であると考えることになる。その信仰は、想念だからそれなりの現実を生み出すことになる。

 私が若い頃、元本部講師でKさんという講師がおられた。実に雄弁であり、徳川夢声というマルチタレントと同じくらい雄弁だったとも言われていた。K氏は私の上司だったが、長時間本当に聴衆を引きつけて離さない雄弁家だった。ちなみに徳川夢声は、島根県益田市のご出身である。思い出だが、私が高校生のとき、「K元本部講師がテレビにでている」と母が言うのでテレビを見ると、K氏がテレビ結婚式で、話をしていた。その時の司会がどうも徳川夢声だったと記憶している。
 元に戻るが、そのK元本部講師が、講話の時に必ず「人間観、世界観などというものほど重要なものはありません。これで人生が決まります」という意味のことを毎回話していた。その頃は、私は講話の司会をしながら聞いていたが、それほど需要だとは思わなかった。しかし今考えてみると、「実に大切なことを話ておられたなあ」と思い出す。

 人間神の子の自覚を深めるには、聖典の拝読、神想観の実修、真理の実践の三つが必要であると教えられている。それらのことを、『日時計日記』には、記録できるようになっている。
 島根の皆様、今日は日時計日記を付けて、良かった探しを行いましたか。一日10個探すことができれば、一年で3650個できます。一日の歩みは遅くとも一日一ミリでも前に進みましょう。

「日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう」

2010年2月11日のブログは、「建国神話のメッセージを読む」です。「建国記念の日祝賀式」でのご挨拶の内容です。島根の信徒の皆様必読のメッセージです。

※今日は、江津での先祖供養祭が行われた。今までと違い、御祭のあとで、30分間の私の講話、これは『人生を支配する先祖供養』と『新講甘露の法雨解釈』の両方をお話する。あと30分間で座談会とした。聞いていると、先祖供養を始めてから、次第に徐々に過程が整ってきたという方が数名おられた。質問も数人あり、座談会でアドバイスができることが分かった。今後は、この方法で行いたい。前もって個人指導をして欲しい方は、帰る予定を遅らせてご指導申し上げたいと考えている。この地は、11月には、講習会の会場となるので、大いに幸福な信徒様を増やしておく必要があると考えている。

※春風を 電気に変える 神のわざ
 風力発電機が元気に回っていた。

 中内 英生

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February.14.2010「出雲のイナズマ」

February.14.2010「出雲のイナズマ」
今日の詩::金色の 夕陽を背負い シジミ取り Img775
木枯らしや 夕陽に染まる シジミ舟

  日経新聞(2010/02/11)によると、大社の里見さんが将棋女流2冠を達成したと書かれている。将棋の第36期女流名人位戦五番勝負第3局が10日、東京・将棋会館で行われた。午後5時、131手で、先手の挑戦者、里見香奈・倉敷藤花(17歳)が清水市代・女流名人(41)を下し3連勝でタイトルを奪取し、女流2冠となったと書かれている。

 10代での将棋女流2冠は1983年に15歳で達成した林葉直子元女流名人・女流王将に次いで史上2番目の若さである。里見新名人は島根県出雲市在住の高校3年生だ。2008年秋、16歳で倉敷藤花の初タイトルを獲得した。終盤の鋭さから「出雲のイナズマ」の異名を持っているという。高校卒業後は進学せずに、地元で将棋一本の生活をするという。

 島根は頑張っていますね。同じ出雲市に住んでいる者として、うれしいです。都市に住んでいなくても、気持ち一つで様々な面で成長できるということでありましょう。特に、インターネットがある時代ではそれが可能でありましょう。八ヶ岳と出雲とどちらが田舎かということになると、答えは分かりきっています。要するにインターネットは地域性を越えるということでありましょう。

 さらにもう一つ、朝日新聞(2010/02/6)の天声人語には、朝青龍のことから横綱双葉山のことまで書かれている。
 これほどの騒ぎは横綱双葉山の連勝ストップ以来ではないか。69連勝のあと、ついに破れたのは71年前であるという。歌舞伎座でニュースが伝えられると、客席が凍り付いたようになったとの逸話も残っているらしい。日本中がこの話題で持ちきりになった。このことに関してであるが、勝った力士は、稽古で双葉山にあたらないように工夫をしていたという。稽古で双葉山にかなりのダメージを与えられるからだという。その力士は、双葉山の69連勝を阻止して大喜びで支障の所へ報告に行った。すると師匠は喜んでくれると思いきや、『勝って驚かれる力士になるよりも、負けて驚かれる力士になれ』と云ったそうである。これは至言のいうものだろう。返す言葉がなくなる。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう】

2010年2月10日のブログは、「国際平和育英制度が発足」です。島根からも使命感溢れる若い方がぜひこの制度に応募していただきたいと願っています。私自身も、練修生制度という制度がかつてありまして、そこで大変お世話になりました。そのお陰で現在があります。「国際平和育英制度」は素晴らしい人材を養成し輩出すると確信いたします。

※今日は、来年度の年間行事計画の予定を行った。本部の方針に従い、炭素ゼロの運動を展開している。来年度は講習会がある。この講習会で島根教区は大きく成長するに違いない。

 中内 英生

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February.13.2010「松江生命学園の獅子舞い」

February.13.2010「リズム良し 国の肇めを 獅子祝う」

建国記念式典の後で、松江生命学園の子供達の獅子舞が披露されました。この生命学園から昨年は、二人の市長賞を受賞した子供達が出ました。生命学園は素晴らしい教育内容のようです。

 中内 英生

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February.12.2010「臓器移植」

Photo February.12.2010「臓器移植」
今日の詩::大木も 日々の見えざる 進一歩

 今日は、臓器移植について、K地方講師のまとめの文章を元にして、島根の信徒の皆様のために論考を行いたいと思います。

 まず、生長の家の考え方は、「人間は不死である」という御教えです。従って、「脳死は人間そのものの死」とは認めず、また、「心臓死は人そのものの死」とも認めないことになります。肉体的には脳と心臓は停止することはありましても、人間そのものの活動は停止することはありません。また、心臓が停止した後でも動き出すこともあり得る、ということを耳にしたことがあります。

 しかし臓器移植は、臓器の提供側と受け手側の利害が必ずしも一致しないところに、基本的な問題があるとしております。
 個人的な問題としては、提供側は、提供者が脳死か心臓死の時の処置を明示している場合は問題ありませんが、家族間の感情の問題は残るようです。日本ではなかなか臓器提供者が増えないというのは、すべては仏物と観る「仏教の考え方」や、肉体を荒御霊として観る神道の考え方が根底にある可能性が考えられます。
 受け手側としましては、他人の死を待ち望む心境になるのではないでしょうか。「他人の臓器を得る権利がある」と考える人が出てくる可能性もあり得ます。はたしてそれは、人間として正しい倫理的な生き方・考え方でありましょうか。
  社会的な問題としましては、社会全体としてバランスがとれていません。要するに提供者が少ないのです。

 現在の臓器移植法が扱っている範囲は、心臓死と脳死により死んだ人の臓器だから、社会全体では一種の「臓器のリサイクル制度のようなものであり、言い方によると、「臓器を使えるうちに他人に回す」制度ですが、提供される臓器が不足しており、臓器のリサイクルではなく、現在では、「創出」の技術が開発されつつあります。
 つまり、新しく臓器を作ることであり、これが出来れば臓器の提供側の問題はもちろんのこと、受ける側の倫理的ジレンマも問題も軽減するし、移植にかかわるコスト削減にも繋がる可能性もあるとしていいます。
 これは、日本ではなかなか臓器を得ることが難しいので、外国の死刑囚の臓器を購入したり、貧しい国の人の臓器を購入したりすることが時々新聞に掲載されていますが、そこには倫理的な問題もあるのではないでしょうか。
 従って、新たな医療分野は、「再生医療」という分野です。

 再生医療の分野についてですが、ES細胞やips細胞の技術がこの分野の先端的技術です。
ES細胞は受精卵を使いますので、倫理的に問題があり、iPS細胞は、癌化のリスクあるとされております。
ES細胞は、「受精卵を使う」という問題があり、iPS細胞は、癌化のリスクがあるものの今後、癌化を防ぐ技術も開発される可能性もあります。そして、iPS細胞は卵子や精子などの生殖細胞を除く「体細胞」を利用した再生医療ですので、研究が進んでいます。開発者によりますと、ES細胞と同様の能力を持っているとしております。

  再生医療研究の先端では、すでに臓器移植を不要とする技術が完成に近づいているようです。

 別の医療法もあります。動物の臓器と人間の臓器とを合体あるいは融合させることで、新しい臓器「ハイブリッド臓器」の生産が現実化しつつあることです。例えば、豚の枠組みから作った心臓弁などを体内に持つ人々が欧米の人には多いそうです。今後、このハイブリッド臓器を持った人々が増加することが考えられます。
 将来、再生医療が進んでいく道は、脳死段階での臓器移植を増やす方向へではなく、病院や専門ラボで患者の幹細胞を使って、再形成された新しい臓器の移植です。これによって、脳死段階がもつ様々な問題は、回避できますが、その代わり、ハイブリッド組織や、ハイブリッド臓器を持つ人々が増える可能性があります。
 これを人間の幸福の増進と言えるかどうかは別問題であるということでありましょう。そして、世代間倫理の問題も含まれる可能性があります。

この技術を人間が「何の目的に」「どう使うか」という問題があり、使い手である人間の心を向上させることが、喫緊の課題であるとしております。要するに技術を活用する人間の魂を向上させる以外にない、ということでありましょう。

結論を言えば、「人間を肉体である」とする観方から様々な問題が発生しているのですから、「人間は神の子であり、肉体ではない」という根本的自覚に「観の転換」を行う必要がありましょう。
さらに、結論を申しますと、「基本的に、人間の利己心や欲望を最大の理由にして、これらの技術を使用してはならない」ということでありましょう。「できる」ということと、「してもよい」ということとは同義語ではないようです。

 私はこれらの問題を考える上におきまして、総裁先生御著書『神を演ずる前に』や、NHKのサイエンス・ゼロや新聞の記事などを読む必要があると考えます。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう】

2010年2月 8日のブログは、「寒冷化も温暖化?」です。拝読下さい。最期に、「地球温暖化は20世紀を通して測定された否定しがたい現象であるから、その過程で一時的に寒冷化が起こることと比べてはならない」としておられます。
http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は、終日、受験勉強会を行った。真理の研鑽はかくも楽しいものでありましょうか。10人の皆様が最後の追い込みの学習を行っておられます。感謝。

 中内 英生

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February.12.2010「青年会教区大会での講話」

February.12.2010「青年会教区大会での講話」

1月31日に行われた青年会教区大会での工藤講師の講話です。大変、素晴らしい講話でした。ご承諾をいただきましたので、一部ですが、島根の皆様にご紹介いたします。

中内 英生

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February.11.2010「建国記念の日の獅子舞い」

February.11.2010「建国記念の日の獅子舞い」

今日の詩::土佐の海 仲良く親子 群れ集い 潮を吹きつつ 春を知らせん 

 今日は建国記念式典の後で、出雲生命学園の子供達が獅子舞を踊ってくれた。素晴らしい踊りだった。

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February.10.2010「なぜ絵を描くのか?②」

Photo February.10.2010「なぜ絵を描くのか?②」
今日の詩::十一面 春風さそう 観音像

 先日、なぜ絵を描くのかの説明をさせていただいたが、今日は誌友会での心得をK地方講師がまとめてきたご文章を参考にして書かせていただきます。 

 どんな気持ちで、「開催者の技能や芸術的感覚を生かした誌友会」を開催すべきでありましょうか。その意義と指導の心得はどうあるべきでしょうか。

 まず、新しいタイプの誌友会は日時計主義の生き方の実践の一つであるということを知らなければなりません。
 み教えでは現象の中で真実の存在(実相)を反映するもので、良きもの、善、美、真実の行動などを「真象」と呼んでいます。
 これに対して悪現象を実相世界には存在しない偽りの現象という意味で「偽象」と呼んでいます。もちろん、それは現象であり、実在ではありません。
 しかし、すべての真象を見つけては一つ一つ感謝しておりますと、幸福感に満たされれてくるのです。それを日々、実感することができます。

 日時計主義とは、真象をより多く見、感じる為の実践であり、真象であるところの人生の明るい面にのみ、心の焦点を合わせた生き方であり、日常生活の中で楽しい事、明るい事、感謝すべき事等に注目し、それを心に印象づける事によって、実際の生活を明るく豊かで、感謝に満ちたものに変革する生き方です。
 それは生活実践です。生長の家が実践哲学であると言われる由縁でありましょう。

 私達が物事を見たり考える時にその物事自体がもつ感覚的味わいを優先的に感じる感覚優先のものの見方と、その物事が自分に対してどういう意味を持っているかを優先して考える意味優先(認識)とがあります。
 感覚優先のものの見方、考え方が日時計主義の実践であるのです。意味優先の考え方は左脳を活用し、感覚優先の見方は右脳を活用していると言われております。

 また、新しいタイプの誌友会開催の意義は実践を通して真理を生活に生かすことを学ぶのです。

 真象をより多く見、感じその感動を共有します。その感動の共有が実に楽しいのです。
そしてすでに与えられている神の恵みに感謝する事が主です。
 従って、絵手紙などの表現技術の向上を目指すものではありません。楽しく実践できるように導くことが大切であるとしております。
 上手に描くということを考えなくて良いというお言葉を拝読して、私の心は大変楽になりました。それから、毎日一枚を描くことを目標に描かせていただき、数えてみますと600枚となっていました。

※今日は、午前中は隠岐の島で先祖供養祭を行い、午後は3時過ぎの出航まで学習会を行い、松江に着いたら、夜の松江道場の受験勉強会に合流し、そして帰宅した。帰宅して、明日の講話の準備をし、ブログを書き、ポスジョイに投稿させていただいた。自分一人ではとてもこんなには行動範囲を広げることは無理だろうが、一緒に手伝ってくれる人がいるのでなんとかこなす事が出来ている。そして、家に妻がいてくれるからこそ継続できることを感謝した。
  また特に昇格受験の学習をしている時、総裁先生の御心を知ろうとしてお互いに研鑽に研鑽を積んでいく。この時、幾度となくその御心の御真意に触れる度ごとに説明していて感動で声が詰まるのを覚えた。
 昇格受験の学習の期間こそ、自分にとっては一年で最も充実した時期であると思える。

 中内 英生

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February.09.2010「隠岐の島の子育て」

Photo February.09.2010「隠岐の島の子育て」
今日の詩::ラフランス 香りの樹林 通り抜け

 今日は隠岐の島にきていますが、ここで「子育てだより」という印刷物を発見しました。隠岐の島町子育て支援センター「カンガルー」の発行のようです。写真にはお母さん達と子供達がお餅つきをしている光景が掲載されています。ただそれを見るだけでうれしくなります。隠岐の島にも「生命学園」が出来る可能性があるのではないでしょうか。「若い母親と子供達がいるところに必ず生命学園あり」と言われるほどの運動になれば素晴らしいことになると思います。

 「節分ってなあい?」という小見出しがありました。
節分は季節の変わる時期を意味します。古い年の悪を払い、新しい年の幸せを招くための儀式として、豆まきの行事が行われています。「鬼は外、福は内」と大きな声で豆をまきながら、「泣き虫」や「いじわる」「怒りんぼ鬼」などを追い出して、「にこにこやさしい元気な福の神が入ってくる、と書かれていました
 豆を年の数だけ食べると病気や災厄から免れるという意味があるそうです。
 まめまめしくという言葉もあるのではないでしょうか。

※今日は、海外伝道すなはち隠岐の島へ来ている。直行便がないので、あちこちの島へ寄りながら渡航する。約4時間20分間かかった。夜は、2月13日に行われる地方講師受験のための学習会に当てられた。Kさんという女性講師が指導に当たっている。私は質問に答える形である。講師養成の面であるが、地元で育成体制が築かれつつあるのはうれしい。

 中内 英生

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February.08.2010「聖経『甘露の法雨』の功徳」

February.08.2010「聖経『甘露の法雨』の功徳」Photo_2
今日の詩::蝶に蜜 花交配の 生かし合い 種は栄え行く 多様性満ち

 平成22年1月22日の夜に、青年会の会員学習会を行ったが、テーマは「聖経の功徳について」だった。この日は、I青年会員が発表した。レジュメを作っていたので、その内容を学習した。大体は次のようだった。

 最初の学習は、「聖経出現の由来について」だった。『甘露の法雨』というのは以前※h、経本型ではなかったそうだ。
 谷口雅春先生が、インスピレーションを受けられて、『甘露の法雨』書き、『生長の家』誌に掲載されたのだった。何と、スラスラと一時間ばかりの間に書き上げたという。考えられることだろうか。聖経『天使の言葉』は、続きの詩だった。

 『甘露の法雨』は人間の創作だが、人間の創作でさまざまな功徳のおこる筈がないとしておられます。
 人間の心で書いた文章で「無限」に近い功徳を発揮することができるはずがない。従って、『甘露の法雨』は観世音菩薩がお書きになったと言えると書かれている。
 「観世音菩薩」というと、宝冠をかむっており、その真ん中に「阿弥陀仏」がおられる。

 観世音菩薩は、阿弥陀仏の慈悲の働きが人格化し、個人的な姿を現して出て来ておられるのです。これは「悲体」である。だからこそ、原子爆弾でも防ぐことが出来るということになるのです。

 また、聖経『甘露の法雨』を集団読誦するとさらに功徳があるとしておられます。
『甘露の法雨』は作者が観世音菩薩であるから、その詩を作った観世音菩薩の精神的リズムというものが宿っている。従って、集団読誦すると、『甘露の法雨』の詩にあるところの観世音菩薩の生命のリズムが、交響楽のように互いに合奏して、非常に強力となり、相手に送られるのです。従って、一層功徳が多いのです。

 大体、こんな内容だった。『新講 甘露法雨解釈』という聖典があるが、やはり一日一回は拝読する『甘露の法雨』の解説を拝読してから聖経を拝読すべきでありましょう。

【谷口雅宣先生のブログを拝読しましょう。 ::講習会は、11月28日(日)です。身近な人に今からお声をかけましょう】

 2010年2月 7日のブログは、「宮崎県は発展中」です。宮崎教区の講習会の模様をお書きになっておられます。参加者はプラスでした。素晴らしい成果です。拝読下さい。
http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は、62回目の私の誕生日だった。妻と家族からは、24色の三菱の水彩色鉛筆が、一番末娘からは布で作った「モノ入れ」がプレゼントされた。ささやかだが心温まるローソク消しの行事があった。感謝である。

 中内 英生

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February.07.2010「誌友会の大切さ」

February.07.2010「誌友会の大切さ」
今日の詩::海底は 激しき潮に あらがいて 厳冬支配す 山陰のカニPhoto

 誌友会は地域の真理の燈台でありますが、島根教区の極めて優秀な信仰者であるMさんより「誌友会」についてのご文章をいただきましたので、ご本人のご了解を得ましたのでそれをベースにして、「誌友会」について書かせていただきます。
         
  大切なことは、”誌友会”は地域社会を照らす"真理の燈台"だということです。
誌友会を定期的に毎月、開催してこそ「生長の家の火」を地域社会で赤々と燃やすこととなり、同時に各組織の運動の伸展もはかられるということになります。
  又、「真理を学ぶ」ことで信仰の深化、使命感の高揚がはかられ、会員ならびに参加者の連帯感が強まるのです。
確実に、定期的に誌友会を開催した場合はどんなに素晴らしくなるでしょうか。

 それぞれの組織が強化され、組織基盤が強くなり、会員相互の連帯感が醸成されます。
このことからも誌友会を開催する事が各組織を発展させる上で不可欠の要素であることがお分かりになると思います。 
  各組織の役職の方々が、誌友会開催への意識が強くなると、さらに素晴らしい島根教区になるのではないでしょうか。
  幸いにして、平成21年11月に白鳩会は100%の開催を達成されました。誠に素晴らしいことです。毎月、100㌫の開催となれば、島根はすごいことになるのではないでしょうか。島根が変わるのは誌友会からでありましょう。 
  誌友会開催に関して、各組織の縦のラインである皆様の意識的連携がとれますと、100㌫の継続実現ができるのではないでしょうか。 

  又、地方講師の皆様の真理伝道に対する真摯な信仰姿勢・使命感がさらに大切であります。地方講師の資格は総裁先生から委嘱されます。これは重大なことです。総裁先生の御心を信徒の皆様、ご参加の皆様にお伝えするために十分な研鑽、行の徹底が大切です。地方講師の皆様にとっては、毎日が練成会であるようです。
  生長の家にご縁を結ばれた方たちは、色々な形で入信され、現在生長の家の会員になっておられます。そして、み教えをいただいたご恩を神様にお返しさせていただくことにより、より一層、喜びが深まるのであります。 

  聞法の勝機を隣人に与える"ことは大切であり、『与えよう』『人を救ってあげよう』という心を持ち、それを常に実践することの大切さを教えられております。
  求道と伝道は車の両輪です、信仰深化を図るためには必須のことであり、徳積みの方法です。
 私たちは、総裁谷口雅宣先生より、法施(真理宣布)と物施(環境問題など)のバランスをとる必要性をお教えいただいております。

 私たちは、「島根のすべての人々をみ教えによって幸福にしよう」という大願も持とうではありませんか。必ず実現いたします。

  また練成会においても、誌友会に重点を置きますと、誌友会が盛り上がれば盛り上がるほど、練成会がさらに盛り上がって参ります。島根の信徒の皆様、毎月の誌友会を大いに開催しようではありませんか。

 そして、何といっても誌友会は楽しいです。浄土真宗の中興の祖と云われている蓮如さんは、「寄り合うことは、面白きことあるぞ」と云って、「講」という寄り合いを勧めました。これは、生長の家でいう誌友会にあたると思います。そして、「お文」という蓮如さんが信仰について信者にあてて送った手紙の写しを輪読しては、会合を繰り返しました。それが、戦国時代から現代まで続いていると云うことは何と素晴らしいことではないでしょうか。
 松江の城東では、谷口清超先生がおいでになられた誌友会を現在も継続して行われています。素晴らしいことです。

※日時計主義の生き方は、劇的ではない。ドラマチックではない。しかし、大きな土手を蟻の穴を水が流れるように、いつの間にかその土手も潰える時が来る。それと同じように、日時計主義の生き方を実践し、拡充することによって、いつの間にか、家庭の不調和も、世界の闇もテロリストの世界も光明化し、幸福化して、完全に潰える時が来るに違いない。唯一絶対の善なる神への信仰によって、その神から出で来たった真象を認め、確認し、感謝し、表現することによって、完全なる神のご存在と善意を信ずるに至る。それは誰にでも出来る最強の確実な信仰の方法でありましょう。島根の信徒の皆様、徹底的に実行し、実践して参りましょう。国際平和信仰運動は島根から!のお気持ちで。

 中内 英生

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February.07.2010「なぜ絵を描くのか?

Img752 February.07.2010「なぜ絵を描くのか?」
今日の詩::ユックリと 冬の日向で 干し鰈

 私たちは絵を描く行動の理由を明確に教えていただいていることは実に有り難いことです。単なる絵描きではない。私たちの行動は、生活と光明化運動に直結するという意義を持っているようです。しかし、知っていても行動が伴わなければ、本当に知ったことにはならないと言われています。知行合一の考え方です。以下の文章は、K地方講師の小論文を参考にして作成しています。日時計主義で神性表現をする心得と精神を学んで参りましょう。さて…。

 私たちは、なぜ技能と芸術的感覚を生かした誌友会を行うのでしょうか?この一年間で、ほとんどの信徒さんには理解していただいたと思いますが、復習をしてみたいと思います。
 意味優先(左脳使用)から感覚優先(右脳使用)の心境に自分を置くという状態をつくることを実践します。私たちはほとんど左脳で生きている場合が多いです。「意味優先」という言葉で教えていただいております。それで右脳の開発をするのです。右脳も左脳と同じ容量とパワーを持っていますが、右脳を鍛えることにより、左右が能力全開となると驚くべき力を発揮するに違いありません。

 絵を描く時にも、表現向上につとめるのではなく、直接感覚によりまして対象のすばらしさ、つまり「真象を 捉えることに重点を置くのです。絵を描く技術を身につける為のカルチャースクールとは全く違うと教えられています。この考え方であるからこそ、私は安心して絵を描くことが出来ました。要するに、見えるように描くと言うよりも、思った通りに描くということになります。例えば、ゴッホの絵は、決して精密ではない。ですが、強烈な印象を与えてくれます。心が表現されているのでありましょう。私は、絵も「量は質を生む」という立花隆氏の説に賛成です。ゴッホは、永沢まことさんの著書『旅でスケッチしませんか』には、たしか、一日一枚描いていた時期があったと描かれています。天才と言われる人は、ともかく量産しています。

 現象には実相を反映した真象と迷いの心の影である偽象とがあります。考えてみますと、余りにも私たちの周囲には、真象が多いのです。それを一つ一つ認めることを、総裁先生から教えられています。そして感謝しておりますと、何と私たちは恵まれた幸福な天国浄土、極楽世界に生かされていると、気がついてきます。この「気づき」は、実相を悟るというようなドラマチックな出来事ではないにしても、生長の家の信仰者にとっては必須の生活法です。これが出来ると、本当の信仰の世界に入って参ります。日々前進、一歩一歩の「諸悪莫作、衆善奉行」の世界です。
 この感謝は「月を挿す指」であるとも考えられます。子供に指で教えている内に、子供は指の向こうの月を見いだすに至るのです。真象にたくさんたくさん見ているうちに神の世界を観るに至るのです。本当に感動であります。まず、今日の感謝いたしましょう。
 常住感謝生活を行うのが、日時計日記の記載であり、感謝できることを見いだす生き方でありましょう。それだけ感謝されたら、身の回りの品物も、「あなたに使っていただいてうれしいです」と言っていただけるのではないでしょうか。
 すばらしい善一元 の世界の現れである真象を、「右脳」で捉えまして、そして表現していく事によって、同類親和の法則が働き、善なる世界が拡大して行きます。良きものを引きつけることと、波及していくことです。当然、自分の肉体に於いても健康となってあらわれるということになります。
 それを学ぶ場として新しいタイプの誌友会開催は、とても意義があります。又誌友の皆様と感動を共有することができるところの、すばらしい「神性表現」の場でもあります。 この生き方を実践し、広めることは世界平和につながると教えられています。しかもテロを消滅させることもできるとも教えていただいております。現在の生活が幸福感に満たされてテロを行う人はいないでしょう。島根の信徒である私たちは、この生き方を徹底して習得したいと思います。

 この生活は、実相世界には善しかないと云う「唯神実相」の信仰に至り、心が変われば世界が変わるという「唯心所現」の信仰を実際の生活に活かす生き方でもあるのです。

  明日は、「お父さんお母さんのための一日見真会」が予定されておりまして、「日時計日記」の書き方を実習することになっています。基本説明は私が10分間させていただく予定です。

 中内 英生

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February.05.2010「動的平衡④」

Photo_2 February.05.2010「動的平衡④」
今日の詩::竹筒に 挿す花と実は 生き生きと

 今日で終了です。読んでいただきましてホントに有り難うございました。では、参りましょう。
岡田監督…最高のプレーを見せた時、アスリートにはその記憶がない。実体験として選手時代、日韓戦で強烈なミドルシュートを左足で決めたことがあります。利き足ではないので、普段なら「ボールをよく見よう」と考えて蹴るのに、蹴った瞬間の記憶がない。気づけばボールがズドンとネットに突き刺さっていたのでした。チームなら11人が一体となり、「次はここにボールが来る」と事前に分かっていたかのようにパスが流れることがある。キックをミスしても、なぜか他の選手がそこへ走り込んでいるような、すべてがうまく回る感覚になる。
(中内…これはすべてと一体感が自覚できた時に起こる日常生活に於ける円滑化作用のようなものでしょうか。信仰の世界のような感じですね)

福岡教授…人間には、「スポーツの遺伝子」のようなものが生まれつき備わっている訳ではない。練習を積み重ねることで、後天的に身体が勝手に動くような感覚を得ることは可能かも知れません。
(中内…身体で覚える、ということでしょうか。頭で覚えず身体で覚えた神想観や宗教行はいまだに生きています。)

岡田監督…個々を一人ずつ線でつないでいくのではなく、11人が同時に感じあえるようになれば世界に勝てるのではないか。偶然ではなく、狙ってその状態に入れるように試行錯誤しています。今の代表チームはかなり、いい線に来ている手応えがあります。
(中内…選手11人が一人の身体のように動くということでありましょう。これは私たちの光明化運動や家族においても言えることではないでしょうか)。

福岡教授…相互補完ですね。やはり動的平衡と繋がっています。
岡田監督…一つの生命体のように動くチーム。夢みたいものは最後まで貫きたいと思っています。
(中内…サカナの大群が一つの意志ある生物のように一瞬にして同じ動きをする。それとおなじように、全体が一つのように個々が動く。これは素晴らしいことではないだろうか。信徒一人一人が自主性を持って誌友会等を開催して信仰生活をおくる。しかも一つの神様の御意思に統一されているという動きは、必ずや素晴らしい光明化運動の成果をもたらすように思えます。)

※今日は、午後から受験勉強会を夜まで行った。もう少しで受験日だと思うと少しでもお手伝いをしておきたいという思いがしてくる。

 中内 英生

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February.04.2010「動的平衡③」

Photo February.04.2010「動的平衡③」
今日の詩::栗の実の どこに行ったか 土の中

 「動的平衡」論の三回目です。岡田監督の言葉から始まります。
岡田監督…攻撃については、理論的に正しいことを言い続ければいいわけではないと分かってきました。例えば、ドリブルの方が良い場面でパスした選手がいたとします。しかし、彼に映像を見せて、「ここはドリブルだろ」と注意すると裏目に出る。次の試合でボールを持った時に「パス?ドリブル?」と一瞬、悩んで躊躇してしまう訳です。前の試合と同じ状況なんて二度とないのに。
 今は、選手に見せる映像を作る時、シンプルにパスを回して成功した場面に、ドリブルして成功した場面をこそっと挟み込む。その瞬間、みんなに「いいドリブルだったね」と一言だけ話すのです。その方がうまくいきます。ここはパス、ここは決めつけすぎるのは良くないのです。
※これは言えるでしょう。リーダーの言葉に囚われて、選手が逆に自由性を失った状態でありましょう。

岡田監督…ある意味で守備はロジックだ。相手の出方に対処する理屈がある。試合前に、その指示を出すタイミングが重要です。あまりに前もって伝えると選手が頭でっかちになってしまいます。その辺のノウハウは、まだ感覚的にしかつかめていなのです。

※監督は、試行錯誤しながらですが、如何に無心に近い状態で選手にプレーさせるかが勝負です。(これは大切なリーダーの条件なのだろう。ともかく信徒さんが喜びの渦の中で生活し、活動し、愛行するようにさせていただくことが大切だと思う。喜んでやっている時、一番力が発揮されるのだから。)

岡田監督…欧州の一流リーグでレギュラーを任される選手は、今の日本にはいません。単純にフィジカル(身体能力)を測定すれば日本人は世界に勝てないのです。その差を埋める方法は何か。東洋独特の武術などにも挑戦しました。ある琉球空手の人に「敵に攻められた時に、君は”あっ、パンチが来た”と頭で考えてよける。私は細胞で感じるから、0,2秒間、君よりも早い」と言われたのですが、実際に早いのです。福岡教授、これをどのように解釈しますか?

福岡教授…ある細胞の働きが周りに伝達されると、サッカー場で起きるウエーブのように時間差が生じる筈です。でも、不思議なことに同時斉一的な同調現象があるのです。脳波は、脳内の細胞が同調して発火するから現れます。一本の木に群集した蛍数万匹が、指揮者もいないのに、完全に同調して点滅を繰り返します。
 一昔前なら「オカルト・サイエンス」と見なされていた同調現象が、今は生命の大切な役割を担っていると科学者達に認知され、なぜ同調するのか調べられています。一斉に起こる仕組みが、何かしらあるわけです。蛍のそれと、琉球空手の人の動きと関係があるかも知れません。
※なかなか面白いと思いませんか。これはいのちに於いてすべてと一体であるとの生長の家で説く真理を知れば、当然のことだと思うのではないでしょうか。それにしましても、その世界は「不可思議、不可知」です。神様がお作りになった世界です。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう】

  2010年2月 2日のブログは、「あんたんたる気持 (2)」です。最後に結論を説いておられます。拝読下さい。
 http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は、木曜休日だったので、花の郷へ行ってみた。「大庭太郎庵」という椿の葉書をいただいた。余りにも見事なのでお見せしたのだが、著作権の関係でお見せできない。従って、お粗末な絵となった。「つばき展」は、平成22年3月5日~7日だそうだ。大人160円である。勿論パスポートをお持ちでない方は入園料が必要だ。

※ポスティングジョイには多くの人々が投稿しておられるが、島根は俳句コーナーを推奨している。これに限ったことではないが、島根の方々は写メ俳で鍛えているので、やりやすいのではなかろうか。ともかく楽しく生きることが何よりです。

 中内 英生

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February.03.2010「動的平衡②」

Photo February.03.2010「動的平衡②」
今日の詩::子供らの 吐く息白し 長距離走

 昨日に引き続き、動的平衡について、朝日新聞(2010/01/29)に掲載されている記事の内容をご紹介します。詳しく知りたい方はどうぞ、取り寄せて下さい。

福岡教授…誰もが「自分の身体は自分のもの」と思っているが、実は分子自体は体内から体外へ絶え間なく入れ替わっています。体内で新たなタンパク質が合成される一方、細胞は自らのタンパク質を常に分解して捨て去っています。
 変わりゆく環境に対応するには、壊しながら作り直し続ける動的な状態を維持してバランスと保つしかありません。これが動的平衡で、私自身のキーワードでもあります。身の回りのあらゆる事象は、動的平衡ととれる特徴を持っています。

岡田監督…細胞が作ったり壊したりするタイミングは、何が指示するのですか。
福岡教授…人間は60兆個の細胞で構成されていますが、生命現象に「監督」は存在しません。脳はこちらから来た信号をあちらに伝えるだけで、指示は出しません。個々の細胞が自立して新陳代謝を行い、相互に情報、物質、エネルギーのやり取りをする。そのつながりで「生きる」という状態が成り立っている。新しくできた細胞は周りの細胞を尊重し、従うのです。周りの細胞も新入りを尊重し、強調して働くようになり、身体の秩序が保たれます。分散型の方法で全体が制御されています。

岡田監督…サッカーで今、目指している日本代表チームの在り方も、監督が何かをやらせるのではなく、ピラミッド型でもない組織です。

福岡教授…分散型ということですか。

岡田監督…選手には「監督が指示するから、その通りに動きました」「僕の役割はこうだから、こう動きました」ではなく、どうすればチームのためになるか個々で判断してくれ」と伝えています。苦境に陥った時、監督や主将に「何とかしてくれ」と任せるのではなく、自分から動く意識を持って欲しい。リーダーが強烈に引っ張る組織が素晴らしいと考えられがちだけど、私のイメージは今、違う。全体がぐにゃぐにゃアメーバのように進む組織がいいのではないかと。

福岡教授…それは生物ですね。あるパーツに、ある機能が1対1で対応する状態は工学的です。生物はこうした「部品」の寄せ集めではありません。あるパーツが書けた場合、失われた機能を、動的平衡の中で残りのパーツがやりくりして補うのが生物です。

岡田監督…私も以前は、確率論で作戦を立てて、「お前はこうやれ」と選手にプレーをさせていました。ある程度は結果を出せたが、心のどこかにずっと引っかかるものがあり、壁にぶつかった。「選手がいきいきとプレーするチームが理想だ」と言っておきながら、目の前の選手は私の指示でカチカチと動いているわけです。言うことと、やらせていることが違っていた。どうれば個々がバラバラにならず、かつ選手がプレーする喜びを感じならチームとして躍動できるのか。そんなチームを今は目指していて、ようやく、とっかかりが見えてきたところです。

 ※なかなか面白いと思いませんか。生物の動きをサッカーのチームの選手の動きに持って行くことを考えているようです。柔軟性が求められます。原理主義的な考え方ではなかなかうまく行きませんね。私たち島根の信徒も、目に見えない秩序を保ちながら信徒さんのお一人お一人が各地でアミーバのように、周囲の人々に真理をお伝えし、救済していく。こんなイキイキとした教区になりたいものです。そのためには、誌友会の充実と発展が大切です。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう】 

 2010/01/29のブログは、「サイバー戦争は始まっている(2)」、2010/01/31のブログは、同じく「サイバー戦争は始まっている(3)」です。ここまで目に見えないところでさまざまな動きがあります。
  2010年2月 1日のブログは、「あんたんたる気持」です。「肉食の温室効果は51%」という題の内容に関するさらなるご解説です。これは私自身はまだ映像では見たことはありません。
   http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は、午前は会議、午後は受験勉強会だった。受験勉強会の時が、身体は少々きついが、一年間で最も充実感がある時期である。感謝。

 中内 英生

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January.02.2010「動的平衡」

January.02.2010「動的平衡」
今日の詩::中心を 立てて心に 富士の山Photo_3

 朝日新聞(2010/01/29)で、面白い記事を見つけた。かなり過去の新聞だが、配達に読むのが追いつかず、貯め読みをしている関係でこのようになる。青山学院大学教授の福岡伸一さんの本『生物と無生物とのあいだ』は、かつて読んだが、『動的平衡』という本の内容について掲載されていた。島根の皆様、著者名を覚えておられますか?
 この人の本の内容は面白いのです。ただし、堅いのが嫌いな人には耐えられないかも知れませんが。
 生命体は常に分子の分解と再構成を繰り返しながら秩序を保っている。動的平衡とは福岡さんのキーワードである。福岡さんによると、1930年代後半にユダヤ人科学者が発見した。彼が、ある標識を付けたアミノ酸を含む餌をネズミに食べさせたところ、そのアミノ酸はネズミの全身に散らばり、多くが脳や肝臓、腎臓などあらゆる臓器や組織を構成するタンパク質の一部になっていたという。ネズミの体重は増えていなかったことから、食事で取られたアミノ酸によって体内のタンパク質が置き換えられたことが証明されたとのことである。

 つまり、生命体は常に分子の分解と再構成を繰り返しながら秩序を保っているということである。福島さんは動的平衡を「構成要素が絶え間なく交換、変化しているにもかかわらず、全体として一定のバランスが保たれること」と定義した。

 これは何だろうか?と考えてみる。
物質の奥に肉体の奥に霊妙きわまりなく完全なる存在あり、これこそ神に造られたる完全なる「汝そのもの」にして、常住健康永遠不滅なる「生命」なり。
 これは聖経『甘露の法雨』の「物質」の項の成句だが、それを認めない限り、何がそうさせているかが理解できないのではなかろうか。従って、ユダヤ人科学者は自己の本質を見失ったのではなかろうか?

 かなり、重い文章です。実は、岡田監督との対談の記事でした。大体の内容を見てみましょう。
岡田監督…科学者の皆さんの考え方は基本的に「科学絶対」だと思うが、福岡さんは違う気がする。例えば、「細胞も思考を持っているのでは?」の質問に対して、「あり得る」と答えてくれそうだ。そういう考え方を受け入れる人、科学では割り切らないものにロマンを抱く人という印象を福岡さんに持っている。
 環境問題を聞きたい。興味を持って30年ほど勉強してきて不思議なのが、二酸化炭素などの温室効果ガスの排出量取引の問題です。お金で排出量を取引して、本当にCO2は減りますか?

福岡さん…二酸化炭素自体は、害でも毒でもないのです。人間活動が作り過ぎた二酸化炭素を他の生物や植物が吸収しきれない「滞り」が問題です。机上の排出量でつじつまを合わせても何も変わりません。樹を植えるとか、二酸化炭素を吸収する微生物が多くいる海洋を汚さないとか、生命の仕組みを尊重するしか方法はありません。
 生命が何かを食べ、排泄し、その排泄物を他の生物が取り込む。人間が環境に対して唯一できるのは、この流れを滞らせないことです。と。

なぜ、福島教授と岡田監督なのかなと考えたが、チームが「一つの生命体のように、11人が同時に感じ合えば世界に勝てるのでは?という岡田監督の言葉があったので納得した。これは、相白生栄生と全組織が心を一つにして、絵手紙展を開催したことが大盛会となったことに似ているのではないだろうか。この喜びを11月の講習会に向けさせていただくという訳であります。

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 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう】

 2010年1月29日のブログは、「サイバー戦争は始まっている (2)」です。拝読下さい。 http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は、地方講師・光明実践委員研修会があった。普通の日だったが、40名以上お出でになって、活況を呈した。御教えを熱心に学ぶ人が多ければ、必ずや誌友会が盛り上がり、個人指導で救われる人も増加していき、さらに教勢は発展するでありましょう。

※ココログのソフトが変更されていて、うまく左上に絵を表示できません。あしからず。

 中内 英生

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February.01.2010「アップルのipad」

Photo_2 February.01.2010「アップルのipad」
今日の詩::ニンジンの 色あざやかに 朱を競う

 産経新聞(2010/01/29)によると、アマゾン・キンドルやソニーのリーダーに続き、電子書籍端末に新しい商品が加わったとしている。昨年の米国でのシェアーは、アマゾンが6割、ソニーが3割と言われている。それに食い込むという。

 米アップルは1/27に、電子書籍や動画再生などに対応した「iPAD」を発表したらしい。これは高機能携帯電話であるスマートフォンと、ノートブック型パソコンの中間に位置づけられるという。アップルのパソコンは現在、自宅で何とか使用しているが、画像が美しい。
 液晶画面は縦約24センチ、横約19センチ、厚さ1,3センチで、アイフォーンと同様に、指先で触れながら操作するという。価格は約45000円から63000円くらいだ。電子書籍では、米メディア大手ニューズ・コーポレーション傘下の大手出版社などから配信を受けるらしい。
 調査会社のアイサプライズによると、2008年に約110万台だった世界の電子書籍端末市場は、五年後の13年には20倍の2200万台まで急成長するとの見通しである。
  電子書籍は私たちにはまだご縁がないが、まもなく出回るだろう。アマゾンキンドルを端末にする配信の電子書籍では紙の書籍の半値くらい?だったのではなかろうか。島根の皆様、どちらを選びますか?積ん読組の皆様にはこれは軽くてなかなか良いですよ。赤線を引かないと読んだ気がしない人にはちょっとご不満かもしれません。でもこの端末に数千冊がストックできますので、かなりの重宝ではないでしょうか。

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 2010年1月28日のブログは、「サイバー戦争は始まっている」です。グーグルと中国政府との関係やサイバー攻撃などの記事は日々報道されているが、それらの意味を読み解いておられます。「なるほど、そうだったのか」との感が深いです。島根の信徒の皆様、拝読下さい。
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※日経新聞(2010/02/01)によると、欧州の研究チームが、5万年前の装身具をスペインの洞窟で見つけたそうだ。小さな穴が開いた貝殻で、ひもを通して首飾りにしたようだ。中には顔料とおぼしきオレンジ色の鉱物が付着したものがあり、「化粧道具」にも使っていたと推測している。今の人類が欧州に広がったのは約4万年前だ。それは入れ替わるように衰勢となったネアンデルタール人が貝細工を遺したことになるという。絶滅の理由は知能の未発達とされてきたが、実はそこそこ知的で、おしゃれだったのではないかと推測している。狩猟のための石器と違い、生存に関係のない装飾品には遊び心がのぞいている。 わが島根の多伎で旧石器時代の石器が見つかったのが12?万年前のもの、それよりかはずっと新しいが、ひょっとしたら多伎から、「装身具」なども見つかるかも?でもネアンデルタール人がここに住んでいたとは聞いていないが…。

※建国記念日が近づくが、日本武尊の国ほめの歌『大和は国のまほろば たたなづく青垣 山隠(ヤマゴモ)れる大和し うるはし』。これは和歌の響きとして実に美しい。出雲に住んでいると、いつの間にか、大和の建国の時代がオーバーラップしてくる。この歌は、高校時代からの大好きな歌である。

※今日は、午前は、聖使命会員・組織会員感謝祝福の御祭を行った。午後は、松江に住んでおられた元白鳩会連合会長の故I地方講師のご自宅にお参りに行かせていただいた。I地方講師は、松江道場で、私とコンビを組んで、写経の指導をしていただいた人だった。これから色々と松江地区での光明化運動をご一緒に協力していただきたいと思っていた矢先だったが、お亡くなりになられ、誠に残念な思いだった。今日は、H地方講師会長さんとご一緒だったが、真心を込めてお経を拝読させていただいた。

 中内 英生

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January.31.2010「その人でなくては描けない絵」

Photo January.31.2010「その人でなくては描けない絵」
今日の詩::ターミナル 風心地よし 春の宵

 日経新聞(2010/01/31)には、片岡球子の富士の絵の宣伝が掲載されていた。この画家は、日本画の流れと違ったものを描いて、一度は入選するがその後入選できず、死ぬことまでお考えになったという画家であったと記憶している。しかし、日本画の大家から、「今の絵を描き続けなさい。きっと新しい境地に必ず到達する時がくる」と言われて、奮起して画業を続けられたという。尊敬に値する画家でありましょう。

 宣伝文には、「片岡球子”富士”に寄せて」と日本画家の田淵俊夫氏の文章が掲載されていた。参考になると思われるので、内容をかいつまんでご紹介します。

『作者名を見なくても誰の絵か判るような絵を描きなさい』。私が何度も聞いた片岡球子先生の言葉です。人まねではない自分の絵を描くようにということです。確かに片岡先生の絵は、どんな展覧会場にあっても、片岡球子ここに在りと強烈な存在感を示しています。
「自分は落選の神様と言われ、展覧会の搬入時には落選がうつるからと、仲間が近づいてこなかった」と常々ご自分が語っているのですが、戦前の伝統的な作風を重んじる院展では、先生の作品は異端に見えたのでしょう。やがて、戦後の新しい波をしっかりと掴んでご自分の才能を開花させ、火山シリーズや面構えシリーズ、裸婦シリーズといった個性豊かな作品群を生み出していくのです。とりわけ富士山シリーズは、強い色彩と単純明快な形で観る者に緊張感を与えるとともに、やがてホッとした安らぎの中に引き込んでいきます。これはもう、片岡先生でなければ描けない世界だと思います』

 自分独自の世界を完成させることで世界に喜びを与えることが出来るということでありましょう。ナンバー・ワンよりもオンリー・ワンです。「下手で良い。下手の方が良い」とは、個性という面では実に深い意味を蔵しています。かつて、大先輩の故T元本部講師が、N講師と言われる書道の教師から教わった時、「下手ほど良い」と言われたそうです。そして、たくさん字を書いて送ると、字全体に○をせずに、線に○をしてくれていたそうです。その後、故T元本部講師は実に素晴らしい個性溢れる字を書けるようになられました。
 
 片岡さんもかつて「落選の神様」と言われたからこそ、多くの人々にパワーを与えることができる画風を完成できたのではないでしょうか。決して、人生に無駄はないと考えられます。如何に体験を受け止めるか、です。それから、シリーズというのが魅力があるように思えるのです。松江に稲田姫という信徒さんがおられますが、絵を描き始めた時、百枚の「柿シリーズ」の絵をお描きになりました。それから画風に「伸び伸びとした雰囲気」が表現されてきて、素晴らしい絵を描くようになっています。

 絵の世界は、おおむねそれ以前の時代の画風を引きずっていますので、個性ある絵ほど、認められないことがあるのです。ゴッホでも、余り売れなかったようです。その中で如何に描いていくかでありましょう。自分の基礎力を磨きあげていく時、必ず開花する時が来ます。それから、周囲の協力も大切です。何事かを成し遂げる時、決して自分だけの力でできるものではありません。周囲の温かい愛と讃嘆が勇気を与えるのではないでしょうか。

 絵描きの人生を書くのが楽しいです。なぜならば私たち信仰者と相通じるものを感じるからです。片岡球子の絵は心象風景とでもいった富士です。それから考えましても、絵を描くと言うことは必ずしもそっくりに書く必要はないということのようです。相手に感動と喜びを与えることが出来る絵なら優れた絵であるようです。 

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう】
 2010年1月26日のブログは、「農林業はエネルギー産業」です。
丸紅経済研究所の柴田明夫所長の言葉を引用しておられた。

「農地は究極のソーラーパネルです。農産物は太陽エネルギーが濃縮されて、私たちにとって有用な形に固定化されたものなのです」。この言葉は新鮮な響きを与える。少なくとも私は今までこのような発想をしたことはなかった。皆様、どうぞ拝読下さい。
http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は青年会教区大会だった。参加者は40名、青年参加者は30名だったという。若い人が30名もお出でになると、ただそれでけでうれしくなります。

 中内 英生

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