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2011年3月

March.30.2011「自然療能」

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March.30.2011「自然療能」
今日の詩::春めけば あっという間に 草生える

 自然療能という言葉がある。普通は身体の自然療能のことを言うことが多いと思う。『生命の實相』第20巻自伝篇11項には、自然療能のことがかかれている。何か悪いものがでても、それは悪いものを外に出してしまう生命の免疫力のことである。私たちは、熱は、黴菌が棲めなくなるために体温を高くする自然療能であると教えられている。『体温を高めると免疫力が高まる』との本もあるくらいである。
 『新講 甘露の法雨解釈』を何度か拝読したが、その中で田中大将のことが書かれている。病気療養中の田中大将が得体の知れない熱病に冒されて南方から帰ってこられた。そこにある有力な本部講師の方がその病室を訪れた時だった。「微熱が下がらないのです」。「それは黴菌を殺す働きですよ」「咳がするんです。」「それは痰で黴菌を外に出しているのです」「寝汗をかくのです。」「それは毛穴で皮膚呼吸ができるように、中から風呂に入っているようなものですよ。」

 それらの答えを聞いて、田中大将は大安心の境地に入ったのだった.「神様が自分の内から癒やして下さっている」という信仰だった。 症状は、やまいだれに正すとかかれている。症状とは病気を癒やす働きであるようだ。しかし、それを心底、信ずるかどうかということが、本当の癒やしに達するかどうかにかかっているのだろう。

 石川県にいた時、ロシアの船から大量の油が流出した。魚が大量に死んでしまった。海岸には重油がすごかった。しかし、金沢大学の研究が北国新聞に掲載されていたが、ある細菌が油を食糧として食べて分解することが分かった。それは自然界が持つところの自然療能機能ではなかろうか。それくらい、自然快復力はある。どんなに森林を伐採しても、500年間経てば森林は復活する。すこし期間が長いかなあ、とも思うが確かに復活する。この地球でももし、人類がいなくなれば、自然は急激に回復するのだろう。しかし、それでは困るので、自然界に譲るこころは大いに譲り、自然と人間との調和を図ることが喫緊の活動となるのである。
 役者さんは演技の練習も当然必要である。しかし、舞台そのものが古くなり穴が開いたり、汚れてきたりすると、その修復を急がなくてはならないのに似ているのであろう。舞台を大切にし、舞台をよく掃除しておくような役者さんでないと善い演技は期待できないということも言えるのかもしれない。

  何かを教えてくれているという意味では、あらゆるものは「観世音菩薩の教え」である。花粉症にしても、環境的には、お金を儲けるために、森林の多様性を失うような植樹は問題があるということを教えてくれているのではなかろうか。私の親戚の人が昔、「営林署」というところに勤めていた。ちょうどその頃、杉を全国に植えたのだった。今、その花粉が舞うのである。
 また、現代人は様々な薬品を使用した食物を食べている。一個では少ないが様々な食品にはごく微量の薬品が含まれているので、それが花粉に対する過剰反応を起こしやすくなるということも考えられる。これなどは、「食物は自然のままが一番良いよ」ということを教えてくれているのであろう。地産地消に防腐剤は要らない。遠くから運ぶので防腐剤が必要になるとも言える。だからこそ、身近な島根の自然の食物をもっともっと尊ぶことが必要ではなかろうか。

 『生命の實相』の総説篇の最初に、「生命の実相のそのままで円満なことを自覚すれば大生命の癒やす力が働いて神癒となる」と説かれている。奥底の心での自覚こそ、自然療能を最も現しやすくするのではなかろうかとも考えられる。
 鳥取の方からお聴きした話だが、海産物問屋を営んでいた父親が癌にかかった。医者から宣告された時には、呆然として、ふらふらになって帰ることができないくらいだったという。帰りにある神社で昔の「生長の家」という雑誌を貰った。その晩、寒い廊下でうなりながら、バケツ一杯の嘔吐物を吐いた。それきり治ったという。そして、彼は伝道を開始したとのことだった。自然療能のめざましい体験である。しかし、何よりも、まず奥底の心での「自性円満の自覚」が必要であるようだ。

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 中内 英生

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March.29.2011「百歳を超えても聖典拝読を」

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March.29.2011「百歳を超えてなお読む聖典のそのすさまじさ何にたとえん」
今日の詩::春風は 海の方より 山へ行く

百歳を超えて尚読む聖典の粘り強さは何にたとえん

 私の母親は、百歳を超えたが、ある時、会ってみると一所懸命に機関誌(今年の3月号)を拝読している。「ほー!すごいね。百歳超えて機関誌とは」というと、「なぜスゴイの?」と逆に聞き返されてしまった。
 「機関誌のどこが面白いの?」と聞くと、「谷口雅宣先生の御文章は、最初は難しかったけど、最近は慣れてしまった。それで今では雅宣先生の御文章を拝読することが好きになった」という。「谷口雅春先生、谷口清超先生の家にある聖典は全部よんだから」とも言う。
 母親の頭の柔らかさに驚いた。母親は地方講師でもあるが、現在はもう出講はしていない。しかし、その熱い思いはまだまだ冷めそうにもない。
百歳の母親が、40歳年下の総裁先生の御文章に感動する。
我が母ながら”すばらしい!”の一言につきる、と思わずにはおられなかった。

 私たちは、御三代にわたり正師を戴くことが出来たことを、我が人生におけるこの上なき幸運であると思う。生涯をかけてもっともっと聖典を拝読しなければ、もっともっと総裁先生の御著書を拝読して吾が肉となし、吾が骨となし、吾が骨髄としなければならないと、母親の姿を見て誓った次第である。

【オノ・ヨーコさんらNYで復興支援ライブ】
朝日新聞(2011/03/29)によると、東日本大震災の復興をNYで支援する一連のライブ「コンサート・フォー・ジャパン」が27日夜、始まったという。初日の27日にはコロンビア大学であった。一連のライブには、坂本龍一さんも出演するという。 
坂本龍一さんの戦場のメリークリスマスをご紹介します。   
http://www.youtube.com/watch?v=WZQYg0vjLxE&feature=related
これらのライブは、義援金を集めるのみならず人々の心を一つに結びつける。そして癒やしに繋がると思うとしている。
http://www.asahi.com/international/update/0328/TKY201103280524.html

【有森裕子さん】
 やはり、朝日新聞(2011/03/29)によると、有森裕子さんは、「苦難は力に変わる.信じて欲しい。私はいままでにないほどの時間を費やしてツイッターで世界中のランナー仲間に支援を呼びかけている」とのことです。世界中が心が一つになった進んでいるように思えます。
http://www.asahi.com/special/10005/OSK201103290064.html

【今ある日常は幸せと知る】
やはり、朝日新聞(2011/03/29)には、アパートが水没したが、津波の中で母と娘二人が生還した。そして、生きていたことへの感謝と、生きていること。温かい食事をすること。足を伸ばして練ること.隣に子供がいる。有り難う。と、感謝の言葉が書かれている。日時計主義みたいな書き方だが、地震発生から35分間のできごとだったようだ。
  http://www.asahi.com/national/update/0328/TKY201103280485.html

【東日本大震災】
生長の家国際本部は、「東日本大震災」被災者支援のため、宗教行および救援募金を実施しています。島根の皆様、ご協力をお願いします。
  http://www.jp.seicho-no-ie.org/news/sni_news_20110316.html

【僕たちは絶望する必要はない】
 親類が宮崎駿監督のもとで働いていた関係で、宮崎監督の言葉には力を感じた。「今の時代に応えるため、精いっぱい映画を作っていきたい。…残念なことに、私たちの文明はこの試練に耐えられない。これからどんな文明を作っていくのか、模索を始めなければならない。…今、あまり立派なことを言いたくないが、僕たちは絶望する必要はない。…僕はこの年齢(70)ですから、一歩も退くつもりはありません。…」
 もうすでに、前に進んでいる。スタジオジブリの鈴木氏もさまざまな支援計画を実施するようである。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw46264
【アンパンマンマーチ】
 被災地の皆様のためにアンパンマンマーチをお送りします。未来が必ず善くなることを信じてがんばりましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=BUGh-7Y5kZA

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 中内 英生

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March.28.2011「IT研修会」

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March.28.2011「IT研修会」
今日の詩::あちこちに 春の芽吹きや 心まで
(絵は、先日誌友会に行かせて戴いたが、参加者の人から俳画の絵手紙をいただいた。ひな人形である。)

 information technology、情報技術の研修会を島根県教化部で4月に行う。年4回の予定である。レベルは、どこまでかという設定でいろいろと検討された。目的は何か?ということが一番大切であると考えている。これは、総裁先生のブログの拝読である。ここから全てがはじまる。今日現在でお申し込みは6人だそうだ。指導員は、栄える会副会頭さんでインターネット講師になっているI氏と、パソコンに強い職員二人である。そのうち全くの初心者の地方講師さんがお一人おられた。70歳を過ぎてからの挑戦であるようだ。その意欲に充分にお応えさせていただきたいと思う。現在考えている作業の内容は次のようなものだろうか。

①総裁先生、白鳩会総裁先生のブログを拝読することができる。
②ポスチングジョイを見る。投稿できる。
③教化部の写メ拝を見る。または投稿できる。
④自分で描いた絵をスキャナーで撮り、投稿できる。
⑤スカイプを使うことが出来る。現在、5人?までは画像と音声で話すことが出来るようになった。大手の通信会社からテレビ会議用のシステムの売り出しがあったので、調べてみたが、吾が教区で使用可能な金額ではなかったようだ。
⑥動画を撮り、投稿できる。
⑦日時計主義のブログを開設する。インターネット講師となって、総裁先生のお説きになる方向を目指して「み教えの拡充と意見表明」が出来るようにする。現在、島根は、4名のインターネット講師がいるが、もっと充実したいと考えている。
⑧フェイスブックへの登録と、世界の友人達との国際平和信仰運動の協働ができるところまで行ければうれしい限りである。英語使用となる。翻訳機能で大体の意味は理解できるが、まだまだと言ったところだろうか。
 3月28日付での総裁先生のお書き込みは、「実相」の言葉の翻訳について述べておられます。英語の出来る方は、是非とも総裁先生の英語版ブログも拝読して戴きたいと思います。日本での講習会のことをお書きになったり、日本語ブログにはない視点での御文章があったりで、大変楽しい内容です。
 
 大体、これくらいできれば現在のところは十分ではないだろうか。島根では、ブログ開設者の情報交換会を原則として一ヶ月に一回行うことになっている。そうすることによって、インターネット講師としての本部の方針に沿うようにするためである。

  日経新聞(2011/03/26)では、日本IBMのことが書かれている。11日午後2時46分に襲った東日本大震災を、わずか4分後に、日本IBMで対策が始動したという。発生4分後に遠隔会議を開催した。1時間で被災地を含む全拠点の状況をほぼ把握した。一夜明けた12日には救援物資の補給体制を確保し、被災した顧客への対応を始めた。何がそれを可能にしたのか、ということが書かれている。仕事の内容は違うがスゴイと思う。これがITの世界なのであろう。

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 中内 英生

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March.27.2011「”平成23年度版光明島根”」

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  March.27.2011「”平成23年度版光明島根”」
今日の詩::アラレ降り 春浅けれど ツクシ生え

 平成23年版の年間予定表である『光明島根』ができあがった。いつもと違う点は、主に次の通りである。
①三正行についての項目を入れた。
②招神歌と光明思念の歌の歌譜を掲載した。
③基本的神想観と四無量心を行ずる神想観を掲載した。
④「自然エネルギーを活用して、二酸化炭素の排出を削減しましょう!」という項目を作って、具体的な活用策を提示している。
⑤「技能と芸術的感覚を生かした誌友会」に参加しましょう、という項目を絵入りで掲載している。

 その他は、ほぼ昨年と同じであるようだ。若草色の青年の雰囲気が漂う素晴らしい出来映えである。
  今日は、立教記念教区式典や法燈継承教区記念式典などさまざまな式典とともに、運動方針徹底の会議が行われた。

 来年度は、講習会がないので、絵手紙展やチャリテイコンサートが開催される。絵手紙は現在では、被災者の方々への応援メッセージを描く人が増えている。
 チャリテイコンサートも行う。聖歌隊が本格的な舞台で歌う歌声は、まさに天使の歌声とも思える。指導者の人はプロの音楽家であるので、指導力が抜群であるようだ。
 白鳩会では、午後お組織別会議で全支部の誌友会開催の状況を一目で分かるように、一覧表に書き出し、張り出していた。おそらく来年度は過去最高の開催率になるだろうと思われた。

 来月の地方講師研修会では教区内四ヶ所から発表する予定であるが、益田会場から発表予定のF地方講師の話によると、娘さんが東京のおられる。地震になったのでおさまった時点で自宅に帰った。すると、沢山ある聖典の中で、谷口清超先生の御著書が一冊だけ落ちていた。不思議に思ったが一応本棚に上げた。しかし、何か気になるので、その本を開いてみると、神戸の震災の事について詳しく書かれた御文章が掲載されていた。
 F地方講師は、御文章の内容の本筋はこのたび谷口雅宣先生が、「人と自然との大調和を観ずる祈り」の内容とほぼ同じだったので、大変驚いたという。F地方講師が発表する予定のテーマは、まさにこのテーマであったからである。

 各所で先祖供養祭が開催されるようになったが、そこから地方講師の受験者が今回も何人も受験されたようだ。地域で人が集まると、自然となごやかな雰囲気となり、どのようにすれば教勢が発展できるかが自然に話し合われる。また、真理をより一層深く知りたい、お伝えしたいという思いがつのってくるので、自然と受験をするようになるようだ。素晴らしい傾向であると思う。
 また、今日は何度も、震災のための祈りが行われた。四無量心を行ずることの大切さを深く教えられた一日であった。

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*教化部ホームページの絵手紙・絵封筒ギャラリーに、中高生見真会で描いた被災地応援絵手紙が掲載されています。http://www.sni-shimane.com/bbs.php

*私が二十代の頃から大好きなやなせたかしの歌、「勇気の歌」を被災地の皆様に送らせて戴きます。やなせたかしさんは、特攻隊で亡くなった弟さんを思い作詞されたそうです。震災で 戦後最大の危機に直面しているとも言われています。 明日への勇気と希望をもって心を一つにしてたくましく、立ち上がりたい。

http://www.youtube.com/watch?v=ofEjtwH7DrQ

 中内 英生

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March.26.2011「”原子力発電について(3)”を拝読して」

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March.26.2011「”原子力発電について(3)”を拝読して」
きょうの詩::待ち遠し 春のアラレの  空あおぎ
(今日は出雲ではアラレが降っています。それでも桜の木は蕾が膨らんでいるのでしょうか。次第に枯れ木色から赤い色が増えていっているようです。木次の桜を今年こそしっかりとみたいです。)

 ここでは「計画停電」のもとが書かれている。企業や商店などが行う節電によって、一時代前に帰ったとしておられます。デパートや飲食店のディスプレイ用の照明などの半減、閉店時間が早まったことなどによる。
 出雲では夜になると一般商店はほとんど客が来ないので閉店し、大手では○メタウンは9時半まで、○ャスコは10時までである。そしてある一定時刻が来ると照明を暗くしている。24時間営業は○ライアルとコンビニと大手の外食産業のようだ。
  全国の自動販売機で使用する電力は、原子力発電一基分であると聞いたことがある。ほとんど買わないように思える場所でも便宜を図って設置している。

 東京では飲食店では飾り棚の照明が暗くなっているが、中では客がいるという。照明を落としているのである。夜は暗い。東京には夜はない、と言われていたが、夜が帰って来たようである。人々は家に帰って家族で食事する。
 私も出雲に来させて戴いて、夜は家族で普通に食事するようになった。おそらく島根の大自然が私の心をそのようにしてくれたように思える。それは生活のリズムを作ることになる。朝は起きて祈りと先祖供養、家の食事を大切にして家族と食事をする。そして、神想観をして就寝する。極めてごく自然な信仰者の生活である。普通の生活の有り難さを島根の環境は教えてくれたと思う。

 東京での節電の生活は、「原発のない生活」であるという。原子力発電は、休むことがない。それがコストが安いという。溶鉱炉と同じであるようだ。だから原発を導入すれば、夜間電力という体系を生む。そして、電気の垂れ流しは必然となるという。利益の追求が、自然的利益(生物学的利益)を犠牲にする方向へ走ってきたとしておられます。これは、自然と密着した生理機構、体内時計やホルモン分泌のリズムは、それからの信号は右脳には伝わっても利益計算を得意とする左脳には伝わりにくいと言うことのようです。島根にも原発がある。20㌔㍍、30㌔㍍と計算すると、出雲市までには距離があるが、かなり関わりがでてくる人もあるのではなかろうか。

 夜がなくなることで、生理機能がかく乱される。生物の肉体が構成されて、何億年の昔から遺伝子として伝わってきた体内時計が狂うことになる。それが考え方や生理機構に影響を与えない筈はないと考えられる。
 体内時計を支配している、遺伝子の種別の特定など、NHKの「サイエンスゼロ」で見たことがあるが、絶妙のバランスをとっている。それが夜がない生活でかく乱されることになる。思考の不安定化を引き起こすとも予想されるのではなかろうか。
 それが、原発のない生活で昔に帰ってきているとのことです。

 医学の発達が、眠い、だるい、気分が優れない、疲れる、頭痛がする、肩が凝る、眠れない、起きられない、などの右脳や生理機構からの警告が、薬を飲むことによって黙らせることができるようになった。これは、経済的利益を優先させるためであるとしておられます。
 私自身も、会議の時に眠気が来るとコーヒーを飲むことがある。しかし、飲み過ぎは身体に良くないことになるのだが、一時的だがそれを必要とする。コーヒーを飲むことが習慣化することもあり得る。

 作家の小池真理子氏が24日の「言霊の祈り」で(日経新聞) で書いている。その紹介をしておられる。大意は次のようであると考えられる。
 「私たちは、凄まじく暴力的に前進し続けてきた。その繁栄は頂点に達したが、膨張は繰り返された。歪みが生じたが、誰も止めようとしなかった。津波はそうした全てを飲み込んで去った。
 私たちは、やさしさや勇気など、人間の本質的なものを取り戻さざるを得なくなっている。引きこもり、孤独、無縁、このような言葉が津波以後、過去のものとなった。地縁血縁を超えて連帯し始めた。この状態は、3月11日以前の日本と同じ国なのだろうか」と。
それくらい、変わった。そのことをブログ(2011/03/24)の第一節に「観世音菩薩の教え」、「貴重なレッスン」であるとの言葉で表現しておられます。
http://www.ikyu.com/magazine/cocolo/8/001.htm
http://www.sherimo.com/ashiato/ashiatotsumeatoyumenoato.htm(3月24日の所)

 福島原子力発電所の破壊は、壁に突き当たったことへの象徴である。そして、被災者のために、日本全国から支援の手をさしのべている。それは四無量心の実践である。第四番目の「捨徳」こそ左脳偏重の都会生活への執着を断つことであり、それを象徴する原発との決別であったと御教示しておられます。 

 支援は、さらに国際的に広がっている。豊かな国からも、スリランカなどアジアの貧しい国からも、日本から助けて貰ったとのご恩返しでの義援金であるとしている。「与えよ、さらば与えられん」の心の法則はここにも実現していると考えられる。
 谷口清超先生が、「仏教の教えは、悪いことをするな、善いことをせよ、ということである」とお説きになったが、まさにそれ以外に私たちの人生の於いて行うことはないとも言えるのではなかろうか。

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March.25.2011「ウサギの恩返し エピソード1」

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March.25.2011「ウサギの恩返し エピソード1」
今日の詩::恩返し ウサギ餅つき 炊き出しを

 昔のことですが、因幡の白ウサギは鰐(サメの古名)をだまして、海を渡ろうとした時、鰐に毛を抜かれてしまいました。そのあと、大国主命さまが白ウサギを助けたのです。
その後、ウサギは大変元気になりました。そして、段々と子孫が増えてきたのです。日本の国は、氷河期がおわり、次第に東北の方でも動物や人間も充分に住めるようになりました。
 その関係で、ウサギは北上していったのです。すると、すでに大国主命様の御子孫が東北にまで移り住んでいました。現在住んでいる人々はその御子孫です。しかし、まだ氷が溶けていない地域もあったのです。
白ウサギは、うかつにも氷河の割れ目に落ちてしまいました。
「助けてー」と叫びましたが、だれも来てくれません。もう駄目だろうかと諦めかけていた時、頭の上で、大国主命様のご子孫がのぞき込んでいるのです。
「どうしたのかね?ウサギ君」
「この氷河の割れ目に落ちて、私は死にそうなのです。助けて下さい。」
「よし、わかった」

そう言うと、御子孫は、手を伸ばして助けてくれました。ご先祖にも助けられ、御子孫にも助けられた白ウサギは、感謝の思いで一杯になりました。
その後、時代は過ぎ行きました。ある時、白ウサギが歩いていると、ものすごい地震が襲ってきたのです.マグニチュード9でした。家は倒れ、そして、大津波が押し寄せてきました。白ウサギは、とっさに山に登って難を免れました。しかし、山から見るとすごい被害です。
ウサギは考えました。二度にわたって助けられた私は何か恩返しができることはないだろうか、と。

 そこで、被災地に行って、「何か私にお手伝い出来ることはないでしょうか?」と尋ねました。すると、被災地の人々は、寒いのと食べ物がないのとで困っていました。ウサギは考えます。
進化学でいうとウサギはほ乳類です。そして、鳥は実は恐竜の子孫なのでした。でも、鳥の中で例外があったのです。それは、鵜と鷺です。鵜と鷺は実は進化の過程でウサギから別れていったまれに見る種であったのです。それで、古来から、「鵜鷺」と自然に呼ぶようになったのでした。

 ウサギは、余りの悲しみに泣いてばかりいました。それで目が赤くなったのです。ウサギは悲しんでばかりいてはいけないと考えて、自分の兄弟の鵜と鷺に頼みました。鵜には川の魚をとってきてほしいと。鷺には、お布団さえもなくなった人々に夜寝る時には布団代わりに側で眠るように頼みました。ウサギは一所懸命にお餅をついて被災者の皆様に食べて戴きました。ウサギ版の炊き出しでした。
 地震のあった当時に被災地にウサギと鵜と鷺が沢山いるように見えたのはそのような理由があったのでした。そうして、ウサギは立派に恩返しをすることができたのでした。ウサギは思いました。「それは私たちウサギにとっては当然のご恩返しの行為だ」と。

 島根の皆様、何らかの形でお世話になっている東北の皆様のために、今こそ御恩返しの救援活動をさせていただこうではありませんか。

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March.24.2011②「”森の3人組”に期待する、を拝読して」

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March.24.2011②「”森の3人組”に期待する、を拝読して」
今日の詩::菜の花や 炊事場に咲き 香るかな

 2011/03/22付の総裁先生のブログには、「森の3人組」という人々のことが書かれている。オークヴィレッジ代表の稲本氏、「アファンの森」設立者のC.W.ニコル氏、料理研究家の成澤由浩氏であるという。「人間と森との共存共栄」を目指しているようだ。
http://doraku.asahi.com/hito/runner/070104_02.html
http://www.afan.or.jp/index.html
ニコル氏はテレビで拝見したことがある。有名な人のようだ。
成澤氏は、有名な人であるようだが私は初めてである。
  http://blog.kagurazaka-plus.jp/
下記のアドレスは、味は分からないが、土のスープと水のサラダである。クリックしてみてください。
  http://blog.goo.ne.jp/asamimurata/e/ac8faa32df2be154671cd9bc7f0557f4

 3人の共同宣言書には、かつての高度成長からバブル経済へ向かったような方向ではなく、人と自然、人と人とが助け合う社会を目指すとしている。森の再生を通して、「持続可能な社会の創生」を行うとしている。
 今までは、例えば風呂を作るにしても、ガスや石油でないと作ることが出来ないように、社会全体の仕組みが作られていたのではないだろうか。
  日本には、国土の67%の森林がある。私の郷里はもっとも森林率が高いとされている。しかし、上記のような状況である。庭で木を燃すにも、消防署への届けが必要な時代である。化石資源や原子力をつかい、持続性が低い文明よりも今後は、地域密着型のエネルギー確保が必要なのであろう。
 これから数年の日本の変革は日本の将来を決めるとしている。そして、それが世界の新たな社会のあり方を提示することになる、と。
 3人の著名人の共同宣言は、生長の家が森の中へ行って実現しようとすることと同じ方向にある、と強く感じられたとブログには書かれている。

 原子力発電に関してはすでに世界各国での新たな設置を躊躇する動きが出ているようだ。また、私の親類がいる福島市では、電気はあるがガソリンがないので動きがとれないとのことであった。一気に、電気自動車へ傾斜する可能性があるかも知れない。
 
 NHKの説によると、ホモサピエンスがアフリカの森から世界各地に移動を開始してから、10万年経った。進化学によるとその名残が手に残っているという。ほんとかな?と思うが…。親指と小指を合わせてみると、手首の内側に筋が浮き出る。これが木にぶら下がっていた名残であるという。また、耳の内側に小さな山になっている部分がある。確かにある。これが10万年前?に、イヌのように外的が来るのを警戒して耳がピンと立っていた証であると。集団生活をしている間に、必要性がなくなり、退化してしまったようだ。???。
 いずれにしろ、ホモサピエンスはアフリカ中に広がっていた森林に住んでいたという。気候変動で森が少なくなり、森から森へ移動する必要性が生じて、歩くことを会得したようだ。
しかし、これらはすべて「説」であるが、森から出発したということにはある程度の信憑性があるのだろう。森に入ると人間は自然な心を回復すると考えられる。
 石見に、Sさんという女性地方講師がいらっしゃるが、本当に森の中の一軒家に住んでおられる。空気は綺麗だし、電気も来ているし生活は実に快適であるとのことだった。
  http://www17.ocn.ne.jp/~hanbasan/newpage4.html

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 中内 英生

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March.24.2011「"自然と人間の大調和を観ずる祈り"を拝読して④」

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March.24.2011「"自然と人間の大調和を観ずる祈り"を拝読して④」
今日の詩::再建と 支援の姿 尊けれ ことある毎に 絆は強く

(つづき)
 『現象において不幸にして災害の犠牲となった人々を、“神の怒り”に触れたなどと考えてはならない。神は完全なる実相極楽浄土の創造者であるから、「怒る」必要はどこにもない。人類が深い迷妄から覚醒できず、自然界を破壊し続けることで地球温暖化や気候変動を止められないとき、何かが契機となって人々を眠りから醒ます必要がある。麻薬の陶酔に頼って作品をつくり続ける芸術家には、自分の作品の欠陥が自覚されない。そんなとき、「この作品は間違っている!」と強く訴える人が現れるのである。そんな“内なる神の声”を1人や2人が叫び続けてもなお、多くの人々に伝わらないとき、それを集団による合唱で訴える役割が必要になる--「この作品は描き直し、造り直す必要がある!」と。現象の不幸を表した人々は、そんな尊い役割を果たしている。これらの人々こそ、我々の良心であり、“神の子”の本性の代弁者であり、観世音菩薩である。』

 「神は神罰を与え給わず」という「み教え」であると拝察申し上げます。「聖戦というものはない」という事でも、神様が造った実相世界は完全円満であり、戦争のない世界であるので、「聖戦」もありえないからです。
 『生命の実相』自伝篇によりますと、谷口雅春先生は、大本教に入信されて、神罰の神を信じ、ひたすら心が浄められることを願い、「行」を積んでおられたというのです。ある時に、水行を行い、毎日毎日身を浄めておられた、予定の日数が終わったので、翌日にご入浴されると、風邪を引かれたそうです。
 また、大本教は集団生活であったので、朝食の時はあとからお出でになっておられた。しかし、お味噌汁の鍋を掬ってみると、いつも固形物の中味がほとんど無いのです。雅春先生は、「人々はみんな自分だけが救われたいという利己主義の人々が集まっているのではないだろうか?そんなことでは神様の御心に適わないのでは無かろうか?」、と疑問を感じられるのです。ある時、味噌汁の中味が沢山残っている時があった。よくみると辛い菜っ葉だったそうです。
 雅春先生は、神罰の神を信じることが出来ず、大本教を去るのです。友人から、「あなたは神様を信じていて幸福ですか?」と聞かれて、幸福であると確信することが出来なかったのです。
 「神罰の神は本当の神ではない」として、『髪を審判く』という御著書を書かれました。その発売の日に関東大震災が起こったのです。その後、雅春先生はアメリカの光明思想に触れます。そして、「現象世界は人間の念の現すところであり、神の創造ではない」との結論に達します。しかし、その念を自分が支配することは不可能であると考えて行き詰まったのでした。
 ある日、正座して祈りを行っていた時、「色即是空」という言葉を思い出しました。そして、「物質はない」という言葉が魂に衝撃を与えたのです。そして、「物質はない」のだから、肉体はなく、脳髄で迷う心もなく、現象世界の不幸も神様の創造ではなかったという結論に到達するのです。そして、その時、「完全円満な神の御心とその展開である実相世界」だけが実在することを発見して、それを私たちにお伝え下さったのでした。
  現象世界は念の投影であるという、しかし、心の法則の奥に神様の慈悲と摂理があるとされております。
”現象の不幸を表した人々は、そんな尊い役割を果たしている。これらの人々こそ、我々の良心であり、“神の子”の本性の代弁者であり、観世音菩薩である”とお教え戴いております。この度の大災害に於きまして、そのことを肝に銘じつつ、再建と復興を遂げるべきでありましょう。
 厳しき現象の法則でありますが、次に進むべき、”自然と人間との大調和”のステップはすでに用意されているようでございます。

 『我らは今、この尊き観世音菩薩の教えを謙虚に聴き、心から感謝申し上げるとともに、神の創造(つく)り給いし世界の実相の表現に向かって、新たな決意をもって前進するのである。神さま、ありがとうございます。』

 観世音菩薩様の導きをお聴きして、さらに前進するのでございます。自分の子供が間違った道に進んでいる時、普通両親はその子をとがめようとします。しかし、生長の家に来ると、「生命の教育」を教えられると、「その子を観世音菩薩様のお導きの姿として拝みなさい」と教えられます。その子こそ、「家の悪業を消滅してくれている姿である。自己犠牲の姿を取ってまで、一家を導こうとしている。」。そう思った時、子供に対して申し訳なかった、という思いになり、導いてくれている子供に感謝が出来るようになるのです。「その感謝の念のうちにこそ汝は、吾が姿を見、わが救いを受けるであろう」との神示にありますように、次なる現象は感謝すべき善きことのみが現れてくるのです。
 私たちは、本部から示された祈りの文言を唱えつつ、聖経を読誦し、総裁先生からお示しいただきました、「自然と人間の大調和を観ずる祈り」を日々、拝読しつつ、救済支援と再建支援に協力させて戴きたいと存ずる次第であります。
 以上で、島根の皆様方に対して、自分なりに理解しているいることを書かせて頂きました。理解と表現が十分でない箇所があると思いますがご容赦願いたいと存じます。
 四回にわたりまして、お読み戴きまして、誠に有り難うございました。

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 中内 英生

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March.23.2011「"自然と人間の大調和を観ずる祈り"を拝読して③」

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March.23.2011「"自然と人間の大調和を観ずる祈り"を拝読して③」
今日の詩::おちらーと 安来の茶店 春の風

(つづき))
『多くの生物を絶滅させ、自然の与え合い、支え合いの仕組みを破壊しておいて、人間だけが永遠に繁栄することはありえない。生物種は互いに助け合い、補い合い、与え合っていて初めて繁栄するのが、大調和の世界の構図である。それを認めず、他の生物種を“道具”と見、あるいは“敵”と見、さらには“邪魔者”と見てきた人間が、本来安定的な世界を不安定に改変しているのである。その“失敗作品”から学ぶことが必要である。』

 ここにも「与えよさらば、与えられん」という心の法則が働いていると考えられる。絶滅させるものは、絶滅を受けることが予想される。与えるものは与えられる。そこには厳然たる法則が働いている。殺す者は殺されるとは、肉食に於いても言えるのではなかろうか。動物から殺されるわけではないが、戦争と肉食との関係もあるのかもしれない。逆に、自然を尊び、自然を大切にし、自然を愛する者に対して、自然界は人間を尊び、人間を大切にし、人間を愛するのでは無かろうか。
 生物種は複雑に生かし合っている。それは決して単純ではない。その事実を知れば知るほど、自然界の絶妙な調和の世界が見えてくるのではなかろうか。すなわち気候が正常となることが予測できる。
 私の友人でハエ博士がいる。彼は恐れ多くも、昭和天皇様に御進講申し上げたという。陛下から、「ハエは自然界でどのような役目をしているのですか?」という意味のご下問があられた。友人は、ハエの自然界に於ける役目を今まで考えたことがなかったという。その後、友人の研究によるとそれは自然界の掃除係であるようだ。如何なる生物でもこの世に存在する限り、必ずそれなりの役目・使命があるとお考えになっておられたのが昭和天皇様であられた、と友人から聞いたことがある。
 人間以外の他の生物種は決して、人間の道具でもなければ、敵でもなければ、邪魔者でもない。それを道具、敵、邪魔ものであると考えて対応することにより、安定している自然界を不安定にしていた、と言えるのではなかろうか。その結果できた世界は、神様から見れば、偽象である「失敗作品」であるとお教え戴いている。

『大地震は“神の怒り”にあらず、“観世音菩薩の教え”である。我々がいかに自然の与え合いの構図から恩恵を得てきたかが、それを失うことで実感させられる。我々がいかに人工の構築物を、田畑を、港を、道路を、送電線を、インターネットを築き上げても、自然界の精妙かつ膨大な仕組みとエネルギーを軽視し、蹂躙する愚を犯せば、文明生活は一瞬にして崩壊することを教えている。我々の本性である観世音菩薩は、「人間よもっと謙虚であれ」「自然の一部であることを自覚せよ」「自然と一体の自己を回復せよ」と教えているのである。』

 大地震は、神の怒りではない。観世音菩薩の教えである。自然界の与え合いの構図の恩恵を忘れてきたことを教えてくれるのである。人間がどんなに超偉大な人工のものを構築しても、自然界のエネルギーを軽視する時、そしてそれを蹂躙する愚を犯す時、文明は一瞬にして崩壊することを教えている。観世音菩薩様は私たちの本性のことである。そして、次のよう教えておられる。「人間よ、もっと謙虚であれ。自然の一部であることを自覚せよ。自然と一体の自己を回復せよ。」と。
 私は、子供の頃に手塚治虫の漫画を読んだ。その中で偉大な科学者が自然の猛威の中で科学が如何に無力であるかを知って、神に祈るのだった。その姿をみて、他の人が”何が神様だ!”と言って嘲り笑う。しかし、その科学者は超自然的な神を信ずるに至るのだった。漫画の題名は忘れたが、小学校時代に読んだその描写は鮮やかに自分の脳裏に蘇る。
(つづく)

【ドガ】
「日曜美術館」(月日不明)では、ドガを放映していた。ドガは踊り子を描いているが、その裏の世界を初めて知った。バレーは、イタリアで生まれ、フランスに移り、ロシアで完成されたようだ。「踊り」は最初は主ではなかったようだ。それがバレーとして開花する。ドガは、視力が落ちていった。従って、明るい外での絵画は難しくなったようだ。それで、室内に目をやり、踊り子を描くようになったらしい。それが成功した。
 ドガもまた膨大なデッサンを描いている。平山郁夫さんにしろ、ゴッホにしろ、ともかく数多く描く事にチャレンジした画家こそ、本物になっているようだ。
 「量は質を生む」のである。島根の皆様、おおいに努力しましょう。

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March.22.2011「"自然と人間の大調和を観ずる祈り"を拝読して②」

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(某タレントさんの顔ですが、恐れ多いことですので、誰を描いたのかは遠慮させていただきます。)

March.22.2011「"自然と人間の大調和を観ずる祈り"を拝読して②」
今日の詩::休日も 落ち着かぬなり 東北の 復興までは 同じ思いで
(私に何かできることはないだろうか、と思うばかりです。慰霊の聖経読誦と募金活動を進めさせていただきたいと思います。)

(つづき)
 『人間が自然を敵視すれば、その迷い心の反映として、自然の側から“敵”として扱われるような事態が現れてくるのである。人間が山を削り、森を切り倒し、川を堰き止め、湖や海を埋め立てて、人間だけの繁栄を画策しても、それは神の御心ではない。それは神が「はなはだ良い」と宣言された実相世界とは似ても似つかない“失敗作品”である。実相でないものは、必ず破壊と滅亡を迎える時が来る。それは偽象の崩壊であり、業の自壊である。』

 破壊と滅亡は偽象の崩壊であり、業の自壊であると説かれております。聖経『続々『甘露の法雨』91頁には、次のように説かれています。
『肉体に激変起るとも恐るることなかれ。高く建ちたる建物の壊くるときには、轟然たる響を発せん。その轟然たる響にも似たる病変は 高く建ちたる汝の過去の迷いの消ゆる響なり。迷いの建物低ければ激動少し、迷いの建物高ければ激動多し。されどこれらの病変を恐るることなかれ。壊くるものは汝自身に非ずして「迷い」なり。「迷い」壊くるとも本当の「汝」は壊けず、「迷い」苦しむとも本当の「汝」は苦しまざるなり。汝は神の子なり、仏身なり、金剛身なり、不壊身なり、無病身なり、常楽身なり。』
厳しいようですが、実相と現象とを峻別することを私たちは学ばせていただく必要があります。人間中心主義は自然と人間との位置関係にバランスが取れていないようです。
 自然を敵として観る、または支配するという考え方は、神の御心から見ると善き考え方ではないようです。山を削ることによって、それを沼地や池に埋め立てて土地を造成しても、水の上に浮かんだ建物のように地震に対しては極めて脆弱な状態になるようです。かつて、マンションを建てると言うことで土地の造成をしているのを見たことがありますが、掘ったところに水が沢山でるのです。そこは昔は、蓮池だったそうです。メキシコの地震などもその種類でありましょう。
 森の木を伐採することによって、生物多様性が失われて、動物が森を追われる。川をせき止めることでダムを造っても何らかの影響が出る。山の栄養分が海に流れないので、植物性プランクトンが少なくなり、動物性プランクトンがいなくなり、魚影を見かけなくなるのは、川をせき止めることによる影響であるようです。それは人間だけのために自然の状態を破壊することになるので、それだけでは神の御心にかなうということはないのでありましょう。

 『しかし、これを“神の怒り”ととらえてはならない。広大な農地を破壊しながら猛スピードで突き進む津波を見て、神が怒りに燃えて破壊を進めていると考えてはならない。神は山を崩して海を埋め立て給わず。海岸に農地を作り給わず。工場を造り給わず。空港も、原子力発電所も造り給わず。それらすべては、人間が自己利益を考えて、動植物の絶滅を顧みずに行った行為である。日本列島やニュージーランド周辺で地震が起こるのは、太古から繰り返されている地殻変動の一部であり、決して異常事態ではない。それが異常事態に見えるのは、人間の視野が狭く、考える時間軸が短く、自己中心的だからである。』

 しかし、「それは神の怒りではない」、と説かれております。津波は神の怒りではない。神様は、山を崩して海を埋め給わないのです。海岸に農地を作り給わないのです。工場を造り給わないのです。空港も、原子力発電所も作り給わないのです。それらは、人間が自己利益の故に、動植物を絶滅を顧みずに行った結果であります。
 海岸に農地を造れば、津波にさらわれる危険性はある。工場が海岸にあると積み出しに便利だが、いざという時の危険性はある。私は若い頃に、某県の海岸近くに生長の家道場があり、行ったことがあるが海の水が実に綺麗だった。しかし、15年後に行くと、湾岸工事でまったく濁っている状態だった。それは経済発展のために工事を行った結果なのでありましょう。また、海岸を埋めるのに、沖合の砂が使われることがある。掘った地域は海水温が下がり、生物が棲めなくなるようだ。それは海上から見ると変化はないが、海の底では死の海となっているようです。
  日本列島やニュージーランド周辺での地震は周期的に太古から繰り返されている自然現象であり、異常現象ではない。それを異常現象であると考えるのは、視野が狭く自己中心的であるからであると説かれております。
  科学の発達は、いかなる所にも家を建て、工場を建てることができるようになりました。しかし、自然の脅威は科学の発達を超える恐るべき力があるようです。自然界の法則を知り、かつ生かしながら生活する生き方こそ、人と自然との大調和の生き方でありましょう。
(つづく)

【画家 中川一政】
 この人の美術館が、石川県の白山市にある。ここで鑑賞するのが好きで時々行った記憶がある。「大器晩成」という魚の絵が気に入っていた。よく描けていると言うよりも、中川画伯の心の世界を見ているようなものだった。「日曜美術館」(2011/03/20)で放映していた。彼はすでに故人だが、白樺の武者小路実篤と親交があったようだ。お互いに影響し合った。油絵の具はそこで知ったようだ。素人でも描けると思って始めた。絵の先生に習わない方がかえって独創的になり、工夫をするということもあるのだろう。
彼は言う。「自分を一番表現できるのが絵だ」と。真鶴ではイーゼルを立てて20年間描いたようだ。油絵の具は素人用、初心者用で大体一セットで4~5万円で揃えることができるのだろうか。中川一政の絵は、悩み、考えている時、絵と絵描きとの間に距離感が感じられる。喜んでいる時、対象と共鳴し合っている時、絵に、対象物と鑑賞者との間に距離感を感じさせない。
 89歳で100号の大作を仕上げている。箱根の「駒ヶ岳」である。バラの絵にも挑戦している。なんと800枚。やはり数が勝負であると思う。「量が質を作る」というが、確かにそうだと思う。
 88歳の時に手形を記念に配った。「この手 われに仕えて 八十年」。この言葉が印象的だった。もう一つ、心に残った言葉は、「一枚一枚 ゼロから始めるのがプロである」という言葉であった。
http://talent.yahoo.co.jp/pf/detail/pp220115

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March.21.2011「"自然と人間の大調和を観ずる祈り"を拝読して①」

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March.21.2011「"自然と人間の大調和を観ずる祈り"を拝読して①」
今日の詩::中高生 絵手紙一枚 激励の 被災地めざし 祈り込め描く

 島根の皆様、有り難うございます。
総裁先生がお示しになられました上記の「祈り」を島根教区では、公式の場では3月18日の隠岐の島の先祖供養祭より祈りかつ朗読を始めました。このお祈りは私たちにとりましては特別の御文章であると拝察申し上げます。従いまして、僭越ではございますが、島根の皆様のために私なりの解釈をさせていただき、理解を深めていただければ幸いでございます。
『 』内は、祈りの原文です。

 『神の創造(つく)り給いし世界の実相は、自然と人間とが一体のものとして常に調和しているのである。自然は人間を支え、人間に表現手段を与え、人間に喜びを与えている。それに感謝し、人間は自然を愛で、自然を養い、豊かならしめているのである。両者のあいだに断絶はなく、両者のあいだに争いはなく、両者のあいだには区別さえもないのである。』

 実相の世界は、物質抜きの理念の世界です。実相金剛身の神示には、山もあれば川もある。動物もみな調和していると書かれています。自然は人間を支えるとは、植物から出る酸素によって、人間は生かされています。また、現象界に於いても植物を昆虫が食べ、昆虫を小動物が食べるなどして植物連鎖の中で人間が生かされている。人間が動植物の頂点に君臨しているのではなく、生かされているということを知らなければならない。さらに実相の世界に於いては、生かし合いの世界のみ存在するのです。

 『人間に表現手段を与えている肉体は、その周囲を構成する自然界と物質的成分は同一である。だから、人間は自然界から酸素を得て動力として、水を飲んで潤滑油とし、食物を摂取して肉体を維持・成長させることができるのである。これらの物質の流れ、分子や原子の循環の奥に、神の知恵と愛と生命を観ずるものは幸いである。物質は結果であり、神が原因である。すべての存在が渾然と調和し、支え合っているその実相を、神は「はなはだ良し」と宣言せられたのである。』

 肉体は神様の宮である。そしてその肉体を駆使して、神様の智慧と愛と生命を表現するのである。有機物は宇宙の天体に於いて発生したとの説がある。それが何らかの方法で地球に到来し、やがて身体を作るもととなったという。それが本当かどうかは分からない。いずれにせよ、自然界の植物などを元とした食物が人間の体内に入り、生かしている。
福岡伸一氏は、生物学者であり、青山学院大学教授であるが、専攻は分子生物学である。著書を読んでみると、食物の分子的な流れが緩やかに肉体の中を流れ、あたかも川のようになっていることが表現されている。そしてまた、現代の科学によって、それぞれの器官が有機的に連動して生かし合い、補い合っている絶妙な映像を見ることが出来る。肉体は小宇宙であるところの不可思議な世界である。

 『その実相を見ず、「個」が実在であり、世界の中心であると見るのは迷妄である。「個人の損得」を中心にすえるとき、人間は自然との大調和を見失うのである。自然界に不足を見出し、自然界を障害と見なし、自然界を自己の支配下に置こうとして、自然界の機構を自己目的に改変し、利用することは、愚かなことである。自然の一部を敵視して破壊することは、恥ずべきことである。それによって、人間は自然との一体感を失い、自然治癒力を含めた自然の恩恵を自ら減衰させ、生き甲斐さえも失うのである。』

 人間は、自然界において生かされている存在である。山に登る時、「登らせていただきます」と、山に向かってお願いし、感謝することが必要であろう。「○○山を征服した」などという言葉は、自然界の頂点にいるのが人間であるとの考え方である。そのような傲慢な考え方が、登山者の判断を狂わせるのではなかろうか。地球の内部はそのほとんどがマントルであり、どろどろに熱せられた液体である。マントルは移動する、流動するのでその表面にわずかに存在するプレートが動く。そのプレートの上で私たちは生かされているということを忘れてはならない。そのような人間が、自分は地球の主人公だと考えて、自然界を自分の利益のために改変したり、自然の一部を敵視するのは、本末転倒ではなかろうか。すでにそれは自然界との一体感を失った状態であろう。肉体が一つの生命体であるように、一ヶ所の痛みが全体に及び、やがて癒やす力が働いてくるように、自然界からの何らかの知らせがあると考えられる。しかし、それが無い場合は、自然との一体感を喪失している証拠であると考えられるのではなかろうか。
(続く)

【中華料理人 古田等さん】
 「プロフェッショナル」(2011/03/21)に岐阜の中華料理人が出ていた。常に工夫を重ねて、「まだ出来る。まだ先はある。もっと上がある」として、努力を続けている人であるようだ。道は違うが、常に創意と工夫を重ねる姿には学ぶべきものがあったと思う。
http://www.nhk.or.jp/professional/2011/0307/index.html

【長崎県立美術館】
「ミューズの微笑み」という番組が面白い。2011/03/13には長崎県立美術館を取材していた。須磨弥吉郎さんがスペイン美術を集めたのが展示されているという。エルグレコの「聖母戴冠」もあり、驚いた。須磨さんは外交官として、また美術収集家としてスペインにいたが、アメリカの原爆開発製造についての情報を得て、本国に何度も報告していたが、受け入れてもらえなかったという。情報はそれを扱う人によってその価値が決まるものらしい。情報には神の国の情報もある。この情報を私たちは、おおいに受け入れて価値あるものにしたいと思う。
http://www.nagasaki-np.co.jp/douga/20100424/03.shtml

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March.20.2011「原子力発電について(2011年3月19日)を拝読して」

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March.20.2011「原子力発電について(2011年3月19日)を拝読して」
今日の詩::ただ見れば 紅茶とパンの 一切れも 見詰め入る時 まわり被災地

 ジョギングに出かけられた先生は、心良さを感じておられたが、その心地よさに考え込んでしまわれたという。原子力発電所のことである。
 実は、先日の練成会の時に、私も知らず知らずのうちに考え込んでいたのだった。練成中に考え込んではいけないのだが、この大震災にどのように対処すべきかと言うことを考えていた。まず祈りの言葉を作って、みんなで聖経をあげようと思い、開始したところで、本部より、祈りの言葉や、聖経読誦のことなどが発せられたので安心したのだった。

 福島原発の事故とその強烈な放射能漏れを制御するために、生命の危険を冒して努力している人々、そして、「原発から半径30㌔の圏内は安全」であるという政府発表が信じられずに、東京に避難して来ている人々のことが書かれている。
 私も知人からの連絡によると、場所は相馬であるので、津波からは逃れられたが、今度は、放射能漏れで避難して来ていた。しかし、次第に放射能が広がるので、不安を隠しきれない。テレビを見ると浪江とか三春とかは時々行ったことがある場所である。そこが、残留放射能で人が住めなくなるかも知れない、とは考えられないことである。

 スリーマイル島の原発事故の経験があるアメリカ政府は、事故現場から半径80キロ圏内に住む米国人に避難勧告を出したようだ。日本政府よりも米国発表を信じた韓国、英国、オーストリア、ニュージーランド、メキシコなどは同様に、半径80キロ圏外への避難勧告をしたという。「それほど恐ろしいものを人類は造ってきた」のであると書かれている。
放射能は目に見えないし、遺伝子に影響を与えたりで、自分だけの問題に止まらない。多くの子孫に迷惑をかける危険性がある。それを承知で作り続けてきた。
 私は、熱い湯にカエルを入れると、カエルはびっくりして飛び逃げるが、ゆっくりと温度を上げると死ぬまで逃げようとしないという。カエルとこれまでの人間の考え方と行動を考えざるを得なかった。
 私自身何度か原発の見学に行った。そこで聞く言葉は、二酸化炭素を出さないので温暖化防止になる。そして安全である、という言葉だ。ある時、見学に行って、「事故的なことはありませんか?」、と質問したことがあった。回答者は、「ない」と明快に答えたが翌日の新聞には、その原発施設のの配管の亀裂の報道が新聞に出ていた。

 また、「こんな時には大学教授や現場責任者に話をさせてはいけない。彼らは事後の自分の立場を考えて、できるだけ価値判断を避けて発言する」と書かれている。
私も新聞を見る度に、「安全です」と有名大学の教授の言葉が掲載されているのが不思議でならない。混乱を避けるために、情報開示を避けているとしか思えない。
 ブログには、「混乱を避ける」ために、癌の告知をされずに、医師や家族を疑いながら死んでいく患者さんのことが書かれている。それは何の解決にもならない、と。

 事故現場から約45キロにある三春町にすむ僧侶の玄侑宗久氏の言葉を引用しておられる。最後に、原発の恩恵だけを喧伝するのではなく、リスクを十分知り、国民に開示すべきであること。政府の隠蔽体質は、言葉を換えると、国民不信ということであり、国民不信が政府不信を生んでいると言える、と説いておられます。

 被曝の危険性を侵してまで、企業や団体の第一線の方々は残って処理をしている。オバマ大統領はその勇敢な行動を評価している。一日も早く、原発事故の危険性がなくなることを祈るのみである。そして、再び、相馬や三春、浪江に行って見たいと思う。
 島根の信徒の皆様、出来る限り個人で、そして誌友会や集団で、聖経を読誦して解決を祈りましょう。

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March.19.2011「”韓国光明会からお見舞い来る”(2011/03/18)を拝読して」

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March.19.2011「”韓国光明会からお見舞い来る”(2011/03/18)を拝読して」
今日の詩::海外の 信仰の友 お見舞いを 真心に打たれ 決意固める

 韓国に於いて、生長の家の活動をしておられる「韓国光明思想普及会」の金廷熙会長さんから、東日本大震災に対するお見舞いのメールが総裁先生あてに届いたとのことである。
 会長さんの暖かいお心遣いに心から感謝の意を表しておられる。
また、「同じ信仰者として、一致協力して救援活動はもちろん、ますます魂の救済運動に邁進する決意を固めるものである」とご決意を書いておられます。

 「同じ信仰者として」というお言葉にありますように、信仰者として、韓国にありましても、東京におられましても、島根におりましても、一致協力して救援活動を行わせていただくことが、足並みをそろえる国際平和信仰運動であろうと拝察申し上げます。
 私たち島根の信徒にできる救済活動は、集団または個人での祈りと聖経読誦、それから募金であります。
 さらに、「ますます魂の救済活動に邁進する決意を固めるものである」とのお言葉です。私たち島根の信徒も総裁先生と共に、誌友会に、普及誌購読者の拡大に、日時計主義に実践にと、万全の体制で臨んで参りたいと存じます。

 韓国は、大邱において、金会長のお父上の金海龍初代会長さんには大変、お世話になりました。5回、練成会のお手伝いに行かせていただきまして、色々と学ばせていただいた記憶が蘇って参ります。
 
 今日は地方講師・光明実践委員研修会が開催されました。メイン会場は出雲の教化部でしたが、第4研修を松江道場から発表しました。技術的な問題がまだ残っているようですが、何とかできました。隠岐の島との通信もできましたので、来月までにもう少しテストを行いまして、益田会場、出雲会場、松江会場、隠岐の島会場の四会場で、島根の地方講師が一つとなって地方講師・光明実践委員研修会を行いたいと考えております。「大調和の心」が何よりも大切であります。

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March.19.2011「”日経新聞が日時計ニュース?”を拝読して」

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(平成23年3月19日(土)13時から13時25分まで、地方講師研修会にて祈りの言葉を唱えて、『甘露の法雨』を読誦させていただきました。)

March.19.2011「”日経新聞が日時計ニュース?”を拝読して」
(2011/02/16の分です。この日は書いていなかった。)

『東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り、わが心、神の無限の愛、仏の四無量心と一体となり、被災された方々の苦悩が除かれ楽が与えられ、自然との大調和のうちに復興が進められるよう祈念いたします。』

 機関誌『生長の家』(2011年3月号)には、「日経新聞が日時計ニュース?」という御文章が掲載されている。2011/01/14の総裁先生のブログからである。私も、その日、日経新聞のこの記事を読んで、驚いた一人である。生長の家では日時計主義を謳っている。その影響がすこしずつ効いてきているのかも知れないと密かに思ったことを記憶している。
 また、「イヌが人を噛んでもニュースにならないが、人がイヌを噛んだらニュースになる」との言葉があるが、日経はその逆を書いている.素晴らしいことだと思う。

 9頁には、結論として、大体次のような内容が書かれている。
「”日本の社会はどんどん悪くなっている”と言う人がいるが、それはメデイアの偏った情報を無批判に信じているか、政治的意図で書いていると考えた方がよい場合がある。勿論、日本社会は現状でよい、とは言わない。しかし、”良い点は良い”と言う勇気と冷静さを失ってはならない」と。

 良い点ばかり、すなわち真象を見つけるのを日時計主義という。確かに、暗い面や悪い面は目につきやすい。しかし、心の中のバランスとして、悪い面が偏って見えると良い面が見えにくくなるのも事実である。 
 グラスを使っての心理学の実験がある。グラスに見える時には人の顔は見えない。人の顔に意識を集中させると、グラスが見えにくい。両方見えるとどうなるだろうか。それは心が分裂状態になるかもしれない。従って、どちらかが見えるというのが正常なのであろう。
http://www.oak.dti.ne.jp/~xkana/psycho/intro/intro_53/

「創作物語」
 昔、あるところに恋愛をしている乙女がいたという。乙女はある若者を愛していたが、若者は周囲の人から余り頭脳が明晰ではないというので、バカにされていた。しかし、乙女は、「彼はきっと立派な人になる」、と信じていた。そして、若者が言う一言一句を、どんなことでもよく耳を傾けるようにしていた。
 若者も乙女を愛するようになった。ある寒い冬だった。若者は乙女の誕生日が冬だったことを思い出した。そして、貧乏であるので何もプレゼントできないが、美しい花畑に連れて行きたいと思った。その場所は春には綺麗な花で一杯になる場所だった。若者は言った。「君の誕生日に綺麗な花が咲いている山の上のお花畑に案内するよ」と。若者は冬に花が咲いているという空想にとりつかれていたのだった。そして、「その花園を乙女に見せたい」、という思いで一杯になっていたのだった。乙女は、その言葉を信じた。そして、自分の誕生日を待っていた。周囲の人々は、若者をバカにした。しかし、若者は、「きっと花が咲く」と信じた。乙女もそれを信じたのだった。
 とうとう誕生日が来た。若者が乙女を誘って山へ登った。すると寒いはずなのだが、不思議なことに、山の頂上に近づくほど温かくなっていくのだった。若者も乙女も不思議に思った。そして、頂上に登った時、山の広場一面にお花畑が広がっていたのだった。
 若者と乙女はそこで結婚の約束をしたのだった。そして、若者はその後、立派な人物になり、世の中のお役に立つことが出来たのだった。善き家庭を築き、善き妻、よい子供達にも恵まれて、家庭的にも幸福な人生を送ることができたという。めでたし、めでたし。
「信じる者は救われる」、ということでありましょうか。

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 中内 英生

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March.18.2011「使命感の高揚が菩薩力を高める」

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(写真は、隠岐の島の先祖供養祭の後で、被災された方々のために真心込めて聖経を拝読する白鳩さんたちです。下記の祈りの言葉を誦し、3月17日に総裁先生がご発表された「自然と人間の大調和を観ずる祈り」を拝読する時、その内容に私たちはただ感動するのみでした。この祈りのお言葉は、読みやすいように縦書きに書き換え、裏表に印刷しました。明日の地方講師研修会から使用できるように準備しました。全誌友会、全会員にお祈りしていただきたい総裁先生の祈りのお言葉です。)

March.18.2011「使命感の高揚が菩薩力を高める」
『東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り、わが心、神の無限の愛、仏の四無量心と一体となり、被災された方々の苦悩が除かれ楽が与えられ、自然との大調和のうちに復興が進められるよう祈念いたします。』

今日の詩::仕事終え 発つを見送る 隠岐の海

 今日で隠岐の島の仕事が終わったが、隠岐の島には、島前と島後がある。島前というところへ島後の信徒さんは行ったことがあるかとお聞きすると、余りないようだ。理由が良く分からないが、交流がないということらしい。
 しかし、残念ながら現在は島前には組織の支部はない。10年くらい前?には、誌友会があったのかもしれない。

 理由を考えてみると、必ずしも当たっていないかも知れないが、地方講師の方がいらっしゃらなかったのが一つの理由ではなかろうかと思った。地方講師は単なる公式の場で真理を説く資格をもった人というだけではないのだろう。島根の地方講師さんたちは地方講師になったあとも、地方講師研修会など公式の場での真理学習に励み、聖典読誦、神想観の実修、愛行とかなりの熱心な信仰生活を実践しておられる。生長の家の教義について、「極める」ことが最終目的としてあるところのマラソンランナーではなかろうか。

 しかも、地方講師は真理学習をして、教えだけを説いていればよいという訳ではない。必ず、各組織に所属しているので、他の信徒さんの模範となるような生き方、伝道の仕方が求められるのではなかろうか。 
 すべての地方講師の方々がそのように生活しておられるかどうかは別として、他の人に対して、道を伝えることが使命の中に入ってきた時には、当然のことながら、より一層、真理を勉強し、伝道のために宗教行を実践し、どのような人でも対応できるように努力すると思われる。従って、地方講師になると、急激に魂が成長するようになると考えられる。これはあくまで、「考えられる」ということであって、必ずそうなるということではない。それには、各自の努力が必要である。

 深く真理を知り、知れば当然のことながら、動き出さざるを得ない。「深く知らないから動き出さないのである」というのが私の持論だ。
 今日の話し合いで、「島前にまで真理伝道に行こうではないか」という話で落ち着いた。かなり時間がかかるだろう。しかし、そうなるのが真理伝道の必然性ではなかろうか。

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 中内 英生

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March.17.2011「解脱への道」

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March.17.2011「解脱への道」

『東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り、わが心、神の無限の愛、仏の四無量心と一体となり、被災された方々の苦悩が除かれ楽が与えられ、自然との大調和のうちに復興が進められるよう祈念いたします。』

今日の詩::震災の 冷え込み我も 身に染みる 体育館の テレビの画面
 
機関誌『生長の家』(2011年4月号)の10頁には、「解脱への道」として谷口清超先生の御文章が掲載されている。私が感動した御文章の大体の意味を書き出して見ます。他の人が拝読すると、別の箇所に感動するのでありましょう。

「脳と知性」
 真の知性も人格も脳髄の中にはない、とのことである。ある大学の医学部には、古来の有名人の脳味噌が保存されているそうだ。それらの人々の頭脳は超コンピュータだったが亡くなってからは余り意味がないのである。

「明暗の二途」
 善い行いをして、親交を深めることをお勧めになっている。たとえ、病気になり、仕事や受験で失敗した人も、魂を進歩向上させた人の失敗は実は成功である。人生には向上と下降の二つが用意されている。従って、ひたすら向上の途を歩むことである。

「エゴと努力」
 本当の吾を真我という。偽物のエゴを偽我という。発菩提心とか、人を救いたいという慈愛の心は、真実の我から出てきている。従って、真我の発露としての、無畏施の活動があると考えられる。

「解脱への道」
 人間の中に一切がある。人間が神であり、仏であり、久遠不滅なるものである。死は、人間が憎体であると考える限り、死刑執行の期日である。ところが死はない、と知る。人間は肉体ではなく、限定された生命ではなく、無限定の神性そのものでると知った時、初めて魂が解放され、解脱する。この状態を仏という。真の解放こそ、最高の幸福である。

 大体このような内容です。やはり人間は神の子であり、憎体ではないことを知ることが大切であるようです。神想観を実修いたしましょう。
 昔の座禅の修行をしていたお坊さんは、熱心な人がおられたようです。何枚も座布団が破れるくらい座禅を組んだというのです。私たちはそこまでは難しくとも、時間があれば祈り、神様との一体感を深めて参りたいものです。

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※平成23年3月17日(木)は、隠岐の島で伝道です。
中内 英生

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March.16.2011「唯摩経解釈②」

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March.16.2011「唯摩 経解釈②」

『東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り、わが心、神の無限の愛、仏の四無量心と一体となり、被災された方々の苦悩が除かれ楽が与えられ、自然との大調和のうちに復興が進められるよう祈念いたします。』

今日の詩::しずけさや 夜の港の 船過ぎる
(スーと通り過ぎました。)

 『唯摩経解釈』はしがき2頁4行目において結論的なことが書かれています。この度の震災に於きましても、信仰者として如何に生きるべきかが示されているようにも思います。内容をご紹介させていただきます。

「唯摩経」に説かれている不可思議神通の境涯とは?
①身に病いを現じながら、病い本来なきことを説破する。
②宏広無限の室に住む富豪でありながら、物質本来なきことを示す。
③無一物でありながら無尽蔵なることを示す。
④諸行なしと観じて、而も行法を以って衆生を教化する。
⑤法喜を以って妻と為す。
⑥空無を観じて、而も大悲を捨てない。
⑦座を立たずして、無辺の彼方にある衆香国を遊行する。
⑧無時間・無空間・無物質を行じながら、しかも、よく世諦を成就する。

 これだけ書かれております。どれ一つとってもすごいなあ、という感じです。その深遠な意味・内容に関しましては、550頁を拝読して体得していただかなければならないでしょう。しかし、私はこの聖典に遭遇し、魂の殻が破れた思いがした記憶が蘇って参ります。大いに拝読致そうではありませんか。

 5頁の6行目から9行目までの経文は重要であります。参集した人々の種類を述べていています。すなわち、生長の家にお集まりの人々、または教化部に集まってこられる人々と解釈すべきでありましょうか。はたまた読者である貴方様のことでありましょうか。

10行目の要約です。
 この説教聴聞に集まって来た人たちは広く多くの人に知られている知名の人ばかりが聴衆だというのです。
 かなり高級な信仰者、伝道者、幹部の集まりのようです。しかし、読者がこの聖典を拝読しておられることを考えますと、当然のこととして、読者もそのうちの一人であるとも考えられるのです。

6頁の3行目からの意味を要約します。
…これらの大衆は法城を護らんがために正法(仏法の正しい真理)を受け保って、獅子吼することの出来る人ばかりです。説法をする人の名前は、十方に聞こえて知らざる人なき著名の人たちであり、人からの要請がなくてもみずから進んで、悩める人の友となり、菩薩行に励む人たちばかりである、と。

 その次には素晴らしいことが書かれています。6頁の11行目からです。
「魔怨を降伏し」とあります。魔怨は、魔に怨敵を付属した語です。魔は我々に障げをなすものであるから怨敵です。
 魔というのは、梵語のマーラーの略語です。一切の善行・善業の障げをするものをひっくるめて「魔」というのです。
 魔は四つの魔があります。天魔は、天界または魔界にいる神秘的存在としての魔性の者です。
 ウン魔は五ウンのことです。(蓮華日宝王地観の”五ウン皆空と照見し一切の苦厄を度す”、の五ウンであるようです。うまく漢字変換ができません。悪しからず。)
 煩悩魔は、煩悩そのもののことです。
 死魔は、死そのもののことです。これらは私たちの修行の邪魔になるので、怨敵であり、魔怨です。しかし、これらの魔怨に誘惑されないで、こちらが支配者となるのが、「魔怨を降伏し」です。五ウンも煩悩も必要です。それに誘惑され支配されるからいけないので、こちらが支配者となればよいのです。
 そうすると、五ウンそのものが悟りの種となり、煩悩即菩提となります。「愛」でも正しい親子の愛情や、正しい夫婦愛は仏性の現れとなるのです。

 以上の内容は、7頁の2行目までです。拝読するだけで、深い真理が魂に入って参ります。ぜひ、この聖典を拝読されることを念願します。

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March.15.2011の分「肩こり」

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March.15.2011の分「肩こり」

『東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り、わが心、神の無限の愛、仏の四無量心と一体となり、被災された方々の苦悩が除かれ楽が与えられ、自然との大調和のうちに復興が進められるよう祈念いたします。』

今日の詩::雪降りて 東北思う 震災の 慰霊の読経 復興祈る
”平成23年3月17日(木)の今日は、すごい雪です。出雲はこれだけ寒いのだから、東北はもっと寒いと思います。”

 肩こりなどと言っている場合ではないのですが、先日、3月13日~15日の出雲練成会で参加者から、「肩が凝って頭痛がするほどだが、どうすれば解消できるか?」というご質問があった。肩が痛いくらいで死ぬわけではないかも知れないが、仕事が手につかないくらいだという。従って、私は次のようにお伝えさせていただいた。

 肩こりは以前、私自身も一時的に経験したことを記憶しています。今はまったくありません。
何か、現象的なことに集中しすぎている時に、心が停滞しますので、それで心に力が入り、肩にきていることが予想されます。集中と言うよりも、「ひっかかる」という感じでしょうか。
肩が凝っているのではなく、心がこっているのです。
血液の流れが遅くなっている時に、肩に凝りとして感じます。血液は流れることになっているので止まることはありません。一時的には、マッサージで解消されます。
心が停滞している対象物が何であるかは私には分かりませんが、意識を何かに集中することをやめて、別の方へ散らす必要があります。

 そのためには、リラックスできることを行うとか、楽しい話をするとかです。運動することも有効な方法です。それは、周囲の景色に心を向けるからです。自然の中で散歩することなども善いのではないでしょうか。
 しかし、生長の家で行うオーソドックスなやり方は、神想観や『生命の實相』を拝読することに専念することです。これは効きます。
  「肉体はある」という思いを捨てて、「肉体なし」の世界に入ることです。そして、完全円満、自由自在、神通自在、如意自在の自分の生命の実相を自覚することでありましょう。
 悟りとは何かと申しますと、「生命の自由自在性を自覚する」ことであるからです。
肩が凝っている如来様はいません。マッサージをしなければ生きていけないという神様もおられません。
 物事に引っかからないのが悟りです。如何でしょうか。しだいに、心がほぐれてきて、肩の凝りが取れてきたのではないでしょうか。根本的にほぐれるには、上記の神想観や聖典読誦をいたしましょう。

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March.14.2011「自然と人間の大調和を観ずる祈り」

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(写真は、3月17日の誌友会にて”「東日本大震災」被災者支援の宗教行”として聖経読誦を行っている隠岐の島の白鳩会の皆様です。)

March.14.2011「自然と人間の大調和を観ずる祈り」
今日の詩::隠岐の島 すでに解けたり 朝の雪

 島根の読者の皆様、有り難うございます。
2011年3月17日の日付で、総裁先生が「自然と人間の大調和を観ずる祈り」をご発表になられました。今日は木曜休日でございますが、職員が出勤し、この祈りを印刷して、明日からお出でになられる信徒様に配布できるようにしております。
 教化部で準備しております。松江道場でも用意する予定です。
 総裁先生は、書いておられます。
「読者から、今回の大震災について祈りの言葉がほしいとの要望が寄せられたので、以下、発表します。この祈りの言葉は、読者において自由に複製し、配布し、使ってくださって結構です」と。
 従いまして、インターネットがない人々にも総裁先生のお祈りのお言葉を神想観や誌友会にて祈ることができるように準備させていただきました。
 そうぞ、よろしくお願い致します。
 御文章そのものに関しましては、掲載は遠慮させていただきます。下記の総裁先生のブログでご確認下さい。
 〈平成23年3月17日(木)〉

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March.13.2011「”東日本大震災”被災者支援の宗教行の実施および救援募金」

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(写真は、誌友会にて「東日本大震災」被災者支援の宗教行として聖経読誦を行っている出雲市平田の白鳩会の皆様たちです。)

March.13.2011「”東日本大震災”被災者支援の宗教行の実施および救援募金」

 島根教区の神の子の皆様、有り難うございます。
 3月16日、本部から、「慰霊と支援として、宗教行(聖経読誦)と救援募金」に関する通達を入手しました。ちょうど、10時からの出雲市近郊での誌友会において被災地の皆様への聖経読誦が終了した時点でした。
 緊急を要することでありますので教化部事務局ですぐに第一線の幹部まで島根版のお知らせを作成し、午後五時過ぎには迅速に発送作業を終えることが出来ました。
 明日3月17日、午前中には、教区内全域の各組織の各所で被災された方々への聖経読誦と神想観、そして募金の受付が始まると思われます。
 島根の皆様は、文書に書かれている内容をよくお読みになり、行動していただきたいと存じます。
 祈りの文言がありますので、必ずその言葉をお唱えになり、宗教行を行っていただきたいと存じます。

「東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り、わが心、神の無限の愛、仏の四無量心と一体となり、被災された方々の苦悩が除かれ楽が与えられ、自然との大調和のうちに復興が進められるよう祈念いたします」。

 今日はこれにて終わらせていただきます。明日は早朝より、隠岐の島への伝道に出発となります。

 また、このブログのアクセスカウントが10万をようやく過ぎました。お読みくださっておられる方々に心より感謝申し上げます。今後とも、微力ながら総裁先生のお役に立たせていただければ、皆様のお役に立たせていただければ、幸いこれに過ぎるものはございません。

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March.12.2011「四無量心とは?」

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March.12.2011「四無量心とは?」
 謹んで震災のお見舞いを申し上げます。
今日の詩::春なれど 外は寒風 ゴウゴウと

 谷口雅春先生著『唯摩経解釈』173頁には、「四無量心」について書かれている。現代においては、人間に対してのみならず自然界に対して四無量心を行ずることが必要であることをお教えいただいている。

 慈悲喜捨の四つを四無量心という。「慈」は苦しみをなくしてあげる助けである。「悲」は、人の苦しみを自分にとってあげて、楽を与えることである。「喜」とは、人と共に、法を喜ぶ心である。人が喜んでいるのを見ると、うらやましく思うのは本当ではないとしておられます。
 「捨」とは愛憎の念を捨てる徳である。愛憎があるので、人間はそれに絡みつかれて苦しむ。腐れ縁は思い切って捨てることである。これで四無量心についての説明は終わっていますが、その他非常に参考になるお言葉があります。それをご紹介いたします。
 「神通」とは、神(タマシイ)の自由のことである。タマシイを自由にするためには、物質無の真理を体得しなければらないとしております。体得とは、単に科学的知見で理解すると云うことのみならず、「本当にそうである」と感じることでありましょう。谷口雅春先生が、『生命の實相』の自伝篇に於きまして、「物質はない」とその声はいった、とお書きになっておられるような悟りでありましょう。
 悟るということを主にしたならば、決して山に籠もる必要はないと書かれております。「解脱」は物質無の真理の体得から、物質に執着しなくなるということです。
「方便」とは相手の気根を見て、相手に応じて方便の方法を変えるのです。ご年配の初心者の人が来ている誌友会で、「物質無」の真理を科学的に難しく説くということをすると、「生長の家は難しい」と言って、次にお出でにならなくなるかも知れません。地方講師の方々の集まりで、小学生練成会で話しているような話をしても如何なものかと思います。すべて、真理は同じですが、相手に応じて説き方を変えるのです。
  そのように考えると、世間がそのまま道場となるというのです。
「四攝」とは、布施、愛語、利行、同事の四つです。
「愛語」とは、やさしき慈愛を含んだ言葉です。
「利行」とは、相手に利益を与える行いです。
「同事」とは、自分の姿を相手と同じ姿にして相手を助けることです。観世音菩薩様は、夜叉に対しては夜叉の姿を現し、バラモンに対してはバラモン身を現します。ですから、夜叉のような相手もまた、自分を救ってくれる姿であるとして拝ませていただくのです。
また、他に対しては、相手に話を合わせて、相手の話を受け入れつつ、真理をお伝えするのです。
 多くの真理の説法を「聴聞」するように、仕向けるのです。そして、聴聞した通りに実行する。どこにいてもそこが道場となります。
「伏心」というのは、邪なる姿を見て、それを調伏する心です。信仰者は和顔を旨としますが、また、「忍辱」として、よく耐えることが必要であるが、いやしくも真理にそむく説を立てる人に対しては、「破邪顕正」の剣を振るわなければならない、としておられます。
 島根の信徒も皆様、どうぞ、『唯摩経解釈』を拝読して、菩薩が市井に於いて生きる生き方を大いに学んでいただきたいと思います。
 今日は、平成23年3月16日(水)ですが、東北を中心とした地震の救済活動が行われています。福島市に住む私の親戚では、お米の他は何もないようです。水道もでません。急遽、今日は品物を送る予定です。こんな時こそ、み教えで学びました私たちは、菩薩行を被災地の皆様に対して実践する時です。私はテレビを正視できません。
 また今日は、急ぎ、島根の誌友会で祈りと聖経読誦をしていただくように話し合いたいと思っています。

【首都圏の水事情】
これは飲み水のことではない。少し古いが、2010/09/04のNHK番組で、都市部では必然的に内水が氾濫することを証明していた。原因は下水道にあるという。一時間に50ミリの雨なら対処できるように都市部の下水は造られているという。従って、最近多くなっている急激な降雨には対処できずに、道に溢れて道そのものが川のようになる現象が起こる。これは自然の成り行きなのであろう。
 川を埋めて宅地にしている場所もあるという。そこに下水管を埋めている。宮崎駿さんのアニメの「千と千尋の神隠し」で埋められたコハク川の主である男の子「ニギハヤミコハクヌシ」という名前を思い出す。
http://www.veoh.com/browse/videos/category/entertainment/watch/v6426892qTsfEd6J
http://www.youtube.com/watch?v=vQFl3i0RbBE
そのような川があったような所を埋め立てているので、雨が降ればそこが川のようになるのだという。アスファルトで覆い隠し、土をもって家を建てても基本は変わらないようだ。
 そして、地下にエリアを広げたことで、リスクが増大した。東京ではかなり深いところを地下鉄が通っているのではなかろうか。何もない時はよい。しかし、強烈な地震や大増水の時の対策はあまり為されていないようである。そこに問題があると指摘している。
 昭和22年に到来した犬吠埼の台風は三日間で320ミリを記録したそうだ。そのような雨をもたらす台風が今後増える事はあっても減ることはないだろう。そういう事態になったときの利根川への対応策はほとんどなされていないという。
 東京の荒川区のことも説明していた。ここは海抜ゼロ㍍地帯があるという。そこに雨が注ぎ込んだ場合、広域避難となるが、対応しきれないと関係者は語っていた。
 無理な宅地造成などがいつかは破綻するということだろうか。この度の地震と津波で知った自然災害の脅威は予想をはるかに上回っている。
 何事においても自然を痛みつけることなく、拝みながら使わせていただくという姿勢が大切ではなかろうかと思う次第である。

【言葉の起源】
 2010年9月7日の「爆笑学問」では、理化学研究所の岡ノ谷一夫さんが言葉と感情について研究していた。言語の起源は「歌」ではないかというのがこの人の説である。そうかも知れない。アフリカの珍獣を実験に使っていた。ハダカデバネズミという毛のない出っ歯のネズミだった。そのネズミの声の出し方で言葉を研究しているのだという。いつから人間は言葉を使い始めたのだろうか。
 いわゆるネアンデルタール人的な口の構造の頃は、食べることを主体に口そのものが使われていた。しかし、柔らかい食物を食べるようになると、口が退化した。退化したことにより、喉が長くなってしまった。そうすると、今まで声を出すことが極めて困難であったのが、声、発音が容易になったようだ。それにより、さまざまな音声により言葉を話せるようになったと、かつてのNHKの番組で説明していた。声帯を失った人が、バイブレーターを喉に当てることで言葉を出していることがあるが、喉の声帯の振動により空気が振動されて、それが音声として発せられる。情報交換が行われる。すごい仕組みではなかろうか。

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【島根教区の写メール俳句の世界】私の写俳はここに投稿しています。 http://www.sni-shimane.com/blog.php
【光明島根人の絵ッコーナー】http://www.sni-shimane.com/album.php?CatID=16

 中内 英生

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March.11.2011「レイトカマー」

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March.11.2011「レイトカマー」
今日の詩::まんさくの 黄色き花は 龍のヒゲ

 機関誌『生長の家』(2010/11月号)15頁には、谷口純子先生の「恵味な日々」がご掲載されている。
その中で、『持続可能な社会をめざす』名倉幸次郎著(白水社)、『自然農法 わら一本の革命』福島正信著(春秋社)の二冊をお求めになったことが書かれている。読書家とはお聞きしていたが、すごい読書量であると思う。私たちは、聖典読誦が必須であるが、時間のとれる人はご紹介された本にもチャレンジしたと思う。

 谷口純子先生は、書いておられます。
炭素ゼロの生き方を目指して、森の中へ移転する。それは社会の流れの中では一般的ではない。しかし、近頃お読みになっておられる本から、私たちが目指しているような生き方を、30年も40年もまえからしている人が多くいることを知ることになったようです。 生長の家を「フロントランナー」と自称していたが、最近はつくづく、「レイトカマー」(遅れて来た人)の思いが強いとのことです。
 多くの先輩がいるので、それらの人々から学び、私たちのスタイルを生み出して行かなければならないとしておられます。

 私は、谷口純子先生の常に謙虚に学ぼうとしておられる御姿勢にいつも感動と尊敬の念を禁じ得ないのです。
 私たち島根の信徒も、総裁先生より、そして谷口純子先生より大いに学ばせて戴きたいと存じます。

【パーソナル衛星】
 中須賀真一さんと云われる航空宇宙工学の人が、「爆笑学問」にでておられた。この番組に出てこられる科学者の皆様はみな、明るい性格の持ち主のようだ。この人もそうであった。超小型の人工衛星を造ったりしている。普通は、300億から800億円の予算で造る。しかし、中須賀さんは、300万円くらいで造るという。車一台分だろうか。
 
 手作り感がなんともいえない。アポロが飛んだ時、8歳だったそうだ。地球に生還する時、15度の角度で入ってくる。もし角度が深ければ燃える。浅ければはじかれる。それは空気の抵抗があるからである。それを実現できる科学のすごさを語っていた。
 アメリカはSF作家を宇宙工学の顧問に置いているそうだ。アーサー・C・クラークさんとか、アバターの監督とかである。なぜかというと、彼等はさまざまな先進的なアイデアを持ているからだという。日本はそれらのアイデアを技術に結びつける力があまり強くないようだ。アメリカにはあるということだろう。従って、同種でない仕事をしている人との情報交換が新しいものを生み出すことになる。

 人工衛星がいかに魅力があるかを語っていた。将来は一人一人工衛星を持つ時代が確実に来るとのことである。今私が使っているパソコンも自分用の一台である。それと同じように、宇宙に自分の人工衛星を飛ばしてパソコンから操作するのだろうか。夢がある話だった。
 学生に、「君は彼女を取るか、人工衛星の研究を取るか?」との質問をすると、80パーセントは、人工衛星を取るという。この話を聞いて、素晴らしいと思う反面、少し心配な気持ちも起こってきた。迷いかもしれないが、優秀な人ほど、跡継ぎを育てて欲しい思うからである。

【星野道夫さん】
 この人は写真家だが、すでに故人である。1952年~1996年まで生きておられた。「生命の不思議」とする、2010年9月ころのNHKの番組である。彼の物語は何度か見た。カリブーのことが非常に印象的だ。アラスカにご縁があった。
 写真を撮り続けて、「生きていることの不思議」を感じた。自然との対話すること。彼等のいのちを通して、自分の生命を見詰めているとする作品群である。
友人だった写真家の今森光彦さんが語っていた。今森さんは里山について写真集を出している。善き友人であり、善きライバルでもあったのだろう。

 星野さんは、20歳の学生のころ、アラスカに住んだ。アラスカをより深く知るために写真家の道を選んだとしている.写真家になるためにアラスカへ行ったのではないことを知って、私は驚いた。自然と人間とのかかわりがあった。
 写真の中にグリズリー(熊の一種)がいた。しかし、星野さんはグリズリーを撮すと云うよりもその周辺の植生を含めて撮したかったようだ。そのつもりだったが、動物写真家として評価された。それは星野さんの思いに反することだったようだ。動物だけが生きているのではない。それは全てとの関連で生きている。人間もそれだけで生きているのではない。自然との関わりで生きている。そのことへの認識は大切である。
 カリブーは1000㌔㍍にわたって、10万頭群れをなすという。すごいことだ。以前、星野さんの番組でカリブーを見たが凄まじい勢いだった。
 星野さんはなぜ、多様な生き物がこの地に住むことが出来るのか?生命の多様性、生物の多様性というものを考えていたようだ。星野さんは、最初のころは、森、氷河、鯨と云ったようなものを撮った。そして原住民の中へ入っていき、神話を聞き取るようになったという。
 星野さんの口癖は、『まだ、何もしてない』だった。今からやることがいっぱいある。作品は目的地に到達するための途中で排出される排出物のようなものだ。他者を見る。他者を撮す。しかし、他者を通して自分を見詰めているのだから、最後は自分である、という。
 星野さんは、先住民との付き合いの中で先住民と自分との共通性を感じることになる。「循環する生命」、生物多様性とはそのようなものなのであろう。

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(平成23年3月15日、今日で出雲練成会が終了する。)
 中内 英生

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March.10.2011「家庭を天国としよう」

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March.10.2011「家庭を天国としよう」
謹んで震災のお見舞いを申し上げます。
今日の詩::春一つ 庭の片隅 白い花

 機関誌『生長の家』(平成22年5月号)2頁から3頁には、「あなたの家に天国を造りましょう」という谷口雅春先生の御文章が掲載されている。
「日常生活に神の智慧の導きを受けよ」とお教え戴いている。心を空しくして、「神の叡智われに流れ入り給うて吾を導き給う」と念ずるように教えられている。それはなぜか、元々導きは自分の中にあるからである。他からの導きではなく本来導かれているということが原点にある。すなわち、…。
 
 原子のような極微精緻な構造を造り、人体の生理作用のみならず、人体を造っている周到きわまりなき神智が自分に宿っている。日常生活がその叡智に導かれることをこそ願うべきであるとしている。従って、上記の祈りを行うことになるのである。これは無我の境地の祈りである。

 次に、「闘争は常にあなたの圏外に立つ」とお教え戴いている。自然の成り行きとして、神の叡智に導かれて今日一日を平安に生活するならば、自分の周囲に平和の雰囲気を放散することになる。次に法則が働く。それは、「類は朋を呼ぶ」という心の法則である。そうすると周囲には平和が訪れてきて、心も生活も平和となる。そうなると神様の祝福を一層多く受像することになる。そして、具体的に「栄える」ことになるのであるとお教え戴いている。
 この栄え方は、永続性があると考えられる。長寿企業というのがある。勿論、日本が最多であるが、古くは聖徳太子から鐘の製造の御注文を受けた会社まである。長寿企業が多い条件とは何か?それは、国が戦争が少なく、平和で安泰であることだと聞いた。平和で生き生きと働くことができることが何よりも素晴らしいことではないだろうか。

 最後に、「あなたの家に天国を造りましょう」という内容になっている。
心が平和であると、人体内のホルモンの平衡が得られる。血液は清らかとなる。消化、吸収、同化、循環、排泄、などなど様々な生理機能は順調であり、それらが完全に行われて健康が持続できると云うことになる。
 出雲の練成会には、さまざまな方々がお出でになる。その中には、鬱病の人がくることがある。いわゆる、「うつ」というのだそうだ。いつから、なぜそうなったのかをよくよくお聞きすると、鬱になる前に、心配事があったり、男性であれば、ストレスのある仕事を長期間または長時間、継続した後に突然となるというケースがあるようだ。これは、アドレナリンの分泌に関係するのではなかろうかとも考えられる。
 私はそのような人に、①実相は完全であり健康であること、②生き方を変えること、すなわちこれ以上は難しいと感じたら手を休めるとか、リラックスするとか、(一番善いのは、神想観や聖典読誦だが…)、ストレスをためない生き方ができるようにすることをお勧めする。その中でも、③感謝の心を持つことが非常に大切であるようだ。感謝の心がないと、いくらがんばって現在の状況からの脱出を試みても善くならない場合が多いと思う。④感謝の中で一番大切なのは、自分がこの世に生まれる元となった父母への感謝が基本であることは言うまでもない。そして、配偶者への感謝である。
 だいたい、以上のようなことを練成会や誌友会などで学び実行すると次第によくなっていくと考えられる。しかしお世話をする人には、「根気」が必要である。根気すなわち愛であろう。(この御文章は、谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』195~197頁に書かれている。ぜひ拝読下さい。私見ですが、この聖典は、365章シリーズの完成版とでもいえそうな内容です。)

【辻口博一氏】
 この人は、「仕事学のすすめ」(2011/02/17)に出ていた。世界一の洋菓子職人である。「自分の目で盗んで勉強しろ」という流儀である。休みの日も、他店に出かけてその内容を学ぼうとする姿勢には感服した。いわゆる、パテシエという仕事だ。朝起き出す時間は途方もなく早い。修業時代には、365日のうち、300日は練習したという。そして30歳で世界の頂点に立った。
 何と、この人は石川県七尾のご出身だった。長谷川等伯が生まれたところだ。保守的な風土の街だが、そこから出発したという。父親が和菓子職人だった。七尾は能登の中心地というか、金沢への足場というか、そんな所である。仕事でよく行かせて戴いた。
 彼の実家の和菓子店が倒産した。お母さんは、辻口さんが郷里に残ることを望んだが、彼は洋菓子店を出したいと思って修行に出る。お菓子店巡りを盛んに行った。
確実に仕事をこなすこと、仕事量の多さがポイントとなる。辻口さんの話を聞いていて、良い仕事ができるようになるには、やはり量をこなさないといけないことを私は痛感した。量が質を生むからだ。
 
 銀座でデザイン感覚を磨いた。目で見て肌で感じる。洋菓子でなくてもよい。何であれ、デザインがよいものを自分の感覚に入れるという。それが自分の洋菓子造りに生かされる。18歳から19歳のころの修業時代、洋菓子店巡りをしている時に、シュークリームを食べるとオーナーと話し込んだという。シュークリームの味で、大方のその店の味がわかるのだろうか。
 何度か挑戦したコンクールですんなり勝利したわけでもあるまい。彼は、悔しさが大切であり、それがバネになるとしている。しかし、勿論、一所懸命やらないと、大切な「悔しさ」は出てこない。悔しいと思うと必ず、今まで以上の無限力を発揮するようになる。それが大切なことではなかろうか。

【堤幸彦さん】
 この人は監督さん兼演出家である。(2011/03/10)の「仕事学のすすめ」?に出ていた。「自分の特技が身を助ける」とのことだった。「自分のラッキョウの芯を持て」というのが持論であるようだ。彼はいろいろとやってみたが、若い頃、ロック音楽だけは得意だったようだ。その自信が次のステップを踏ませることになる。職探しをしていた時、「放送専門学校」のパンフレットを見た。その道を歩んでいた時、「秋元康さん」という人に出会った。それが堤さんの生き方の転機となる。秋元さんは何でもプラスに考えて行動する人物で、絶対に、「手を抜かない」という人だそうだ。秋元さんは現役である。
 人との出会いが人生を変える。そういう人に巡り会いたいし、また自分もそのような人物になりたいものである。

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 中内 英生

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March.09.2011「東北地方太平洋沖地震の被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます」

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March.09.2011「東北地方太平洋沖地震の被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます」

 今日のブログは、平成23年4月号の『大和島根』に掲載予定の文章です。ブログの読者の皆様には前もってお知らせ致します。今日のは、申し訳ございませんが、時期が時期だけに日時計主義だけではなく、やや現状分析と反省の思いの内容となっております。

  【東北地方太平洋沖地震の被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます】

  神の子の皆様、有り難うございます。

 去る、3月11日、東北を中心にして巨大地震が発生しました。この原稿を書いている時点で、まだ安否が確認されていない方々が多数おられます。心よりお見舞い申し上げます。
 私の知人も福島や宮城などに在住しており、ただ祈るのみです。また原発の放射能から避難して来た知人もおります。
 島根の皆様には3月12日から、島根版の「人々の安全確保と復興の祈り」を書面で配布させていただきましたので、既に祈りを開始しておられると思いますが、重ねてお願い申し上げます。

 英語版フェイスブックでは地震・津波発生後、総裁先生はすぐにお書き込みをなされ、世界に向けて発信しておられます。島根では、まずは祈らせて戴こうと、すぐに祈りの言葉を作り、3月12日から祈らせて戴いております。
 現時点では、まだ被害の全貌は分からない状況ですが、分かり次第、本部の指導にしたがい、行動して参りたいと存じます。ご協力をお願い申し上げます。

 今回の地震で、原子力発電の是非がより一層理解できたように思います。このような災害や事故でさえ、観世音菩薩様より何かを教えてくれているとして、次なる行動をよりよいものにしていかなければなりません。
 原子力発電は、二酸化炭素排出がないということで推奨されています。しかし、私たちは、残留の放射性物質の処理は次世代倫理にもとるものとして反対をしております。すなわち、地下深くガラスの容器に密閉して保管するのですが、1000年間は安全であるとしても、1001年目では安全ではありません。その途中で、地震で地盤に亀裂が入り、容器が破壊されて放射性物質が放出される危険性もあるのではないかと危惧します。
 また、今回のように地震によって、予期せぬできごとが起きて爆発すると云うことになった場合、まったく対処できない状況になるようです。目に見えない放射能が飛んできてもご本人には分かりません。そして、それが遺伝子への影響を与えるとしたら、便利快適な生活の希求が取り返しのつかない結果を招くという事態になりかねません。深く考えなくてはならないことではないでしょうか。

 この度の地震の形式は、典型的な太平洋プレートの沈み込みから発生した地震であったようです。これは、仕組みが既にわかっており、自然現象であると考えられます。しかし、地震の強さにしましても津波の高さにしましても、余りにも想定外であったようです。
 耐震構造の建物にしても、震度が9を超える地震でどれだけ持ちこたえられるのでしょうか。地震は地球のくしゃみのようなものであると表現した人もあります。今後も地震は必然的に起こるでしょう。しかし、その時に、被害として発生するかどうかは、地震予測によって、建物を強固にするとか、津波に対する防備とかによって、ある程度、最小限に食い止めることができるのではないかと思います。
 私たち人類は、今まで何事でも安全確保よりも便利快適を中心に考え過ぎた傾向があったのではないかと反省する必要があるのではないでしょうか。

 最近、都市の集中豪雨による被害が発生しつつあります。これは、地下街や地下鉄を広げすぎたことと、下水道などの雨水流入量の限界などの問題があるようです。「都市の存在そのものに問題がある」との、総裁先生のご指摘が頭から離れません。
 この度、災害にあった街や事故が起こった原発の地区など、何度か行ったことがある場所がいくつかあるのです。従って、私の思考の中で災害をイメージすることはどうしてもできません。
 「神は不幸災難を作り給わず」との真理を深く思考しながら、現代文明の反省と今後の復興に向けた協力と法施である真理伝道を強力に行わせて戴きたいと存じます。

 被災地などへの救済は、無畏施とも言われております。私たちは無畏施や物施と共に、次の段階で真理伝道である法施を行う必要がありましょう。阪神の震災のおりに、アメリカの著名な経済学者が、「日本はこのまま衰退するだろうと思ったが、阪神の地震に於いて、ボランティア精神を発揮して、自費で被災地へ行き、復興に貢献している。このように与える心がある限り、再び日本は復興するであろう」と書いていました。被災地の人々の中での助け合い、または他からの援助、そこに神の御心、御仏の慈悲心の発露が現れると思います。「禍を転じて福となす」との諺の通り、このような時にこそ、与え合い助け合いの精神を発揮して参りたいと思います。それは、宇宙から帰って来た「ハヤブサ」のエンジンが、一ヶ所が故障すると別のエンジンがそれを補って地球に帰還したようなものです。

 島根の信徒の皆様!、今月から新年度が始まります。新たな気持ちで自然との共存共栄、、自然と共に伸びる生き方を実践すると共に、「与えられる生き方から与える生活」へと大きく自覚と行動を転換して参ろうではございませんか。(平成23年3月14日)

 中内 英生

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March.08.2011「善い現象と悪い現象」

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March.08.2011「善い現象と悪い現象」
今日の詩::温かき 空気ながれる 部屋の中
(暖房を付けなくても部屋が暖かくなってきております。春です。) 

 機関誌『生長の家』(2010/11月号)40頁には、質疑応答集が掲載されている。質問には、「善い現象と悪い現象があり、悪い現象こそ必要であり、必然であって、それを直視し、体験できたことに感謝し、それを成就する生き方でよいか?」との質問に対してお答えになっておられる。
  この疑問を解くことは実に重要である。なぜならば全ての不幸はその考え方の要素を含んでいるからである。お答えのポイントを学んでいきたい。

 生長の家では、質問者のようには考えないことが示されている。「試練」という言葉があるが、神様が試練や困難をもって人間を導くという考えがある。しかし、生長の家ではそうは説かない。
(ある宗教では、迫害という考え方もあるが、これも生長の家では使わない言葉であるようだ。)
 神様はすでに「実相世界」を私たちの実相も神であり、仏であるという考え方を執るとしておられます。これが生長の家の根本信仰である。
(このことは何度言っても言い過ぎることはない、というほど重要な考え方である。)
 一見、試練のように見えることが起こるのは、現象界でのことである。
(これらの悪現象に対しては、何らかのその人の心の間違い、迷い、転倒妄想が現象世界に映っていると考える。そして、その迷いを取り去ることによって、悪現象は消えると考えるのである。)
 一般的には、病気も戦争も経済不況も試練であるというとらえ方はある。しかしそれは全部、現象である。現象とは神様が創造した世界ではなく、人間の心が造り出したのだから、人間の心によって、生まれたり消えたりする。
 たとえ話でいうと、月が湖の表面に映っているとする。波が立つと、丸い満月の月でも壊れて見える。この波にあたるのが人間の心である。波が起ころうが起こるまいが、本物の月の丸さに寸毫の影響を与えるものではない。
 経済学でいうと、…。経済はほとんど人間の心で動く。株式相場とか、外国為替市場とか、商品の値段とか、企業の格付けとか。格付けをされると、すぐに経済に反映してくる。これを「試練」と考えることは自由だが、神が与えたものではなく、人間の心が造り出したものである。
 これらは、人間の心の世界というカリの舞台で行っている一種の演技である。試練と見えることもあるが、戦争やテロや夫婦げんかや病気などは、人間が行う演技である。
神様が起こすわけではない。
 試練であると説く宗教家もあるが、生長の家ではそうは言わない。
神様は完全円満ある世界と人間を作ったのだから、「神は試練をつくって導く必要はない。しかし、その完全さはまだ表現されてない。』
 人間の心でつくる現象世界は、この完全性の表現のための「舞台」である。私たちは自分の完全性の表現のために、頭の中に現象という、「場」を作り出す。そこで試練と感じられるような事件が起こるのである。

(ここに書かれているご説明は40頁から46頁にわたっている。平成22年6月20日の富山での講習会での質疑応答をもとにして作られている。個人指導の時の重要なポイントであると考えられる。ご自分のためのみならず、地方講師の方は熟読する必要がありましょう。)
  富山での谷口雅春先生の講習会を私は、20歳代の頃、受講させて戴いた記憶がある。その時に、富山のお店で入手した小さな修行僧の銅像がいまだに自分の書斎にある。
 次は、あくまで記憶であるので、違っておればご容赦いただきたいが、…。富山でお聞きしたのは次のような内容だった。ある時の講習会に某宗教の信者の方がお出でになったという。彼は生長の家のみ教えと某宗教の教祖の教えがどうも違っているという認識があった。会場の入り口で、某宗教の教祖と思われるお坊さんを見たのだった。しかしその方はすでに時代が違う人だった。それは霊眼だったのだろうか。一瞬の目の錯覚だったのだろうか。そのお坊さんが、「うれしいぞ、うれしいぞ、わしの教えが説かれるぞ!」と何度か繰り返し言いながら去っていったという。彼は不思議な思いのなったという。そのうちに、講習会が始まった。すると、お話の中で、「ここに○○上人がお出でになって、”うれしいぞ、うれしいぞ、わしの教えが説かれるぞ”と言っておられるのが分かりますか?」という意味のことを言われた。彼は、生長の家は○○宗の真髄を説いていると言うことを直感したのだった。某宗教の信者さんがお坊さんを見たのは、目の錯覚であったかどうかはどうでもよいのである。宗教卵論というのがあるが、その真髄に於いて善き宗教は一致するということを知り、伝え、仲良くするのが生長の家の万教帰一のみ教えであると考えられる。)

【HeLa】                                  
 この細胞の名前を朝日新聞(2011/01/11)で知った。ES細胞かなと思ったがそうではなかった。不死細胞である。増え続ける人間の細胞で、これまで培養されたヒーラ細胞の量は、5000万㌧で、エンパイアステートビル100棟以上にあたるという。
 茨木市に医薬基盤研究所の細胞バンクがある。タンクの蓋を開けると、マイナス196度の液体窒素の中から金属のタワーが出てきた。その中に培養する細胞があった。
 ヘンリエッタ・ラックスさんというアメリカバージニア州のタバコ農家出身の黒人女性で5人の母親がいた。30歳の時、1951年に腹部にしこりがみつかった。そのがん細胞を、ジョージ・ガイ博士に渡した。博士はガラス管の中でも育つヒト細胞を作ろうと20年以上研究していたという。
 カエルやマウスでは実現していたが、ヒトでは成功していなかった。ヒトの正常な細胞はむやみに分裂しないように、機能や不具合があると自死するように品質管理の仕組みがある。そして50回ほどの分裂で寿命を迎えることになっている。この年齢が120歳くらいなのだろう。だから、培養しても増えずにすぐ死んでしまう。しかし、エリッタさんの細胞は、24時間で倍になるほど急激に増加してしななかった。
国立がん研究センター研究所の清野透・分野長は次のように説明する。「不死化の原因は、子宮頸がんを引き起こすヒトパピローマウイルスにある」と。
 様々な部位に変化するES細胞やiPS細胞とは別に、このような分野の細胞があることを初めて知った。現在で約60年間以上、増え続けていることになる。この細胞をもとにノーベル賞も貰った人もでたという。ヘンリエッタさんは自分の細胞が研究用に供されていることを知らないままこの世を去った。ご家族も20年以上知らなかったという。
 ヘンリエッタさんの心の支配を離れているのであろうが、細胞の持つ生命力のすごさを感じた一文だった。

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 中内 英生

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March.07.2011「”日時計主義”と”生命不滅”を両輪として」

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March.07.2011「”日時計主義”と”生命不滅”を両輪として」
今日の詩::被災地に 祈りを送る 日々なれど 何も出来ざる おのれ歯がゆし

 機関誌『生長の家』(2011/02月号)38頁には、「日時計主義と生命不滅を両輪として」としてお書きになっておられる。総裁先生の、谷口雅春大聖師御生誕記念式典でのお言葉である。
『「生命の不滅」を説かれた大聖師』との小見出しである。
 何よりも尊い真理が、「生き通しの生命」であると教えられている。愛があり、智慧があり、富があっても、肉体がなくなる時、私たちは死滅して何にもなくなるのだったら、何と虚しいことであろう。
 しかし、私たちの生命が個性を存続したまま、永遠に生きるということはうれしいことである。しかも、現象的に生きるということだけでなく、完全円満なる神様の生命を、限りなく表現をしながら無限生長の道を歩んでいく。その姿は荘厳である。

 感動した御文章を書き出して見たいとおもう。
『紅葉の色は雨に濡れるとまた格別に美しいものです。』(39頁8行目)と書かれております。
 確かに、乾いた紅葉もよいが、濡れて雨に光る紅葉は格別である。なぜ、人間の肉眼には紅葉と映るのだろうか。クオレアのなせるワザであろうか。不思議な不思議な世界である。
紅葉した秋の木の中で、モミジは特別赤く美しいことがある。某大学の学長が話しておられたモミジの話をかつて聞いたことがある。学長は子供たちに質問した。
「ここに一枚のモミジの葉がある。同じ葉がこのモミジ林の中にあるだろうか』と。沢山のモミジ林なので子供たちは勇んで同じモミジの葉を見つけに行った。しかし、いくら探しても同じものはないのだった。学長さんが言った。『同じモミジの葉がないように、君たちも同じ人間は一人もいない。それほど個性は尊いのだよ』と。自分宿る、神が創った個性を花開かせたいものである。

『ここへ来ますと、人間はいかに自然に触れることが楽しくうれしいか、心が休まるかを体験し、人間と自然とが一体であることを改めて感じるのであります。』(39頁、13行目)と説かれております。
 自然の美しさはなぜ、そう感じるかというと、おそらく、人間が自然界から生かされて来た、または生かされているという事実から生まれるのではないでしょうか。もしも、自然界が人間を虐待ばかりするというのであれば、自然を見ても親しみを感じることはないでしょう。
 しかし、自然界には法則があります。自然界の法則を無視することなく、それを生かしながら人生を生きることも大切でありましょう。
 私は自然が沢山ある四国の山のある所で生まれ育ちました。子供の頃に遊びに行くのは、山であり川であり、海でした。その中に育てられたという実感はあります。18歳の時、初めて上京した時、新宿の駅に立って、緑が全くない光景に出くわして、「これは人間の住むところではない」と思ったことを記憶しております。
 国際本部が八ヶ岳に移転することで、おそらくそこから発する運動方針は、生き生きとした自然の生命力に満たされた言葉が発せられるのではないでしょうか。

 このあとの御文章に書かれている内容には、「現世否定の考えは危険」、「生長の家の基本精神は現世肯定」との小見出しがある。
 現世を現象世界と呼んで、本来無い世界であるいうが、決して否定的に捉えない。すなわち、日時計主義で生きる。現世を「神の子の実相を表現する場」として極めて肯定的に捉えるところに私たち信仰者の生き方の特徴があるのであろうと考えられるのである。
 組織会員の方々はこの冊子はお持ちであろうと思われるので、再び拝読して真理を深く学んで戴きたいと思う。

【メタンハイドレート採取】
今春から本格実証とサンケイ新聞(2011/01/11)には、掲載されている。これは、天然ガスの原料として、海底などに眠っているシャーベット状のメタンガス、メタンハイドレートの採取に向けて本格的な実証を開始することが10日に、分かったという。メタンハイドレートは日本近海に大量存在することが確認されているようだ。平成24年度には、海洋実験に乗り出す方針であると書かれている。実用化されれば、石油や天然資源などを輸入に頼る日本のエネルギー戦略にとって画期的な技術になるという。
 しかし、これはやはり二酸化炭素排出の原因となるのではなかろうかという懸念はないのだろうか。
 日本近海の東部南海トラフだけで日本の天然ガス年間消費量の13・5年分に相当する約1兆1400億立方㍍の存在が確認されており、現在のガス田の埋蔵量ランキングに当てはめると、世界20位程度に位置するという。
 太陽光発電や、風力発電など自然エネルギーの活用こそ、自然界に負荷をもたらさない方法を模索すべきでありましょう。二酸化炭素をまったく出さないといわれるのが原子力発電である。しかし、事故の発生や自然災害に遭遇する時、対処することができない事態が発生することは周知の事実である。一時的な便利さや有利さのみを考えるのは危ういというべきではなかろうか。
http://chuuju.blog137.fc2.com/blog-entry-25.html

【東北地方太平洋沖地震被災】
 この度の地震と津波の被害に関しまして、島根教区では速やかな復興を願い、「祈りのことば」を作製して3月12日より、信徒一同でさまざま場所で祈ることになりました。ご協力下さい。教化部から、祈りの言葉の書面を配布しています。尚、その後のことはこれから連絡がある筈です。
 お亡くなりになりました方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。
http://www.youtube.com/watch?v=rWgvX1FGK4I
http://www.youtube.com/watch?v=-qzoOEEF0eU

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March.06.2011「ネット時代の運動を考える」

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March.06.2011「ネット時代の運動を考える」
今日の詩:キラキラと 春の光が 宍道湖に

 機関誌『生長の家』(2011/01月号)4頁には、「ネット時代の運動を考える③」が書かれている。ここには、ネット時代の運動方法への注意点が提示されている。図によってご解説が書かれているとともに、8頁の15行目からは、ネット時代の運動の難しさも書いておられる。その内容を学び取らせていただきたいと思う。機関誌をお持ちの方は、是非原文をご確認戴きたい。

 8月8日(のブログ)で、今後のネット上の活動しだいでは「バーチャル組織の構成員がリアル組織へつながる可能性も出てくる」と書き、そういう運動が求まられるとも言っておられたという。これは、従来の両軸体制下で、「普及誌購読者を組織の会員に導く」運動と似ているのである。しかし、「バーチャルからリアルへ」と人を呼び込む活動には、細心の注意が必要であると思う、としておられる。
 なぜなら、両軸体制での組織の会員の拡大はうまくいかなかったからである。理由の一つは、会員化することで組織の数値的な目標を達成しようと急ぐあまり、かえって会員化を嫌がる人が多くでてきたことが挙げられる。会員化の対象となった人々の中では、組織の会員化を嫌がる人が多く出てきたことで縛られるだけでなく、いろいろな義務を負わされるという一種の恐怖感が生まれたのではないか、と分析しておられる。
 これがすでに「階層的」で、「傾倒的」なリアルの組織の中で起こったのだから、ましてや「非階層的」であり、「非傾倒的」であるバーチャルの組織においては、性急なリアル組織への呼び込みは、構成員の心に強い違和感や拒絶感を生み出すのではないだろうか、とお書きになっておられる。

 上記の内容の原文を拝読して、私は人々に愛を与える運動と人間の魂に解放感を与える運動の必要性を感じた。古い聖典で『真理は人間を解放する』という谷口雅春先生の御著書を拝読したことがあったが、私の郷里の先輩でKさんという方の体験談が掲載されていた。フトした時に、亡くなった兄上の手紙を読んだのだった。そして、その思いを知った時、Kさんは、兄上の手紙をよみつつ家族への愛に絶句する。そして、生長の家の青年会に入ったとのことであった。
 「砂糖があるところには、必ず蟻が集まってくる」、このコトバは故T元本部講師から耳にタコができるほど聞かされた言葉である。練成会の事ではあるが、なぜ人が集まらないかというと、そこに、砂糖すなわち真理が語られ、行じられていないからである、と。
 それならば、練成会以外であっても、もっともっと真理を行じつつ、愛を実践しつつ、伝道しようではありませんか。かつて、お会いしたことがある「やましんでんのおかか」という人がいた。「やましんでん」という地名で、「おかか」というのは、お母さんという意味らしい。その方に一度だけお会いしたことがあった。
 全国の地方講師研修会が開催された時に、お会いしたが、小柄ではあるが、目の輝きが非常に美しい方だった。こんな綺麗な目の光を放っている人が他にいるだろうか、という思いがした。70歳代くらいだっただろうか。
 小出たけさんは、字が読めなかったと聞いている。しかし、お孫さんに、今でいうと普及誌を読んでもらって、全部覚えていたという。その人の周りには真理が伝わっていったそうだ。純粋な信仰と愛が人を引きつけるようである。
 人が一人、信仰的に成長するのには、周囲の人々や先輩の方々には愛と生長を待ってあげる力と育てる力が必要であろうと考えられる。一歩でもよい、半歩でもよい。先を行く者にその力がつくように努力する以外にないと考えて、私は実行させていただこうと思う。

【イルカ漁】
 このテーマは日時計主義ではないので、申し訳ないが、イルカ漁は、イルカはほ乳類であるので、イルカ猟と書いた方がピッタリ来るのかも知れない。「ザ・コーヴ」の映画に関して色々と論議されていたが、イルカは鯨を捕ることを反対するオーストラリアでは食べているようだ。私たちはイヌを食べることはまずないが、イヌをみて「美味しそう」と思う食文化をもつ人々もいる。牛やブタなどそのとさつ方法など目を背けたくなるが、そのことには気にせずに食べている人たちもいる。
 自国の食文化を完全に肯定する人々と、異質の食文化に対して異を唱える人々がいるようである。
 肉食は、まず健康面で、内蔵に負担を与えることと、宗教的愛の面から、動物に痛みと苦しみを与えてまで舌で味わう喜びを追求することへの是非と、環境面で肉食をするために家畜を育てる穀物を採取するために、広大な森林の伐採と人間を飢餓にまで追い込む穀物飼料の多用とで色々と問題を提起している。
 そして、結論として肉食が多い人は少なめに、少ない人はさらにすくなくしようではないか、と提案している。
 私は、現在は魚肉は食べるが、鶏肉もほとんど食べなくなっている。一度食べなくなると、肉食に対して違和感の方が強くなるのが不思議である。
 みなさま、まだ召し上がっておられる人は、少しづつ減らしてみませんか。

【サルのES細胞で難聴改善】
 京都大学の伊藤寿一教授らは、サルの胚性幹細胞(ES細胞)から神経のもとになる細胞を作ってサルに移植させ、難聴を改善することに成功したという。
 移植した細胞が聴神経に成長し、重度の難聴が中程度にまで回復したという。
 これは日経新聞(2011/03/07)に掲載されていた。iPS細胞を使った将来の難聴治療の足がかりになるとしている。
 生長の家では、心が固くなって聴く心が減少してくると、「聞く耳持たん」ということになり、聴力が衰えるとされている。従って、できるだけ人の言うことは聞くことが出来るように、心を柔軟にしておきたいものである。
 何かに腹が立つ時に、「私は困る」という思いが湧き起こった場合が多い。それは、「解決できる」という自信の喪失でもある。無限力の自覚を持てば、または、心が柔軟になればそれは乗り越えられるということでありましょう。
 この囲みにはもう一つ、「心筋の構造体開発」として、佐賀大がES細胞で、新治療法に道、としてマウスのES細胞から作った心筋細胞を使って拍動する立体的な構造体を開発することに成功したとしている。ESよりもiPSが倫理的であるとなっているので、そちらの方面に進むのでしょうか。また、自分の体性幹細胞を使っての作製ならば、ある程度、倫理的問題は避けられると考えられるのではあるが…。
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819595E2E6E2E29B8DE2E4E2E1E0E2E3E386989FE2E2E2;at=DGXZZO0195579008122009000000
     http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819595E0E5E2E2E78DE2E4E2E1E0E2E3E386989FE2E2E2

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 中内 英生

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March.05.2011「高邁なる夢を描いて邁進する」

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March.05.2011「高邁なる夢を描いて邁進する」
今日の詩::  湖の カモは群れ来て 浮かぶなり 寒さは去りて これからは春

 絵は、遊馬画伯の絵の模写です。

 機関誌『生長の家』(平成22年7月号)3頁には、「自己に宿る力を汲み出すこと」として、神の子には無限の力が宿っており、永久に膨張し続け、新創造を続けつつある宇宙の力が宿っている、と書かれている。(谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』49頁より)
 まさに、考えてみるとその宇宙の創造の中に私たちはいるのであるから、宿っているのは当然であるはずだが、それを自覚するか、自覚しないかの違いであろう。
 『ラスコーの壁画』は有名だが、創造された自然と人間のうちで、人間が宇宙を客観的に認識し、描いたとされる。そう言われると、イヌもネコも絵を描いているのは見たことがない。絵を描くと云うことは人間であるという証でもあるのかも知れない。
 
 3頁には、さらに能力を引き出すことが書かれている。引き出せば引き出すほど、新たな力となって現れてくるのは、あたかも無限の地下水に続いている良質の井戸水のようなものであると書かれている。それは無尽蔵である。最近は、工事や融雪装置の使いすぎによって地下水が減少することはあるが、当時はそれは考えられなかったのだと思う。その良質の井戸でさえも、汲み取ることを忘れて、放置すると、井戸の中は腐敗してボーフラが湧いてくる。井戸の框は蜘蛛の巣だらけになってしまうというものである。
 従って、能力は人類に貢献するために出して使えば使うほど増大し、人類も個人もともに喜ぶということになる。愛や能力は出せば出すほど発達するということになる。
 島根の皆様、大いに神様から戴いた能力を発揮しようではありませんか。

 また、14頁には、「主人公は誰だ」という谷口清超先生の御文章が掲載されていました。
 時々、自分の運が悪いのは先祖の所為であるので、霊能者に見てもらいたいと考えている人や、人相が悪いので運命が悪いと考えて人相のことばかりを気にしている人や、墓相や風水などで全てが決まると考えている人が世の中にはいらっしゃるようです。
 それらの形は、すべて心を発信源としておりますので、心さえ変われば、運命がよくなるというのが生長の家のみ教えです。御文章には次のような内容が説かれております。

 『運は外から来るのではなく、自分が作る。そう考えると、人間は自分自身が主人公ではなくなり、運が主人公となる。その運が星座に関係すると思う人は、自分自身を星座の奴隷であると見なしていることになる。ところが、星座は距離と時間とが違うはるかな天体をいいかげんに結びつけた言い伝えにすぎないもので、物理的因果関係は何もない。そんなものに頼るよりかは、自分自身に内在する、「神のいのち」により頼ることである。神のいのちが真の我である。』

 上記の内容は、谷口清超先生の御著書『純粋に生きよう』の235頁にお書きになっておられるとのことである。ぜひ、拝読下さい。聖典の拝読を行うことが大切です。毎日、1頁でも、少しでもでもよいですので拝読しましょう。
 本部の建物で本館の正面に、生長の家大神様のご神像があります。もちろん、イメージです。そのご神像が生長の家の神様ではありません。その像を彫刻した服部仁郎氏という元本部講師の方がおられました。その奥様が私が上京した頃に個人指導部におられまして、ある真理学習会でお聞きしたのですが、「私は毎日少しでも拝読しています。多読ではないが、一行拝読するとそれを生活に行じるようにしています」と言っておられました。心を込めて拝読すると言うことでありましょう。

【継続は力なり】
 継続が力となるという考え方と、力があるから継続できるという考え方もあると思われる。天才とは努力の別名であるともいうが、物事が成就するまでモチベイションを持続できるれば、それを天才というのでありましょう。ある意味でみな、天才である。生き続けているのであるから。
 ブログも、前任教区で開始し、このホームページに移った。アクセスして下さった皆様方に心から感謝申し上げます。
 他教区に行った時に、「見ました」と言われることが時々ある。その時は、身が引き締まる思いがする。もっと努力して、皆様を元気づけることができる真理情報をお届けしなければ、とも思う。もともと、このブログは、総裁先生のご指導の内容の補助情報の提供として出発した。そのためには、それなりに努力したいと考えるのは当然だろう。従って、教区としては実践項目として、二酸化炭素削減のスカイプや教化部ホームページの開設や、写メール俳句やポスチングジョイやフェイスブックにも及んでいる。
 島根は、自然の情報は豊富だが、ITを含む都市情報にはなかなかついて行けないとの思いが最初は強かったが、努力によって問題は無くなると考えるようになった。リアルの世界は当然のことであるが、微力ながらバーチャルの世界でも島根教区が国際平和信仰運動に貢献させていただければ幸いである。
 愛媛大学の谷口義明教授は、宇宙のブラックマターの専門家であり世界的に有名な人であるようだ.が、数年前、教授は「愛媛は東京に比べると情報が少ない。しかし、インターネットの普及によって、愛媛にいても何の問題もない」と某新聞で語っていたことを思い出す。インターネットは英語圏で生まれたので、英語とインターネットの普及により、「知ろう」という思いさえあれば東京でも、出雲でも差異は何もないと思う。
 来年度は、教化部で一年に4回、IT研修会を行う予定である。媒体はパソコンや携帯、簡単パソコンである端末があるが、基本であるパソコンの習得を目指そうと思う。今年度は何度か行って予行演習をしたが、来年度は研修を積み重ねて、日時計主義のブログの開設や、その中でも地方講師の方にはインターネット講師になるようにご努力いただきたいと考えている。

【島根教区の環境発表】
総本山での環境の発表で、動画が掲載されています。ご覧下さい。二人の職員によるなかなか素晴らしい発表です。教区の自画自賛ですが…。
  http://www.sni-shimane.com/env.php

【絵封筒・絵手紙ギャラリー開店】
 教化部のホームページで、掲載を始めました。どうぞご覧下さい。手始めに、足立講師の絵手紙を掲載し始めました。足立講師は、最初に柿の絵を100枚お描きになって、それから、さまざまな絵を描いておられます。このコーナーに、教区のすべての絵手紙絵封筒が掲載されて、今後、1万点、2万点と蓄積されるようにしたいと考えております。

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 中内 英生

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March.04.2011「人生の目的は何か?」

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March.04.2011「人生の目的は何か?」
今日の詩::帰り道 夜風冷たし されど春

 機関誌『生長の家』(2010年4月号)の40頁には、「質疑応答集」があるが、総裁先生は、52歳の女性の質問に対して、お答えになっている。質問の内容だが、「生命とは何か。神様とは何か、というのは理解出来たが、人間は何のために生まれて来たのか?人間にとって最高の幸福と何か?」という質問である。それに対して、実にわかりやすくお答えになっている。正確な内容は、機関誌の本文をお読みいただきたい。次に大体の内容をご紹介させいていただきたい。

 「人間が何のために生まれて来たか」といえば、人間の本質である「神の子」、または「仏」といわれているものを表現するために生まれて来たのである。「表現芸術」ということを考える必要がある。
 俳句、絵画、音楽、演劇、それらの表現芸術を表現するためには、「表現のもと」になっているもの、表現したいと思っているものが、まず存在することを認めなければならない。
 俳句であれば、5/7/5の短い言葉に、「何か」の思いを移し変えるのである。何かは、「感動」であったり、「気づき」であったり、「喜び」であったりする。
 音楽に於いては、まず、「曲想」が生まれる。それをどのように表現するかを作曲家は苦労する。そのように表現する元になるものがあり、その後に、表現された結果が生まれる。
 演奏でも同様の関係がある。今度は、「曲想」が譜面の形で存在する。これを作曲家の意図を汲んで、演奏家がうまく表現できるかどうか、すなわち「実際の演奏」が行われる。
 
 この関係は「実相」と「現象」との関係に似ている。私たちは、「神の子の実相」「完全円満さ」をもともと持っているが、それを表現するには、時間と空間という現象世界が必要である。
 いわゆる表現の場である。表現には時間がかかる。縦・横・厚みの世界が必要である。しかも、表現する主体である、道具(肉体)によって、いろいろな工夫をしながら、「実相」の無限性を表現していく。これが人生の目的である。
(私は、この御文章を拝読して、『生命の實相』で理解していたことがより一層、鮮明に脳裏に焼き付いたような衝撃を感じた。また、表現の場の多様性を守る、すなわち環境保全活動は神の御心に適う活動であるという確信を得た。すなわち地球こそ貴重な舞台である。)

 また、次のようにも書いておられます。
表現の過程では、一回で満足のいくような結果はほとんど得られない。人間は無限の能力を持ち、無限の御徳を神から継承している。これは一回の人生では表現し尽くせないので、この世に生まれ変わってきて、別の表現のつづきを行うことになる。その時、プラスとマイナスの遺産を引き継いでくるのだが、善い表現はさらに向上させ、間違った表現は再び間違わないように注意して、やり直すと言うことになる。
 従って、「人間にとって最高の幸福とは何か」というと、「表現がうまくいくこと」であるといえる。

 言葉を換えると、我々の内部に宿る神性・仏性が満足するような表現が出来ることが、『人間の幸せ』である。この幸福は個人の段階にとどまらない。
 芸術の世界では「観客」がいる。観客とは、絵画の鑑賞者・音楽の聴衆・小説の読者などである。彼等は、表現芸術が成功すると、「素晴らしい作品だ」と喜んでくれる。すると、作者は、自分だけの自己満足ではなく、人々と喜びを共有できる。評価されていると知って喜びが倍増する。
 一つの作品を媒介として、表現する側と鑑賞する側の心の交流が出来る。これは高度な「自他一体」の自覚である。素晴らしい広がりを持った喜びの世界が現出する。これは最高の幸福であるといえる。
 これはたとえ話だが、実際の人生の場面では、どのケースがどのように幸福であるかは、各人の置かれた立場や条件によって異なるのである。
(大体、このような内容である。人生を総括的に理解することのできる御文章であると拝読させていただいた。どうぞ、原文を拝読下さい。)

【耳の細胞から軟骨再生】
 これはiPS細胞の関係ではないが、人間のもっている再生能力を知ることが出来る。
日経新聞(2011/02/27)からの情報である。
 東京大学の高戸教授らは、病気やけがで失った鼻や関節の軟骨を再生する技術を開発したという。患者の耳にある軟骨細胞を育て、目的の形や強度を持つ軟骨を育て、患者で治療を試みる臨床研究の計画をすでに厚生労働省に申請している.認可を受ければ、3月に実施する。
 鼻の再建では、これまで自分の骨をそのまま移植したり、シリコーンなど人工材料を使ったりしていたが、骨が硬すぎたり炎症を起こしたりして、思うような治療効果が得られなかったとしている。シリコーンの使用に関しては、あり得ることであろう。
 自分の細胞の活用は拒絶反応が無いので問題は無い筈である。

【堤幸彦監督】
 「仕事学のすすめ」というNHKの番組がある。堤さんという方を紹介していた。インタビュアーは勝間さんである。「巨大チームの動かし方」というテーマだった。(2011/03/03)
堤さんは、映画監督であり、演出家であり、超多忙流創造術を駆使していた。忙しいということが、この人にとっては、上記の「人生の目的」でも学ばせていただいたように、喜び以外の何物でもないようだ。
「過酷な現場こそ楽しみを作れ」と言っていた。私たちの光明化運動でも忙しいからこそ、喜びで燃え上がることが必要だろう。スタッフに会う時の心構えが一流だ。「今日は、皆さんは、どんなアイデアを持ってきてくれたのかな?」と思いながら出勤するという。
堤さんご自身も楽しんで仕事をしているようだが、「俳優が楽しまないと、楽しさが観客に伝わらないんですよ」と言う。なるほど!!
 助監督とスケジュール管理を共有する。.優秀な参謀と「スピード感を共有せよ」という教えを実行しているよだ。
 また、堤さんは、「堤組のメンバーに敬意をもって接している」という。これなども、極めて学ぶべき生活法ではなかろうか。
 後輩に対しての言葉が印象的だった。「もっと私を超えて欲しい」と。部下を育てるにはそのような愛情ある思いが大切なのであろう。
 私たちの中でも、「後継者を育てよう」という思いのある人の所には不思議と後継者がそだっている。人材養成にしても後輩に対する愛情ある日頃の思いと行動が大切であるようだ。

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 中内 英生

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March.03.2011「三組織の協力と、特徴を生かして」

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March.03.2011「三組織の協力と、特徴を生かして」
今日の詩::朝飯の 香り漂う 客車には 食べて見晴らす 石見の海を

 機関誌『生長の家』3月号の38頁からは、総裁先生の新年祝賀式での年頭のお言葉が掲載されている。お持ちの方は、38頁をお開き下さい。
 その45頁には、「得意な分野で能力を生かして」という項目があった。「ウサギ喜びてキツネもこれを喜ぶ」という言葉とともに、「ウサギの上り坂」のことを書いておられる。

 これは、「得意な分野で能力を発揮している人のことをいうそうです。ウサギという動物は前脚が短くて、後ろ脚が長い。従って、坂を登っていく時には、都合良く楽々とスピードをもって、登ることが出来る。そのことから、持ち前の能力や才能を発揮して上昇気流に乗っている人の為に、この諺があるそうです。
 青年は青年としてのいろいろな特技や特徴があるとしておられます。
(青年と会話していると、自分の年齢を忘れてしまいます。自分が63歳になっているのを忘れてしまいます。そして、いつの間にか未来への希望を描き続けている自分を発見するのは青年達の影響でしょうか。)

 女性は女性としての優れた能力がある。男性も男性としての長所がある。
(私は、青少年練成会などで屋外へ行く時に、相愛会員の方々がいないと安全面で問題があるように思うのです。女性は行き届いて子供たちのお世話をすることができます。それぞれにお世話の仕方一つをとってみても特徴があるのです。)

 細やかな配慮は女性。抽象的な、理念的な考え方や中・長期的な計画の立案などは、女性よりも男性の方が優れている場合が多い。
 青年は、新しい発想とか、チャレンジ精神、コンピュータを使う技術などに優れている。それらが各組織のもつ特徴を私たちの運動にも大いに生かしていくことを提言しておられます。

(今年の松江道場の新年祭にある人が挨拶をしてくれました。その人は、うさぎ年なので、「自分は今年は跳びます。でもウサギのように時々、止まるので、声をかけて下さい」とのことでした。なるほど!)
  それぞれの組織が特徴を生かすのにはどのようにすればよいのでしょうか。まず、特徴を考える前に、無我になることでありましょう。そして、神の御心を吾が心とすることが第一でありましょう。そしてさらに申し上げますと、光明化運動に置きましては神様の御心が総裁先生を通してみ教えとして天降ります。その言の葉はブログとして、さらに現在では、フェイスブックとしてお書きになっておられます。

 島根の皆様、まずは、総裁先生の御著書を拝読して、現代に於けるみ教えの展開である御著書を学ばせていただこうではありませんか。

【iPS細胞から効率よく心筋細胞】
サンケイ新聞(2011/03/01)には京大チームがさまざまな組織になれるヒトのiPS細胞に免疫抑制剤として知られる「サイクロスポリンA」という物質を加えて培養し、高効率に心筋細胞を作ることに成功したという。
 ヒトiPS細胞からできた心筋細胞は10ヶ月以上拍動し、心臓の心室の細胞を同じ性質をもっていたほか、「Z帯構造」という心筋細胞の特徴を持っていることも確認したという。
成果は、米科学誌「プロスワン電子版」に掲載されたという。
 心筋細胞が出来たということに対して、いつも自分のカラダの中ですでに作っている、作り続けている己の生命の不思議さは奇跡でなくて何であろうか、と考えます。
 http://www.47news.jp/news/2011/03/post_20110301110700.html

【電動漁船30分充電で30㌔航行】
このニュースは面白いと思いませんか。ちょっと遅いが、日経新聞(2011/01/04)に出ていた。東京電力や水産庁などで電気自動車向けの急速充電器で動力を得る電動漁船の航行実験を始めるという。
 燃料に重油を使わないために海を汚さない。航行中は二酸化炭素排出もない。エコ漁業の実現を目指すという。使用する電力の一部は漁港内に設ける太陽光発電設備から供給するという。なかなかよいですね。隠岐の島へ行くのに電動フェリーで行けるようになりませんか?
 http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010021301000011.html

【レアアース代替技術】
 この技術が開発されつつあるという。サイエンスゼロ(2011/03/05)で放映していた。時々、新聞にはでているが、97%が中国で生産し、それに頼り切るやり方はどこかで無理が来る。生産地を分散するとともに、レアアースに変わる金属を使って同様の効果が上がることが研究されているようである。日本の技術力である。かなり専門的な用語が使われていたので、覚えきれなかったが、進みつつあると言うことだけは頭に入れておこう。
  http://www.asahi.com/business/topics/economy/TKY201009290587.html
  http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110119/biz11011911090106-n1.htm

【火山の内部の調査】
こんなことができるようになったという。世界は、雲仙普賢岳やさまざまな噴火で被害を被っているが、マグマがどのあたりまで来ているかなどを知ることが出来るという。これはミューオンという素粒子を使って火山の中を透視するのである。サイセンスゼロ(2011/03/05)で知った。山の透視とはすごい!
  http://www.tv-asahi.co.jp/miracle-earth/backnumber/20101003/index.html
   http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/KOHO/NEWSLETTER/2007news/070615tanaka.html

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 中内 英生

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March.02.2011「感動を求めて」

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March.02.2011「感動を求めて」
今日の詩::春の雪 仰いで舞うも 花舞台
(雪が降ろうがやはり春です。)

 「春が来た」と思ったが、東京では雪になるし、出雲に帰って来てからも雪が降った。汽車を降りると、出雲の風の強さが実感される。さて、機関誌『生長の家』3月号には、「感動を求めて」という谷口清超先生の御文章がある。ちょうど、春についてお書きになっておられた。

『春が近づく前に、冬は一層きびしくなる。それは春が来るのを妨害しようとする自然の働きではなく、太陽がその力を急激に発揮するのを、地上の大気や地面が抑制しているからである。こうして太陽の暖気が遅れてあらわれる。…』
 
 この御文章を拝読して、「そうだったのか」という思いになった。努力さえ怠らず行っておれば、遅れてあらわれることがあっても必ず成果が表れてくるというのである。この御文章で、「蒔いた善き種は生える」という原因結果の法則を教えられた。それを信じて待ち、日々、努力を怠らないのが信仰生活であろう。

 上記の御文章は、『純粋に生きよう』の271頁に書かれているようである。島根の皆様、ご確認下さい。

【武蔵の求道】
 剣術の達人にして負けを知らなかった武蔵だが、記録には負けたと思われる方と武蔵との記録には色々と違いがあるようである。NHKのヒストリアで柳生一門のことも語られていた。柳生の教えには次のような教えがあるという。
「一文は無文の師、他流勝つべきにあらず、昨日の我に今日は勝つべし」という。「♪~他人(ヒト)に勝つより、自分に勝てと言われた言葉が身に染みる♪~」というどなたかの流行歌を高校時代によくうなっていたことを思い出した。自分より少しでも優れているならば敵であっても自分の先生である。相手に学ぶべきである、という。そして、相手に打ち勝つよりも昨日の自分のレベルを超えるべし、との言葉である。すごいなあと思う。今、武蔵の「五輪の書」は数カ国語に翻訳されて、人生の生き方として学ばれているという。そういう時代なのだ。
武蔵の時代は、関ヶ原の戦いで敗れた豊臣方の50万人の失業者で溢れたという時代だった。
 武蔵には有名な言葉がいくつもある。五輪の書に書かれている。
彼は五輪の書を、人生の集大成として、洞窟で書いたのだった。
『千里の道も一足ずつ運ぶなり。千日の稽古を「鍛」とし、万日の稽古を「練」とすべし。』
『我事において後悔をせず。常に兵法の道を離れず。』
試合に勝った武蔵は、兵法は残したが血筋はそれで終わりだったようだ。
 負けた、吉岡清十郎一門は、剣術をやめて、染色業に転職する。そして、その家業は現代も生き続けているらしい。吉岡染めという。
 また、鎖鎌の名手は、負けたことにより新たな道を開いている。
それらの負けた人々のその後の人生を考えてみると、却って、一門が繁栄している例があることが記されている。
 ナレーションでは、「何が負けか分からない」という意味が語られていた。すなわち、人生に敗北はない、ということである。敗北を認めた時だけ敗北でありましょう。
み教えのように、「人生に本当の敗北はない」といういう人生観に立ったとき、私たちは常に人生の勝利者である。
http://www.shokunin.com/jp/tezomeya/tezomeya-iro.html
http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/taiandir/x072.htm

【ナノマシーン】
爆笑問題(2011/02/22)には、ナノマシーンのことが出ていた。「ナノ」については、21世紀のポイントであると、総裁先生がお書きになっておられたので、興味を持つことが出来た。東京大学院教授の生田幸士さんという方が登場しておられた。
 ナノロボットハンドなるものがあった。前後の動きや回天の動きができる。それを操作できる。細胞一つ一つに治療を施すことが出来るらしい。5ミクロンである。これは、200分の一ミリの大きさだ。細胞が5ミクロンぐらいだからである。
  他に、ナノムーバーという細胞を押して変形させるもの。ナノニードルといって、細胞に針を刺すロボットなど色々だ。
 ナノマシーンで、細胞に直接抗がん剤を注入できるということらしい。
制作した生田さんの動機が面白い。それは漫画の鉄腕アトムである。「ロボット学会」で調査したところ、何故この研究を始めたかというと、鉄腕アトムにあこがれて始めたのが、4割だという。すごいです。
 私の子供の頃も、手塚治虫の漫画を何度も何度も読んだ記憶がある。恐るべき事に、現代の新生物誕生などの問題点を訴えていたことも思い出す。描かれた内容の是非はともかくとして、優れた先進性があったのだなあとつくづく思う。
 生田教授は、毎年、学生を集めて、「バカゼミナール」というのを行っているという。
「退屈な秀才よりも、自由なバカであれ」というものである。
生田教授の言葉でもうひとつ興味ある言葉があった。
「人間は、感動しないと頭に入らない」と。
この考えは、マンネリ化を防ぐためには感動が必要と言うことであろう。
「私はびっくりしたいのです」という国木田独歩の言葉を思い出す。
そして、日時計主義の芸術的展開としての絵手紙・絵封筒など、描くたびことに新しい発見があることに自らも驚くことになるのである。
 今日は、初めてスケッチブックを購入した。次はどうなるのであろうか?

http://www.jst.go.jp/kisoken/crest/report/heisei18/pdf/pdf10/10_2/002.pdf
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20101116.html
http://ransun.exblog.jp/14999722/

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March.01.2011「立教記念日」

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March.01.2011「立教記念日」
今日の詩::立教の 日は温かく 翌日は 冬に戻りし 出雲の春は

 今日は立教記念日だった。本部講堂で厳粛に式典が執り行われた。谷口雅春先生が東京におられる時には、雅春先生のお言葉と清超先生のお言葉を拝聴することが出来た。清超先生の何とも言えないお言葉の「無限の響き、波動」が脳裏を過ぎる。その法燈がまさに受け継がれて、総裁谷口雅宣先生のお言葉を戴くことが出来る。何という有り難いことでありましょうか。
 内容に関しては、すでに総裁先生がブログに書いておられます。その中では日時計主義の素晴らしさをお教えいただいている。しかもさらに展開し、多様化させることが、創始された谷口雅春先生へのご恩返しであるとお教え下さっている。
 昔からの習慣で、総裁先生の御講話の間は、できるだけメモをとらせていただくのだが、後で今回のお言葉の自分の筆記をみてみると、「谷口雅春先生へのご恩返しになる」というお言葉は不覚にも書かれていなかった。従って、ブログを拝読してより一層、感慨深く思えるのである。このお言葉は実に重要であると考えられる。

 メモであるが、後日、正確な内容の御文章が発表されるので、何もメモを取る必要はないのではないか、との考え方もある。しかし、私にとっては、一瞬の感動をスケッチするに等しい。その時以外では決してかけないのである。その時だからこそ、書けるメモなのだ。後で、読み返して、その時の感動が文字の強弱によって脳裏にハッキリと蘇ることが出来る。 
 ご挨拶をお聞きしていて、私は何とも言えない喜びと、新時代の幕開けを感じた。生長の家の光の拡大により、長かった混迷の時代は終わりを告げようとしているのだ。
私たちはその時代が変貌する光景を目の当たりにすることができるのである。それを体感できる。何という光栄であろうか。
 島根の皆様! 
 私達はもっともっとあらゆる面で実力をつけて、総裁谷口雅宣先生に中心帰一して、神様の御心を島根の皆様にお伝えさせていただこうではありませんか。

【問題は悪意よりも無知から生じる】
 これは「ハンロンの剃刀」という理論だそうです。勝間和代さんの「人生を変える法則」が朝日新聞(2011/02/19)に書かれていた。勝間さんの文章は大変興味が持てるので、島根の皆様にご紹介しておりますが、私の紹介法がよくない関係かあまり反応が感じられません。それはともかくとして、今日の分をご紹介します。

 「相手の行為が単なる愚かさで説明できるのであれば、必要以上に悪意を想定しようとしてはいけない」ということを現した定理だそうです。
 これを知ると、さまざまな怒りを鎮めるのに役立ったとしております。
信仰的に申しますと、キリストの祈りがあります。
「彼はなす事を知らざるなり。神よ、彼を赦し給え」という祈りです。自分で蟻手を赦そうと思ってもなかなか赦せません。しかし、神の許しの念が自分に天降って、相手を赦すというイメージであれば、赦すことが可能となるのです。

 これは、「オッカムの剃刀」をもじったものだそうです。オッカムの剃刀とは、「あることがらを想定するために、必要以上の前提を仮定すべきでない」という考え方です。これを別の角度で言い換えると、ハンロンの剃刀となるというのです。
 ある意味で、暗黒面を見ようとする悪習慣に対して、「そうしてはいけないよ」と云っているようにも見受けられます。
 私はそれに対して、私ならば、「煩労の神ソリ」と言いたいところです。どのような煩労も神様のソリ(雪車)にのって行けば、スムースに進んでいき、煩労を去らしめることができるからです。ちょっと親父ギャグ的ですが…。
これは、もう一つ踏み込んで、日時計的にいうとどうなるのでしょうか。
「相手の行為が単なる愚かさで説明できるのであれば、神のみ栄えの現れんがためであるので、相手の中にある実相を拝みだし、真象を認めて讃嘆することである。相手の中には神様のような太陽がいつも輝いているのだから」、というような言葉になるのでしょうか。 
 ハンロンの剃刀を知ると、何か不満が生じたり、トラブルに遭ったりした場合、相手の態度が本当に悪意に基づくものなのか、純粋に無知や愚かさに基づくものなのか、一瞬待ってから判断する癖がつくようになったと、勝間さんは言っています。
 ほとんどの場合、悪意によるものは大変少なく、ほとんどが後者であるようです。
愚かさは、智慧不足とか、専門外という言葉に置き換えてもよいと書かれています。
  赦しと愛、そして智慧の出し方を私たちは教わっております。繁栄の原理を既にいただいている私たちは、大いに繁栄して、多くの人々のお役にたたせていただきたいものです。
 
【傷ついた筋肉がみるみる再生】
 朝日新聞(2011/03/01)によると、けがなどで傷ついた筋肉に、造血幹細胞やリボ核酸の断片(マイクロRNA)の断片を注入することで、1週間で8割以上も回復することを広島大の研究グループがマウスの実験で確認したという。
 広島大の亀井直輔助教授らは、血管や血液をつくる造血幹細胞をヒトの血液から採り、脚を傷つけて筋断絶状態にしたマウスの幹部に注射したという。
 このマウスは、一週間ほどで筋力が8割回復した。代わりに整理食塩水を注射したマウスは、4週間後も筋力は6割前後しか回復しなかったようだ。身体を動かすための骨格筋は元々再生能力を持っているが、造血幹細胞が血管作りを促し、筋肉の修復能力を高めたとしている。
 亀井さんは、「こうした治療で、けがをした運動選手をもとの競技レベルまで戻すことが可能になる。マイクロRNAは人口合成が可能であり、安全性が確認できれば、薬として応用できる」とのことである。
 造血幹細胞とは、幹細胞とはいっても体性幹細胞の一種ではないでしょうか。いわゆる、ES細胞や、IPS細胞と違い、本来存在する細胞のようです。従って、自分のものであれば拒絶反応は無いはずです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A0%E8%A1%80%E5%B9%B9%E7%B4%B0%E8%83%9E

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 中内 英生

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February.28.2011「随時随所神想観」

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February.28.2011「随時随所神想観」
今日の詩::春の雨 笑顔こぼるる 濡れてさえ
(春の雨は、濡れても何とも思いません。却って自然児に戻るようにさえ感じます。)   挿絵は、信徒さんからの絵封筒です。
 
 いつもこの欄について、「すばらしい!」と感嘆の言葉がでてくる。相当の信仰的実力のある方がまとめておられるのだろう、と思う。
 2011年3月号の『生長の家』機関紙では、「神想観その八」を学ぶことになっている。
「神想観はいつでもできる」とあります。神想観は、普通一回30分間から40分間、朝と夜と二回、時間を決めて正座又は椅子で行うとしている。
 時間がないという人は、時間がないのではなく行う気持ちがないのかも知れません。まずきっちりと行じてみましょう。意義を理解する。自分にできる能力を認める。これで動き出します。
 それに対して、随時随所神想観というのがあります。これはきっちりと習慣的に行った上で、小さな時間を見つけて行う方法ですので、普段の神想観を行わずに、随時随所神想観だけをおこなうのではないのです。人間はいつでもできると考えて、随時随所の方だけを頭に入れておりますと、一日経っても結局できないこともあります。

 しかし、随時随所神想観はとても素晴らしいです。祈りの言葉が36頁に書かれています。
『われ心を空しくして神の御心に従い奉る。神の御心をわれに顕わしめ給え』
 この祈りの言葉は信仰の真髄を行ずることになるのでしょう。四無量心の慈悲喜捨の中の捨徳を完成するものです。自我心を捨てると云うことは、決して、「自分の希望を成就して下さい」と祈っていないことになります。キリストのゲッセマネの祈りに相当する純粋無雑の祈りです。「随所に主となる」ということは自分の我の思いのままに周囲を動かすと云うことではなく、神の御心を吾が心として、神の御心が周囲に展開することを祈ることである筈です。 

 この頁には素晴らしい解説の言葉が書かれていますので、ぜひ目を通して戴きたいと思います。一日に十回でも二十回でも一分間でもよいので祈りましょうと、常住坐臥の祈りを勧めておられます。
 三のところで、起床直後、就寝前の祈りが書かれております。静かに目を瞑り、自己の内なる神に呼びかけるように祈ることです。祈りの言葉は次のとおりです。
『わがたましいの底の底なる神よ。無限の力よ、湧き出でよ!』であります。
 ちょっとした時間を使って祈ることが大切です。そのためには、祈りの大切さを充分に熟知することが必要です。
さらに、起床直後の祈りが書かれています。
『私は神の子完全円満、これから毎日あらゆる点で一層よくなる、有り難うございます…』このように感謝の言葉を祈ることがよいのです。祈りの言葉としてはこれでよいのですが、自己暗示として活用する時は、20回以上、耳に聞こえるように自分に言い聞かせるようにして唱えてみて下さい。祈りの中と自己暗示と、潜在意識にしみ込みまして、素晴らしい自己変革の効果が現れるでしょう。
 
 この頁にはもう一つ重要な「赦しの祈り」が書かれています。これで四つです。これを覚えましょう。
『私はあなたを赦しました。あなたも私を赦しました。私はあなたに感謝し、あなたを祝福します。あなたがどうか幸福でありますように。』と、祈るのです。赦し、愛し、感謝する。この三つの段階をすぐにクリアー出来ない場合は、「私はあなたを赦しました。あなたも私を赦しました.』と、この言葉だけを感情は込めずに、一日中、自分の言葉で自分の耳に入れるのです。そうすると、必ず、ある時間経過の後に、潜在意識が言葉の通りに感情が湧き起こり、言葉の通りに思えるようになるのです。これが言葉の創化力というものです。
 この神想観シリーズは第一回から第八回まであります。もう一度、読み返すか、コピーするなどして教義を把握して、ご自分の実力を向上させて戴きたいと思います。

【さまざまな二酸化炭素排出削減法】
  この度、上京して色々と、様々な「気づき」と「学び」があった。植樹の難易度やLEDのことや、デスクヒーターというものもあるという。
 フェイスブックという言葉が代表挨拶のN氏から発せられたのには驚いた。教区に帰ってから学んだことを、皆で相談し、可能な限り実行に移していきたいと思う。
 総裁先生は立教記念日のお言葉の中で、日時計主義を小説にされたことを紹介された。また私たちに多様な表現で日時計主義を拡大することを促された。
 私はこのお言葉をお聞きしながら、新時代の息吹を感じた。そして、魂の内部から使命感がわき起こってくるのを感じた。
 国際平和信仰運動は本当に、有り難い、うれしい、時代に入ったと感じさせていただいた。教区の皆様と共に、お言葉を実現し、実践させていただきたいと念願する次第であります。

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 中内 英生

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