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2011年1月

January.29.2011「生長の家信徒行持要目⑥」

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January.29.2011「生長の家信徒行持要目⑥」
今日の詩::粉雪の 夜半に起きて 外を見る

八、毎日一回は必ず神想観を実修して、心を光明化すべし。
『日時計日記』の最下段の左方には、三正行とあって、神想観が書かれている。重要な行事である。
 神想観は定時の神想観と随時随所神想観がある。普通の信徒さんは朝は大体5時くらいだろうか。夜は8時半くらいだろうか。いずれにしても朝晩の神想観をお勧め戴いている。
随時の神想観は、どこでもよい。職場で瞑目できるときには、目をつぶって、祈るのである。
 私が某練成道場に勤務していた23歳のころだった。故F元本部講師が一年間ほど、毎月二日間指導に来ておられた。F講師はそのころ河口湖におられ、その後、長野県に勤務替えになられ、さらに宇治別格本山へ行かれた有名な講師であった。
 講話の前に、F講師は必ず演壇の横で祈っておられた。私は司会をしていたが、その神々しいお姿に感動を覚えていた。私は質問した。
『F講師は、講話の前に何を祈っておられるのでしょうか?』と。
F講師は答えた。
『私は神様に祈っています。神よ、我を無我とならしめ給え。自分という自我は本来無い。ただ神のみまします』と。
 私はその回答をいただいて、心から感動した。さらにF講師は言われた。
『講話にしても、聖経読誦にしても担当者は単なる行事だと考えているのです。それは単なる行事ではないのです。神の御言葉を発信することです。いのちを賭けて講話し、いのちを賭けて聖経を読誦しなくてはならないのです』と。
そのような意味のことを言われたのだった。私は深く感動した。
 伝道とは「道を伝える」と書いている。それは神を伝えることでありましょう。故S元本部講師は、練成会指導で優れていた。『練成に命を賭けて』という著書もある。ある時、S講師が私に言った。
『伝道は、説法はひたすら行うものですよ』と。
 谷口雅春先生が生長の家を始められた頃、兵庫県におられた。『生命の實相』を拝読して、修行にお出でになる人がおられた。しかし、初期の頃であるので、全く誰も尋ねてこない日もあったという。そのような時、谷口雅春先生はどうされたのであろうか。先生の前には、お父様が座っておられた。そのお父様に向かって、諄々と人間神の子の真理をお説きになられたのであったという。
 私はS講師からその話をお聞きして、如何なる時にも真理を説かずにはおられなかった魂の底から迸るような谷口雅春先生の強烈な信仰に触れさせていただいたような気がした。「仏の使命は説法なり」という言葉があるが、それは谷口雅春先生のお姿とその聖句がダブって感じるのだった。
 私たちも、常に真理を行じ、かつお伝えして参りたいと存じます。伝道してこそ初めて、谷口雅春先生の御心を知り、谷口清超先生の御心を知り、現総裁先生の御心を知ることに至ると考えられるからである。

【携帯・PCからレアアース(ネオジム磁石)回収】
  経済産業省所管の独立法人産業技術総合研究所が、レアアース(希土類)のネオジムなどを含む強力な「ネオジム磁石」を不用になった携帯電話やパソコンから回収する技術を開発したことが23日に分かったという。回収が軌道に乗れば、自国資源としても再利用に道筋がつくと言うことになるそうだ。
 レアアースは中国から輸入されている。磁石は強力で粉砕しても金属に付着して、取り出すことが困難なために回収実績はほとんど無いという。それができるようになる。
 産総研では、ネオジム磁石を磁性を帯びない特殊鋼で打ち抜き、セ氏300度程度で加熱後に、特殊な粉砕法を施すと95パーセント以上の高品位の磁石合金を回収できるとしている。この技術をもとに磁石合金の回収装置を兵庫県の粉砕機メーカーとともに開発し、5月に展示会に出展する計画であるという。諸外国にとっても素晴らしい技術である。
  一方、日立もパソコンのHDDなどに振動をくわえて分解し、取り出したネオジム磁石に電流をかける方法で磁力をなくし、回収する技術を開発した。経産省はこうした動きを踏まえて、レアアース回収の仕組み作りを急ぐという。
 この情報は、サンケイ新聞(平成23年1月24日)に掲載されていた。
無駄なものはないということだろうか。
 http://www.sankeibiz.jp/macro/news/110124/mca1101240201000-n1.htm
 http://doctoralcarrasco.blogspot.com/2010/12/hdd.html

【なぜ明るい面を見ないのか】
 この言葉は、朝日新聞(2011/01/26)に投稿されていた記者である池上彰さんの文章である。昨年、殺人件数が戦後最低だそうだ。
 記事の中に、本人に取材しないまま新聞やネットニュースにのせるメディアのことも書いておられる。
 1月14日の朝日新聞に「ひったくりワースト1は千葉」という見出しの記事が掲載されたそうです。この記事には、さりげなく「殺人時間は戦後最少の前年よりもさらに27件減って1067件」と書いてあったそうです。一昨年は戦後最低だった。されに昨年は減少したのですが、一昨年のことは多くの人が知りません。
 池上さんは、「どうして新聞は、ニュースの明るい面を見ないで、暗い部分ばかりにスポットをあてるのか。そんな不満を持ってしまったのでした」と書いておられます。
ジャーナリストにしてもそのような思いを持つようです。「なぜ明るい面を見ないのか」というのは、かつてお聞きした言葉にあったような気がします。
 それに対して、私たちは、明るい面を強調して表現するという運動を展開しております。結果的に、同類親和の法則により、明るい面が現れてくるのは当然であります。

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 中内 英生

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January.28.2011「生長の家信徒行持要目⑤」

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January.28.2011「生長の家信徒行持要目⑤」
今日の詩::寒きかな 朝の目覚めに ふと思う

七、人生を神生となし常に必勝を信じて邁進すべし。 
 この聖句は実に重要です。人すなわち肉体人間が生きるのが人生ではない、神が生きるのが人生であるのです。神生の自覚は「人間神の子の根本的自覚」から生じます。
神想観の実修に於いて、「もはや我生くるにあらず、神のいのちここにありて生くるなり。」という自覚から、当然のこととして、「神生きる」の自覚に展開して参ります。
何故ならば、「神の子なる人間の実相をこの世に実現するのが人生の目的である」と教えられているからです。

 すみやかに実現するには、「物質無」を知ることが第一であると教えられています。これは、「物質無を知ると、捨徳すなわち無執着の境地に入ることが出来ると考えられます。
明治維新の頃にある有名な人が言っています。「地位も名誉もいらなければ、お金も要らない。さらに命さえもいらない、という人間は始末におえない」と。逆説的に言っているのです。そのような無執着の人間にして初めて大きな仕事が出来るのであるというのです。この人は、旧幕臣が生活に困らないように仕事を作っていった人です。静岡の名産であるお茶はこの人のお陰であると聞いております。

 なぜ、私たちの霊魂がこの地上に生まれて来ているのであろうか。それは、同波長の法則により、「物質あり」との思いの波長が地上に引きつけているとも考えられます。
それならば、「我今五官の世界を去って…」と現象を去ること。または、「物質無」を知ることが自由自在を得る上で大切なことでありましょう。
 「自分を制限し、縛る何ものもないのだ」という自覚が、無限力を発揮する根本となるからです。
 従って、神(無限の知恵・愛・生命)が生きるのであれば、常に常勝者です。負けると言うことがないのです。人生に勝つ、または成功するとはどのようなことを意味するのでありましょうか。
それは、現象的な失敗や成功を意味するのではなく、その体験を通して、魂が向上することが本当の成功です。
 従って、限りなき表現の場を通して、神なる無限を実現していくことこそ、私たちの表現の歓喜であり、「喜びに満たされて手の舞い足の踏むところを知らず」というくらいは神生の喜び舞台に於ける三番叟に過ぎない」ということになるのでありましょう。

 誠にも、私たちは喜ぶために生まれ、喜ぶ為にこの世に生きているのでありましょう。このみ教えを多くの人類にお伝えしたいと思います。
 私たち島根の信徒は、国際平和信仰運動に直接携わる訳ではありません。お世話させていただき担当させていただく区域は、島根教区の県民の皆様であり、ご自分の身の回りの地域の皆様であり生活区域です。
 しかし、「日時計日記」を書くことは光明の念波を世界に発信していることになります。また、教化部ホームページでの写メ俳やポスチングジョイへの御投稿などは、喜びの共有となります。さらに、聖使命会員はその御献資の一部が、国際平和信仰運動に活用されることになります。そのようにして、何らかの形で海外の人々のために、または地球全体や自然界のためになっているのです。

 「人類光明化運動発進の宣言」という御言葉があります。有名な御文章です。「自分は今、生長の火を持って人類の前に立つ。立たざるを得なくなったのである。友よ、助けよ。同士よ、我に投ぜよ。…」という谷口雅春先生の烈々たる人類救済のお言葉です。雅春先生は、弱き者、苦しんでいる人々を救わずにはおられなかったのです。
 今は、その御精神が脈々として受け継がれ、人類のみならず絶滅しようとしている自然界、動物種も含めて地球生命の全ての生命を救済せんとする運動が、総裁先生のご指導によって展開しております。
 島根の信徒の皆様、今日も一日、お示し戴いております信仰生活に於ける諸行事を真心を持って実践して参ろうではありませんか。

【緑視率】
 これは、「緑の少ない家」を認めないという、方針のことである。こんなのもあるのか、と思った。朝日新聞(2011/01/29)からの情報である。
 島根はほとんど緑だらけと言われるように島根の人々にとっては、「緑視率」という言葉そのものが驚きかも知れないが、兵庫県西宮市は、28日、市内の高級住宅地「目神山」を対象に、景観維持のために、住宅を新築する際に、路上から視野に入る緑の量である「緑視率」を、一定以上確保することなどを求める方針を打ち出したという。景観法による景観計画の重点地区に指定し、これらの規制を盛り込むという。規制に従わない場合は、同法などのよって、罰金や氏名公表の罰則が適用されることになるという。
 これから考えると、緑視率から考えると、出雲のほとんどの家は、高級住宅地ではないだろうか。築地松などを見上げると、西宮市の高級住宅地に劣らぬ高級さではある。
景観という意味からだけではなく、その家から二酸化炭素が発生する分量は、その家の樹木で吸収しようというくらいの倫理性が確立するとよいのであろうと考えられる。
  http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201101290022.html

【移植の拒絶反応を抑える細胞】
 健康な人にとっては何の興味もないことかも知れないが、それらのことに関わっている方々にとっては朗報になると考えられる。
 朝日(2011/01/25)には、生体肝移植後、免役抑制剤を使っていないのに拒絶反応が起きなかった患者で、リンパ球の一種が免疫のブレーキ役として働いていることを、京都大グループが見つけたという。免疫を抑制する新たな治療法開発につながる可能性があるという。
 免疫のブレーキ役の細胞は「制御制T細胞」と呼ばれる。グループは、肝移植を受けた患者の血液中で制御性T細胞が増えていることを見つけた。これらの細胞が移植された臓器に対する免疫反応を抑える働きを持つことを確認したという。
 制御性T細胞の中でも、増殖しやすいタイプの細胞が、免疫抑制剤の使用を中止してから時間が経つほど増える傾向があることもわかったという。免疫抑制剤を中止して拒絶が起こった患者では、このタイプの細胞が減っていた。グループの小柴・元准教授は「自己免疫疾患の治療法開発などにもつながる可能性がある」としている。
 島根の読者の皆様には、なぜこんな難しい医学の問題を取り上げるのかと疑問視する人もあるかも知れない。しかし、環境問題は、「外なる自然」であるが、遺伝子関係や医学の問題は「内なる自然」である。み教えに基づき、その倫理性を考え、検討することを教えられている。その時々の情報を入れておかないと、急に考えようとしても「拒絶反応」を起こしがちであるからである。悪しからず。

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 中内 英生   

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January.27.2011「生長の家信徒行持要目④」

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*上のコーヒーカップはいただいた絵手紙をスキャナーで取り込み、ペイントに入れて文字を消し、そこに私の俳句を入れてコラボらせていただいたものです。下側は私の絵です。

January.27.2011「生長の家信徒行持要目④」
今日の詩::信徒さん 一年通い 一人増え 巨木育つも 理性主義ゆえ 
(一年以上、通って真理を説かせていただき、ようやく分かって下さった人がいた。その歩みは樫の木の生長のようだが、その方がよいと思っている。人間はもやしではないのだから。)

六、常に自我を死に切るべし。
 この聖句は実に重要であり、大切なことであります。み教えでは、肉体無しと申します、肉体がないのですから、自我はありようがないのですが、残念ながら有るように考えてしまいます。それ故に、「肉体無し」の否定語が登場することになります。
 昔の日本の武士は、「武士道とは死ぬことと見つけたり。」という葉隠れの言葉があります。肉体を死にきるので、常に今を生きることが出来るという方法です。しかし、み教えは、「死ぬ」という言葉はあまり縁起の良いものではないですので、同じ意味で、「肉体無し」というのです。これは、「般若心経」にも相当するでしょう。
「肉体無し」はどこから来るかと申しますと、「物質無し」から出て参ります。
『生命の實相』自伝篇の「開悟」に関するご文章を拝読願いたい。
 また、「肉体無し」であるならば、肉体の一部である「脳髄」が様々な神経細胞上の信号に対して反応を起こして感覚し、判断するバーチャルリアリテイの世界もまた本来存在しないと言うことになります。この間の消息は、総裁先生の御著書『心で作る世界』を熟読して戴くと、釈然といたします。
 私たちは五本の指を持っています。しかし、それぞれはタイプが違うのですけれども決してケンカをしません。それは指一つ一つの自我なるものが全体の意思に従っているからです。そのように、自我を死にきる時には、必然的に、全体の調和が得られると考えられるのです。
  自我を死にきった時にはじめて、神我(真我)が現れるのではないでしょうか。

 NHKの「日曜美術館」(2011/01/23)を見てみますと、日本画家の小泉淳作という方のことが放映されていました。「千年の花を咲かせたい」と念願した絵師です。、東大寺のふすま絵を描いたのです。
 ひとつは、蓮の花でした。朝早くスケッチしないと、描けないのだそうです。緑青や白緑などという日本画の色をまぜながら描いていました。少ない絵の具で象徴的に描くのがよいのだそうです。その時に、色々な興味深い言葉を発していました。
①時間の経過を描く。時間を描くのが絵である。
②一日五時間描くのが限度である。ものすごい集中力が必要だ。
③絵は辛抱の連続である。賽の河原で子供が石を積み重ねるように描くのが絵である。
④桜の花びらを一つ一つ描いていた。はなびらは全部違う。全部描ききるのに三年間かかった。
⑤絵の完成というのは、どこで自分を許すのか。その関所がある。また、それは自分の存在を確かめることでもある。
⑥描こうとする対象を、深く見詰めて、その存在を確かめようとすることは、それによって、同時に、自分の存在をも確かめようとすることである。
⑦未知の世界へ挑戦する時や、此の世に新しい美しさを発見した時の緊張感は、自分の持つことの出来る、最も貴重な時間である。
⑧生と死の接点にいるのだということを、理屈抜きで感じるのである。

 この絵師の無我の境地を知ったのは、彼が二種類のふすま絵を東大寺に奉納した時のことである。インタビューに答えて言った。
『あれは自分のものじゃないんだよ。自分を無にして書いている仕事ですから、俺が俺がって言ったら、あんなこと出来ないんだ。だから自分のサインは入れないんです。一切。そんな仕事ですよ。
 千年先の人たちが、名も無き一人の絵師の仕事だと思ってみてもらえれば、それでいい!』

 この言葉で連想するのは、谷口雅春先生が、「自分は生長の家の教祖ではない。喇叭である。もし教祖というものがあるとすれば、神界に於ける生長の家の神様である』として、無我の境地におられたことである。
  http://i-sys.info/serial/interview/14/interview14.html
  http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2011/0123/index.html

【副島賢和さん】
 この方は院内学級の教師である。プロフェッショナル(2011/01/26)で見た。23歳で小学校の教師になった。29歳の時に、病気で肺の一部を失った。そして教師としての夢を失ったという。その時、院内学級の存在を知る。病気で入院している子供たちが入院中に行く学級のことである。多くの子供たちは、病気になっていることで「自分は家族に迷惑をかけている。ごめんなさい。」という気持ちを持っているという。
 このことは私は知らなかった。したがって、生長の家のみ教えでは、子供が病気や問題児になったときに、「観世音菩薩様のお導き」によって親を導いて下さっていると子供に感謝する。そのことが子供たちの魂の癒しとなる、ということだった。
 副島さんは、宮崎涼君という男の子の詩で衝撃を受けたのだった。この子供さんは、決して自分の不安を顔に出さず、同室の子供が病気の不安にとらわれている時に、そっと側に座っているような子供だったそうだ。彼のポエムは次のような内容だった。

 ぼくは幸せ
お家にいられれば幸せ
ごはんがたべられれば幸せ
空がきれいだと幸せ

みんなが
幸せと思わないことも
幸せに思えるから

ぼくのまわりには
幸せがいっぱいあるんだよ

 この詩を読んで副島さんは衝撃を受ける。「仕事に悩んでいる自分は何と小さいことか!」と。その後、涼君は12歳でこの世を去った。高級霊だったのだろう。私たちも日時計主義を教えられている。今日一日、神の御心を精一杯生きたい。人と自然に真心を尽くして、神の愛を精一杯捧げたい!。
http://www.nhk.or.jp/professional/2011/0124/index.html

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 中内 英生   

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January.26.2011「生長の家信徒行持要目③」

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January.26.2011「生長の家信徒行持要目③」
今日の詩::くれないの 心和ます 寒椿

五、常に人と事と物との光明面を見て暗黒面を見るべからず。
この聖句を深く理解するためには、『日時計主義とは何か?』の拝読をお勧めします。さらに『太陽はいつも輝いている』を拝読して、芸術的な表現をすることが習慣化すると右脳開発になるでしょう。なにしろ、絵を描いている時には精神が集中します。何か別のことを考えていると描けなくなります。

 現象的には、真象と偽象が現れてきます。偽象は本物である実相を迷いの心が覆った状態の現れと見ることが出来ます。しかし、それは実相の顕現率がやや低い状態です。従って、うれしくないのです。真象は完全な姿で実相世界が現象化したものです。その姿を見ると有り難くなります。しかし、「有り難い」いう気持ちも薄れている場合がありますので、もう一度、見直して喜び直すことが大切であると教えられています。実相世界から現象化した姿を一つ一つ感謝でチェックし、さらに、意識を留めるためにも絵画化をするのです。そうすると感動を共有できます。島根では公式ホームページを作っておりますので、そこにできるだけ掲載して、「教区レベル」で、世界の人々とも感動を共有できるように努めています。

 「悉皆成仏」という項目で、谷口清超先生の御著書『純粋に生きよう』の240頁には、次のような内容が書かれています。
『山も川も草も木も、物質的に見るとまさに物質であるが、単にそれだけではなく、悉皆成仏である。「ことごとく皆仏なり」と釈尊は覚られたのである。
 また、この世界は仏の現成であり、仏なるものの展開である。それを物質的に感覚すると、山、川、木、草と見えるのである。五官感覚で捉えるとそう見えるということで、その背後に、本当にあるもの、仏なる実在が厳然としてひかえている。』
 これは真象を表現したお言葉であると考えることが出来るのではないかと思います。従って、木の美しさ、葉っぱ一枚にしても、中心帰一の実に美しい線と色彩と仕組みである。よく見ると感動そのものではなかろうか。上記の内容に関しては、是非とも原文を拝読して戴きたい。

 「光明面」という考え方は、実相世界には光明面しかないので、「実相直視」を実践するということと、現象化した姿の中で真象を見る、という意味で「光明面を見る」ということでありましょう。
 さらに、全ての現象は観世音菩薩のみ教えであると見る場合は、自分の心を教えてくれている、または反省の材料として何かを教えてくれている教師の役割である、という意味で意義があると考えることが出来ます。そういう意味で、価値という光明面を見ることができるのではないでしょうか。それは難しいと云えば難しいのですが、人生の目的は、「神をこの世に実現することである」という考え方からしても、「何かを教えてくれた」と考えた方より一層良いようです。そして「自分の人生は決してムダではなかった」と、人生に積極的な意義を見いだすことが次のステップのためには大切であるようです。

 イエスの所に弟子が生まれつき盲目の人を連れてきた時、「親の罪にも非ず、子の罪にも非ず、神の御栄えの現れんがためなり」と仰せられたとのことです。
 「良かったと思うことは難しい」という中で、「愛少女ポリアンナ」が「お父さんが亡くなった時が一番、良かったと思うことは難しかったわ」とアニメの中で語っています。それでもポリアンナは前向きに考えたのでした。それから、行く先々、人々を幸福にする働きをするのでした。彼女が常に街や村の光明化の中心でした。「日時計日記」の記載運動は、自分の住んでいる地域の人々を幸福にする信徒さんのポリアンナ化の運動ではないだろうかとさえ思うのです。この運動が世界に広がれば、実質的に世界平和が実現してくるでしょう。何と素晴らしいことでありましょうか。

【ホヤの独自泳法?】
 海に生息する無脊椎動物のホヤの幼生は、魚などの脊椎動物とは異なる仕組みで、筋肉を動かして泳ぐことが、大阪大学大学院の動物学の西野助教授らと自然科学研究機構・生理学研究所の共同研究チームが突き止めたという。サンケイ(平成23年1月25日)からの情報である。
 多数の筋肉を協調して動かす脊椎動物への進化過程を探る手がかりになるとのことである。米科学アカデミー紀要に25日に発表している。
 ホヤは生物進化系統で、ヒトや魚類などの脊椎動物に最も近い位置にいる無脊椎動物である。「4億年以上前」に脊椎動物との共通祖先から分岐したと考えられており、生物進化のモデル動物として研究されているらしい。
 わずか、36個の筋肉細胞を使ってオタマジャクシのように巧みに泳ぐホヤの幼生に着目した。しかし、この幼生は体長約1ミリである。高速カメラによる観察や分子生物学の手法で泳ぎ方を分析したそうだ。
 その結果、筋肉の収縮の仕組みが、脊椎動物とはまったく違うことが判明したという。魚などの脊椎動物は、数百万個もの筋肉細胞が一定の強さで収縮するのに対して、ホヤは神経からの刺激の強さに応じて、個々の細胞が収縮の強弱を微妙に変えていることが分かったとしている。
 助教授は、「ホヤの筋肉の動かし方は、いわばアナログ方式です。進化の過程でデジタル方式の脊椎動物にどう変化したのか興味深い」とのことである。
 それにしても、個体の進化というのは、乗り物という道具の進化であるが、実に興味深いものではなかろうか。
 何億年も前に起こった偶然?の奇跡が遺伝子となって、私たちが受け継いでいることがたくさんある。不思議、不思議、不思議な世界である。
http://www.47news.jp/news/2011/01/post_20110125050617.html
http://www.yomiuri.co.jp/stream/m_news/vn110126_1.htm

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 中内 英生   

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January.25.2011「生長の家信徒行持要目②」

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January.25.2011「生長の家信徒行持要目②」
今日の詩::飛行機や 吹雪きて我を 待つ出雲 祈る雪ん子 しばし休めよ
(雪が降り続けると昨年の用に着陸できずに引き返すかもしれないので。)

三、何事にも真心を出すべし。
このお言葉を唱える毎に、「闇に対しては光を以て相対せよ」という聖句を思い出します。これは波長の世界であります。真心と真心が接近することになると考えられます。もし、何か嫌なことが起こったとしても、私たちは、日時計日記の記載を教えられています。神想観を教えられています。真心を出して行きたいと思います。まずは実践です。相手を祝福することが信仰者の道であり、神の子の生きる道です。「神」を出す方法です。
 現象界に生きていますと、ついつい人や問題などを対立的に見てしまう傾向が出てくるものです。しかし、その中で相手に感謝し祝福することは、現象界の常識を超越する道である筈です。「どうぞ、あの人がしあわせでありますように」と祈ることそのことが、「我今五官の世界を去って実相の世界に入る」という、実生活的行事となるのではないでしょうか。自分が祝福しているように見えて、実は神の世界から祝福の想念が天くだっており、自分を通して相手を祝福しているのでありましょう。その祝福の念は自分の念ではなく神の想念であるとすれば、現象を通して天降るのではなく、現象と現象の隙間を通して天降ると感じることができるようです。
 太陽の光線は、雨雲と雨雲が切れた部分からサッと地上に天降るようにです。
 
四、一切の人にことに行き届くべし。
「迷いとは何であるか」という問いに対して、「思い全相に達せざるを迷いという」という言葉があります。
 逆に考えると、思い全相に達した状態で、迷いが消滅したと考えることもできる。従って、細心の注意で思い全相に達することが必要だろう。
 八ヶ岳の森の中のオフィスは、それだけで完成する訳ではない。受ける側の教区版の森の中のオフィス構想が必要になるのであろう。
 私は、若い頃に茨城県の太田にある青山荘に二度?行ったことがある。水戸光圀公と面会する人との間に差を感じさせないように工夫していたと記憶している。それは光圀公が庶民の中に降りていったからだろう。その精神が藤田東湖の水戸学を生み、明治維新の潮流を作るに至ったに違いない。青山荘にある池に立て札が立っていた。
『ただ見れば何の苦も無き水鳥の足に閑なき我が思いかな』と。
出雲空港に近づくといつも思うのだが、「どうしてこんな重い航空機が空に浮かんでいるのだろうか」、と。それはただ浮かんでいるのではなかった。エンジンの中でものすごいスピードで回転しているタービンの存在があるからだ。
 私は、かつて某練成道場で空調係をさせていただいていた。ある時、ジェット機のタービンを代用している巨大エアコンの心臓部分が壊れた。超高速であるからこそ、大容量の冷気団を送ることができる。その時、航空機のタービンの中味を初めて見たのだった。
 そのように、ただ見れば、何の苦もないように見える。絵を描き、日時計日記を付けている姿も本当はきっちりと定刻に起床し、定刻に祈りかつ先祖供養し、歩けば空き缶を拾い、厚着をして出来るだけ暖房を付けず、人に笑顔と深切を実践し自己の信仰生活の実践とさらなる信仰の高みを求める求道の実践は、崇高にさえ見える。
 そのような生活の集大成として、教勢が拡大され、誌友会が充実して、自然と人間と共に伸びる生活をする。結果として講習会の参加者が増加する。
 決して気楽な生活ではないだろう。しかし、極めて充実した喜び溢れる信仰生活、真摯な求道生活、愛に充ち満ちた伝道生活、そして実り多き共生発展の成果が得られるのであろう。
 私たちの先頭を常に総裁先生が歩んでおられる。そのお姿を学びながら前進すれば良いのではなかろうか。 
『生命の實相』生活篇の中に、『あなたは自分を築かねばならぬ』という言葉がある。私たちは、日々変化する現象界に棹さしつつ、自らの正しい信仰を確立して参りたいと思う。

【サンピラー】
 太陽柱というのだそうだ。サンケイ(2011/01/21)の第一面に岡山の津市城跡のところで確認されたという。上空の気温が上がり、雲の中の氷の結晶が太陽の光に反射してできる自然現象であるという。太陽光発電や天照大神様の関係で、太陽に関して良い意味で少し敏感になっているようだ。アドは、北海道です。
http://www.lctatsuki.com/0nayorolc1.htm
http://www.nayoro-kankou.com/sunpillar.php
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%9F%B1

【希少金属】
 ロジウムと銀の原子が均等に混ざった新合金ができたそうだ。粒の大きさは10万分の一ミリほどであるという。これは燃料電池用水素を蓄える材料にもなると書かれている。いずれ来るであろう燃料電池車の時代用の新金属でもあるようだ。
 京都大の北川宏教授らのグループが、レアメタルと呼ばれる希少な金属の一つ「パラジウム」と似た性質を持つ合金を作ることに成功している。
 二種類の金属を超微細加工技術で混ぜ合わせたという。パラジウムの代替えとして、燃料電池車用の水素を蓄える材料や触媒の開発につながる可能性があるとのことである。
 パラジウムは、今年のノーベル化学賞の対象になった「クロスカップリング反応」に使われ、薬や液晶パネルの材料を作るのに活用されているという。また、車の排ガスの浄化の触媒用としても使用する。しかし、生産や流通に限界があったとしている。
 日本の科学技術が新たな希少金属を作り出す可能性がある。中国の希少金属に頼り過ぎると、中国の国土を汚染する。日本に新たな希少金属を生み出す力があることを再確認する意義は大きいと言えるのでは無かろうか。これは環境技術の一つであろう。
http://logsoku.com/thread/hato.2ch.net/news/1293927362/

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 中内 英生

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January.24.2011「生長の家信徒行持要目」

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*ウィンドウズの中にあるペイントで描いた絵です。マウスで書きました。玉椿という和菓子です。もう一つは、Nさんという信徒さんからいただいた椿の絵手紙です。葉の色が素晴らしいです。この色を私はなかなか出せないでいます。

January.24.2011「生長の家信徒行持要目」
今日の詩::湯を沸かす ポットの口より 湯気ふわり
(温かい雰囲気ですね。季語無しです。)

 「この言葉を唱えない日はない」とおっしゃる信徒さんも多いだろう。信徒行持要目は特に、重要であると思われる。ご存じの通り、『光明島根』の表紙裏に印刷されているので、ことあるごとに唱えて頂けると幸いである。

一、天地一切のものに感謝すべし。

 この「感謝」が生長の家では何よりも大切であると教えられている。私が子供の頃、有名な講師の人が小さな私の町にお出でになった。当時は、テレビが無くラジオが全盛期の時代だった。従って、講演会には記憶では信用金庫の二階に200人くらいは来ていたのでは無かろうかと思われる。その講師の方が、小学校2年生ほどの私の頭をなでてくれたそうだ。母親は喜んでいたと聞く。
 それから年月が流れた。私は上京を決意して東京へ来させて頂いた。ご縁あって、本部の神癒祈願部に一年間奉仕をさせていただいた。某練成道場にお世話になりながら、夜間の大学に通学させて頂いていた頃である。
 その時の、神癒祈願部の方で、故I元本部講師がおられた。そのI講師に私が子供の頃にお会いした講師の人からお手紙がきていたようだ。そして、I講師が言われた。
『あれほどの人であるのに、み教えが理解できていなかったんだね。”感謝”ということを忘れている』と。
 私は、我が町においでになった講師の方のお名前を覚えていた。本部から派遣される講師は、谷口雅春先生と同じように神様のように思っていた我が家の心の姿勢があったからである。その時、信仰に生きる人は、どこまで行っても「感謝」を忘れてはならない、ということを思い知らされたのであった。

二、そのままの心を大切にすべし。
そのままとは迷いの心のそのままではなく実相のそのままという意味である。老子の言葉に、「無為」という言葉がある。これは消極的な無為ではなく、迷いによる思いや行動を為さないというような意味であろう。実相そのままという生長の家のみ教えを知っているからこそ、理解出来るのでは無かろうか。「無為即実相そのまま」となると、活気凛々たる活動が展開すると考えられる。
昔、故T元本部講師がおられた。禅の大家であると聞いていた。学生の頃、T氏が成長お家に触れる前の著書である『文化感覚論』というのを神田の古本街でみつけたことがある。そのT講師が言われた。『神想観は形は無為であるが、活動の凝集したようなものだよ』と。分かったような分からぬような気持ちになったが、実相そのままの心は完全であり、かつエネルギーの源泉であると考えられる。
 『老子を現代に生かす』という谷口雅春先生の御著書がある。私は、この本が好きで、台湾での仕事の時には時々、解説をさせていただいていた。
 ある時、台湾の道教の総本山である指南宮へ行ったことがある。生長の家の信徒さんがおられたからだ。その時、ご好意で総本山のトップと面談をさせていただいた。私は、「無為」の意味について論じていた。すると、そのトップは、同意されたのであった。老子の「無為」はときどき、誤解されることがある。「そのまま」とは実相そのままであるので、勇気と活力の源泉であるはずである。その時、私は、如何に生長の家のみ教えが国境を超えて通用するかを理解することが出来たように思った。そうこうしているうちに、「国際平和信仰運動」が運動方針として打ち出されたのであった。当時、新方針を理解しやすい立場におらせて頂いたことを心から感謝させていただいただいている。
  http://www.netnavi.com.tw/datas/see004.htm
今日はこれで終了です。お読み戴きまして有り難うございます。短くてすみません。

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 中内 英生

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January.23.2011「生長の家で云う神様とは?」

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*和菓子です。春告げ鳥すなわちウグイスです。

January.23.2011「生長の家で云う神様とは?」
今日の詩::東京の コートもいらぬ 温かさ  快き風 吾が身を包む
*現在東京に来ているが、驚くほど温かい。もっと寒い方が自然なのになあと思いながら詠んだ。

 機関誌(2011年1月号)では、40頁に、「質疑応答集」が掲載されている。質問の中に、「八百万の神」「天照大神」という言葉がある。「天照大神」については、現在、総裁先生がブログでお教え下さっているので、ぜひ拝読していただきたい。この神様は生長の家では普遍的な神様として捉えています。八ヶ岳の森の中のオフィスで太陽光発電などで大いに太陽の恩恵を享受することになるので、総裁先生のブログにより、意義をよく理解しておきたいと思うのである。
 「人間は神の子である」という言葉がありますが、その前に神様とは何であるかということをハッキリさせておかなければならないのでありましょう。『生命の實相』に「は神への道しるべ」という項目がありますが、その内容が40頁からの御文章で理解することが出来ます。「必読」と申し上げたいところです。正確には総裁先生の御文章を拝読願います。

  神という言葉の日本に於ける本来の意味は「カクリミ」の略である。「隠り身」である。(『新版幸福を招く365章』74頁)
①そこに何がいるか分からないが、素晴らしい恵みや知恵や生命力などが現れている。その本体の何かである。
②姿形は隠れているが、ある霊妙な働きをするもの。
 肉眼で見えないという意味になると思われます。この言葉が前提にあります。

 さて、生長の家の信仰は、唯一絶対の神様を信仰すると書かれております。唯一絶対の神とは、どんな神様でしょうか。
①天地を創造した神様(生長の家ではそれ以外の神も認める)
②キリスト教の神(それ以外の神は認めない)
③ユダヤ教の神(それ以外の神は認めない)
④イスラームの神(それ以外の神は認めない)
⑤宇宙の太霊(姿は見えないが生々化育の霊妙な働きをしている。
 ここの所は重要でありましょう。それ以外の神をどのように認めるかが、第二義、第三義の神となるのです。

〈第ニ義の神〉とは何か?
宇宙の太霊が方便をもって仮にある形相に現れた場合の神(方便身、方便法身、応化神)
である。
  唯一絶対の神の属性を人間に分かり安い形で取り出してお祀りしている。たとえば、下記のような神様、仏様をいう。「輝く身」ということでありましょう。暗い神様はいないようです。
①観世音菩薩
②塩椎神
③八百万の神々
④天照大神(唯一絶対の神と云うよりも、、太陽神としての性格が強い。女性や母性の表現身として見ることが出来る。二つの意味が取れるということでしょうか。)

 また、唯一絶対の神様の、特性、性質、属性であるごく一部を「神」として認める。
①表現神
②方便神
③応化神
以上が第二義の神様です。

〈第三義の神〉
①人間その他の霊魂
②すべて隠身であって或る力を有する。
③菅原道真公
④乃木希典
⑤東郷平八郎(勝利の神様・困難を克服する強さ、国を外的から守る正しさの象徴・権化として、尊敬申し上げる。一人の個人を唯一絶対神と同じ位置に置いて崇拝するのではない。唯一絶対神のもつ数多くの属性のうち強さや正しさをよく体現した人間・霊人を通して、間接的に第一義の神を尊敬申し上げる。従って、神への信仰と矛盾しない。)
 個別霊という意味でありましょう。

  このご指導の内容は、平成22年10月17日の福井教区の講習会でのことのようです。『生命の實相』に掲載されている「神への道しるべ」の内容が、ご指導でさらに理解が深まったように思います。上記は私がまとめたものです。これだけでは十分ではないですので、ぜひ、1月号40頁をもう一度ひもといて下さい。

【電動自転車 バイクを抜く】
 これはスピードのことではない。残念ながら我が家にはない。電動アシスト自転車の2010年の国内出荷台数が、前年比4,6%となり、バイク全体(38万242台、外国メーカーを除く)を初めて上回ったことが、25日に明らかになったという。
 これはよいことだろうが、自転車道の確保が自動車道に近接しているということで、ほとんどの利用者が歩道を走っている。若者のスピードは高齢者にぶつかれば、生命の危険性さえあると云われる。出雲ではそんな光景は見たことはないが、都市部ではあるのではないだろうか。さらに幼児二人を乗せた「3人乗り自転車」も販売が解禁されたようだ。
 それにしても、「神の子の生き方は深切をモットウとする」ので自転車に乗るにしても、「神の子乗り」を演じて頂きたいものである。「電動」自転車よりも普及誌をお配りする「伝道」自転車は如何であろうか。(読売2011/01/25より)

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January.22.2011「”生きる”とは、”表現を継続する”ことである」

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January.22.2011「”生きる”とは、”表現を継続する”ことである」
今日の詩::聖経を 重ねて置けり 仏壇の 夜半とどろく 冬の雷
*冬の雷が鳴った。かなり寒い寒気団が通過しているのだろう。仏壇も見ると『甘露の法雨』が重ねて置いてあった。

 これは、『如意自在の生活365章』62頁にあるお言葉である。次のような内容が書かれている。
『生命は”生きる”ものであり、”生きる”ものは、死ぬことはないのである。”生きる”とは”表現を継続する”ことである。』
 この後の御文章は、永遠の生命についての内容であるが、私は、「生きるとは表現を継続することである」とのお言葉に感動を覚える者である。
 このブログを書き始めて、数年が経つ。生きる証として書こうとも思ったことであった。また、日々の島根の信徒さまへの信仰の手紙としてのブログにしたいとも思った。
それはそれとして、表現すると言うことは何と素晴らしいことであろうか。改めて有り難いと思う。

 常に表現の場があるということはとても有り難いことである。何か問題のようなことが起こる度に、「これで良かった」と考えるのが日時計主義である。
 ある時、一人の信徒さんに対して誠に申し訳ないことが起こった。私はとてもショックだったが、お詫びとして、毎月、生長の家のみ教えを三時間、半年の間お教え申し上げると云うことで、何とか御納得いただいた。厳密にいえばこちらの責任ではないのだが、「一切万事我より出でて我に返る」という真理から云えばやはり自分の責任であると思った。そこで私は、「これでよかった」と思うことにした。すると、その人は熱心に受講して下さり、またさまざまな行事にお手伝いをしてくれるようになった。もし、真心を以て対処していなければ、このように素晴らしい友情を交わすことはできなかっただろうと思ったことであった。
  これもまた、真心を表現し続けた結果であった。

 情報は広く、表現は今生きている「場所」に、である。誠にもインターネットの世界を駆使することは必要であると考えられる。中国では数億人の活用者がいる。世界遺産で有名なお寺を二つ紹介していたが、尼さん達が伝道のためにインターネットを駆使していた。また、有名な少林寺も達磨大師と拳法で有名だが、大いに観光化が進んでいるようだ。是非はともかくとして、やはり文明の利器を活用している。宗教はイベント的になってよいとは思わない。しかし、インターネットの世界を光明化するという目的をもてばやはり、活用する以外に方法はないのだろう。
 世界の情報を集めることが出来る実力を持ちたいものである。その上で、島根の光明化運動を展開していきたいと思う。

 私が夢見ているのは、島根の電子的一体化である。島根はともかく長い。隠岐の島から津和野まである。当然のことながら、出雲に集結することはなかなか難しい。それを来年度は、電子的に合流してみたいと思っている。まずは地方講師会で、数か所同時合同研修会を開催できればうれしい限りであるのだが…。うまくいくだろうか?

【人はなぜ死ぬのか?】
 これは日経新聞(2011/01/23)の記事である。「種の保存へ個体死不可避」ともある。
分子生物学から「死の科学」を研究する東京理科大学の田沼靖一ゲノム創薬研究センター長は「種としての生命の連続性を保つため、傷ついた遺伝子が次の世代に確実に引き継がれないように、個体を丸ごと消し去るのだろう」と、「人間を未来永劫に守る」には、個体の死は避けられないとしている。そういうことも言えるのだろうか。初めて読んだ視点である。
 人間の細胞は、約60兆個である。毎日3000億個~4000億個ずつ死滅しているようだ。
 人間はどんなに体が丈夫で健康に気遣っても、120歳以上長生きするのは難しいとしている。細胞は分裂で再生されるとはいえ、その回数は60回前後が限界である。
うまくできているというか、誰が作ったのか。神の宮であると教えられているがすごい宇宙服である。

【ジョブマッチングの4要素】
 これは、勝間和代さんの「人生を変える法則」(2011/01/22)にある言葉だ。テーマは、「自分の資質に目を向けて仕事を選ぼう」です。今日の内容はとても面白いです。
アメリカの人材コンサツテイング会社であるキャリパー社の経営者であり、心理学博士であるバート・グリーンバーグ氏は、「ジョブマッチング」という考え方を弘めたそうです。
 ジョブマッチングとは、優れた人材と、そうでない人材の違いは、努力するかどうかよりも、その仕事の資質と仕事が求めるものが一致するかどうかで決まるという考え方です。
 営業は、人によって大きく成果が変わります。それは、職種そのものが求めるものに対して、向いている人と向いていない人があるからです。採用時点でそれを見極めないと、会社も採用された本人も不幸になるという考え方であるそうです。

 この考え方から導かれる、営業の仕事の成功に必要な四つの要素とはなにか?。①相手の反応を上手に見極める感受性、②自分が相手に働きかけて影響を与えることの喜び、③人に喜ばれることで満足する心、④顧客の拒絶に立ち向かう力、です。
 すなわち、営業の仕事をすればするほど、内的な動機付けが満たされて、報酬が得られると、ますますその仕事が楽しくなるという好循環が働く人だけに向いていると考えます。

 これまでの重要事項は、優れた仕事をするためには「金銭的報酬」が重要だと考えられてきました。実はそれよりも、それぞれの資質に合った喜びを感じて得られる精神的報酬の方が、すっと大きいということです。
 私の場合は、中学校三年生から聖典に読みふけりました。夜おそくまで読んでいた記憶が残っています。その頃の精神的満足度が同様に得られる状態の仕事の時、私の魂は喜んでいることが分かります。だから、現在の仕事はとても満足なのです。

 勝間さんは語っています。マスメデイアで大勢の人の前に出たとしても、ものすごくわくわくして、うれしくなるという状態にはならないそうです。しかし、原稿を書いているときのように、静かな所で黙々とパソコンを打ちながら、いろいろな考えを整理する時には、最も大きな喜びを見いだすようです。これは私も同様です。

 出版社の複数の編集者によると、本を書きたい人は多いのだが、文字を書き続ける孤独な作業に何年も何十年もたずさわれる人は、10人に1人もいないとしています。それは、文字打ちの作業がうれしくないと続かないからです。「ブログを書くのは大変でしょう」、と言われることがありますが、深い喜びがあるからこそ、ブログを続けることが出来ると考えています。
 
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January.21.2011「カレーライス②」

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January.21.2011「カレーライス②」
今日の詩::湯気立ちて 炬燵の上の お茶を飲む

寒き湖 自在に泳ぐ 魚の群れ

(つづき)
 やがて敗戦となった。村上さんはソ連船でシベリアに送られたが、捕虜生活では食べる楽しみしかなかった。従って、村上さんは炊事の腕をふるって、多くの日本人に食べる楽しみを与える任務についたのだった。
 ある時、一人の兵士が病気になった。余命幾ばくもない状態となった。それで、「好きなものを食べさせよう」ということになった。

 村上さんが兵士に聞くと、「アイスクリームが食べたい」という。パイナップルも食べたいとのことだった。パイナップルはどこにもない。しかし、リンゴが二個手に入った。村上さんはリンゴの芯をとってパイナップルらしい形にしつらえた。それを砂糖のシロップで煮た。それを零下35度の外気で冷やして病人に持っていったのだった。
 病人はとても喜んで全部食べてしまった。病人は二日後に大きな病院へ移された。もう会えないだろうと思っていた。

 ある日、トラックに乗った日本人が降りてきた。村上さんめがけて走ってきた。よく見るとあのときの兵士だった。兵士は村上さんに言った。
『私はパイナップルをご馳走になって生きる希望が湧いた。しかも、あとでご馳走になったアイスクリームで”生きなきゃいかん。絶対に死なない”と自分のカラダに言い聞かせた。”必ず日本に帰るんだ”ということを朝目が覚めると必ず自分に言い聞かせた。自分に対して、”生きるんだ.生きるんだ”と言い続けていると、こんなに元気になりました。あなたが作ってくれたパイナップルとアイスクリームのお陰です。』と。

 このようにして村上さんは、一人の兵士を救うことが出来たそうだ。
谷口清超先生は次のように御教示されております。
「何事によらず人のためになることは、それがどんなにささやかな愛行であろうと、”心を込めてやる”ことだ。すると一切れのパイナップルでも、ひとさじのアイスクリームでも、人の命を救いとるほどの力になることが出来る」と。

 真心のこもった行動を、今の仕事に今生き切ることによって、この世の中は確実によくなっていくと書かれている。
 村上さんは、学生時代に柔道をやっていたので、終戦後フランスに留学してフランス料理を勉強した時も、最初は日本人だといって白眼視されたが、柔道によって沢山の知人を得ることが出来て、たのしく料理を学ぶことが出来たとのことである。

 私たち、島根の信徒も御教示にありますように、常に今を生きることに集中して、真心のこもった行動を、ご家族に対して、隣人に対して、職場の同僚に対して、お客さんに対して、あらゆる場面で発揮して参りたいと思います。今日も一日、しっかりと神様の御心を生きて参りましょう。

【電気自動車の充電】
 「JAFメイト」2011年1.2月号に於いて、電気自動車の充電のことが書かれていた。乗っている訳ではないが、知識として知っていてもよいのではないかと思う。書いているのは、EV塾の塾頭であるお馴染み舘内端さんである。
 この方はF1のエンジニアの経験もある自動車評論家である。この人の文章は時々読んでいる。
 EVの充電方法はいろいろあるようだ。従って、急速充電でないかぎり、家庭での充電が可能であるということになる。教化部でEVを使用するとしても、教化部会館のコンセントで充電可能ということだろう。しかも、現在は屋根に太陽光発電パネルを設置しているが、それを車庫にも乗せるとすれば、太陽光発電で教化部のEVをある程度充電できることになる。
 普通充電だが、家庭などにある普通のコンセントから充電する方法である。100Vの場合を考えると、充電電流は15A、充電電力(電圧×電流)は、1,5KW、1㎞を走行するするのに必要な充電時間は4分である。これで大体の目安が分かるのでは無かろうか。

 急速充電は専用の充電器から充電する。現在の日本には、500基程度である。2020年に5000基設置予定であるようだ。この場合だが、充電電圧は200V, 充電電流は250A(かなり高い)、充電電力は50KW(電圧×電流)、1㎞の走行に必要な充電時間は、7,2秒(速い)。
 施設があるところまで行って充電する方がよいか、家庭で充電する方がよいかは、用途によるのだろう。
 三菱のアイミーブ、日産のリーフが発売になっている。これから続々と開発・販売されるだろう。トヨタは2012年にiQベースのEVを発売予定であるそうだ。ホンダもフィットEVを発売するという。ホンダはすでに燃料電池車を開発しているので、早めに売り出してほしいと思うのだが…。
 フィットの資料によると、モーターの力が1300CC車の二倍になっており、加速力がかなりあるそうだ。海外でも発売を競っている。
 さて、充電の話が書かれている。給油と充電で大きく異なるのは、給油はガソリンスタンドで行うが、充電は基本的に家で行うことになる。給油は満タンにしても数分だが、充電は数時間かかる。時間がかかるのがEVの弱点であるとの説もあるが、日常的な使い方、すはわち私なら出雲の街を走るくらいなら特に問題はない。しかし、益田や安来などに行くとすると途中での充電が必要になるかも知れない。
 EVは逆にガソリンスタンドへ行く必要がないので、便利だという考え方もある。海外では、夜間の給油が防犯上不安であるということが多いらしい。日本とは随分違う。従って、給油不要がEVの大きなメリットであるとされているという。これは知らなかった。
 八ヶ岳では太陽光発電を活用してのさまざまな試みが為されるのではないかと楽しみである。身近な、どこにでもあるエネルギー源である太陽光が如何に重要であるかを人類は教えられる原点回帰の21世紀になるのではないだろうか。

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January.20.2011②「カレーライス①」(2010年10月14日の分)

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January.20.2011②「カレーライス①」(2010年10月14日の分)
今日の詩::ほかほかの 冬帽子着て 散歩する
*これはあたたかいです。服1着分くらい温かい。

 谷口清超先生の御著書『人生はすばらしい』の163頁には、帝国ホテルの料理長をしておられた村上信夫さんのことが書かれている。これはNHKでの放送での内容である。
 村上さんは大正10年生まれであり神田で生まれ育った。現在は立派な賞をいろいろと貰っている。昭和15年から帝国ホテルに入社した。新参の修業時代には鍋洗いから始まったそうだ。当時のコック修行は厳しかった。フランス料理の味付けを覚えるのでも誰も教えてくれない。だから、自分が洗うことになった鍋の中に残っているソースを舐めて、その味を覚えようとしたが、一応全部の鍋がきれいに洗って下がってくるから味が分からなかったようだ。

 仕方がないから、できるだけ鍋をピカピカに磨き上げたという。すなわち「今を生きる」ということを行った。今与えられた鍋洗いの仕事に全力投球したのだった。「鍋を愛した」と言えるだろう、と評価しておられる。
 ソースの味とは無関係だったが、鍋洗いに愛念を込めて働いていると、当時の料理長が言った。『このごろの鍋はよく磨いてあるが、誰がやっているのか』と問うた。『それは村上です。』という。そのことが料理長に伝わった。すると…。
 『今度から鍋のソースを少し残しておいてやれ』と言ってくれたのだった。

 それから下がってきたフライパン鍋のソースを舐めて、その味を覚えたということだった。このように、今与えられた仕事に愛念を込めて、力一杯やるということが、次の仕事に進んでいく最善の方法となるのである、と御教示されている。

 私が学生時代にお山の集いというのがあった。学生が質問した。
『日本の将来はどのようになるのでしょうか?』と。
 谷口雅春先生は笑顔でお答えになられた。側にある鉢には、さまざまなシャボテン?だったか、植わっていた。
『この植物と同じです。私たちが「今」を一所懸命に生きていると次には自然につぼみが出て花が咲くようになるのです』と、いうような意味のお言葉があった。
 生長の家のみ教えは、「今を生きる」という生き方である。

 村上さんは、昭和17年に陸軍に招集された。その時もナイフとフライパンを持って佐倉の連隊に入った。やがて戦地に送られ、中国大陸で軍務に就いたという。ある時、カレーライスを作った。すると、野戦地なので八キロ四方にカレーの匂いが広がった。そこへ少佐の部隊長が馬で駆け付けた。
『誰だ!カレーライスを作った奴は!』と怒鳴るのだった。
 抜刀しているので驚いた。村上さんの側に来て刀をさやに納めた。そして言った。
『おい、おれにもカレーライスを食わしてくれ』と。
夜明けに敵に攻撃をかけたが、敵は一人もいなくなっていたという。カレーの匂いを嗅いだ敵は、日本軍に包囲されていると思って退却したとのことだった。
(つづく)

【古気候学】
 古きを知り温暖化予測をする学問があるようだ。朝日(2011/01/21)に出ていた。古気候学は過去の気候を調べ、気候が変わる仕組みを探る分野である。その手法が温暖化予測の検証手段の一つとして活用されているとしている。
 将来、気候を予測するには、気候モデルに基づくシミュレーションが使われるという。スパコンに仮想地球を置き、大気と海洋の間の熱のやりとりなどを計算して、気温の変化や降水量などの変化を見積もるのであるという。気候モデルの精度を上げることが、正確な予測につながるとしている。
 気候変動に関する政府間パネルは1950年代以降、二酸化炭素による人為的な増加による温暖化が起こっている可能性が非常に高いと報告したが、自然変動の範囲ではないかと疑う声が一部にあるようだ。そんな本も出ている。しかし。
 ドイツマックスブランク研究所のグループは、太陽活動、火山活動、二酸化炭素濃度が気候変動に与える影響を分けて、複数の計算をしたのだった。その結果、20世紀後半の気温上昇は自然変動では説明できず、二酸化炭素の人為的な増加の影響であるとしたのである。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E6%B0%97%E5%80%99%E5%AD%A6
  http://homepage1.nifty.com/NewSphere/EP/b/paleoclimatology.html

【土葬の可否】
 朝日(2011/01/18)には、宗教学者の山折哲雄さんの「異議あり」が掲載されていた。可否は別として、『生命の實相』の霊界篇のヴェッテリニの霊告を思い出した。火葬よりも土葬が良いとするヴェッテリニの意見である。極めて合理的な説明である。ぜひ読み返して頂きたい。
 さて、ここには「土葬を復活して新たな死生観築け」とあった。他界や霊魂の観念が火葬によって薄れたとしている。人間が自然に返るという認識が大切であるとしている。山折さんは、1931年生まれである。東北大助教授。国立歴史民俗博物館教授などを歴任した。著書が多数ある。
 「記者が取材を終えて」という感想を書いていた。「土葬の本格的復活を、との提言にはギョッとしたが、死生観の再生を求める危機感にも似た山折さんの思いを聞いたら、土となって自然に返るのも悪くないと感じた」という。おそらく土葬を見た経験のないお若い記者の方では無かろうかと思った。
 また、山折さんが環境問題まで説いていたので私自身も驚いた。
電力会社の知人に試算してもらった。日本で火葬は重油を燃料としている。1年間に火葬で発生する温室効果ガスの排出量は推計約20万㌧で、8~10畳用のエアコンの年間排出量に換算すると、約720万台分になるそうです。その量を森林の吸収効果でまかなうには、東京23区の2倍の面積が必要らしいとのことである。そういう意味でも土葬の本格的復活を国策にしてもよい、としている。
  また、日本人の心には古代から培われたDNAともいうべき無常観があるとしている。それらは、宮沢賢治や金子みすずの作品にも通じるとしている。
横道にそれるが、みすずの作品で、「大漁」というのがある。「朝焼け小焼けだ大漁だ
オオバいわしの大漁だ 浜は祭りのようだけど 海の中では何万の いわしの弔いするだろう」という文章を読んで、私はギョッとした。当然のことだが、私は人間中心主義に立っていて魚の立場に立っていなかったからだ。それは山折助教授の言われる日本人の死生観の世界なのであろう。みすずの「ヒューマニズム」を読むと、「もっとすごい!の一言である。
 また、戦後、「使者を送る」という儀式から「死者と別れる」儀式に変わったという。
私自身、上記のことについてはあまり考えたことがなかったので、色々と勉強になった。
*ちょうど、合致した記事がなかったので、下記ですみませんが、ご参考まで。
 http://www.shgshmz.gn.to/shgmax/public_html/review/asahi20090130_shukyo.html

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 中内 英生

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January.20.2011「カメラ・ボディビル」

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  January.20.2011「カメラ・ボディビル」
今日の詩::郵便屋 イヌと仲良し 手を振って
*吠えるのは最初だけのようです。

 谷口清超先生の御著書に、『「人生学校」はすばらしい』という本がある。地球は舞台であり、人生は魂の学校である、という意味でありましょう。清超先生が昔、お書きになった『困難に戯れよう』の51頁から土門拳さんのことが紹介されているという。有名な写真家であり、訓練時代のことである。
 私は若い時に富士山を登ったことがあるが、頂上のご来光の時、プロのカメラマンのような人がいた。年配の先生のような人と、私と同じくらいの男性だった。すごく怒鳴りつけられていたことが記憶にある。親子だとあれだけは怒らないだろう。友人でもない。やはり師と弟子だったのだろうか。

 土門さんは青年時代に、上野のある写真館の下働きをしたという。すると先ず、拭き掃除。下足番、水洗いをやらされたらしい。
 私がお世話になった練成道場では、詰め所、駅で生長の家の旗を持っての出迎え、冷暖房装置の運転、ブタ、ニワトリ、アヒル、綿羊、などのお世話、人糞のくみ出しと畑への施肥などをさせていただいた。今ではやってみたいと願ってもなかなか出来ないだろう。貴重な体験である。

  そのうちに「報道写真家になりたい!」と思うようになった。当時は写真の学校はなかった。どうやって良いか分からない。そこで自分で本を読み、色々と工夫をした。カメラ・ボディビルというのをやり出した.当時はカメラがとても重かったからである。
 土門さんは、アンゴーというハンド・カメラでスナップ撮りの猛練習をやったという。アンゴーというカメラを自在に撮せるようになるために、「目測」の練習をやりだした。色々と研究すると、7フィートのところに立つと、人物の全体像が写せることが分かった。あちこち歩き回っては、目標を定めた。7フィート離れてぴたっと立ち止まる練習を繰り返した。それをやっていると、7フィートで立ち止まる能力が身についたようだ。

大きくて重いこのカメラを左手だけで確実に操作するために、どうしても腕力が必要だった。そのために土門さんは、重いカメラを振り回すボディビルをやり出したというのである。やってみると、カメラを直接目の前に持ってくるのではなく、一度カメラを上方に持ち上げてから、ストンと目の前に引きよせる。するとカメラが一番安定することにも気がついた。その持ち方の訓練を繰り返したという。
 シャッターの押し方の練習を何回も行った。とうとう無意識的に行えるようにさえなった。この練習を毎日、横位置で五〇〇回、縦位置で五〇〇回、合計千回を、晩飯のあとにやったというのである。

 これで、目測でも重要上げでもできるようにまでやる「努力」によって、写真家としての底力がついたと書かれている。だから目先の困難を恐れてはならない。困難に戯れ、「困難は有り難いのだ」と知らなければならない、とお教えいただいている。土門さんの場合は、来るべき日本一の写真家の自分を想起して、困難な練習をものともせずに楽しんでおられたのでありましょう。そこには進歩と喜びがある。

 昨日、○○ボルトという電器屋へ行ってみると、ガラパゴスが於いていた。電子書籍も文字が大きくて実に快適に読める。ちょうど、茂木健一郎さんの本の立ち読み版があったので、数頁読んでみると、「脳は新しいものに挑戦し、進歩することに”快”を感じるように作られている」と書かれていた。なるほど!絵手紙でも最初はほとんどやりたがらないのだが、実際にやってみて、みんなで讃嘆し合うとすごく全員が喜びを感じ合えるようです。新しいことを行った喜びを脳が感じているのでしょうか。自分の殻を打ち破った魂の解放の喜びでありましょうか。

 私たち島根の信徒は、ぜひ困難を栄養にして進歩し続け、今年はますます技能と芸術によって神性表現をする誌友会を盛んにして参りたいと思います。

【蜜蜂の不思議】
 蜜蜂は植物の受粉に貢献している。その行動や蜜の採れ具合から、日本の環境の様子を垣間見ることが出来るようだ。蜜蜂は都心では効率よく蜜を集めるのは、競合する昆虫がいないためである。それは他の昆虫が生活する場が消滅しているので他の昆虫そのものがいないからであるようだ。ハウス栽培のイチゴでは品種改良で花に蜜が減った。それでなかなか蜜が集められないという。朝日新聞(2011/01/21)に出ていた。

 働き蜂が一日に一匹で3千個の花を訪れる。1,5㌘の蜜を集める。
果実や野菜の花粉を媒介する蜜蜂の日本での農産物への貢献度は、約3500億円であるという。生産額が百数十億円の蜂蜜やローヤルゼリーを圧倒している。集めた蜜よりも、「蜜蜂の動きそのもの」が地域貢献しているという訳だ。

 『蜂からみた花の世界』という本を書いた、玉川大学の蜜蜂科学研究センターの佐々木正己教授は語る。
 原産地が分かった蜜源植物647種のうち、日本の在来種は368種だった。57パーセントである。「日本の在来植物相の豊かさ、生物多様度の高さを蜜蜂から教えられた」と。これは日本の海洋動物に於いても言えることのようだ。
  東京都心でも蜜蜂が飛び回る。巣箱一箱で、通常の2倍(年間50㌔㌘)はとれる。なぜなら競合する虫がいないからである。これは決して喜ばしい現象ではないだろう。都市は特殊な場所であると言われる由縁だ。
 森林で生態系維持に蜜蜂が役に立っているという。街路樹にはトチノキ、クロガネモチなど蜜源樹も多い。その実をヒヨドリなどの野鳥が食べることが出来るのは、蜜蜂が受粉をさせるからであるという。まさに生態系は一つの円環になっている。

 ここ数年間、蜜蜂の大量死の問題の原因が書かれていた。①開発による花資源環境の縮小、②蜂蜜の価格競争で養蜂業者が減少した。③ハウス栽培の増加、④外来のウイルス、ダニによる疾病、⑤農薬禍、である。
 最後に結論として、『蜜蜂や昆虫たちが健全に暮らせる地球環境は、人間にとっても望ましい』としている。

 昆虫には色彩を見分ける色覚がある。人間にもあるのは何故か。どこかでその能力が一致した時点が数億年前にあったという説がある。要するに余りにも容姿が違いすぎているが、同じ能力が体内を流れているということだろう。色覚という当たり前のことのように思えるが、何億年も前に起こったところの、太陽光線という電磁波を脳内で色に変化させるというクオリアの奇跡が、今、自分の中を生き続けていると云うことであろう。これこそ”奇跡である”とも言えるのではなかろうか。

 ホモサピエンスはアフリカ発の一人の母親から発したという説も読んだことがある。ミトコンドリアのDNAの研究の結論からである。また、私たちの遺伝子の中には中近東付近で合流したネアンデルターアル人の遺伝子も数パーセント入っているという。万物は有機的一体の地球生命体である。そんなことを考えていると、生物多様性を護り、他を侵さない生活が、決して特別な生活ではなく、極めて自然な生活のように思えてくるのであった。「宗教を科学的事象で説明できる」という意味が分かってくるように思える。

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 中内 英生

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January.19.2011「神様の番頭」

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January.19.2011「神様の番頭」
今日の詩::散歩前 イヌ服着て じっと待つ
*我が家のイヌ君は寒いので服を着せられると、何故か動かなくなるようです。

 『あなたは自分で治せる』という聖典がある。「神癒」について書かれていますので、体得したいと思っている人は是非拝読して頂きたいと思います。
176頁~178頁には、「神の番頭になって借金を返済した話」という興味深い内容がありますのでご紹介致します。

  四つのポイントが御教示されております。
①神と一体の自覚
②自己の内に神が働き給うとの信念
③欲する事物は神が欲し給うのであるから、既に成就せりとの信念
④それを断固として表現する言葉
 
 山形県の医師小野新作さんの体験談が紹介されております。
小野さんは、医者であるので、医業だけをやっておれば生活に困難することはないのだが、野心を起こして或る事業に手を出したという。それが大失敗して350万円ほどの借金が出来た。当時の350万円ですので、現在ではどれくらいでしょうか。小野さんにとっては大金であった。コツコツ医者をして、健康保険の低料金の治療を一生涯続けてもこの350万円は返せるものではない。
 その内に、小野さんは『生命の實相』を拝読したのです。
第一次欧州大戦の船成金の山下市助という人が大正9年のパニックで無一物になり、逆に600万円の借金が出来た。
  山下市助さんにとって、600万円は大金であった。自分で支払うことは出来ないと思っていた。ある先生のところへ相談に行った。
 すると、その先生が、『お前には払えないか知らぬが、神なら払える。今日から神様の番頭になれ。そして一々神様から指図を受けて商売をせよ。』と言われたそうだ。
 それから山下さんは、神様の番頭になっていると、間もなく600万円がみごとに支払われて、あと35万円残った、ということが書いていた。
 これを読んだ時に、「神なら払える!」という言葉が小野さんの中へ焼き付くように入ったという。
 小野さんは内科医でしたが、或る漢方薬の研究家から、痔の塗り薬を教わっていた。その塗り薬を痔に試みると、軽いのは一週間~十日くらいの入院で、その痔の部分の病的組織がとれてしまい、あとには健全な肉と粘膜が出来て、手術したあとのように長引かないのでした。
 7回も手術して、肛門括約筋を切りすぎて失敗して、もう外科医にはどうすることもできないようなのも治るということが発見されたと言います。
 しかも、たいていは痔の外科手術をすると内臓の方の疾患が悪くなるという例が多いのだが、この治療法によると、痔が根本的に脱落して、新しい肉が新生すると共に、胃腸や肺臓の方も強健になることが分かったのでした。
 顕微鏡で見なければ分からないような小さな痔核でも全部一緒に除かれてしまう。
痔瘻などは、薬を注入しておくと周囲の不良の肉が筆の軸のような管になって脱落して治る。
 そんなことで、痔の治療が評判になって、今では痔専門の医者みたいになっているとのことであった。そして、350万円の借金をいつの間にか支払ってしまった。しかも病室が満員つづきなので、新築の病院を350万円ほどで建築中だとのことである。
小野さんは、『神の番頭になれ!神なら支払える!これは全く本当です!』と言ったとのことである。
 最初に掲げた四つのポイントは、どんなことにでも、誰にでも通用するのではないでしょうか。この聖典を精読して、秘訣を体得していただきたいと思います。
 仕事は「ふと思いつく」ことで繁栄につながるようです。島根の信徒の皆様、大いに良きことをフト思いつきましょう。

【松江の錦織さんが活躍中】
 全豪オープンのテニスでがんばっているようです。応援しましょう。日経新聞(2011/01/20)によると、三回戦へ行くようです。日本男子46年ぶりの快挙と書かれています。相手は世界ランキング36位のマイヤー選手だった。錦織さんは82位のランク。
第三セットは「集中が途切れて、嫌な形で落とした」。それでも崩れなかったあたりに、精神面での成長の跡がうかがえるとしている。
「ここまで来たので楽しんで、ベスト16以上を目指していくと」力強かったと書かれている。
三回戦は、 『1月21日(金)午後5:00~夜9:59 ※早終、延長あり。ハイセンス アリーナ 第4試合193ch.錦織 圭(日本)VSフェルナンド・ベルダスコ(スペイン)。
http://journal.mycom.co.jp/news/2011/01/20/103/
 島根はあらゆる面でがんばっています。私たちも大いに倦まず弛まず、喜びの内に信仰生活を実践しましょう。錦織さんのように日々、真理求道の集中力、真理の生活実践力、より多くの人々への伝道力において進歩しましょう。信仰は、求道と伝道のバランスが大切です。

【最も正確な円周率 ギネスに】
 日経新聞(2011/01/20)には、長野の会社員が手作りのパソコンで円周率を小数点以下5兆桁まで90日かけて計算した近藤茂さんの記録がギネス世界記録に認定されたとしている。すごい。認定書は、1月13日付である。計算プログラムを作った米国の大学院生、アレクサンダー・J・イーさんとの連名だそうだ。「自作パソコンで世界のスーパーコンピュータと渡り合った」と評価されている。18日に封筒で認定書が届いたという。「薄いので却下されたかと思った」そうだ。「大企業や大学ではなく、個人もパソコンで計算できることを示せた」と胸を張っているという。現在は倍に当たる10兆桁を目指している。順調に進めば7月に新記録がでるとしている。

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 中内 英生

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January.18.2011「我が生は已に安し」

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January.18.2011「我が生は已に安し」
今日の詩::冬の日の 炬燵を囲む  家族かな
*昔はいろりでしたが、現代は電気炬燵です。

 『到彼岸の神示』という聖典がある。「自覚の巻」となっており、神の子の自覚について書かれていることを暗示している。3頁には、「至上者の自覚の神示」が掲載されている。
 人即ち神であると云う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。…

 生長の家の信仰を戴いている私たちは、この御文章に触れて、感動と感謝の念を禁じ得ないのでありましょう。神の子であると申しましても、神とは何であるかを十分に理解しておりませんと、神の子を理解することはできません。
 怒りの神を信じていると、人間が神の子であるならば、神の子の自覚を得ることは怒りっぽくなることになります。神は無限の愛であるならば、神の子の自覚を得ることは、愛深くなることになります。「神観」が何よりも重要です。谷口雅春先生と輝子先生は本当の神を求めて血の滲むような求道の人生を歩まれました。そして遂に本当の神を発見されたのでした。その神様を私たちはお教えいただいているのです。
 本当の神様を知るためには、私たちはまず、『生命の實相』をたとえ一頁であっても毎日ひもときましょう。そして、できるだけ聖典にふれることが大切です。いわゆる三正行の実践です。

 8頁には、書かれています。釈尊が35歳の時の12月8日の朝、暁の明星を見ながら、かく然として大悟せられて、「天上天下唯我独尊」の自覚、換言すれば、「至上者の子」にして、キリスト教的に言えば「神の子」であるとの御自覚に入られたとあります。その自覚の心境を『法句経』には次のように説かれているとしてご紹介しておられます。私は、初めてこの聖句を拝読した時、衝撃を覚えました。楽な姿勢で読んでいたのですが、正座に座り直して背筋をただして読み直したことを記憶しております。次に掲げます。

「 我が生は已に安し。怨みをいからず、衆人に怨ありとも、我は無怨を行ず。
 我が生は已に安し。病を病まず、衆人に病ありとも、我は無病を行ず。
 我が生は已に安し。憂をなやまず、衆人に憂ありとも、我は無憂を行ず。
  我が生は已に安し。清浄無為なり、楽を以て食となす、光音天の如し。」

実に素晴らしいご心境です。私たちもこのような心境になりたいものです。釈迦はウルビルワーの苦行林から出てこられた時に、「苦行は悟りの因に非ず」と苦行を否定されて、そのままの心になられたのでした。苦行を行った上で、はじめてそのことが分かったのでした。生長の家では苦行は行いません。しかし、三正行を行います。それは易行道と言えるかも知れませんが、それ以上に、楽行道であり、楽しい行事であります。
 このご解説の最後には釈尊やイエスの傘下には無数の諸霊が集まってきて、仕えると書かれています。
 この御文章から拝察申し上げますと、現在の総裁先生の元にも無数の高級霊が来たりて人類光明化運動・国際平和信仰運動を推進するために、お仕え申し上げているのではなかろうかと考えられるのであります。
 
【ミクロ点描画法】
 これは、NHKの日曜美術館(2011/01/16)で知った。レオナルドダビンチの絵の解説である。スフマートというばかしの技法が採用されているという。フランクさんという人がその再現に挑戦していた。何と、5㌢四方くらい?の部分を描くのに40日ほどかけている。ダビンチがモナリザを描くのには、10年間の歳月をかけたという。これが極限だという感じだろうか。ミクロの点で描いていた。それで立体感を出すのだった。想像を絶する集中力が必要だった。一つの点は、30分の1から40分の1ミリである。さまざまな処置の最後に点を描き込む。しかも虫眼鏡を使用する方法である。
 「白貂を抱く貴婦人」という絵やモナリザを当時の色に復元していた。それだけのコンピュータでの技法が開発されているようだ。500年前の絵の色が現代に蘇るというのはすごいことではなかろうか。モナリザにしても現在はくすんだ色だが、本来は決してそうではなかったようだ。この番組はとても面白いので島根の皆様にお勧めしたい。なかなか美術館へ行く時間がないではないと思われるので。現在、松江の島根県立美術館では、「八雲立つ」という雲にまつわる絵画が展示されている。先日、見てきたが出雲らしいテーマであると思った。
  http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2011/0109/index.html

【デッサン教室】
 先日少し時間があったので、駅前の画材屋に行って見た。色鉛筆、クレパス、水彩鉛筆、水彩絵の具、油絵の具などなど色々とあるようだ。最近は水彩鉛筆などを使うことも多い。絵の具を見ていると、お店の人から「デッサン教室へ行きませんか」と誘われた。二階で開催しているようで、ちょうどお茶の時間になっていた。笑い声が聞こえてきた。生徒さんはほとんど女性だという。ちょっとためらったので、作品だけ見ると立派な花瓶が3Dで表現されていた。4月にはソニーから3Dのビデオカメラが発売されるという。やはり、現代は絵画も3Dの時代に入ったのだろうか。私の絵は、どちらかというとまったく平面的であるので、少し工夫をしたいが陰影がなかなか難しい。ダビンチは独力でそれを成し遂げたようだ。すごい!人である。

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January.17.2011「生命の神秘に就いて」

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January.17.2011「生命の神秘に就いて」
今日の詩::デッサンの 鉛筆使い 画用紙に 描いて消すなり 6Bの濃さ 

 『幸福を招く365章』の111頁には、「生命の神秘」という項目がある。そこには次のような内容が書かれている。

 如何にそれはあるかということを研究するのが科学である。何故ということを理論的に探究するのが哲学であり、存在の意義を直感的に把握するのが宗教である。

 それらの情報を私たちはみ教えにより学ばせて頂いている。私たち信徒の人生は、誠にも幸運な人生であると思う。この御文章の後には、『生命の謎』の御著書のご紹介もある。
 「樺太などの大森林地帯で火災が起こって、見渡す限り焼け野原になったあとにどんな雑草の種子が飛んでくる気遣いのない広い焼け野に最初は松柏科の植物が生え始め、それがやや成長した頃になると、その松柏科の植物に保護されながら、白樺が生えてくるという。生物は必ずしも種子からばかり生じない。それは自然発生のものである」、とお書きになっておられる。

 私は、自分のipodに平原綾香さんのVoyagersを入れていて時々聞いている。これはNHKの「ダーウィンが来た」の主題歌になっている歌である。何億年の昔、生物が存在しない時から、現在まで進化の頂点に私たちは生きている。その奇跡を歌ったものだ。無から生み出された存在、それはとりもなおさず、目には見えないが理念の世界にすでに有ったからこそ時間的経過ののちに現象界に現れてきたということであろうと考えられる。万物は実に不可思議な存在である。

 谷口雅春先生は、はしがきの4頁で次のような内容をお書きになっておられる。
『もし何らかの困難な問題が起こってきたならば、この書のどの頁でも抽選でもするつもりで開いて拝読すると、必ずその問題を解決するヒントが得られる。解決の糸口が与えられる』、と。
 この聖典はふつうの本ではなく、日常の問題解決のカギを与える書です。島根の皆様はぜひ、座右に於いて度々拝読して頂きたいと思う。

 また、93頁には、「幸福は放つことによって得られる」とあります。
ある国の王様が幸福になりたいと思ったという。財産はたくさんある。家来も沢山いる。しかし色々と面倒な問題ばかり起こってきてどうしても幸福感が得られない。そこで国中の賢者を集めてご諮問になったが、どの家来も、衣装や道具や舞姫やお酒やがあると幸福になれるというのだった。しかし、それらはすでに王様が得ていたものだった。その上で、幸福でなかったのであった。ある予言者が言った。『幸福になるには、一番幸福な人のシャツを着ればよい』と。そこで国中で一番の幸福者を探し出した。しかし、彼は何とシャツを着ていなかった。裸であったという。

 すなわち、何を持つかということではなく、放つところに幸福はあるということであろう。人は何か理由もなく寂しい思いになることがある.そんなときは、必ず人から愛を求めている時である.賞賛を求めている時である。自分の存在を認めて貰いたい時である。そのような時にこそ、他人の存在を認め、ひたすら人を愛し、賞賛し、讃嘆する時、淋しさは完全に消滅する。「人から与えて欲しいと思うことをまず、与えよ」である。

【タイガーマスク】
 サンケイ(2011/01/19)の主張には、タイガーマスクのことが書かれている。すでにご存じのように、伊達直人さんの名前での匿名の寄付のことである。ランドセルなどが寄付されているという。

 もうひとつ、書かれていた。1月8日、全国高校ラグビー決勝は、前半に走り回った桐蔭学園を、東福岡が後半に押しまくり、結局、31対31で両校が優勝を分け合ったという。 
 閉会式で、ノーサイドの笛を吹いた麻生主審に両校の主将が小箱を持って歩み寄ったらしい。2歳になる麻生主審の長男、修希ちゃんが重い心臓病で、米国での移植手術に向けて寄付を募っていると知った両校関係者が集めた募金箱だったようだ。
 昨年、10年末に始めた募金は、報道後だけで1500万円を越えたそうだ。2月に渡米を予定しているという。福岡市の「修ちゃんを救う会」によると、ここにも「伊達直人」の名義の募金があったという。
 名前を出さない日本人の奥ゆかしさと心根の優しさと言えるのではないかと、筆者は書いている。己の手柄にしない。自我を出さない生き方こそ、限りなく続く繁栄の道でもあろう。
 島根の皆様、私たちも大いに無我の愛行、徳積みをおこなおうではありませんか。
  http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20110120/CK2011012002000062.html
  http://www.oita-press.co.jp/localNews/2011_129548524284.html
  http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201101200413.html

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January.16.2011「神の国はどこにあるか」

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January.16.2011「神の国はどこにあるか」
今日の詩::ヒーターを 寄せて温めむ 夜半過ぎ
*結構、山陰の冬は冷え込みますね。

 「神の国はどこにあるか」というのは、谷口清超先生の御著書の題名である。67頁に「ガンの数値」という項目があり、益田の人の体験談が掲載されていた。ご紹介して、学ばせていただきたいと思う。
 
 平成13年11月の山口県の松陰練成会に参加された記録である。私も数回、松陰練成会にお手伝いに行かせていただいたが、益田の方がお出でになっておられた記憶がある。
 さて、Yさんのご主人は長年健康に働いておられた。しかし、平成12年頃、ご主人は夜間にトイレに行く回数が頻繁になったという。Yさんは心配しておられた。10月になると、血尿が出た。血尿は不気味な思いにさせるものである。

 谷口輝子先生の御文章だが、かつて海外御巡錫のヨーロッパでのことであった。ある日、雅春先生が、「もう帰ろう」と言われたという。血尿がでたとのことだった。予定は入っているし、と輝子先生は思われた。雅春先生がお休みになられたとき、輝子先生は、神に祈られたのだった。雅春先生はすやすやとお眠りになられたそうである。翌日、雅春先生は元気を回復された。そして、予定の伝道日程をこなされてご帰国されたのだった。そのヨーロッパでは来年度、生長の家教修会が開催される。私も一度故T元本部講師とご一緒に、ドイツの練成会に行かせていただいたことがあるが、実に感慨無量である。心からエールを送りたい。

 さて、益田日赤へ行くと、580というガンの数値がでたという。転移の宣告も受けた。前立腺ガンであり、あと三ヶ月とも言われたという。
 ご主人は言った。『私は戦争で何度も危機を脱してきた。だからどんなことが起ころうと驚かない』と。素晴らしいご心境であると、清超先生は書いておられる。
(先日、ご主人にお会いした。Yさんは模範的な信仰者だが、ご主人は実に温厚な方である。)
 宇治の練成会に行くことになった。会社からは急に休まれたは困る、とのことだった。それで医者に相談したら、『ご主人のしたいようにさせてください』と言われた。この時は、Yさんはお一人で練成会に行かれた。実相円満誦行で言葉が胸にしみ込んだようだ。
「実相円満誦行で唱える言葉は現象に現れている病気や迷いが消えるということではない。実相世界にはそんなものはない。完全円満であるのだ、という真実在を賛美する言葉である」と御教示されている。
 Yさんが帰宅すると、ご主人のガン検診で、580だった数値が、80に下がっていたという。これは、夫婦は一体であるという真理に基づいた体験であるのだろう。
 家族はみんな泣いて喜んだという。健康体の数値は4くらいのようだ。だから大いに回復したことになる。その後、Yさんは、ご主人が退職されたのを機会に、夫婦そろって宇治練成会に行かれた。パワースポットという言葉が流行っているようだが、宇治も一種のパワースポットなのであろう。それは真理が説かれ、光明の念波が充満していると考えられるからである。生長の家島根県教化部会館や生長の家松江道場も同様に光明の念波に満たされている。
 笑いの練習でご主人は困惑されたようだが、お笑いになった。笑いの練習は、身体と精神の関連した現象であり、身体を笑わせると、心も笑うという現象である。笑いは免疫力を高めるとされている。
『これは信仰の問題ではなく、一種ののど自慢的と考えて良いだろう』とお書きになっておられる。
 浄心行でYさんは、ご主人のご両親が喜んでおられる姿が心に浮かんできたという。夫婦が光り輝く姿になって帰宅した。すると、検査でガン数値が25になり、さらに最後に0,6に下がったとのことである。こうして、ご夫婦は救われたのであった。私は数回、ご自宅を訪問させていただいたが、Yさんご夫妻はとても素晴らしいご家庭を営んでおられるのであった。

【卓球全日本で最年少V】
 小学校4年生が二人、伊藤美誠さんと平野美宇さんが初戦を制したという。朝日(2011/01/20)に出ていた。福原愛選手の初戦突破は5年生の時だから、一学年若いことになる。サーブに威力があったようだ。私は中学生の時に卓球をやっていたが、木村選手や三木選手の時代だった。荻村さんが後継者育成に力を入れていた頃だった。世界一だった日本が、中国の台頭で押され始めていた。それから45年ほど経つが、この記事をみて、新しい時代が到来しつつあることを感じた。
 当時、一緒にやっていた先輩のNさんは、特に強いわけではなかったが、ともかく練習熱心だった。そして打ち合いでも最低百回は打ち合うことを念頭に練習していたことを思い出す。そして、独自開発の新型サーブの習得に挑戦していた。Nさんは、現在一部上場会社の社長になっている。やはり、続けること、努力し工夫すること、誰もやらなかった方法を生み出すことなど、Nさんのことを思い出す度に未だに教えられることが多い。
無限力は、開発方法さえ軌道に乗ればどんなに年少でも発揮できるようだ。
http://www.daily.co.jp/general/2011/01/20/0003749799.shtml
http://www.daily.co.jp/general/2011/01/20/0003749794.shtml

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January.15.2011「太陽はいつも輝いている」

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January.15.2011「太陽はいつも輝いている」
今日の詩::手を伸ばし 炬燵の向こうの 辞書を寄す
(辞書を引きたいが炬燵から出ると寒いので、「よっこらしょ」、と手を伸ばして辞書をたぐり寄せた。)

*モンブランの絵は、総裁先生の絵の模写をさせていただきました。

 かなり読み込んでいる人も多いと思うが、谷口雅宣先生の御著書に『太陽はいつも輝いている』という本がある。この本の27頁の12行目から29頁の6行目までが私の最も愛読する御文章である。名文章である。その中には、次のような内容が盛り込まれていると私は感じた。下記は私が挿入した語句もあるので正確には本文を拝読されたい。
 
 地球上の私たちには昼と夜がある。澄み切った青天と暗雲の日もある。地球に当たる太陽光の角度や日照時間の関係で、厳寒に身を縮ませる日もあれば、猛暑に汗が止まらない日もある。
 それらは、太陽に問題があるのではなく、太陽と地球との関係や地球上の諸条件がもたらす現象にすぎない。
 満天の星を眺めている時も、濃霧が立ちこめる海を渡っている時も、厳寒の闇夜に身を震わせている時も、太陽は輝いている。
 その事実を知っているからこそ、星の瞬く空の後に朝が来ることを期待する。霧が晴れることを期待する。冬の終わりと春の到来を予期できる。
(それは経験で歴を知っているからである。)
 逆に、万物万象の根源である「太陽はいつも輝いている」ことを知っているから、上記のようなどんな状況にあっても悠然と出来る。
 そして、余裕さえできてくる。月夜に風情を感じて詩を作る。
(さらに日本人は俳句、和歌を作った。)
 星空を楽しむ余裕を持つ。霧の海の幻想的な風景に感動する。高山の雪の尾根さえ友人と共に昇ることが出来る。
 (気が遠くなるほどの宇宙的時間経過後の未来の時のことだが、)太陽の活動が停止すると、地球はまたたくまに凍り付く。地上の生物は死に絶える。
(かつては、6500万年前のユカタン半島への隕石の落下によって噴煙が地球を取り巻き、太陽光線が地上の届きにくくなり。寒冷化により草木が減少した。従って食物がなくなった恐竜の絶滅があったとされる。しかし、それ故にこそほ乳類が生き延びて、ホモサピエンスの発展につながったのである。) 
  地上の生活条件が過酷であっても、「太陽はいつも輝いている」という基盤があり、それを知っているからこそ、知識と知性を生かし、道具を工夫し、社会制度を確保して、文化を生み出す余裕を持った。
(基盤が根本である。神の子であるという自覚の基盤、地球という基盤、逆に地球温暖化による美しい地球という基盤を人類自らが、人類が生み出した文明によって基盤を破壊しつつある。それは解決するには文明のあり方そのものを変える以外にないとする。そして活仏として、行動する神の子として、環境問題に取り組み、さらに徹底するために八ヶ岳に本拠地を移そうとする生長の家の生き方こそ、人類の運命、地球の未来を方向付けるものでありましょう。)
 それと同様に、「神様が創造した本当の世界には善のみがある」と知ることにより、人間の心によって作られた、悪く見える現象世界を目の前にしても、心を萎縮させて逃亡することなく、善処することが出来る。
 すなわち、悪現象の奥に光る善性を見る。悪現象の背後に隠れる善意を認める。それを引き出す方法を思いつく、実施し、改善する。
 そういう意味で、日時計主義は、「本当は善一元である」ことを確認するための生活実践であり、悪現象からの逃亡ではない。
 
 まだ御文章は続くのであるが、大切であるのは、御教示された方法である日時計日記の毎日記載や神性表現を、私たち自身が日常的に行うことでありましょう。
 神性表現では、数日前から、ウインドウズについているお絵かきソフトをつかって二つ絵を描いてみた。慣れるまで時間がかかりそうだが、出張の時には、絵の具や色鉛筆を持っていって描いても、スキャナーがないのでその場ではアップできない。しかし、電子版絵画であればすぐにアップできる。
 もう一つは模写である。写経のような気持ちで総裁先生のお描きになった絵を模写してその御心を学ばせていただきたいと考えている。子供が私の模写を見て、「お父さん、それはパクリではないの?」と言っていたが、絵画の世界では「ぱくり」とは言わずに模写という。ゴッホも、尊敬する画家の模写を盛んに行っていたようだ。西洋の画家には、北斎漫画の模写も多いと聞く。北斎は老境に達しても、その絵は力量感に満ちている。画狂老人とみずから称したという。ピカソさえも尊敬していた画家である。日本の絵画のすごさが葛飾北斎の存在で理解できると考えられる。北斎は、「天があと数年私を生かしてくれるならば本物になるのに…」として、決して自分の絵に満足しなかったという。その考え方生き方が無限生長の道につながるのであろう。
 絵画を楽しむには、NHKの日曜美術館を見ると絵の素晴らしさを知ることができるようだ。解説が実に素晴らしい。

【自転車免許】
 エジプト考古学者の吉村作治先生の取材が掲載されていた。島根県立美術館でエジプトの展示があったこともあり、興味を引いたが、それは自転車に関することだった。朝日新聞(2010/12/17)からである。
 吉村さんは早稲田大学名誉教授で工学博士である。自転車には乗らない。早大エジプト調査隊を組織して、40年以上発掘調査を行っているようだ。「危険な自転車を止めろ。免許制の導入で」とある。自転車は子供から高齢者まで手軽に乗れる。カラダに良いし、地球に優しいからであると考えられる。
 しかし、吉村先生は怒っている。「今の自転車は余りにもひどい。免許制にして、警察は厳しく取り締まれ」と。
 私は夜間時々、足慣らしに歩くことがあるが、出雲では無灯火が非常の多くて、近くにきてびっくりする事がある。自転車は歩道で走るのではなく、自転車用の原則車道を走るべしとの基本道が決められている。しかし、法を守って走るのには、命を賭けて走らなければならないだろう。取材者は、警察官が歩道を走る姿を見かけると書いている。おそらく東京だとは思うが。
 吉村教授は、5年ほど前に、歩道を歩いていて後ろからぶつけられた。しかし、まったく謝りもしないで行ってしまったという。最近は自転車にぶつけられて亡くなったり怪我をする方もでている。だから、歩道を歩くにしても気をつける必要があるようだ。
 自転車に関しては、法律が守られていない状態であるという。子供は中学に入った段階で授業の一環として講習を行えばよいとも書かれている.要するにマナーがなく、危険であるからだ。私が子供の頃はそんなには感じなかったが、現代は都会では歩行者にとっては危険な乗り物になっているようである。
最後の言葉に吉村教授の主張が書かれていた。
『自転車はカラダに良いし環境にもやさしいというが、健康を考えるなら歩くことです。環境に優しいというのは間違いで、自転車を作る時には、二酸化炭素を出す。本当に地球環境を言うのなら、自転車に乗らずに歩くべきです。自動車と比べるから良さそうに見えるだけです。
 都会で歩行者と自転車が共存する方法はない。そのかわり、歩道を半分にして自転車専用レーンを作るべきです』と。
 
 私もできるだけ歩くようにしています。私の友人は毎日ご夫婦で歩いておられるということを聞いてから私も歩くようになりました。谷口清超先生がご自宅から本部までお歩きになり、空き缶拾いをしておられたではありませんか。 
 島根の皆様、できるだけ歩きましょう。
 
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 中内 英生

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January.14.2011「生命の讃歌」

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January.14.2011「生命の讃歌」
今日の詩::ビュービューと ヒューヒューと鳴る 木枯らしが
*今夜の木枯らしはすごく鳴っています。

*絵は、遊馬正画伯の絵の模写です。

 谷口恵美子先生の御著書に『やさしく呼んであげて』という本があります。31頁には、「生命の讃歌」という項目があります。これは谷口雅春先生の詩集の題名です。冒頭に「生長の家々」という詩を掲げておられます。この詩の内容を私は19歳の時に拝読しました。。練成会の放送係をしていましたので、詩の朗読は行っていましたが、「生長の家々」は読みづらい詩でした。それは、「いえいえ」という発音が「イエーイエー」という英語的の表現がありますが、日本語的な響きとしては読みづらかったからです。
 内容に関しましてはあまり深く考えずに拝読していましたが、今あらためて拝読すると実に深い、「朝讃歌」のように谷口雅春先生の喜びが満ち溢れている詩であることが分かりました。この詩の終わりの方だけ掲載させていただきます。
 
 わたしの内にいます神が、 書けと云うとおりに 私はただ書いているだけだ。 わたしは神が書かせた通りに 行おうと努力しているだけなんだ。 わたしは神を信じて ただ結果をまっているだけなんだ。 「生長の家々」のことを思うと わたしはうれしさで一ぱいだ。

 谷口雅春先生が光明化運動をご推進される喜びが溢れています。私たちはこの喜びを受け継がせていただき、共有させていただいて、初めて信徒としての喜びの活動が出来るのではないでしょうか。また谷口恵美子先生は次のような内容の御文章をお書きになっておられます。(乞本文ご確認)

 生長の家の人類光明化運動は、喜び溢れる言葉と努力によって伸びてきました。生長の家は生長の家は昭和五年に、谷口雅春先生という人によって始められたと思っている人がいるかも知れませんが、神によってはじまり、神によって導かれ、神の子たちの喜びによって伸びてきたことを感じます。
 この生かされている感動は、まさに若木が青空に向かってぐんぐん伸びてゆく青春そのものです。ぐんぐん伸びて行く姿、よろこび溢れる若々しい心がすべてを造り出してゆくのです。

 また、つぎのような内容もお書きになっておられます。
谷口恵美子先生が小学二年生の時に、「生長の家」がはじまり、「父ほど偉い人はない」という信念と畏れを抱いていたのは、谷口輝子先生が谷口雅春先生を常にご尊敬して語られるお言葉が、谷口恵美子先生をしてご尊敬の思いを抱かせていたと書かれております。

 誠にも、夫婦の信頼の思いが子供に伝わるということでもありましょう。ご結婚しておられる方は、夫婦互いに拝み合いの生活をさせていただきたいと思います。
谷口恵美子先生は、「雅春先生や輝子先生は素晴らしく偉い人だが、自分は…」という思いを抱きながら育ってこられたのでした。ご両親が偉いと思えば思うほどご自分が小さくお見えになったのでしたが、その大樹の影にいる恵美子先生に光を与えておられたのが、谷口清超先生であられたというのです。
 谷口恵美子先生は、谷口雅春先生に対してときどき「師である」ことを忘れることがあっても、谷口清超先生はそのようなことはなく、谷口清超先生の真摯な生き方に、生長の家の真価を教えられたと書かれております。「法統継承に於ける面授」を私たちはお教えいただいておりますが、このような御文章を拝読するにつけて、谷口雅春先生、谷口清超先生、谷口雅宣先生と継承される法燈の真義をよく理解出来るように思うのです。
 このエッセイ「生命の讃歌」は、最後に谷口雅春先生の詩「捨身の讃え」を掲げて終わっています。

『身を捨てて 浪の上に、 まかせ切って、 蒼空を見る時、 何もない! そしてすべてがある。 空にして実、 実にして空、 そして生きていて、 沈まない、 不思議な存在 それが「私」である。
  
  私たち島根の信徒は、常に神様の御前にて捨身全托、神の御心を生きることのみを願いつつ、総裁先生に中心帰一しつつ、日々の信仰生活を実践させていただきたいと存じます。
 また、「山百合がひらく」という谷口恵美子先生の歌の歌詞がありますが、黄金色の太陽の光を受けて育ち花開く光景のイメージは、谷口雅春先生の開悟の瞬間をおそばで見ておられた恵美子先生からご覧になったイメージのように思えて、いつも感動します。もちろん、自分勝手に解釈しているのです。それにしてもあの旋律と歌詞がピッタリなのです。谷口雅春先生の詩「野の百合の生きる道」を拝読している関係でもありましょうか。
また、『生命の實相』の自伝篇にある谷口雅春先生開悟の章は何度も繰り返して拝読すべき箇所でありましょう。
 島根の信徒の皆様、日々三正行を実践して、大山に聳える大樹のごとく大空に向かって着実に伸びて参りましょう。

【生きた単細胞生物の発見】
 このような生物は今後たくさん出るだろうが、地球温暖化の関係で発見されるまでに消滅する場合があるかも知れない。米デスバレー産の岩塩に閉じ込められた塩水滴の中で見つかったという。米カリフォルニア州砂漠デスバレーの2万2千~3万4千年前の岩塩の中に、単細胞の微生物が生存しているのを、ニューヨーク州立大の研究チームが見つけたという情報である。
 これほど古い生物が生きた形で見つかったのは非常に珍しいことであるようだ。米地質学会の専門誌GSAトゥデーに発表されたそうだ。
 この微生物は、掘り出された岩塩に閉じ込められた塩の水滴の中に棲んでいたという。栄養を与えて最大90日間培養したところ、900の試料のうち五つが増殖したという。
そのDNAを調べたところ、古細菌と呼ばれる生物の仲間であり、高い塩分濃度の環境を好む特徴を持っていることが分かったとしている。
 塩水滴に残っていた緑藻が栄養源になったり、カラダの形を小さな球形に変化させて「休眠モード」状態になっていたことで生き残れたらしい。
クマムシみたいな感じなのだろうか。
チームは、今回のような「長生き生物」の秘密を探ることが、地球の奥深くや惑星などでの生命探しのカギになるとしている。
 地球の奥深くの中には、南極の地底湖なども視野に入れているのかも知れないと考えられる。
  http://www.asahi.com/science/update/0115/TKY201101150246.html

【おやじのせなか】
 上原美優さん(23)の文章が朝日新聞(2011/01/16)に掲載されている。どんな人かは私は知らなかった。調べるとこのコーナー向けではないようだが、ここだけの文章で読み込んでいただきたいと思う。
 彼女は10人きょうだいの末っ子で、父親が55歳の時の子供だそうだ。父親は野性的で井戸を掘って水を調達したり、鳥を捕ってくることもあったという。捕れるとみんなで鍋を囲んで美味しかった。きょうだいみんなに野菜を担当させた。美優さんはトマト係だった。畑に向かう時の父親は「オトコ」の表情であり忘れられないという。何でも手作りの器用な父親だそうだ。
 拾ってきたテレビを修理したり、壊れた自転車を乗れるようにしてくれたりだった。小さい頃、「おうちの中にブランコがほしい」とお願いした。外にあるのは、みんなが乗っているから自分は乗れない。それで縄と木材で天井から吊してくれたという。こいだ瞬間、天井が落ちてきて大変だったそうだ。
 家が停電してロウソクをともすと、決まって戦争の話がでた。近くに爆撃があったとか、父親の話を聞くのが面倒くさいと思っていたが、苦しい時代を知っているからこそ伝えたいことがあるのだと思ったという。「いただきます」を言わないとすごく怒られた。「友達ときょうだいは切れない縁だから大切にしろ」ともよく聞かされたという。素晴らしい親父さんだと思う。
 美優さんは、中学卒業後、内緒で受験して高校に進み実家をでたという。芸能界を目指しても反対もせず、良い意味でほったらかしで見守ってくれたそうだ。しかし、このあたりは検討を要するようにも思うが…。父親のかつての生活の影響かも知れない。
 東京に出てから、泣いて電話すると、父親は「泣くっていう字はさんずいに立つと書く。涙を流した後は立ち上がるんだよ」と励ましてくれて元気になった。「金八先生かよ!」とも思った。
 父が初めて泣いているのを見たのは、昨年、母が亡くなった時だった。きょうだいで泣いていたら、父は、「一番つれえのは俺だ。お前たちより母ちゃんのことを一番愛していた」と言った。「昔は浮気していたくせに~」と思ったが、この夫婦の子供でよかったと本当に思ったという。昨夏、初めて父親と二人で飲みに行った店で、店の人から「毎日のように来てあなたの話をしている」と聞いた。「がんばらないといけないな」って、思った。今思えば貧乏だったかも知れないが、それを感じさせなかった。美優さんは言う。
「かっこいい父。お父さんみたいな人に出会いたい」、と。

 この人は、鹿児島の種子島のご出身で、日々の出来事をブログをつづっているようだ。お父さんはひたすら個性的に信念をもって生きている人のようである。

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January.13.2011「平山郁夫画伯の絵」

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January.13.2011「平山郁夫画伯の絵」
今日の詩::耳すます 吹雪の止みし 朝の刻
(驚いたことに昨夜は吹雪だった。朝、祈りのあとに耳を澄ませば音が雪に溶け込む静かな時間があった。いつもの車の騒音もない。)

*絵は電子絵画です。ウインドウズに入っているお絵かきソフトで描きました。

 谷口純子先生の御著書に、『花の旅立ち』という本がある。掲載されてるお写真が実に美しい。218頁には、「二人で行く一本の道」という題名のエッセイが掲載されている。平山画伯の絵画展に行かれたという。「未来への文化遺産・アジアの架け橋」という副題だったそうだ。総裁先生のお言葉は、『太陽はいつも輝いている』33頁に書いておられる。
 美術館に入ると、平山さん特有の絵の色が目に入ってきた。私もファンの一人だが確かに色が独特である。群青・オレンジ・茶・金などの色である。題材はモスクや砂漠を行く隊商たちだが、その中に何かを語りかけてくるものを感じられたという。
 私自身は、平山画伯の絵はしまなみ海道や江津の山奥にある今井美術館で時々拝見している。

 220頁から平山さんのことが書かれている。平山さんは15歳の時に被曝しているという。記憶によると、部屋にいたが閃光が部屋に充満したそうだ。平山さんの自伝風エッセイ『群青の海へ』を読んで、生い立ちや被曝、日本画家として世に認められるまでの道程を、さらに詳しく知ることが出来たとお書きになっている。
 一人の偉大なる画家は最初から偉大であったわけではない。数々の苦難を乗り越えてきた。白血病との戦い。迷い、葛藤、焦りの末にようやく生涯のテーマを見いだした。
 「受難礼賛ではないが」と前置きして、一人の人間が与えられた才能を存分に発揮するまで、生命がけの真剣さが求められることを、身が引き締まる思いでお読みになられたという。そしてその後、夫人の美智子さんの人生と考え方を書いた『道はあとからついてくるー「家計簿」にみる平山画伯家の足跡』という本を読まれたそうだ。
 夫人は、東京美術学校を主席で卒業した。平山さんより五才年上だった。彼女は早くして人から認められていたと言う。画家になりたい一心で懸命に勉強した。絵は生命と同じくらい大切なものだった。平山画伯と夫人の師である前田青邨画伯からは、「夫婦で競い合っていては、うまくいかない。どちらかが潰れるか、共倒れとなってしまう」と言われたそうだ。夫人は考えた。 
 「もし、何かをすてるのなら、自分にとって一番大切なもの、価値あるものを捨てよう。そうでなければ捨てる価値はない。捨てたものに価値があれば、その代わりに私が得るものは、もっと価値あるものだし、価値が生じるに違いない」と。
 そして、美智子さんの生活は、画家になることを捨てて結婚に踏み切ったという。平成23年1月19日(水)の朝日新聞には、ご夫婦でお描きになっている楼蘭王国での写真が掲載されている。
 私は、職業でバレーをやっている男性に会ったことがあるが、妻もバレリーナだった。前田青邨画伯と同様のコトバを聞いたことを思い出す。
 このエッセイの最後に、幻の都・楼蘭を訪れた時のことが書かれている。三十分間だけの着陸が許されて平山画伯は八枚のスケッチをしたという。平山さんは、妻に「鉛筆を削れ!」とそれまで一度も言ったことのない激しい言葉で叫んだ。必死の形相でスケッチし続けたらしい。その間、美智子さんは鉛筆ばかり削っていた。まわりを見回すゆとりが無かった。楼蘭を去る時、初めて空を見上げた。「何と美しい空だろう」と思った。そして、「ああ、ふたりでひとつのことをしている」とちらっと思ったそさりげなく書いておられたという。
 純子先生は、美智子さんの生き方に、「世の男女の役割を越えた強さを見いだし、大いなる勇気を与えられた」と結んでおられる。
 私は、谷口純子がおられるからこそ、総裁先生のご使命が確実に遂行されて行くのであろうと改めて感動と感謝の念を禁じ得なかった。
 某練成道場でのことだったが、谷口雅春先生がお言葉で輝子奥様への感謝の言葉を述べられた時だった。輝子先生のお陰で生命の実相の真理に到達することが出来たことを話された。そして、壇上の輝子先生のお席まで歩いて行かれて深々と合掌されたのだった。私は、放送係だったので身近にその光景を拝見した時、夫婦拝み合いと協力し合っての人類光明化運動のお姿に、「何という美しい光景であろうか!」と思ったのだった。
 島根の皆様、『花の旅立ち』を今一度拝読いただきたいと存じます。

【聖典という「コトバ」】
 思念・発声音・表情を人生を支配するコトバであると教えられている。コトバとは波動のことである。その中の表情は形の力であろう。それを身の回りに置くと、その形体や物体は、無言で使うことを要求することになる。ご病人の方は、病気を連想させるものをできるだけ身の回りに置かないようにすると良いと言われる由縁である。聖典や良書を常に所持していると、本は、「読みなさい」と無言で語りかける。従って、いつの間にか読むようになる。私たち島根の信徒さん達が、聖経『甘露の法雨』を常に所持しているのにはそういう意味があると考えられる。故T元本部講師は、常に『甘露の法雨』を所持して、ちょっとした時間があれば拝読しておられたことを思い出す。きっかけは、栄える会のF社の社長さんが非常によい雰囲気をしておられた。T講師は、「どうしてそんなに雰囲気がよくなったのですか」と尋ねた。するとF氏は、「私は閑があれば『甘露の法雨』を拝読している。もう○万回拝読しました。」と言われたそうである。T講師は、プロが一般の信徒さんであるF氏に負けてはならないと、常に『甘露の法雨』を拝読するようになったようだ。事業経営をなさる人で信仰に生きる人は、聖典を常に拝読しておられる。島根の栄える会の人々もF社長のように、より一層、事業経営にみ教えを実践し、信仰に生きていただきたいと願うものである。
 さて、朝日新聞(2011/01/11)の天声人語には、アメリカの銃社会のことが書かれていた。銃は米国で「平等をもたらす装置」であるとされる。相手が雲をつくような巨漢でも銃を持てば対等となる。この論理は、「摩天楼を倒壊させたテロの論理にどこか通じるのではなかろうか」、と書いている。銃は往々にして、「オレを使え」と持つ者をそそのかす、としている。
 これは先ほどのコトバの創化力に通じているようである。従って、私たちは、身の回りに常に良き聖典を所持しようではありませんか。常に総裁先生の御著書を所持して拝読しようではありませんか。昨年は電子書籍端末の時代が到来した。紙の書籍がなくなることはないだろうが、私たちの世界でもこれから大いに電子聖典が発売されるようになるだろう。そうすると、聖典類何百冊を詰め込んだ電子書籍端末をさえもっておれば、いつでも拝読することができる時代が来ると考えられる。そればかりではない。日本中の一般の人々が聖典に触れ、総裁先生の御著書を購入するチャンスが格段に増加すると考えられる。さらにそれが英文に翻訳されていると、世界中の人々の手元に瞬時にして届けることが出来るようになる。このような時代が到来したのである。

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January.12.2011「エイズも感謝の念で癒やされる」

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January.12.2011「エイズも感謝の念で癒やされる」
今日の詩::大雪の 予報を聞きて 空を見る

(絵は初めて描いた電子ペイント。まだ慣れていない。)

 谷口清超先生著『明るい未来のために』の47頁には、「エイズの問題」として体験談が書かれている。
 「日本国内のみならず世界各国に、神の子人間の正信が広く行き渡ることを切望せずにはおられない」とお書きにになっておられます。さて次の体験談は、島根の皆様でお聞きになった方もおられるに違いない。
 白鳩会全国大会で、エロイーザ・エレーナ・ゴンザレスさんというブラジルのご婦人の体験談である。
 彼女は、お母さんから26歳になる妹のことを聞いた。妊娠八ヶ月の妹は、菌性髄膜炎を患って入院した。しかも四年前からエイズウイルスに感染していた。お腹の赤ちゃんの父親はどこの誰かも分からず、しかもこの妹は重体だった。
 胎児を堕胎しようとしたが、手術の当日結局、手術を取りやめることにした。子どもは1800㌘で早産した。妹は難産に耐えきれず、出産の翌日に死亡された。
 産まれた赤ちゃんの面倒を見る人が一人もいなかった。誰がこの子を育てるかという時に、エロイーザさんのご主人が、この子を引き取って育てようと言い出したという。エロイーザさんは1985年に入信していた。ご主人にも生長の家のみ教えが伝わっていたとしている。
 早速、病院に行き「この子を引き取りたい」と医師に告げた。医師はこの子は既にHIVウイルスに感染していることを告げた。しかも重症の貧血状況だった。八ヶ月の早産だったので生き延びることは大変に難しい、と忠告された。すると、ご主人は言った。
『そんなことはどうでもよい。たとえ一日生きても、一週間生きても、私たちはこの子の両親として、この子を力一杯愛します』と。
 医師はさらに言った。
『この子を救うための治療法はまったくない。でも、あなた方に愛情があれば、きっと奇跡が起こるでしょう』と。
 そうして退院の時には引き取ることを許してくれたという。ゴンザレス夫妻は家族に言った。
『神様が、エレンという子供をこの世に誕生させて下さったのは、この子には使命があるからです。だから神様の御心が成就するように、家族全員で祈りましょう』。
さらに生長の家ソロカバ教化支部の幹部の方々にも、エレンの実相の円満完全を祈って貰うようにお願いした。家でも一同で「実相円満誦行」を始めたという。
 一家が生長の家の信仰に帰一して「実相円満」を心に描き、誦える愛行を続けているうちに、エレンちゃんは生後23日で退院することが出来たという。それからつききりの看病が始まる。しかし三ヶ月経っても、エレンの貧血はよくならず、エイズの検査を受けると、危険度が高い状態が続いた。
 ある晩、エレンちゃんのヘルニアが破裂した。急いで病院に駆け付けた。HIVと貧血のために、どこの病院もなかなか受け付けてくれなかった。最後に行った病院で、廊下で待っているように言われた。
 エロイーザさんは椅子に腰掛けて、痛みのために泣き叫ぶエレンを抱きしめながら、一緒に泣いていた。そして堪らなくなって叫んだ。
『尊師・谷口雅春先生!尊師よ。あなたは今何処にいるのですか。私はあなたの弟子です。今、あなたの愛を必要としているのです。助けて下さい。お願いします。』と。
 するとドアーが開いた。中から背の高い青い目をした医師が出てきた。エロイーザさんの頭に右手をおき、小さなエレンに左手を当てて、問うた。
『お母さん、どうして泣いているのですか?』
『私の娘が今死にそうなんです。でも誰も手伝ってくれない。誰も助けてくれない。だから私は泣いている。』
すると青い目の医師は言った。
『お母さん、この子はあなたの子ではないのですよ。神の子です。ただ、ただ感謝しましょう』と。
そして、いつしかどこかへ去ってしまった。
しかし、あとで聞くと、この病院には、青い目の医師はいないという。だからエロイーザさんは、きっと谷口雅春大聖師が、あの医師の姿で現れられ、『もう駄目だと思った時でも、感謝することを忘れてはいけないよ』と教えて下さったのだと思ったのだった。
人への執着を断ち切って、自分の子供ではなく神様の子供であるという境地に至ることが本当の知恵であり愛であるとご教示されている。
 おかげでこの病院での手術は成功した。エレンのヘルニアによる危険状態は免れた。さらに生後9ヶ月の時、HIVの検査を受けたところ、完全に治癒されていたのであったという。先天的な免疫性が復活したのだった。現代医学では治療困難なエイズ感染が治った実例であるとしておられる。「その感謝の念のうちにこそ、汝は吾が姿を見、吾が救いを受けるであろう」という神示のお言葉があたらめて思い出されるのである。
 正確には、本文を拝読下さい。私はこの体験談をお聞きして大変に感動したことを覚えている。

【ips細胞を介せずに皮膚から軟骨組織作製】
 色々とできるのだなと感心した。朝日新聞(2011/01/11)には、癌化を軽減する方法が開発されたとある。
 皮膚の細胞に三つの遺伝子を入れて、軟骨の組織を作ることをマウスを使った実験で成功したという。大阪大学の妻木准教授らのグループである。(骨・軟骨形成制御学)。さまざまな細胞になれるが、癌化のリスクがあるiPS(人工多能性幹細胞)を介さないために、安全性が高い再生医療に応用できると期待されていると書かれている。すごいことである。
 妻木教授らは、マウスの皮膚細胞に、軟骨細胞が活溌に働いている遺伝子と、山中伸弥教授が世界で初めてiPS細胞を作製した際に使った遺伝子を含めて、計三つの遺伝子をウイルスを使って導入したという。二週間ほど培養した後に、マウスの皮膚の下に注射して戻したところ、四週間後には大きさが1㎝ほどの軟骨組織が出来ていた。
 関節などにある軟骨が、けがや加齢によって欠けたり減ったりすると、関節が痛んだり炎症が起きたりする。
(これはお年寄りから時々お聞きする話だ。)
しかし、軟骨はほとんど再生しないようだ。今回の手法を使えば、軟骨を補う治療法の開発につながる可能性があるとしている。妻木教授は、「同じ手法でヒトの細胞でも軟骨組織が作れるかを、今後調べたい」とのことである。(これは朗報だろうと考えられる。しかし、ご年配でも全くこのこととは関係ない人々がおられる。それは適度な歩く運動を絶えず行っておられる人であると聞く。)
 この論文は、1月11日付けで、米医学誌「ジャーナル・オブ・クリニカル・インベスティゲーション」に掲載されたようである。
 それにしても、様々な方法が開発されるものである。解釈の考え方として、人間中心主義に陥らない。世代間倫理をクリアーできることなどである。自分だけの幸福のために開発し処方する場合は、はたして神の御心に適うかどうかは疑問である場合があるのではなかろうか。
http://www.tokyo.jst.go.jp/topics/20110111/index.html

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January.11.2011「時間を拝んで使う」

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January.11.2011「時間を拝んで使う」
今日の詩::冷え冷えと 夜のしじまに 鳥の声
*絵は、Hさんからいただいた絵封筒です。彼女の絵は総裁先生のブログでもご紹介されております。

 今日は母親教室出講講師勉強会があったが、仕事と家庭を両立するために、時間管理の必要性ということを学んだ。今日やるべき事を横並べにするのではなく、縦に時間系列的に並べると実行可能であるという話をした。ちょうど、『人士読本』181頁にはそのことが書かれていたのでご紹介したいと思う。

 私たちは時間を使う時には、拝んで使うようにすればよい。時間を拝む気持ちになるのです。生長の家は、人間を神の子として拝み合うのだが、時間もやはり神の生命の流れであるとして拝んで使うようにすればよいのである。ともかく時間は尊ばなくてはならない。単に利益だけを考えて、「これだけ捨てたら損だ」と思って時間を使うのも良いのですが、時間を大切に使うのも結構だが、もっと深く考えると、ここにこういう時間に生きていると云うことは、これは神様の生命の流れの中に一日一日をこのようにして生かされていると云うことで、実に有り難いことである。
 こう思うことによって、今生きている事実に、本当に手を合わせて拝む気持ちが出てくる。そして今までここにこうしてこの位置に生かされていると云うこと。それ自体が有り難いことであると拝めるようになりますと、本当に時々刻々が捨てられないところの一つの尊いものになってきて、自然に時間を無駄にしなくなるのである。

 大体、このような内容です。「時は金なり」というような次元ではなく、『生命の實相』の自覚から来た所の時間を尊ぶ心です。生命は時間的流れによって初めて表現を得るのですから当然のことです。
 その次には、「小さな時間を利用せよ」という項目があります。

 時間を利用して勉強するには、大きな時間が来るのを待っていては駄目です。大きく続いた時間はかえって海水浴に行ったり、見物に行ったりするするために費やされて勉強にならないことが多い。だから偉くなりたい人は、短いキレギレの時間を上手に使うことを知らなければならない。短い切れ切れの時間は、参考書を探しに行ったり、鉛筆を出したりしている間に、直ぐになくなってしまう。ですから下手な時間の使い方をしていては物事を成就することは出来ないのです。ちょっとした時間にすぐに勉強できるように、常に小さな手頃な良い本をポケットに入れておき、十分間でも十五分間でも閑があれば、本を開いて読み、覚えるようにします。良いことは書き抜くように、小さな鉛筆のついた手帳を一緒にもっていると良い。たった十五分間しかないので何もできないというのでは、決して偉くなれないのです。

 次には、「この吾が”いのち”ー神の生命」とあります。一瞬一瞬を神様の生き通しの生命を生きている、という有り難い自覚で生きることが大切であると御教示されています。「久遠の今」を生きることが書かれています。御文章は易しい御表現の文章でありますが、よく読んでみますと、最高の生命の真理を平易にお説き下さっていることが分かります。 185頁には、「時々刻々千載一遇」という項目もあり、読めば読むだけ誠にも有り難き真理が説き尽くされております。
 私はこの御文章を拝読して、単なる効率的に時間を管理して活用するという考え方ではなく、「久遠を流るるいのち」の分け御霊である私たちの生命が今を生きることが神様が最もお喜びになる生き方であることを教えていただきました。「神の御心を生きる」ことほど大切であり重要なことはありません。物質を獲得することよりも、地位、名誉を獲得するよりももっともっと大切なことでありましょう。
 逆に申しますと、「神の御心」である愛・深切・感謝・報恩・美の表現・神の知恵、等々を生きるならばたとえどのようなお仕事でありましても、偉大な仕事であり、偉大なる人生であると云うことが言えるのではないでしょうか。

【パワースポット】
 こんなコトバが流行っているそうだ。我が家のパワースポットはお仏壇だろうか。出雲では出雲大社と教化部だろうか。伊勢神宮の年間参拝者が昨年、860万人を越えたという。明治28年以降では最多であるらしい。5年前の取材では、年々減少傾向にあり、毎年600万人程度だった。日本書紀によれば、大和から旅に出た天照大神様ご自身が「うまし国」と仰せになられ、鎮座が決まったとされる。慰霊、皇室の祖先と言うだけでなく、日本人みんなに豊かさを与えてくれる神として敬われるに至る。それは太陽神への畏敬の念も大きいだろう。この記事はサンケイ新聞の産経抄(2011/01/01)に書かれていた。
日本人の信仰は実に素晴らしい信仰ではなかろうか。

【反物質の生成】
 物理学のコトバであり、ちょっと難しいように思いますが、チャレンジしましょう。まったく触れていないのと、よく分からないけれども一度は読んだというのとでは随分と違うのではないでしょうか。日経新聞(2011/01/12)からの情報です。
 反物質とは、通常の物質と重さは同じだが電気や磁気性質が反対の物質であるという。電子の反物質「陽電子」や陽子の反物質「反陽子」が知られているという。宇宙誕生の時には物質と同じ量が生成したとされている。物質と反物質が衝突すると両方が消滅すると考えられているが、現在はなぜか物質だけが残っているようだ。反物質の研究は宇宙の謎を解明することにつながるとされており、大型加速器で人工合成する試みが活発化しているとのことである。
(大型加速器は時々、サイエンスゼロなどのNHK科学番組で垣間見ているが、まだ私自身は十分理解しているわけではないので、お断りしておきたい。)
 この記事は、反物質を雷で生成したというものである。
物質と出合うとエネルギーを発して消滅する「反物質」が、雷の発生に伴って生成されたことを示す証拠をNASA(米航空宇宙局)の研究チームが初めて発見し、1月10日に発表したという。
 自然界にはあまり存在しないとされる反物質が、雷という自然現象によって生成されることが分かり、この分野の研究が活発化しそうだと書かれている。
 チームによると、2009年12月に、NASAのガンマ線天文衛星「フェルミ」がエジプト上空を通過中に、特徴的なガンマ線を検出したという。分析したところ、反物質の一種であり、通常の電子とは反対のプラスの電気を帯びた陽電子が、衛星を構成する物質の電子と衝突して消滅した時に発生したガンマ線であることを突き止めたとしている。
 同じ時刻に、南に約4500㌔離れたザンビアで雷が発生していることから、まず雷に伴ってガンマ線が発生する。次にこれが大気中の物質の原子核近くを通過すると陽電子に変化し、地球の磁場に沿って北方に移動する。その時微量が衛星にぶつかったとみられると書かれている。
 ザンビアからエジプトまでは遠い。直進するガンマ線は水平線に阻まれて衛生に到達できないために、雷由来のガンマ線が直接検出されたわけではないとしているようだ。
(これらの内容は、サイエンスゼロなどでCDを活用しながら専門の科学者が説明しないとなかなか理解が進まない。しかし、反物質という存在があるということは記憶に留めておこう。)
 専門家の坂本宏教授は語っている。『反物質は加速器などの非常に狭い場所に、大きなエネルギーを集めなければできないと考えられていたが、雷という自然現象で生成することは素粒子物理学者にとっては意外であり、とても興味深いとしている。ただ、雷でできた陽電子が大気中の物質と反応せず、NASAの衛生まで飛んできたというのは不思議である。気象などの特殊条件がそろっていたのではなかろうか』と。
(どうも専門家にとっても不可思議な現象のようだ。しかし、私たちの人生も宇宙の最始原から始まることを知る必要があるだろう。何の為に?私たちは神の子として宇宙生成の果てにかけがいのない舞台である地球に咲き出でた美花として、美しく生きることを使命づけられていることを知るためである。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~rachi/uni_st.htm
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E3E3E2E1818DE3E3E2E3E0E2E3E39180EAE2E2E2;at=DGXZZO0195579008122009000000

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 中内 英生

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January.10.2011「限りなく生きる」

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January.10.2011「限りなく生きる」
今日の詩::寒に徹す 明日は大雪 身支度を
(寒いだけではなく明日は大雪であるそうだ。どんな雪だろうか?雪を楽しもう。)

○絵は、松江のOさんからの絵手紙です。

 谷口清超先生の御著書に『限りなく生きる』がある。140頁には、非行少女のA子さんを、当時、栃木県佐野市赤坂に住んでいた日大附属高校教師の青年教師である佐藤弘泰さんが指導した体験談が掲載されている。現代であるのならば、佐藤さんは必然的に生長の家教職員会に入会するのでありましょう。この御文章を拝読すると、どの子供たちも素晴らしい神の子であるということが理解出来るように思う。

 女子高校生のA子さんは、初めて彼女に会った時はチリチリパーマで色は真っ赤、スカートは足首ぐらいまで垂れ下がったいわゆる非行少女であったという。A子さんは、毎日教師に反抗し、遅刻、怠学数知れず、家庭も不調和だったようだ。
(しかしそれは逆で、家庭で不調和だったのでそのやり切れない淋しさが、そのような行動に駆り立てていたのでありましょう。)
 A子さんの父親はトラック運転手で妻とも不和でしばしば暴力をふるい、家庭内での対話は欠如していた。母親は弟の世話ばかりをしていて、A子さんを無視したという。
(夫婦調和の原理をここで語る必要があるのかも知れないが、この物語は学校の先生からのチャレンジである。夫婦が不調和であると、子供は寂しい思いを持つようになる。なぜならば、不調和なのにどうして私を産んだのか?という疑問が生じるからである。また、弟ばかりを世話すると姉が寂しい気持ちを持つようになる。親はそのことを知る必要がありましょう。)

 このような環境で育ったA子さんは、認められたいという思いのために、真っ赤なカーリーで長いスカートを身につけるに到る。そしてクラスの中で弱い者いじめをするようになった。それは淋しさを紛らわす行動である。幸福感に溢れている人間は、他の人を幸福にしてあげたいとは考えても、他人を不幸にしようという思いは起こらない。
 しかし、人間は神の子である。A子さんの中には美しい宝石が隠されていると御教示されている。

 佐藤先生は、A子さんとの信頼関係を確立しようとした。神想観の中で彼女の神性を観た。学校では機会ある毎に、彼女の美点をみとめて讃嘆のコトバを与えたという。すると、しばららくして、神想観の後で眠りにつくと夢の中で啓示を受けたのだった。
『お前はA子を信じているというが、本当は信じていないのではないか』と。
A子さんが神の子であるならば、その両親もまた神の子である。従って、A子さんが神の子であると実相を神想観で拝むように、そのご両親をも拝まなければならないというのであった。両親の不和からA子さんの姿が現れているのではなかろうか?という反省の心が佐藤先生の内心に起こったのだった。

 それから、A子さんを見る目が、自分から離れた一個の非行少女として見がちだったが、自分自身の分身を観るような愛の思いで観るようになったという。
 と同時に、A子さんの態度が変わった。登校して掃除当番も行うようになった。赤い髪も根元から黒い本来の髪が生えていくるのをそのまま伸ばすようになった。
  A子さんは、不良グループから脱出を企てた。すると孤立したのだった。極めて不利な状況になった。そして登校拒否となった。そんなとき、助力してくれる人が必要であるとしている。
「神は友となりて彼を導く」である。
ある日、佐藤先生が真剣に祈っていると、別のグループのB子さんの顔が浮かんだ。佐藤先生は、B子さんに、「A子さんの友達になってあげてくれないか」と頼んだのだった。
 御文章には、友人の選択は誰でも良いという訳ではない。愛と祈りによって発掘すると御教示されている。
 翌日から、B子は毎朝、A子さんの家に立ち寄って、登校を勧めるようになったという。そうすると、しだいに登校するようになり、欠席、遅刻、早退、怠学、反抗が徐々に消滅していった。
 当初、A子さんは、佐藤先生を「甘い先生」だと思ってなめてかかっていたという。しかし、高校卒業間近になり、佐藤先生に一通の手紙を手渡したようだ。
「自分がサボる度に、次第に佐藤先生の顔がちらつくようになり、後ろめたい気持ちになってきた」という。
彼女は人の優しさに触れたのだった。感謝の気持ちが湧いてきた。A子さんは、卒業の時には、58人中24番だったが、12番に向上したという。何よりも、A子さんは、人生に於いて人の真心と愛を知ることが出来たことは最高の体験であったのだろう。

 人は己の完全円満性を自ら発見するか、覚者から拝まれるまで、魂の宇宙をさまようようである。昔、「大唐国中、一人の迷っている人はいない」と喝破した高僧がいたが、そのような悟りの目で家族を隣人を地域の人々を、さらに万物を礼拝することに徹することが、島根の信仰者が歩んできた生き方であり、人類光明化運動・国際平和信仰運動においては極めて重要であると考えるべきでありましょう。
 私たちは、既に谷口雅春先生から拝まれ、谷口清超先生から礼拝され、谷口雅宣先生から実相を観ていただいたのです。私たちはその「拝み」で周囲の人々を礼拝させていただこうではありませんか。
 島根の信徒の皆様、このような実相直視と神の愛を実践する真心の光明化運動を島根の隅々まで推進して参ろうではありませんか。

【念じて意思伝達する装置】
 サンケイ新聞(2011/01/03)によると興味ある記事が出ていた。それは「サイエンスゼロ」で見たことがあるが、念じて意思伝達をする装置が開発されたという。脳波は電気信号なので、念が相応の電気信号に変化させることが出来るようだ。
独立行政法人・産業技術総合研究所は2日、念じるだけで意思を伝えることが出来るシステムを今年夏にも製品化する計画を明らかにしたという。当初は平成25年の発売を予定していたが、進行性の神経系難病患者らの要請があいつぎ、計画を前倒しして製品化することを決めたようだ。価格は50万円以下で、医療機器メーカーを通じて発売するとしている。
 ニューロコミュニケーターという。患者は脳波が測定できる8つの電極がついた特殊な帽子をかぶり、モニター画面に向き合う。頬に力を入れるだけで電源が入る。画面には印刷する、移動するなどの複数の項目が順番に点滅する。選択したい項目が点滅するときに強く念じるだけで、コンピュータが脳波の形状を読み取り、次の画面に進むという仕組みである。
 脳波は電気信号となって、神経系統に伝わっていく。それが手脚の動作となる。その脳波に雑音である迷い(転倒妄想)が混雑すると、電気信号の流れに違和感が生じ、歪な電気信号の流れがホルモンや神経やの分泌等を狂わせて病気を発生させる。逆に、脳波の流れが正常に復帰すると病気が消滅する。それは実に簡単な仕組みなのではなかろうか。
 念が電気的流れになるということは、祈りが電気的流れになって相手に到達する可能性も出てくるように考えられる。すはわち「電界」の考え方であり、また、地球的一体の電気信号的な数値的証明は私に於いては不明であるが、「自他一体」「万物一体」の原理を通過すれば、総裁先生がブログに書いておられた「祈りによって妊娠率を高めた実験」にも関連して来ることが考えられるのではなかろうか。植物に於ける人間に対する反応は既に知られているようだが…。
  http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1101/05/news017.html
  http://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2010/pr20100329/pr20100329.html
  http://gigazine.net/news/20110103_neuro_communicator/

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 中内 英生

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January.09.2011「物質とは何であるか?」

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January.09.2011「物質とは何であるか?」
今日の詩::寒一番 イヌの口より 白き息

 『新講 甘露の法雨解釈』145頁には、「物質とは何であるか?」という項目があります。「難しい!」と思わずに、素直な気持ちでさらさらと何度でも拝読すべきでありましょう。考えているとなかなか前に進まないので、さらさらと拝読すると善いのです。しかも拝読数を重ねるのです。考えるというのは、脳髄的左脳的我で考えている場合がありますので、脳髄では脳髄を作り出した生命を理解することは、相当に難しいのです。難しいと言うよりも不可能というべきでしょう。

 汝ら感覚にてみとむる物質を
 実在となすことなかれ
 物質はものの実質に非ず、
 生命に非ず、
 真理に非ず、
 物質そのものには知性なく
 感覚なし。
 物質は畢竟『無』にしてそれ自身の性質あることなし。
 これに性質を与ふるものは『心』にほかならず。

 これは聖経の一節です。146頁の4行目から13行目までをご精読いただきたいと思います。「物質無し」を知るには、『生命の實相』39巻のシャカの開悟の御文章や谷口雅春先生がお悟りを開かれた自伝篇などを繰り返し拝読するのも、方法の一つです。それは開悟の疑似体験になると考えられるからです。さらに大切なのは、神想観をよくご実修されることです。谷口雅春先生の開悟の章を拝読されるとおわかりのように、神想観ではないが、祈りの中で、「物質はない」とのお言葉を受けられたのでした。そこから生長の家は始まっています。従いまして、物質の存在を科学的に解明しつつある現代科学で、原子の存在の中にクオークと名付けるものがあるとしても、それが説明できるのと、「物質無し」を悟るのとは同格ではないようです。
 「物質無」を知ると、当然のことながらそのあとに、「実相独在」が出て参ります。「無は関門なり通るべし」というコトバがあるように、「無門関」としてそこに止まってはいけないことになっています。そこに止まると、人生無意義の虚無思想に陥る危険性があるとされております。
 従いまして、神想観に於きましても、「我今五感の世界を去って」という現象界の否定の後に、「神の無限の知恵・愛・生命・供給・喜び・調和の海」という実相肯定のコトバが入ってくることになります。146頁の御教示ですが要旨を書き出して見ます。正確には、本文を拝読下さい。微妙なニュアンスが違っているかも知れませんので…。

 「金剛般若経」に「山、山に非ず、これを山と言う」というコトバがあるが、物質というのはものの実質ではない。物質でないものを仮に「物質」と呼んでいるに過ぎない。本来物質は無から出てきた。星と星との間の空間の何も無いところから物質原子の基本形である水素ガスが生まれてきた。それが複合して現在のようになった。(私たちのカラダは星のかけらである、と言われる由縁です。)
 水素ガスが生まれるのは、真空の中に、中性子ヒョッコリ生まれて来て、それが電子と陽子に分化して、その陽子が原子核になって、電子がそのまわりを回るという構造になって最初の物質である水素が出来ることになる。
(このご説明は、当時の科学の認識に基づいてお書きになっておられる。物質無の説明に於いて、科学の世界は進化していくが悟りの世界は変わらない。「物質無」をその時代の科学知識を活用して説明することになる。)
 従って、物質とは、何も無い真空の変形だから、物質というものは無いのであって、物質は無である。従って、物質は存在の実質ではない。
 肉眼に見えないところの何か不思議な神秘な力が出てきて動かしている。すなわち物質は単なる物質ではなく、神秘な力、すなわち神の力の自己顕現であるということになる。
(だいたいこのような意味の御文章ですが、宇宙論で暗黒物質の存在など興味は尽きません。見えないのは余りにも重力が集中していて、光が閉じ込められるので見えない、光が地球に届かないということに過ぎない。すなわち暗黒物質の世界から新たな星が生まれる星のゆりかごである部分が宇宙に多数存在するという宇宙論です。)

159頁には玄沙の師備和尚のことが書かれています。いわゆる「堅固法身 膿滴滴地」の問答のところです。この章の最後に、は次のようにご教示されております。
””「実相の人間」には老いることも死することも冥途に行くこともない永遠にめでたき存在であります。””

  本当の喜びも、健康も、自由自在に繁栄する道もこの真理を体得して初めて永続的に実現できるということが言えるのではないでしょうか。

【匿名の寄付】
 これはサンケイ新聞(2010/12/31)に掲載されていたものだが、伊達直人さんの名前でランドセル10個が群馬県中央相談所の入り口に置いてあったという話。レスラー養成施設「虎の穴」にスカウトされた伊達直人さんは、厳しい特訓に耐えてタイガーマスクとなった。自分を育ててくれた児童養護施設をたびたび訪れては、ファイトマネーを寄付するが、自分の正体を明かさなかったという。恩を知る人、そして自らの恩を相手に押しつけないという流儀だろう。
 み教えでは、宇宙大生命のお力が相手を巡って自分に及ぶ、また神様の御心が自分を媒介として相手に愛を行ずる。従って、「自分がした」という愛行や徳行は宇宙のどこにも存在しない、という無我の考え方である。それ故にこそ、徳が積まれるのだろう。祈り合いの神想観で、「祈らせていただく」ことに、神の愛・無我の愛の法悦を感じて涙する。その心こそ、己が神様の愛の噴出するパイプとならせていただく喜びである。この喜びを知っている信仰者に生涯、魂的な退転はあり得ない。「自も無く他も無く天地ただ一つの御親の中にある」との『生命の實相』にある祈りの御文章が身に染みる。
 もう一つ、詩絵作家である星野富弘さんの作品を展示する、群馬県みどり市と熊本県芦北町にある二つの美術館に現金計5001万円が送られてきたという。これは星野さんからのご寄付かどうかは明確に書かれていない。だから匿名と言うことだろう。JAFの会員誌が毎月届けられるので、そこには星野さんの作品を掲載している。
 氏は、体育教師となったばかりの昭和45年、クラブ活動の指導中に事故に遭遇する。手脚の自由を失う。現代の再生医療でもしかすると動けるようになるかも知れないと私自身の期待はある。しかし、それ以上に、動けないことでご自分の無限力を発揮された人なのであろう。
 星野さんは見舞いの手紙の返事を書きたくて、寝たきりのまま筆を口にくわえて字を練習した。絵を描き始めた。野の花や身近な風景の水彩画に詩を添えた作品は、多くのファンをもつという。「辛い、という字がある。もう少しで幸せになれそうな字である」と。この詩画は見た記憶がある。これは星野さんの詩「幸せ」の一節であるようだ。
 
【島根の皆様、日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。】
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(最近発見したのですが、ツイッターに登録しておくと総裁先生がブログをお書きになった時、自分のツイッターに自動的に連絡が来ますので、携帯で読めることが分かりました。ツイッターの登録方法は簡単ですので、どなたか使っている人にお聞き下さい。私は手ほどき本を読みましたが、そこまでする必要はないようです。)

 中内 英生

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January.08.2011「真理は生活にあり」

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January.08.2011「真理は生活にあり」
今日の詩::雪解けの 風吹くゆうべ 隠岐の島

 『真理は生活にあり』という聖典がある。15頁には、「覚仏から行仏へ」という項目がある。己が仏である、神の子であるということを悟るだけでなく、それを実践する時初めて仏を行ずる、すはわち行仏となることがご教示されている。
 この「行仏」というお言葉は、二十代の頃に、拝読したお言葉であると思いを新たにした。次のような内容が説かれている。

 『神や祖先や父母を通して生かされて、この世に出現している私たちは、神様を尊敬し、礼拝し、御祖先の祭祀を怠ることなく、神・祖先・父母に対して感謝報恩の念を発し、何らかの形でご恩に報ずる実践をしなければならないと御教示されている。
 恩という字は、因(モト)と心の合字である。私たちの生存の本源者、原因者を知る心が、恩を知る心であるとする。それを知るだけでは覚仏であっても、行仏にならない。それを行為に実践するとき、行仏となる。行仏となって初めて埋もれていた仏性が健在となって生きてはたらくことになる。』

 知行合一ともいう。知ることの差は小である。行うことの差は大である、と言った人があるようだが、実に真理を穿っていると思われる。ご飯の栄養を知らなくても食べていれば生きることが出来る。しかし、ご飯の栄養価を知っていても、食べなければばててしまうだろう。ともかく行うことは大事である。私は毎日行うことの重要性をK本部講師に身を以て教わった。人格の感化というものは実に偉大である。そのような人物が側にいない場合はどうすればよいか。その答えは聖典に出いている。それは、善き本を読むことである。すなわちもう一つ歩を進めてみると、三正行に熱中することであろうと思われる。

 次の項目には、「生命の道統の基礎工事なき家庭の成立」とある。感謝報恩の思いの上に建設されるのが家庭という「家」である。両性の合意のみに基づいて成立する現代の日本国憲法に定められたる結婚は、基礎工事なき砂地か泥地に家を建てるようなものであると説かれている。さらに、次の項目には、「親の反対を押し切った結婚の後始末」という項目があり、離婚か死かを選ぶべき状態に陥った不幸な状態からみ教えにより救われた実例を掲げておられる。それらはすべてなるべくして実現したのであろうか。ロミオとジュリエットの物語を思い出すが、吉田都さんのバレーが印象強くてうまく思い出せないでいる。
 ここにある実例は、夫婦が不調和だったが、み教えに触れてご主人の実相を拝んでいるうちに、夫婦調和したという物語である。さらに、御教示は続く。「恋愛結婚はなぜ破綻しやすいか」との項目で説かれている。
 人生は、生きる人自身の性格の反映である。従って、親の反対を押し切って結婚する人は、女性の側から言えば、やはり良人の反対でも押し切って自己主張する性格の妻であり、男性の側から言えば妻の反対でも押し切って何でもする性格の良人である。どちらも自己主張が強硬であって、愛によって相手の主張をいれてあげようという思いやりの心が不足しているので、常に夫婦の主張が衝突して、腹が立ち癇癪が起こってくる。そこまでくると、愛し合って結婚した二人だという反省はなくなり、相手が自分の主張に屈服するまでは、激しいやりとりが行われるとしておられる。
 もう一つは、父母の反対を押し切って行われた結婚である場合、生命の霊的系譜によって否認されているということになる。その暗黙の霊的否定力は、結婚当事者自身がその結婚を祝福する力よりも強力である。その霊的否定力に押しまくられて、自然に不調和となり、離婚を考えたりするところまで行き着くことになると説かれている。

 その後にも結婚の意義が書かれているので、未婚の人や夫婦がどうもうまくいかないと思っている人はどうぞこの聖典を拝読して下さい。きっと夫婦調和の秘訣と見いだすか、未婚の方はベターハーフを発見するに違いありません。

【勝間和代の人生を変える法則とは?】
久しぶりに、勝間さんの記事をご紹介します。これは「心の慣性の法則」として紹介されています。朝日新聞(2011/01/08)からです。
 平たく云えば「人間は概して変化を好まない」、ということでしょうか。頭が固くなった状態が多いということでありましょう。それに対して、生長の家では変化はチャンスである。さらに困難さえもチャンスであると教えられています。しかも「困難に戯れよう」と『生命の實相』第七巻の冒頭には書かれています。
 先日見た、NHKの歴史ヒストリアでは、信長の事が語られていましたが、「苦境こそ吾が見せ場である」というような意味の言葉がありました。私たち日本人に現在、与えられている状況は何でしょうか。歴史的な少子高齢化の波でしょうか?島根では、それこそチャンスでると捉えています。ご年配になっても如何に無限力を発揮できるかの見せ場であり舞台であるとの思いで感謝して情熱を燃やしておられます。
 私は今日は、隠岐の島に伝道に来ていますが、毎月、通い始めて一年半を越しました。すると、次第に壮年層らしき信徒さんが何人も出入りしてくれるようになりました。ご年配の功労者である皆様方のお陰です。人間には無限力が宿っています。そこから、人でも物でも、どんなものでも引き出すことが出来る筈です。さて。

 ニュートン力学がありますが、何らかの力が加われない限り、静止はそのまま静止、一定の速度で移動するものはそのまま移動する、という法則です。これは人間の行動や意志決定にも働くとしております。これを「現状維持バイアス」というそうです。
 未知なものや未経験のものをなるべく受け入れようとせず、現状のままであろうとする心理です。
 例を挙げています。現在、契約している保険よりも有利な保険を見つけたとします。しかし、あえて現在の保険を解約して、乗り換えようとしないのです。そして変えたくない理由を色々な角度から見つけようとします。さまざまな国の制度改革を阻むものが現状維持バイアスであるとしております。 
 変化を阻むものを「スイッチングコスト」というそうです。現状を維持したいという心が根底にあり、過去の自分の肯定と将来の損失回避が組み合わさります。
 行動を変えることは、過去の自分の否定につながります。過去に強固な成功体験がある人ほど変えることにパワーが必要であるとしております。高度成長期における成功体験や、私たちの過去の運動に於ける成功体験がある場合は、同様な感情が湧く場合があるかも知れません。
 変化には不確実性が伴います。何らかの形で損失が生じる可能性があるのです。み教えは、本当の成功は体験であると教えられています。物質的成功よりも魂が学ぶことに於ける成長こそ本当の成功です。そう考えると変化を恐れる理由は無くなります。
 「生命の法則は生長することである」と教えていただいております。従って、変化に伴う不確実性や損失は何ら心配する事はないことになります。
 変化を恐れて生長しようとしない者は、運命の摂理によって、競争者が現れたりして進歩せざるを得ないような状況に追い込まれると教えられています。それならば、逆に変化にチャレンジして積極的に運命を支配する方が良いのではないでしょうか。
 現状を維持した場合の損失はおおむね想定できます。しかし、変化した場合の損失は未知数なので、私たちは変化を回避しようとする傾向が強くなるようです。
 しかし、現在は外部の環境変化のペースが非常に速いのです。現状維持バイアスを働かせているとかえって損失につながることが多いと勝間さんは語っています。
 過去の於いては、必要以上に成功体験にしがみつかないことです。そして、将来についても過度に悲観せずにリスクを冷静に比べることを推奨しています。そうすることが、上手な変化をもたらす鍵であるとしております。
 み教えに於きましては、常に神想観を実修して、繁栄を心に描き、龍宮無権供給を心に把持して、与える生活を実践することでありましょう。与えるにはまず神様に与えるところの聖使命会員となることがポイントでありましょう。これは徳積みにおける預金的なものです。また心で繁栄を確認することは、エアコンの温度設定と同じ事ですから、潜在意識が強力な創造力でもって、繁栄を現象界に持ちきたすに違いありません。
 島根の皆様、勇気を持って変化に挑戦しましょう。神様は必ずあなたをお守り下さいます。繁栄の道に歩ませて下さいます。「私は神の子であるから、私の行くところは必ず繁栄する」とという強い信仰を持とうではありませんか。

【島根の皆様、日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。】
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 中内 英生

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January.07.2011「出雲出身の故有留弘泰氏」

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January.07.2011「出雲出身の故有留弘泰氏」
今日の詩::良寛や 小さきことも 感謝する 日々の暮らしの 有り難きかな 

 『新版叡智の断片』という聖典を拝読していると、202頁に、出雲ご出身の故有留弘泰の記事が書かれていたので島根の皆様にご紹介したい。
 有留氏は戦争中、脊椎カリエスとリチャード氏病にかかって歩行不自由にまでなった。氏は、運命の逆転にもかかわらず、皆自分の心の影であるとして精進して回復したというのである。私は19歳の時だったが、本部会館で時々食事を共にさせて頂いた。その時に、お聞きした大本教時代の谷口雅春先生のことなど懐かしくお話し下さったことを記憶している。
  昭和17年夏、尼崎防衛部隊長を二年間勤めたが、様々な悪条件を、笑って処理するという心境に至っていなかったために、リチャード氏病と脊椎カリエスを併発した。遂に軍務処理ができなくなり、退隠したという。
 一時は一歩も歩めない状態にまでなっていた。信仰を深め、神の子の自覚を回復するに至ったところ、俄然好転した。働くこと、病気を忘れること、感謝することにより軍務に復帰したころに終戦となった。
 この体験に対して、204頁には、「病気を他に転嫁せず、自らの心を改めた時治ったのであるから、それよりも軽い病気が心を改めることによって治るのは当然である。病気を実相だと思ってはならない。健康なのが実相である。病気の中にいて、なお健康である実相を観ずるのを、入龍宮不可思議境界という」という内容が書かれている。
 
 私たちは、聖典を拝読するに当たり、何度読み返したかを反省すべきでありましょう。私の知人で既に個人であるが、かつて谷口雅春先生が地方に御巡錫にお出でになった時に、『余りにも聖典が次から次へと出版されるので、読み切れません。」と悩みを打ち明けた。すると、雅春先生は、『あなたは一度読めば良いかも知れないが、私は出版するまでに何度も読み返しているのです。時間がないので読めないとは何ですか。』というおしかりのお言葉を頂いたという。師と弟子とのほほえましい情景であると拝聴した。知人は、それから熱心に読み出した。聖典に於いて御文章が残っていると云うことは何と有り難いことでありましょうか。この聖典にしても、60年ほど経過している。それを拝読できることは誠にも有り難いことである。しかし、時代の流れと変化に応じてお書きになっておられるので、時代色があるのは当然である。従って、私たちは拝読するときに決して原理主義に陥ってはならないと考える。

 現代にも通用する御文章として解釈してお説き下さるのが現在の総裁先生である。現代の物施としては環境問題に取り組んでいるが、この聖典には環境問題は取り扱っていない。総裁先生のお言葉で宗教卵論というのがあるが、真髄の部分は変わらず説かれていく。しかし、周辺部分はその時代環境に応じて説き方が変わってくると云うのである。世界の善き宗教を見ても歴史的に伝播地へ伝道する教義の変化を見て取れる。しかし、それは周辺部分の変化に過ぎないとするのである。
 島根の皆様、大いに聖典を拝読致しましょう。

【アシカのカンジ君の笑顔】
千葉県の鴨川シーワールドのアシカが笑顔を振りまいていた。記念写真は一組300円だが、記念写真代を夏場は一日二万四千円稼ぐという。笑顔の写真を見て下さい。出雲練成会の笑いの練習で笑って戴いてもよいのではないかとも思います。
   http://www.asahi.com/national/update/0106/TKY201101060115.html

【満足感と幸福感はイクオールか?】
 プリンストン大のなカーネマン名誉教授らが45万人を電話調査したという。「高い年収で満足は買えるが、幸せは買えない」と結論したようだ。日々の幸せを感じる度合いは、年収7万5千ドル(620万円)ほどで頭打ちになるという。特に、現在は現金を持つことがなくカード決済が多いのである程度不自由しなければいくら持っていても余り関係がないようだ。
 幸せ者とは、小さな喜びを十分に味わえる人ということであろう。良寛さんは、1月7日が180年目の命日だったそうだ。この記事は、朝日新聞(2011/01/07)に出ていた。持つ量よりも、それから味わう質が幸福感につながると考えられる。
 また、五官の快楽は決して幸福感そのものではない。いくら美味しいものでも、食べ続けると栄養過多でカラダを壊してしまうだろう。美味の快楽は糖尿病やメタボなどにより、たちまち苦しみに変化する。感謝しつつ食事する時、適量を摂取して病気にならない体を獲得することが出来るのではなかろうか。
 食事の時にも一つ一つを言葉に出して、「この○○は美味しいね。」などと感謝する生活が宗教生活なのである。宗教生活、信仰生活をどこか別の所に求める必要はない。一挙手一投足のなかにこそ信仰が息づいている。口から発する、表情から発散する、念ずる思いから発するコトバが、「御心に適いますように、人を生かすことができますように」との祈りを通して表現される時、それは信仰生活となり宗教活動となると考えられるのである。
 今日も『日時計日記』を書かせていただくことが出来た。それは、真象を賛美するところの「生活上の賛美歌」であろう。この日時計日記記載運動を御提唱下さりご指導下さっておられる谷口純子先生に心から感謝申し上げる次第であります。

【自転車と人との接触】
 これは出雲でも体験することであるが、自転車に接触しそうになることである。しかも歩道においてだ。日本の自転車道行政の不備が問題視されるがなかなか解決しないようだ。アイルランドから来た女性から聞いたことがあるが、かの国は自転車道の整備が行き届いているという。
 朝日新聞(2011/01/07)には、その記事が出いていた。歩行者を巻き込む自転車事故は、10年間で約3、7倍に増加している。エコブームで二酸化炭素を出さないので地球には深切であるが、逆に人間には深切ではないようだ。また、「見た目がおしゃれ」というので、ブレーキをつけない違法自転車が公道を走っているという。危険運転となるようだ。夜間散歩に行くと、無灯火で自転車に乗っている人が多く、びっくりすることがある。自動車と同様にルールとマナーを守ることが大切でありましょう。自然だけでなく通行人である人にも親切を行いたいと思う。

【島根の皆様、日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。】
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 中内 英生

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January.06.2011「自他一体の神示」

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January.06.2011「自他一体の神示」
今日の詩::ことたまや 静寂に響く 冬の朝
(これは神想観のいのりの言葉です。)

 『到彼岸の神示』という聖典があります。「神示講義・自覚の巻」となっておりまして、神の子の自覚のための神示が多く掲載されているということでありましょうか。この中で、18頁からですが、「自他一体の神示」という神示のご解説があります。昭和七年二月四日神示となっております。神示はさまざまな神示がありますが、時代色的な文言もありますので、原理主義に陥らないために、その時代に応じて総裁先生の新たな御教示を頂く必要がありましょう。「大和の国の神示」の御教示が、総裁先生の御著書にありますが、それらは良き例でありましょう。さて。

 『生命の實相』を読んで自分だけが真理を悟ってそれで善いと思うものはまだ生命の實相を悟ったものではない。真理は自他一体のものであるから、ひとに伝えるとき、そこに「結び」の力が発現するのである。結びは愛の力、慈悲の力、神の力、仏の力である。…」と書かれています。多少、文字が違っているところがありますので、正確な文言は、『新編聖光録』で御確認下さい。

 「真理は自他一体のものであるから」と説かれておりまして、現在、自然と共に伸びる運動を行っている生長の家は、神のいのちの現れである自然界との一体感を感じて、危機に瀕している地球の全生物を思いやり、環境問題に取り組むのは当然の帰結でありましょう。また、国際平和信仰運動を推進することも、自他一体の真理を全人類に及ぼした時に起こるところの当然の反応でありましょう。
  谷口雅春先生が神示をお受けになり、その意義をお説きになられた教義の真髄を、現在の総裁先生が忠実に受け継がれ、ご生活にご実践され、かつ運動に展開しておられることを拝察申し上げる次第であります。

 病気に関しては、『生命の實相』に書いてある通りのことを病人に愛の心で話すと、ただ話すだけで病気が治る、と書かれております。話が下手なら、『生命の實相』の中の「光明の真理」の所を本の由来を話してから読んで聞かせてもよい、とご教示されています。
 聖経『甘露の法雨』を読んであげることも、『生命の實相』を読み聞かせるのに匹敵するのではないでしょうか。人の声の温かさの中に人の愛、ひいては神の愛を感じるのではないかと思います。 
 私は以前、児童教育の専門家の話をお聞きしたことがあります。その講師は、絵本の読み聞かせの効果を説いていました。お母さんが絵本を読み聞かせることで、母親の愛を感じるようになり、母子の絆が深まるというものでした。そして、録音やテレビの物語の読み聞かせはどうかという話をしていました。それは声ではなく音です。そう講師は説明しました。そうかも知れません。
 私は、新しいものにチャレンジすることが好きで、インターネットやスカイプやに挑戦していますが、やはり直接会って、相手の目の動きを見ながら、理解度をチェックしながら以心伝心、お話しさせていただく以上に素晴らしい方法はありません。法燈継承の真義で「面授」の大切さを感じます。それと同時に、私たちの運動は、二酸化炭素削減ということが喫緊の重要事ですので、やはり活用できる文明の利器は十二分に活用して参りたいと考えております。
 来年度は地方講師研修会は、「ソーバ・ミエルカ」?という本部推奨のソフトを使って、出雲と益田の二会場で同時進行で研修会を行いたいと考えております。相互発表の形式です。人数が増えれば、出雲教化部会館、松江道場、益田会場、隠岐の島文化会館と四か所の同時進行の相互研修会を開催することが夢です。長い島根で同時に心を一つにすることが出来る。これほど、光明化運動に有益なことはないでしょう。
 
 「神示」は、『新編聖光録』に掲載されておりますので、『到彼岸の神示』と同時に、どうぞ拝読下さい。

【どぼじょ】
総裁先生のブログに、「どぼじょ」なる文言をお書きになっておられた。朝日新聞(2010/12/28)には、「”どぼじょ”いざ現場へ」「土木業界めざす女子学生」「命・生命守るあこがれ」「採用枠増やすゼネコン側」という記事があった。
 写真には、かなりパワフルな感じのある女性が写っている。危険、きつい、汚い-。土木・建築業界は3K職場と云われてきたそうだ。その業界で、現場に出る女性社員がふえつつあるという。宿舎に泊まり込み、職人相手に作業を取り仕切るのである。大学の土木系学科で学ぶ女子達は「どぼじょ」と呼ばれており、人の命や生活を守るインフラ作りへの夢を追いかけているとしている。
  男性作業員約70名に混じって女性が開削工法の現場を指揮していたという。大林組の入社一年歴の安藤さんという方である。父親くらいの年の差のある職人にも物怖じしない。指示を誤れば図面と違うものが出来てしまうからである。「仕事で男女の違いを気にする余裕はない」とのことだが、現場に出た当初は、初対面の作業員から、「小学生みたい」とからかわれたり、重い測量装置を担ぐのに悲鳴を上げたりだったが、土木現場に女子がいる珍しさから声をかけられることが多く、思ったより早く信頼関係が築けたという。
 きっかけは阪神大震災の時だったそうだ。テレビ画面に映る映像にショックをうけた。そして災害に強い街作りを決意した。土木学科のある大学に入り、大林組に入ったという。「体力では負けても、タフさがあれば大丈夫です。ものつくりに関心をもつ女子は少なくない。特別視されない日は近いと思う」と。
 島根教区の事務局長さんは女性だが、女性特有の人間関係のきめ細やかさがあり、調和の中で実力を発揮している仕事ぶりを見ても、「どぼじょ」の記事に同感である。
ゼネコンも採用枠を増やしているとしている。鹿島は2006年度まで土木系総合職の女性の採用は年に一人いるかどうかだったが、平成21年度は4人を採用し、平成22年度も4人、平成23年度は6人を予定しているという。
 男性と違った、タフさ、技術系など筋肉力とは違った方面での実力の発揮で土木業界に進出してきているようである。まさにそういう時代なのであろう。
 急速に変わる環境の変化に対して、組織のあり方をどのように変化すべきかというご指導が総裁先生の新年のご挨拶にお書きになっておられたが、「どぼじょ」のテーマも環境変化の一つと見て良いのではなかろうか。

【大雪の深切】
 朝日新聞(2011/01/09)の第一面には、鳥取県の琴浦町の人の親切行が掲載されていた。驚いた。昨日、松江に行ってきたが、歴史的なすごい雪だったようだ。松江道場は空には太陽が輝いていたが庭には雪がかなり積もっていた。いつも行く境港では船が雪の重さに耐えかねて沈んだようだ。米子の少し向こうに、琴浦町がある。九号線の一般道だが、そこで立ち往生した車に対して、「トイレ→」と書いていた。祇園和康さん79歳の深切行だった。食べ物なども配った。みずから饅頭1200個も配った饅頭屋の山本浩一さん(53)もいた。かつては日本海で難破した船が漂着するたび毎に、地元の人が総出で船員を助けたという。今回の雪では他にもいろいろと深切行があった筈である。深切を受けたある人が感謝の思いをツイッターかブログで発表したことがもとでその情報が広がったという。
 私は、朝日が第一面のトップでそのことを取り上げたことに時代の変化を見た。これは、ポスチングジョイの影響があるのではなかろうかとも思った。

 今日の記事は、日時計主義の心温まる記事だったが、ある有名なアメリカの経済学者が「経済的に豊かであることだけを目指す日本は没落すると考えていた。しかし、阪神大震災で日本で初めてのボランチアの活動があり、日本に対する考え方が変わった。日本は復興する」と書いていた。私は経済学者の名前も書かれていた雑誌名も失念したが、愛の行動は神様と波長が合うので、繁栄する以外にないと思った。生長の家が全身全霊で総裁先生を中心に地球全生命を救おうと努力していることが、宇宙大生命である神様と波長が合わないはずがないと思われるのである。

【高校サッカー】
立正大ショウ南がPK戦で惜しくも敗れたが、全国4グループに入った。ご苦労様!ありがとう。島根は、高校野球から「ダンダン」や「安来」など、さまざまな面で名前が挙がってきた。しかし、島根はさらに実力と実質を高めていくようにしたい。信仰に王道はない、と云われるように、きっちりと三正行を実践すること。伝道に於いては誌友会を盛り上げること。これらの実践を行うように進めていきたいと思った次第である。故T元本部校講師から、「自分が行くところは必ず繁栄する、という信念を持ちなさい」と言われていたが、私たちは常に、「自分の行くところは必ず栄える」、という信仰を持ちたい、と思う。

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 中内 英生

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January.05.2011「谷口純子先生御誕生日」

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January.05.2011「谷口純子先生御誕生日」

白鳩会総裁 谷口純子先生、御誕生日お目出度うございます。
常に私達をお導き下さり、心より感謝申し上げます。
これからもどうぞ宜しくご指導をお願い申し上げます。

 『”森の中”へ行く』という谷口雅宣先生と谷口純子先生の共著が出版された。島根の皆様には、今日は谷口純子先生の御文章を拝読して戴きたいと思います。
第三章の「森の生活への期待」には、「森へ行きます」「街角の豊かさ」「まだ見ぬ自分への期待」の御文章が掲載されている。
第三章の「大海に石を投じよう」には、「自然を豊かに感じる生活」「日本の歪な食糧事情」「地方と都市との格差」「三車火宅の生活を越えて」の御文章が掲載されている。
第四章には「環境保全と信仰」について語られている。「神の国実現のために すべてを生かす自覚を」と「すべてのものには神の生命が宿っている すべては一体を表すユダヤ教の教え」となっている。

  「森へ行きます」には、谷口純子先生が歩まれた魂の軌跡が書かれている。私達は信徒としてのあるべき姿をお教え下さっているように思える。
46頁にはその心の道程をお書きになっておられる。ご自身が森の中へ行くと云うことに関して、最初は反対の意思表示をしておられたという。信仰とは、「神とは何か」「人間とは何か」という問題を考えて、ひたすら信じて実行するのが良き信仰者であると考えておられた。
 しかし、地球環境問題に関するさまざまな本を読んでいるうちに、現在、世界が直面している問題のありかが分かり、それが現在の私達人間の生き方そのものと大いに関係していることが理解できたとお書きになっておられる。
 48頁には、18世紀の産業革命を端緒としている地球環境問題のことが書かれている。それから展開される諸問題についても説かれている。
問題の核心である結論は、49頁の3行目から10行目までであろう。島根の読者の皆様にこの御著書を拝読して戴くために問題の核心を敢えて書かないことにさせていただきたいと思う。さらに信仰者には次なる展開が用意されている。

 大自然の一部である人間は、自然なくしては生きられない。しかし、便利で過ごしやすい生活は自然界の尊さを忘れさせる。森の中に行き、自然界と生かし生かされていく生活をすることによって、生き方の方向転換をすることになるとしておられる。
 従来の経済優先、効率優先の生き方を捨てる。そして、自然界の万物と共に生かし生かされる生活を実現することが、「今私たちが進むべき道だと信じている」とお書き下さっている。そして、「この生き方が、多くの人に伝わることにより、温暖化を少しでも抑えることができ、未来の子供たちに美しい地球を残すことができればと、願っている」と。

 島根の信徒の皆様!谷口純子先生が総裁先生の行かれる方向へ歩まれるように、私たちもご一緒にひたすら後を歩ませて戴こうではございませんか。そして…。
 谷口純子先生より、常に私たち信徒としての生き方をお教え戴いておりますことを心から感謝申し上げます。有り難うございます。

【アルマプロジェクト】
 宇宙が誕生したのは、137億年前であるとされる。その姿を日米欧の共同で観測し、その謎を解明しようとしている。これがアルマプロジェクトであるという。2012年、南米チリを舞台に本格実施されようとしている。この計画は、いちどテレビで観た。
 そのために使用する電波望遠鏡のアンテナを三菱電機が受注した。関西を中心として中小企業80社の協力を得て、兵庫県高砂市の工場で製造中だという。
 昨年は、小惑星探査機「はやぶさ」の帰還で宇宙探索へのロマンが改めてかき立てられた。今度は日本の町工場が誇る金属や機械組み立ての加工技術が世界最大の宇宙観測プロジェクトに挑むことになる。この情報は、サンケイ新聞(平成23年1月4日)からである。

 アルマプロジェクトでは、日米欧がおわん型のパラボラアンテナ66台を並べた電波望遠鏡をチリのアンデス山中にある砂漠地帯に設置するようにしている。日本が担当する16台は三菱電機が製造するという。三菱電機は2005年から設計を始めたが、1台当たり設計図は8千枚にも及んでいるらしい。100㌧もの巨大アンテナが1度の6千分の一という角度で動く。何と、大阪市内に置いた一円玉を東京から判別可能という過去最高レベルの精度だ。製造を担当する観測システム課長さんは「気が遠くなった」と振り返っている。各所に設置することによって、トータルでさらなる巨大アンテナを形成するらしい。

 望遠鏡の設置場所は、年間気温差が60度で、一日だけでも15度に及ぶ過酷な条件だ。砂嵐を伴う強風や強い日差しも心臓部のアンテナにひずみが出来やすい。それが観測精度を落としかねない。それを防ぐための考え方がスゴイ。
 試算の結果、口径12㍍のアンテナ表面全体で完成時に許されるひずみ(凹凸の差)は、髪の毛の太さの四分の一程度という25マイクロ㍍ということになったようだ。一マイクロ㍍は、0,001ミリである。表面にアルミ製の板を1枚ずつ張り付けるが、1枚当たりでもひずみを5マイクロ㍍に抑えることを求められたという。このあたりは、私達の理解を超えているのでこれ以上は考えない。

 精度を求められる加工を請け負った中国地方の協力業者は、金属表面を磨き上げる技術でアルミ板を作り込んだ。
(これらの精度の技術は、私は『プロフェッショナル』というNHKの番組を観て人間の皮膚の裏に超能力的感覚があることを知った。)
 貼り付けは関西のエンジニアリング業者が担当した。アンテナ1台に1人の職人がついて完成させるという。
 既に4台を現地に設置した。残る12台も順調に政策が進んでいるという。三菱電機の大島課長さんは、「協力企業の力がなければ、絶対に完成できない。日本の製造業の技術蓄積は計り知れない」と話しているようだ。宇宙の謎解きに発揮される日の丸技術の素晴らしさが書かれている。
 日本技術は仕事がないと言うことで外国への流出も報告されている。環境技術と宇宙開発技術、これは貢献できる分野だろう。日本人の勤勉さや緻密さなどを基盤にした町工場の技術力であろうと考えられる。それらを受け継ぐ人材が必要ではなかろうか。
 一人の人間が社会に出るのに、20年と少しかかる。それは逆に考えると、20年間で日本は方向が変わるということではなかろうか。今日一日を大切に生きたい。自分の使命遂行のために、日本の使命を果たすために、世界の人々と自然が共に伸びるために。
   http://sankei.jp.msn.com/science/science/110107/scn1101071037000-n1.htm
  http://alma.mtk.nao.ac.jp/j/

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 中内 英生

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January.04.2011「神想観の指導者は誰?」

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January.04.2011「神想観の指導者は誰?」
今日の詩:: 雪混じる 風の音にも 安堵感
(寒さあればこそ、暖かい安らぎの家庭がある。それは実に素晴らしいことだ。)

 島根の皆様は神想観を毎日実修しておられると思います。神想観を実修していませんと、正しく神様の御心に波長をあわせることはできません。また、中心帰一の信仰姿勢を堅持することも難しくなります。神想観の姿こそ神様への中心帰一の姿勢であり、「生長の家大神ー総裁・副総裁ーみ教え」と展開する新たに説かれる教義と運動を理解し体得することができるのではないでしょうか。

 『詳説 神想観』という谷口雅春先生の御著書があります。91頁から「遠隔指導と直接指導の優劣ー神想観の指導者は生長の家の神である」という項目があります。神想観はどこで行いましても、生長の家大神様がご指導下さるということです。
 93頁10行目には、「生長の家の神想観の指導は、私の守護神がするのではなく、今度人類光明化運動を神界より人間に向けて始められた唯一神の救いの霊波の人格化なる神界の大天使たる「生長の家の神」がせられるのであります。」と教示されております。
 従いまして、安心して、かつ熱心に神想観の実修を致しましょう。
この聖典は、何度でも拝読して神想観の真髄を体得して戴きたいと存じます。102頁からは基本的神想観実修の道場での口伝が書かれています。

 ポイントは、①呼吸、②メティテーション、③念ずる言葉を同時進行させることですが、特に呼吸はすぐに忘れてしまうことがありますので、忘れても神想観の呼吸法が自然に出来ているように練習して戴きたいと思います。
  86頁には、「補息と吸気」という項目があります。補息ということはほとんどの方はやったことがないようですので、分からないという人がおられます。ここに書かれている通りに行って戴くと良いのです。
 教化部では、神想観練習の時間を二回とっておりますので、やり方が分からない人は練成会にお出でになり練習をしていただければ必ず上達します。一応、練成会の三日間で大体、ご自分で実修できるようなコースにしております。補息のこともどうしても分からなければ、練成会でお教えするようにしております。

 どのくらいの時間が必要ですか、と言う質問がありますが、総裁先生は、「30分間がお勧めです。」とご指導くださっておられますので、是非その時間を目指して練習をしていただきたいのです。「日常生活の円滑化現象」という何とも言えない大調和した生活をご体験されるようになります。そうすると、「ここがこのまま神の国なり」という御自覚が、三界唯心の真理によって展開してきていることを深く理解するに至るのでありましょう。
 「祈りに始まり祈りに終わる」という言葉が『生命の實相』に書かれています。自然にそのような生活になるように、自ずから神と一体となる生活になるように努力したいと思います。
 私が20代の始めのころですが、富士河口湖練成道場の奉堂式がありました。その行事に参加させて戴きました。谷口雅春先生がお出でになられたのでした。ちょうど、大月とう駅で新宿方面からお出でになった谷口雅春先生が列車の乗り換えのために歩いておられました。毎月、お山の集いという学生の集いでお目にかかっているのですが、その時の、先生のお姿を拝見した時、自ずから私自身も祈らずにはおられないような気持ちになり、先生が歩かれるあとをお邪魔にならないように後ろを歩かせて戴きました。
 いつも祈りの中におられるような、荘厳な雰囲気を谷口雅春先生のお姿から感ずることができました。
  そして、「もっともっと常に神様に祈りを捧げなくてはならない」と強く思ったことでした。

【料理研究家 宮成なみさん】
 マイナスをプラスに変える。自分の欠点を逆に武器にして人生を生き抜く。そんな日時計的な生き方が紹介されていた。腎臓病と闘いながら、命を守る食の大切さを訴え続ける料理研究家である。サンケイ新聞(平成23年1月4日)に掲載されていた。「ご飯に助けられた」というタイトルである。料理を通して、自らの難病と向き合い続けている人であるようだ。
 写真の笑顔は明るい。彼女は福岡県出身(35)である。動脈の毛細血管が徐々につぶれていく難病「結節性動脈周囲炎」を抱えて生まれた。16歳で腎臓病を発症したという。医師から「五年以内の死亡率は80%、社会復帰や出産はほぼ不可能である。したがって、病気の進行を遅らせる唯一の方法は食事療法だ」と言われたそうだ。
 腎臓に負担がかかる塩分、タンパク質、カリウムが含まれる食品は禁止となる。「肉、魚、乳製品、果物、野菜などほとんどのものが食べられないことになる。出産も出来ず、周囲の人には迷惑を掛ける。自分は生きていて良いのか」と真剣に悩んだという。
 そんな彼女を救ったのはご家族だった。「痩せて肌もガサガサになった娘を16歳の普通の女の子に戻してやりたい」と。良い栄養士を探し回り、体に負担がかからない調理法を学んだという。7年半続いた食事療法は実を結んだ。23歳の頃には正常に近い腎機能を取り戻したという。
 「私はご飯で救われた。子供は産めなくとも、代わりに日本中の子供をご飯で守りたい」と思った。
(自らの救いを日本中に展開してご恩返しをしたいと決意し、実践する彼女は、報恩感謝の真心を生きる菩薩を彷彿とさせるではないだろうか。)
 闘病生活の中で芽生えた思いから、料理研究家を目指したという。地元紙への投書がきっかけで、平成17年、料理に気持ちを込める大切さを説く著書を出版したという。『オトコをトリコにするメロメロレシピ』。現在はご結婚されている。透析を受けながら料理教室や公演を続けておられるようだ。
 「自分の食」探しに重要なのは「百点の料理なんてないと知ること。人生と一緒で、焦らずがんばり続けて行くことが大切だ」とのことである。
  私達は、愛の立場から、環境の立場から、ノーミート料理を推奨しているので、続々とその方面のレシピ本が出ると実に素晴らしいことになるのではなかろうかと思う。私が希望しているのは、島根の地産地消の食材を使った郷土色豊かな、ノーミート料理である。その全国版が出るとたいへん楽しい内容になるのではなかろうか。
  http://www.miyanarinami.com/
  http://www.miyanarinami.com/main/oitachi.html

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 中内 英生

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January.03.2011「合掌の美しさ」

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January.03.2011「合掌の美しさ」
今日の詩::餅つきの 臼にしみ込む 感謝の念
(小学生一泊見真会で餅つきをしましたが、一振り一振りに子供たちの感謝の念が込められているように感じました。)

 谷口雅春先生著の『人間苦の解放宣言』には、練成会の宗教行事の意義などが書かれている。11頁には「拍手および合掌の意義」が書かれている。
 まず驚くのは受付で合掌し拝んでくれることである。生長の家の一部の人にとってはそれほどは感じないことであるかも知れないが、初めて拝まれた人にとっては強い感動を覚える。私達も最初はそうだったのではないか。それを感動しないのは、かなり信仰がマンネリ化しているのであろう。
 お互いに神性仏性を拝み合う世界が極楽浄土であると書かれている。お互いに欠点ばかりを探し合っている世界を地獄ともいう。天国も地獄も極楽も、ある場所や地域のことではない。自分たちの心の状態が具象化した世界であるという。
 谷口雅春先生が最も美しい合掌をご覧になったのは、一燈園の西田天香師であったという。天香師が列車の窓から合掌して、皆さんを拝んでおられた姿を見た時、崇高な感じがしたと書かれている。
 谷口雅春先生が、講習会が始まる最初に拝んでおられるお姿はやはりそんな感じではなかっただろうか。練成会で元気よく、司会舎が合掌して、『有り難うござい』と唱える。すると、参加者が大きな声でお答えになる。強烈な感謝の雰囲気となる。
 谷口雅春先生のお言葉の響きは静かではあるが、落ち着いたしかも威厳がある崇高な合掌のお姿と言葉の響きであったように思い出される。
 総本山が出来る前のことだが、練成会で谷口雅春先生が御講話をされておられた。私はドアマンとして控えていた。先生がお入りになられるとき、静かなお声で、「ありがとうございます」と云われたお声に背筋がじーんとなったことを思い出す。
 12頁には、相手に宿る神性・仏性の光を心で見て拝むのであるから、「光を観る心」からは「光が射す」と御教示されている。誠にもこのことは真実である。
 それ故にこそ、日時計日記で明るい存在だけを観る習慣を付けている私達にとっては、自分の目から光が放射されているはずなのだ。すごいことだと思いませんか!
 合掌の意義について、生長の家の講師であるゴーゾラさんという方のご質問に対してお答えになっておられる。ゴーゾラさんはかつて私が奉職させていただいていた某練成道場でお目にかかったことがある。
 谷口雅春先生は、人体というものは一種の非常に複雑な装置を含む蓄電池みたいなものであると言われる。そして、左右の掌および指先は蓄電池の陰陽両極みたいなものであり、私達はその両極を合掌することにより、人体の電気的流れを正常化する効果があるご教示されている。
 これは実に素晴らしいことではなかろうか。神想観を実修して、たとえ精神統一が十分でなくても、実相世界の無限の完全さを見詰め続ける時、人体の電気的流れ、すなわち生理的流れが正常化されるのではなかろうかと考えられるのである。
 また、14頁から大変興味深いことが書かれている。四つ足で歩く獣類は、前足に生えている毛は、雨に濡れても下へ下へと水滴がしたたって内部へしみ込まないために、四つ足の姿勢の時に下方へ向かってその毛が蓑のように生えている。
 ところが、人間の前腕に生えている膚毛は、よくよく観ると、その膚毛は、胸前に合掌した時にその膚毛が下方を向くように生えている。そはわち人間は、本来合掌種族として生まれたので、合掌した時に、その膚毛が蓑の働きをして雨滴をはじくように設計されているという。
 この御文章を拝読したのは、昭和48年だったが、私はうなるほど感動したことを覚えている。何というするどい観察眼をお持ちであろうかと。
 この聖典は、吉田武利編となっている。練成会を御受講される人は、または指導される地方講師の方々にとっては必読の書である。どうぞ拝読下さい。

【究極の遅読】
面白い記事があった。というよりも、総裁先生のブログで、ながら族は太りやすいというデータをご掲載しておられたことに関して、関連しているのではないだろうかと考えたからである。まさに「ながら勉強法」の逆である。
 「ひと」朝日新聞(2011/01/01)には、伝説の元灘中・高国語教師である橋本武さん、98歳の記事である。
 私の母親も100歳を越えたので、今回の帰省では100歳のお祝いをさせて戴いた。あと、5年は元気に人様のために生長の家のために働きたいという言葉には感動した。
 朝日掲載の橋本さんは、すごくお元気な感じのお顔である。内容をご紹介したい。
背筋をピンと張って、「やあ!」と右手を挙げる仕草が、粋でありトレードマークのようだ。昭和初期から50年間、71歳まで神戸の灘中学・高校の教壇に立っておられる。
 語りぐさは、中学の3年間でたった一冊、200頁余の「銀の匙」を読む授業であったという。明治生まれの作家、中勘助が少年時代をつづった作品である。徹底的な遅読ぶりは12月に、『奇蹟の教室』(小学館)として出版されたという。
 語句を一つ一つ調べる。体験して考える。「丑」の字が出てくれば、十干十二支から丙午や甲子園の由来にたどり着くのだ。主人公が駄菓子を食べると、買い集めて試食する。たこ揚げやカルタ取りもしてみるという。すごい!ではないか。
 「横道」こそが狙いらしい。1ヶ月に数ページしか進まず、不安がる生徒に「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる。自分で見つけたことは、一生の財産になる」と静かに話したという。これはそうとうの自信がないと言えない言葉だ。しかし、信仰においても同様であろう。私の先輩の故T元本部講師は、私に対して細かいことは決して云われなかった。ポイントだけ示し、「あとは自分で勉強しなさい」と云われただけでいつも終わった。したがって、ポイントを燈台の光と考えて一所懸命に燈台の光をたぐり寄せようとした。そして私は力を与えていただいた。
 橋本さんは、戦時の体制下、思うような授業ができずにむなしさが募ったという。「大人になって何も記憶に残らん授業は嫌だ」とつくづく思った。戦後、深夜までガリ版に向かって教材を作り始めたという。ガリ版という懐かしい言葉がこの欄にはあった。
 80歳を過ぎて大病した。交通事故、阪神大震災に見舞われたという。「はかない命と云うが、案外しぶといもんやな」と思った。かえって勇気が湧いた。源氏物語を口語訳を94歳で完成し、最近出版された。これまたすごい!息が長い人生のようです。これくらいの「生」に対するしぶとさが人間には必要だろう。
 趣味は多彩であるようだ。宝塚通いは有名であるという。白寿の祝いに元タカラジェンヌが大勢駆け付けたとしている。「若素」という言葉を谷口雅春先生はお使いになっておられたが、橋本さんもそうだったのかも知れない。
 新年の抱負は、「銀の匙」教材の作り直しであるという。これまたスゴイ!一人暮らしでご飯は何と!100回、噛んで食べるようだ。今も背中はまっすくである。
 朝日の文章を読んで、私は絶句した。すごい!。だが、やろうと思えばできる生活である。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~niche7/oriori/oriori48.html

【島根の皆様、日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。】
  http://masanobutaniguchi.com/
・谷口純子先生のブログです。大変楽しいご内容です。
  http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
【ポスジョイを始めましょう。まずは登録しましょう。】
 http://postingjoy.com/account/login
【日時計写メ俳を投稿してみましょう!】 → 御投稿は bch05742@nifty.com へ。携帯で写真を撮り、俳句か短歌を書いてお送り下さい。はるか遠くのカナダからの投稿もあります。このコーナーはポスジョイに次いで国際的です。
・島根県教化部公式HP http://www.sni-shimane.com/  →「写メール俳句の世界」      http://www.sni-shimane.com/blog.php で見ることが出来ます。
・島根のブログ開設者へは、「各種リンク」から行き着けます。

 中内 英生

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January.02.2011「”日時計日記”書き初め」

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January.02.2011「”日時計日記”書き初め」
今日の詩::正月の 初笑いこそ めでたけれ

 元旦から、『日時計日記』記載を始めました。昨年は、一日10個の良いことを書くことにして、何とか完走できました。しかし、これはかなり努力でした。しかも楽しい努力でした。3650個の私に関する良いことを書いた日時計日記を眺めながら、感慨に浸りました。自己満足の極みですが、それでよいのです。この内容は人に見せるものではないので、自然に自己満足となります。せめて自分で自分自身をほめてあげませんと。

 信仰とは感情や単なるやる気でななく、意志の努力です。そのことを、日時計日記を書いて特に感じます。
ポスジョイの投稿はほぼ一年ですが、毎日のブログのアップは何年も続けています。読者あればこそであり、心から感謝致します。
  教化部のホームページは、数ヶ月間、中断していました。何とか緊急避難的なホームページはつくっていましたが、ようやく復活しました。なぜ、サイトが壊れていたかを調べて戴きましたが、サーバーの容量の関係でないかということでした。それでこの点を改良することにしました。これは信仰でも同じことです、容量が最大級の神様とつながっておりませんと、途中で挫折するかも知れないと云うことでもありましょう。

 私のブログは余り面白い内容ではないのですが、少しは皆様のご参考になればうれしい限りです。特に、私のブログをお読み戴くことで、総裁先生のブログを読むようになったとか、御著書を拝読するようになったというような人ができて参りますと実にうれしい限りです。それは、教区の内外を問いません。

 なかなか時間の捻出が難しいと言えば、言い訳になりますが、今年は以前やっていたミニ講話の動画のアップにも再挑戦したいと思います。仕事ではないので、自分一人で録画することになります。うまくいけばよいのですが、「中内は図々しい」と思われる人があるとは思いますが、ご容赦願います。何とか時間を捻出してみたいと思います。
 
  今年はその他、色々とチャレンジしたいと思います。本部で打ち出したものはすべて島根教区でこなして行くことができれば幸いです。
 島根にはとても優秀な信徒さんがたくさんおられるようです。その優秀さには私自身、いつもびっくりします。今年はどんな風にして私を驚かして下さるのでしょうか。とても楽しみです。

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 中内 英生

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January.01.2011「新年のご挨拶」

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January.01.2011「新年のご挨拶」

開けましてお目出度うございます。 

今年もどうぞよろしくお願い致します。

少し遅くなることもありますが、できるだけ毎日書かせて頂くように努力しております。

 私のブログをお読みいただくことで、少しでも総裁先生の御文章のご理解が進んでいただくことができますようにと考えまして、関連情報を掲載しております。

 あなた様にとりまして、少しでも総裁先生のブログ・御著書への入り口的な働きができれば、幸いこれに過ぎるものはございません。

 このブログは、本来島根教区の信徒様のために書かせていただいております関係上、対象者を島根教区の信徒様向けとしておりまして、島根教区以外の方にとりましては違和感があるかも知れませんがどうかご容赦願いたく存じます。

 中内 英生

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December,31,2010「感謝と讃嘆の言葉の効果」

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December,31,2010「感謝と讃嘆の言葉の効果」
今日の詩::元旦は 神社スーパー フル回転 正月気分 我が家にこそ  

 『新版 栄える生活365章』の151頁には、感謝語と讃嘆語の効果が書かれている。これは信仰を実践する人にとっては最高の方法である。『日時計日記』の記載はその最良の方法となる。御文章の内容を掻い摘んでご紹介したい。

 「ありがたい」「うれしい」「すばらしい」というような感謝と讃嘆の言葉と想念でもって、境遇や事件などに相対するならば必ずそれに相応しい状況が出てくる。
 そこに実際に、有り難い状況が展開してくる。「感謝し讃嘆する」心の力が作物に影響して、その作物を素晴らしくすることは、生長の家の信徒だけが実践して効果を上げていることではない。
 ユニティ教派の機関誌には、キャサリーン・スローワー女史が書いているという。
『自分の母親が邸内の花壇にある植物を常に讃美し、感謝しているのを見て、最初は変な習慣を持っていると考えていた。しかし、今ではそれは単なる習慣ではなく、実際に讃嘆と感謝の言葉が花壇の花を美しく咲かせるので、近所の人たちまでが、母親は「花作りの魔法の手」をもっていると言うようになったという。』花は讃嘆の言葉に感応するようです。

 また次には、「身体を讃嘆し感謝すれば健康となる」と書かれています。健康法には、食事による健康法や、運動による健康法など色々とありますが、ここでは心による健康法、特に讃嘆による健康法が書かれています。これは実に特記すべき事ではないでしょうか。
『讃嘆の言葉によってなぜ良きものが収穫されるかというと、讃嘆・感謝・感恩の感情は、心及び身体に内在する霊的エネルギーを解放して自由に活動しやすくするからだということのようです。
 讃嘆の言葉を通して、内部エネルギーを縛るものを解き放つ時、内部エネルギーが自由に活動して、肉体も精神も共に健全になるという。
 肉体は、霊魂の乗り物である。その肉体を常に感謝し、讃嘆する。私達はそれをやっていたであろうか。その讃嘆は、肉体の健康化に非常な力を持っている。
 ユニティ教派の教祖夫人であるマートル・フィルモアさんが、医術では治癒できない症状を、二年間にわたって自分の身体に感謝と讃嘆の言葉で話しかけた結果、その重大な病気が治癒してしまったという。病名はここには書かれていない。しかし、当時の医学では難しい病気だったと考えられる。
 讃嘆するとどうして讃嘆した結果となるかというと、「認めたものは現れる」という
心の法則がそこに実現したと考えられる。
 
  この聖典の234頁には、「人は災厄を拒否する権能をもつ」と書かれています。これはすごいことです。災害のような拒否できないものであっても拒否できるとはどのような意味でしょうか。神想観の実修をお勧めしております。如何なる災厄が起ころうとしても、その災厄が業因の世界にはらんでいようとも、神の子の権威を以て決然として拒否する時、如何なる災厄もあなたを襲うことは出来ないと書かれています。
 かつての新潟地震の時に、ある生長の家の信徒の奥さんは、聖経『甘露の法雨』の折り本を部屋に広げて、「神様、神様」と唱えた。その家では棚の物品が一つも墜落することはなかったという。近所の家では、棚の物品はことごとく墜落したのでした。
 それは奇蹟ではなく、その婦人が神の子の権威をもって災厄を拒否したからである、と御教示されております。
 聖典『新版 栄える生活365章』を拝読していただきたいと存じます。

【ビジネスマンが限界集落救う?】
 この項目を見た時、かつて谷口純子先生が、「限界集落」という言葉をお使いになっておられたことを思い出した。サンケイ新聞(平成22年11月1日)の記事である。
 過疎化などで高齢者が住民の半数以上を占める集落、それが「限界集落」というそうだが、企業人が手助けしようという取り組みが盛んになっているという。
 生長の家が森の中へ行った場合、このようなことも考えられるのだろうか、と色々と思いを巡らした。
 人手不足に悩む農村の繁忙期をビジネスマンが手助けしたり、共同であらたな事業を始めたり、都市と農村の共生に向けた取り組みの今後に注目が集まっているという。
 少しは参考になると思われるので抜粋してご紹介したい。全国61箇所で行われているようだ。
 10月8日朝に、大津市仰木の農村に製薬会社「アストラゼネカ」の社員約70名が集合したという。皆さんは、地元の「平尾里山棚田守り人の会」のメンバーと一緒に、獣のすみかとなる竹藪を整備したそうだ。伐採した竹を加工用の作業場に運んだり、イノシシの侵入を防ぐ竹柵を作ったりなどしている。

 昼時には、米の収穫量や獣害被害額などの地域の実情を学ぶクイズ大会も行われている。
同社は「高齢化する村を応援するプロジェクト」として、北海道から沖縄まで全国61か所に約3千人の社員を派遣している。青森ではリンゴの葉摘み作業、九州や四国では棚田の稲刈りと、人出を必要とする限界集落の作業を手伝ったとしている。
「地域のニーズに応じた作業を手伝うだけではなく、地域の人々と交流し、高齢化に悩む多くの農村を元気にしたい」とのことである。活動は今年で5年目であるようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%BC%E3%83%8D%E3%82%AB
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/101101/sty1011010810000-n1.htm

 他の作業も紹介されている。10月下旬に、東京・丸の内のオフィスビルでカブやサツマイモなどの野菜を売っていたのは「空と土プロジェクト」のメンバーであるという。プロジェクトは平成20年7月、三菱地所グループの「企業の社会的責任」活動として立ち上げている。「地域に支えられて、都市が成り立っている」との思いから、山梨県北杜市のNPO法人「えがおつなげて」と連携した。同市の限界集落である「増富地区」で、農林業体験ツアーなどを行っているとしている。
 最初は「よそ者が何しに来たんだろう」と思われたそうだ。しかし、回を重ねる毎に連携は深まった。「温泉を掘ろう」「育てている小麦用にピザ窯をつくろう」などの多くの提案が出るように、地域の人と都会の人が交流できるコミュニティハウスも、メンバーの手で現地で建設中であるという。
 「限界集落」という言葉は以前読んだことはある。しかし、谷口純子先生のお言葉がなかったら私の心に日本が抱えている問題としては入ってこなかったに違いない。この問題をどうするかであるが、生長の家の動きの中に解決の答えが必ずあるに違いないと考えられるのである。

【島根の皆様、日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。】
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・谷口純子先生のブログです。大変楽しいご内容です。
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・島根県教化部公式HP http://www.sni-shimane.com/  →「写メール俳句の世界」      http://www.sni-shimane.com/blog.php で見ることが出来ます。
・島根のブログ開設者へは、「各種リンク」から行き着けます。

感謝!!今年一年間、ご愛読下さいまして心より感謝申し上げます。このブログが、総裁先生のブログ、御著書への入り口となりますように願っております。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

中内 英生

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