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2010年3月

March.29.2010「医と俳句」

March.29.2010「医と俳句」Photo
今日の詩::竜宮より 春を告げんと サザエ来る

 内科小児科の医院を大阪で開業しておられた澁谷道さん(83)という方の紹介が朝日新聞(2010/03/25)にあった。こういうのもいいなあ、と思う。NHK俳句や俳句王国というのがテレビで行われているので、時々見るが、言葉を覚えるのと季節感が鋭くなるのと、色々と感性が豊かになるように思う。さて、…。

 この方は11年前に閉院してからも、元患者さんが「道先生」と慕ってくると言う。11坪の小さな医院で、人生の悩み相談も引き受けていたという。お顔が写った写真が掲載されていたが、素晴らしい人柄が予感された。

 〈闇におく往診鞄のなか吹雪〉

夜中にたびたび腹痛でかけこんでいた患者さんがおられた。その方は、いつしか俳句を習いにくるようになったという。病気も俳句もみる先生、で通っていた。弟子は何人もおられるという。しかし、結社は率いていないらしい。その理由は、「いつも自由に新風を開きたいから」と。この考え方は素晴らしいと思う。さまざまな生き方があるのだろう。

 学生時代から続ける俳句と医学はこの方には、一つの道であるとしている。
「目の前の対象を客観視して、もたもたせずキャッチする。タイミングを掴み損ねると死に繋がるところである」と。

 京都生まれだ。ご先祖は山形県新庄市の商家で、芭蕉が1689年、道中でこの家に2泊したと伝わっているらしい。それも縁である。
 家には父や伯母の趣味で俳句の短冊がいくつもかかっていた。病気がちだった子供の頃に、「あれ、何という字?」と聞きながら俳句で字を覚えたという。素晴らしいご幼少の思い出であろうか。

 句集は、10冊になるらしい。句集を私も出せるように進歩するならば大変にうれしい。もし出すとするならば、私の場合は、”俳画”集であろうか?
 40年間患者を待った診察室での空想や草花をうたったものが多いという。これまでは、観念的で難解とよく評されたようだ。そのたびに「ナンカイ?私は内科医ですけども」と煙に巻き、自分流を貫いたという。
 言葉の感覚と情感豊かさが認められて、今年2月に、第10回現代俳句大賞を受けたという。素晴らしいではないですか。

 「飛び箱の踏切台に立った気分です。年を重ねたからこそ、つやっぽく」という。
句集一ダースを目指して、息するように俳句をはき出したいと。最後の「息するように俳句をはき出す」という表現は、痺れます。
 私の先輩が、谷口雅春先生から講話の仕方を教わったという。雅春先生は、「蚕が絹糸を口から吐き出すように、真理の言葉を吐き出すのです」という意味のご指導だったという。

〈うれしさは老いて春着る臙脂墨(エンジズミ)〉

この句は、なかなか作れない句ですね。その人なりのお人柄がにじみ出しています。絵手紙もそうですが、自分を磨き洗練していけば良いようです。
 私が俳句に興味が持てるようになったのも、総裁先生が俳句を御奨励しておられたことが私の心を動かして下さったからこそです。感謝です。
  先日、フランス人の俳人が俳句の番組に登場していたが、俳句は日本語が最適であると話していた。フランス語で俳句を作ってみたがなかなかうまく行かなかったそうだ。

http://www.weblio.jp/content/%E6%B8%8B%E8%B0%B7%E9%81%93
http://kanchu-haiku.typepad.jp/blog/2008/12/post-2a16.html
http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=200802000325

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。新しい人をお誘いしましょう】
2010/03/24のブログは、”「ウソも方便」か?”です。
 池内了氏の、『疑似科学入門』という著書のご紹介をしておられます。拝読下さい。

※今日は少し寒い一日でした。寒さに感謝です。

  中内 英生

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March.28.2010「団体参拝練成会」

Photo March.28.2010「団体参拝練成会」
今日の詩::み籠より 笑い転げし バナナの実

 今日は五者会議があり、団体参拝練成会についての話し合いがあった。団参に行くと、私たちの心の故郷、いのちのふるさととでも言うべき総本山がある。一年に一度、参加するチャンスが与えられている。その場に行くと強い信仰心が湧いてくるということがあるものである。場の持つ力とでもいうものだろうか。

 サウジアラビアのイスラム教の聖地メッカでは、世界各地から沢山の人々が集まってくる。昨年の11月25日にも産経新聞にその記事が掲載されていた。その時には、約250万人が参加して、五行(信徒の義務)の一つである「ハッジ」(大巡礼)が始まっていた。写真で時々見るがすごい!の一言である。
 私的に考えると、移動手段で排出された二酸化炭素の相殺はどうしようか、ということになる。が、それはさておき…。

 信徒はまずメッカのイスラム教の礼拝所である聖モスクでの儀式に臨み、近郊のミナへ移動するという。26日にアラファト山に登り、最高潮を迎えるとしている。
 昨年は新型インフルエンザのために保険当局が厳戒態勢を敷いていたそうだ。
信仰の表現方法の違いはあるのだが、ともかく、この熱烈な信仰は学ぶべきものがあるようだ。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。新しい人をお誘いしましょう】
2010/03/22のブログは、”「わかる」ということ (4)”です。この表題でお書きになっておられる理由を明らかにしておられます。拝読下さい。

http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は、少し寒かったようだ。午前中は受講券奉戴式を行い、午後は評議員会、幹事会、五者会議、最後に青年会単独の受講券奉戴式があった。青年の装束姿はなかなか素晴らしいものでした。

 中内 英生

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March.27.2010「谷口雅春先生の小学校」

March.27.2010「谷口雅春先生の小学校」
今日の詩::活けずとも 花瓶は語る 春来ぬとBurof

 『生命の実相』携帯版第19巻を拝読しているが、16頁から「少年及び青年初期」という項目がある。そこには、「蘆分(アシワケ)尋常小学校を卒業すると私は春日出尋常高等小学校に入学した。」というご文章から始まる。
19頁の1行目から。
「私は高等小学卒業のとき、学業の成績では首席で卒業生総代として答辞を読んだが、『学業優等品行方正』の証書は貰えなかったと思う。
その学校を卒業する時、『もうこんな学校とは絶好だ』と小遣室で放言しながら立ち去った切り、一度もその母校を訪問したことのない位私はきかぬ気の少年であった」と、
書かれている。

 現在、この頁を拝読していて思い出したことがある。それは私の知人が、谷口様春先生の小学生時代のことを調べていた時のことだった。その小学校に訪問したことがあるという。相当昔のことを調べに行ったことになる。そこで校長先生にお会いして何か資料が残っていないかをお聞きしたという。
 分かる筈もなかった。校長先生は言った。
「大昔からある金庫が倉庫にあります。誰も開けたことはないのです。調べるとしたらそれくらいです」と。
 校長先生は倉庫に行き金庫を開けたのだった。すると驚くべきことが分かった。
「奇跡です。一枚だけ谷口雅春先生のだけがありました」と。
私はこの話に出てくる雅春先生の成績表を拝見し確認したわけではない。
しかし、確かにその知人はそのような話をされたのだった。

 その成績表があったことが素晴らしいというわけではない。その少年が大きくなり、私たちと直接に関係がある生長の家の御教えをお始め下さったことこそ誠にも有り難いことであり、しかも二代目、三代目と法統が継承されて私たちを御導き下さっていることがさらに尊くまた感謝の極みであると思うのです。

※今日は、午後は自宅近くの松寄下というところでの誌友会に行かせていただいた。大変喜んでいただき嬉しかった。新人がお一人お出でになっておられたことは特筆すべきことでありましょう。

 中内 英生

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March.26.2010「腹を立てない方法」

March.26.2010「腹を立てない方法」
今日の詩::奥出雲へ おろちに乗りて 旅をするPhoto

 対人関係でカチンと来た時の対処法が日経新聞(2010/03/20)に掲載されていた。参考になると思うのでご紹介します。
 み教えから考えると、どんなことを言われても「我神の子なり」の自覚があれば、大人が赤ちゃんから「馬鹿、馬鹿」と言われても何ともないように、腹は立たないのでありましょう。しかし、現実には、そのように自分の心をコントロールしにくい人も少なくないのではないでしょうか。あなたは?

①タイプとして、すぐ言い返してしまう「ドカン」タイプか?
②後で仕返しする「ネチネチ」タイプでしょうか?
このタイプは、「よくも私にそんなことを…」とか、「そんなことを言う方が悪い」などと相手に非があると考えて、言い返したり斜に構えた態度をとったりするタイプだそうです。
そんなタイプの人は次のように対処することを勧めています。
①「そうですか、そのように見えるんですね」とか、
②「なるほど、それもあるかも知れませんね」などと相手の言葉をいったん受け止めるのだそうです。
  しかし、このような態度を取ることができるようになったら、人間関係の達人ですね。

もう一つ、自分を悪いとため込んでしまう「オロオロ」タイプがあるそうです。
「自分は社会人として失格だ」などと自分を責めて落ち込んでしまうタイプです。
そんな人は、どうしたらよいでしょうか。
①「きついなあ」「まいったなあ」などと自分の感情を表現すること。
②「自分はそのようなつもりはないが、なぜそう思ったのですか?」と問い返すのだそうです。
これも達人の境地でしょうね。

 おもしろい自己コントロール法が掲載されていました。
①10回程度深呼吸するのだそうです。これは効果があるのでは?脳に酸素を補給して考える力を増加させるのでしょう。
②頭の中で数を数えるなど、別のことに集中する。これも効果ありでしょう。私が聞いた話では、唾を飲み込むと落ち着くそうです。腹を立てない達人から教えてもらいました。
③椅子に座った姿勢でひざを挙げるなど下半身に力を入れると、上半身の力が抜けてリラックスできるそうです。要するに、こころをリラックスさせると心に余裕が出てくるのでしょう。

 腹を立てると、知能指数が急激に落ちて、馬鹿なことを平気で行うようになるそうです。喧嘩の方法で相手を怒らせると、IQが低下するので、相手が腹を立てたら喧嘩に勝てると書いていた本を読んだことがあります。

 それ以外にもなかなか面白いことが色々と書かれています。上司や同僚がイライラしていると、家庭でうまくいっていないのではないだろうか、と気遣う余裕ができるとかです。
紙に怒ったことを書いてから破る方法も書かれています。これは何だか浄心行的ですね。マイナスをプラス的に考える方法もある。「ケチ!」と言われたら、「ああ、私は経済観念があるんだ」と考える。「ずうずうしい!」と言われたら、「私は積極的なんだ」と思うとか。
 「あなたは」で言い出すとどうしても攻撃的になる。そこで、「私はこう考える」と「私は」で始めると相手は非難されたように感じずに受け入れやすい、などと書かれています。

 『私はこうして祈る』の57頁には「腹立った時の処置方法」というのが書かれています。
「私は立腹するようなそんな愚かな私ではない。私は神の子である。愛に満たされ、寛大で、包容力が大きくて、何ものをもゆるすのである」
「神よ、あなたが私のすべての罪を赦したまう如く、私もあの人の罪を赦すことを得せしめ給え」
「人間は神の子であるから完全である。彼は現在的には悪しく見えているけれども現象は本来ないのであるから彼が悪いと見えるのはウソである。彼は神の子で完全であり、自分に好意をもっているのである」
 このようなお祈りをするようにご教示されおります。神の子の皆様、大いに祈りに徹して心平和にして、愛と知恵を生活に実践いたしましょう。

※今日は、松江道場で、午前中は写経の集いがあった。私は40分間、『新講 甘露の法雨解釈』をテキストにしてお話をさせていただいた。午後は先祖供養があり、先祖供養について30分間講話をさせていただいた。真理を説法させていただきお伝えさせていただけることは誠にもうれしい限りであります。これ以上の喜びは他にはありません。

 中内 英生

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March.25.2010「子供力」

March.25.2010「子供力」Photo
今日の詩::頬を染め 花嫁姿の シクラメン

 ハイチ地震の義援金が1月24に、ロンドンでイギリスの少年がサイクリングして、1400万円を集めたという。毎日新聞(2010/01/27)の25頁からの情報である。
 ハイチ大地震の被災者を救う目的で、7歳の少年がロンドン市内をサイクリングして募金を訴えたところ、共感した市民から義援金が殺到した。1月25日までに10万ポンド(約1440万円)以上も集まり、話題となっているという。
 子供力の発揮である。子供は本来大きな力を持っている。例えは余り良くないが、子供の原点となるES細胞が、無限に増殖する力を有しているように、子供はお年寄りにパワーを付与する。ご年配になった人が、生命学園の園長となって子供達を教育したいと思って実施してみると、却って子供達から大きな生命力を与えられていることに気がつく。
 物忘れが激しくなった人に、孫が生まれたことで孫の世話に一所懸命となり、いつの間にか脳が活性化したという話も聞いたことがある。それは、愛が発現したので元気になったと考えられるが、客観的に見ると、孫が元気を祖父母に与えたとも言えるのでは無かろうか。

 少年はチャーリー・シンプソン君という。AP通信によると、被災地の映像に驚いたチャーリー君は、資金集めのためにロンドンの公園を自転車で周回することを計画した。ウェブサイト上に、「ハイチのみんなのために、食糧や水、テントを買うお金を集めたい」と書いて、約8キロのサイクリングで協力を訴えたという。当初の目標額は500ポンド(約7万2千円)だったが、イギリス紙がチャーリー君の行動を取り上げた。そして義援金が一気に集まったという。

 ブラウン首相は短文の交流サイト、ツイッターに「7歳の子の資金集めの取り組みに驚いた」と書き込んだという。それも大いに影響しているのだろう。チャーリー君の母親は「急な金額の伸びで信じられない」と言っているという。

 ここでまた、ツイッターが出てきたが、私も昨日からテスト的にコメントを発している。すると、やり方を教えてくれた子供がフォローしてくれた。フォロー者が一人だけなのは少し寂しいが…。つぶやきも日時計つぶやきのツイッターとしたい。申し遅れたが、ポスジョイはすべてツイッターと連動しており、そこに表示されている。

http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100127/erp1001271300002-n1.htm
http://www.kyodonews.jp/feature/haiti/2010/01/post-49.html
http://mainichi.jp/select/today/archive/news/2010/01/26/20100127k0000m030080000c.html
http://world.caplogue.com/archives/51354349.html

※今日は、木曜休日だった。ゆっくりと一日を過ごさせていただいた。本屋に行ったり体の調整をしたりであるが、何事もなく家族と一緒に過ごせる時間は大変に貴重だと思う。

 中内 英生

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March.24.2010「蒜山の絶滅危惧昆虫」

Img790 March.24.2010「蒜山の絶滅危惧昆虫」

今日の詩::大山は 居住まい正し 雪化粧

 エタノールに関してであるが、現在の地球の二酸化炭素を吸収したものを再燃して空中に放出するのだからそれは良いとの判断もあったが、エタノールの原料を作るために森林を伐採するとか、いままで人が食べていたトウモロコシをエタノールにするために、人と自動車とが競合して、暴動が起こったり、エタノールの生産そのものがトータルとして、石油以上の二酸化炭素排出となるというデータの発表があったりで、なかなか決め手が見つからないのが現状である。やはり、バイオ以上に最高に効率が良いのが、太陽光発電や地熱発電などであろう。
 
 「思い全相に達せざるを迷いという」という言葉があるように、エネルギー産出に関しても全体像を把握することが必要であろうと考えられる。
 縄文時代研究家によると、縄文時代こそ自然と人との調和がなされていたという。だからこそ、縄文土器のような弥生時代以上の芸術的土器が作られたのだという。

 それはさておき、フサヒゲルリカミキリという昆虫をご存じでしょうか?。
 これは蒜山(ヒルゼン)高原のことである。ここには高速道路が通っており私も時々通過する。この昆虫は絶滅危惧1類だという。だからこそ逆に、昆虫マニアが殺到してこの昆虫を乱獲していると書かれている。何と言うことか。産経新聞(2010/03/16)にこの情報が掲載してあった。

 記事によると、かつてフサヒゲルリカミキリの生息地は全国の高原にあったという。バブル期にリゾート開発や造成の波に飲まれて次々と消滅していったらしい。蒜山高原に近い大山の麓に位置する鳥取県の桝水高原も有数の生息地だったが、スキー開発などで、この昆虫は消滅したらしい。

 さらに生息地の破壊に追い打ちをかけたのが、行き過ぎた開発ブームの反省として、現在、全国各地に展開されている大規模な植林活動だという。これは私にとってはまったく意外なことだった。
 フサヒゲルリカミキリは、ユリ科の多年草で主に丘陵地の草原に生えるユウスゲの茎や葉を主食にしているらしい。
 しかし、環境保全の一環として取り組まれている植林活動は、結果としてユウスゲの生える高原の浸食に繋がっているという。従ってこのカミキリには食事ができなくなっているらしい。

 明治時代から酪農がさかんな蒜山高原では牧草の管理が徹底されて、草原が維持されてきたこともあり、全国でも例外的にフサヒゲルリカミキリの生息地が残ったとされるという。それだけに関係者は、「最後の砦として何としても絶滅を防ぎたい」としている。
 乱獲、リゾート開発、環境保全活動など、人間の活動がこの甲虫の生存を脅かしていると書かれている。
 ここまでまとめてみて、人間の利己心が引き起こす問題が如何に多いかを痛感した。人間の利己心を超えることこそ本来の、環境保全活動でありましょう。生長の家の環境方針の基本認識に書かれている文章を改めて思い出さずにはいられなかった。この問題を解決するには信仰心以外には無い、と。

※今日は、雲南の先祖供養祭があった。皆様は喜んで参加しておられます。夜は、生長の家松江道場の役員会が行われた。来年度の打ち合わせがあった。松江は素晴らしく人材が多く、今後も大いに発展することでありましょう。谷口清超先生の『正法眼藏を読む』を再び輪読したいという意見が出されていると云うことを知って嬉しかった。この道場では一度全巻を輪読している。20年間、かかったそうだ。

※ツイッターに関して、私の周りには知っている人がいないので色々と本まで買って調べていたが、今夜家に帰って中一の子供がパソコンをやっているのを見てみると、何とツイッターをやっていた。それで教えてもらった。要するに「構えて」はだめで、ゲーム感覚で楽しむためのソフトのようだ。大いに考えさせられた出来事だった。

  中内 英生 

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March.23.2010「み教えの中にすべてがある」

March.23.2010「み教えの中にすべてがある」Photo
今日の詩::日御碕 燈台向けて 船の列

 たまたま高知新聞(2010/03/23)を見ると、有名人の言葉がいくつか掲載されていた。少しご紹介すると…。

 「正義を唱えたために孤立するのは、男子の本懐だ」、これは現在、人気がある坂本龍馬の言葉だそうだ。孤立といっても決して孤立ではなく多くの支援者があったようだ。何事があっても龍馬に協力していた先輩は、私の実家から歩いてすぐの所で生まれている。

 「運が悪かった、と嘆いたら進歩はない」、これは武田信玄公の言葉であるという。要するに責任を他に転嫁しないということか。
 「偉そうに振る舞うと、皆から嫌われ、やがて国が滅びる」、これは秀吉の軍師であった黒田如水の言葉であるという。自分の手柄というものはないと自分を無にする必要性を説いたものだろうか。

「人の倍、努力しているから、人の倍、成功して当たり前だ」、これは有名なエジソンだが、努力の実践が大切であるということか。知行合一の世界であろう。
「約束は、一日も違えてはならない」、これも外国の人、諸葛孔明の言葉だ。約束を守るということが如何に大切かということだろう。行事を行った時に、開始時間をきっちりと守ったり、自分の持ち時間内に正確に終わることなどは信頼関係を強固にするのではなかろうか。

「厄年やたたりは、何の根拠もないデタラメである。」、これは、上杉鷹山の財政改革の時に言った言葉であろうか。神の子に悪い方角や日程はないという言葉がある。
「困った、という言葉を、決して吐かない」、これはピンチに強いと言われた高杉晋作の言葉だという。日時計主義の意味でありましょうか。
「どんな苦しみに遭っても、前向きな心を持ち続けていけば、必ず道は開けていく」、これは高橋達志郎さんという小鳥の医者の言葉だという。
 これらは皆、その人なりの生き方を凝縮した言葉のようだ。

 しかし、よく考えてみると、どれも『生命の実相』などで読んだことがある言葉が多い。もちろん、それぞれ生きてきた状況が違うので、詳しく点検すれば、それは違う、ということになるかも知れないとも想うが…。
 色々な本を読むのもよいのだが、私たち信徒は第一に、総裁先生の御著書、谷口雅春先生、谷口清超先生の聖典類を拝読することを実践したい。

 もう一つ、興味がある記事が出ていた。「オオコ」である。低コストで油分抽出できるという。藻から燃料になる油がとれると言うことは、一度このブログで書いた記憶がある。
さて、内容はどうか?

 湖沼などで発生し水質悪化の原因になるアオコから燃料として使える油分を低コスト、高効率に抽出する方法が開発されたという。電力中央研究所エネルギー技術研究所(横須賀)が開発。油分はガソリンと同等の発熱量を持つらしい。厄介者を有効活用することにより、一気に人気者になりそうである。

 アオコは生活排水の流入などにより、富栄養化した水域で、特定の植物プランクトンが大量発生する現象であるという。生態系の破壊や漁業被害、悪臭などをもたらしている。その反面、二酸化炭素を吸収して有機物を合成する能力が高く、バイオ原料として期待されているようだ。しかし、多量の水分の蒸発に多くのエネルギーを必要としており、これがネックになっていたという。

 同研究所のK主任さんは、エーテルの一種で油分と強く結合する液化ジメチルエーテルを利用するとしている。アオコにそれを加え、細胞内にある油分と結合させて取り出した後、常温でジメチルエーテルを蒸発させる。そしてアオコの乾燥重量の約40パーセントに当たる油分の抽出に成功したようだ。これはすごい!

 K主任は、「ジメチルエーテルは、環境に影響しないことで、スプレーの噴射ガスにも使用されている。アオコは日本では減少傾向だが、中国では大量発生しているので、海外での実用化も目指したい」と話しているという。
 エチゼンクラゲを餌にしての魚の養殖も隠岐の島では研究されている。厄介者だったのが一気に活用できるとなると、「モノは使いよう」というになるのだろうか。
 「無駄はない」という言葉もあるし、知恵さえ出せば運命は変えられるということでもあろう。

 日本の観測衛星「いぶき」が提供している温室効果ガスのデータはご覧になりましたか?朝日新聞(2010/03/21)で全面広告で温室効果ガス世界地図が掲載されていた。その中で、日本は努力しているという感じだろうか。数カ所の知りたい国のデータが表示されていないのが残念だった。内容であるが、「2009年6月~7月の陸域最新解析結果」とあった。

 観測結果から、南半球よりも北半球の高緯度地域の方が二酸化炭素濃度が低い傾向が見られる。これは6~7月は北半球が夏であるため、南半球よりも北半球のほうが植物の光合成が活発であるためと考えられるとしている。
 また、アフリカ大陸に見られる高濃度は、サバンナなどでの火災がその要因となっている可能性がある一方、砂漠の砂塵の影響による系統的な誤差が含まれている可能性もあり、より信頼性の高い結果を提供するための研究が行われているという。(後略)

 だいたい、こんな内容の説明だが、自分という個人が、世界をまるごと見て判断を下すことができる立場とは、神様以外にないのではなかろうか。そういう意味において、人工衛星の位置に居て、24時間、地球世界を客観的に見て地球に対して、「四無量心を行ずる神想観」を実修する。それは何という素晴らしい菩薩道であることか。
 『生命の実相』霊界篇にはヴェッテリニの霊告が書かれているが、そこにあるような高級霊たちが人類の運命を改善する活動のようなイメージを得られるのかも知れない。それは信仰者にとって大変、素晴らしい行事でありましょう。
http://www.jaxa.jp/press/2010/02/20100216_ibuki_j.html

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は2010年11月28日です。】

  2010/03/22のブログは、『「わかる」ということ (4)』です。水と言葉の実験の喩えの真偽についても書いておられます。拝読下さい。
http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は、素晴らしい一日でした。先日の祭日に教化部会館は開館していたために、今日は休館でした。感謝合掌。

 中内 英生

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March.22.2010「砂」

Img003_2 March.22.2010「砂」
今日の詩::お手本は、松江道場に掲げられている雅春先生の「書」です。

 砂について、NHK番組「サイセンス/ゼロ」(2010/03/19再)で、砂についての研究を放映していた。白砂というのがある。砂というと、砂の博物館が石見にある。一年をかけて流れ落ちる砂時計もあるという。砂の博物館は国道9号線沿いでその前を何度も通っているが、まだ見ていない。いずれ…。
 また、奥出雲にある松本清張の「砂の器」の舞台や石川啄木の「一握の砂」などあまり日時計主義ではないようだが、今日の砂は、日本の明るい未来を予想させるものだ。

 この白砂に関しては、宮崎県を取材していた。25000年前に九州にあった火山の爆発により、火砕流で運ばれたものが白砂台地を形成したという。
 この白砂から注目のハイテク材料が作られている。この砂の中にはガラスの原料が含まれているらしい。しかも多孔質である。これをさまざまに利用するようだ。要するに重要なハイテク材料に変化する。
 「白砂、多孔質、ガラス」という訳でSPGという。

 黄砂についても興味深い報告があった。福岡が黄砂の玄関口だという。顕微鏡での生の黄砂を映していたが、丸いわけではない。成分が問題で、最近は汚染物質が海の上空を飛ぶときに化学変化を起こしてそれが日本に影響を与えるという。すなはち「空飛ぶ化学工場」と呼ぶそうな。
 この黄砂には、DNAが発見されている。微生物が付着する。真菌類、バチルス、カビ、その他の細菌など、である。金沢大学が研究していた。

 今朝、車を見てみると黄砂がなかり付着していた。昔とは黄砂の内容も変化しているという。私が子供の頃は、春になると空が曇った。黄砂だった。

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。
地方講師の方々は3回熟読しましょう。講習会は2010年11月28日です。】

2010/03/21のブログは、”「神ととも生きる」とは”です。布教功労物故者追悼春季慰霊祭でのお言葉が掲載されております。内容を拝読させていただき、ただただ有り難く感じさせていただきました。拝読下さい。
http://masanobutaniguchi.com/

  大先輩であった故T元本部講師からお聞きしたことですが、谷口雅春生先生は、「神とともに生きる歌」が大変お好きであられたと云うこと、「神様、神様、神様」と三回称えると、涙がぽろぽろと出てこられる方であったということ。『生命の実相』の自伝篇を拝読すると、「雅春先生は本当にそう思っておられるご実感を”神とともに生きる歌」の詩としてお書きになっておられるのだ、と私は思いました。「我、神を選びしに非ず、神、我を選び給うなり」、というお言葉は谷口雅春先生の本当のご実感を御表現されたのだと思います。

※今日で、中高生一泊見真会が終わった。相・白を協力を得て、青年会が主体的に企画立案実施したようだ。そういう意味で大きな進歩であろう。青年会の進歩は、島根の進歩となる。

 中内 英生

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March.21.2010「宇宙農場」

Photo March.21.2010「宇宙農場」
今日の詩::春浅く ハウスイチゴへ 親子連れ

 宇宙農場という言葉があるそうだ。まだ実現していないが、現在、シロイズナズナという植物を宇宙ステーションで栽培する実験をしている。重力がない場所で果たして植物が育つかどうか、ということであろう。もし育つならば、すごいことだ。

 NHKの人気番組サイエンスゼロ(2010/03/20)では、「宇宙で農業?世界初」として成長実験を行っていた。富山大学の神阪盛一郎さんが20年前からこの研究をしてきたという。宇宙ステーションで生活するには、地球から食糧を運んでいく以外にない、しかし、長期化するとなるとそこで新鮮な食糧を作る以外にないという発想で宇宙農場の発想が生まれたという。重力と植物、これはどのような関係にあるのだろうか。

 植物は本来、海の中で生活していた。それが一部の植物が4億年前に上陸して現在に至ったという。植物の中のアミロプラストという物質が引き金になって重力の方向に植物が伸びるということが分かっている。光の方向に伸びるようにである。だから光の無い場所でも植物は上に向かって伸びるのだそうだ。
 千葉大学の後藤英司さんは、大気圧と植物の関係を研究していた。さまざまな研究が行われていることが分かる。研究によると、気圧が低いほど光合成が盛んになるという。色々な実験をしていた。詳しく知りたい方は検索してみてください。大豆の実験で、酸素があるとうまく実がなるのだそうだ。逆に、酸素がないと実がよくならないということになる。

 将来、宇宙ステーションでは宇宙農場で出来た野菜を食べるようになるのだろうか。月には水は無いと言われていたが、研究の結果、水はあるということが分かったそうだ。それらはまだ未知の段階ではあるが、科学の進歩により、SFの世界だったものが現実となるのだろう。
 しかし、人間は宇宙の中で奇跡の星といわれる地球の舞台セットで神様の御心を実現するためにこの肉体という宇宙服を与えられているのでは無かろうか。要するに、宇宙のことを知ることも大切ではあるが、足元である地球をもっと大切にすべきでありましょう。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう】 

 2010/03/17のブログは、『「わかる」ということ (2)』です。2010/03/18のブログもその続きで、『「わかる」ということ(3)』です。拝読いたしましょう。

http://masanobutaniguchi.com/
 
※今日は、中高生見真会が開催されています。嬉しいことに、高校卒業生も参加して中高生をお世話してくれていることです。島根の素晴らしい伝統だと思います。今回は、青年会の委員長さんを中心に、ほとんど青年会が運営しています。これは大きな進歩です。

※有名な”雪舟の庭”が島根県にはあるが、山岡千太郎さんという方が、「山水長巻」という16㍍の水墨画を多数模写したという番組を見た。谷口雅春先生の書をお手本に書くことがあるのでその心境の一部をかいま見る思いがした。

※百歳万歳で宮城県の鈴木さださんという人を紹介していた。手紙をともかく100歳をすぎてもまめに出している。すごいバイタリティだ。
  島根の安藤タケノさんという方もでていた。「やしゃごと笑顔満開」というテーマだった。やしゃごを風呂に入れていた。安来の人のようだ。何と、101歳である。

※俳句王国も見るのが常となってきた。ポスジョイでのご指導のお陰である。ポスジョイという新しい文化との遭遇が新しい自分を生み出してくれているようだ。女優の戸田菜穂さんという人が婚約中だと言うことだったが、「幸せな 春の雪降る 東京の家」というのを詠んでおられた。その時その時の心境を俳句にすることは、振り返ってみて素晴らしい人生となっていると思う。

※パソコンの不具合でポスジョイに画像がアップできず、困っていたが、動画はOKだった。それならばと、しばらく動画でアップさせていただく予定です。

 中内 英生

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March.20.2010「エネファーム」

Photo_2 March.20.2010「エネファーム」
今日の詩::突然の 春の嵐に 身がすくむ
 エジソンも 脱帽冬木 蓄電す(冬木立が雷からので電気の受信アンテナのように見えることを詠んだ俳句です。)

 昨年、家庭用の燃料電池が昨年の5月に世界に先駆けて販売されたという。エネルギーとファーム(農場)とを合わせて作った言葉のようだ。産経新聞(2010/03/17)の19面からの情報である。このシステムは、数年前に環境問題のイベントでこの類のものを見たことがある。さて、内容を見てみよう。

 都市ガスやLPガスなどの燃料から水素を取りだし、空気中の酸素と化学反応させて電気を発生させるようだ。燃料を燃やさないので、二酸化炭素の排出を大幅に抑えることが出来る。大気汚染の原因物質となる窒素酸化物や硫黄酸化物はほとんど生じないとしている。発電の際に生じた熱も給油に無駄なく使えるために、エネルギー効率は70~80㌫と非常に高いのが特徴であるという。
 但し、課題は一台当たり約320万円~346万円のようだ。補助もあるようだが…。メーカーなどはおおむね5年後を目標に、50万~60万円程度に低価格化を進めようとしているとのことだ。そうすれば、爆発的に普及するだろうという予測がなされている。
これなども、日本が得意とする環境関連技術である。自宅で発電する時代が近づいているのでありましょう。太陽光発電、風力発電などいろいろと自宅で発電可能です。

 もう一つの環境関連情報である。日経新聞(2010/03/18)11面によると、白熱電球の生産を東芝は打ち切るという。120年の歴史に幕を閉じる。東芝は17日に生産打ち切りとなった。白熱電球は東芝が1890年の創業時に日本で初めて実用化したという。しかし、近年は蛍光灯や発光ダイオードに証明の主役を明け渡していた。しかも政府が環境対策として2012年までに家庭用の白熱電球を廃止する方針を打ち出している。従って他者に先駆けて120年の歴史に幕を閉じるとしている。
 子会社の工場で生産停止式典を開いたとしている。社長は、「これをきっかけに環境対策を加速させる」と強調しているという。
 そういう時代になったのですね。

 「リアルタイム中毒」という言葉があるのだろうか。ツイッターも含めてだが、罹りやすい病気だという。産経新聞(2010/03/12)21面には私のためかな、というような内容が書かれていた。
 ブログやSNSのスピードは、加速の一途である。ツイッターなど「リアルタイム・コミュニケーション」と呼ばれる即時性の高いサービスに熱中する人は多いという。ある人は、食事中も携帯でチェックする。私はまだここまでは中毒ではない。中毒になると、『時間がなくなった。ブログは止まり、メールはつまらなくて見なくなった。仕事のアウトプットも落ちた。リアルタイム情報に病みつきです』と。 
 それに対する処方箋は、アルコールを飲まない休肝日があるように、休ネット日をつくりましょう、と。
 現実世界の3人よりも、ネットでの100人との交流が重くなる。インターネットなどのウェブではきちんと目的がないと自分を見失う。週末だけでもネットから離れる。そうすることにより、効率よく付き合える。こんな処方箋である。
 私の場合は、ネットを休むというよりも、仕事の内容で見ることができない時間が結構あるということで、適当に休んでいる。また、ブログは島根の信徒さんへのメッセージが主要目的なので、これは外すことは出来ない。病みつきではないが、流れに遅れないように一応知り、操作が出来るようになることを目標にしている。そして、目的は当然のことながら、「人類光明化運動・国際平和信仰運動」である。そして、行動の根拠は、「インターネットを活用は、光明化運動の成果に雲泥の相違を持ちきたす」ということである。
  
【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう】

2010/03/16のブログは、”「わかる」ということ”です。「わかる」という意味についてさまざまな哲学的考察を行っておられます。拝読いたしましょう。
http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は益田で一日見真会を行わせていただいた。久しぶりに神想観練習を担当させていただいた。また、浄心行を行わせていただきとても有意義だった。聖使命会員ではあるが、生長の家の会合への参加は初めてという方が何人もおられた。そういう意味でとても素晴らしかった。閉会の祈りでは、S地方講師が「講習会につなげる」という文言を入れてご先導されたので、益田地区の講習会推進見真会のような雰囲気になった。益田は来月から毎月、地方講師研修会が行われる予定である。

※ポスティングジョイで「インターネット・コミュニティ」があるが、今日14:00から15:00まで、ツイッターの模擬誌友会があったようだ。検索してみるとじつにコメントが素晴らしい。リアルタイムということが大切なことであろう。このブログの愛読者の皆様、調べてみて下さい。現時点での最新の方式だと思います。素晴らしいです。
http://postingjoy.com/communities/27/entries/show/6304

 中内 英生

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March.19.2010「インターネットは善か悪か?」

Photo March.19.2010「インターネットは善か悪か?」
今日の詩::森深く 白きもの降り 春浅し

 これは技術の問題なので善でも悪でもないというのが答えだろう。例えば食欲は善か悪かといっても、これは本能である。しかし、人のものを奪って食べると悪であり、困っている人と分かち合って食べると善となるであろう。すなはち、使う人の心によるのではないだろうか。
 産経新聞(2010/03/04)「産経抄」では、井深大さんの言葉を伝えている。彼はソニーが開発したトリニトロンが、テレビの新しい文化を創ったと自負していたという。一方では、『新しいものがいろいろできて、人間は本当に幸福になったでしょうか』とNHK番組で、母校の小学校の後輩達に語りかけていたようだ。

 使うのは人間であり、機械が人間を幸福にするのではないのだろう。ここが大切な要点である。インターネットも善でも悪でもない、ツイッターにしても同じだろう。それを使う人が善の心を持っておれば、善を行う道具となるだろう。逆に、人を苦しめるような心を持っている人が使用するとなると、それは悪となるのだろう。
 現在、インターネットを大いに活用している人々はどちらに組みする人が多いのだろうか。電子空間に於いては目に見えないのだが確実にその影が目に見える現象世界に投影されてくる。そう言う意味で、まだ十分には、善なる人々が活用する領域は少ないのかも知れない。だからこそ、生長の家の信徒である私たちが、電子空間に神の御心の領域を増やして、善なる言葉が迷いの言葉を凌駕し、駆逐するようにならなければならないであろう。

 金銭は善でも悪でもない。それ故にこそ、善人である人々が多く持ち、それを人救いのために、人を幸せにするために活用すべきでありましょう。そう言う意味で、私たちは必要であるが故に、インターネットを使用する。自分の脳の中に新しい領域を構築することは大変に面倒ではある。しかし、必要であるならばそれは使命感の故に行うべきでありましょう。そして、必ず、光明化運動の成果に於いて雲泥の相違を来たすのでありましょう。

  今日は、午前中に物故者慰霊祭が厳粛に執り行われた。私は祭司を担当させていただいた。招霊の時、懐かしい方々のお名前が多数あった。”これらの方々がご努力されたからこそ現在がある”と思うと何かこみ上げるものを感じていた。今も霊界から私たちをお導き下さっているのであろう。そのお導きにお応えする必要があると思った。
 私が以前担当させていただいた教区だが、ある会社が毎年、教化部で物故者慰霊祭を行っていた。一時、景気の低迷で会社が危うくなったこともあったようだが、決して会社の物故者慰霊祭だけは途絶えることはなかった。そして、現在も大いに栄えているという。やはり、先輩の物故者をご供養申し上げることは、霊界から様々なお導きがあるのではなかろうか。そう言う意味に於いても、今日の物故者慰霊祭は尊いことであったと思う。

 『○○○○マガジン』という学習マガジンを二日前に某書店で購入した。有るかどうかをお訊ねするするとすぐに売り子さんが持ってきてくれた。いくつか買い物をした後だった。本を買うのには少し不足していたので、『後日購入します』と言おうとした瞬間、『この一冊しかありませんので、取っておきましょうか』と言われた。普段なら、『結構です』という私だが、その売り子さんは、相手のことを本当に思って言っているような眼と言葉の響きがあった。魔法にかかったように、『あっ、お願いします』と言わざるを得なかった。後で『しまった』と思ったが、断れない雰囲気を売り子さんが作り出していた。商売とはこんなものだろうか。「売って儲けようと思うのではなく、相手の為にという真心を相手に感じさせた時、自ずから売り上げは上がるのでありましょう。
 それでこの雑誌が私の手元にあるのだが、何と、「多読のすすめ」という記事があった。どうやら、一生涯、学習の連続になるようだ。やれやれ!、であるが人生は長い。楽しく生きたい。
 今日は夜、宅配便が来た。遅い時間にと思っていると、先日総裁先生がご紹介しておられた[The Empatic Civilization]だった。これはアマゾンでさがしたがワシントンの古本屋からの取り寄せだった。とても分厚い。こんな本を読めるのだろうか、という不安感が脳裏を過ぎる。この前に読み始めたマテ・ブランコの本よりももっと厚い。…が、重量は実に軽い。「本棚の飾りに良いかな!」とも思ったが…。あせらずあわてず、これらの本も一生涯かけて読めばいいので、亀のようにゆっくりと、あかるく楽しく参りましょう。

 中内 英生 

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March.19.2010「身の回りにこそヒントが!」

Photo March.19.2010「身の回りにこそヒントが!」
今日の詩::息をのみ 椿を前に 言葉なし

 私達の身の回りには、アメリカやヨーロッパの生活様式が溢れている。それが絶対に善いものであるかというと、そういう善悪の問題ではなさそうだ。一つの文化・文明を受け入れているという状態であろうと考えられる。日本人はものつくりが得意なところがあり、戦後の日本の成長をけん引きしたのは自動車や電気製品などのもの作りだったという。しかし現代では、自動車に於いて日本や世界をケン引きするにはあまり状況が良くない面もあるようだ。それでは今後どこに力を入れるかというと日本文化であるという一つの説がある。

 なぜ、私たちの生活の中に肉食を始め、消費を当たり前と思う考え方や生活習慣にしろ、本来の日本の生活にはなかったものが習慣化したのであろうか。戦後、米国が映画などを通じて、生活様式そのものを広め、衣食住から娯楽まで幅広い分野で販路を世界に拡大したということがあげられるようだ。世界の肉食産業は、日本の伊勢湾台風でアメリカが養豚と餌になる穀物を送り、その成功を世界に広めたとNHKの番組では放映していた。それだけではないかも知れないが、これは一種のアメリカに於ける成功物語ではある。

 そう考える時、私たちの日本文化が売れ筋商品となる可能性があるかもしれない。日本の温泉や、日本では現在当たり前になりつつある温水洗浄便座など、アメリカにはないらしい。きめ細かい行き届いた生活様式は日本ならではのものではなかろうか。
 特に、日本の環境関連の技術は優れものが多い。これはやはりもの作りの伝統を受け継いでいるようであり、大変に素晴らしいといえるのではなかろうか。

 アイデアの源泉は案外、身近にあるということを訴えるために今日のブログを書いている。産経新聞(2010/03/11)には、就職・転職情報サービスの毎日コミュニケーションズが行った「就職人気ランキング」で「味の素初の首位」との小見出しがあった。理系で初めて首位に昇ったという。
 昔の味の素株式会社でのこと。私が中学校の頃に教師からお聞きした話だが、ある上司が職場の会議で「そうすれば売り上げを上げることができるか?」と質問した。すると、若い女の子が、「それはね。味の素の振りかける穴を大きくしたら、すぐに味の素の粉末が無くなるので、もっと売れるようになるよ!」と発言した。同僚たちは、ドッと笑って、笑いの渦となった。そこは笑って終わったのだが、上司はその後、まじめに考え直してみた。そして上の会議にかけて、味の素の粉末が出る穴を大きくした。私の少年時代の記憶だと「急に大きくなったなあ」と思ったことを覚えている。そうして、案の定、味の素の売り上げは急上昇したという。

 これは身近なところに伸びるチャンスがあったということである。私たちの生活改善でも会社の成功でも案外、身近なところに答えがあるのではないだろうか。
 先日、隠岐の島の大久の誌友会に行ったところ、昨年の5月頃から毎日自宅で先祖供養するようにしたところ、毎日毎日が大安心の心で一年間、生活できるようになったと歓びを語る人が殆どだった。ちょっとした生活の工夫で、心身ともに安定するものである。
  
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 2010/03/14のブログは、「名古屋で植物画を見る」です。講習会でご指導されましたことが書かれております。また、美しいひまわりの絵手紙をお描きになっておられます。拝読下さい。
http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は、木曜休日で家族でユメタウンへ行った。フードコートで、私はコーヒーを飲んだり、妻や子供達は何か食べたようだった。楽しい一時を過ごさせていただいた。また花の郷への行くことも出来た。

 中内 英生

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March.17.2010「紙を使用しない本の読み方」

Img034 March.17.2010「紙を使用しない本の読み方」
今日の詩::チューリップ 卒業を待ちて 咲きしかな

 私たちは、三正行を教えられたおりますので、それを行じます。その中で、聖典等の読じゅがあるのですが、本の購入は森林伐採に繋がる場合があります。繋がる場合とは、紙の製造に於いて、森林伐採を行う場合があるからです。古紙だけを使用する場合はその限りではないでしょう。しかし、製紙会社では、なかなか難しいところがあるとも聞いております。 

 宗教の悟りは、「神我一体」、「自他一体」、「万物一体」の自覚が根本であると言われております。要するに愛の教えが宗教であるのですから、万物に対して愛を実践することが求められます。生長の家の御教えはこの悟りから出発しまして、天地一切のものへの感謝を成就し、環境問題の解決へと進んで参りました。そして運動の方法に起きましても無駄な紙を使用せず、二酸化炭素を吸収する森林を保護し、さらに植樹する方向に進んできております。

 また、世間では電子本が普及しつつあるようです。これは森林を伐採しません。アマゾンのキンドルという端末器が売れ始めており、この機械に3500冊分が入るといわれています。これで大いに森林破壊を防ぐことができるかもしれません。しかし、この電子本は、既存の紙による製本の世界を急激に変える作用があるということで難しいところもあると伺っております。しかし、電子本の衝撃はものすごく、新聞やインターネットからの情報によりますと、アマゾン以外の他社も同じような電子本の端末機を開発して本の電子化を行う方向に向かっているようです。
 そのような流れの中で、私たちも流れに棹さしつつ、光明化運動を新しい形で展開することを迫られているようです。

 ポスチングジョイという新しい日時計主義の投稿サイトが生長の家にできました。それにツイッターという、インターネットの世界を網羅しているようなサイトが合流しました。そのような動きの中で私たちの光明の言葉を、日時計主義の言葉を発言することが、自動的に世界中に伝わることになるようです。これは私にとりましても大きな衝撃でした。
 その中で大切なことは、発信する自分自身が魂的に、宗教的に、信仰的に高まるということでありましょう。発信源である私たちは常に日々、光明であり続ける必要があるということでありましょう。これは実に有り難いことです。一年経って、気がつけば私たちの身の回りには光明燦然たる世界のみが展開することになっているのでありましょう。
 そのような新しい方法にご興味がある人は、「インターネット」というコミュニティがポスティングジョイの中に新設されましたので、それにご参加されるとよいのではないでしょうか。時代は急激に流れを速めております、その流れを体感しつつ、今の自分の生活と仕事を誠心誠意、行って行く必要があるようです。

 人生には常に定石があると考えられます。要するに法則性があるのです。私たちの日常生活では法律に則った生活が必要です。人生では生命の法則に則ることが必要です。生命界の成り立ちには、中心帰一と陰陽調和ということが基本的なシステムとして存在するようです。
『生長の家の信仰について』という谷口清超先生の御著書の11頁には、「蚕と繭」の話が掲載されております。人間は永遠の生命であり、肉体は消滅しても、生命は行き通しでると教えられております。生長の家の御教えのポイントは、①唯神実相と、②三界唯心と、③万教帰一の三つであると教えられております。
 御教えの重要な三つのポイントは、同時に私たちの人生に於ける三つの重要なポイントでもある筈です。
 「人間は神の子であり、永遠の生命である」とのお言葉がありますが、永遠の生命ということがありませんと、何を行ってもどこかでお仕舞いということになり空しくなってしまいます。終わり無き生命であるからこそ、神性を開発するにしても歓びが湧いてくるのではないでしょうか。

 ゴーギャンという画家がおりましたが、「我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへいくのか」という言葉を絵に描き込んでおりました。これはゴーギャンがタヒチへ行って描いた絵に書かれている文章だそうです。すなはち、「人間とは何か?」ということを知ることこそ重要です。
 「人間は神の子である」と、私たちはお教えいただいております。最も重要な問題の答えを教えていただいていることは、実に尊いことでありかつ有り難いことです。
 「人間は何のために生まれてきたか?」。人間が神の子であるならば、次に人生の目的が見えて参ります。すなわち、神をこの世に実現することが人生の目的であるということでありまして、神の愛を表現し、神の智恵を発揮し、神の生命力を生きる時、本当の人生の歓びが湧いてくるものと考えられます。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう】
  2010/03/18のブログは、「“非核3原則”は守るべきか?」です。いわゆる密約の問題を論じておられます。拝読下さい。

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※今日は、江津の先祖供養祭が午後にありまして、そちらに参りました。今回からは誕生月の人にささやかなプレゼント差し上げまして、みんなで祝福いたしました。良かったです。夜は、相愛会の壮年層の皆様の集まりがありまして、そこで話させていただきました。『如意自在の生活365章』がテキストでした。

 中内 英生

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March.16.2010「人生の目的と宇宙服である肉体の使用期間」

Photo March.16.2010「人生の目的と宇宙服である肉体の使用期間」
今日の詩::メジロきて 桜の花に 隠れたり

 「霊魂進化の神示」の冒頭には次のように書かれている。

『神の子』なる人間の実相を現象界に実現するのが人生の目的である。現象世界とは現界、幽界、霊界を通じて呼ぶ言葉である。(後略)

 この神示の御文章から論考を行わせていただく。死はないという御教えでは、地上に生きていても霊界へ行っても変わりなく、無限の可能性を表現し続ける必要があると考えられる。今日は、その中でも現界においてどれくらい表現期間を与えていただけるかという問題を考えてみたい。朝日新聞(2010/03/13)の親子教室には、寿命のことが書かれていた。これらの情報は、NHKのサイエンスゼロなどで入手できるが、高齢化社会となっている日本にとっては基礎情報としては大切である。

 女性の結婚・子育てと仕事との両立にしても、寿命が短かった時代では、どちらを選ぶかという二者択一の考え方が多かったかも知れない。しかし、世界の平均寿命で女性は日本が第一位で、86,0歳となっており、かなり長寿だ。今後もこの記録が維持できるという確証はないが、さらに長寿を伸ばすことも考えられる。従って、結婚し子育てをして、子供が成人してからでも、意欲さえあれば自分の個性と能力を発揮できる仕事に就くことも不可能ではないと言うことであろう。ちなみに男性の寿命は、79,2歳で世界第3位である。

 この記事には寿命に関してまとめている。それによると…。
①人の寿命は最長で120歳くらいのようだ。細胞が生まれ変わる回数により、上限があるらしい。従って、細胞分裂の回数を司る遺伝子を研究して操作し、寿命を長くすることを考えている科学者もあると聞いた。ちなみに人間は50回くらいで120歳くらい。ゾウガメは120回ほどのようだから寿命は200年だという。従って、ダーウィンが連れてきた亀がイギリスの動物園に生きているのが数年前に紹介されたが、ダーウィンは死んでも、100年以上もその亀が生き続けていたようだ。
 また、何と、血液から白血球の細胞を調べると、細胞分裂の残り分が分かるという。でもいつ死ぬかが分かるというのは、ちょっと考えてしまうのではないだろうか。
 
 ②寿命を決めるのは、遺伝と生活習慣である。生活を改善すれば一応遺伝で決まった最大寿命に近づけることができるようだ。生活習慣とは、食事、ストレス、喫煙、お酒などである。お酒の取りすぎは、肝臓に負担をかけて細胞が傷つき、その分新鮮な細胞を作る必要に迫られるという。これで回数券を使い、残り分が減るということか?。また、カロリーを多く取るとその分消化しなければならないので、活性酸素が多く生まれることになる。従って、老化が早まり寿命が短くなるという。だからといって、ダイエット食ではうまくないそうだ。

 ③長生きをするにはカロリー制限が有効であるらしい。但し、栄養バランスの良い食事が原則と書かれている。その中でもおそらく肉食は外されているのではないだろうか。肉食は、かなり内臓に負担をかけることになると記憶している。

 ざっと、このような記事が出ていたが、人間は肉体に非ずという考えで行くと、この寿命は宇宙服の耐久時間とでもいうものだろうか。人間そのものは神の子であり、永遠不滅である。宇宙服の遺伝子まで変更して長生きをする必要があるのだろうかとも考えてみる。色々と考えさせられる情報であった。詳細は、朝日新聞の本文をお読みいただきたい。

 寿命のことを考えていると、先刻仏前にて拝読した『久遠いのちの歌』が思い起こされる。

 この身は虹の如し、虹は久しく立つ能わず、しゅゆにして消ゆ。
…(中略)
 法身こそまさに『我』なり。
 仏身こそまさに『我』なり。
 金剛身こそまさに『我』なり。
 不壊なるものこそまさに『我』なり。
 死せざるものこそまさに『我』なり。
 尽十方に満つるものこそまさに『我』なり。

肉体は単なる物質ではなく、神様の御いのちを表現する神聖なる神の宮であると教えられている。その身体を使わせていただくことに常に感謝しつつ人生を生きぬき、自分に与えられた尊い神様からの御使命を全うできるように、自己管理を徹底することが必要なのでありましょう。

※「老木のいのちをつなぐ」という話が朝日新聞(2010/03/14)に掲載されていた。「天声人語」だが、こんな内容だ。日本三大桜のひとつ、岐阜の薄墨桜を取材した話だ。樹齢1500年ともいう桜は枯死の危機を乗り越えたという。戦後まもなく、三年は保たないだろうと言われた古木に、盆栽の名人だった一人の医師が回生の手術を施したという。根をくさび形に切り、切り口に卵白を塗り込んだ。そこへ別の若木の根を継ぎ、縄で固定した。ひと月かけて約240本の根を継いだらしい。老木は新たな命を吸い上げてよみがえり、翌年満開の花を咲かせたという。樹木医ではなかったようだが、このような人は樹木と心が一体化しているのではなかろうか。樹木の心を知ったこの医師は、老木を愛し、いのち長らえさせずにはいられなかったのだろう。私たちの運動、お教えいただいている「四無量心を行ずる神想観」もそのように地球との一体感を呼び覚ましてくれるのではなかろうか。本来、私たちは自然の一部でありいのちに於いて繋がっているのだから。この神想観を実修することにより、必然的に、私たちの心は地球生命の救済に及んでいくと考えられる。

※今日は、隠岐の島で先祖供養を行わせていただきました。帰りは午後3時10分発の船で西郷港から松江の七類港へ向かいました。少しずつ、少しずつ皆様が進歩して行かれるお手伝いをさせていただくことは誠にも嬉しくもあり、有り難いことです。

 中内 英生

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March.15.2010「縄文時代の"自然との共存"」

March.15.2010「縄文時代の"自然との共存"」
今日の詩::チチっと鳴き メジロに飛び来る 庭の春 Photo

 爆笑学問(2010/03/10)で、「2010年縄文の旅」というNHK番組があった。「日本の教養」と副題もあった。考古学の小林達雄博士が出演していた。小林博士の誘導で田中さんたちは、縄文ワールドへ入っていった。縄文愛好者のすきゃ皆さんが縄文鍋というのを再現していた。かなり美味しいらしい。縄文時代は食糧事情の安定化が為された時代だ。食材に火を通すことを覚えた。キノコなどが美味しかったのではないだろうか。竪穴住居に住んでいた。この時代は、1万年つづいていた。皆様、随分長いと思いませんか。この住居には必ず炉がある。燃やし続けていたのではないかと問いかけている。しかも、炉端はいのちを繋ぐ神聖な場所でもあった。今で云えば究極のエコハウスだ。

 この時代の器を見て、画家の岡本太郎氏がびっくりした。弥生時代の器は合理的であり、飾りがない。しかし、縄文は実に芸術的なのだ。S字の模様について語っていた。宇宙の中心と外側とへ向かう形である。縄文時代人の哲学、宇宙観をこの器に見ることが出来るという。造形の中に世界観を込めた縄文時代人の素晴らしさを岡本太郎氏は発見してから、日本人が縄文時代に目を開いてきたという。岡本画伯はいうまでもなく、「芸術は爆発だ!」の岡本太郎氏である。
 また、土偶にも実にユニーク性が込められている。合掌土偶というのもあるらしい。小林博士は言う。「彼らは祈るんです。自分たちの限界は限界として認めつつ、彼らは祈る」のだという。
 大陸から新石器がもたらされた時、新石器は限界を超えて技術の発達を促した。それに対して、縄文人は、技術を磨くのではなくて祈るのだそうだ。最後に安堵しなくてはならない。そのための道具が土偶である、と。
 また、縄文人は算数に長けていたらしい。数式らしい絵文字が発見されている。また、縄文人は、奇数が好きだったという。過去・現在・未来など奇数である。天・地・人も奇数である。
 また、冬至、夏至、春分、秋分などが分かっていたという。その時に「祭」を行う。その節目を節句とする。その祭の時に、一緒になってワイワイやっているうちに、仲間意識が出てきたとしている。まだ、稲作がない頃だ。稲作で無理矢理作業で引っ張り出されることはなかったという。この仲間意識を持った人たちが集まって村を作った。村の近くには、原(はら)があった。即ち、「自然との共生」をしていたという。

 そこへ、稲作が入ってきた。「縄文式は古い」ということになったという。そして弥生時代となる。大陸からもたらされた稲作が最新のトレンドとなった。大陸から来た諸道具により、縄文と同じ状態の村を営むようになったという。
 彼らは村の周りに「原」という自然の状態があることを許さなくなった。つまり、自然は征服の対象となった。村の周りには、原ではなく、征服した畑や農地である「野良」(野良仕事の野良が)が点在するようになった。自然への略奪が始まった。より一層農地を持った人が財力を蓄えて人の上に立つようになった。そして、人々は対立するようになったという。
 農耕稲作は、技術の発達を促した。人工的な上下関係の身分階層の出現を促すようになった。そして合理的な考え方とか効率を求めることと結びついてあらゆる面で縄文時代とは変わってしまった。
 土器も縄文の芸術的なものではなく、丸く単調な合理的な土器となった。縄文時代は一万年間、自然資源をどう活用していくかという考えで生活していた。当然、化学的変化や力学的変化は素朴なレベルで止まっていた。
 弓はちゃんと使っていた。しかし、石でヤジリを作っていた。そのままでれば、自然との共生が残ったかも知れないという。
 しかし、稲作という共同作業とそれにまつわる上下関係の成立など外部からドアを叩かれて、縄文時代人はドアの外に出ざるを得なかったという。

 反論があった。「弥生時代の稲荷とは、稲作を教えてもらったことへの信仰と感謝ではないですか。良い面もあるのではないですか?」と。
 自然を征服してきたその後の文明はどうなっているのでしょうか?それが現代ではないでしょうかとも答える。
 縄文はもっとゆったりした世界があった。あの世界に戻りたいという思いが人間にはあるという。
(私はこの議論を聞いていて、科学技術はさらに環境技術として進化し、生活のレベルは落とさずに、しかも「自然との共存共栄」を試みようとしている私たちの大いなるチャレンジに対して歴史的な驚きと同時に、「どうしてもそれを実現しなければならない」と強く念願せざるを得なかった。)

 議論は「間」(マ)の問題に移った。重要なのは、対象と自分との間の存在、空気、間、ここをお互いにちょっと微妙に守っていこうと言う感覚である。
 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の中で、彼はこう言っているという。『自分の信じている神ではなくても、他の神を信仰している人が言ったことでも感動できるでしょ』と。
 宮沢賢治はものすごい宗教家だったので、『別の神でも、その神を信じなくても、その人のことは好きになれるではないか』とも言っている。
 別の神と自分との間に、その人がいて、それは「間」である。『別の神を好きになれなくても、その人を好きになることはできるだろう』ということで、人との調和を実現できるとしている。

 間(アイダ)をそのまま間として認めることが日本文化の中には沢山あるという。
現代に於いて大切なのは、「進化」よりも「深化」である。そのヒントが縄文にあるとしている。
 人生観、世界観を縄文人は土器に埋め込んだ。縄文土器を好きな人は沢山いるが、弥生土器を好きな人は余りいないということも事実である。

(要するに、自然との共生は芸術を生み出すということだろう。昨日書いたビクトリアヌス・ポターやガウジーなど自然と戯れた人はその作品を芸術化する。自然な中に入っていくのは、退歩ではなく人間本来の姿に帰ることであるからだろう。理由は簡単である。人間は自然界の一部であるからだ。しかも神に於いて人間と自然とは一体であるからである。)
 
 大体、このような内容だろうかと思うが、理解できた部分と理解が及ばなかった部分がかなりあった。自然を征服するという考え方は、産業革命以後、顕著だと思っていたが、日本に於いては、弥生時代からであるとする小林達雄博士の説には驚かされた。賛否は別にして、小林博士の説を精確に理解するには著書を読んでみて下さい。
http://www.amazon.co.jp/%E7%B8%84%E6%96%87%E3%81%AE%E6%80%9D%E8%80%83-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B0%8F%E6%9E%97-%E9%81%94%E9%9B%84/dp/4480064184

※隠岐の島に来ている。今日は、午後・夜と誌友会があった。遅遅として歩みは遅いが一人ずつ、一歩ずつ歩んでいく以外にない。伝道に王道はない、と言えるからだ。また今日の午後はまったく初めての小さい子供を連れた新人のお母さんがお出でになった。
 夜は、大久の誌友会に行った。昨年5月より毎月、隠岐文化会館で先祖供養祭を行って来たが、毎朝夕の自宅での先祖供養を奨励している。それを毎日実践している人が体験談を言われた。Mさんという人だが、四年前からおヘソにイボが出来ていたという。昨年6月から文化会館の先祖供養祭にも行くが、自宅での朝夕の先祖供養を欠かさなかった。先祖供養を始めて3ヶ月ほどした頃のことである。医者からはイボの手術を勧められていた。霊牌を書いている時のことだ。ポロッとイボがヘソから転げ落ちたのだった。そこで彼女は、落ちたイボを海に持って行って水葬にしたとのことだった。めでたし、めでたし。

 中内 英生

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March.14.2010「親から子へ愛情の申し送り」

Photo_2 March.14.2010「親から子へ愛情の申し送り」
今日の詩::道の駅 宮殿のような 美しさ(道の駅の”キララたぎ”です。ここのパン屋のできたてパンが美味しいそうです。)

 朝日新聞(2010/03/07)の天声人語には、俳優の加藤剛さんの随筆のことが書かれていた。
 幼い我が子を肩車する場面があった。父の額をしっかり押さえる小さな手を「若木の枝で編んだ桂冠」にたとえている。栄誉の冠を戴いて、父親たる加藤さんは「凱旋将軍のごとく」歩を進めるのである。愛された記憶が、愛するという資質を耕す。親から子への豊かな申し送りがいま、ゆらいでいるようにも思われる。

 こんな文章である。チンパンジーの母親は子供を産むと赤ちゃんを抱くという。しかし、その母親が保育器で育った場合、子供を抱くことができないようだ。愛された自覚が愛する行動を促す。もし、愛された記憶がないならば、愛された記憶を思い出し発見することが大切になるだろう。両親の姿の中に愛を発見する時、「神に感謝しても父母に感謝しえない者は神の心にかなわぬ」という大調和の神示を受け入れることができるといえるのではないだろうか。

 クロマグロ食べたことありますか?地産地消のサカナ?
最近、高級なすしや刺身になるクロマグロ(本マグロ)の半分を占める大西洋産は、輸出入が禁止されるかも知れないようだ。チャンス!地産地消の実現である。元ワシントン条約事務局部長であった金子与止男さんがそのことに答えている。朝日新聞(2010/03/11)である。
 太平洋産は、このままだと絶滅かどうかであるが、ほとんど考えられないという。海の生物を取り尽くすのは困難である。しかし、漁業が成り立たなくなる商業的絶滅はあり得るという。
 日本の消費者は「トロ信仰」を卒業し、食習慣を見直すべきである。色々なサカナを食べることだ。そんな暮らし方が求められている。(考えてみると、サンマやアジや安価であり身体によいサカナがたくさんあるはずだ。)

 ワシントン条約とクロマグロ規制であるが、ワシントン条約は、絶滅の恐れがある野生動物を守るために国際取引を規制する条約である。1973年に採択されたという。日本は80年に加入している。締約国は175カ国だ。クロマグロの規制は92年にスウェーデンが提案し、撤回したことがある。今回は09年10月にモナコが提案し、国際商取引が禁止される「付属書1」に大西洋産クロマグロを掲載するように求めているらしい。付属書1には、ジュゴンやシーラカンスなどが掲載されているという。
 アカデミー賞で有名になったイルカはここには書かれていませんが、どうなっているんでしょうか?

 もう一つ、バイオ燃料のことを考えてみましょう。結論は、『やっぱり太陽光発電!』です。
「温暖化促すバイオ燃料も」と云う記事で、朝日新聞(2010/03/07)には掲載されている。あれ!と思った。内容を読んでみると…。
『植物などから作るバイオ燃料は、ガソリンに比べ必ずしも二酸化炭素の排出量が少ないとはいえない…と。経済産業省の検討会がこんな調査をまとめたという。燃焼の際だけでなく、育成や製造の過程まで含めて比較した結果だという。先日の総裁先生がご紹介しておられた、肉食の二酸化炭素排出が全体の51㌫であるというのも、肉食産業全体で排出するトータルの排出量だ。

 国内で利用されているブラジル産や国産バイオ燃料を対象に調査したという。ブラジル産のサトウキビを原料にした製品の場合、多くの二酸化炭素を吸収していた森林を畑に変え、栽培したものがあるという。これは以前、総裁先生がご指摘しておられた。森林が吸収していた分を考慮すると、増える二酸化炭素は同じ量のガソリンの何と、2,3倍に達するというのである。畑だった場所を利用した製品は、ガソリンより二酸化炭素排出量が60㌫少なかったらしい。

 国産の場合は、米から作る製品の一部に、ガソリンより12㌫排出量が多いものがあったという。栽培時に使う機械の燃料が二酸化炭素を多く出すことなどが理由だという。原料がテンサイの製品は52㌫、建築廃材の製品は、90㌫も排出量が少なかったらしい。
 昨年成立したエネルギー供給構造高度化法に基づき、今年夏にも大手石油会社に一定量以上のバイオ燃料の利用が義務付けられているらしい。それに合わせて、経産省は今回の調査をもとにガソリンに比べて二酸化炭素を50㌫以上削減できることなどを定めたバイオ燃料の利用基準を作成すると書かれていた。

 このように考えてみると一見、二酸化炭素の排出量が、空気中から吸収した分を排出するだけなので、空気中の二酸化炭素は一定であるなどという考え方は単純すぎる考え方であるということが言えるのではなかろうか?

※今日で練成会が終了した。練成会は必ず新人がお出でになる。そして御教えに対して大いに感動して下さる。参加者に喜んでいただくのが、私たちスタッフの歓びである。主任さんは練成会の最高のエキスパートであり、スタッフの皆様は日本一の信仰者の集団であると私自身、自負している。来月はもっともっと素晴らしい練成会を実施したいと念願している。

※今日の内容は雑学でした。眠気を催されたのではないでしょうか。
 中内 英生  

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March.13.2010「ビアトリクス・ポター」

Photo March.13.2010「ビアトリクス・ポター」
今日の詩::テロリスト ポスジョイにはまり 転職す

 3月11日(木)は、休日だったので、県立美術館へ行ってみた。ビアトリクス・ポター展というのをやっていた。ウサギの童話を書いた人であった。彼女は、1866年から1943まで生きた人である。世界中で愛され続けるピーターラビットの絵本シリーズの作者だ。イギリス・ロンドンの裕福な一家に生まれた。幼い頃から文章や絵を好み、自然観察に基づく素描や精緻な動植物画に親しんだという。ともかくひたすら描いている。
http://www.h7.dion.ne.jp/~mars10/peter2.html
 
 1983年から98年までキノコ類の研究に着手した。博物学的に生態を観察した精密なスケッチを残した。1902年、フレデリック・ウォーン社より、出版された『ピーターラビットのおはなし』が人気を博した。後に湖水地方の自然を背景にして、数多くのキャラクター達を絵本の中に誕生させている。後年は、湖水地方の農場経営にもいそしんだ。その自然を守る環境保護活動にも尽力したという。この作者はあるいは、私たちと共通点があるのかも知れない。
http://www.peterrabbit.com/jp/potters-world-life.asp

 彼女は、当時の裕福な家庭の典型として乳母に育てられ、学校には行かず数人の家庭教師について学んだ。自室で飼った様々な小動物を詳しく観察してスケッチすることを好んだという。
http://www.daito.ac.jp/potter/index.html

 遺言により、所有する土地の大部分をナショナル・トラストに寄付したことで有名だそうだ。 
YAMAHAで編集したDVDを美術館で見せていただいた。彼女は、対象の花などを見ると、描かずにはおれなかったという。この「描きたい」という熱烈な情熱が、ビーターラビットの絵に成長したようだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~keri/misspotter.htm

 身体が弱かったので、親が学校へ行かせなかったとも言っていた。上記の理由とは若干違うが、いずれにしてもそれによって彼女は本と写生に時間を費やすことになる。そして世界の子供達を魅了することになるのだった。それは、谷口雅春先生が、どちらかというと内向的であるがゆえに文学を志し、その結果、実相哲学に到達されたことと似ているように思われる。
 性格に於いても運命に於いても、決して、マイナスはないと言えるのではないだろうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%88

http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&oq=%E3%81%B4%E3%83%BC%E3%81%9F&hl=ja&rlz=1T4SKPB_jaJP267JP267&q=%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%88&um=1&ie=UTF-8&ei=SNOcS-z4Ns6GkAXUysTfAQ&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CBwQsAQwAA

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう】

 2010年3月10日のブログのテーマは、「ポスティングジョイがツイッターに参加」です。ご存じの「ポスティングジョイ」が、ツイッターに参加したという。試しに、ポスジョイに投稿してから、ツイッターを見てみると、確かに書き込まれていた。この出来事は光明化運動史上、実に大きい出来事ではないだろうか。心より、お喜び申し上げます。地球温暖化防止のために、二酸化炭素削減を行い、森林伐採を防ぐ。その代わり、インターネットでの光明の投稿が活発に行われる。そして、偽象を表現したインターネットの世界を私たちの生長の家の真象的歓びの表現グループが凌駕する。その時、真の世界平和が地上に到来すると思われる。皆様、ポスジョイに歓びを表現することは、そのまま人類光明化運動、国際平和信仰運動に繋がります。大いに投稿して下さい。
  インターネットが始まった当時、このようなことができないだろうかと、新宿のヨドバシカメラに行ったり専門家にお聞きしたことなどを思い出します。夢をポスジョイが叶えて下さいました。心より感謝であります。
 尚、ポスジョイには、「インターネット」のコミュニティが登場しました。私も末席ながら登録させていただきました。島根のブロッガーの皆様、このブログをお読み下さっておられる皆様、このコミュニティでインターネットを使用した人類光明化運動の具体的方法を学び、少しでも世界平和実現のお手伝いをさせていただこうではありませんか?

※今日は、練成会第二日目だった。初めから参加者が多いようだ。隠岐の島から2名参加者がきておられる。海外から?である。

 中内 英生

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March.12.2010「”毎月の誌友会”で新人をお誘いして講習会のご推進を!」

Photo_2 March.12.2010「”毎月の誌友会”で新人をお誘いして講習会のご推進を!」
今日の詩::北の海 ポスジョイ始めた シロクマ君

4月号の『光明島根』の原稿ができましので、県外の方々には申し訳ございませんが、島根のインターネット信徒の皆様のために早めに掲載させていただきます。

  神の子の皆様、ありがとうございます。
一ヶ月間が、あっと言う間に過ぎ去ります。毎日三度の食事をし、毎日会社で勤務します。主婦の方は毎日、お食事を作ります。心臓も毎分毎秒、鼓動を打ち続けます。「生きる」という結果を出すためには「続ける」ということが大切なのです。
 木でも今日は成長することをやめよう、光合成をすることをやめようといって成長しなければすべての生物の生存は不安定になります。

 それと同じように、地域の真理の灯台である誌友会は、決して休むことなく灯し続けることが神様の御心にかなうことなのです。日御碕の灯台を見て下さい。東洋一といわれているそうですが、嵐の日にもどんな日にも夜になると明かりを点じて、沖行く船の目印となってくれるのです。誌友会はその地域のお守りのようなものでもあります。明かりを灯し続けましょう。

 「なぜ?」とあなたはお考えですか?神様はあなたを選んで真理の灯台とならしめ給うたのです。神様があなたに誌友会を開催し、または参加することを求めておられるのではないでしょうか。また、それにお応えして、地域の光となることを魂の底では念願しておられる筈です。神様の目から見ましたならば、”誌友会こそ、「地域貢献」の最大級の行事”です。

『生命の実相』頭注版第30巻181頁には、「山上の垂訓」が書かれています。「燈火を枡の下に置くな」という項目です。

(前略)
 われわれが真理の燈火をともして、そこに光が輝いたならば、それをしてわれわれを照らす光とならしめなければならない。枡の下へ置いて燈火を隠してしまったらせっかく燈火がともっておってもなんにもならないのであります。(中略)
 われわれは何の成心も計らい心もなしに、小鳥が春の喜びを知ったら自然に素直に、計らい心なしに囀り出すというふうにしなければならないのです。燈火というものは別段照らしてやろうと思うような計らい心はないのであって、ただ、火は彼自身光るべき性質で光っているにすぎないのです。何の計らい心もなしにそれ自身があるべきように光っているということによって、人も照らされるということになるのです。(後略)

 神の子の皆様、真理を伝えられた喜びを自分だけのものとせずに、新しい人をお誘いして、地域の燈火となりましょう。み教えに触れたご自分の喜びを小鳥が囀るように語りましょう。甘い砂糖のあるところに蟻が寄ってくるように、「甘露の法雨」である真理が語られる誌友会には必然的に地域の多くの人々が集まってくるのです。
 毎月の誌友会に新人をお誘いすることが、強力な11月28日の講習会の推進活動となるのです。

4月からは新年度に入りますので、神の御心のままに明るく楽しく誌友会を開催いたしましょう。どうぞよろしくお願いいたします。 以上

※今日から出雲錬成会が始まりました。

 中内 英生

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March.11.2010「自然への四無量心を行じよう②」

March.11.2010「自然への四無量心を行じよう②」
今日の詩::花咲きて 春の宴と なりにけり (これは湯飲みに描かれていたデザインだったと記憶しております)

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 (続き)
 さらに次のように与える愛へ進歩するようにご教示されております。

 これと同じことが、人間の「自然への愛」についても言えると思うのです。人類は近代以降、自分たちに「快」や「楽」を与えてくれるものを”善い”とし、そういうものだけを自然から奪い、残った自然は破壊し、放棄してしまうということをずっとやってきた。そういう態度が、現在の地球温暖化の元凶になっているわけです。ですから、こうして「奪う愛」を行ってきた人類が今、「それではいけない」と気がついたから、これからは「与える愛」を実践するー仏教的に言うと「四無量心」を行ずるーこれを、自然に対しても行うことが必要である。そういう話をしたのであります。(後略)

  「四無量心を行ずる神想観」が示されまして私たちは神想観の時にこの祈りを実修させていただいております。近代以降の私たちの生き方は、「快」と「楽」を中心にして生活をしてきたようです。日本では特に物資がなかった戦前に比べて戦後は便利快適の道を猛進してきました。これはさまざまな場所で自然破壊を繰り返してきたようです。母親からよく聞いている言葉に、「ものを大切にする」という言葉です。日本ではその言葉が生きている面もあるのではないかと思います。マータイさんが「もったいない」を広めようとしたのも日本にまだこの考え方が根底には残っているということでありましょう。

 「携帯電話」にしましても、機能は大して変わらないのに、宣伝によりすぐに買い換えたくなるのは、必要と言うよりも宣伝の影響が大きいのかも知れません。今、与えられているものに感謝して使用することが、地球温暖化を防止することのなるのでありましょう。一人の行動は小さくとも人類全体が行うようになればこれは実に大きいことになります。
 生長の家はさまざまな面で、先駆的な役割を果たしつつあります。数年後に八ヶ岳に国際本部が移転することも、これにより自然との共生の実現、さらに過疎地域の人口減少を改善し、都市部への集中防止など、その役割は大きいと考えられます。
 新国際本部の建物は木造であるとお聞きしております。西洋建築は弱酸性の日本の土壌に影響を与えてしまうという理由のようです。弱酸性の土壌でないと日本古来種の植物は育ちにくくなるようです。あらゆる面で、自然との共生を行ずる生き方、あり方、建築の仕方、仕事の仕方など、物質文明の世界に光を投じる素晴らしいあり方であると思います。

※「自然への感謝を深める」という意味になるかも知れないが、朝日新聞(2010/03/11)2頁には、「地球の自転速度の変化」について書かれていた。私自身、知らないことが多かったの書かせていただきます。
 2月27日のチリの大地震で、地球の自転が早くなったという。地震と地球の自転速度の関係があるとはまったく知らなかった。よく登場する米航空宇宙局によると、一日の長さが100万分の1,26秒短くなったとのことだ。わずかだが、その積み重ねは大きいといえる。何と、チリの地盤が数百キロにわたって変形し、重くて出っ張った部分が少しだけ地球の中心に寄ったためだとのことだ。よくそんなことが分かるなあ、とこちらの方が驚きの対象でもある。フィギアスケートで、くるくる回っている選手が腕を縮めると回転が早まるのと同じのようだ。ただ、一日の長さは日々、千分の一秒くらい揺らいでいるという。これは地球は自然そのものだからあり得ると思うが、いわゆるアルファ波の脳波を出させる「揺らぎ」の一種だろうか?それは、なぜかというと、国立天文台によると、北極や南極の氷の影響が大きいという。冬に氷が増えると地球の自転軸(地軸)の付近に重さが集中するからだそうだ。ただ北半球と南半球では季節が逆だから、その変化は複雑だという。地球温暖化による氷河の溶解や北極や南極の氷の溶解なども微妙に影響はあるのかも知れない。さらにジェット気流や海流の流れ方、巨大なハリケーンも影響するとしている。出雲は風が強いが、それなども影響しているのかも知れないが、(ジョーク)

 それから、この記事でびっくりしたのだが、一日の長さが少しずつ長くなっているらしい。長い目で見ると地球の自転は遅くなっている。約100年前に比べて、1日あたり約0,0017秒、1年でみると約0,6秒遅くなっているらしい。
 これは主に月の引力の影響だという。地球の海の水は月の引力で引っ張られ、流れが出来る。しかし、流れる時に、海底や大陸が複雑な形をしているので抵抗を受ける。これが自転の妨げとなり、地球が回転しづらくなる原因となるようだ。潮の干満や、赤ちゃんが生まれる時間や珊瑚の受精やは月と関係があると言われている。そして、体内時計の時間遺伝子は長い時間をかけてできあがったのだろうが、それも影響を受けると言うことかも知れない。そう考えると、今日一日普通に太陽が出てきて、普通にお月様が現れることが、何と有り難いことであろうか、と思えてくる!!

 時間がずれるのを、「うるう秒」を入れて暦を修正しているようだ。1972年から83年までは毎年1秒を入れていたという。しかし、2000年以降に入れたのは06年と09年の2回だけだという。自転の遅れ方が一定でないためであるようだ。これなどは、知らなかった驚きである。
 月の公転周期が地球の自転周期と同じになると、ようやく月の影響が無くなる。計算によると、現在1日で1廻転している地球が、47日で1回転するようになった時である。これは、まだずっと先で、2300億年後なので現在の我々にはあまり関係がないが…。このようになる間に、月は毎年3、8センチずつ地球から遠ざかっていて、今より1,5倍遠くなるという。見かけの大きさは3分の2になり、地球の片側からは常に月が見えて、反対側からはまったく見えなくなる。そんな時が来るのだろうか。月による海の干満もなくなるという。

 月の存在は実に大きいと聞いた。すなはち月がもしなければ、地球の自転が不安定となり、気候が不順となるという。何となく浮かんでいる、回っているお月さん、実は私たちにとって重要な役目を果たしているようだ。俳句で季語を使うがもしもお月さんがなければ、季語の存在も危うかったかも知れない。最後に、ここで改めて、自然への感謝の思いを深めたい。
 
※今日は木曜定休日でゆっくりと過ごさせていただいた。明日から出雲練成会が始まる。
 中内 英生

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March.10.2010「自然への四無量心を行じよう①」

March.10.2010「自然への四無量心を行じよう①」
今日の詩::よろこびの 春のみかんは ツヤツヤと

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 『顕祭』(平成22年3月号)には、”「四無量心」を自然界にも実践する”というお題で、愛についてのご教示が掲載されている。

(前略)私は、「愛する」という言葉の使い方に問題があるという指摘を、昨秋の記念日に行ったわけです。ひと言で「愛する」といっても、いろいろな愛し方がある。生長の家では、「愛」を二つに分けて考えます。一つは、まだあまり進歩していない未熟な愛で、それは相手から「奪う愛」であり、また「執着の愛」である。一方、そこから発展して、人に与えることに喜びを感じるようになると、愛は進歩するのですが、それは相手に「与える愛」であり、相手を「放つ愛」となる。そのように、「愛」も進歩し向上していく必要があると考えています。(後略)

 このようにお説きになっておられます。世間では流行歌などを聴いていると、男女の愛をもって、いわゆる「愛」であるとして使用しておりますが、どうもそれは同じようにも見えますが、恋愛にも二つのレベル(種類)の愛があるということでありましょう。子供への愛情にしましても、純粋に、子供を神の子であるとして礼拝して放つ愛を両親が行じることができるるようになって、初めて子供を生かすことができるようになるのでありましょう。
 奪う愛と与える愛は立っている立場が違うようです。自分の感情や思いを中心にしている時には、執着や奪う愛となるのでしょう。それに対して、相手の人生を思いやりつつ、自分の執着を捨てて、神の愛を実践することこそ神聖な放つ愛でありましょう。ご教示を繰り返し拝読しておりますと、実相の愛が感じられてくるのではないでしょうか。

 ある母親が個人指導にきたことがあります。中学校の娘さんが卵巣がんとなり、片一方をすでに摘出し、さらにもう一方を摘出する段階に来ていたときでした。色々とお話を伺いました。母親である方は、子供の頃に夢遊病の症状があり、また、結婚式の日の朝、夫となる人の愛を信じることができずに自殺未遂をしたのでした。それらの過去をすべて懺悔し、子供の完全円満なる実相をひたすらに見つめて、神様に全択の境地に至りました。すると、不思議なことに、娘さんのご病気は抗がん剤を投与しても何ら効き目がなかったのですが、お母様がそのようなご心境になったとき、薬の効果が抜群に聞き始めまして、がん細胞が消滅したのでした。執着の愛を脱することが如何に大切であるかを教えられた体験でした。
(続き)

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。沢山の新人をお誘いしましょう】
  http://www.masanobutaniguchi.com/

昨年のノーベル化学賞を受賞したアダ・ヨナットさん、トーマス・スタイツさん、ベンヤトラマン・ラマクリシュナンさん達の研究について理化学研究所の横山茂之さんの説明を聞いた。サイエンスゼロ(2009/12/12)からである。「リボソームの正体に迫る」としたこの番組は、細胞内の小さな器官であるリボソームがタンパク質を造ることを分子レベルで解明したものだそうだ。36億年前に無機物から、動く物質としての生命体ができあがる過程を明らかにしたようなものだという。ここまで解明できたというか、まだまだというか。生命体のすごさを実感した番組だった。
 その中で、1968年に大島泰郎博士が90度摂氏の伊豆の峰温泉で発見した好熱性細菌と言われるサーマス・サモフィス(Thermus thermophillus)という菌が研究用として、世界中の研究室で活用されていることも知った。地球の初期段階は非常に高熱であったようで、このような熱に強い生物がいても不思議ではないとのことであった。

※今日は昼間は特に行事はなかった。夜は青年会が運営する中高練成会の運営会議に出席させていただいた。A委員長を中心に熱心な協議を行い、いろいろと決まった。後進の中高生をお世話することにより、かえって人は育つのでありましょう。

 中内 英生

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March.09.2010「一石を投ず」

Photo March.09.2010「一石を投ず」
今日の詩::目を細め 万物度する 十一面

 恐竜を絶滅させたとされる小惑星の衝突について、12カ国の共同研究チームが「間違いない」と結論つけたという。各地の地層を詳しく調べた結果である。6550万年前、直径10キロ以上の小惑星が今のメキシコ東部に超高速でぶつかったらしいという。
 さらに直径、200キロメートルほどの衝突跡が確認されている。衝突でマグニチュード11の大地震、高さ300メートルの大津波が起きたようだ。数字はどれも想像を絶する。次に大気中に飛び散った粉じんが太陽光を遮断し、寒さと食糧不足で多くの動植物が死滅した。
 巨体ほどもろかったという。小さな動物はこの試練を生き延びて、やがて進化した人類がこの星の支配者となった。
 もしも小惑星が地球をそれ、恐竜が健在だったらどうだろう。おそらく人類の現在のような繁栄はなかったに違いない。
(しかし、多くの種が絶滅したように、人類も例外ではないと唱えたダーウィンは教会からさまざまな批判を受ける。それに耐えて現在は、科学的な事実として「進化論」は認められるようになったという。)

 このような意味を朝日新聞の「天声人語」は語っている。しかしそれにしても偶然中の偶然というべきであろうか。
 しかし、ここで人類が頂点であるとした現在の地球は破壊されつつある。人類は地球生物の支配者ではなく、地球生物から生かされているという考えが正しいだろう。それ故に、万物を神のいのちの現れとして礼拝するということになる。「生長の家環境方針の基本認識」である。
 今は変化の時代、現象的には激変する時代かもしれない。しかし、人類にとってはそれに敢然と立ち向かい解決の道を発見することこそ大切であろう。すでに答えはあるのだから。

 ドイツの童話である「蜜蜂マーヤの冒険」というのを覚えておられるだろうか。その一節に次のような文章があるという。「私の心は喜んだり驚いたり、いろいろなことを味わったり、冒険をしたりするようにできているのだ。私はどんな危険も恐れまい」。勇敢に変化に立ち向かおう。変化こそ私たちを進歩させてくれる大きなチャンスであり、エネルギー源ある。

 さて、生物多様性について私たちはさまざまな視点から教えていただいている。生物多様性とは、数千万種ともいわれる地球上の生き物は、互いに食物連鎖などで結びつき、バランスを保ちながら生態系を作っている。そうして維持される種の多様さや、そこからもたらされる恵みのことを「生物多様性」という。朝日新聞(2010/03/03 32頁)に書かれている。内容をさらに読み込んでみると。
 
 ほ乳類とは、「母乳を飲んで育つ」動物のグループである。多くは卵ではなく、母親の体内で少し成長してから生まれてくる。体毛に覆われているものが多く、外気温にかかわらず体温を一定に保っているという。

 ほ乳類は、恐竜とほぼ同じ三畳紀後期(約2億2500万年前)に、両生類から分かれた単弓類の仲間から進化したといわれるようだ。恐竜時代は小型で夜行性だったとみられていたが、最近の研究で、樹上で暮らした種や木々の間を滑空した種など、当時から多様なグループがあったことがわかってきたらしい。

 白亜紀末期(約6500万年前)、巨大隕石の落下によって地球環境が激変し、恐竜を含む多くの生物が大量絶滅したという。これを乗り越えた一部のほ乳類たちは、恐竜がいなくなった地上で日中も活動するようになり、一気に大型化と多様化の道を歩んでいったとする。

 だが、国際自然保護連合の報告によると、現在、ほ乳類の5種に1種が絶滅の危機にあるといわれている。恐竜が滅んだ白亜紀末期の大量絶滅は、地球に生命が誕生してから「史上5番目の大量絶滅」といわれるが、今まさに「6番目の大量絶滅」が進行していると生物学者たちは警告を発しているという。しかもその原因は、隕石でもマグマの湧出でもない、人類がもたらしている地球温暖化の危機である。このような内容が書かれていた。

※今日は、壮年層の学習のために、「平和・環境・資源」のテーマで環境問題も一時間、講話をさせていただいたが、新聞を見てもどうしても同じテーマに目が行ってしまう。
「神は生物多様性を好み給う」、である。
※今日は、午前は会議で午後は、学習会で講話をさせていただきました。あらゆる機会を通して総裁先生の御心をお伝えすることが私たち講師のお役目・ご使命であることを確認させていただきました。

 中内 英生

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March.08.2010「結婚指輪してますか?」

Photo_3 March.08.2010「結婚指輪してますか?」
今日の詩::海ゆるみ サザエ転がる 波の中

 熟年夫婦を巡る話は色々とあるようです。先日、読売新聞(2010/03/03)を購入したが、そこには、上記のような題の各種文章が掲載していました。ご主人に対して色々な感情を抱くのは当然ですが、不平不満となっているか、感謝となっているか両方の意見が掲載されており興味が湧きました。「記者から」として、「夫が身を削る思いで仕事をしていることは、妻も皆分かってます。その上で、毎日の家事に対してねぎらいの言葉を一言で良いから、かけて欲しいのではないでしょうか」と結んでいます。

 ご主人と戦っている主婦の方もいらっしゃるようです。最後に掲載されていたのが奈良県の56歳の女性の方でした。
 主人は帰宅すると、私にだけは仏頂面の毎日だった。”誰のお陰で飯が食えるのか”と何度も言われた。言葉の暴力を浴びせかけられて、3年前に体調を崩した。しかし、腹を立てていても体調は回復しないと、気持ちを切り替えることにした。主人は仕事のストレスを妻にしかはらせないのだと思うようにした。
 管理職になった主人は、責任感から心臓の持病も抱えながら土日も仕事に出ている。でも、しんどいと言ったことはない。男性は弱音を吐けないものなのか?命を削って働いてくれているのだと思うと、感謝の念が湧いた。私は専業主婦という仕事に誇りを持ち、主人が退職したら、好きなことをさせたあげたい、それまで私がストレスのはけ口になってあげようと思う。

 このような内容の文章だった。この方は生長の家の信仰を持っておられるのではないだろうかとも思えるご意見だった。これは妻の側からの考えだが、当然のことながら、夫の側からもいえることでありましょう。
 この場合、どちらが大人の魂を持っているというべきでありましょうか。おそらく妻の方が大きな心を持っておられるのではないかと思う。夫婦はお互いに魂の半身であるという。同じレベルで生活している。妻の方が仏様のように素晴らしい心境になった場合は、おそらくご主人は天国浄土に生活する気持ちになるだろう。夫婦互いに拝み合い、感謝し合うことが御教え学ばせていただいている。天皇陛下と皇后陛下のお姿や、現在の総裁先生ご夫妻のお姿を拝する時、私たちは如何に夫婦調和は大切であるかを強く、より一層教えられるのではないでしょうか。

 今日拝読した谷口清超先生の御文章で感動した箇所があったのでご紹介します。それは、『輝く未来が待っている』の67頁の15行目から68頁の14行目までですが、Oさんという以前、スキー学校の校長先生をしていた人の言葉の紹介です。内容を申し上げますと…。

 スキーは、習い始めがヘタだった人の方がいい指導員になれる。なぜかというとヘタな人は苦労して身体の使い方を覚えるからだ。その分、体験的に「重心をここに持ってきて、身体をこう使って」というように具体的に指導が出来るようになる。特に大人の生徒に教える時は、理屈を教えた方が理解しやすい。
 でも、運動神経抜群の人は、自分が見よう見まねで覚えてしまった分、理屈が教えられない。つい、生徒も自分と同じようにできると思うから、「ほら、こうやればできるのに、なんでできないんだ」と言ってしまう。
 上手な人はすぐうまくなるが、不思議なもので、最後にエレガントな動きを身につけるのは、最初ヘタな人だ。あきらめずに努力を重ねていくうちに、身体の硬い人も実に優雅な動きを身につけることができるようになる。
 それから一番大切なのは「頑張って上手になるぞ」という心だ。それがある人は伸びる。だから案外、小学校くらいの頃から習っている人よりも、大人になって始めた人の方がきれいな滑りを身につけられることがある。仕事の合間に習いに来る人なんかは、「休暇を取ってお金をかけてやっているんだから、絶対ものにするぞ」という意気込みが強いから伸びる。

 大体こんな内容だ。皆様、この元スキー学校の校長さんが言われるように、生長の家の御教えの神髄を体得しようではありませんか。この文章により私も心に期するとことがありました。まずは、今日も、『日時計日記』の記載と三正行から始めましょう。

※今日は、教化部での行事は久しぶりに何もなかった。安心していると、防火訓練があるという、な~あるほど、何もないわけではなかった。

 中内 英生

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March.08.2010「ノエティック・サイエンス」

March.08.2010「ノエティック・サイエンス」
今日の詩::幸せは そばで控える 急須かな

 ノエティック・サイエンスという分野があるらしい。先日ブログった作家 ダン・ブラウン氏に関する記事が日経新聞(2010/03/07)に掲載されていたのを読むと、その言葉が出ていた。少し調べてみると心と体との関係や、免疫力や、自然退縮などという言葉に巡り合った。さてその内容を見てみたい。

 宗教象徴学者ラングドン教授が活躍する世界的なベストセラーである「ダ・ヴィンチ・コード」はご存じだろうが、それから6年間経っている。ラングドンが登場する人気シリーズの第3作にあたる最新作「ロスト・シンボル」が発売されている。
  「ロスト・シンボル」の原書はアマゾンの古書でも購入できるようになっているようだ。米国などから送ってくるらしい。それほど高くはない。

 彼は言う。「科学を知れば知るほど、宗教を信じるようになっていく」と。最新作は科学と宗教の共存関係をテーマにしているという。きっかけは10年前のノエティック・サイエンスとの出会いだったらしい。これは、人間の祈りや願望が物質に変化をもたらすことを科学的に実証しようとする研究だという。この分野への理解を深めようと、あらゆる関連文献や実験報告を読破し、10年がかりで作品に仕上げたようである。作中でも、ノエティック・サイエンスを研究する女性がラングドンを助けて大活躍をすることになっているらしい。
 これらの文章を読んでいると、何か生長の家で言っていることと似ているようにも思える。「ダ・ヴィンチ・コード」では大変面白いと思って観たが、どうも作者の言わんとするところは深い意味があるようだ。万教帰一的な思想や「心と肉体との関係」などを明らかにしようとしているのだろうか?

 ダン氏は、米国生まれの45歳であるという。母親は聖歌隊の指導者だ。父親は数学教師である。宗教も科学も身近な環境で育ったが、ある一件をきっかけにして宗教離れを引き起こしたと語る。宇宙の成立に関するビッグバン理論を知ったダン少年は、聖書の記述との相違を牧師に質問した。「良い子はそういう質問をしないものだ」と一蹴されたという。
 聖歌隊とは、生長の家にも聖歌隊があるが、全身全霊で神を賛美する歌を歌うような母親だからこそ、必然的にダン氏のような宗教的な人が生まれたのだろうか。ビッグバン理論を牧師に聞いたとはすごい少年だったに違いない。

 その後、科学に心酔していく。彼は「深く勉強するほど、宗教に似てくると感じていた」と振り返る。この違和感を解消したのが、ノエティック・サイエンスとの出会いだったようだ。その研究が正しいとすれば、祈祷などの宗教的な行為には実質的な意味があったことになるという。「何世紀にもわたって、宗教と科学は異なった言語を使って、同じことを伝えようとしていたんだ」と知った。

 大体このような内容である。大変興味がもてた。後もあるがこれまでにしたい。「宗教と科学とは異なった言語を使って、同じことを伝えようとしていた」と結論したダン氏の言葉は、Photo_2 『心で造る世界』を彷彿とさせてくれるように思えるのだが…。読者の眼にはどのように映りましょうか。前置きばかりに関心していずに、まずは著書を読んでみたいと思う。

 中内 英生

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March.07.2010「自然から学びましょう」

March.07.2010「自然から学びましょう」Photo
今日の詩::踏みしだく 芝の緑に 温かさ

『足元から平和を』という総裁先生の御著書があるが、この本の中に、自然を神のいのちの現れとして礼拝する、大切にするということが書かれている。しかし、大切にするというのではなく、「自然にやさしく」という言葉は多少問題があるという見方もある。それは人間中心主義であって、手加減をしてあげようという傲慢な考え方であるとする考え方かも知れない。

 それに対して、自然こそ先生であり、色々なことを教えてくれていると謙虚に受け止める見方がある。また、地球は温暖化する地球、砂漠化、伐採された森林などという姿をして、観世音菩薩の現れとして私たちに何かを教えてくれているとも教えられている。
 しかし、ここでいう「自然から学ぶ」という意味は、自然のシステムは実に素晴らしいものであるので、研究すれば研究するほどその偉大さに教えられる、という意味での「学び」でありましょう。

同書p45(2行目)には次のような御文章がある。

 「清浄無垢」とはどういう意味かといえば、「廃棄物というものはない」ということですね。自然界には本当に「廃棄物」などというものはないわけです。ある生物の排泄物や使い残したものは、ほかの生物の食料などとして利用されるのが自然界の姿である。それと同じように、私たちも自然界に現れた”神の御心”を学んで、私たちの産業を生かしていくということ以外に、これからの人類の進んでいく方向はない。
  要するに、”自然界に現れた神の御心を学ぶ”という意味になる。

  自然そのものに価値があるという考え方に、「自然資本の考え方」がある。今までは自然に何か加工をすると、価値が生まれるという従来型の考え方である。価値とはここでは、お金になるということだ。しかし、考え方によっては、お金にならなくても価値というものは存在する。
 たとえばゴッホの絵でも、当時は売れなくて価値はなかったであろうか?。現在はどうか、すごい値段でうれるではないだろうか。それは価値が本来あったからではないだろうか。
 明治時代、長谷川利行という画家がいたが、貧乏をしていて下宿代が支払えず自分で描いた絵を下宿屋に置いていった。最近、子孫の人が絵を処分しようとして、鑑定してもらうと何と、1700万円?という金額をいわれたという。絵の価値を知らないうちは処分を考えたが、現代の価格でそうとうの価値があると知ったとき、驚いたという。
 価値は認めただけの価値であるともいえる。

 自然は、無駄なものは一つもない、といわれている。ハエ博士といわれている友人に聞いたことであるが、東南アジアの森林に棲んでいるハエを研究に行った。密林の中は、驚くほど実にキレイな状態であるという。大自然の浄化の循環がなされているからだろう。

 本屋へ行くと、田舎暮らしの雑誌が目につく。田舎には素晴らしい価値があるという。それは、自然の風向に浸ることができる価値である。これらの存在には私たちは無限の価値を感じるからではないだろうか。

 神様が創られた存在に悪があろう筈がない、という考え方が大切ではなかろうか。エイズという病気があり、人類の脅威になっていると聞く。しかし、エイズの元はアフリカのサルの体の中にあったウィールスと酷似しているという。断定はできないのだろうが、何万年間も何も問題がなかったウィールスや細菌類が、人間の体に入ってきたり、科学的な物質に触れたとき、突然に有害な存在になるということは考えられる。また、密林に長い間、無害の状態にあったウィールスが人間の開発(人間中心主義)に出合って、さまざまな環境変化により異物に触れることにより、突然変化するということも考えられる。
 しかし、それらの微生物は決して本来、有害な存在ではなかった筈である。

 シロアリは森林の中では何の役目があるのだろうか。シロアリは、体の中に木を分解する特別の構造と酵素的な物質を持つと言われている。他の昆虫ではできない働きだ。森林が自然倒木し、それを分解してくれるのはシロアリである。誠にも無駄な存在はないということであろう。

 先ほどのハエ博士のからお聞きした話であるが、昭和天皇様に御進講申し上げる機会があったという。御進講が終わったとき、陛下からのご下問があらせられた。『ハエは自然界でどのような役目を担っているのですか』というような意味のご下問であらせられたとお聞きしている。友人は、それまでそのような自然界に於けるハエの役目というものを考えたことがなかった。友人はそれから、存在のすべてに使命があるとする陛下の御心を忘れることはなかったという。ハエは要するに自然界のゴミを処理する係でありましょうか。

 ある人が自宅にカエルがたくさん棲んでいることに気がついた。あまりかわいい存在ではない。しかし、その声をよく聴いてみると、「コロコロ」というように鳴いていた。考えてみると快い声であるということでカエルと自分との共通点を見いだしたということであった。

 同書p44には、次のように書かれている。真摯に他の生物との共存共栄の生き方を見いだそうとする生き方は真の信仰者の歩むべき道ではないだろうか。

 『人類にとってためになるだけでなくて、他の生物も含めた自然環境と共存できる道が必ずある、というのが我々の考え方であります』と。

 これからは、大いに「四無量心を行ずる神想観」を実修させていただき、一日一日を神の御心を生きることに集中致したいと存じます。

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。
地方講師の方々はできれば3回熟読しましょう。講習会は2010年11月28日です。】

  2010/03/05のブログは、「大地震は“神”の警鐘か?」です。ジェームズ・キャロル氏の「自然災害と神」という論文についてお書きになられた御文章です。深い真理をお説き下さっております。拝読ください。
http://masanobutaniguchi.com/

※今日は、午前は相愛会の会議、午後は生教会の会議、夜は青年会の会議があった。皆様、大いに楽しく活動しておられるようです。

 中内 英生

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March.06.2010「永続的に繁栄する」

Photo March.06.2010「永続的に繁栄する」
今日の詩::お茶うけに 春めく菓子の 鮮やかさ

 繁栄するとはどういうことであるかを考えてみたいと思います。それは、一時的にものが豊富になるということでしょうか。そうではないはずです。永続的な繁栄が必要であるのと、その中に愛が満ちあふれていない限り幸福感はないようです。
 「繁栄する」と「お金を儲ける」とは同義語ではありません。繁栄するとは色々な意味で総合的に素晴らしくなることではないでしょうか。何が大きく左右するかというと、陰徳を積むかどうかであろうと思います。陰徳は備蓄された無形の善のエネルギーのようなものです。

 陰徳とは直心を行ずると書いています。要するに神の御心を行ずることです。別の言葉で申しますと、心の世界の貯蔵庫に「他のためになる働き」を貯金をすることになります。それが形を変えて自分に帰って来るというのです。
  他人の為というのみならず、地球のすべての動植物を生かすのです。それは他から奪わないところの倫理的生活をするのです。
生長の家は、すでにISO1401を取得しておりまして、環境問題に取り組んでいるのです。それは信仰生活に徹すると必然的に環境を大切にするようになります。

 今日(3/6)は、栄える会の会合がありましたが、幹部の話によると、『知人がR会という大きな仏教団体に所属しているが、ISO1401で、生長の家のお世話になった、と言っていましたよ』、と伝えてくれました。
 そのように、生長の家は環境問題では世界の中で先駆的な役割を果たしつつあるのです。
他を生かすと、自分も生かされる。これが「与えよ、さらば、与えられん」という繁栄の法則です。別の言葉で言うと、「繁栄の黄金律」とも申します。地球生命を生かそうとすると、必ず地球生命から生かされるのではないでしょうか。

 谷口清超先生の童話集がありますが、その中で「牛人間と小人間の話」という物語が127頁に書かれています。「生き物を大切にしましょう」という趣旨です。牛を殺した人が反省してサカナや小鳥を放ってあげて生命を生かしたので、地獄で殺された牛が閻魔大王にこの人を地獄に落とす判決を言い渡すように要望するのですが、助けられた小鳥たちが、この人はよい人だから生かして欲しいと嘆願する物語です。ぜひ読んでみて下さい。動物を生かすことがどんなに大切かを理解することができるでしょう。

 当然のことながら、善い種を蒔けば、良い実が得られます。悪い種を蒔けば、悪い結果が出てくるというのは当然でありましょう。それは人生の原理です。だからこそどんなものも神様の生命の表れであるとして礼拝することが大切なのです。

 たまたま新聞で知ったのですが、かつて杉原千畝さんという岐阜県の人がおられました。リトアニアという国で外交官をしていました。そこに沢山のユダヤ人の人たちが追われて逃げてきたのです。杉原さんは、何千人という人たちに通行ビザを発行して、ユダヤ人達を救いました。戦争が終わってからアメリカに行った時のことです。小さな男の子が深々とお辞儀をして杉原さんに言いました。『有り難うございます。”お前が生まれたのは、日本人の杉原という人が私を救ってくれたから、お前が生まれることが出来たんだよ。杉原さんへの感謝を忘れないようにしなさい”と父親からいつも言われています』と。その時、杉原さんは「人を救って良かった」と歓びにみたされたというのです。

 谷口雅春先生は、お悟りを開く前のことですが、奪わずに生きる生活を御実践されていました。それは徹底しており、バターをも牛から奪ったものであるとして食べなかったそうです。さらに、「空気を吸うと口の中で黴菌を殺すので、空気もすうことが出来ない。しかし、息をしないと自分を殺すことになる。どうすればよいだろうかとお考えになられました。どうすることもできません。そういうようにして、他から奪わない生活、殺さない生活を起点として、生長の家の感謝の教え、実相の御教えは生まれてきたのです。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。新しい人をお誘いしましょう】

 2010/03/03のブログは、「『産経』は温暖化懐疑論なのか?」です。ワシントン駐在のF氏という方の「あめりかノート」という文章について書いておられます。我が家も自宅で産経と朝日を購読しており、さまざまな考え方を知ることが出来ます。物事を多面的に観ることは大切であると思います。
http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は、終日、地方講師・光明実践委員研修会が行われた。夜は、栄える会の幹部の会合があり、少しずつだが会員が増加しつつあることを知り、うれしかった。しかも、ある支部が復活するという話も聞いた。島根の産業界が御教えを実践して繁栄しかつ神の御心を生きる産業人が増加することを願う。

 中内 英生

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March.05.2010「夢は必ず実現する:スーザン・ボイルさん」

March.05.2010「夢は必ず実現する:スーザン・ボイルさん」
今日の詩::御仏の 微笑む顔に 春の風Photo_4

 あきらめずに夢を追い続けていると必ずチャンスが訪れてくるという。ユーチューブのアップのために作業をしていると、スーザンボイルというご婦人の歌があったので聞いてみるとすごく美しい声だった。こんな女性もいるんだなあと思っていたところ、3月3日の読売新聞の29頁に、見覚えのあるスーザンさんの写真が出ていた。読んでみると、日本で歌うそうでだ。嘘ではなかった。

 しかも4月1日武道館で歌うそうだ。内容を見てみる。
昨年のNHKの紅白歌合戦に出演した英国出身の歌手、スーザン・ボイルさんが4月1日、東京・日本武道館で行われる読売日本交響楽団のグランドコンサートにゲスト出演するとのことである。公演当日に49歳の誕生日を迎えるボイルさんは、「日本の人は親切で優しくて、礼儀が正しいのでいっぺんで好きになりました。今回は素晴らしいオーケストラと共演できてうれしい」と話しているとのことである。

 ボイルさんは昨年、テレビのオーディション番組に出演した。その美声が動画サイトなどを通じて、世界中に伝わり、瞬く間に人気者になったという。「番組に応募した時は、返事すら期待していませんでした。どこまで行けるかなんて,想像したこともなかった」と振り返っている。CDも世界中でヒットし、幼い頃からの夢を40歳代末で遂に実現したのです。

 「時間はかかってしまったけれど,自分には何かがある、と感じていた。私の夢が叶ったのだから、あなたの夢も叶う筈です。誰もが夢見る権利を持っています。夢には終わりや締め切りはありません」とボイルさんは言う。

 ボイルさんは第2部に登場する。オーディション番組で歌った「夢やぶれて」などの数曲を披露する予定のようだ。第1部では楽団が映画、オペラの名曲を演奏する。ミュージカル音楽なども。
  http://www.youtube.com/watch?v=1t8m7CkpIK0

 読売主催のコンサートだから掲載しているのだろうが、生長の家の御教えである「夢を描け」とのお言葉が心に響いてくる。

 最後に、谷口雅春先生の詩「夢を描け」の始めの方を掲載させていただきます。この詩は20歳代の頃、どれほど朗読したか分かりません。『生命の実相』頭注版第20巻189頁からです。

若きと老いたるとを問わず、
兄弟よ、夢を描け、
蜃気楼よりも大いなる夢を。
夢はあなたの肉体を超えて虚空に広がり
ひろくひろく宇宙にひろがる雲となって、
あなたをより高き世界へ
あま翔けらす大いなる翼となるであろう。

この翼こそ世にも奇しき翼である。
夢の奇しき翼に乗るとき
若きものは向上し
老いたるものは若返る。

兄弟よ、
夢の翼を休めるな、
自己を出来るだけ偉大であると想像せよ。
あまり高く翔けのぼることを恐れるな、
躊躇するな、
尻込みするな、
自分自身を限るな。
あなたは夢の翼によって肉体の制限を超える。
たといあなたが地球にわいた黴よりもその肉体が小さくとも、
あなたの心は夢をえがくことによって
天地を造った偉大なる心と一つになるのだ。
兄弟よ、
悲しみに打たれるな。
打たれても起き上がれ。
描いた夢が破れても
あなたはまだ夢を描く自由はあるのだ。

 この詩はまだつづいている。谷口雅春先生の人類への愛と励ましのお言葉である。神様が谷口雅春先生を通して、真理のお言葉を私たちに投げかけておられるのだと思う。この詩を朗読していると、次のエピソードを思い出してしまう。
 ある時、一人の男が人生の砂漠を歩いていた。すると神様が言った。「私はいつもお前と一緒に歩いて守っていた」と。男は,今まで来た砂漠の方角を見ると、自分と神様の足跡が砂地に残っているのでした。しかし、途中で一人だけの足跡が残っているところを発見したのです。男が言いました。「神様はいつも私と一緒だと言われましたが、私一人で歩いていた時もあるではないですか?」と。神様は言われました。「何を言うか。足跡が一人の所は、人生の苦しみにお前が気を失ってしまった時、ワシがお前を背負って歩いていた時なんだよ」と。この神様の愛が表現されている詩が上記の「夢を描け」の詩ではないでしょうか。
 私は、総裁先生がテロを無くし、全世界に平和をもたらし、すべての地球生物を救おうとして環境問題に立ち向かっておられるお姿を、上記の雅春先生の愛のお姿とダブって見えてしまいます。誠にも有り難いことでございます。
上記の詩は、どうぞ、全文をお読み下さい。

※今日は、会議が続いた。でも大変楽しい会議だった。お出でになった人々はみんな喜んで教化部にお出でくださるのがとてもうれしい。
※4月号の新しい企画の、『生長の家』誌が届いた。何と、表紙うらに、松江の長野さんが撮影した宍道湖の嫁が島の写真が掲載されているではありませんか。しかも表紙うらで、初めての機関誌にです。驚きました。島根のみなさまもご覧下さい。

 中内 英生

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March.04.2010「”ロスト・シンボル”のダン・ブラウン氏」

Photo_3 March.04.2010「”ロスト・シンボル”のダン・ブラウン氏」
今日の詩::見渡せば 枯野はやがて 草木萌ゆ 

 「ダ・ヴィンチ・コード」という世界的なベストセラーは、妻が本を読んでいたので、私はDVDをレンタルして観た。今度は、最新作「ロスト・シンボル」という物語を6年を費やして出版したという。宗教象徴学者であるロバート・ラングドンを主人公とする物語だという。その著者であるダン・ブラウン氏に読売新聞(2010/03/03)が取材をしていた。どんな内容だろうか。写真が掲載されていたが「いい顔をしているなあ!」というのが第一印象だった。さて、「あらすじ」のところを読んでみると…。

 「ロスト・シンボル」の舞台はアメリカのワシントンであった。フリーメイソン最高位にある旧友のピーター・ソロモンから代理講演の依頼を受け、連邦議会議事堂に行ったラングドン氏は、恐ろしいことに、切断されたソロモンの右手首という不気味な招待状に出合ったことになっている。
 全身に入れ墨を施した怪物マラークが、フリーメイソンの「いにしえの門を探せ」とラングドンに命じるとしている。
(怪物マラークというのがイメージ的に湧きにくい。)
 目的は、ワシントンのどこかに隠されたという「古の秘密」を手に入れることだという。ラングドンは、ソロモンの妹で純粋知性学者のキャサリンとともに、フリーメイソンのピラミッドに秘められた謎を解きながらソロモンの救出に向かうとしている。
(いまいちこれだけでは内容をつかみきれないが…)
一方、CIAも、国家安全保障にかかわる捜査としてピラミッドを追うことになっている。

 以上があらすじだ。さて、ここに登場するフリーメーソンとは、子供の頃の記憶によると何か怖いイメージが残っているが…。解説によると、18世紀初頭にロンドンで組織され、ヨーロッパやアジア、アメリカに広がった国際的友愛団体という。今時いわれている友愛との相違はわからないが…。中世の石工組合を起源に持つといわれているらしい。人道主義やコスモポリタニズムを信条とするが、秘密結社として危険視されたこともある、としている。
(おそらく最後の行についての映画化の記憶が私の脳裏にあるのでしょう)

ところで、ダン氏のインタビューが大変おもしろいので紹介したい。

フリーメーソンを題材に選んだ理由についてこう述べている。
少年の頃から関心があったという。近くにブラインドを下ろしたフリーメーソンのロッジがあり、屋根にシンボルがあったようだ。
 フリーメーソンは、イスラム教徒もキリスト教徒もユダヤ教徒も受け入れている世界組織である。今のダン氏にとって、「普遍性」という重要なテーマとなっているという。

 ダン氏の主な情報源は何か?
書物が中心である。この件で100冊以上は読んだという。
(普通100冊読んで一冊の本が書けると私は聞いている)
自宅には個人用の図書館と、二階には仕事用の図書館がある。数千冊はあるという。
(多い方ではないと思うが蔵書の質がよいのではないだろうか)

 小説の書き方はどうか?このように書く、という。
特定の情報が筋を生んでいく。純粋知性学について書こうと思うと、徹底的に調べ上げ、ある実験を見つけるという。「よし、これを使おう。これなら筋はこうなる」となるらしい。
(この”こうなる”というのがよくわからないが、インスピレーションのようなものだろうか?)
執筆前に詳細なあらすじを書くが、九割書いて結末が浮かばなければ非常に困るという。だから、まず結末を書くという。
(先に結末ありき…という考え方は実におもしろい。たとえば私たちが「万事好都合」と念じ、唱えて心に集中する。すると結末は必ずよくなるということを前提として、過程が潜在意識により、好都合に作られていくという案配ではないだろうか。)

 どのように文章力を磨いたのかというと…。
10頁書いたら9頁分を削り、納得のいく1頁分を残す。圧縮を重ねていくうちに、最高のものとなる。自宅には推敲の後に捨てた頁が何箱もあるという。
(これは何と、俳句をつくる時の状態ではなかろうか?。俳句をやった人の文章は実に磨き抜かれている。芭蕉や漱石もそのように思える。

作品はいつ書くのか?
(この答えも実におもしろい。)  

365日、午前4時に起床するという。電話もファックスもないロッジを持っていて、そこで午前11時まで書く。
 夢の状態と執筆には密接な関係があるという。夢を見ているとき、頭は活動的、描写的であり、自由な連想をしており、無から有を創造している。その状態を生かすため、起床後、すぐに仕事を始めるらしい。
(『生命の実相』第7巻の中にある「朝の時間を生かせ」という御文章を思い起こしませんか?)

 東西の文化を越えた人気の理由は何ですか?
どんな文化の人々も、普遍的なテーマと向き合っているのです。「ダヴィンチ・コード」ではイエスについて書いたが、「神格化された人物が、我々と同じ存在だったらどうか。我々も神のようになれるかも」と問いかけたのだという。これは普遍的な問いかけであるようだ。イエスに妻があったとする考え方がごく自然であると、若い人たちには理解があったと聞いているが、出家した釈迦、独身だったキリストに対して谷口雅春先生は夫婦大調和の模範を示されたのでした。

時代の要請もあるのか、という問いに対して次のように答えている。
我々は、懐疑的な時代に生きている。20年前なら、私の本はこれほど人気は出なかっただろう。テロの時代にあって、人々は宗教に普遍性が必要だと感じている。私は作品の中で、宗教はすべて同じだと説いている。なぜ殺し合うのか、と訴えている。読者はそういうメッセージを求めているのだ、と。
(このあたりのダン・ブラウン氏の答えは心に響きませんか?宗教玉子論というのがあるが、周辺部分はそれぞれ個性があって違うが、中心部分は同じであるという考え方が万教帰一的な考え方でありましょう。そして、国際平和信仰運動を行っていることが時代の要請のように思えてくるのは私だけではないでしょう。「宗教はすべて同じはず」とするダン氏の考え方がそれにやや似ているようにも思えますが…。”宗教はすべて同じ筈”というよりも、精確に神髄と周辺部分とを分けて考える宗教タマゴ論の方が分かりやすくて論理的のように思えるが…。もし、ダン・ブラウン氏が生長の家の存在を知ったならば、どんなにか喜ばれるのではないでしょうか。DVDが出たら、ぜひ、鑑賞してみたいと思う。

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。地方講師の方々は3回熟読しましょう。講習会は2010年11月28日です。】

 2010/03/01のブログは、「自然との共存・共栄を実現しよう」です。立教81年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」でのお言葉です。熟読下さい。私は直接拝聴させていただきました。大変感動いたしました。
http://masanobutaniguchi.com/

※今日は久々の木曜休日だった。雨が降っていた。雨は植物を潤す。万事好都合である。

 中内 英生

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March.03.2010「温暖化と生態系」

Photo_2 March.03.2010「温暖化と生態系」
今日の詩::春宵は 並木の芽萌ゆ ビルの街

 出雲の北山には、鹿がたくさんいて最近は以前よりも増えていると知人が話していた。減るかと思ったら増えているとはどういうことだろうか。鹿からの被害を減らすために鹿狩りもされているという。
 要するにシカさんが農業用の作物を食べるということらしい。日経新聞(2010/03/03)には、「シカ・サル、高山の植生を乱す。沖縄で珊瑚の白化進む」ということが書かれていた。「温暖化、森林・海洋に影響大」ということである。

 国内の生態系の損失を検証する環境省の有識者検討委員会が3月2日に、人為的な要因で自然環境が広範に損なわれているという報告書をまとめたという。「人為的」というのは地球温暖化は人間が排出する二酸化炭素による地球温暖化という意味であろう。今まで二つの要因があったとしている。

 ①高度経済成長期に盛んだった国土開発の影響
私の田舎は高知県の四万十川がある四万十市だが、近年まで水の浄化度が日本一だった。国土開発が進まずに人があまり住んでいなかったことを示すのだろう。もちろん工場らしいものはない。しかし、数年前に、現在住んでいる島根県の高津川が日本一の浄化度となったようだ。四万十川の流域に人が多く住むようになり、下水等の完備が十分でないということだろうか。
 私が子供の頃、遊びに行った山は椎の木やどんぐりの巨木が沢山あったが、そこも住宅地となっている。いついっても人が歩いているのに出会ったことがないので、家は建ったが人が少ないということかも知れない。もう一つは次の②である。

 ②近年は地球温暖化が生態系の損失に拍車をかけている。
環境省の有識者検討委員会はそう分析し、中でも森林や海洋の生態系に及ぼす影響が大きいとしている。

 気温上昇により、鹿や猿が高山帯に出没することで、植生が乱れ始めているという。出雲の北山のシカさんの増加は直接的には別の原因らしい。ライチョウは高山植物の減少によって、食料を確保しにくくなっているのではないかと懸念しているという。これはホッキョクグマがアザラシが流氷に乗ってこなくなることにより、食物連鎖に狂いが出てくるのと好一対であろう。

 海洋では珊瑚の白化現象がみられるという。以前、ある年に沖縄で大量に珊瑚が白化してしまった。原因の一つに挙げられたのが、夏場に台風が来なかったことである。台風によって深海の冷たい海水が岸辺に打ち上げられ従って、夏でも珊瑚が住める程度の温度を保つことができるのが、それがその年にはなかったようだ。

 沖縄の石垣島では1998年頃から白化現象が目立ち始めたが、世界的にも温暖化による影響は深刻であるとしている。今後10から20年で、15パーセント減少するとの予測もあるそうだ。

 いずれにせよ、拱手傍観ではどうしようもないが、幸いにして、生長の家では全力でこのことに取り組んでいる。さらに徹底した方策もとりつつある。善業善果の法則によると、きっと何らかの自然界からの調和した状態の現象が起こるかもしれない。期待してはいけないが、法則としては当然でありましょう。たとえば天気に常に感謝していると、出かけるときには必ず晴れるというようにである。

※今日は、聖使命会員と組織会員への感謝祝福の祈願祭が行われました。月に一回、教化部で神様の御前でお名前を読み上げて、『甘露の法雨』を拝読することは大変、すばらしいことです。

 中内 英生

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March.02.2010「祈りの仕方」

Photo March.02.2010「祈りの仕方」
今日の詩::朝食は アスパラガスを 皆で食べ

 『生長の家青年会』(2010/01月号)1頁には、「最も有効なる祈りの仕方」というお題の谷口雅春先生の御文章が掲載されている。

 あなたが祈るときには、「既にそれを受けたり」と念じなければなりません。

 このように書かれています。なぜかというと、「健康にしてほしい」というのは、「今、健康ではない」ということを念じていることになるからです。「不健康を既に受けたり」と念じていて健康になる筈がないということです。
従って、次のように書かれています。

『「常に私を健康にして下さいましてありがとうございます」これが本当の祈りでなければならないのであります。
 イエスはラザロを復活せしめ給うた時の祈りには「神よ、あなたは常に吾が祈りにききたまうことを知る。ありがとうございます」と感謝しているのです。』

 これらの御文章で理解できますように、受けてしまったという感謝の祈りに徹しなければ実現は難しいということでありましょう。
 皆様は、コンビニやスーパーのお手洗いにある張り紙が何年か前から文言が変わっていることに気がついていると思います。それまでは、「キレイに使って下さい。後で使う人が困りますから」などと書かれていた筈です。
 しかし、現在では、「いつもキレイに使っていただきましてありがとうございます。従業員一同、感謝しております」などと書かれています。すると、そんなに感謝されますと、汚く使用することはできなくなります。これが「すでに受けたりと念ずる感謝の効用」でありましょう。
 「すでにそのようになっている」という思いを「自覚」というのです。この自覚が人生行路を大きく左右するのです。
『生命の実相』第一巻の総説編の冒頭には、「生命の実相の自性円満を自覚すれば大生命の癒力が働いて神癒となります」と書かれています。生長の家のみ教えのポイントの一つは、「いかにすればその自覚に到達できるか」が決め手となるのです。
 自分は無力であると自覚すれば、無力を人生に体験するでありましょう。自分は無限力であると自覚すれば、人生で無限力を演じることになるでありましょう。何事も、自分が自覚しただけの結果を得ることになるのです。

 では、その自覚を得るにはどうすればよいのでしょうか。先ほどの祈りも、言葉の力です。正確には言葉の創化力といいます。要するに、身・口・意の「意」に当たります。
 神想観を行じるのは非常に強い祈りになります。深く念じると言葉の意味が潜在意識にポトンと落ちまして、潜在意識がその言葉を現象界に形を表してくれるのです。従いまして、神想観では、深い呼吸が必要となります。「下腹に少し力を入れて」念ずるやり方です。方法論にばかりとらわれてはいけませんが、大切なのが呼吸法です。

 もう一つは、言葉を唱えて耳から入れる方法です。すでに実現しているという意味の言葉を杖にとなえるのです。しかも、寝る前の20回、起きてすぐの20回がすばらしい効果を発揮するといわれております。皆様も是非、ご実践下さい。私も毎日、このことは実行しています。簡単すぎて忘れるくらいです。『私は健康だ』『私は繁栄している』『私はすばらしい神の子だからこれから毎日あらゆる点で一層よくなる』。等々。繰り返して唱えてみましょう。20回以下は効き目がないかと、お聞きになる人がいますが、どうも徹底しないようです。従って、単純に、まじめに実践してみてはいかがでしょうか。一週間続けると何らかの変化があるといわれています。

 もう一つの決め手は、『日時計日記』をつけることです。言葉で唱えるわけではありませんが、文字を活用して真象に対する感謝を徹底させて、行くことです。そうすると心の奥底から、この世界は善一元の世界である、という信念が湧いて参ります。これは現象を通して実相世界を感じることになるのでしょうか。実はそうではなく、現象と現象の隙間から実相の光を観ているのです。このことが理解できますと、歓喜の心が湧いて参ります。
  その時点ですでに、感謝に満たされた幸福生活が実現するのです。

※今日は、いろいろと雑用に追われた。先月から県内の移動や県外の出張がかなり多かったように思う。そうしている中で、毎日が健康で明るく楽しく過ごさせていただき手いる。心から感謝申し上げる次第であります。

 中内 英生

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March.01.2010「朝 讃 歌」

March.01.2010「朝 讃 歌」
今日の詩::海ゆるみ サザエ夢みる 夏の子らをPhoto

 今日は「立教81年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」がありました。誠にもめでたくも有り難い極みであります。有り難うございます。
 島根の信徒の皆様は、生長の家の御教えが立教されて81年目にあたるという今日のよき日に巡り合うことができました。誠にも尊いことでございます。

 『生命の実相』第20巻頭注版132頁の「九」には、「物質はない」という神様からのお言葉から始まる開悟の瞬間が教示されています。今日はそれについて学ばせていただきたいと思います。 

 雅春先生はホルムスの『心の創造活動の法則』という本を読まれた。
p129(5行目)には、…

 『しかし、わたしがいったん創造主を否定し去った後にホルムスの哲学が肯定してくれたこの神なるものは、まだ現在の生長の家が説いているような実相の神ではなかった。それは現象界を創造する神であった。それはわれわれが心に描いたものを、その心に描いたとおりの形に現象界を造り出してくれるところの現象界の創造主であった。』

 要するに善も悪も造り出すエネルギーのようなものが創造主という考え方です。この心境ではどうしても幸福になることはできませんでした。雅春先生は、ホルムスの本を翻訳され『如何にせば運命を支配し得るか』という本にしてご出版されたと書かれています。(130頁)

 さらに133頁の14行目には、心仏衆生三無差別の境涯が書かれています。
『心と仏と衆生とこの三つが無差別であって、一心転じて仏ともなり衆生ともなり極楽ともなり地獄ともなるならば、結局仏とは常住のものではなくて一つの捉えどころのない現象だと言わなければならないのである。(中略)
 わたしは思索を重ね、静思を重ねたけれども安住の境地に達しなかった。』

 その後、雅春先生は、神様に導かれてお悟りを開かれたことが書かれている。この御文章は何度拝読したか分かりません。6行目です。

『ある日、わたしは静座合掌瞑目して真理の啓示を受けるべく念じていた。わたしはその時、偶然であろうか、神の導きであろうか、仏典の中の「色即是空」という言葉を思い浮かべた。と、どこからともなく声が、大濤(おおなみ)のような低いが幅の広い柔らかで威圧するような声が聞こえてきた。
「物質はない!」とその声は言った。で、私は「空即是色」という言葉をつづいて思い浮かべた。
 と、突然その大濤のような声が答えた。「無よりいっさいを生ず。一切現象は念の所現にして本来無。本来無なるがゆえに、無よりいっさいを生ず。有よりいっさいを生ずと迷うがゆえに、有に執して苦しむのだ。有に執せざれば自由自在だ。供給無限、五つのパンを五千人に分かちてなお余り、『無』より百千億万を引き出してなお余る。現象界は念のレンズによって転現せる化城にすぎない。かしこに転現すると見ゆれどもかしこに無し。ここに転現すると見ゆれどもここに無し。知れ、一切現象無し。汝の肉体も無し。』

 何度拝読しても心に響きます。ここから生長の家は始まったのです。「現象の否定と実相の肯定」です。上記の雅春先生の御文章を何度も拝読すればその理解が深まるのではないでしょうか。

 この御文章は、次には実相世界についての展開となって示されております。
136頁の1行目には、…
「実相とは神である。あるものはただ神のみである。神の心と、神の心の顕現のみである。これが実相だ」

 この数頁は、最高の御文章です。そして、139頁の10行目からは朝讃歌が書かれています。この詩を、総裁谷口雅宣先生は、『今こそ自然から学ぼう』の34頁にご引用されています。この詩は、私が以前にお世話になった練成道場で起床放送の時に必ずと言って良いほど拝読させていただいた詩でもあります。声を出して読むだけで、雅春先生の歓びのお心が伝わってくるようです。現在、谷口雅春先生のお悟りが現総裁先生に脈々として流れておられます。誠にも有り難い極みであります。以下、その詩の御文章です。

 『朝 東方に面して 合掌礼拝して 霊々 妙々  円満の大生命を観ずれば 心身清浄 微妙(みみょう)の大生命は 雰囲気となって 我が身 我が心をひたす。 吾れと その雰囲気と 一体にして境なし ああ 讃うべきかな生命 われが生命である歓びよ。 生かされている! 生かされている!  生かされている! 生かされているこの歓びを 心にみたして眼をひらけば 眼前に 朝の太陽は微妙の光をはなち 庭の木の若葉に生命が照り輝く。 若葉の生命の中を 別にまた一つの生命が踊っている 雀が金色に輝いて 枝から枝へ飛びうつる。 空気が躍っている、 内も外も 燦然たる生命の大光明世界だった。』

  私が高校生2年生の時、拝読する聖典の御文章に自分の心がついて行けず、歓びを見失っていた時があります。高知の教化部で行われました高校生練成会に参加させていただきました。質問の時間があり、そのことを紙に書いて提出しました。すると、当時の教化部長からの深切なご回答をいただきました。「谷口雅春先生の詩を毎朝、声に出して朗読しなさい。必ず歓びがわいて来ます。」と。私はそれから一所懸命に努力しました。すると不思議に生きる喜びが湧いてきたのでした。そして、谷口雅春先生の詩と、『私はこうして祈る』という本の中に書かれている祈りの言葉が大好きになりました。その中でも、「神は霊的歓びである。霊的歓びが私の歓びである」という祈りの言葉を常に唱えていると悠然として生命の歓びが湧いてくることを知りました。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。
 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう】

 2010/02/28のブログは、「宇宙飛行士の目」です。野口聡一さんから送ってくる地球の映像を紹介しておられます。地球はかくも美しいのかという思いになります。
http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は、式典に参列させていただいた。素晴らしい式典でした。教区からもYさんが布教功労賞をいただき誠に有り難いことでした。

 中内 英生

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February.28.2010「地球は生きている」

Photo February.28.2010「地球は生きている」
今日の詩::くれないの 微笑み和む チューリップ

 南米チリの大地震で発生した津波は28日午後、北海道から沖縄の各地に相次いで到達した、と毎日新聞(2010/03/01)には書かれている。地震は自然現象であるが、対策がうまくいかないといろいろと大変な被害が出てくる。地震の次は津波となる。津波は太平洋を越えてやってくるから大変である。昔は予知ができなかったが、現在ではそれがある程度できるようになっているらしい。

 「余録」には紀州の広村の津波のことが書かれている。
ラフカディオ・ハーンは、津波という言葉を最初に海外に向けて発信をしたという。「生き神」という文章の一部で、1854年(安政元)に紀州の広村を襲った津波の際、村民を救った庄屋・浜口五兵衛の事績を記したと書かれている。後に日本語で翻訳されて戦前の国語教科書に掲載されたらしい。「稲むらの火」というそうだ。かつて一度、ブログに書かせていただいた記憶がある。

 村の高台に住む五兵衛は海の異変で津波がくると察知する。彼はまだ脱穀前の自家の稲むらに火をつけて村人たちを高台に引きよせ、400人のいのちを救ったと書かれている。ハーンは松江に住んでいたので、島根の人々にはなじみの人物である。

 地球は、プレートというのがいつも動いて移動しているらしい。それが大きく動くとき、地震となるという。その他にも活断層などという地震の原因もあるという。地震そのものはなくすることはできなくても、被害を少なくすることは可能であるようだ。

 先ほどの稲むらに火は、記憶によるが、五兵衛さんが、村民を救ったことは尊いことであるが、津波の後、堤防を築くのに自分の財産を使ったという。それが後の津波の被害から救ったし、津波で仕事がなくなった村民の方々の仕事を作ったということだろうか。
 いずれにしましても、教科書に掲載されるくらいなのですばらしい事業を行ったということでありましょう。   
私たちも徳積みを常に心がけたいものです。

 現在では科学的な知見としてテレビなどで時々紹介されているが大陸移動説というのがあるという。マグマは常に活動しているので、それに伴い、大陸はプレートに乗せられた陸地が少しずつ移動しているというのである。要するに地球は生きているという表現があるくらいだ。
 インドはもともとインド洋にあり、それが次第にユーラシア大陸にぶつかり、現在でも押し続けているという。従って、ヒマラヤ山脈は押されてできた皺であるというのである。
また、アフリカの西の海岸線と南アメリカの海岸線はかつては繋がっておりそれが分かれたという。そういえばそっくりパズルのようにはまる。それらは一つの説であるが必ずしも学者が移動しているのを見た訳ではないという人もいるかもしれない。 
 視覚的には動いているようには見えないがやはりゆっくりと動いているのであろう。地球は動いているようには見えない。太陽や星々が動いているように見えるのだが、動いているのはかえって我々が搭乗?している宇宙船地球号のようにである。

 中内 英生

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