« January.06.2011「自他一体の神示」 | トップページ | January.08.2011「真理は生活にあり」 »

January.07.2011「出雲出身の故有留弘泰氏」

Img085

January.07.2011「出雲出身の故有留弘泰氏」
今日の詩::良寛や 小さきことも 感謝する 日々の暮らしの 有り難きかな 

 『新版叡智の断片』という聖典を拝読していると、202頁に、出雲ご出身の故有留弘泰の記事が書かれていたので島根の皆様にご紹介したい。
 有留氏は戦争中、脊椎カリエスとリチャード氏病にかかって歩行不自由にまでなった。氏は、運命の逆転にもかかわらず、皆自分の心の影であるとして精進して回復したというのである。私は19歳の時だったが、本部会館で時々食事を共にさせて頂いた。その時に、お聞きした大本教時代の谷口雅春先生のことなど懐かしくお話し下さったことを記憶している。
  昭和17年夏、尼崎防衛部隊長を二年間勤めたが、様々な悪条件を、笑って処理するという心境に至っていなかったために、リチャード氏病と脊椎カリエスを併発した。遂に軍務処理ができなくなり、退隠したという。
 一時は一歩も歩めない状態にまでなっていた。信仰を深め、神の子の自覚を回復するに至ったところ、俄然好転した。働くこと、病気を忘れること、感謝することにより軍務に復帰したころに終戦となった。
 この体験に対して、204頁には、「病気を他に転嫁せず、自らの心を改めた時治ったのであるから、それよりも軽い病気が心を改めることによって治るのは当然である。病気を実相だと思ってはならない。健康なのが実相である。病気の中にいて、なお健康である実相を観ずるのを、入龍宮不可思議境界という」という内容が書かれている。
 
 私たちは、聖典を拝読するに当たり、何度読み返したかを反省すべきでありましょう。私の知人で既に個人であるが、かつて谷口雅春先生が地方に御巡錫にお出でになった時に、『余りにも聖典が次から次へと出版されるので、読み切れません。」と悩みを打ち明けた。すると、雅春先生は、『あなたは一度読めば良いかも知れないが、私は出版するまでに何度も読み返しているのです。時間がないので読めないとは何ですか。』というおしかりのお言葉を頂いたという。師と弟子とのほほえましい情景であると拝聴した。知人は、それから熱心に読み出した。聖典に於いて御文章が残っていると云うことは何と有り難いことでありましょうか。この聖典にしても、60年ほど経過している。それを拝読できることは誠にも有り難いことである。しかし、時代の流れと変化に応じてお書きになっておられるので、時代色があるのは当然である。従って、私たちは拝読するときに決して原理主義に陥ってはならないと考える。

 現代にも通用する御文章として解釈してお説き下さるのが現在の総裁先生である。現代の物施としては環境問題に取り組んでいるが、この聖典には環境問題は取り扱っていない。総裁先生のお言葉で宗教卵論というのがあるが、真髄の部分は変わらず説かれていく。しかし、周辺部分はその時代環境に応じて説き方が変わってくると云うのである。世界の善き宗教を見ても歴史的に伝播地へ伝道する教義の変化を見て取れる。しかし、それは周辺部分の変化に過ぎないとするのである。
 島根の皆様、大いに聖典を拝読致しましょう。

【アシカのカンジ君の笑顔】
千葉県の鴨川シーワールドのアシカが笑顔を振りまいていた。記念写真は一組300円だが、記念写真代を夏場は一日二万四千円稼ぐという。笑顔の写真を見て下さい。出雲練成会の笑いの練習で笑って戴いてもよいのではないかとも思います。
   http://www.asahi.com/national/update/0106/TKY201101060115.html

【満足感と幸福感はイクオールか?】
 プリンストン大のなカーネマン名誉教授らが45万人を電話調査したという。「高い年収で満足は買えるが、幸せは買えない」と結論したようだ。日々の幸せを感じる度合いは、年収7万5千ドル(620万円)ほどで頭打ちになるという。特に、現在は現金を持つことがなくカード決済が多いのである程度不自由しなければいくら持っていても余り関係がないようだ。
 幸せ者とは、小さな喜びを十分に味わえる人ということであろう。良寛さんは、1月7日が180年目の命日だったそうだ。この記事は、朝日新聞(2011/01/07)に出ていた。持つ量よりも、それから味わう質が幸福感につながると考えられる。
 また、五官の快楽は決して幸福感そのものではない。いくら美味しいものでも、食べ続けると栄養過多でカラダを壊してしまうだろう。美味の快楽は糖尿病やメタボなどにより、たちまち苦しみに変化する。感謝しつつ食事する時、適量を摂取して病気にならない体を獲得することが出来るのではなかろうか。
 食事の時にも一つ一つを言葉に出して、「この○○は美味しいね。」などと感謝する生活が宗教生活なのである。宗教生活、信仰生活をどこか別の所に求める必要はない。一挙手一投足のなかにこそ信仰が息づいている。口から発する、表情から発散する、念ずる思いから発するコトバが、「御心に適いますように、人を生かすことができますように」との祈りを通して表現される時、それは信仰生活となり宗教活動となると考えられるのである。
 今日も『日時計日記』を書かせていただくことが出来た。それは、真象を賛美するところの「生活上の賛美歌」であろう。この日時計日記記載運動を御提唱下さりご指導下さっておられる谷口純子先生に心から感謝申し上げる次第であります。

【自転車と人との接触】
 これは出雲でも体験することであるが、自転車に接触しそうになることである。しかも歩道においてだ。日本の自転車道行政の不備が問題視されるがなかなか解決しないようだ。アイルランドから来た女性から聞いたことがあるが、かの国は自転車道の整備が行き届いているという。
 朝日新聞(2011/01/07)には、その記事が出いていた。歩行者を巻き込む自転車事故は、10年間で約3、7倍に増加している。エコブームで二酸化炭素を出さないので地球には深切であるが、逆に人間には深切ではないようだ。また、「見た目がおしゃれ」というので、ブレーキをつけない違法自転車が公道を走っているという。危険運転となるようだ。夜間散歩に行くと、無灯火で自転車に乗っている人が多く、びっくりすることがある。自動車と同様にルールとマナーを守ることが大切でありましょう。自然だけでなく通行人である人にも親切を行いたいと思う。

【島根の皆様、日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。】
  http://masanobutaniguchi.com/

 中内 英生

|

« January.06.2011「自他一体の神示」 | トップページ | January.08.2011「真理は生活にあり」 »

真理小話」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。
有留弘康の孫の千恵と申します。

15年前に祖父の大調和を読んでいましても分からなかったことが、今では自然のお導きで、心の闇に寄り添い、本来の自分として生きていけば楽になれると仕事で健康についてお伝えしているよ今の自分の人生と同じ道を祖父も歩んでいたことに驚いています。

祖父を身近に感じれたとに感謝いたします。

有留千恵さまへ
驚きました。お孫さんですか。確か、有留先生は、出雲ではなかったでしょうか。私が19歳の頃、当時の原宿本部で移動の飛田給練成会が行われていた頃、ご一緒にお食事をさせていただいたり、大本教時代の,雅春先生のことやら、色々とお話をお伺いしたことを思い出します。お懐かしい限りです。どうぞ、お元気でお過ごし下さい。中内英生拝

投稿: 有留 千恵 | 2017年8月27日 (日) 22時47分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« January.06.2011「自他一体の神示」 | トップページ | January.08.2011「真理は生活にあり」 »