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2011年5月

May.30.2011「牝鹿の脚」

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May.30.2011「牝鹿の脚」
今日の詩::コーヒーを 飲めば田んぼに つばめ飛ぶ

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 明日は、熟年男性の集いがあるので、そのための講話を担当させていただくことになった。そのために、準備を行った。テキストは、『こんなところに…』と『新版 善と福との実現』だった。

 牝鹿の脚の話というのがあります。牝鹿の脚は山を降りたり、登ったりしなければならないので、前脚で安全を確かめてから、確実に後ろ脚がそのあとを踏むというのでした。それは、現在意識の通りに潜在意識が想念するというたとえ話であるようです。現在意識が、幸福になりたい、と願っても、潜在意識が「私は幸福になる資格がない。なぜならば私には罪があるので、自己処罰をしなければならないからだ」という思いがあると、潜在意識が現在意識の通りには想念していないことになります。それでは、幸福にはならないでしょう。潜在意識を変えるにはどうすればよいかというと、言葉の創化力を使うことです。実に簡単であり、また忘れがちな方法でもあります。
 では、罪の観念を取り去るにはどうすればよいのでしょうか。それには、罪本来なしの真理を知り、浄心行を行ったりして、罪の意識を払拭することです。もう一つは、人間は神の子であるという自覚をもち、自覚の光を強めていけば、当然のことながら闇である罪の意識は消滅するのです。

 『新版 善と福との実現』の第九章にはそのことが詳しく説かれております。人間が幸福になるにしても、繁栄するにしても、事業を発展させるにしても必要な要件です。潜在意識の活用と同時に、その目的が、神様の目的に合致することが大切であることが必要であるとしております。
 この中に、グレンクラーク教授が、白いヒゲのお爺さんに教えてもらったのですが、人生と運命を自由自在に生きていく秘訣です。自分が運命の主人公になるコツが教えられています。その秘訣を単刀直入に聴くことができるかと思うと、なかなかそれができずに、最後にとうとう教えてもられるという筋道のようです。

 こんな話が載っております。教授がとても優秀な速い馬に乗っていた時のこと、山道を馬主たちと一緒にのぼることになりまし。馬主は、「教授さんは平坦なひろい道を、私たちとは別に馬で登って下さい」といいました。教授は、「私の乗っている馬は、あなた方の馬よりも優秀ではないですか。どうして、いっしょに登れないのですか」と訊ねます。馬主は答えます。「私たちの馬は、速度は遅いのですが、山を登る時、道のない道であっても、前脚が安全を確認して踏んだ場所を後ろ脚が確実に踏むのです。だから決して転げ落ちることはありません。しかし、教授さんの馬は、平坦な道で速く走るように訓練されています。一度、そのように歩いた馬は、前脚が踏んだ場所を確実に後ろ脚が踏むということはできません」と。教授はそのことを聴いて、牝鹿の脚の話の意味を理解したのでした。

 教授が、旅行に行った時、白いヒゲのお爺さんが隣の座席に座りました。そのお爺さんが自分の体験談を語ったのです。
「私は、若い時に仕事を猛烈にして会社を発展させた。しかし、身体がぼろぼろになった。医者から、静養するように言われて仕事を休んだ。湖の側だったので、ボートでこぎ出してうとうとと眠ってしまった。すると、夜になり気がつくと大波で今にもボートが沈みそうになっている。私は神様に助けを求めて祈った。しかし、『自分が死んでも誰も困らないのではないだろうか』、と思うと祈れなくなった。そこで、『これからの人生は神様の御心のままに人類を救うために生きていきます。特に青年を救うために仕事をします』、と祈った。すると神様から答えが出てきた。月の大きさの四分の一ほどの大きさの星が現れた。その星に向かって暗闇を漕いでいくと、自分が出発した船着き場に到着して、助かった。それから私は人々のために生きるように生き方を変えたのでした」と。

 この体験事例でおわかりのように、潜在意識の活用は、神様の御心を実現するために行うことが大切であるということです。
 大体、このような内容が書かれています。私は、『聖光録』という小さな手帳型の本に掲載されておりましたので、高校時代に拝読した記憶があります。なかなか物語が進展しないので困りました。
 島根の皆様、どうぞこの物語をもう一度拝読して、人生を自由自在に生きていただきたいと思います。

 それから明日、ご紹介したいのは、『こんなところに…』の「釈尊と悪魔」の問答です。悪は本来無いということがよく理解出来る戯曲的な御表現ですので、私は時々ご紹介しています。何を基準にして、悪魔さんは自分を悪魔だと思っているのか、というところがポイントです。善の基準がないと、自分があくまであると分かる筈がないので、悪魔は自分を悪魔であると考えている限りに於いて、本質には善が宿っていることになります。
 「悪本来無し」ということを悪魔が理解し始めると、自分のカラダが無くなって行くのです。しかし、無くなる悪は本当の自分ではないという意味のことが説かれています。本質は神の子であるということです。
 『続々 甘露の法雨』には、「されどこれらの病変を恐るることなかれ。くだくるものは汝自身に非ずして迷いなり。迷いくだくるとも本当の汝はくだけず。迷い苦しむとも本当の汝は苦しまざるなり。」と説かれている一説がありますが、その御文章が思い浮かびます。
  ぜひ、拝読いただきたいと存じます。

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中内 英生

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May.29.2011「繁栄は心で」

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May.29.2011「繁栄は心で」
今日の詩::繁栄を 呼ぶ豊かなる 心かな 実りの秋の 刈り入れのため
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 今日は、栄える会の会合があった。一時間、繁栄の話をさせていただいた。『こんなところに』と、『無限供給の鍵』がテキストだった。話をさせていただいた内容の一部をご紹介します。

 「現象は心の影」ということを知る必要があります。貧しい姿の背後には貧しい心があり、豊かな現象の奥には豊かな心があります。豊かな心とは、「与える心」です。与える心を持っている人、実践している人は、富が集まって来ます。しかし、その富も人を生かし、自然界を生かすところの清らかな富でなくてはなりません。

 生長の家には、「現象無し」というみ教えがあります。それは現象世界は、固定的なものではない、ということです。貧乏も物質的富の姿も、時間と空間の世界というスクリーン上に描かれた心の映像であるに過ぎません。その原理から考えてみると、現象の世界を変えるのには心さえ変えればよいと言うことになり、決して難しいことではないことが分かります。その心を変えるのには、生長の家では、言葉の創化力を使うのです。地球温暖化を止めるのも、この原理を応用すれば、充分に可能です。可能であるからこそ、活動を展開しているのです。現在、地球は人間の欲望の心で熱くなっているのかも知れません。人間中心主義の欲望を冷ました時、人間の心が冷め、地球の温暖化が止まるのでありましょう。

 従って、繁栄の根本は「物質無」を悟ることから始まるのです。しかし、「物質無」の悟りは「実相独在」を悟るのとは裏と表ですので、物質無から実相の如来地に超入しなければなりません。「無は関門なり、通るべし」といわれるように、無に停滞しておりますと、人生虚無主義に陥ったり、感覚主義に偏ったりすることがあると言われております。谷口雅春大聖師が実相のお悟りに入られた時、まず、般若心経の「色即是空」とyいう言葉を思い浮かべられ、その次に、「物質はない」とのお言葉に触れられ、そこから実相の悟りにお入りになられたと、『生命の實相』自伝篇には書かれております。

 現象世界は積み重ねが大切です。そのためには、銀行で言えば預金をすることが必要です。カートで引き出すにしましても、預金をしていなければお金を引き出すことはできません。預金とは、「徳を積む」ことです。ひたすらに、良き行いをすることです。谷口清超大聖師は仏教の教えである、「諸悪莫作・衆善奉行」という言葉をお教え下さいました。

 「繁栄の黄金律」といわれる心の法則に、「与えよ、さらば、与えられん」という言葉があります。富とは何であるかと申しますと、人のためになる働きを言います。与える事多き人こそ富を引きよせる人です。豊かさを実現する人です。この場合の富とは、何も物質的な富ばかりではありません。良き伴侶でも、良きご家族でも、良き会社や従業員さんでも、立派な豊かなる富です。
  従って、私たちは常に与えることだけを考えて行動すれば良いことになります。どうか、皆様、今日一日、神様の御心のままに生活できたのだろうか。神様の御心を生きることができたのだろうか、とそれだけを考えながら行動したいものです。従って、計画や目標や希望は必要ですが、もっと大切なのは、そこに至る過程です。「カテイ」が大切である、と申しますと、「御家庭」のことだとお思いになる人もおられます。勿論、必要であること、大切であることは言うまでもありません。それ以上に、実現の方法や途中経過に愛が表現できたのだろうか、相手を拝みつつ誠実に誠実に生きることができただろうか、と内省しつつ生きること、行動することが何よりも必要でありましょう。すなわち、「神の御心を生きる」ことが私たちの信仰生活に於いて、信仰者としての生活に於いて大切であるのはいうまでもありません。

 私たちが、富を求めていると、富が逃げ出してしまうようです。富を追いかけることなく、富を自分の身辺に実現するには、自分の実相が富そのものであることを自覚する必要があります。富とは人の為になる働きであるので、それは知恵と愛と生命を他者に対して与える事になります。神想観を実修している人こそ、豊かなる富の実現者となる筈です。従って、自分自身は、自分の実相は富そのものであると自覚することが大切でありましょう。そうすると、他に対して求める心が起こらず、他に対して与える心のみ湧出してくることになります。力むことなく、「与えよ、さらば、与えられん」との世界が自己の身辺に現れてくるのでありましょう。

 無限供給とは、自分名義の富が増えることではありません。必要な時に必要なものが出てくることをいいます。しかし、貯金していないと、出てきません。従いましていつでも出てくるように入れておくことだけを考えて行動すればよいのです。それは、人の為に尽くすことです。
 ピンチはチャンスです。総裁谷口雅宣先生がお書きになられましたお祈りの言葉に、「新生日本の実現に邁進する祈り」という祈りがあります。皆様は、毎日のように祈っておられると思います。新価値の創造が行われることが書かれております。新たな富であります。

 何事でもそうですが、「好きこそものの上手なれ」という言葉があります。富が好きにならないと富は増えません。しかも、ここでいう富とは清らかな富です。有り余るようなことのない適正な富です。勿論、富には綺麗も汚いもないのですから、清まった心で扱う富のことです。人を生かし、自然界を生かし、大調和するところの富です。資金が必要な時に無いというのでは、決して他を生かすことはできないでしょう。必要な時に、必要なだけ人を生かし、自然界を生かすところの富が自由自在に出てくることは何という素晴らしいことでありましょうか。是非とも、そのような境地に達したいものであります。

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中内 英生

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May.28.2011「”こんなところに”を拝読して」

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May.28.2011「”こんなところに”を拝読して」
今日の詩::永遠の 輝き放つ 作品は 世にこびして 自己になりきる

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 この御著書の101頁には、有名な芥川龍之介のことがかかれている。夢の中で芥川龍之介にお会いになったというところから始まっている。「切れない糸」、人間であるカンダタが開発した糸をお釈迦様が使った場合のことを龍之介に書いてもらったとしている。この短編小説集は、実に興味深いと思う。
 
  お釈迦様が極楽の庭を散歩していた時、花の陰から地獄の様子を見たのでした。大泥棒のカンダタがいるのです。この辺りの地獄の情景描写が凄まじいですので、映像化されたらすごいことになるように思われます。
 カンダタは蜘蛛の糸の開発でできるだけ蜘蛛をころさないように心懸けていたことを知っていたので、彼の神性を伸ばして上げようと考えたのでした。それで彼に強靱の糸を垂らして上げたというのです。
 
 それをよじ登っていた時、芥川龍之介の小説のように糸の下の方から、地獄から出たい人たちが登ってくるのです。下からくる地獄の住人を突き落とすのですが、腹が減っているので結局、足を引っ張られて落下したのです。ここでは、落ちたけれども、「死んでから行く地獄なので、落ちてももう死ぬことはない」と書かれていて、「なるほど!」と私は気がつきました。見ると糸の上の方では同じように争っているのでした。

 お釈迦さんはその姿をみて、あきらめたようです。すでにみんなが極楽に登ってこれるように無限の長さの糸を用意していたのです。しかしそれは無駄でした。お釈迦さんは、ロープの所々にコブを作って足場にすれば休みながらみんなが極楽に来ることが出来る筈だと考えていたのです。

 大体の筋書きはこんな風です。しかし、この小説は実にさまざまなイメージを与えてくれます。小説の創作というものは何とすごいことかと思いました。私自身は、高校生の頃、貧しい知識と人生経験で小説に挑戦していたことがあります。小説は時間がかかるので、高二の時には、現代詩を毎日のように書いて現代国語の教師に提出していたこともあります。いずれにしましても、脳の中に入れていないものは出てきません。この短編小説集を少し読ませてただいただけで、ものすごく広く深い知識を学ばせていただくことができるように思います。
 島根の皆さま、この短編小説集を拝読しましょう。今までと違った真理の把握の喜びを経験されるでありましょう。

【七宝家 並河靖之】
 七宝の素晴らしさを視た。これはNHKの「極上美の饗宴」(2011/05/22)という番組からだ。詳しくは、検索して欲しいが、並河靖之についてである。並河の黒と言われる黒色が印象的だった。この黒は誰も出せない。現代の専門家も出せないのだという。明治の人は実に辛抱強い。朝の8時から仕事に出て、夜は色彩の研究に没頭した。そしてさまざまな釉薬を作ったという。自宅の庭で感性を磨いた。彼は独自色を出そうとして、決して外国に売り出すという国策には乗らなかったという。受けを狙うこともなかった。その生き方、創作の方針は永遠の輝きを放つものである。しかし、並河の作品は明治に起こった大量生産の波に飲み込まれて途絶えた。作品としては立派だが、生きる糧を得ることができなくなったようだ。従って、後継者がいない。残念なことではある。それから、木の葉、草の葉を書いても、さまざまな色彩のものに仕上げていた。日陰の葉、太陽の当たる葉、出たばかりの葉、すべて違うはずであるという。ここまで考えるのか!並河は手本を自分の庭の草木においたという。いのちを再現する超絶技巧だ。ガウデイみたいな人だったのだろうか。並河にはライバルがいた。そのライバルの存在こそ、彼の技量を伸ばしたのでは無かろうか。伸びるためには良きライバルは必要である。

【植物の智慧】
 「地球ドラマチック」(2011/05/23)では、食虫植物のような植物を多数紹介していた。捕食と電気信号と使ってのコミュニケーションである。かつて、サボテンにも心があるということを実験した科学者がいた。H,K博士である。彼は、当時鎌倉に住んでいたが、すごい勉強家だったようだ。時々、H氏の著書に生長の家の紹介が掲載されていたので練成会を受講した、という人に出会った。サボテンに電極を繋いで、ハサミでサボテンを切る仕草をすると、異常に電気信号が反応するのだった。私はそれを不思議に思ったことがある。
この番組は、「オドロキ!植物の知恵」というものだったが、電気信号で電波を出すようだ。考えられない世界だが、あり得ることだろう。だから、森林の伐採などで、SOSの電波を世界中に発しているのかも知れない。それが、私たち、純粋な信仰を持っている愛深い人々に感応して、環境問題の解決に向かわせているとも言えるのかも知れない。ある種の植物が、芋虫に食われ始めると、電気信号を発して、芋虫を食べる昆虫を呼び寄せることができるそうである。我々は昆虫ではないが、何という、不思議な、生命一体の世界なのであろうか。

【写楽】
 写楽は一年足らずで、筆を折った。NHKスペシャル(2011/05/14)で放映していた。写楽の絵を好きな人は多いのでは無かろうか。この番組で色々と分かった。歌舞伎役者の半身像は当時は、あり得ない絵だったそうだ。普通は全身像である。また、何度も作風を変えている。現代人には人気が高いが、当時の人々には、特に売り出すお店ではあまりよい作品ではなかったという。ゴッホが当時では売れなかったのと同様であろうか。写楽の直筆が外国で見つかったので、それに因んでの番組であった。私は、写楽の本名すら分からない絵師が、自分の強烈な個性を消していくうちに、当時、普通に書かれていた浮世絵とほとんど違いがなくなって、個性の光を失ってしまったことに興味を覚えたのだった。やはり、世間に迎合せず、自分が自分自身になりきり、己の持てるもので世の中のお役に立つことはそれなりに価値があるのでは無かろうかと思った。スマップの歌にある、「世界でたった一つの花」である。

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中内 英生

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May.27.2011「無限供給の鍵」

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May.27.2011「無限供給の鍵」
今日の詩::梅雨に濡れ シャクヤクの白 鮮やかに

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 『無限供給の鍵』という谷口雅春大聖師の御著書がある。聖使命会の話をする時には、時々この聖典を使わせていただいている。69頁には、「家庭の繁栄」のことが書かれている。繁栄は何も会社や仕事に限ったことではない。たとえ、自分で創業した会社が繁栄しても、自分の家がうまく行かないのでは面白くないだろう。
 愛は世界でもっとも強力な牽引力であると書かれている。愛が家庭に溢れる時、家庭は繁栄することになる。もちろん、会社で愛が溢れ、お客さんに対して愛深い行動ができるとき、当然のことながら会社は繁栄するのでありましょう。

 家庭の中が繁栄するためにまず第一になすべきことは、家庭から凡ての否定的な想念や言葉を追放することであると書かれています。家族に何かよからぬ習慣が見えても、それを指摘して撓め直すというのではなく、本来家族がもっているところの良さを認めてそれを強調し、「ここのところも、こうしてくれるとお母さんはうれしいよ」というと、家族の行動は次第にその方向に進んでいくのです。否定的な言葉で斬ると、決して良き結果は得られないでしょう。

 70頁には、「お金が足らないなどと言わないように」とあります。「お金がない」という言葉が懐からますますお金を無くすると言うことになります。言葉は創造力があるからです。今は苦しい時期であるとか、金詰まりの時節であるなどと言ってはならないとしております。言葉の力で自縄自縛するのです。否、無縄自縛でありましょう。家中の人々が明るい言葉を出して、神様から与えられた豊かな恩恵に感謝すべきでありましょう。その恩恵に気づくためにこそ私たちは毎日、日時計日記を記載しているのです。

 繁栄の法則の第一は、今与えられていることに感謝することです。神様は、「お前がそんなに喜んでくれるのならば、もっと与えよう」とさらに豊かに与えてくれるに違いありません。すでに与えられている日常の物に対してでも、不意に与えられた奇跡的なできごとであるかのごとく喜んで感謝することであります。それが次なる感謝すべきことを呼び寄せます。この感謝の念が、感謝している人の心を新鮮にするようです。祝福と感謝です。イエスキリストの例が書かれています。五つのパンと二つの魚に心から感謝した時、五千人の人を満腹させてもなお、余りある食糧となって現れたというのです。感謝こそ繁栄の秘訣です。
 現代に於いては、物質的なことに対する感謝もさることとながら、大自然を与えられていることに感謝し、生物多様性の世界を与えられていることに感謝し、人間の豊かな心を内在の世界に神様から与えられていることにこそ、感謝すべきでありましょう。
  私はかつて、オーストラリアの英語の女性インストラクターと話している時、私の郷里である高知県の話になりました。彼女は高知県に旅行に行ったことがあるのです。私は吾が郷里は経済的に豊かでないということを話しました。するとその教師は、私の言葉にびくりしたように「自然に囲まれていること自体が大変な財宝に囲まれている」というのです。私は彼女の言葉に感動致しました。

 74頁には、イエスのことが書かれています。祭壇に供え物を捧げる時、まず兄弟と和解しなければならないというのです。ですから、私たちは、金持ちとも貧乏な人とも仲良くしましょう。金持ちを拒否すると、自分自身の潜在意識が自分が豊かになることを拒否するようになります。どんな風にして金持ちになったかを詮索するのは、私たち信仰者の仕事ではありません。私たちは、お金持ちや貧乏人の区別なく、神様の愛で愛することであると教えられています。

 「意志」が繁栄の上に、大きな役割をするようです。それで私たちは強い意志を働かせて、家庭の中から無秩序を取り除く必要があります。家庭を秩序づけることこそ、繁栄の姿です。また黙想する意義が書かれています。「私は秩序正しい。私はあらゆる仕事を組織だって行うのである。私は組織的である。私は能率的だ」。このような意味の言葉を祈ると良いとされています。そして、「自分は積極的だ。私は繁栄する」と断言するようにお教え下さっております。私は、いつも「私が行く教区は必ず発展する」と言っています。この言葉こそ、発展の基となると考えます。皆様もどうぞご自分のご家庭を、会社を、学校を必ずよくなると断言しようありませんか。
 愛とは何かというと、「必ずよくなる」と信じて讃嘆することです。悲観的になったり、悲壮になったりするのは、相手の完全さ、無限力を信じていないということになるのではないでしょうか。

 78頁には、「繁栄の道・什一献金」について書かれています。神様は無限供給の源泉です。神様に対する報恩感謝の行としての什一献金であるとしております。十分の一というのは、現代に於いては相当な額になるのではないでしょうか。「献金の報いは必ずある」として、什一献金をするのは本当ではないのです。すでに、報いを受け取っているのです。豊かに与える者は豊かに与えられます。私たち人間は、創造できないくらいのものを神様から恵みを与えれています。それ故に、什一献金を行って、神様に捧げることは昔も今も変わらない繁栄の道であるとしております。
 現代ではどうでしょうか。収入の内、自然界の保護のために、ISOという環境ライセンスを取得するかどうかは、企業にとっては非常に大切な要素になっています。太陽光発電を行って地球温暖化を食い止めることは、自然界に愛を与える事になると考えられます。

 82頁には、与える時の心構えが書かれています。第一は「心から喜んで与える事」であるというのです。しかも、神様は喜んで与える者を愛するとしております。第二は、「献金や報謝は信仰をもってなすこと」とあります。聖使命会員となって、喜びと感謝をもって献金をさせていただこうではありませんか。この度の東日本大震災でも島根教区でも多くの人々が真心の御献金をさせていただきました。この御献金と祈りはは今月末で組織的には終了
しますが、復興はこれからです。少しでも復興に対して継続的にお役に立たせていただきたいと念じております。
 この聖典には、献金の心得と繁栄の秘訣が詳しく説かれております。島根の信徒の皆様、どうぞ原点を拝読いただきたいと存じます。
 
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May.26.2011「四無量心を行ずる神想観」

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May.26.2011「四無量心を行ずる神想観」
今日の詩::庭にいて 初夏に草引く 有り難さ 

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 四無量心を行ずる神想観の中に次のようなお言葉がある。
『わが心、神の無限の愛、仏の四無量心と一体にして、さらに虚空に広がり宇宙に満ち、地球のすべての生命と鉱物の一切をみそなわして、その苦しみを除き、楽を与え、多様性を護り、喜びを与えんと欲するのである。』
 
 「地球の凡ての生命と鉱物の一切をみそなわして…」とあるので、それぞれが処を得ることが必要でありましょう。福島県の学校では放射能の関係で、校庭の土の入れ替えをしているようでありますが、それだけでも莫大な費用がかかるようです。そのことを考えると、庭にある土が何気なくあるだけで、誠にも有り難いことであるはずです。日時計日記を付けていると、書くこと自体が同じ事を書いていることがありますが、「はっ」と気づくと、今日何も無かったことが何と素晴らしいことであるかと感じるようになります。

 地球のことを考えていると、銀河系に「浮遊惑星」10個発見とありました。阪大など、国際共同観測で発見したそうです。これは、サンケイの平成23年5月19日に出ておりましたが、恒星の周囲を回らずに、宇宙空間を漂う「浮遊惑星」というのだそうです。しかも、木星と同じくらいの質量で、地球から2万6千光年以内に存在するとのことです。新聞には想像図が書かれていましたが、宇宙空間にはこのような巨大な星が無数に存在すると言うことは驚異に値すると思います。しかし、漂う星はどこへ行くのでしょうか。願わくは、私たちは浮遊惑星のようにはなりたくないものです。

 庭の草を取り除くために、三つの方法があることを知りました。一つは作業員を雇うこと、もう一つは機械を使うこと、三つ目が軍手と道具で自分の身体的能力を駆使して除草することです。今日は休日でしたので、それに着手しましたが、余りの多くの草のために除草の機械を購入して取り除きました。やはり音がすごいのです。たしかに鳥の声どころではありませんでした。一応粗々除草したあとで、軍手と鍬とを使って手で引き抜いたり、根から抜いたりしました。草引きらしい雰囲気になりました。ここで小鳥の声が聞こえるはずでしたが、小鳥の声も聞こえません。いつもの出雲らしくなく風も出てきません。今日一日、曇っていましたが、次第に小雨が降り始めました。よいお湿りとなり、草引きをいったん中止しました。今日は、土に直に触れ、草と戯れ、いつもならば違うことをしていたのですが、全国幹部研鑽会と青年会全国大会の御講話の内容を味わう一日となりました。これからもできるだけ、自然に親しみ、「人と自然の大調和」のテーマを日々の公案として工夫し、身につけて参りたいと思いました。
 今日は、木曜休日なのでこれで終了とさせて頂きます。

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中内 英生

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May.25.2011「練成会の喜び②」

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May.25.2011「練成会の喜び②」
今日の詩::島根発 神の御国へ 誘おう

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 今日も、第433回5月出雲練成会感想文よりご紹介します。解説も入れました。お名前はすべて仮名です。本文より解説が長いのですが、悪しからず。

”練成会で学生時代に戻った”《藤山 良美さん》
『この度は、K講師から声をかけて頂き、練成会に参加させて頂きありがとうございました。心から「ありがとうございました」という言葉をいえる人間になれました。皆様の笑顔とやさしさにふれ楽しい受講となりました。
 個人指導を教化部長から指導をうけました。お世話になりありがとうございました。お食事もとてもおいしく頂きました。』
【解説…藤山さんは練成会の受講を通して、日時計主義的生き方の大切さを知った。練成会で日常の空間から解放された。学生時代のように若々しく、学びの喜びが蘇ってきた。周囲の人々に神の愛を見出すことができた。それは、神様が周囲の人々の笑顔を通して神の祝福の微笑みを藤山さんに投げかけているのでした。】

  ”「神の子人間の信仰」で毎日が新婚生活となる”《桑田貴子さん》
 『私は神の子人間の御教えにふれ、練成に参加する事により、主人とも調和をして、結婚して四十数年にして、今が新婚の様に楽しくうれしい生活をさせていただいています。ありがとうございます。あんなに苦しみ、人を怨んでいた事は、今は夢のようです。これから、私が幸せになった体験を伝えて、本当の幸せになってもらえるように心がけます。自己の壁を取り払い、神の子として、自分自身はもとより他の人を拝める自分が出来た気がします。皆様が喜んで練成に参加されて笑顔いっぱい帰ってくださる様に、もっと祈ることができる私になりたいと思います。御指導をくださった先生方、参加者の皆様、スタッフ・職員の皆々様ありがとうございます。 再合掌』
【解説…桑田さんは、み教えに触れて、夫婦が新婚生活のような喜びを感じるようになった。過去の苦しみは夢のように消えた。そしてもっと優れた菩薩になり、もっと人様を幸福にすることができる神の子になろうと決意したのだった。自己限定の壁を打ち破った彼女はいつも輝いている。】

”練成会に来た瞬間に心が浄められる”《林場文恵さん》
 『練成会の日程を見て、家の事を終えて来ました。練成会に参加して帰ると家の子供達がすごく明るく又私を助けてくれます。子供、孫達にすごく感謝しています。ありがとうございます。』
【解説…林場さんは、妹さんに誘われて練成会に来て会場に入った瞬間に、浄心された気持ちになり、ホッとしたのだった。それは地方講師が練成会を指導しているのではなく、神様が指導しているからだった。真理が説かれる時、そこに生長の家大神様が御出現されることを知った。そして、その神様がそれぞれの地方講師を通して真理の説法をしておられることを深く理解したのだった。聴きたい講師の講話を狙って練成会に来るのではなく、真理の温泉に浸かるつもりでお出でになった。練成期間中はどの時間でも浄められることを知った。聴きたい講師の時間だけに来るのは、番台になじみの人がいるのでその時間を狙ってくるのと同じで、本当の練成受講ではないのです。練成会参加者は、『甘露の法雨』の聖経読誦が常に鳴り響く聖地である島根県教化部会館に足を踏み込むだけで浄められるのです。】

”流産児供養祭に感動した”《野中輝子さん》
 『この度の練成会では、流産児供養祭に久しぶりに参加して本当に良かったと思います。形ではなく真心で流産児さんの供養をすることが大切であることを教えて頂きました。ありがとうございました。』
【解説…彼女は、久しぶりに練成会を受講した。三日目に流産児供養祭があることを知った。真心で流産児供養をする大切さをK地方講師から指導を受けた。供養祭の間、感動がこみ上げてきたのだった。】
           
”通い練成会で、娘さんが元気になる!流産児供養に感動!”《並河七子さん》
 『私は宿泊することはできませんでしたが、三日間通いで練成を受けることが出来て喜びいっぱいです。皆様に親切に声を沢山かけていただき、有難く思いました。教化部長に個人指導をしていただき、毎日の心の持ちようを分かりやすく丁寧にお教えいただきました。これから毎日の生活に必ず生かして神の子として素晴らしい一日一日を積み重ねて参ります。三日目、K地方講師の素晴らしい流産児供養講話に感動しました。また講話の後少しの時間でしたが、個人的にご指導いただき感謝の気持ちでいっぱいです。救われた思いで帰路につきます。ありがとうございました。出雲練成会でお世話いただいた皆様、一緒に参加し声をかけて下さった皆々様本当にありがとうございました。体調が悪く留守番してくれていた娘も心配しながらの参加でしたが、三日目の今朝は、私と共に早朝に起きてきて洗濯物を干す手伝いをしてくれました。』
【解説…並河さんは三日間「通い練成」だったが、喜び一杯になった。愛情溢れる言葉で
周囲の皆さんからお声をかけてもらったことがうれしかった。次は自分から深切な
言葉を他人に与えようと決意した。熱烈な信仰の流産児供養で感動し、しかも担当のK地方講師に相談に乗って頂くことができた。練成会を通じて神の子の生活をすることを決意したのだった。並河さんは救われた。そして、娘さんが早朝に起きてきて手伝うなど、元気で深切な態度に変化したのだった。このように通いでも、信じられないほどの喜びを練成会は与えてくれるのです。】
  これで、5月練成会の感想文のご紹介は終わりです。お付き合いいただきまして、誠に有り難うございました。

《浜田の先祖供養祭》
今日5月25日は、浜田の先祖供養祭へ行った。地元の方々の運営は大変、慣れてきており、てきぱきと行うことができるようになった。参加者の皆様のうれしそうな笑顔を見ることが楽しみとなった。

{第二回”生長の家聖歌を聴く夕べ”}
 生長の家島根教区が開催する二年に一度のチャリテイコンサートです。主要テーマは「聖歌を聴いて実相世界へ誘う。被災地へエールを送ろう」です。義援金は昨年同様にユニセフに寄付させて頂く予定です。8月25日18:30開演です。実相世界へ誘う”白鳩天使の歌声”を聴くことができます。

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中内 英生

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May.24.2011「練成会の喜び①」

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May.24.2011「練成会の喜び①」
今日の詩::柿の葉の 新芽あたかも 花が咲く

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 今日は、第433回5月出雲練成会感想文よりご紹介します。少しばかり解説を試みました。お名前はすべて仮名です。本文より解説が長いのですが、悪しからず。

”長年苦しんだ膝関節の苦痛が忽念として消えた。”《福知山亜希子さん》
 『私は長年の膝関節病で悩まされました。座る事も階段にあがるのも苦痛で病院
通いばかりでしたが、練成会に参加する様になり、二回目くらい参加したときだと思いますが、知らない内に痛みが気にならなくなっていて、これは神様のお陰と気付きました。仕事が楽に出来る様になり喜んでおります。時間のある限り練成に参加させて頂きたいと思っております。ありがとうございました。』
【解説…福知山さんは、膝関節病に苦しめられていた。しかし、二回目の練成会受講で消滅した。真理を知ることにより、悩み、罪の意識、迷いが消滅したからだった。彼女は、人間は本来神の子であり、無病であることを悟ったのだった。】

”出雲練成会の全期受講5回目で、神想観の素晴らしさを知る”《橋高佳子さん》 
 『今回で全期参加五回目です。4回目までは真理が難しいなと感じ「生長の家」を止めようかしらと思いましたが、「智慧が無いと思ったら祈れば良い」と生命の實相に書いてあり、ふっ切れ今回の参加になりました。参加して良かった。楽しくて楽しくて特に神想観を続けていって良かった。つかえつかえですけど続けることの素晴らしさを感じております。これからも練成会参加致します。よろしく指導お願い致します。』
【解説…練成会受講は、繰り返すほど悟りが深まります。橋高さんは、五回目にして練成会の醍醐味を味わうに至りました。お顔も輝いています。ご自宅に帰られても、『生命の實相』を繰り返し拝読していたのです。これが練成会の感動を深めました。しかも神想観の深い境地も知ることになります。また、「継続は力なり」と講話で聴いているように、自然に継続力を獲得したのでした。】

”浄心行で完全に心がスッキリ”《網元 治さん》
 『今回私は、浄心行を受け心が少しスッキリしました。また神想観について色々な人から体験を聞き、アドバイスもして頂き、これから真剣に神想観を続けて行きたいという意欲が湧きました。』
【解説…網元さんは、浄心行で心がスッキリした。さまざまな雑念を用紙に書くことで心の中のストレスが空っぽになった。しかも、懺悔と共に観世音菩薩様の説法である『甘露の法雨』の読誦で完全に罪を消滅させることができるのです。なぜならば、「罪は本来無い」からです。しかも、彼は、神想観を徹底することを決意したのだった。神想観をしている人は、中心帰一の心が湧いてきます。そして、神想観は神様に波長を合わせる姿ですので、自分の周囲の人々、特に目上の人と調和することができるようになります。】

 ”神の子人間の強い信仰を獲得!”《 山本よしいさん》
 『神の子の実相の強い信念を得たかった。講話を聞き、素直に行事をやっているうちに、自然に楽しくなった。何の不安もなく勇気が出ました。食事が美味しかった。本当にありがたく嬉しく生まれ変わりました。』
【解説…山本さんは、N地方講師の唯神実相の講話に感動した。その講話に聞き入ると、「神様の世界だけが本当にあるのだ」という心境になったのだった。この境地に練成会員を誘うのが練成会です。また、I地方講師の感動的な体験談にも深く心を揺さぶられた。練成会三日目には、K地方講師の流産児供養の講話には強い感動を受けて、流産児への愛と懺悔の心で流産児供養を行うことができた。魂が解放され生まれ変わった山本さんの人生は素晴らしく明るい人生になるでしょう。練成会は、神様の雰囲気が満ち溢れていますので、会場にいるだけで魂が浄化され、運命が良くなるのです。】

”先祖供養で信仰が深まる”《徳川文夫さん》
『久々に先祖供養祭に参加できたことは良かった。霊牌供養に関して、担当地方講師の説明で良くわかることができた。信仰が深まったように思う。大変感動しました。有難うございました。』
【解説…徳川さんは一日だったが受講し、飛躍的に信仰が深まった。特に先祖供養祭で感謝の真心で供養することを教えられたので、先祖供養の時は、素晴らしい心境で聖経読誦することができて、感動を深めることができた。】

”聖歌隊の天使の歌声を聴いて、一同が感動した”《香山悠子さん》
 『今月は機が熟して、知人が練成会に一緒に参加して下さってありがたい思いで
一杯です。講話を担当させて頂いて、本当に有難うございました。S講師が、私の発表の前に声を掛けて下さり、『あなたの発表を聴くために来ました。頑張って』と励まして下さってありがたい思いで一杯でした。
思いがけず、聖歌隊の発表が有り、宣伝にもなり、良い試みでした。本当は食事前の方が声が良く出るのですが、食後で、あまり声が出なくて残念でした。運営の方々に大変お世話になり有難うございました。』
【解説…香山さんは出講と同時に、知人を練成会に誘った。この愛行の徳積みが「積善の家に余慶あり」といわれるように、素晴らしい健康と幸運と繁栄をもたらすのです。また、聖歌隊のメンバー達が美しい天使の歌声で歌ってくれた。その歌声を聞いて、参加者は聖歌隊に入りたいという思いを起こしたのだった。8月25日には、「第二回生長の家聖歌を聴く夕べ」が開催されます。約200名の人が集まります。会場は、出雲市駅前のコンサート専門のビッグハートです。】

{5月24日は、雲南の一日見真会があった。まるで23日まで行われた練成会のつづきのような雰囲気だった。魂の解放と実相開顕があってこそ、皆様は初めて菩薩行に進んでいくように思う。}

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中内 英生

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May.24.2011「われ今不二の真理の山頂にいて雲を招ぶ」

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May.24.2011「われ今不二の真理の山頂にいて雲を招ぶ」
今日の詩::シャクヤクの 花のまぶしさ 目に溢る

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 今日のブログは6月号の『大和島根』に掲載予定の挨拶文を前もって島根の信徒の皆様にお知らせ致します。

 ーわれ今不二に真理の山頂にいて雲を招ぶー

 神の子の皆様、有り難うございます。
東日本大震災と原発事故が、その後の私たち日本人および世界各国の動きに影響を与えているようです。化石燃料よりも太陽光発電をとの声も新聞で見るようになりました。現在、復興の最中でありますが、必ずよき方向へ進んでいくと思います。
 さて、6月17日には、谷口雅春大聖師の26年祭が総本山にて行われます。団体参拝練成会の最中ですので、島根教区に於きましては6月12日に、同様に26年祭が行われます。谷口雅春大聖師が神戸から東京にご移転される前のことでありますが、『生長の家50年史』284頁には次のような大聖師の御文章が掲げられております。

《……今は実に人類の非常時であります。凡ての宗教は真理の山巓を目がけて登る登山道であります。登山道によってその展望は異なる。登山道の各々の展望が異なるともいづれも不二の山巓に至る登山口であることに相違ない。各宗教相争うな。相争うは各登山道の風光相違を語るに過ぎないのである。ひとり「生長の家」は山巓より俯瞰して、一切の宗教を、そのままの真理に於いて改宗を強いず(改宗を強いることは登山道を改めることである)して、一望の下に包容するのであります。色々の宗教は形を祭るが、「生長の家」はただ真理を祭る。色々の宗教は石材木材等にて神殿寺塔を建立するが、生長の家はただ真理の言葉の神殿を建立して、その神殿(聖典)の中に真理の言葉を祭り込むのであります。形の神殿でありますと、仏教と神道と基督教とでは、その神殿教会堂塔伽藍の建て方がちがう。その建て方を見て互いに異教徒と呼び、排他的になるのでありますが、
「生長の家」では形の神殿を超えて、不二の真理の山頂より俯瞰して一望に収め、あの堂塔もよい、この神社もよい、この教会もよいとして、それでいて今までの宗教に活が入り入魂されるのであります。それは唯、山頂にいる者、不二の真理から山頂から俯瞰する「生長の家」にして能う処であります。全世界にこの真理の聖典を満たせよ。われ今不二の真理の山頂にいて雲を招ぶ。雲来たりて真理の言葉をのせて、全日本に、やがては全世界に、その真理を運ぶであろう》
 
 この御文章は、昭和九年、『生長の家』第五輯第五号においてであるといいます。この後、大聖師は、東京にご移転されたのでした。長く親しんできた住吉を離れられ、大いなるみ業を顕わさんが為に首都へ行かれたのでした。それはその後に起こる戦乱と唯物論の迷妄から人類を救済することが目的であったと書かれております。
 「山頂」は「真理の山頂」ですが、私に於いては何故か八ヶ岳とイメージが重なるのです。私はこの御文章を拝読する時に、人類を救済するのみならず、地球の全生命を救済するために山梨県八ヶ岳へご移転される総裁先生の御心を垣間見る思いがするのです。生長の家大神の御心をお受けになられた谷口雅春大聖師の御心が谷口清超大聖師に受け継がれ、さらに現総裁先生に脈々として受け継がれていることを私たち島根の信徒は心の底深く知ることができます。中心帰一の信仰姿勢は、この事実を認識するところから出発すると思います。現総裁先生のお言葉と御心に、生長の家大神様、谷口雅春大聖師、谷口清超大聖師の御心を見出すことが日々の信仰生活と運動に於いては私たちの基本であり、最重要であると思うのです。「新生日本の実現に邁進する祈り」ひとつ拝読いたしましてもその御心を理解することができるのではないでしょうか。

 かつてある信徒の一人が光明化運動に生涯を捧げるかどうか迷っていたことがあったと聞きました。そのことをその信徒の先輩が谷口雅春大聖師にご相談になったのです。すると谷口雅春大聖師は、「その若き信徒は将来、人類光明化運動に於いてどのような貢献をしたいのであるか、そのことを訊ねなさい。そして本人が貢献したいという思いが強ければ入所を許可しなさい」と言われたそうです。先輩がそのお言葉をその若き信徒に伝えたところ、彼は「師恩に報いるために、生涯を神様に捧げよう」と決心して人類光明化運動に身を投じたというのです。
私は、その話を聴いて彼の信仰姿勢に菩薩道の輝きを見ることができたのでした。

 6月17日には、総本山にて御祭が執り行われます。私は、奥津城の前にお立ちになる現総裁先生のお姿に、生長の家大神の御心が流れ貫いており、谷口雅春大聖師、谷口清超大聖師、現総裁先生の御いのち(御心)が御一体であることの現象的顕現を見るような思いがするのです。私たち信徒にとりましては誠にも有り難き極みであると存じます。総裁谷口雅宣先生の時代に飛躍的に教勢を発展させることこそ、谷口雅春大聖師と谷口清超大聖師に対して最大のご恩返しをすることになると信ずる次第であります。
  島根の皆様! 6月は日々、谷口雅春大聖師の御心を示した七つの燈台、そこに掲げられた大願のお言葉を再確認し、思いを深める月といたしましょう。
  
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中内 英生

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May.23.2011「食物の小言は禁物」

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May.23.2011「食物の小言は禁物」
今日の詩::神想観 終えて満ち足り 食堂へ 笑顔こぼれる 朝餉の時は 

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 『生命の實相』頭注版第1巻218頁には、「食物の小言は禁物」という項目がある。「小言は心の平和が乱れた証拠である」と書かれている。確かに、食物のみならず、不満や不平や他の人の欠点が目に付く時は、自分の心が不安定な状態であることが多い。要するに実相を観ていない状態、自信がない状態だろう。逆に、自分が幸福であり、これからさらによくなる、という自信がある時は良い点のみが目に付く。食物の美点も目に付くのではないだろうか。

 「自然の摂理で食膳に運ばれてきたものを、神から与えられた最善の食物として感謝して素直に食べるとよい」と教えられている。現代に於いては、家庭で食材を求める場合は、フードマイレージの関係で、地産地消を目指すことの大切さがあろう。さらに、環境問題の関係から肉食忌避の必要性が言われている。私自身は、宗教的意味に於いて、健康的意味に於いて、環境的意味に於いて肉食はしない。時々、お弁当にそれらしきものが入っている場合があるが、捨てるのではなく、ビニールの袋に入れて持ち帰り、肥料にすることもある。

 最近、信徒さんの間ではノーミート料理が少しづつ流行っている。ノーミート料理は誌友会で食べるのが目的というよりも、レシピを自宅に持ち帰り、ご自分で実践することが目的であろうと考えられる。すなわちご自宅の肉料理を減らしていくことである。楽しく作ってわいわいおしゃべりをしながら誌友会を過ごす。これも楽しい。しかし、そこで「神性表現の意義」をしっかりと捉えて行く必要があるのではなかろうか。誌友会は地域の光として永遠に燈台のように輝き続ける使命があるからである。技能と芸術の誌友会は、やはり誌友会であるので日時計主義を徹底するという意味では信仰的な行事であろう。逆に言えば、日常的なものを宗教行事化する運動であると言えるのかも知れない。ご参加なさる人々がみ教えの素晴らしさを知っていただくために、最も簡単に実行できる『日時計日記』記載をお勧めしていただきたいと思う。

 今月の初旬に行われた各種研鑽会や全国大会に於いて体験談をお聴きしたが、後継者を育てるには如何に愛情を注いでお世話する必要性があるかを教えられた。講習会に新しい方々がお出でになる。その人達を地元の誌友会にお誘いすることができなければ、組織の土台が次第に細ってしまう。その不断の努力は当然に必要だろう。従って後継者造りはまず、農業に於ける堆肥作りや天候を見ながらの耕作と同様に、粘り強いお世話活動である。地道な作業を愛情を注いで繰り返すことがなければ、結果は芳しくないだろう。どんな時代でも人の心や経済や人口などにも波がある。しかし、その中で努力を重ねていけば、必ずその努力は報われる筈である。仏教の教えは、「諸悪莫作、衆善奉行」であると谷口清超大聖師からお教え頂いている。島根の信徒の皆様と共に、永遠に長続きする運動を、家に代々途絶えることのない生長の家の信仰生活を行っていただきたいと思う。

 先月の練成会で三瓶高雄さん(仮名)は、食べる時に感謝の気持ちが湧いてきたことができたと言っている。作って下さる当番さんに感謝することができたという。また、味のおいしさだけでなく、食べる前から感謝の心が湧いているので、どんなお食事でも美味しく食べることができたそうだ。それくらい、まず心が「おいしい」と思える状態になることでありましょう。天の恵み、お百姓さんのご苦労、調理して下さった方々の御愛念、一緒に食べて下さることに心から感謝したいと思います。

【巻き込む力】
 NHK番組「仕事学のすすめ」(2011/05/11)では、「第二回リーダーシップは巻き込む力」という内容だった。小菅さんの番組である。飼育係という裏方を表にだしたという。ワンポイントガイドである。これは飼育係さんもびっくりだったのではなかろうか。しかし、飼育係が一番、動物のことは知っているはずだ。小菅さんは大学時代に柔道部の主将を務めた。選手は弱かったそうだ。しかし、小菅さんは工夫した。そして、「勝つ柔道」ではなく、「負けない柔道」を目指したという。この辺りは、共感できるように思う。負けないために、部員のさまざなま多様性を認めたという。そして、1477年に準優勝した。

 改革の時、小菅さんは自分で考えず、何事も担当者に考えてもらったという。このやり方であると人は育つのである。教えすぎるとマニュアル人間になってしまい、マニュアルに書かれていないことは考えられないようになってしまう。そして時代の変化と共に取り残されてしまうこともあり得る。
 佳いリーダーとは何か、それは「何もしないのが良いリーダーである」と小菅さんは言う。部下に、「自分が一番だ。自分がいなかったら、この動物園は潰れるぜ」と思わせるのがよいリーダーであるという。その誘導はやはりしっかりとした人材養成の理念がないとできないのだろう。
 故T元本部講師から、「大石内蔵助は、昼行灯のような人間だった。ボーとしているが、その人間がいなくなって初めてその偉大さが分かるような指導者が本当の指導者だ」といつも教えられた。「あの人はすごい」と思われるような人間になるな、とも言われた。全体を掴み、多くの人を育てていく。そのような指導者が必要なのだろう。巻き込むとは、周囲をその気にさせるということである。それは他との共感がないとできない仕事だ。

 また 小菅さんは、それぞれの自主性を尊重するとも言っていた。「サーバート・リーダーシップ論」というのがあるそうだ。メンバーを主役にするという考え方である。「自分は主役である」とみんなに思わせるのが最高のリーダーであるとしている。

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May.22.2011「肉体の疲労や病苦は仮想的存在」

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May.22.2011「肉体の疲労や病苦は仮想的存在」
今日の詩::フロントや 黄砂を落とす 春の雨

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 「肉体の疲労や病苦は仮想的存在」とのお言葉が、『生命の實相』頭注版第1巻194頁に掲載されている。この「第七章生長の家の超生理学」には病気は罪の意識が元になって出てきていることが説かれている。病気は、実相の円満完全さを自覚しないことから起こる。従って、心で肉体の病気が起こり、心で肉体の病気は治すことができる。病気とは、心が病み、心が痛むのであて、心の病、心の痛みを「肉体が痛みを感ずる」という不合理な迷信によって、肉体の上に投影し、さらに肉体の化学的成分さえも変化させ、肉体に病的状態をおこすのであると書かれている。従って、私たちは決して心に病を思わず、心に病的精神を起こさず、常に健康を思い、感謝の念を失わないようにすべきでありましょう。
  病気になった時には、『病気のことを思わないことが大切である』ということになります。続々『甘露の法雨』には、如何にして病気を克服することができるかについて詳しく書かれています。
 かつて私が某練成道場にいた頃、個人指導した人がいました。その体験談をご紹介します。記憶を掘り起こしながら書きました。名前(仮名)は、東京波子さんです。

 当時、彼女は失血性脳梗塞で2年前にたおれた。日赤に入院したが、左半身が麻痺していた。腕も足も内臓も左が麻痺してしまった。九死に一生を得て、リハビリーに励んだ。日赤に入院した。しかし、み教えに触れて次第に回復してきた。そして、気がつくと走ることができるようになっていた。それがうれしくてうれしくて堪らない自分を見出した。練成会も受けた。当時、結婚して30年だったが、忙しさに追われていた。夫への不満がやり切れなかった。子供から、「こんな家はいやだ」と言われて、「申し訳ない」と思ったのだった。それで、『生命の實相』第一巻から読み始めた。あれほど夫を疎ましく思っていたのに、今ではいつの間にか、夫婦で先祖供養をするようにさえなった。そして、病気は完全に治っているわけではないが、不安恐怖は消滅した。病気にさえ感謝できた。病気になったお陰で、生長の家のみ教えを学ぶことができるようになった、と。逆に、生長の家を学ぶために病気はあったのだと、病気にさえ感謝できた。信徒の皆さんと一緒に、み教えを学ぶことができて本当によかったと思った。「私は幸せだなあ」としみじみと思う。「生長の家を知らない人がいたら、話をさせていただきたい」と願うようになった。子供たちから、「お母さんはやさしくなった」と言われるようになって、家庭生活が楽しくなった。

 こんな体験だったと思う。病気になった意義をここまで考えると、少し行き過ぎであるように思いますが、それをすべて感謝に変えたところに東京波子さんの信仰の深さがあります。み教えにより、病気もよくなれば、家庭生活も幸福になる。自分自身が幸福にならずに、世界の人々を、地球生命を幸福にすることができる筈はない。私は東京波子さんの体験談をお聴きして心から「み教えは有り難い」と思ったのだった。

【サハラ・ソーラー・ブリーダー計画】
 こんな計画が日本の先導で始まったと、「サイエンス・ゼロ」(2011/05/12)では、報道していた。サハラ砂漠に太陽光発電装置を建設して、電気を1万キロメートル以上送電する壮大な計画である。砂に含まれている成分でシリコンを作る、エネルギー源は太陽光である。「サハラ砂漠に太陽光発電基地を作れ!」というタイトルだ。これは東日本大震災と原発事故の後に立ち上げられたプロジェクトであるという。二酸化ケイ素(Sio2)は砂の中にある。ソーラー・パネルのシリコンの材料にするという。しかも、発電して世界中に送電する。しかも日本が立ち上げたようだ。この技術は、太陽光電池と超伝導の技術を組み合わせたものだ。電気は現在の日本で使用している交流であると長距離を送電すると力が落ちる。

 しかし、直流であると超伝導送電ができるという。マイナス163℃に冷やすと超伝導となるそうだ。この辺りは、私には「~そうだ」という表現しかできない。悪しからず。面白いと思ったのは、昼間発電して、地球の夜の地域に送るという。逆にも行う。従って世界中につなげることができる。すごい!と思った。

 某国の元石油相が言った言葉だが、「石器時代から鉄器時代に移ったのは、石が無くなったからではない。鉄を鋳造する技術が確立されたからだ」と。同じように、石油や石炭、ガスなどの地下資源・化石燃料はあっても、無限の太陽光エネルギーを使用する技術が開発されることになれば、化石燃料の利用は無くなる。ここに奪い合いが無くなり、世界平和の基礎が築かれることになる。これはさらにすごいことである。生長の家もその方向に向かっているようだ。

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May.21.2011「浄心行を担当する」

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May.21.2011「浄心行を担当する」
今日の詩::聖経の 声は響きて 練成の ただ座すだけで 魂浄よむ

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  今夜は浄心行を担当させて頂いた。浄心行は、念の世界にできたとおりの姿が現象世界に現れてくるので、浄まった真象を現すために、心の世界、念の世界、潜在意識の世界を浄める行事である。『人間苦の解放宣言』は、谷口雅春大聖師の御著書であるが、吉田武利編として体験談などは故吉田武利元本部講師が編纂している。浄心行を担当させて頂くたびごとに素晴らしい身の引き締まる思いがする。浄心行の後で、簡単な感想体験がメモで寄せられたのでご紹介したい。
「浄心行実修でこのたびは私は泣けて泣けて、タオルがビシャビシャになりました。色々の思いがあったのでしょう。ご先祖様への感謝誦行をしましたが、ご先祖様以上にこのたびの震災で亡くなられた方々の事を思い、泣けて泣けて仕方ありませんでした。早く皆様が立ち上がって行かれ、前向きに前進される事を願っています。私も家庭をもっていつも明るく振る舞っていますが、やはり弱いところもあります。練成会に行って、私も勇気をもらっています。練成会は私の心の光です。有り難うございます。」
 このように、練成会を燈台として、受講のためにお出でいただけることに心から感謝している。練成会は信徒の皆様と同じように、私にとっても光である。このように各地の誌友会が地域の光、燈台となっていただきたいものである。

【パワー・スポット】
「美の壺」(2011/05/20)というNHK番組では、パワースポットという言葉が流行っているということだった。出雲では出雲大社ということだろうか。教化部もパワースポットではなかろうか。練成会で皆さんは力を得て帰るからだ。鳥居のソリについて説明していた。元来、神社の鳥居はまっすぐな木を使用していたという。しかし、仏教が中国から伝わり、中国のお寺は確かにすごく反っている。その影響で日本の鳥居のソリができたのだそうだ。鳥居は、「通り入る」ということで「願いが通り入る」ということになるという。鳥居は確かに自然と解け合う風景が美しい。鳥居は遠近法を採用している神社もあり、何カ所かに鳥居を設置すると奥の鳥居を少し小さくする。それによって奥行きが感じられるので、小さな神社でも大きく見せることができるのだという。色々と工夫が施されているようだ。さしあたり、自分に於いてのパワー・スポットは何処だろうか。それは「自分自身の中」であろうと考えられる。すなわち「神の子」の自覚である。

【ホスピス】
 「爆笑問題」(2011/05/19)では、お二人がホスピスを訪問していた。野の花診療所院長さんの徳永進さんというお医者さんが登場していた。ここ10年間で数千人の患者を見届けてきたという。病室の作りも個室のベッドのすぐそばにトイレがある。「日本人は他人に迷惑をかけることを嫌がる」からだという。用便も他人に世話にならずに最後まで自分で行いたいとの思いが強いようだ。島根の信徒さんにお聴きしたが、お隣の鳥取県なので徳永医師にお会いしたことがあるそうだ。
 患者さんが亡くなる前に言うことががあるという。「もう一度、~をしたい」「もう一度、~へ行って見たい」と。この「~」は特別なことではない。それはいつも行っていることだったり、いつも行っている場所だったりする。当たり前の日常なのだ。それほど、人間は日常にあこがれる。徳永さんは言う。「普通の人は、普通で当たり前であるということ自体が奇跡である、ということを忘れがちだ」と。どこかで聴いたようなセリフだと思った。この日常の当たり前こそ万人が求める奇跡であり、幸福感であろうと思う。私たちもそのことを忘れないために、日々日常の素晴らしさを、「日時計日記」に書き続けていきたい。また、徳永さんは言う。「臓器が病気になった時、いつ自分の生命を奪うか分からない臓器によって命を支えられてきた。いつ死を私たちに突きつけるかも知れないものによってのみ生命を支えられてきた。」と。私は徳永さんの言葉を聞いて、自分の身体が生きている、生かされている、健康を維持されているということ自体が、神様からの恩寵であり、まぎれもなく奇跡であるということを感じざるを得なかった。
 総裁先生から、日常生活こそすばらしいとお教え頂いている「”日常生活”という奇跡」の意味を再確認した思いだった。

【旭山動物園】
 小菅正夫さんの「第三回人材育成」について、「仕事学のすすめ」で放映していた。新人に責任を持たせることや、自分で考えさせることや色々と愛情ある人材養成を試みていることが分かった。
 野生動物は決して弱みを見せないという。おそらく弱みを見せるとすぐにハイエナやその他の動物によって襲われる危険性があるからだろう。飼育係の人間の姿が見えなくなると、病気や怪我をしているのをさらけだすのだという。ダチョウの飼育係がはじめて有精卵を得たが、その雛が育たなかった。小菅さんは飼育係に聴いた。「何故死んだのか」「分からない」「分からないから死んだのだな。何をやり過ぎたのか?何が足りなかったのか?それを知る必要がある」と。若い飼育係は、「雛は目を離したら死んだ。だから目を離してはいけない」と悟った。それから飼育係は雛を箱の中に入れてどこへでも連れて行き、みごとに育て上げたのだという。私はこの絶妙な会話を聴いて、飼育係を育てようとする思いが、相手の動物飼育の実力を培っているように見えた。
 小菅さんは、学びの場を増やし、お互いの研修を重ねている。また、先輩後輩入り交じった状態の作業で、人間関係を円滑にすると同時に、後輩がさまざまな学びがあることも話していた。自分で考えさせ、自分で答えを出してそれを実践させる。なかなかの度量だと思った。また、学ぶ側の謙虚さも欠かせないと思った。
 故T元本部講師が言っていたが、「医科大学で実力のある教授は手術を学生に実施させる。もしうまくいかなかったら、教授がすぐにうまく処置をする」と。実力のない教授は学生にまかすことができない。何でも自分でやらないと不安にかられるのだと。人を育てることは、まず己の人間的、技術的、情報量的実力を養成しておかなければならないようだ。これは、自分自身に対して言う言葉でもある。

【カトリーヌ・デスティヴェル】
 モンブランという独特の形をした山があるが、そこが心の故郷であるという女性登山家のことを、「地球ドラマチック」(2011/05/21)で放映していた。すごいと思ったのが垂直岸壁をよじ登っていく姿だった。彼女は言う。『登ることに集中するので、あらゆる事から自由になる。これが私の自己表現である』と。切り立った、とがった岩山のてっぺんに二人の登山家が立っている姿は、見ている方がなんだか恐かった。アイガー北壁を登っているのもすごい。アイガーとは「鬼」という意味だそうだ。この女性クライマーは、父親の影響で、岩山に登ることを子供の頃から訓練していたようだ。よその親は、高い所に登ってはいけないと子供に言うのに、カトリーヌさんの親は、「登りなさい」といっていた。岸壁を登っていると、自分と岩とが一体化するという。そして会話をしている自分に気づくと言う。
 信仰は小さい頃から始めた方がよいと、谷口清超大聖師のお言葉を記憶しているが、自然に身につくのには、やはり年少からがよいのだろう。生命学園で唯一絶対の神への信仰を学び、小学生練成会で自分の生命の実相の素晴らしさを知ることは実に大切である。私たち指導陣が常にお伝えできるように、みずから自己訓練を行っていくことが必要だろうと考えられる。

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中内 英生

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May.20.2011「只管打坐の神想観」

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May.20.2011「只管打坐の神想観」
今日の詩::雨降れば カエルの声は 夜を徹す

 今夜は、青年会の「5月会員学習会」が開催された。テーマは「神想観の意義」だった。テキストは『新版 詳説神想観』である。発表者は、K青年会員だった。ご本人の許可を得たのでレジュメを元にして多少アレンジしてご紹介したいと思う。

 神想観は何故実修する必要があるか?、であるが、一番大切なことは「神の御心を聴く」ということでありましょう。「神様の御心」はどうしたら分かるかというと、それは当然のことながら神様に聞けばよいということになります。神とは、自分の生命の実相ですから、自分の中に宿る「真実の自分」に聴くことです。そう考えてみると、神様から御心をお聴きすることはそんなに難しくないことになります。ただ毎日毎日「聴く練習」をして行く必要があります。そうすると間違いなく聴くことができるようになるのです。

 神様の世界、すなわち実相世界が完全円満であることを知るにはどうすればよいかということも同様です。まず自分の生命の実相が完全円満であること、自性円満を自覚すると、その波長で同類の波長を探し当てますので、この世界の奥にある神様の世界が完全円満であることを知ることができます。自分の「生命の実相」の完全さを知ることと、実相世界の完全さを知ることとは同類親和の法則から考えても理解出来ます。また、エアコンで温度設定をするとその設定通りに温度が維持されるように、地球温暖化の進行を食い止めるためには、実際の行動を行いながら、さらに「人間と自然との大調和」の実相世界の温度設定を万人の心、潜在意識、奥底の心に徹底させることは大切でありましょう。どんなに地震や津波が起こっても、実相人間は死んではおらず、実相世界は砕けていないのです。その神の国情報を人類にお伝えする菩薩行こそこれからは重要です。人間と自然との大調和を実現するには、すでに理念の世界には実現している実相世界をお伝えすることが大切でありましょう。環境問題解決に邁進する物施と人間神の子、実相世界の完全円満性をお伝えする法施の二つを同時進行です。すでに、「実相金剛身の神示」に於いては、人間と自然との大調和の世界を御教示下さっております。私たちは内観し、実践し、宣布する以外にないと考えられます。そこにこそ、信仰者として生きる喜びを感じるのです。

 「神想観」は、単なる祈りではありません。神の国・実相世界・本当にある世界そのものをじっと心の眼で観る宗教行です。「観ることは創ること」です。観ずることを単なる精神的な実質のないものであると思ってはいけません。五感に触れない心こそ作る力を持っているのです。実相世界には、あらゆるよいものが満ちあふれ、そしてそれらを不断に、無限に生み続けているのです。神想観では神の国そのものを、じっと心の眼で観るのです。そうすると、自然に神の国のすばらしい才能や豊かさや楽しいことが続々と出てくるようになるのです。従って、祈りの言葉は決定的です。「神様、常に私の祈りをおきき下さいましてありがとうございます」、または、「既に実現致しました。有り難うございます」という感謝の言葉が冒頭にくるようになります。感謝するということは、実相世界をこの世に持ち来すために必須のことです。

  神想観の伝授書は『詳説神想観』と『神想観はすばらしい』の2冊ありますので、どうぞ拝読下さい。後者には、作法の図や招神歌の音譜も掲載されています。
 神想観は日々の精神的糧となります。すなわち、神想観は私たちにとりまして、日々の精神的パンであり、ご飯のようなものです。私たちの生活には物質的なパンも必要ですが、精神的パンはさらに必要です。食事や住宅などが完備している施設で幸福が感じられないで寂しさを感じている人々がおられます。それは、人間は単なる肉体的存在ではなく、心的な存在であるからです。人間は肉体ではない。霊的実在である。このことを魂の底深く自覚するのが神想観です。神様は頭脳で知るだけではなく、全身全霊で神様は本当にあるのだということを知る必要があります。

 信仰には自力と他力を論ずることがあります。禅宗は自力的であり、浄土真宗などは他力の教えと言われています。生長の家の信仰は、自力と他力を超越した絶対力であると教えられております。そして、神想観は術ではなく、神仏の力ですので、すでに救われている事実を認めるだけでよいのであると教えられています。信仰とは人間が神様に振り向くことです。従って、日々、日時計日記を書いて真象を讃嘆し、さらにその本源であり創造主であり、人間や自然など、万物のメーカーである神様に心を振り向かせて、祈りかつ感謝することは実に大切なことではないでしょうか。すなわち、常に神に祈る。「只管打坐」、「ひたすら神想観」の徹底が大切であります。

 神想観は単なる瞑想ではないのです。有念有想であり、決して無念無想になることはありません。それは、「我神の子なり、我神なり」の意識の充実です。ここで大切になるのは、「神とは何か」ということです。谷口雅春大聖師は、お悟りを開かれ、本当の神、唯一絶対の神に到達されました。その神に対して、心を振り向け、神様の霊的恵みにピントを合わせ、波長を合わせることになります。生長の家のメディテーションは、祈ることと観ることとが同じ意味となります。
 神想観には様々な神想観がありますが、現在私たちが特に実修しておりますのは、「四無量心を行ずる神想観」です。東日本大震災ののち、この神想観の素晴らしさを感じておられる人が沢山おられます。島根の皆様、ともかく、日々、朝晩の神想観の実修を致しましょう。一回の神想観は30分間がお勧めであります。

【to the coast of the disaster area】
 島根の青年会では、総裁先生のフェイスブックにご提示されているまとまった英文を読みはじめたらしい。それで私も参加させて頂いた。2週間に一度ほどのペースだろうか。上記の項目の二日分が今日終了した。英文から意味を読み解くという作業は、日本文の御文章とは違い、別の新鮮さを感じる。また、総裁先生が世界に向かって英語の御文章で直接語りかけられる迫力を感じる。フェイスブックに掲載されている英文の御文章は順次、翻訳しつつ読むのだろう。これらの学習の会合は実に楽しい。楽しいと長続きするということは真実である。

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May.19.2011②「女性の生き甲斐」(2010/10/19の分)

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May.19.2011②「女性の生き甲斐」(2010/10/19の分)
今日の詩::キャベツ葉を 食べて青虫 宇宙地図

 『新版女性の幸福365章』をテキストとして、青年会のヤングミセスの出講講師勉強会があった。よくまとまっていたように想うので、少し補足しながらご紹介したいと思う。発表は、M光明実践委員だった。

 女性の天分は、大らかさ、穏やかさ、柔らかさ、優しさである。天分を生きる時、はじめて女性の幸福があるとしている。女性として生まれたことに感謝し、妻として母親として、神様の愛を実現することに人生の喜びがあるのである。人間は自分自身に成り切った時に本当の生き甲斐を得ることになる。形は心の影であり、身体的特徴に個性と本質が表現されていると考えられる。

 人間は自分の存在が誰かの為になっているとの自覚が生き甲斐となる。このブログでも、有り難いことに毎日、数十人の方々がお読み下さっている。仕事が詰まっている時、ブログを書くのが少し遅くなって木曜休日に書いてしまう。しかし、何とか書ける。それは時々、「ブログを読んでいます」と言って下さる読者がおられるからである。これが私の喜びであり生き甲斐でもある。なぜならばこのブログから、総裁先生へのブログへ直結するからである。皆様に心から感謝しております。

 「使命行進曲」には生き甲斐について書かれている。「愛行こそは吾が使命」であり、使命を果たし、愛を表現し、与える人生を生き行く時に生き甲斐があるとするのである。人間は神の子である。この本質を生きる以外に生き方はないだろう。「人間は神の子である」ことを深く知ることにより、神の子人間を深く生きることができると考えられるのである。神とは何か?それは「智慧」であり、「愛」であり、「生命」であり、「美」でもある。それらを現すことに人間は喜びと生き甲斐を感じることができると思うのだ。

 また、唯一絶対にして無限の神が、自己表現される時、複数となり多様性となる。それが調和した姿で現れる時、神が現れることになる。ここでキーワードになるのは、「多様性」と「独特の個性」ということであろうか。多様性の中には男性と女性の天分がある。もしも、多様性が不必要であるならば、神様は男性と女性とをお作りにならなかっただろうと考えられる。神聖な本質の話の時に、イヌの話で申し訳ないが、警察犬訓練士の方が次のように言っていた。「雄イヌは勇敢である。雌イヌは行き届く。どちらが優れているということはない。それぞれが天分によって、より一層優れている」と。私はこの言葉を聞いて神様の創造の素晴らしさを感じたのだった。質の問題である。赤と青とどちらが美しいか、と聴かれても困るだろう。それに優劣はない。それぞれの色彩が微妙に混じり合って、総合的な美を形成するのである。

 それと同じように、男性と女性とでは、お互いの能力と天分によって美しい家庭が形成される。全体を構成する原理は一つである。しかし、その質は両者とも違う。さらに個性に於いても各家庭毎に違った美しさを形成することになるのである。おそらく、組織論に於いても同様の事が言えるのであろうと考えられる。お互いの能力が最大限に発揮されるとき、総合力発揮の結果として、最大の国際平和信仰運動に於ける成果を得ることができるのではなかろうか。

 良人は社会の於いて働くことが多い。それこには利害が生じている。しかし、女性の働きは、社会にでて仕事をしていることもあるが、子供を育てるという利害を超越した愛情の仕事をしている。これは実に素晴らしいことでは無かろうか。統計によると、女性に生まれた人は再び女性に生まれたいと願っている人が多いという。その理由は何であろうか。それは、子供のいのちとの一体感である。また、家庭という良人との生活に於いて夫から喜ばれ、子供から喜ばれることによって、限りない喜びを得ることになると考えることはできないだろうか。

 夫との一体感について、平山郁夫画伯の奥様のエピソードがある。画伯が30分間で絵を描く時、夫人はただ鉛筆を削っているだけだった。しかし、そこで深いご夫婦の一体感を感じられたという。画伯もすぐれた人物であるが、夫人も同じように優れた人物であることに間違いはない。感動の一瞬である。谷口純子先生がお書きになっておられ、またサンケイ新聞でもご夫婦とお描きになった塔の写真とが掲載されていた。私は二度感動したことである。

 パートナーとして影響し合えると言うことは、相手に自分ならでの価値提供を心懸ける必要がある。従って妻は、夫とは違った分野で常に向上することを心懸ける必要性がでてくると考えられるのである。同じ目標に向かって、しかも別々の能力と価値をお互いに提供し合いながら進んでいく。実に素晴らしいご夫婦の姿だと思わざるを得ないと考えられる。

【リゾートの星野佳路さん】
 古い話で申し訳ないが、「仕事学のすすめ」(2010/09/09)の放映で星野さんが出ていた。いままで何度か見ているが、なかなか素晴らしい観点である。コンセプトをハッキリさせること。そのコンセプトに基づき、サービスを取捨選択するという。社員が仕事を楽しくすることが、顧客の喜びにつながる。この言葉などは、私たちの日時計主義の生活や運動などに十分通用する考え方ではないだろうか。運動を行う時に義務感で行うことは決して得策ではない。また、成果も上がらないだろう。

 ターゲットを絞ることも話していた。これは、教区の練成会に於いて利用できそうだ。会員のリフレッシュや人生の困った人に神の子を自覚して頂き、再起を促すことや、経済問題や健康問題やいろいろと考えられる。もちろんの事ながら、神性開発が主体であるが、ターゲットは色々とある。新人か信徒さんか等々検討の余地があるのかも知れない。新しいコンセプトを作るのにはクレームはつきものである。しかし、新しいターゲットは、今あるお客さんの中にあるという。
 次の言葉が私の心に響いた。一番大事な人は120%満足させる。それ以外は80%満足させる。経営的考え方であるので、決してどなたに対しても実相を礼拝するという信仰とは少し違うようだが、現実的判断としては参考になる面もあるだろう。その他、地元の文化に誇りを持つ。自分たちが主人公の気持ちになる。これなどもモチベーションを維持するのに大切な方法であると考えられる。

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中内 英生

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May.19.2011「病気の心的原因は?」

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May.19.2011「病気の心的原因は?」
今日の詩::知らぬ間に 紫の芥子 庭に咲く

 谷口雅春大聖師の御著書『新版 幸福生活論』82頁には、「第五章 斯くして健全なる身体を実現せよ」との章がある。医学的な予防はそれなりに実行するのであるが、「三界唯心」「肉体は心の影」という心の法則から考えると、健康な身体を実現し持続することは十分可能である。ここには聖フランシスの受難礼賛的な生活も紹介されている。しかし、受難礼賛では受難が来ると書かれている。聖フランシスに於いては聖痕であるという。また、キリストの受けた苦しみを己が受けることによって喜びを味わうという生き方であるが、このような考え方は、「健全」な信仰ではない、と説かれている。肉体に於ける健康そのものでも、それを実相であると考えるのは問題があるが、受難を求める心は普通の健全性を見出すことはできないのではなかろうか。すなわちそれは何らかの形の自己処罰的な想いがあるようにも見受けられるのではなかろうか。

 83頁には、健康に優れない時に心の中を振り返るようにお教え頂いている。原因は外よりも内なる心にある、もう一ついうと現象の受け止め方にあるということになるだろう。心の種子である。ここにはさまざまな表現の御文章があるので学んでみたい。
「病気になりたい」という心。これは自覚することは難しいかもしれない。潜在意識のなせる技である。或る人が持病の特効薬を飲用したという。もし、よく効いたならば代金を支払う義務があり、効果がなかったならば支払わなくても良いということになっていた。その薬は実によく効いてきた。そして期限の日程に迫った前日、数値は元の悪い状態に戻ったという。もしも数値が健康体と同じであるならば、お金を支払わなくてはならないと考えた潜在意識が効き目を減退させたと考えることができるのではなかろうか。

 「病気の方が都合が良い」という心。これはよくあることである。国際企業であるM社の創業者は十代後半で病気になった。家族は貧しい食生活をしているが、Mさんはビフテキを食べて栄養療法を続けていたという。その頃、誰からとなく、「生長の家」という昔の神誌が手元に届いた。その中には、「病気の方が自分にとって都合が良いと病気になる」と書かれていた。そこで、Mさんは心を入れ替えたのだった。すると不思議に病気は消滅したという。そして、人間は神の子で無限の力があるということを学んだ。Mさんは、国際企業になり社長から会長になってから、某県の工場に来た時に、「私が現在有るのは、生長の家に触れたオカゲです」と社員に言ったのだった。生長の家に触れて病気が治ったのは、日本経済新聞の「私の履歴書」に書かれていた。

 「神は苦しみによって人間を試練したまう」と思う心。これは選民意識という神から選ばれたという思いが、逆にかたくなな気持ちを生み出し周囲との調和をそこなって、いつの間にか試練が降ってくるような行動をとってしまうということになると考えられる。「我神を選びしに非ず、神我を選び給うなり」という言葉があるが、その思いとは少し違うような気がする。後者は使命感につながり、前者は、神の世界の実現には試練が必要であるという、神の世界の完全さを疑う神様に対する不信の念があるとも類推できる。絶対善なる神は、実相世界を作り給うたのであり、試練を必要とするような不完全な世界も人間も創り給わなかったと想うのだが…。

 その他、「苦しみによって人間の罪は償われる」「人間は苦しまなければ駄目だ」「病気になったら親が自分のことを心配してくれるだろう」「親に心配されたい」「親にいたわられたい」「良人に心配されたい」「良人にいたわられたい」「世間からいたわられたい、同情されたい」「病気になって休んでみたい」等々である。これらの心がなかったかどうかをよく考えてみて、健康を維持することが大切であろう。健康であることは医療費を使わないので、それだけでも国家への貢献になると言われている。メタボ解消で多くの医療費が削減できるという数値を発表していた医療機関があったが、自分自身が健康であるだけでも素晴らしいことであると考えられる。朝起きた時、寝る前には、ご自分の手脚や内蔵その他に大いに感謝して日時計日記に記載しようではありませんか。

【人間力養成術】
これは術ではなく、熱意でありましょうが、それなりに研究することは大切です。伊藤忠のかつての丹羽宇一郎さんの経営術についてである。「仕事術のすすめ」(2010/12/23)からである。驚いた考え方は、すでに人口が減少した時の対処法である。彼は外国に工場を作る時に「伊藤忠商事のためではなく、その国のために作る」ということを徹底しているという。それは取りも直さず、伊藤忠商事に還ってくるからだ。従って、相手の国のためにやっているようであって、実は伊藤忠のためにやっていることになるという。祈り合いの神想観や伝道・愛行においても、私たちは他人の幸せを祈り、また法や物を与えて法施・物施となす。しかし、この度の震災の救援活動によって分かるように与えた国々が与え返してくれている。ここに「与えよ、さらば与えられん」という厳然とした法則を見出すことができよう。

 伊藤忠は20年後には世界企業になると決めたという。これは丹羽さんが心に決めたとしている。20世紀に日本に備える人材育成はどうすべきかという発想になる。ここから、①新入社員は全員、4年以外に外国勤務を行う。②女性の人材登用などを打ち出している。また、どんな厳しい環境や現象が現れても、リーダーたる者はそれを直視しなければならない。
 そのような人材養成のために、青山フォーラムというのを立ち上げて若手の人材を育てているという。私が学生の時に、月に一度2時間、学生の集いがあり、谷口雅春大聖師のもとで学ばせて頂いたり、故T元本部講師が練修生として、将来生長の家のリーダー養成するために教えていたようにであろうか。養成する精神があって初めて若者が養成される。それは養成する人を通して時代の心、噴出する神の御心が天降るのでは無かろうか。

 丹羽さんは言う。「貴族ではなく、侍になれ」と。貴族はしきたりを守っておればよい。しかし、しきたりを守っておれば発展するほど、現代の世界は悠長ではない。そして、「侍になれ」とは、「自分の意思を持て」、ということであるという。その意思によって、新しい経済界を切り開くことを願っているという。そして、最後に若手リーダーをリーダーたらしめるために、「リーダーはみずから退く」として退職されたという。私も亦、丹羽さんのようになりたいとは想わないが、20年後を見すえて行動できるリーダーを育てたいとは想っている。

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中内 英生

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May.18.2011「悟境の持続について」

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May.18.2011「悟境の持続について」
今日の詩::柿新芽 花と見まごう 光かな

  『新版 幸福生活論』という谷口雅春大聖師がお書きになった聖典がある。165頁には、「悟境の持続について」という項目がある。大変興味のあるテーマだと思った。生長の家には練成会というコースが設けられているが、本部練成会は徹底しており、10日間行われるところが多い。それは理由があって、10日間ほど人間神の子の信仰で訓練を受けるとある程度「身につく」からである。ある程度というのは、それからどうすれば長く心境を持続できるかという意味がある。私が某練成道場にいた頃に、「どこの練成会が一番長持ちしますか?」と聴かれたことがある。要するに練成会受講の感動の持続率の問題である。
 
 しかし、これは信仰というものを受け身で捉えようとしている考え方では無かろうか。私は、信仰心は他人の講話やお誘いはきっかけにはなるが、決して与えられるものではないと考えている。何となれば、同じように与えられても、受け入れる人もいれば受け入れない人もいるからである。しかし、練成会指導の技術的なものが無いわけでは無いとも思う。魂にしみ込むように確実にお伝えする方法や、立て板に水のように山林を真理の炎で焼き尽くすような方法もあろうとも思う。私自身は、「気がついたら向上していた。気がついたら増加していた」という雪を踏みしめていくような方法が性に合っているように思う。

 165頁には、「人間神の子の自覚が薄れてきた時に、人は禍に墜落する。病気も不幸もそこから出る」と説かれている。従って、「自性円満の神の子の自覚」を持ち続けることは大切である。ここには、道元禅師のお言葉である「祇管打座」が書かれている。ひたすら座ることです。神想観は、お勧めが30分間です。理由があります。30分間ほど神想観を行うと精神統一ができてくるからです。精神統一ができなくても体験が生じるのですが、神想観をしてアルファ波、シータ波などという脳波を発するようになり、楽しく祈りができるようになるには熟達が必要です。「神はすべてのすべて」と数回念ずるだけで、実相世界に超入する心境になる人はあるとは思いますが、どなたでもそういうご心境になるには、やはり総裁先生からお教えいただいているお勧めの30分間の御実修をしていただくことがよいのです。

  道元禅師が開かれた永平寺に一度、座禅を組みに行ったことがありますが、老師が庭の大木を指さして、「私の座禅よりも庭の木の方が何百年も徹底して座禅を組んでいる」と言った時には、襟を正す思いがしました。道元禅師のビデオを見たことがありますが、尼さんが子供たちに小さなお亭で座禅を教えているのです。尼さんは、「座禅をする掌の中には仏様がおられる」と教えていました。すると、雨が少し降ってきたのです。子供の一人が右手の平を上にしていました。尼さんが、「手の位置はそうではないでしょ?」と言うと、子供が答えました。「仏様が雨に濡れるといけないから」。私はその言葉が心にじーんと響きました。座禅を一つ組むにしても、神想観を行うにしても、そこには仏様を体現し、神様を現すのです。

 166頁には、観普賢菩薩行法経の言葉が書かれています。「端座して実相を想え。慧日よく衆罪を消除す」とあります。この行法を「毎日毎夜」行わない人は、いくら神の子であるといっぺん悟っても、実相が錆で覆われると書かれています。立派な名刀でも、磨かないと実相が隠れてしまうのです。瑞厳和尚は、「主人公主人公」と言って神の子を呼び出そうとしたと言うが、それだけでは不十分であるとしておられます。自分というものを「神の子」であるとハッキリ知ってそれを言葉で唱えて対面するのが神想観であると書かれています。神想観を怠らない人は段々と魂が高くなり、理論や智慧に明るくても、生活が段々とととなわないようになる人は神想観を怠る人に多いと御教示されています。島根の信徒の皆様、すべてが存在する実相の世界と万徳円満を具足する真人間である自己に直接対面する神想観を実修致しましょう。どうか、本文を拝読して、内容を精確にご確認下さい。

【コーチング法】
 「私の学んだコーチング法」という題名で水泳の平井コーチのやり方が、「仕事学のすすめ」で紹介されていた。第二回目である。人間力を高めるコーチングとある。早稲田大学の水泳部に入った平井さんは、選手ではなく、マネージャーをまかされた。一時ショックを受けたが、やがてマネージャーとして、コーチとしても喜びを知るに至る。そしてオリンピック選手を育成するエキスパートとなったようである。おそらくご自分のコーチ職を嫌っていたならばここまで行くことは難しかっただろう。私は現在の役職に充分満足し、感謝している。そして、役職の一面には真理伝道と人生問題解決とのコーチングがある。大きくは島根教区の信徒のみなさま全員が総裁先生の御心を学びご自分のものとし、生きた形で県民の皆様にお伝えする状態を作ることである。

 さて、平井さんはコーチの最初は子供や大人などの初心者クラスを受け持ったという。しかし、着実に平井さんのコーチングは進化していったようだ。日本の水泳界には小柳マニュアルというものがあるそうだ。それを学びつつ、時代に応じて変化させていったという。「小柳方式平井解釈」というものである。これはマニュアルの心が分かればアレンジできるとしている。私たちの国際平和信仰運動で、儀式を海外に普及させる時に、心的部分は変えることができないが、形式的な部分は変えることができるとするやり方を彷彿とさせる考え方ではなかろうか、と思う。私が平井さんに驚くのは、頂点を極めても守りにならず、常に初心に還って前向きに進んでいると言うことである。従って、つねに進化を繰り返すことになる。

【平田簸川】
 島根県で生長の家が一番始めに盛んになった地域に、平田がある。また、簸川は松江から小舟に乗って上陸し、出雲方面に馬車で往来していたラスカジオハーンのことをお聴きしたことがある。その平田で、一日見真会があった。私は「悟境の持続について」の内容も講話させて頂いた。ここは景色が実に善い。天気も大変に良かった。

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中内 英生

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May.17.2011「突然の恋」

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May.17.2011「突然の恋」
今日の詩::安来節 歌う笑顔は 民衆の 和気藹々に 踊り来るかな

 白鳩会総裁先生に『突然の恋』という御著書がある。テキストとして時々、使わせていただいている。その216頁には、同名の見出しがある。
「突然恋に落ちたら、しかたないんじゃないの?」という御文章で始まるエッセイである。恋にしても何にしても、決して偶然のできごとではなく、ものごとは自分の心で受け入れるし、決して自分では望まない恋が災難のように降りかかってくることはない、ということである。「偶然はない」ということ、親和の法則である「類をもって集まる」という原理のよって生じる人生であるとする。深く人生問題を研究しているとそのことが理解できるように思われる。詳しくは御著書を拝読頂きたい。

 『生命の實相』第一巻に「心の世界に於ける運命の形成」という章があるが、その原理から考えてみると世界のすべてのものが同類親和の法則によって動いているようである。だかからこそ、良き運命を引きよせるには、良き心を起こさなければならないのだろう。
 これは恋愛ということに限ったことではない。良き友人との出会いにしても、事故や良き出来事との遭遇にしても同様であると考えられるのだ。

 私の体験で恐縮だが、約3年ほど前に講習会の推進で行かせて頂いた時、小さな会合だったが、非常に信仰的な雰囲気の人がいた。地元の人にお聴きしてみるととてもまじめな良き信仰者であったようだ。その人が後に地方講師試験を受験されて、現在、地区の組織のお役についておられるという。あの時、お会いしていなければ、現在の地区の組織体制はなかっただろうと思った。「どこかに菩薩はいませんか?どこかに菩薩はいませんか?」というのが私の日々の祈りである。その祈りをおこなっていると、不思議と神様のお役を引き受けて下さる方々に巡り会うことができるようだ。もし、自分自身にその祈りがないならば、音叉の共鳴のように「菩薩心」を鳴り響かせてくださる信仰者には巡り会うことなかっただろうと、この御著書を拝読するたびに思うのであった。

【コーチング】
水泳コーチ平井さんの「仕事学のすすめ」があった。2011/05/11である。「第一回常識を疑え」というものだった。水泳選手の資質と努力のみならず、コーチングの必要性が感じる番組だ。とりわけ、自分の仕事の重要な要素の一つはこの仕事だろう。北島を見出したことや、新しいトレーニング法を次々と生み出したことや、覆い被さる自分へのプレッシャーに対して、自分の動機付けに工夫をしたことなど、参考になることがおおいようだ。

 北島選手がまだ中学生の頃、まったく突出している選手ではなかったが、その雰囲気、目の輝きなどで金メダルを目指すことを決意したという。人に会って、今は無名だがこの人の素質はきっと信仰的に生長して光明化運動に貢献されるだろうと確信できる人がいることを知っている。北島選手が中学二年生の時、精神力の強さ、本番の強さ、にらみつけるようにコーチングを受ける態度などで、目をつけたそうだ。金メダルはまさに選手とコーチとの合作のように思える。

 意欲を持ち続ける動機付けに関して平井さんは、「国民の期待」と思うことを止めた。そして、「自分たちこそ一番金メダルを取りたい」と思い続けたそうだ。逆にこの強い動機付けが国民の期待に応えることになる。平井さんは某スイミングスクールの社員でもある。信じて待つ。従って決してあきらめない。また、自分自身に対しても惜しみない投資をしているようだ。選手の練習後の心拍数をはかる機械を買ったり、さまざまな装置を自費で購入している。

 練習方法でもウェイトトレーニングはマイナスであるという前例を打ち破り、採用している。筋力をアップしない限り、自らも基礎体力を高めることは難しいのだろう。これなどは、私自身も、『生命の實相』を読み続けて信仰的な基礎体力の増加を図っている。それにより、総裁先生が次々の御教示される新たなみ教えの理解力増強に役立たせるようにしている。基礎力がないと、新時代を切り開くために新たに展開される御文章の読み込み力が不足してしまうように思う。勿論、神想観などの基本行は日々、欠かすことができないのは当然である。

  北京オリンピックの前に、外国の高地で練習していた。これは陸上のでの競技の選手が行う方法ではないだろうか。また、プールで泳ぐ時、手前からゴムで身体を引っ張ることによって、ものすごい勢いで泳ぐことができる。それによって、「速く泳ぐ」というイメージを脳に焼き付けていると説明していた。「ここまでやるのか!」というところだろう。 私たちにしても、教化部のホームページを作ったり、写メ俳を行ったり、ポスチングジョイにチャレンジしたり、フェイスブックで自分のコーナーを作ったり、日本文と英文でのブログを開設したりで、常に新しい伝道方法にチャレンジすることは、自分にとっても「菩薩であり続けるために必要な行動である」、と考えている。

 平井さんは言う。「金メダルを取ってから、自分のコーチングが守りに入ってしまうのではないかと思い、新しいことにチャレンジしている」と。新しいトレーニング法を編み出し、金メダルに届いた時は、確信が現実に変わった瞬間であるという。そして、トレーニングには合理的な根拠を常に追求していた。それは自他を納得させるのに必要だろう。
 しかし、「結果が出ても、決して守りに入らない」ことを念頭においているという。これなども私たちにとっては大いに参考になる言葉であると思う。

【安来先祖供養祭】
 今日は午前中は山手の地域での誌友会が行われた。午後は安来で先祖供養祭が行われた。その後、真理学習会で若手幹部さん達が少しずつ心境が高まっていることを確認した。夜は、松江でヤングミセスの出講講師の勉強会が行われた。とても充実した一日だった。

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中内 英生

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May.16.2011「四無量心を行じよう」

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May.16.2011「四無量心を行じよう」
今日の詩::夏始め 山の緑よ 勢いよ

  5月15日の益田地区の一日見真会では、浄心行の実修と、「四無量心」についての講話を担当させていただいた。講話は、『続真理の吟唱』(204頁)と『今こそ自然から学ぼう』を元にして組み立てた。『続真理の吟唱』の四無量心についての御文章の内容を一部ご紹介する。島根のブログ読者は、原文を拝読して下さい。
 「観無量寿経」には、「仏心とは四無量心是なり」と書かれているという。この四無量心を行ずることを私たちはお教えいただいている。しかも、このお経が書かれていた頃には環境問題はなかったのであろうが、現代は環境問題の比重が大きい。従って、自然界に対して正しく愛を行ずる。すなわち四無量心を行ずる事が要請されているのである。衆生の姿をご縁として己の心に出てくるところの仏の心である。四無量心を行ずる功徳は無量であると説かれている。四無量心は、慈悲喜捨である。

 慈とは、恵むことをいう。衆人の徳が乏しく、その結果「貧」「病気」などの苦難を背負っている姿を見て、恵みを施して苦悩をとってやりたいと思う仏心である。「悲」は、悲しむという字である。衆人が悲痛な災厄を受けて悲しみ嘆いている気の毒な状態を見て、共に悲しみ、その悲しみを脱却させて常楽の境地に住まわせてやりたいという仏心である。しかも、本当の慈悲とは、単なる物質的な救済である物施でなない。人間神の子の自覚に至らしめ、唯一絶対であり、善なる神を信仰するように誘導するのが本当の慈悲心でありましょう。そうでなければ、再び人生の苦難に巡り会うことになるからである。慈悲心を行ずる時には、注意深く行う必要があることになる。

 釈迦は、「飢饉の年には農家に行って托鉢せよ」という現代の援助とは逆のことを教えている。これは、その農家の所有地に飢饉が起こるということは、豊かに実っていた時に、仏に対する供養や貧しい人々へ恵むことをせず、私的享楽のために浪費したこと業が循環して、飢饉の状態を招きだしているということになる。貧しいお坊さんが托鉢に行って、さらに貧しい農家がどのように思うかである。その時、自分の貧しい食材の一部をお坊さんに施す時、「お前はよくぞ、施した」という自己賞賛の心が湧き起こる。その心を僧は与えるために托鉢に行くというのである。自己賞賛の心が喜びの「喜心」を起こさせ、さらに喜び事を呼び寄せることになる。「喜べば喜び事が喜んで喜び集めて喜びに来る」である。そうすると、次には豊かな農作物の収穫となるとするのである。
  またここでは、詳しくは書かないが『唯摩経解釈』に書かれているカショウとユイマキツとの問答を合わせて思い出していただきたいと思う。

 しかも、その手柄を自分のものと思わない。神から預かったものとして、公の必要に応じて惜しみなく散ずるのである。すべての富を持たない。「空を行ずる」とする。引っかかることなく、実相常楽の喜びを常に感じつつ、万物を放ち去り、自由自在を得る捨徳を
完成するというのである。
 大体このような内容の御文章である。そして、現代に於ける対象は、「人間」プラス「自然界」である。人間は本当は大自然を愛しているのであるが、現代の愛し方は大量生産、大量消費、大量廃棄となるところの執着の愛であると考えられる。それを激しく実行する度に自然界は破壊され続ける。生物種が絶滅する。その行為は決して仏の慈悲心というような愛の行動ではないだろう。「さらなるおいしさ」というポスターが食肉のお店に張り出されている。その背後には苦しみながら死んでいくほ乳類がいることを知らない訳がない。現代の肉食は、上記の慈悲心の立場から訴えると同時に、環境問題を引き起こして他の動植物を道連れにするシステムが構築されている問題点に目を向けなければならないだろう。

 進行する地球温暖化をくい止めることこそ、自然界に対する慈悲心の発露である。そのために私たち信仰者は背水の陣を布くのである。生活面に於いては、さまざまなエコ的工夫を行うと同時に、国際本部そのものを移転して、太陽光中心のエネルギーを使用し、かつ自然界と人間との大調和を行う。それは大きな宗教界において、人類史上初めての聖なる実験場となるだろうと思われる。キリストは、「人その友のためにいのちを捨つる。これより大なる愛はなし」と言ったが、信仰者が人間と同時に、友である自然界のために生命を、智慧を、愛をそそぐ、これより大なる愛はなし」という現代的な最大の愛の実践ではなかろうかと考えられる。

【超写実絵画】
 日曜美術館(2011/05/15)で、野田弘志さんという画家のことを放映していた。超写実というのだろうか。写真のようであって写真ではない。現在72歳の画家である。北海道に魅せられて移り住んだ。有珠山の麓である。朝は9時半から夜の12時までアトリエで絵を描く。食事以外はここにいる。決して手を抜かないという。犬塚勉さんも生きておられると同じような画風になっていたのだろうか。移住したのは15年前で、アトリエを建てた。自然の中であるので庭に山菜の「コゴミ」が沢山生えてくるらしい。アトリエは50畳の広さである。窓がない。明るさを一定に保つためである。写実でも野田さんの絵は、精神性があるという。これは宮尾とみ子さんの言葉だ。美術大学に行ったが、開校以来のデッサン力であるといわれた。色を塗らなくてもデッサンのすごさがある。魚を描いても鱗の数を数えて描く。鉛筆画はかえって魅力があることを野田画伯の絵を見て私は初めて知った。

 ある時、首が動かなくなったという。病院にかかった。すると、医者が言った。「この首の故障は、一日中首を動かさない人の首だ」と。それだけ集中するようだ。画家の作業は己のいのちを絵に注ぎ込む。ピカソにしてもカンバスの前で何時間も書き続ける。絵と対話しながらだろう。私たちは、生活や仕事の場に於いて、身体を使って健康を保持することは非常に大切である。

 彼は、人間の存在そのものを描きたいという。だから超精緻の筆使いである。しかし、正確に言えば写真に優る道具はないだろう。しかし「絵画」である。従って、超精密描写を通して己の精神性を描き込んでいるのかも知れない。彼は、「ものの存在」というもののすごさに常に感動している画家であるようだ。面白いのは、「絵を描いていて、何かひらめきがあるか」という質問に対して、「ひらめかない。ひらめきは必要ない」と言ったことである。モナリザの腕にしても有るはずの血管やシワは描いていない。しかし、人物画を描く時に、野田さんは、考えた末に血管やシワをも描く事にしたという。存在そのものを精緻に描くことによって、それ以上のものを感じ顕わそうとしているのかも知れない。

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May.15.2011「日常の喜びを素直に表現する」

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May.15.2011「日常の喜びを素直に表現する」
今日の詩::長雨の 後に晴れ間は 喜びの 讃歌満ちたり  山に花咲く

 谷口清超大聖師の御著書に、『人生学校はすばらしい』という聖典がある。日々の喜びをどのようにして表現するか、ということが私たちの大切な日常の行事であるが、そのことについて色々とお教えくださっている。しかし、表現する前に、私たちは、人間とは何か、人生とは何かということを考えるべきでありましょう。人間は神の子であり、「神は光源であり、人間は神より出でたる光なり」でありますので、その内在のひかりを、認めて人生に表現するので、喜びの人生とならざるをえないのではないでしょうか。

 その77~79頁には、「日時計主義とは何か」ということや、「日光を記録する生活」
についてお説きになっておられる。
『生命の實相』第7巻生活篇の御文章にある有名なお言葉がある。日時計主義とは、太陽の輝く時刻のみを記録する生き方である。英文では次のようになっている。
 I record none but hours of sunshine. 
声に出して読んでみるとどうなるのであろうか。日本語的な発音で申し訳ないが、こんな感じでしょうか。
 アイ リコード ナン バッツ アゥワズ オブ サンシャイン。

 それにしましても、太陽の輝く面だけを記録するとは何と素晴らしい生き方でしょうか。ここの御文章には、「真夜中主義」という初めてお聴きするような主義のご紹介がある。それは明るい太陽の輝く地球に住んでいて、夜ばかりを探して、飛行機を乗り継いで飛び回る ような生き方が真夜中主義であるという。そのような生き方を脱却するのだ。当然のことながら真夜中主義から、日時計主義に方向転換するのである。これは明るい太陽が輝く場所だけを探して、飛行機を乗り継いで飛び回るような生き方ということになろう。明るいことだけを探し出して日時計日記に書き、または神性表現として絵手紙や絵封筒を描く。とても素敵な生き方ではないだろうか。私は絵手紙を描き始めて、とても心に余裕が出てきたように思う。

 では、実践項目はどうであろうか。信仰は実践することが何よりも大切である。
①日時計日記(2種類)の活用をすすめる。毎日記載版と自由版がある。私は今年は自由版を書いている。
②誌友会としては技能と芸術的感覚の誌友会を年に2回以上行うようにしたいものである。
③三正行の実践をする。これは神想観、聖典等の拝読、愛他行(法施・物施)を弛み無く実践することである。生活の中に溶け込ませることが必要で、如何にも実践したという気持ちの時には、まだ自分のものになっていないのかも知れない。
④挺身、致心、献資の功徳を実践する。「挺身」であるが、島根教区には白鳩会、相愛会、青年会という組織があるので、ぜひご入会して皆様とご一緒に、活動すると、大変楽しい日常生活になると思われる。「致心」は、どなたにお会いしても、祝福の念を与えるのである。この生活に入ると自然と笑顔になる。「献資」は例えば聖使命会員のご入会である。人類光明化運動、国際平和信仰運動という神様の運動に御献資するのである。自分の蓄えの一部が人と自然を救うために使われることにより、浄財となるのである。
 聖使命会は、護持会員、什一会員、特志会員や増口という方法もある。繁栄したい人は、聖使命会員入会を勧めて、「与えよさらば与えられん」の実践を行い、大いに栄えて頂くとよいと思う。

 そのような生活をすることによって、必ず、運がよくなるのだ。日時計主義 the sundial principle の根本は、「神の子・無限力」であることを忘れてはならない。「人間の実相が死なない。生き通しである。無限力がある」ということから日時計主義は出発するのである。単に明るく暮らす。いやなことは忘れる、という意味だけではないと説かれている。当然の事ながら、これが分かると自然と、明るくなる。自他の欠点にとらわれなくなるというのである。
 島根の皆様、上記の聖典をぜひお読み下さい。

【優秀な人材の口説き方】
 NHKのテレビ番組「仕事学のすすめ」(2010/10/14)では南場智子さんという若い女性が社長さんであった。「第二回  優秀な人材の口説き方」という番組である。「企業は人が決める」というのが信念であるそうだ。『社長失格』という本に感動したという。この方は人材をスカウトするときに感動的な言葉を使う。『あなたは必要とされている』という言葉である。これは私たちの世界でも大いに通用するのではないだろうか。人は自分を必要としていない所には身を置きたいとは思わないだろう。自分を必要としてくれているからこそ、生き甲斐がでてくると思われる。
 南場さんにとっては、すべての人が『人材に見える』のだという。これほど、人を必要と思える社長のもとで働く社員の方々は幸福であると思う。私たちもそのようなリーダーになることを目指したい。
 また、人の判断は20秒でできる、という。これも驚いた。かなり多くの人々と面会していないと分からないのではなかろうか。かつてある心理学の番組で、素直な人が人物を見抜く力が開けやすいか、慎重な人が人物の観察眼が開けやすいかについて語っていた。それは、素直な人は、一度はだまされるかも知れないが、多くを受け入れるので人を見る目が開けるのだそうだ。そう考えてみると、難波さんという社長さんは、とても素直な人のように思える。映像を見ていると、自由自在なものの考え方ができる人のようだった。

【益田一日見真会】
 今日(15日)は一日見真会が益田で行われた。見真会では宗教行が行われる。従って、「浄心行」が行われた。出雲の教化部会館では毎月のように浄心行が行われるが、それが益田市でも行われるということは何と素晴らしいことであろうか。益田市民の中で、今日の参加者は生長の家の大神様の霊的波動の浄めを受けたことになり、誠にも素晴らしいことである。

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May.14.2011「天地の恩」

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May.14.2011「天地の恩」
今日の詩::暗くとも 気にも止めぬは 四無量心 脱炭素化で 愛を行ずる

 谷口雅春大聖師の御著書に、『新版 生活の智慧365章』という聖典がある。その5~7頁には、天地のご恩に感謝することが書かれている。
 私たちは、大自然・衆生の恩に対して鈍感であったのを反省して感謝の生活に切り替える必要がある。人間は、病気になった時に、初めてその器官があることを発見する。そして、生長の家の信仰を持っている人であるならば、今まで感謝せずに使わせていただいていたことを反省して、感謝の生活に変えるのであろう。
 しかし、気がつかないと、「無い」のと同じである。だから心を敏感にして感謝することを心懸けなければならない。「日時計日記」を付けるのも、感謝すべき事を忘れがちなのを思い出させていただくのに最高の行法であると思う。

 もし、ポケットの中に百万円の小切手があっても気がつかないのならば、無いのと同じであるということになる。従って、私たちは気がつくことが必要だ。すなわち、人間は神の子であり、無限力の持ち主であり、永遠の生命であり、完全円満であることを「自覚する」ということである。「生命の実相の自性円満を自覚すれば大生命の癒力が働いてメタフィジカルヒーリングとなります」と『生命の實相』の総説篇の冒頭には書かれている。
 「有る」のにそれに気がつかないのは、盲人と同じであるということである。気がつくと次の段階で「使おう」という意欲が湧いてくる。これが無限力発揮のポイントである。そして、それらすべての恩恵を認めた時、私たちはその所有者となるのである。他人の中にあると思うと「それを使おう」という気持ちになることは難しい。しかし、それが自分の中にあると自覚するとそれを使用したいと思うようになるものです。

 基本的神想観に於きまして、最初は周囲の実相世界の素晴らしさを、「神の無限の智慧の海、神の無限の愛の海、神の無限の生命の海、神の無限の供給の海、神の無限の喜びの海、神の無限の調和の海」と観じます。その次に呼吸法を活用して、息を吸い込む時に、外部にあった神の無限性が自分の中に流れ入り、自分そのものになるという観法を行います。それによりまして、神の無限の智慧・愛・生命・供給・喜び・調和が自分の中にある、実在する、と自覚することができるのです。これが神想観に於ける工夫であります。

 また、私たちは、心が自由になる必要があります。最も良くないことは、心が引っかかることです。善にも悪にも引っかからない自由自在の心境が、神通自在の行動を生み出して参ります。
 また、様々な信仰的な工夫によりまして、過去の不快な出来事、憎しみ、悲しみ、恥辱、嫌悪、一切の心の傷などから自由になることができます。自力的な我の努力は一部の力しか発揮できません。しかし、神様に心が完全に振り向きますと、一切の闇が消滅するのです。神は光であるからです。その信仰的工夫とは何でしょうか。それはお教えいただいております「神想観・聖典等の読誦・愛行」の三正行です。そして、常時、心を明るくするには、「日時計日記」の記載などを行うとよいのではないでしょうか。人に会うたび毎に自他の明るい点をのみを認めて讃嘆することなど、習慣化するとそれは神様のみ光を自分の心に点ずることになるのです。「言うは易し。行うは難たし」ですので、まず、実践致しましょう。知行合一の精神です。

 また、神様は霊的存在であり、言葉によって霊的世界、実相世界をお創りになりました。従って、私たちのイメージとしては、「その世界をこの世に持ち来す」という感じなのです。それにはどうすればよいのでしょうか。それは、神様の霊的波動に自分の心の波長を合わすことが何よりも大切でありましょう。神の霊波は実相世界に既にあるのです。その霊的波動に、私たちは心の波長を合わせる時、テレビ画面に放送局から送ってくる映像が映るように、現象的な「オカゲ」の姿が現れるのです。いわゆる功徳といわれるものです。しかし、オカゲを求めて信心するとなりますと、それは利己主義的行動となりますので、神様の世界の波長と合わなくなり、逆に神様の世界の「お影」出てこなくなるのです。オカゲとはよく言ったものです。反対に、ただ与えるという太陽のような、お陰を望めない心になった時に本当に善きオカゲが得られるとお教えいただいております。

【旭山動物園】
 NHKの「仕事学のすすめ」(2011/05/11)では、小菅正夫さんのことを放映していた。廃園の危機に遭遇していた時に、園長になったようだ。この日のテーマは、「第一回 マネジメントは動物園に学べ。変革をチームに浸透せよ」というものだった。小菅さんは、動物の飼育をしていたが、お客さんがどれだけ来るということには無関心だった。しかし、オイルショック後に客が減ってきた。初めて、「客のいない動物園はない」ということに気がついた。そこで、全員で危機意識を持つようにしたという。客数の意識は実に大切です。意識しない限り増加することはありません。

 私は、この番組で動物たちの「行動展示」という言葉を初めて聞いた。動物の動きで動物の魅力を展示するという方法である。映像に映し出されたものは実に面白い、と思った。小菅さんは、アイデアを仲間と出し合う時に、絵を描くことによって、イメージを再認識したという。そしてみんなで楽しくアイデアを出し合えたと言っている。勿論予算はない。市営なので、アイデアがまとまったら市に要求した。考えてみると、小菅さんは普通の公務員だったのに、どうしてここまで自己変革ができたのだろうか。それは、「人間は思いのままに変革することができる」、という証明である。小菅さんは、ニトリの社長さんのように北海道の方であるので、どこか広々とした大自然界を思わせる魅力的な雰囲気があるように思われた。現在、旭山動物園は成功事例として繁栄を続けているという。

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May.13.2011「地球生物から感謝される」

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May.13.2011「地球生物から感謝される」 
今日の詩::神想観 四無量心を 日々祈る 新たな文明 開く扉ぞ

 谷口清超大聖師の御著書に、『生きることの喜び』という聖典がある。その43~46頁には、「因果応報」という小見出しがある。これは外見ではなかなか判断できないことがあるが、必ず積もった業は表面に現れてくると云う内容の御教示である。業には善業も悪業もある。ここには、「人間のお陰で、私たちはこんなに幸せで長生きができる」と全世界の地球生物から感謝されるようにならなければならない」、と書かれている。虫に感謝して大切にしていると、虫の恩返しがあるかもしれない。恩返しというよりも、虫が己を害することが無くなるということでありましょう。蚊が家にいると殺虫剤をすぐ使う人もいるが、蚊は夕方に家に入ってくることが多いので、網戸を閉めて、できるだけ侵入を未然に防いで、殺生しなくても良い状態をまず、作ることが必要であろう。今日はまだ、五月だが、夏になり朝、庭にでてみるととミミズが何匹もお亡くなりになっている。暑くて土から出てくるようだ。このミミズも出てこなくても良いようにしてあげたいがどうすればよいのだろうか。今年の夏の公案である。現在、パソコンは教化部で使用する限り、脱炭素を実現している。要するに地球温暖化への悪影響をやや防いでいる。しかし、家に帰ってからはそうではない。これも工夫してなんとか、炭素ゼロのパソコンとしたいと考えている。
 
 私が住んでいたK市では、生肉のユッケを食べた人が亡くなられたといううことでマスコミが報道している。肉食にしても動物の肉であるので殺生をすることになる。宮崎県の牛の口蹄疫のために多数の牛やブタが処分されたが、これらことも因果応報から考えてみると、善業を積んだといえるものではない。殺生の業は自分及び宇宙の潜在意識の中に蓄積されていくのではないだろうか。かつて朝日新聞に、ブタの処分を担当した獣医師の人のコメントが出ていたが、殺処分する時に、己の感情が耐えきれないという。自分の良心にはかなり重荷になることを、行っていると考えられる。逆に、あらゆる動物や植物を傷つけないという生活をしたいものである。潜在意識の中味は目に見えない。それは長期にわたって蓄積されるものなのであろう。そして、ある日突然、または徐々に現象化する。だから、現時点での現象的姿だけでは判断できないので、常に日時計主義を生きつつ、悪を為さずに善を行う生活が必要でありましょう。「諸悪莫作・衆善奉行」である。この法則は「善因善果」の神の法則であるから、その絶対性を信じることが神の愛を信ずることにつながるのであろうと考えられる。「現象は無いが法則はある」ということになる。神様がお作りになった法則性である。そのことを考えると、私たちの家庭の調和や繁栄も、国や世界の人口増加や繁栄や大調和も、善業さえ積んでおけば必ず、最も良い時に現象化すると考えられるのである。誠にありがたいことではなかろうか。地味ではあるが、まずは自分から、家庭から、出雲から、島根から、足元から始めたいと思う。

【正断層】
 NHK番組「サイエンスゼロ」(2011/05/14)では、東日本大震災の物理的変化について説明していた。東北ではじめて正断層という断層ができたという。正断層という言葉を初めて耳にした。地震は古来からの自然現象であり、決して神罰などではない、とお教え頂いていたが、そのことがよく理解できた。フィリピン海プレートとか、太平洋プレートとか北アメリカプレートとか、日本とどのように関係があるのか、なぜこんな名前なのかが大体わかった。日本列島はそれらのプレートの境界線の上にあるらしい。地震が起こるのは当然である。そして何故プレートが動くかというと、プレートの下にあるマグマが流動体であるので動いているということらしい。また、何故、誘発地震が起こるかということも説明していた。それは地面の下でつながっているということのようである。日本に古来から住んでいた人々は常に、地震と津波への備えをしてきたようだ。しかし、最近は、科学技術の進歩により、それらの自然現象も科学と人間の力で押さえ込むことができるだろうとの錯覚を起こしていたのかも知れない。

 今日は一日見真会が行われたが、大変喜ばれた。感想発表をお聴きしていると、Eさんといわれる白鳩会の幹部さんは、「四無量心を行ずる神想観を初めてお聴きした時、あまりピンと来なかった。しかし東日本大震災に於いて、総裁先生からのさまざまな御教示をお聴きしている内に、この神想観こそ自分にもっとも相応しい神想観であることが分かり、毎日祈りを深めている」と語っておられた。生長の家は総裁先生によって、その時代に応じた最も相応しい新たに説かれる真理がある。「人間は神の子である」という根本のみ教えから発して、その時代に応じた新たに説かれる真理である。私たちは最も新しくお説きになられる真理を日々、ブログを通して拝受することができる。それは、生長の家大神様の御心を知ることができるということである。誠にもありがたい時代に突入したと感謝申し上げる次第であります。

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May.12.2011「法界無限の供給」

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May.12.2011「法界無限の供給」
今日の詩::鴨の群れ 田んぼに降りて 餌をついばむ
(なんと、家のつづきの田んぼが連日の雨で水が溢れたので、妻の話によると、鴨が池と間違って降り立っていたようです。島根県ならではの光景です。ぜひ待ち構えて動画を撮りたいです。)

 「法界無限の供給」という言葉がある。『生命の實相』頭注版第1巻の「はしがき」8頁には、生命の創化力が完全に発現すれば、健康となり、平和となり、豊富な供給となり、個人及び家庭社会等の生長となる。しかし、生命の創化力が完全に発現しない時に、病気、窮乏、その他あらゆる人生苦となる、とある。従って、私たちは、生命の創化力を発現させることだけを考えればよいのである。何が生命の創化力を発現させるかというと、自分を無限力ある仏性、神我、霊または生命であると自覚せずに、自分を物または肉体とみる妄念であるという。転倒道妄想とはマイナス的想念波動である。従って、生命の創化力を妨げることになる。転倒妄想を去る時、この妨げは除かれる。従って生命の創化力はおのずから発現して病気は消滅するし、法界無限の供給は、その人の必要に従って、流れ入る。あらゆる人生苦は消滅する、と御教示されている。

 『生命の實相』第一巻のはしがきやそれに続く総説篇には、教義の根本が説かれている。私は根本的教義を充分に理解するように、島根の信徒さんにはお勧めしている。教義の根本が理解出来ないと、現在、新たに展開されつつある教義への理解が弱くなると考えられるからである。基礎力が付くと、当然のことながら応用力が付いてくる。地方講師のを受験する人には、最低でも『生命の實相』全40巻の拝読をお勧めしている。そうすることによって、現在の運動への理解がより深まると考えられるからである。今年3月に地方講師受験があったが、昨年度から読み始めて、5人ほど全読した人がおられた。それは生長の家で説かれる真理の共有化である。神の国の情報を共有化すると、生長の家の運動がより進展すると考えられる。

【人作りには時間がかかる】
 これは確かにそうである。世界一の洋菓子職人であるパテシエの辻口博啓さんが「仕事学のすすめ」(2011/02/24)で言っていた言葉だ。この日は、「第四回 こうして人材は育てろ」という副題だった。コミュニケーション能力をつけることも大切にしているようだ。ミーチングの時に、声が小さいと、「大きな声ではっきり発言するように」と、辻口さんから注意されていた。
 新入の若者は、朝五時半に出勤している。これは徒弟制度のようにも見える修行の方法なのだろう。私も20歳代から朝は五時前に起こされて、早朝行事を行ってきた。その後、感謝行という掃除だった。辻口さんは、掃除の仕方も、「見えないところもきれいにする」という方針で掃除をさせているという。おそらく、洋菓子を切った時、思わぬ美しさがでてくるのも、見えないところまで思いを込めるという方法なのだろう。 
 次に接客に力を入れていた。カウンターでの接客がお客様との接点である。接客によって売り上げが変わるというのも本当だろう。
 単に洋菓子つくりが上手になるということだけではない。人間としての成長が必要であるとしている。これも本当だろう。人格者が作った洋菓子と、普通の職人さんとでは、味が違うかもしれない。人格の雰囲気によって微妙に味に影響を与えるかも知れない。
 ものつくりは人作りであると昔から言われてきたことだが、私たちも菩薩として、日々、進化し続けなければならないだろう。同じ、「人間神の子」の真理を説いても、説く講師によって随分と受け止め方が違ってくる。同じ個人指導をしてもやはり違ってくる。そのためには、不断の信仰深化の努力が欠かせない。
 辻口さんは現在、12店舗を経営しているようだ。人を作り、各人の精神性を高めていく。辻口さんにとっては、ご自分の分身を各店舗に配置しているようなものであろうと考えられる。石川県七尾のご出身である。和菓子店はどこにあったかは知らないが、私は七尾に何度も足を運んだ記憶があるので、辻口さんの生家の前を通ったことがあるのかも知れない。なんだか親しみを感ずるのは、対称性の原理によるのだろうか。
  人作りで末永く発展をさせる。これは実に大切なことだ。人材の活用法で、「人財」と考えることもある。また少数精鋭主義という考え方もあるが、みんなで優秀な人材に育つことができれば、ニトリの似鳥昭雄さんが言うように、「多数精鋭主義」となることもできる。日本はどちらかというと、寺子屋の時代から読み書きソロバンに力を入れて、高札を誰でも読むことができた。従って多数精鋭主義であったと考えられる。「活字や伝達技術の発達により、情報が共有化される。それが新たな変革を生む」ということは、ジェレミー・リフキンの唱える説である。

【客の目線で考える】
 「仕事学のすすめ」(2011/05/04)では、第一回目の亀田信介院長さんの取材があった。例によって勝間さんがインタビューしていた。「こんな人もいるのだなあ」、と驚く。亀田総合病院は、千葉県にあるようだ。患者の目線で考えることをモットウとしているようだ。敢えてマニュアルを作らない。そして、胸には、「always say yes」と書いている。マニュアルを作ると、書かれていないことは職員は行わない。マニュアルに書かれていないことを、患者さんは求めていることが多いからだ。
 この病院は、あえて「できることならば何でもやってあげますよ」という方針で、経営しているので、繁盛しているようだ。現場目線で考えるために、亀田院長さんはあえて、ご自分でも診療する。医者が、診療をやめて、患者の気持ちがわからなくなったらおしまいである、という考えらしい。病室はすべて個室で、一日、12600円であるという。ITの端末が取り付けられており、コンビニへも注文できる。

 亀田院長は言う。「医療は、最悪の状況を考えて対処せよ、と教えられ、その考え方の癖がついている」と。従って、「それは無理です。それはできません」となる。医療を、「サービス業」として捉え、しかも生命を扱うので、「究極のサービス業」として考えているようだ。あまり感情を表情に表さないタイプの人のようだが、考え方と行動と、生き方がすごい人物であると思った。

【芸術は無償、無条件】
 私は時間があると時々、神性表現をしている。神性表現、すなわち、絵手紙である。岡本太郎画伯が、「芸術は無償・無条件なんだ」と言った意味は深いと思う。絵を描いている時、「確かに脳の働きが違う」と言われるが、私もそれを感じる。だから絵手紙を描いている時は、違った世界に入っているようにも思う。島根の皆様、大いに描いてみましょう。

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中内 英生

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May.11.2010「雷の真実」

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May.11.2010「雷の真実」
今日の詩::カミナリの 落ちる光や 春嵐
(昨夜からすごい、雨と雷でした。)

 最近には、五感認識と実際との違いをこれほど解らされたものはない。「驚異の自然現象」として、NHKで「カミナリ」について報道されていた。カミナリが日本で一番多いのは、私が住んでいた金沢だそうな。お城にカミナリが落ちて、燃えた。それで最後には、大きなお城は作っていない。

 世界的に言うと、オーストラリアのダーウィンであるという。カミナリが落ちるのを楽しんでいるような感じの人たちもいた。この番組の副題は「見えないカミナリを追え!」であるので、肉眼では見えないものがあるということになる。肉眼では見えないが、測定装置には記録されるのである。なにしろ、肉眼が認識する電磁波の波長は、かなり限定的だ。従って、他にも沢山あるのだが、それを全部認識していたのでは、逆に情報過多に陥って身動きが取れないことになるだろう。
 何万年も昔から自然界のカミナリに感謝するお祭を続けているアボリジニの祭や踊りの様子も映写されていた。カミナリが不幸を持ち来す悪魔であるなどと考えずに、畏敬の念をもって感謝するという思いであるという。カミナリが自分たちを守ってくれるという意識らしい。

 アボリジニは、一説によると、アフリカから出発した、ホモサピエンスがオーストラリアに到達した一群だと言われる。ヨーロッパに移動した人々は、代々、メラニン色素を減少させつつ、自分のカラダを変化させて現在のヨーロッパ人種となった。日光を取り込みやすい性質に変化させたのだ。その白人が、メラニン色素を減少させたままオーストラリアに移動してきた。光が体内に入りすぎる構造である。アボリジニはメラニン色素によって太陽光からでる紫外線やさまざまな有害な光線から身体を防御することができた。同じ祖先を持つ人々が遭遇したのが、大航海時代であるという。オーストラリアの人々に皮膚癌が多い原因は有害な磁力線が原因の一つであるという。おそらくオゾンホールの出現で昔以上の環境になっているのかも知れない。

 カミナリが鳴る時に、「くわばら、くわばら」と昔の人が唱えていたのは、菅原道真の領地が京都の桑原にあり、讒言により左遷された道真公の怨みにより、カミナリが自分に落ちないようにと、道真公の領地の名前を唱えたのだという。道真公を追いやった藤原氏は、別の面からいうと漢文派とひらがな派との戦いであったとNHKの歴史番組は語っていた。当時の藤原氏はひらがな派だったようだ。その結果、われわれもひらがなを使うようになり、美しい日本語が誕生したという。

 カミナリ親父の異名をとる河崎教授がNHKのハイスピードカメラで見えないカミナリの撮影に挑んだ。二万分の一秒の世界である。目に見えない光、すなわちステップトリーダという。これは、雷雲が発生して、約10キロメートル四方に何本も落ちるのである。一瞬であるが、0,05で落ちる。落ちるステップトリーダのうち、一番早く地上に到達した線を伝わって、地上から雷雲に向かって登り上がるのが、私たちが肉眼で見るところのカミナリであるようだ。カミナリが落ちるというが、本当は登っていたことが解る。カミナリが落ちる前に、自分のカラダの毛が逆立つ経験をした人のインタビューがあった。それはステップトリーダが落ちている状態だから、自分に落ちる危険性があると言うことだった。

 見えるという五感認識と真実の違いである。その他、エリンギというキノコはカミナリが落ちた後によく繁殖するという。それで九州大学で高電圧をかけて、エリンギを増殖する実験を行っていた。
 この方式で、松茸などが沢山栽培できるようになるといいんですがね。松茸の香りと味がでる粉末があるそうな。それと、椎茸かなにかをご飯に入れると、疑似松茸ご飯ができると説明していたのを読んだことがある。そこまでして食べようとは思いませんが…。

【人間力養成術】
 「仕事学のすすめ」(2010/12/16)では、丹羽宇一郎さんの伊藤忠商事時代のことが放映されていた。同社でV字回復を遂げた人である。一人の力は現界があるが、集団と成るとものすごい威力を発揮する。一つの集団を動かすのに、どのようにトップは行動すべきかの実例を示していた。トップが変わると集団は変わる。従って、トップは常に進化を続けて行かなくてはいけないのだろう。

 倒産するかも知れない、という状態で社長を引き受けた丹羽氏は、インターネットを通じて社員に呼びかけている。これは、現在の生長の家で行っている方式と同じものを感じる。島根では、月一回の機関紙『大和島根』が発行されるが、とてもそれだけでは言い尽くすことはできない。生長の家の全体の動きをお伝えすることは難しい。そこで私もブログを立ち上げて、毎日書き続けている。毎日見て下さっている人はほんの数%であっても、まったく無いよりかはずっと善いと思う。それが次第に教区全体を動かしていく。

 丹羽さんは、改革には痛みを伴うこと。改革しないと他社に負けて退却せざるを得なくなることなどを訴えかけた。「しょぼしょぼするな」「伊藤忠は養老院か?」「今、我々は戦場にいる」などと、社員4000人に向かって言い続けたという。全社員集会や学習塾的なものも行っている。それでV字回復となった。アメリカの心理学者の説を紹介していた。如何にして相手を動かすかである。演説は原稿無しで行う。ルックスが50%、気概と情熱が40%、中味は10%でよい、と。
 地味な信仰の世界とは少し違う面もあろうが、事業を行っている栄える会の皆様には大いに参考になると思われる。
   
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May.10.2011「達成感の喜び」

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May.10.2011「達成感の喜び」
今日の詩::帰り路に 雨は浄める 春の刻 

 今回の隠岐の島の出張で、「目標に対する達成感の喜び」についてお互いに語りあった時間があった。或る人は、何かを達成して喜びを感じることは素晴らしいという考えだった。私の考えは少し違っていた。達成感は達成して初めて感じる喜びである。もし常に達成し得なかったならば、どうであろうか。永遠に喜びを感じなくなることもあるのではなかろうか。現象的な達成の喜びを追い求めているといつの間には達成するために何かを犠牲にすることはないだろうか。そういう考えを申し上げた。
 それは達成しなくてもよいというのではなく、達成の瞬間だけに喜びを見出してはならないという意味だ。達成する過程に於いて、神の御心を表現することに喜びを見出すという生き方である。どんな時にも喜びを見出し、明るいものを見出すという日時計主義を行じる生き方である。この生き方をする限り、不滅の喜びが持続できる。信仰生活とはそんな永遠性のある喜びの生活ではなかろうかと、思うのである。
 もし、マイナスのように見える現象が現れようとも、その奥に仏の慈悲、観世音菩薩の説法を聴き取り、感謝する生き方でもあろうと考えられる。

 『生命の實相』頭注版第1巻9頁の15行目には次のように説かれている。
『われわれは生くるも死するも結局は生命はほろびないで「無限生長の道」に乗せていただいていますので、各人ひとりひとりの「生命」の生長に最もよいときに、それぞれふさわしい苦しみも、悲しみも、病気も、肉体の死も、生命創化の法則によってやって来るのでありますから、たとい苦しみが起こって来ましても、悲しみがやって来ましても病気になりましても、肉体が死んで腐ってしまいましても、この肉体にやどっている「生命」は滅んでしまわないで、個々の人格の特性(個性)をそなえたまま、わたしはわたしとして、皆さんは皆さんとして、やはり「無限生長の道」をあゆんで行くことができるのであります。このことが信ぜられればもうどんな苦しみも悲しみも自己の無限生長の資料としていただいた皆ありがたい修行であると合掌して受け取らせていただき、感謝感謝で暮らすことができるようになるのであります。』

 私はこの御文章を拝読する度に、自分の信仰において、何を目的としているかを常に自己を振り返って顧みるようにさせていただいている。私たちの信仰の目的は物質的に快適な生活ができるようになることではなく、魂の向上であり、神の愛を行じることであり、感謝の生活をすることであろうと思われる。
 従って本当の成功とは、現象的に成功することや勝負に勝つことではなく、自分の魂が成長することであり、これができれば常に人生の勝利者である筈である。
今日はここまでとさせていたきます。

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May.09.2011「堅固法身、膿滴々地」

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May.09.2011「堅固法身、膿滴々地」
今日の詩::雨に濡れ 隠岐シャクナゲの やさしさよ
(隠岐の島文化会館の中庭には隠岐の島の固有種の隠岐シャクナゲが咲いている。今日は雨が降っている関係か、花がすべて下を向いている。)

 『新版 叡智の断片』186頁には、シン禅師について書かれている。生長の家では有名な公案である。ご紹介する。
 唐末五代の禅僧である玄沙のシン禅師について大慧が書いているという。ウィキペディアによると、シン禅師は、「この世界は全て悟りその物であるという考え方をする。”尽十方世界は一顆の明珠”という思想を成し遂げたという。その豪快な禅風は、多くの弟子を教化したとしている。理解しにくいところもあるであろうが、み教えに於いては、”物質の奥に肉体の奥に霊妙きわまりなく完全なる存在あり、これこそ神に創られたるままの完全円満なる実相身”が実在すると説くのである。物質そのままではなく、実相そのままである。念のレンズの曇りなき実相からの反映としての真象を現象的顕現の中に見出して、日時計主義によって、それを賛美し、讃嘆し、感謝するのである。現象には真象と偽象とがある。偽象は、念のレンズが曇り、実相的光が現れていない部分があるのでそのような現れ方をしていると考えられるのである。従って、実相と現象を峻別するのがみ教えの特徴であると教えられている。

 玄沙のシン和尚が、過って薬を服した時に、身体が紅く爛れたという。僧が質問した。どこに堅固法身があるのですか?あなたはいつも人間は金剛不壊の砕けない真理の身体である、と言っていますが、あなたの姿には、堅固法身を見ることはできません、と。
 玄沙和尚が答えました。この身このままに、身体から膿が滴々として落ちているそのままに堅固なる真理の体である、と。
 玄沙が間違って薬の服用した時、心の影であるという真理から考えると、何らかの誤用をなさしめる念波が存在したとも言える。しかし、玄沙はその心も心の影である現象身をも観ていないのである。『続々 甘露の法雨』61頁には、次のように説かれている。

『この病気はこの心の迷いの影などと迷いをいちいち詮索することなかれ。迷い本来無ければ迷いの影も本来無し。この病気は何の罪の結果ならんかと罪の種類をいちいち詮索することなかれ。罪本来無ければ、罪の種類も本来存在せざるなり。汝ら存在せざるものを追うことなかれ。…』
 
 続いて187頁の2行目には説かれている。
『某僧あり、問うて曰く、「大和国過って戦争を始め、敗戦して大小都市悉く廃墟と化す。如何なるかこれ大和国」と。或る人答えて曰く、「却下そのまま是れ大和国」と。わかったような、解らぬような。』と。
 この論法で考えて参りますと、『東日本の沿岸部、想定外津波にて廃墟と化す。如何なるか、これ大和国』という質問になる。或る人答えて曰く、「却下そのまま是れ大和国」と。死しても死なない生命が生きている。破壊されても破壊されていない豊かなる日本国がある。その日本国を、日本人を見つめて讃嘆し礼拝していく時、必ずやもっと強い日本が蘇り、もっと自由自在神通自在に世界に貢献できる日本人が誕生するのでありましょう。

【心を整える】
これは、長谷部誠さんというサッカーの日本代表の方の本である。著者の印税は全額、ユニセフを通じて「東日本大震災」支援のために寄付をする旨が書かれている。朝日新聞(2011/05/09)の広告欄に書かれていた。項目は1~56ある。どれも素晴らしい言葉であるが、いくつか心の残りそうなものをご紹介させていただきたいと思う。
①整理整頓は心の掃除に通じる。…机の上を整理していく内に、新しいアイデアが湧いてくるのは不思議である。
②マイナス発言は、自分を後退させる。…言葉の創化力のマイナス的使用法である。
③孤独に浸かる。ひとり温泉のすすめ…自分を見直す時間を持つと言うことだろうか。私ならば、聖典等の拝読を徹底させたい。
④真のプロフェッショナルに触れる。…ミラーニューロンの関係で、同じ体験を脳内に、心の中で体験できることになるのではないだろうか。
⑤がんばっている人の姿を目に焼き付ける。…これもまたミラーニューロンであろう。
⑥情報管理を怠らない。…情報の入手は実に大切である。しかもそれを管理して活用できる能力を持つことはなおさら必要である。
⑦感謝は自分の成長につながる。…感謝は自分を成長させる。確かにそうである。「感謝は実に絶大なる力である。単に受け身のものではなく、積極的な創造力である」と教えられている。

 大体こんなものだろうか。一流と言われた人々の考え方・生き方は大いに教えられるものがあるのではないだろうか。

【全復興住宅に太陽光パネルを】
 これは、朝日新聞(2011/05/02)に掲載されていた記事だが、宮城県が各界の有識者らを集めて5月2日に初会議を開く「震災復興会議」は、被災者が将来入る公団の復興住宅や自ら建てる住宅などの全戸に、太陽光パネルを設ける構想を打ち出すとのことだ。すごい、と思いませんか。設置費用の融資を国に求めるとのことである。太陽光発電で余った電力を電力会社が買い取る制度を使って返す仕組みである。
 現在、私ども職員が昼間に使っているパソコンはほぼすべて太陽光発電エネルギーでまかなっている。やはり太陽光は善い。家に帰ってからと出張の時にどうするかは現在検討中である。太陽光エネルギーを蓄電池で貯めて持参して使うかどうかである。パソコンのバッテリーでの駆動時間は最長8時間ほどだろうか。私のパソコンは一時間ほどで切れてしまうが、長持ちさせるにはどうすればよいのであろうか。色々と研究をしたいと考えている。

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May.08.2011「一切の現象展開して万物成る」

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May.08.2011「一切の現象展開して万物成る」
今日の詩::大雨で 島の緑は さらに映え

 『生命の實相』携帯版第21巻23頁には、『甘露の法雨』の「神」の項目にある聖句について御教示されております。
『…ここに”一切の現象展開して万物成る”という”一切の現象”とは、実相界の万づのものという意味であります。…』
 この御文章は実に重要です。神様が創られた世界は、現在も完全円満であるのです。如何に東日本大震災がありましょうとも、そこに困難があるようにみえましょうとも、神様は困難を作り給いません。そこには、実相があり、神様がお作りになった完全円満な世界があり、希望があるのみであります。現象的にはお亡くなりになった方々がおられましょうとも、人間は神の子であり、久遠生き通しの生命でありますから、今も尚生きておられるのであります。
 そのことを信じて、行じて参りますれば、必ずや完全円満なる実相世界が現れるに違いありません。

 同巻の30頁4行目には、「光明無量」という言葉が書かれています。これは、聖書の創世記の冒頭に、「神光あれと言いたまいければ光ありき」と言う聖句の意味は、「無始の始めに神動けばただちにそれは光となることをあらわしている」と書かれています。神様は光ですので、動けば必ず光となる。神様は、全てのすべてであるから、必ず光明一元の世界であると書かれています。
 「実相を観ずる歌」という聖歌があります。その中に、「神は全てのすべて」とありますように、この言葉を念ずるだけで実相世界と波長を合わせることができると教えられております。聖歌で思い出しましたが、私の知人で、二科会の絵描きさんがおられましたが、その奥様が総本山の団体参拝練成会で皆さんとご一緒に聖歌を歌っていた時のことです。
本人は近眼だったようですが、眼鏡はかけておられませんでした。歌っている時、自分の眼界がスウーとハッキリ見えてきたそうです。それ以来、近眼がなおったとのことです。この体験談は、ご本人からお聴きしました。素直な性質の奥様でしたので、歌詞の意味の中に深く入って行かれたようです。
 この章には故吉田國太郎元本部講師の体験談が掲載されています。吉田氏は結核を患っておられたそうですが、なかなか良くならなかったのです。それで「病気あり」との迷いを打破するために、『生命の實相』を繰り返し拝読しておられました。すると、「迷いというものは何も無いのだ。それはからっぽである」ということがわかったのです。迷いという実在のものが既に入っている中に悟りを入れるのは難しいかも知れないが、無いものの中には悟りを入れることができるのは何でもないことだと分かったというのです。迷いとはここでは病気であり、経済難です。健康な想念がない状態を病気と言い、人に与える心がない状態が経済難であると解釈すれば、よく理解できるのではないでしょうか。
 興味深く思ったのは、当時、吉田氏は就職しておられなかったのですが、吉田氏が悟りを開いて、「経済難は空っぽである」と気がついたら、吉田氏のお世話をしている人が、昇進し、昇給したそうです。本人ではなくお世話の人に体験がでたということは興味深いことだと思いました。迷いをどうするか、と考えている間はなくならないが、本来無かった、と知って完全円満なる世界を観じますと、その通り顕現してくるのです。

【義援金を送りましたか?】
 この文言は、朝日新聞(2011/04/30)に出ていた記事である。「みな多感になっている」という。おそらくそうでありましょう。回答者4443人のうち、義援金を送った人が約85%だった。理由として、「被害が甚大だった」が2438人で、テレビや新聞、インターネットなどからの情報を絶えず見ていると思われる。戦後最大の自然災害となった東日本大震災だが、被災者の当面の生活をささえる義援金も、過去の災害を上回るペースで集まっているという。被災者の人数で割れば大金とは言えないが、日本人の間で助け合いの気持ちが大きく膨らんでいることは間違いない、としています。
 一例が書かれていた。東京の43歳の男性だが、生まれて初めて日本赤十字社の義援金を調べて、3万円を振り込んだという。3月11日は、地下鉄が動いていたので、帰宅困難者とはならなかった。自宅では本棚の本が散乱したくらいで食器一つ割れなかったという。”被災者のつらい様子を見る度に涙がでる。せめて金くらい出さないと、気持ちの折り合いが付かなかった」と。広域で大きな揺れを体験することになった東日本大震災である。みんなの心が一つになってきているようだとしている。
 しかし、ここで信仰者が気を付けなくてはならないのは、実相と現象との峻別でありましょう。キリストの言葉で、「見ゆという罪は残れり」とありますように、四無量心を行じると同時に、完全円満なる実相世界と永遠不滅の実相人間を認める必要がありましょう。ここが肝心であります。
 立命館大学歴史都市防災センターの北原糸子教授は、災害史の第一人者であるというが、義援金のテーマで関東大震災を研究してきたという。現在の貨幣価値で千数百億円に相当する額が全国から集まった。これだけの支援があった事実は、災害から何度も立ち直ってきた日本の底力といえる、とのことです。東洋の一角で大乗仏教の慈悲の心が徹底しているのでしょう。大乗仏教が日本に息づき、すでに日本の伝統となっていることは素晴らしいことではないでしょうか。しかも、御皇室が歴史を通じて仏心を行じておられる事実は、人間としての四無量心実践の可能性をお教えいただいていることになるのではないでしょうか。
 関東大震災では、国が地方出身者の帰郷を促して、その惨状を全国に伝えたことが大きかったそうです。『生命の實相』の自伝篇にも関東大震災で、谷口雅春大聖師の最初の御著書『神を審判く』が被害に遭われたということが書かれています。「公平性と迅速性、透明性」が義援金の三原則だそうです。アンケートには次のような言葉が添えられていた。

①帰宅困難や計画停電、今回の震災は人ごとではない。自分よりもっと苦労している人のことを思い、初めて義援金を出した。
②復興にはお金はいくらあっても足りないと考え、初めて義援金を送った。
③今回は特別です。早く復興することをただただ祈るばかりです。
④小学生の息子が、テレビで見る被災地の有様にショックを受け、自主的にこづかいを義援金にした。
⑤被災地の惨状をテレビで見てはそっと涙ぐんでいた高校2の孫娘が、毎月500円ずつためた貯金8万5千円をデパートの募金箱にさしだし、ジジイ(私)を感動させた。
⑥急いで寄付したけれど、3週間経っても一円も動いていなかったことに対して腹が立ってならない。
⑦配分をどうすればいいのかなどと言わないで、とっとと配りなさい。
⑧何とかしたいと思うのに、義援金以外で何もできていない自分に悔しくて涙が出る。

 「他人の善意を信じ続けるならば、被災地も日本もきっと復興する」と、記事は結んでいる。私たち信仰者は、人の善意を信ずるとともに、「神の善意」を信じ、行じて、さらに人類光明化運動、国際平和信仰運動に邁進して参りたいと存じます。
 
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May.07.2011「隠岐の島」

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May.07.2011「隠岐の島」
今日の詩::シャクナゲは 固有種なりや 隠岐の島

  隠岐の島は島前と島後がある。いつもお世話になっているのは、西郷港のある島後である。もう一つの島である島前の拠点の復活を願い、色々と地元の幹部さんが調査している内に、かつての誌友さんの情報も入ってくるようである。或る信徒さんからの情報によると、先日、某地方講師宅へ行き、隠岐の島の島前の元誌友さんについて伺ってみたそうである。すると、元信徒さんはご健在であるそうだ。現在、83才になるという。それを聴いて私は、「おお!」という感じであった。全く分からない状態から、少しずつ糸がほぐれてくる。「有り難い」との感謝の思いが湧いてくる。血管に血液が流れ、神経系が蘇ってくる感じだろうか。ips細胞の注入により、次第に弱った臓器の細胞が復活してくる感じだろうか。 
 この人のご主人は刀工さんで、包丁などの刃物も作っていらっしゃったそうだ。また、この人のところには、当時熱心だった誌友さんの娘さんや息子さんが何人かおられるようである。
 隠岐の島は、歴史上いろいろとご苦労された人が多いとのことだ。現在の島根もそうであるが、かつての島根も土地の人からの人望が篤く、名士といわれる人が信仰しているケースが多かったようである。それ故に、これからの伝道に於いても当然のことながら、生活上に愛を行ずることが必要であり、さらに細やかなお世話活動が必要であると考えられる。
  心が拠点復活に照準を合わせると潜在意識が自動操縦のように、その実現のために動き出す。そして潜在意識は他の人々、または大自然の潜在意識ともつながっており、その実現のために協力してくれるのかも知れない。強力なる見えざる吾等の協力者である。

  隠岐の島は現在、シャクナゲの花が咲いている。この島には「シャクナゲ園」という私設の植物園がある。隠岐の島で独自に進化したシャクナゲのようだ。隠岐シャクナゲという。色が蓮の花のように美しい。山の持ち主が、少しずつシャクナゲを株分けして山の一面がシャクナゲになり、隠岐の島の名所になっているとのことである。このシャクナゲは隠岐島後の山々で標高300㍍~500㍍の所に自生しているようだ。少しずつでもよい、一歩でも半歩でも良い、前に進むことが大切であることを教えられた。

 隠岐の島の白鳩の幹部さんでパソコンを購入した人が三人おられる。勿論、総裁先生、白鳩総裁先生のブログの拝読が主たる目的である。この隠岐の島でよくそんな気持ちになっていただけた、と感謝する次第である。私は毎月、隠岐の島でお世話になっているが、幹部さんの一人がパソコンでインターネットを見ていると、私の顔写真が出てきてびっくりしたとのことだ。光ファイバーのインターネットの世界は善を実現しようとする目的の人にとっては、実に強力な道具である。私は、インターネットを使った連絡網が島根中に網の目のように張り巡らされ、真理の言葉が溢れるようにしたいと願っている。

【死者ゼロの岩手・普代村】
 サンケイ新聞(2011/04/26)には、「村救った二人のヒーロー」として、「周囲を説得して、15㍍の水門を作った元村長さん」のことが書かれている。
 久慈消防署普代分署の立臼勝さんはこの度の津波で、「水門の高さがもう少し低かったら、村にはすごい被害が出ていただろう。もちろん私の命もなかった」と振り返る。
 3月11日の地震直後、自動開閉装置の故障を知った立臼さんは、村を流れる普代川の河口から約600㍍上流にある水門に向かって消防車を走らせていた。故障したゲートを閉めるには手動スイッチを使うしかないからだった。津波の危機感はあったがあれほど大きな津波だとは思わなかった。
 機械室に駆け上がり、手動スイッチに切り替えると鉄製ゲートが動いた。閉門の操作処理を終わり、消防車に乗って避難しようとした時、背後から「バキ、バキ」と異様な音がするのに気がついた。普代川を逆流してきた津波が黒い固まりとなって防潮林をなぎ倒し、水門に押し寄せてくる音だったという。アクセルを踏み込み、辛うじて難を逃れた。
 津波は高さ20㍍以上だった。水門に激突して乗り越えたが勢いはなくなった。普代川をさかのぼってほどなく止まった。近くの小学校や集落には浸水被害はなかったようだ。
 立臼さんは、「高い水門を作ってくれた和村さんのお陰だ」と話したという。和村氏とは、昭和22年から10期40年にわたって普代村の村長を務めた和村幸得さんである。昭和8年の三陸津波を経験し、防災対策に力を入れた村長だったという。
 村では明治29年の大津波で302人を失った。昭和8年の大津波でも137人の犠牲者を出したという。和村さんは、「悲劇を繰り返すな」と防潮堤と水門の建設計画を進めた。昭和43年、漁港と集落の間に防潮堤を作った。59年には、普代川に大きな水門を完成させた。
 2つの工事の総工費は約36億円であった。人口約3千人の村には巨額の出費だった。建設前には、「高さを抑える」意見が出された。しかし、和村さんは15,5㍍という高さにこだわったという。
 住民課長の三船さんは、「明治の大津波の高さが15㍍だったと村で言い伝えられていた。高さ、15㍍の津波が来れば村は根こそぎやられる」という危機感があったのではないか、と話しているという。和村村長は、反対する県や村議を粘り強く説得し、建設にこぎつけたようだ。
 村長退任時の挨拶で、職員に対し、「確信をもって始めた仕事は反対があっても説得してやり遂げて下さい」と語ったという。「当時の村長の判断が、村民のいのちを守ってくれた、とみんな感謝している」と三船さんは語っているらしい。
 この度の東日本大震災では、普代村は死者ゼロ、行方不明者1人にとどまった。それは当時の村長が反対の声を押し切って、建設にこぎつけたものである。ただ、今回は水門ゲートの自動開閉装置が故障し、一人の消防士が水門に向かい、手動でゲートを閉めた。危機を見越した過去の政治的決断、そして地震直後の献身的行動が村を守ったとしている。
何時の時代でもこのような事例はある。地球温暖化が急速に進行する時代に、森の中のオフィスに移転を決定した生長の家の決断と多少ではあるが、同じようなものを感じる次第である。

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中内 英生

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May.06.2011「どうすれば実相が分かるか?」

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May.06.2011「どうすれば実相が分かるか?」
今日の詩::春来ると 軒下にスズメ 宿にとる

 『生命の實相』携帯版第21巻の16頁に、「実相はどうすれば分かるか」と言うことが書かれています。「実相はちゃんと自分の中にあるのだから、観じ方を教えてもらって教えてもらった通りに実相を観ずると、実相が分かる」、と書かれています。それは、東京から大阪へ行くときに、大阪が実相であるとすると、大阪の状態が分からなくても、汽車の乗り方を教えてもらって、その通り乗ればよいのと同じである、と。
 観じる方法というと、神想観でありましょう。「汽車に乗る」とは、実修するということでありましょう。実際に行じてみないと分からないということであります。実相を観る眼が開けると、「みんな仏であり、悟りを開いている」と思える。これも真実であり、「いくら神の子であると言っても、そうでないようにも思える」こともある。これもまた真実であるとしておられます。それは、それぞれの因縁が違う。個々人で積んできたところの念の集積、すなわち業が違うということです。それ故に、実相をよく観ずることができるように善業を積む必要があるということになります。

 また、ディズニーのアニメにありましたように、ライオンの子供が羊の中で育てられると自分は羊であると思って、ライオン性は発揮できなくなります。しかし、近くの山から親ライオンが吠えると、自分の中のライオン性が目覚めてくる。それと同じように、今まで罪の子だと思っていたのが、誰かが「神の子だ」と言ってくれると、自分の中の神の子の性質が自覚されて神性が自覚されて、それを発揮できるようになると言うことになります。従いまして、神性を呼び覚ますことを行うとはどんなことでしょうか。『生命の實相』などの聖典等を拝読する。神想観をする。愛他行を実践する。日時計日記を付ける。これらは神性を呼び覚ますことになるのでしょう。現在、与えられていることに一つ一つ感謝の言葉を述べて、徹底する。この行事も信仰者として必須の行でありましょう。「讃嘆」という言葉でひと括りに言えるのかも知れませんが、「音叉の共鳴」的に考えると、一つ一つに感謝の言葉を述べることは、内なる実相を呼び起こすことになります。

 また、悟りには一度悟ってもまだ生活に古い匂いがのこっている場合があるということもあります。しかし、燈台の灯は見えたのですから、見えなくて船を進めるのと見えてから船を進めるのとは違うことになります。生活の指針がハッキリしてくるのです。私たちは簡単な言葉で、「生長の家信徒行持事要目」というものを教えられておりますので、教化部の早朝行事で唱えるように、朝はそれを唱えて心を整えて一日の出発をすると良いではないでしょうか。
 それぞれの悟りの程度が違うように見えるのは、太陽本体の光度は同じでありながら、雲のない晴れた日と、薄曇りの日と、雨の日とそれぞれ違うようなものです。それは雲の違い、迷いの違い、迷いの晴れた程度の違いというものであると説かれています。それが外見では、悟りの程度が違うように見えるに過ぎないのです。
 練成会の浄心行で迷妄の心を紙に書いて焼却すると、心が晴れた影響として、肉体や境遇までも良くなるのは本来の姿は完全円満であるからです。「自分は神の子である」と分かると言うことは、自分は雲ではなく、太陽そのものであると分かることになります。しかし、それでも昔の習慣が残っているのは、後の残渣が消えゆく姿として残っているように見えているのに過ぎないとしておられます。お空の星を見て、実際に瞬いているので、存在しているように見える。しかし、超新星爆発で光を発して、地球に到達するのに100年、一万年と時間がかかり、すでに本体は消滅しているのにかかわらず、光が到達しているので、存在しているように見えるのと同じであると言うことです。迷いは実在ではないので消える運命にあります。時々、「神の子である」と教えられた後も、迷っている姿をしているように見えるのは、神の子がしているのではなく、業がしているのであって、その人自身の本体は依然として完全円満なる神の子であるのです。
 この章は、実に深い真理が説かれておりますので、繰り返し拝読させていただきたいと存じます。

【太陽光発電パソコン】
 総裁先生がブログにお書きになっているように、私は現在、自分で使用しているパソコンの電源を太陽光発電のエネルギーにしたいと考えた。出雲の教化部及び松江道場はすでに太陽光発電パネルが設置されている。設置業者に聴いてみると、教化部は毎日売電しているので、私が昼間教化部で使用しているパソコンは太陽光発電エネルギーによる使用であることがわかった。問題は、家に帰ってからと出張の時である。これには蓄電池が必要であるので、ブログにもご紹介されているが、現在調査中だ。私も、自分のパソコンに関しては完全に太陽光発電エネルギーの使用にしたいと願っている。借家なので屋根にはパネルは設置できない。従って、自宅で太陽光発電エネルギーを入手するためには、簡易型太陽光パネルか、または家に帰ってからのパソコン使用時間に耐えうる蓄電池の所有であると思う。研究の余地があると思うので、いろいろと調べてみたい。

【亀田信介医師】
 亀田総合病院の院長さんが、NHKの「仕事学のすすめ」で出ていたので見た。インタビューをしている勝間さんのつっこみが面白い。第四回(2011/01/29)には、世界水準の規格の承認を受けたことが報じられていた。JCIというのだそうだ。日本で初めて取得したという。そのために、決して、医療品ゴミを廃棄するのにも手で扱わない。すべて足で蓋を開けるゴミ箱を設置している。また、ゴム手袋も一度患者さんに使ったものはすぐに取り替える。院内感染を防ぐためだ。その費用もすごい。部屋はホテルのようになっている。常に患者の目線で見る、など超田舎であるが患者数はすごい、入院待ちの人数は1000人をキープしているという。JCIの規格の取得を巡って、組織の質が向上したという。生長の家の団体が、環境ライセンスであるISO14001の取得を通して資質が向上したのと似ていると思った。亀田さんは、代々、医師の職業であるという。この番組では、「楽しみながら常識を突破せよ」という副題であったが、やはり日本一になる人の考え方や生活の仕方、仕事の仕方はすごい。巧まずして楽しみながら進化の道程を登っているように見える。自分もまたそのようになりたいものだ。

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May.05.2011「仏教の無明縁起説とは?」

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May.05.2011「仏教の無明縁起説とは?」
今日の詩::日暮れても なお明るきは 日本海

 『生命の實相』携帯版21巻12頁に、お釈迦さんは物質の世と創造主を完全に否定したことが書かれています。色即是空の世界です。それならば、此の世を造り固めた力とはどんな力かというと、「無明」であるとしました。「迷い」です。この世というものは、忽然として現れた無明を起源として、因縁によって一切のものがこのようにできてきたのである。このような考え方です。従って、この不完全な苦しみが満ちた物質世界というものは、詰まるところ、「迷い」が現しているのである、と説きました。
 しかし、生長の家では、「三界は唯心の所現である」と説きます。感覚に映る世界はすべて心の所現であるといいます。念が造り主である。神様が創ったのではないのです。そしてまた、「物質はない」という大前提があるのです。物質のこの世を神が創ったと言うことになりますと、東日本大震災も神が創ったということになります。そんな無慈悲な神様は神様と言えるだろうか?という反論に抗することはできません。神は神罰を造り給わず、です。神様は完全な理念の世界、実相の世界だけをお作りになっておられるので、神罰を必要としないのです。

 キリストは、「我が国はこの世の国に非ず」と宣言しています。「私が住んでいるのは物質のこの世ではない」、と言っておられるのです。現象の奥にある完全円満な実相世界をこの世に持ち来すのが、私たち神の子の大使命です。引き出すのには、さまざまな方法がありますが、私たちは総裁先生より、三正行を教えられております。神想観、聖典等の読誦、愛他行、です。神想観によって、神の創り給える実相世界を直視する。聖典等の読誦によって、真理を正しく把握するのです。「等」というのは、総裁先生、白鳩会総裁先生の御著書です。そして、自他一体、万物一体の実相の世界を生きる。すなわち四無量心を生きることの実践が、愛他行です。私たちが、四無量心の実践として、「四無量心を行じる神想観」を実修し、環境問題に取り組むのは、まさに、現代的愛他行です。私たちは、このことをよく理解しなければなりません。

 もう一つ大切なことは、真象を認め、感謝し、表現し、喜びを共有することです。日時計日記の記載と神性表現です。私は、昨日は日時計日記の記載と、絵手紙を数枚描きました。確かに、絵を描いている時は、右脳を使うと言われていますが、とても心が普段とは少し違う世界に入っているのです。実に快い感じです。私の書きました絵は、ブログやフェイスブックに掲載するようにしています。これが真象を見て、芸術的に表現し、喜びを共有することです。フェイスブックの登録者は、日本人よりもブラジルの方が多いようです。昨日からツイッターからも入れるようにしました。私のツイッターは、「koumyoushimane」で出てきますので、頭の体操のつもりでチャレンジしてみてください。一つ一つ、真象を認めて感謝しきり、讃嘆しきることが信仰生活であり、宗教行事であるといっても過言ではありません。他人がどう思うかを考えるよりも、神様の御心を行ずることが第一でありましょう。
 神様の世界は、聖経『甘露の法雨』に説かれておりますように、「聖、至上、無限、宇宙を貫く心、宇宙を貫く生命、宇宙を貫く法則、真理、光明、智慧、絶対の愛。これらは大生命ー絶対の神の真性にして…」であります。

 この度の東日本大震災を通じて、多くの人々の心と生活が変わるでしょう。しかも、私たちの心の変化は、信仰的な変化であり、常々お教えいただいておりますように、実相を観る生活に変わるという、観の転換であるはずです。私も日々、東日本の人々を思わない時はありません。共に立ち上がり、力強く、明るく、たくましく前進して参りたいと存じます。

【稲むらの火】
 サンケイ新聞(2011/04/23)には、『なぜ「忘れたころ」なのか』と題して稲むらの火のことに触れている。ほとんどの人はご存じだと思うが、五兵衛さんという庄屋が、地震の直後、高台にある自分の田んぼの稲むらに火を付け、津波に無警戒な村人を呼び寄せて救った話である。
 小泉八雲が三陸大津波の翌年の明治30年に書いた『生神』が現作であるという。推定震度が3であり、以外と小さかったうえに、夏祭りの準備に追われて逃げ遅れた人が多かったというこの大津波の教訓を含んでいるようだ。
 しかし、主人公の五兵衛さんは安政元年12月、和歌山地方を襲った津波であり、村人を避難誘導した富豪、濱口梧陵がモデルであるという。このために、稲むらの火を三陸大津波と結びつけられる人は少ないようだ。
「”これはただ事でない。”と五兵衛はつぶやきながら家から出てきた…。」この文章から始まる教科書の物語がある。松江に住んでいた小泉八雲が英語で書いたのが元であるようだ。しかし、この話の中には、火事になれば村人全員で救助に当たるという当時のしきたりが背後にある。また、モデルになった五兵衛自身も九死に一生を得たようだ。彼は仕事を失った村人と次に来るかも知れない津波の為に、私財をなげうって全長約600㍍の堤防を作った。相当の金額であったそうである。この物語は防災の教訓に満ちている。「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉があるが、油断してはいけないのが地震国日本の民の心得だろう。「神は海を埋め立てて畑や住宅を作り給わず」である。もう作ってしまった土地はやむを得ないだろうが、地震と津波の恐ろしさを知る者にとっては、かなりの冒険であると考えられるだろう。私の郷里の四万十川流域で、伊勢湾台風のために何カ所もナイフで切られたように堤防が決壊して、水田が水浸しになっている光景を見て知っている私にとっては、現在その地域に住宅が沢山建っているのを見ると多少不安になる。地元に昔から住んでいる人にとっては別の安全地域に家を建てるのではなかろうかと考えてしまうのである。
 総裁先生のブログに寒川旭著『地震の日本史』が紹介されていたので読みたいと思い、本屋さんへ行くと絶版になっていた。出雲中央図書館にいってもなかった。それで現在、他の図書館にはないかと調べてもらっている。私たちは一人の信仰者として、総裁先生の御教示に従い、祈りを行い、聖経を読誦し、深く観世音菩薩のみ教えを拝受するようにしたいと念願するものである。

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May.04.2011「自然と人間の大調和を目指して」

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May.04.2011「自然と人間の大調和を目指して」
今日の詩::ゴールデン ウイークさえも 御心を 学び行じて 時大切に

 機関誌『生長の家』(2011年6月号)には、”布教功労物故者追悼春季慰霊祭でのご挨拶”が掲載されている。「先人の遺徳を偲ぶ」という小見出しの43頁には、「遺族」という言葉は「遺された人々」「死者のあとに残った家族」という意味だが、それは「それ以外の人々とは関係がない」「霊界とは何の交流もない」というニュアンスがある。しかし、私たちは霊界に行かれた諸先輩と一緒に運動を展開しているという意識である。従って、慰霊祭を執り行うし、光明化運動を顕幽互いに支え合い、霊界からのご加護も受けながら大いに展開していく。今日はそういう決意を固める日にしたい、という意味のお言葉があります。宇治別格本山の拝殿には、「顕幽両界相携えて、大神の経綸を扶翼…」という大きな垂れ幕がありますが、まさにそのような意味でありましょう。
 島根教区に於きましても、本部の慰霊祭と同様に、春と秋に功労物故者慰霊祭があります。私たち島根の信徒は同様な思いでご供養させていただきたいと思います。島根では各地で先祖供養祭を行っておりますが、お亡くなりになった先達の皆様が霊界から「地域の光明化運動」をお導きくださるように、地元の皆様がご供養しておられるようです。必ずや霊界からのお導きがあると思います。

 本部での慰霊祭で総裁先生は、「自然と人間の大調和を観ずる祈り」の後半部分をお読みになっておられます。ここに今後、私たち島根の信徒が常に意識して信仰生活を行い、光明化運動を行っていく真髄があると思います。自然を破壊しておいて決して人間だけが永遠に繁栄することはあり得ないこと。大地震は神の怒りではない。「観世音菩薩の教え」であること。人間はもっと謙虚でなくてはならない。人間は自然界の一部であることを自覚するべきこと。自然との一体の自分を自覚しなければならないということであります。
 神様は実相世界の創造者ですから、怒る必要はないのは当然です。人間が自然を破壊し続けることで、地球温暖化や気候変動を止められない時、何かが契機となって人類の迷妄を覚ます必要がある。現在の人類の地球作品は間違っているという内なる声が現れる必要がある。その役割を果たして下さったのが、今回の出来事である。
 私たちは、この尊い観世音菩薩の教えを謙虚に聴いて、心から感謝申し上げると同時に、神の創られた実相世界の表現に向かって、新たなる決意をもって前進する、とお教え下さっております。
  祈りの御文章は島根教区のさまざまな行事の場所で拝読していただきたいと思います。私もこの震災と津波と原発の事故で目が覚めました。もっともっと、総裁先生の御心を御文章を拝読し、読み込むことを徹底しながら、み教えをお伝えしなければならないと思いました。そして、今までのような伝道方法以上の創意工夫に満ちた伝道を行わせていただこうと、さらなる前進を決意させていただきました。島根の信徒の皆様、ご一緒に前進して参りましょう。

【復興後、日本はさらに強い国になる】
 朝日新聞(2011/04/30)にはアメリカ人女性のことが書かれている。、大震災から一週間後、アメリカから来ていた女性、マーテイ・ミックエルリースさん(23)に米国大使館から退避勧告が入った。しかし、彼女は残る決意をした。そこは宮城県七ヶ浜町の避難所だった。最初から離れるという選択肢はなかった。「昨年の夏、宜しくお願いします、と挨拶して地元の皆さんに歓迎してもらった。ここが私の家です。都合の良い時だけお世話になります、という意味じゃない」と。彼女が、アメリカの家族に自分の無事を伝えられたのは、被災4日後だった。作業の合間に、机に突っ伏して寝た。横になって寝たのは、5日後、自宅での暮らしにもどったのは25日後だったという。「残る」とは言ったものの疲労から精神的に不安定になったこともある。米国の父親(73歳)は元プログラマーで来日経験もある。戦後復興を遂げた日本の回復力は「奇跡的だ」といつも語っていた。やっとつながった父親への電話で、被害の大きさを嘆き、弱音をこぼした。すると父は答えた。「いま君が後ろ向きなことを言って何になる。復興には数年かかるかも知れない。でも、日本はさらに強い国になる!」と励ました。彼女は、七ヶ浜に住んで8ヶ月が過ぎた。町の人々はご飯を差し入れ、イチゴ狩りや茶話会にも誘ってくれた。もしも、米国に帰り、温かいシャワーのある暮らしを選んだら、自分は口先だけの人間になってしまう」と思い、「今度は自分が尽くす番だ」と考えたという。余裕ができたら、避難所で英会話教室なども開きたい、と。
 私はこの記事を読んで、戦前、日本に来ていたグルー氏が戦時中、アメリカに帰ってから終戦に向かってジャパンチームを作り、たった10数名で勇猛果敢に、大統領に対して、日本の分割占領の中止を訴え続けたことだった。トルーマンはそれを受け入れた。ドイツでの分割占領の失敗もあった。当時、連合国では日本での分割占領はすでに決定されていた。もしもそれが実行されていたならば、戦後の北海道との行き来は、分からなかっただろうとNHKの番組は語っていた。
日本班の10数名は、日本に住んだ経験のある人たちだった。当時日本にいた時、日本人から受けたさまざまな深切が脳裏を過ぎった。この国の人々を、戦後も不幸にしてはならない、との思いが強く彼等を突き動かした。そして、分割占領という戦後最悪の状態は回避されたのだった。谷口清超大聖師は、クリーンウオーカーとして空き缶を拾いつつお歩きになられた。そしてお説きになっていた仏教の極意、「諸悪莫作、衆善奉行」のお言葉が改めて私の心に染みる。
 今、私たちは自然界の救済のために、人類の意識の変革のために、背水の陣を敷いて八ヶ岳に行き深切を尽くす。これが神の御心に適わない筈はないと思うのである。私が高校生の頃からお聴きした谷口雅春大聖師の烈々たる御決意のお言葉を、現総裁先生のお言葉をお聴きする度に思い出すのである。
 日本の歴史をひもとくと、さまざまな被災の度に日本は強くなっていったことが分かるのではないだろうか。そのことを私たちは決して忘れてはならない。

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May.03.2011「青年会全国大会」

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*お弁当は青年大会で出されたノーミート&近距離フードマイレージ食材使用だそうです。

May.03.2011「青年会全国大会」
今日の詩::高みまで 引き上げ給う  研鑽会 任地で一年 燈台めざす
(研鑽会は、総裁先生が私を、自分の力では行ったことがない高みまで引き上げて下さる最強のリフトである。毎年、ここでの御講話をお聴きして、翌日より示された目標(燈台の灯)めがけて全力投球で歩み始める。これが私の五月以降の恒例行事である。)
 
 今日は昨日と同じ代々木の山野ホールで青年会全国大会があった。今日、驚いたのは、運動方針を体験談やその他の行事にみごとに割り振っていることだった。こんなに完璧な企画は私にはできないと思った。完全に脱帽した。それだけ、意識の高い、総裁先生の御心を己の心とした青年達が各地に誕生しているからなのだろう。運動面で印象に残ったのは、熊本の前委員長さんが喜びの青年会を作ろうとして伝道なさったという。菩薩道を歩まれたお姿には後光がさしているように思えた。その他にも素晴らしい体験談をたくさんお聴きすることができた。

  三日間の間に、被災地のある教区をを担当している教化部長にお会いして色々とお聴きした。やはりこちらが考えていることと、被災教区の当事者の考えにはズレがあると思って反省した。そして、できる限りの応援をさせていただきたいと思った。今回の地震と津波と原発事故において、この状況は何を人類に教えて下さっているのであろうかという視点で見る。厳しい状況ではあるが、それを観世音菩薩の慈悲の説法の表現であるとして受け止めるところに次なる前進があると考えられる。このひどい状況に何の教訓があるのかと考える人もいるだろうが、「悲しみの奥に聖地がある」と言ったオスカーワイルドもいる。困難の奥に神の愛、仏の慈悲を見出す者は幸いであろう。

 総裁先生、白鳩会総裁先生の御講話を拝聴させていただいた。青年会全国大会のパンフレットには、総裁先生は、「放つ愛の実践を」という文言であり、白鳩会総裁先生は、「コトバの力を活用して」という御文章が書かれていた。
 御講話を拝聴させていただき、私は、よくこんなに完璧な真理の理論化がどうしたら可能なのであろうか、と三日間を通じての一貫した感動の思いだった。やはり神様の完全なる智慧に導かれているとしか言いようがないと思った。総裁先生によって新たに説かれ、天降るみ教え。この度説かれたみ教えはいずれ文書化されると思うが、徹底的に拝読して自分のものにしたい、と願わずにはいられなかった。

 『the EMPATHIC CIVILIZATION』の著者、ジェレミー・リフキン氏の話を総裁先生が話された。私も北米の古本屋から取り寄せたが、本棚に飾っているだけでまだまったく手を付けていない。かなり分厚い本だ。少しでも読み始めたいとは思うが…である。原子力発電により、科学の頂点である原子力を極めた日本、そしてそれが破壊されてしまった。また、リフキン氏のいうエンパシーという言葉は東洋では、特に日本では四無量心として、または慈悲の心として、大乗仏教の心を日常的に使用し、人々は生きようとしている。その日本に、新しい文化と文明を切り開くカギと使命があるということであろう。例年のことだが、三日間を筆記に追いまくられた。今回ほど、生長の家信徒としての新時代を切り開く大きな使命を感じさせていただいたことはなかった。
 谷口雅春大聖師が青年にお説きになっておられた日本の使命と根本的には全く同じであると感じた。その日本の使命が、新しい時代に新しい指導者によって解き明かされる。何という素晴らしいことであろうか。私は燃え立つ思いで心から神様に感謝せずにはいられなかった。
 三日間の拝聴の後に私の心の中に見えてきたものは、我々の前には決して困難があるのではなく、その奥に実相がある。大調和した実相世界がある。現象の困難の奥にあるところの大調和の世界をさまざまな多様性ある創意工夫によって、表現することこそ私たち信仰者のあるべき生活であり、行くべき道であるということだった。復活のためにこそ、御教示いただいたこの信仰ほど、必要なものはない、ということである。

 総裁先生!白鳩会総裁先生! 三日間のご指導、本当に有り難うございました!。

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May.02.2011「太陽系エネルギーの時代へ」

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May.02.2011「太陽系エネルギーの時代へ」
今日の詩::文明の 転換期にて 吾等こそ フロントランナー 走りて止まず

 今日は、第3回相愛会・栄える会合同全国幹部研鑽会があった。メイン会場の山野ホールに参加させていただいた。代々木は30歳代のころ、或る学習会で一年間通ったことがある場所である。パンフレットには、上記のテーマの総裁先生の御文章が掲載されていた。その御文章の内容の理解を自分なりに深めてみたい。(『”森の中”へ行く』149頁~)

①森林は、太陽エネルギーを炭素として固定化した木々の集成である。
 古代の何億年も前にできたものが地中に眠り再び出てきたのが化石燃料である。それは二酸化炭素濃度が濃い時代のものだから、それを燃焼させると現在の空気中の二酸化炭素が増加するのは当然である。太陽系エネルギーでは、森に於いて木の葉が光合成を行い、二酸化炭素を吸収し、酸素を排出する。そして、光合成による木の生育によって、森ができあがる。進化学によると人類の先祖は森の木の上に生活していたという。森は栄養分を出し、それが川に流れ出し海に出る。海では植物性プランクトンが増殖し、そこに動物性プランクトンが増えてくる。食物連鎖によって、豊かな海の生態系ができるのだ。豊かな海は必ず、近くに川と豊かな森がある。

②農産物は、我々の肉体を維持し、活動させるためのエネルギー源となる。
 農産物は当然のことながら、光合成によって野菜や果物を育てる。これも太陽系エネルギーが根源である。高度な文明が地上に実現し成立するのには、相当な長い時間が必要であるという。天文学者の説を聴いたことがあるが、地球よりも大きくても小さくても長持ちがしないという。地球は長持ちがする最適な大きさであるそうな。これは確かにテレビの科学番組で聴いたが科学者の名前を失念したので、それ以上の追求はできない。
 また、人間は動物の肉や魚も食べるが、それらの生き物はすべて光合成でできた木の葉などを食べる。太陽系エネルギーは、生命活動の根源であるといえる。

③森林は、我々人間の住居や仕事場を維持し、一定の熱を供給するためのエネルギー源である。
 森林の森から木を切り出し、住居を作る。これは切りすぎると森が再生しないが、日本には植林の習慣が昔からある。しかも、日本は天皇様が植樹祭で率先して植樹をされるお国柄である。森林の樹木の間伐材は、薪として燃やして熱を発生させて暖を取る。しかも、日本は弱酸性の土壌であるので、コンクリートを使うと土壌がアルカリ性になり、日本古来種の草木が育ちにくくなり、外来の植物が繁茂するようになる。この傾向が強く出てきたのは、明治の文明開化からであろう。日本産のタンポポや各種の草花がいつの間にか見られなくなったのには、人間の側に原因があったようだ。
 谷口純子先生の新刊『うぐいす餅とバナナ』によると、フードマイレージの関係でバナナを買うべきかどうかを考えられたそうである。外国からの食材や材木ではなく、日本での木材を使いたいものである。自分の住んでいる所の近くで採れた野菜を食べると健康の良いとの説もあるという。
 ご自分の庭を見た時に、せわしく走り回るアリを見ませんか。アルゼンチンアリがかなり、分布を広げているようです。このアリは、外国からの木材に付いてきたアリで、日本に来て繁殖を始めたようです。しかも動きの遅い日本のアリを根こそぎ食べてしまうというのである。これもまた、人間の行った所業である。アリに罪はありません。アルゼンチンアリにニホンアリを襲わせて命を奪わせることは良いことでありましょうか。できるだけそうならないように、地元の材木を使いたいものです。八ヶ岳の国際本部も建物は地元の木材を使用するとお聴きしています。うれしいことです。

④農産物と材木は、枯渇しない再生エネルギーである。
 農産物で農薬を使わない方法、家庭菜園ではそれが充分にできるでしょう。また、そのようなコンセプトで野菜を作っておられる農家のお野菜は、どういう訳か「甘い」と感じます。本来、そのようなものではないでしょうか。私はかつて宇治に行った時に、お茶の老舗に立ち寄って美味しい高価なお茶を求めることがありました。ご主人によりますと、そのお店のお茶は決して化学肥料を与えないそうです。化学肥料を与えて育てたお茶は、形はよいが甘くないので虫が付かないそうです。堆肥で育てると、甘いので、虫が付く。その虫を刷毛で取り除くのだそうです。細かい作業です。しかし、そうして作ったお茶は実に美味しいと思えるのでした。

⑤太陽系エネルギーは、21世紀の日本に必要であると同時に、「他から奪わない」という倫理的要請に合致する。
 「原子力発電はアブナイが必要である」という考え方が未だに残っているようです。しかし、原子力による文明は、福島県の人々の危険な状況という犠牲の上に成り立つ。その電力により、東京の文明と便利さは成り立っていると言える。これは都会の便利快適は、誰かの犠牲の上に成り立っているということでありましょう。このような生活は神の御心に適うのでありましょうか。とてもそのようには思えません。島根にしても同様です。半島の原発から放射能が漏れても、松江や出雲は大丈夫だから良いと思うのでしょうか。半島にある鹿島町の原発は海に面しています。もしも放射能が漏れるようであれば、有名な境港の魚の水揚げはどうなるのでしょうか。
 倫理的に「奪わない」生活は、持続可能な人類生活です。「奪う者は奪われる」という法則が動き出すのを待たなければならない生活は避けるべきでしょう。「爆笑問題の日本の教養」で取材した人は、太陽光発電か太陽熱発電を、アフリカか中近東で行い、それを直流電流にして日本に流せば、現在の日本で必要な電気エネルギーは余るとまで言っていました。交流で流すので長距離になると電力が劣化するのだそうです。直流では劣化が極めて少ないようです。これはインターネットでしらべたが教授の名前がすぐには分からなかったので、正確には申し上げられません。私は、ここ数年間は、「サイセンスゼロ」や「日本の教養」などよく見るようにしています。現代科学にかなり強くなれます。

⑥「他から奪わない」ということに合致するエネルギー産業は、農業と林業である。
 林業は植樹という形で運動の中に入りつつあります。文字数の関係で多くを語れませんが、今日の総裁先生の御講話の中で、太陽系エネルギーと、原発と、国際本部との関連性などについてさまざまな形でお説きになりました。初めてお聴きする内容に私は大変、感動致しました。長くなりましたので今日はここまでにさせていただきます。最近、このブログを読んで下さっている島根の信徒さんから、「文章が長い」と言われました。従って、努力して短くするようにしたいと考えています。

【バーチャル作業の色々】
 研鑽会の三日間は、色々な人々にお会いする。バーチャル面で三年以上毎日続いているのが、「ブログ」であるが、その他、最近、フェイスブックにも自分用のを作ってしまった。それに時間が取られると、今までやっていた分に時間を割くことが難しくなる。そのことを今日は海外の先輩から指摘されてしまった。従って、その点もこれから努力しようと思う。フェイスブックでは、ブラジルの人の信徒さんの書き込みがある。書き込む人々は積極的なご性格である。この明るい性格がみ教えを世界に伝える原動力になっているのであろう。伝道向きであり、大変、素晴らしいと思う。ブログを書き始めての生活上の変化は、アルコール分の摂取が一年間を通してほぼゼロとなるということだ。私のブログのように俳句的右脳使用や、文章に左脳を使う必要がある場合は、自然とそうなる。そして、情報の収集に関して集中力を発揮せざるを得なくなる。そんなこんなで、おそらく書き込むのに「私にはもっと時間が必要である」と言っていたが、自分に限って言えば本当は、「自分には能力と資質の向上が必要である」と言った方が正確かもしれない。簡単にやってしまっている人から見ると可笑しいことだろう。

【島根の信徒の皆様、日々、総裁先生のブログを拝読しましょう。】
  http://masanobutaniguchi.com/
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう。】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
【島根教区の皆様から被災地の皆様への励ましの絵手紙コーナーです】
 http://simane-rinku.cocolog-nifty.com/blog/

 中内 英生

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May.01.2011「”四無量心”で人と自然の大調和をめざす」

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May.01.2011「”四無量心”で人と自然の大調和をめざす」
今日の詩::茨城の 友の言葉に 驚きぬ 日に幾たびも 大地ふるうと

  東京は出雲よりもはるかに温かかった。少し厚着で上京したのだったが、その必要はなかった。
 今日は、来賓として「生長の家白鳩会全国幹部研鑽会」に出席させていただいた。震災の関係で急遽、新たに会場が設置されたという。大宮のソニックシティホール、札幌、愛知、宇治、大阪、愛媛、福岡、岩手、宮城の9会場であった。インターネットを活用した双方向の幹部研鑽会(一部単一方向)に驚いた。
 総裁先生、白鳩会総裁先生のご講義は初めてお聴きする内容で、私自身、感動の連続であった。生長の家が新しい時代を切り開いていかなければならないと決意を新たにした。私にとっては最強のエネルギー充電の時間だった。ご指導の内容は、機関誌に掲載されると思う。
 津波で家を失った方も、そういう時だからこそ総裁先生のご指導を頂きたいと参加された東日本の方がおられたそうである。
テーマは、今日の題名にある文言と、もう一つ、「与える愛、与える喜びで自然と共に伸びよう!」というものだった。体験談を拝聴して、それらをみごとに実践しておられることが分かった。
 私は、島根教区で行う、チャリティコンサート「聖歌を聴く夕べ」のために、この幹部研鑽会で、どのような聖歌が選ばれているかにも興味があった。「かみをたたえて」「水と森の歌」「愛しているから」の三曲だった。素晴らしい聖歌であるとあらためて感動した。
 体験談の内容も島根に非常に参考になるものばかりだったが、幹部研鑽会である関係上、ご紹介はひかえさせていただきたいと思う。研鑽会が終了し、私は早めに宿舎にもどった。

【柳田国男の青ヶ島還住記】
 上京の度に読売新聞を読む。いつもは日経、産経、朝日の三つである。読売(2011/04/30)には、柳田国男のことが書かれていた。内容をご紹介する。原発事故により相馬に住む私の親類は避難している。「よみうり寸評」という囲みの内容である。
 東京から南に358㌔㍍、八丈島からも68㍍離れた洋上には青ヶ島が浮かんでいる。江戸時代の天明5年(1785年)、大噴火に見舞われた。島民200人余が八丈島に逃れた。避難生活が続いた。名主の佐々木次郎太夫は全島民の帰島を実現させた。民俗学者の柳田国男氏は、「青ヶ島還住記」で次郎太夫を讃えているという。異境の地にありながら、島民は自分たちの名主を戴き続けたという。柳田国男はいう。『島の悩みの全部を背に負うて、しかも健気に働き続けていたことは、単なる役目柄とは思われぬものがあった』と。 これに関連して、米誌タイムズが「世界で最も影響力ある100人」に選んだ日本人の一人は、住民の窮状を動画サイトで訴えた福島県南相馬市の市長だったという。状況は変化しつつある。「還住」の日は必ず訪れる。その日まで、日本全体で被災地のリーダーを支えたい、としている。
 そしてさらに、私たち信仰者に於いては今後、日本の、世界の、文化文明の歩むべき方向を明確に示さなければならないだろう。今回の全国幹部研鑽会ではそのことが大きなテーマとなっていたように思う。
  
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 中内 英生

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