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平成24年2月10日「プロサッカー選手 澤穂希さん②」【December.31.2011】

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平成24年2月10日「プロサッカー選手 澤穂希さん②」【December.31.2011】
今日の詩::夜更けて 耳に聞こえる コチコチと 時計の音が これほどにとは

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 澤選手は1993年に15歳で日本代表デビューだったとのことです。それだけでもすごいことです。日本は当時、体格やパワーで勝る欧米に跳ね返され続けていたようです。
 日テレ・ベレーザ監督の野田朱美さんは、澤さんと95年の第2回女子世界選手権に出ました。
 「日記には、”白人選手はみな格好いい”と書くぐらい、みんな外国選手へのコンプレックスがありました。試合前から気持ちで負けていました」、と。
 「やろうと思うな、できると思え」というのがみ教えです。「相手の二倍力の力がでるぞ」と思い、神に念ずるとそれが可能となります。ポイントは「無限力の自覚、百練千磨、大調和」です。

 でも澤選手は違っていました。
「こんな人たちと一緒にサッカーができたら、めっちゃ楽しい。彼女たちを倒すため、もっとうまくなりたい」と考えました。
 これは日時計主義です。どんな敵も、敵と思わずに、自分を鍛えて、強めてくれる観世音菩薩の働きであるとして、感謝して受けとるのです。そうすると俄然力がでて参ります。
 一見悪と見える状況から逃げだそうとしてはいけません。同じ種類のものが次々と追いかけてきます。我慢してはいけません。ストレスが溜まって、病気になる危険性があります。感謝して受けて、乗り越えるのです。

 澤選手は1999年、所属クラブから「3ヶ月しかプロ契約を結べない」と告げられます。不況のためでした。
 当時を振り返って澤さんは語ります。「話をしていても心ここにあらずと云う感じでした」と。
 母親の満壽子(マイコ)さんの目にも、娘さんのショックはあきらかだったといいます。
これがチャンスでした。「神は自ら努力する者を見捨て給わず」です。ピンチはチャンスです。夜明け前が一番暗いのです。苦労は節、節から芽が出ます。

 同様に契約解除を通告された米国人のチームメイトから「米国へ行こう」と誘われます。文化や言語、食生活などの違いが不安でしたが、「より高いレベルで大好きなサッカーを毎日できる!!」という気持ちが背中を押したようです。
 「大好きなサッカー」。このことは大切です。何ごとも成長するためには、大好きにならなければなりません。
私自身も生長の家のみ教えと運動が大好きなのです。それを毎日できることがどんなことよりも幸福に思えてなりません。

 米国での暮らしは楽ではなかったようです。言葉が全く通じません。好きな食べ物を訪ねられて、「ライス」と答える度に大笑いされたとのことです。rice(ごはん)ではなく、 lice(しらみの複数形)になっていたのです。
 日本人の発音ですが、中内自身も、英会話教室で笑われたことがあります。でも平気でしゃべっていました。
 澤さんは一人で泣きました。日本に帰りたいと何度も思われたそうです。
(つづき)

【フェイスブックを活用しましょう。小職のフェイスブックの名称は、”中内英生”または””Hideo Nakauchi”です。色々と写真、俳句、短歌など書き込んでいます。この「中内英生のwebサイト」よりも楽しめるかと思います。私的伝道物語兼神性表現です。】

中内 英生

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