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2010年5月

May.30.2010「タイで移動図書館を始める女性」

Img024 May.30.2010「タイで移動図書館を始める女性」
今日の詩::

 人間はどんな状態でも、志さえあれば、人のお役に立つことが出来るということを教えられる情報である。
http://island.geocities.jp/fu_taro_s/sub_1/ms_yoshimi/yoshimi_20100106.jpg
http://island.geocities.jp/fu_taro_s/sub_1/Ms_Yoshimi.html
http://www.kochinews.co.jp/voice/1004/100416vhiroba03.htm
http://203.139.202.230/?nwSrl=253840&nwIW=1&nwVt=knd

堀内佳美さんといわれる。26歳。朝日新聞(2010/05/30)の「時時刻刻 ひと」に掲載されていた。
 英語もタイ語も現地の人が驚くような流ちょうさであるという。外国語上達のコツを聞くと、「視覚障害者は、しゃべらなければ生きていけないでしょ」と明るく笑って答えた。
 
 国際基督教大学在学中にタイの農村部を訪れて、視覚障害児たちが小学校へも通えない現実に衝撃を受けたという。国際基督教大学は東京都の三鷹市にありとても環境のよいところのようだった。
 障害は、悪業の結果という迷信が残り、家に閉じこめられたままの子供もいるようだ。地方には盲学校も少ないという。点字も知らない。本を読めない子が非常に多い現実を知った。
 余談だが、イエスの元に弟子が生まれつき全盲の青年を連れてきて質問をした。「この人が全盲であるのは本人の積みか親の積みか?」と。イエスは答え給うた。「本人の罪に非ず、親の罪に非ず、神のみ栄えの顕れんがためなり」と。この言葉ほど喜びに満たされる福音はない。

 堀内さんは高知市春野町の農家に生まれている。個人的なことだが、春野町には私の知人が農業をしており、薔薇やメロンなどをハウスで栽培していた。大型農業団地のようなところのようだ。
  彼女は生後すぐに緑内障と白内障の合併症と診断された。高校1年生で失明した。これを彼女は乗り切ってきている。点字図書館で本を読みあさる本の虫になった。本が人の表情や仕草、世界の文化の豊かさまで教えてくれたという。

 高校時代にアメリカに留学した。これもまたすごい。決してめげなかったのだ。タイの留学生と知り合いになったようだ。開放的なタイの国民性に惹かれた。バンコクの大学にも語学留学した。昨年1年間はドイツ人の全盲女性がインドに開いた社会起業家を育てる学校に学んでいる。このチャレンジ精神がすごいと思う。
彼女は言う。「困難を乗り越えた障害者こそ、社会に変化をもたらす者になれる」と。

 私見だが、ここには坂本龍馬の精神が流れているようにも思う。龍馬は海外での事業を夢見ていたと聞かされたことがある。
 私の父親も何かにつけて龍馬を語っていた。息子に尊敬する龍馬の心を教えたかったのだろう。高知の父親は誰もそのようなのかも知れない。
 土佐では龍馬のあと、板垣退助が出たが弾圧で自由民権運動は衰退する。その衝撃によって、運動に参加していた水野龍(リョウ)は、自由を求めてブラジル移民の植民事業に転じていった。そしてブラジル移民活動の第一人者とまで云われるようになったと聞く。もしも、自由民権運動に挫折しなければ、水野氏は移民事業とブラジルを選ばなかっただろう。その当時、どこでも良かったようだ。いわゆる彼が行ったのは民間事業であり、時の政府は大陸を目指していた。

 水野氏は、ブラジルでは苦労の連続だったようだが、時代の流れと共にやがて日本人の勤勉さが評価されるようになる。その日本人が持ってきたのが生長の家の御教えだった。
 今やブラジルの光明化運動の勢いは止どまるところを知らない。現在の国際平和信仰運動の基盤的源流を考える時、これら諸先輩の皆様に感謝の思いが湧いてくるのを禁じ得ない。

 さて堀内さんだが、絵本や紙芝居の読み聞かせを通じてタイの障害児に読書の喜びを伝える移動図書館を始めようと、今年2月にバンコクへ行った。日本などから寄せられた絵本や児童書をタイ語に翻訳した。いつかは点字を広めたいと、点字訳も付けたという。

 来月から、リュックサックに本を詰め込み、乗り合いバスに乗って農村を回り始めるというのである。
 一人では何も出来ない。それ故に色々な人が協力しているようだ。しかし、一人から始めないと何事も始まらない。
 現代医学では、視覚の電気信号が脳に与える刺激で脳がイメージを描くことができることが判明している。そしてその研究が為されている。未来に於いて彼女のような人があるいは脳で光景をイメージできることができるようになるかも知れない。期待したい。
 
【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。 講習会は、平成22年11月28日です。新しい人をお誘いしましょう】

2010/05/24のブログは、「買い物では世界を救えない」です。JCBの広告に対するご批判を述べておられます。最終段落に結論を書いておられます。拝読下さい。
http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は、朝から、評議員会、幹事会、拡大五者会議と午後まで会議が続いた。夜は、雲南で栄える会の雲南支部の発会式が行われた。私も参加させていただき、繁栄講話をさせていただいた。これで雲南では、事業に携わる人々が生長の家の御教えを学ぶことができるようになる。大いなる発展はこれからである。

 中内 英生

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May.29.2010「益田一日見真会」

Img023 May.29.2010「益田一日見真会」
今日の詩::ジャケットで 颯爽と歩く 初夏の午後

 今日の益田の一日見真会では絵封筒を書いたが、その根源は日時計主義にある。『日時計主義とは何か?』P14には、その意味が書かれている。さらに生長の家が出現した時代についてご教示されている。(15頁の8行目)

 1929年の10月24日には、ニューヨークのウォール街で起きた株価暴落がきっかけとなって、「世界大恐慌」に突入していきました。
 谷口雅春先生が、この『生長の家』誌を出版しようと決意されたのは、ちょうどそのころなのです。それで、翌年の1930年、つまり昭和5年から、日本は「昭和恐慌」といわれる経済的大混乱に陥った。
(16頁10行目)
世の中には失業者があふれ、中国大陸では戦争が始まっているという状況の中で、谷口雅春先生が『生長の家』誌創刊号を執筆されたわけです。

 この一見、大変な暗黒と見える中に光明が点じられた。その創刊号に「日時計主義の生き方」が示されている訳です。私たちは暗い時ほど光明を心に点じる必要がある。それを続けていると必ず光明が光明を集め、広がっていくのです。

 先日のことですが、かつてお会いしたことがある信徒さんで、歯の治療を必要とされている人がおられました。かかりつけの歯医者さんにいきますと歯茎の手術を必要とすると言われて困っておられたのです。
 私は、「常に日時計主義で明るいところだけを見て感謝していると必ず明るいことが出てきますよ」、と申し上げました。「歯医者さんありがとう」、と歯医者さんに感謝し、歯茎はかみ合わせですから、「配偶者さん、ありがとう」と感謝しましょう、と申し上げておきました。
 すると、驚いたことに、友人から「私が良い歯医者さんを知っているのでそこへ紹介します」と言われたのです。その歯科へ行ってみると、「手術なしでできますよ」と言われたそうです。しかも、大変親切に治療していただいているとのことでした。

 生長の家は決して医療を排斥する所ではありません。感謝して治療を受けていると最大限の効果がでてくるということです。常に日時計主義で明るい見方、発言、日時計日記の記載、などを心に銘記して生活しましょう。
 しかし「自分はこんなに不幸だ」と良いわけをしたくなる人も、立教の当時の日本と世界の状況、そして谷口雅春先生のご生活の状況などを考えると決して「できない」とは言えないのではないでしょうか。その当時、先生は意を決して、人類光明化運動発進のご宣言を行われたのでした。

※今日は、益田で一日見真会が行われた。信徒さんの無人の民家を借用しての見真会である。これで4回目となった。参加者は34数名だった。内容が充実していた。担当させていただいた「祈り合いの神想観」では、三人前に出られたが、皆さんは生長の家はほとんど初めてだった。そのような新しい人々が参加されると、全体の雰囲気がとても新鮮な見真会となった。ご推進、運営の方々のご努力に、この場をお借りしまして心から感謝申し上げます。
 終了後、午後7時まで新規受験の学習会を行った。皆様は受験に対して大変、積極的です。七時半頃に会場を出発して十時過ぎに自宅についた。
 新人が4人来ておられたという。これもよかった。
また、お孫さんに子供ができるという話を聞いた。先日の松江の先祖供養祭の時も、お孫さんに子供が生まれたという話を聞いた。子供が増えるという話を聞くことは嬉しい。
 この見真会の状況は、ポスチングジョイで俳句とともに投稿していますのでご覧下さい。

 中内 英生

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May.28.2010「写経の功徳」

Img022_2 May.28.2010「写経の功徳」
今日の詩::生き物は 森のいのちに 生かされて

 今日は、今日は一日、松江道場でお世話になった。午前中は写経の時間が2時間ありまして、私は40分間、『新講 甘露の法雨解釈』をテキストに話をさせていただいた。『甘露の法雨』は、私たちは毎日拝読するが、常にその意味を深く理解できる人になりたいと願っている。

 『甘露の法雨』のご説明は、『生命の実相』にも書かれているが、『新講 甘露の法雨解釈』には極めて詳しくご教示されている。
 従って、この度はこの聖典を学ばせていただく訳である。今日ご参加の方の中には、3回は拝読したようだという人もおられた。
 『甘露の法雨』にはみ教えの基本的な教義が説かれているので、一日の始めに拝読すると非常に気分爽快となるから不思議だ。
 色々な体験談がある。私が聴いた話だが…。

 ある女性が冬の日に高速道路を走行していた。すると突然視界にトラックが横転しているのが見えたのである。
 前を走っていた車は左にハンドルを切ったがぶつかってしまった。彼女は右にハンドルを切って横転したトラックの右を走ろうとしたのだった。急に気を失ってしまった。彼女の後ろから別のトラックが彼女が運転した軽自動車に追突したのだった。

 気がつくと、大勢の人の声がして屈んでしまった自分の体をドアをこじ開けて外から出してくれていた。
 少しは傷ついたようだったが、大事には至らなかった。後ろを見ると、すぐ後ろにトラックの先があった。
 そして、自分とトラックの間に、『甘露の法雨』を入れたバッグが、あたかも彼女を守ってくれているように、置いてあった。それは、彼女の習慣で右の腰の側に置いていたのだった。
 この話は、彼女が事故にあって一ヶ月も経たないうちにお聞きした話である。

  偶然と言えば偶然だが、「同波長の法則」または「類でないものは反発する」法則からいうと、『甘露の法雨』の真理の波動が彼女に事故という不調和な状態を現さなかったのであると解釈することが出来る。同波長の法則は、同類親和の法則とか、類は類をもって集まる法則という言葉で表現することもできる。

 今日、話をさせていただいた内容では、人間は肉体ではないということ、人間は神の子であり、完全円満であるという話をさせていただいた。話している内に自分が真理と一体化するのだろうか、信念が次第に強くなってくるのを感じる。それが実に嬉しいことであった。神様のパイプになるという意味が少しは理解できるような気がする。

 中内 英生

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May.27.2010「ベーブ・ルース」

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今日の詩::安らぎは ゆるゆると飲む 抹茶どき

 今日は木曜休日だった。小雨は降るし、行くところもなかったので、先日図書館で借りてきていた子供用の英語本を読んでいた。ちょうどベーブ・ルースのが一冊あった。よんで見ると感動したので内容をご紹介します。彼の球歴に関しての概略は次の段落です。

 ルースは、1895年、アメリカのボルチモア市の西カミデンに生まれました。19歳の時、レッドソックスの投手としてプロ入りしました。翌年には18勝をあげました。最優秀投手となりました。1919年には29本のホームランを打って有名になりました。
 1920年、ニューヨーク・ヤンキースというチームの会長と監督のミラー・ハギンス氏とが相談して、レッド・ソックスに大金を支払って、ルースをヤンキースに移籍させました。ルースは外野専門となり、翌年にはホームランを59本打ってヤンキースを優勝に導き、ホームラン時代を作りました。1935年、ルースはホームラン714本の大記録を残して野球界を引退しました。1948年8月16日、ニューヨークで亡くなったのでした。
 さて、やや詳しい内容を見てみます。

 アメリカ合衆国のボルチモアにルースは誕生します。お父さんとお母さんは仕事で忙しくてルースの世話ができませんでした。ルース少年の心に寂しさがあったのかも知れません。
 ルースはセントメリー学院という少年院に通うようになります。彼は勉強が好きでなかったのです。時々、学校から逃げ出しました。

 ある日ルースは、先生が野球の練習をしているのを見ました。先生は言います。「ルース。面白いかい?やってみなさい」。ルースはとても喜びました。彼はボールを取って、打ちました。毎日練習をしました。すると、彼は学校が好きになりました。何でも好きになると上手になります。そうすると他の学科も出来るようになるのです。

 ルースはセントメリー学院のピッチャーになりました。誰も彼の球を打てませんでした。あるプロ野球の監督がルースに会いにきました。
 「君は、プロ野球の選手になるかい?」。
学院の先生は言います。
「ルース、君はきっと成功するよ」
その言葉でルースはプロ入りを決心しました。自分を信頼してくれる人の言葉は何よりの宝物です。善き友人をもつ大切さを谷口雅春先生はお説きになっておられます。もし、善き友人がいない場合は、善き書物、すなわち聖典類や谷口雅宣先生の御著書を拝読すると良いのです。

 彼は「ベーブ」と呼ばれるようになりました。赤ん坊という意味です。彼はよく食べました。四人前は食べました。丸い顔で小さな目が人気でした。平たい鼻に大きな口をしていました。ベーブという名前は明るくて無邪気な彼にぴったりの名前でした。

 彼は大いに活躍しました。4年目にはホームラン王になりました。野球場はいつもいっぱいでした。彼のホームランを見たいからです。人は選手の優秀さに自己を移入して成功体験を脳内に作り上げるのです。
 みんなは彼の人なつっこい笑顔が大好きでした。いつも新しいホームランの記録を作っていました。アメリカスポーツ界の最大の英雄でした。

 ルースは、シーズンオフにはセントメリー学院へ行って、子供達を励ましました。彼は子供が大好きでした。子供のファンにはとても優しい選手でした。
 大統領の名前は知らなくても、彼の名前を知らない子供はいないというように迄、なりました。

 ルースは他人からちやほやされたので得意になり、わがままになりました。彼は食べ過ぎて、試合ができないことが度々あるようになりました。
 夜遅くまで出かけていって、監督にしかられることも度々ありました。
 自動車事故も起こしました。練習をサボったので太ってしまいました。そして彼の成績は悪くなりました。

 その時、セントメリー学院の先生から手紙が来たのでした。
「ルース。君はアメリカの子供たちの夢なんだ。子供たちをがっかりさせはいけない」。
ルースは涙を流して、自分の行いを反省しました。
「分かりました。先生、来年やり直します!」
その後、彼は練習に練習を重ねました。彼はその翌年、本当にホームラン王になったのでした。
 そのように私たちも、「神様の希望」であり、「ご両親の夢」であり、「家族の願い」であり、所属する団体の「喜びの未来」であるのです。

 ある時、ルースに電話がかかってきました。
「私の子供にサインボールを送ってもらえないでしょうか。私の子供は長い間、病気で寝ています」。
 ルースはすぐに病院へ行きました。
 少年はルースを見て驚きました。ルースは少年に自分のサインボールとグローブをあげました。ルースは言いました。
「早くよくなりなさい。そしてこのボールとグローブを使って練習しなさい。私は君のためにあした、ホームランを打とう」。
 その翌日、少年に約束したとおり、ルースはみごとなホームランを打ったのでした。

 歓声と拍手の嵐が、野球場に起こりました。ルースが1シーズンでホームランを60本の新記録を作った時のことでした。子供も大人も興奮して叫びました。
 実は、その頃のボールは現在のよりも重かったようです。
そして、あまり飛びませんでした。もし、ルースが今、野球をしていたら、70本か80本のホームランを打ったかも知れません。

 彼のホームランには色々なエピソードがあります。あるホームランは野球場の近くを走っていた汽車の窓ガラスを割りました。しかし、乗車していた人にけがはなかったのでしょうか。
 別のホームランは、182㍍飛びました。世界で一番長く飛んだホームランだそうです。隣の競馬場へ飛び込んだそうです。馬に当たらなかったでしょうか。私はその方が心配です。
 ある時、彼はセンターを指さしました。そしてその方角にホームランを打ち込みました。それは予告ホームランと呼ばれました。それに似たことをしていた人がいたようです。現在はやっているかどうかは知りませんが…。

 ルースは日本にも来ました。彼はアメリカチームのキャプテンでした。日本のチームと16試合を行い、すべてアメリカチームが勝ったそうです。
ワールドクラシックベースボールなどをみると、現在ではどうなるのでしょうか。日本人もかなりなレベルに成長しています。イチローさんや松井選手など大物がぞくぞくと出ています。
 その時、ルースはホームラン、打点、ヒットで第一位になりました。
彼は日本のどこでも人気者でした。やがて日本に最初の野球チームが生まれました。巨人軍です。

 ルースは22年間、野球をしました。引退した時は40歳でした。40歳がめどでしょうか。マリナーズのイチローさんが、40歳で4割ということを言っておられたように記憶していますが…。この方もスゴイです。
 毎月、私は松江に仕事で来ていますが、イチローさんの奥様のご実家があるようです。
 ルースは病気になりました。子供たちからたくさんの手紙が来ました。励ましの手紙です。彼は手紙を読み、返事を書きました。ルースはとても嬉しかったのです。

 「ベーブ・ルース・デー」が、彼が野球に長く尽くしたことに感謝して行われたそうです。ルースは野球場の人々に挨拶をしました。
「私は野球によって生まれ変わりました。子供たちが野球を通じて体と心を鍛え、立派な人間になることを望みます」と。すると、大きな歓声に包まれたのでした。熱い涙がルースの頬を流れていきました。
 ルースはその翌年に53歳で亡くなりました。

 最後の挨拶の時のルースはどんな気持ちだったでしょうか。思っただけでも感動します。また、子供のためにがんばったというエピソードも感動ものです。キリストは、「人その友の為にいのちを捨つる。これより大なる愛はなし」と説いたと谷口雅春先生の御文章には書かれています。いのちを捨てるということはできる限りの誠意を尽くすという意味でありましょう。
 私たちも、最大多数の人々の最大幸福のために知恵と愛と生命力を人類に、地域の人々に、身近なご家族に捧げましょう。

 中内 英生

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May.26.2010「元タカラジェンヌから歯科医の医学博士号取得へ」

May.26.2010「元タカラジェンヌから歯科医の医学博士号取得へ」
今日の詩::燈台の 使いのごとし カモメ舞う

 桝谷多紀喜子さん(64)という「ひと」が紹介されていた。朝日新聞(2010/05/20)からである。『生命の実相』(生活篇)に書かれている、先に看板を出してから努力して歯科医となった話を思い出した。

 彼女は、20代はタカラズカという華麗な世界で生きていた。1966年、宝塚音楽学校を首席で卒業したという。宝塚歌劇団では「花園とよみ」さんという名前の娘役で大役を演じていたようだ。4年半で退団後、NHK大河ドラマ「新平家物語」などに出演したらしい。この番組は少し覚えているが、後日の桝谷さんのような人がいるとは思いもしなかった。

 33歳ですっきりと女優を引退した。歯科医を目指した。大学入試は1回、国家試験は3回落ちたという。1993年に開業した時は、47歳だった。
 宝塚で心血を注いで体得した発声や滑舌は歯並びで変わるようだ。口の中に興味を持ったのである。しかし、歯科医としては、口の中だけでなく、患者の生活そのものにかかわりたいと願ってきた。このあたりは普通の人ではないのだろう。生活関連歯科医とでもいうべきか?

 6年前にかつての恩師に再会した。認知症を患っていた。「死」のことばかりを繰り返していたという。患者は高齢化が進んでいる。精神ケアを学ぼうと、60歳で神戸大学大学院の精神医学分野に入学した。今春、高齢者の生き甲斐についての論文で医学博士号を取得したという。おそらく「人を助けたい」という思いがいつも心の中にあるのではなかろうか。素晴らしいことだ。拍手を送らせていただきたい。

 大学の受験勉強は、毎日睡眠3時間だった。体をひもでいすにくくりつけて机に向かったという。国家試験に落ち続けた時は、あまりの苦しさに駅のホームで電車に吸い込まれそうになったらしい。大学院受験のために朝6時に起きて英単語を覚えていった。これもすごい!

 「手に届かなそうなものを一生、追い続けてしまうのかな」と笑って記者に答えたという。
 宝塚では、はいつくばってでも舞台に上がったようだ。弱音を吐いたら次の役はなかった。これもよく理解できる。私も、「できない」とか、「私には無理です」ということを決して言わない。常に全力投球で立ち向かうことにしている。
  培った打たれ強さが後の人生を支えてくれたという。これも分かるような気がする。若い時に困難を克服して乗り越え、生きてきた時、信念の強さが尋常ではない。受難礼賛は生長の家の御教えではないが、振り返ってみて「艱難汝を珠にす」ということはほんとうのようである。
 彼女の歯科医院は宝塚市のビル8階にあるらしい。そこから宝塚大劇場の屋根が見えるようだ。ご自分の過去の人生と現在の自分とを見比べてみることができるのでは無かろうか。
 この人の記事を読んでみて、「すごい努力家だなあ」、と思った。尊敬に値する人生でありましょう。

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。講習会は2010年11月28日です。→http://masanobutaniguchi.com/ 】
 2010/05/23のブログは、「コーヒーカップの“実相”」です。愛媛教区の講習会が一割強上回ったことと、推進のご努力への感謝のお言葉が述べられております。
 また、作家の吉村萬壱氏のコーヒーカップ論をご紹介しておられます。その中で「実相」という言葉を使っており、生長の家でいう意味と違うことを指摘しておられます。そして、世間では、生長の家と同じ言葉を使っていても、生長の家で云う意味と違ったものを指している場合があり、生長の家と同じだと誤解する危険があることをご指摘されています。
 私たち島根の信徒はまず、なによりも他の本を読むよりも、聖典と特に総裁先生と白鳩会総裁先生の御著書を拝読して、生長の家のみ教えの完全把握に全力を費やすべきでありましょう。

※「ソニーとグーグル提携」と産経新聞(2010/05/22)に書かれていた。各紙で報道されているのだが、これはiPadへの対抗らしい。グーグルは情報、ソニーはものつくりで強いので互いの良さを取り込むのであろう。ソニーはアップルのiPodでも差をつけられているので挽回を図るということであろうか。ソニーは、かつてはベータマックスとVHSで負けたり、ハリウッドの買収でうまくいかなかったりで、当初の勢いがいまいちとなっているように見受けられる。一眼レフカメラでもツワイスレンズが使えるソニーを使ったりで、個人的にはソニーを使うことが多かった。がんばって欲しい。仕事上、早く開発して欲しいのは、スカイプを利用した大画面のテレビ電話である。これができると、簡単に石見、出雲、松江、隠岐の島をつないで会議ができる。研修もできる。と思う。

※洋上風力発電実証事業を東電が始めるという。陸上の1,5倍の発電が可能らしい。銚子市沖合3キロの場所に出力2千キロワットの設備らしい。今日走った9号線も大田の風力発電があったが、雷が落ちたり、鳥が被害にあうことや、音がすごいことなど難があるという。日本は山地が多いのでやや難しいのだそうだ。その点、海は作りやすいという。ただし、台風の関係で研究が必要とのことである。ご成功を祈ります。朝日新聞(2010/05/20)より。

※今日は、午前は江津の先祖供養祭、午後は浜田での先祖供養祭だった。どちらの会場も皆さんに喜んでいただいた。それぞれの地域の方々が喜んで集まってくださるのは嬉しい。

 中内 英生

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May.25.2010「第一回島根教区生命学園研修会」

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今日の詩::黄金のバラ 咲き出でて 世を照らす

 今日は生命学園の第一回研修会が行われた。四つの生命学園、すなはち安来、松江、出雲、益田の四つの会場から集まった。
 安来は、壮年層の女性が三人も来ておられて色々とアイデアを出し合って開催しているようだった。ピアノの教室を持っている人の家で前もって打ち合わせをするのだそうだが、それが実に楽しいという。
 生長の家の運動は楽しい運動だから当然である。

 松江の生命学園は、地元のスタッフが増えているようだ。生命学園は全組織が協力する極めて具体的な「地域貢献」であると思う。地元のスタッフが増えてくると、それぞれの誌友会で子供さんを生命学園に勧誘したり、若いお母さん方に母親教室をおすすめすることができるだろう。軌道に乗ってきていると思った。

 出雲の生命学園は、園長さんが学校の校長先生をしていた人なので、どの行事をとってもとてもキチッとしている。どこに出しても通用するようなやり方である。教化部がある地区だけあって、スタッフも多い。多彩なメンバーである。

 益田の生命学園は、高校で書道を教えている人が園長なので、書道の指導がゆきとどいているようだ。しかも、個人で絵や俳句なども表現するホームページまで持っている。若い人たちに人気があると聞いている。
 このようにどの生命学園も特徴があって素晴らしい。生長の家の具体的な地域貢献になると思うので、ぜひとも増加していきたいと考えている。

 今日の研修では、「書道」を行った。「がんしんけい」という有名な中国の書家が書いた「光」という字を書いた。私も書かせていただいたが、技術的にもはねる部分のはね方など難しい。難しいと云うよりも教わらないとなかなか出来ないように思った。

 個人的なことで恐縮だが、高校時代に書道は、たしか、松岡大峯というお名前の教師に習った。峰だったかも知れない。彼は書道の師から秘伝を受け継いだという。ある時、教室で筆に水を付けて黒板にすらすらと文字を書いた。「秘伝が分かりましたか?」と問いかけたが誰もその秘伝が分からなかった。「あともう少しという所まで練習に練習を重ねていった時、その秘伝を示されると体得するのです。君たちのように初心の人にはいくら教えてもわかりません」と云われた。私は、「なるほど!」と思った。その書道の教師はいろいろとエピソードを教えてくれた。下記は記憶による。

 王羲之という中国で書の第一人者と云う人がいた。蘭亭というところで、詩人が詩を作る会を開催した。その時の文章を書いた。すると世間では、詩よりも序文の字が素晴らしいということになり、「蘭亭の序」として伝えられているという。そこで王義之は思った。なにも考えずにすらすらと書いた字がこんなに人気がでるとは思わなかった。一所懸命に練習をして書いたならば、もっとよい字が書けるだろうと考えて練習して書いた。しかし、「蘭亭の序」以上の字はどうしても書けなかったという。要するに平常心を失ってはダメなのであろう。にこっと笑って力まずに生きることである。勿論、練習や学習を十分に行ったあとにである。
 「向かわんと擬すれば、すなはち背く」という禅宗「無門関」のげ文の言葉さえある。
 ついでにもう一つ、息子さんに王献之という人がいた。お父さんに認めてもらいたいと熱心に稽古をしていた。父親が留守の間に、父親が書いた字が部屋に掲げていたのをそっと持ち出して、そっくりに書いて、その書を父親の書斎に貼って置いたという。王義之が帰ってきた。そして部屋に入るやいなや、貼っている書を外して破ってしまったという。やはり何かが違うのだろう。

 松江道場の谷口雅春先生の「生長の家大神」の書は生長の家初期のころにお書きになったものではなかろうか。雅春先生の気迫が感じられるように思う。以前、石川県の七尾に行った時、道場に掲げられていたやはり「生長の家大神」の書も同じようにすごい迫力が感じられた。
 七尾の信徒さんで、初期の頃に谷口雅春先生がお出でになって、彼の自宅の二階の広間でご講演をされた話をお聞きしたSさんは、普通大きな道場などに掲げられている大きな「実相」の書をご自宅に掲示しておられた。生長の家が初期の頃に、お書きになった書のようだった。何とも言えない実にすごい迫力を感じて拝ませていただいたことを記憶している。

 Tさんという故元本部講師の方がおられたが、「上手な書家の字を見ると、”上手だなあ”と感心する」という。しかし、谷口雅春先生の書に向かい合うと、”有り難い!、という気持ちになり、自然に頭が下がってくる”という。要するに普通の書ではないのでありましょう。人類救済の御悲願と実相のお悟りと神様の愛が込められた書なのでありましょう。私たちは、ぜひそのような書を目指したいものであります。

 中内 英生

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May.24.2010「鯨はサカナか?」

Img020 May.24.2010「鯨はサカナか?」
今日の詩::朝入れし コーヒー香り 部屋に満つ

 鯨は海に棲んでいるのでサカナか?と云うとそうではない。ほ乳類である。四つの足の退化した跡が確認できる。家族愛が強くて、子供を大切に育てる。しかし、現在は食べ物の一種と見なされていることが多いようだ。

 朝日新聞(2010/05/11)の天声人語には鯨に関して書いている。シェパード船長のことらしい文章もある。私たちは、「殺すなかれ」との慈悲の教えからして、ほ乳類を殺して食することはとうてい賛成できない立場にある。天声人語にはくじらに対する日本人の歴史的態度が書かれていた。
 日本人の先祖にとっては、浅瀬に迷い込んだ鯨を「浜鯨」と云って浜の恵みだったそうだ。捕鯨が広まる江戸時代には料理や保存の技法も豊かになったようだ。天保年間の料理指南書「鯨肉調味方」には、約70の部位についての食べ方を紹介しているそうだ。『鯨取り絵物語』という本に紹介されている。しかし、鯨と人間とが海の中で逆の立場だったら、人間はどんな思いがするのだろうか。

 捕鯨の町、和歌山県太地町の人から、全国平均の4倍の水銀が検出されている。鯨やイルカを最近食べた人は濃度が高めだったらしい。イルカは日本では食べる人がいるがその現場をアメリカ人が記録映画を作って日本人は批判されているようだ。悲惨な状況なので、映画「いのちの食べ方」のように、これは喜んで見たくなる映画の部類ではないだろう。
 先日フグ毒について書いたが、やはり海洋生物の体内で濃縮されていくのだった。海中の水銀は、プランクトンから小魚へ、さらに小魚を餌とする大きなサカナへと濃縮されていく。鯨やイルカには、サカナの何倍もため込む種類のものもいるそうだ。
 町民には中毒症状はないというが、WHO(世界保健機関)の安全基準を超えた人が43人である。もうここらで、私たち日本人は悟っても良いのではなかろうか。
 鯨は食物連鎖の一大ターミナルである。その先には人間という終着駅がある。栄養も毒素もすべて流れ着く。

 古式捕鯨の技が紀州の太地町に始まって400年ほどの歴史があるらしい。風土病の記録は見当たらない。彼らは水銀も許容範囲の食べ方をしていたのではないかと考えられている。しかし、私は子供の頃に食べたことがあるが、体が健康を害してまで食べたくなるような美味はあるのだろうかと考える。鯨を日本人が食べるのは、供養もするし全部利用するから決して悪いことではないという論法の文章を読んでことがあるが、生命倫理からいっていかがなものだろうか。

 私の友人は、昔、捕鯨船に乗っていたが、谷口清超先生の御文章に触れて、船から降りたという。「殺す者は殺される。生かす者は生かされる」という真理は普遍であろう。鯨が迷い込んだら、沖合に誘導して逃がしてあげることの方が、一層、良いことではないだろうか。しかし、相手は巨大であり強力な力をもっている。人間の存在は目に入らないかも知れないので、気を付けながらの誘導が必要であろう。

※最近、帰宅するとき、妻から「玄関の戸を開閉する時に、静かにね」と云われた。見上げてみると、軒下に雀らしき存在が二つある。この時季になると雀が宿を取るのだった。宿賃はいただいていない。かわりに玄関先に糞をたくさん落としてくれる。これを肥料にと云うことで宿賃代わりという訳でもないが、かわいいお客さんだ。だから家に帰る時にはそっと音を立てないように出入りしている。

  糞で問題になったのは、将棋元名人で現役55年を誇るKさんである。タイトル戦を指す旅館で、音が気になると庭の人工滝を停めさせたことで有名だそうだ。
 Kさんは動物愛護の精神であると思われるが、玄関先や庭で野良猫に餌を与えてきたという。増やさない努力はしてきたが増えた。Kさんは最近、裁判所からすくなからずの罰金支払いを命じられたという。猫の声や糞を嫌う人からの申し出かもしれない。いずれにしても、地域の皆さんから愛される猫を目指すようにしつける必要があろうと考えられる。しかもそれは四無量心を行ずるということを前提にして行き届いた考え方が必要ではないだろうか。
 犬を愛する愛犬家が人の家の庭先に放して糞をさせることを日課にしていることを聞いたことがある。それは犬に良からぬ悪業を積ませることになりはしないだろうか。できれば愛される徳積犬(盲導犬や、アルプスでの救助犬)、徳積猫、徳積雀などを育てては如何であろうか。しかし、実際問題としてすぐに可能かどうかは未知数である。

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。講習会は2010年11月28日です。→http://masanobutaniguchi.com/ 】

 2010/05/21のブログは、「人工細菌ができるとしたら……」です。お書きになっておられるように確かにこの日はビッグニュースがたくさんあった。人工細菌のニュースに関して、先生はどのようにお書きになられるかを考えていた。私も日経と朝日、サンケイを一応毎日目を通しているので、何となく理解できる。トリビューンはホームページに貼り付けているので、第一面の画像だけは見ている。読む力があればこれほど嬉しいことはないのだが、未だ実力不足である。
 この日の御文章の終わりの3つの段落に重要な結論をお書きになっておられます。本文を拝読下さい。

※今日は、伝道員研修会があった。7人の方がおいでになった。大変将来性のある教区だと改めて思った。伝道員に関しては、本部から出されている年間テーマとテキストが発表されているので、それに従って担当講師がレジュメを作成し、それに従って研修する方式をとっている。1テーマに4頁を費やして平均化し、1年間の研修が終了すれば、36テーマで約150頁の今年度版レジュメ集を作成したいと考えている。この作業を毎年継続することによって、伝道員は「真理を聴く信徒から聖典等を読む信徒へ、読む信徒から愛行と伝道を行動化する信徒へ」と移行する。すなはち地方講師への道が開かれると思われる。でき得る限り、信徒さんの信仰深化と菩薩力・伝道力向上に協力させていただきたいと決意させていただいた次第である。
 また、「ゲゲゲの女房」で現在有名になっている安来から電車に乗った参加者が松江の参加者と電車に向かい合わせに乗った。お互いに知らない。しばらくすると教化部の年間予定表を出して見ていたので声をかけた。すると、何と同じ伝道員研修会に参加するために同じ電車に乗っていることが分かった。お二人は研修会の三時間の間、一番前の席で同じ机で学習された。

 中内 英生

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May.23.2010「ホルンで鹿を呼ぶ」

Img894 May.23.2010「ホルンで鹿を呼ぶ」
今日の詩::新緑の 森と小川で リフレッシュ

 奈良公演の鹿のことがテレビに出ていた。これは昨年の音楽の番組での情報である。奈良公園には約1200頭の鹿がいるという。係の人がホルンを吹くとすごい勢いで鹿が集まってきた。ホルンは自分の舌で音階をつけるという。なかなか難しい楽器だそうだ。末娘が学校の吹奏楽でホルンをやっているのでホルンで鹿を集める係の人の言葉は印象的であった。
 奈良では、鹿は神様を連れてきた「神使い」として古くからあがめられているという。素晴らしい古都である。

「地方」という地域は実に味わい深いものではなかろうか。出雲、松江、石見、隠岐、など実に多様性に富んでいる。考え方や文化にしても歴史が色濃く重なっているように思える。
 関東の鎌倉という地方には木が倒れたというニュースで昨年はにぎわっていた。私は、「美の壺」というNHK番組を時々見ているが、その中で「鎌倉シリーズ」があった。ものの味方が色々あるということを教えてくれる番組なので硬くなった頭脳をマッサージしてくれるような気がする。

 鎌倉は玄関口に大仏がある。一度見たが実に大きい。特徴は下を向いている。平坦な頬。少しかがんでいる。他の仏さんとは違う感じがする。これは新しい時代を切り開こうとした武士の心意気が感じられるとも説明していた。今までの京都の公家への対抗心でもあるという。

 仏像は中国風である。いわゆるくつろいだポーズを取る。仏教の思想と仙人の思想が混じり合った中国仏教の仏像の趣が鎌倉大仏にはあるらしい。当時は、鎌倉は町全体が中国風であったと考えられている。これを推進したのが北条時頼であった。彼の貢献も大きい。禅を日本に取り入れて建長寺を建立し、武士の修養としたのだった。鎌倉幕府が滅亡後永らく鎌倉は忘れられていた。
 再び鎌倉が脚光を浴びてきたのは江戸時代末のことである。ここには江ノ電という電車がある。私も一度乗ったことがある。カーブが沢山あり、特徴ある景色が続くのだった。時速22キロメートルで電車は走る。ここは東京人のリゾート地という印象を与えたようだ。

 鎌倉には七里ヶ浜という浜がある。この辺りには、東京の文化人が洋館を建てたという。どれもハイセンスの建物ばかりだった。松本じょう治、前田利為、里見弴などなどである。
 窓から見える海の景色がとてもよいのだった。里見は酒を飲みながら窓を眺めることが多かったとのことである。
里見弴の全集は有島武郎の全集と共に自宅にあったので、高校時代に全部読んだ記憶がある。白樺派と縁のある人々だった。

 なぜこれら文化人が鎌倉に住み着いたのか。それは自然との一体感を得ることが出来る貴重な場所であるからだったという。そのように語る最後のナレーションが印象的だった。自然と離れた生活をしている人ほど、よけいに自然溢れる鎌倉に来ることになったと云う意味の言葉だった。
 
  そう考えてみると、この島根は実に自然に溢れているのだった。特に出雲は自然の中である。同じ出雲でも山手に行くと、まったく山の中の誌友会へ出講することがある。緑の森と海と美味しい空気に囲まれた素晴らしい生活である。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。 講習会は、平成22年11月28日です。新しい人をお誘いしましょう】
 2010/05/20のブログテーマは、「古い記録 (14)」です。剣道をしておられたことや三島由紀夫氏のことなどが書かれています。私も懐かしく思い出させていただきました。ブログの御文章を拝読下さい。
  http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は、午前は相愛会の熟年の集いの会合で講話させていただいた。午後は同じく相愛会の壮年層の会合で講話をさせていただいた。
 また、午前午後と青年会の一日見真会が開催されたので、私は神想観練習と講習会についての講話をさせていただいた。青年会では、今日はA光明実践委員とK光明実践委員が初講話だった。お二人とも立派に講話をなさった。着実に生長しておられて大変うれしく思った。それから、栄える会副会長で樹木医の専門家に「樹木への感謝」の話をしていただいた。樹木医の話は分かりやすくて人柄が大変誠実でありかつ説得力があるので、教区の機関紙「大和島根」に掲載したいと考えている。

 中内 英生

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May.22.2010「多作にして多捨」

Img011 May.22.2010「多作にして多捨」
今日の詩::青丹よし 奈良の都へ 人なびく

 生長の家松江道場ではここでしか見ることができない「書」がある。それは谷口雅春先生の書で、「生長の家大神」と「白鳩天使」と書かれている。生長の家大神の書は縦書きだが別の所で見たことがある。谷口雅春先生の御心がほとばしり出るような実に素晴らしい書である。
 「白鳩天使」は、横書きになっている。この書は玄関に入ってすぐ上のところに掲示されている。この下を通ると、白鳩さん達の信仰心が強くなるのではなかろうか。そう思った。

 今日は一日見真会が行われた。先祖供養祭は毎月行っているが、見真会は時々行っている。今日は浄心行が行われた。
 また、絵封筒もみんなで描いた。この絵封筒は、神性表現はもちろんであるが、講習会で受講券を相手に手渡す時に、この封筒に入れてから渡すのだという。お一人お一人がお描きになった絵封筒を拝見すると、実に美しく真心がこもっており、この封筒に入った受講券を受け取った人はきっと受講されるだろうと思った。

 松江道場での見真会は何回目だろうか?何度も何度も行うことによって運営に関してもうまくなる。また人のお世話も上手にできるようになる。
 俳句の番組を時々見ることがあるが、2010/01/10の俳句の番組で、「俳句を書にする」という書家の津金孝邦さんという方が出演しておられた。彼の俳句を書にするのは実に味わいがあると思った。しかも、そのやり方は、何枚も書いては書き捨てる。そしてさらに書いて、残った書を発表するのだそうだ。「多作多捨」という言葉を使用していた。
 
  絵を描いては他人に差し上げている人がいたが、「自分の絵を自分の手元に置いておこうとは思わない。他人が喜んでもらえればそれでよい」と言っていたことを思い出す。人間は他を喜ばすためにこの世に生まれてきたと云うことは、まぎれもない事実である。

 何度もやっている内に、次第によきアイデアが湧いてくる。今まで捨てていたものが、貴重なものとして活用できるようにもなる。サイエンスゼロ(2010/05/21)では、二酸化炭素を資源として活用する研究も進んでいるようだ。「無駄なものはない」とお教えただいているが、本当にそうだと思う。

 NHK番組「美の壺」(2010/05/21)によると、アンチーク着物が流行しているという。これは明治時代にはドレスという洋風の婦人服が流行して着物社会を圧倒するようになったことに始まる。危機はまさにチャンスである。着物界は危機感をつのらせた。その結果、さまざまな生き残りをかけた変革を行うことになる。それがアンチーク着物の優秀性を確立するに至ったのである。

 着物の柄にヨーロピアン・デザインをつけてそれを身にまとう。それは実に和洋が交差するハイセンスのものが作られている。
 アールヌーボーといえば、曲線の美だがアールヌーボー的なデザインを着物にしつらえているのが京都着物の職人だった。それはヌーボーを超えて日本の技法と融合した美だった。
 もう一ついうと、ヌーボーと同等のまたは、それを超える技術が日本着物界の職人にあったということだろう。戦国時代に海外から持ち込まれた種子島の鉄砲を日本の鍛冶屋さんがみるみるうちに量産したことなど、優れた「物づくり」の技術の伝統か昔からあったと云うことで、今に始まったことではないようだ。

 当時の着物にはヌーボーとは逆に直線を多用した幾何学模様のアールデコ風のデザインも現れる。また同じ帯の中にアールデコ風とアールヌーボー風のデザインが混在している場合もある。要するに、生き残り作戦なので知恵を絞りできる限りのことをやってきたのだろう。やればできる!かくして着物は生き残ったのだった。

 半襟という従来は白地だったのが、デザインを入れた色柄のものに変わった。この半襟と着物と帯の組み合わせでまったくその雰囲気が変わってくると云う。極彩色に地味なものを組み合わせたり、極彩色に極彩色のものを組み合わせたりで変化に富むようになった。

 「くずまゆ」といって従来は捨てていた原料の繭があった。これは汚れて黒くなった部分があり、「染色に難あり」という品物だったようだ。それを技術力によって克服した。大正時代は女性が輝きだした時代と云われているが、この安価な「銘仙」にポップアートのようなさまざまなデザインが登場するようになった。

 工夫と努力、多作と多捨、改善に改善を重ねて時間を経て、よりよきものに進化する。光明化運動もかくのごときものではないだろうか。 

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。講習会は2010年11月28日です。→ http://masanobutaniguchi.com/ 】
2010/05/17のブログは、「電子ブックはどうなる?」です。かなり専門的な用語が多用されていますが、青年の皆様はこれらのことばに慣れましょう。「電子本のファイルフォーマットの共通化」の問題などについてお説きになっておられます。これらは常に新しい情報を私たちが入手していないと理解が困難となります。総裁先生の御文章で分からないことがあれば、調べてみましょう。

※今日は夜、生長の家松江道場の役員会があった。松江道場にも太陽光発電装置を設置することが正式に決まった。めでたしめでたし、である。こころから感謝です。

 中内 英生

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May.21.2010「キルギス国イスラームの増加はなぜ?②」

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今日の詩::対称性 トラにもあるのか じっと見る

(昨日の続き)
 モスクの増加だけでなく、街の風景も変化しつつあるという。ビシケクの中心部の通りに、「ムスリム料理」の看板を掛けたレストランがあるらしい。敷地の入り口では、羊肉や玉ねぎを詰めた肉まんじゅうのようなパンを焼いている。香ばしい香りが漂う。
(だが、私には肉料理はちょっと向かないようだ)

 このレストランは二年前に出来た。壁にはメッカ巡礼の大きなポスターが貼ってある。ウエートレスさんは全員がスカーフを付けている。写真の女性も付けているが似合っている。メニューには酒類はない。(これならば私向きだ)。
 しかし、料理のメニューは、トルコ、中華、ロシア、欧州、などのがあり、多国籍料理店である。(ちなみに日本式はないようだ)。ウエートレスのアルバイトをしているアイスルさん(19歳)は大統領府アカデミーで財政学を学んでいるという。
(「アイスル」というお名前は、かなり信仰的ではある)。

 彼女は言う。『私は信者ではありません。これは職場のユニホームです』と。イスラム風スタイルは一種のモードになっているらしい。

 「SMSイスラム」という広告もある。祈りの時間から質問まで、信者で携帯メールで情報を提供するという。
(我が島根教区でもN教区にならって始まる可能性があるようだ)。
 新しい信者さんに丁寧にイスラムの知識を提供するサービスであるという。
(このような情報提供も電子版で行うことが必要な時代が来ている)。
イスラム銀行や、女性専用のイスラムファッション店も並んでいるらしい。

 民間のイスラム・テレビ会社「マルバTV」も05年に登場している。中央モスクの宗教指導者の祈りやイスラム女性の生活などの番組を一日2時間流しているという。時間的には少し短いようだが、毎日というところが素晴らしい。
(戦後まもなくの谷口雅春先生の御文章に、テレビで伝道するということが書かれていたことを記憶している。ビジュアル的な方法はかなりの効果があると思われる)。

 このテレビ会社の20代の女性記者であるベルメットさんは、スカーフを巻かずに指導者のインタビューをしていたらしい。形式にとらわれないということだろうか。
 この国では、イスラムは自然な形で日常生活に浸透し、着実に存在感を増しているとのことである。
 昨日と今日の内容を考えてみると、イスラムは自然的かつ穏健な信仰であると思わざるを得ない。ウエイトレスさんもにこやかだ。
  私はイスラムに関して、推薦図書があるとできるだけ取り寄せて読む努力をしている。私たちにとって、現在必読の書は、『衝撃から理解へ―イスラームとの接点をさぐる』と『イスラームへの誤解を超えて―世界の平和と融和のために』である。まだ読んでいない人は是非お読み下さい。

http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4SKPB_jaJP267JP267&q=%E3%82%AD%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%82%B9&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=zZv2S6DTJpCXcd62vPcL&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4&ved=0CDwQsAQwAw

※今日も素晴らしい一日でした。神様、有り難うございます。

 中内 英生  

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May.20.2010「キルギス国イスラームの増加はなぜ?」

Img011_2 May.20.2010「キルギス国イスラームの増加はなぜ?」
今日の詩::青丹よし 奈良の都へ 人なびく

 キルギスという国に行ったことがあるわけではないが、その国でイスラームが増加しているという「朝日新聞」(2010/05/15)を見て興味が湧いた。副島英樹さんという記者が書いている。キルギスは10年ほど前に日本人に関する事件があり、私も知ることになった。新疆ウイグル自治区はイスラームが多いというがそこと接する中央アジアの東部の共和国である。人口約580万人なので、東京都ほどでもないが個性ある歴史があるのだろう。約8割がイスラームでスンニ派とされている。1991年に旧ソ連から独立した。民主化と市場経済推進の改革路線を選んだが経済は低迷しているという。2005年3月と今年4月に2代続けて大統領が野党勢力に追われて失脚したようだ。キルギスのイスラム社会はサウジアラビア、エジプト、パキスタン、トルコなどの影響を受けていると言われていると書かれていた。

 写真には、中央モスクに入りきれず、敷地の歩道で礼拝する信者の皆さんが写っている。また、「ムスリム料理」レストランでアルバイトするビシケク(地名)のアイスルさんという女性がにやかに料理皿を持って立っているのが写されている。極めて自然な感じだ。

 記者のレポートを読んでみた。
金曜日礼拝の驚くような光景が展開していたという。良い意味でである。中央アジア・キルギスの首都ビシケクにある中央モスクの光景だった。喜捨を請う女性や子供が並ぶ門を通って、イスラム信者たちが絨毯を手に集まってきていた。スーツ姿の若者もいる。3千人収容のモスクに入りきれず、敷地もいっぱいになった。それで写真にある敷地外での礼拝となっていた。午後1時半に拡声器から祈りの言葉が流れ出した。
 この祈りの言葉は、数年前、本部練成道場でイスラームの学習の時に聞いた祈りの言葉と同じかも知れない。礼拝は約20分間だった。集まったのは約1万人だという。すごい盛り上がりだ。大きな教区での講習会並みの人数である。

 ソ連時代は宗教が制限された。キルギス全土のモスク数は39だったという。ソ連崩壊から20年近く経った現在、モスク数は2080に増加した。それでもモスク建設が信者の増加に追いつかないようだ。
 ビシケクでは現在、一万人規模の巨大モスクを建設中だという。昨年、キルギス政府が3ヘクタールの土地を提供したらしい。トルコの支援と一般からの寄付で建設費をまかなっているという。ビシケクのモスクを統括する聖職者であるマモトフ師(37歳)は、言う。
「モスクはどこも満員。多くの若者が祈りに来るようになった。民社主義のお陰だ」と。二酸化炭素の排出削減の問題もあるが、各地域ではこうありたいものである。

 記者は、10年前に来たがこんな光景はなかったらしい。信仰心の高まりはここ8年ほどで顕著になったという。人々は異口同音に言う。
 金曜礼拝に来ていた高校生(ムラディルさん)にインタビューしていた。キルギスのイスラームにも生高連のような組織はあるのだろうか。
「中央モスクに来るようになったのは3年前から。友達に誘われたのがきっかけで、自分で神の存在について深く考えるようになった」と。

 配達アルバイトのマルトさん(19歳)は、「両親の影響は全くない。自分で神のことや生活のことを考えて信者になった」と。まじめな青少年がイスラムにはいらっしゃるのですね。もし将来、キルギスの青年達と生長の家の青年会の人達とが、神の存在や世界平和や環境問題などについて話し合うとすれば、大変に盛り上がるのではないでしょうか。

 かつて共産党員だった医師のバシットさん(60歳)はソ連時代には隠れて礼拝していたという。「ペレストロイカが始まって宗教は自由になった。それが今のブームにつながっている」と。ソ連末期のゴルバチョフ政権下で宗教の封印が解かれ、その結果が現在のモスクが満杯になるような信仰ブームに繋がっているとしている。

 あるいは、信者の中には、2001年9月の米同時多発テロを機会に信者になったという法律家の男性(37)にも出合ったようだ。米国のイスラム敵視政策への反発があったそうだ。信者の急増と重なっている。しかし、これは本当の入信の動機といえるかどうかは私には分からない。

 キルギスのルグマル・副ムフチィ(イスラム法学権威者)は「ソ連時代には曲折はあったが、キルギスでのイスラムは千年の伝統がある。今回はその復活であって、輸入された教えではない。だから過激主義は我々には必要ない」と語ったという。要するにイスラームの穏健な本道を歩んでいるということだろう。

 テンシャン山脈を望み、中央アジアのスイスとも言われたキルギスは、独裁国が居並ぶ中央アジアの中では民主的であると言われているという。イスラム指導部も政権と協調して、女性にスカーフを義務づけるような強制的な面もないようだ。
 東西冷戦が終結し、ソ連の崩壊でイデオロギーの空白が生まれ、宗教が人々に開放されたとしている。
 同時になかなか好転しない経済状況や、この4月の政変にもつながった政治への不信が、人々をイスラムへといざなっているという見方があるらしい。中央アジアでさらに貧しい旧ソ連の隣国タジキスタンでも、数十カ所だったモスクが何と、約3千に増加し、首都ドウシャンベでは酒類抜きの結婚式も目立ってきたとのことである。要するに、イスラム風の結婚式ということであろうか。いずれ、世界最大の宗教になると言われている世界のイスラームに常に目を向けることは、国際平和信仰運動を推進する私たちにとっては必要なことでありましょう。

 中内 英生

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May.19.2010「パプアニューギニアの銅山と四無量心」

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今日の詩::陽に向かい 笑顔絶やさぬ チューリップ

 行ったことはないが、パプアニューギニアには銅山があるという。鉱山の開発によって自然が破壊され、住民が不利益を被り、先進国の人々が利益を得るという状況のようである。また、四無量心の実践という意味に於いても、色々と考えさせられた。朝日新聞(2010/05/09)に掲載されている。

「銅山のふもと 枯れる森」との見出しである。南太平洋の島国であり、美しい海と島々を連想していた私にはショックだった。金銭収入の代償として生活環境の後退があるようだ。
 30年ほど前まで、オク・テディ川は青く澄んでいた。今より10メートルは深い谷間を流れ、木に覆われていて、ここからは見えなかった。森も魚も鳥も消えた。この川は死んだ」とウェスタン州副知事のボカ・コンドラさんが言ったと、鈴木彩子さんという記者の人が文章を書いている。何が起こっているのだろうか。

 この川の最上流に、オク、・エデイ鉱山があるという。豪州系の資源メジャーが、1984年から生産を始めたという。パプアの輸出総額の3割を稼ぐ露天堀の銅山である。現在も毎日約7万8千トンの鉱石を掘り出している。その結果は自然が破壊されている。自然が破壊されても、外国の先進国の人々が潤い、地元の人が金銭収入が獲得できるので良いのではないかという考えもあるが、ここでは地元の住民が自然な豊かな生活がなくなっているようだ。しかも、日本の銅輸入量の約5パーセントはこの銅山からのようだから、私たちの生活の足元を見直す必要があるのではなかろうか。

 鉱石は微粉末にして、パイプラインで約140キロ下流のキウンガというところに運ばれる。そこで船積みされて海外に輸出する。何と最大の輸出先は「日本」と書かれている。先に書いた5㌫と最大輸出先日本との関連がこの文章だけでは不明だが、いずれにしても大きく関わっていることに間違いはない。
  不要な岩石と粉末はすべて川に捨てられた。ためる筈のダムは操業前に地滑りで壊れてしまったままだという。
 従って、上流の川底の上昇は何と、5㍍から10㍍だという。考えられない上昇である。これで、約東京都の7割、大阪府の8割強の面積である1600平方キロの森林が消失した。

 パプアでは、ここ以外に6カ所の金と銀の鉱山が稼働しているという。新たにニッケル鉱山の建設も進んでいるらしい。様々な形で、ニューギニア島全体で毎年1,4㌫以上の森が消えていると報告されている。
 需要があるから供給があり、開発がある。その根底には物を大事にしない考え方、不足を駆り立てる考え方、便利快適を最高の生き方とする考え方、などが現代人、特に先進国の人々にはあるのだろう。
 
 それに対して、私たちは、全ての物を神のいのちの現れとして拝みつつ使わせていただく生き方、足るを知り感謝する生活、便利快適よりも環境への愛を実践し二酸化炭素を出さない生活などを実践している。この考え方や生活法がグローバルに多くの人々の生き方に影響を与えることができるかどうかは、私たちの日々の実践と伝道にかかっている。

 元に戻るが、乱開発の代償の大きさに地元の人々は気づき始めたらしい。同州のボブ・ダナヤ知事は「自然を失うこと。鉱山はこりごりだ」と記者に言ったという。
 朝日紙の第2面には「恵みの川不安の種に」「減る食糧、住居追われ」とあり、その実情が報告されている。鉱物による汚染と健康被害、生活場所の減少などである。日本でもすでに経験済みである。

 しかし、ここまで行かないとなかなか人間は自然の恩恵や大切さに気がつかないのかも知れない。要するに、現地の人々はようやく気づくところまで行ったのだ。遅きに失した感があるかも知れないが、気がついたということは希望が十分にあるということだろう。四無量心を行ずることを、私たち信徒はお教えいただいているが、この記事を見て、慈悲喜捨の四無量心を自然界に対して正しく行ずる必要性を強く感じた。

 これらの現状を知る時、私たちは日本とそして私たちの豊かな生活との関わりを考えなくてはならないだろう。そして、知らずに犯した罪と知って犯した罪との差をお釈迦様が説かれたことを思い出す。しかもその次に、現在、私たち全ての人類の為にご教示されている具体的な指針が如何に的確であり、重要であるかを理解することが出来ると思う。
 皆様とご一緒に、総裁先生の御著書を何度も繰り返し拝読して、御心を多くの人々にお伝えするという使命を痛感する次第であります。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの新しい人をお誘いしましょう】

2010/05/16のブログは、「間近に迫った電子図書館」です。電子図書館のご紹介や、まもなく売り出される、ipadのことなどをご紹介しておられます。そして、最後に光明化運動に於ける電子データを活用した、新しい文書伝道の方法の早期確立を提言しておられます。拝読下さい。
http://www.masanobutaniguchi.com/

(ipadの購入は中国ブロックでは、広島のデオデオの一店舗でしか販売されておらず、先日問い合わせたところ、すでに予約完売であるとのことだった。これはアマゾンキンドルは主として電子書籍だが、ipadは音楽、動画、ゲームなど小型のipodで出来るものがipadで出来るので人気があるのではないかと私は推測している。アマゾンはアップル社のipadからアマゾンの電子書籍を購入できるようにソフトを提供していると報じていたので、おそらくまもなくアマゾン・キンドルの第三世代が出てくるのではないかと期待している)。
http://www.apple.com/jp/ipad/

※今日で練成会が終了した。ご奉仕の方々、ご担当された地方講師の方々に心から感謝申し上げます。今回は益田の人たちのご参加が多かったようだ。益田は昔は有名な万葉歌人柿本人麻呂の誕生地であったり、徳川夢声さんという人が生まれたりで有名人が多いと聞いている。長い歴史の中で石見銀山の採掘を通して、石見文化と広島の文化と山口の文化との接点で多くの情報が融合しているのではなかろうかと思った。そして根底には出雲大社の信仰があるのであろう。しかも石見のタギでは12万年前の石器が発見されるほど、古くから人が住み着いている。無限の可能性を秘めた素晴らしい地域だと思う。
 
 中内 英生

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May.18.2010「神性表現絵封筒」

Img009 May.18.2010「神性表現絵封筒」
今日の詩::馬よ育て 島の草食み たくましく

 今日は練成会第二日目だった。私の担当は、夜の祈り合いの神想観の実修だった。午後の時間には、神性表現としての絵封筒を描いた。担当のH地方講師は、日時計主義について説明し、さらに神性表現について説明し、今日は絵封筒を描くことを説明した。この絵封筒は、11月28日(日)に講習会が行われるが、真心を込めて描いたこの絵封筒に受講券を入れて、差し上げるためであるという。絵封筒に受講券を入れて相手にお渡しするというアイデアは、青年会から発生したと聞いている。

 今日の絵封筒で、慣れている人もあれば、ある男性などは60年間ほど描いたことがなかったという方もおられた。最初はおどおどと描くが慣れてくると大胆に描くようになる。私は絵手紙を描くようになってから、何事かをやり始める時、「難しいから自分にはダメだ」とか、「時間がないから無理だ」などという考えが出てくるまでに行動が先に出ることが少しはできるようになったように思う。右脳の開発による行動形態の進化のようである。
 
 人間は神の子であり、どんな能力でも与えられている筈である。しかし、「出来ない」とか「無理だ」とかいう劣等感で無限力の発現が阻害される。
 右脳を開発することで、阻害物が取り除かれるようである。日時計主義を強調してお教え下さったことで、その道を開いて下さったのだと思う。

 劣等感が無限力の発現を阻害する中で、何が劣等感となるのだろうか。一つには人間は物質的肉体であるという、「唯物論的思考」であろう。人間が肉体であるという考えは、劣等感となると思われる。なぜならば、肉体は病気をするものであるという人類意識があり、また、長くても120年ほどで消滅するという有限観があるからである。

 もう一つは、両親に対する考え方であろう。親を憎んだり、感謝しない心は、親を悪と考えたり、無価値であるという考え方に通じる。結局、悪や無価値から生まれて子供である自分はそれに劣らぬ存在であるということになる。それは劣等感となるのではないだろうか。

 もう一つは、過去に於ける失敗である。これは一度失敗したら、人間は同じような状況に遭遇した時には、すぐに過去の失敗を思い出す。そして何度も何度も頭の中で空転させる。この脳髄意識の状況が、劣等感を創り出すのでは無かろうかと考えられる。

 人間の肉体観の打破には、神想観である。聖典等への弛まざる拝読である。そして自他一体を行ずる愛他行であろう。現在進行中であるが、自然と人間との調和するという運動は、人間と自然との自他一体を行ずる所の重要な宗教行であるとも言えるのではないだろうか。

 また、両親に対する考え方の転換は、両親への感謝誦行や浄心行などによって可能である。両親への感謝については聖典等の各所に説かれている。
 私の知人から、ある時電話がかかってきたことがあった。足に癌が出来たとのことだった。足を切断する危機が迫っていたらしい。私もこれは一大事だと思った。あとで本人に聴いたことだが、仕事で大変な時だったようだ。彼は、一所懸命に朝30分間、夜30分間、両親への感謝誦行を行ったという。それでこの癌症状は消滅したとお聞きした。これだけでは説明が十分ではないが、詳しい消滅のメカニズムの説明は別の機会に書かせていただこうと思う。

 三つ目だが、人間はどうしてもこのような状況に陥りやすいようだ。それを切り抜ける道をその人なりに編み出さなくてはならない。まず、人間は神の子であり、神の最高の自己実現として、此の世に誕生したことを認める。そして、神の子に決して「失敗はない」ということ。すなはち失敗と見えることの中にも、学ぶべき事柄が沢山あることを知ることでは無かろうか。

  自己変革が必要である。色々な方法あるのであろう。「角川文庫を100冊読むと考え方が変わる」という言葉を聴いたことがあるが、私たちの場合は、聖典等を徹底して拝読するとその分だけは間違いなく信仰が深化すると考えられる。

 また、神想観を毎日行うと実相直視の力が出てくるので、これは有力な自己変革の方法である。
 かつて「理想世界」誌という青年用の雑誌がでており、さらに小さい冊子の時代だったが、谷口雅春先生が、ある禅僧の修行で何枚も座布団が破れるまで座禅を組んだことが紹介されていた。青年に対して雅春先生は、この禅僧のように諸君は座布団が何枚も破れるほど神想観を実修して、実相の悟りを深めるようにご教示されていたことを思い出す。神想観の実修は極めて尊い行法であると思う。『詳説神想観』や『神想観は素晴らしい』を熟読して祈りを深めて行きたいと思う。

 合掌して正座する神想観の姿勢は神様の御心を受ける体勢でもある。これは中心帰一の信仰姿勢に繋がるように思う。「生長の家大神ー総裁・副総裁ー御教え」の流れでご教示があり、運動がご指導される。それを素直にそのまま受けることができるのは、神想観を日々行じていることにより、御心の真意を強く感ずることができ、かつ行動を起こすことが出来るのではなかろうかと思われる。神想観が徹底してくると「中心帰一の信仰姿勢」に関して感覚的に鋭敏になるようにも思う。神想観が大切である。現代に於いては、「四無量心を行ずる神想観」が新たにご教示されている。

 さらに、組織活動によって、陰徳を積み、同志と共に神様の運動に参加させていただくことができることが何よりも有り難いことであろう。私の場合は、この仕事を与えていただいているので、真理の把握を深め、神の愛を行じさせていただき、生長の家の運動に少しでもお役に立たせていただき、徳を積ませて頂いている。このことは、末代までの光栄であると深い感謝の念が湧いてくる。

 日時計主義が運動になっている。「愛少女 ポリアンナ」というアニメをほとんど見たが、一人の一見不幸な少女が「良いこと探し」を行い、彼女が行く街の人々の気持ちと生活を明るく変えていくのであった。そしてみんなが幸福になるのであった。私たちがこのアニメのように、それぞれの地域の「少女ポリアンナ」のようになって、光明化運動を展開することが出来たならばどんなにか素晴らしいことであろう。
 きっと、あなたにはできます。そのような自己に変革出来た時、11月28日(日)の講習会も素晴らしく大盛会となるでしょう。
 島根の皆さん、ご一緒に手を取り合って進んで参りましょう。

 中内 英生

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May.17.2010「罪本来無し」

Photo May.17.2010「罪本来無し」
今日の詩::陶芸家 魂込めし 薬罐かな

 今日から練成会が始まっている。今日は健康に関しての講話と浄心行の実修を担当させていただいた。
 講話では、主として『心で作る世界』の第5章「心の表現として体を見る」を拝読しながらの講話を行っている。『生命の実相』第一巻も合わせて使用する。
 地上生活に於いては肉体は宇宙服であり、神様の御心を実現するための大切な道具である。この道具を最大限に能力を発揮させるためには、心の浄化と肉体的な手入れを大切にすることが必要であろう。

 心の浄化は、夜に浄心行を担当させていただき、有り難かった。担当させていただくことにより、却って担当者が浄められるように思う。
 浄心行の前には別室で何度も『甘露の法雨』を拝読して自分が神様のアンテナになることができますようにと祈る。
 これを行わないと、私の場合はどうもピッタリといかない。
 なぜ、浄心行を行うかというと、一つには罪の消滅を計ろうとする潜在意識内の自己破壊願望を消滅させるためでもある。
 なぜ、罪を、悪業を消滅させることができるかの問題を、よく説明しておく必要があろう。

 結論から先に言うと、御教えでは、「罪は本来無い」からである、と説かれている。罪は心の中だけにある。それ故に、懺悔と共に消えるとされる。懺悔していない場合は、自分と罪とが分離していない状態なので罪は消えない。懺悔は大懺悔と小懺悔があり、小懺悔は具体的な出来事の懺悔であり、大懺悔は罪を犯した自分は本来無かったという悟りの境地であると教えられている。
大懺悔は神想観で行うことができる。小懺悔は浄心行だと行いやすい。また、他に「懺悔の神示」では具体的な方法も示されている。

 罪は、『生命の実相』第13巻倫理篇上(77頁から)には、第一の神性隠蔽、第二の神性隠蔽、等について詳しくご教示されている。簡単に言えば、実相の上を迷いで包み隠す、積み重ねた状態だと教えられているが、罪本来無しの悟りにより自分の積んできた業の流転から解き放たれることになる。
 浄めるてくれるのは、『甘露の法雨』に説かれている真理の言葉でありましょう。何度も聖経を読誦していると、浄め給うのは住吉大神さまであり、観世音菩薩様であるとの思いが強くなってくる。そしてその仲立ちとしてのお役を無我の心境の中に実践せしめたまえと祈る心境になってくるのから不思議である。   
 地球の自然界に対しての四無量心を行ずる神想観を教えられており、私たちは実修させていただいている。
 さらに『甘露の法雨』読誦の功徳は個人の病を癒し、国家の病を癒し、さらに地球の病をも癒すのでありましょう。大いに聖経読誦を致しましょう。今年は、11月28日(日)に講習会が行われます。信徒の皆様は現在、大盛会を祈願する聖経読誦を行っており、報告が沢山上がって来ているようです。

 中内 英生 

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May.16.2010「すべての恵みに感謝する」

Img008 May.16.2010「すべての恵みに感謝する」
今日の詩::釣り糸を 垂れて静かに 池の上

 今日は、地方講師・光明実践委員研修会が開催された。午後は総会があるので出席者が多かった。私は、上記のテーマで話させて頂いた。テキストは、6月号普及誌と『美と健康の創造』であったが、主として聖典を使用させて頂いた。

 まず、このテーマでは「感謝とは何か?」ということから話す必要がある。感謝は実に絶大な力があり、単に受け身のものではなく、積極的な創造力であると教えられている。ご病気の人に、感謝の功徳を話すことがあるが、「感謝の極」に於いては、「死んでも良い」と思うほどになる。これは、最高に喜びと自由自在性を意識したのであって、結果として死ぬかというと却って生命力が湧いて来てさらに元気になるから不思議だ。要するに、感謝すると自在を得るようである。

 生長の家は「感謝」の教えとも言われている。私たちはこの運動に参加させて頂いている。その中で何事にも感謝しているほど、息の長い信仰生活を持続しているように見える。私の先輩である、故T元本部講師は、いつもご自分が本部講師を拝命していることに対して、感謝の念が強かったように思う。講話の中でまで話しておられた。私は、T先輩の言葉の中に、強烈な谷口先生への感謝の念を感じた。T先輩は、仕事の関係で部屋にお伺いすると、いつも聖典を拝読していて、ご自分が感動した箇所を私に教えて下さるのであった。師への感謝の念が、求道心に直結し、そして強烈な伝道精神に繋がっていくことを教えられた。

 感謝の対象であるが、まず、神が創られたそのままの完全円満なる「実相の世界と実相の自分」へ感謝することが必要であることを話した。『生命の実相』自伝篇に書かれているように、創始者谷口雅春先生は求道の末に、神の国を発見された。そして自分自身は神の個性的表現であることを知ったのだった。
 私たちは、日々の神想観実修に於いて、「もはや我、生くるに非ず、神のいのちここにありて生くるなり」と念ずる。この神想観に於ける祈りに於いて、永遠不滅の自分、完全円満なる自分、その最高の自分をじっと見つめて感謝する。この感謝が非常に大切です。人間は自分を観ている通りに、他人を観るのです。自分を尊敬することによってのみ、他の命を尊敬し、礼拝することができるのです。

 次は、「真象を見つけて感謝する」ことでありましょう。必ずしも限定する訳ではありませんが、「日時計日記」記載が私たちの日々の実践項目であるとも言えましょう。「毎日一回は神想観を実修して心を光明化すべし」という言葉がありますが、同様のことが言えるのではないでしょうか。真象を見いだして感謝する。そうすることによって、如何に神様は私を愛するがゆえにこんなにまで様々な良きものを与えて下さっているという神の愛に目覚め、反転して神様を愛するようになります。そして、自然に「神様の御心を実行することが喜びである」という信仰に達することになるようです。
 母親が月を指さす時、最初は、子供は母の指しか見えません。しかし、いつの間にか目線が伸びて月を見いだすのです。そのように真象としての神様の恩寵を数え上げているうちに、神そのものを体感するようになるのでありましょう。

 もう一つは、マイナス面もプラスに変える感謝の心です。失敗した時に、努力をしてそれをプラスに転じる。失敗する前と後とでは彼の魂の内容の差が出て参ります。その時、失敗の故にここまで向上できたとなると、失敗にも感謝できるようになるのです。そこまで行くともはや、失敗ではないのです。

 「大調和の神示」には、「(前略)その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう」と示されています。感謝して神様の救いを見いだした時、神様が現れます。すなはち、「神があらわるれば即ち、善となり、義となり、慈悲となり、(中略)争うものなく、相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし」となるのです。感謝するところにすべてが整います。これが信仰者の生活です。この生活を日々実践いたしましょう。

 他には、17頁の「感謝はすべての病を癒します」をご紹介しました。泉谷信恵さんの全身リウマチが一日一万遍、感謝の言葉を唱えることによって消えた話や手谷正美さんのリウマチが感謝によって癒えた話をしました。これは真象に感謝することで使いました。

 また、42頁の「恐怖心を無くする法」を拝読しました。「和解の神想観」を行ずることが如何に素晴らしい結果をもたらすかを話しました。これはマイナスにも感謝してプラスに転ずる話に使いました。奇跡の祈りと言われるほど、体験がでる祈りのようです。勿論、病気そのものは心の迷いから生ずる訳ですので、奇跡と云うよりも健康になることは正常な生理状態に帰る訳です。

 51頁の「妻の祈りの力」では、平松文一さんの胃がんが本人の悟りと妻の祈りで消えた話をご紹介しました。これは、真象に感謝することでの説明用です。
 171頁の「神は到る処に充ち満ちていられます」をご紹介しました。身体の各所や、人の深切に感謝することの大切さを話しました。このように日々のきめ細かい信仰上の努力が必要でありましょう。これは、真象を見つけて感謝することに使いました。

 さらに、225頁では、「ますます多く愛を与えよ」として、感謝と同時に恩に報いるということの大切さを話しました。これは愛他行です。「十里の公役を強いられなば二十里を行け」という聖句がありますが、常に積極的に愛他行を実践することにより、陰徳を積むことができます。業の相殺の原理を活用する者です。たとえば三つ悪業があったとしても、四つの善業を積むことによって、プラス1の善業となるというものです。諸悪を行わず、ひたすら善を行うことが大切であります。現代では人間のことだけを考えるのでは足りないのです、すなわち、自然界のことも配慮する必要に迫られています。

 もう一つは、227頁の「最大の愛行とは?」をご紹介しました。相手を観世音菩薩として拝むこと、これに優る大なる愛行はないとしております。ある時、小職は「お山の集い」という学生の勉強会に参加させて頂きました。その時、谷口輝子先生が、「愛とは実相を観ることです」とお教えくださったことを覚えております。まさに相手を観世音菩薩様であると、礼拝することが最大の愛行であります。そして相手の為になる無限の勝方便が湧出してくるのです。

 実践篇としましたは、やはり基本に返ることが必要でありましょう。すなわち、①神想観の実修、②先祖供養の励行、③「日時計日記」の記載、④愛行の実践、⑤等々であります。行ずることによって初めて体験がでてくるのであります。行ずること、そのことが体験でもあります。

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。講習会は2010年11月28日です】
 2010/05/14のブログは、「本物とニセモノ」です。iPodを通してデジタルとアナログ、そしえ圧縮と劣化などを論じておられます。最後に、技術と文明の劣化、そして神の恵みをしっかりと味わい、本物に感謝する日時計主義との違いをご教示下さっております。拝読下さい。
  http://masanobutaniguchi.com/

※今日は、地方講師・光明実践委員研修会が行われた。また、ブログ開設者の情報交換会が行われ、H講師会長による英語による学習も行われた。これはインターネットには映画が多用されているので、感覚的に慣れるためである。

 中内 英生

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May.15.2010「講習会の大盛会は、生長の家創始者谷口雅春先生へ感謝の真心を捧げることから始まる」

Img889  May.15.2010「講習会の大盛会は、生長の家創始者谷口雅春先生へ感謝の真心を捧げることから始まる」
今日の詩::  雨降るたび 葉は広がりて 緑増え
  今日は、6月号の『大和島根』の原稿を掲載させていただきます。よろしくお願いいたします。

 神の子の皆様、有り難うございます。
ご存じの通り、平成22年6月17日(木)は、「谷口雅春大聖師25年祭」が執り行われます。午前には、教化部会館にて行われ、益田市にてスカイプ中継を行う予定です。午後は松江道場にて行います。信徒の皆様は、お近くの場所に聖経『甘露の法雨』をご持参のうえ、おいで下さい。谷口雅春先生への感謝の真心が、二代目総裁谷口清超先生への真心につながり、さらに現総裁であられる谷口雅宣先生への中心帰一の信仰姿勢に繋がって参ります。そして11月28日(日)の講習会大盛会にその成果が実るのでございます。
 谷口雅春先生と谷口清超先生と谷口雅宣先生とは法燈に於いて、御魂に於いて、御悟りに於いて、御一体であると拝察申し上げる次第であります。 
 
 谷口雅春先生は、明治26年11月22日、父・谷口音吉様、母・つま様の次男としてお生まれになりました。現在の兵庫県八部郡烏原村(現在の神戸市の烏原水源地)です。私はここに数回、参拝に参りました。ある時には、水源地には水がまったく無く、雅春先生がご幼少の頃に登られたかも知れない石垣が見えました。

 昭和4年12月に「今起て!」との神啓を受けて会社退出後の夜間に、『生長の家』誌のご執筆を始められました。
 そして、翌昭和5年1月に『生長の家』創刊号が納本され、一千部の無代進呈を開始されました。
 昭和5年3月1日が、『生長の家』創刊号の発行日として奥付に記載され、後に生長の家立教記念日となったのです。

 昭和53年11月、龍宮住吉本宮・鎮護国家出龍宮顕斎殿が落慶し、生長の家総本山となりました。
 昭和57年9月に「七つの燈台」が完成しました。昭和60年5月団体参拝練成会にて最後の御講話を行い、昭和60年6月17日、午前7時53分、天寿を全うしご昇天されたのです。御年満91歳であられました。

 『永遠の谷口雅春先生 生長の火をかざして』の95頁には、「尊師は山上を駆く」と題して、現総裁谷口雅宣先生の御文章が掲載されています。
 96頁上段18行目には、次のように書かれています。

「(前略)先生は、すでに御昇天の二ヶ月前に”「碧巌録」終講の辞”を書かれた時に、ご自分の死期を感じていた。この御文章の中で、先生は「行き届いて生前の御礼を言って置いて、いつ他界しても皆さまに挨拶もしないで別れて行くよりも、此の世に思ひ残すことがなくなり…(中略)…気楽な気持で他界へ移行することが出来ると考へついて、私は今、このやうな挨拶文を書いてゐるのである」と、ご自分の意図を明確に述べられてから、「それでは『左様なら!!』とニッコリ笑って、皆様とお別れ致しませう。しかし今別れても次の境涯で皆様と再会する時期が屹度来ると信じます』と言われている。

  さらに次の御文章を拝読していただきたい。96頁下段17行目である。

 三時半ごろ、先生の口から不意に次のような言葉が漏れた。恐らく、あの食前のお祈りをされる時のような、穏やかで、丁寧な口調だったと思う。
「病い無し。迷い無し。罪無し…これが生長の家の根本真理であります。それでは神様、唯今より眠らせて頂ききます。それでは神様、唯今より眠らせて頂ききます」

 小職が上司からお聞きしたことでありますが、相当のご高齢になれてからも、ブラジルへの伝道を希望しておられたといいます。
 また、次は代表者会議の時のことです。谷口恵美子先生から谷口雅春先生の御近況を話されたことを強烈な記憶として私の脳裏には残っております。
 ある時、谷口恵美子先生は雅春先生のおられる総本山にお見舞いに行かれたといいます。休んでおられる雅春先生のお部屋でお声がすると思って耳を澄ましていると、雅春先生は自分自身に向かって、「起き上がれ!」と叱咤激励されていた、と。

 私たちは、谷口雅春先生がご自分のエネルギーの最後の一滴まで人類のために捧げようとしておられるお姿をかいま見て、衝撃を感ぜずにはいられませんでした。
 谷口雅春先生、本当に有り難うございます。
 私の心は感謝の思いで溢れました。
 今日まで谷口雅春先生について来て良かった。人類光明化運動発進の宣言に書かれてある通りに、雅春先生は最後の最後まで、人類のために生き抜いておられるお姿をお聞きして、何とも言えない感動が会場内に渦巻いたのでした。

 限りなく愛深く、私たちをお導き下さいました谷口雅春先生に感謝の真心を捧げさせていただく為に、6月17日にはどうぞご参集下さい。ご都合でご参集できない方々もどうぞ、ご自宅にて感謝の聖経読誦をなさって頂きたく存じます。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう】

  2010/05/11のブログは、「口蹄疫は何を教える」です。宮崎県の口蹄疫のことをお書きになっておられます。さらに肉食の問題に言及しておられます。
 島根教区では明日、地方講師・光明実践委員研修会が行われる予定ですが、「肉食と世界平和」についての発表がなされる。できあがった資料を読んでみたが、今日のテーマに合った内容であり、非常によく書かれていた。地方講師の方々が、十二分にこの問題を知悉し、熟知して、総裁先生の御心を島根県全域の人々にお伝えできることを願っている。
http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は、雲南での先祖供養祭が行われた。とてもよい雰囲気になってきたと思う。雲南は信徒さんが非常に元気が出てきており、講習会が楽しみな地域の一つである。
 中内 英生

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May.15.2010「隠岐やさし 互いに祝う 誕生を」

May.15.2010「誕生会」

隠岐の島の誕生会です。神想観練習の前に行いました。お互いに祝福することは素晴らしいことです。

中内英生拝

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May.14.2010「もしも宮沢賢治が御教えに触れていたら」

Img888 May.14.2010「もしも宮沢賢治が御教えに触れていたら」
今日の詩::涼を呼ぶ スイカの季節 近づきぬ

 歴史に”もしも”はないが、賢治が37歳で没したのが昭和8年9月2日である。すでに昭和5年1月には神戸にて『生長の家』誌の無題進呈が始まっているので、御教えに触れる可能性は無かった訳ではないと考えられる。
  NHK番組『歴史秘話ヒストリア』(2010/05/12)では、宮沢賢治のことが特集されていた。
 賢治の有名な詩である「雨ニモ負ケズ…」という詩はサラリーマン時代の彼の心情を書いたものだという。発表した作品ではなく病没後、会社回りで使っていた鞄の中にあったノートに収められていた。教師や百姓をしていたが、最後にサラリーマンとして努力した。
「ほう・れん・そう」というが如く、報告、連絡、相談をこまめにやっていたらしい。その上司への連絡の葉書は117通にのぼる。
 賢治は土の改良に関しての専門家だったようだ。石灰に関して詳しかった。石灰の会社のサラリーマンであって、開発、営業などを熱心にこなしていた。その甲斐あって、工場は活気が出てきたようだ。
  http://www.geocities.jp/sybrma/200amenimomakezu.html
  http://www.youtube.com/watch?v=JaQHufacSOI
  http://www.voiceblog.jp/ted606/102684.html

 賢治は、ダイレクトメールを一ヶ月に5千通も出すほど熱心に販売を行っている。おそらく当時のことを考えるとほとんど手書きだろう。
 そして①キャッチ・コピーに腐心して売り出す。②商品の名前を炭酸石灰として、サイダーなどのタンサンカルシュームのイメージで売り出す。③役所からのお墨付きを取り付ける。等々作戦を実施しているのである。

 そのお陰で工場は出荷は10トンから25トンに増加して活気が出てきた。これは昭和の始めのころのことのようだ。
 賢治は仕事の合間にリラックスすることも忘れなかった。特にクラシックが好きで200枚以上のレコードを持っておりそれを聴いた。ベートーベンが散歩する姿を真似して、同じようなポーズで歩いている姿を写真に納めている。

「グスコーブドリの伝記」という童話を書いている。.これは命を捨ててまで、農民のために火山を爆発させて気温を温かくして作物を救うという設定のようである。賢治には農民に対してこれほどの思いがあったようだ。童話にしては少し長いが下記をクリックすると文章を読むことが出来る。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1924_14254.html

 当時の生まれ故郷の岩手は、酸性土のために作物が育ちにくく、貧しい農家が多かったという。彼の父親は質屋をしていた。ものを質に入れてわずかなお金を貸すという商売の後を継ぐことは賢治は出来なかった。当時は、貧しさ故に、自分の娘を売るという家もあったという。
 質屋稼業に反発した賢治は、家出をして上京する。そして童話作家を志したのだった。しかし、出版社は賢治の作品に見向きもしなかった。「ペンネンネン・ネネムの伝記」などという童話もある。

 妹さんの体調がよくないということで賢治は急遽、郷里岩手に帰った。そしてその後、教師の職を得るに至る。自分の生活は安定している。しかし貧しい農村の教え子たちとの違いに賢治の心は穏やかではなかった。そして教師を辞めて、農業を行うことになったのだった。
彼は、農民芸術といって農業の傍ら、青年を集めて芸術活動を行ってもいる。そして、最後にサラリーマンに転職したのだった。

 ある石灰の会社が行き詰まっていた。会社は、賢治が石灰のことについて詳しいということを聞きつけて入社を依頼した。それに賢治は応えたのだった。この仕事に賢治は生き甲斐を見出した。作品にその心境が反映しているようだ。

 前出の「グスコーブドリの伝記」にしても最初は、グスコーブドリが犠牲となって火山を爆発させ、作物が育ってお百姓さん達を救ったことに対して、みんなが喪に服する旗を立てたことになっていたのが、その部分が削除されている。この変化は、「たとえ認められなくても、人のためになればよい」という無我の心境に進んだからだと番組のコメンテーターは解釈していた。
 これで、「アメニモマケズ」の真意が理解できそうだ。これは一所懸命にサラリーマンを生きたからこそ、生まれた言葉であるとしている。

 彼は一度肺結核を患っていた。炭酸石灰の販売が頭打ちになった後に、彼は建築物の資材を研究して売り出している。それを営業するために、上京していた。彼の心は働く生き甲斐に満たされていたが、体力は限界に達していた。とうとう、昭和6年、賢治が上京して営業のために会社回りをしている道すがらで、急激な発熱と疲労感で倒れてしまう。しかし、最後まで責任を果たそうとするのだった。会社には注文が取れない報告をしている。
 熱はもどらず、花巻に帰らざるを得なかった。
彼は、病床の中でもう一度働きたいと願わずにはいられなかった。①書きかけていた童話を完成させたい。②農民の暮らしを助けたい。③自分を必要としている工場の人たちのために働きたい。この三つの思いに駆られた。そして東京で倒れてから2年後、昭和8年9月2日に37歳で永眠したのだった。かれは亡くなったがその純粋な魂はいまもなお人々を励まし、そして多くの人々を引きつけて止まない。

 そして、もしも宮沢賢治が生長の家の御教えに触れていたならば、昭和9年1月に谷口雅春先生は盛岡にお出でになっておられるのでその席にいたかも知れない。彼は、谷口雅春先生のお説きになる、『生命の実相』を拝読して人間神の子無病の真理を体得して、健康を回復し、素晴らしい童話の世界の偉業をさらに達成したのでは無かろうかと、夢のようなことを考えた次第である。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。 講習会は、平成22年11月28日です。新しい人をお誘いしましょう】
   2010/05/10のブログは「テロリストは特殊か?」です。拝読下さい。
http://www.masanobutaniguchi.com/

※今日は、午後1時半からの益田での誌友会のために電車で行った。途中の浜田で20~30分間、電車が止まって遅れたが、会場にはかなり前につくことが出来た。娘さんが母親教室に来ている人のお母さんが初めて参加しておられた。新人がお出でになると、質問がでるのでとても賑やかになる。すばらしい誌友会ができた。誌友会の関係者に心から感謝いたします。

 中内 英生

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May.13.2010「心の目を開いて見れば」

Img887 May.13.2010「心の目を開いて見れば」
今日の詩::休まずに 大木になるのも 一歩一歩

 今日で隠岐の島での行事が終わった。今日は天気は非常に良くて波もなく、順調に七類の港に着いた。予定通りにバスで松江駅に行き、電車で出雲に帰った。今日の午前中は先祖供養祭だったが午後は、十人ほど残り、神想観練習をしてほしいということで、招神歌や大調和の歌などの発声練習や、気合いの練習などを行いながら学習した。隠岐の島の信徒さんが、神想観をしっかりできるようになれば、これからさまざまな面での進歩があると思われる。また、来月からは、繁栄に関する集いも行うようにしたいということになったので、少しずつ輪が広がると考えられる。
http://www.town.okinoshima.shimane.jp/index.php

 会場はほとんど、隠岐文化会館だったが隣に図書館があるので初めて寄ってみた。そこでいろいろと隠岐の島の先史時代のことを学ぶことが出来た。目を開いてみれば、世界が開けるようである。タギで12万年前の石器が見つかったようにである。身近なところに世界的な発見がある。
 日時計日記にしても、日常の世界に驚くべき神の創造の御業の投影である真象を発見しては記録するという方式を私も学ばせていただくようになったので、おそらくそれがあるので今日の文章になっているのだと思う。要するに、「びっくりする心」が復活している。
http://www.town.okinoshima.shimane.jp/toshokan/beginner.html

 隠岐諸島は、島根半島の沖合約40~80キロに位置している。4つの有人島と180あまりの無人島から形成される。信徒さんがおられるのは、沖の島町である。
  隠岐はかつて文化交流の拠点だったようだ。旧石器時代から、石器や祭祀の道具として使われた隠岐の黒曜石がある。3万年前から日本列島のみならず、朝鮮半島やロシア沿岸まで運ばれたとパンフには書かれている。隠岐は古代から環日本海文化交流の拠点だったようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%9B%9C%E7%9F%B3

 希少性が高い生態がある。隠岐の生物たちは、島ゆえに独自の進化を遂げてきた。その中でもオキサンショウウオは、環境の変化に適応するために進化しており、その過程をみることができるとしている。その過程とは何かだが、それを調べる時間は無かった。
http://www.hkr.ne.jp/~rieokun/saramand/sansyouo/okisan.htm

 地質も興味深い。日本最古の石といわれる「隠岐片麻岩」を始めとする隠岐の岩石類は世界的にみても非常に貴重かつ多様であり、日本列島形成の足跡を見ることが出来るようだ。
http://kazematikaidou.gozaru.jp/map/pop-okihenmagan.htm
 
 植生も不可思議である。北方系・南方系・高山系・大陸系などさまざまな植物が共存しており、北方系のモミの木に南方系のナゴランが着生しているなど、他では見られない植生が見られる。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ginshiba/sedi.html

 隠岐はかつてユーラシア大陸の一部だったが、その大陸が分かれて日本海が誕生した。そして隠岐諸島誕生となるのだが、隠岐が有している資質、自然環境、歴史、文化などの地域資源は、世界的に見ても貴重であるので、2009年に、「日本ジオパーク」に認定されたという。
            http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF

 私の友人で生長の家の雑誌などに時々登場するが、ハエ博士として有名な人がいる。ある時、某海岸に連れて行って欲しいと言われたことがある。理由を聞くと、その海岸では、独自に進化した世界でそこしかいないというハエが生存しているのでそれを見に行くのだという。観る人が見ればさまざまな世界が展開するのだなあ、と驚いた記憶がよみがえった。

  こころの窓を開いてみれば、神様の真象が至る所に展開している。その光を見つけるために私たちの人生はあるのかも知れない。そしてそれを発見する時、私たちの脳内のミラーニューロンが反応して、同じように神の創造の御業を神の子として展開しようという思いと行動が出て来るのではなかろうかと推測する次第である。

  中内 英生

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May.12.2010「超人マラソン」

May.12.2010「超人マラソン」Img007
今日の詩::大根島 ボタンの花が どこまでも

 こんなマラソンがあることを知った。朝日新聞(2010/05/12)の「ひと」欄には関家良一さん(43)という方が紹介されていた。読んでみると何とまさにトライアスロンみたいな過酷レースである。内容を見てみると…。

 24時間や48時間でどれだけ走れるかを競う長時間走、100キロメートルを超える距離を走るという。この世界で関家さんは有名な日本人らしい。
彼は言う。「トコトコ続けていたら、だいぶ高いところまで来てしまった」と。

機械加工メーカーの技術者である。ダイエットのために25歳で走り始めた。神奈川県の相模原市の自宅から会社まで約5キロメートルの通勤マラソンである。
 24時間走の台湾での「東呉国際マラソン」は4連覇中で、自己ベストの274・884キロメートルだった。この距離は東海道新幹線で東京から浜松の先までに相当するという。ギリシャのアテネからスパルタ間を走る「スパルタスロン」(246キロ)では昨年で2度目の優勝をしたそうだ。

 レース中は走りながら紙コップでそうめんを流し込み、コース脇の椅子で数分だけ眠るという。すごいレースである。レースに戻れば、元通りにラップを刻む。若い頃に、自らを「特徴がなく、可もなく不可もない存在」だと思っていたが、現在は、「これほど正確に走れるのは世界に自分だけ」と。これをやり通すことによって、自信ができたのだった。

 彼は走りながら1月に生まれた長女のことを思った。そして仕事の悩みを解決するという。走るリズムの中で、答えが出てくるのだろう。大会に出られるのは家族と会社の理解があればこそと感謝するという。
「走るといつもシンプルな幸せに気づく。生きていて良かった、ありがとう」と。良いですね。感謝する走りは!

 現在の一番の希望は何か?「家族で海外旅行をする。ついでに24時間走での世界記録
(303、506キロ)の更新を目標にただ走るのだとのことである。
写真には、関家さんんが走っている颯爽たる姿が映っていた。

 もうひとつ書かせて頂きます。「電池」です。「電池を制する者は世界を制す」という言葉を聞いたことがありますが、世界各国がその開発に力を入れているようです。電気自動車やさまざまな分野で活用できるものです。オール電化だと火事の危険性がないとはいえ、そこに天ぷら油で揚げ物をしている場合など、別の要素が入ってくるでしょう。従って、「電気=安全」という考えは如何なものかと思います。

 リチウムイオン電池は日本が生ん蓄電池だそうです。日経新聞(2010/04/18)によりますと、リチウムイオン電池は、電極にリチウムを使う二次電池だそうです。蓄電容量は鉛電池の3~4倍あり、ハイブリッド車に使うニッケル水素電池と比べても約2倍あります。旭化成が1985年に世界で初めて開発に成功し、91年にソニーが商品化したとのことです。
 日本が生んだ蓄電池で、日本エコノミックセンターの調査によりますと、2008年度の企業別シェアでは、現時点では三洋やソニーなど日本企業が世界市場で6割以上を握っているようです。これまでの主な用途は携帯電話やパソコンなど持ち運び機器だったのが、太陽光発電の蓄電池は「定置用」と呼ばれまして、新たな市場の誕生として期待が高まっているとしています。
 私はD社のノートパソコンも約5年間使用していますが、電池はS社のを使用しているのです。それで一昨年には、その電池に不具合があるということで、S社の電池の入れ替えを無償で行うということになって、D社から私に電池取り替えの電話がかかってきました。リコールがあると数がすごいですので打撃を受けることがありますので、細心の注意を払う必要があるでしょう。
  日経新聞に書かれているのは、次世代送電網のことでした。蓄電池も一家に一台の時代がまもなくやってくるとしております。太陽光発電が各家庭で導入する時代ですので、余った電力を地域で融通しあうことができるようです。

 島根では、今年度には教化部会館での太陽光発電が設置される予定です。自宅の屋根には太陽光発電パネルこそ設置していませんが、太陽光はお湯を沸かしてくれるので、夏場はそれだけで家族数が十分に入浴できます。
 
 この新聞に紹介されている太陽光発電パネルの方式は、ノート型パソコン用電池を多数つないで作るそうです。太陽光発電でも色々な方式があるようです。

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。講習会は2010年11月28日です。】 

  2010/05/08のブログは、「「南泉斬猫」で4万人救う」です。門田隆将氏の著書『この命、義に捧ぐ』の内容について書いておられます。この本は、数日前に偶然今井書店で見ました。
 また、『生命の実相』頭注版第18巻(宗教問答篇)の第2章「南泉猫を斬る生活」のご解説を引用しておられます。
  また、『この命、義に捧ぐ』の本の中に出ている岡村寧次大将と谷口雅春先生との会見のことにも触れておられます。主人公の根本博中将の考えをと岡本大勝との意見の違いを紹介しておられます。
 生長の家のみ教えに触れておられた二人の軍人の意見が異なっていることに対して、読者に対してどちらに与するかというご質問をしておられます。必読の内容です。
   http://masanobutaniguchi.com/

※今日は講習会推進のために隠岐の島に来ている。夜は何もなかったのでパソコンをたたき、明日の準備をさせていただいた。いつかは隠岐の島から世界に向かって光明化運動・国際平和信仰運動を強力に発信できるようになる日が来ることを期待している。希望は実現の母である。

 中内 英生

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May.11.2010「アリス・イン・ワンダーランド」

Photo May.11.2010「アリス・イン・ワンダーランド」
今日の詩::緑茶はね 沸かして飲むと おいしいよ

 今日は夜に子供の付き添いで、「アリス・イン・ワンダーランドを観るためにユメタウンのTジョイへ行ってきた。まったくの偶然だろうか、映画館前でM氏とそのご家族にお会いした。家族サービスのようだった。このように一瞬の違いで会うか会わないかが決まる。これは何なのだろうかと考えずにはいられなかった。
  さて、内容だが…。
http://www.disney.co.jp/movies/alice/

 アリスは子供の頃から、同じ夢を見て眠れなくなるのだった。夢の中には、ウサギや笑う猫やさまざまな動物たちがいた。父親に尋ねた。「私おかしくなったの」父親、「おかしくなったようだね。偉い人はみんなそんなになるんだよ」と。この言葉でオリスは安心するのだった。
  十九歳になって、美しい娘に成長したアリスは、「裕福な男性」からのプロポーズに困惑し、その場を逃げ出した。沢山の人々の前でセレモニーのように求婚するのだった。
 広い庭では、何度も服を着たウサギを見かけていた。
逃げ出した時、再び目の前に現れたのは懐中時計を持った白ウサギだった。
その後を追って行くと、木の下に穴があった。中を見ていると突然、穴に転がり落ちた。
この落ちるシーンがすごかった。観客の方へはものが飛んでくるように3Dで創っているので、何度もぶつかるかも知れないと思った。アリスが辿り着いたのはワンダーランドと呼ばれる不思議な国だった。ここの住人である白ウサギたちが、アリスを呼び寄せたのだった。

 その時、ワンダーランドは独裁者、赤の女王が君臨する暗黒時代だった。
 実は赤の女王は白の女王の実の姉だった。
 権力を欲する赤の女王と決して生き物を殺さない決意の白の女王とが対照的に描かれていた。“預言の書”には、救世主が現れてこの暗黒時代を終わらせると書かれていた。
 そして、そこに描かれた救世主こそアリスだとしている。
 しかし、アリスそのものは、自分が救世主だとも、また彼らが求めるアリスだとは思っていなかった。
 アリスは自分ではワンダーランドの夢を見ていると信じていた。今までは夢から覚めるには抓ると目が覚めたのだったが、この時は抓っても目は覚めなかった。
 そして早く夢から現実に帰りたい一心だった。

 芋虫のアブソレムは、アリスを救世主アリスの偽者だと疑った。
 彼女も、幼い頃にワンダーランドで冒険を繰り広げていたことを、すっかり忘れていたのだった。
 それもその筈だが、子供の頃に同じ夢ばかりみていたのは、夢の世界に入り込んでいたからだった。
 アリスに対して、赤の女王が放った怪獣が襲いかかった。
 この怪獣はアリスの腕を傷つけた。
 しかし、後に怪獣が失った目玉をアリスが返してあげた時、怪獣はおとなしくなり、怪獣が守っていたヴォーパルの剣をアリスに渡すのだった。
 そして、怪獣はアリスの味方となってあちこちに案内するようになる。
アリスは怪獣の上に乗って移動した。

 アリスが救世主だと知った赤の女王は激怒して彼女を生け捕りにするよう命令を下した。
危機一髪で難を逃れたアリスは、消えたり現れたりするチェシャ猫の案内で、帽子屋のマッドハッターと出会ったのだった。マッドハッターは、ウサギなどといつもお茶会を開いていた。
 赤の女王に抵抗するマッドハッターは、アリスを連れてかつての統治者である白の女王のもとへと向かうのだった。
 アリスは、ドリンクを飲んで小さくなったり、クッキー?を食べて大きくなったりで、身体の大きさを調整していた。

 アリスが白の女王の所へ行く途中で、赤の女王の臣下ハートのジャックに襲撃されてしまう。
 アリスの身代わりとなって、マッドハッターはとらわれてしまった。
 アリスは危険を冒して統治者の証であるヴォーパルの剣を赤の女王から取り戻した。前出の怪獣がアリスに渡してくれたのだった。

剣を白の女王へ届けた。
 こうして白の女王のもとには、救世主が身に付ける鎧一式が揃ったのだった。
 あとは、アリスが救世主の運命を受け入れて、赤の女王が操るクリーチャーのジャバウォッキーを倒せば、平和が訪れることになっていた。最後にその運命を受け入れるのだった。
 「クリーチャーのジャバウォッキー」。この動物は一見、は虫類のようにも見えた。この世にはいない巨大な生物である。

 しかしその頃に、赤の女王の城にマッドハッターや白ウサギたちも囚われていた。
 生命の危機に瀕していたのだった。そこで運命の扉は開かれた。
 アリスは鎧をまとい、ヴォーバルの剣で、ジャバウォッキーと闘っている時、「六つの途方もないこと」を考えてそれを称えると勝てることになっていた。
 そして、一つ二つ三つと称え、最後の六つを称え終わると、アリスの最大の力が発揮されて、ジャバウォッキーを倒せたのだった。
 そして、ワンダーランドに平和が再び訪れた。
アリスは、帽子屋を好きになったのかも知れない。
 「ワンダーランドから現実界へは帰りたくない」との言葉も発していた。帽子屋もアリスを愛するようになっていたようだ。
 帽子屋は「ここにいればいいのに」というが、アリスは現実界へ帰って処理しなければならない問題があるので帰ると言う。
 それは裕福な男性からの求婚を断るためだった。
 アリスは帽子屋に「またここに来る」と言うが物語では帰ることはなかった。
 現実界に帰ったアリスは、木の下の穴からはい出していった。
 そして「裕福な男性」に結婚を断った。父親が海外貿易を計画していたのだが若くして亡くなったので、知人が会社を買い取っていた。
 その知人の会社に入り、貿易の仕事についた。
彼女はその会社で遠く中国との貿易などまで手がけようとする夢をもった。
船に乗り込んで出発するところでこの映画は終わった。
 私は次のようなことが印象に残った。
①怪獣と仲良しになったこと。
②アリスが人間的に成長していったこと。
③白の女王は殺さないことを主義としていたこと。
④アリスが父親の遺志を継いだこと。
⑤六つの呪文を称えることで困難を切り開いたこと。(ジャバウォッキーとの闘い)
⑥アリスが自分で考えてハッキリものを言う女の子だったこと。
 どういう訳か年齢の関係か、途中からとても感動したのだった。

 ⑤の呪文だが、これは私たちにとって、生長の家信徒行事要目を毎朝称えるのだが、それに相当する言葉の創化力のことだろうかと考えた。
 どうも言葉(呪文)を称えた時、自己本来の力を発揮できるようだ。聖経読誦の功徳を考えたい。

 以前、「ラビリンス」を観た時、怖いフクロウが身を変えて襲ってくるが、その相手に対して主人公が称えた呪文を思い出した。
 「私は今までさまざまな苦難を乗り越えてきた。そして、強靱な魂の力を獲得した。それ故に、お前がどんなに私を倒そうとしても、お前は私を決して倒すことはできない。お前は私の力には決して及ばない」と。主人公が断定の言葉を使うことに衝撃を覚えた。
 この言葉で魔王の魔力は完全に削がれて、フクロウの本性を現して逃げ出すのだった。祈り合いの神想観で、「私はすでに○○となりました」と断定の言葉で宣言していただくが、「それに相当する」と思った。
この時の主人公も女性だったが、彼女が弟だったか、赤ちゃんがうるさくて、「どこかに行ってしまったらいい」という迷いの言葉によって、フクロウに連れ去られたのを取り返すために迷宮ラビリンスへ乗り込んでいくというあらすじだったように記憶している。
 これも最初は彼女の言葉ミスにより困難を呼び寄せたのだったが、積極的な言葉の力の多用と渾身の努力によって見事に弟を取り返すことが出来たのだった。

 私たちも、例え当初は迷いの心によって一時的には困難な運命を引き寄せたとしても、日時計主義の言葉の創化力によって、運命を改善することができるという証ではなかろうかと考えられる。

※今日は、午後より母親教室出講講師勉強会で講話を一時間行わせていただいた。あと一時間は情報交換の座談会があった。とても良かった、と思う。

 中内 英生

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May.10.2010「フグの毒は彼自身のものか?」

Img012 May.10.2010「フグの毒は彼自身のものか?」
今日の詩::春過ぎて 百の花咲き 郷は初夏

 生物が持っている毒は大量に摂取すると毒にはなるが、微量の摂取は種類によっては薬にもなるという。上位ランキングは、ポツリヌストキシン、テタヌストキシン、ユイトトキシンで三位までである。その下にも沢山ある。「サイエンスゼロ」(2010/05/06土)「生物毒の正体に迫る」で観た。フグ毒は上位からいうと第10位だから最高の猛毒というわけではない。テトロドトキシンという。これはフグの肝臓にあるので、専門家はフグの肝臓だけを取り出して鍵をかけて管理し、処分する。

 長崎大学水産学部の荒川修さんがさまざまな実験をしていた。フグには天然の毒があるがなぜであるかということから研究をしていた。まず、本来のフグの毒ではなく他の生物が作ったのではないか、という疑問からである。
 調べていると、ボウシュウボラという魚にもテトロドトキシンという毒が見つかったという。この魚の体内からフグと同じ毒を持ったトゲモミジガイという貝が見つかった。そこで、フグ毒は外因性のもので餌生物から来るのではないか、という説が浮かんできた。
さらに調べていると、普通のバクテリアであるビブリオ・アルギソリティカスがフグ毒と同じテトロドトキシンという毒を作り出していることが分かったという。
 結論として、①ビブリオ菌が毒を作る。②ビブリオ菌をヒトデや貝が食べて体内に蓄える。③ヒトデや貝をフグが食べて濃縮される。④人間が食べると困ったことになる。…こういう図式が発見された。

 この研究の始まりは、毒のないフグを養殖して特産品にしたいという発想があったからだという。フグにとっては不幸な計画だが、人間にとっては都合がよいらしい。
 そういう計画の元で、毒のないフグを8000匹ほど育てたようだ。
 フグの場合は、フグ毒を投与しても大丈夫のようだ。毒が入ってきても、フグの体内にある、あるタンパク質?が合体して毒でなくなるらしい。

 さて、フグは自然界の中でできるだけ有毒なものを食べてため込みたいことが分かった。フグはテトロドトキシンという毒を食べると免疫力が高まり、生存率が高まることも分かったという。また、この毒はフグに対する精神的鎮静作用もあるようだ。毒がない場合は一緒にすると喧嘩をするらしい。毒を加えると落ち着くという。

 毒を持った天然のフグは水槽の下の方を泳ぐ。毒を持っていない養殖のフグは水槽の上の方を泳いでいる。そこでフグに毒を与えると下の方を泳ぐようになるらしい。毒を持ってないフグをどのようにして養殖するかだが、先に書いた貝やヒトデを食べさせないようにすれば良いのだ。私は今までの人生でどこかで一度だけ、一口食べたような気がするだけで食べたいという気は起こらないが、フグを好きな人にとっては絶妙な美味であるようだ。

 しかし、ここで気候変動による異変が報告されている。鹿児島県加計呂麻島というところのMさんという男性が登場した。彼はバラハタというおいしい魚を入手して味噌汁、さしみで食べた。突然体中から冷や汗がダーと出てきたという。下痢と嘔吐で寝たきりになった。シガテラ中毒になっていた。
 これは、ガンピエールディスカス・トキシカス?という微生物が出すところのシガトキシンという毒が原因で起こる中毒症だという。なぜ?

 東京大学アジア生物資源環境研究センターでの福代康夫教授によると、気候変動による異変だという。海草の表面に毒を生産する微生物が付着し、その海草を小生物が食べる。それを少し大きな生物が食べるという風な食物連鎖によって、毒の生物濃縮が起こり、それを人間が食べると強烈な中毒となるらしい。食べないのが一番安全なのだがそうはいかないだろう。
 温暖化によりさまざまな魚の生活域が北上している。そして食べ物も変わる。それによって予期しない出来事が起こる可能性が出てくるとしている。
 たとえば、かつて時々行ったことがある台湾の高雄ではデング熱という蚊が媒介するウィールス性の病気に最近悩まされるようになったとNHK番組で観たことがある。冬季は死んでいた蚊が温暖化により冬越えが可能になり、デング熱が発症しやすくなったからだとのことであった。同じように、気候変動は海の中にも異変を起こしているようだ。

 さてしかし、生物毒の利用法もあるという。眉間に皺ができる人はありませんか。ボツリヌス菌が作り出すボツリヌストキシンという生物毒がある。これは危険な毒だが、使用は眉間に限り昨年認可されたらしい。しかも猛毒なので使用はほんの超微量である。これを注射すると眉間に皺が寄らないようになる。映像で観たが針を刺している光景はちょっと怖かった。そんなことをしなくても、練成会に来て笑いの練習をすることで眉間の皺はなくなるのではないだろうか。

 現代医学のお陰で人々は長寿を保てるようになった。特に日本人女性の長寿は世界一である。しかし、寝たきりの人の割合も世界一だと聞いたがどうであろうか。私たちは、長寿にしても健康にしてもそれ自体が目的ではない筈である。、生き甲斐ある生活、喜びのある生活、人様のお役に立てる生活、人間のみならず全地球生命を喜ばせる生活をすることが本当の喜びであることを考えると、そちらの方の研究も怠らないようにする必要があろう。そのためには、私たちとご一緒に真理を学ぶことが早道ではないだろうか。

 以上、フグの毒についての研究をもとに様々な考察を重ねてきた。人間の場合は、毒性はなくても毒的な性格があるとき、よく調べてみると幼少時に愛によって育てられていない場合に、性格が暴力的になることが知られている。また、周囲の不安定な雰囲気を感じてそれを受信して何の理由もないのにイライラするようになることがある。逆に、周囲の人々の愛情のある言葉が自分の潜在意識に入ってそれが元になって素晴らしい能力を発揮することができるようになることもある。
 このように自分の思想だと思っていても外因性のものであることがある。
 胎教は母親を起点にして考えると母親によるよき言葉の注入であろう。生命学園や母親教室なども子供への真理のことばの注入と考えることもできるかも知れない。
 子供を起点に考えると、そのような真理の言葉を引きつける陰徳が子供の魂にはあったという考え方もできなくはないと考えられる。

 もっと深く考えると、第一因縁としての神様の心の中に描かれた、神様から注入された、神の子という実相の要因があるので、これが現象的には永い期間を通じて表現されることになる。先日教わったが、ミラー・ニューロンという他の生物の気持ちを理解できる脳細胞があるという。これは人間は本来四無量心を持ち合わせているという心の影として機能的にも現れたのかも知れない。

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。講習会は2010年11月28日です。】
2010/05/06のブログは、「人間は倫理的存在」です。ミラー・ニューロンやイエール大学の心理学教授、ポール・ブルーム博士の説で、「赤ちゃんには“生来の倫理感”がある」ということをご紹介しておられます。どうぞお読み下さい。
(先日、小職のブログで紹介したホモサピエンスとネアンデルタール人との混血の化石などはホモサピエンスの調和性を考える上での参考になるかも知れません。)
http://masanobutaniguchi.com/

※今日はお一人、個人指導があっただけで色々と雑務をこなしていた。このような日が少しはないと、十分な準備ができにくい。そういう意味で良い日だった。

 中内英生

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May.09.2010「ネアンデルタール人のゲノム解読」

Img010 May.09.2010「ネアンデルタール人のゲノム解読」
今日の詩::茶を注ぎ ちょっと一息 ついてみよう

 今日のテーマは、興味のない人にとってはあまり面白いものではありません。今からずっと昔のことだからです。しかも極めて科学的ですがほとんど推測です。でも私はとても興味があります。なぜ?それはよく分からないからです。分からないからこそ魅力があるのです。
 生長の家のみ教えでも魅力があるのは何度聞いてもよく分からないところがあるからなのです。それは実相の話です。人間でも人格が深くて、底が見えないような人物は周囲の人々を引きつけていきます。自分の足元が見えるようではいけません。従って、常に進歩するように努力を重ねることでありましょう。

 さて、日経新聞(2010/05/7)にはネアンデルタール人のことが書かれている。「悩んでいたある人物」のことではない。約3万年前に絶滅した旧人「ネアンデルタール人」のゲノム「全遺伝情報」を骨の化石から解読し、現生人類とわずかに混血していたとの研究結果をドイツのマックス・プランク研究所などの国際チームが7日付けのアメリカの科学誌
「サイエンス」に発表したという。今後、人らしさとは何か、絶滅と拡大の命運を分けた鍵は何だったかとの理解が進むとしている。

 数年前に、ヨーロッパでネアンデルタール人と我々ホモサピエンスとの混血と思われる頭蓋骨が発見されたとの記事があったことを思い出す。
 絶滅と拡大との命運は私の記憶だと、「情報伝達」であるとNHKでの番組で放映されていたと思う。「情報伝達」とは、喉の長さである。ネアンデルタール人は喉の長さが短いので音声の発声が非常に難しかったそうだ。道具などは色々と使用していたようだが、声を使っての情報伝達に遅れを取ったとしている。ホモサピエンスは喉の長さが長いのでさまざまな言語を操ることができたようだ。これは、堅いものを食べなくなり、横にほおばった顎が退化する。同時に、喉の部分に変化が起こり、のどが下に下がるようになる。そこで声を発することができるようになったらしい。これらは化石とさまざまな実験による推論であろう。

 今日のテーマは、アフリカから人類は発生したという一説が書かれていたので取り上げてみた。旧人と現生人類は数十万年前にアフリカで共通の祖先から枝分かれした近縁種で、ある時期に、地球上で共存していたとされると書かれている。この説は何度もお目にかかった。
 混血の有無は人類学上の論争の一つだという。これまでは無かったとする説が有力だったようだ。今回の研究では、両者のゲノムの比較で現生人類だけに特徴的な遺伝子も判明したという。現代では遺伝子の解明があるので、絶対的ではなくてもかなりな正確度なのだろう。
 研究チームは、クロアチアの洞窟で見つかった約4万年前の旧人女性3人の骨粉標本を分析して、ゲノム全体の約60パーセントを解読したようだ。
 昨年に、道の駅「キララ多伎」のあたりで12万年前と推測される石器が見つかったのを覚えておられますか?私は現地には行っていないが、おそらくどこかで人骨が見つかっても不思議ではない。

 一方でアフリカの南部と西部、フランス、中国、パプアニューギニアの現生人類5人のゲノムも解読された。
 旧人と比較した結果、枝分かれの地であるアフリカの人よりも、それ以外のゲノム配列に似ており、ゲノムの約1~4パーセントが旧人由来と推計している。

 次の情報が私にとっては非常に面白く感ずる。人類学では、共通祖先の一部がアフリカから欧州に渡り、旧人に進化した。欧州や西アジアで生活する一方、アフリカに残った共通祖先から現生人類が現れ、約7万~8万年前に中東に進出した。その後、欧州やアジア、米大陸などに広がったと考えれているという。欧州への進出は、太陽光を受けるために自らのメラニン色素を減少させつつだ。

 研究チームは、現生人類がアフリカを出て各地に広がる前の中東時代に、旧人と混血したと結論づけたようである。いずれにしろ、推論なのだが、雄大な推論ではないだろうか。それらを考えてみると、戦争でもアフリカで起こった奴隷制度でも親戚同士の争いということになる。「真相を知らざるを迷いという」と教示されている所以である。

 また、現生人類に特徴的な遺伝子として、精神や認知の発達、代謝、頭骨や胸郭の形成にかかわるものなどが見つかったとしている。

 もう一つ、ホモサピエンスとネアンデルタール人との関係は争いの関係であったと考えられていたのが、混血の存在の発見により、平和な状態を予測できるようである。篠田謙一氏の説明によると、「ネアンデルタール人は現生人類に最も近縁だとされている。一方、5万年前にアフリカで誕生した現生人類は、ほかの人類を絶滅させながら世界に広がったと考えられてきたという。今回の研究では、少数ながらも現生人類とネアンデルタール人との混血の存在が初めて確認されたようだ。すなはち調和した共存という意味だろうか。(また初めてとは遺伝子解析的にという意味であろうか?)

 また、(チンパンジーなどに比べて最近、現生人類に分かれた)ネアンデルタール人のゲノム解読の結果を利用すれば、遺伝学的にヒトを特徴付ける遺伝子が見つかる可能性が高まるとしている。(これはあくまで可能性であろう)。
 これまでは系統的な進化の道筋しか分からなかったが、少し詳しく分かった。しかし、今回の解読結果では、遺伝子を特定しきれていないという。
(しかし骨の化石からこれだけ分かるとはすごいことではないだろうか)。
 私はミロコンドリアの遺伝子情報からの分析も「サイエンスゼロ」で観たことがあるが、どこまで行っても人類は一人の母から現在の人類の人口にまで広がったとの結論だった。これも、誰も観たことはないので、推論であろうが、遺伝子解析からの推論はかなり説得力があるように思うのだが…。

 最後に、人類の進化に関する一般的な記述があったので、それを述べることにする。約700万年前にアフリカでチンパンジーとの共通祖先から枝分かれしたのが始まりである。
(かつて質問を受けたことがあるが、これは宇宙服という道具の進化であるので人間そのものの進化ではないので誤解無きように願います。) 
 まず、直立二足歩行をするようになったアウストラロピテクス属などの猿人が登場した。次に脳がより大きく、石器を使うホモ・エレクトスなどの原人が現れた。約180万年前頃にはアフリカを出て中国やインドネシアまで広がっている。一部は欧州に進出した。約20万年前に旧人のネアンデルタール人は現代人より脳が大きくて、がっしりとした体格で、毛皮をまとっていたとされる。しかし西アジアまで広がったが絶滅したのだった。一方、アフリカに残ったグループの中から、約20万年前頃、現生人類のホモ・サピエンスが出現し、世界に拡大したとされる。

 石器時代に二度にわたって日本列島に到達したグループが日本人のルーツだと聞いたことがある。はるか遠い時代、私たちの先祖は大自然の中で苦難を乗り越えながら生きてきたのであろう。それらの壮大なる人類の先祖に対して私は感謝の真心を以て礼拝させていただきます。

 今日は少し永くなりました。ご容赦ください。これで終わります。

※氷が溶けたら何になる?という問題がテストに出た時、あなたなら何と書きますか?「水になる」という答えが正しいが、ある子供は「春になる」と答えたという。残念ながら後者の答え方をした子供はバツになったという。これは子供時代を札幌で過ごしたという女性の体験だそうだ。朝日新聞(2010/02/20)の「天声人語」に掲載されていた。実にいい話ではないだろうか。
※今日は午前は相愛会の会議、午後は生教会の会議と学習会、夜は青年会の会議だった。今日に一日、まことにありがとうございました。感謝、感謝、感謝です。

 中内 英生

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May.08.2010「一行日記」

Photo May.08.2010「一行日記」
今日の詩::ハクチョウは 夢に向かって 羽ばたけり

 『仕事学のすすめ』というNHK番組があり、私にとってはそれがとても面白い。5月6日は、勝間和代さんが秋本康さんという最強のヒットメーカーという方にインタビューをしていた。何事も計画的にきちっと進める勝間さんと秋本さんとは性格は対照的だった。ここでは、秋本さんのアイデアや企画の源泉を探っていた。
 秋本さんは言った。「一日一個、面白いなと思うことを発見し、他人に話す」こと。これがアイデアの源泉である、と。
 要するにヒットを出す企画力は、気がついた「面白いな!」に付箋を貼ることである。たとえば、若い方と話していると、普通の日本語ではなるほど、と思ったら、「なるほど!」という。しかし、秋本さんが会った若い人は、「なるほどですね。ねるほどですね」と繰り返す。この日本語の使い方が面白い、といって付箋を貼るのだそうだ。

 次は、「毎日、一行日記をつけている」と。一日を一行で表現する。表現できる、また一行書きたくなる何かを今日一日、見つけることができたかどうか。そう思って、一所懸命に、一行書くために丁寧に一日を生きていく。これは大変重要な生き方だはないだろうか。
 私たちは日時計日記を毎日書いている。書くために、熱心に今日一日の間で良いところはないだろうかと、「よかったさがし」を行う。書くために生活しているといつの間にか、日時計主義が身についてしまうのだ。要するに、一生分の一日分を日時計主義で完璧に生き切ることができる。それを毎日続けることであるが、何と素晴らしい生き方であろうか、と思う。

 「良かった探し」、それは好奇心である。好奇心が秋本さんの原動力であるらしい。三点を提示した。
①企画は生み出すものではなく、気づくものである。
②毎日ひとつ、「面白い」を発見し他人に話せ。
③発想法を勉強するには、一行日記を書く。
 こんな感じのトークだっただろうか。一流の人物の発想はやはり一流の人物らしい発想を行っている。これらのことは、私たちにとっては既に御教えで教えられていることではあるが、実行しているかどうかで、結果が大いに異なると考えられる。

※「シリーズ世界遺産」(2010/05/07)というのがあるが、「カトリックの総本山」というテーマだった。世界遺産はできるだけ観るようにしている。せっかくNHKさんが録画してくれているのを観ないのは申し訳ないと思うからだ。視聴料も出している。さて、この番組では、サンピエトロ大聖堂という建物が建っていた。サンピトロとは、「聖ペテロ」と同じ意味だという。この地を掘っていると聖ペテロの墓が見つかったとしている。それでこの名前なのであろう。私が驚いたのは、ローマ帝国がキリスト教禁止のために伝道者聖ペテロを処刑したが、キリスト教の伝播をおさえることができなくなり、ついにローマ帝国の国教にまでなったことだ。キリスト教は、「汝の敵を愛せよ」という教えであり、聖ペテロを処刑したローマ帝国すら憎まずに愛したのであろう。当時の状況は、現代人である私たちが考えられないような治安の時代ではなかっただろうか。その時代に、敵を愛するとは何という大胆な教えの出現だったのだろう。
 「目には目を、歯には歯を」という教えが示されていたような当時の人たちにとってはキリストの愛の教えは驚きだったと思われる。最後に神の愛は国中へのキリスト教の伝播という形で勝利したのであった。

※長くなって申し訳ないが、もうひとつ書かせていただきます。「信仰とは結局粘り?」というテーマです。「学びのふるさと」という日経新聞(2010/05/07)には、有名な建築家の隈研吾さんがエッセイを書いていた。この方は建築に於いては実に素晴らしい人だが、彼なりの努力があることを私はその文章から読み取った。読者の皆様と共に、「信仰とは努力であり、粘りである」ことを学びたいと思う。
 「愛とは何であるかというと、愛そうする意志の努力である」とのお言葉もあるが、良い建築物を造る努力を怠らないことが何よりも重要な要素であるようだ。
 彼は神奈川県生まれである。55歳、NHK『プロフェッショナル』で観た記憶がある。「森舞台」で日本建築学会賞を受賞している。代表作に中国、万里の長城近くの「竹の家」や、東京・南青山の「根津美術館」などがあるようだ。彼のエッセイで私たちの信仰との共通的な心情を感じたのでご紹介したい。

 大学院2年生の時、研究室の教官だった原広司先生と学生6人で、サハラ砂漠に1ヶ月半の建築の調査旅行に行ったという。アルジェリアの首都のアルジェを出発して、コートジボワールのアビジャンまで行った。
(冗談だが、アルジェリアの隣がナイジェリアだが、私はこの国の名前を見ると、現象が”ナイ”ジェリアで実相が”アル”ジェリアかなと思ってしまう。コートジボワールはチョコレートの原料の原産地で有名だったと記憶している)
 調査旅行といっても、観光ガイドに出ているような有名な建築物を見て回るわけではない。砂漠の辺境に点在する集落、唯の民家を調査したという。現地語の通訳も満足につけられない中での交渉から始まる。家屋の寸法を測って図面化して回るということを100カ所以上で行ったらしい。

 ただの低所得者の住居にしか見えないが、原教官にはそこに、部族の大きな世界観や哲学、宇宙観みたいなものを考えていたようだった。この発想には感動したと隈氏は書いている。
 建築をやっていると、最初は小さな住居や倉庫の設計しかできない日々が続くことがあるが、その中にでも自分の思想を投影できる。その仕事が世界と繋がっていると考えると、楽しくなることを学んだという。
 私たちがインターネットの世界で、島根県教化部のホームページの写メール俳句やポスチングジョイで日時計主義の言葉を書き込む時、それは世界に繋がっており、全世界分のその分だけの光明化ができたと考えると嬉しくなるのと似ているかも知れない。
  旅行中は、ほとんど毎晩テントで野宿という生活だったらしい。冬のサハラ砂漠は氷点下に気温が下がるほど寒くて、あたりにはサソリや毒蛇もいた。生命の危機があるという状況がそうさせたのかも知れないが、原教官は普段話さない話をしてくれた。

 私も、先輩と一緒に色々と随行などをさせて頂いた折に、非日常的な出張という場でさまざまな考え方を教えていただいたことがある。故T元本部講師からほとばしり出る真理の言葉は珠玉の宝石、真珠のような輝きを持って私の心にしみこんできた。92歳まで、常に聖典と『甘露の法雨』を拝読し続けていた元本部講師の口から発せられる言葉は常に鮮烈だった。お亡くなりになった時、ご自宅にお経をあげさせていただくために訪問させていだいた。奥様から、「主人のもので何でも欲しいものがあれば言って下さい」と言われた。私は、「特にございません」と申し上げると、奥様は少し間を置いて、「そうだったわね。あなたは主人から教えてもらうことだけを願っていたものね」と言われた。私も「そうだった」と改めて自分が求めていたものを示されたように感じた。
 故T元本部講師から教えられた絶対的な総裁先生への中心帰一の信仰姿勢、たゆまざる求道、世界にみ教えを宣布しようとする強烈な伝道の情熱、これらの教えていただいた精神は、何ものにも代え難いものであると思っている。

 もとに帰ろう。原先生はその中で次のように言った。「建築っていうのは結局粘りなんだよ」と。
「粘りとは良いものを仕上げる努力を怠らないことである。この言葉は原先生が、丹下健三先生から聞いた言葉だというのである。
 隈さんにとってはショックだった。あの天才の丹下健三ですら自分の才能に一切甘えず、努力をしていたんだと、知った。
 社会に出る前のデザイナーは自分のセンスが通用するかを悩むという。しかし、デザインというのは才能ではなく、どこまでも執念をもって努力できるか、なのだと気がついた。隈氏にとってはその言葉が救いとなったらしい。

 デザインの仕事をする人は、自分のセンスに対するうぬぼれがあるし、うまくいかなかった時は、運が悪かったと、自分のせいにしないことが多々あるという。しかし、あの丹下健三氏ですら、「粘り」ということで、でデザインを自分の努力の問題に置き換えた。こういう姿勢を若い人に伝えたいと、隈氏は書いていた。

 要するに、常に勉強、常に努力、常に最高の仕事をするように細心の注意を払って相手が満足するように誠意を尽くす。考えてみるとそういう生き方をしている人にとってはそれほど難しいことではないのかも知れない。これが信仰生活というものだろう。

※今日は、午前中は聖使命会員・組織会員祝福感謝祭と派遣委員会、個人指導、夜は栄える会運営委員会があった。栄える会はまた2人会員が増えた。

 中内 英生

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May.07.2010「贈る言葉」

Photo May.07.2010「贈る言葉」
今日の詩::時折は 出雲の神に お参りを

 なかなか書くことができなかったがようやくネタ切れとなったので送別の歌について書きます。今日は少し柔らかいテーマなので心情に合わない人はカットしていただいて結構です。一般的な日本人の歌の世界をご紹介します。
 このテーマの原点は日経新聞(2010/02/20)なので卒業式が行われる時期の少し前の新聞です。従って時期はずれですがごかんべんください。テーマは「旅立つ君に幸せあれ」と書かれていました。まず、全体ランキングを見てみましょう。

1,贈る言葉(海援隊)759票、…この歌は私が某練成道場に勤務の時、最終日の昼食の時にみんなで歌ってその都度涙を流させていただいたことを記憶しています。赤の他人を神の子として実相を礼拝し、その人の幸せを祈る愛の心が自分にもあったという感動の涙でした。
http://www.youtube.com/watch?v=MvY-RsU3Iv0

2,乾杯(永渕剛)683票…元気が良くてみんなで歌うと楽しいです。なかなか良い歌です。
http://www.youtube.com/watch?v=upk6USdQFyM

3,世界に一つだけの花(smap)657票…個性の素晴らしさを信じる歌で、大好きな歌の一つです。ユーチューブは削除されており、検索不可です。

4,明日があるさ(ウルフルズ)609票…会社員の日々の悩みを前向きな発想で乗り切る、明るい曲のようです。坂本九さんが歌った原曲をカバーしているようです。そういわれてみると、九ちゃんが歌っていたように思いますが…。
http://pv6pvnewspv6pv.blog102.fc2.com/blog-entry-429.html

5,負けないで(zard)603票…この歌手のCDは一度購入したことがあります。夢を追いかけながらもくじけそうになる男性を応援する明るいアップテンポのラブソングのようです。
http://pv6pvnewspv6pv.blog102.fc2.com/blog-entry-235.html

6,なごり雪(イルカ)496票…イルカさんの歌は素朴で何とも言えない牧歌的な情緒を感じます。
http://www.youtube.com/watch?v=w2SiPR3vack

7,いい日旅立ち(山口百恵)496票…他の歌手も歌っており、またコマーシャルの歌にもなったようでして、CDを購入してよく聴きました。
http://www.youtube.com/watch?v=STb9hrassSs

 ついでに谷村新司さんの歌を一つ。谷村さんは昴がいいですね。
http://www.youtube.com/watch?v=wA2xcLLftFA

8,yell~エール(コブクロ)438票…コブクロは子供達がファンのようです。かなり若い世代ですので、私の年齢でもしこの歌手を知っていたら、かなりマニアではないでしょうか。私の自宅では、EXILEの歌が聞こえてくることが多いです。
 http://www.youtube.com/watch?v=Tm-IC_zXVKo

9,3月9日(レミオロメン)412票…春の新生活を迎えて、心強いバートナーへの感謝の生き方を見直す内容のバラードだそうです。。
  http://www.youtube.com/watch?v=_x7BSC2IU80

10、卒業写真(荒井由美)390票…学生時代のあこがれの人を思い起こし、今の生き方を見直す内容のバラードのようです。
  http://www.youtube.com/watch?v=QHX7AAA6KJc

11、I believe (絢香)370票…自分を信じ不安を乗り越えよと励ますバラードのようです。
  http://www.youtube.com/watch?v=qSobb9w_4JE&feature=related

12、あなたに会えてよかった(小泉今日子)369票…昔の別れを見つめ直し、相手への感謝を伝える歌だそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=BVZRFFu7VlQ

13、歩み(GReeeeN)359票…失敗も無駄にならないと励ます歌のようです。
   http://www.youtube.com/watch?v=M7VxY0kBVVE

14、さくら(独唱 森山直太朗)303票…森山良子さんの息子さんでしょうか。男性ですが声が実に美しいです。声に痺れてとうとうCDを購入した記憶があります。ユーチューブはまだ削除されていませんでした。
http://www.youtube.com/watch?v=gD5HER0xRlg&NR=1

15、遠く遠く(槇原敬之)…故郷の友を想いながら夢を目指すという歌だそうです。
  http://www.youtube.com/watch?v=Wikh3LXwgts

 以上ですが、年代で大分違いますねえ。私の年代(50代以上)は、贈る言葉、40代は、乾杯、30代は世界に一つだけの花、二十代は「3月9日」です。これらの歌についてこれる人はかなり心が若いですねえ。今日のブログは歌手の本人確認を含めて子供たちとの合作です。では、今日はこれでおわらせていただきます。お付き合いありがとうございました。感謝。ではお別れの言葉は、上記の中でお好きな歌をどうぞ!

 中内 英生

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May.06.2010「無構えの構え」

Photo May.06.2010「無構えの構え」
今日の詩::母の日に 絵手紙送る カーネーション

 昨日の羽生善治名人の第二回目と考えたが、どうも「無構えの構え」というテーマがぴったり来るように思ったのでテーマを変更した。実質的には「②」である。

 「オリジナルな差し手になり始めるのはいつ頃からか」という質問に対して、「早い時には10手目くらいからオリジナルになることはある」という。「しかし、セオリーが決まっているようだと、80手か90手くらいまで、かなり終わりまで考えたとおりにいくということはある」ようだ。これは、両者とも既にお互いに読み切っている状態だろう。要するに私たちは人生や仕事に於いて第一段階に於いてここまでは最低限到達しておかなければならないのだろうと考えられる。日々の聖典等の読じゅや神想観が必須である所以である。

 田中さんが質問した。「昔の武士同士がどちらから先に仕掛けるかとかいうように、本当の立ち会いの瞬間までお互いの呼吸を合わせているのですか。逆に言うと共同作業のように。」
 羽生さんの答えが私たちの参考になるだろう。「間合いがあるので、自分から何かをしようとすると、相手に技をかけられてしまうのです」と。要するに自分から攻撃してはいけないのですね。攻撃する者は攻撃される、です。動反動の法則です。無構えの構えが一番のようです。

 羽生さん「公式戦は予定調和でないことが必ず起こる。予定調和でないことが起こった時の方が名局になることが多いんです」と。これは私たちには十分に理解できることなのではないでしょうか。
 キリストの所に弟子が生まれつき盲目の人を連れて行った時のことである。弟子は、これは本人の罪が原因で起こった盲目ですか、それとも親の罪によって盲目となったのですか?と聞いた。
 するとキリストは言った。「神の御栄えの現れんがためなり」と。もし弟子が盲目の青年を連れてこなければ、聖書のこのエピソードによって多くの人々が信仰に導かれることはなかったであろう。
 練成会などでも、予定調和でない人が来ると、却って全体の信仰が喚起されて非常によい練成会になる傾向があるのではなかろうか。

 羽生さん曰く。「お互いに一手一手のところに、その人のアイデアがあったり、面白い個性であったり、そういうものが出てきたところで面白い将棋というものが生まれる。思い通りに行かない、そんな時にかえって「喜び」がある。(必ず乗り越えられる、という確信が背後にあるのでしょうか。要するに”太陽は常に輝いている”、というような確信が。) 

 「良かった名局はありますか?」との質問に対して、羽生さんは、「良かった名局などすぐ忘れるんです」と。要するに過去の対戦にまったくこだわっていないのだろう。心が全く過去に囚われていないということか。
「昔は良かった」と口癖のように言う人があるが、過去に囚われているのかもしれない。また、今を生きることを忘れているのかも知れない。
 どう攻めるか、というよりも受けの構えが自由自在でどうにでも行ける人が強いのではないだろうか、と田中氏はいう。これは他の世界でも通じる話だ。

 田中さんが水上勉氏の小説の話をした。それは精進料理の話だ。一年間、軽井沢で作り続けたという話。軽井沢で作る大根は大きくてみずみずしい。しかし、ある年には、不作だった。細くて辛い大根しかとれなかった。しかし、そこで考えた。大根おろしにしてみた。するととてもおいしかった。料理は素材が悪いのではなくて、それをどう受けるかということによって、生かせるものがある。素材を生かすためにこちらがどれだけしなやかに受け止めて料理するかである、と悟った。

 これは一番強い受け方であり、生き方だろう。私たちの家庭や、家族、そして会社、組織の人材、支部や第一線組織の会員など、考えようによってはどのようにでも受け取り、生かすことができるのではなかろうか。現代の少子化の問題でも、人はいないのではない。考え方が少子化になっているのに過ぎない。現在でも龍馬が住んでいた幕末よりもはるかに人口は多い筈だ。

 羽生さんは言う。「情報とか知識とかは、料理に於いては食材だと思う。それぞれのものではそれほど価値はない。しかし、人間がその知識なり情報なりを、どのように調理して、生かし、作り上げるか、ということで出来上がりは違うものになる」と。
  (要は生かそうという思いがあるかどうか、素材(失礼な表現で申し訳ないが)である相手の実相を礼拝し、讃嘆して無限力を引き出す。これが上に立つ者の常道でありましょう。それには、当然のことながら、『日時計日記』の毎日記載が必要ではないでしょうか。
 自分が受ける側に立つ時、自分の型というものがあるから破れる、無心になって形が無くなると壊れない。自由自在に相手を掴むことができる。
  
  将棋やトランプなどの違いを語っていた。将棋は全部表に情報を出している。麻雀は隠すし、トランプも隠すし、しかし将棋は持ち駒を隠さない。将棋は潔いとも言える。
 世界の情勢と将棋とを比べると、将棋は全部情報が出ているが、世界の情勢や特に軍関係はほとんど出ていないので比べようがない。
 将棋は全部自分の責任で、自分のせいなので、たまに負けると腹が立つことがある。全く責任転嫁ができないからだ。

 羽生さんは言う。”朝からずっと将棋をやっていて、「これでいいのかなあ」と思うことはある。今のルールになって400年間続いている。それでも分からないということは、それだけ精巧にできているので、まだまだ見つからない未知のものがあったりとか、自分が色々と表現する余地があるということだろう。”
 要するに、「将棋盤上で未知の自分と会いたい」ということのようだ。私たちの人生は”未見の自己”に出会うことこそ喜びの根源である。

 趣味は?との質問があった。特にない、のだと。「ぼんやりするのが好きです。何もない。それが一番良いんですよね。何の考えないのが一番良い」のだと。
 羽生さんの若い頃だが、何かに羽生さんの記事が出ていた。森の中にいるのが大好きだというのがあった。自然の中に自分を没入させる。何か同感できる思いがした。要するに、「人と自然の共存、大調和」である。(おわり)

※「ゲーテとの対話」(2010/04/28)という「世界遺産100」を見たが、死について彼が語った言葉が最後に紹介されていた。「私は生涯、平静でいられる。我々の精神は永遠で滅びることがないから、それは太陽と同じ事。沈んでいくように見えるだけで本当は決して沈まずに絶えず、輝き続けているのだから」。この場合の「精神」とは何を指すのか考えた。『生命の実相』第一巻総説編に書かれているような、個性生命の存続だろうか、それとも海からコップで海水を汲んだ場合が地上の肉体人間で、死はコップの水を海に戻すことであり、個性生命の存続の否定なのか、を。勿論、私たちは前者の個性生命の存続を信じているので、先祖供養を行うのである。

※芸術の根源は”自然”である、と言われている。「アールヌーボーの館」というのを「世界遺産100」(2010/05/06)で知った。タッセル邸を紹介していた。設計をウィクトール・オルタが行っている。すべてアールヌーボーの様式である。見事というほかはない。この中での、オルタの言葉が心に響いた。
「私が装飾要素として必要なのは花ではなく、茎だ。茎がしなやかに伸びていく動きが私が求めたものだ」と。従って建築された内装はほとんど直線ではなく蔓を伸ばしたような曲線である。自然界には直線はなく、すべて曲線である。直線を作ったのは人間であった。

※『疑似科学入門』(池内了著)という本があり、「ウソも方便か?」という先生のブログで紹介されていたので、木曜休日を利用して読了した。科学者の本であるが、色々と参考になることが書かれていた。自動車やパソコンなど、現代人の諸道具の使用による弊害なども書かれていた。これは私にとっては反省材料となった。また、「環境問題は存在しない」と環境問題解決を進めている人に対して批判している科学者は、聴くべき内容もあるが、「環境問題に責任を感じなくてもよいと安心させてくれるため支持されている側面も忘れてはならない」としている。(P191)。最後に、「謙虚だなあ」と感心したのは、「(前略)これまで言ってきたことをそのまま100パーセント信用しないで欲しいということになる。”クレタ島のウソつき”と同じく、”評論家の言うことは信用すべきではないと、評論家の池内が言った”、さてこれは真か偽か。それは読者の判断にお任せすることにしたい。」と書かれていた。(P193)。他にも参考になる文章が色々とあったが、これくらいにしておきたい。

 中内 英生            

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May.05.2010「羽生善治名人①」

Img880 May.05.2010「羽生善治名人①」
今日の詩::バーベキュー 我が家の宴 楽しいね
  今日は、子供の日だったので、家族で庭でバーベキューパーティーを行った。外の空気に触れながら食事をするだけでなんだか、楽しくなりました。

 NHKの「爆笑問題の日本の教養」(2010/05/04)では、羽生善治(よしはる)名人が登場していた。なかなかトークが楽しくて、生長の家の教義と共通するものがあるのかなと考えてしまった。私がキャッチしたテーマは、「無構えの構え」であった。
さて、その内容だが…確認してみたい。テレビの映像で観たい方は、オンデマンドで観ることが出来るらしい。多少、費用はかかるという。

 将棋会館でのインタビューだった。将棋部屋では、年配の方や子供さん方が将棋を指していた。飛燕の間という部屋に行った。
「本当の強さとは何か」という質問から始まった。羽生さんは通算タイトル75、歴代2位である。まず太田光氏が対戦した。羽生さんは王将と歩3つ、太田氏は全部の駒を持っていた。それですぐに太田氏は負けてしまった。こんなものだろうか。
 将棋の指し手は常に10の220乗ほどの可能性があるという。

「将棋に於いて自分が変わった瞬間はあるか」という質問があった。
全体を観る、広く見るということが必要なようだ。小学生の指し初めのころ、こうすれば将棋は詰むというコツが分かったという。(”思い全相に達せざるを迷いという”言葉があるので、全体を観る、というのは智恵なのであろう)

 名人に於ける判断力だが、色々と考えるのではなく、見た瞬間、「この手ではダメだ」とすぐに分かるようになるらしい。
 現代の将棋のコンピュータはアマチュアのトップクラスくらいの能力らしい。だから、現段階では人間がコンビュータに勝つことが出来る。
 人間とコンピュータとは全然思考回路が違う。人間の思考は、強くなればなるほど、沢山のことを考えなくなる。余計なことを排除して考えなくなる。
 しかし、コンピュータが強くなるプロセスは、どんどん計算量を増やして、例えば一秒間で10万手、それがダメなら、100万手、一億手という風に増やして勝っていくという方法である。それに対して人間は省略するという方法で強くなる。

 大山康晴名人の話が出た。(1923-1992)。通算タイトル獲得数は80、歴代1位である。小学生の頃に対戦していたらしい。大山名人にとっては孫のような羽生さんだったという。大山名人は、「何かただ将棋盤を見ているだけ。見ていてただ動かしている。あまり考えなくて、”こうかな”という感じ」だったらしい。だから、羽生さんとは勝ったり負けたりだったという。これは、何も大山名人にとっては、頑張る必要がない対戦だったから、と羽生さんは言う。

 田中光さんが質問した。「定跡通り打っておれば、名人にはなれないでしょ」と。
羽生名人「最近の将棋は今までの常識とか定跡とかを度外視したのがいっぱいでている。勝負師の坂田三吉さん(1870-1946)は、奇想天外な一手と言われた、「初手9四歩、端歩突き」という手を使って有名だったという。これはわざと、遅れ気味に行っておいて、相手の出方を見て作戦を決めるという考え方も良くある、という。
羽生さんは言う。「羽生流というものはない」と。
「どっちかというと、今まであったのに対して修正を加えるという方です。基本的には割合に、セオリーに忠実な方だと思っている。たまには突飛なことをやることもあるが…。」と。(”形から入って形を出る”、という言葉があるが、形とは今までその道で考え、活用してきた最上の方法なのであろう。それをまず体得してからその後、自分流が自ずから出て来る、これは今までよりより一層優れた方法である場合もある。そして、スポーツなどで最高を記録したケースの場合、今までにない考え方をしていることが多いと言われる。)

 羽生さんの場合は、「あんまり色がない。相手なりに、相手に合わせていく中で自分のカラーを出すというタイプ」のようだ。(それが、最強である秘訣かも知れない。禅の言葉に、向かわんと擬すれば即ち背く、とか機輪の転ずるところ、達者もなお迷う、などというのはその辺りの消息を語ったものではないだろうか。)
「混沌」の快適さについて話していた。「必ずその答えがないとか、答えが分からない場面がある。どっちを選んでいいか分からないとか、その混沌とした場面で何を選ぶかで初めて自分らしさが出る」という。その瞬間に、自分の今まで磨き抜いてきた個性が発揮される。これが快適でなくて何であろうか。これは我々の人生に於いても言えることではないだろうか。

 田中光さんは、「個性について学生から出し方が分からない」と言われることがあるらしい。学生は自分には個性がないと思っている。個性とは勝手にでるもので、持とうとして持てる者ではない、と田中さんは考える。

 羽生さんは言う。「私の指し手はほとんど定跡です。ほとんどみんなと同じです。ほんの一瞬だけ、混沌の世界に入った時、解決のためにそこに現れるのが自分流です。個性です。」と。
しかし、それくらいに構えていること自体が本筋なのかも知れない。
 その時、個性として何が出てくるのだろうか。それは、潜在意識だろうか?羽生さんは、別の番組「プロフェッショナル」で、「玲瓏」ということをよく思い浮かべると言っていた。これは、断定はできないが、考えようによっては、「実相」的な用語と考えられないこともない。温度設定を、「玲瓏」に置くと、あとは自動運転で潜在意識が、「玲瓏」的な成果を生み出すように自分の思考回路を誘導していくのかも知れない。

 私たちが、現象的にもよく聖典等を拝読しつつ運動面でもよく学習し、神想観によって現象無しの世界を通過してさらに実在の世界に穿ち入る。そこから勝方便を湧出せしめて、現象界に於いて随所に主となるというような方式、に似たものを感じた。

 自分の一手がオリジナルかどうかというのは、基本的なものを全部押さえないと、これが本当に今まで全く無かったものか、それを踏まえた上で、オリジナルな自分なりの一手を打つという。
 これは、私たちの運動の上でもすべてを熟知することは難しいにしても、御教えと運動の全てを熟知し周知徹底しようという努力だけは決して怠らないようにすることが大切だと教えてくれているのでは無かろうか。
 全てを知った上での一手を打つ。この考えは必要だ。グーグルの考え方で「人類の全ての気持ちを神の如く知った上で判断を下す、という考えがある。これに近いものではなかろうか。
 島根的に言わせていただくと、世界の動きの全体情報を全て知った上で、今与えられている島根の運動を忠実に実行していく。そのことを行う要があろう。羽生さんの言葉は積極的な暗示に満たされている。混沌の中でこそ、真実の自分の個性を発揮できる、とは日時計主義ではないだろうか。

 今日のテーマは、一回では終わりそうにないので、今日はこれで終了します。あまり長くなると時々、苦情が寄せられることがありますので…。

※今日はこどもの日だった。こどもの日は、従来は端午の節句だが男の子だけを祝うことに反対があった関係上、現在では、国民の祝日に関する法律に於いて、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことになっている。男の子だけを祝うことに反対して、男女区別無く祝う日になっているのだが、母に感謝するだけで父にも感謝するという内容になっていないのには、何らかの経緯があるとは思われるが、調べてみたが理由が見つからなかった。どなたかご存じの人はいらっしゃますか。

※ポスティングジョイの俳句コミュニティで俳句を募集しているようです。ご確認下さい。締め切りは5月10日のようです。このブログを読んで下さっている皆様、投稿をご検討下さい。みんなで俳句コーナーを盛り上げて参りましょう。
http://postingjoy.com/communities/19

http://postingjoy.com/communities/19/events/show/96

中内 英生

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May.04.2010「個人的目標と生長の家の目標のバランス」

Photo_2 May.04.2010「個人的目標と生長の家の目標のバランス」
今日の詩::木造で 人と自然の 大調和

 5月3日の青年会全国大会では自分の目標を「世界平和」に設定したという発表が複数あり、感動した。若い年代の人々が長い人生を考える時に、その目標を大きな目標と自分個人の具体的な目標との両方の設定が必要なように考えられる。
 世界平和への貢献で考えてみると、そもそも生長の家の国際平和信仰運動とは、世界平和に目標を設定するという大きな目標がある。それを自分の目標として置き換えることは大切だが、もう一つ、自分自身は何に於いて貢献できるかということを吟味し、その個別的目標を掲げて前進すべきなのだろう。

 例えば語学でも「TOEICで○○○点以上取ろう」とかいうのでもこれが自分だけの目標であったのならば、分かりやすい面があるが、それを達成した時には喜びがあっても永続的な喜びが得られるのは難しいと考える。
 個人的目標達成は必要であるが、それだけになると目標達成のために自分があるようになってしまい、目標信仰という生活になり、神様の御心を生きる信仰者としての喜びではなくなってしまう危険性も考えられる。

 その中で5月3日の青年会全国大会で「世界平和」を人生の目標に置きたいとする青年の出現は時代背景もさることながら、大変頼もしく聞こえました。そして具体的に海外で医療事務をとか、いう具体的なものの発表もあり素晴らしく思えた。

 そもそも人類光明化運動そのものが、「光明化運動発進の宣言」にもありますように、「自分はいま生長の火をかざして人類の前に立つ。起たざるを得なくなったのである。友よ助けよ。同志よ吾れに投ぜよ。人類は今危機に瀕している。生活苦が色々の形で押し寄せて人類は将に波にさらわれて覆没しようとしている小舟の如き観はないか。(後略)」、という創始者谷口雅春先生の人類救済のご悲願の上に立てられたものです。 
 先生の御著書の数を考えてみると理解できますように、人々を救わずにおれない、救わずにはおかないという愛の御実践の連続です。

 時代の流れの中で大変な時期はあったようですが、光明化運動の流れの中で一番人類を愛され、人類から感謝されたのは谷口雅春先生ご自身ではなかったかと思います。
 生長の家の目標そのものが谷口雅春先生の具体的目標だったのではなかと思います。
従って、私たちも「世界平和」を目標にするならば、自分はその中で何をもって貢献するかと言うことを考えて、その能力の取得を目標に据えるならば、全体目標と自己の目標とがバランス良く整えられて、素晴らしい人生になっていくのではないかと思います。

 谷口雅春先生は、「(前略)自分の持っている限りの火で人類を救わねばならない。自分の火は小さくとも人類の行くべき道を照らさずには置かないだろう。此の火は天上から天降った生長の火である。火だ!自分に触れよ。自分は必ず触れる者に火を点ずる。生長の火を彼に移す。(後略)」とお書きになっておられます。

 生長の火を神様から受け取られた谷口雅春先生にとりましては、その火を全人類に移すことこそ最大のご使命でありました。
 谷口雅春先生から谷口清超先生へ、そして谷口雅宣先生へと法燈が継承され、私たちは総裁谷口雅宣先生の御心を全人類にお伝えすることが、私たちに与えられた使命であると拝察申し上げる次第であります。

 その中で自分に与えられた場所で、人類に愛と智恵を与える時、私たちは身近に接する人々から感謝の言葉を受けることができ、それが永続的な幸福感となります。それが生き甲斐となるのです。
 多くの人々から感謝されるためには、自分がそれなりの救済能力を持っていなければなりません。また、その能力を常に磨かなければならないでしょう。人が困っている時に、その人を助けられる能力が必要です。日々、自分を磨く継続的な努力が求められます。

 自分の努力が人の幸せに繋がるということが大切です。そうしないと、無駄な努力となり、自分の幸福感になって帰ってきません。仕事をしておられる人ならば、その喜びが別の形となって帰ってくることもあるでしょう。それは感謝の循環の世界です。
 他人に対する貢献と、他人からの感謝、この循環で地上天国が実現するのではないでしょうか。地上天国とは、物質としての動かない施設ではなく、ソフト面に於いて、与え合い、感謝しあいの世界です。

 この循環の流れが安定する時、それは一般社会においては、人々の生活の安定であり、社会の安定であり、人々から感謝される人生、社会となるでしょう。個人の目的は一見、利己的であるように見えるかも知れません。しかし、その利己的な希望実現を世界平和や人々の幸福や、地球環境破壊の防止運動などにからめて行く時に、全体目的と自己の具体的目的のバランスがとれていくように思います。

 以前に、倉敷の大原美術館を訪れたことがありましたが、創立者の大原さんは、ご自分の会社の経営の傍らに、多くの公的事業に尽くされたそうです。その一つが、日本に西洋画を紹介するという公的色彩のある事業でした。それが現代の日本洋画の流れの基礎となっているようです。
 永続的に残っていくのは、公的な色彩を帯びた事業です。
 私たちは、それらの公的事業に人生の時間を捧げるとともに、それを実現するために自分的には何を以て貢献できるかを考えてそれを目標とする。そうすることによって、毎日の時間を有効に有意義に活用できるに違いありません。
 当然、モチベーションが持続できるのです。

【日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。 講習会は、平成22年11月28日です。一人でも多くの人をお誘いしましょう。→ http://www.masanobutaniguchi.com/ 】

  2010/05/04のブログは、「幹部研鑽会と全国大会終わる」です。青年会全国大会の増加について注目しておられます。また、私は最終段落の御文章に感動いたしました。みなさま、どうぞ拝読下さい。

※産経新聞(2010/05/02)の「主張」欄には、ギリシャ危機の発端のことが書かれている。ギリシャ危機が深刻化した背景には4月27日、米国の格付け会社がギリシャの国債の格付けを「投資不適格」に下げたことがある、としている。これによって、ギリシャは在世赤字を埋めるための国債発行が難しくなったようだ。これは言葉の力である。格付け会社のコメントの背景には当然裏付けがあるとは思われるが、「格付けに於ける断定」のその後の経済の動きはその言葉の通りになっていくのではなかろうか。
 それ故にこそ、私たちは『日時計日記』で私たちと世界は常に神の喜びが満ち満ちていることを断定しようではありませんか。必ず断定した通りになるのでありましょう。

 中内 英生

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May.03.2010「リスク管理」

Photo May.03.2010「リスク管理」
今日の詩::子供らが おやつを食べる 笑顔かな

 リスクとは「危険」という意味がある。リスクは管理できるかというとある程度管理できることになる。
 しかし、自然災害が管理できるかというと、上手に地球の皺(プレート)の揺り戻しと付き合うという考え方がここでいうリスク管理であろう。
 タンスが倒れてもよいようにタンスにつっかい棒をするとか、都会で余り高いビルを建てないとか、いろいと考えられる。高い建物は、長い周波の揺れに弱いからだ。
 また、メキシコの都市地震も地面は先住民から奪った沼地にビルを建て続けたことに原因があったとされる。
 それらは後で気がつくのだが、実際に建設し、まだ地震が起こっていない時には経済効果を優先するのでリスクには目が行かないのが現在までの歴史の繰り返しなのかも知れない。
  現在進行中だが、米南部ルイジアナ州沖のメキシコ湾の原油掘削基地での原油流出にしても最大の自然破壊の恐れが懸念されているようだ。原油とは、数億年前の大自然のタイム・カプセルでもある。事故後の処理と対応の迅速さが必須だが、化石燃料にはどうしてもこのようなリスクが伴う。「地球」観世音菩薩様が何かを教えて下さっているのだと考えられないだろうか。
 今こそリスクを伴わない燃料の使用を早期に拡大すべきなのだろう。太陽光発電や電気自動車などの環境技術はすでに確立されてるのだから。

 リスク管理の基本は何なのだろうか。御教えから考えると、「自己処罰の観念の消滅による」潜在意識の支配であろうか。『生命の実相』第一巻に収録されている話に、工場が焼失する前に、「ふと思いつき」、火災保険に入っていたり、子供に寝間着に着替えさせず、昼間着のまま寝かしつけていたり、火災が起こることは心の世界でできあがっていたとしても、それに対して準備ができていたということはリスク管理ではないかと思う。
 このような災害から会社が衰退するようになることはあり得ることだ。
世界歴史で見ると、ポルトガルは大航海時代に於いて、世界を支配していたような時代があった。しかし、ポルトガル本国に於いて都市を巨大地震が襲った。
 それからポルトガルは急激に衰退することとなる。この場合は、陰徳の喪失ということも考える必要があるかも知れない。

 自分の能力向上に於いても、組織の成績にしても、会社の拡大にしても物事には「定石」というものがあるので、それを踏まえて計画し実施すべきだろう。
 有名なイチロー選手にしても基礎的な準備練習は決して欠かさないと聞いた。それが終わらないと次の行動を起こさない。たとえ遅刻してでも、だそうだ。
 私たちはそこまで出来るかどうかは分からないが、「準備することもヒットを打てない」というリスク軽減には役立つだろう。 
 
 一般的な話で恐縮だがお年を召した人は、自宅での転倒で骨折することが多いとされる。外出は自分で注意するので却ってケガをなさらないのであろう。
 ある本で、室内での転倒のリスクを防ぐ方法が書かれていた。
 それは寝る前に足首をよく動かして柔らかくする体操をするのだそうだ。なぜ寝る前かというと、この時間に運動すると習慣化するからだろう。
 足首が柔らかいと転倒を防ぐことが出来るようだ。何事もかたくなった時、組織でも硬直化した時、自分の運命でも心が硬直化した時、転倒する危険性が出てくるとする。
 それ故に、心を柔らかくすることが必要だ。心理学で対称性と非対称性の考え方があるが、「相手と自分は違う」と考えると心が相手に対して構えてしまう。要するに心が硬くなってしまう。
 「相手と自分は同じ」だと思うと相手と調和する。それ故に、「大調和の神示」の実践こそ、心が柔らかくなり、リスクを最小限にし、向かってくる運命に於いて、自由自在に問題に対処することが出来るというものであろう。

 「潜在意識内の硬直化を如何にして防ぐか?」。それは、この世界には神様の善意が満ちているということを心の底から信じる以外にはないだろう。「神が創られた世界に不完全はない」ということを信じることが出来るようになるのにはどうすればよいのであろうか。それは、形に現れた世界に神の善意を見出し、確認し、表現し、感謝することだ。
 現在、進行中の『日時計日記』記載の運動は、人生や組織に於けるリスクを最高域に於いて管理する方法ではないだろうか。

※今日は、青年会全国大会だった。複数の人の体験談で、「世界平和実現」を人生の目的とするという発表があった。昔は、国を愛する運動のために青年が立ち上がるという時代があった。それは私のような年齢の者が経てきた時代である。
 しかし、グローバル化した現代に於いては、日本だけが幸福になっても、本当には安定することが出来ないということが分かってる。他の国の幸福が自国の幸福に繋がるという訳である。
国際平和信仰運動が進行する現在に於いて、上記のように「世界平和」をご自分の人生の目的にするような青年が出現して来たということは何と尊いことであろう、と感動した。

※夜は、九時前に自宅に着いた。大変充実した三日間だった。今回、宿泊させていただいたホテルの近くに、「飯屋」とでもいうべきお店があった。三日間、夜は自分の家の食事と同じようなメニューであったことがうれしい。このことは、「日時計日記」には既に書き込んだ。

 中内 英生  

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May.02.2010「児島虎次郎」

Photo_2 May.02.2010「児島虎次郎」
今日の詩::各駅で ゆっくり走る いなか電

 倉敷の大原美術館の玄関には児島虎次郎の作品が展示されている。別の館には児島虎次郎記念館がありそこにさまざまな彼の作品があるという。原画はまだ見ていないが「里の水車」という1907年の作品があるようだ。写真で見ると見事な作品である。当時の社会のありようを捉えた虎次郎の出世作である。
http://www.ohara.or.jp/200707/jp/1_web/2/exh/009.html

 また、1908年(明治41年)からの滞欧期に描かれた光に満ちた作品群は、同時代の日本洋画の貴重な達成として高い評価を受けているとしている。さらにその後は、中国・朝鮮からの影響も加えた独自の画境を開ていった。
http://www.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/person/torajiro/TORAJIRO.HTM

 虎次郎は1881年(明治14)に現在の岡山県成羽町に生まれた。東京美術学校入学の頃から大原孫三郎に経済的な援助を受けるようになるが、その間柄は親友と呼ぶべきものだったとしている。
 1907(明治40)年東京府勧業博覧会美術展での一等賞を契機に孫三郎の勧めで5年間の渡欧を果たしました。虎次郎は、以後日本を代表する洋画家として活躍する。同時に孫三郎が様々な社会貢献事業の事業の一つとして、虎次郎の発案で始められたのが西欧絵画の収集だった。そのコレクションが大原美術館の基礎となる。
 http://manabow.com/pioneer/ohara/index.html

 大原美術館は古い建物でいかにも美術館らしい。床は多くの人が歩いた摩耗の後があり歴史を感じさせられる。有名なエル・グレコの受胎告知ではガブリエル神の出現と告知に対して、マリアは自分に与えられた、イエスキリストを受胎するという使命に対して、右手を立てて告知に応えるというジェスチャーとなっている。『そうか、何かのご使命を引き受ける時は、右手を立てて、「イエス」といわなければならないのか』、と妙に感動した。
http://www.ohara.or.jp/200707/jp/1_web/1/exh/003.html

 大原美術館は、そのほか、ポール・ゴーギャンの「かぐわしき大地」やピカソの絵、モネ、マティスなどさまざまな名画が掲示されている。この画廊は孫三郎氏の社会貢献の一つの形式だが、無我無私の精神で社会に与えたものだけが残っていくことをも教えてくれているのではないだろうか。

 ポール・ゴーギャンは色々と物語として語るに足る人物のようだ。また、ピカソは自分の画風が完成するとそれを破壊し、次に別の手法にチャレンジする。そしてそれが完成するとまた壊し、また別の画法に挑戦する。その繰り返しの絵描き人生だったようだ。それは裏返すと、ものすごく創造力があるということである。自分の型を常に打ち破ることができるということだろう。

 生長の家の御教えが、時代応現の新たな真理を総裁先生によって説かれるということは、レベル的にも内容的にもピカソとはまったく違うが、ものすごい創造力があるということであろう。

 今日は、読売ホールで相愛会・栄える会合同の全国幹部研鑽会が行われ出席させていただいた。大変素晴らしい研鑽会だった。

 中内 英生

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May.01.2010「言語媒体」

Photo May.01.2010「言語媒体」
今日の詩::サヤエンドウ 植えし畑で 子らが採る

 5月に入った。五月は生長の家にとっては白鳩会、相愛会・栄える会合同、の全国幹部研鑽会や青年会全国大会が行われる重要な月である。今日は、白鳩会全国幹部研鑽会に参加させていただいた。総裁先生のお説きになる御講義を拝聴しメモりながら、この内容のご教示は、もしも私が生長の家に入信していなかったら永遠にお聞きすることができなかっただろうと思った。心から感動した。

 もう一つ、歴史的に重要なことが起ころうとしている。それは電子書籍である。朝日新聞(2010/04/29)には、青山学院大の福島伸一教授が五月末の日本発売を待ちきれず、友人に頼んで、アメリカからアップル社のipadを買ってきてもらったことが書かれている。これから生まれてくる世代にとっては、第一言語となるとしている。人が地球上に出現しておよそ700万年、その中で紙を使って手触り感がもてる言語情報媒体の時代が数千年間があった。その時代が確実に終わるとしている。既にアマゾンキンドルでは電子書籍を読むことが出来るが、それ以上のものらしい。
 私は小型の電子書籍用のipadではなく、音楽と動画が主体のipodを現在は持っている。たかが道具ということなかれ、である。これらの道具を駆使して光明化運動を展開しなければならない時代が来ている。確実に変わってくるのが5月末からであろう。このグッヅはもっと早く発売できる筈だったが、アメリカで需要に対しての生産が追いつかず、日本の発売がずれ込んだという。

 今日お聞きした、N教区のホームページを活用しての壮年層の活動には驚いた。しかし、現代はそれらを教区レベルで行うことが要請されているのではなかろうか。一般社会の他団体では色々と行っているように思う。島根に帰ってから皆さんと話し合い協力し合って、今までのやり方を反省しつつもっと有効な方法を編み出して行かなければならないと思った。

 もう一つ別件をご紹介しておきたい。同じく朝日新聞(2010/04/29)に紹介されている「起業した”難病東大生”」のNさんという26歳の女性のことである。決して自分の弱点を理由にしない生き方が素晴らしいと思った。内容をご紹介する。

 20歳の時に脳や神経を包むサヤが壊れていく難病の多発性硬化症と告げられたという。生長の家的にいうと、実相は完全で無病であり、感謝の心でご先祖供養や天地万物への感謝をしましょう、ということのなるだろうが、この人は生長の家に触れられた訳ではない。
 弁護士になりたくて、東大文学部から再受験して法学部に入ったばかりだった。「なんで私なの」と悔しくてお泣きになったという。
 症状や進行は個人差が大きいらしい。足が痺れるようになった。視野が狭くなる。突然の脱力感。そんな症状が出る度に2週間ほどステロイドの点滴をして押さえてきたという。ステロイドは長期間使用すると身体に変調を来すといわれる強い薬である。
 一方で、在学中から携帯サイトの運営に関わり、2008年には学生のビジネスコンテストで優勝した。それにしてもこの人はすごい人なのですね。昨年は、「難病東大生」という本さえ出版したらしい。故郷の徳島県を活性化するアイデアを学生から募集するコンテストを企画して、知事に直談判して実現したという。
 IT系の起業家と結婚なさった。「行動力も人脈もあるのに、自分の病気を治すためになんにもしていないね」とご主人に言われた。ハッと気づいた。「どうせ治らない」と自分は病気から逃げている!、と反省した。
 会社を設立した。大学を出た今春は、広告収入の一部を難病治療の研究に寄付する検索サイトの立ち上げに力を入れているという。
 彼女の病気にストレスは禁物だが、仕事に追われて睡眠が満足にとれないことがあるらしい。「今やらなくて、いつやれるんだ、という気持ちが強くて」とのことだ。午前三時までカラオケで騒ぐこともある、と書かれている。
 午前三時の時間は、私の場合は、時々「本日のパソコン終了の祈り」の時間となることもある。
 「病気だからできない、という思いこみの壁を壊し、難病のイメージを変えたい」と、考えつつ行動しているという。自分の中にも、壁があることを感じながら決してあきらめない、とのことである。
 「すごい女性だ」と思う。行動力では勝間和代さんのようではないだろうか。私たちも決して自己の弱みと思えることを、「やらなくてはならないご使命の出来ない理由」にしてはならないのだろう。谷口雅春先生が、昭和4年12月に、光明化運動に立ち上がられてご執筆を始められた時のことが書かれた御文章を私は思い出していた。

※今日は、素晴らしい一日でした。感謝いたします。

 中内 英生

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April.30.2010「娘の嫁ぐ幸せを祈る」

Photo April.30.2010「娘の嫁ぐ幸せを祈る」
今日の詩::伝え来し 江戸の昔の 菓子作り

 娘の幸福を願わない親はいないだろう。竹内マリアさんの歌に、娘さんが嫁ぐのを送り出す母親の心を唱った歌がある。
 また、朝日新聞(2010/04/30)の第一面には、「くぐって知る親心」という小見出しがあった。新婦がのれんをくぐる写真が掲載されている。

 石川県の能登地方に旧加賀藩時代から伝わる婚礼道具「花嫁のれん」を展示する催しが4月29日に、七尾市の一本杉通りで始まったという。5月9日までだ。朝日新聞のここにある囲み記事は稲佐の浜の神迎えなども紹介していた欄で、伝統を重んずる気風を後押ししているようにも見える。

 七尾はパソコンのディスプレーの製造で国際的に有名な「ナナオ」や、戦国時代に出た長谷川等伯がいる。生長の家の初期の時代に谷口雅春先生がお出でになられたのも七尾である。小さな街だが古来、非常に優秀は人が出ていることを考えると伝統を重んじる風習とは無縁ではないかも知れない。料金が非常に高く、日本一人気が高い加賀屋もここにある。

 嫁ぐ娘の幸せを祈って親が持たせた華麗な「のれん」約150枚が約50軒の商家や民家に飾られたという。私は不覚にも多年加賀の地に住まわせていただいたが、このことを知らなかった。七尾にある小さなロウソク屋に入った時、実に美しいローソクが展示されていたことを思い出すくらいだが…。

 この風習は、新婦が婚礼の朝、仏間にかけられた「のれん」をくぐり、その家の一員になるという儀式であるらしい。仏間というのはこの地方には、実際に仏間があり、しかもお坊さんがお経を読んでいただく少し高くなった場所さえある。
 4月29日には、花嫁道中があり、一本杉通り商店街で115年間続いている菓子店の三男さんと3月にご結婚されたお嫁さんが、「のれん」をくぐって嫁ぎ先のご先祖に挨拶をされたという。
 実に善い風習ではないだろうか。七尾は無論のこと、金沢は伝統が今でも強く息づいていると聞いている。

※俳句は日本だけのものではなく、国際的であると考えられるが、さらに宇宙的とでも表現すべき時代に突入している。ちょっと言い過ぎか?
 宇宙飛行士の山崎直子さんが天から詠んだ一句がある。『瑠璃色の 地球も花も 宇宙の子』。宇宙を旋回した人だけに見える世界を詠み込んでいる。それ故に、宇宙的。

※今日は明日にそなえて上京している。天気良し。いうこと無しである。ホテルで絵を二つ描いた。「描けない」という思いが自分を縛っていた。その思いを右脳が解き放つ。すると自宅にいるとの同じように描けた。自縄自縛しないことが大切だろう。もっともっと自在の人に、もっともっと神通無碍の境涯に入ることが必要だろう。明日は、知人友人にお会いできる。有り難いことである。
 今月一ヶ月間、ブログにおつきあい下さいました事を心より感謝申し上げます。

 中内 英生
 

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