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2010年11月

November.28.2010「講習会の大盛会を祝す」

November.28.2010「講習会の大盛会を祝す」
今日の詩::会場に 響くみ言葉 スミノエの ”神の世界”を  説き尽くすなり

 総裁谷口雅宣先生、白鳩会総裁谷口純子先生に於かれましては、講習会にてご指導を賜り、誠に有り難き極みでございました。ちょうど、11月27日がご結婚記念日であることを知りまして、信徒一同、先生にお喜びいただけるようにと、推進により一層の努力をしようと励んで参りました。そして、ご存じのような結果となりました。
 今日は、早朝はすごい風でしたので、参加者は大丈夫かな、と少し心配でしたが、次第に天気が回復して参りましたのには安心致しました。
 今月は、皇太子様が出雲にお出でになられたり、また、稲佐の浜の神迎えもございました。そして、今日は講習会でございました。

 この場をお借り致しまして、三会場の幹部・運営委員・信徒の皆様に心から御礼申し上げます。本当に有り難うございました。今回の人数の増加は、真心溢れるご推進はもちろんでございますが、一会場を三会場にしたことが大きな要因ではなかったかと思います。
 二年前は出雲会場一つでした。一会場では二酸化炭素の排出と、ご年配の方々が集まりにくいということで、出雲と江津の二会場に設定いたしました。しかし、出雲のメイン会場がプロバスケットボールの会場になるということで、出雲のカミアリーナから会館使用を断る電話が参りました。これが神様のお導きでした。そこで、適当な会場が出雲にはございませんので、三刀屋をメイン会場にすると同時に安来にもう一つ会場を作りました。これで、三会場となりました。
 そうすると、会場周辺の方々が非常に推進をがんばって下さいまして、大きな牽引力となりました。メイン会場の相愛会の総連などは、相愛会組織全体の牽引力になったと報告を受けております。
 
 会場を増やす理由に関しましては、総裁先生のブログで拝読しておりましたので、すぐに対応が出来ました。「総裁先生のブログを教区の指針として活動すれば必ず成功する」という確信を得ました。
 絵封筒に受講券を入れるという方式は、白鳩会さんが盛んに行っていました。右脳開発と法施である講習会推進を同時に行うことは大変楽しいことだったようでございます。
これは、「言葉に絵手紙をそえれば、必ず真心は相手に通じる」という総裁先生のお言葉をもとに、青年会から発案があり、白鳩会が大々的に行ったようでございます。

 島根にはインターネット講師が4名承認されております。その他にも、ブログ開設者が数名おります。ご自分のブログを通して、講習会の推進・宣伝をおこなっていたようです。存知あげない方ですが、東京から、小職のブログを読んで、「講習会があると知ったので行きます」という電話があったのには驚きました。島根教区は、「インターネットの活用は光明化運動の成果に雲泥の差を生ずる」という総裁先生のお言葉を証明させていただきたいと念願しております。

 ブラジルの方々もたくさんおいでになりました。Oさんという白鳩会支部長さんがお世話しておりまして、14名の人々がお出でになりました。国際的な講習会となりまして、感謝でございます。
 「谷口純子先生が英語の学習にお出でになっておられる」ことを総裁先生がご講話でご紹介しておられました。私も出雲で時々英語塾に通っていましたが、学習を再開したいと考えました。

  白鳩会の絵の上手な方々3名が、「ご結婚日のお祝い」として、絵を描きましてお祝い申し上げました。それが総裁先生のブログに掲載されまして、誠に有り難いことでございます。絵は右脳開発のために、昨年度は絵手紙展を行ったり、チャリティコンサートを行って、谷口清超先生に感謝の誠を捧げさせて頂くと同時に、ユニセフに寄付をさせて頂きました。チャリティコンサートの開催は、総裁先生が、本部のチャリティコンサートにお出でになられた時のブログに於いて、「光明化運動に幅を持たせることが出来る」というような意味のお言葉があったので開催させて頂きました。

 今回の推進は、具体的には七ヶ月前からの推進活動でした。しかし、二年前から下準備を整え、土壌改良を行い、各地で先祖供養を毎月行っては真理講話や個人指導、そして、地方講師の受験勉強会などを行わせていただきました。隠岐の島、松江道場、出雲、江津、浜田、雲南、最近は安来までほぼ毎月、参りまして、皆様に真理をお伝えさせて頂いております。そして、地方講師を増やしまして、地元開催ができる方向にすすめております。

 また、今年度からは、地方講師研修会を益田会場でも行いまして、参加者の増加を図りました。合計で50名を超えるようになったのはうれしいことでございます。
 スカイプの活用で、石見でも式典を開催できるようになりました。島根はどこでも(隠岐の島、松江、出雲、石見など)同じような活動状態になることを目指し、情報伝達に格差を無くし、インターネットの活用などを行いまして、様々な行事に参加できる状態にしたいと考えております。

 明日から、二年後の講習会へ向けての第一歩でございます。徹底して、A型、B型の誌友会を盛んにさせていただきたいと念願しております。それが、次の講習会の成功につながると確信しております。

総裁谷口雅宣先生、白鳩会総裁谷口純子先生、ご指導、誠に有り難うございました!!。

 幹部、信徒、関係者の皆様、おいで下さいました県外の皆様、この度は誠に有り難うございました。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

【島根教区の信徒の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。】

http://masanobutaniguchi.com/

 中内 英生 

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November.27.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間⑪”」

November.27.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間⑪”」
今日の詩::ブログにて 正師説かれる み教えの 今日も心に 刻みて生きん
(毎日ようにブログにて御教示くださる、新たに説かれるみ教えを、日々拝読し、その日の指針とさせていただきたいと存じます。)

総裁谷口雅宣先生、白鳩会総裁谷口純子先生、ご結婚記念日、おめでとうございます。

***
 聖経『甘露の法雨』の学習を続けます。85頁の2行目です。
『人間真性(ソノモノ)はこれ神人、永遠不壊不滅の霊体にして 物質をもって造り固めたる機械にあらず、また物質が先ず存してそれに霊が宿りたるものにもあらず、斯くの如き二元論は悉く誤れり。』
ここに二元論が紹介されています。
①ビッグバンから始まって、物質が偶然に集合離散してこのような世界を造った。これはまったく偶然の産物である、という考え方です。先年、ホーキング博士が、「宇宙の始原に神は要らない」と言ったことへの反響についてブログに書かせて頂いたことがありますが、そのような偶然論と、目に見える肉体が人間であるので、心の作用はその影に過ぎないというような考え方でありましょう。
②物質である肉体がまずあり、その中に霊である人間が宿るという霊肉二元論を示しているようです。
 しかし、それはすべて誤りであると説かれています。『生命の實相』の倫理篇などにはさまざまな世界観や人間観が詳しく説かれていますので、拝読下さい。その二元論に対して、物質と霊、心との関係が説かれています。

『物質は却ってこれ霊の影、心の産物なること、恰も繭が先ず存在して蚕がその中に宿るには非ずして、蚕が先ず糸を吐きて繭を作り 繭の中にみずから蚕が宿るが如し。』
 これが結論です。実相と現象を峻別するのが生長の家の唯神実相論です。物質無しです。また、イメージとして蚕と繭との関係で理解が進みます。
①物質とは霊の影である。
②物質とは心の産物である。
これが定義です。これらの定義を拝読し、なぜそうなのか?と考え、その答えを聖典に見いだそうとして拝読するのも大切な作業です。
 今日も大いに、三正行を実践致しましょう。
今日のブログは後半が長くなりましたので、これで終わらせて頂きます。

【沖縄の興南】
 夏の話で申し訳ないが、…。全国高校野球選手権大会で、興南が沖縄勢として初優勝を飾った。そして史上6校目の春夏連覇を果たしている。沖縄の高校が初めて甲子園で一勝した時の写真を覚えているが、優勝した時のようだと書かれていた。その当時からここまできた。無限力を発揮する法則は、誰でも変わらないようだ。
 興南の監督の我喜屋優さん(60)は、沖縄返還前、1968年夏、興南の主将で4番で甲子園に出て4強入りした。興南旋風と呼ばれたが、優勝を逃した。42年間ずっと思ってきたという。
 今年7月に同行の理事長に就任したが、監督続投が条件だったという。それだけ、野球と沖縄とご自分の生き方を愛しておられるのだろう。尊敬に値する大変素晴らしい人だと思う。
 社会人野球の選手・監督などして34年間を北海道で過ごしている。そこで学んだことがあった。
①逆境を友達にする。つらいこと、嫌なことにはすべて慣れる。自分の財産にする。北海道の冬は雪かきをする。沖縄の長い梅雨は、雨合羽に長靴で野球をする。苦いゴーヤでも慣れると美味しく感じる。これは確かにそうだ。
②桜の花は散ることを選手達に語ったという。花を支えるのは目に見えない根っこである。眼に触れない自分を支えてくれた人々、そして目に見えない努力などである。それを大切にすること。
③野球に限らず、約束事を守る。
④小さな事でも全力でやる。小さなことを見ようとしない人には、見落としがいっぱいある。小さなことを感じられる人は、大きな仕事が出来る。俳句や短歌は、心を常に敏感にしていなければ、日時計主義の作品はできない。美を発見できないのだ。私は、時々俳句や短歌をポスチングジョイに投稿させて頂いているが、全てに通じることなのだろう。小さな事を積み重ねたちびっ子が大きな事をやってくれた、という。小さなことの積み重ねは、10年連続200安打のイチロー選手でも同じ事であるようだ。ともかく少しづつ、確実に進んでいくことである。信仰生活でも、伝道生活でも、求道生活でも同様でありましょう。朝日新聞(2010/08/22)からである。
  http://www.sponichi.co.jp/baseball/flash/KFullFlash20100824001.html

【ワイズマンの四つの法則】
 勝間和代さんの「人生を変える法則」に「幸運は天から降ってこない」というのがある。朝日新聞(2010/11/27)からである。やはり心理学の話だ。イギリスの心理学者、リチャード・ワイズマンはもともとプロのマジシャンだったらしい。この学者が、「運がいい人と悪い人は何が違うのか」をアンケートや行動分析から得られる数千人のデータで、科学的にまとめ上げたという。
 たとえば、宝くじだが、自分は運がよいと思っている人は、当たる確率は全く変わらないのに、当たる自信があるという。宝くじは制御できない例だが、運がよいと思っている人は、制御できることには運が変わることが分かった。
 たとえば、実験的に目の前にお金を落としてみる。喫茶店で会いたいと思っている人を隣に座らせる、などでは、自分は運がよいと思っている人はすぐに気づくという。逆に、自分は運が悪いと思っている人はどちらも気づかないようです。
 ここでワイズマンは4つの法則性を見いだしている。
①チャンスを最大限に広げる。さまざまなチャンスに果敢に挑戦する習慣を身につける。
*「困難に戯れよ」という『生命の實相』第7巻の御文章が思い出される。
②虫の知らせを聞き逃さない。直感や本能に素直に反応する。
*よい虫の知らせが来るように、ふと思う原因である潜在意識の浄化と第三者の高級霊の修正に当たるご先祖供養が大切でありましょう。
③「幸運を期待する」心を持つ。
*これは、朝目覚めた時と就寝前に、20回、小声で「私は神の子完全円満、今日もきっと善いことが来る」と「私は神の子であるから、これから毎日あらゆる点で一層良くなる」と自己暗示することでしょう。幸運を期待する気持ちになれます。
④不幸を幸運に変える。
*運がよいと思っていてもいくらでも都合が悪いことは出てくることがある。しかし、災い転じて福となすのだと、気持ちをすぐに切り替えることができる能力を開発することでありましょう。これは、神想観です。感謝の教えで切り替えるのです。
 勝間さんは言います。「運が悪いと思っている人たちを集めて、徹底的にこの四つの法則を教え込み、生活習慣を変えさせると、その人たちの運もどんどん好転していく」と。
*これは、私たちにとっては、誌友会への「毎月の出席」ではないでしょうか。特に、美しいことを見つけ出して芸術的に表現し、その喜びを共有するところの「神性表現の誌友会」が「真理探究の誌友会」と共に、極めて有効でありましょう。
 勝間さんはさらに言います。「私は運がよいと思っている。またそうなるように日々、心がけている」と。
 私の先輩の、故T元本部講師は講話でいつも言っていたことを思い出す。「自分は運がよい、と思うことは税金に関係ないので唱えましょう」と。いつも笑わせながら、信徒の皆様を明るい信仰生活に指導しておられました。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E9%96%93%E5%92%8C%E4%BB%A3
日本人のジョーク習慣は、なかなか見いだされないと書かれています。落語や漫才もありますが…。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A7%E4%B8%80%E7%95%AA%E7%AC%91%E3%81%88%E3%82%8B%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%AF

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。講習会は平成22年11月28日(日)です。今回の講習会は総裁先生として初めての島根教区へのご指導となります】
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中内 英生

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November.26.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間⑩”」

November.26.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間⑩”」
今日の詩::講習会 準備いろいろ 早うから みんなの力 合わせ花咲く

 続きです。
やはり、「自覚」を通して顕現すると説かれています。しかも「のみ」と強調されていることに気がつかねばなりません。
『内に無限健康の生命を自覚してのみ 外に肉体の無限健康は其の映しとして顕現せん。』
 
 次に、「五官」は何のためにあるか、ということが説かれています。五官とは、眼、耳、鼻、舌、肌です。それで感じる感覚が、五感です。それは認識の道具と呼ばれるものです。ではどんなものを見るかというと、現象を固定化して見ると云うことになります。人間の体でも目まぐるしく新陳代謝が行われていますが、一定のものとして固定化して見ているのでこの人がAさんであり、あの人がBさんだと分かるのです。常に変化無常であるのが現象界の大原則ですが、それを固定化して認識する訳です。その「現象界」はどんな仕組みかと申しますと、昨日、調べていただいたと思いますが、図形にありますように、時間と空間という認識の形式によって展開しています。これらの仕組みを理解して参りますと、「現象は本来無い」という現象の実相を理解するに至ります。但し、これは実在の実相ではありませんので誤解無くお願いいたします。実在の実相は、完全円満であり、無限の真・善・美が溢れているというのです。この間の消息は、『新編 聖光録』43頁の「実相金剛身の神示」を拝読願いたいと存じます。内容は”読んでからのお楽しみ”、です。従って、経文には次のように書かれています。
『人間の五官はただ”映しの世界”を見るに過ぎず。』

 次には物質の世界はどんなものであるか、の定義がなされています。
『われ誠に物質の世界の虚しきを見たり、物質の世界が影に過ぎざることを見たり。』
①虚しい存在である。
②影に過ぎない。
 以上の二点です。

 さらに「人間とは何か?」、「肉体とは何か?」「物質とは何か?」についても言及し、定義されております。
『われはまた人間が神より放射されたる光なる事を見たり。肉体はただ心の影なる事実を見たり。』
①人間は神より放射された光である。
②肉体は心の影である。
③物質は、移り変わる影である。
 以上です。これらを一つ一つ魂にしみ込ましつつ拝読することができればどんなにか、深く真理に穿ち入ることができるでありましょう。私は島根の皆様には、朝夕の先祖供養で聖経を拝読することは勿論ですが、ことある毎に『甘露の法雨』を読誦し、聖典を読誦して頂きたいと念願しております。きっと、それらの御修行によって、魂が飽和点に達して、内なる神さまが湧出する歓喜の瞬間を味わうに至るに違いありません。

【自分の先入観を疑う】
 ローゼンハン実験というのがあるそうです。勝間和代さん(経済評論家・公認会計士)の文章に掲載されていました。この方の論文は、心理学者の説を多用しておりますので、私どもにとっては、参考になることが多いのではないでしょうか。勝間さんの著書をお勧めしている訳ではありません。私自身は、彼女が共著で書いたツイッターの本を一冊読んだだけです。朝日新聞(2010/11/20)からです。さて…。
  精神分析学の実験だそうです。
1973年に米国の心理学者であるデービッド・ローゼンハン博士が友人7人を募りまして、8人で12の病院に「幻聴が聞こえる」と訴えて、偽患者を装い診察を受けに行きました。すると、担当した医者がにせ病だと見抜けず、全員入院させられて、薬物治療を受けることになったというのです。
 幻聴や幻覚などのちょっとした感覚で病院に行きますと、それを抑えるお薬を処方されることがあります。それを長期にわたって飲んでいる人の顔を見ると、逆に薬の害があるように見えることがあります。これらの諸問題は、環境的に苦境に陥っている場合がありますが、総じて、ご家庭に愛情の表現が不足していることが多いようです。ぜひ、和顔・愛語・讃嘆を実践していただきたいです。もう一つ申し上げますと、霊供養の大切さです。一番身近なご先祖は、ご両親です。ご両親への感謝をみ教えは重要視します。それは、自分の「地上の生」の肯定につながるからです。
 また、父はあらゆる男性の象徴、母はすべての女性の象徴です。人間関係を調和あるものにするにはご両親への感謝が不可欠です。さらにもう一つ申し上げますと、流産児のご供養です。島根の出雲練成会の第三日目には流産児供養が行われております。
 さて、もとに戻します。
 ある病院は、偽患者を必ず見分けられると主張しました。そして、ローゼンハン博士に偽患者を送るように言って来ました。その後、その病院は「三ヶ月で193人の患者のうち、41人を似せ患者だと見抜いた」、と発表しました。しかし、ローゼンハン博士はこの病院には一人も偽患者を送り込んでいなかったのです。
 当時と現在とでは診断基準が違うので偽患者を装っても即入院とはならないかも知れません。この実験の教えるところは、専門家の立場から見ると、先入観にとらわれてはいけない、ということだとしております。これは、私たちは人生の専門家として、今迄の新聞やテレビの報道を基準にして、「悪は実在する」という専門知識により、潜入観念によってこの世の中を見ていることがあるからです。それらの潜入観念の修正努力が、毎日記載する、「日時計日記」です。これは実に重要な修行法であるのです。私たちは、潜入観念に捕らわれていないかを自己診断することも大事でしょう。また、患者の立場からは正しい情報が伝わらないと、誤診を冒す危険性があると云うことを教えてくれているとも云えます。
 私たちにとって、正しい情報とは、「実相世界は完全円満である。人間は神の子である」ということであり、その現代的メッセージは、総裁先生のの御著書です。
 すべての人々に、正しい情報をお伝えし、「縁無き衆生は度し難し」という潜入観念を捨てて、「縁無き衆生はいない。真理を受け入れる機縁が熟していないだけである」との認識に立ち返って、正しい情報をお伝えさせていただきたいと存じます。

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。講習会は平成22年11月28日(日)です。今回の講習会は総裁先生として初めての島根教区へのご指導となります】
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中内 英生

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November.25.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間⑨”」

November.25.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間⑨”」
今日の詩::講習会 まじかに迫り 喜びで 浮き足立ちて 互いに笑う
(こういう雰囲気は素晴らしいです。快い緊張と大きな喜びが大波のように押し寄せてくるようです。)

  続きです。79頁の6行目です。神の国はどこにあるか?という問題です。
『キリストは”神の国は汝らの内にあり”と云い給えり。』
内という言葉から、内というのは内蔵あたりかな?などと思うと理解できません。古い話ですが、N大将に、「日本はどこにありますか?」と聞いたところ、「ここにある」と胸をたたいたという。肉体の胸の中にある訳ではありません。神想観の念ずる言葉である「吾今五感の世界を去って実相の世界に入る」という、「吾、今、ここ」の世界です。神の国は「今、ここに有る」ということを知ることが大切であり、これが分かれば無限力が発揮されます。

 次に明確に「汝らの内」という意味を示した経文が書かれています。
”『汝らの内」とは汝ら『人間の自性』なり、『真の人間』なり。”
ここには、我らの内とは、人間の自性である。真の人間である、としております。

 次に、82頁の2行目に参ります。「この世の国」とは、はたして何であるか?という問題です。
『此の世の国はただ影にすぎざるなり。』であります。この世の国は影である。実相世界の影である、と同時に、念のレンズに付着した迷いの曇りをも映し出すところの、現世です。映し出した世の中ですので、「映し世」とでも云うべきでありましょうか。
『新講 甘露の法雨解釈』(176頁)の実相世界と現象世界の図を拝読願いたいと存じます。
  念のレンズに付着した汚れをぬぐい取るために、浄心行やら聖典の読誦などを行うことにもなります。さらに、龍宮住吉本宮の出龍宮顕祭殿に於きまして、住吉大神さまに御出御いただきまして、私たちの想念感情を浄めて戴くこともあります。
 念のレンズの曇りさえ取り去るならば、私たちは常に幸福であり、健康であり、繁栄することになるのです。
 もう一つ、迷いを取り去る、または闇を消す、という行動よりももっと大切なことは、光を灯すことです。光だけになると闇は必然的に消滅します。光を灯すことを、「自覚する」と云います。聖経には次のように示されております。

『常楽の国土は内にのみあり、内に常楽の国土を自覚してのみ 外に常楽の国土はその映しとして顕現せん。』
 このように、迷いや罪を消そう、消そうとがんばるよりも、人間は神の子であり、完全円満であると自覚した時、必然的に実相世界の素晴らしい自分と世界が展開してくるのです。自覚の展開です。このことを、『生命の實相』第一巻(総説篇3頁)には、『生命の実相の自性円満を自覚すれば大生命の癒力が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)となります。』と説かれています。
 生命の教育に於きまして、欠点を探し出して指摘して改善を迫るよりも、良いところを探し出して褒めて、自分の素晴らしさを再認識させ明るい心で、「もっと良さを発揮しよう」と努力する方が実力が出やすいということと同様であります。
 島根の皆様、大いに三正行を実践し、日時計日記を記載致しましょう。

【iPS細胞から血小板】
 血小板は出血の時に血を止めると言われているが、東大の江藤准教授と高山博士研究員らはヒトのiPS細胞から血小板を作成した。マウスの実験で止血効果を確認したという。iPS細胞は培養して無限に増やせるために、将来はiPS細胞から作った血小板を献血の代わりに使えると期待しているらしい。成果は米医学誌に22日に、発表している。
 まずヒトのヒフや臍帯血の細胞に遺伝子を入れてiPS細胞を作成した。できたiPS細胞からヒトの血小板のもとになる「巨核球」細胞を作り、血小板も得られたとしている。
 まだヒトへの応用は出来ていないがその応用を目指しているようだ。iPS細胞は倫理的問題が比較的少ないと言われている。日経(2010/11/23)からの情報である。

【ES細胞米で二件目の臨床試験】
 それに対して、アメリカの米バイオ企業のアドバンスド・セル・テクノロジー社に対し、ヒトの胚性幹細胞を使った臨床試験を承認したという。これも同じく日経(2010/11/23)からの情報である。ES細胞は受精卵を壊して使用するので、生命を抹殺する。従って倫理面での問題が生ずるといえる。ES細胞を使う治験は米ジュロンに次いで二件目であるという。 
 アドマンスド・セル・テクノロジーの治験は、視力が低下して有効な治療法がないとされる遺伝性眼病「スターガート病」の患者を対象とするという。来年初めをメドにマサチューセッツ州などの医療機関で患者12人に実施するようだ。ES細胞から作製した「網膜細胞」を片目に移植して安全性を確認するとしている。
 ES細胞は体のあらゆる細胞や組織に成長できる万能性がある。従って再生医療の材料として注目を集めているのである。
 しかし、倫理性の問題をクリアーすることは難しいとされる。体性幹細胞の場合、しかも自分の脊髄液などにある体性幹細胞を使った治療の場合は、倫理的な問題は少なく、拒絶反応も極めて少ないようである。当然のことながら自分の体からの移植であるからだ。
 私たち島根の信徒は、『神を演じる前に』と『今こそ自然から学ぼう』などを座右に置いて、これらの遺伝子問題を考えていきたいと思う。

【電子書籍端末】
 ソニーが電子書籍端末で文庫本サイズのを2万円ほどの値段で出すようだ。発売は12月10日なので、もうすぐだ。近くの家電量販店でも買えると思う。約1400冊分の書籍を入れることが出来るという。文庫本ほどのサイズなので小さい。小さいと言うことは文字も小さいと言うことだろうか。できれば、日本教文社が出している程度の大きさならば、文字が大きいのでご年配の人も読みやすいのではなかろうか。日経新聞(2010/11/25)からの情報である。
 もしも、聖典や、総裁先生の御著書がすべて電子本化されるならば、常にカバンに自分の本棚を持ち歩く状態にすることが可能ではなかろうか。有り難い時代が到来したと思う。この端末は白黒だが、私は書籍以外に使おうとは思っていないので、眼が疲れにくいこの方式の端末は歓迎であるが…。島根の皆様、如何でしょうか。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/economic/261784.html

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。講習会は平成22年11月28日(日)です。今回の講習会は総裁先生として初めての島根教区へのご指導となります】
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中内 英生

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November.24.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間⑧”」

November.24.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間⑧”」
今日の詩::常今を 生きる季節に 寒は良し

 今日は、『甘露の法雨』76頁の4行目です。
『この最初の夢を摧破するときは 罪と病と死との 根本原因は摧破せられて その本来の無に帰するなり。』

 罪と病と死があるという想念は、「人間は肉体である」という人間観から発します。それが消滅して人間神の子の自覚に観が転換する時に、必然的に消滅するとしています。
 キリストにニコデモが聞きました。「どうしてそのような奇蹟を起こすことが出来るのですか?」と。キリストは言われた。「人間は、新たに生まれなけれは、神の国を見ることは出来ない」。キリストは人間は霊的実在であることを教えているのだった。生まれ変わるとは、「観の転換」のことである。「吾今五感の世界を去って実相の世界に入る」である。
 ニコデモは反論する。「私は年を取りました。もはや母親の胎内に帰ることはできません」と。現代でもニコデモが沢山いるのである。
私いつの間にか、ニコデモ化していることがある。「ニコ」っと笑顔で返事するのだが、「デモ…」と言ってしまう。無限力の自覚は人間肉体観からは生じません。「神の子が自分である」と自覚した時、無限力が湧出します。
「人間は肉体である」という想念から、人間神の子の自覚に超入するように、聖典の読誦と神想観と自他一体の真理を行ずる愛他行を実践するようしたい。聖典読誦によって、真理を正しく把握し、神想観によって、それを信念にまで高め、愛行によって、真理を自己のものとするのである。これは信仰生活の一サイクルであって、どれも欠くことは出来ないと考えられる。『日時計日記』の左下にその日の記入欄があり、毎日行うように促されている由縁である。
 最後の結論は、人間神の子の人間観に転換する時、罪と病と死との想念が消滅してしまうということです。罪と病と死との想念が消滅する程度にしたがって、それらを引きつける波動を出さなくなりますので、身辺から徐々にあるいは忽念として消滅するに至るとされております。
 勿論、肉体の死の場合は、肉体をもっている限り、死ぬように見える現象は起こりますので、肉体が死なないというのではありません。しかし肉体は人間ではないのでどこまで行っても人間の死はないことになります。

 次に、79頁の2行目です。
『されば地上の人間よ 心を尽して自己の霊なる本体を求めよ、これを夢と妄想の産物なる物質と肉体とに求むることなかれ。』
 二つの定義が存在します。①自己とは霊なる本体である。②物質と肉体とは夢と妄想の産物である、という訳です。
 ①の”霊なる”とは、13頁4行目”霊姿に甲乙あり、病める霊あり、苦しめる霊あり、胃袋もあらざるに胃病に苦しめる霊あり、心臓も有たざるに心臓病にて苦しめる霊あり。これすべて迷なり。」と示されているところの霊界の霊魂のことではないようです。「本体」でありますので、霊的実在というような意味のように思えます。
 『新講 甘露の法雨解釈』116頁には、「人間の体」の図解が書かれています。外側から、肉体、エーテル体、幽体、霊体、本体です。その本体に当たる部分が「霊なる本体」ではないかと拝察申し上げる次第であります。
 ろうそくの炎を実体であるように思い、雲の姿を実体があると思う。それが「夢と妄想」です。唯摩経からお説きくださっている、「久遠いのちの歌」(聖経「天使の言葉」53頁の中に、「この身は虹の如し、虹は久しく立つ能わず、しゅゆにして消ゆ。」とありますように実体がないものであるとお教え戴いております。
  一文一文拝読してみて、如何でしょうか。もっと詳しく精確に理解する方法が『生命の實相』の毎日読誦です。たとえ一頁でも拝読されると、ご生活に転換期が突然訪れて参ります。
 今日はここまでにさせていただきます。

【太陽光発電の造水機】
 日経(2010/11/22)によると、太陽光発電パネルを搭載した小型製水機が開発されたという。東レ系のグループである。2010年初めにもインドネシアの島しょ部で実証実験を始め、現地の保健所などに納入することを目指すという。日本では水は安価だが、外国ではなかなか日本のようには行かないらしい。
 ドラム缶に川の水を入れて砂で濾過し、東レ製の逆浸透膜でバクテリアなどを除去するという。太陽光発電パネルの大きさは1平方メートルで、1時間あたり約60リットルの水を処理できるらしい。日本の技術が世界の人々に貢献できることはうれしい。

【20代全社員に海外経験】
 三菱商事や丸紅などの大手商社は、来年春、20代の全社員に海外経験を導入するという。語学や実務研修の名目で半年から2年程度をめどに順番に派遣するらしい。主戦場が新興国を中心とする海外にシフトしているために、若手のうちに経験を積ませて意識改革を狙うという。
 海外で直接に国際平和信仰運動を体験するのは、運動の全貌をカラダで理解するのに役立つのではないかと思う。私の場合、練成会指導という持ち味が少しあったので、ドイツや韓国、特に台湾へ行かせて戴いた。その経験を与えて戴いたので、国際平和信仰運動の意味が理解しやすくなったと思う。
 生長の家のみ教えがグローバル化した今日、若い光明化運動の選士が実相の悟りと信仰を確立すると同時に、世界に通用する選士に育って下さることは大いなる喜びである。島根でも、本部の方針に従って、国際平和信仰運動に於いて通用する青年会員に育って下さることを願っている。

【デジタルからアナログへ】
 総裁先生のお言葉のように思われた人も多いかも知れないがそうではない。日経新聞(2010/11/22)の「春秋」には、「これから電器店が力をいれるべきなのはデジタル情報家電ではなく、アナログ技術を生かした家電だ」と書かれていておやっと思った。私自身、見ているテレビはアナログなので輪郭がぼけている。しかし、意味さえ分かればよいのでそれで十分だと思っている。しかし、パソコンはデジタルである。谷口雅春先生の基本的神想観のCDをパソコンに入れて、ほぼ毎日、実修させていただいている。音がハッキリしているのと、ハッキリしすぎて微妙な音域がどうも出ないようにも思える。
 アナログの理由は、小型カメラは外国に手強い相手が育っている。韓国企業などはすごい成長をしている。いずれ、価格競争になり、適わなくなるという。
 しかし、ご飯を炊くのに炊飯器の釜の構造などに工夫を凝らして、美味しく炊ける電気釜ができた。「アナログな部分」に工夫が凝らされているという。これは日本の中小企業が得意とする物づくりだろう。この「春秋」で面白いと思ったのは、秋葉原で帰国後に使える電気炬燵を探していたイタリア人がいたという。日本の極めつけのエコな道具である。
 家電店でも、私は20歳代のころ、秋葉原の朝日○○という小さな部品販売店に時々、行った。それが現在では、ラ○○○○となり、現在はどうなっているか分からないが、数年前の新聞によると、アジア系の企業に買収されていた。そんな時代である。常に、世界は非常な勢いで流動している。それは現象世界であるからだ。その流れに棹さしつつ、唯神実相のみ教えをお伝えしなければならない。そのための、道具がインターネットであろうと考えられる。これはあくまでも道具である。しかし、道具を自在に活用できて、実相世界の情報を伝えることができことがより一層良いのは言うまでもないだろう。

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。講習会は平成22年11月28日(日)です。今回の講習会は総裁先生として初めての島根教区へのご指導となります】
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中内 英生

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November.23.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間⑦”」

November.23.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間⑦”」
今日の詩::雲南の 落ち葉はらはら 山肥やす

  続きです。
 人間とは肉体であるか、霊的実在である神の子であるか、ということが根本的認識の問題であるというのです。肉体であると云うことになると、当然ながら罪と病と死とが連動致します。神の子である霊的人間であるということになると、罪と病と死とは無縁となります。

 従って、76頁2行目には次のように示されています。
『これらは人間を罪と病と死との妄想に導く最初の夢なり』と。
ここに一つの定義を発見します。
「罪と病と死とは妄想である』という一文です。
そして、人間は肉体であるという最初の夢を破壊する時、罪、病、死の根本原因は破壊されます。
 『あなたは自分で治せる』第十三章には、「般若心経講義」があります。大好きな章です。この章は是非とも拝読して戴きたいと思います。神想観の時、「吾今五感の世界を去って実相の世界に入る」と唱えますが、「去って」という意味は「物質本来無し」という意味になります。神想観は物質の世界ではなく、神様が創造された世界を内観する行法です。

「物質無」は科学的根拠によって谷口雅春先生が開悟されたのではなく、悟りが先にあって、『生命の實相』第一巻の、「近代科学の空即是色展開」などの御文章に発展するのです。そういう意味で、分かっても分からなくても何度も拝読して戴きたいと存じます。
聖典の御文章を通して、「久遠を流るるいのち」のリズムに自分の心を重ね合わせて行くのです。朗読し、黙読し、精読し、まとめ、書写するのです。そうすることによって、「真理を理会する」のです。理会するとその喜びによって神の愛を実践するために動かずにおられなくなるのです。(理会という熟語を使用するのは、真理に会うという意味です。)

 そして、またこの世界のバーチャル性が理解できてきます。そうすれば、『心で作る世界』の第二章「視覚の中のプログラム」の御文章の深い意味を理解することができるようになりましょう。
「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五ウン皆空、度一切苦厄、…」で始まる有名な経文です。「五官の世界は無い」と、観ることです。五官と五感とおりまぜて書いていますが、眼、耳、鼻、舌、皮膚が五官であり、見る、聞くなどの感覚が五感です。それに霊的感覚が加わると、プラス第六感となります。従って、本当は全部で10感ある訳です。

 蓮華日宝王地観という神想観をご紹介しておられます。227頁の3行目に、「これを行じていただくのが、五ウン皆空を悟る近道であると御教示されています。また、「物質はない、物質はない、肉体はない、肉体はない」と繰り返し心の中で唱えていると、その物質も肉体も何も無い中心に「霊妙きわまりなき自己」が目覚めてくる、とお示し戴いております。
 蓮華日宝王地観は『詳説 神想観』にありますので、どうぞ、ご確認下さい。

【宗教の信仰者として】
2010/11/24の総裁先生のブログは、「北朝鮮のアブナイ計算」というものだった。一連の国際政治についてお書きになったあと、次のような内容の御教示が書かれている。
①宗教の信仰者として、これら政治の動きから目を背けることなく、しかし心の平静を失わない。
②これを契機として、日本周辺の国際情勢がより正常化の方向へ前進するために、人々の心の中に平和の思いを拡大することを心がける。
③毎日神想観の中で「世界平和の祈り」を益々真剣に実修する。
 要点は以上のようである。また、『新編聖光録』13頁に「”心の法則”と”平和への道”の神示」が書かれているが、二行目に次のように書かれている。
「…『治にいて乱を忘れず』と云うのが古き人類を道徳であったが、『生長の家』の生き方は乱にいて治を忘れざる生活である。…」
 このことを忘れず総裁先生の御教示に従って信仰生活を実践したいと思う。

【脳を動かす光のスイッチ】
 何のことだろうと思ったが、特定の光に反応するタンパク質の存在があり、青い光に反応するタンパク質「チャネルロドフシン2」と黄色い光に反応するタンパク質「ハロロドプシン」を使うという。チャネルロドフシン2は単細胞の藻類であるクラミドモナスがもっている。ハロロドプシンは高度好塩菌である古細菌がもっているらしい。
 チャネルロドフシン2を入れたマウスは青い光を当てると、脚が動く。ハロロドプシンを入れたマウスは、黄色い光を当てると眠るそうだ。
 この仕組みを使って、光刺激によるてんかんやパーキンソン病などの治療に役立てるとしている。または、人工視覚にも役立てるという。「人工視覚」というのは初めて聞いた言葉だ。人工視覚や人工眼を考えると見ているのは、眼ではなく脳である、ということが分かる。
http://www.io.mei.titech.ac.jp/research/retina/index-j.html
これらのタンパク質をどうしてマウス体内に入れるかだが、チャネルロドフシン2とハロロドプシンの遺伝子をウイルスに運ばせて神経細胞に入れるのだという。
 入れたマウスの頭に光ファイバーで脳の神経細胞に特定の波長の光を当てるのだという。これは朝日新聞(2010/11/23)に出ていたが、物質面からの医療の研究は尽きるところがない。しかし、その精神的原因に対する本格的な解決法の研究と普及は生長の家に於いて、まだ始まったばかりである。
https://aspara.asahi.com/blog/science/entry/QQoQHRIm9k

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November.22.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間⑥”」

November.22.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間⑥”」
今日の詩::コート着て 吾野に立てり 心地良し
(活力が溢れる時には、寒さは却って身を引き締める心地良い温度でしかない。)

 74頁の2行目には、「神と人との関係」が定義されております。
『実相の世界に於いては神と人とは一体なり、神は光源にして人間は神より出でたる光なり。』
 神と人とは一体である、と云うのです。「実相の世界に於いては」とも書かれています。神様は、太陽と太陽光は一つである。この4行は実に重要であると考えられます。神想観は他力の行であるか、自力の行であるかが書かれている御文章が、『詳説 神想観』にあります。「自分で実修しよう」と考えて行動するのですから、自力であるとも云えます。招神歌で「…さきはえたまえ。…生長の家の大神まもりませ」という文言を拝読すると他力のようにも思えます。しかし、一つのカラダで、左手が痛いと、右手で押さえます。それはカラダは一つであるからその自然とそのような動きになるのです。一体です。従って、右手に頼んで左手をおさえるのではありません。従って、「絶対力」と御教示されております。神と神の子とは一体である。これほど、有り難いお言葉はありません。

 75頁の1行目に参ります。
 神学と近代科学は根本妄想である。よく読んでみるとそういうことになります。

『罪と病と死とが実在すると云う悪夢を、人間に見せしむる根本妄想は、古くは、人間は塵にて造られたりと云う神学なり。近くは、人間は物質にて造られたりと云う近代科学なり。』
 人間は土の塵で造られたという旧約聖書の神学が、人間は肉体なりという迷信を生じさせ、その肉体人間が罪を犯し、病に罹り、死ぬのである、それが人間であるということになります。しかし、『生命の實相』に示されているように、第一創造に於いて、「神の形の如く人を造り給うた」所の真の人間に対して、土の塵にて造られたのは、第二創造における人間としての偽物の肉体人間であります。
 この間の消息については、『生命の實相』頭注版第11巻(万教帰一篇)第一章「生長の家より観たる創世記」を拝読していただきたいと思います。特にお読み戴きたいのは、「31頁6行目から」と「59頁15行目から」です。

 近代科学に於いては、「人間は物質にて造られた」としております。物質で構成されている人間は、物質が破壊されると同時に消滅する存在です。そのような不完全な肉体人間は、食欲、性欲、睡眠欲などの欲望に支配される存在であるということになり、罪を犯し、ストレスの増加するにつれて、病気に罹りやすくなり、また死滅するということになります。それを本ものの人間であると考えることは妄想であるとしております。

 ルドルフ・シェーン・ハイマーは、ネズミを実験に使用して、重水素の行方を追ったのでした。ネズミの体の形は変わらず、重水素なる物質成分が通過していたことを知った。そこにはダイナミックな流れだけがあったと考えたのである。青山学院大学教授・福島伸一氏のいう動的平衡の世界だった。1941年、彼は自ら命を絶っている。それは物質だけを人間の要素であると考えたからであろうか?シェーン・ハイマーに聞く以外にないが、すでにこの世の人ではない。
 み教えでは、流れの形を保つところの生命の形を認めている。すなわち、『甘露の法雨』28頁6行目『物質の奥に、肉体の奥に、霊妙きわまりなく完全なる存在あり。これこそ神に造られたる儘の完全なる”汝そのもの”にして、常住健康永遠不滅なる「生命」なり。』である。
 ここにある「霊妙きわまりなき生命」を自覚することが何よりも大切であり、これこそ「自性円満の自覚」であると考えられるのである。

【ジュネーブ国際コンクール】
 朝日新聞(2010/11/20)によると、ジュネーブ国際音楽コンクールのピアノ部門で広島市出身の萩原麻未(23)さんが優勝したという。同部門での日本人の優勝は初めてのようだ。お隣の県として共に喜びたい。満場一致の一位だったという。
彼女の言葉だが、「いつもこれが最後と思って弾いています。緊張して、演奏後はどう弾いたか覚えていません。ツメも怪我をしていたし、終わるとくたくたで楽屋で寝ちゃいました」と話したという。
 漫画「のだめカンタービレ」というのがあるらしい。主人公が留学したという設定のパリ国立高等音楽院に萩原さんは留学した。今年6月に主席で卒業したようだ。その経歴や形にとらわれない自然体での演奏ぶりで、一部から「のだめに似ている」という声もあるようだ。私は子供がもっている漫画で、二ノ宮知子さん著「のだめカンタービレ」第一巻だけは読んでみた。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2010112002000035.html
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20101120-OHT1T00055.htm

ジュネーブ国際音楽コンクールとは、30歳以下の音楽家を対象にした若手の登竜門で、1939年から続く歴史あるコンクールである。ほぼ毎年開かれるが、声楽やピアノ、管弦楽の部門があり、それぞれ数年おきに開かれるという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AE%E3%81%A0%E3%82%81%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%AC
「私、一位でいいのかな」という。コンクール中は「心を乱さないために耳栓をして、他の人の演奏を聴かないようにしている」という。ここまで精神集中を重要視しているとは?私たちも、神想観の時に、精神集中ができるようにまねたいものである。
広島音楽高校の非常勤講師の小嶋素子さんは萩原さんに6歳の時に出合った。麻未さんは公開練習で、小さなカラダを鍵盤にすりつけんばかりに気持ちを込めて小曲を弾いたようだ。その時、小嶋さんは衝撃を受ける。「すでに自分の世界をもっていた。教えられてできるものではない。この子はピアノをやるべきだ」と。
 練習が好きな努力型ではない、という。しかし、いったんピアノに向かうと、引きはがすのに苦労するほどのめり込んだという。
 生長の家のみ教えの求道にしても伝道にしても、これくらいの思いと行動が必要なのでありましょう。今日は、萩原さんに少なからず教えていただいたと思う。

【奥出雲多根自然博物館】
 先日、この博物館に立ち寄った。めがねのミキの経営である。この地が創業者の出身地だからだ。この施設はこども達の学習のためにと造られたという。数多くの化石が主に展示されている。45億年の地球の歴史を垣間見ることが出来る。宝石になったアンモナイトもあった。三葉虫や肺魚の化石や、色々とあった。私は、「ダーウィンが来た」やNHK特別番組での地球の歴史関係に興味があるので、とても楽しい思いがした。それらの進化の果てに、自分で考え行動するホモサピエンスが登場している。人間中心主義を排除して、鉱物を含めた地球全体の生命に四無量心を行ずることができるかどうかが、人間の運命、全生物の運命に大きな影響を与える段階となったことを、この施設を見学して感じた。
http://fish.miracle.ne.jp/tane-m/

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November.21.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間⑤”」

November.21.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間⑤”」
今日の詩::イチョウ落ち 地に身を捧げ 施肥の冬

 続きです。
 70頁の6行目です。否定語が続きます。「○○は、○○に非ず」という形式です。「真性の人間」を追求しています。
『滅ぶるものは真性の人間に非ず。罪を犯すものは真性の人間に非ず。病に罹るものは真性の人間に非ず。』
「人間は肉体ではない」という事が大前提ですので、滅びる肉体人間、罪を犯す肉体人間、病気に罹る肉体人間は、真性の人間ではないことになります。

 71頁の6行目をご覧下さい。「あなた自身は真性の人間である」と書かれています。」
これほど、重要な定義はございません。「あなたは神の子である」という神様からのお言葉です。「神の子人間」の考え方です。
『汝ら自身は真性の人間にしてその他の如何なるものにも非ず。』

 次に、72頁の2行目には、人間として不可能な事柄が書かれています。つまり、人間は罪を犯すことが不可能である。病気に罹ることは不可能である。死ぬことは不可能である」ということです。これらはすべて真性の人間、実相の人間、理念の人間。神が造られたそのままの完全円満な神人、ゴッドマンのことです。
 死ぬことのない人間、即ち永遠の生命である人間が本当の人間ですが、谷口雅春先生は「生き通しの生命」と御表現されました。「生き通し」という言葉のニュアンスを味わっていただきたいと思います。
 また一説には、「人間は死なない」と説くことによって、自殺者が増加するという考え方もあります。それは霊界で安心して生き続けることが出来るので自殺するというのです。また、テロリストや特攻隊の人たちは永遠の生命を信じるが故にそのような行動に走る、という考え方もあります。しかし、自殺者やテロリスト、特攻隊の人々は、現実の世界に絶望またはそれに近い気持ちになって、そのような行動となったと考えられます。それに反してみ教えの考え方は、現実世界を地上天国を実現するために実際運動を起こし、天地一切の人に物に事に感謝して、一つ一つの美を讃嘆しつつ、日時計日記を付けるなどの生き方ですので、基盤となる考え方が根本的に違うようです。従いまして、自殺やテロに走ると云うことは考えられません。

 73頁の1行目には、「神様は一人の罪人も造っていない」と書かれています。神様が一人の罪人も造っていないのであるならば、誰も罪人ではない筈です。仏教の話ですが、あるお坊さんが悟りを開いた後、「大唐国中、一人の迷える人なし」と言ったそうです。それと同じです。罪人と見える人が、もしいるならば、それは迷いであり、悪夢であるというのです。この場合の「罪」は宗教上の罪のことであり、法律上の罪ではないことは云うまでもありません。

 73頁の3行目には「本性」ということが示されています。「生命=神の子」は完全円満、無病、永遠の生命などです。これが真理です。そのことから考えて行きます。すると、罪と病と死とは本性に反するものではないか、ということになるのです。
『罪は神の子の本性に反す、病は生命それ自身の本性に反す、死は生命それ自身の本性に反す、罪と病と死とは、畢竟存在せざるものを夢中に描ける妄想(マヨイノカゲ)に過ぎず。』
  しかもたたみ込むように、罪、病、死を定義します。それは、「詰まるところ無いものを夢中に描いた妄想に過ぎないのである」と。

 こんな話を聞いたことがあります。事業をやっている仲のよい友人AさんとBさんとを仲違いさせて二人の勢力をそぎ、その間に自分が勢力を強めようとしたCさんという人がありました。Cさんは人に会う度に、AさんがBさんの悪口を言った、と言いふらします。別の所では、BさんがAさんのことを悪口を言っていたと言いふらします。その結果、AさんとBさんはお互いに反目し合います。余りに広範囲に言い振らしたので誰が発信源か分かりません。
 その時、Aさんは反省します。「Bさんは悪い人である筈がない」と。そう信じてBさんの良い点を思い出しては自分の日記に付け始めました。そして、ある日、Bさんんと偶然出合って話したところ、お互いに何も悪口を言っていなかったことが分かりました。二人は元の仲良しに帰りました。そうして仲良くしていると、だんだんとこれはCさんの策略だったと気がついてきたのでした。そこでAさんとBさんはCさんにその事を抗議しようと言うことになりましたが結局は断念しました。「Cさんも神の子だからきっと素晴らしくなる」と信じようとお互いに話し合いました。するとCさんのことはいつの間にか気にならなくなりました。その後、Cさんには最高の仕事が回ってきて栄転して他の所へ行ってしまったのでした。お互いが幸福になった話です。
 この話によって、AさんとBさんがお互いに悪口を言ったというのは妄想であり、本来無かったということが分かります。

【インターネット】
 インターネットは好むと好まざるとに関わらず、私たちの生活や仕事の中に入ってきている。先日、スカイプで通信をしていたが、BUSYと出ていた。雑音的な言葉が多数聞こえた。インターネットに詳しい人に聞いてみると、中国のインターネット人口が世界で一番多いのだという。その関係かも知れないという。真偽はともかくとして、そう言えば、新聞によると、中国ではインターネット上に書いたと思うと、すぐに当局が消去し、またすぐ誰かによって書き込まれるということが繰り返されていると書いてあった。書き込みは日本の比ではないのだろう。私自身は、できるだけ新しい方法を知り、取り入れたいと考えているが、インターネットの世界は日々進化しているらしい。その片鱗でも知っていないと、伝達の方法に於いて知らない人に属してしまうのでは誠に申し訳ないとも思うが、思うように行かないのが実情である。かつて東西ドイツが分かれていたが、ベルリンの東ドイツ人たちは壁が破壊される前に、テレビなどで西ドイツの状況を知っていたらしい。インターネットの威力は、マイナスに働くと恐るべきことになるが、プラスに働くと大いなる光明化運動のチャンスになるのではなかろうか。
 『生命の實相』第一巻には、「心の世界に於ける運命の形成」という章があるが、心に人間神の子の自覚をもつと運命が好転することが書かれている。明るい心、その次には具体的に書く(描く)という意味で具体的なバーチャルの世界がインターネットの世界であると言えるのかもしれない。その次がリアルの世界、いわゆる現実世界である。「心の世界」は雰囲気でしか知ることは出来ないだろう。しかし、それを基盤として作られるバーチャルの世界、すなわちインターネットの世界は肉眼で見ることが出来るし、聞くことも可能である。勿論一部であって全てではないが、ここに描かれた世界が、リアルの世界に現出すると考えてもほぼ間違いはないだろう。
中近東の原理主義者と思われるサイトなどを見ると、目にはかなりきつい画像が出ていることがある。それはリアルをバーチャルに変えたものだが、逆にバーチャルの世界を意識的に光明化すれば、リアルの世界も光明化されると考えられる。
①心の世界→②バーチャルの世界→③リアルの世界、である。心の世界の改造は、世界平和の祈りや誌友会などによって心を変える。リアルの世界は、国際平和信仰運動の実際的な行動によって、唯一絶対の善なる神をお伝えすることによって実現する。もう一つが、私の個人的な観察によるとバーチャルの世界(インターネットの世界)である。この世界を光明化することが重要ではなかろうか、と考えられる。この世界が光明化すると確実に現実世界は光明化する。
 ポスジョイの使命もまたここら辺にあると考えられるのでは無かろうか。『日時計日記』については、自分だけのものであるが、念の発信という意味に於いては、思うこと自体が「念」を世界に放出することになり、日時計日記を書き、明るい思いを起こすこと自体が、世界平和につながると考えられる。
 翻訳機能はまだ完成度は高いとは言えないだろうが、いずれ自分が書いた日本語の文章が地球の裏側で即座に読める時代が来るだろう。グーグルの翻訳機能などは、多数の異国言語に翻訳できるという驚くべき機能がある。
 私たちがお伝えする真理は最高のものであるが、神の国の情報処理・神の国の情報伝達の諸道具の使用能力については、まだまだの所があるのではなかろうか。島根の皆様とできるだけ、お互いに情報交換をしながらご一緒に進んでいきたいと思う。
 世界はさまざまな面で転換点に来ている。国際本部が八ヶ岳に移転することに関しても、世界の歴史の転換点に於けるご決断である。その行動は人類をリードする礎石になることは間違いない。「私たちの行動は、人類の運命を変える」という信念・信仰を島根の皆様と共有したいと思う。
 現代の子供たちは、ゲームを日常的にやっている。それがパソコンを日常的に使用することに発展する。家の子供はお絵かきソフトでの絵などはよく使用して描いているようだ。そんな世代がいずれは日本や世界の中核世代となる。こどもの吸収能力は高い。ひょっとしたら、それらを私たちが後追いで能力開発をしているのかも知れない。
 バーチャルであるが、人間が心に描いたものである。その世界に描かれたものが此の世に現れるとしたならば、世界平和の祈りによって、私たちが祈りを捧げると同時に、バーチャルの世界を浄化し、迷いの文章と映像の世界を、日時計主義の文章と映像が陵駕するように展開することは、私たちの運動にとっては極めて自然な行動であろうと考えられる。
 この度の、秋季大祭において、インターネットの世界の日時計主義化を考え、総裁先生のお言葉により、決意を新たにした次第である。

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。講習会は平成22年11月28日(日)です。今回の講習会は総裁先生として初めての島根教区へのご指導となります】
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*島根県教化部のHPへどうぞ!http://simane-rinku.cocolog-nifty.com/blog/

*今日のポスジョイ http://postingjoy.com/users/65091121150101/diary/show/30894

中内 英生拝 

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November.20.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間④”」

November.20.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間④”」
今日の詩::紅茶飲み 秋の祭の 余裕かな

 昨日の続きです。

*まことの人間とはどんな人間でありましょうか?
それは霊である。愛である。知恵である。生命である、というのである。
*罪を犯すことがあるか?病にかかることがあるか?死滅することがあるか?
この質問に対して、罪を犯すことが出来ない(能わず)。病にかかることが出来ない(能わず)。死滅する子が出来ない(能わず)、と書かれている。
出来ない(能わず)とはどういう意味であろうか。それは人間は肉体ではなく霊的存在であり、実相そのものであるからである。
 もし人間は肉体であるならば、罪は肉体人間が犯すのであり、病気は肉体人間がかかるのであり、死滅するのは肉体人間が死滅するのであるから、そのようになるのであろうが、人間は肉体に属する物ではないということになると、罪を犯しようが無く、病気にかかりようが無く、死にようがないと言うことになるのである。
 何ということか!!人間がそのような神聖なる偉大なる存在であるとは!!

 それならば、罪、病、死とは何であろうか?それは悪夢に過ぎないのである。それはあたかも、バーチャルな自分をコンピュータの中に描いて、そのコンピュータゲーム上の自分が転んだときに操作している本当の自分が転んだと想うようなものである。それはあり得ない。
 70頁の2行目には、『汝ら生命の実相を自覚せよ。』とあります。また、同じく70頁の2行目には、『汝らの実相たる”真性の人間”を自覚せよ。』、ともあります。
さらに、71頁の5行目には『汝ら自身の本姓を自覚せよ。』ともあります。
 『生命の實相』第一巻の総説編の初めには、「生命の実相」のそのままの円満なことを自覚すれば大生命の癒力が働いて神癒となります」とあります。
すなわち、神想観にしましても、神の子を自覚することが大切なことです。この『甘露の法雨』は読誦すればするほど、「生命の実相」を自覚するに至るのです。従いまして、意味をよくご理解されながら拝読していただきたいと存じます。そのためには、『新講 甘露の法雨』解釈』と『甘露の法雨は素晴らしい』の拝読をお勧め致します。

  もう一つ進んでおきましょう。『真性の人間』とはどのような存在であるか?ということが定義されています。
『真性の人間は神人にして神そのままの姿なり。』と。
①神人である。
②神そのままの姿である。
 神人とは、広大無辺なる神様が個性化した存在とでもいうのでしょうか。最高の表現です。さらに「神そのままの姿」であるとしております。私たちの本性・本質の姿が神通自在の姿であるとしたらならば、人生に於きまして何も恐れることはないということになるのです。
 最近、島根の白鳩さんたちは、お互いに「白鳩天使」であると讃嘆しておられるようです。この言葉ですが、谷口雅春先生のご揮毫が松江道場にあり、その御言葉からであるようです。素晴らしいことです。そのように真性の人間を讃嘆しておりますとそのような姿が現実に現れてくるのです。言葉の創化力であります。

【子犬のワルツ】
「こだわり人物伝」(2010/11/17)によると、ショパンは、ジョルジェ・サンドとの疑似家族的な生活に入った時、しだいに自分が阻害されていくことに気がついたという。その頃に、子犬が家に来たらしい。そこで出来たのが有名は子犬のワルツである。家庭内で阻害され、子犬にしか目線を向けることが出来なくなっていたショパンは寂しかったのかもしれないが、彼は決してそのまま引き下がっていたのではなかった。すなわち有名な名曲を残したのである。何事も栄養にしてしまうという前向きの精神があったのではなかろうか。
 現代のサラリーマンが、家に帰ったら犬にだけ挨拶をするというサラリーマン川柳があったが、明るい日時計主義の生活の方がより一層良いことは間違いないだろう。

【如何にコーチするか?】
「仕事学のすすめ」では、勝間さんが聞き役になって、水泳の平井コーチにインタビューしていた。2010/11/18の番組である。平井さんの言葉はとても参考になるように思う。
題名は、「人間力を高めるコーチィング」である。第三回は「ほめずに育てるコミュニケーション」とあった。
 「目をかける」、「手をかける」ことは必要であるとしている。それによって選手は必ず成長していく。しかし、ほめすぎない、叱りすぎないことを考えている、コーティングの方法である。褒めすぎると、「これでよいのか」と安易に考える癖がつくのだという。だから、「正当な評価」が必要である。それが相手の伸ばすという。
 もちろん、怒って指導していると、お互いに嫌になるとのことだ。これはよく理解できるのでないだろうか。
 平井さんは、選手の人間力の育成を目指すとしている。だから水泳とは別の本を読み人間力を付ける。司馬遼太郎の『坂の上の雲』なども読んでいるとのことだ。また面白いことに、マネジメントの本でドラッガーに関してのビジネス小説本、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら』(もしドラ)の題名も出ていた。
初めは「教える」チーティング。そのあとは、コーティングである。
 自分で考える能力をつけることであるとしている。すべてを教えない。コーチである自分が言いたいことを、選手に考えさせて、言わせて、やらせる。コーチはヒントは言うが答えは言わない、という案配だ。
理想はコーチを必要としない選手である。北島康介さんが平井コーチとゆるい師弟関係にあり、自分で学び進むという方式をとっているらしい。
 それから、正当な評価の積み重ねでレベルを上げることの大切さを強調していた。
 そこに至るには、さまざまな紆余曲折があったのだろう。平井コーチは、大学の水泳部で泳いでいたが突然、マネジャーをすすめられた。選手としては伸びないと思われたのだろう。しかし、それなら、と名コーチを目指した。そして現在は世界的な名コーチである。前向きのこの生き方に感動する。

【島根教区教化部ホームページ】
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中内 英生

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November.19.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間③”」

November.19.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間③”」
今日の詩::三人で 本山参り 秋祭

 「人間」の項目の学習の続きです。
 「神の子は神から生まれた」という前提のもとに、同質であるとして確定されています。

『神は霊なるが故に人間も亦霊なるなり。神は愛なるが故に人間も亦愛なるなり。神は知恵なるが故に人間も亦知恵なるなり。』

 ここでは、様々な定義がなされています。これを心に刻み込みたいと思います。
①神は霊である。

②人間は霊的実在である。実相世界に於ける「神が造られたそのままの完全円満な姿」とでもいうような意味でありましょう。ここでいう「霊」とは、霊界で迷いの姿を現ずる霊魂であるという意味ではなさそうです。

③神は愛である。この場合の愛とは、一般的に云うところの男女の愛ではなく、神の愛、法愛、仏の四無量心というような意味ではないかと考えられます。

③人間は愛ある。意味は上記に同じです。

④神は知恵である。この知恵は、五官から来る五感情報をもとに脳髄で考えるところの知恵ではないようです。脳髄を作ったところの神の知恵でありましょう。勿論、霊界からの霊魂からの示唆的メーセージというような意味でもなさそうです。理念的な存在、「神の心動き出でて言葉となれば一切の現象展開して万物なる」というような、または、「初めに言葉あり、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき」というような聖句でイメージされるような神の知恵でありましょう。 

 また、霊、愛、知恵は物質に属するものではないことが次に説かれています。
『霊は物質の性に非ず、愛は物質の性に非ず、知恵は物質の性に非ず、されば、霊なる愛なる知恵なる人間は、物質に何ら関わるところなし。』

 「汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である」との神示から考えた時に、両親の愛は神の愛であるという由縁はどこにあるのでしょうか。私はNHK番組の「百歳万歳」を時々見るのですが、百歳以上の人はどちらかというと女性が多いように思います。この番組を見る理由は生きざまに興味があるからです。
 これは聞いた話ですが、ある時に、百歳を超えた女性にインタビューをした放送局の人がいたそうです。
インタビュアー「百歳を超えて何か楽しみはあるのですか?」
百歳を超えた女性「娘の顔を見ることが楽しみです。」
インタビュアー「娘さんは何歳ですか?」
百歳を超えた女性「八十歳に近いです。」
 動物は子育てのホルモンの内分泌が行われている時には子育てをして、内分泌が終わったら子育て行動が終わることがあります。この女性の娘さんに対する感情は物質や動物の世界からは超越した世界、もう一つ言うと神の世界からの来た感情であるように思われます。「愛は物質の性に非ず」と説かれていますが、感慨深いものを感じます。 

 また、「霊なる愛なる知恵なる人間」と御教示されておりまして、人間の本質は、知恵と愛と生命であることが定義されております。

【原子力廃棄物処分場】
 朝日新聞(2010/11/19)には、「転機の原子力・数万年の安全、どう確保」として、処分の難しさが書かれている。原子力発電は、廃棄物の次世代への影響が考えられるために世代間倫理の問題を含むのではないだろうか。要するに推進すべきは無害な太陽光発電であり、自然力エネルギー優先であろう。原子力発電は二酸化炭素を排出しないという利点は勿論ある。しかし、下記の原子力発電の廃棄物処理に関しての情報を読むと大いに考えさせられるものがあるのではなかろうか?。

 廃棄物はガラスで固めた「ガラス固化体」(高さ1,3㍍、直径40㌢)である。その中に廃棄物がある。製造直後に人が直接近づくと20秒で死に至るほど放射能が強く、数万年以上にわたって隔離しなければならない。これを厚さ20㌢の金属容器に収め、外側を厚さ70㌢の粘土で包むのである。
 実際は、数キロ四方の範囲の地下300㍍以深に総延長200キロの坑道を建設して4万本を埋めるのである。人工バリアは放射能の強い最初の千年は少なくとも持ちこたえるよう想定しているという。しかし、これは原子力発電が始まって千年は経っていないので、あくまで想定であろう。
 これが損なわれても周囲の地層による「天然バリア」が働くと期待している。仮に地下水などを通じて地上に達しても、自然界の放射能に比べて十分低くなるという見積もりであるらしい。

 大体、こんな内容だが、もし千年前の原子力廃棄物が、地殻変動の影響と気候変動の影響で道路工事の最中に地中から出てきたらどうなるのであろうか。地中といえどもマグマとプレートの関係で常に動いているということは、誰でも知っている。
 そのようなことを考えてみると、使用することとその後の処理とは十分に考慮する必要があると考えられる。特に日本の地殻構造は、数種類のプレートがひしめきあっている場所でもある。読者の皆様はどのようにお考えでしょうか。
  http://homepage3.nifty.com/ksueda/waste0000.html

【廃熱利用】
 廃熱や余剰空調、部屋の照明など、捨てられる一方の廃棄エネルギーを回収して、再利用する技術の競争が、熱を帯びているという。朝日新聞(2010/11/19)に出ていた。大いにやっていただきたいものである。しかし、コストが高く普及に時間がかかる面があるが、工場から家庭まで、手つかずの「エネルギーリサイクル」が将来的には大きな市場になると各社は見ているという。たとえば、煙突内の100~1000度摂氏の廃熱を利用した発電である。煙突の内部に、発電ユニットを設置する。または、冷房で生じた冷気で太陽電池を冷やして変換効率を向上させる。または、蛍光灯やLED照明の光を使って充電する、など。エネルギーの再利用とでもいうべき方法であろうか?
  http://www.kiis.or.jp/number1/pdf/19_oR2bK.pdf

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中内 英生

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November.18.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間②”」

November.18.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間②”」
今日の詩::こちこちと 夜半に聞こえる 時計音
(時計のこちこちという音が聞こえるのは静かである証拠である。静の中に動があるとも言えるのかも知れない。)

 「人間」の項目の続きに参ります。「人間とは何か?」という問題に対して、「人間」の定義が書かれています。しかも、否定と肯定の手法です。「○○ではなく、○○である」という方法です。否定と肯定の使い方が宗教では大切です。般若心経はすべてを否定する内容ですが、最後に彼岸の世界を肯定しています。大否定の後の大肯定です。『あなたは自分で治せる』の中に「般若心経講義」がありますので、ぜひ拝読下さい。
 神想観に於ける、「吾今五感の世界を去って実相の世界に入る」という聖句にしましても、五感の世界を去る、という現象界の否定です。その後に実相世界を肯定するのです。
では、参ります。

 63頁の2行目からです。
『人間は物質に非ず、肉体に非ず、脳髄細胞に非ず、神経細胞に非ず、血球に非ず、血清に非ず、筋肉細胞に非ず。それらすべてを組み合わせたるものにも非ず。』
人間とは…?。
①物質ではない。
②肉体ではない。
③脳髄細胞ではない。
④神経細胞ではない。
⑤血球ではない。
⑥血清ではない。
⑦筋肉細胞ではない。
⑧それらすべてを組み合わせたものでもない。
 肉眼では人間の姿が見えます。しかし、それらは人間ではないよ、という訳です。空である。従って、「カラダ」と無意識にいうのであると、親父ギャグのように言う人もいます。肉体は身柄であり、魂が抜けたら抜け殻というのです。さらに次には肯定が来ます。

『人間は霊なり、生命なり、不死なり、神は人間の光源にして人間は神より出でたる光なり。』
すはわち、人間とは次のような存在である。
①霊である。
②生命である。
③不死である。
④神より出でたる光である。
 そのようなすばらしい存在が人間であることが宣言されます。
 ところで、人間と神様との関係はどうなっているのでしょうか?聖経は答えます。
『光と光源とは一体なるが如く人間と神とは一体なり。』
何と、人間と神とは一体であるという。こんな有り難いことはないではありませんか。「南無阿弥陀仏」と唱える行があります。自分が阿弥陀様をお呼びすると阿弥陀様が答えてくれると考えられがちです。しかし、そうではなく、阿弥陀様が私たちに対して、「我が子よ!」と言って慈悲のお声をかけ給うが故に、その念を感じて、今度はこちらから、「阿弥陀様!」と言って答えている姿です。頼んでも頼まないでも生命をさきはえ給うのが御親の神様であり、阿弥陀仏です。すでに救われ済みであり、すでに与えられ済みです。それを認識する時、その実力が発揮できるのです。
「いだかれてあるとも知らず愚かにも吾れ反抗す大いなる御手に」という古歌があります。与えられていることに対するただひたすらの感謝こそ真実の行です。「日時計日記」の毎日記載行こそ、与えられ済みの功徳に感謝する行事であります。
 感謝は実に絶大な力の源泉です。単に受け身のものではなく感謝の極に、積極的な創造力に変換します。それは、感謝が報恩の念に変化するからです。
 今日も、日時計日記を記載致しましょう。類は類を招びます。「喜べば喜びごとが喜んで喜び集めて喜びに来る」のです。

【支持政党の見分け方@米国】
 オハイオ州クリーブランドに住む公認会計士ジョセフ・フリードさん(60)は、長年共和党支持層と民主党支持層との実生活の違いを分析して、二年前に『民主と共和・誇張と現実』という本を出版したという。この分析が朝日新聞(2010/11/18)に掲載されていたが、大変面白い。
 Fさんによると、熱心な共和党支持者は祝日に国旗を掲げる。献血に協力的、納税額が高い、他人の善意をあまり疑わない、近隣の人に親切、家には銃を置いている。所得や年齢にかかわらず、自分を「幸せ」と感じる傾向が強い。ただ同性愛者の結婚や大麻の合法化には根本的に反対する。聖書の教えに忠実で、ダーウィンの進化論にはなお得心がいかないという。
 それに民主党支持層は、貧困対策に熱心で、外交問題に詳しい。各種の政治デモにも積極的である。反面、子供を軍に入れる意欲は低い。自己愛が強すぎるのか職場で怒りを爆発させることがあるという。成人映画やギャンブル、宝くじを好む。結婚前に妊娠に至るカップルが少なくないという。
 20年ほど前までは、昼間に討論会で攻撃し合った民主と共和の候補にも、夜は酒場で肩を組んで酒を飲み交わす余裕があったそうだ。しかし、今はそれが消えたという。そして、政治家だけでなく市民までが保守かリベラルかで対立する時代になってしまったと嘆く。
 面白いのは、次だ。コーヒー大手スターバックスに通ってカフェ・ラテを飲むのは米市民に言わせると「何とも民主党的」であるらしい。逆に、創業家が共和党を支えてきた醸造大手のクアーズ社のビールを飲むのは共和党寄りの印らしい。
 挿絵が出ていたのでご紹介する。
車…共和(ハマー、ポルシェ・シボレー)、民主(プリウス・ボルボ)
TV…共和(FOX)、民主(MSNBC)
映画…共和(戦争物、アクション)、民主(お笑い、ロマンス)
音楽…共和(カントリー)、民主(ジャズ、ラップ)
スポーツ…共和(ロデオ、カーレース)、民主(テニス、サッカー)
髭…共和(整えた短髪)、民主(長め、ひげ好き)
服装…共和(男性はスーツ系、女性は量感たっぷりの髪)、民主(男性はカジュアル系、女性はさらさら髪)
料理…共和(フライドチキン、バーベキュー)、民主(寿司、菜食)
飲み物…共和(スターバックス)、民主(クアーズ・ビール)
 ざっとこんな感じだ。形は心の影、の法則の理論から考えると理解できるのではなかろうか。
 明るい心になると風水も明るくなるし、人相も手相も、健康も境遇もよくなる。しかし、お墓や家など重量級のもので変化しにくものもあるだろう。そんな時には、「因縁を超越して、生命本来の円相的自由を獲得せん」ということになるのではなかろうか。因縁はありながら因縁には捕らわれない、超越した姿が出現すると考えられるのである。

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November.17.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間①”」

November.17.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”人間①”」
今日の詩::肌に滲む 冬の寒さと 快さ
(心を集中して聖典を拝読したり、ブログを書き込んでいると、寒いことが逆に集中力を高めてくれるように思う。)

  島根の皆様、この度の講習会のご推進では相当の数の聖経『甘露の法雨』読誦をしておられ、心から感謝申し上げます。さて、「人間」の項目に入らせて頂きます。

 生長の家の神様が、ご自分のご存在は何であるかを高らかに宣言しておられます。
.『吾は真理なり、真理より遣わされたる天使なり。真理より照りかがやく光なり、迷を照破する光なり。吾は道なり、吾が言葉を行うものは道にそむかず。吾は生命なり、吾に汲む者は病まず死せず。吾は救なり、吾に頼む者はことごとくこれを摂取して実相の国土に住せしむ。』
 かなり長いのですが、文脈としては簡単です。生長の家の神様の御本質や目的などについて語られています。生長の家の神様は、招神歌にありますように、「天地の祖神」の世界を”伝えるため”に顕れまし給う神様です。すはわち伝道目的の御出現です。応化神としての神、いわゆる第二義の神様となります
 従いまして、神様のみ使いとして、み教えをお伝えし、人類救済、国際平和信仰運動を行う人にして、生長の家の神様の「伝える」心と波長が合い、生長の家の神様の御心を理解するに至ると考えられます。このことは重要です。神想観と聖典等の読誦だけで終わってしまい、愛行・伝道のために動き出さない人は本当の意味で生長の家の大神様の御心が理解できているかどうかは疑問です。
 その点、島根教区の年間行事手帳『光明島根』10頁に掲載されている「使命を生きる祈り」の実修は大切であると考えられる。
 常に三正行の実践を総裁先生からご教示いただいておりますが、これは実に重要なことです。ではまとめてみましょう。「吾は…」とあるところです。
①真理である。
②真理より遣わされたる天使である。
③真理より照りかがやく光である。
④迷いを照破する光である。
⑤道である。
⑥生命である。
⑦救いである。

 さらに、「生長の家の神様に依頼する者はどのような結果になるか?」が示されています。
『吾に頼む者はことごとくこれを摂取して実相の国土に住せしむ。』と。
「ことごとく」とは誰でもということです。実相の国土に住むことが出来るとあります。実相の世界に既に住んでいることを知ることができ、さらにその自覚の展開として、健康・幸福・大調和の世界が神への依頼者の周囲に出現いたします。
 従いまして、何かありましても何も無くても、神様を呼ぶ心の習慣を付ける必要があるのではないかと思います。
 神号誦行と申しまして、「すみのえのおおみかみ、すみのえのおおみかみ…」と、十言の神号を唱えて神様をお呼びする誦行もあります。神様の世界は完全円満であるので、いまさら救いを求める必要はない、との考えもありましょう。しかし、子供が信頼し愛する母親の名前を呼ぶ時、限りない情感が湧いてくるように、招神歌第四首にあります、「生長の家大神守りませ」の御文章は神様と神の子との人格的ふれ合いの言葉として重要であります。
 さらに、『詳説神想観』にご教示されておりますように、「神を愛する神想観」では落涙するくらい神から愛されているという歓喜がわき起こると書かれております。
 生長の家のみ教えを戴くことができました千載一遇の幸運を生かして、大いに基本教義を学びつつ行じ、さらに総裁先生の御著書を拝読して現代人への伝道を強力に展開したいと念願しております。
  これで、62頁の3行目までを終わらせて頂きます。

【再生医療の会社】
日経新聞(2010/11/18)を読んで、さまざまな再生医療の会社が勃興してきていることを知った。私たちは再生医療に関して、『神を演じるまえに』や『今こそ自然から学ぼう』などを判断基準として、倫理面での是非を論じている。
 今日の情報は事業化が進みつつあるという現状である。「バイオベンチャー各社」「再生医療の実用化急ぐ」「富士フイルム系軟骨量産へ設備」「角膜、欧州で申請」などと書かれている。
  http://www.cellseed.com/
 再生医療は、怪我や病気などで損傷を受けた臓器や組織を再生する治療法である。患者自身や他人から採取した細胞から臓器や組織を取り出し、損傷を受けた臓器や組織の代わりとして移植するのである。治療用の臓器や組織が確保しやすくなるほか、患者本人の細胞から必要な臓器や組織を作り出す。そうすると移植時の拒絶反応を避けられる利点があるとしている。
 他人の組織を活用すると、拒絶反応がでるので、それを免疫反応を抑えるようにすると、他の外来細菌などから自分を守るという自己防衛機能が弱くなることがあるからである。
 富士フィルムホールディングス系のジャパン・ティッシュ・エンジニアリングは来秋までに、「ひざ関節の軟骨」を再生する培養軟骨の生産体制を国内で整えるそうだ。また、セルシードは来年にもやけどや病気などで傷めた目の角膜を再生する培養角膜の製造販売承認を欧州で申請するという。従来の薬では治しにくい難病に治療の道を切り開く再生医療の市場は、今後本格的に立ち上がるとしている。技術の実用化を急ぎ、企業の成長につなげる狙いがあるとのことである。
 どうやら、また色々と学習できそうだ。読者の皆様、ぜひ上記の二冊の御著書を精読いただきたい。

【NYの主夫】
 アメリカの新情報である。日経新聞(2010/11/14)によると、ニューヨークでは、子育てに専念する「主夫」の輪が広がっているという。女性が外で働き、男性が家を守るという新しいスタイルが定着する反面、育児に悩んだり、女性が多い子育て現場では、孤立感を感じたりする父親が増加しているという。雇用情勢の改善の遅れが一つの原因であるようだ。主夫という存在が広がる中で、同じ立場の人々の情報交換ネットワークが広がっているようだ。シテイ・アット・ホーム・ダッド、家にいるお父さん、という意味で、SAHDと呼ばれているという。生長の家では父親教室があるが、かなり違うようだ。もしインターネットでの自動翻訳機能が働けば、日本の父親教室とニューヨークのSAHDの人たちとの交流も可能性がない訳ではないのでは無かろうか。接点ができれば、きっとお役に立つことが出来ると思う。.

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。講習会は平成22年11月28日(日)です。今回の講習会は総裁先生として初めての島根教区へのご指導となります】
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中内 英生

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November.16.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”罪③”」

November.16.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”罪③”」

 続きの作業を行います。
『甘露の法雨』56頁の1行目です。やはり、罪と病と死との定義があります。
そして、生長の家の神様のご出現の目的が示されています。
『我れは此の仮面を剥いで罪と病と死との非実在を明かにせんが為に来れるなり。』

 罪と病と死とは非実在である。「この三つは実は本来、無いんだ」ということです。
また、「十方の諸仏はどのようにして衆生を摂取したか」、の質問に対して答えています。
*衆生を摂取してよく罪を消滅したまえり。
衆生を自分の中に入れる。すなわち愛または四無量心によって罪を消し去ったと考えられます。

 イエスキリストはどのようにして罪を消したのでしょうか?
『イエスキリストもただ言葉にて『汝の罪赦されたり』と云いてよく罪を消滅したまえり。』
言葉で罪を消したというのです。しかし、それは強い愛に基づいた言葉でしょう。江戸時代には「火消し」という言葉がありますが、イエスは、言葉による「罪消し人」であります。

イエスとマグダラのマリアとの劇的出会いと会話が思い出されます。また、『愛は刑よりも強し』に出ているスターデーリーを思い出します。夢の中に出てきたキリストの無言の言葉、「汝は罪無き者である」との言葉でデーリーの魂は癒やされたとされております。

また、生長の家の神様はどのようにして罪を消すのでしょうか?
『われも言葉にて「生長の家の歌」を書かしめ、言葉の力にて罪の本質を暴露して、罪をして本来の無に帰せしむ。』とあります。

 「罪の本質を暴露して、罪を本来の無に帰らす」とあります。「罪本来無し」の理論、すなわち人類無罪宣言を『生命の實相』という膨大な言葉によって説き尽くす。その結果、罪の意識が消滅するのです。従って、聖典読誦を常に行う必要があります。

 「読んだらどうなるか?」が説かれています。
『わが言葉を読むものは実在の実相を知るが故に一切の罪消滅す。わが言葉を読むものは生命の実相を知るが故に一切の病消滅し、死を超えて永遠に生きん。』とあります。
①実在の実相を知ることになる。→一切の罪が消滅する。「部屋の中は光だけだ」と知ると「闇はない」と必然的に分かることになります。
②生命の実相を知るに至る。→一切の病気が消える→死を超えて永遠に生きる。
死を超えるとは、死なないことです。肉体は自分ではない、と知るので、肉体が死んでも本人は死にません。個性生命を持続しつつ、無限の生命の実相を現象界に表現しつつ永遠に生き続けます。

 これで「罪」の項目は終了です。生長の家は罪を強調しません。しかも、無であると宣言します。それによって、罪に付与していた力が無力化するのです。聖典『人類無罪宣言』を拝読下さい。罪について『生命の實相』からピックアップした御文章が書かれています。
 罪が本来無い、と知ると何だか肩の力が抜けたような感じになりませんか?そのままの心の神の子が復活するのです。

【1500の微粒子】
 遠路イトカワまで宇宙を旅したハヤブサのことで日本は燃えている。日経新聞(2010/11/17)の「春秋」には、「宇宙の誕生が奇蹟なら、傷だらけで探査機を帰還させた人の技もまた奇蹟であろう。大気圏で燃え尽きたハヤブサの映像を思い出し、胸が熱くなる」と書かれていた。この人は、素晴らしい感動する心を持っているようだ。

【プロフェッショナルとは?】
この番組の最後に云う言葉の部分だけを録画した動画を見つけた。ここだけ聞いても本人の生きざまはわからないのだが、参考にはなる。この番組は今迄、大体見ているので、何か一つだけ心に残ればよいと思っている。
http://www.nhk.or.jp/professional/movie/index.html
http://www.shinmai.co.jp/news/20101118/KT101117ETI090002000022.htm

【世界初、反物質を閉じ込めた!】
 よく分からないが、反物質は日本のノーベル賞の内容説明の時に時々聞く言葉である。
日経新聞(2010/11/18)に掲載されていた。反物質とは、宇宙が誕生した時には、通常の物質と同じ量が出来たとされている。現在の宇宙では反物質は消えて物質だけが残っている。その理由は未だに分かっていないという。合成した反物質を手がかりに理由を突き止めることができると、宇宙誕生の謎に迫ることができるとされる。
 このような研究は、私個人としてはよく分からないので余計に魅力を感じる。さて…。
理化学研究所などが参加する8カ国の国際研究チームは、通常の物質と反対の性質を持つ「反物質」を装置の中に閉じ込めることに成功したという。反物質と通常の違いが分かれば物理学の基礎を検証できるようだ。宇宙の解明ができる。この成果は、18日の英科学誌ネイチャー電子版に掲載するという。
 閉じ込めに成功したのは、水素原子と反対の性質を持つ、「反水素原子」である。反水素原子はマイナスの性質を持つ「反陽子」と、プラスの性質を持つ「陽電子」からできているようだ。
 研究チームはスイス・ジュネーブにある欧州合同原子核研究機関の装置を使って反陽子と陽電子を作った。それを混ぜ合わせて反水素原子を合成した。内部に強力な磁力を加えられる瓶のような装置を開発して、反水素原子だけを閉じ込めたとしている。この結果、”合計38個の反水素原子が約、0,2秒間装置にとどまった”としている。
 目では見えない状態であるようだ。しかし、何らかの証拠が目視出来る状態であるのだろう。世界初というが、私自身は、理論上では何度も読んではいるものの、閉じ込め成功の情報には驚きを隠せなかった。
 これらの理論には、み教えの「物質無」の理解に何らかの形で役立つと考えられるからである。しかし、理論があって、物質無の悟りに至るのではなく、「悟り」が先にあって理論は後からの説明である。般若心経の作者が、これらの理論に到達していたかどうかは分からないからである。また、これらの科学的理論と実証は、常に変化する。従って、理論は後である。『生命の實相』第一巻の、「近代科学の空即是色展開」にしてもエーテル説が説かれているが、現代では否定されているとNHKスペシャルでは放映されていた。しかし、理論が否定されているから、悟りが否定される訳ではない。後発の科学的理論がさらに高度化するに過ぎないと考えられる。
  http://www.riken.jp/r-world/info/release/press/2010/101118/
  http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20101118-OYT8T00235.htm

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。講習会は平成22年11月28日(日)です。今回の講習会は総裁先生として初めての島根教区へのご指導となります】
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November.15.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”罪②”」

November.15.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”罪②”」
今日の詩::かがり火や 稲佐の浜の 神迎え
(11月15日夜に、稲佐の浜へ神様をお迎えする行事に行って参りました。11月22日まで神様会議だそうです。何だか日程的には最後は総本山の大祭みたいです。従って11月が神在月であるそうです。)

「罪、病、死は実在であるか?」が説かれています。
『罪は不完全なるが故に実在にあらず、病は不完全なるが故に実在にあらず、死は不完全なるが故に実在にあらず、汝ら神の造り給わざるものを実在となすことなかれ。』
 ここには、明確に、罪と病と死は不完全である、と説かれています。完全であれば安心立命が得られましょう。しかし、罪を犯し、病に倒れ、死が近づくにつれて、人間が肉体であると考えている人にとっては不安恐怖が生じてきます。
 それは罪・病・死は完全ではないからです。神が完全であり実在であるならば、神が造らない罪・病・死は不完全であり、実在ではないということになります。
 罪の状態は不完全であるから、罪を苦しみによって贖いかつ消そうとします。それを自己処罰の観念と言います。不完全であるのを消そうとするのは、元々完全な本質があるからです。それを「神の子」といいます。
 病は不完全であるから、消そうとします。そして病院に行ったり、薬を飲んだりするのです。それは人間の本質には永遠の健康、神が創造した健康が備わっているからです。
 死は不完全であるから、永遠に生きたいと願います。それは不完全な死を逃れようとする思いです。なぜならば、私たちの本質は永遠不滅なる完全ないのちが宿っているからです。
  従って、神様が創ったものでない、罪・病・死を本当にあると思って恐怖してはいけないというのです。それは、大いなる誤認であるに過ぎません。

 再び、「罪と病と死との定義」が説かれています。
『罪と病と死とは神の所造に非ざるが故に実在の仮面を被りたれども非実在なり、虚妄なり。』
 罪・病・死は?
①非実在である。
②虚妄である。
理由は何であるか?
「神の所造ではないからである。」
外観はどうなっているのか?
「実在の仮面を被っている。」
このようなことになります。「罪はない」という一喝を聞いて、人は、罪の意識から解放されます。罪の意識の周囲を堂々巡りしなくなったとき、その心の影として、罪を犯さなくなるのです。これは重要なことです。タバコを止めよう止めようと思っても、そう思っている間はなかなか止められません。タバコがしっかりと意識の底にこびりついているからです。
 「病はない」という言葉を聞いて、人は病いにとらわれずに立ち上がることが出来るようになります。立ち上がって歩き体を動かしていると、全身の細胞が活発化し、血液が全身を巡り健康を回復するに至るのです。
 「死はない」と言う言葉を聞いて、霊界の霊魂の不安・恐怖心が消滅します。肉体が自分であるという迷いから出発し、死が存在するという恐怖心に囚われるようになります。肉体は影であり、人間ではないということになると、永遠に生き通す生命が自分だと云うことになり、死はないという結論至るのです。そこでは常楽の世界を味わうことになります。
 今日はここまでとさせて頂きます。

【球体組織】
 「仕事学のすすめ」というNHKの番組がある。勝間さんがインタビューする。一応、私は毎週見ている。大変興味のあることが多い。南場智子さんという若い社長さんと会話していた。850人の会社である。ゲームソフトの会社のようだ。彼女は英文学を卒業したが、社員は理系ばかり。面白いと思ったのは、時間を作って、東大卒業の人に高等数学の難問を教えてもらうことだ。頭の体操になるのではなかろうか。
 彼女は組織を上下関係にとらわれない組織にしようとしていた。球体組織を目指す、としている。どの人でも組織全体を代表する存在として責任を持って仕事に取り組むというのである。だから、ぎりぎりの仕事を敢えて任せる。そして能力を伸ばしてもらうのだという。
 イメージ的に上下関係のピラミッド型の組織よりも、球体組織の方が表面積が大きく、また強い組織であると考えている。従って、部下からも大いに学ぶ。また、自分でコーヒーをこぼしても部下に拭かせると云うこともなく、「ごめん、ごめん」と云いながら自分で拭くことを苦にしない。そんな社長さんであるようだ。従って、自由にアイデアを出し合ってここまで会社(ディー・エヌ・エー)を生長させているとのことだった。「この女性はすごいなあ」の一言である。
  http://www.youtube.com/watch?v=Ci45dGANxks

【彫刻家 碌山】
 絵には興味があるが、彫刻にはあまり興味はなかった。しかし、長野県の安曇野で、100年前、30歳ほどで亡くなった彫刻家のことをNHK(2010/10/17)で放映していた。
碌山は近代彫刻を変えていった人物であるという。心臓に持病があったらしい。彼が一人の女性・相馬黒光に出合うことにより、彼の彫刻は変化する。しかも、黒光は経営(新宿中村屋)でも有能だったという。彼女の回りには様々な芸術家が集まりサロンの女王とも云われた。
 この物語には、日時計主義とは少し違ったものがあるように思えるのでこのくらいにしたい。しかし、人との出会いで人間の運命は変わるということが理解出来ると思う。それならば、出来れば良き出会いを望みたい。そのためには、良き出会いに波長を合わせるために心を浄め、神の御心を第一とする生き方を実践したいものである。
  http://www.nakamuraya.co.jp/salon/p01.html

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中内 英生

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November.14.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”無明④、罪①”」

November.14.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”無明④、罪①”」
今日の詩::ススキ揺れ 小春日和に 子らの声
(ススキが美しい季節です。秋が過ぎてすでに冬ではありますが…)

 「迷い」とはなにか?との問いに対して、迷いの定義が続きます。
『迷は実在に反するが故に非実在なり』、と。
実在でなければ、非実在である、という。「本当にある」のでなければ、それは「無い」んでしょう、という訳です。たたみ込むような真理の言葉を拝読して行くうちに、「迷いは無い」という思いが悠然として湧いてきて、無恐怖の境地に誘導されて参ります。

 さらに結論が最後に来ます。
『されど、迷は実在の虚なるが故に 憂苦も懊悩もただ覚むべき悪夢にして実在には非ざるなり。』
 迷いとは、実在が無いと云うことである。自分が肉体であるという迷いから、死んだら恐いとか、病気になったら困るとか不安恐怖が起こってくる。しかし、肉体は本来実在ではない、本来無かった、ということになると、死んだら困るとか、病気になったら困るとかいう思いが消滅してしまう。
 そして、無恐怖の状態になるので、無ストレス状態で人間は健康を回復する。何ものにもとらわれない自由自在の心を回復して、さまざまな問題を解決するに至るのである、というのです。
 「覚むべき悪夢」とは何といううれしい情報でありましょうか。「必ず覚める悪夢を迷いという」訳です。 

 次は、「罪」です。最初の定義的表現は、「すべての真実の実在とは何か」という問いに対する解答です。
『すべて真実の実在は、神と神より出でたる物のみなり。』
これは実に重要です。自分で考えている罪や迷いや不幸、災難は神から出たものであろうか、と云う命題があります。もし罪が神から出たのならば、罪を消すことは神に反逆することになります。もし、迷い、不幸、災難、病気などが神様が創ったものであるならば、それらを消滅させて、人間に自由を与えることは、神に対する冒涜であるということになります。しかし、そうではない筈です。それらは神の創造ではなく、人間の迷いの産物であるに過ぎません。
 従って、神と神から出でた物、すはわち実相世界に存在するものすべては、またはそれだけが神の創造であるということになるのです。

 次に「神」の定義的表現が述べられております。
『神は完全にして、神の造りたまいしすべての物も完全なり。』
 神は完全の別名であるというのです。または、逆に神が創造した物はすべて完全であるとも言えるのです。さらに、重要な自分に関する事柄の質問が出てくるのです。上記の人間の完全さを受けての質問です。
『汝は罪を以て完全となすや?』と。人間は完全であるという結論に対して、不完全な罪のある人間は完全であるか?という矛盾した問いであるのです。
 読者の皆様、どのようにお考えでしょうか。その答えは、次の文脈の中に答えられています。
 今日はここまでにさせて頂きます。

【灼熱アジア】
第一回目のNHKの特別番組「灼熱アジア」では、タイのバンコクの経済状況が放映されていた。いわゆるアセアンのFTAの関係である。アマタ工業団地というところに各国が工場を建設していた。ここでは日本の企業もタイの企業に買収されていた。そういう時代になっているようだ。南武タイ工業という金型の企業のことも出ていた。タイは経済成長率が7%であり、自由貿易協定によって、有利な輸出の関係でここに進出する企業が多いという。日本の企業も、座して死を待つよりも、しがみついてでも生きるとして、ここに進出している企業が増えているそうだ。日本に於いて、企業の空洞化が進めば、日本での雇用が減少するということにもなるのであろう。
 世界の情勢は、時々刻々変化している。島根にいて、世界を直接変えることはできないにしても、変化の動向をみ極めることは必要であろう。また、日時計主義の言葉の情報を発信することは十分できると考えられる。小さいことの積み重ねと、「継続は力なり」でもある。一人の力は微力であっても、総裁先生を中心とした日時計の集団の力はさまざまな威力を地球の命運に対して発揮すると考えられる。

【トビイロウンカ】
 サイエンスゼロ(2010/10/30)では、海外で大発生するトビイロウンカが日本の稲を坪枯れさせる原理と対策について放映していた。対策は抵抗性遺伝子を日本の米に導入するのだそうだ。さて。
 中国やベトナムでは、ハイブリッド米という米を作ることが多いそうだ。これは収穫が20%増える。しかし、害虫に弱いので、沢山の農薬を散布する。私が中学校時代のころの日本の農村のようなものだろうか。
 農薬を散布するとウンカは駆除できる。しかし、その農薬で生き残るウンカが誕生したのである。
 どんな抗生物質の効かない細菌のことが話題に上っていたが、どうもそんな具合のようだ。これはアジア全体の問題としている。なぜならば、そのウンカは風に乗って日本へやってくるし、その国だけでは、抑えることは出来ない。数日前から飛んできている黄砂のようにである。
 トビイロウンカは特に中国・ベトナムから飛んでくるそうだ。風を利用してである。大体一ヶ月の寿命だ。二種類あるというが、一匹が1000倍に増えるという。これはすごい!。私は子供の頃、母親がウンカを一匹見つけた時、一所懸命になって駆除していたことを思い出す。
 このトビイロウンカに対して、稲を勾配して新しい稲を作るという「遺伝マーカー育種」という方法を使うという。抵抗性遺伝子を持つ苗を選抜して育成するという訳である。
Marker Assisted Selection というそうだ。しかし、この種類の稲を育ててもさらにそれを食べるウンカが発生する。それは長く続くいたちごっことなる。
 従って、複数の方法を使う。総合性害虫管理という考え方であるらしい。害虫の天敵や薬品など総合的に使うのだという。しかし、天敵の駆除のために生態系がさらに破壊される可能性もあるので注意を要するのではないかとも考えられる。
 鹿の駆除のために鹿の天敵であるオオカミを導入するなどの意見などもその部類に入るのだろう。
 さて、島根の皆様、あなたならどうされますか?まず、神想観をしながら『甘露の法雨』を読誦なさいますか?何か信仰的に解決したよい実例は無いものでしょうか?具体的にはどのようになるのでしょうか?

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November.13.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”無明③”」

November.13.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”無明③”」
今日の詩::一句詠み 冬の月見て また一句
(おぼろ月、というよりも黄砂月であろうか。黄砂は春の季語になるかも知れないが、冬の黄砂は分からない。)

さらに「迷」の定義が続きます。
『心は物質の主にして、物質の性質形体はことごとく心の造るところなるにもかかわらず、心をもって物質に支配さるるものと誤信し物質の変化に従って 憂苦し懊悩し、われとわが生命の円満完全なる実相を悟ることを得ざるを迷と云う。』
このように説かれています。

①心は物質の主である。
(自分の部屋で周囲にあるものもすべてそこに自分または家族などが置こうという思いが表れている。健康にしても、健康を維持しようという心が不健康な食生活や仕事の仕方を避けるようになる。夢を思い続け、実現の努力をし続けるところに、夢という心の内容が実現する。)
②物質の性質形体はことごとく心が造る。
(肉体の健康・不健康にしても、品物を色々な形に製造するにしても、すべて心で考えて造るのである。運命にしても、明るい運命を造る時には、自分が明るい日時計主義の心になって、明るい事物を引きよせることができる。)
③物質が心を支配するという誤信
(自分の心が造り、呼び寄せたという三界唯心の原理を知らずに、現象を見て驚き恐怖する。それを「迷」という。生長の家倫理学では第四の神性隠蔽とも云う。)
④物質が変化に従って憂苦し懊悩する。
(不安・恐怖など神の子ならざる心を起こした結果、病気となったのを、原因である自分の心を調べず反省せずに、結果である病態を見て苦しむ。これが「迷い」であるとする。
医療に反対しているのではありませんので誤解無くお願いします。)
⑤自己の生命の円満完全な実相を悟ることが出来ない。
(その迷いは、どこから来るかというとどこからも来ない。光がない状態を迷いというのに過ぎない。完全円満な本当の神の子である自分だけがあると知ると、不完全であるという意識(迷い)が消えるのは当然である。私たちは、電灯をつけることに専念する。すなわち、神想観で完全円満な自分を内観すること。聖典等の読誦によって、自分の完全円満性を詳細に知ること。愛他行によって自他一体の悟りを自己のものとすることである。
 「日時計日記」の記載は特に現代的な強力な太陽光線による”迷い”除去法であると考えられる。)
⑥この状態を「迷」というのである。
(光がない状態が迷いであって、迷いという存在、物質的なものがある訳ではない。このことは実に大事である。)

さらに、迷いとは?
『迷は真実の反対なるが故に無明なり。』
(真実とは実相と同義語で考えて良いと思うが、光に対して闇である。健康に対して病気である。幸福に対して不幸である。このように考えるとあたかも「闇、病気、不幸」などが実在するように思えるが、そうではない。闇は光の虚、病気は生命力が十分に発揮されていない状態、不幸は神様の知恵と愛と生命を発揮していない状態であり、決して本当にあるのではない、と聖経には説かれているのであります。
 おそらく読者は今朝も『甘露の法雨』をご仏前で拝読されたと思いますが、内容をしっかりと把握しながらの拝読をお勧め致します。是非、『新講 甘露の法雨解釈』を繰り返し拝読下さい。

【花粉学者】
こんな学者さんがいるということを初めて知った。朝日新聞(2010/11/10)の「ひと」に出ていたエステラ・レオポルドさんである。83歳。コスモス国際賞というのを受賞されたそうだ。この賞は日本版ですね。
http://www.expo90.jp/news/2010jyusyo.pdf
 地層に埋もれた花粉から、過去の植物や気候を解き明かすかたわら、環境保全活動を続けた業績に、大阪の「花の万博」を記念したコスモス国際賞が贈られたという。
 何と、3400万年前の動植物の化石が大量に見つかった米コロラド州では、地価上昇が続く1960年代に開発が始まろうとしていたという。化石が壊されると、永遠に過去の記録が失われていく。見学会を開催し、多くの人々に化石を見てもらったらしい。議員にも働きかけた。裁判で勝訴した。開発は止まった。「7年がかりだった。7年は地質学では一瞬だが…」と言う。
 1980年、セントヘレンズ山が噴火し、600平方キロの森林が消えたことがあった。その時、植林や魚の放流の対策に反対した。何故なのだろうか。人が手を加えなくても、自然が回復する。その過程を見るチャンスであるというのが理由だった。思い切った考えだと思う。自ら議会で証言して、国定公園化に尽力したそうだ。
 会津磐梯山は火山の噴火で何も無くなった。それを人が植林をして私は何度もそばを通ったが青々とした山であり、休火山だと考えることは難しい。
 環境への思いと行動は父親譲りであるという。父親は環境保全活動の先駆者であり、アルド・レオポルドさんであるという。
http://www.cosmo-oil.co.jp/terre/06/02-01.html
土壌、水、動植物、すべてを健全に保全する大切さを「土地倫理」という言葉で訴えたそうだ。
http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=1965
放棄された、荒れた農地を買い取り、何年もかけて自然の姿に戻す父親の姿を見て育ったという。兄弟全員が科学者となった。5人のきょうだいで末娘であるという。地と親に反発したことは一度もない。素晴らしいことである。
 父親が買い与えてくれた図鑑で、植物の名前を覚えることに夢中になった。そして植物学者となる。ワシントン大学名誉教授でもある。現在も研究を止めない。毎日大学に通い、顕微鏡をのぞいているという。
 素晴らしい向学心、使命感である。私たちの常にこのような生き方をしたいものである。「土地倫理」という言葉は、「環境倫理」という包括的言葉で私たちは学んでいる。大いに参考になったのではないかと思う。

【ライフセーバー・本間錦一さん】
83歳で、日経の青汁の宣伝に写真が出ていたが、余りにもさわやかなお顔なのでご紹介した。青汁をお勧めしているのではありません。発するお言葉がなかなか素晴らしい。
①年齢なんて考えていない。
②年なんて考えず自分の若さを見せつけてやるくらいがいい。
③何事も「継続は力なり」、です。インターネットでも顔写真が良いのがないのですが、一応アドレスをご紹介します。
http://blogs.yahoo.co.jp/chokeemarbo/61504448.html
http://www.ohbsn.com/niigatajin/2010/08/16/816.html

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November.12.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”無明②”」

November.12.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”無明②”」
今日の詩::誰か知る 黄砂降りつつ 冬がすみ

 前回に続きます。
「迷」の定義が再び行われます。

『生命は本来物質のうちにあらざるに物質の内に生命ありとなす妄想を迷と云う』

 肉体が人間だと思っていると、肉体が死んだ時には人間が死んだと思う。しかし、生命が肉体を創造した、または映しであるとすると、肉体が死んでも生命は個性を存続しながら生き続けることになると理解することが出来る。物質に於いても同様です。
 肉体に永遠の生命が宿っていると考えることが迷いであるということになます。普通は「肉体に生命が宿っている」とそう考えます。その説明は分かりやすいのです。しかし、「それは出来まい!」というのです。生命は無限であり、肉体や物質は有限ではないか、容量が違うでしょ、と云う訳です。

 無限の生命を自覚する行法を神想観といいます。この宗教行によって、自己の無限の生命に触れることが出来ます。その生命の表現媒体としての肉体が宇宙服として、神の宮として存在することになります。神様はお宮にだけいるような有限な存在ではありません。当然のことながら、私たちの生命も、有限な肉体にだけ存在するような有限な存在ではないということになりましょう。

  肉体生命は現象生命であり、無限の生命は実相生命でしょう。実相生命は現象界に影は映してはいるものの、全面開示でもありません。従って、いまだかつて生まれたこともなければ死んだこともないということになります。
 ある時に、私がそのことを神示に基づいて話していました。すると、その後で先輩から、「人間が生まれたこともなければ死んだこともない、という表現は間違っている」と指摘されました。私は実相生命のことを話したことを説明しました。その先輩の奥様が悟りの深い人でした。その話を奥様になさったそうです。奥様は、「それは正しい」と云われたそうです。それで私は先輩から理解していただくことができました。

(つづき)

【初冬の黄砂】
12日、13日と島根は黄砂が多い。曇り日かなと思ったが黄砂であるという。10日頃にゴビ砂漠で発生した低気圧が砂を巻き上げたのが原因だと、山陰中央新報(2010/11/13)に書かれていた。私が子供のころは春先に黄砂が飛んできて、薄曇りのような天気になったものである。しかし、冬に降るとは不思議な現象である。気候変動や中国の砂漠化の影響があるのかも知れない。

【人は何故依存するのか?】
「環境が過酷であるほど、人は依存的になる」という定義を勝間和代さんが「人生を変える法則」として紹介しています。朝日新聞(2010/11/13)からです。
 勝間さんは30歳過ぎまでタバコとお酒をたしなんでいたそうです。それに逃げ込む原因にはストレスがある。そのストレスを取れば酒・タバコは不要になると。ストレスの原因はワーク・ライフ・バランスということですので、仕事上の無理のないやり方を考え、過重な労働を見直し、人間関係を改善するとお酒とタバコを止めることができたそうです。
 自分自身が何故、依存症に陥っているのか?依存によって何から逃げているのかを自己分析する。そして原因の方を除去するとしています。これは結論です。
 カナダの心理学者・ブルース・アレグザンダーは、「ネズミの楽園」という実験を行ったそうです。「Rat Park」ですので、ネズミの公園でしょうね。ネズミを、理想的な環境で育てられたものと、かごに閉じ込めて育てたものの二つのグループに分けました。それぞれにモルヒネ入りの水を与えた場合、どちらが「依存症」になりやすいかを調べた研究です。
 それまでの実験では、ネズミなどの動物は、自分を傷つけたり、餓死したりするようなことがあっても、薬物そのものの魅力が強いために、依存症になるのだと考えられていたようです。しかし、どうもそうではない結果が出ました。
 「ネズミの楽園」の実験では、「動物は、環境が過酷であればあるほど薬物依存になる」という仮説を立てたのでした。それが立証されたのです。
 理想的な環境で育てられたネズミはほとんどモルヒネに興味を示しませんでした。それに対して、閉じ込められた環境のネズミは、簡単にモルヒネ中毒になったとのことです。
 また、理想的環境に置かれたネズミは、いったん中毒になっても、簡単にそこから抜け出せたのに、過酷な環境のネズミは依存から脱却できなかったのです。
 日本に於いては、大阪大学の「幸福度調査」では、タバコを吸う人は、統計的に「自分は不幸だ」と感じていることが明らかになったとのことです。たばこを吸うから不幸であるというのではなく、不幸だからタバコに頼るということでしょう。
 結論は、薬物のマイナス効果(タバコと肺がんや免疫力低下、お酒による脳萎縮や細胞活力の低下など色々)を知りながら、心地よいというプラス効果の魅力に抵抗することができずに、薬物依存になるという訳です。薬物を快感的プラスと考える効果の大小は人それぞれの環境によって異なる。より過酷な環境に置かれている人ほど、大きくなるようです。
 従いまして、何らかの依存症を治療するには、どのような環境要因が、依存を起こしているかを分析・改善しない限り、再発する可能性が高いということになるとしています。
 島根の皆様、これはなかなか興味深いことだと思いませんか。私どもが戴いているみ教えでは、ストレス解消という訳ではありませんが、「汝等天地一切のものと和解せよ」との神様からのメッセージを実践します。するとストレスがなくなり、お酒やタバコが不要となります。
 浄心行でストレスを解消するのも同様な効果があります。しかも最近では、『日時計日記』の毎日記載によって、自分が感じる「幸福度」が増進しますので、依存物質が不要となるようです。
 勝間さんは、経済評論家・公認会計士ですが、テレビで時々でておられ、コメントがなかなか面白いです。生長の家のみ教えを知っているので、よく意味が理解しやすいようです。著書は、私はツイッターに関する他の人との共著を読んだだけです。
 私はまず、『生命の實相』と総裁先生の御著書を繰り返し拝読しましょうと、島根の信徒の皆様にはお願いしています。そうすると、今日の記事などに対する理解と解釈が出来やすいと考えるからです。総裁先生の御著書を拝読すると、現代の重要な課題に関するご教示が網羅されております。私が学生の頃には、「理論武装」という言葉がはやりまして、私自身も重装備を目指して学習したものです。武装ですので、穏やかではないかも知れません。現代では「理論装備」とでもいうべきでしょうか。大いに、三正行、神想観、聖典等の読誦、愛行に励みたいと思います。

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November.11.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”知恵③””無明①”」

November.11.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”知恵③””無明①”」
今日の詩::冬の星 外灯の下 人は待つ
(大事な物を忘れたので、友がもってきてくれた。見上げると冬の星と外灯が輝いていた。)

 それならば「不幸」は果たして実在(神が創造したもの)でしょうか。それに対して聖経は答えます。
『善ならざる力即ち不幸を来す力は畢竟悪夢に過ぎず。善ならざる生命即ち病は畢竟悪夢に過ぎず。すべての不調和不完全は畢竟悪夢に過ぎず』と。
 不幸、病気、不調和不完全、それは、詰まるところ悪い夢を見ているのに過ぎない。
自縄自縛であり、もっと言わせて頂くと無縄自縛とも云う。自分自身が自己暗示にかかっているだけであると言う訳です。そうか!自分の思いで自分を縛っていたのに過ぎなかったのか、と思うだけで心が楽になるではありませんか。

 また、生命を抑える力、吾々を苦しめる力は実在ではないのである、と説かれています。
『まことや、悪の力、吾れらの生命を抑える力、吾らを苦しめる力は真に客観的に実在する力にはあらず。』
 無縄自縛の夢の中で苦しむ。これを仏道では無明であり、神道では罪という、とあります。
 無明とは明るさがないと書いており、明るさがないが故に暗がりで真実が見えないと考えられます。そして、真実を包み隠す。または  真実の上に罪汚れなどを積み重ねて内在の光が出ないようになっている。これを「罪」であるというのです。

そして最後に、無明の定義です。
『完全円満の生命の実相をさとらざるが故に無明と云う。』
さらに、「罪けがれ」とは何か?が説かれています。
『完全円満の生命の実相を包みて顕現せしめざるが故に罪けがれと云う。』
上記の説明に同じです。

 次は「無明」です。この項目はたたみ込むようにして迷いについて説かれています。すなわち、「無明とは何か?」であります。
『無明はあらざるものをありと想像するが故に無明なり。真相を知らざるを無明と云う。快苦は本来物質の内に非らざるに、物質の内に快苦ありとなして、或いは之を追い求め、或は之より逃げまどう。かかる転倒妄想を迷と云う。生命は本来物質のうちにあらざるに物質の内に生命ありとなす妄想を迷と云う。』

①あらざるものをありと想像するから迷いである。あらざるものとは何か?たとえば肉体である。肉体は栄養素の流れがあるのを外観から見て肉体ありと見ている。しかし、そこにはローソクの炎が燃える姿のようなものであり、流れだけあって実質はないのである。川があるのではなく、水の流れがある時だけ川があるように見えるだけである。
 あたかも炎のように、燃えているから体温があると云える。「久遠いのちの歌」にあるように、「この実は炎の如し、温かく見ゆれれども、一切を焼き尽くして空し」である。
②真相を知らないことを云う。本当のことを知らないだけである。窓の外に蝉の声が聞こえている。それを雨が降っていると思い、傘を持って外出しようとする。外に出ると晴れていて、その音は蝉の声であったと分かる。その瞬間迷いは消滅する。真相が分かると迷いは消えるということになる。
  もう一つ、エカ禅師が達磨大師に問うた。「私は迷っています。救って下さい」と。大師曰く。「迷いをここに出しなさい。私が処分する」。エカは自分の心にある迷いを手探りで求めて取り出そうとした。しかし、そう思って探している間、エカは迷いは感じられず目の前に出すことが出来なかった。達磨が言った。「これでお前の迷いを取り除いたぞ」と。
 さらにもう一つ、故T元本部講師が、練成会で「迷い本来無い」という講話をした。練成会員が問うた。「迷いはどこから来たのですか?」と。そう聞かれると、T講師は分からなくなった。次の日、谷口雅春先生の教えを請うためにお山へ行った。T講師は問うた。「先生、迷いはどこから来たのですか?」。雅春先生がお答えになった。「T君、これは仏教上の大問題なのだよ。でも生長の家では簡単なのだ。迷いは…無いのだよ」と。どこから来たかと考える時、すでに迷いはあるという前提の上に立っている。迷いが本来無ければどこから来るということもない訳である。迷いは状態であって、実質ではない。

③快苦は物質の中にはない、しかしあると思って追い求める。または逃げるのである。物質を食べることが快であり、幸福であると考えて、美食をむさぼり、美酒に酔っているといつの間にか血圧が上がり、糖尿病ともなる。苦に変わるのである。その時はじめて、物質の摂取の中に快があるのではないと知るに至る。一日中、食べることに専念しすぎると苦しくなるのは当然である。
③生命は物質の中にはない。生命が生み出すのが物質であり肉体である。しかし、それを逆に考えていると、物質の多寡や健康・不健康によって人間そのものが左右されてしまう。本末転倒である。これを迷いという。
 生命が肉体を顕しているのに、肉体が主であり実在であるという迷いより、罪と病と死が認識されることになる。神示にあるように、「迷いの産物なる罪と病と死」ということになる。
 肉体には、肉体維持の本能があるとする。その欲望を満たすために罪を犯す。そして、肉体の病気を人間の病気と思い違える。それは念の曇りを見ているにすぎないのだ。そして、肉体は常に細胞が死滅し新しい細胞が生まれている。死という面から見ると、死に続けている肉体は本来無いにも関わらず、死の姿を現した時、本当に死んだと錯覚する。それは迷いであり、人間は肉体ではないので、未だかつて死んだことがない、というのが本当の姿である。
 迷いに関してはこんな感じでしょうか。島根のみなさんも、いちどこのように書き出して見て下さい。きっと、聖経読誦に対して新たな目とお開きになるでしょう。

【龍安寺の石庭】
世界遺産(2010/09/06)で紹介していた。それぞれの石の意味するものをどのように解釈するのか?についてナレーターがコメントをしていた。それによると、解釈は見た人によるとのことだった。これだけの解釈自由性がある世界遺産が他にあるのだろうか。
一つの現象について、それを悪と見る見方がある。それは人類の従来の見方である。また、観世音菩薩が何かを教えてくれるという導きの姿として感謝する見方もある。
 「現象の奥に完全円満な世界を見よ!」とのお導きであるとの見方もあろう。または、神様世界からの投影の一つとして、真象を見いだして感謝しきるという日時計主義的な見方もある。
 そのように現象界は色々と解釈をしながら、解釈力がついてくる、咀嚼力が充実していくと考えるのが毎日の進歩であるのかも知れない。

【クマムシ】
 爆笑学問(2010/08/24)で、地上最強の生物として紹介されていた。クマムシはいちどブログにご登場いただいたことがある。どこにでもいる小さな虫である。東大の極限生物学の國枝武和さんが説明していた。脚6本で体調は約0,3ミリである。緩歩動物という。151度でも生きる。寒いのは、マイナス273度まで耐えられる。この生物は乾眠という状態になるとかなり強いのだそうだ。寿命は活動状態で数ヶ月間である。宇宙に10日間出していて、再び動き出したのはこの生物以外にない。乾眠状態では9年間生きるそうだ。ここで紹介していたのは、「よこづなくまむし」という種類であった。未知のクマムシの遺伝子の解明が進んでいる。この遺伝子の解明と応用で、極限状態でも生きることができる新生物の誕生が考えられるとしている。それはどんなものだろうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%A9%E6%AD%A9%E5%8B%95%E7%89%A9
http://www.youtube.com/watch?v=NLOmw6dCKi8&feature=related

【BMI】
Brain machine interfaceの略だそうだ。サイエンスゼロ(2010/09/17)で放映していた。この方法に関しては、NHKスペシャルで見たことがあるが、ここまで来たか!という
思いがする。脳波をコンピュータに読み込ましてそれを解析し、ロボット的な腕を創って、思いの信号が手の動作に連動する装置である。神経系統はすべて電気信号に置き換えることができるという考えから、この実験と開発が進んでいるようである。これらの概念は私の表現力ではかなり難しい。悪しからず。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%B9

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November.10.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”知恵”②」

November.10.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”知恵”②」
今日の詩::防寒着 寒さうれしき 出番かな

 昨日の続きです。
『神は無量光、無辺光の知恵、かぎりなき善、かぎりなき生命、一切のものの実質、また一切のものの創造主、されば神は一切所に偏在し給う。』

再び「神」の定義です。このブログをお読みになるよりもご自分で書き出して見ると「神」に対する理解が進むのです。 
①無量光である。
②無辺光である。
③無限の善である。
④無限の生命である。
⑤すべてのものの実質である。
⑥すべてのものを創った主宰者である。
⑦どこにでも偏在する。

 従って、”神の子”の定義も自ずから導き出されて参ります。そうすると「神の子」という言葉が持つ意味は大変素晴らしい内容であることが改めて認識できるのです。

さらに「神」の定義が展開します。そして神=善として、善の定義がさらに展開します。
『神は偏在する実質且つ創造主なるが故に 善のみ唯一の力、善のみ唯一の生命、善のみ唯一の実在、…』
①どこにでもおられる。根底にある実質であり、すべての存在を創った主人公である。宇宙の果てにもチリの鉱山の地下にも、海の中にでも神様の知恵が無いところはない。神の力の及ばないとことはあり得ない。
②善だけが本当の力である。
③善だけが本当の生命力である。
④善だけが本当の実質である。

逆に、「善でない力はあるのであろうか?」という疑念に対して聖経は答える。
『…されば善ならざる力は決して在ることなし、善ならざる生命も決して在ることなし、善ならざる実在も亦決して在ることなし。』
①善ならざる力とは、暴力や他国を領土拡大のために攻撃する力とかが考えられる。それは善ではないので「実在しない」すなわち「無い」のである。
②「善ならざる生命」とは病気や老いによる老衰などが考えられる。それは、「実在しない」ことになる。病気があるのではなく、生命力がない、免疫力がないということに過ぎない。免疫力は生物の進化の過程のなかで、自然に備わってきているのですが、それが十分に、現れていないということです。その力を阻害するのが迷いであり、ストレスであると言う訳です。それに関しては別の所でご説明致します。

③「善ならざる実在」すなわち、悪人、病人、悪魔や悲惨なテロの破壊された現場などは、善でないので、実在ではない。すなわち「本来無い」と考えることが出来る。
 または、深読みして、実在の中に悪が内包するか?という問題も考えることが出来るが、それもまた、あり得ないことであり、「無」であるとする。

 私たちは、どうしてもそれらを見聞すると本当にあると思ってしまう。真理と悟りの平等の見地から脱輪してしまう。それを元に復旧するのが、毎日の神想観であり、日時計日記の毎日記載であると考えられる。神想観は、実在の世界に自分の心の照準を合わせる作業であり、日時計日記は、実在の世界から来た光、すなわち真象を認めることにより、神の力、恵みが現象世界に満ちあふれていることを再認識する作業である。その作業を進めていくうちに、本当にある創造の神を知ることになる。また、同波長の法則によって、良きものを引きつける結果を現象界に引き起こすことになるのです。
 日時計日記記載は、宗教行ではないが、それに匹敵するような威力のある行であることを知り、毎日書き続けたいと思います。
 おそらく世界の信徒すべてが毎日お書きになると、私たちの地球世界は変わるでしょう。
  少し長くなりました。次回、③で続きを書かせて頂きます。

【ワイナー】
ワイナーというと、出雲大社近くのワイナリーを思うかも知らない。しかし、それは違います。今日は、「原因は能力にではなく努力にある」ということを学ばせていただきます。ワイナーさんという米国の心理学者、バーナード・ワイナーという人の言葉を、勝間和代さんが書いている。「達成動機づけの帰属理論」というようだ。朝日新聞(2010/11/06)からである。
 難しく書かれているが、よく読むとそれらは、生長の家のみ教えに於いては、すべて説かれている。振り返って、『生命の實相』などの聖典類、総裁先生の御著書に帰るべきであると考えられる。以下、ご紹介します。

 成功への意欲がある人と無い人の違いを「達成動機づけの帰属理論」にまとめたという。
人の行動には、「成功しようとする行動」と「失敗を避けようとする行動」があり、二つが反発し合っている。
 目標を達成しようとする意欲に満ちた人、すなわち成功しようとする行動をとる人は失敗を恐れない。逆に、失敗を避けようとする人は、成功しようとする行動を取らない。これは重要です。成功を目指すには、成功を心に描かなければなりません。それのためには、「自分が成功すること」を自分自身が許す気持ちになることが必要です。それには、潜在意識の奥にある「自己破壊の願望」を消滅させる。その心の根源にある「罪の意識」を消滅させる。そのためには、私たちで云えば三正行を行ずるということになるのでありましょう。

 ワイナーの言葉は興味深いものです。
成功志向の動機が強い人は、成功した時に、理由を自分の努力のたまものと考える。逆に失敗した時は、努力不足が原因であると考えるようです。
 失敗回避の動機が強い人は、成功してもその原因を特定せずに、運任せのように考えるのです。そして失敗した時には、自分の能力不足を理由にする人が多いようです。
大学のマーケチングの講義の時、「店が繁盛しているときに、何故売れるのかが分からない店主は、不況になると必ず衰退する、成功している時に、その原因をハッキリとしる必要がある」との教授の言葉が思い出されます。これは光明化運動に於いても言えるのではないでしょうか。

 成功への意欲が不足している人は、失敗の原因を、やる気さえあれば取り組める努力の問題にではなく、どうにもならない自分や他人の能力の問題にすることで、努力しなければならないプレッシャーを打ち消そうとするのであるとしています。「なるほど」と云った感じでしょうか。

 成功志向の人は、成功率50パーセント程度のチャレンジを好むという。失敗回避の動機づけの強い人は、成功率50%よりもかなり高いか、逆に低いチャレンジを好む傾向があることも分かったそうです。
 成功動機が強い人は、実力に相応する課題を選ぶ。運に頼らず成功を求める。逆に失敗回避型の人は、実力に相応の課題であると、失敗した時に、自己責任を問われるので、とても簡単な課題か、逆に超難問に臨んだ方が気が楽なのであるとしています。これも「なるほど!」と云った感じでしょうか。
 勝間さんは、「過度な努力至上主義は危険です」と書いておられます。み教えから申しますと、両親への感謝やご先祖へのご供養や、お客さんや家族、社員の皆様への感謝、取引先や同業者への感謝などが徹底することも必要でありましょう。
 み教えでは、「神の子・無限力」を教えていただいています。この真理が実力を発揮するのには、「今、ここ、吾」の三つの自覚が必要です。それは、「自己の中に、”神=無限”そのものが在る」との自覚です。在ると分かれば使いたくなります。当然のことです。この中心自覚から、すべての良きものが出現してくると考えられます。

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。講習会は平成22年11月28日(日)です。今回の講習会は総裁先生として初めての島根教区へのご指導となります】
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中内 英生拝

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November.09.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”知恵”」

November.09.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”知恵”」
今日の詩::ごうごうと 冬の嵐か 小鳥らは?
「風が強い時には小鳥たちはどこへ行くのでしょうか?」

 今日は、「知恵」から定義的表現を抽出してみたいと思います。
『知恵はこれ本来神のひかり、実在に伴う円相的光なり、それは無量光、無辺光にして極限なし、極限なきが故に 一切のものに満ちて 一切のものを照らし給う。』
*「知恵」の定義です。
①本来神の光である。知恵は創造の神の属性である。
②実在に伴う円相的光である。実相の神の円満完全なる光である。「円相」は、広辞苑によると、「禅で、悟りの象徴として描く円輪」とも書かれている。
③無量の光である。
④無辺の光であって、限界がない。ここまでということがない。従って、宇宙空間であっても150億光年の彼方であっても、内戦が続く国であっても満ちている。
⑤一切のものに満ちている。悪人と見える人の内部にも、猛獣の中にも、無機質な金属の中といえども、知恵の光は満ちている。
⑥一切のものを照らす。秩序があるということは、そして、キチンとした形があると云うことは、そこには知恵が現れていると云うことである。
 また、現象界に知恵が顕現するように、存在のすべてに充ち満ちている知恵を内観する。基本的神想観において、『神の無限の知恵の海…』と念じる由縁である。然る後、最大限の神の知恵表現と神の知恵実現の努力を行うのである。

*次は「人間」の定義です。
『人間は光の子にして常に光の中にあれば 暗きを知らず、躓きを知らず、さわりを知らず、かの天人が天界を遊行するが如く また海魚が水中を遊泳するが如く 光の世界に光に満たされ法悦に満たされて遊行す。』

①人間は光の子である。神の子である。従って、心が明るい時楽しくなり。心が閉ざしている時、苦しくなるのである。どんな人でも明るいのが人間の本性である。
②人間は、本来、本当は、実相に於いて、光の中にいるのである。だから、暗いことを知らない。躓くことはあり得ない。
③それは天人が天界を遊行するように、海の魚が水中を遊泳するような感じである。
④人間は、光の世界を、神の光に満たされて、法悦と歓喜に満たされながら、遊行している。それが今、本来の世界に於いて実現している。

*再び、「知恵」の定義です。
『知恵はこれ悟りの光にして、無明の暗を照破する真理なり。』
①知恵は悟りの光である。本当にあるものと、本来無いものを峻別する知恵である。峻別して、本来或る完全なる神の子のみ実在であると悟るに至るのだ。
②知恵は、無明の闇を照らして真実実相を知ることができる大光明である。神の知恵によって、存在の実相を知るに至る。
 本物と偽物を見分けるにはどんな修練が必要であるか。それには、本物だけを見ることである。日本刀の鑑定士はまず有名な刀匠が作った本物の刀だけを見てそれを心に焼き付ける。すると偽物の刀を見るとすぐに偽物と分かるようになるという。本物と偽物の両方を見比べて修練するのではない。
 私たちは、今、総裁先生という正師をいただいて、み教えを学ばせていただいている。そして、本物を見つけ出す力を身につけることが出来るのである。人生に於いてこれ以上の幸運はないと思う。

*次は「無明」の定義です。
『真理のみ実在、無明はただ悟らざる真理にして これをたとえば悪夢の如し。』
①無明とは、真理を悟っていないという状態であり、本当にあるのではない。道路で目的地へ行くのに、右か左かを悟っていれば、何の苦もなくハンドルを切ることが出来る。よく目的地を調べていないと、迷ってしまい、或いはぶつかるかも知れない。それは目的地に至る本当の道を知らなかったというだけであり、無知が実在するのではない。そこに、「知悉」が無い状態、光がない闇の状態に過ぎない。光が点るとすべての闇は消滅するが如くである。
 このことは重要である。私たちは毎日悪があると新聞テレビなどで見聞している。従って、闇があると思ってしまう。しかし、それは光がない状態に過ぎない。それをハッキリと認識するために、私たちは、神想観を実修し、日時計日記を記載し続けるのである。
②無明とは悪夢を見ているようなものである。目が醒めれば、不幸な状態はどこにもない。大金持ちが、貧乏になった夢をみて、ベッドの中で苦しんでいるようなものである。

 途中ですが、「知恵」の項目は終わりそうにありませんので、次回に続きを書かせて頂きます。

【レアアース】
 レアアースは磁力や光を出す力を持っている。ハイテク産業には欠かせない。少し混ぜると金属の磁力が強くなるといった魔法のような性質がある。他の元素とは違う奇妙な原子構造に秘密があったとしている。朝日新聞(2010/11/09)からの情報である。
 便利なレアアースの生産は中国に偏っている。世界の97%を占める。埋蔵量自体はそれほど中国に偏っているわけではないようだ。米地質調査所の試算によると、中国は36%、残りはロシアや米国、豪州などにある。
それでも算出が中国に集中しているのはコストが理由である。
 米国などの鉱山は、価格競争に負けて次々に撤退したという。人件費が安いのも理由だが、(自然界に対して)強引な採取方法が出来る特殊な鉱山の存在が大きいという。
しかし、自然界の荒廃が進む危険性があるのではなかろうか。どんな方法だろうか。見てみよう。
通常の鉱山なら、地面を掘り鉱石を取り出した上で、化学処理をしてレアアースを抽出する。これに対して、鉱山そのままを処理工場にしてしまうのが、中国南部の採取方法であるようだ。
 レアアースを多く含むタイプの花崗岩があって、ほどほどの雨量であることが条件で、雨が多いと風化が進むが雨が多すぎると風化が進みすぎるらしい。この採取方法ができるには、ほどよい風化を条件とするようだ。
 ほどよい風化状態のものが中国にはある。それに酸性の液体を地面に流す。しみ出してきた液体から、溶け込んだレアアースを回収する。有害な液体が川などに漏れ出せば、環境への悪影響が出るという。この状態を私自身は映像で見たことはないが、視察した研究者は、「周囲には水田もあるので、人体への影響が心配されている」と話しているらしい。 中国が輸出制限に環境問題を挙げる理由はこうした背景があるという。隣のベトナムにも同様な鉱床があると考えられるが、まだ生産している訳ではない。
 レアアースを使わないモーターやハイテク機器の開発を日本は行いつつあるが、今迄、恐らく、発展の背後には中国の自然界の荒廃の代償があったことが考えられる。信仰的愛の立場から考えてみても、自然界を破壊しない四無量心を行ずる採掘方法はどのようなものになるのか?を考えてみることも必要ではなかろうか?。

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中内英生

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November.08.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”実在”」

November.08.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”実在”」
今日の詩::びゅーびゅーと 三瓶に向けて 冬嵐(海から吹く出雲の風、今日は冬の嵐のようである。陸の三瓶山の方角に向かっているようだ。) 

 今日は、”実在”の項目から定義らしきものをピックアップしてみたいと思います。

『道を知る』とはどういう意味か?。それは次の真理を知ることである。
①実在は永遠である。
②実在は病まない。
③実在は老いない。
④実在は死なない。

「道」という言葉は何故そう言うのか?
それは、実在は宇宙に”満ち”て欠けないからである。

「神」とは何を意味するか?
それは、「道」、「実在」である。

・「生命」は「実在」である。
その実在の性質はどのようなものであるか?
①始めなく終わりがない。
②滅びない。
③死なない。

・「生命」の性質はどのようになっているか?それは「実在」と同様である。
①始めもなく、終わりもない。在り通しの存在である。
②亡びない。
③死滅しない。
・ビッグバンの宇宙論などを考えると何かヒントが感じられるのではなかろうか。しかし、科学がそうなっているからといって結論するのではなく、始めにお悟りがある。

時間と生命との関係はどうなっているか?
本当は生命の中に時間がある。時間の中を生命が生きるというのは肉体のことである。逆に、生命の展開が時間・空間であり、生命は決して時間にしばられることはない。時間空間を生み出し支配しているのが生命である。
 生命は時間・空間の中を生きていると考えると、生命の自由を得ることは出来ない。その不自由な思いが現象界に投影される。しかし、それは生命が自己の想念によって自縄自縛しているのに過ぎない。真理に於いてはあくまで生命が時間・空間を支配する。
これが、生命の實相哲学と西田哲学との違いであるようだ。西田博士は石川県の羽咋ご出身で、私も何度か西田記念館を見学させて頂いた記憶がある。
空間とは何か?
①生命を限定するものではない。
②生命が作った認識の形式に過ぎない。
③生命が主であり、空間は従である。

物質とは何か?
①空間の上に投影された観念の綾である。
(私たちは、この表現のすごさを実感しなければならない。)
②本来無である。
③自性なく、力はない。
・鉄は硬いと云うが、限定された温度の中で硬く感じるだけである。条件によってすべては変わる。

何故、物質が生命を支配する力があるように見えるのか?
それは、生命が『認識の形式』を通過する際に起こした『歪み』である。
人間が死んだように見えるが、生命の投影である肉体が消滅するに過ぎない。生命は再び、影である肉体をも復活させる。太陽が海に没しても、太陽は消滅していない。再び太陽は昇る。肉体は生命ではない。生命の影に過ぎない。不滅の生命、それが『生命の實相』である。

生命の實相を知る者はどうなるか?
①因縁を超越する。
②生命本来の歪み無き円相的自由を獲得する。

*以上のように”実在”の項目は実に重要な真理が説かれております。解脱を得るためには、「生命」こそ認識の形式である時間・空間を展開させ、支配する存在であることを知らなければなりません。この場合の生命とは、肉体生命ではなく、神の子である『生命の實相』のことである。詳しく知りたい人は、『新講 甘露の法雨解釈』を拝読下さい。
「実在」の項目はこれで終わらせて頂きます。

【ベネチアビエンナーレ国際建築展で金獅子賞】
石上純也さんという建築家が金獅子賞を受賞している。イタリア・ベネチアで開催した第12回ベネチアビエンナーレ国際建築展で企画展示部門最優秀の金獅子賞に輝いたという。36歳である。「空気としての建築」(アーキテクチャー・アズ・エア)のタイトル通り、受賞作は幅と高さが4㍍、奥行き約13㍍もある建築物でありながら、そこに存在しないかのように空間に溶け込んでいる。建築に極限あmでの透明性、空気のような存在感を求めたという。
 「景気低迷で若手建築家を取り巻く環境は厳しいのではないですか?」という質問に足して、彼は答えた。
『建築が進化するのは戦争直後とか、意外と社会が閉塞しているときです。だから今こそ、純粋に「建築とは何か」を考えるチャンスです』と。素晴らしい日時計主義の考え方ではないであろうか。サンケイ新聞(2010/09/17)からです。
   http://www.art-it.asia/u/admin_ed_news/GeK4qbU6xWYvCmJPI8Ot

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November.07.2010「聖経『甘露の法雨』”霊”と”物質”の項目」

November.07.2010「聖経『甘露の法雨』”霊”と”物質”の項目」
今日の詩::並木道 赤き落ち葉で 冬初め

 続きです。
①仮相は永遠に仮相にして実在となることを得ず。
(仮の姿とはどんな性質のものであるかというと、実在になることはできない、というもの、または永遠に仮の姿のままである。現れているから実在するという考え方を生長の家では取りません。かえって、見えないものこそ実在とする。ここでいう見えないとは肉眼で見えないという意味ではありません。五感を超越し、六感も超越しているという大前提があるからです。

②彼らに生命の実相が神そのものにして完全なる事を教えよ。
(生命の実相はどんなものであるかというと、神そのものである。完全そのものである、という訳です。これがみ教えの根本であります。この事をよく理解するためには、基本聖典である『生命の實相』全40巻を繰り返し拝読しましょう。
 しかし、それだけで十分であるということはないのです。信仰生活には、三正行の実践を教えられております。三正行すなわち神想観、聖典読誦、愛行です。聖典の読誦も谷口雅宣先生の現代人向けにお書きになった御著書を拝読して、現代人に対して伝道しなければならないのです。従って、基本聖典の拝読と総裁先生の御著書の繰り返し拝読をおすすめ致します。少なくとも私はそうさせていただいております。

 ここで、「霊」の項目は終わりです。ご自分で「抽出」をやってみて、他にも定義的なものがある、とお思いでしたら書き出して見て下さい。

「物質」も抽出してみましょう。
物質とは何か?
①ものの実質に非ず、
②生命に非ず、
③真理に非ず、
④物質そのものには知性なく感覚なし。
⑤畢竟『無』にしてそれ自身の性質あることなし。
*こうして物質という項目を書き出していますと、意識の中に物質に対する概念が次第に変化していくように思えてきます。

生命とは何か?
汝らの「生命」は健康なる力士の生命以上のものなることを。
*「生命」は、剛健なる力士の生命力以上のものである。

真の「健康」は物質に非ず、肉体に非ず、
真の「生命」は物質に非ず、肉体に非ず、
真の「汝そのもの」は物質に非ず、肉体に非ず。
このように説かれており、本当の健康も生命も自分自身も、物質や肉体の中にはないとしておられます。
 それならば、「吾そのもの」「汝そのもの」はどんなものでしょうか?
*『物質の奥に、肉体の奥に、霊妙きわまりなく完全なる存在あり。』…これが人間そのものであるというのです。
 「これこそ神に造られた儘の完全なる『汝そのもの』にして、常住健康永遠不滅なる『生命』なり」、としています。
 従って、神想観で、「吾今五感の世界を去って」というのは肉体・物質の否定であり、その奥に五官感覚(六感も)の世界を超えた神が造られたところの世界が厳然として存在する実相の世界と自分自身があるというのです。勿論その存在は完全円満です。自性円満です。
このように読み解いて参りますと、その真理が心に滲み込みます。これで『物質』の項目を終わります。

【鈴木章さん】
 この方はノーベル賞を受賞された人である。朝日新聞(2010/10/07)には鈴木さんを変えた二冊の本を紹介していた。「テキストブック・オブ・オーガニック・ケミストリー」と「ハイドロボレーション」という英文の本だった。人は本によって人生を変えていくことがある。
 私の場合も若い頃から拝読した谷口雅春先生のご本があった。それ以来、その道をずうっとお導きいただいている。現在でも聖典を読み込むことを信徒の皆様に申し上げている。主としてお勧めしているしていることは、まずは信仰的基礎力作りに『生命の實相』を、そして、現代を生き抜き、伝道するために、総裁先生の御著書を、である。
 鈴木さんは、「国のお金で研究した。だから特許を取らなかった。それ故に、応用が広がったのだ」という。論文引用も際立っている。5000件を超えるという。

  発明・発見を私物化しなかったことが成功の秘訣だったのではなかろうか。翻って生長の家はどうであろうか。
「人間神の子」の秘伝中の秘伝とでも言うべきお悟りを、特許を取ることもなく、人類に無料で公開している。ただ、人類が幸福であることを願うのみである。こんな素晴らしい事業があるであろうか!!
 現代的用語を用いると、神の国の情報をお伝えする情報産業であるとも言えるのではなかろうか。
 私の先輩の故T元本部講師は、ある日、谷口雅春先生にお尋ねしたという。「神想観を教えるのにお金を戴いては如何でしょうか?宗教の秘伝、奥伝とでもいうべき行法であり、悟りですから…」と。雅春先生のお答えは次のような内容だったという。
「私は神様から無料で教えていただいたので、無料で人類にお教えします」と。
神想観の書籍は伝授料ではなく書籍代である。生長の家は伝授料をいただくことはない。み教えは、人類の幸福のために出現したからである。

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November.06.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”神”」

November.06.2010「聖経『甘露の法雨』に於ける定義的表現”神”」
今日の詩::秋日射す 白壁崩れ 絵の如し
(石見で講習会推進をしていると、白壁が崩れた藏を見つけた。その壁の剥がれる図が実に芸術的だった。)

 今日は、『甘露の法雨』に書かれている定義的表現を書き出して見ます。少しばかり解説もさせていただきます。皆様も試みてください。きっと教義を理解する力がつきます。この方法は、故T元本部講師に教えていただいた学習方法です。まず、「神」の項目を拝読します。

①大生命=創造の神=絶対の神
(大生命は創造の神であり、絶対の神である。)
②大生命の真性は何か?
 五感を超越している。六感も超越している。聖、至上、無限、宇宙を貫く心、宇宙を貫く生命、宇宙を貫く法則、真理、光明、知恵、絶対の愛である。
(ここには、宇宙の大生命の御性質が書かれている。改めてその本質を考えるのに役立つだろう。)
③『心』はすべての造り主、『心』は宇宙に満つる実質、『心』こそ『全能』の神にして偏在したまう。
(ここでの『心』とは、脳髄の心ではなく、宇宙大生命の『心』を意味していると考えられる。従って、『』を付けている。
④『実在』は永遠にして滅ぶることなし。
(実在は永遠にして滅びることはない。これは実在の本性である。逆に滅びるものは実在ではない。)
⑤『迷』はしゅゆにして忽ち破摧す。
(迷いは、実在ではないので、本当のものが分かったらすぐに消滅する。)
⑥『実在』は自在にして苦悩なし。
(実在は本当にあるものであるから、自在の世界である。そして自在に動くがゆえに、抵抗がなく、苦しみもありようがない。)
⑦『迷』はとらわれの姿にして苦患多し。
(迷いは無いものをあると思って苦しんでいる姿である。従って苦しみが多い。
⑧『実在』は真理、
(実在界には真理だけがある。実在は真理そのものである。)
⑨『迷』は仮相(カリノスガタ)、
(迷いの姿は一時的な姿であり、常住のものではない。仮の姿である。従って、どんな苦しみも病気も不完全な姿も消え去るのである。永遠性のものではない。)
⑩実在は、五官を超越し、第六感さえも超越して人々の感覚に映ずることなし。
(実在は、五官すなわち、五つの感覚器官を超越している。そして、霊眼、霊耳、霊舌、霊鼻、霊身などで感ずる、第六感の感覚も超越している。そして、人間の感覚では感ずることはできない。実相とは、実在とはかくの如きものである。)

 皆様、如何でしょうか。お経は朗読するだけではなく、写経し、精読することが大切です。
 またここで書いたように、理論のない真理、すなわち定義として再認識した時、不思議な魅力で私たちに迫って参ります。いつか機会がありましたら、次の項目も書いてみたいと思います。
 私は最近、出雲の大社道場と松江道場で、約40分間の、『新講 甘露の法雨』の連続講義と写経をさせていただいています。これは自分自身の信仰深化のためです。やらなくてはならないという負荷を自分にかけないとなかなか実践しない怠け癖がついておりますので、日程に入れて、行じさせていただいております。来て下さる方々は神様です。今日は「神」の項目を学習させていただきました。有り難うございます。

【竜巻発生】
 今年は、25個で平年の倍だそうである。全国で竜巻による突風被害が相次いでいるらしい。気象庁によると、10月末までに陸上に痕跡を残した竜巻は25個に上り、平年の約2倍だそうである。大気の状態が不安定になると発生しやすく、大量発生の要因の一つは、今夏の記録的猛暑の影響であるという。産経新聞(2010/11/04)からの情報である。竜巻は、突然空中に真空が発生し、その真空の中に空気が急激に流れ込むことによって発生するようだ。それは、竜神の働きによると教えられている。
 私は、ずいぶん昔のことだが、かつて能登半島に行った時に海上に10個ほどだったか、無数の竜巻が発生して上空の雲に吸い込まれるような光景を見た。生まれて初めての光景だった。確か、青少年練成会を鹿島の少年自然の家で行った帰りだったと記憶している。
 話はもとにもどるが、記録的猛暑は地球温暖化の影響と見ることができるだろう。我が家で今朝、早朝行事を行っていると、何と蚊が飛んできた。この時期に蚊に巡り会うのは珍しいのではないだろうか。蚊はいろいろなものを運んでくれる。何度も行ったことがある、台湾の高雄では、デング熱が流行しているという。これは温暖化により、冬季に死んでいた蚊が死なずに生き延び、デング熱のウィールスを運ぶからであると言われている。温暖化の影響はただ、暑いだけではないようだ。

【島根大がんばっています】
島根大は10月25日、卵巣癌の一種である「明細胞腺がん」の増殖を抑える遺伝子を発見したと発表したという。調べた明細胞腺がん患者の6割に、今回見つけた抑制遺伝子の異常があったらしい。これまでの有効な治療法がなかった明細胞腺がんの発症メカニズムの解明や治療法、診断法の開発につながることが期待されているようだ。
 今回の成果は米科学誌サイエンスに掲載されたという。カナダのブリティッシュコロンビア大チームも同じ癌抑制遺伝子を発見し、同時期に発表しているという。
 私は、発見したことよりも、同じ時期に二カ所で発見したことに注目したい。それは、同類親和の法則によるものか、人類は潜在意識の底ではつながっているので、同時に発見できると考えるべきか、色々と解釈出来ると思う。
 総裁先生のブログ(2010年11月 6日)には、「飛行機事故の“偶然”」をお書きになっておられる。そこには何か法則性が感じられると言ってもよいように思う。事故の場合には、ストレスや恐怖心などが飽和点に達して一カ所に現れたら、連鎖反応的に他の場所にも現れるとも言えるのかも知れない。
 逆に、明るいことが起こると、同様にして明るいニュースが連続して起こることもあることが考えられる。それを自発的に起こそうというのが、発火点になる『日時計日記』の毎日記載ではないだろうか?。これは実に単純な作業ではある。しかし、少なくとも私は今年は続いている。それは日常的に、何となくではあるが、良いことを引きよせているように思える。同類親和の法則の有効利用であろう。

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。講習会は平成22年11月28日(日)です。今回の講習会は総裁先生として初めての島根教区へのご指導となります】
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【島根県教化部のホームページ(臨時)】どうぞ、お入り下さい。
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中内 英生

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November.05.2010「どうすれば魂は生長できるか?」

November.05.2010「どうすれば魂は生長できるか?」
今日の詩::黒鉱あり 竜宮城か 沖縄は
(初めて聞いた言葉ですが、黒鉱というのが発見されたそうです。)

 谷口雅春先生の御著書『生命の教育』55頁には、「雑草の心を刈るには」という御文章がある。教育とは圧迫ではなく、誘導であり、引き出しであることが書かれている。
 人間は社会的生物であるから、個性を尊重することも必要ではあるが、自分一人だけの考え方ではなく、全体を思いやる心を養うことが必要であるとご教示されています。人は人の間とも書くのです。人という字も、お互いにもたれ合った姿、自他一体の互いにもたれ合った姿の象形文字です。
 自分だけわがままをしようという心が雑草の心であると。それが消滅する方向に、摘み取ることが大切であるとしておられます。60頁までに書かれている内容は実に素晴らしいです。是非とも、書棚の中から出してきてお読み下さい。まだお持ちでない人はお求め下さい。

 私たちの実相が「でているかどうか」ということはどうすれば分かるかということが書かれています。実相が現れた生活とは、周囲全体を一緒に生かしていくという生活であるとしておられます。すなわち、周囲の人々が喜んで戴ける生活でありましょう。それは与える生活でありますが、お金を与えるのではないのです。他に与える深切を行うように仕向けてあげることが、本当のものを与えることになると書かれています。
 分かりやすい言葉で申しますと、菩薩の境地にまで高めてあげることが、本当の意味でのプレゼントであるということになりましょう。そうすると人から喜ばれることになります。人から喜ばれると人間は生長するのです。
 
 人から「あの人がいるのでありがたい」と善念を送られると、魂的に生長します。人からの良き念波を栄養とするようです。これは先祖供養でも私たち個人でも同様です。他人から善念を受けるためには、自分が相手を喜ばす以外にはないでしょう。
 私は、谷口雅春先生の御著書を、高校時代に読ませていただきました。30歳までは谷口雅春先生、清超先生の聖典以外は読まないと決意して、相当に偏った読書を続けていました。雅春先生の御著書は全読を目指していました。しかし、なかなか輝くような喜びが感じられないのです。

 33歳の頃でした。両親への感謝、それからくるご恩返しの心、この地上に生を受けることが出来たことへの感謝報恩の思い、会いがたき正師と実相のみ教えに会うことが出来た喜び、恩返しに私にできることは、み教えをお伝えして人に幸福になって戴く以外にないと気がつきました。それから出来る限りその方向で生活し仕事をさせていただきました。求める生活から、与える生活への転換でした。
 それから3ヶ月ほど経ってからですが、自分の心の中に異変が起こりました。真理を知りたいと求める心ばかりの時には、劣等感がありました。しかし、人から喜びと感謝の言葉を与えて戴いている内に、「私にもこの地上に生きていく価値があったのだ」という喜びが湧いて参りました。そして気がつくと、劣等感が消滅していました。
 生長の家で説かれている御教えは本当に本当であったと教えて戴けました。それから、私の運命は好転して参りました。これがささやかな私の体験です。
 教育関係の本ですが、さまざまなことへのご教示を受け取ることが出来ます。この聖典をおすすめ致します。

【カラス、男女見分ける】
カラスは、男女の顔を見分けることが出来るという。宇都宮大農学部の杉田教授(神経解剖学)と宇都宮大とエチオピアのベザワーク・ボガレさんが研究結果を発表したという。11月1日付の米科学誌電子版に掲載されたはずである。
 研究ではカラスを4羽で実験したという。男女の顔写真が蓋になっている容器を置き、2羽は男性を選ぶと、中の餌がもられるように訓練した。残る2羽は女性を選ぶように訓練したようだ。
 その上で、別の男女二組の顔写真で実験すると、男性を選ぶように訓練された二羽は完璧に男性の顔写真の容器を選んだという。女性を選ぶように訓練された二羽もすべて正解だったそうだ。
 訓練時の写真を白黒にしたり、顔の周囲を楕円に切り抜いたりすると区別できなかったので、顔の輪郭や色で判断すると解釈している。杉田教授は、「カラスは男女を認識しながら人間を攻撃する知恵がある」と話しているという。
 スゴイというか、困ったことだと言うか、どこでそういう知恵を得たのでしょうか?遺伝子に組み込まれているのでしょうか?
 カラスは置き石のことを総裁先生がお書きになっておられます。これはたべものを隠して蓄えるという習性のようです。
 私の郷里では、カラスは、朝は西の山から東の山へ、夕方は東の山から西の山へ、編隊を組んだようにして飛んでいました。昼は海辺で餌をあさり、夕方はねぐらへ帰る。そういうことだと、母から聴いていました。秋の青空をカラスが定時に飛んでいく姿を見上げるのもなかなか良いものです。日経新聞(2010/10/31)より。

【黒鉱】
 この言葉は初めて聞いた。日経新聞(2010/1o/31)には、沖縄の海底に宝物「黒鉱」があることを確認したらしい。掘削するには費用がかかるので採算があうかどうかはわからないそうだ。探査船「ちきゅう」が生物種の研究のために掘っていたのが、予想外のものが出てきたという。この船のドリルの長さは1万㍍にも伸ばすことが出来るという。すごい長さだ。今回は、約1100㍍の海底を掘削していた時らしい。本格的な分析はこれからのようだが、鉄、銅、亜鉛、鉛、銀、の他に金、レアメタル、ユーロピウム(レアアース)も含まれる可能性があるらしい。海はほとんど開発していないので、日本の周囲には色々と存在する可能性がある。しかし、海を汚染することがあるのでかなり慎重に行わなければならないだろう。メキシコ湾の石油流出のようになっても困る。また、化石燃料掘削の場合は、地球温暖化の原因になることもよく検討しなければならないだろう。

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。講習会は平成22年11月28日(日)です。今回の講習会は総裁先生として初めての島根教区へのご指導となります】
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中内 英生

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November.04.2010「永い息をもつことの尊さ」

November.04.2010「永い息をもつことの尊さ」
今日の詩::鹿よけの 網に大根 立てかける

 谷口清超先生の御著書『もっと深く愛そう』(平成4年8月10日発行)の133頁には、「永い息をもつことの尊さ」が説かれている。この方法は大切である。どのようにすればよいかを学ぼう。大意を述べることにする。

 本当に安らかな信仰を得るには、「息の永さ」が極めて大切である。イライラとせっかちに、おかげが現れることを今か今かと待ち望み、祈っては現象を見る。祈ってはまた病状を心配するなどということでは、決して神を信じている者の態度ではない。
 どんなにひどく雨が降っていても、その雨は必ず止む。そして美しい光が燦々と降りそいでくる。
 そのように一切の苦しみや不幸は、必ず移り変わり消え去って、その後には、やすらかな幸福な世界が、忽念として現れる。
 何故なら、神は実在し、その神は完全であり、そして現象は移り変わるところの無であり、影であるからである。本来無いものは、必ず消える。それはあたかも夢が必ず覚めるようにである。
 耐え偲ぶということは、神を知る者にのみ可能である。
(これは、『太陽はいつも輝いている』に総裁先生がお書きになっておられる日時計主義に一致していると思う。)
 堪え忍ぶのは誠実さに通じている。
誠実な人は現象の一喜一憂に左右される者ではない。常に内在の神の御心を信じて、それに仕える者である。
 世の中で誠実な人ほど美しい者はない。誠実な人は目先の利欲に惑わされない。誠実は、利己心よりも愛を尊ぶ。それは神の御心を素直にそのまま信じ守り行う心であり、神の子の心である。
 誠実な心の持ち主は、神の不変の特性を体現する。誠実な者は、いささかなことでは動揺させられることはない。人の態度が気に入らなかったからとか、相手の言葉使いが悪かったからといって、気分を壊したり、相手を疑ったり、だましたり、裏切ったりするようなことは決してしない。本当に誠実である者は、現象をみる者ではないのであって、常に神を想う者である、と。

 私はこの生き方が大変好きである。瞬間的な力の発揮も必要な時もあるが、永い目で見た時、永続的に発展する生活方法、仕事の仕方、生き方が大切では無かろうか。何事に於いてもバランスが大切であるように、信仰生活も同じようなものであろう。
 「求道と伝道」、「吸気と呼気」、「与えると受ける」「物施と法施」、などなどである。一日の日課の中に、祈りや先祖供養や、仕事や体の運動や家庭サービスや友達つきあいや、色々とバランスよく行うことは、永い目で見ると却って持続し長続きがするようにに想える。
 島根の皆様、『もっと深く愛そう』をまだお読みでない方はどうぞ拝読下さい。素晴らしい真理がちりばめられております。

【出雲一中に吹奏楽金賞】
 よく頑張られました。島根の皆様。讃えましょう。第58回全日本吹奏楽コンクールが10月30日、東京の普門館で開かれたという。中学の部で、初出場7校を含む29校が出場した。その中で8校が金賞に輝いたようだ。中学の部では出雲一中は金賞をいただいた。朝日新聞(2010/10/31)掲載です。
 将棋では大社町にお住まいの、三冠を取得するなどして有名になった里見香奈さんががんばっています。
吹奏楽コンクールは小学生の部がまもなくあります。やはり出雲の高松小学校が出場します。二年前の全国大会で限りなく金賞に近い銀賞でした。今回は、ぜひ金賞になることを期待しています。さきほど中国大会で金賞でしたが、ご指導の先生も中国大会出場は初めてであったそうです。生徒たちもがんばっているようです。
 11月28日には、島根の生長の家もきっと金賞となるでしょう。

【ウガンダの父】
 ”ウガンダで開花した日本式「躾」”という見出しがあった。産経新聞(2010/11/04)からである。日本から遠く離れた東部のウガンダで、この国の有数の衣料会社で活躍する大阪市出身の日本人がいるという。 
 「フェニックス・ロジスティクス」の社長である、柏田雄一さん、79歳である。写真で見ると79歳にはとても見えない。現地で活動を始めた1964年以来、政情不安などで繰り返し危機に瀕する中で、粘り強く会社を経営してきたという。その成功の秘訣が、日本式の社員教育である「規律」の導入だったそうだ。

 ナニワの「不死鳥」と呼ばれる。柏田さんは昭和29年、大阪市内の衣料会社に就職している。輸出部門を任されたようだ。シャツの見本を抱えて各国を回った。そのうちにウガンダでも営業を始める。当時、英国の保護領で欧米文化の影響を受けていたウガンダはシャツの普及率が高く、販売は好調だった。
 1964年には、設立された現地法人の工場長となった。柏田さんを成功させたのは、日本式の社員教育だったという。 
 時間にルーズな従業員もいたというが、整理整頓、時間厳守、清潔を徹底させた。
会社は規律で成り立つ。この文化がウガンダにはなかった。これがないと良い製品は決してできない、と想った。衣料は作れば作るほど売れた。従業員は一時、千人に達した。国内シェアも50%を占めるに至った。

 順調に進んでいた柏田さんだったが、79年に戦争が始まった。工場が破壊された。その後、工場を再開したが、今度は政府の政策で工場が国有化された。柏田さんは一旦、ウガンダを離れている。
 しかし、クーデターで政権が交代すると、新大統領から、ウガンダでの会社経営を再開するよう打診が来るようになったという。素晴らしいことである。
 日本に帰国していた柏田さんは、2000年、再びウガンダに戻って、自己資金で会社を買い取って経営を再開した。社名の「フェニックス・ロジスティクス」には、「倒れても不死鳥のように蘇る」との思いを込めている。そして、社長室の壁には、何と「躾」(MANNERS)と書かれた額が掲示されている。柏田さんの成功の原点になっている言葉だ。

 経営に戻った柏田さんだったが、待っていたのは安価な中国製衣料などとの戦いだった。「品質には自信があったが、中国製品は三分の一の値段だ。これでは勝てない、と思った。
 そこで柏田さんは、農薬を使わないオーガニック・コットンの素材利用を考案した。。安全性を求める意識はウガンダ人に共感されて、売り上げが徐々に拡大したという。現在は欧米への輸出も手がけるようになったとしている。
 ウガンダで最も有名な日本人である。信頼が厚く、「ウガンダの父」とも呼ばれているようだ。来年で80歳となる。彼は言う。
『まだ勝負の時だ。体力も精神力も使い果たしてでもやり抜きたい』と。まだまだ意欲旺盛であるとのことである。ぜひ、私もこのように何歳になっても理想を追い求めて生きていきたい、と思う。

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中内 英生 

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November.03.2010「自然にやさしいノーミートライフ」(2010/10/17の分)

November.03.2010「自然にやさしいノーミートライフ」(2010/10/17の分)
今日の詩::ノーミート つぶらな瞳 見ればなお 野菜以外は 食欲湧かず

 「菜食のすすめ」が『足元から平和を』の166頁から173頁までに書かれている。ノーミートというのは、肉を食べないという意味になるが、魚肉はどうかという問題もでてくるだろう。完全菜食ということならばおそらくほとんどの人々は難しいということになるかも知れない。
 肉食忌避に於いて、①信仰的愛の立場において適切でない。②肉体的にも不具合である。この二つが従来は多かった。しかし、③環境問題としての肉食問題は大きいと言える。これが第三の問題点である。肉食産業全体を考える場合、ワールドウォッチ研究所によると、地上で排出する二酸化炭素の半分以上(51%)が肉食産業から排出されるという試算が試みられている。
従って、肉食が減少すると二酸化炭素排出が減少するので、温暖化が抑止される。それ故に、自然界に優しいと言えるのではないだろうか。

 さて、この項目の内容を学んでいきたい。
「毎日食べている食品を変えることで、環境問題解決に寄与する」と書かれている。それは日常生活に於いての実践が大切だろう。足腰を鍛えるにしても日常的な生活習慣の筋トレなどでかなり強くなる。それと同じであると考えられる。
 フードマイレージの視点からできるだけ日本での食材を購入すること。魚でも近海魚も購入して食すると良いだろう。また、地産地消の視点からできるなら県内の食材を使用することにしたい。もし肉を食べるとしても、牛ならば食べる回数を減らし、牛よりもブタ、ブタよりも鶏、鶏よりも魚という風にできるだけ穀物を食べるのが少ない動物食に変えていくことが必要だろう。

 健康面では肉食は野菜よりも内臓に負担をかける。処理しきれない残留物が肌に溜まると言われている。野菜食でも決して筋肉がつかないということはない。牛の筋肉はすごい。鹿も菜食だが、すごい跳躍力がある。禅寺などのお坊さんも菜食であるが、長寿を保っている人がいるという。

 アメリカでのことだが、菜食主義は「カッコイイ」という十代の若者が台頭してきているという。私がお会いしたオーストラリアの女性で白人であるのにまったくシミなどが無かった。聴いてみると、完全菜食とのことだった。太り気味の人や肌が荒れる人なども食物がかなり影響を与えると云うことが分かると思う。

 また、肉食は宗教的愛に反する。仏教の教えでは「不殺生戒」があるが、相手が苦しんでいるのをつかまえて食べるというのは決して愛深い神の子が行う仕業ではないのだろう。
 「動物肉は美味しい。栄養価も高い」というのは迷信で、肉を食うことに執着している面があると書かれている。美味しいというのは心がストレスがある時の感覚であろう。お酒でも幼い子供が決して好まないのは、心が清浄である時には、刺激的な味わいが受け付けなくなると考えれる。
 私自身も「アルコールから遠ざかること久し」である。先日、粕漬けの瓜を食べたが、少しふらっとしたのには驚いた。

 世界の穀物生産量を100とすると、その35,5パーセントを家畜・家禽・養殖魚に与えている。これは飼料(餌)としてだ。
 肉は、経済力がある人が食べる。もし、それを人間に与えたならば、地球上の飢餓の問題はほとんど無くなるのではないだろうか。
  現代では、全穀物量の35,5%(飼料用)を経済的に豊かな人が使っていることになるのだから、結果的に、肉食をしている人たちは貧しい人たちから穀類を奪う結果になっている。これでよいのだろうか。
 エタノールも同様である。アメリカの農家が、人間が食べる穀物をエタノールに切り替えたので、世界中で人が食べることができる穀物量が減少し、穀類価格の暴騰により、世界中で暴動が起きたのはまだ記憶に残っている。
  それ故に、菜食は穀物を貧しい人々にも分かち与えることになるので、『倫理的』であると考えられている。
 また世界の難民の数は1400万人(1140万人…2008年)と言われている。それらの人々にも食料を与えなければならないだろう。

 さて、肉類を得るために必要な穀物のキロ数を掲載する。暗記している人も多いのでは無かろうか。牛肉1㌔㌘…穀物7㌔㌘必要、豚肉1㌔㌘…穀物4㌔㌘必要、鶏肉1㌔㌘ …穀物2㌔㌘必要、魚肉1㌔㌘…穀物1,8㌔㌘必要とある。これが目安となる。

 「高等動物は食べない」という生き方は正しい生き方であり、倫理的にも宗教的にも正しい生き方であるし、エコロジーの立場からみても正しいとご教示されている。従って声を大きくしてこのことをお伝えしようではないか。

 生長の家のみ教えは、「食事に出されたものは何でも感謝して食べる」ことになっている。しかし、選択が可能でれば、牛よりもブタを、ブタよりも鶏を、鶏よりも魚を食べるようにしたいものだ。そしてどうしても牛肉を食べたい人も回数を減らすように努力してはいかがであろうか。

 私たちの人生は、「奪うことは奪われる」ことに繋がる。他の動物の生命を奪うと己の生命を奪われるということになることが考えられる。それが本当であれば戦争などのさまざまな形で展開することが考えられるだろう。それは悪業を積むことになる。従って、悪業と積んで、悪果を刈り取ることは愚かであると考えれることになる。
 上記のように肉食は環境破壊を引き起こすということになり、悪循環を引き起こすことになる。これらは、「殺すものは殺される」という動反動の法則によるのである。
従って、肉食に関しては、動物肉を食べるか野菜を食べるかに関しては、真理に照らし合わせてご自分の判断によって決定すべきでありましょう。

 それらの環境改善、温暖化防止は一人では世界は何も変わらない。しかし、一人から始めないと何事も始まらないともいえる。環境問題解決に王道はない。地道に行うことが必要でありましょう。
 しかし、「誰でもできる、簡単な地球のためになる生き方」は「自分の欲望をどのように制御するか」ということであるとご教示されている。地球規模の問題は実は自分の欲望の問題であるとも言えるようだ。
 肉食をやめる。環境への負荷を下げるというポイントは、「自己の中に神がいる」ことを悟ることでありましょう。それには神の御声を聴くことである。そして、「神想観と聖経読誦」を実践し、内なる声に従って、「神の子が喜ぶ生活」を実行することであるとお教えいただいている。
 それが出来れば、次の世代の人類も地球も大丈夫であるという結論になる。
多くの人々に、「人間神の子」のみ教えを伝えるようにしたい。そして人間同士、人類と他の生物がもっと平和に共存できる世界を建設することを推進したい考える次第である。
まさに、足元すなわち食生活からも平和が実現するということになると考えられる。
 どうぞ、御著書『足元から平和を』(166頁から173頁まで)の「菜食のすすめ」を拝読下さい。奇しくも「食事の神示」が天降った日は、11月4日となっている。

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 中内 英生

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November.02.2010「いのちには癒す力がある」(October.16.2010の分)

November.02.2010「いのちには癒す力がある」(October.16.2010の分)
今日の詩::門座敷 秋の古民家 落ち葉掃く

 「いのちには癒やす力がある」とは自然治癒力である。『新版生活と人間の再建』第15章「心の平和が肉体に及ぼす力」には、心と肉体との関係、そして人間には自然に治癒する力が備わっていることが書かれている。
 両生類の中には手足が無くなっても再び生えてくる生物もいる。人間には本来そのような力が備わっているのだが、進化の段階で失ったと考えられる。その能力を再び、身につけようという試みも行われている。
 それはさておき、心の平和が如何に肉体を癒やすかについて学んでいきたい。

 〈睡眠中に働く治癒作用〉247頁
潜在意識は苦痛を和らげる力があるとされる。確かに、眠っている間は苦痛を感じることはないのは事実である。この苦痛はどこで感じるかという病患部や傷口ではない。それは何と、脳内で感じていることが分かっている。鎮痛剤で痛みを抑えると言うが、脳の一部で痛みを感じる部分を麻痺させる訳である。
 睡眠中は、神経系統の一部が働かないので緊張がほぐれる。すると血管が弛緩して十分な血液の流通が起こると考えられる。従って、栄養分や薬剤などが全身に循環しやすくなる。従って、栄養素が行き届くので肌は若くなり、健康を回復しやすいと考えられる。しかし、心が曇っている場合は逆効果が起こる可能性があるので、就寝前の10分間の神想観が有効であろう。
  治す働きは潜在意識というよりも、自我放棄から来る大生命への帰一によると書かれている。これは重要なことである。

〈潜在意識は重症の骨折をも癒やす〉250頁
ウースター博士が暗示で馬で怪我をした少年を救った。弛緩と睡眠と苦痛終息の鎮静的暗示を行った。すると完全に癒やされたという。

〈腕を切断しても痛まない実例〉254頁
腕がちぎれたが、神に祈ることにより痛みを感じなかった実例が書かれている。これについては、「神への完全なる全托から来る神の苦痛解除作用だと思われる」と説かれている。

〈潜在意識の予知作用〉260頁
怪我という不幸な出来事が起こった前の晩に、当事者が苦しい血の夢を見たことが書かれている。これは、心の世界に起こり済みの事件を夢で見たというべきであろうか。しかし、それでさえも、心を浄化することによって、消し去ることが出来るのだ。そのためには、神の子に自覚に超入するすることである。
 ここには、宮崎市の中根秋茂さんの体験が掲載されている。この人のご体験を私はお聞きしたことを記憶している。

〈宗教的信念と結核〉261頁
ホルモンの分泌が精神状態に影響を及ぼす。逆に、精神的状況がホルモン等の分泌に影響を及ぼすのであるという。
 宗教的信念が、負傷や病気の苦しみを除去するのみならず、治療成績に好影響を与えることになる。この実例は、練成会でも多々ある。

〈痙攣性嘔吐と催眠暗示〉263頁
手術後、一週間の間、痙攣性嘔吐に悩んでいた12、3歳の少女を癒やした体験が書かれている。ウースター博士は、骸骨のように痩せた少女に対して、クマが冬眠する様子を話し、「あなたも眠いでしょう」と暗示を与えた。そして、約三時間彼女は眠り、その後胃は完全に治癒すると暗示を与えた。すると、目覚めた後、完全に癒やされたという。心が肉体に影響を与えた実例である。

以上、この聖典には、その他、禅宗第六祖慧能大師のことやさまざまな「生活と人間を再建」するための真理が説かれている。熟読されんことを願う。
  また読者には、『生命の實相』頭注版第3巻「第一章 はたして物質的治療は病気を征服しえたか」の章の拝読をおすすめします。99頁から183頁までです。自然療能に関することが書かれています。

【古民家】
 明治5年頃に建てられたという古民家を訪ねた。講習会推進の感謝訪問である。前回の二年前はお会いできなかったが、今日はお会いすることが出来て良かった。Nさんという人の家である。湖陵町(元・江南村)にある。勿論木造建築だが、使っている材木が大きい。しっかりした骨組みであることが分かる。驚いたのは入り口の門のところが家になっている。「門座敷」というそうだ。そこには、一階に八畳一部屋、二階に八畳二部屋があるらしい。昔、外来客などはこの部屋に泊まったという。山の中にある古民家。バックには竹林があった。「なかなかいいなあ」と思った。

【クラウド】日経新聞(2010/11/01)社説には、「クラウドに潜む危うさを忘れるな」ということが書かれている。情報を自前で処理するのではなく、ネットワーク経由で外部のシステムを利用する「クラウドコンピューティング」である。情報システムを自分で作るのに比べてずっと安価になるという。企業が競争力を強める上で、重要な手段だが、導入にはさまざまな注意が必要であるとしている。
 英語で言うクラウド(雲)はネットワークに繋がるシステムを指すようだ。電力やガス、水道と同じように、情報も企業ごとに処理するより集約した方が安い。安全性も高まる。そんな理由から、アメリカ中心に数年前から利用者が増加しているようだ。
 安価なのは、業務ごとのコンピュータをおかないからだ。多数のコンピュータを様々な業務に一体的に使っているからである。急に利用者が増えても機敏に対応する。利用者はサービス料だけを支払えばよいようである。
 これは、生長の家でも活用する可能性があると考えられる。新しい概念であるので注意して学習しておく必要があると考えられる。

【島根の皆様、日々総裁先生のブログを拝読しましょう。講習会は平成22年11月28日(日)です。今回の講習会は総裁先生として初めての島根教区へのご指導となります】
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*今日は午後に多伎方面へ感謝訪問に行った。二年前よりもお会いできた率がかなり良かったと思う。(11/2)

中内 英生

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November.01.2010「正しい食物を得る」(October.15.2010の分)

November.01.2010「正しい食物を得る」
(October.15.2010の分)
今日の詩::朝餉には イモの味噌汁  元気出る

 人間の正しい食物はどのようなものであるかは、『心と食物と人相と』という谷口雅春先生のの御著書に書かれている。
 人間の創造主である神様は、食物としては植物性のものを与えられたのであって、動物性のものを「食物として与える」とは「創世記」には書かれていないという。創世記には、次のような内容が書かれている。
『神様は言われた。見なさい。私は地上のすべての種ができる全部の草と、種が中に入っている果物が生る木を人間に与えよう。これが人間の食料となるのである。』
文語体はもっと森厳な言葉である。あえて、分かりやすく書いてみた。これから類推すると、神様は決して動物を家畜として育て食べたり、七面鳥を食べなさいとも書かれていないことが分かるのではないだろうか。

 このご本は、食生活の上で役に立ちます。3頁には、地産地消のことが書かれています。現代は、フードマイレージの視点から、二酸化炭素排出の関係で地産地消が言われています。地元産の野菜を使うのがとてもよいのです。家庭菜園はさらに良いのでしょう。「動物色と植物色について」の「場所から来る食物との調和」の中で、桜沢如一氏の「身土不二」説をご紹介しておられます。土地の何㌔メートル以内に産する食物のみを食べるのがもっとも健康によいとの説です。
 7頁には、「人間はその食べる食物に似てくる」とあります。植物を食べていると細面の容貌になる。肉食を常食としていると、丸顔になりやすいとしておられます。
 丸顔は、上下の顎骨の蝶番の支点から、食物をかみ砕く重点となる歯まで距離が短いために、顎の寸法が短くなる。その支点から重点までの距離が短ければ短いほど、重点に加わる力が強くなる。従って肉食獣は丸顔であるとのことである。

 面白いのは、「薯(イモ)類を多食すると思索的な人間になる」と書かれている所です。ドイツ人は穀物よりも薯類を多用するので、カントやヘーゲルのような立派は哲学者を輩出するのであるという説があるそうだ。
 昨日は、蒸したイモを少し食べたので、類推力が出てきたかも知れない。

 11頁には、皮膚の色の事が書かれています。「赤身の魚と皮膚の色との関係」のところです。赤身の魚を常日頃、たくさん食べると、皮膚に色素が沈着して、老人になっても皮膚に老人性瘢痕が出来やすいのだそうである。これは、「色素は色素を呼ぶ」という同類親和の法則によるものであるという。
 たいてい老人性瘢痕が顔の皮膚などに多い人は、酒を飲みながら、マグロの刺身を多食した人であるとのことである。谷口雅春先生のように、「お酒も飲まず、マグロの刺身もほとんど食べない人は、八十歳を超えても顔に老人性の瘢痕がほとんどできない」と書いておられます。

 そう言えば、私が学生時代に「お山の集い」というのに三年間通わせて戴きましたが、最初の雅春先生のお顔を4~5メートルの至近距離で拝した時、お顔の肌が余りにもおきれいなのにびっくりしました。70歳を過ぎておられた時です。その後海外御巡錫でお帰りになられ、外国ではどうしても食事に肉が入っている関係か、顔に少しシミができた」ことを実相研鑽会で言っておられました。それくらい、何を食べるかの食事内容は大切なようです。化粧品や紫外線カット以前の問題であるようです。
 生長の家が環境問題を手がける以前にお書きになられた聖典です。どうぞ拝読下さい。日々の食生活をどうするかをお考え戴きたいと存じます。

【 ジャック・オー・ランタンの伝説とは?】(カボチャをくりぬき、顔を作り、中にろうそくを灯す)

 その昔のことだが、「ウィル」という、口達者でかつ卑怯であり、素行も最悪な鍛冶屋の男がいたという。
 彼は死んだ後に、「死者の門」へ辿り着いたのであるが、そこで聖ペテロ(天国へ行くか地獄へ行くかを選定する者の意味)を騙して、 生き返ったようだ。
 しかし、生き返った後も反省はしなかった。今迄のとおりに、最悪な男のまま生活したのだった。
 そのため、再び死後に「死者の門」を訪れた際に、聖ペテロに「お前はもはや天国へ行くことも、地獄へ行くこともまかりならん」と言われたという。
 そして、ウィルは暗い闇の中を漂うこととなった。
 それを悪魔が見ていて、とても哀れんだ。そこで悪魔は地獄の劫火から轟々と燃える石炭を1つ取りて、ウィルに明かりとして渡したという。こうなれば、悪魔は善神でありましょう。
 その明かりは時々、現世に対して種火のような弱い光を投げかけるのだという。
それから、夜中に不思議な光が見えるとき、哀れなウィルの話になぞらえて「種火のウィル」「ウィル・オー・ザ・ウィスプ」と呼ぶようになったようだ。(ウィキベディアから)

  次は私の創作です。
 その昔、「ウェル」(well)という、やはり何でも言葉で人を言いくるめて自分では何も実行しない鍛冶屋の男がいた。行動も卑怯で利己的で劣悪だった。
 彼は死んだ後で、「死者の門」にたどり着いた。そこで聖ペテロと話をした。聖ペテロは、「お前の一生を今からスクリーンで見せるからな!」と言った。ウェルが自分の人生を観ると、良いところは何も無かった。そこで、聖ペテロは、「お前は地獄生きだ!」と宣告した。そして、側に控えていた悪魔がウェルを連れて行こうとしたのだった。その時、聖ペテロは、スクリーンに映し出した人生の最後の所に、小さいが強い光が輝いていることに気がついた。「あれっ」と思って聖ペテロがよく見ると、ウェルが何か雑誌を見ているのだった。人生映画を巻き戻して確認すると、ウェルが『いのちの輪』という雑誌を見ながら、「いい雑誌だな。オレも本当はこんな人生を送りたかったのだが…。子供の頃に虐げられた記憶で人間を信じられなくなり、ついつい一生涯、他人様や動物や植物の環境まで虐げてしまった。今度生まれ変わったら四無量心を行じたいなああああ…」、と一瞬思ったことが記録されていたのだった。
 それを確認した聖ペテロは、「やりなおーし!」と大きな声で叫んだ。すると、ウィルが気がつくと、死んだはずの自分の体に帰って来て生き返ったのだった。
 ウェルの記憶はハッキリとしていた。それからウェルは、一所懸命に人のために尽くし、自分が破壊した環境を再生する事業に取り組み始めたのだった。
 同業者の中に、Seichonoieという東洋の日本で起こった運動に参加している人に出会った。その人はいつもウェルをほめて激励してくれるのだった。そこでウェルはその団体に入会することにした。すると事業はどんどん成果が上がった。

 彼は、努力してその国の環境大臣まで務めるようになった。
時が過ぎ、ウェルは寿命が尽きて死んだのだった。再び、「死者の門」にたどり着いた。そこには、もう聖ペテロはいないで、聖ペテロの息子が担当していた。彼は父親から引き継ぎ事項を受け取っていたのだった。
「ウェルが来たら、善業がたくさん積めているから天国へ行かせること」という引き継ぎ内容だった。
 ウェルの顔を見ると、大きな声で聖ペテロ二世は言った。「テンゴオーク」と。
 すると、天使が舞い降りてきて、ウェルを花が咲き愛他的な人ばかりの住んでいる天国に連れて行かれたのだった。そこには、亡くなったご先祖様がにこにこして住んでおり、ウェルを出迎えてくれたのだった。めでたし、めでたし。

*今日は聖使命感謝奉納祭と講習会推進などがあった。
 中内英生拝

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