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2011年4月

April.30.2011「上京」

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April.30.2011「上京」
今日の詩::東北の 友に会うなり 明日の日に 被災乗り越え 進む姿を

 夕方には、東京に着いた。島根にいても日中は教区内出張が多いので、移動には違和感はない。どこにいても、事務所と同じ感覚である。明日は東北の人々にも会うことができる。そして震災の話がでるだろうと思う。
 
 東京で見た朝日新聞(2011/04/30)の夕刊には「液状化の浦安 立ち上がる住民」と第一面に出ていた。しかし、「神は海を埋め給わず」でありましょう。第二期工事で1980年に完了した地域が液状化しているようだ。東京ディズニーランドはすぐ側だ。ここは干潟を埋めた人工の大地である。干潟が減ることで、海の浄化力が失われ、海の環境汚染の原因になっているということだが、自然を壊さずに人間と自然とが共存する生き方を選ぶか、今までのように自然を支配しつつがんばりで生き抜くかということであろうか。しかし、今までのように生きることになると、再び地震と津波が起こった時にはどうするのであろうか。インド洋沖地震にしても、第二波が来たとも言われている。大きな揺れ戻しである。ないとは言えないと考えられるという一説がある。今までの土地は致し方ないとしてもこれからの土地の埋め立ては、はたして自然との調和に資することになるのであろうか。新聞にはひ弱な地盤をどうするかで、住民の結束が強まっているとしている。プラス的生き方である。

 羽田にしても海のすぐそばまで工場や飛行場が存在する。津波が来ればひとたまりもないのかもしれない。また、遠くにはビルや大きなマンション群が林立する。これが地震国日本の現状である。以前、宮城で起こった地震で、知人の信徒さんが言っていたことを思い出す。「ビルからガラスが落ちてきた」と。日時計主義でない言い方で申し訳ないが、自然とのお付き合いの中で上手にお互いに生かし合い、傷つけ合わずに生きる生き方がある筈である。海を埋め立てて、干潟を消滅させることは、海を傷つけることになりはしないだろうか。干潟の生物は生きていけるのだろうか。遠浅の海の砂を使って陸地に近い部分を埋め立てる。こうすることによって、掘られた遠浅の海は低温となり、死の海となってしまうのである。生物が棲めなくなる。海面からはそれが分からない。そのようにすることは、「人間のような高等な心」がない生物や海そのものは、破壊されることになるが、それは人間中心主義の傲慢さの表現ではなかろうか?などと、その思考の正邪は別として色々と考えてみる。

 明日のテーマは、「四無量心で人と自然との大調和をめざす」「低炭素社会の実現に貢献しよう」の二つであるので、余計に上記のようなことが思い浮かぶのかも知れない。島根の皆様、今日はここまでとさせていただきます。

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 中内 英生

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April.29.2011「明るさの表現は無限大」

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April.29.2011「明るさの表現は無限大」
今日の詩::神の子の 無限を歩む 喜びを 開き給うて 感謝は尽きず

 総裁先生御著書『太陽はいつも輝いている』のはしがき1頁には、次のような内容をお書きになっている。
①明るさの表現は無限である。
②日時計主義は人生の明るい面を記録し、記憶し、拡大する生き方であるから、表現手段は問わない。
③およそ表現芸術ならば、すべてのものが日時計主義を表現できるはずである。
④芸術という言葉は使用しなくても、次のような事柄にも日時計主義は表現できる。
人との会話、表情、行為、メール、手紙、服装などもある。
⑤『日時計日記』という日記帳をつけるだけでも日時計主義は実行できる。
⑥どんな方法を使うかは読者の自由に任せる。

 このようなことが示されています。私たちでも充分にできることがあるのではないでしょうか。既に、総裁先生は、短編集『こんなところに』を刊行しておられます。私たち島根の信徒も、島根版の日時計主義物語を創作してみませんか。
宍道湖には、人工島である嫁が島がありますが、その物語でも創作です。長者の息子さんに見初められた若い女性が亡くなるのですが、この創作を日時計主義に基づいて、なくなる筈のお嫁さん候補の女性が、お父さんお母さんに感謝することにより、お元気になり、素晴らしい結婚をして、長者の家がさらに栄えたという結末に変化させるのでも良いのではないでしょうか。

「白蛇となったヤマタノオロチ」
 また、ヤマタノオロチの伝説は、素戔嗚尊様が退治されたことになっているのですが、八つの頭を一つ一つ切っていった時に、最後に残った頭が前非を悔いて反省をするのです。普通のオロチは頭が七つなのですが、ここにいるオロチはどうしたものか八つになっており、一つだけ脳髄が普通のオロチと違って、反省できるようになっていたのです。それは、オロチの進化の過程で、DNAに突然変異が起こったと考えられるのでした。オロチが自分がしてきたことを懺悔すると、尊さまはお許しになりました。そして、今後は人間のために尽くすようにとお諭しになりました。すると、ヤマタノオロチは、「もう二度と悪いことは致しません。許していただいたお礼に、これから国土の建設に大いに協力させていただきます」と言うのでした。その後、ヤマタノオロチの切られた七つの首は再生していきました。そして、人々が農地を耕す季節が来ると、ヤマタノオロチに頼むと畑や田んぼで身体をくねらしながら耕して立派に農地を耕すのでした。人々は、尊さまがヤマタノオロチをお許しになったように、オロチに対する憎しみと恐怖心を取り除いて、出雲の国を造って行ったのでした。このオロチは、古代の縄文時代以前に住んでいたのでしたが、弥生時代になると、鉄の文化が栄えるようになり、オロチ農耕は不要となりました。そこでヤマタノオロチは、小さな白い蛇に変身したのでした。白い蛇に変身したオロチは神在月に神々がお出でになる時に、毎年お迎えのために、出雲の稲佐の浜の浜辺に行くのでした。
ヤマタノオロチの姿をしていた時代には、すごい恐い姿をしていたのですが、人々の農耕を助けて、洪水の時には、自分のカラダで堤防の決壊を防ぐなどして協力したので、心が清まったオロチは、全身が白く銀色に輝くように変身したのでした。その関係で、稲佐の浜の神迎えの儀式の時には、必ず「白い蛇」が現れるのです。めでたし、めでたし。

 上記は、ワープロしながら考えたストーリーですが、題材になる民話は島根県には沢山あると思います。「森の中のオフィス」の島根版を今からチャレンジしてご一緒に作って参ろうではありませんか。

【中国の労働人口】
 日経(2011/04/29)によると、2010年の中国の人口は13億3900万人であったという。高校生の頃に、テレビで「夕陽と拳銃」というドラマがあった。主人公のモデルとなった人は、宇和島の人である。徳川幕府が伊達家の力を削ぐために一族の一部をここに移動させた。極めて貧しい生活の中で極小藩であった宇和島藩は薩摩、長州、土佐と並んだ時がある。貧しさに絶えて創意工夫で豊かになった宇和島藩は、名君を輩出したのだった。その末裔がモデルになっている。伊達りんのすけという小説上の人物が歌っていた歌に、「馬賊の歌」というのがあった。その中には、「シナじゃ四億の民が待つ」という歌詞があったことを記憶している。小説にはない伊達りんのすけの最後は悲しいが一つの時代を駆け抜けた風雲児であったようだ。4億人から現在は、13億人である。一人っ子政策でも堕ろすことができない母親が生かした人々が無数にいるとも言われている。従って、それ以上の人口なのであろうか。しかし、かつて統計では聴いたことであるが…。
 中国での少子高齢化が急速に進んでいるという。中国国家統計局が28日に発表した2010年の国勢調査では、65歳以上の人口比率が8,9%に達した。前回の2000年の調査に比べて1,9ポイント上昇したという。30年にわたる一人っ子政策の影響で、子供の数が減少している。専門家の間では、労働人口が2015年頃から減少に転ずるとの見方が多いという。人口動態の変化は将来の中国経済の成長を下押しする要因になる恐れもあると報道されている。
 このことを考えると、当然のことながら世界経済も影響を受けるだろう。商品にしても、現在のように中国製品が溢れるという時代が長く続くかどうかは解らないということになる。私が出雲で日常購入する衣類やスーツケースやハサミにしても、中国製品以外のものを捜すのが難しい状況ではある。中国の一人子政策がどうなるかが注目されるようだ。
  
【昭和の日】
 今日は昭和の日だった。戦前、戦中、戦後を通して国民と共に生きてこられた昭和天皇様への心からなる感謝を捧げさせていただいた一日だった。有り難うございます。

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 中内 英生

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April.28.2011「津和野を行く」

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April.28.2011「津和野を行く」
今日の詩::母の日に 感謝で捧げる 富士の山

 ::温かき 津和野の山は 雨に濡れ

 初めて津和野へ行った。益田から約20㌔㍍だ。津和野は10年以上前には拠点があったという。しかし、現在はない。従って再び拠点を作りたいという思いで、益田のお二人の幹部さんのご案内で津和野へ行った。故・元白鳩会支部長さんのご主人がおられた。ご仏前にて聖経『甘露の法雨』を拝読させていただいた。もう一箇所は、やはり支部長さんをしておられたという方の所へ行った。玄関先でお目にかかったが、目的とする人にお会いできて良かったと思う。来月、益田市では「相・白・青」合同の一日見真会が行われる。この見真会にお出でいただければ幸いである。拠点は実に大切だ。拠点が無くなると、その地域との組織的交流は難しくなる。拠点はどうすれば増えるか?。どうすれば津和野の人々にみ教えをお伝えすることができるだろうか?。血液循環が悪くなった時に拠点たる細胞は死滅するのではなかろうか。講習会が教区への二年に一回の大動脈であるとすれば、組織はその動脈の血液を末端まで送り届ける毛細血管であるように思う。そして、毛細血管が次第に伸びていく。毛細血管は第一線組織であり、その中を流れるのはみ教えであり、地方講師の純粋な信仰でもあろう。祈りつつ、色々と考えつつ、帰路についた。有意義な一日だった。

  行って見ると案内の方の知り合いのお店の前に車は停まったが、そこは有名な鷺舞の師匠の家だった。鷺舞はテレビで一度見たことがある。鷺舞は、津和野の弥栄神社に伝わる古典芸能の神事であるようだ。毎年、祇園祭の7月20日に舞うという。天文11年(1542年)に時の津和野城主吉見正頼公が山口の祇園会から移し入れたらしい。元は京都の八坂神社祇園会である。京都から山口へそして津和野に伝わった。これなども継続が力になっている。伝統を作るには、毎日絶やさず行うことが大切であろう。金沢の金箔工芸でも京都から伝わり、京都には箔師が消滅しても、金沢では生き続けている。従って金閣寺の金箔は金沢の金箔が使われたという。私たちの宗教行事である神想観やご先祖供養祭も家の伝統行事として継続する時、大きな力となるのではないでしょうか。

【知らずに犯した罪とは?】
 案外、こんなことがあるのではなかろうか。『生命の實相』頭注版第1巻183頁には、「無知無明」という小見出しがある。ここに書かれているエピソードをご紹介したい。これは有名な話であるので、知らない人はいないくらいである。
 ある日、修行中の弟子が、シャカに向かってお尋ねしたという。『知らずに犯した罪と、知って犯した罪とどちらが重いでしょうか』と。すると、お釈迦さんは、『知ってやけ火箸を握るのと、知らずに焼火箸を握るのとでは、どちらが大きな怪我をするか?』と逆質問をされた。弟子は答えた。『それはお師匠様。知らずに握った人の方が、ぐっと握りますので、大きな火傷をするでしょう』と。シャカはニコニコ笑って言われた。『そうじゃろう。だから知らずに犯した罪は、知って犯した罪よりも深いのだよ』と。これは大切なことです。直接的にも法的にも罪を犯していなくても、例えば化石燃料を使うことでも、法的には犯罪とはなりません。しかし、それは知らず知らずのうちに、結果的に自然を破壊し、地球環境において、多様な生命体群を死地に追いやっていることになるのです。そのシステムが既に私たちには解っています。知らずに犯した罪というよりも、知って犯した罪という部類に入るのでしょうか。いずれにしましても、「諸悪莫作、衆善奉行」であります。その善業の積み重ねが必ず、将来に於いて未来に於いて、善果を結ぶことは確実でありましょう。

 また「知る」ということは、上記の「知る」という意味はさらに深くなりまして、私たちに於きましては、「真理を知る」ということになります。本当の自分は完全円満であると言うことを知るということです。そして真の自分を包んでいる迷いを洗い浄めることです。そうすると、キリストの場合は、「キリストの身体に聖霊が鳩のように天降った」と聖書には書かれているそうです。キリストは神の子の自覚に入ったのです。それには神想観の実修が不可欠です。また、出雲練成会では、「浄心行」という宗教行事が行われており、罪・迷いを取り除くことができるのです。
 この章には、松本外次さんという人が、「道」の話を病人にすることにより病気を治されたことがかかれています。彼は陰徳を積むことをモットウにしているので、平野町新聞社の人が取材に行ったが取材を断られたそうです。それくらい徹底しているようです。病人に道の話、真理の話、心の持ち方を指摘して病気が治るということは、病気は罪や心の障りから起こり、罪の意識を除き、心の障りを除けば、自然に治ることを示しています。
 この真理は大変有り難いことです。常にストレスをなくしてさっぱりとした気持ちで生活し、健康でいきいきとした日時計主義の日常を過ごしたいものです。これすなわち、大事業が完成しなくても、そのままで偉大なる神の子の人生であります。神の子は、それを自覚し、日時計主義を生きるだけで偉大な一日であるのです。しかしそれには三正行が不可欠です。今日も一日、しっかりと実践いたしましょう。

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April.27.2011「神の善意と人間神の子の悟り」

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April.27.2011「神の善意と人間神の子の悟り」
今日の詩::春雨や 降れどうれしき 港町
(浜田市は漁港です。)

 「善なる神」とせずに「神の善意」としたのは、聖典にそう書かれていたからである。神の善意とすると、人格神を思う。人間自身が人格であるのだから、その元である神様は神格として御意思を持っておられると予想できるのではなかろうか。神を愛する神想観で、「神は自分を愛している」と念じていると何だか本当に愛されているという気持ちが湧いてくる。また、「神示」を拝読していると、神さまは法則であると同時に、人格であるという気がしてくる。従って人格的に神様を知るということが大切なのであろう。なぜならばこのことが「使命感」につながると考えられるからだ。

 『生命の實相』頭注版第8巻86頁7行目には、「念のレンズ」すなわち「心の鏡」になぜ曇りができるかというと、心が外界の印象を受けるからであると書かれています。しかし、外界の印象を受ける五官感覚を閉じる必要はない。それにとらわれない自由自在の境地になればよい、とご教示されています。ここは非常に重要な箇所であると感じました。外界のことにとらわれなくなるには、外界が良いものであると思えるようになる訓練をする、すなわち、日時計主義によって良きもののみを、心に、自分の念に印象させればよいと言うことになるのでありましょう。私は、昨年度は、毎日10項目、良いことを書いてきましたが、今年度は毎日3つくらいは、良いことを書いています。それでも、心が良いことを思うように習慣がついてくるのです。これが実相世界の良さを引き出す導線となるようです。

  この章は、特に健康面だけのことではないようですが、「無限生命に汲む道」とありますので、どれだけ働いても疲れることなく、病気になることもなく元気はつらつであることが想起されます。健康維持・体力維持のためにジョギングをときどき行っている人が近所におられますが、すごいと思います。100歳過ぎて一定距離をジョギングする男性がおられましたが、これもまたスゴイと思いました。
 しかしもし、病気になったときはどうすればよいでしょうか。『生命の實相』には、メーカーに持っていくようにと御教示されております。人間のメーカーとはどこであるかといいますと、神様です。すなわち神様に全託するのです。これほど強い治療法はありません。病気になってまずしなければならないことは何であるかと云いますと、病気を忘れることです。これは難しいことのようですが、病気に引っかかるほど病気の進行に協力することになります。従って、病気を忘れることが大切であり、その代わりに完全円満なる自分の生命の実相を強く意識することでありましょう。
 
 恨んだり憎んだりするとアドレナリンの放出を許すことになります。従って病気が良くなることが難しくなるのです。「赦しの祈り」という祈りがありますが、これは奇跡の祈りと言われているようです。それは奇跡を生じるからです。み教えでは、病気をしているのが奇跡であり、健康が当たり前であると教えられていますが、赦し難い相手を赦すことは、病気を消し去る秘訣であると教えられています。
 かなり前になりますが、私がお会いした男性で出来る筈がない左の足の付け根に軟骨ができており、切除しましてもまたできておりました。どうしたものか、お父さんと不仲で度々ケンカをしておられたようです。そのお父様と和解の祈りをしておりましたところ、自然に軟骨は小さくなり消滅してしまいました。和解し感謝する心が、「なる筈のない病気」を消し去った実例でありましょう。
 神様は善なる人間、完全なる人間の実相しか作っていなかったのです。そのことを信じて神想観をし、感謝致しましょう。

【浜田地区先祖供養祭】
 今日は午後、浜田地区の先祖供養祭があった。相・白が参加できる会合として、親しまれている。始まってから一年以上経った。浜田市は、谷口清超大聖師がみ教えにお触れになった所である。一ヶ月に一回、2時間の会合だが喜んでくださっている。長くなく短くなく、毎月続けられる会合ということになっている。私は神官を奉仕させていただいた後、真理講話を30分間させていただいている。今月のテキストは、『新版 女性の幸福365章』と『新講 甘露の法雨解釈』であった。2時間の行事はあっという間に終了した。もう少し聴きたい、というところで、「では来月のお楽しみ!」といってお別れする。あとは地元の誌友会に力を入れていただくことになっている。ともかく、第一線の誌友会を充実させて、ここで体験がでてくることが大事である。発展のポイントはそれ以外にない、と思う。

 今日も、参加者の信徒の皆様とともに、聖経『甘露の法雨』を真心込めて拝読させていただいた。東日本大震災で亡くなられた人々への慰霊と、霊牌に書かれた人々のために、である。まことにも「継続は力」であると言われているように、継続していると何らかの形で素晴らしいことが起こるようである。努力し継続しても何も起こらないこともあるのに、努力し継続していなければ、良きこと建設的なことは何事も起こる筈はありません。まずは、宗教行を、良きことを、実行し実践致したいと思う。

 信仰深き一人の信徒さんが育つことは実に長い時間がかかることです。私の家の庭には野菜が植えられていますが、深切な信徒さんが植えてくれました。しかし、いつも草を取り除き、夏場は水をホースで撒き、肥料を与えておきませんと良き野菜は育つことは難しいようです。スーパーには野菜が沢山並んでおりますが、野菜作りのプロフェッショナルが作っているのです。それはそれは子供を育てるように丹精を込めて作っておられるのです。この度の東日本大震災や原発事故で野菜や農作業ができなくなった方々のお気持ちはいかばかりかと思います。信仰者はけっして野菜ではありません。野菜以上のものです。

 毎日、愛を注ぐ必要がありましょう。毎日、智慧を与える必要がありましょう。毎日、讃嘆の言葉を降り注ぐ太陽のように与える必要がありましょう。与えること多きところに収穫があります。神様の愛を絶やすことなく、己がパイプとなって相手に与えていきたいものです。「神よ、我をして、神様の無限の愛と知恵と生命とを、総裁先生の御心を、人類に島根の人々に供給するパイプとならしめ給え」。これが私たち信仰者の祈りであり、何らかの結果が出ましたならば、それは「神様のお力が現れたのあり、総裁先生のお力が顕現したのである」と己を神様の背後に置き、総裁先生への中心帰一の思いを深める必要がありましょう。そこにこそ、限りなき神の御栄えが顕現すると確信致します。

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April.26.2011「IT研修会開催」

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April.26.2011「IT研修会開催」
今日の詩::一日を 終えて互いに たたえ合う 神の子の技 みな素晴らしい

 今日は島根教区としては、初めて「平成23年度第1回 IT研修会」を行った。IT研修会指導責任者を栄える会副会頭I地方講師とし、二人の職員がスタッフとしてついた。また、パソコン専門の出入りの業者K氏が終日指導して下さった。心より感謝申し上げたい。IT研修会は、最低線確保したい技術として、総裁先生、白鳩会総裁先生のブログを日々拝読することである。(青年会の方々にはフェイスブックの総裁先生の英文の御文章の拝読を勧めている。)さらに、ポスティングジョイ投稿や教化部の写メ俳投稿やご自分のブログ開設ならびにみ教えの拡充(島根教区版の日時計主義の具体例的展開や「島根版森の中のオフィス的展開」の記述などを含む)と意見表明など、到達したい目標は大きいと思う。参加者は12名だったが、島根としては人数的にも内容的にも大成功だったと思う。
感想文が来ているので、ご紹介したい。

 ありがとうございます。とても楽しい研修会でした。参加して良かったと思います。知らないことを知ることはうれしいことです。今日、学んだことを忘れないように、家で練習したいと思っています。次回を楽しみにしています。有意義な一日でした。ありがとうございます。女性地方講師・組織役職者 Mさん。

 初めての研修会で分からないことが少しでも体得できました。良かったです。ありがとうございました。 女性地方講師・組織役職者 Yさん。

 参加させていただき、とても嬉しく有難い研修でした。顔ぶれが多彩で、生長の家の研修会としてはとてもユニークな感じがします。それがとても良いハーモニーをかもし出しています。2、3、4回全て参加した最後には、とても自信がつくと思います。まだまだ知らないことが沢山あるITの世界ですので、一つ一つ知識が増していくのが楽しみでたまりません。女性地方講師・組織役職者・ブログは既に開設している。 Nさん。

 良い機会を与えてもらってありがとうございます。次回まで少しづつ実習してみます。
次回の研修が7月なので待ち遠しいですね。4回目12月まで欠かさず出席したいと思います。 組織役職者 女性 Mさん。

 少し分かる様になりました。教えて頂いたことが良くわかります。ありがとうございました。女性 組織役職者 Aさん。

 パソコン教室は民間、団体を通し始めての経験でしたが、インターネットのおもしろさ、すごさが分かった気がしました。ポスティングジョイを出来れば毎日開いてアクセスを勉強してゆきます。今日は有意義でした。 熟年男性 元組織役職者 地方講師 Oさん。

 せっかく来たのに、ウィルス診断で「あやしい」と判断。購入先でチェックして、適正なPCを持ってインターネット等の知識の習得に勉強したいです。男性 組織役職者 Mさん。

① 聖歌に始まり、お祈りの後、オリエンテーション等…さすが生長の家のIT研修会。感激しました。次回まで今日実施したことをくりかえし復習したいと思いました。
② 係、担当の方々のお世話に感謝感謝です。
③ 今年の暮れまでには、使いものになるよう努力します。  男性地方講師 Fさん。

 最近のITのスピードの早さは、目まぐるしいものがあります。ネット関係の言葉自体が理解できず、とまどうことばかりです。今回、この研修会に参加させて頂いて、色々な知識を身に付けられることを楽しみにしています。分からない事が、分かることは、大変うれしいです。ありがとうございました。男性地方講師 組織役職者 Tさん。

 時に新しくおぼえたのは少ないですが、帰って練習することが重要と思います。
栄える会幹部 男性 Hさん。

 有り難うございます。午前、午後とも行き届いた配慮をいただきましたことを心より感謝申し上げます。楽しい時間でした。次回もまた参加したいと思います。ご多用なところ本当に有難うございます。  女性地方講師、組織役職者 ブログ開設者 Aさん。

 「ねばならぬ」の心情から抜けきらないと予想もできないキカイの働きの大きいのに足ぶみの連続でした。然し機械に親しみ向かいあって楽しみたく思うことができ、お陰様でした。合掌 ありがとうございました。 女性地方講師・熟年層・チャレンジ精神がすごい人です。 Aさん。

  研修会終了までに感想文が出ていたのは、以上だった。何よりも継続が大切である。私も毎日継続して現在まで来させていただいた。リアルとバーチャルの両立を目指して光明化運動に邁進できる島根教区になりたいと願っている。

【青年会のフェイスブック御文章輪読会始まる】
 今日は、フェイスブックでの総裁先生の長文の英語をテキストとして学習会が行われた。訳文はすでに御発表されているので、内容は分かる。しかし、英文は総裁先生の英語圏の方々へのご指導の御文章であるので、逆に英文から意味を知ろうという試みである。字句の一つ一つに思いを込めて訳するので、さらさらと日本文を拝読するのとは違った印象を受ける。NOVAでの一回の学習では40分間か45分間であるので、この学習会も短く60分間として、できるだけ多く開催できるようにという意見がだされた。充分に頭の体操になる。委員長さんが英語が堪能であるのと、私がほんの少しかじっているということでこの学習会が成立したようだ。英文で日常的にフェイスブックに書き込みができる青年が一人でも多くできるように願っている。

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April.25.2011「チャリティコンサート”生長の家聖歌を聴く夕べ”」

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April.25.2011「チャリティコンサート”生長の家聖歌を聴く夕べ”」
今日の詩::葉桜に いのちの息吹 目に映る

 今日は、今夏開催予定の「第二回 生長の家島根教区チャリティコンサート」の打ち合わせが行われた。活溌な意見が交わされた。このコンサートは、本部にて長年開催されているコンサートの島根教区版である。谷口雅春大聖師や谷口清超大聖師が御作曲された聖歌を中心に歌うことになっている。これが島根版のコンサートのコンセプトである。聖歌以外にも歌いたいという意見も出されたが、それは希望者が別の場所と時間を設け、生長の家の名前を出さずに、ファンが集まって大いに歌えばよいと思う。そうしないと、「聖歌に親しむ」というコンセプトがぼけてくるからである。ぼけてくるとどうなるかというと、同じ歌を歌うもっと上手な人たちがいるということになり、そちらの方が良いということになる。このコンサートは個人の歌唱力の発表場所ではなく、聖歌と信仰の素晴らしさを発表する場である。

 このコンサートはいわゆる、楽しく歌を歌い、聴くコンサートではなく、聖歌の意味を深く知ることにより、信仰を深めて、今後の国際平和信仰運動のエネルギーまたは原動力とするためである。それが主宰者の意図であり、目的である。従って、参加者はすべて聖使命会員以上だ。これをハッキリさせておかないと、上手な人がいるので歌ってもらおうということになり、焦点がぼけてきて、おそらくコンサートの開催そのものが消滅してしまうだろう。
 また、このコンサートは日時計主義の展開として多様な運動を行うという意味に於いても有意義であると考えられる。それ故に、単に人を集めるためでもない。楽しい踊りや歌で娯楽的に演技して沢山の人を集め、そこで少しだけ聖歌を聴いてもらうというのでもない。

 従って、聖歌の雰囲気を壊さないような全体の内容が求められる。それ故に会場は、昨年同様に、出雲市駅前のコンサート専門の会場である。私はマイクを使わずに肉声で聖歌を歌う声の素晴らしさにも感動した。そんな場所だから、土曜日と日曜日は予約が殺到し、光明化運動の諸行事の関係もあり、残念ながら木曜日(8月25日夜)しかとれなかった。諸行事というと、各組織の行事や、また全国行事、教区全体の行事とのかみ合いもあるからである。その中で生長の家の関係者である多用な人々がお集まりになり、「聖歌の真髄に迫る」。これは私たちの信仰生活に於いて実に素晴らしいことであると思う。白鳩会の聖歌隊は指導者が大変素晴らしく、またそれに応えられるような練習を充分にこなしていると聞いている。

 一昨年度に第一回目を行ったが、白鳩会の聖歌隊が歌う谷口清超先生がお作りになった歌が聴衆を魅了した。私自身も、初めて聖歌の素晴らしさを解らせていただいたように思う。まるで天国で天使たちが歌っているような感動を覚えた。聖歌隊の歌う歌は、全国幹部研鑽会(旧全国大会)や白鳩会教区大会で聴いているのだが、「聖歌を専念して聴く」という状況ではない。従って、「聖歌は素晴らしい」とは思っても、その歌詞とメロディーの中に溶け込むことは難しかった。一昨年、聖歌を聴いた素晴らしさを、島根の全員の信徒の皆様にお聴きしていただき、知っていただきたいと念願している。しかし、島根は長いし、遠くは隠岐の島の海外?まである。従って、後日、DVDで聴いていただく以外にないだろう。

 今回のコンセプトは、勿論聖歌に親しむことであるが、東日本大震災の慰霊と復興の祈りと願いを込めて行われる。そして、集まった募金は前回同様に、本部に倣ってユニセフへ送られる。インターネットで調べるとユニセフでも募金を行っていた。島根教区に於いて、可能な限り多様な運動を行い、あらゆる機会を通じてみ教えの宣布を行っていきたいと思う。島根教区の教勢の発展はこれからである。

 谷口清超大聖師がお作りになった聖歌は、大聖師のお立場が広く大きくなるに従って、お使いになる楽器類も表現に幅のあるものに変化しお使いになっておられたようである。その集大成が聖歌であると考えられる。私たちは、聖歌の真髄に超入することにより、大聖師から、神様から、神の国のエネルギーを吸収して、日々の日時計主義の生活に、人類光明化運動に、国際平和信仰運動に、物施である環境問題への取り組みに、邁進していきたいと念願している。目指すところは、当然のことながら、島根教区版『森の中のオフィス』である。

【雲南先祖供養祭】
 今日は午後には雲南地区で先祖供養祭が行われた。相愛会、白鳩会の皆様がお集まりになる。ちょっとした楽しみだが、お供えにはその土地土地の老舗のお饅頭が供えられ、それをあとでいただくことができる。雲南はこれまでの基盤が充分にあり、さらに充実していくだろう。大いに期待できる地域である。

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 中内 英生

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April.24.2011「想定外津波」

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April.24.2011「想定外津波」
今日の詩::経響き 聖姉のそばに 百合の花

 想定外とはなんであろうか?本当に想定していなかったのだろうか。朝日新聞(2011/04/24)には、「想定外津波」の到来を東電が試算していたことが記されている。「福島第一原発では、”50年以内に10%”である。5年前にその研究を発表している。地震学者にしても過去のデータを見て、全くないとは考えていなかった筈である。ただ、一般的な世論の流れに人の心は動かされ易いので想定外という考え方があったのであろう。私が金沢に住んでいた頃に、金沢大学の地震研究の権威者が新聞に書いていた。これは阪神大震災の時の可能性についてかつて発表していたのだった。しかし、その教授にしても、その警告を強調していなかったことを残念がっていた。可能性ということを考えてみると、太平洋プレートが北アメリカプレートへ潜り込むのであれば、当然大きな災害の想定以上の対策を立てるべきなのであろうが、残念ながらそこまでは至らなかった。今後の大きな課題である。しかし、これは人ごとではない。近くに島根原発があるのだから。

 東京電力は、福島第一原発に、設計の想定を超える津波がくる確立を「50年以内に約10%」と予測して、2006年に国際会議で発表していたという。東電は、「試算の段階なので、対策にどうつなげるかは今後の課題だった」と説明しているようだ。しかし、予測はしていたようだ。予測はしていたが対処していなかったというのは、どこに動きの原因があるのだろうか。電力会社は他に競争相手がないからであると指摘する有識者もいるようだ。独占企業の場合は、改善の努力が遅れることもありうるのではなかろうか。『生命の實相』頭注版第1巻6頁4行目には次のように書かれている。

 進化といい生存競争といい優勝劣敗と申しますのは、いずれもこの現象をいいあらわしたものなのであります。生存競争にやぶれたものは何か自分と競争している同輩に打ち負かされたように思って恨んだりしがちでありますが、実は誰にもうち負かされたのではないのであって、生命顕現の法則に最もよくかなうもののみ最もよく生長するという、厳とした法則によっておのおのの「生命」は宣告されているのであります。競争者があるがために滅びるような生命は、競争者がなくては生長しないで退歩またはせいぜい現状維持ぐらいのところでお茶をにごす退嬰的な生命であるに相違ないのであります。結局かかる生命はその生長を鞭撻して促進するために競争者があらわれたり、苦痛や不幸が現れたりするのでありまして、競争者や苦痛や不幸は、その人の生命の生長にはぜひなくてはならぬ迷妄の自壊過程であります。この刺激や反省資料があるためにわれわれの生命は反省の機会を与えられ、浄化の機会を与えられ、いろいろの経験を積んで生長することができるのであります。

 おそらくなんらかの形で、想定内として対応を怠らなければ、現状の津波被害および原発事故がより少なくて済んだと考えることもできるのではないでしょうか。今後のエネルギー問題の行方を注目したいと思います。二酸化炭素削減には原子力発電は不可欠であるという考え方もあります。しかし、もしものことがあれば生存さえも脅かされる危険性があるのであれば、これ以上に手を付ける必要があるのでしょうか。放射性物質は、次世代倫理の立場から考えましてもよろしくないと考えられます。1000年間は保管可能な容器に入れておきましても、1000年はすぐ来てしまいます。現代の人々の暮らしを便利快適にするために、1000年以降に生きている子孫の生存権を無視して善い筈はありません。太陽光発電や水力発電の技術開発など、原発以外にもいくらでも発電方法があるということを知る必要があります。

 東電原子力・立地本部の安全担当らの研究チームは福島原発を襲う津波の高さを「確率論的リスク評価」という方法で調べたそうです。06年7月に、米国であった原子力工学の国際会議で発表しているとしています。
 報告書は「津波の影響を評価する時に、「想定外の現象を予測することは重要である」と書き始められている、としている。報告書によると、東電は、慶長三陸津波(1611年)延宝房総津波(1677年)などの過去の大津波を調査したのでした。予想される最大の地震をマグニチュード8,5と見積もり、地震断層の位置や傾き、原発からの距離などを変えて計1075通りを計算している。津波の高さがどうなるかを調べています。
 東電によると、福島第一原発は5,4~5,7㍍の津波を想定した。しかし、報告書によると、今後50年以内にこの想定を超える確率が10%あり、10メートルを超える確率も約1%弱あったとしている。これは想定外を想定しているのだから、想定内である。
 報告書は、「想定を超える可能性が依然としてある」と指摘していたようだ。「津波についての知識が限られていることや、地震のような自然現象にはばらつきがある」ことを理由に挙げているという。ばらつきということは、思ったよりも弱かったという場合もあれば、思った以上のことが来たということも大いにありうる。科学技術の発達の大きさが、これまで人間の力で自然を押さえ込んできたという奢りを増長させていたのかも知れない。がしかし、何故にこの考え方・調査結果が生かされなかったのであろうか。
 確率で原発の危険度を評価する方法は、地震の揺れが原因になるものは実用化されているが、津波についてはまだ基準が決まっていないという。だから、防備を怠ったということであろうか。
 報告書について東電は、「津波の評価法を検討するための試算段階のものである。まだ広く認められた方法ではないので、公表は考えていない」と説明しているという。
 また、設計の想定を最大5,7㍍と決めた根拠について、東電は明らかにしていないようだ。
心の緩みとも云うべきだろうか。地震と津波という古来からの地球の鼓動以外にも、組織全体に、または人類の心の中に何らかの心の問題があったのではなかろうかと私は想定するのである。

【谷口輝子聖姉23年祭】
今日は谷口輝子聖姉の23年祭が出雲の教化部会館で厳かに挙行された。益田、出雲、松江の三会場を結んでの御祭であったが、やはり50人を超える参加者がお出でになるのは有り難いことである。それぞれの会場からご挨拶をいただいたが、私は出雲の教化部から約20分間、ご挨拶をさせていただいた。23年も経つと、谷口輝子先生にお目にかかった人が次第に少なくなってきていることを感じる。できる限り、谷口輝子聖姉様の素晴らしさをお伝えさせていただきたいと強く思った次第である。

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April.23.2011②「大震災の意味を問う(2)を拝読して③」

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April.23.2011②「大震災の意味を問う(2)を拝読して③」
今日の詩::窓開けて 温泉のように 湯を楽しむ
(平成22年10月18日の分)

  このテーマでは最終回となる。総裁先生のブログを何度も読み返していくうちに、次第にその真意が理解できてくるような気がしてくる。あくまで、「気がしてくる」の域をでないのが少し悲しい。さて。
 最後は法則の問題である。「与えよ、さらば、与えられん」「奪えば、奪われる」という心の法則である。個人のレベルでなく、国家・社会のレベルで自然との関係を振り返ると、これまでに自然から奪い続けてきたと書かれている。南九州での口蹄疫の発生の時のブタや牛などへの仕打ちの例がある。これは、公衆衛生上の理由ではなく、経済的な理由で十万頭以上の家畜を処分している。それ以外にも、経済発展という目的のために、数多くの生物種を絶滅に追いやってきた。
「そういう我々が、自然界から、”奪われないで済む”と云うことはない、と私は思う」、とお書きになっておられます。

 私も同感であります。島根でも、鳥の飛来によりその鳥が鳥インフルにかかっているということでニワトリが殺処分されたようです。養鶏家にとっては病気の鳥が飛んでくることは、悪魔が舞い降りるように思うかも知れませんが、ニワトリにとってはそれ以上の恐怖でありましょう。私は夜、教化部から自宅まで徒歩で帰ることが多いのですが、ガラス張りの焼き肉店では美味しそうに笑顔で焼き肉を頬張っています。しかし、食べられる牛さんは笑顔でいることは難しいでしょう。宮崎の殺処分のことを以前に書いたことがありますが、許可を受けた獣医師が電気で処理するのです。そのすさまじさが新聞の紙面から溢れていました。(朝日)。二度と食べることを忌避したくなる記事でした。

 また、私がお世話になっていた教区の大きなスーパーマーケットのチェーン店の社長さんがアメリカでに視察に行ったとき、タワーの一番上に、牛をベルトコンベアーで上げてから処理して一番下からは肉がパックに入って出てくるようになっていたそうです。ベルトコンベアーで上げられる牛を見ると、どの牛も涙を流しており、とてもみておれなかったそうです。現代では「とさつ」という言葉は漢字変換でもでてきません。音が完全に出ない建物の中で処分されているようです。「いのちの食べ方」という映画がありますが、垣間見ることができます。

 アメリカのリョコウバトやドードー、オーストラリアの有袋類など、ニホンオオカミや日本朱鷺、吾が郷土の高地県では、軍人の靴の為に利用したニホンカワウソ、人類が欲望のために絶滅させたさまざまな動植物は数えられないほどです。それらを今後、生かす。自然との大調和を実現すべく私たちの運動はあります。世界の歴史を変える運動であります。

 谷口雅春大聖師が、昭和40年代の『理想世界』誌でしたか、「日本がなぜ戦争で多くの人々は亡くなったのかの理由は、肉食である。」と書かれており、いまだにその強烈な印象が忘れられません。明治以降、日本人は肉食を始めました。また、伊勢湾台風以降、ブタの養豚が流行りました。アメリカから入ってきたようです。そして、外食産業のハンバーガーの普及により、日常的に牛肉を食べるようになったようです。
 日本人は蘇我入鹿が仏像仏教を日本に導入してから仏教が盛んとなり、物部氏の滅亡とともにさらに広がりました。そして、魚を食べることも嫌っており、ウオではなく、「栄える菜っ葉」すなわち「さかな」と名付けたようです。また、うさぎも、四つ足ではなく、鳥であるとして一匹を数えるのに「イチワ」というそうです。そのように、殺すことを嫌う日本人が現在では、肉の味を楽しむために食べるようになっているようです。
 
 肉食に関しては、①肉体的に内臓に負担がかかりすぎる。②宗教的愛・慈悲の立場から動物を殺して食べるのはよくない。③環境問題を引き起こす、という三つの視点から、肉食を減らすようにお勧めしております。しかし、ここに至りまして、総裁先生は、「殺す者は殺される」という法則があることをご指摘くださっております。
 島根の信徒の皆様、肉食の問題をもう一度、しっかりと学習してまいりましょう。そして、神の御心に適った食生活を実践し、周囲の人々にお勧めして参ろうではございませんか。

【錦織さんら慈善サッカー】
 朝日新聞(2011/03/26)によると、松江出身の錦織さんらは、3月23日、米フロリダ州マイアミで東日本大震災の被災者を支援するサッカーの慈善試合に参加したそうだ。1月の全豪オープンを制したノバク・ジョコビッチ(セルビア)が呼びかけ、ラファエル・ナダル(スペイン)らがチームを組み、地元のサッカークラブと対戦したという。テニスの選手がサッカーとは不思議な感じだが、目的が慈善サッカーである。

 「日本の希望」と名前を付けた試合は、地元の高校のグランドで行われた。約800人の観衆が集まったようだ。試合前のセレモニーでは日の丸と共に地元の日系人生徒らが選手と手を繋いで入場した。君が代を斉唱した。開始から約15分間、走り回った錦織さんは、多くの人が集まって驚いていた。また、ジョコビッチさんは、「祖国の戦争で災害に近い経験をした。日本の困難な状況に対して何かしたかった」、と話したという。ジョコビッチの愛の心、慈悲の心に心から感謝する。約810万円の義援金があつまったという。
 錦織さんが、アメリカに渡ってもがんばってくれていて私たち島根県人は大変うれしいです。

※(平成22年10月18日の分) と書いていますのは、何かアップしておりますが、文章ではアップしておりませんでしたので、補充したものです。悪しからず。

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April.23.2011「大震災の意味を問う(2)を拝読して②」

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April.23.2011「大震災の意味を問う(2)を拝読して②」
今日の詩::庭に咲く 名も無き花は 美しい
(「名も無き花も」、ではなく、「名も無き花は」です。名も無きというのは自分が知らないだけでして、今はどの花を見ても美しいと感じる。)

  大震災への遭遇の細部はそれぞれの人々に違いがあるが、大きな流れを見ると、東日本大震災に遭遇した人や被災しなかった日本国民の大多数の「大きな流れや傾向」は何であるかということに言及しておられます。私たちはこれをしっかりと把握しておく必要がありましょう。
 結論は「想定外」という言葉であるとしておられます。この言葉は、「○○○モン」という人が多用したように記憶しております。
 大多数の国民が、日本が地震国であり、現在まで実際に大きな地震や津波が頻繁に起こってきていたのにも関わらず、それほどのものは来ないだろう」と高をくくっていたのであるとしておられます。確かに、「この防波堤を越えるとは思わなかった」という言葉をテレビで聞きました。それは、自然のもつ脅威のすごさを忘れていたという以外にありません。

 私が子供の頃、母親から常に聞かされていた言葉は、地震になったら「トイレに逃げ込め」という言葉でした。トイレは狭い場所に柱が沢山あるので潰されにくいからでしょう。また、竹藪に逃げ込むようにも言われました。竹藪は地盤に竹の根が張り巡らされているので、安全であるのでしょう。それは私が生まれる前に南海大震災があり多数の死傷者が出たからでした。津波のことも学校でよく聞きました。その慰霊碑が私が小学校の時に、小学校にありました。忘れないために目につくところにということでしょう。しかし、その後様々な場所を転々としているようです。人々が地震を忘れてきたからかもしれません。

 「想定外」という言葉は、一般の人には想定外でありますが、専門家から言わせると起こるべくして起こったというのが正しい表現かも知れません。ここには、谷口純子先生がご紹介された寒川旭氏著、『地震の日本史』の内容をご紹介しておられます。お時間があります方は、読んでみて下さい。大地震と大津波が起こるまで、社会全体は、「そんなものはもう来ない」とか「来ても防波堤で防げる」とか、「原発もこの程度の備えで地震に対処できる」などと考えていたのではないでしょうか。これは自然の力を侮ってきたことになると考えられます。

  言い換えると、科学・技術の力を過信していたといえるようです。また、自然に対して傲慢な考え方を持ち続けていたとも言えます。私は何度か原子力発電所へ行ったことがありますが、担当官の人から「如何に原発は安全であるか」の説明を受けた記憶があります。それは結局、人間至上主義が根底にあるからであると結論しておられます。「科学技術の力で自然界の力を押さえ込む」という考え方をし、かつそれを実行してきたのであります。ダム建設の護岸工事、防波堤、原子炉の圧力容器の構造などにも反映していると書かれています。

 地震雲というのをご覧になった方はおられますか。私の親類は、東海地方に住んでいるのですが、大震災の一週間前に多数の地震雲を見たそうです。これは地盤のきしみと移動によって、電磁波が発生してそれが空の雲に変化を与えていると考えられます。東海地方でもそうですので、おそらく東日本でも発生していた可能性があります。イルカの打ち上げなどが報告されていましたが、海を迷子になることなく泳ぎ回ることができる生き物は磁力線などの動きに敏感なのでありましょう。あくまで個人的な推測ですが、地震が起こることは南北の磁力線や地磁気に変化をもたらしてイルカの判断力を狂わせたことが考えられます。

 いずれにしましても、「天災は忘れた頃にやってくる」という諺はどうも真実であるようです。忘れる、すなわち危機感の喪失です。また、自分の力で自然の力を何とかすることができるだろうという傲慢な考え方でもありましょう。地球はなぜ丸いのか。それはマグマという液体が本質だからである。液体であるマグマが動く。従って、その表面にあるプレートが動く。そのプレートの上に私たちは生活させていただいている。これを理解する必要があるようです。
 今ひとたび、人間としての原点に帰る必要が生じてきているように思います。

【中高生誌友会】
 今日は、我が家を会場に使っていただき、中学生の誌友会が行われた。いつの間に中学生になったのだろうか、と思うくらい月日が経つのは早い。つい先日まで、生命学園に通っていたのに、である。青年会が発展すると必然的に、相愛会や白鳩会は時間と共に増加する。私は、ブラジルの故松田巳代志元教化総長が常に青年を大切にして、育てておられたことに敬意を表する次第である。現在もブラジルから生長の家の若者が多数お出でになるのも、故松田元本部講師の志が生き続けているのではなかろうかと考える次第である。

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April.22.2011「大震災の意味を問う(2)を拝読して」

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April.22.2011「大震災の意味を問う(2)を拝読して」
今日の詩::鉢の土 移し替えては 肥料入れ
(春の鉢植え替えの恒例行事です。草が沢山生え始めました。) 

 「震災の被災者は高級霊なのか」という質問に対してお答えになっておられます。そうである場合もあるし、そうでない場合もあるというお答えです。霊魂が高級か低級かの問題に関して、人間神の子の教義から考えると奇妙な質問であるとしておられます。高級か低級とかは、霊界に於ける人間の実相がどれだけ表現されつつあるかという、現象身としての神性開発度の問題であるようです。

 私も、震災に関してではないのですが、「亡くなられた人が高級霊であった」という表現を読んだことがあります。現象的執着を越えたというような意味でありましょうか。『生命の實相』頭注版第9巻120頁には、「霊魂の品等」という言葉で表現されています。(6行目)
①雅量、人間霊魂の深き認識より出発したる他に対する赦しである。これは聡明なる雅量である。寛大と峻厳との必要を知るところの雅量である。寛大なる峻厳こそ、向上した霊魂の特徴である。
②卑しき者、世に出でざる者、弱き者に対する愛を持つ霊魂である。これは、社会的成功、名誉、地位等に対する無関心によってともなわれる愛である。
③哲学的思索の傾向、霊界の神秘を知ろうとする熱望であり、その神秘に貫き入ろうとする努力である。
 これはヴェッテリニの霊告であります。また、102頁に、「霊魂進化の神示」が示されていますが、冒頭には次のように書かれています。

 …「神の子」なる人間の実相を現象界(現界、幽界、霊界等を通じて)に実現するのが人生の目的である。…

 この神示の御文章を拝読してから、再び、総裁先生のブログを拝読するとさらに深く理解することができました。有り難うございます。

【恩返しの募金】
 朝日新聞(2011/03/26)によると、フィリピンで、東日本大震災のための恩返しの募金をしているという。「貧しい我が町の住民から集められたお金は、日本の人から見ると、わずかかも知れないが、私たちを救ってくれた人たちをなんとか助けたい」とのことである。2006年に大規模な地滑りに見舞われて、1千人が死亡したフィリピン中部のレイテ島セントベルナルド町のリコ・レントウサ町長の言葉である。仮設住宅を建てて、復興を担ったのが日本政府の援助だったことから今回、恩返しの募金活動を始めたという。
 『生命の實相』頭注版第7巻79頁~には「深切の生活を生きよ」とある。王子を幸福にした言葉「毎日一度は誰かに深切にせよ」の物語が掲載されている。
 無宿者の男性に新調の靴をさし上げたが、冬場で人知れず道の雪をかいていた男の話。 そして、乞食を見つけて激励し、若干の金と讃嘆の言葉を与えた紳士。その紳士が事業に行き詰まって倒産するかと思われたとき、一人の見知らぬ男が訪ねてきて、必要なお金をいくらでもお貸ししようと申し出た。それはかつて乞食をしていて紳士に助けられた男だった。紳士は意外な救い手の出現によって破産より救われたという。
 今回の地震に対する海外からの援助を考える時、日本がサンフランシスコ講和条約で独立宣言をした頃のことを思い、対外関係で雲泥の差があるなあ、と思わざるを得なかった。

【写経】
 今日は午前中、松江道場で写経を行った。写経の前に約30分間、『新講 甘露の法雨解釈』の連続講義を行っている。この聖典は、考えてみると毎月、少しずつだが7箇所で使用させて頂いている。生長の家のみ教えの基本教義を学ぶのに適しているようである。今日でサラシへの写経が一枚ようやく完成した。次回は、新しい写経を始めようと思う。こうして行事を担当させて頂き、少しでも教区の皆様のお役に立たせていただいていることに心から感謝申し上げます。

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April.21.2011「堅固法身 膿滴滴地」

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April.21.2011「堅固法身 膿滴滴地」
今日の詩::ゴウゴウと 夜空響かす 春の風
(出雲の風は相変わらず強いです。)

 谷口雅春大聖師の御著書である『新講「甘露の法雨」解釈』の159頁には、「玄沙の師備和尚のこと」として、有名な実相の話が書かれている。これは、『叡智の断片』に書かれているエピソードと同じである。その内容が詳しくご紹介されている。
 支邦の玄沙という所に師備和尚という非常に優れたお坊さんがおられたという。玄沙に住んでいたので玄沙和尚ともいうらしい。和尚さんは、人々を導くのに、いつも「人間は永遠に死なない。堅固法身である」と、弟子達に教えておられた。ところが、この和尚さんが何か食べ物を間違えて毒になるものを食べたという。その結果、体中が蕁麻疹みたいになって、全身にぶつぶつができた。さらにそれが化膿して膿血がタラタラと流れたのだった。かなりひどい状態だが、昔のことなので病院は行くことはできなかったのだろうか。

 それを形容して、「膿滴滴地」と禅宗の本には書いてあるという。膿滴滴地であるにもかかわらず、和尚はいつも「膿が流れているそのままで堅固法身だ」とお答えになったのだった。肉体が堅固で健康である間は人間は堅固であるが、肉体がこわれたらもう堅固でなくなると考えているのでは、「人間は金剛不壊である」ことを悟ったのではないということである。ですから、肉体の病気にかかわらず、膿がたらたらと流れているそのままでも、自分の実相は堅固法身である、と悟らなければならないのであると示されている。
 この説話は、日本が戦争で壊滅的打撃をうけて焼け野が原になっても、そのままここに破れざる大和国が実在するとの実相世界について、『叡智の断片』では説かれているように思う。
 『新版 叡智の断片』187頁には、この玄沙和尚の話の次には次のように説かれている。

 某僧あり、問うて曰く、「大和国過って戦争を始め、敗戦して大小都市悉く廃墟と化す。如何なるか是れ大和国」と。或る人答えて曰く、「却下そのまま是れ大和国」と。わかったような、解らぬような。

 ここにこのまま金剛不壊の実相世界があることを悟ることが必要でありましょう。
もう一つ書かせていただきたいことがある。それは『新編 聖光録』213頁に書かれている「…如来寿量品、自我げ」である。
 「衆生劫尽きて、大火に焼かるると見る時も、我が此の土は安穏にして天人常に充満せり 宝樹華果多くして、衆生の愉楽する所なり…」という条文である。
 極めて厳しい真理であるが、東日本大震災に被災した方々も勇気を持って前を向いて起き上がり、第一歩を踏み出す以外にないだろう。総裁先生のブログ、「歓喜への道(2)」を拝読して頂きたいと思う。
 現象がすべてであると考えると、立ち上がる勇気を失うかも知れない。しかし、それは仮の姿であり、実相の世界からさらによきものが生まれてくると考えることができるとき、私たちは勇気をもって立ち上がることができると考えられる。
今こそ、私たちは、本部から示された「慰霊と復興の祈り」を行い、かつ聖経読誦に専念するとともに、完全円満なる東日本の実相を観じさせていただこうではありませんか。

【松江の先祖供養祭】
 松江道場では月に一回、午前中に写経を行い、午後に先祖供養祭が行われている。時々個人指導をさせていただいている。
 かつての某練成道場での指導体験で恐縮であるが、個人指導でお会いする前に長文のお手紙をくださった人がいた。練成会にも毎月お出でになっている。その女性は、ご主人が○○癌と診断されていたが、毎日ご主人の実相を観じながら実相円満誦行を行っていたようだ。すると、先日、ご主人が検査に行くと、転移もなく局部のがん細胞は消滅していたという。その喜びの報告であった。しかし、ご自分が生長の家をしているのだが、どうしてもご主人や子供たちには伝えることを遠慮しているようだ。ご主人にはさらに遠慮がある。このような場合には、父親への感謝が十分でないと予測することができる。
 「お父様はどうなされましたか?」とお聴きすると、戦争の頃、○○の連隊に入ったのだが、病気になり、○○の病院で療養していた。しかし、療養の甲斐もなく彼女が5歳の時に亡くなったのだという。しかし、彼女は、「お父さんは大好きでしたので、感謝しています」という。
 しかし、「大好きであるというのと感謝しているというのとは違いますよ」。感謝するとは、相手の立場に立って、どのようなお気持ちであったかを先ず知らなければなりません。5歳のあなたを残して、30歳そこそこで亡くなられたお父さんのお気持ちが解りますか。あなたが、ご主人に理解してもらえない、片思いの淋しさは、「与えたものは与え返される」との原理から考えると、お父さんに与えた気持ちではないでしょうか」。私は諄々として、お父さんのお気持ちを話させて頂いたのだった。父母に愛されているという思いが、本当の感謝につながる。感謝は単に受け身のものではなく、積極的な創造力であると教えられているように、父親への感謝が、ご主人の心への理解に発展し、さらに夫婦が大調和し、従って、ご病気も完全に消滅するのです、と説明させて頂いたのだった。

 松江道場で先祖供養祭を始めて2年は経過しただろうか。写経を始めて1年間は経過しただろうか。行事の合間を縫って個人指導をさせていただいている。少しでも信徒様の魂が成長して頂く機縁となるように日々努力させていただきたいと願っている。

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April.20.2011「”大震災の意味を問う”を拝読して」

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April.20.2011「”大震災の意味を問う”を拝読して」
今日の詩::被災地に 癒しのサクラの 無心咲き

 秋田教区講習会での講話に対する質問についてお答えになっておられる。秋田の人々にとっては隣県であるので、大震災に関しての質問があったようである。被害が甚大であること。親戚や知人で被災していたり、本人や知人が被災地救援のボランティアに行ったりするケースも多いため、関心の大きさは比較にならなかったと書かれている。私の親類も被災地にいるので、やはり同様の思いが起こらざるを得ないように思う。
質問の内容を書いておられる。
①震災の犠牲者は高級霊なのか?
②この現象(世界)を”舞台”とか”映画”に喩えるが、今回の震災との関連は?
③今回の震災の奥にある観世音菩薩の心とは?
④震災の犠牲者は観世音菩薩だというが、その意味は?
⑤人心の乱れが震災につながったのか?
  この中で、個人と集団の問題を分けて考えておられます。個人の行動としては、戦争などに於いても無私の行為を行った個人は高級霊の名に値するが、戦争などで残虐な行為をした人を高級霊とすることはできない。これを区別しなければ、乱暴な議論となる。
 従って、震災での亡くなり方で人の命を助けるために自らを犠牲にした人もおられるし、皆それぞれユニークな遭遇の仕方をしている。震災の犠牲者は皆、高級霊というのは乱暴であるし、真実とは言えない。「あえて一般論的に言えば、そういう不慮の死が魂の成長に役立つことことは大いにあり得る。」としておられます。

 谷口清超大聖師の御著書である『新しいチャンスの時』21頁に書かれている、「…即死は高級霊にもあり得ることである。急速な肉体からの離脱となる個人の死は、多くの業因を脱落するので、魂の進歩に役立つ」との御文章を拝読し、内容を確認して頂きたいと思う。
 総裁先生は、この個人の死と、人間の集団としての国家や社会が今回の大災害の後に進歩するかどうかは、別次元の問題であるとしておられます。
 おそらくこれから私たちは同様のことを人々から質問を受けることがありましょう。総裁先生の御教示を自分のものとしてお伝えできるようにしっかりと学んで参りたいと思います。
 
 公のために尽くすことで亡くなられた人々のことも書かれています。それらの人々は極めて高級霊であったと言えましょう。原発事故の収束処理のためにがんばっておられる人々は命がけです。それらの方々や人を助けるためにとどまり被災された方々など、当然高級霊の方々でありましょう。
 私自身も今後、それらの事柄に対する理解を深めるために、総裁先生のお言葉に学びつつ、また谷口清超大聖師の御文章を拝読して参りたいと存じます。さらにまた、谷口雅春大聖師の御著書である、『生命の實相』の霊界篇や、倫理篇などを再読しつつ、学んで参りたいと存じます。

【安来節】
 今日は安来での会合に参加させて頂いた。一講話担当させて頂いた。この会場は、前回講習会が開催された会場であり、数ヶ月前から毎月、相・白・青合同の先祖供養祭が始まったばかりである。ここから松江道場にまで行くのには小一時間かかる。教化部へ行くのにはもっとかかる。しかし、この会場は地域の皆さんの集まる場所であるのでそれぞれが車で乗り合わせてお出でになる。安来の地域での会合では、二酸化炭素排出削減に貢献できると考えられる。今日の会合で、この地での新たな勢いを感じることができたように思う。何ともうれしい思いである。

【救援の日系消防士】
 朝日新聞(2011/04/01)には、東日本大震災の被災地に派遣された米ロサンゼルス郡消防局の救援隊に、日系消防士3人の方々がいたという。その一人、日系4世のアツシ・ウエハラさん(42)は、29日夜、ロサンゼルスで報告会を開いた。総勢74人のチームは、地震翌日の12日に日本に着いた。岩手県の釜石市と大船渡市で生存者を捜した。活動場所は、海岸から3キロほどの内陸部だった。建物の鉄骨がねじれて、残った建物の3階にまで魚が打ち上げられていたのを見て、津波の威力に息を飲んだという。活動期間一週間。生存者を見つけることはできなかった。ウエハラさんに心境を問うたとき、ほんの少し言葉に詰まった。「生存者を救えなかったら、役目を果たさなかったことになるのか、それでも我々は最善を尽くしたと思う」と。「いつか被災地を再訪して、復興した姿をみたい」としている。
 四世であっても日本に対する思いを失っていないようである。彼等の姿に同じDNAを感じる人がいたのではなかろうか。

【太陽光発電 加速】
 朝日新聞(2011/04/01)には、災害対応ニーズの拡大に従って、太陽光発電装置の需要が加速しているようだ。新神戸電機という会社の蓄電池とセットにすると、太陽光から起こした電気をためることができる。曇天でも夜間でも使用できるという。
 東日本大震災や首都圏の計画停電で、商用電力に頼らない電源装置の必要性が高まっているという。例えば、シャープは3月31日に、震災の被災者に電源として使ってもらおうと、太陽光発電システムの無償提供を始めたという。合計190セットの太陽光パネルを、積み込んで輸送したようだ。被害が大きかった気仙沼や南三陸町などに送られるという。大和ハウス工業なども発売すると発表したようだ。化石燃料でのエネルギーが今回の震災で使えなくなっていたことへの対応である。私の親類の話だと、福島市内でガソリンがないので自動車を動かすことができずに、自由に仕事もできない状況が続いていたようだ。太陽光発電、蓄電、使用の図式が今後加速するようになってほしいものだ。

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 中内 英生

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April.19.2011「生ゴミの効用」

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April.19.2011「生ゴミの効用」
今日の詩::ユキヤナギ 犬が出てきて じゃれるなり

 我が家では生ゴミは、電気を多少使うが機械に入れて、バイオで分解して家庭菜園で使う。この機械は、Hさんにお世話して頂いた。従って、生ゴミをゴミとして捨てることはほとんどない。外で弁当をいただいた時に、自分にとっては多すぎると感じたら持ち帰る。家で食べるのと、時間が経ちすぎて少しアブナイかなと感じたら、肥料にする。弁当に残した場合には、気の利いた業者ならば肥料にするだろうし、そうでなければ石油で焼却することが考えられるからである。それが心に重荷に感じられる。従って、この方式が現在の生活様式となった。これも総裁先生ご夫妻がゴミ処理生活の仕方までお教え下さっているお陰である。

 さて、4月19日は、某誌友会に出講させていただいた。始めに、東日本大震災の慰霊と復興のための聖経読誦を全員でおこなった。その後、講話をさせていただいた。テキストは、谷口純子先生の御著書『突然の恋』である。読者の方は、60頁をお読みいただきたい。「生ゴミはありがたい」との項目には、まず「コンポスト」のことが書かれている。私もこれを使用したことがあるが、ウジが出てくるのは不可避であろうと考えられるくらい出てくる。まるでウジに餌を与えていくようにさえ思ってしまう。当然のことながら、ハエが発生するので、近所に飛んでいくことも考えられる。広いところがあるとよいのだがなかなか難しい問題である。
 
 また、「ミミズ」による生ゴミ処理にチャレンジされたが、生ゴミの発酵熱によりミミズが死滅したことで終止符をうったことも書かれている。実は、私はかなりまえにこのことを知って調べたがなかなか入手が困難だったのでいまだ実行していない。シマミミズは、私が子供の頃にフナを釣る餌によく使っていたミミズではなかろうかと思った。このミミズを専用の容器に入れて飼うのである。眼には毒かもしれないが、ミミズが出す糞尿が容器の下部のパイプからでてくる。この液体が畑の野菜や花によいと書いてあった。しかし、濃度が高いので薄めるようにするとよいとも書かれていたことを記憶している。しかし、あきらめていないのだが、いまだに成し遂げていないのが現状である。

 現在までは「生ゴミ」は燃えるゴミとして出すのが都市の当たり前だったと考えられる。地域によって随分違うのかも知れないが、私が住んでいる地区では、今まで住んでいた○山市や○沢市とは違い、あまり分別されずにゴミ処理場に送られていくようだ。分別処理にかける費用が捻出できないなどの理由があるのであろうが、松江ではかなり進んでいると聞いている。おそらく県内でもばらつきがあるのだと思う。
 63頁には、富山市民芸村の「民俗資料館」のことが書かれている。稲わらで作る生活道具の数々についてご紹介されている。「無駄なものはない」というのは、人生体験に於いても言えるが、さまざまな物資に於いても言えるのではなかろうか。牛糞は現在も立派な肥料である。出雲市のDIYのお店でも購入できるし、一年に一回?か、我が家の大家さんが作っている畑では牛糞の匂いが道路に漂ってくる。アスファルトの道にまではみ出している牛糞を見ながら、教化部会館と自宅を徒歩で通う。また、○○山でも牛糞が使用されている。牛糞作業のあとの運動靴はなかなか臭気がなくならないようだ。それは栄養素が多い故の臭気でもある。

 私が某練成道場で生活させていただいていた頃は、トイレの外部から糞尿を取り出して、野菜畑に肥料として使っていた。肥料としては上等のものである。落ち葉の肥料よりも栄養価は高い筈だ。私の子供の頃は、人糞には値段がついていた。江戸時代には専門業者がいたと記録されている。そのように日本に於いては、「無駄なものはない」との考え方によって、物資を生かして使う生き方が自然であり、当然であったのだろう。「もったいない」との日本独特の言葉はそれらの生活方式から生まれたのかも知れない。しかし、それには、創意工夫と云うことが根底に必要である。それらは今後の努力と多様性の発揮に繋がると考えられる。

 生ゴミからできた肥料で、谷口純子先生のご自宅にできているキーウィ、イチジク、ブルーベリーなどが育っていることがご紹介されている。キーウィは私と野鳥とが果実をめぐる争奪戦があるが、最後には野鳥である相手に譲っている。これからは家庭生活で、イチジクやブルーベリーなどを手がけることができるような心の余裕が欲しいとも思う。借家なので、勝手に植えることはできないが、鉢植えならば可能であろう。

【IT研修会】
 今日は、IT研修会の打ち合わせ会を行った。島根では今年度は初めてのIT研修会を予定しており、年四回行う。ブログを開設している人から、マウスを使ったこともないという人に至るまで、いろいろの技術の段階がある。年齢も70歳過ぎてパソコンを行う人もいる。現在の参加予定は15人を越えているが、目指す最低の技術水準は、総裁先生、白鳩会総裁先生のブログの拝読である。そこから出発して、ポスチングジョイの投稿や教化部ホームページのへの投稿などいろいろと考えられる。英語でのフェイスブックへのコメント投稿や組織を越え、国を超えた交流が島根の地でできることは誠に有り難いと思う。一年に四回を予定しているのであるが、光明化運動の活動の合間を縫って行うので、今回の公式の「バーチャル伝道」の能力開発は、これで精一杯であろう。IT以外に行わねばならい「リアル」部分が沢山あるということである。
 参加費用は1000円で昼食込みである。午前午後と行うが、午後は出入りの業者でパソコンではプロフェッショナル級の人が指導陣に加わるので、現在の私たちの運動で必要なコンピュータ技術はほぼ習得できる予定である。今年度に一人でも習得できる人が増加することを願っている。まずは第一歩からである。

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 中内 英生

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April.18.2011「無限智慧を感受する道」

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April.18.2011「無限智慧を感受する道」
今日の詩::小鳥来て 遊びましょうと チチと鳴く
(庭で小鳥が囀っています。夜、帰宅すると軒下でスズメが宿を取っています。)

 この題名は、『生命の實相』頭注版第8巻の40頁に書かれているものです。智慧すなわちアイデアは、一所懸命に学習することも大切でありますが、神に対して心を開くことが大切であるようです。何か心配事があっても、それに意識を集中しすぎては決してよきアイデア、解決法が浮かんでこないということでありましょう。40頁の3行目には、次のように書かれています。

『…われわれが、神に対して心を打ち開いた程度に従って、神の叡智が無限大にわれわれのうちへ流れ入ってくるのであります。…』

 神に対して心を打ち開いた状態とはどんな状態でありましょうか。その神とはどのような御存在でありましょうか。ここでいう神とは、常に私たちに無限の愛と知恵と生命とを供給してくださり、今も尚私たちを生かして止まない、唯一絶対の神様であります。おしぼりを手にかけると、手に全存在をあずけたような状態になる。そのように、善なる神様に自分を預けるのでありましょう。神の善意を信ずるのです。
 佐藤可士和さんという若いデザイナーさんがおられますが、さまままな仕事にチャレンジしておられるようです。アイデアが勝負の仕事です。かつてNHK番組『プロフェッショナル』で拝見したことがあります。驚いたことに、ご自分の職場にはものが少ないのです。会議の机もとてもすっきりした状態にありました。彼が言った言葉に興味が持てました。『一日一度は、自分をニュートラルの状態にする』のだと。
 「なるほど!」と思いました。ニュートラルとは、自分がどちらへでもいける状態です。信仰的にいうと、「神様のおっしゃることであれば何でも受ける」ということでしょうか。
しかし、この心境に至るにはかなりの精進が必要でありましょう。現象人間は、自分を中心に考えたがるし、自分の利益欲望を主にしたがるのです。便利快適を求めて生きてきた人類は、地球の自然を破壊し続けて、自らが招いた現在の地球温暖化現象に直面しなければならなくなったと言えるようです。自分の利益意識に傾きやすい人類が、その欲望を棄てて、生き方を変えるのです。「神よ、御心のごとくならしめたまえ」という神様の御前での自己放棄の祈りは、最高の祈りであると言われております。この心的状態になった時にはじめて、無限の智慧を感受するに至ると考えられるのです。

 神の叡智は自分のうちに宿るということと、外からの情報との関係はどうなっているのでしょうか。人間の内部には無限の叡智が宿っていると同時に、外部からの情報により、内部のものが触発されると考えられます。「内部にすべてがある」という言葉は、さまざまな勉強が不要と云うことではなく、内部を開発するためにも外部からの刺激が必要であるということでもありましょう。しかし、これは「バランス」の問題がありまして、一概にいうこはできないのかも知れません。私たちの信仰生活を考えると、「一日の最初の時間を神に捧げる」という言葉があります。これは、まず神想観という行法を行って、神様を想うということが、「神に捧げる」という意味でありましょう。このことは実に重要であります。神想観をせずに実相直視の信仰を保つことは至難の業であるからです。常に祈りを神に捧げて意識を最高のものに波長を合わせて、最高のアイデアをキャッチしたいものです。
 43頁の13行目には、「…真の人間は神である。だからわれわれが我執の皮をはいで、真の人間がそこに出たとき、その思うところ、感ずるところがことごとく神示であります。…」と説かれておりますように、常に神に触れている人に於いて、神の叡智が湧出するようです。私たち島根の信徒は、この境地を目指したいと思います。

【長寿世界一】
 これもすごいことなのだろう。朝日新聞には、「114歳、世界最高の誕生日」として木村次郎右衛門さんの笑顔が朝日新聞(2011/04/20)に掲載されていた。人間の細胞の生まれ変わりは、約50回でその最終回が120歳くらいであると聞いている。ぜひとも、限界に挑戦していただきたいものである。島根県の人であって欲しかったが、残念ながら京都の方だった。では、内容を見てみよう。
 男性で、世界最高齢の木村さんが4月19日に、京都府京丹波市の自宅で、114歳の誕生日を迎えたという。木村さんの好物は赤飯や鯛の塩焼き。それを当日召し上がった。家族から花束が贈られ、「口には言い表せない光栄の至りです」と喜んだという。
 木村さんは、現在世界最高齢である。郵便局に約40年間勤めた。現在は長男の妻と孫の妻と三人で暮らしているという。毎日少量だが三食を欠かさないようだ。最近は、食事以外はベッドに横になることが多いが、椅子に座って手を動かす体操をしたり、縁側でひなたぼっこをすることもあると書かれている。
 三食を欠かさない、というのが肉体維持の大切な要点なのだろう。業務の都合で時々、食事が遅れることがあるが、時間で食べることは最低限必要であると考えられる。写真はカラーで掲載されており、善い人相である。
 手を動かす体操をしているとは、血液循環が大切であるからであると考えられる。手の中で、左手の小指は生涯使うことが極めて少ないと言われている。しかし、パソコンで文字をつづると、「A」を打つことができる。従って、パソコンで文字入力する人は、小指を有効に使用することになる。
 谷口雅春大聖師のお言葉での記憶だが、「病人で身体を動かせない人も、手だけでも動かして、掃除の仕草でもよいので、動かすように」と書かれてあったが、感謝の念を起こすという意味でも重要であり、かつまた手の一箇所を動かすことによって、身体全体の血液循環を促すとも言えるのだろう。

【出雲練成会終了】
 本日で出雲練成会が終了した。練成会の期間中は原則として外へでることはない。それは様々な問題を持っている人が来ているかも知れないので、その相談相手をさせていただく必要があるからでもある。植物が育つには三つの肥料である窒素・リン酸・カリが必要だ。また別の言葉で言えば、日光と温度と水が必要である。明るい練成会になるように、スタッフは大いに努力している。また、温かい温度となるように、温かい言葉をかける。また水分補給のために、司会舎や受付の方々は生き生きとした態度を保つ、などなどどれも欠かすことができない。しかも、人の内部にある神性を育てることに於いて、手を抜くことはできない。神性の苗を育てるのに不断の努力を続けることによって、確実に島根教区は発展していくだろう。

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April.17.2011「団体参拝練成会へ参りましょう」

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April.17.2011「団体参拝練成会へ参りましょう」
今日の詩::春雨を 降らす夜風の 散歩道
*以下の文章は、5月の『大和島根』に掲載予定の文章です。読者の皆様に前もって掲載させていただきます。

 神の子の皆様、有り難うございます。
東日本大震災が起こりましてから、島根教区各地に於きまして、相愛会、白鳩会、青年会などの第一線組織にて、慰霊と復興を祈る聖経読誦が行われており、誠に感謝に堪えません。また、沢山の心温まる募金をお寄せいただいておりまして心より感謝申し上げます。さらに、被災地激励の絵手紙を多数作成しお送りいただいており、感謝申し上げます。今後も私たちは総裁谷口雅宣先生に中心帰一して、島根教区の光明化運動を大いに盛り上げ、展開して参りたいと存じます。

 さて、6月5日(水)から18日(土)までは、総本山で団体参拝練成会が開催されます。今回の団体参拝練成会は島根教区に於きましては特別の練成会です。なぜならば、6月17日には、谷口雅春大聖師26年祭が総本山の奥津城で行われるからです。この御祭に参列させていただくのは、私自身は初めてです。今までですと、総裁谷口雅宣先生がご挨拶されております。私は、谷口雅春大聖師、谷口清超大聖師、谷口輝子聖姉が祀られている奥津城をバックに総裁先生がご挨拶される時、生命の世界に於きまして御一体となられて、お話をされるのではなかろうか、と拝察申し上げる次第であります。
 私たち信徒にとりまして、最も神聖なる時間を過ごさせていただくことができると確信しております。既に、各組織に於きまして、参加者が急増しておりますが、皆様ご一緒に団体参拝練成会に参加致しましょう。

 谷口雅春先生がお亡くなりになられて早や26年の歳月が経ちました。まことに早いものでございます。私ごとで恐縮ですが、かつて生長の家本部練成道場に練修生制度という制度がございました。夜間の大学に4年間通わせていただき、昼間は練成会などの道場のお仕事をさせていただきました。定年まで勤務するというお約束でこの制度に入らせていただくことになっておりました。19歳の私には、定年までという期間は当時はかなり永く感じたものです。しかし、時が経つのは早いものであります。
 練修生の期間に、有り難いことに3年間、私たち学生は谷口雅春先生のご自宅に、一ヶ月に一回真理の学習に行かせていただいておりました。その2時間の有り難かったことは申すまでもございません。この瞬間を脳裏に刻み込もうと何度思ったか分かりません。先輩が言いました。「中内君。将来、ここで学ばせていただいたという体験は、生涯の宝となるよ」と。今考えてみますと本当にそうだと思わせていただいております。

 私の大先輩である故T元本部講師が私に道を開いて下さいました。このことはどれほど感謝しても感謝しきれるものではありません。ある時、現在の総裁先生が、まだお若い頃に本部にお入りになりました。その時、T元本部講師は、私たち職員を集めて話をされました。「谷口雅宣先生は谷口雅春先生、そして谷口清超先生と同じ御存在である」と。その時以来、私自身は、「谷口雅宣先生」は谷口雅春先生、谷口清超先生と御一体であると魂深く刻み込まれました。「生長の家大神ー総裁・副総裁ーみ教え」の原理から考える時、それは当然でございますが、そのことをハッキリと教えていただいたことの延長線上に、現在の私があると思うとき、有り難さがこみ上げて参ります。

  総裁先生は、日々のブログに於きまして、常に私たちに真理を語っておられます。最近の二つの「祈り」のお言葉や「歓喜への道」や、「大震災の意味を問う」などの御文章を拝読するにつけ、谷口雅春先生ならば、谷口清超先生ならば同じ事を御教示されたであろうと、その強烈な御文章に私は感動し続けております。

 島根の信徒の皆様、来年度は講習会がございます。生長の家総裁先生・白鳩会総裁先生をお迎え申し上げます。そのために魂を浄めて推進をさせていただくためにも、万障お繰り合わせの上、団体参拝練成会に参らせていただこうではありませんか。多数のお申し込み、ご参加をお待ち申しております。

中内 英生

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April.16.2011「慰霊祭」

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April.16.2011「慰霊祭」
今日の詩::コチコチと 時計の音す 春の宵

 本部での布教功労物故者追悼春季慰霊祭が去る3月21日に行われたと『聖使命新聞』(平成23年4月1日号)には第一面で報じられている。その中で、「今回の大きな地震でも大勢の人々が亡くなり、地上での光明化運動を中断せざるを得なかった方があったかもしれないが、慰霊祭では、きっと光明化運動の先輩と共にここに来ていらっしゃると思い、そうした方々への感謝も込めて聖経読誦されたと明かされた。」と書かれている。
 霊供養の時にはお出でになっている可能性があるということであろうと考えられる。4月17日は、出雲練成会の第二日目で先祖供養祭が行われた。その時にも、東日本大震災の慰霊を込めつつ、その祈りの言葉を唱えて先祖供養祭が行われた。今回の練成会は、開会式から閉会式に至るまで東日本大震災の慰霊と復興の祈りが流れていたように思う。

 もう一つ、この聖使命新聞の第四面、第五面には、「第一線の息吹をフィートバックしよう」という御文章が掲載されている。ここにあるお言葉は、私自身、2月27日に、「第60回生長の家代表者会議」でお聴きしている内容である。トップダウンより、ボトムアップへの転換である。現代は、エジプト社会が一ヶ月間で変わるような社会構造になっている。それは、第一線で現実に生活している人々の要求とか、希望とか、夢とかが、組織全体に反映してこないと、我々の運動は駄目になると言うことでもある。だから、ボトムアップを先ず行うということになる。島根教区は第一線の皆様と共に大いに創意工夫をして一人一人の魂と能力が成長し、そして組織全体が伸びるようになりたいと存じます。

 私たちにとっては、法施であるみ教えの普及が重要課題です。それに関しまして、どこにポイントがあるかと申しますと、やはり「伝道者の自覚」というものではないでしょうか。伝道者に「使命感と神の子の自覚」が薄れて参りますと、どうしても相手に対して神様を実感させる力が低下するように思えるのです。伝道者に使命感と神の子の自覚が高まって参りますと、相手に神の国の情報をお伝えする力が出てくるのではないでしょうか。それには、定番の宗教行で申し訳ないのですが、神想観と聖典読誦と愛他行でありましょう。いつの時代になっても、古来からこれらの行法に類似したものが各宗教では開発されているのです。

【自律訓練法】
 日経新聞(2011/04/17)には、ストレス性の心身不調に対して、「言葉を唱え」リラックスするという自律訓練法で改善することが試みられていることが報じられている。これは医療現場でも取り入れられているようである。症状は、「疲れがなかなか取れない。夜も寝付けない」。こうしたストレスが原因の心身の不調を改善する効果があるのが、自律訓練法と呼ばれる心理療法である。職場や学校のメンタルケアの手法として使われることが多いという。一人でも習得できるとしている。効き目はどうか。み教えを知っている人ならば、「大いにある」ことが理解されよう。
 この説明文で面白い、と思ったことは、例えば、安静練習として「落ち着き始めていることにきずく練習」というのがある。唱える言葉は、「気持ちが落ち着いている」と唱える。このとき、「落ち着いてくる」とは言わないとある。私たちが何かを自覚する時に、「既に受けたり」と信じることが大切であり、「受けつつある」とか、「受けることができますように」とは念じないことでも、理解出来るように思う。すなわち、自覚を促す時には、すでにそのようになっていることに集中することだ。これはどうも信仰でも、心理学でも同じようである。

【個人ボランティア、現地へ】
 とうとう行くようになったのかという思いがある。日経新聞(2011/04/17)には、大阪から40人、19日に出発するそうだ。19日はもうすぐである。東日本大震災の被災地に向かう。第一陣40人には、非政府組織(NGO)などに所属せずに個人で参加する一般市民も多く、勤務先のボランティア休暇を利用した人も、5日間の日程で、津波被害を受けた家屋の片付けなど体力の要る作業に汗を流すという。参加者は、「精一杯できることをしたい」と意気込んでいるという。これらの記事を見ると自然に胸が熱くなる。がんばってほしい。
 派遣されるのは、大阪府や大阪市の社会福祉協議会などが募集したボランティアであるという。応募した多くが一般会社員である。大阪府豊中市の主婦(44歳)は、4年間住んだ宮城の惨状に、居ても立ってもいられなくなったという。1992年、東京から仙台に移り、ラジオ局の企画にリスナー代表として伝統芸能の練習に参加している。田んぼでの稲刈りも体験した。しかし思い出の場所の多くが被災したという。
 地震が起きた3月11日には母親が気仙沼市や南三陸町を旅行していたらしい。「大丈夫だろうか」と思った。2日後、ニュースの映像で偶然母親を見つけた。避難所まで移動しようと線路を歩いている姿に胸をなでおろしたという。母親は今も被災直後の様子を話したがらない。「人ごとと思えない。大好きな宮城のためにも力を尽くしたい」と話しているようだ。
 これから多くのボランティアの方々が被災地に旅立つだろう。先ほど見たテレビでは、サッカーの「カズ」選手が被災地を慰問に行った映像があった。長渕剛も自衛隊を慰問に行ったという。毎日、ご遺体の収容に明け暮れる自衛隊の方々はほっとしたのではなかろうか。
私たち島根の信徒は、教えられているできるだけのことを、島根の地でさせていただきたいと願っている。

【アーノルド・J・トインビー】
 英国の歴史家アーノルド・J・トインビーのことが日経新聞(2011/04/18)に出ていた。「歴史の研究」の著者である。学生時代に少しかじった。コラムニストの土谷英夫さんが書いておられる。「トインビーは挫折した文明の共通項に自己決定権の喪失を上げた。状況に振り回され、応戦ができない文明は衰退する」と。「窮すればすなわち変じ、変ずればすなわち通ず」という易経の一節は、トインビーの文明論の核心をよく言い当てている、とも書かれている。変化に強い自分に、変化に強い日本でありたい。これは地球温暖化についてもいえることではなかろうか。そのように「随所に主となる」生き方を目指したいものである。

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April.15.2011「善行の事業」

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April.15.2011「善行の事業」
今日の詩::緑濃き 散りたる後の さくら花

 『無限の可能性がある』という谷口清超大聖師の御著書がある。その聖典を拝読していると、159頁に「4 チャンスがやってくる」という章があり、「善行の事業」という小見出しがあった。そこには、「神の国というものは、誰一人見た者はいない。なぜならばそれは無限次元の実在界であるからである。しかし、それがあると分かるのは、人間が神の子であるからである」と説かれている。
 おそらくなぜ「あると分かる」かというと、同種類であり、同波長であるからであろう。波長が合わない限り、相手の存在を知ることができないからである。テレビでも放送局と同じ電磁波をテレビの中に起こすと同波長であるが故に、映るようになる。従って、まずあると云うことを強く意識することが必要であり、それが「引きだそう」という意欲、努力がついてくると考えられるからである。結論をいうと、「人間は実在から生まれ出た神の子であるから」である。

 159頁には、どんな有名人であっても、実力政治家であっても、神の国の実相をくらます行為をすると没落し、不幸になり、失敗し、苦しむのであると。では、何をすべきであるかというと、「諸悪莫作 衆善奉行」であると教えられている。考えてみると簡単である。「善いことをして、悪いことをしない」。また、「これがこの世に生を受けて第一に知るべきことであり、これが全ての正しい宗教の根本教義である」と教えられている。時々、極めて正しい性格の人が間違っていると見える人をすごく攻撃することがあるが、悪を探し出して攻撃するよりも、もっと大切なことは、「ただ善を行うこと」に熱中すべきであると教えられている。
 神様は善だけを創り、悪を創っていない。悪とは善がない状態だから、「悪」は創りようがないとも言える。であるからして、無いものを熱心に見つけ出して攻撃しても、その人には何も残らないだろう。それよりも、善である実在、善行を積んだ方がよっぽど善いといえるのではなかろうか。心の世界に於ける大いなる徳積となるからだ。誤解を恐れずに表現すると、これ以外に、我々が地上で行うことはない、と極言することもできる。

 私たちは現在、四無量心の世界を実践することを教えられている。人々に対する四無量心のみならず、自然界に対する四無量心の実践である。特に東日本大震災の被災地への四無量心の実践が必要である。お経を上げる時には、実在界に存在する神の愛の実践としての聖経読誦であり、四無量心の実践であることを心に銘記して島根の皆様と共に行じたいと願っている。
 先日、島根青年会では、青年学習会の時に、被災地への慰霊と復興のための聖経読誦が行われたという。島根県は災害がまったくない訳ではないが、地震という天災は少ないようだ。被災が善いわけではない。しかし、苦労した人にして初めて、苦労をした人への慈悲の心が起こるということも否めない。だから「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉があるのだろう。勿論、受難礼賛になってもよくない。潜在意識が受難を呼ぶようになるからである。また、迫害という言葉も、迫害が来るように心で呼び寄せるようになることも考えられるからである。神の国には受難も迫害も敵もない、と教えられているからである。
 島根の青年達が、一所懸命に被災地に向けて聖経を読誦する姿は実に美しく素晴らしいことだ。
 
 この章の161頁には、「父母を愛す」という小見出しがあった。谷口清超大聖師が『世界の人生論』という角川書店版の本(第9巻)をお読みになって、「鉄鋼王カーネギー自伝」をご紹介しておられる。カーネギーがどのようにして大富豪になり、大事業家となり、この地上を去ったかを知ることができたという。是非、この聖典に書かれている本文を読んでいただきたいと思う。
 彼は幼少期に、貧しい父母のもとで教育されたが、「父母の信仰が素晴らしかった」と書かれている。彼の父母は常に善を行い、悪を斥けて暮らしていた。貧しいが正直な生活は幼少のカーネギー少年を適当に訓練していったとしている。そこはスコットランドだった。そこから新天地アメリカへ移住したのだった。彼は云う。「この国にあんなに高い誇りをもって生きている家族はなかった。独立心と自尊心は家族に漲っていた。低俗な卑しいこと、だらしなさ、奸策を弄したり、人の噂をしたりするのは、家族の中にはぜんぜん見当たらなかった。このような両親のもとに育った弟とカーネギー少年は、まともな正しい社会人になるほか道がなかった。」と書かれている。
 この章のカーネギー氏の紹介を読んでみて、富とは神の御心を素直に実行する人の元に必然的に集まってくるものである、ということがよく理解することができる。
 この聖典からは各所にちりばめられた谷口清超大聖師の輝くお言葉の数々を見出すことができます。
 島根の皆様、どうぞ拝読下さい。

【太陽の塔】
 かつて大阪万博で見た太陽の塔は衝撃的だった。NHKの「日曜美術館」(2011/04/10)では、岡本太郎のことが放映されていた。私は、この天才が、最後に「眼」を描き続けていたことを知った。なぜ、「眼」なのであろうか。眼でもって私たちは外界の全てを見る。眼が宇宙との存在を繋ぐものである。そして、眼の内側が五感を制御する肉体であり、脳髄である。その接点ともいうべきものが眼であると考えることができる。それにしても、眼だけを描き、その絵を見る人は何とも言えない衝撃を受けるようだ。美というよりも衝撃的なものだある。しかし、それは見る人によってまったく違った印象を受けるのだろう。「太陽の塔」の内側には、生命の木という造形があるという。

 それはさまざまな生命の進化の過程を表現した造形である。考えてみると、壮大な構想である。岡本太郎氏は、ご存命中に一度だけテレビで拝見したことがある。その時、「芸術は爆発だ」ということを言っておられた。私はそのことよりも、縄文土器が弥生土器よりも芸術的で素晴らしいと云うことを言い始めた人であることを知って、改めに縄文土器に興味をもったのだった。縄文土器は考えてみると、何と芸術的なのだろうか。 岡本太郎氏の考え方は対極主義というのだそうだ。異質なものをぶつけ合った時、新しいものができあがるものが芸術である、といった考え方であるという。彼は芸術を通して、社会そのものに対する問いかけとなった。それは軍隊生活5年間が影響しているとNHKは言っていた。「芸術は無償、無条件なんだよ!」という氏の言葉も印象に残った。なぜ、私たちは、絵手紙を描く時に、心が純粋になれるのか、それは無償の世界、無条件の世界を垣間見るからかも知れない。 
    
【島根の皆様、日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。】
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 中内 英生

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April.14.2011「”被災地の海岸を行く”を拝読して」

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April.14.2011「”被災地の海岸を行く”を拝読して」
今日の詩::被災地へ 春の安らぎ 送りたし

 4月13日、14日、と「被災地の海岸を行く」として総裁先生、白鳩会総裁先生が御自ら被災地へ行かれて、その御文章が掲載されている。白鳩会総裁先生の御文章は詳しく書かれている。
 いつもは私から信徒の皆様に総裁先生のブログの内容をご紹介することが多いのだが、13日、14日のブログは非常に印象が強く、このブログに関しては、信徒さんから私へ拝読したことを言ってくることが多い。島根でも、応援には実際には行けないができるだけのことをさせていただきたいと願っている。聖経を拝読するときには、祈りの言葉を拝読し、慰霊と復興の願いを込めている。励ましの絵手紙もできるだけ描いて頂いている。それは、教化部ホームページに掲載しているが、届けるところが未定なので、現在は教化部の掲示板に掲示されている。
 この度の震災に関して、島根の信徒の皆様に特に拝読をお勧めしている御文章は、現在のところ、総裁先生の二つの「祈り」と「歓喜への道(1)(2)(3)」、そして、4月13日、4月14日の総裁先生、白鳩会総裁先生のブログである。
 信徒の皆様が、日本中が、心を一つにして、この震災を乗り越えていきたい。世界中から支援の輪が広がっている。福島に親戚を持つ私にとっても、色々と情報が入ってくる。
しかし、私たちは日時計主義を忘れずに生活する、行動することが必要である。「”心の法則”と”平和への道”の神示」には次のように示されている。

「治にいて乱を忘れず」というのが古き人類の道徳であったが、「生長の家」の生き方は乱にいて治を忘れざる生活である。」

 私たちは総裁先生の御文章を日々拝読しつつ、日時計主義を実践して、前進して参りたいと思います。
 
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 中内 英生

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水仙の 色とりどりに 驚きぬ

隠岐の島の図書館です。中内英生

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赤き橋 静かな春の 朝の海

隠岐の島の海です。中内英生

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銀色の 花は誘いぬ 塀越えて

春の花です。香りが周りにほのかに漂っています。光明島根人

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静けさが ただよう春の 入り江かな

隠岐の島の入り江です。中内英生

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隠岐の島 春の小風に 花の色

綺麗な花です。光明島根人

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満開の 隠岐のサクラは 我を待つ

隠岐の島のサクラです。

中内英生拝

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April.13.2011「教義の基本とは何か?」

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April.13.2011「教義の基本とは何か?」
今日の詩::並木道 桜満開 吾が心

 機関誌『生長の家』(平成23年5月号)には、「生長の家教義の基本を学ぶ」として「その一」が書かれている。本部の教化・講師部からの文章であるが、このコーナーはとても私の栄養になり、読むたび毎に真理・教義に関して教えられることが多い。そういう意味で常々教化・講師部の方々に感謝している。さて、教義の基本は三つの柱とされている。それは、①唯神実相、②唯心所現、③万教帰一、である。現代ほどボーダーレスになっていなかった時代は、仏教や日本のキリスト教や神道、天理教などが万教帰一の意味であったろうが、現代ではイスラームは欠かせない。従って、下記の三つが重要であると教えられている。

 ①唯神実相
縦の真理と言われるものである。ただ善なる神のみが実在であり、神の創り給うた完全な世界のみが真実の存在であって、悪や不完全は本来無い、という信仰である、と書かれている。この真理を説き続けることが大切でありましょう。この真理は、「実相」という言葉でも表現されるのだが、「生命の実相を説くところに、神は現れざるを得ないのである」とも神示には説かれているからである。特に伝道する時には、この点を忘れないようにしたいものである。従って、実相を観る神想観が必要になる。心に実相が把握されていなくて、説くことは難しいからである。正しく把握するためには聖典の読誦がさらに必要となる。「出すと、入ってくる」と云う原理の応用であり、伝道こそは求道を呼び起こすことになり、神想観の実修と聖典等の読誦を誘導するに至ると考えられるからである。
 私が毎日、ブログを書かせて頂いているのも、島根の皆様への伝道の一形式でもある。また、総裁先生がブログをお書きになっておられるのを真似ることにより、御心の万分の一を理解できるのではないだろうかと考えたからでもある。

 ②唯心所現
これは横の真理とも言われている。心相応の姿が現象界に現れるということである。現れには真象と偽象が現れると書かれている。その中で真象を見続ける日時計主義で、記録するところの「日時計日記」記載が、良き環境や運命を引きよせるとしている。心が現象界に現れるのには、心の法則があります。それを理解するとより一層、心の使い方が上手になるでしょう。原因結果の法則とか、同類親和の法則とか、動反動の法則とか、いろいろと説かれていますが、それらは既に世間一般的には、流布していることが多いようです。要するに理解しやすいのです。しかし、①の唯神実相に関しては生長の家に来ないとなかなか分かり難い真理であり、生長の家独特の救済法でもあるのです。

 ③万教帰一
これは、イスラームに関しての総裁先生の御著書があり、キリスト教に関しては現代のイエスの歴史的研究などを通しての御文章があります。私たちは谷口雅春大聖師、谷口清超大聖師の聖典や総裁先生の御著書から理解を深めることができます。人類、すなわちホモサピエンスは同じ身体構造をもっているという原理からして、救われる原理も同じであると考えられるのです。ここでは、宗教卵論が出てくる必要性もありましょう。黄身の部分はどの善き宗教も同じであるが、白身の部分は歴史、文化などの違いにより、おのおの違っているということです。違いを強調すると争いになることがあるが、共通部分を強調することにより、仲良くなれるのです。生長の家は仲良くすることにより、世界平和を招来しようとしています。これを国際平和信仰運動と言います。すなわち、唯一絶対の神は共通ですので、その神への信仰を基盤にするということになります。

 なぜ、私たちは「日時計日記」に記載するのでしょうか。花を見て、美を感じてなぜ、それを絵手紙に表現するのでしょうか。それは日時計主義こそが、実相独在の信仰と唯心所現の真理を体現した生活の実践であるからです。
 このコーナーは学ぶことが多く書かれております。島根の信徒の皆様にお勧め致します。

【桜の花】
 昨日は、吉野の桜について書いたが、なぜ桜は日本でこうももてはやされるのだろうか。嵯峨天皇という方がおられたが、それまでは梅の花が主流であったそうだ。梅の花は中国から伝わってきたが、梅の花は、「青丹よし奈良の都は咲く花の匂うが如く今盛りなり」と歌われたように、「匂う」花として公家衆の中では人気であった。しかし、嵯峨天皇様がある時、地主神社(じしゅ)の前を通られた。その時、あまりにもみごとな桜の花をご覧になった。そして通り過ぎたけれども、その桜が忘れられない。再び、車を引き返すこと3回であられたという。それから、梅よりも桜が日本でフィーバーしたのであったとのことである。
 藤原定家や西行法師や桜に因んだ歌を詠んだ人は多い。小野小町は、「花の色は移りにけりないたずらに…」と自分が桜の花であることを自覚した日本初の女性であったという。自分が桜の花に相当すると自覚した女性は、特に美しく生きることができたのではなかろうか。
 醍醐寺の豊臣秀吉の花見は有名である。アイデアマンの秀吉は女性達を喜ばせるために花見を催す。その豪華さ、費用はすごかったという。しかし、結果は、秀吉公にとっては後味の悪いものになってしまったと歴史書は記している。
 「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」。何という古人の素晴らしい表現なのであろうか。
種類は豊富で、友人の桜守人さんは桜の専門家であるが、みごとな桜を咲かせるという。関山というピンクの花や、菊桜という桜や、緑色の桜の花や多様性に富んでいるのが桜の特徴である。かつては東京の荒川堤には桜が多く植えられていた。しかし、戦時中に切り倒して燃料にしたことにより、せっかくの桜並木がなくなったという。切り倒す前にアメリカにプレゼントした桜の苗を逆プレゼントで復活を目指していいると、NHK「ヒストリア」(2011/04/13)では放映されていた。「なぜ日本には桜が多いのだろうか?」その質問を時々発することがあるが、それは、日本人は桜の花が大好きだからである。三界は唯心の所現であり、何事も心が造るということは真実である。
 
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 中内 英生

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April.12.2011「アリとキリギリス」

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April.12.2011「アリとキリギリス」
今日の詩::満開に 我を待ちしか 隠岐桜
(隠岐の島の桜の花は一片の花びらも散らず、満開でした。)

 谷口純子先生著『突然の恋』56頁には、「アリとキリギリス」の話が書かれている。アリは「人生悲観論の勧め」として夏、せっせと働いたのだろうか。そうではなく、冬の状況を正しく判断し、今するべきことをしたのだと書かれている。だから私たちも、「悪を避けたい」と思うならば、心の法則を含めたこの現実世界のしくみを知ることが大切であるとお教え下さっている。
 『生命の實相』第1巻に、「心の世界に於ける運命の形成」という章があるが、そこに心の法則の内容が書かれている。「アリとキリギリス」の話は、ほとんどの方がご存じだとは思うが、西洋の物語の結末と、日本に於ける物語の結末は違うという話も聞いたことがあるが…。
 アリは夏の暑い盛りでもせっせと働いて、冬のために食糧をためておくのだった。一方のキリギリスは、夏は苦労しなくとも、目の前に沢山の食糧があるから気軽に食べる。冬のことなどを考えずに楽しく遊んで暮らす。やがて冬になると、夏遊んで過ごしたキリギリスは、どこにも食糧を見つけることができず、寒さと餓えで死にそうになるのだった。アリの方はしっかり働いて、食糧も確保しているから、冬の間も困らない。このようなあらすじである。

 何だか、キリギリスはどこかの国のようにも思う。個人でも国家でも団体でも、バランスということが大切で、徳を使い過ぎると、後が無くなるようである。東日本大震災でいろいろな国々から援助が来る。これは今までに他国に対して尽くした深切が帰ってきているのではなかろうかとも考えられる。その真心が限りなく有り難い。
 仕事をするというのでも、仕事は苦しみであると考えると、どうしても休養や遊びが喜びであり、仕事は苦しみであるということになる。しかし、仕事は世の中の人々への奉仕であり、愛を実践する神聖なる行事であるという生長の家のような考え方になると、仕事そのものが喜びの源泉となる。それは、人生の蓄えのために働くのではなく、仕事そのものが喜びなのでこれ以上の素晴らしい考え方はないのではなかろうか。

 先ほどの、心の波長の問題に帰るが、日時計日記を書くということは、明るい心を持ち続けると云うことになる。従って、「類でないものは反発する」という法則により、暗い人生や運命は、近づかないことになるのである。これほど、素晴らしい人生必勝の生き方はない。方法論を強調したが、それに先だって、人間の本質の素晴らしさを知ることが必要だろう。谷口雅春先生著『新版 幸福生活論』19頁には、法華経・五百弟子受記品からの引用がある。ある長者さんと友人との話である。

 あるところに長者がいた。官用のために外出したが、間もなく出合ったのが学校時代の旧友だった。随分と見苦しいぼろぼろの服装をしていた。「一体、君は、近頃どうしている?」と訊いた。「どうもこうもない。就職口もなく、お金もなく、生活に困っていて。もう数日間ろくろく食べてないのだ」と答えた。余り気の毒なので、「それでは私の家に来なさい。私は今、官用で外出する途中だから、長く話しているわけにも行かないが、一時間ぐらいならば、君とお付き合いしよう」というので、自分の家に連れて行き、できるだけご馳走を振る舞って、お酒もたらふく飲ませた。すると友人は満腹にお酒が回ってしまい、眠ってしまった。長者は、友人を呼び起こして生活費を与えてから、出かけたいと思ったが、お酒が回ってきたので、眼が覚めません。そこで大金を枕元に置いて盗まれる恐れがあるので、無限価値のある宝石をその友人の襟の内側に縫い付けておいて出かけたのでした。後日、その長者が、道で友人にであったが、依然としてその友人はみすぼらしい服装をしていた。「どうして君はみすぼらしい服装をしているんだ。君はすでに無限の長者ではないか?」と、長者は友人に言いました。友人は、「冗談は休み休みに言って欲しい。私がどうして無限の長者なのだ?この通り貧乏ではないか?」というのでした。長者は申します。「君の内部を見たまえ。君の内部には無限億万円の素晴らしい宝石がある。それが実相だ」と。そこではじめて、その友人は、自分の内に無限の富が、智慧が、愛が、生命が、調和が、平和が宿っていることに気がついたというのです。

 この話で大切なことは、自分の中に無限があっても、気がつかないと使うことが出来ないということです。目覚めることが必要です。それを可能にさせるのが、神想観であり、聖典の読誦であり、愛他行であり、神性表現であり、日時計日記の毎日記載です。続ける時に、何かが生まれます。「継続は力なり」という言葉がありますが、これは真実です。良いことはこれからも大いに継続致しましょう。

【吉野の桜】
 日経新聞(2011/04/13)には、「吉野山3万本の桜守」の紺谷与三一さんが文章を書いている。13年前から桜守として仕事をしているという。1594年に豊臣秀吉公により盛大な宴を催してから有名になった。私自身は一度だけ、桜の花が咲いていない時に行ったことがある。天皇陵巡拝を行っていた時だった。現在、樹齢100年を超えた木が多く、立ち枯れが目立つようになっているという。また、若い木々にも異変が起こる。根が地中の水分を吸えなくなる。キノコ類の菌糸が繁殖して根に侵入したのが原因であると研究者は言う。吉野の人々は、桜に生かされてきた。春には大勢の観光客が来るのは桜があればこそ。しかし、多くの住民は、「放っておいても桜は永遠に咲く」と考えていたようだ。しかし、それはそうではなかった。
 これは家や自然や顧客や信徒さんについても同じではなかろうか。私は島根の四つの文化圏(隠岐、松江、出雲、石見)に毎月足を運ぶ。それは少しでもみ教えを必要とする人に応えたいからでもある。桜にも人にも通用する言葉であり、放って置いてよい訳がない。
 紺谷さんは、満開の刹那に今までの苦労を忘れるという。それは、「昔は吉野の人々は桜をご神木とあがめて大切に育ててきたが、現在は、住民が山に入らなくなった」と書かれているので、桜の木のお世話が専門化したのかもしれない。紺谷さんは、満開の時の桜の声「今年もがんばったよ。」「ありがとう」というつぶやきを聞く。被災者の方々が塗炭の苦しみを味わっているのに、なぜ自分は桜の世話をしているのだろうと、初めて考えたという。しかし、彼には桜守しかできない。その桜を被災地の方にも届くようにみごとな桜を咲かせたいと願っているとしている。
 
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April.11.2011「日時計主義の多様な展開」

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April.11.2011「日時計主義の多様な展開」
今日の詩::水仙や 黄色に白と 多様性

 機関誌『生長の家』平成23年5月号12頁には、「日時計主義を多様に展開しよう」と題して、総裁先生のお言葉が掲載されている。その中で、「短編小説で教えを表現する」という題の御文章がある。これは『こんなところに…』という新刊のことにふれておられる。
また、19頁の下段には次のような内容が書かれている。
①日時計主義の表現にはいろいろな方向や手段がある。
②色々な方面に向かって幅広く日時計主義を展開すると、「生長の家の運動」はさらに幅を持って拡大していく。
③そうすることによって、『生長の家』誌創刊号で示された”立教の精神”はさらに世界に広がっていく。
④それぞれの立場から多様な運動を展開して言って下さい。
 私はこの御文章を拝読して、今年度に私たち島根の信徒が行くべき方向が示されたと感じた。それには、さまざまな努力が必要だろうと思う。今年度は、一昨年度にも行った絵手紙・絵封筒展やチャリティコンサートなども開催される。それに加えて、総裁先生がすでにお示し下さっている「短編小説」や、「童話」などにも信徒の皆様とご一緒にチャレンジしていくことができれば幸いである。まずは、第一歩から踏み出す以外にない。

 今日4月11日は、隠岐の島にいる。毎月出講することによって、本部からの神経細胞が次第に隠岐の島へまで伸びていくようになって来つつあると感じている。今月から、道場ではないが常時生長の家の運動のために、場所を提供して下さる方が現れたので、誌友会はもちろん、30人くらいの会合はできるし、地方講師研修会のインターネット受像の会場にもなる。まことにも有り難いことだと感謝している。隠岐の島は島後と島前があるが、島前には海士町など全国的に有名なところもある。現在通っているのは、島後である。のんびりとしているのが牧歌的で何とも良い感じだ。

ここには若い人はあまりいないとも聞くが、今日乗せてもらったタクシーの運転手さんは30歳代ほどの女性なので若い人もいるようだ。従って、母親教室が発展する可能性は大きいと思う。このワクワクするような発展への希望が人生や運動の推進力となる。島前の人々はとても積極的らしい。しかし、生長の家の拠点は昔はあったが現在はない。島後の人々は伝道の場として島前を考えるようになってきた。大いに楽しみである。
 隠岐の島の母親教室の方々が絵手紙を描いておられたので、教化部ホームページの「写メール俳句の世界」に投稿しておきましたのでご覧下さい。

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 中内 英生

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April.09.2011「新しい仕事」

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April.09.2011「新しい仕事」
今日の詩::春うらら 蝶も小鳥も 庭に寄る

 機関誌『生長の家』(2011年5月号)8頁には、「新しい仕事」という谷口清超大聖師の御文章が掲載されている。聖典『純粋に生きよう』からの抜粋である。
9頁には、「人生には変化が必要であり、新しい体験を経て沢山学習することができるのである」と説かれている。

 仕事からは給料や収入が得られるというのは経済的な反面であり、何よりも魂の栄養が得られるとされる。先日、練成会を受講された女性で、息子さんが就職していなかったようだ。練成会を受講し、祈り合いの神想観でも祈ってもらい、「既に息子は就職できました」と念じて悦びの生活を続けていると不思議に就職できたのだという。その場合、やはり両面を喜ぶ必要があり、どちらかといえば、人様のお役に立てることをこそまず喜ぶべきでありましょう。
  就職に関してだが、ある会社で新入社員を採用する時に、質問をする。「貴方は自分が運が好い人だと思いますか?それとも運が悪い人だと思いますか。」と。「自分は運が好い」と答えた人は採用され、「自分は運が悪い」と答えた人は不採用であるという。これはなぜであろうか。運が悪い人が集まると、会社は運が悪くなり、運が好い人が沢山集まると、会社の運が好くなるのは当然であるからである。

 では、世界で一番運が好い人はどなたでしょうか。それは神様であるので、神様とお付き合いをすることが何よりも大切であると考えれるのである。それは神想観を熱心に行うとよいのではないでしょうか。特に、如意宝珠観を行うと如意自在の生活が展開することになるのです。如意自在、または自由自在性こそ人間は好むのである。金銭は自由に購入するからこそ好まれるのであり、実は金銭を好んでいるのではなく自由性を好んでいることを忘れてはならない。
 ここで大切なことは、お金が儲かることが幸福であると考えることです。お金が充分あっても自殺をする人もおれば、お金があっても幸福であると考えていない人もおられましょう。お金は材料でありまして、決して幸福のエキスではないのです。幸福とは、今あることに感謝できることが幸福生活の最大要素です。多くの財産が自分名義になっていても、自分で使っているという自覚のある分量は限られています。逆に、少なく持っていても、充分に感謝している人は、多く持っていて感謝していない人よりも幸福であるに違いありません。私たちは、日時計日記の記載によって感謝の生活の練習をすることができます。大変、ありがたいことです。

 元に帰りますが、仕事は給料をもらえる仕事だけが仕事ではありません。人の為になる働きこそ仕事であり、ハタを楽にすることであり、儲けるとは人の為に設ける、すなわち何かをして上げることでありましょう。
 或る若い人が言いました。「自分は将来は高給取りになりたい」と。それを聞いていた先輩が答えました。「高給取りになるというような小さな希望ではいけない。多くの社員に高級を支払うことができるような社長になる、と考えなさい」と。これを聞いた若者はハッと思い自分が如何に自分の利益のことだけを考えていたかに気がついたそうです。それからは人の為に、人の為にと考えて成功したとのことでした。この話は、故T元本部講師にお聴きした話です。

 NHKテレビの「百歳万歳」で会計士の男性が100歳を超えても会社の経理を見ておられたことが放映されていた。幾つになっても、使命感とやらねばならない仕事があるということは尊いことである。島根教区でも、90歳を過ぎても、元気はつらつで活動を続けておられるT地方講師がおおられる。インターネットも駆使される。頭脳明晰であり、誠に尊いことであると思う次第である。 

【アバター】
 今まで断片的にしか見ていなかったアバターをDVDで見た。環境問題を取り扱った内容のようだった。アンオブタニウムという貴重な鉱石がこの星の先住民?が住んでいる場所の地下に沢山埋蔵されているという。その鉱石を採取するために、人類が彼等を追い払うという筋書きだった。何だか現在まで地球に対して人類が行ってきた歴史物語を見ているような気がした。
 彼等を救おうとするシェイクは、魂の木に祈りを捧げる。「あなたは私を選んでくれた。だから私は戦う。だから助けて欲しい」と。最後に、人類を地球に退却させることに成功したのだった。私たちの場合は戦うと行っても、戦闘ではない。迷いを論破するために、不断に勉強を怠らずに真理の探究を深める必要があると考えられる。この映画をみて、もっと総裁先生の御著書を読み込まなければならないと、反省した次第である。

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April.10.2011「島根教区地方講師・光明実践委員研修会同時開催元年」

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April.10.2011「島根教区地方講師・光明実践委員研修会同時開催元年」
今日の詩::情報は 神の国から やってくる 地方講師の 使命と共に

 今日は、初めて島根教区で、益田、出雲、松江、隠岐の島の四箇所で地方講師研修会を同時開催した。もちろんインターネットを介してだった。隠岐の島からは、K地方講師が体験談を話した。大変素晴らしい内容だった。松江からは、東日本大震災のための聖経読誦をA地方講師が先導した。出雲からは、私が5月相愛会・白鳩会の誌友会の指導ポイントを話させていただいた。益田からは、自然と人間との大調和に関するF地方講師の研修発表だった。パソコンの関係で多少、聞き取りにくいところがあったが、おいおい慣れてくると思う。
 一年間続けることによって、二酸化炭素削減はかなりなものになると予測できる。これまで何度か部分的に行ってきたが、テストを重ねながら、ようやく実用の域に達することができた。ご協力下さった皆様に心から感謝申し上げます。
何点か気がついたことがあった。①有線でないとフリーズしやすいこと。②パソコンの能力がないとうまくいかないこと。③内蔵マイクだと余計な音を拾ってしまい雑音になりやすいこと。④使用通信ソフトの性能は、料金の高い低いには関係ないこと。こんな所であろうか。
 研修内容の向上と同時に通信スキルを磨いて行きたいと思う。そして、優秀な講師が非常に多いので、大いに地元島根の光明化のお役にたてるようになること。また、国際平和信仰運動のためにお役に立てる地方講師が陸続と輩出されることを願って止まない。
*4月9日のブログは都合により後日、アップします。悪しからず。

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April.08.2011「与える実践」

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April.08.2011「与える実践」
今日の詩::やや寒く 春を迎える 雛の月
(今年は雛にとっては少し寒いようです。)

(絵は朝山相愛会のO相愛会長さんからいただいた絵封筒です。)

 機関紙『生長の家』(2011年4月号)には、「あなたが現実に幸福になるために」として谷口雅春先生の法語が書かれている。2頁10行目には、「神から既に与えられているものを受け取るには、こちらが先ず人に与えるという実践をするとき、神の与え給う心と人間が人に与える心とが同調して波長が合うということになるのである。」と示されている。理念の世界に於いては既に与えられている富を現実化する秘訣でもある。また与えるとは、法施、物施など挺身、致心、献資の功徳などであろう。また、聖使命会は実に素晴らしい神様の運動への捧げものとなると考えられる。
 呼び水はまず人間から、ということらしい。与えるとは、与えられるということであろう。
招神歌において、「天地の祖神の道を伝えんとあれましし生長の家大神守りませ」とある。ここにも真理体得と神様と波長を合わせる秘訣があるように思われる。生長の家の大神様とは如何なるご使命で御出御されたかというと、「天地の祖神の道を伝える」ためである。それならば、天地の祖神の道を伝えるために行動してこそ、初めて生長の家大神様と波長が合うと云うことになる。これは実に大切な心得でありましょう。
 また、「生長の家大神ー総裁・副総裁ーみ教え」の教義から類推するならば、日々のブログの精読が生長の家大神様に波長を合わせる道であるとも云えるのではなかろうか。
 しかし、インターネットができない人の方が大勢である。その場合は、スピードよりも内容把握を中心に於いて、御著書となった御文章を繰り返し拝読することにより、インターネットですばやく拝読する以上の効果が現れるのではなかろうかと考えられる。
 そのうち重要な内容のものは、聖使命新聞や機関誌『生長の家』に取り上げられるのでそれを拝読することができると考えられる。
「運動の多様性」
 機関誌『生長の家』(平成23年5月号)の4頁には、「静岡教区の躍進に感謝」との題名で総裁先生の御文章が掲載されている。この中で、前回を1134人も上回るすごい勢いであることが書かれている。成功の要因の一つに、三組織の仲のよい連携があったと感じたと書かれている。何事に於いても仲がよいこと、即ち大調和は成長するための必須の要因であると考えられる。調和は、秩序すなわちルールを重んじ、お互いの実相を拝んで礼拝することも大きなポイントでありましょう。
 また、総裁先生は、浜松市楽器博物館にお寄りになったという。世界の楽器についての知識を得たいと思われたからである。最後の2行の御文章が私に強い暗示を与えてくれた。『真理宣布の運動も、このような多様性をもつことが発展のためには必要だろう。』というお言葉である。多様性という言葉は、単に生物界だけのものではない。創意工夫によってさまざまに展開することが可能である。
 楽器で思い出したが、今年の8月25日(木)に第二回生長の家島根教区のチャリテイコンサートが開催される予定である。今回も、谷口清超先生のお作りになった聖歌を中心に行われる予定である。その雰囲気を大切にしたい。民謡や楽しい一般受けの歌や踊りを出してはという意見もないわけではないが、プロはそれ以上のことをするのでそっちへ行った方が満足するという訳で、生長の家のコンサートは廃れていくと考えられからである。ここでいう生長の家独自のものは?、それは「聖歌」であると思う。前回はユニセフに寄付をさせていただいたが、ユニセフのホームページを見ると東日本大震災の募金があった。
 いずれにせよ、今年度もアイデアを出し合いながら多様性のある運動を島根教区で精一杯行うようにしたいと考える次第である。

【勝間和代の人生を変える法則】
久しぶりに、勝間さんの文章です。NHKの「仕事学のすすめ」で毎週見ているので文章よりもビジュアル系がよいと思いがちですが、自分の中に取り込むには、文章もなかなかよいと思います。
 2011/03/26のテーマは、「人は他人に支配されようとは思わない」です。これは選択理論というのだそうです。
 米国の精神科医、ウィリアム・グラッサーが唱えたのが「選択理論」です。私たちの行動は、外からの行動にどのように反応するのが最善か、毎回判断することで成り立っているという考え方です。この考え方は、昨日書いた内容に似ているように思います。
よく考えると、一般的に有名であると認められる理論の原理的なものはすべて生長の家の教義の中に込められれているように思います。
 この理論は、人間一人一人の行動は、他人に無理強いされても変えられないという考え方です。
 私たちは、「上質世界」という世界、「こんな形で生きたい」と思うイメージを持っている。そこに近づくように行動を選択しているというのです。しかし、これはグレン・クラーク教授の「牝鹿の脚の話」で云うと、現在意識と潜在意識との一致が必要であると考えられます。
 選択理論は、例えば、一緒にいたい人、所有したり、経験したいことなどが含まれているようです。「上質世界」とは少しわかりにくい言葉です。人は誰を自分の上質世界に入れるかは、さまざまな付き合いの中で決めているとしています。興味深いのは、この上質世界にいったん誰かを入れても、つきあう間に、「あること」をされ続けると、その人を上質世界から追い出すというのです。それが配偶者ならば離婚です。親友ならば、単なる友人に格下げか絶交することになります。
 その或ることとは、「相手からコントロールされる」ということです。人間は自由を求めており、支配を受けたくないのです。なぜならば、人間は神の子であり、自主的存在であるからでありましょう。
 具体的にグラッサー博士が決めた「致命的な七つの習慣」とは何かというと、①批判する②責める③罰する④脅す⑤文句を言う⑥がみがみ言う⑦目先の褒美で釣る、ということです。これを読むと、生命の教育の「人間の持つ五つの願い」が思い浮かぶのではないでしょうか。逆にどうすると自分を相手の上質世界に入れてもらえるかが書かれています。それを「身につけたい七つの習慣」としています。列挙します。①傾聴する、②支援する、③励ます、④尊敬する、⑤信頼する、⑥受容する、⑦意見の違いを交渉する、です。
 これらの行動原理は、当然のことながら、夫婦、友人、親子、企業の上司・部下の関係などにも当てはまるとしています。
 要は、人は相手を無条件に信頼できるかどうかを、常に相手の言動などから判断しているということです。そして、自分を支配しコントロールしようとする人を避ける傾向にあります。上記の、理論は、私たちはみ教えをうけておればこそ、充分に理解することができるようです。誠に有り難いことではないでしょうか。

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 中内 英生

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April.07.2011「自然と人間との大調和」

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April.07.2011「自然と人間との大調和」
今日の詩::木犀の 庭に漂う 花香り 

 4月1日号の「聖使命新聞」によると、「先人の冥福と加護を祈って」しめやかに春季慰霊祭が3月21日に行われたことが報道されている。この中で、震災でなくなられた方々のことについて触れての総裁先生のお言葉が掲載されている。

 『今回の大きな地震でも大勢の人々が亡くなり、地上での光明化運動を中断せざるを得なかった方があったかもしれないが、慰霊祭では、きっと光明化運動の先輩と共にここにいらっしゃると思い、そうした方への感謝も込めて聖経読誦されたと明かされた。』

 このご挨拶の全文は『機関紙』六月号に掲載予定であると書かれている。人間は神の子であり、決して死んではいない、との真理を、先日の総裁先生のブログ「歓喜への道」(1)(2)(3)でお書きになられた。そのお言葉を思い出しながら聖使命新聞のご文章を拝読する時、感慨深いものがあると思われる。
 島根も、本部の方針に従い、誌友会など各地の会合で聖経読誦を熱心に行っている。そのお姿に、島根の信徒様の真心を感じる。

 また、白鳩会では励ましの絵手紙も描こうと云うことになったようである。すでに益田の支部から送ってきている。これらをできるだけまず教化部ホームページの絵手紙絵封筒コーナーに掲載したいと考えている。
 島根ではさまざまな会合で描いているようだ。これらの真心は必ず大きな力になるに違いない。

 『生命の實相』携帯版第20巻137頁には、開悟の瞬間のお言葉が書かれている。それは、「人間神の子、永遠不滅の生命である」という自覚であり、次のような御文章から始まる。
『私は思索を重ね、静思を重ねたけれども安住の境地に達しなかった。ある日、私は静座合掌瞑目して真理の啓示を受けるべく念じていた。私はその時、偶然であろうか、神の導きであろうか、仏典の中の”色即是空”という言葉を思い浮かべた。と、どこからともなく声が、大なみのようのような低いが幅の広い柔らかで威圧するような声が聞こえてきた。”物質はない!!”とその声は云った。…』

 その後に、何度拝読してもずしんと腹の底にこたえるようなお言葉があるのです。み教えはここから始まったのか、という感動が蘇ります。しかし、御文章を拝読する前提として、また何度も感動を新たにするためにも、常に総裁先生からお示しいただいている三正行を行っておく必要があるのです。それを実行せずに、聖典を拝読してもやや感じ方が鈍くなるようにも思われますので、神想観や愛他行や日時計日記の記載などは弛み無く実践したいものです。
 この章に於いてさらに、「心もない!!」との啓示もいただかれたのでした。心という得体の知れない悍馬があって、その馬を乗りこなすので骨が折れると思っていたのですが、先生は、「心もない」という宣言をお聴きして、心の悍馬から、実相の大地に降り立ったと説かれております。
 先生は尋ねます。『心もなければ何も無いのか。』
その声はハッキリと答えました。『実相がある!!』と。
先生はお尋ねになります。『無の姿が実相であるか。皆空が実相であるか。』
『無のスガタが実相ではない。皆空が実相ではない。皆空なのは現象である。五ウンが皆空であるのだ。色受想行識ことごとく空である!!』
その後、問答の末に、実相を把握され、久遠の今を活きるに至るのです。
先生はその光景を次のように御表現されています。
『私の眼の前に輝く日の出のような光が燦爛と満ち漲った。』と。
  血の滲むような激しき思索と求道の末に到達された最勝の境地の御文章を何度も拝読することは、信仰者としてのあなたの生き方に大きな影響を与えるに違いありません。
140頁の14行目には、『自分も亦、明治26年11月22日に母の肉体より誕生したのではなかった。そして、現在の今はじめて悟ったのでもなかったのである。ここのままで、久遠の昔、そして久遠の今、はじめなき始から仏であった自分であったのだ。』。…そして、141頁の最終行には、『私はついに神を見出し、本当の自分を見出したのであった。…』と。
 このように谷口雅春大聖師はお書きになっておられます。

【『突然の恋』をテキストに】
 谷口純子先生の御著書『突然の恋』をテキストにして何回かの講話をさせていただいている。「はしがき」4頁の2行目には次のように書かれている。谷口純子先生の明確な御表現が心を打つ。
『…ところが、私たちの人生に起こるすべてのものの決定権は、自分の”心”が握っているし、自分の周りに展開する世界は、それぞれの人が自分の”感覚”と”思い”を動員して創っているのです。…』と。
  人生に偶然はない。周りにはさまざまな事象があるがその中から一つを選ぶのは自分であり、自分の心である。選択権は自分にあるといえる。マスコミは不思議に善なる出来事よりも、悪であるできごとを強調して書く傾向にあるようだ。理由は、その方が人々が興味を覚えるからである。しかし、それを繰り返している内に、悪が実在するという思いが潜在意識に入り込み、それが元となって、悪なる事象、不幸なるできごとを、己の心が選択するに至ればどうなるのであろうか。従って、よきものを選択するには、良きことを選んで意識に記憶する日時計日記の記載こそ重要なる行事であると考えられる。
 皆様はビールはお飲みになりますか。お醤油はどこの会社のを使いますか。統計によると、それは今までに何らかの触れた言葉やコマーシャルに起因してメーカーを選択する傾向があるとのことである。従って、よき選択や判断をするには、自分の心を浄めておく必要があるということになる。これが神想観であり、練成会などにおける浄心行であるとも言えるのではないだろうか。

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 中内 英生

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April.06.2011「共存共栄の生活」

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April.06.2011「共存共栄の生活」
今日の詩::カトレアや 色鉛筆の  絵に見とれ
(久しぶりに花の郷へ行ったが、色鉛筆の絵が飾っていた。カトレアの絵が実にあざやか見えた。聞いてみると一番長く描いている素人さんであるというが、素晴らしかった。その一枚が欲しいと思った。)

 人と自然との大調和が実相の世界であり、その顕現に努力するのが現在の運動であると言えようか。
 『生命の實相』携帯版110頁の13行目には、『生長の家の主張する生活は誰かが犠牲になって、損をして、他を生かす生活ではない。誰も損をせぬ、誰も犠牲にならぬ、共存共栄の生活こそ正しい生活なのである。』と書かれている。
 生長の家を開始する以前に、清貧に凝り固まって生活が困っておられた頃、物品引きよせの実験をしていた後藤道明氏が、「今のいわゆる善人というものは皆貧乏になる稽古ばかりしていて、自分が貧乏しているから人をたすける力もなし、自分も苦しい、人も苦しい。これを善中の悪と云います。』という言葉を聞いて、心が打たれたことがあられた。
その後、自由自在の境涯に入られたと書かれている。
 従って、生かし合いの生活、生かし合うことができる生活を理想とする。その頃の生かし合いは人と人とのイメージが大きかったが、現在は、人と人とはもちろんであるが、人と自然との関係が加わっていると考えられる。

 『崖の上のポニョ』という宮崎駿さんのアニメを見た。広島の海が舞台であるという。そこに住んでいる学生の話によると、「地元の人たちは橋を作るのに賛成だが、一部の人が反対で、それにポニョのアニメが出たので結局橋ができずに、とても地元の人は不便がっているという。だから、”海を改造するのはいけない”というのは人々の願いに反する、というのである。しかし、私は、それは「違う」と答えた。現在、住んでいる人々が賛成するのが本当に正しいだろうか。一度橋を架けるとおそらく100年以上は続くだろう。その頃になると、現在の人々はいないが、100年後の人々は「賛成反対の意見」を現時点で言えるだろうか、と。これは次世代倫理という。

 私が子供の頃は、人工流産は当たり前の時代があったという。しかし、それは殺人に等しいと教えられている。当時、優生保護法というのがあり、人工流産することが可能だった。バスに乗り遅れないようにしたい、というような気持ちで簡単に堕ろしたという人もいた。しかし、それは真理に於いて間違っている、と言える。
 また、現在までの世界の歴史に於いて、さまざまな戦争に於いても、または化学兵器の使用などについても、世論の赴くままに使用することが果たして正しかったのだろうか。世論はメディアによって形成される。戦争中、原子爆弾の開発を進めていた軍に対して、それを二度にわたって禁じるお言葉があったという昭和天皇様のエピソードを読んだことがある。当時の人々としてはそれを開発して当然と思えることも、現在考えると昭和天皇様の人類全体の平和をお考えになられる大御心に襟を正さざるを得ないのではなかろうか、とも考えられる。

 『ポニョ』のアニメは、海を荒らすな、という警告の意味であり、『もののけ姫』は森を荒らすな、というメッセージだろうと思われるが、私は、ポニョで別のことを考えていた。「そうすけ」の傷の血を舐めて治した魚の子のポニョが「そうすけ」に恋をする。人間の血液を舐めてポニョは半魚人になるのだが、異種間の臓器移植や、異種間の結婚のその後の問題点などのことを考えていた。iPS細胞の開発により、アメリカのある州で認められている同性の結婚において、二人の間の子供を作ることが医学的に可能になってきているからである。しかし、子供の立場では果たして「幸福かどうか」ということが何よりも論じられなければならないのだろう。
 アニメの『ポニョ』において、山が海に沈んでいるという光景は驚くものだった。地球温暖化による、海水面の増加から来る発想だろうか。ポニョは最後に魚にもどり、「そうすけ」が持ち帰るが、「その後、どうなるのだろうかと、要らぬ心配をしている」自分を見いだしていた。年齢相応の発想なのだろうか?
  http://www.youtube.com/watch?v=DoW_RcqynrA

  再び元に帰るが、『新編 聖光録』41頁には、「実相金剛身の神示」が掲載されている。7行目には次のような聖句がある。
『…そこには山もあれば川もあり、植物もあれば、動物もある。獅子も羊もあるが皆仲良く相戯れている。一切の人間、動物、諸霊悉く調和して相食むものはない。…』と。
私たちはこの世界にエアコンの温度設定をするように、設定する。直接心で触れるように観ずる神想観と、日時計主義によって真象に感動しながら、その発祥地である実相世界まで意識を伸ばしていく、日時計日記と神性表現、それらは信仰者としての必須科目であると考えられるのである。

【職業を得る方法】
『生命の實相』携帯版134頁には、谷口雅春大聖師が、生長の家をお始めになる前に、職業を得られたご体験が書かれている。ホルムスの『心の創造活動の法則』という本を『如何にせば運命を支配し得るか』という本に翻訳された先生は、心が運命を造ることを悟られた。しかし、それは実相の神ではなかったが、現象界の創造の原理を把握されたのであった。6行目には次のように書かれている。
『それから後、毎日、私は二階に上がって静かに座して、自分にとって適当の職業が既に与えられていることを念じた。すると一ヶ月ほどした或る日、私の養家ではその当時極端な節約のため一切新聞をとっていなかったが、誰が借りて来たのか、私の目の前に一枚の大阪朝日新聞が散らかっているのだった。何気なくその新聞紙をひろげて小説を読んだ後、ふと、その下のところを見ると、『高級翻訳係募集』と書いてあった。…』
谷口雅春大聖師はその後、バキュウムオイル・カンパニーにご就職されたのであった。時々、「島根には仕事が少ない」、といってご相談にお出でになる人がおられる。そういう人は、このご体験の事例を参考にされて、よきご職業につかれることを念願する。

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April.05.2011 ”ブログ「歓喜への道」(1)(2)(3)を拝読して”

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April.05.2011 ”ブログ「歓喜への道」(1)(2)(3)を拝読して”
今日の詩::夜は更けて 鳥鳴く声は 春の朝

 総裁先生は、ブログ「歓喜への道(2)」に於いて次のように説いておられます。
「…宗教運動とはそもそも物質的繁栄を目指すものではなく、神意の実現や仏国土の現状が目的なのだ。このことを先生は「生長の家の光明化運動の根本精神は、出家の精神である」(p、15)と表現されている。」と。

 p、15は、谷口清超大聖師御著書『歓喜への道』の頁数です。厳しい教えのようではありますが、真理であります。私たちは如意自在にして豊かさのみを求めすぎた面があったとも考えられます。限りなく物質的に富ばかりを求めてそれが繁栄であると考える面もあったとも言えましょう。
 御著書『歓喜への道』に於ける谷口清超大聖師の御結論ともいうべき内容を書いておられます。
「今や日本は金儲けや繁栄を追い求めるか、それとも神の国と神の義を第一に置くところの”真理国家”に”出家する”かの岐路に立っていると言える」と。

 私は総裁先生が、谷口清超大聖師の御文章をここに提示されることにより、本当の信仰とは何であるかを改めてお教えいただいた思いであります。3月31日、4月1日、4月2日のブログを精読していただきたいと存じます。

 「歓喜への道」(2)に於いてブログの事に言及しておられます。
「ブログは、現代の路地や四つ辻のようなものである。誰でもそこに来て、読み、眺め、そしてコメントすることができる。…」と。

 コメントをする人はさまざまにコメントをする。しかし、『ヨハネ伝福音書』の第9章41節から、メデイアに関して「見えるという罪」に言及しておられます。ここの御文章は、ブログの原文をぜひ拝読していただきたいと存じます。
 また、ブログ「歓喜への道」(2)に於いて、「人間神の子、生き通し」の信仰と現象的にお亡くなりになった方への信仰者としての見方・考え方がご教示されております。
そして、3月17日にご発表された、「自然と人間の大調和を観ずる祈り」と同時に拝読することによって、より一層、東日本大震災を理解することができると拝察申しあげます。三つのブログは、総裁先生からの強烈なメッセージであり、御教示であると深く受け止めさせていただきました。
 島根の信徒の皆様、拝読下さい。

【生命の未来を変えた男】
 この内容は、NHK(2010/09/18)で放映されていた。特にiPS細胞についてであるが、山中伸弥教授が登場する。細胞の初期化がどのような未来をもたらすか。山中教授にとっても、「このようなことをしていてよいのだろうか」と不安になるという。そこまで再生医療は進んでいるのである。我々から言わせれば、キーワードはいわゆる人間の「利己心」である。これをキーワードにして、倫理的に判断を下す以外にないだろう。
 研究によって、iPS細胞から精子や卵子を作ることができる。すでにマウスでは成功している。このことは思わぬ波紋を投げかけているようだ。それは、男性同士の結婚が認められているアメリカでは、自分たちの子供を持つことが医学的に可能性ができてきたことである。しかし、それは倫理的であろうか。子供にとって幸福であろうか?という問題がある。
 従って、髪の毛からも子供を作ることができるようになる。山中教授は言う。「身体の至る所に未知なる能力が秘められている」と。これはパンドラの箱でもある。使用する人間の心によって、それは善にも悪にもなるということである。
 教授は研究室に行く時に、エレベーターを使わずに、階段を上っておられた。取材者が理由を聞くと、「エレベーターを待つのが嫌だから…」との返事だった。
島根の皆様、教化部にお出での時にはエレベーターを使わずに、階段を上りましょう。…???。教化部には階段しかありませんでしたね。
  http://www.icems.kyoto-u.ac.jp/j/ppl/grp/yamanaka.html

【ウルトラマン】
 歴史秘話ヒストリア(2010/09/22)に、ウルトラマンの制作者の金城哲夫さんのことが放映されていた。初めて知った。脚本家であり、沖縄の人である。円谷プロダクションの制作だが、さまざまな思いが秘められていたことを知った。今では沖縄は日本に復帰しているが、かつてはそうではなかった。私の上司であったK元本部講師が、本土復帰まで努力をしていたことを思い出す。
 金城さんは、出場人物の中に、自分の理想や思いをセリフにして話させていたようである。沖縄は昭和47年5月15日に本土復帰となった。沖縄芝居の脚本なども手がけたようだ。彼は残念ながら、37歳で亡くなった。「生まれた場所、育ちが違っていてもわかり合える」というメッセージを残して…。
http://www.kinjoe.jp/siryoukan.html

【津田塾大 津田梅子】
 これもまたヒストリアで放映していた。津田塾大学の創始者である。最大の悩みは結婚だったそうである。題名が何と、「結婚の話なんてしないで」だった。7歳でアメリカへ留学している。帰国しても日本語が話せなかった。家族と話そうとしても日本語がでてこない。それで勉強したという。3歳の時に明治維新を経験している。梅子さんは二度留学している。カエルの卵の発生についての研究論文を書いているという。
 大きな経験として、18歳のヘレンケラーに会っている。また、78歳のナイチンゲールにも会っている。そして、女性の可能性を求めて生きていった。ヘレンケラーからの手紙を持っていた。「あなたの友」と書かれていたという。ナイチンゲールからの花束を押し花にして大切にもっていたらしい。厳しい先生だった。英語の発音を間違えると、「ノー、ノー」といって大きな声で叫んでいたという。女性が能力を出すことに情熱を燃やしていた。ちょうど、100年前、最初の卒業生達が、卒業ソングを作詞・作曲して梅子に捧げたという。どんなにかうれしかっただろうか。題名は、「梅の花」であった。そしてついに梅子は女性のための私立学校を設立した。女性教師の養成を行い、超スパルタ方式であったらしい。資金繰りが大変だった。しかし、最初に8人が卒業した。そして、さきほどの卒業ソングができたのだった。梅はもちろん、梅子の梅である。昭和4年64歳で亡くなった。もし、もう少し一年、昭和5年まで待っていてくれたならば、『生長の家』の創刊号が届いたかも知れない。
彼女の英語のスピーチ(卒業生に対する訓話)が残っている。大正2年(1913年)である。
『どんな人生の航海も様々な困難に出合わざるを得ません。その困難を乗り越えるために皆さんを導く光となるのが女性の本能とも言うべき愛と献身です。献身的に人を愛することを学び、家庭だけでなく、多くの人々に広く思いやりの心を持てば、どんなに弱い女性であっても、成功できるでしょう。自分の人生を無駄にせず、どうか世界のために役立って下さい。』
  以上ですが、私たちとも相通じるものがあるのではないでしょうか。世界のためにとは私たちにとっては、国際平和信仰運動でもあります。
http://koryukan.tsuda.ac.jp/

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 中内 英生

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April.04.2011「白州正子さんの道中」

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April.04.2011「白州正子さんの道中」

今日の詩::聖経を 耳に聞きつつ 眠る夜の 安らぎ続く 明け方までも
(ここ数日間、自分で録音した聖経読誦をパソコンに入れて、朝まで聞いている。自分の声であるが、観世音菩薩さまのお声のようにも聞こえる。何とも言えない安らぎを覚える。)

  【東日本大震災についてのお願い】
◎ 生長の家島根教区では本部の方針に従い、被災者救援の募金と”慰霊と復興の宗教行”、を行っています。そして”励ましの絵手紙の募集”も行っています。島根の信徒の皆様は祈りを込めて、今こそ四無量心を絵手紙に託しましょう。島根の皆様、どうぞよろしくお願い致します。募金と絵手紙は島根県教化部で受け付けております。
http://www.sni-shimane.com/bbs.php

 『日曜美術館』(2011/04/03)で、白州正子さんのことを放映していた。白州次郎さんのことは有名だったが、白州正子さんが骨董などの目利きであるということは余り知らなかった。東京オリンピックの最中に、旅を続けたという。足が丈夫でもあった。88歳で亡くなるまで、日本の心象風景を尋ね回ったようだ。『私はいつでも道中なの!』という言葉を聞いた。それは、途中経過である「過程」こそ素晴らしいものがあるという意味も含まれているのであろうか。
 み教えでは、過程が大切であると教えられている。目的さえ立派であれば、途中経過はどうでもよいというのではなく、将に途中経過にこそ、神を表現し、愛を行じ、智慧を現して行くという信仰生活こそ大切なのであろう。
 彼女にとっては、いつも「遊行」であったという。だから何をやっていても好い。到達したところだけが素晴らしいのではなく、まさに途中こそ素晴らしいのであると考えられる。毎日は、「経過」である。途中経過を大いに神性表現と日時計主義で明るく楽しく生きて行こうではありませんか。 
http://www.museum-cafe.com/report/4917.html

【ソーラー飛行機】
 NHKの「地球ドラマチック」(2011/04/02)では、1600キログラムの自動車並みの飛行機を太陽光発電で飛ばす実験がなされていた。このことは、私はいちどご紹介したことがあると思う。スイスの実験である。化石燃料の補給なしで26時間以上飛ぶことができた。すなわち夜間飛行も行っている。これは半永久的に飛び続けることができるということであろう。石油系の燃料ではなく、太陽光エネルギーで飛ぶ。鳥も厳密に言えば、太陽光エネルギーで光合成を行った樹木の実や、それらを食糧にした虫などを餌にして飛んでいる。このソーラー飛行機が最初となり、進化していけば素晴らしいことになると考えられる。成功したのは、2010年7月8日だったという。
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2716577/5580990

【杉良太郎さんのメッセージ】
 朝日新聞(2011/03/28)には、杉さんのメッセージが掲載されていた。彼は、神戸の実家が阪神大震災で全壊したそうです。
『災害を越えて生きたいならば、犠牲になった人のためにもいつかは前を向かなあかん』、と学んだそうです。
『だから被災地の人が一日も早く前を向けるよう、みんなで前を向こう。”日本は負けへんで”っていう姿を見せようや。』と結んでいます。被災地の人々に対する愛情溢れるお言葉だと感じました。
  http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201104020043.html
  http://www.asahi.com/special/10005/OSK201103280189.html

【ユニセフ、絵本・児童書募る】
 ちょっと遅かった、という感じで申し訳ないが、被災した子供たちに絵本や児童書を送ろうと、日本ユニセフ協会が寄付を呼びかけているそうである。しかし、これは締め切りが4月5日で明日です。間に合いません。しかし、第二次もあるかもしれないので、一応書いておきます。送付先は、〒108-8607 東京都港区高輪4の6の12、日本ユニセフ協会「ユニセフ ちっちゃな図書館」係。問い合わせは03ー5786-2011です。ユニセフは、一昨年、島根教区でチャリテイコンサートを行い、ご寄付をさせていただきました。内容は下記のホームページでご確認下さい。
  http://www.unicef.or.jp/kinkyu/japan/2011_0325_02.htm
  http://www.unicef.or.jp/

【バンドネオン】
こんな楽器があるとは知らなかった。奏者は1990年生まれの若者である。NHK番組「トップランナー」で放映していた。三浦一馬さんというバンドネオン奏者である。何と11歳でCDを制作している。「心から演奏を楽しめる状態になりたい。バンドネオンと一つになりたい」ということも言っていた。どの言葉をとっても私たちの信仰生活に相通じる言葉ではないだろうか。心から信仰生活を楽しめる状態になりたい。聖典と一つになりたい。総裁先生の御心・神様の御心と一つになりたい。このような言葉になるのではないだろうか。
 彼は言った。『自分の使命は、音楽と向き合うこと。楽譜と向き合うことだ』と。簡単な言葉であるようでいて、重要な言葉である。深い意味を持った言葉だと思う。この若者はすごい!
  http://www.youtube.com/watch?v=PW9dMw6ZkGo
  http://www.youtube.com/watch?v=AdycRU0_2P8
  http://www.youtube.com/watch?v=I90zzr63RCU&feature=related
  http://www.youtube.com/watch?v=4whGDchCvuM&feature=related

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 中内 英生

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April.03.2011「勇気が湧く言葉の力」

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April.03.2011「勇気が湧く言葉の力」
今日の詩::祈りせば 朝餉の香り 流れ来る
(神想観をしていると、電気炊飯器から漏れ流れるご飯の香りが居間まで流れてくるのでした。日常の生活のありがたさをヒシヒシと感じます。ああ、ありがたい!) 

  【東日本大震災についてのお願い】
◎ 生長の家島根教区では本部の方針に従い、被災者救援の募金と”慰霊と復興の宗教行”、を行っています。そして”励ましの絵手紙の募集”も行っています。島根の信徒の皆様は祈りを込めて、今こそ四無量心を絵手紙に託しましょう。島根の皆様、どうぞよろしくお願い致します。募金と絵手紙は島根県教化部で受け付けております。
http://www.sni-shimane.com/bbs.php

【勇気が湧く言葉の力】
 これはNHK番組「プロフェッショナル」で出合った言葉であるが、私たちならば、『生命の實相』第7巻とか、聖経とかでありましょうか。人からの言葉といえば、練成会などでの言葉は、勇気を与えてくれる。さらに、自然界そのものも言葉であるので、山や海に相対した時、何かを語りかけられ、また心が動かされるのではないだろうか。
 「プロフェッショナル」(2011/03/29)には、今までの登場人物が勇気と影響を受けたことばを紹介していた。ちょっと不確かなところがあるが、ご勘弁願いたい。

 『あなたの心の火を信じています!』
 これは部下から言われた言葉だそうだ。清涼飲料の開発ではトップの人が役員会議で提案を否決された時、しょんぼりと仕事部屋に帰ってきた。その時に部下が投げかけた言葉だという。彼は、そこで奮い立ち再びチャレンジを始めたのだった。そして説得に成功した。
 無農薬リンゴの木村さんは有名だが、研究を開始した時、木が枯れ始めた、無農薬なので虫がつき近くのリンゴにも伝播する。苦情が来る。困り切った時、母親がリンゴ畑に来た。そして言った。
『お前も雑草のように強く生きていけばよい』と。
木村さんは勇気を与えられ、やがて成功する。
 噺家の人の言葉であるが、「仕事に慣れてはならない。はじめて話すと思え」と。車の運転でも慣れてきた頃に事故を起こすことがあるので要注意である。信仰生活でも慣れてくると、当たり前になり、新鮮さが無くなる。それは自分が新鮮でなくなってきているのに過ぎない。常に、永遠に新しいいのちの泉を神想観によって汲み出す以外にない。
 難民救済の仕事の女性も放映していた。この人の取材は一度見た。
『私は失敗しない。なぜなら、成功するまで止めないからだ』。
 これなどは心に響くのでは無かろうか。
『自分でできることは、決してあきらめない』。
確かにそうだと思う。
次の言葉なども勇気が湧いてくる。
『未来を予測する最善の方法は、自らそれを作り出すことである』と。
握れば一点となり、開けば無窮となる、との言葉が思い出される。まさに今の中に全てがあるのでありましょう。
勅使河原さんというお茶の先生が書いた『花伝書』には素晴らしい言葉が書かれているという。
『求めなければ授からない。だから、いつも求めていなければならない。ついに授からないかも知れないが、求めていなければ授からないのだ』と。
谷口雅春先生が、生長の家をお始めになられる前に、「求めよ、さらば与えられん。たたけよ、さらば開かれん!」という聖書の言葉を好んでおられたそうである。相通じるものがあると思われる。私も、神の御心が現成するように、今日も又、求め、祈り、行動していこう、と思う。

【歌譜】
『光明島根』の5頁~6頁には、招神歌と光明思念の歌の歌譜が掲載されている。この手帳は前々からあるが実にヒット商品である。歌譜は信徒の皆様に練習していただくためである。上手に歌わないと神様と波長が合わないという訳ではないと思われるが、できれば示された歌い方に近いものを身につけていただきたいと思う。先輩からお聴きした話だが、谷口雅春先生は何度も何度も修正を加えて現在の歌い方になったという。このリズムが、谷口雅春先生が発見された神様に波長を合わせやすいからではないだろうか。私たちは素直に、実修させていただきたいと思う。
 次も先輩から聞いた話である。「一首ごとの語尾を下げる人があるが、下げないようにするのがよい」と言われたという。そう言われてみると、最後の所で言葉が切れたように聞こえたり、不確かな語感になったりする人がいるのかもしれない。要するに、示されたとおりに歌えば好いということである。
 私は、招神歌を唱えるのが大好きである。何だか、神様に守られているように感じるからだ。皆様は如何でしょうか?自分が生きているのは自分の力で生きているのではない。生かされているのである。自分がしているように見えても、自分の力ではない。神様のお力で行わせていただいているのに過ぎない。「神が我に天降ってみ業をなさしめたまう」と断言したイエスは何と偉大な信仰者であったことだろうか。
 聖書を読むと、特別に理論的な言葉を言っているわけではない。ただひたすら、愛を行じている。病人を癒やし、悲しめる人々に深切な言葉を投げかける。その愛の精神こそ、キリスト教の真髄なのであろう。行動が全てを決定している。
 現在、特に震災に関して、仏の四無量心を行じるようにご指導をされている。その愛の行いこそ神様に波長が合う行為であると考えられるのである。
  今年度は、ドイツで教修会が開催される。総裁先生が行かれるところに、み教えが伝わっていく。ヨーロッパがさらに光明化運動・国際平和信仰運動が進展するように明るい輝かしい予感がする。島根教区も今年度は素晴らしい年度になると私の魂の底から確信が湧いてくる。

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 中内 英生

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April.02.2011「地殻変動による東日本大地震」

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April.02.2011「地殻変動による東日本大地震」

【東日本大震災についてのお願い】
◎ 生長の家島根教区では本部の方針に従い、被災者救援の募金と”慰霊と復興の宗教行”、を行っています。そして”励ましの絵手紙の募集”も行っています。島根の信徒の皆様は祈りを込めて、今こそ四無量心を絵手紙に託しましょう。島根の皆様、どうぞよろしくお願い致します。募金と絵手紙は島根県教化部で受け付けております。

今日の詩::曇り日や 春のうららに 緑映え

 NHKのテレビ番組「サイエンスゼロ」(2011/04/02)では、東日本大地震の兆候はあったかどうかについて放送していた。1000年に一度起きるかどうかの大地震は想定外の震度で9,0マグニチュードだった。地震だけでなく津波が押し寄せてきて、津波発生震源地から数十分たって日本に到達したようだ。その進行速度のものすごさは想像を絶する。建物の3回まで到達している。
 太平洋プレートが北米プレートに潜り込み、その反動のもどりが地震となり、津波となる。そのもどりはふつう5㍍ほどであるようだ。しかし、それが55㍍にも達しており、科学者は、考えにくいと語っていた。
 ご存じ「シンカイ」という無人の深海探査機がある。その映像には、5000㍍の深海で、平坦なはずの場所に、100㍍の切り立った崖が撮影されていた。現在は、地震が起きた後であるのでそれを分析することができるが、その不思議な光景が何を意味しているかを、撮影当時は予測することはできなかったのであろう。
 これらの地震は何億年も昔から続いている自然界の営みとも言える。なぜ、プレートが動くのか、なぜ太平洋プレートが北米プレートに潜り込むのかであるが、地球そのものの本体がマグマであり、その液体の上に浮かんだ皮のような状態がプレートであるようだ。だから、動くのは当然である。古村孝治さんという地震科学者が登場しておられたので、ご興味のある方は検索してみて下さい。
 地球に関する研究がこれから大いに行われることになるだろうが、人間は地球の上に住まわせていただいている。地球の一部であり、自然界の一部でもあり、住まわせていただいている、生かされて生きているという謙虚な気持ちがどうしてもこれから必要になるのではなかろうか。これこそ、現在お教えいただいている、「人と自然との大調和の生き方」である。

【ニトリ】
ニトリは島根県の松江にもあると思えるがまだ行ったことはない。NHKの「仕事学のすすめ」では勝間さんが、ニトリの社長さんにいろいろとインタビューを行っていた。その考え方に興味が湧いた。各部著はすべてトップ直轄であるという。理由は、環境の変化に即座に適応するには、トップが直接に指示しないとなかなか変わることはできない、ということのようだ。しかも、職場は、ワンフロワーに相当数の社員さんが仕事をして、効率化をはかる。
 これは山中伸弥教授が説明していた研究室のあり方にもよく似ている。日本の研究室は閉鎖的で個別的であるが、アメリカは一つの部屋に大勢が研究している。だから情報交換が行いやすいという話だった。
 ワンフロワーであると、機密性が守られるか不安な面もあるだろうが、それはまた別に考えているのではなかろうか。
 またニトリの社長さんによると、何かを変える時には、「密かに進める」のだという。反対があると変えにくいということだろうか?変化させるにはそうとうのエネルギーが必要になると考えられる。
 似鳥社長さんの考え方は、実利が主であった。一時の損得は授業料として考える。従って、進出のためにお店を作り始めても、途中でこの進出は不利であると考えると、多額の違約金を支払い、どなられても撤退するのだそうである。
 「黒字店の閉鎖」という考え方も驚いた。黒字店の近くには競合店がくるだろう。そうすると、いつの間にか売り上げは落ちる。撤退せざるを得なくなる。それまでに、黒字の内に撤退する(転居?)ということも一つの戦略であるようだ。数字マネジメントが徹底している。店員でも、減らすことによって、商品を値下げしている。説明するスタッフが多いと、その人件費は商品に加算されるからである。極めつきは、次の言葉だった。
『不況がよい。不況の時には、優秀な人材が集まる。また、他の店が縮小しているので、こちらは何でも安く購入できるし、拡大しやすくなる。逆に、景気がよい時には、発展をひかえる』のだそうである。また、…。
『常に客の得を追求する。店の利益は少しでよい』と。これなども、み教えから考えると、理解できそうな商売の方法ではなかろうか。

【奈良東大寺の大仏】
 聖武天皇様が創建された大仏は何度かの修復が重ねられている。「ヒストリア」(2011/03/30)では、一人で1000両(10億円)の寄進を集めて、江戸時代に再建した「公慶」の物語を放映していた。雨の降る日に、当時雨が降っても屋根のない大仏を見た公慶は、自分は簑で雨をしのげるが、大仏様は濡れたままで申し訳ない、と感じたという。そこで幕府に再建を申し出るのだが、断られる。そこで、独力で多くの人々からの寄進をあつめたのだった。
 公慶は勧進(募金活動)の途中では決して横にならなかったという。それは、奈良の大仏さまは、常に座っておられる。自分が横になるのは申し訳ないという意味であった。これらの生き方が健康に良いとか悪いとかいうのではなく、大仏様と心を一つにすることがそんなにも生き方に変化を与えるということであろう。東日本大地震が起きて、すぐに天皇陛下・皇后陛下は燈火をお消しになられたという。それは、仏の慈悲、四無量心、そして自他一体感のなせる尊い徳行では無かろうかと考えられる。私たちも、総裁先生のお導きにより、その徳行を行わせていただいている。もし、この道に入ることなく、ご指導がいただけなければ、募金はすることはあっても、聖経読誦による慰霊と祈りができなかったのではなかろうか。さらに、3月17日にご発表の「祈りの言葉」にご教示されているような理解はできなかったであろうと考えられる。

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 中内 英生

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April.01.2011「天皇様の御心に学びましょう」

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April.01.2011「天皇様の御心に学びましょう」
【東日本大震災についてのお願い】
◎ 生長の家島根教区では被災者救援の募金と”慰霊と復興の宗教行”、そして”励ましの絵手紙の募集”を行っています。信徒の皆様は祈りを込めて、今こそ四無量心を絵手紙に託しましょう。島根の皆様、どうぞよろしくお願い致します。募金と絵手紙は島根県教化部で受け付けております。

今日の詩::何事も 無き日の方が 有り難し 春に春来て 夏に夏来る
(やはり自然が一番よいようです。朝起きて昼は働き、夜は眠る。何億年もかかって体内時計を動かす遺伝子がそのようになっているようです。)

 サンケイ新聞の産経抄には、(2011/03/27)には、天皇様の伝統的御心が書かれている。その御心を学ばせていただきたいと思う。四無量心の発露であると拝察申し上げるからである。大体の内容は次のようである。
 日本書紀にある有名な「民のかまど」の話がある。第16代仁徳天皇が難波の高津宮から外を見ると、かまどをたく煙が見えなかった。この話は高校の古典で学んだように思う。また、私自身が仁徳天皇陵を参拝した時には、その広さに驚いた。
 陛下は、「民は食事を作ることができないのか」と嘆かれた。それから3年間、課役を免除すると共に、自らも贅沢を断ち、宮殿は荒れるにまかせたという。
 3年後に再び高台に立つと、今度は多くの煙が見えた。天皇は、「これで私も豊かになった」と満足された。しかし、「宮殿は荒れ放題ですのに」と皇后は不満げだった。仁徳天皇は、「民が豊かになるのが私が豊かになることだ」とお答えになった。
 この「民の竈は賑わいにけり」という御精神は歴代の天皇様に脈々と受け継がれてきたようである。
  私たちにとっては、「地球が苦しむのは自分が苦しんでいるのである。地球が喜ぶのは自分が喜ぶのである」という環境に対する一体感の言葉が聞こえて来そうである。
 この欄には、昭和天皇さまのことも書かれている。昭和天皇様は、戦後まもなく全国を巡幸された。着て行かれる洋服がみすぼらしい、と周囲の人々は新しくすることをお勧めしたが、「みな着るものに不自由しているのだから」とお断りになったという。学校の板の間にゴザを敷き、黒いカーテンをかけてお休みになったこともあるという。
 全国ご巡幸に関することであるが、昭和天皇様が、崩御される前に、「何度も何度も沖縄には行くべきだった」と話されたことを思い出さずにはいられない。どんな思いであられたのだろうか。

 今上陛下、皇后両陛下は、大震災の後に、自主停電されていたという。3月15日から「第一グループ」の計画停電の時間に合わせ皇居・御所の電気を切っておられたようだ。実際に停電にならない日も、予定通り続けておられるそうである。天皇陛下は、すでに77歳のご高齢である。以前は、前立腺癌の手術もお受けになっておられる。そうであるのに、「寒いのは服を着れば大丈夫」とその間は暖房もお使いにならないという。ロウソクや懐中電灯を使いながら、暗い中でお夕食を召し上がられたこともあるという。それほどまでに、国民に思いをはせ、国民の心と一つになっていきておられるという。
 そのことを被災地で苦難の生活を強いられている人々や、命がけで原発の修復に当たっている人々にとっては、これ以上にない励ましとなるだろうと、書かれている。当然、身勝手な買いだめは出来る筈がないとしている。
 買いだめという言葉は出雲には無いが、そんなことがどうしてできるのだろうか、と不思議に思う。

【新年度、今日から発進す】
 今日から新年度である。島根教区も私自身も、「これから」である。持てる力を存分に発揮して、島根の県民の皆様のお役に立たせていただき、ひいては日本の、世界のお役に立たせていただければ幸いである。今日は、今年度初の「ブログ開設者情報交換会」を行ったが、フェイスブックへの登録を3人行ったようだ。今年も島根はバーチャルとリアルの世界を渡り歩こうと思う。フェイスブックへの登録は、島根に居ながらにして、国際平和信仰運動ができる。英語での活用を希望しているが、日本語からでも善いと思う。隠岐の島でも白鳩さんが三人、光明化運動用のノートパソコンを購入したので、今年中に日時計主義のブログ発信が隠岐の國からできるようになることを願っている。まずは、総裁先生のブログの日々拝読から全てが始まる。

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 中内 英生

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March.31.2011「物質及び肉体の否定」

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【東日本大震災について】

 …生長の家島根教区では被災者救援の募金と”慰霊と復興の宗教行”、そして”励ましの絵手紙の募集”をしています。島根の皆様、どうぞよろしくお願い致します。…

March.31.2011「物質及び肉体の否定」
今日の詩::春来たり 立ちて泳ぎし 池の鯉
(「外界を覗く」という錦鯉が立ち泳ぎしているような一瞬の写真を見た。) 

 『生命の實相』第20巻には、上記の項目がある。(携帯版94頁)夢の中での神様と青年との対話である。神様は言われる。
「できるだけ苦しむが好い。それで霊魂が進化するのだ。』と。しかし、青年は苦しくて堪らない。そこからの脱却を望むがなかなかそのようになりそうもない。
 神様との問答が続くのだった。その苦しみは、霊魂進化のために神様が仕組んだというような擬人法的表現をとっている。養父母が青年のいない隙に、赤ん坊に粒あんを食べさせたことが青年の育児法に違っていることを嘆いている。最後に、神は厳かに宣言されるのだった。
『人間は物質ではない。物質で育てようと思う者には必ず隙があるのだ。隙がないのは神のはからいだけだ。わしにまかせ!神の子は神が育てるのだ。』と。
この問答によって、自力で求道をし、奉仕生活をしていた青年の我の心は砕かれてしまったのだった。そして、谷口雅春先生の心のうちには変化が起こりつつあったという。
  肉体の否定は、物質の否定から発する。現象の否定と実相の神の肯定とが対になっているのが悟りである。物質があると思いつつも、神の子を念じてもハッキリと神の子がイメージしにくい。「物質なし」と完全に否定した後に、実相神の子を念ずると、本当に自性円満の我を自覚することになる。あなたが次に行う神想観で一工夫して念じてみましょう。蓮華日宝王地観という神想観にその念じ方の詳細が書かれています。

 その後、先生のご心境は変化をし始めたのだった。必要に従って財を求め、与えられても少しの窮屈さも感じない。それが本当ではなかろうか、と。何故なら、物質は持つも持たぬも、本当は空無ではなかろうか。それをもって汚れると思って清貧礼賛に陥るのは、色即是空の真理が悟れていないからではないだろうか。
 『物質はない!』と突然、先生の心のうちに異常なショックが感ぜられた。と同時に物質というもので先生の自由を窮屈に縛っていたその境界が消えてしまったように感じられたのだった。その後、先生は、真理を探究する論文を書いておられる。転機であった。それが大正13年4月17日であった。
 
 その後、生まれ故郷の産土神社である生田神社に詣でて帰ろうとすると境内の左側にある永田文進堂という古本屋で、ホームズの『心の創造活動の法則』という英書に巡り会うことになるのであった。そして、とうとう最勝の悟りに至る跳躍台にたどり着くことになる。次に、「九」項目の137頁にある、有名な御文章をご紹介したい。
「私は思索を重ね、静思を重ねたけれども安住の境地に達しなかった。或る日、私は静座合掌瞑目して真理の啓示を受けるべく念じていた。私はその時、偶然であろうか、神の導きであろうか。仏典の中の”色即是空”という言葉を思い浮かべた。と、どこからともなく、声が、大波のような低いが幅の広い柔らかで威圧するような声が聞こえてきた。”物質はない”とその声は言った。で、私は”空即是色”という言葉をつづいて思い浮かべた。と、突然その大波のような声が答えた。…」

 ここから神様との問答が始まり、先生は開悟へと導かれるのでした。そのお陰で、その時に私たち万人の幸福が約束されたのでした。誠にも、谷口雅春先生の激しき求道の果てに、神に到達され。その唯一絶対の神を、私たちにお伝え下さったのでした。そして、現在は、三代目の総裁先生が法燈を継承されて、私たちに新たに真理を展開してお教え下さっているのです。
 4月1日は、聖使命会員・組織会員感謝祝福祈願祭が開催されましたが、くちぐちに、先日3月17日に御発表されました谷口雅宣先生の「祈りの言葉」の素晴らしさを讃嘆されておりました。私もこの祈りのお言葉は、まさに住吉大神さまのお言葉であると感じさせていただいております。

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 中内 英生

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