« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »

2013年8月

平成25年8月31日②「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑳」(島根25/3/19)

平成25年8月31日②「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑳」(島根25/3/19)
今日の詩::吾が脚で 歩く楽しさ 感謝する  今日の喜び 身近にありて
****************************************
【総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。
 「唐松模様」(2013/0730)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。今日の学習は、「宗教に於ける都市と自然」(7)です。順をおって、内容を学ばせていただきたいと思います。
(つづき)

第1段落です。
保坂氏著『国家と宗教』には、仏教の教えの特徴を「空の思想」として取り上げています。総裁先生は、それに、「大乗仏教の菩薩の思想」を加えておられます。空の思想のご説明があります。

【仏教が戦争回避につながる理由】
①如何なるものにも実体はない、と主張するからです。
②①は、私たちが肉体をもって生活する時に体験する現象世界のことです。
③現象世界には本当の価値はない、と考えます。
④現象は、すべて個々の事象の関係性によって成立しているから、現象それ自体で存在する実体(自性)はない、と考えます。
⑤生長の家では、簡潔に表現します。「物質はない!」と言います。
⑥現象世界のどこかに、絶対的な価値があると考えると、その価値を死守するために、他を否定して、破壊することを容認する考え方につながります。
⑦「空の思想」では、現象世界のすべての存在は空である、即ち「実体はないので、本当の価値ではない」と考えます。

【パレスチナ問題は何故起こるのか?】
…地球の地理的な一点に、対立する二つの勢力が「聖地がある」と信じることで、その土地の奪い合いが、暴力的手段を含むあらゆる方法で、長い間、継続することになります。
 総本山は聖地ではなく、「聖地のようなもの」と御教示されたことがあります。これで、理会できました。今日はここまでにさせていただきます。感謝合掌です。

※『新版 人生を支配する先祖供養』112頁には、「人間は肉体が死んでも必ず次の”体”を持つ」ことが書かれています。単なる心ではなく、体を持てると言うことは実に有り難いことではないでしょうか。また、「…生命が”表現の主体”である限りに於いて、”表現の客体”である”体”が存在しないということはあり得ないのである…」と書かれています。
 肉体、幽体、霊体、実相の体など表現の形式は変わりますが、それが見える形で存在することは素晴らしい芸術でもあると思います。幽体も霊体もすべて心の影である、と教えられております。実在ではないのですが、「表現できる」、という意味で大変にうれしいことです。

※8月31日の「世界一受けたい授業」という番組を子供たちと一緒に見ていました。すると、長嶋茂雄選手のことが語られていました。ちょうどその時、「彼はなぜ、ピンチとプレッシャーに強いのか?」、ということを論じていました。その答えを、皆様はよくご存じだとは思います。彼は言います。『私はプレッシャーに感謝している!』と。これは、相手からのプレッシャーを味方にするという対称性の論理です。困難に対して、または敵と見える人々に対して、味方の声援であると見る。実に素晴らしい人生の観方であります。素晴らしい日時計主義です。「その感謝の念のうちにこそ、汝は我が姿を見、我が救いを受けるであろう!」ということになります。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

中内 英生拝

| | コメント (0)

平成25年8月31日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑲」

平成25年8月31日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑲」
今日の詩::雨降りて フロントガラス 曇るなり 健康に良い 季節となりぬ
****************************************
【総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。
 「唐松模様」(2013/07/29)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。今日の学習は、「宗教に於ける都市と自然」(6)です。順をおって、内容を学ばせていただきたいと思います。
(つづき)

 第五段落です。「世界の宗教がしてきたこと」、と「仏教の特筆すべきこと」がテーマです。この章での結論は実に興味あることです。この二つのテーマの中で仏教の素晴らしさがのべられています。

【世界の宗教がしてきたこと】
①宗教は人類に、紛争や戦争だけをもたらしたのではありません。
②ユダヤの預言者は、国王の悪政をたしなめました。
③イスラームの指導者達は、政治が信仰から逸脱していると叱りました。
④ローマ教皇は、愛のない国際政治の欠陥を指摘してきました。
⑤各宗教の信仰者たちは、神の御心を実践するために、戦場や飢餓、災害の現場へ駆けつけて、病み、傷ついた人々の救援活動に尽力してきました。
⑥各国では、宗教が説く徳性や倫理を政治に反映させようとする努力も古来から続けられてきました。
 
さて、翻って仏教はどうでしょうか?

【仏教の特筆すべきこと】
①仏教はあまり目立った活動をしていないように見えます。
②仏教は国家権力と結びついて戦争の当事者となることはほとんどありませんでした。
③仏教のみが、世界宗教の中で、武力を伴わずに世界に平和裡に伝播された宗教です。(これはすごいことです。鳩摩羅什や達磨大師、弘法大師、道元などによって、平和裏に祈りと共に伝えられています。このことに、私は不覚にも今まで気がつきませんでした。)
④仏教は、世界で最初の普遍宗教です。
⑤仏教の教義の中に、本当の意味で平和を実現するための教えが含まれていることを示唆しているのではないでしょうか。

 言葉のニュアンスの違いがありますので、ぜひとも原文のブログを拝読願いたいと思います。この御文章の結論として、仏教の特筆すべき存在を強調しておられます。次はその内容に迫ります。

※『新版 希望を叶える365章』90頁には、日々の信仰生活の生き方が書かれています。
「…人生は永いし、現象界は時間的経過を通してのみ進展するのであって、季節が来ないのに無理に実らそうと考えてはならない。無論、促成栽培のように季節はずれに実らせることも出来るけれども、自然に熟した果実のようには美味になることはむつかしい。もっと遠大な計画を、急がず、しかも怠けず、着実に、一歩一歩弛みなく悠々と実践して行くがよい。」とあります。倦まず、弛まずは神の道です。淡々と、着実に、一歩一歩です。

※『生命の実相』頭注版第1巻の157頁には、「選ばれた人々」として、伝道の使命について書かれています。13行目です。
 …これをひろめてくださるのはあなたたちの使命なのであります。他の人々よりも一日早くこの「神の国運動」を知らされたということは、この「神の国運動」の最初の大使徒として選ばれた証拠ではありますまいか。諸君よ、選ばれた使命をゆるがせになしたまうな。時は過ぎ行く。「後なる者先とならん。」わたしはあの信仰深きキリスト教徒が戸別訪問をしながら聖書を売り、入信を勧めて歩く熱心さに心を打たれ襟を正す。諸君も、光明思想をひろめるのに、この熱心なキリスト教徒をならってくださることを希望する。希望は実現の母である。わが希望は必ず実現する。信じて望めば能わざることは一つもないのである。…
 私はこの御文章を拝読するたびに、伝道の勇気が湧いてくるのでした。しかも158頁の13行目の御文章に続きます。
…神は献身を要求し給う。「容易に」ということを神は決して喜び給わないのであります。…。
この御文章を拝読するに至っては、さらなる決意をうながされるように思えるのでした。
 
※『光明道中記』10頁1月2日「人の幸福をねがう日」というのがあります。心の手土産を持参する話が書かれています。心の手土産とは、調和と平安の精神波動を持参することだそうです。人を訪問するとき、相手の家が、神の愛で満たされて調和と平安で満たされていることを念じてその家に入ると書かれています。人が人を訪問するのに、その家の平安を祈りながら戸口をくぐることは荘厳なる行事である、とのことです。これは日々、自分の家に入るとき、または、事務所に入るときに行うべきことなのでありましょう。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

中内 英生拝

| | コメント (1)

平成25年8月30日②「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑱」(島根25/3/18)

平成25年8月30日②「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑱」(島根25/3/18)

今日の詩::汗ばめど 身は健康と 感謝する
****************************************
【総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。

 「唐松模様」(2013/07/29)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。今日の学習は、「宗教に於ける都市と自然」(6)です。順をおって、内容を学ばせていただきたいと思います。
(つづき)

第四段落です。
 宗教と「国、政治権力」との結びつきの問題は、さらに深刻であるとしておられます。
宗教戦争のことが書かれています。日本は深刻な宗教戦争を経験しておりませんが、ヨーロッパではそれはありました。現在も存在するということでもあります。御文章を拝読してみましょう。

①極端な場合は、戦争を引き起こし、かつ遂行する大きな要因となるということです。
②現在に於いて、イスラーム原理主義にもとづくテロがあります。
③テロを撲滅するために、戦争を行って、多大な犠牲を払っています。
④戦争遂行する先進国の多くは、「政教分離」または「聖俗分離」の考え方が採用されています。
⑤④の状態でない国も多いので、信仰を理由とした紛争が延々と続いています。
⑥宗教が原因している戦争・紛争が多いので、「平和に有害な宗教や信仰など捨てるべきだ」という無神論の考え方も生まれているとのことです。

⑥は無神論の考え方ですが、戦いに嫌気がさしてきたという現状でありましょう。
(つづく)

※『正法眼蔵を読む 上巻』24頁2行目には、悟りには伝道の必要性があることが説かれています。
「…そもそも、悟道というものは、自分が悟っただけでは何もならぬのである。そんなものは悟りでも何でもない。真理は愛行に於いてはじめて真実の法となる。上求菩提が下化衆生となって展開して来なければならないのだ。そこで道元禅師は、帰朝されてから、日夜も分たぬ教化活動をはじめられることになった。…」
 求道即伝道です。この精神を忘れずに、しっかりと日々行じて参りたいと存じます。

※もう一つ、同書21頁です。『伝光録』のことが書かれています。叔父の良観法眼に出家の決意を告げます。その時、母親の遺訓を述べるのでした。
「…しかし乍ら母が身罷ります時に、私に対して、ハッキリとお前は出家して学道せよと申されました。そして私もその道を歩みたいと思い続けて来ました。私にとって、塵俗の世は何の望みもありません。ただ出家して、母や祖母、伯叔母等の御恩に報いたいのでございます。…」
 この御文章を拝読して思い出しました。母親が99歳を過ぎたころ私に対して、「お前は定年を過ぎても、体が続く限り真心込めて、総裁先生にお仕えしなさい」と言ったことでした。それは、母親の命令でした。
 また私が21歳の時でしたが、父親が亡くなる前日に、「お前はどんなことがあっても谷口雅春先生にどこどこまでもついて行け!」と言われたことでした。今日、生かされているのも、父母の御恩、父母の願いにお応えさせていただきたいとの思いのみであります。現総裁先生の御心をお伝えすることは、大聖師谷口雅春先生、大聖師谷口清超先生の御心をお伝えすることになると確信しております。

※『新版 幸福を招く365章』の79頁には、「自己に宿る宇宙大生命」という項目があります。その御文章の中に、「…この自己の内に神が宿りいますということが普遍の神の力を動かす支点となるのである。」と説かれています。「支点」!素晴らしいお言葉です。それは、「我神の子なり」、との自覚でありましょう。従いまして、現象を変えようと思わずに、今後はまず、自分の心を変える、すなわち自覚を変える、ということに力点を置きたいと思います。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

中内 英生拝

| | コメント (0)

平成25年8月30日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑰」

平成25年8月30日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑰」
今日の詩::ひまわりや 種重くして 下を向く
****************************************
【総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。

 「唐松模様」(2013/07/29)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。今日の学習は、「宗教に於ける都市と自然」(6)です。順をおって、内容を学ばせていただきたいと思います。
(つづき)

第三段落です。
宗教が経済的権益と結びつくことによっても、「信仰の純粋性」は失われるとしておられます。ここで、大切なのは、信仰の純粋性です。冨とは、智慧と愛と生命との現れであると教えられておりますが、持続可能な冨はそうでありましても、一時的な方便による説き方で資金が集まるということもあるようです。

「経済的権益の乱用の一例」として、「贖宥符」を解釈することができそうです。すなわち、当時のローマ教会のみが独占的に贖罪のためのお札を発行できるという状況の中で起こったことでした。

 白鳩会総裁先生の御講話の内容が御紹介されております。新潟県の良寛和尚のことです。当時の寺請檀家制度に反対して寺を持たずに、乞食の布施行の生活を徹底したのでした。良寛和尚は、子供たちと遊んだりしましたので、私は、生命学園の元祖ではなかろうかと考えております。新潟越南こそ、今後、「生命学園」が大いに盛んになると思います。

  寺請檀家制度ですが、政治的なものであるようです。日本歴史で学んだことですが、すなわち、「キリスト教を排除する」ための一種の民衆囲い込みが目的であり、これによって、寺での葬式や法事が利権化して、僧侶達は托鉢しなくても食べていけるようになったとあります。経済的権益の確立は、(生活は豊かになるものの)、宗教を腐敗に導くことが分かると御教示しておられます。
(つづく)

※今日は、お寺や神社に行った時の神仏の像の見方について学びましょう。『生長の家ってどんな教え?』の185頁です。潜在意識の話が書かれています。現在意識とは別に潜在意識で逆のことを考えていることがあるのです。自分の本当の心の叫びを外側に出す、というのが「像」という訳です。心理学では「投影する」という言葉を使うようです。
 お寺で、仁王様とか鍾馗様とか恐い顔をした神仏の像があります。これは自分の心を外側に投影したものだそうです。四天王は、鬼を踏んづけています。自分の中の欲望を「いけない、いけない」と言って押さえつけている姿を、外側に投影している、と見るわけです。すると、「欲望を制御しようとしている高貴な心が自分にもある」ということが分かります。そして自然に頭を下げたくなります。このような見方をお教えいただいています。これで私も神社仏閣へ行って、神仏の像を見るのに色々と理会が深まることになりました。

※「万教帰一」の考え方が書かれています。同書190頁13行目です。「…万教帰一とは、そういう共通点を重視する考え方です」と説かれています。この「共通点を重視する」という視点で、世界に平和も持ち来そうということであります。これからは、「万教帰一」の考え方が重要になってくるようです。
 また、192頁1行目には、「…すべての教えはただ一つの神から発する…」。さらに、7行目には、「共通点を強調して、違うところは強調しない」というのが我々の基本的な態度であります”と説かれています。お言葉がずしりと心に響いてきます。

※『新版 幸福を招く365章』の79頁には、「自己に宿る宇宙大生命」という項目があります。その御文章の中に、「…この自己の内に神が宿りいますということが普遍の神の力を動かす支点となるのである。」と説かれています。「支点」!素晴らしいお言葉です。それは、「我神の子なり」、との自覚でありましょう。従いまして、現象を変えようと思わずに、今後まず、自分の心を変える、すなわち自覚を変える、ということに力点を置きたいと思います。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

中内 英生拝

| | コメント (0)

平成25年8月29日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑯」

平成25年8月29日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑯」
今日の詩::住宅街 住む人皆に 笑顔満つ(朝夕、すずしくなりました。それが原因の一つでしょうかね。)
****************************************
【総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。

 「唐松模様」(2013/07/29)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。今日の学習は、「宗教に於ける都市と自然」(6)です。順をおって、内容を学ばせていただきたいと思います。
(つづき)
第一段落です。
「贖宥符または免罪符」が今日のテーマです。これは、たしか、世界歴史の教科書で勉強しましたね。
  贖宥符は宗教改革のきっかけとなったようです。
①カトリックの教えでは、正式に免罪符という考えはないようです。
②中世の教会の教え…罪を犯した人は、悔い改めて、司祭の前で罪の告白をしたのち、贖罪のための行為をすれば、罪が赦されることになっていました。(これは、道路交通法で交通違反をすれば、罰金を支払い、再学習をし、交通関係の奉仕をすることによって、再び免停を許してもらうようなものでしょうか。)
③罪をあがなう行為としては、当時は巡礼、断食、慈善などの行為を求められたようです。
④時代がくだってくると、贖罪の対応の仕方が変化したようです。代替えです。「教会への寄進」や「献金」などによって、代替できるという考えが生まれたようです。
⑤上記が、「贖宥符」をお金で購入するという行為につながっていったとのことです。
 
第二段落です。
①ローマ教皇のレオ10世が、それを正式に認めたことが問題を大きくしたとしたようです。
②教皇は、ローマのサンピエトロ大聖堂の改築に要する莫大な費用を捻出するために、「霊魂救済をうながす」と称して、ドイツで大々的に贖宥符を販売することを許可しています。
③それを引き受けたのが、ドミニコ会の修道士であるヨハネス・テッツエルだったそうです。(そこで彼はあるアイデアを思いつきました)
④贖宥符を買うために人々が払う金貨が、贖宥符の中に落ちてチャリンと鳴ると、その人の魂は天国に昇って救われると説いたのでした。そう言いながら、お札を売ったそうです。
⑤それを聞いた人々は、お金さえ払えば、救われると考えて、喜んで贖宥符を買ったといいます。
⑥この教会の行為に、疑問を感じて、ローマ教皇に対して、「95カ条の提題」を1517年に出しています。それが有名なマルチン・ルターでした。

 毅然としたマルチン・ルターの肖像画は未だに覚えています。提題を出すには相当の勇気が要ったでしょう。冨と信仰生活や方便の問題など、色々と教えられることが多いです。

※『新版 希望を叶える365章』の84頁6行目には、生長の家の目的について書かれています。”…生長の家の目的の一つも、それと同じく「人類にゆたかに生命を得させんがため」なのである。それが堕胎防止運動となり、平和運動となり、日本独特の文化の護持運動ともなっているのである。”と。この書物はかなり昔からありますので、おそらく現代的に申しますと、その後には、「環境保護活動」という言葉が入っていくのではないだろうか、と思いました。み教えの本質や真髄を伝えると共に、運動におきましては、環境の変化に対応して、運動の仕方や教えの説き方が変化して行くと考えられます。

※同書86頁5行目には、書かれています。
「力は分散して出したら弱る」ということは法則の第一箇条である。
 逆にいうと、力は集中して出すと強くなる、ということになります。要するに、物事の成就には、集中力が必要です。仕事が有能な人は言います。「目前の仕事または勉強に集中する。それ以外にすることはない」と。そういう人は本当に集中して仕事をしますね。そういう人と一緒に仕事をしていると、同じように集中して仕事・勉強をしている自分に気がつきます。集中力は感染するようです。では読者の皆様、神想観でおおいに集中力を養いましょう。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

中内 英生拝

| | コメント (0)

平成25年8月28日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑮」

平成25年8月28日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑮」
今日の詩::リンリンと スズムシの鳴く 公園の 風さわやかに 夜空を仰ぐ
****************************************
【総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。

 「唐松模様」(2013/07/28)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。今日の学習は、「宗教に於ける都市と自然」(5)です。順をおって、内容を学ばせていただきたいと思います。
(つづき)
第五段落です。
「原点回帰と宗教改革」が今日のテーマです。
「経済的豊かさが人を信仰生活から遠ざける」という問題が一つあります。「物質なし」の教えを信じる私たちは、どんなに豊かになっても、それは本来無であり、心に掴まないことを教えられておりますが、「現象有り」の立場に立ちますと、物質にとらえられて、信仰生活が揺らぐことがあるかも知れません。それ故にこそ、「三正行」を日々実践するように、お教えいただいているのだと拝察申し上げます。

 7月28日のブログで、上記の学びとは別に、もう一つ「権力は腐敗する」ということが説かれております。
「経済的豊かさは、権力と結びつくことが多い。」ということです。改めて書きますと…。

①経済的豊かさが人を信仰生活から遠ざける。
②経済的豊かさは、権力と結びつくことが多い。

①近世までの歴史に於いて、国家と教会は未分離でした。
②教会の権力は、国家によって裏づけられる強力なものでした。
③教会の権力は、人々の日常生活を規制しました。そして、支配しました。

①②③の理由によりまして、ヨーロッパの宗教改革は、この問題にメスを入れたとしております。それが、宗教改革の始まりです。その宗教改革によって歴史が変わっていったのでした。かつ、世界の歴史が作られていったのでした。否定は、まさに肯定的事実を作り出しました。

さて、ヨーロッパに於ける「宗教改革」とは何でしょうか。
①1517年に始まりました。
②全ヨーロッパに広がりました。
③同じ精神のもとに、教会権力の束縛から逃れようとする大勢の人々が新大陸アメリカへ渡りました。
④250年後の1776年、アメリカ合衆国成立につながりました。

 このことを考えてみますと、歴史のうねりは一年や二年で変わるのではないということが分かります。生長の家は、世界に信徒を持つ宗教へと脱皮しつつあります。世界宗教であるキリスト教を見ましても、その流れは、相当の年数のうねりがあります。私たちは、その中で、自分に与えられた使命をしっかりと実践していく必要があるのではないでしょうか。それをお導きくださり、現代に於いて、人類光明化運動・国際平和信仰運動の一大交響楽というオーケストラのタクトを振っておられるのが、現総裁先生であると拝察申し上げます。
 今回の御文章は、くり返し拝読するほど、私見ですが、世界歴史の中に於ける私たちに与えられたご使命の大きさを感じさせていただけるようでございます。今日で、「宗教に於ける都市と自然(5)」の学習を終わらせていただきます。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

中内 英生拝

| | コメント (0)

平成25年8月27日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑭」

平成25年8月27日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑭」
今日の詩::信仰の 原点回帰 聖典を 読誦するなり 我が生きる道
****************************************
【総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。

 「唐松模様」(2013/07/28)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。今日の学習は、「宗教に於ける都市と自然」(5)です。順をおって、内容を学ばせていただきたいと思います。
(つづき)
第四段落です。
「原点回帰」が今日のテーマです。
 難しい問題ですが、豊かになると、彼らの信仰生活に緩みが生じました。従いまして。
①戒律への真剣さが失われました。
②欲望を満たすことへの抵抗が失われていったことが考えられます。

 こうなりますと、次には必然的に改革です。しかもその改革のポイントは、原点復帰でした。
原点復帰とは?…
①修道生活の基本である禁欲的信仰生活です。
②イエスと十二弟子が生きた、「無所有の生活」にもどることです。
③ここでのすべての原点復帰運動は、未来を目標としていませんでした。

シトー会の場合はどうでしょうか。もっと徹底しています。
①イエスよりもさらに時代をさかのぼるモーセの40年の放浪生活に帰ることさえ目指しました。
②①の記述は、『申命記』からです。

①シトー会の中でも最も厳しい戒律を持つのが、「厳律シトー会」です。
②厳律シトー会の流れを汲む修道会が日本にいくつかあります。有名なのは下記の二つです。
 ※当別トラピスト修道院(北海道)
 ※大分トラピスト修道院(九州)

『トラピスト』の意味ですが…。
①「トラップ修道院」の戒律に従う、という意味の通称です。この修道院はフランスのノルマンデイー地方にあります。
②正式には、『厳律シトー修道会』です。

 だんだんと戒律の中味が知りたくなってきました。しかし案外、これくらいならばできる、という感じかも知れませんね。
 結論は、次回にしましょう。学ぶべきことがたくさんありますので。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

中内 英生拝

| | コメント (0)

平成25年8月26日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑬」

平成25年8月26日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑬」
今日の詩::読書ある 真実一路 我が道程 原点復帰 学生となる
****************************************
【総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。

 「唐松模様」(2013/07/28)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。今日の学習は、「宗教に於ける都市と自然」(5)です。順をおって、内容を学ばせていただきたいと思います。
(つづき)
第三段落です。
 ここら辺から、実に興味深い内容になります。勤勉であるが故に、豊かになることはやむを得ません。しかしその活用方法に課題が残されていたようです。「経済的豊かさから生じる人間の心の問題」です。某寺院でも修行のために建てられたのですが、観光化しているようです。行かないよりかは、行く方が良いかも知れませんが、宗教が世俗化するのは、どこまで許されるのでしょうか。大きな課題です。さて、次のような内容です。

①当時の社会では、教会が国から手厚く保護されていました。これが豊かさの背景にあります。

②教会の所領と聖職者は、租税を免除されていました。

③犯罪で告発された聖職者は、軽犯罪の場合は法廷ではなく、教会での裁判が許されていました。仲間内の裁判であるようです。(身内には甘い、という意味でしょうか。)

④教会に大きな経済的恩恵を与えた制度として、教会が金銭や財産の遺贈を受けることが許されていました。これは金額が大きいでしょう。

⑤④によって、ヨーロッパ中の国王と貴族が、自分たちの冨を贈与することを美徳の徴(しるし)と考えるようになったそうです。

⑥その結果、教会と修道院は、しだいに富裕となりました。数世紀たつうちに、所有地からあがる収入だけで、ヨーロッパのどの国の歳入をも上回るようになったとのことです。

 これは、経営の安定化であると同時に、事業経営すなわち俗なる部分が大きくなり、気を付けませんと聖なる部分とのバランスに問題が生じることも考えられます。要するに、生活が楽になりますと、他人のためにつくすという、信仰的部分の努力が少し後退する危険性があるのかも知れません。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

中内 英生拝

| | コメント (0)

平成25年8月25日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑫」

平成25年8月25日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑫」
今日の詩::研鑽や 信徒の学び 休みなし  共に歩まん 永遠の道
****************************************
【総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。

 「唐松模様」(2013/07/28)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。今日の学習は、「宗教に於ける都市と自然」(5)です。順をおって、内容を学ばせていただきたいと思います。
 
(つづき)
第二段落です。
ヨーロッパ中世の研究者であるアン・フリーマントル氏は、ベネデイクト派の修道士たちの社会への貢献について書いています。なかなか素晴らしいと感動して拝読しました。

①「新しい農業技術の試験場機能」…修道院の穀物畑、菜園、果樹園、養魚池などは、まさに試験場のようだったそうです。素晴らしいです。

②「図書館機能」…幾度となく繰りかえされた蛮族の侵入による破壊の手を逃れた書物の宝庫であったとしております。(これがあるので、歴史や文化を語り伝えることができたのでしょう。インカやマヤの文明は、侵入者が文書を捨てたので、彼らの歴史は失われたと言われています。

③「写字室機能」…写字室の中で、修道士たちは、書物を転写した。ヴェルギリウス、オヴィデイウス、シーザー、キケロなどの作品や、ギリシャ語で書かれた著作のラテン語訳を後世に伝えた。(かなり高度な作業ですね。)

④「製作機能」…修道士たちは、自分の衣服を織った。自分の葡萄酒を作った。大工や石工の仕事も自分で行った。(めんんどくさいが世界を救う、を地で行っていたのではないでしょうか。)

⑤「教育機能」…修道士たちは、これらの有益な技術を、周辺の農村の人々にも教えた。(教えるという機能は、重要です。生長の家での伝道はこの機能であるように思います。善き生活の仕方や人生の生き方を教えるわけです。

⑥「救済機能」…病者や飢餓者を修道院の救護院で収容した。(マザー・テレサの活動の原点もこのあたりにあるのかもしれません。)

⑦「教育事業機能」…学問したい者には、修道院学校で教育を授けた。(これはすごいですね。ともかく教育は大切です。米百俵の逸話を思い出します。)

⑧家郷を遠く離れて旅をする者には、修道院の客員室を提供した。(四国遍路さんへの宿の提供みたいなものでしょうか。)

  以上を読んで見ますと、地域貢献度が大であると思います。私たちも地域貢献度を高めたいと思います。境内地内でのゴミ置き場機能や、生命学園で地域の子供たちに心の教育
を行うこと。などなど、地域貢献度が高いほど宗教の存続率が高まるのではなかろうかと考えられます。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

中内 英生拝

| | コメント (0)

平成25年8月24日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑪」

平成25年8月24日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑪」
今日の詩::リンリンと スズムシの鳴く 夜長かな
****************************************
【総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。

 「唐松模様」(2013/07/28)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。今日の学習は、「宗教に於ける都市と自然」(5)です。順をおって、内容を学ばせていただきたいと思います。
 
(つづき)
『聖ベネデイクトの戒律』について第一段落には書かれています。どのような定めなのでしょうか。
①食事や服装の決まり
②代表者の選び方
③最低5時間の手仕事
④3時間おきに行う1日8時間の祈りの儀式
これらが細かく定められているそうです。練成会は楽しいですが、これらの行事はかなり違うようではあります。おそらく戒律もなれてくれば、楽しくなるのでしょうね。そうでないと、このように何百年も続くはずがありません。

 最初は初心者の小さな決まりとして定められていましたが、しだいにカトリック全体にとって、なくてはならない戒律に変化してきたようです。しかし、形が定まると、それを形式を打ち破ろうとする動きも出て来たのかも知れません。形式化と自由な生命の発現、なかなか両立は難しいものです。
 また、これらは何回もの改革を必要としたそうです。理由は、主として、経済的発展との関係であるとのことです。

 修道士たちが重んじたのは、農作業を含む手仕事でした。かれらは大変、勤勉でした。
①厳しい環境の中でも工夫や努力によって自給自足的な生活から冨を生み出した。
②その結果、経済力を手にした。
③文化を生み出しました。文化を育てました。文化を伝えました。
これらは修道制度の光明面でありましょう。
 真摯な姿勢が真摯な戒律を生み出したのです。現象には二面性があります。上記はまずその中の光明面を検討するというものです。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

中内 英生拝

| | コメント (0)

平成25年8月23日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑩」

Img710


平成25年8月23日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑩」
今日の詩::木槿咲き 空の青さに 清き水
****************************************
【総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。

 「唐松模様」(2013/07/27)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。今日の学習は、「宗教に於ける都市と自然」(4)です。順をおって、内容を学ばせていただきたいと思います。
 
(つづき)
 第4段落から最終段落までです。スーフィズムについて述べておられます。かつてスーフィズムについて調べたことがありますが、興味深いものが多々ありました。では、内容を学んで参りましょう。
 ウマイヤ王朝は、西暦661年に成立しました。その初期には、都市の乱れに堪えかねて、現世を否定的に見るなど、魂の救済を求めるスーフィズムの運動が起こったといいます。
それは、何故でありましょうか。まず根本的な考え方を検討します。
①『コーラン』は、聖書の記述を前提にしています。コーランとは、イスラームの教典です。
②これらの聖典には、「最後の審判」が説かれています。聖書では、『ダニエル書』や『ヨハネの黙示録』などで、「最後の審判」と現世の終わりを予言する終末論が説かれているのです。
③従って、物質主義的な都市の繁栄に疑問を感じたスーフィーたちは、「享楽的な生活の末は、必ず滅亡がやってくる」という信仰から、危機感を感じて、運動したようです。

 そして、スーフィー達の修道生活が組織化されていった原因は何でしょうか。それは、何とキリスト教の修道者たちでありました。ここでキリスト教とイスラームの対称性の論理を発見できると思うのです。
 
①修行道(タリーカ)の組織化に大きな貢献をしたのは、キリスト教徒でした。
②かれらは、すでに400~500年も以前から、主としてシリア地方からアラビア砂漠の奥地にまで入り込んで隠栖生活を送っておりまして、特色ある修行実践道を作り上げていたとのことです。
 私は、これらの宗教の実践期間の長さを考えるにあたって、まだ立教80年少しの生長の家は、伸びるのはこれからであると、考えるに至りました。しかも、実践行として、神想観、聖典読誦、愛他行など、完璧な理論体系と哲学が確立されております。あとは、総裁先生のご指導に従って、ひたすら実践するのみであります。

 さて、スーフィーの生活はどのようなものだったのでしょうか。井筒氏の本から引用されています。
①彼らには、種々の特色ある風習や生活様式がある。
②現世的事物の極小部分をもって満足する。
③食物のごときも、絶対必要の最少量しかとらない。
④衣食住を最小限に切り詰めている。
⑤富裕を捨てて、貧困を選ぶ。
⑦欠乏を好んで豊沃を避ける。
⑧満腹を去って飢餓を取る。
⑨すべて多よりも少を選ぶ。
⑩高位顕職を望まない。
⑪万人万物に慈悲を施す。
⑫大なる人にも小なる人にも、共に謙虚な心を失わない。

 結論として、洋の東西を問わず、宗教運動の中には、以下のような歴史があるとのことです。
①人間は洋の東西を問わず、物質的繁栄や享楽的生活に弱いということである。
②信仰深い修道士でさえ、豊かな生活の中でつまづくこともあった。
③しかし、そういう自分たちの心の弱さを知っていた。
④深く反省した。
⑤さらなる神への従順を決意した。
⑥欲望を抑え排除した。
⑦進む意思を貫いた。
⑧何度でもそれを実行してきた。
⑨そのような努力は決して無駄だったのではない。
⑩その努力の中から、価値ある文化や思想が生まれた。
⑪その価値ある文化や思想が後世に伝えられてきた。

  以上であります。生長の家が世界宗教としてさらなる進展を目指すにあたり、世界宗教としての先輩宗教の歩んできた道を研究し、学び、善きところは取り入れていくことは極めて、必要なことではないでしょうか。

※8月24日は、山陰では豪雨だったようです。心配になって友人に雨の様子を聞きました。すると友人は、家は大丈夫だったそうです。でも会社は床下浸水でした。心配なので、何度もご自宅で、『大自然讃歌』を拝読しておられたそうです。不安感がなくなったといっていました。地球温暖化で気候変動による災害が増えれば増えるほど、『大自然讃歌』の拝読は極めて有効であると思わせていただきました。感謝合掌です。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

中内 英生拝

| | コメント (0)

平成25年8月22日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑨」

Img705


平成25年8月22日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑨」
今日の詩::大雨と 聞けば縁ある 人思う  あの川は今 大丈夫かなと
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。

 「唐松模様」(2013/07/27)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。今日の学習は、「宗教に於ける都市と自然」(4)です。順をおって、内容を学ばせていただきたいと思います。
 
(つづき)
第1段落から第3段落までです。都市の堕落について、キリスト教もイスラームもそうとうの課題であったようです。そう考えてみると、かつてのニューヨークの9,11の多発テロに関しても、その潜在的な理由の一つを垣間見るようにも思えます。

 聖ベネデイクトが修道院の生活の規範としたのが、「聖ベネデイクトの戒律」ですが、12世紀に至るまで、西方教会唯一の修道会規であったようです。またフランシスコ会、ドミニコ会など多くの修道会の会憲や会則のモデルになったようです。
 ここで女子修道院という言葉が出ています。ベネデイクトの妹スコラステイが同じ精神で、女子修道院を開いたものだとのことです。会員は、清貧、従順、貞潔、定住という誓願をたてることになっています。労働と祈りの中で、共同生活を送るとしております。この中で、「定住」とはどのような理由から来たのか考えてみました。定住というのは、当時は、定住せずに、あちこちさまよう人が多かったということでしょうか。またそれは、自然の中での定住を目指していて、都市と都市の間をさまようように移動することを戒めたのでありましょうか。

 イスラームに於いては、スーフィズムのスーフィーたちが、キリスト教の修道会の制度を取り入れたとのことです。井筒俊彦氏の著書が紹介されています。ムハンマド没後の661年に始まるウマイヤ朝期には、イスラームは都市において拡大しています。そこで、物質主義的、享楽主義的文化に影響されたとしております。すなわち…。
①教祖在世のころ、信徒の胸に烈々と燃えていた信仰の焔は消え失せた。
②宗教は外面的儀式となった。
③人々は神の恐れを忘却した。
④ひたすら現世の快楽を追い求めるに汲々たる有様であった。
 
 その当時の都市の論理について書かれた本(藤田弘夫著『都市の論理ーー権力はなぜ都市を必要とするのか』を紹介しています。当時の都市の状態の描写のようです。ここまで言わなくても、とも思いますが、当時の都市の悪い状態を極論しています。
【都会人】
①都会の人は一般にさまざまな快楽にひたり、奢侈や現世に於ける栄達や欲望の追求に身をゆだねがちである。
②かれらの心は悪に染まってしまう。善の道からはずれてしまっている。
③都会の生活は、文化の頂点である。しかも、堕落への出発点である。
④都市生活は、悪の最後の段階であり、善からもっとも遠い。

【田舎人・砂漠の民】
①都会の人と同じように現世のことに関心をもっているが、多くは生活必需品に関してである。
②彼らの関心は、奢侈とか快楽の対象となるものについてではない。
③田舎人・砂漠民の行動を規制する習慣は、生活様式が単純であるが故に、彼らが犯す過ちも、都会の人の過ちと比べると微々たるものである。
④田舎人・砂漠民は、自然状態に近い生活である。都会の人と違う。
⑤田舎人・砂漠民は、都会人のように罪深く、醜い行為を繰りかえすうちに芽生える悪徳に心が染まっていない。
⑥容易に罪を諭し、善行に導きうる。

 いかがでしょうか。私は郷里は田舎町でありました。周囲は家が密集していました。現在の住居は住宅街の中です。教化部も廻りにはかなり人家が密集しています。もちろん田んぼ面積はかなりありますが…。
 私は、都市というものの性格をここまで考えてみたことはありませんでしたね。しかし、環境問題が起こる現代では、考えることが当然必要なことでありましょう。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

中内 英生拝

| | コメント (0)

平成25年8月21日「ノーミート料理の生活を楽しもう!」

Img706


平成25年8月21日「ノーミート料理の生活を楽しもう!」
今日の詩::今日もまた 心爽やか ノーミート
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。

 去る8月11日、夏季中学生・高校生一日見真会が開催されましたが、ノーミート料理の説明講話で、担当地方講師がよい資料を作ってくれました。ご本人の了承をいただきまししたので、内容をもとにして、ブログ用に加工させていただきました。ご参考にして下さい。

 そもそも生長の家では、なぜノーミート料理が推奨されるのでしょうか?それは肉食と環境の問題が浮かび上がってくるからです。
①飢餓に苦しむ人たちに行きわたるべきトウモロコシや他の穀物的食物が、家畜の主たる飼料となっています。
②飼料の耕作地確保のために、森林伐採が地球規模で行われています。二酸化炭素の吸収を行うアマゾンなどは、急激に森林が消滅しています。→地球温暖化、気候変動、自然災害の激化、となります。
③牛や羊などの家畜から出るメタンガスの量は、温暖化に影響が出るほど深刻です。メタンガスの温室効果は、二酸化炭素よりもかなり強いからです。
④他の生命を奪うことがないように心懸けることが大切です。殺す者は殺されるとの、動反動の法則が働きます。他の生命を侵さない倫理的食事が神の愛を本質とする神の子にとってふさわしいです。宗教心の観点から食生活を考えることが大切です。また、現代の飽食は、必要以上に他から奪っていると考えられます。

【肉1㌔㌘のために使われる飼料はどれくらいでしょうか?】
牛肉1㌔㌘→穀物7㌔㌘
豚肉1㌔㌘→4㌔㌘
鶏肉1㌔㌘→2㌔㌘
マグロなどの魚1㌔㌘→1、8㌔㌘

 私たちは、「肉食をしたい」という欲望に振り回されるのではなく、宗教的良心を生かす食生活をしましょう。それは、生物多様性を生かし、他の生命を犯すことのない倫理的食生活です。食べることによって罪を感じることのない生活です。
  人間は神の子である、という信仰から、現代を生きぬき、未来を担う人々に大いに考えていただきたいのです。

 生長の家総裁谷口雅宣先生のブログ(2009年11月18日)には、次のような重要なことがご教示されております。
「食肉産業全体から排出される温室効果ガスは、地球全体の51%という高い数値がでました。2006年の家畜からの排出量は、18%とされていたが、産業全体を含んだためこのような高い数値となった」としております。これは凄いことです。人類の肉食をしたいという欲望のために、さまざまなものを犠牲にしているのが現代なのでありましょう。

 地球環境、経済、戦争などすべての事柄はつながりあっています。若い世代の皆様!。世界平和に貢献するために、地球全体を俯瞰できる視野を持とうではありませんか。
それは、現代を生き抜き、明るい未来を切り開く「生長の家のみ教え」を学ぶことによって、はじめてすべて可能となるのであります。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

中内 英生拝

| | コメント (2)

平成25年8月20日「喜びの龍宮住吉本宮”団体参拝練成会”に参加しましょう!」

Img704


平成25年8月20日「喜びの龍宮住吉本宮”団体参拝練成会”に参加しましょう!」
今日の詩::我愛す 地球のいのち 愛でながら クーラーなきを 愛のあかしに
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。

次の文章は、来月号の『越路』に掲載する予定のものです。ブログの読者の皆様に前もってお伝え致します。

 神の子の皆様、有り難うございます。
あなた様が団体参拝練成会に参加なさる季節が参りました。団体参拝練成会では、「神・自然・人間の大調和を祈る」こととその実践を行います。
 地球温暖化問題を解決する行動は、信仰者としての倫理的行動であり、全地球生命を救済する運動は、「大調和の神示」の実践であり、かつ神の御心に叶った行動であります。

 「私は毎回、団体参拝練成会に行っています。団体参拝練成会は恒例の旅です。谷口雅春先生、谷口輝子先生、谷口清超先生をお祀りしている奥津城でお経をあげて、一年間のお導きのお礼と、次の団体参拝練成会までのお導きをお願いすることにしているのです。両親のいるふるさとに帰ってきたような安らかな気持ちになるのです。不思議に…。魂の故郷なんでしょうね。総本山は!」
 このように喜びをご表現なさる人がたくさん、新潟越南教区にはおられます。

待ちにまった団体参拝練成会が、しだいに近づいて参りました。団体参拝練成会は練成会として特別の意味があります。
 それは、住吉大神様のお導きをうけて、人類光明化運動・国際平和信仰運動、新潟越南教区に於ける光明化の活動を行う使命感を高揚する絶好の機会であるからです。毎年、毎年、団体参拝練成会で住吉大神の霊的禊ぎ払いを受けて、使命感と霊的パワーをいただくことは、大きな喜びあるとともに、運動推進への使命完遂の誓いの場となるのです。

 総本山の龍宮住吉本宮と龍宮住吉霊宮は、生長の家の立教の使命実現を期して、大聖師谷口雅春先生の御心により建立されました。実相の世界、住吉の世界、西方十万億土の向こうにある極楽浄土より、お出ましいただいて、住吉大神として顕祭し奉り、日本国、日本国民、世界の国々と人々を、人間神の子・万教帰一のみ教え・真理のよって救済すべく活動が開始されました。お出ましいただく場所を、「鎮護国家出龍宮顕祭殿」として私たちは、浄めの場に入らせていただくことができるのです。

 「龍宮住吉本宮」鎮座祭の日、小職は境内地でお役についておりましたが、朗々と響く招神歌、幾度も繰りかえされるケイヒツの声と、大聖師の御気合い、緊張感が極度に高まった後、鎮座祭の御祭は終わりました。私は、「これから世界は善くなっていくんだ」という喜びと確信が悠然と湧いて参りました。
 その時、谷口雅春先生は、「いよいよ、生長の家大神が住吉大神として、現実界に御出御遊ばされまして、これを契機として、世界中の変化が起るということになっているのであります」と宣言されました。そのお言葉をお受けして、団体参拝練成会が始まったのでした。

 団体参拝練成会は、生長の家が説く「人間神の子」「万教帰一」「唯心所現」の教えを、献労や浄心行などの「行」によって、全身全霊で理会するという最高の機会です。総本山発行の『顕祭』には、頭脳智では考えられない奇跡的な体験が掲載されています。それを拝読するにつけ、いかに団体参拝練成会が素晴らしい練成会であるかが分かるのであります。
「知・信・行」といういう言葉、「知行合一」という言葉などがあります。頭脳智で真理を理解するということは、真理のまわりをどうどう廻りして、真理の外的な姿を知るに過ぎませんが、行じることによりまして、「神・自然・人間の大調和」を如実に知るにいたるのであります。

 団体参拝練成会では、全国から集まってこられた多くの人々とともに神想観をし、聖経を読誦し、献労をして、聖霊に導かれて、心と魂を浄めて、人間神の子の自覚を深めることができます。実に楽しく有り難く素晴らしい団体参拝練成会です。
 日常生活におきまして、他人を裁いたり、自己卑下に陥ったり、感謝を忘れ、日時計主義の実践を忘れたところから来る、心の悩みや、人間は肉体であるという迷いから生じる病気などがあります。
 団体参拝練成会に参加して、それらの諸問題が瞬時にして消滅するのは、住吉大神の御守護と、大聖師谷口雅春先生、大聖師谷口清超先生、聖姉谷口輝子先生の聖なる願いと祈り、そして参加者の皆様の切なる祈りによって、そのような体験が現れてくるのではないでしょうか。

 現在、生長の家は、国際本部を山梨県八ヶ岳へ移しました。そして、「自然と共に伸びる運動」を推進しています。団体参拝練成会は、その信仰を身につける絶好のチャンスでもあります。人と自然の大調和実現の霊の選使として、人類光明化運動・国際平和信仰運動を推進することができることこそ、この地上に生まれた真の生き甲斐であり、歓喜であると思います。

 お一人でも多くの人々に団体参拝練成会にご参加できますようにお誘い下さい。誘われてご参加された方は必ず喜んでくださいます。この度の団体参拝練成会に参加して、深き信仰を身につけ、総裁谷口雅宣先生に中心帰一して、世界中の信徒の皆様と共に、「人間・神の子」の信仰をお伝えし、全地球生命の救済に立ちあがりましょう。
 私たちは、「唯一絶対の善なる神への信仰」によって、新潟越南教区110万人の人々を幸福にし、この地に人と自然の大調和の世界を実現することこそ、吾らに与えられし偉大なる使命であります。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

中内 英生拝

| | コメント (0)

平成25年8月19日「私は毎日”大吉人生”!」

Img707


Img702

平成25年8月19日「私は毎日”大吉人生”!」
今日の詩::感謝あり 学びて生きん 存命の 今にこそ我 ただひたすらに
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。

 先日、中高生一日見真会が終わる頃に、青年会の皆様からプレゼントがありました。「ちょっとしたプレゼント」という言い方が何とまあ、素敵な言い方かな、と思いました。
まず、番号札をもらいました。そして紙袋にたらした糸を引き上げると、中から何か書いたものが、くるくると筒にしていました。それを開けると真理の言葉が書いてました。そして、だれもが「大吉」だったようです。

私の分は、「感謝する心の中にこそ天国がある」、との言葉でした。幸福感とはこんなものかな、と思います。Heaven is indeed found in a grateful mind. こんな英文も添えていました。

 感謝の心は人生に希望を与えます。感謝できる力を持つことが幸福の要件です。感謝できるのも一つの力ですね。信仰の実力です。感謝は単なる受け身の心ではなく、積極的な創造力です。報恩感謝の念は絶大な力を発揮します。人生の希望は、人間に生きる意欲や希望を与えます。感謝は人間の肉体を健康にします。また環境を整えようとする気力を与えてくれると書かれています。整理整頓などという言葉も、これから良くなるんだ、という思いがないととてもできませんね。
 ある人が、どんなことにも感謝できるようになるには、まず、「有り難うございます」と唱える。その後、なぜ有り難いかをじっくりと考えるのだそうです。これは、ポリアンナの良いこと探しの努力と同じようです。

 感謝の中にこそ、神が顕れます。どんなことでもよくなります。感謝の心以外に、良い世界を作る原動力はない、と書かれています。
 大調和の神示でも、汝等、天地一切のものと和解せよ、とありまして、和解するとは感謝することであると示されています。
信仰の原点ですが、実に大切なことですね。日々、原点回帰です。それが神想観であり、先祖供養であり、聖典読誦であり、愛他行です。このようなみ教えを受けて本当に私たちは幸福です。
 しかも、私たちが原理主義に陥ることなく信仰を生きていくことができますのは、総裁先生がその時々の時代にあった新たな教義をお説き下さるからですので、本当に有り難いことです。感謝合掌です。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

中内 英生拝

| | コメント (0)

平成25年8月18日「友人との情報交換と気づき」

Img708


平成25年8月18日「友人との情報交換と気づき」
今日の詩::外は雨 日ごとに秋の 気配あり
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。

 生長の家の聖典には、名著という御本がたくさんあります。今日は、友人からそれらの御著書をもっと拝読して、説くことが必要ではないか、との助言をいただきました。生長の家のみ教えの素晴らしさはどの本にも説かれていますが、ぶ厚い本には特に詳しく書かれています。
 紹介していただいた聖典は、『維摩経解釈』『無門関解釈』などでした。私は、それらの名著と、現在の総裁先生の今説かれるみ教えとを両方説かせて戴きたいと考えております。『維摩経解釈』や『無門関解釈』は、かなり勉強しておきませんと、皆様に訴える力が出て参りません。自分の精進努力が必要です。これらは必死になって勉強しなければ、自分自身が良く分からない状態で伝えることになりますので、十分の力を発揮することはできないでしょう。
 一緒に話していたもう一人の友人が、「私は国訳大蔵経100冊を読んだ」と言っていました。会話を聞いていて、「ともかく、すごいなあ」、という感じでした。

 『新講 甘露の法雨解釈』もテキストにしているようです。この聖典は、なじみがあります。その他に、『菩薩は何を為すべきか』という聖典も教えていただきました。私は、うれしくなりました。これらの聖典を信徒の皆様が広く拝読するようになりますと、「み教えが教区に根強く残る」ということになります。私は、「み教えが根強く残る」という言葉に非常な感銘を受けました。素晴らしいことです。

 「求道と伝道」ではなく、「求道即伝道」であるともその友人から教えられました。良き友人との出会いというものは本当に素晴らしいと思います。聖典はさまざまの名著がありますが、まずは、『365章』のシリーズから始めていきたいとも考えております。「365章」のシリーズは、偏りなく広く真理が説かれているからです。

 友人は言いました。『生長の家の本当の素晴らしさを説くと、どんな人でも引きつけられて、み教えから離れなくなる」と。「こちらの説く真理が薄くなると、信徒さんは来なくなるよ」とも言っていました。確かにそうです。伝道者に、生命の実相の自覚、神の子の自覚が薄まると体験が出なくなるし、教えが伝わらなくなると思います。すなわち、生長の家の根幹的なものを伝えることが必要です。根幹的な真理とは、唯神実相の真理でありましょう。私は友人のアドバイスで強くそのことを感じたのでした。そして、その展開である現代的なみ教えを同時に説かせていただくことが、今後の私に課せられた任務でありご使命ではなかろうか、と思いました。

 私をここまで導いて下さった方に、故T元本部講師がおられます。もし、現在もご存命であられたならば、未だ真理を説く力が不足している私のことを嘆いておられたかも知れません。そのことを思いますと、顔晴る以外にないと思うのです。
 自分の中にある本当の力を発揮する。そして、生長の家の本当の素晴らしさをお伝えする。その真理を、現在の総裁先生がお説きになっておられる環境問題や対称性の論理や日時計主義など、につないでいく。これが、私に課せられた任務であり、使命であると思わせていただきました。
 これからは己の内なる本物の力を出そう、と思います。もしも、今の運動を充分に理解していただいていない人がおられるとするならば、それは、私たちに対する「がんばれ!。本物を出せ。本当の真理を説け!」と励ましてくださっている味方の声援であると思います。観世音菩薩様のお姿であります。

 もうひとつ、盂蘭盆という意味を教えていただきました。「うらんばな」というインドの言葉から来ているのだそうです。これは、「逆さづり」という意味で、逆さづりのような苦しみの人々を救う、という意味があるそうです。
 木蓮尊者は母親が餓鬼道に落ちていたのを救いたいと思うのですが救えません。お釈迦様に教えを請います。「僧侶を招いて、供養すると救われます」とのことでした。それを実践すると、母親が極楽往生することができたそうです。それで、旧暦の七月十五日にご供養をするのだそうです。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

中内 英生拝

| | コメント (0)

平成25年8月17日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑧」

Img701


平成25年8月17日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑧」
今日の詩::友人の 学ぶ姿を 励みとし 我も向かわん 悦びの道
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。

 「唐松模様」(2013/07/26)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。今日の学習は、「宗教に於ける都市と自然」(3)です。順をおって、内容を学ばせていただきたいと思います。講話の内容をお書きになっておられます。
 
(つづき)
研修は都市と自然を背景として、宗教が抱えてきた諸問題について学ばせていただきました。キリスト教には、「金銭や財産がたくさん集まる都市は、自分が”完全”になるための障害となる」というような考え方があるようです。
 次の聖句からの発想のようです。転載させていただきます。

(『マタイによる福音書』第19章21節)
「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
 
 上記の言葉に従って、金銭欲や物欲を捨てて、自然の中で可能な限り無一物で神と共に生きるという思考が、修道院生活の基本にはあったとしております。大本教は森の中にはありませんでしたが、谷口雅春先生の大本教時代の生き方は、似ている面があったのでは無かろうかと考えられます。
 もう一つ、上記の聖句のあとに有名なキリストの言葉、すなわち私たちが聖典で目にする言葉です。この言葉はあるいは清貧礼賛的であるとも考えられます。
 
「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。(同章23~24節)

 この聖句を実行しようとした初期の聖人としては、エジプトの聖アントニウス( 250-356)という人がいたそうです。
 聖アントニウスは、羊飼いなどの牧夫の守護聖人と見なされています。エジプト北部地方に棲んでいました。
 キリスト教では、禁欲的な修道生活の創始者とされているそうです。
この禁欲的修道生活の伝統は、ギリシャ正教、ロシア正教も含めたキリスト教全体の中では、非常に長く、影響力も大きかったようです。
 その伝統を確かなものにしたのが、聖ベネディクト(480-547)によって打ち立てられたベネディクト派の「聖ベネディクトの戒律」でした。生長の家では、戒律というようなものは見当たりませんが、当然のことながらルールや信条や為すべきことなどは教えられております。ベネディクト派は、カトリック教会最古の修道会として知られているそうです。

 どのような会派であったのでしょうか。
①529年にヌルシアのベネディクトがローマとナポリ間にある標高約500メートルの岩山、モンテ・カッシーノに創建した会派です。
②その戒律は「服従」「清貧」「童貞(純潔)」でした。
③ベネディクト会士は黒い修道服を着たことから「黒い修道士」とも呼ばれました。
④同会の伝道範囲・活動範囲は、イタリア半島のみならず現在のイギリス、ドイツ、デンマーク、スカンジナビア半島、アイスランド、スイス、スペインに及びました。
⑤中世ヨーロッパにおいて、伝道、神学、歴史記録、自然研究、芸術、建築、土木などの分野に果たした役割は大きいとのことです。
 このことから類推しますと、相当に堅固な信仰を持っておられたように見受けられます。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

中内 英生拝

| | コメント (0)

平成25年8月16日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑦」

Img709


平成25年8月16日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑦」
今日の詩::蝉は鳴く 京の駅前 木の梢 
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。

 「唐松模様」(2013/07/26)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。今日の学習は、「宗教に於ける都市と自然」(3)です。順をおって、内容を学ばせていただきたいと思います。講話の内容をお書きになっておられます。
 
まず、このテーマが選ばれた理由は何でしょうか?

①国際本部が大都市である東京の原宿から、八ヶ岳の森の中の自然界へ移転したこと。
②生長の家は都市から自然に本拠地を移しました。そこで何をするのかが、一番大切なことであり、重大な関心事であるからです。
③その問題意識をもって、世界の宗教の歴史を紐解いてみます。すると、「都市と自然」との関係という観方で見ると、その中で色々な経験をしていることが分かります。
④それらの経験から私たちが学ぶべきことがある筈です。それを吸収することが目的です。

 おぼろげながら理解していたように思いますが、明確な目的があったことが分かります。
ここで、資料の中の文章が示されています。内容をほぼ次のようなものです。
①古代における伝統的な都市の多くは宗教の中心であり、必ず宗教施設が置かれていました。
②釈迦が都市を支配する王家の出身でした。
③イエスは都市労働者の子でした。そして、都市に溶け込んで布教しました。
④ムハンマドも当時の国際商業都市であるメッカに生きる商人でした。
⑤そのことから考えると、仏教、キリスト教、イスラームなどの世界宗教も、都市なくして誕生しなかったし、また発展することはできなかったと思われます。
⑥日本に於いても、現在に続く多くの仏教宗派が鎌倉時代に成立しました。
⑦日本宗教に共通する大きな特徴は都市で始まったことです。
⑧従いまして、都市には、宗教を生み育てる重要な要素が存在するに違いありません。
⑨その一方で、都市は人間が自然の過度な影響を排除して生きるために構築した場です。⑩都市は、人間の欲望を満たす場でもありました。
⑪都市には聖と俗の要素がありました。
⑫都市には、善と悪の要因が混在しておりました。
⑬その中からこそ、「宗教」が生まれたと考えられます。

 「泥中生蓮華」とでもいうのでしょうか。泥は汚いと言えば汚いですが、その中には多くの養分があり、蓮華の花を咲かせてくれます。宗教は言葉で伝わりますので、高度な文化がないと、伝えることも難しいとも考えられましょう。
 私自身も、出身は都市とまではいきませんが、郡部の町です。人がいるので、み教えを伝えていただいたともいえると思います。
(つづき)

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

中内 英生拝

| | コメント (0)

平成25年8月15日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑥」

平成25年8月15日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑥」
今日の詩::親友と 一年一度の 再会は ご縁神縁 宇治の大祭
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。

 「唐松模様」(2013/07/25)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。「宗教に於ける都市と自然」(2)です。
 日本に於ける仏教の「都市と自然」の問題です。これは私には馴染みやすかったです。
日本の仏教は、蘇我入鹿や聖徳太子の時代にさかのぼりますが、日本人とは非常に深いご縁です。今回は、道元の曹洞宗が論じられていました。興味深く拝聴しました。このブログの中で、何故に生政連の活動が中止されたのか、という宗教的意味を教えられました。また、求道に偏っている人、伝道衆生救済に力が入りすぎている人(家庭や求道よりもという意味です)、などなど色々とバランスを考えることができました。

 さて、道元が創始した曹洞宗の歴史をたどりながら、禅宗系の日本仏教の中での「都市と自然」関係を考察しています。具体的には、「永平寺三代相論」と呼ばれているところの、同宗内部の対立の中で、「都市と自然」がどのように扱われたかを考察しています。
 仏教では「上求菩提、下化衆生」という言葉があります。古来から、悟りを求めることの求道と、民衆を救うことの伝道の両立が問題にされたとのことです。
「求道と伝道のために」との「求道と伝道は車の両輪」との言葉が示しております。曹洞宗に於いても、真理の探究を重視する流れと、民衆への布教を重視する流れとがあるようです。
「都市と自然」との切り口で考えますと、求道派が都市から離れた永平寺を守りました。そして、伝道派が永平寺から分かれて総持寺を建てます。さらに、横浜市という都会の真ん中に移転して、それ以後、その流れを守ってきています。

 この両派が分かれる原因となった論争が「三代相論」であるとのことです。内容は別として、どんな宗教にも二つの要素が存在するとのことです。求道を重視すると、キリスト教の修道院制度のように、都市から離れた自然の中で、禁欲生活をしながら真理探究の道をきわめる方向に照準を合わせることになります。
 しかし、衆生救済を重視すると、本拠地を人口の多い都市に移して、より多くの民衆に伝道して、その人々を感化するためには、多少の方便を使って、布教、伝道を行うようになると考えられます。キリスト教の教えが新規に伝えられた国であらたな教義ができるのもそういう経緯であったのでしょう。

 方便の中には、政治権力に近づきながら、その力を借りて布教を進めることも含まれることも考えられます。
 浄土真宗の蓮如さんの伝道方式は、先ずその土地の長を説得します。そして、入信を実現すると、土地の民衆すべてが浄土真宗になる、という方式であったようです。やり方はそれだけではないと思いますが、そういう要素もあったのでしょう。

 しかし、方便が過度に及べば、信仰や悟りの純粋性は失われます。そして宗教が腐敗する危険性も出てくるかも知れません。そのことをご指摘になっておられます。
  御文章にありますように、昔から、「都市と自然」は、宗教が持つ二律背反的な問題の「舞台」または、「背景」として存在してきたといえるようです。
その上で私たちは、「森の中のオフィス」への国際本部の移転を考えてみたいと思います。そして、二酸化炭素排出削減という至上命令がある上に、上記のような信仰の純化とインターネットによる世界発信の意味は宗教の歴史の上でも実に、素晴らしいことであると考えられるのではないでしょうか。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

| | コメント (0)

平成25年8月14日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑤」

平成25年8月14日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ⑤」
今日の詩::一つ越え 満ち漲るは 魂の 底より湧き出る 智慧と愛とが
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます!!。

 「唐松模様」(2013/07/25)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。「宗教に於ける都市と自然」(2)です。
  自然保護の観点から、中国都市仏教では、期待できないようです。しからば、山岳仏教では如何?。
 山岳仏教でも、残念ながら現代中国の経済発展政策の影響を強く受けているようです。本来は、自然を尊び、権力から離れることを志すのが本筋ですが、それが思うようになりません。市場経済化の波に押し流されているとのことです。現代の中国山岳仏教が抱える問題はは四つあるとの見解が示されました。
①出家修行者の資質です。質の向上を目指す必要があるということのようです。
②指導者の資質です。実相を知った伝道者が教えを説けば、必ず、真理が理解出来るでしょう。しかし、そこに問題があるようです。
③政治権力からの分離です。権力を得ると色々と特権が与えられるのかも知れません。しかしそれは、信仰生活にとっては、逆にこわいことです。
④都市からの分離です。中国は1966年から10年間の文化大革命によって、仏教が否定されました。その影響で寺院も人材も激減しています。
 その後に、1978年からの改革・開放政策によりまして、宗教一般がやや回復しつつあります。しかし、ダメージはまだかなり大きいようです。

 そのため、①と②の問題は深刻であるそうです。また、③の問題は、中国の政治体制が大きく変わらないかぎり解決が難しいとのことです。また、最近の技術革新によって都市と山岳の距離は縮まっています。それに経済発展中心の考え方が加わって、山岳仏教の施設も商業化しているとのことです。先日書かせて頂いた少林寺のこともその一つでありましょうか。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

| | コメント (0)

平成25年8月13日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ④」

平成25年8月13日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ④」
今日の詩::真夏日や 吾関せずの 蝉時雨
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
暑中お見舞い申し上げます。

 「唐松模様」(2013/07/25)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。「宗教に於ける都市と自然」(2)です。
 中国の仏教についての勉強がありました。現代の中国の仏教は、衆生救済を目的とする「都市仏教」と個人の修行を主な目的とする「山岳仏教」の二つに大別されるとのことです。
 こんな分け方があることを初めて知りました。都市仏教では、「人間仏教」という概念があるようです。人間は、ジンカンと読むそうです。この考え方は、太虚(1980-1947)という人物が、提唱した概念でようです。清の時代での末期に、僧侶が堕落して仏教が衰退したとのことです。それを改善しようとして、仏教の道理による社会改革を目指したものであるようです。

  また、古来、「自然と人間との調和」を説いた「天人合一」の思想があったようです。この言葉は聞いたことがあります。
 しかし、現代の中国では、中国共産党政府の経済発展第一主義の政策が優先しているそうです。それは、「人定勝天」すなわち「人間が天に勝ち抜くことができる」というスローガンを掲げて、自然破壊が進行しているとのことです。
 従って、現代中国では都市仏教だけでは、環境破壊を止めることは難しい、ようです。かつて、揚子江が氾濫したことがありました。当時は、山林の樹木をどんどん切っていました。それで、山の保水力が衰えたようです。自然破壊には必ず、付けが来ます。

 私は先日、高知県の四万十市に母の三回忌とお盆のために行ってきましたが、連日、40度から41度という暑さでした。JRの中村駅には、「夏の暑さ日本一!」という表示までありました。自慢できるのかな?という感じでした。暑いのは自分だけではないようです。ここ四万十市は、私の子供の頃から杉の樹木を植えていました。私も植えた記憶があり、また枝の下刈りに行ったこともあります。そのような森林県です。その郷里が日本一暑いとは、どこか熱を蓄積する状態になっているのではなかろうか、と思いました。要するに、緑が少なくなっているかも知れませんね。四万十川は日本最後の清流と言われています。橋桁、私たちはピーヤと言っていましたが、そこから飛び込むのです。ジャンプするのに勇気がいります。水がキレイなので深い川の底が見えるのでした。あれから、55年経ちましたね。今では、島根の高津川に抜かれてしまいました。高津川もななかなキレイですよね。島根は私の第2の故郷ですので、追い抜かれても嫌な気はしません。

 中国語の「天」の意味ですが、①天帝、神、造物主、との意味に加えて、②自然、自然の力、天然という意味もあるそうです。『角川最新漢和辞典』では、①の意味は6番目で、②の意味は3番目に出ているようです。
  ちなみに、私も白水社の『中国語辞典』で調べました。
①空、天空、②気候、天気、③自然、④時間、⑤昼間、⑦天、神様、お天道さん、⑧(神仏・仙人の住む)天、⑨(日数を数える)日、⑩上端部の、空中の、⑪季節、時期、⑫天然の、天性の。
 これから見ましても、かなり自然界という意味が多いようです。
(つづく)

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。

| | コメント (0)

平成25年8月12日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ③」

平成25年8月12日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ③」
今日の詩::暑いのは  自分だけでは 無いらしい 虫も樹木も みんな暑いよ
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
”暑中お見舞い申し上げます!”
 「唐松模様」(2013/07/25)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。「宗教に於ける都市と自然」(2)です。
イスラームについての発表に関してです。イスラームに関しましては、私たちは少しずつ分かりかけてきているのではないでしょうか。

①イスラームの開祖である、ムハンマドは、神様から啓示を受けたとされておりますが、その以前から、山の洞窟にこもって、一人で瞑想にふけっていました。その場所は、メッカから5㌔メートルほど離れた場所です。この修行方式は当時のシリアでのキリスト教修道士の生活に倣ったものであるとの観方があるそうです。

②ムハンマドは名門の貿易商人でした。メッカは国際貿易都市でありました。また、世界の情報がここに集まって来ていたでしょう。ムハンマドは、多忙な仕事の合間に、騒がしい都市を離れて、山の洞窟で瞑想をしました。ここで、イスラームが誕生したのです。都市に住みながら、自然界へ行く。そこで悟りが開ける。そういう経緯であったようです。

③「都市と自然」の対照または矛盾の中から、イスラームは始まったと御表現しておられます。対応という意味では、イスラームの聖地であるメッカとメデイナの関係が「都市と自然」を表現していること。イスラームの教えの変化と幅がこれらの二つの聖地の対照的な背景から生み出されたようです。教典には「クアラーン」すなわちコーラン、とハデイースがありますが、さまざまな自在な考え方があるようです。それらもその背景があると考えられます。

④イスラーム研究者である牧野信也氏の所説を書いておられますが、なるほど、と思える内容です。すなわち、メッカでは、ムハンマドとその信奉者の皆様は、土地の支配者層から、厳しい弾圧を受けていました。その関係か、初期の教えは、「峻厳な神が示す生々しい終末論的イメージの警告」を特徴としていたとのことです。「現象有り」、との思想でしょうか。
 次に、中期から後期にかけての教えは、「神の恩寵を表す神兆(みしるし)として、大自然の賛歌を歌い上げています。そして、慈悲と慈愛に満ちた神の姿が随所に表現されるようになるようです。自然界に触れる機会が多いと、神の偉大さと愛を感じるようになるようです。日本では、古来から農耕が盛んでしたので、自然とお天道様を拝むという考え方や、風習が出て来たようです。それが神道です。環境が宗教を生むという形のようです。

  その関係を考えますと、宗教が説く教えの内容に関しましては、宗教の発生場所や通過した歴史、環境と無縁ではないようです。
結論として、「宗教が説く教えの表面だけを見ていては、その宗教の内奥の一貫した真実をとらえることはできない」、としておられます。
 さらにこのことは、原理主義的な宗教理解が危ういものであることを、このイスラームの例から理解されると御教示されております。

 私の大先輩であられた故Y元本部講師は若い頃に禅の修行をしておられ、その関係でお経の解釈を教えていただいたことがあります。お経は、「如是我聞」と言って、必ずどこで、だれが聴衆であって、それを私は確かに聞いた、ということが書かれている、と教えていただいたことがあります。その時その場の状況からその時の教祖のお言葉が出てくるのでして、決して環境・状況とは独立して発せられるのではないようです。これは私たちも同様でありましょう。
(つづく)

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。
中内 英生

| | コメント (0)

平成25年8月11日「大調和の精神を創化に生かす」

平成25年8月11日「大調和の精神を創化に生かす」
今日の詩::蝉の鳴く ここは熱帯? 今真夏
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
先日の地方講師の皆様の勉強会では、機関紙『生長の家』(平成25年5月号)に掲載されている「大調和の精神を”創化”にいかして」というテーマがありました。大調和の精神とは何か?創化に生かすことの意味は何か?を学ばせていただきました。私は、本部テーマを担当される講師の方は大変ラッキーであると思うのです。総裁先生によって今、新たに説かれる教義を学ぶことができるからです。

 それでは、「大調和の精神」とは何でありましょうか。それは、「汝等天地一切のものと和解する」という心でありましょう。和解するとは感謝するという意味であると教えられております。
 では、相手の非真理とも和解することはできるのでしょうか。考えてみますと、非真理は虚説ですので、本来無い考えです。従いまして、非真理とは調和することはできない筈です。
 そして、調和するとは本当の意味で愛するということでもありましょう。では、愛するとはどういう意味でしょうか。それは、肉体を超えた愛、神の愛を示し、四無量心を行ずるとも考えられます。自他一体の心は、対称性の論理により、同じ存在を相手に認めて愛することになります。相手の魂を理解するということでありましょう。

  また、こらえ合ったり、我慢し合ったりするのでは調和しているとは言えないとも示されております。我慢するとは非対称性の論理であります。相手の姿を、自己の弱みを強みに変えてくれるお味方の声援であると考える時、それは一転して対称性の論理となると考えられるのです。素晴らしいみ教えであると感動致します。
我慢する心はストレスとなり、認知の不協和となって、逃げるかあきらめるかの選択を余儀なくされます。しかし、不完全と見える相手の姿は味方の声援であるとして、観世音菩薩のお姿お声として、感謝して受けるとき、それは光明の世界が開かれて参ります。感謝とは単に受け身の心ではなく、積極的な創造力として発顕してくるのです。そして、感謝しあうとき、本当の和解が成立して、大調和の世界が実現して参ります。
 この「大調和の神示」の実践は、生長の家の信仰の基本中の基本であるとも考えられます。だからこそ、毎日、この神示を拝読させていただくのです。

 では、創化とはどういう意味でしょうか。『生命の實相』の「七つの光明宣言」に書かれているお言葉ですが、その後の聖典ではなかなか見つけることができないお言葉です。
私はかつての『生長の家』誌で一度だけ拝読した記憶があるだけです。この言葉は特別な言葉とは考えていないとのことです。しかしこの言葉は、谷口雅春先生がお作りになった言葉であるそうです。辞書には掲載されていません。それにしましても、谷口雅春先生は、この言葉で何をお伝えになったのでしょうか。
 それはコトバが現象界を作るということです。しかも、単なる作るのではなく、変化させながら作ることであると考えれます。生長の家の運動でありましても、時代の変化に応じて運動も変化するのは当然であると考えられます。
 「諸行無常」は仏教の教える真理です。しかし、無常だから悲しいのではなく、無常だからこそ、新しく作ることができるということです。無限生長であり、無限進歩です。私たちはそのような生き方をしたいと思います。

 しかし、具体的には、どうすることなのでしょうか。それは環境問題に取り組んで、世界を変革することになります。私の郷里の四万十市では、41度摂氏という記録的な暑さになっています。もちろん、温暖化の影響を受けています。身に染みて感じることができるようです。
また、福島原発でも親戚の皆様が疎開していますので、総裁先生の御心を身に染みて感じます。
 変化して新たな創造をすることは、具体的には、「森の中のオフィス」からの情報を世界中へ発信し、同時に新潟越南教区に於いて実践することでもあります。そして、常に、生長の家が掲げる、「環境方針 基本認識」という原点に還ることが必要でありましょう。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。
中内 英生

| | コメント (0)

平成25年8月10日「森の中のオフィスについて考えましょう」

平成25年8月10日「森の中のオフィスについて考えましょう」
今日の詩::夕闇に 先祖迎え火 歴史あり(今日は、我が四万十市は41度となりました。)
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
私たち生長の家は、「自然と共に伸びる運動」を実現するために国際本部を、「森の中のオフィス」に移転しました。その移転の意義と目的は、『”森の中”へ行く』に詳述されています。そして、最近国際本部から送っていただきました、動画『森の中のオフィス物語』は映像的に理解しやすいとされています。この作品は、今年の白鳩会の幹部研鑽会で放映されたものを、修正したものだそうです。新潟越南では、練成会でまず、この映像を御紹介しました。

 『“森の中”へ行く』という御著書をくり返し拝読させていただいております。この本が行動の原点となります。私は現在、お盆で県の面積で森林率が高い高知県に来ています。暑いですね。四万十市は!毎日、記録更新だそうです。
「自然と人との調和は可能か?」というテーマでまず考えることになっていますが、自然の猛暑はなかなか調和しがたいです。しかし、田舎の家はクーラーはありませんので、自ら調和する意外にありませんね。子供の頃に、38度摂氏は体験したことがありますが、41度は初めてです。その体験は、貴重です。有り難いです。

 生長の家は、2000年10月10日に、宗教法人「生長の家」環境方針が打ち出されています。
しかし、昭和6年9月27日夜に、「大調和の神示」が天降っておりまして、ここから始
まったといっても過言ではありません。天地一切の者との和解・感謝こそ全地球生命への感謝であり、「自然と人との調和」の原点でありましょう。
 道を歩いておられた谷口輝子先生が、水道から水滴が少しずつ垂れていた蛇口を発見されました。他人の家ですが、その蛇口の水滴の漏れを止められたそうです。それほど、者を大切に、神様の命であると拝む姿が生長の家の礼拝の精神であります。ここから環境問題は起こりようがないと考えられます。

 2001年、本部事務所や総本山でISO14001を取得しました。これは宗教界では初めてのことでして、「現代的な意味での宗教生活の実践」として、環境保全活動に取り組んできたのでした。私自身も、現代に於ける宗教生活、信仰生活とはどのような生活を意味するのか、を如実に教えられました。

 また、省エネ、太陽光・風力の利用、殺生や資源浪費を促進する肉食の削減などが、理論的に説明され、かつ生長の家の温暖化抑制の方法として実行されることになりました。しかし、気がつきますと、温暖化の進行は社会の変化を上回っており、現行の制度化でそれを 食い止める可能性は縮小しつつあるとしております。如何にすべきか、ここにジレンマと決意を促されることになったのでした。
 それは、日本国を愛し、鎮護国家を熱望するが故に総本山が建設されたように、地球温暖化防止、人と自然との大調和を熱望するが故に、「森の中のオフィス」実現となったと言えるのではないでしょうか。

 また、2004年7月26日、「”森の中のオフィス”構想の基本的考え方」が決定されました。これは、かなり具体的なものです。活動方針としてですが例えば…。
①自然との共生に向けての職員の意識改革
②自然との共生を図るオフィスの実現
③生物の多様性の保全のための地域社会との協力  
 などなどでした。

 私たちは、「大調和の真理」を自分の生活に実践し、新潟越南教区中にお伝えし、さらに世界に宣布しましょう。環境問題は、単なる環境の運動として行っているのではありません。宗教運動として行っておりますので、神想観は「四無量心を行ずる神想観」を実修したり、『大自然讃歌』を読誦することが大切でありましょう。人間は神の子であることを知り、この世界は神の国・実相世界の投影であることを知って、それを地上に、地球世界に持ち来す運動を展開し、現代に於ける宗教的、倫理的生活とは二酸化炭素を抑制する生活、生物多様性を守る生活であることを知り、私たち信仰者でなければできない運動を展開することです。八ヶ岳で発信する全地球生命救済の運動の情報を、できうる限り、教区に於いて実践して行くことが大切であります。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。
中内 英生

| | コメント (0)

平成25年8月09日「神想観について②」

平成25年8月09日「神想観について②」
今日の詩::汗流れ 記録破りの 暑さかな
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
つづきです。
 愛行または愛他行が大切です。他人や他の生命に向かって身体全体を使って愛の行いをすることです。自他一体の真理が体得できます。そんな訳でして、毎日の修行として、生長の家では「三正行」をお勧めしております。しかし、三つの行の時間的なバランスが大切でありましょう。時々、神想観をする時間がない、と呟く、言い訳をする方がおられますが、そういう方に限って、他人との楽しいおしゃべりは時間を忘れて続けておられることがあるようです。要するに、神想観の醍醐味、素晴らしさを知っていただくと、続けられるようになるでしょう。

 第一に神想観の実修をおすすめします。神想観は日々の精神的な糧です。毎日行っていませんと、光明化運動をしているつもりで、何だか虚しくなるような気がしてくるのです。要するに現象に引っかかってくる訳です。
「人問は肉体ではない。霊的実在である」、この事実を深く心に自覚せしめるための行事が神想観です。神様を頭脳智で知っただけでは、神様がわがものとすることはできません。全心身をもって神様の実在を体感体得しなければならないとしております。それが神想観です。
 神想観を行じているうちに「人間神の子」の真理が、頭脳的な知識から、感情的な把握となります。最終的には、全生命的な把握になってきます。神様が単なる理論上の存在や、名称上の存在でなくなって、自分の生命そのものであるとの自覚を得はじめたとき、私たちの生活は変貌しはじめます。

 神想観は正しい姿勢で行うことが大切ですね。神想観は先ず「心の正しい姿勢」を得ることが大切です。それを得るための肉体的基礎として肉体の姿勢を正しくすることが大切です。正座の仕方、重心の落とし方、背筋の伸ばし方、合掌の位置、手首の角度等は明細に決められています。出来るだけ決められたとおりの姿勢を意識して実修しましょう。きっと良い境地が魂の奥底から湧いてきます。

 神想観における呼吸法はどのようにすべきでしょうか。神想観における呼吸は、瞑目してしずかに鼻より息を吸うのですが、鼻より息を吸うと思わず、合掌より神の生気(息)が流れ込むと念じて下腹までスーッと何の滞りもなく息を満たしながら、いかにも神の生命が自分の中に流れ入っている感じを深くし、充分息の入りたる時、上腹(即ち鳩尾の辺り)の息を下腹の方へ呑み落す気持になります。
 それには、鳩尾を後方へ吸い込むようなつもりで凹め、同時に下腹を前方に膨らすようにして上腹の息を下腹へ落せば息が臍下丹田に落着いて、下腹に脹り充ちた感じが起ります。
 鳩尾の息を下腹へ呑み込み落すつもりの時に、鳩尾にある息の何分の一かを鼻よりかすかに漏らして、その残りの息だけを下腹へ送って下腹に息を張り満たせば、息に無理がなくて苦しくありません。
 そのまま息を下腹に保ちながらその張り満ちた感じを下腹に軽い力を入れて持続しながら、神の無限の生かす力に満たされている自覚を深めていきます。
 やがて自然に息を呼きたくなったとき、同じ念を続けながら息を極々しずかに唇を紙一枚ほど開けた間から徐々に吐き出しつつその息を合掌せる両拇指の間隙より吹き込みます。これを一心不乱に繰り返しますと精神統一が出来やすくなります。
 何ごとも練習です。上記のことは、詳説神想観に明記しておりますので、チャレンジしてみて下さい。

 神想観における祈りの言葉は、「基本的神想観」他各種の神想観の念ずる言葉がありますので、覚えて実修することをお勧めします。特に、「四無量心を行ずる神想観」は新しく追加されておりますので、「吾即自然」の自他一体の境地にお入りいただきたいと思います。なお、一回の実習時間は、30分間がお勧めです。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。
中内 英生

| | コメント (0)

平成25年8月08日「神想観について」

平成25年8月08日「神想観について」
今日の詩::酷暑なり 四万十の鮎 滝ジャンプ
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
8月13日は、四万十市は観測史上最高だったようです。41度です。吾が郷里とはいえ、すごいことです。熱中症になる人はいませんでしたか。子供のころには、家の前の道路にシトを打ったものでした。結構すずしいのです。道路の前に椅子を置いて、そこで夕涼みをしたものです。時間がゆったりと流れていた昭和二十年から三十年代です。新幹線、東京オリンピックころから状況は変わりました。リゲインの歌もその後歌った記憶があります。それが正しいと考え、かつ環境への影響を省みませんでしたね。しかし、現代は地球の状況が変わりました。

 さて、今日は神想観について考えてみたいと思います。神想観は日々の精神的糧ですので、神想観をせずに神の御心を生きるということは不可能に近いことです。私は神想観の姿勢そのものが万物礼拝の姿であり、神様の御心を受けるという意味で中心帰一の信仰姿勢を保てるように思います。
 学生時代ですが友人でよく神想観をしている人がいました。今日はどれくらい祈っていましたか、と聞きましたら、○○時間、祈りましたということでした。
 まあ、時間をかけると精神統一も上手になることは間違いないようです。定番の聖典は『新版詳説神想観』ですね。もう一つは、『神想観はすばらしい』です。両方とも熟読玩味していただきたいと思います。

 神想観は生長の家の「三正行」の一つです。しかも観行、誦行、実践行という切り口から申しますと、観行です。仏教では座禅に近いのでしょうか。南無阿弥陀仏の浄土真宗の信者であられた、『善の研究』を書いた、西田幾多郎氏の記念館が石川県羽咋市にありますが、「座禅の必要性」について書かれた文章を読んだことがあります。意外に思いました。他宗の行法でありながら、その必要性を感じるとは、観行、この形式の精神統一の行法が如何に大切であるかが分かります。

 また、生長の家では、真理を体得するために、「三正行」を実践することをお勧めしています。三正行とは何でしょうか。私たちは、総裁先生から常に、三正行を怠らないようにとお教えいただいております。すなわち、神想観の実修(観行)という、生長の家の座禅的瞑想法です。それは、実相世界を心の中にしっかりと認めて、把握するという宗教的行事です。実に素晴らしいです。

 また、「聖経」や「聖典」を拝読することが誦行ですが、この形式も実に重要です。真理を正しく理解することができるからです。私たちはともかく、読書力を養成することが大切です。脳科学者の茂木健一郎氏が、テレビ番組で語っていました。「私はいつも○○殺の本を同時並行的に読んでいます。さまざまなアイデアは、入れたものしか出て来ません」と。従いまして、私たちは、人類光明化運動・国際平和信仰運動に少しでも貢献させていただこうと本気で思うのでしたら、やはり読書を専らとする必要性があるようですね。
 「聖経」や生長の家の書籍を読み、理性によって真理を知ろうとすることは理性主義の生長の家にとりましては大切です。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。
中内 英生

| | コメント (0)

平成25年8月07日「人間は神の子」

Img700


平成25年8月07日「人間は神の子」
今日の詩::魅力ある 未完のいのち 中高生
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
人は神の子であると教えられています。それは実相に於いて、「神の御徳をすべてを備えている」という意味となります。では、木や草や動物や昆虫は神の子ではないのか、という疑問もでてきます。神のいのちの一部的顕現ではありますが、全相に於ける顕現ではないということでありましょう。「神の子」という意味には、完全円満、永遠不滅、自主(自由)などの意味がありますが、人間以外の存在は自由性という意味におきまして、不足しているようです。
 
 神様は神の世界である実相世界をこの世に表現する為に、人間を神と同じ神様の御徳を与えています。要するに神の万徳をすべて備えているという訳です。神様は「神の子・人間」を創造されました。肉体は影であり、神の子ではありません。どんなに精巧にできているかのように見えましても、永遠不滅という訳にはいかないようです。
 何の為に地上に人間が存在するのかというと、人間は神の世界・実相の世界・善一元の世界、を地上世界・現象世界に人間を通して表現するためであるのです。草や木は自然のままで何をしなくても存在しますが、お茶碗や家などは、人間の創意工夫がありませんと、出来上がりません。それ故に、人間の存在意義があると考えられるのです。

 しかし、なぜ神の子である人間が病気になったり、悪いことをするのでしょうか。これは、その疑問自体に問題があると考えられます。病気になったり悪を犯したりすのは、肉体人間でありまして、神様が創った実相世界の実相人間のことではないからです。正しい答えは、「実相の人間はいまだかつて、病気になったこともなければ、悪を犯したこともない」、というのが本当でありましょう。それが根本的な考え方です。
  三界は唯心の所現でありまして、心に描くものが現象世界に現れます。それならば、人間は神の子でありますのに、どうして病気を心に描いてしまうのでしょうか。それこそ、それは人間の心には「自由」があるからであります。自由がなければ悪も犯すこともできなければ、善を表現することも出来ません。
 自由であるが故に、人間には間違った選択肢も与えられているのです。その中で、絶対善であり、愛である神の御心を生きるという生活になった時に、自由選択の中で善を行うということになると考えれます。

  悪は善がない状態であり、闇です。闇があるのではなく光がないのに過ぎません。従いまして、神が顕れていない状態ですので、虚であり、無です。悪い心、すなわち迷いとは本来無い心です。暗い心、感謝の念を持たない心、不平ばかりを想っている心、それらは本来無い心です。明るい心、感謝の念、存命の今に感謝する心、赦しの心、喜びなどを表現しておりますと、心の表れである病気は消えて、健康になり、かつ幸福になります。
  人を赦すこと、無畏怖の状態になること、それらは神想観と聖典等の読誦、愛他行という三正行で解決されるのです。それを行事化したのが、誌友会であり、練成会などであります。新潟越南の皆様! 地元の誌友会に、練成会に毎月参加いたしましょう。

 神様は悪人を造らないのですが、私たちの念が悪人を仮に創作して現実界にそれを顕しているのに過ぎません。そして、実相の念が顕れますと、現象は真象となります。逆に、妄念を現しますと、現象は偽象となるのです。すべからく、実相世界の風光を現象界に映し出して参りたいと思います。
 また、すでに現れている病気や悪の姿はどのようにすると消すことができるのでしょうか。「病気のように見えているものは本当は無い」として、自分の中にある本来健康である実相の姿を心に念じ、観じ、表現すれば必ず病気や悪は消えるのです。それには、人間神の子の自覚が最も最高の自覚でありまして、「生命の実相の自性円満を自覚すれば大生命の癒力が働いて神癒となります」という訳であります。

 私の知人で、肺がご病気の人がいました。医者ではなかなか治らないと言われていました。しかし、感謝の生活を続け、そして、少しでも人のためになるようにと、伝道を一所懸命に行ったのです。肺に良いという物理的な工夫もしました。すると、気がつくと肺は正常になっていました。不思議といえば不思議ですが、み教えを真剣に生きたとき、やはり健康体を取り戻すことができたのでした。
 
※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。
中内 英生

| | コメント (0)

平成25年8月06日「暑い日の地方講師受験勉強会」

Img697


平成25年8月06日「暑い日の地方講師受験勉強会」
今日の詩::散歩道 夕闇響く 蝉の声
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
今日(8月10日)は超暑い地方講師受験勉強会がありました。何度も受験の学習会を開かせていただいておりますが、熱気溢れる、というよりも熱風の日の学習会でした。でも、とても楽しかったです。
 真理の学習は、わかれば解るほど、楽しくなります。それは数学でも英語でもよくできるようになると、楽しくなるのに似ています。
 受験は、まず心得が大切でしょうね。谷口輝子先生の御講話を総本山でビデオで拝聴したことがありますが、七尾の杉江重誠さんのことを話しておられました。杉江さんは、聖典を拝読する時に、正座してお香を焚いて拝読しておられたそうです。私は何度も七尾へ参りましたが、そのような話はお聞きしたことはありませんでした。谷口輝子先生は、「そのような信仰姿勢の方がおられたので、生長の家は伸びずにはおられなかったのです」とおっしゃっておられました。がんばりや勢いも当然必要ですが、神様への、真理への謙虚な求道の姿勢が何よりも大切であると、その話をお聞きしてから考えるに至りました。

 新規受験の人に対して申し上げたのですが、聖典を拝読することが何よりも大切であることを訴えました。教区の実力はどれくらい聖典を読み込んでいるかで決まる、というのは言い過ぎでしょうか。
①現在出版されている谷口雅春先生の御著書を多数拝読する。
②同様にして、谷口清超先生の御著書を拝読する。
③また、機関誌を過去1年間分を熟読する。一年分としたのは、すでに処分している人がいるかも知れないと思いましたので、最低線、過去一年分は再読する必要性を説いたのでした。現在の運動と今説かれる新たなみ教えが掲載されております。
④そして、練習問題を解くのに慣れることです。
⑤三正行を徹底することです。
⑥み教えの内容を十分に説明できるようになることです。私の自宅の近くに電器屋さんがありますが、やはり商品を懇切丁寧に説明して下さると購入したくなるものです。

 また、昇格受験の人にも申し上げました。
①総裁先生の御著書はすべて購入して、拝読しましょう。
②機関誌を過去3年間分を熟読しましょう。
③必ずサブノートを作成しましょう。サブノートを見せていただくと、合格するかどうかの予測がある程度分かるものです。
④三正行の模範的な実践者となりましょう。そして、もう一つの実践項目として、『日時計日記』をつけることを提案しました。

 勉強を始めるに当たって、まず総論を把握することを提案しました。
①総論の学習のためには、『生長の家ってどんな教え?』という御著書は第1の推薦書籍です。
②『生長の家の信仰について』という谷口清超先生の御著書は基本教義を網羅しております。
③少し難解な聖典としましては、『新講 甘露の法雨解釈』です。
④それから、新潟越南地方講師会が所蔵している各種受験資料もよく纏まっているのがあります。
⑤最上級クラスの受験の人は、特に時事問題も熟知していただきたいと思います。
⑥聖典を読むのではなく、読み込むのです。そうすれば、必ず論述が書けるようになります。
⑦私たちが本当に真理を理解するとき、必ず伝道したくなるのです。覚仏は必ず行仏へと転換します。

 私が特に強調するのは、毎月の地方講師研修会には合格後も必ず出席して、常に真理認識の軌道修正と、後輩の指導に当たることです。これが合格よりも大切なことでありましょう。そうしている限り、神様の御心や運動とブレることがないのです。
 また、「生長の家大神ー総裁・副総裁ーみ教え」の考え方を瞬時も忘れることがないようにすることです。これが堅持されますと、自分勝手な解釈や我の考えが消滅します。
 総裁先生への中心帰一の信仰姿勢を堅持することこそ地方講師としての最も大切なものです。そのような信仰姿勢を持つ地方講師が新潟越南教区に増えるとき、教区全体、日本全体、世界中が足並みをそろえた人類光明化運動・国際平和信仰運動が展開できるのです。これこそ、信仰と伝道の基本的要素であると、私は考えております。中心帰一の信仰姿勢を貫くには、どうすればよいのでしょうか。私が考えますには、いのちの中心である宇宙大生命の御心をお聞きする神想観を徹底することでありましょう。合掌して、神の御心に波長をあわせようとしている神想観の姿勢こそ、中心帰一の姿勢であると思うからです。もう一つは、両親への感謝です。特にお父さんへの感謝が大切ではないでしょうか。実相世界の仕組みの基本原理は、中心帰一と陰陽調和がまず挙げられるようです。そのことを知ることが中心を生きる、という姿勢となります。そして、それが展開して、どこにあっても中心を大切にして生きるという生き方となります。オーケストラの指揮者がタクトを振るのに合わせるのが、奏者でありましょう。そこで初めて、素晴らしい交響楽の演奏が聴けるということになりますね。聴衆の大歓喜となります。日本国で、御家庭で、会社で、そして、生長の家で中心帰一の真理を生きる時、その場その場で大いに繁栄いたします。
  大体、以上のようなことをお話し申し上げました。

 
※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。
中内 英生

| | コメント (1)

平成25年8月05日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ②」

Img699


平成25年8月05日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ②」
今日の詩::生き方を 求めて吾は 越後の地 純粋に生き 今日も学ばん
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
 「唐松模様」(2013/07/24)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。前回のつづきです。

第3段落です。今回の研究対象になったのは、いわゆる「世界宗教」と呼ばれる宗教です。信者数は多いのですが、世界宗教の中の一部です。wikipediaのフリー百科事典では、キリスト教、イスラーム、仏教の三つを世界宗教としていますが、その三つの宗教を選んでいます。切り口は、「場所に於ける都市か自然か?」というものです。
①誕生した場所
②発展した場所
③転換期を迎えた場所  等。
この三つを切り口で考えています。そして、「宗教に於ける都市と自然」の関係を浮き彫りにするとのことです。
 私は考えます。これは個人に於いても考えるべきことではないでしょうか。誕生した場所。私は高知県中村市という田舎町です。発展した場所、というよりも育てていただいた場所、これは東京のやはり田舎町である調布市です。転換期というよりも転勤した場所でありましょう。自分に於いてどうであったのかをまず考える。そして各世界宗教と生長の家を考えてみるとき、不思議な巡り合わせに気がつくのではなかろうかと思います。

  第4段落です。キリスト教に関しては、ブルース・マリレー本部講師の発表がありました。英語でしたので、私は、同時通訳のヘッドホンで対処しました。
①イエスが伝道活動を始める前には、自然界である「荒野」で40日間の修行をしました。
②都市に於いて発展しました。大勢の都会人を救済しました。
③荒野という自然を基盤としていたので、当初の精神的基盤が自然界に近いところにありました。
④修道院は都市を離れた自然の中に建設されています。
⑤修道士は、都市がもたらす度々の物質的、享楽的な生活を捨てて、禁欲的な求道生活を営んできました。
⑥修道士の努力と功績は素晴らしものがあります。
⑦カトリック修道会での代表的な会派は、ベネデイクト派です。
⑧ベネデイクト派は、6世紀に生まれました。
⑨14世紀の初めまでの発展の様子は次の通りです。最盛期は、ヨーロッパで3万7千の修道院がありました。24人の法王を輩出しました。200人の枢機卿を輩出しました。7千人の大司教を輩出しました。1万5千人の司教を輩出しました。1500人の聖人を輩出しました。

 それだけのパワー溢れる団体でありましたが、そのエネルギーの源泉は、都市か自然かと考えています。マリレー講師は言います。
「これらの聖人は心を浄め、日々の修行の向こうに神の光を感じようとした。そのための最適な場所は、都市を離れて荒野に行くことだと感じていた」と。
 私は、この言葉に触れて、芭蕉の世界を思い出しました。芭蕉は、初期はわびさびというような高尚な禅的世界を表現していたのではなく、言葉遊び的な文人だったようです。しかし、旅に出ることにより、人間が変わりました。それは人の情けと、自然の中に溶け込むことにより、新境地にたどり着くことができたようです。

①「神の光」を感じ、信仰の原点に還るという動きは、やがて宗教改革に結びつくのです。
②プロテスタントの信仰の原点は、聖書です。
(私に於いての信仰の原点はなんであろうか、と考えてしまいました。それは、聖典そのものではなく、聖典を生み出した、「コトバ」であり、それに触れるための行法が神想観であると考えました。信仰の原点を「聖典」としたとき、時代の影響を受けながら書かれた御文章だけを原点にするとき、原理主義に陥る危険性があるからです。また、信仰のポイントとしては、絶対善なる神への信仰であり、両親への感謝であり、人類光明化運動・国際平和信仰運動に於いては総裁先生への中心帰一の信仰姿勢であると、考えました。)
③プロテスタントの信仰の原点に還るための場所として選んだのが、外国であり、新大陸でした。
(私に於いては、家庭であり、教化部であり、誌友会であり、出合うすべての人々と自然界でありましょうか。)
④プロテスタントは、カトリック教会の束縛から逃れるために、未知の荒野である新大陸を目指しました。
⑤新大陸で純粋な信仰を実現しようとしました。
⑥自然(荒野)は、信仰の純粋性を守るための場所として機能しました。

 上記はマリレー講師の指摘ですが、「信仰生活とはそこまでやるのか!」との驚嘆と同時に私自身の覚悟を促されているような衝撃を感じました。
 また私は、妙高のマイン・ヒュッテの庵主であるO地方講師が、道路からご自分の家までの山道の雪を取り除くのに、機械を使うと二酸化炭素の排出を促すとして、人力でショベルで雪かきをしておられるとお聞きし、その徹底的な純粋な信仰に敬意を表するものであります。
 
※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。
中内 英生

| | コメント (0)

平成25年8月04日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ①」

Img696


平成25年8月04日「唐松模様”宗教における都市と自然”に学ぶ①」
今日の詩::今日は早や 白鳩天使 初出講 道に花びら 陽は燦々と
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
つづきです。
 「唐松模様」(2013/07/24)には、詳しく「都市と自然」について御教示されております。新潟越南の皆様とご一緒に、これらのみ教えを学ばせていただきたいと存じます。自然に関しては、『大自然讃歌』を拝読することが多くなりましたので、意識の中に入って参りました。有り難いことです。これからしばらく、ブログ拝読によりまして、7月16日、17日の生長の家教修会の内容を学ばせていただきたいと存じます。

 第2段落には、「都市と自然」の問題を、世界の宗教の歴史から学ぶ、という主眼を示しておられます。そして次のポイントがあるようです。生長の家が国際本部を大都市から自然の豊かな地域へ移転することになったことに関してです。

①その動きは、世界の宗教の歴史を振り返ったとき、通例のことなのであろうか。それとも異例のことなのであろうか?
②前例があるならば、それはどういう目的で行われ、かつその結果はどうだったのだろうか?
③都市を離れることは、宗教運動の中でどのような意味を持っていたのか?
④その他。

 以上です。これらを頭に入れながら、学ばせていただきたいと存じます。今日もかなり暑いです。お体に気を付けながら、求道と伝道を繰りかえしていただきたいと存じます。あたかも呼吸のようにです。

※生物多様性のことを知りました。南極氷床の4km下の氷底湖に多様な生命体(多くはまったくの新種)がいることが調査で分かったようです。この湖はかなり前に知られていましたが、調査したのは初めてではないでしょうか。電子版の産経ニュースに出ていました。要するにまだ発見されていない生物多様性が地球には存在するという訳です。
 外界から約1.500万年間、切り離されていたボストーク湖から、さまざまな生物のDNAが発見されたといいます。ほとんどはバクテリアです。多くはまったくの新種です。しかもほかに、さまざまな単細胞生物と多細胞生物が含まれるとのことです。すごいことです。
 南極の氷の下を下りていくとそこにクジラが泳いでいるというわけではないようです。さまざまな単細胞生物と多細胞生物が生きています。
 上にある氷の圧力が高いため、中の水には生物はいないのではないかと考えられていました。しかし、湖の水面からすぐのところで採取された氷床コアによって、たくさんの生物であふれていることが証明されたといいます。

 ボストーク湖の暗く冷たい水域は、木星の衛星エウロパにある海に類似していると考えられているそうです。ボストーク湖で生物が生きながらえるのだとすると、エウロパの海も生命体を支えられる可能性があるとしています。ボストーク湖の平均水温は摂氏マイナス3度だそうです。  http://sankei.jp.msn.com/wired/news/130709/wir13070907120000-n1.htm

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。
中内 英生

| | コメント (0)

平成25年8月03日「”宗教における都市と自然”を学ぶ④」

Img692


平成25年8月03日「”宗教における都市と自然”を学ぶ④」
今日の詩::花火見て 涙するなり 長岡の 不死鳥と吾 重ね合わせて
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
つづきです。
  「仏教を学ぶ~日本の場合」というテーマで学ばせていただきました。曹洞宗のことが発表されていました。自然界(山岳)にあるという永平寺には数回、お詣りしたことがあります。現在では観光地化されているようにも見受けられますが、空気も良くてとても気持ちのよい場所です。
 永平寺に対して、人を救うという目的で、神奈川県に現在の総持寺があるようです。これは都市の中にあります。移転前の総持寺は現在も石川県にありますが、一度お詣りしたことがあります。案内の女性の話が面白いので、お出でになった方々は、楽しんでおられました。たしか、小さな橋の説明でしたか、「この橋を渡ると長寿になります」というような意味のことを話していました。「帰りに再び橋を渡ると、長寿でなくなりますので、帰りには橋を渡らないで下さい」などと言うと、お出でになっていた人々がドッと笑っていました。その時の印象としては、永平寺とは違った厳しい修行の道場のような印象を受けました。
  求道と伝道を二つのお寺で分けているということでしょうか。自然界で修行し、都市で伝道するというユニークな形式です。
  この説明の時に、達磨宗のことを知ることができました。かつて、映画『道元』で達磨宗という言葉を知りましたが、より一層理解させていただきました。

  「森の中のオフィス」は、インターネットの活用により、山岳地帯という自然界にいながら、都市と同様に活動ができるという画期的な仕組みであると思います。現代であるからこそ、修行にふさわしい自然界にて、伝道できるのではなかろうかと思いました。素晴らしい時代に、み教えに触れることができましたことを、心から神様に、ご先祖様に感謝いたしたいと思います。
  建物もZEBです。「ゼロ・エネルギー・ビルディング」です。これからは、新潟越南教区におきまして、教区版で、「森の中のオフィス」構想を、ハード面、ソフト面におきまして実現して参りたいと思います。

 今回の教修会におきまして、白鳩会総裁先生のお言葉の中で、新潟の良寛和尚の話を拝聴することができました。考えてみますと、生命学園の元祖のような方です。より一層、生命学園の活性化と普及に努力をさせていただきたいと思いました。
 質疑応答で、総裁先生が英語でお答えになっておられました。マテ・ブランコの話がだされておりました。多くの諸外国の皆様と、総裁先生のご指導により、教修会にて学ばさせていただくことができました。全世界が、足並みをそろえて人類光明化運動・国際平和信仰運動を行う、という意味が少しばかり理解できたように思います。
 総裁谷口雅宣先生への中心帰一の信仰姿勢を堅持しつつ、新潟越南教区におきまして、さらなる発展のために活動を展開させていただくことをお誓い申し上げました。 

※「祈りとは”生命の宣言”である」との文章がサンケイ新聞(平成25年7月25日)に掲載されていました。有名な村上和雄氏(筑波大学名誉教授)の御文章です。祈りとは、人間が無力だから祈るのではなく祈りには思いもよらない力があるので祈るのだとのことです。
 日本語の「祈り」の語源は、「生宣り」だと解釈されています。「い」は生命力(霊威ある力)、「のり」は祝詞や詔の「のり」と同じで、宣言を意味しているといいます。従って、「いのり」は生命の宣言であるとしております。

 「自分はめげずに頑張って生きるぞ」と宣言するのが、祈り(生宣り)であるとのことです。村上教授は言います。「真心込めて深く祈ることが、祈る人、祈られる人の遺伝子のスイッチを入れ、その思いが天に通じたときに、祈りはかなえられる」と。
 「祈ることの効果の一つは、祈る人の心に新しい良きものを芽生えさせてそれを培うことにある」とのことです。『日時計日記』の記載も極めて有効なる祈りでありましょう。『こども日時計日記』も出版されましたので、ご活用いただきたいと思います。

 興味深い実験結果が報告されています。アメリカの西海岸の病院で、重い心臓病患者393人を対象にして、快癒の祈りを行ったら、祈らなかったグループと比較したところ、祈られた患者達は祈られなかった患者達よりも、人工呼吸器、抗生物質、透析の使用率が少なかったそうです。この病院に近いところからの祈りも、遠い東海岸からの祈りも同様に効果があったとのことです。祈りが効果があったとする病気には、高血圧、心臓病、不眠症、不妊症、がん、エイズ、鬱病、リウマチなどが挙げられています。
 祈りの効果の素晴らしさが理解できる素晴らしい事例ではないでしょうか。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。
中内 英生

| | コメント (0)

平成25年8月02日「”宗教における都市と自然”を学ぶ③」

Img690


平成25年8月02日「”宗教における都市と自然”を学ぶ③」
今日の詩::後輩の 初出講は 新時代 拓くみ言葉 神の守護あれ
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
つづきです。
  「仏教を学ぶ~中国の場合」というテーマで学ばせていただきました。中国は古来からなじみが深いので、仏教がどのような変遷を経て、現代に至っているかを知ることは大いに参考になりました。ここで、山岳仏教、都市仏教という言葉を知りました。山岳仏教は、個人の修行を目的とし、都市仏教は主として衆生救済を目的とするようです。都市には人がたくさん住んでいますから。役目分担という方法のようです。
 発表の中で、少林寺の映像がでましたが、かつて見た映像とは余りにも違うので驚きました。時代の流れによるのでしょうか?

 自然界の情報は、都市では分からないと言われていますが、まさに自然界へ行くことにより、はじめて本当の情報が理解出来ると思います。「神兆」という言葉で表現されるような自然界を拝むような気持ちは、実に素晴らしいことです。山岳にあるお寺は、自然界にあると考えられますが、春夏秋冬、その変化の美しさに酔いしれることができそうです。まさに、神兆でありましょう。

 都市ではエネルギー重視の生活になります。人間中心主義から抜け出すことが難しいようです。今日、私は「リバーサイド千秋」(アピタ)へ家族と一緒に出かけましたが、やはり遠いので、経自動車を運転して行くことになりました。二酸化炭素排出となりました。二酸化炭素を排出すると、地球温暖化となりまして、生物多様性を脅かします。人間中心主義を脱却することが難しいです。
 しかし、多くの人々は都市に住んでいますので、多くの人々に伝道するにはどうすればよいかが問題となります。自然界の山の中に住んでいて、鹿やイノシシや熊に説法しましても、人類光明化運動にはなりません。それらの動物を誌友会に誘うことも不可能です。しかし、都市での生活では、生活そのものが高エネルギー消費となり、生物多様性を減少させる恐れがあることを考えますと、ジレンマに陥ってしまいます。
 森の中のオフィス」の出現は、そのジレンマを解消する方法であると考えられます。それは、インターネットの時代であればこそ、可能であるとも言えるのではないでしょうか。

 中国の仏教界は、文化大革命で人材が激減したようです。さらに現代の中国の宗教界でも時代が移り変わっていることを感じます。
 中国の山岳に位置する大きなお寺のお坊さん達が、インターネットを駆使して布教をしているのがテレビ番組で紹介されていました。驚きの目で、それを見たことがあります。
「インターネットの活用は人類光明化運動の成果に雲泥の差を生ずる」とのご指導をいただいておりますが、まさにその通りであると思います。

 また、中国だけでなないようですが、当時は政治権力から離れるという意図があったことも知りました。時代の変化に対応して、求道と伝道の方式はさまざまに変化していることが確認できます。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。
中内 英生

| | コメント (0)

平成25年8月01日「”宗教における都市と自然”を学ぶ②」

Img693


平成25年8月01日「”宗教における都市と自然”を学ぶ②」
今日の詩::闇天空 心にともる 花火かな   
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
つづきです。
  イスラームに関しては如何でしょうか。現在私たちが使用している、複式簿記は元はと言えば、イスラム世界で使っていたものと聞いています。これは、ムハンマド自身も商人だったので、商業都市に住んでいたことになります。商人の一人が修行によって、神の啓示を受けて、始まった宗教であると言われています。まさに、都市から生まれた宗教であると言えるのではないでしょうか。

 今回の発表では、私が興味をいだいていたスーフィズムのことが内容に含められていたことが印象的でした。いわゆるイスラーム神秘主義ですが、以前に読みましたイスラーム関係の書籍によりますと、神様に関する表現が、生長の家の表現に近いように思えました。それを、「近い」と表現するのには、理由があります。「アッラー」という神様は固有名詞ではなく、根源の神様ですので、第一義の神ということになります。それは、アッラーを礼拝する、というように自分の外に神様を認める訳です。生長の家のみ教えは、外界の根柢に神を見出し、かつ自分の中に神を見出すことになりますので、イスラームは「自分の内なる神」と断定しきらないところに表現のもどかしさがあるように思います。
 そこを、スーフィズムは、「内なる神」という表現に近い表現をしているところに、「近い」というニュアンスとなります。それらを考えますと、スーフィズムの創始者は、仏教的思考に触れていたことが窺われます。

  スーフィズムは煩悩を離れて、霊魂の救済を得ようとする隠遁形式のようですので、キリスト教とは宗教は違いますが、山野での生活、都市的欲望から離脱することろの修行の形式になっているようです。都市的欲望はある意味では、作られた人工的な欲望です。それに反して、自然の中でのそれはごく自然なものであると考えられます。山野の自然は、神様を感じやすいのではないかとも思います。

 「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である水木しげるさんの体験談によりますと、氏は戦争中、南方へ行っていました。背後から攻撃されて命からがら、本隊へ帰りました。その間、真っ暗な夜の密林の中を一人で進んで行ったそうです。恐ろしかったかというと、そうでもありませんでした。大きなものにいだかれているという安心感があったそうです。それが、妖怪を友だちのようにマンガで表現する原点になっているのではなかろうか、と私には思えました。

  話は元にもどします。イスラームは、ムハンマド自身が洞窟で啓示を受けたとされていますが、商人としての仕事と自然界での悟りとのコントラストを考える時、都市にいながら、自然界に行って修行するという両立の形式であると考えることができそうです。自然は、そのままに何かを教えてくれます。
 キリストも都市生活者であり、生長の家は神戸という都市に誕生しています。しかし、どの宗教におきましても、初発の段階では、環境問題は考える必要はなかったようです。しかし、現代は違います。

 イスラームと自然に関する発表を受けまして、ムハンマドの時代には家系を尊ぶ流れがあったことが理解できました。また、自然界を、「神兆」すなわち、「唯一神アッラーからの慈愛に満ちた神兆」として、表現されていることに、感動しました。それは、自然界を含めて、「すべては神の生命の現れ」であるとして万物を礼拝する「大調和の神示」または、「生長の家の環境方針・基本認識」に通じるものがあると思えるからです。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。
中内 英生

| | コメント (1)

平成25年7月31日「”宗教における都市と自然”を学ぶ」

Img689


平成25年7月31日「”宗教における都市と自然”を学ぶ」
今日の詩::長岡の 夜空いろどる フェニックス 花火とともに 夏は終わりぬ   
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************

 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
「森の中のオフィス」での国際教修会の内容が、総裁先生のブログでご発表になっておられます。今回もしっかりと学ばせていただきたいと思います。
 まず、キリスト教と自然との関係について、学ばせていただきました。修道会という名称を改めて認識させていただきました。松江の県立美術館で、北海道の修道院の写真展がありまして、拝見したことがありました。修道会はまさに質素そのものの生活のようです。質素な生活といえば、初期の練成道場などを思い浮かべましたが、比べものにならない規則と厳格さと質素さがあるようです。

 キリスト教は、当時の都市で発生したようですが、腐敗的都市生活を離れて、荒れ地や山で活動した修道会の集団は、霊性の復興を目指したということで、成果があったようです。私は、NHKの「世界遺産」でそれらの修道院の状況を何度か拝見したことがありますが、まさに真剣な信仰を基盤とした生活のようです。修道院は修行の道場という印象を受けました。荒野、自然、農作業、質素な食生活などを大切にする生活態度のようです。

 将来、世界人口の80%が都市に集中するだろう、というデータがありますので、質素さの中に喜びを見出す修道院の生活は、今、与えられていることに感謝する日時計主義の生活と共通点があるように思えました。
 荒野での生活や洞窟での修道院生活は都市から離れた自然界の中での生活でありますが、至れり尽くせりの現代生活を知っている私たちにとっては、病院や生野菜の補給など、色々と考えさせられることがありますが、何らかの形でクリアーしていったのでありましょう。

 新潟越南教区は、多くの山や海や平野などの自然界に溢れています。先日、妙高のO地方講師のお宅に伺わせていただきましたが、屋外でのテーブルとイス、そして大きなカサの下で手作りのハーブティーなどをいただきました。このハーブティーは、青年会の皆様も移動青年会誌友会でいただいたそうですが、実に美味しい味です。妙高の自然の風光を愛でながらのハーブティーは格別です。
 また、O庵主のご説明では、この屋外テーブルは冬期間は、雪に埋もれてしまうのだそうです。春になって、雪の中からテーブルを掘り出すとのことでした。まさに自然界のまっただ中です。洞窟ではないのですが、雪に埋もれた、名称「マインフュッテ」で、庵主さんが真理の伝道や誌友会などを行っているようです。

 洞窟や荒野ではありませんが、冬季の魚沼などは何と4メートルの積雪だそうです。二階の屋根まで埋もれるようです。その中でも真理を求め、実践し、かつ誌友会などを通してみ教えをお伝えする、信徒さん達の尊いお姿を思わざるを得ませんでした。

  『善の研究』という哲学の本を書いた西田幾多郎氏は、石川県の羽咋のご出身です。西田記念館に参りましたときに、「座禅」のことを書いた文書がありました。浄土真宗の信者であっても曹洞宗の座禅のことを書いていることに感動を覚えました。そして、日本に於ける哲学を研究された西田博士はやはり、「弁当を忘れても、傘を忘れるな」という言葉があるような曇天が多い天候の地にお生まれになったのだと思います。ものを考えるのに適していると思うのです。
 それぞれの土地には、マイナスもあれば、ブラスもある筈です。魚沼は雪は深いですが、お陰で水が豊富であり、寒暖の差が激しい故に、日本一の美味しいお米の産地となっています。光明化運動におきましても、修道院の生活がわざわざ荒れ地や洞窟で生活したのを考える時、きっと冬季の雪を活用できるような、この土地での信仰生活の方法があるのではなかろうか、と思いました。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。
中内 英生

| | コメント (1)

平成25年7月30日「神・自然・人々との喜びの交流」

Img687


平成25年7月30日「神・自然・人々との喜びの交流」
今日の詩::樹の小鳥 朝の散歩に 花は笑む   
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************
 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
「自然や人々との喜びの交流」について機関紙『生長の家』(平成25年8月月号)の52頁には、竹内智本部講師が書いておられます。『大自然讃歌』の一節が書かれておりますが、53頁には、散策のことが書かれております。素晴らしい描写であると思いました。
 毎朝、自然散策をしておられて、山、川、草木、鳥、花などの生命に心を寄せるようになったそうです。自然を通して神様の祝福を実感するようになったと書かれております。

 私はよく花の写真を撮ります。小鳥がいると小鳥にカメラを向けます。動物が居ると必ずと言っていいほどその動物を撮影します。私の場合は、自分だけで鑑賞するよりも、皆様とご一緒に鑑賞したいという思いが多少とも働いているようです。特に、植物の接写は、実に素晴らしい神様の芸術であることを感じます。神様が花を通して私たちに祝福の微笑みを投げかけているように思えるからです。

 また、御文章には、「自然の中、至る所に神様がおられます」という意味が書かれております。どの事象をとってみても、神の祝福の微笑みを見出します。素晴らしい生活法であると思います。
私が先日経験したゲリラ雨や山陰、北陸などの大雨の自然災害の中にさえも、観世音菩薩のみ教えを感じて、原点に帰り、生き方を変化させていくことができます。
 また、道行く人々の美しい笑顔、ちょっとした会釈の中にも神の愛を感じる、と書かれています。神様の祝福を、道行く人々に感じる生き方こそ素晴らしい生き方であると思います。
 昔の中国唐の時代の話ですが、「大唐国中、一人の迷える衆生なし」との悟りを開かれた人があります。この悟りこそ、人間神の子の悟りでありましょう。そして、現代に置き換えてみますと、実相世界に於いては、完全円満な世界と万物のみ実在するとの悟りになると考えられます。「実相金剛身の神示」に説かれている世界です。私たち新潟越南の信徒は、基本的神想観を実修すると同時に、「四無量心を行ずる神想観」を常に実修して参りたいと思います。

※『新版 真理』第3巻の17頁から32頁までに、新潟県三条の小林昭三様のことが書かれています。当時から、非常に信仰的な、素晴らしい風土であったようです。その伝統が現在もさらに花開いているように思います。

※NHKの「地球大進化」の番組を見ていると、私たちが母胎から生まれることそのことの意味を教えられることになります。普通だと考えていることが、実は普通ではなく、その理由があるようです。2億5千万年前に、地球史上最大の火山噴火があったとのことです。実に、生物の95%が死滅するという大変動がありました。その危機を通して、確実に子孫を次につたえる力を獲得したとのことです。それがほ乳類の母胎での成長です。
 私は、自分が普段行っていることを時々、「普通ですよ」という表現をすることがありますが、そのような方法、生き方になるにはそれなりのターニングポイントがあります。その時から、自分的には普通になってしまったのです。そのように、人類が獲得した宇宙服は進化に進化を遂げて現在に至っています。それ故にこそ、神様から戴いた進化のプレゼントを多くの人々のために、全地球生命へのご恩返しのために捧げさせていただくことこそ、その生き方をお教えくださいました、総裁先生へのご恩返しになるのではなかろうかと思うのです。私たちはおそらくですが、総裁先生以外からは、この最高の聖なる生き方をお教えいただくことはなかったのではなかろうかと思います。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。
中内 英生

| | コメント (2)

平成25年7月29日「地球大進化」

平成25年7月29日「地球大進化」
今日の詩::夜半すぎ しきりに降るは ゲリラ雨 見舞いの電話 翌日来たる 
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************
 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
少し時間に余裕ができてきましたので、数日前から、オンデマンドで、「地球大進化」というNHK番組を見ています。見るのは二回目ですが、興味深いです。何故私がこのような番組を見るかと申しますと、『大自然讃歌』や『観世音菩薩讃歌』などに書かれておりますところの、自然界の事象につきまして、映像的に理会しやすくなるからです。

 全球凍結という時代があったそうですが、それまでは生命・生物は微生物しかなかったようです。しかし、全球凍結で地球のほとんどが凍ってしまっても、生命は生きていました。その後に、生命大爆発とでもいうように、大型生物が多数出現したのでした。生物が危機を脱した後には必ず大繁栄が到来するようです。生命は数度のほぼ絶滅の危機のあと、大発展を遂げているようです。すごいです。その危機脱出と粘り強さの遺伝子が、自分の中にも生きています。「生きた生命」という谷口雅春先生の自由詩がありますが、地球大進化を見ているとその自由詩が脳裏に浮かんで参ります。

 地球史上最大の大噴火というのもあったそうです。地球生物はこの地殻変動とマグマの流出で、生物の95%が死滅したと推測されています。以前、火山の噴火で温度が下がったことがありましたが、噴火による熱風、その後に起こる、曇天と温度低下など、気候変動は過去に色々と起こっているようです。隕石落下による気候変動もすごいです。荒ぶる地球、という表現をしていました。その中で、生命は発達していきます。海にしか生存していなかった生物が、大陸の接近によって、海が狭まり、生存競争が激しくなります。その中から、海を離れて、淡水の川に逃げていく魚的な生物(ユーステノプテロン)がいました。そして、陸上への進出です。そこにあったのが、アーキプロテリスという木の森です。ここで、この樹木の森にこの生物は生かされ続けます。そして、さまざまな生物に進化していったとNHKは言っていました。ともかく危機のあとに、発展するというシナリオのようです。

 肉体とは何か、という質問に対して、これは地球で生活するために進化した宇宙服であると言われております。そのようなことを考えるのに、NHKの教養番組は理会の補助になるようです。

※7月31日は、地方講師の方々の学習会がありました。レポートを作成するという方法です。読む。書く。聞く。話す。この四つが大切です。しかしどれも大切ですが、読むことは特に大切です。聖典を精読する。総裁先生の御著書を読み込む。そこにこそ、本当に実力のある、伝道に強い信仰者が生まれるのではないかと考えます。本は情報量がまったく違います。ここを通過することが必要でしょうね。アイデアは、五感から入ってきたものしか、出て行かない、とある脳科学者の言葉があります。従いまして、拝読することが本当に大切だろうと思います。

※遠くから長岡の雨のお見舞いのお電話とメールをいただきました。誠に有り難うございます。調査を依頼しておりますが、信徒さんの中で被害に遭われた方の報告は、現在の所はございません。テレビによると、寺泊のあたりも大変だったようです。私の家の付近は、29日の朝3時前に警報が発令されましたので、家族から起こされました。前の道路を見ますと、川になって流れていました。駐車スペースの自家用車がしだいに水没してきましたので、急いで少し高い所に移動させました。
 降る量がともかくすごかったです。午前5時頃には少し勢いがなくなりました。それから、次第に回復に向かったようです。地球温暖化によるゲリラ雨と都市の災害対策を考えるに至りました。感謝合掌。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。
中内 英生

| | コメント (0)

平成25年7月28日「対称性の論理を学ぶ㉔」

平成25年7月28日「対称性の論理を学ぶ㉔」
今日の詩::外は夏 肌汗ばみて 心地良し  
****************************************
【越後の信徒の皆様、総裁先生のブログを拝読しましょう】
  http://masanobutaniguchi.com/
 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。
【白鳩会総裁先生のブログを拝読しましょう】
 http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/
****************************************
 越後(新潟越南)の神の子の皆様、有り難うございます。
前回のつづきです。『生長の家』2013年8月号50頁上段5行目からです。「”テロとの戦い”は非対称性の極地」という項目の途中です。では、学ばせていただきます。

【非対称性の論理の過剰を修正する】
①「森の中へ行く」ことは、非対称性の論理修正の一つの動きです。
②自然破壊から自然との共存への動きです。
③森の中でも、都会と同じように仕事ができることを示して、自然と人との「対称性の論理」を推し進めていくという決断をしました。

【”対称性の論理”との同等語は何でしょうか?】
①人間の心にもともとある「仏心」または「神の子の本心」の活動です。
②自他一体の感情の発露です。
③愛の活動です。
④四無量心の実践です。
⑤他を生かそう、自他ともに伸びよう、という本当の自己の叫びです。

【目標として社会変革を目指します】
①本当の自己の叫びを多方面に表現します。(私がブログを書かせていだいているのも、絵手紙を描かせていただいているのも、考えてみるとこのことをさせていただいているのかも知れません。)
②本当の自己の叫びを発して、できるだけ多くの人々に共感を与えます。
③本当の自己の叫びを実生活に生かします。
④現在、世界全体が向かっている非対称性の方向とは逆の方向、対称性の論理の方向へ持っていきます。
⑤もっと、互いの共通点や一致点を認める方向に持っていきます。
⑥努力を私たちのそれぞれに分野において工夫する。
⑦私たち自身が社会変革の原動力になることを目指します。
⑧そのようになることを念願しておられます。
 ⑦のお言葉は実に重要であります。新潟越南に住む私たちは、しっかりと総裁先生のお言葉と御心を受け止めて、日々の生活を生きて参りたいと存じます。
このシリーズは、24回になりましたが、お付き合いいただきまして、誠に有り難うございました。感謝合掌。

※小職のフェイスブックは、「中内 英生」で出しています。
中内 英生

| | コメント (0)

« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »