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2018年6月

平成30年6月25日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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平成30年6月25日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::客迎え 新茶香るか ほのぼのと
  
(生長の家石川教化部HP   工事中)
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※石川教区の伝道情報「光明加賀能登人がゆく」です。
  しばらくお休みです。
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  加賀・能登の神の子の皆様、菩薩の皆様、有り難うございます。
  谷口雅宣先生御著書『宗教は何故都会を離れるか?』を、愚直かつ、凡庸の歩みで学ばせていただきたいと思います。それにしても、上と横へ伸びたいという意欲が一向に衰えませんね。なぜならば、それこそが、神の子の性質であるからです。神の子は無限そのものです。

(つづき)

P80~81
(つづく)

【学習】

【加賀・能登伝道記】

※ 講習会のご推進、有り難うございました。次は後継者育成です ※

【青年一日見真会】
  講習会が終わり、一段落したところだと思います。しかし、神様の光明化運動は一日も休む間もなく続けられます。伝道に王道なし、です。次は、後継者育成と講演会です。7月8日(日)には、青年会一日見真会が行われます。対象は、青年会員や39歳までの未会員です。どなたでも参加できる内容です。国際本部から、松尾憲作本部講師補が指導に参ります。また、空き缶で多肉植物を植えるのを手がけます。お昼はノーミート料理です。ランチも色々とでるようですよ。「ちょっと見てみる」感覚でご自宅の若い人に参加していただいて下さい。

【講演会】
講演会が、7月は、15日21日、22日と、三日間あります。本部の若手の講師の方々の素晴らしい講演です。まったく新しい人、講習会に参加した人、お誘いしたけれども行けなかった人等々、色々な方々にお声をかけていただきたいと思います。

【三正行】
三正行とは、神想観、聖典等の読誦、愛行をいいます。愛行は、普及誌を配るだけでは無く、肉食の削減も大いなる愛行です。ゴミを出さないのも、拾うのも愛行です。現在では、色々な愛行の仕方があると総裁先生がお説きになっています。

 神想観は、定時の神想観を行うことを努力しましょう。朝晩の定時です。その他は随時です。基本的神想観を覚え、それから「四無量心を行ずる神想観」など色々とやってみて下さい。精神統一法ですから、練習が大切です。呼吸法も重要です。「生命の実相の自性円満を自覚すれば大生命の癒力が働いて神癒となる」という生長の家独特の救済法を体得します。実相世界は「自然と人間とは神において本来一体なり」の世界です。この世界をジッと見詰めていると、自然との一体感が得られます。そこから、勝方便すなわち、無限の優れたアイデアが湧出して来るのです。
 私は先日面白いことを体験しました。ある方を訪問するために、電話で問い合わせると、その日は他県に行って不在とのことでした。しかし、私は不在でもお土産を置いておこうと考えまして、行ってみました。途中で、渋滞にぶつかりました。玄関でチャイムを押すと何と、その方が出て来られました。「ご不在ではなかったのすか」と聞くと、「5分前に帰ってきました」とのことでした。渋滞がなせるムスビの世界でした。

 聖典読誦は聖典等の読誦ですので、現代を救済する総裁先生、白鳩会総裁先生の御著書を中心に、聖典拝読に励んで下さい。必ず、素晴らしい気付きがあります。上記の三つ、三正行は信仰者として日々、欠かすことができない行事です。さらに、『日時計日記』を記載して、言葉の創化力によって、人生を良き方向に進めていくことが私たち信仰者の日課です。 その流れの中で、SNI自転車部、SNIオーガニック菜園部、SNIクラフト倶楽部の活動があります。出来る人から、大いにご参加ください。
講習会が終わりましたので、これから2年間大いに生長の家のお仲間を増やす運動を展開していただきたいと思います。皆様、よろしくお願いします。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月24日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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平成30年6月24日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::講習会 宇宙の大神 天降る 浄化の極み 使命なるかな
  
(生長の家石川教化部HP   工事中)
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  加賀・能登の神の子の皆様、菩薩の皆様、有り難うございます。
  谷口雅宣先生御著書『宗教は何故都会を離れるか?』を、愚直かつ、凡庸の歩みで学ばせていただきたいと思います。それにしても、上と横へ伸びたいという意欲が一向に衰えませんね。なぜならば、それこそが、神の子の性質であるからです。神の子は無限そのものです。

(つづき)
P80~81
このことは、何も聖経に限られたことではない。『生命の實相』など谷口雅春先生の他の教典にも、自然界の事象や出来事を先生が自らの“心の鏡”として理解し、そこから学ばれようとする態度が明確に表れている。例えば、『生命の實相』聖詩篇(頭注版では第二十巻)に収録された「甘露の法雨」以外の“生長の家の歌”にも、自然界の出来事を取り上げたものが数多くある。具体的には「生きた生命」「花園にて」「光明の国」「太陽の讃歌」がそれだ。また、同じ巻の自伝篇の部分に出てくる「野の百合の生きる道」という詩も、野生のユリに先生がご自分の理想の生き方を投影されているという点で、人間と自然との一体性を前提とした作品である。詩文のようなものだけでなく、哲学的な論文形式のご文章でも、同じことが言える。自然界の現象を冷静に観察し、そこから真理に到達しようとされる谷口雅春先生の真剣な態度は、多くの生長の家信徒の心を打ったに違いない。その代表的なご文章は、同じ『生命の實相』第二十巻の冒頭にある「ヘビとカエルの闘争」の話である。
読書に思い出していただくために、その一部を引用しようーー

自分はある日殿様蛙が一匹の小さなる蛇に呑まれる光景を自宅の庭で目撃したことがある。蛙は蛇に呑まれるべくあまりに大きすぎるためにそれを呑みつくすのに一時間以上もかかった。その長い間大いなる蛙はその四肢を苦しそうに打ち踠かせながらビリビリと痙攣的に全身を顫わしていた。自分はその蛙でないから蛙が本当に痛がり、また苦しんでいたのかどうかは知らない。しかしその苦痛そうに見える四肢の踠きや、「生命」の同胞が相食んでいる光景を「生命」の同胞の一人なる自分がみることは、ただそれを見ることだけでも幸福なる事実ではない。かくのごとき事実を自分は不調和なりと感じないわけにはゆかない。
(同書、3~4頁)
(つづく)

【学習】
  この蛇と蛙との闘争をご覧になった後、深く思索を重ねられて、雅春先生は開悟の道に進まれたと自伝篇には書かれています。釈迦が出家をする前に、お城の中で、老人や病人などを、見せられて出家し、そして苦行林に入り、その後に開悟に至った釈迦牟尼仏の心の道程に似ているように思えます。菩提樹の下で悟られたのは、「山川草木国土悉皆成仏、有情非情同時成道」です。天上天下唯我独尊と自覚された釈迦の悟りもやはり、自然界を正面から見据えています。

【加賀・能登伝道記】
  6月24日、講習会でした。講習会当日には既に、講習会後の計画と推進を始めておかないと、すぐに一ヶ月が経ってしまう。私は、富山のメイン会場で受講させていただきました。結果は、富山、石川の両教区とも微減であり、各会場とも非常に盛り上がっていた。私自身は,石川は前回を上回る予想の元に推進していましたが、二年後に喜びは持ち越されてしまった。しかしやはり、総裁先生がご指導される講習会は、他の行事とはまったく違う種類のものであることを改めて実感した。ここに至るまで、信徒の皆様、ご推進のご尽力、本当に有り難うございました。心より感謝申し上げる次第です。後継者育成が今後の大きなテーマです。このことに関しては、富山教区はかなり先を行っているので,今後は大いに学んでいきたいと思う。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月23日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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平成30年6月23日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::どくだみの 花に風吹き そよそよと 
  
(生長の家石川教化部HP   工事中)
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  加賀・能登の神の子の皆様、菩薩の皆様、有り難うございます。
  谷口雅宣先生御著書『宗教は何故都会を離れるか?』を、愚直かつ、凡庸の歩みで学ばせていただきたいと思います。それにしても、上と横へ伸びたいという意欲が一向に衰えませんね。なぜならば、それこそが、神の子の性質であるからです。神の子は無限そのものです。

(つづき)
P78~80
生長の家と自然

この「補強」について、少し説明しよう。
私は、聖経『甘露の法雨』や『天使の言葉』の中に、例えば自然と人間について「説かれていない」から、その欠落を補うためにこれらの長編詩を書いたのではない。そうではなく、それが説かれていても、詩篇全体の中で量的にあまり多くないなど、形の上では「強調されていなかった」。だから、それを強調する必要を感じたのである。具体的に言えば、『大自然讃歌』では、聖経からの引用箇所を鈎括弧でくくって明確に示してある。
例えば、『天使の言葉』にある「外形は唯自己の信念の影を見るに過ぎず」という言葉は、この「外形」を人間に限定して理解する必要はなく、人間と異なる外形をもった生物についても、それを“異物”として排除してはいけないと説いている。また、同じく『天使の言葉』にある「億兆の個霊も、悉くこれ唯一神霊の反映なることを知れ」という言葉についても、ここにある「個霊」の語は、人間の霊に限定すべきではないと述べている。さらに、『甘露の法雨』で説かれている「感覚にて視得るものはすべて心の影にして第一義的実在にあらず」という真理に言及して、この「感覚にて視得るもの」も人間に限定すべきではないとしているし、「感覚はこれ信念の影を見るに過ぎず」の意味も、人間社会のみならず、自然界すべてに及ぶものだと説いている。これらのことは、聖経に書かれた言葉をきちんと理解して読めば、初めからそういう意味で説かれていることが分かるのだが、これまでとかく見過ごされてきたと思う。つまり、聖経では自然と人間の一体性が説かれているのに、それに気がつかずに読んできた場合も多々あるだろうから、『大自然讃歌』ではそのことを詩文の中で量的にも、また表現の明確さにおいても、前面に出している。そういう意味での「補強」である。
(つづく)

【学習】
  補強の意味、個霊の解釈、「自然と人間の一体感」が説かれていたが、それを前面に出したところの補強とご教示されています。ともかく、「やったもん勝ち」です。回数多く声に出して読誦しましょう。「凡庸の唄」も同様にして読誦していきたいですね。

【加賀・能登伝道記】
  6月23日、会員を離れているご年輩の方の所へいきましたが、なかなか帰ってきません。それで次の所へ行きました。青年会の方です。ヤングの集いをお願いして、今後の活動を依頼しました。話している間に、赤ちゃんが泣いたり,騒いだりと賑やかでした。さしあたり、7月8日の青年会一日見真会のお役を頼んでいますので、その打ち合わせもありました。20名の若者の参加を目標にして、推進戸別訪問も行う予定です。石川は,青年会が充分には確立されていないことが、私の元気の素になりました。私は、無から有を生み出すのが大好きなのです。一種の喜びがあります。その喜びとは、「神、光あれと言い給いければ、光ありき」という言葉によって,何も無い所から生み出していく喜びです。
次のステップに向けて進んで参ります。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月22日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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白山は,もう少し雪が残っていますね。
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田んぼで餌をあさっています。車を停めて撮影です。
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下は、小松ドームです。この角度での撮影は初めてです。

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平成30年6月22日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::口すぼめ さくらんぼ食べ 微笑あり 
  
(生長の家石川教化部HP   工事中)
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※石川教区の伝道情報「光明加賀能登人がゆく」です。
  しばらくお休みです。
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  加賀・能登の神の子の皆様、菩薩の皆様、有り難うございます。
  谷口雅宣先生御著書『宗教は何故都会を離れるか?』を、愚直かつ、凡庸の歩みで学ばせていただきたいと思います。それにしても、上と横へ伸びたいという意欲が一向に衰えませんね。なぜならば、それこそが、神の子の性質であるからです。神の子は無限そのものです。

(つづき)
P76~78
このような事態に陥っている原因は、何だろうか?私は、その原因の一つは、人間が自然から略奪したり、自然を敵視して破壊することが人間の幸福につながるとする迷妄だと感じる。また、人類の集合的無意識の中に、自然に対する愛と憎悪のコンプレックス(感情・観念の複合体)が渦巻いているのではないか。これらを解消し、あるいは昇華するためには、私たちが日常的に「神ー自然ー人間」の大調和を心に強く描くことが必要だと考える。実相においては、自然と人間は神の下に一体である。そのことを心に強く印象づけるために、私はすでに祈りの言葉を多数書き、『日々の祈り』に収録した。恐らく多くの読者は、それらの祈りを日常的に実践してくださっているだろう。
“自然と共に伸びる運動”を進めている私たち生長の家は、今後もこの方向にさらに努力を重ねていくだろう。もっと具体的に言えば、2013年の国際本部の“森の中のオフィス”への移転を契機として、「自然と人間の大調和」実現の方向に運動全体の焦点を合わせていくことになる。私はすでに、その方向に私たちの“コトバの力”を拡大していくために、『日々の祈り』所収の「祈りの言葉」とはやや形式の異なる長編詩を書いた。「大自然讃歌」と「観世音菩薩讃歌」である。
生長の家の詩としては、谷口雅春先生の『生命の實相』第二十巻(頭注版)聖詩篇に「生きた生命」や「光明の国」「夢を描け」など十数篇が「生長の家の歌」として収録されている。その筆頭は、現在「甘露の法雨」と呼ばれている有名な長編詩だ。これの後篇が「天使の言葉」であり、これらは生長の家の真理を凝縮した「聖経」として取り扱われている。私の長編詩は、形式としてはこれらの聖経に似ているが、それに取って代わるものではなく、むしろ聖経で説かれた真理を引用しながら、聖経では強調されていなかった方面の教義ーー例えば自然と人間との関係などーーについて補強を試みた。
(つづく)

【学習】
  私は最近、絵手紙を描くときには、「自然と人間は神に於いて本来一体なり」との総裁先生の御言葉を書くようにしています。実相世界を表現した言葉です。先日、信徒様の葬儀に参加したとき、お坊さんの言葉がありました。「南無阿弥陀仏の言葉の中で南無とは”あなたのおっしゃるとおりにいたします”という意味です」と。これが阿弥陀仏のおっしゃる通りにいたします。これが信仰です、と言っていました。言葉の創化力です。同様にして、「神・自然・人間の大調和」の言葉が、お題目のように全人類に伝わっていくとき、当然のことながら、その思いを人類が起こすようになります。そうすると、三界唯心の理の通りに、神・自然・人間は本来一体である世界が展開いたします。自分なりの工夫です。また、二つの『讃歌』は、補強としておられます。教団として、「自然と人間の大調和」実現の方向に運動全体の焦点を合わせるようになりました。教区としましては、その運動参加者が一人でも多くなるように、教化態勢を布いていくことになると考えています。教区に於きましては、参加者を増加させる運動です。そのためには、参加していない方々の思いを聞いて答える、すなわち個人の救済を行いつつも、私たちの運動に参加する菩薩の境地に魂を高める必要があります。神の御心に叶うことは、必ず実現いたします。

【加賀・能登伝道記】
  6月22日、組織会員様を、如来様、菩薩様として礼拝感謝して行脚する行がようやく無事に終了しました。ご協力ご支援ありがとうございました。挺身至心献資の功徳を積んでおられる尊い聖使命実践者の皆様を拝ませていただくことは、必要であろうと思います。今回の講習会で二回目です。今回は、白鳩会幹部の皆様は自主的に計画して、推進によく活動してくださいました。また、相愛会の皆様とご一緒に心を一つにして活動できました。青年会は、不思議にも事務態勢が整いつつあります。講習会後の、講演会の準備に取りかかります。また、青年会一日見真会は、20名を目標にして、行います。次代のための方策の実践です。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月21日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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平成30年6月21日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::信徒宅 今日入院と 聞きし時 神の祈りを 献げるぞ良し
  
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  加賀・能登の神の子の皆様、菩薩の皆様、有り難うございます。
  谷口雅宣先生御著書『宗教は何故都会を離れるか?』を、愚直かつ、凡庸の歩みで学ばせていただきたいと思います。それにしても、上と横へ伸びたいという意欲が一向に衰えませんね。なぜならば、それこそが、神の子の性質であるからです。神の子は無限そのものです。

(つづき)
P75~76
2001年にアメリカで起こった同時多発テロ事件は、“神”(宗教)の名の下に現代文明の経済と政治の中心地を破壊しようとした信仰者の行動、として見ることができる。これはもちろん、彼らの行動が「正しい」という意味ではなく、犯行者の世界観がそうだったという意味だ。また、その後に起こったアメリカを主体としたアフガニスタン、イラクへの報復攻撃は、“人間”(世俗主義)の側の“神権政治”への戦いとして捉えることができる。さらに、とどまるところを知らない人口爆発と、経済発展の名のもとに進行している大量の有害物質の排出や自然破壊は、人間の自然界への攻撃であり、その結果、人類が体験しつつある洪水、旱魃、大雪、大嵐などの異常気象や気候変動は、自然の側からの人間への報復とも見て取れる。そして、2011年3月11日に起こった東日本大震災とその後の原発事故は、自然と人間との衝突を最も劇的に、衝撃的に、そして象徴的に示した出来事だったと感じられるのである。 私はこのことを、大震災後に発表した「自然と人間の大調和を観ずる祈り」の中で、次のように述べたーー

人間が自然を破壊すれば、その迷いの心の反映として、自然の側から“敵”として扱われるような事態が現れてくるのである。人間が山を削り、森を切り倒し、川を堰き止め、湖や海を埋め立てて、人間だけの繁栄を画策しても、それは神の御心ではない。それは神が「はなはだ良い」と宣言された実相世界とは似ても似つかない“失敗作品”である。実相でないものは、必ず破壊と滅亡を迎える時が来る。それは偽象の崩壊であり、業の自壊である。
(つづく)

【学習】
  同時多発テロの映画を総裁先生がご紹介しておられたので、当時、私も鑑賞しました。宗教者はテロを祈るが如く実施している姿を見て,正しいことではないが、このように行動する世界観とは何なのか、と考えさせられました。世界観。これは重要です。その後、やはり谷口純子先生のご紹介で、『愛国と信仰の構造』という本を読み、世界観がその国の運命、ひいては人類の運命を方向付けることが分かりました。御教えで教えられてはいましたが、これほど明確に理解していませんでした。だからこそ、実相世界を説く生長の家を全人類に宣布することは、真の世界平和を招来することになる訳です。
  神権政治と世俗主義、などの言葉は、関係する書物を数冊紹介されて読んでみて理解できました。さらに、「自然と人間の大調和を観ずる祈り」にお書きになっている内容は、まさに真実です。このことを、人々に充分に説き尽くすことができる教化力をつけることの必要性を痛感しました。

【加賀・能登伝道記】
  6月21日、和倉へ行きました。民宿をやっている人で、時々、能登光明道場の先祖供養見真会においでになる方です。「今日入院するんです。会えて良かった。心臓の手術を○日にする予定です」。私は入院手術をするときの心得を話しつつ、手術の時間にお祈りをすることにしました。私が退出しようとしていると彼女は、「私は講習会に行けないけれど、10人誘っているよ」と入ってくれました。その真心に感動しました。感謝訪問は信徒様の真心に触れることが出来ます。有り難うございます。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月20日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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カボチャです。雌」花がなかなか出てきませんね。
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能登島のツインブリッジです。
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もう一つの能登島の橋を写した。
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中島の地図

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奥能登の田んぼの中

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亀さんがいました。

平成30年6月20日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::朝早く 起きる爽快 今日も晴れ
  
(生長の家石川教化部HP   工事中)
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(つづき)
P74~75
第二章 神・自然・人間の大調和に向けて

私は、2007年に上梓させていただいた『日々の祈り』の副題を「神・自然・人間の大調和を祈る」とした。その理由は当時のブログにも書き、また『次世代への決断ーー宗教者が“脱原発”を決めた理由』(2012年刊)の序章でも、ブログの文章を引用した。それをごく簡単に言えば、こうなる。
ヨーロッパ中世以前の世界では「神→自然→人間」の階層秩序が厳然として続いていたのに対し、産業革命以降は、この関係が急速に崩れ、今では「人間→(神)→自然」の関係に逆転してしまった。ここで「神」の文字が括弧に入っているのは、多くの人間にとって、神はもはや存在価値がないと思われているからだ。つまり、彼らにとって「神は死んだ」のであり、だから何の恐れもなく、自然を手なずけて自分の道具や消費の対象とし、徹底的に利用する。それが、幸福を得る方法だと考えるのである。そういう人間中心主義的で、物質偏重の考え方が現代文明の基礎にはある。だから現代は、神・自然・人間の三者の関係は大方が対立的であり、敵対的でさえある。
(つづく)

【学習】
  「日々の祈り」の御文章、すごく魂に響きます。お勧めです。「神は死んだ」という言葉を聞いたことがありますが、人間の心の中に、畏怖すべき存在の神が無くなったことを意味しています。「神→自然→人間」から、今では、「人間→自然」の関係、感覚になってしまっています。人間中心主義は、自然を人間の道具や消費の対象にするという徹底した生き方となっています。牛や豚を増殖させて食べるという、あたかも動物に心感情が無いという考え方が支配的です。しかし、法則は厳然としてあるようですね。法則に触れるとその反動が現れます。総裁先生は、『観世音菩薩讃歌』の中で、まず「法則」を第一に書いておられます。

【加賀・能登伝道記】
  6月20日は、能登の会員さん宅へ感謝訪問に行きました。運転者がいましたので、身体が楽でした。ある相愛会員は、種々の理由で講習会には行かないといっていましたが、私たちが行くと夫婦で参加する、ということになりました。顔を出すことは、愛と真心です。『生命の実相』に、病人を訪問するとき、自分がではなく、神の愛が真理が、神がその人を祝福し給う、と祈りながら面接せよ、と説かれています。顔を出すことは、神の愛の実践行であろうと思います。うれしかったです。天気は曇っていましたので、とてもよかったです。一人で行くときには、帰りはかなり遅くなるのですが、運転してくれていますので、7時頃には教化部に帰着しました。職員さんが3人まだ仕事をしていました。それから、後片付けをして、帰って食事をして就寝は、10時を少し回ったころでした。どうすれば、早く起きることが出来るか?ですが、夜早く寝ることです。もう一つ、当然のことながら、お酒を飲まないことですね。「葷酒山門に入るを許さず」です。御教えによりますと、霊はアルコールを嫌うので、肉体にアルコールが入ると、霊魂の一部が肉体から脱出するのでしょうかね.従って、思考が不明確になり、さらに眠くなり、神想観で精神統一が不十分になるようです。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月19日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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教化部菜園に何と、スイカの子供が現れました。青少年練成会でいただけますように。

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平成30年6月19日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::自己の生 与えられたる お役目に 全力投球 神のみこころ
  
(生長の家石川教化部HP   工事中)
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【総裁先生のブログ「唐松模様」を拝読しましょう】
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 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。英語版は、「  Seicho-No-Ie President」です。
【白鳩会総裁先生のブログ「恵味な日々」を拝読しましょう】                
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  また、白鳩会総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家白鳩会総裁」です。
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※石川教区の伝道情報「光明加賀能登人がゆく」です。
  しばらくお休みです。
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  加賀・能登の神の子の皆様、菩薩の皆様、有り難うございます。

  谷口雅宣先生御著書『宗教は何故都会を離れるか?』を、愚直かつ、凡庸の歩みで学ばせていただきたいと思います。それにしても、上と横へ伸びたいという意欲が一向に衰えませんね。なぜならば、それこそが、神の子の性質であるからです。神の子は無限そのものです。

(つづき)
P70~72
本部事務所だけを“炭素ゼロ”にするのは、当初はできますが十年後もちゃんとやっていけるのかなど、なかなか難しい問題があります。
そんなことをやっているところは、恐らく企業にはありません。ソロバンを弾いたら損するからです。でも、多少損してもいいから、人類が向かっている方向に何らかの良いインパクトを与えていきたい。そういう方向への努力をしている人は、全くいないわけではない。私たちが始める前から行っている先輩もいます。そういう人たちの助言も受けながら、もちろん皆さま方から建設的な提案も大いに受けて、献資を募る場合には、皆さまにも納得していただき、「自分もやるゾ」という気になってくださった上で実行したい。
そういう意味で『次世代への決断』という本をぜひ読んでいただきたい。そこでは、私たちの世代のことはあまり問題にしていない。次世代ーー我々の子どもや孫に残す社会がこんな状態でいいのかという視点で・・・私ももう長くは生きませんから(笑い)。皆さまも、私より年上の人もいるようでありますから、もうこれから先は自分のことではなくて次の世代のことを考えて生きる。しかし、「コトバの力」だけはしっかりと握って、我々の運動を神の御心に沿った方向に進めていただきたいのであります。(拍手)
それでは、これからもひご協力、ご支援をよろしくお願いいたします。(拍手)
(2012年2月28日、第61回生長の家代表者会議で)
(つづく)

【学習】
  『次世代への決断』を何度も拝読する必要があります。何度か輪読したりしましたが、さらに続けて参りたいと思います。さまざまな本のご紹介がありますが、私たち信徒は、まずもって総裁先生の御著書を繰り返し拝読することを原点にすることが大切です。肉体は宇宙服であり、使命を果たすために道具ですから、メンテナンスが必要です。さらに、十分は栄養と,栄養過多は困りますが、十分な休息が必要です。一説によると、7時間睡眠の人が長生きが多いとか、負債睡眠のこととか、10時から朝3時までの時間を睡眠していると、かなり有効であるとか、です。酒、タバコは勿論不可です。適度の運動も必要ですね。私は、講習会が終わる6月24日までは、自転車で運動するのは遠慮しています。しかし、それからは毎日乗ります。宇宙服の保守管理です。炭素ゼロにするには、色々と工夫が必要です。ガスや電気を使わずに、薪ストーブは有効ですが、都会では当然のことながら、煙のために、苦情が殺到します。周囲に愛と真理を波及するのが生長の家ですので、都市部での実施は困難性がかなり高いです。では、電気が良いかというと、石川の電気の60パーセントは石炭での電力の筈ですので、やはり温暖化を促進します。ではどうすれば良いかですが、様々な技術の組み合わせ、ベストミックスで炭素ゼロを実現するようにしたいと思います。そこに至るまでの、ディスカッションが楽しいのですね。私にとりましては。

【加賀・能登伝道記】
  6月19日は、午前は写経見真会、午後は金沢地区見真会でした。その後は、和倉会場の周辺を感謝訪問をしました。感謝訪問は、ご本人はお留守で、若い娘さんや息子さんがおいでになる時があるのですよね。こんな若者がこの信徒さんのところにおられるとは!!と何度思ったことでしょう。青年会一日見真会があります。この行事へのお誘いをさせていただきます。今日、写経見真会がありました。私は月に一応、三カ所で写経を行っています。これは、愚直な行として、自分に課すために、行事化したものです。そうしない限り、行うことは難しいですね。参加者も数人です。それを毎月行います。これは、長期間の内に、石川の信徒様の魂の中に、何らかの信仰的変化、向上を促すのではなかろうか、と思います。また、白布への写経をしてそれをどなたかに差し上げることもできます。自分的にはその愛他行の時間がほしいのです。参加していたNさんは、昨日まで宇治の練成会を受けていたそうです。その報告です。Nさんが受講していると、Oさんという沖縄の人が話しかけてきたそうです。そこに、Sさんという島根の方も自然に加わって、三人で談笑したそうです。すると共通点で小職の名前がでてきたそうです。Oさんは飛田給時代からの、40年間来のおつきあいです。Sさんは、10年来のおつきあいです。息子さんとは、青年会の委員長時代からの交流が続いています。これもラインを使ってです。Nさんは、熱心に写経を行ったり伝道する20年来のおつきあいの方です。それが偶然にも三人で宇治で出合うとは、どういうことでしょうか。ムスビの世界の展開です。私は、個人的には,早朝の行が復活しています。36歳ころから約10年間行ったのですが、教化部長にならせていただいてから,朝起きられなくて断念していました。それが復活できたので、何よりもうれしいです。すると、色々な良いことがでてくるのですね。有り難いことです。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月18日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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平成30年6月18日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::愚直にも 三正行の 継続が  浄土現前 伝道の極
  
(生長の家石川教化部HP   工事中)
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  しばらくお休みです。
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  加賀・能登の神の子の皆様、菩薩の皆様、有り難うございます。

  谷口雅宣先生御著書『宗教は何故都会を離れるか?』を、愚直かつ、凡庸の歩みで学ばせていただきたいと思います。それにしても、上と横へ伸びたいという意欲が一向に衰えませんね。なぜならば、それこそが、神の子の性質であるからです。神の子は無限そのものです。

(つづき)
69~70
ご存じのように、戦後の世界経済は物質主義と自然破壊の方向に向かって一直線に進んでいったわけです。しかし今後、そのまま進んだらダメだということを、多くの識者は言っている。言っているけれども、どこへ行ったらいいのかはよく分からない。あるいは、理論的に分かるけれども実際にやる人がいない。市場がない。技術がない。システムや制度がない。それならば、今まで通りのことをやっていたらいいーーそういう言い分はよく分かる。現実(現象)を重視すれば、その通りなんです。しかし、それでもなお「正しいと思うことをやりましょう」と言えるのは、たぶん宗教を信じている人しかいないと私は思うんですね。(拍手)
ソロバンを弾いたらやはり赤字になる。普通の場合、そこで終わってしまう。幸いなことに、生長の家は皆さま方の献身的な運動と献資によって多少蓄えがあるので、それを今使わないでいつ使うのだろうと考えた結果、使わせていただくのです。谷口雅春先生が長崎へ移住されたときも、大きな変化がありました。その時は日本中で献資を募ったのです。しかし、今回はそれをしませんでした。それは、みなさんが納得してくれない中でしたくなかったからです。皆さんの生活に実際に影響があることは、「私もそうする」という意識で動いてくれる方にだけお願いしたいということですね。もちろん今までの貯金があったので、一応できることです。“炭素ゼロ”の業務と生活を完遂するために細かい計算を今やっています。
(つづく)

【学習】
  正しいことを行う。これを実践するために、「森の中のオフィス」はできました。宗教だから、信仰を持っている人の団体だからできた、と言えます。まずは、実践です。信仰は行動で行うことが大切です。知信行、知行合一と言われているように、実践無くしては進んで行きません。今日も、倫理的生活の実践です。先日、信徒さんが「部長は、○○○○も飲まないんですか」と言ってあるものを、美味しそうに飲んでいました。「はい、これは私の生き方ですから」と答えたものです。一般には特に問題がないものは、口にしてもよいと思います。ですが、その摂取に自分の意識に多少とも何か違和感があれば、それを無理に摂取する必要な無いと考えられます。それは個人の自由の範囲です。

【加賀・能登伝道記】
『生命の実相』頭注版第一巻初版序文には、「道と生活と愛行とは三位にして一体である」と書かれています。生活実践に力を入れているのが、倫理的生活者であり、プロジェクト型組織であるとも言えます。伝道愛行にのみ力を入れる時代からバランスの取れた信仰への移行です。河口湖で始まったかつての「伝道実践者養成練成会」が象徴的です。さらに、道の把握の深さ、精確さが生活と愛行に反映しますので、道を知る、すなわち神想観や聖典等の読誦の継続は、実に実に大切な基本行となります。教勢の発展が阻害されているとするならば、それは、信徒の高齢化や環境の変化に問題あるのではなく、伝道者の自覚に問題があると教えられています。その伝道者の自覚は、正確に真理を知る聖典等の読誦と、自覚を深める神想観が基本です。考えてみれば簡単です。「神の子人間」の深い自覚から来る使命感、そして自己礼拝と万人礼拝、と自然界の礼拝、その背後にある実相人間と実相世界を観ることができるのは、その人が自分の実相を把握し礼拝しているかどうか、自分が肉体で無く,神の生命であると自覚しているかどうか、によります。ここから、合掌一つにしても、光を発するようになるのです。教勢の発展は、自分から発する実相礼拝の光がポイントといえるようです。そのためには、まず他人は見ていなくても、見えない所で愚直に継続するさまざまなその人自身に於ける基本的「行」の継続です。「自然と人間は神に於いて本来一体なり」の霊的自覚が光となって、その人から放散されるようになると素晴らしい世界が展開するでしょう。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月17日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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上の写真は、雅春先生の33年祭の時、総裁先生の御言葉を拝聴しているところです。

平成30年6月17日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::田んぼには 白鳥降りて 餌を採る 緑に白の 映えて美し
  
(生長の家石川教化部HP   工事中)
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  しばらくお休みです。
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  加賀・能登の神の子の皆様、菩薩の皆様、有り難うございます。

  谷口雅宣先生御著書『宗教は何故都会を離れるか?』を、愚直かつ、凡庸の歩みで学ばせていただきたいと思います。それにしても、上と横へ伸びたいという意欲が一向に衰えませんね。なぜならば、それこそが、神の子の性(サガ)であり、神の子は無限そのものであるからでしょう。おそらく。

(つづき)

P68~69
英語に「インクリメンタル(incremental)」という言葉があります。「漸進的」とでも訳すのでしょうが、私たちはそういう何か少しずつ現状を改善していけば良い社会になっていくという考え方では不十分だという判断をして、それが“森の中へ行く”という選択になったのであります。
インクリメンタルに現状を改善していけば何とかなるというその「現状」はどういうものかというと、菊地さんがおっしゃったように食肉需要はこれからどんどん増えていくのです。それは中国やインドのような人口の多い国々が経済成長するからです。それは分かっています。だから、ある一人の業者が辞めたからといって、世界に大きな影響はないーーそれも事実です。しかし、だからやらないということであれば結局、「流れに任せろ」ということです。二酸化炭素の排出削減もできず、化石燃料の使用も減らず、原発も復活するだろうし、資源争奪戦に向かって人類全体で突っ込んでいくことになる。それはやはりマズイだろうという判断があるわけで、それをぜひ皆さま方には理解していただきたい。
「流れに任せる」のであれば、東京にいたらいいんです。私のところへも、東京を離れないで生長の家の運動をしなさいというメールが未だに来たりします(笑い)。
(つづく)

【学習】
  漸進的という言葉から、お説きになっています。必要であれば、東京から森の中へ行く。それは、生長の家の本来の使命を生きるためであろうと考えられます。使命を果たすことができなければ、生長の家出現の目的もあやうくなる。そのような思いと御決意であると拝察いたします。その御決意に,私たち信徒は,お応えする必要があります。それが、PBS等なのでありましょう。

【加賀・能登伝道記】
  6月18日は、小松見真会が終わり、能登の中島へ推進に行きました。Mさんと言われる方は、訪問するなり、「息子が亡くなって49日がようやく過ぎました」という挨拶でした。愕いて聞いてみると、会社で事故で亡くなられたそうです。そんなことも情報としては私には入っていませんでした.「自分の愛が足りなかった」と反省しました。信徒の心に寄り添うという姿勢が十分でなかったと思いました。息子さんのお位牌のまえで聖経を拝読させていただきました。そして、色々と息子さんのことをお聞きしました。本当に大変だったと思います。感謝訪問は色々と出合います.その中で、信徒様の心に寄り添い、実相を礼拝し、そして、伝道にまで信徒様の魂を高めさせていただく。これが、私の修行であると思わせていただきました。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月16日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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平成30年6月16日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::山越えて よくぞこの世で 御教えに 触れて感謝の 菩薩道  
(生長の家石川教化部HP   工事中)
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  加賀・能登の神の子の皆様、菩薩の皆様、有り難うございます。

  谷口雅宣先生御著書『宗教は何故都会を離れるか?』を、愚直かつ、凡庸の歩みで学ばせていただきたいと思います。それにしても、上と横へ伸びたいという意欲が一向に衰えませんね。なぜならば、それこそが、神の子の性(サガ)であり、神の子は無限そのものであるからでしょう。おそらく。

(つづき)
P67~68
ですから、多少の問題や困難はあると思います。菊地慶矩・岩手教区栄える会会頭が質問されたように、今の産業の中に基礎を置いて、それを逐次改善していくことによって地球温暖化の問題を何とかしのげないだろうかーーそういう意見が出てくる事情はよく分かります。私も一度そう思いました。東京にいても、この世界を変えることはできるだろう。しかし、本当にできるのか?結論はもう出ています。これまでの物質主義的、商業主義的な生き方とは違った生活をする人が実際に出てこない限り、社会のライフスタイルの転換は難しいと思います。
地下資源を大量に消費するというこの“大波”から抜け出さなければ、私たちはやがて資源争奪戦争に入っていくでしょう。これは十年先とかそういう未来の話ではないかもしれない。日中間の尖閣諸島をめぐる争いのことを考えれば、もう始まっていると言ってもいいのです。また、そういう大規模な消費生活をする人々の数が地球上にどんどん増えていけば、我々の子どもや孫の世代に何が残せるのでしょう?
(つづく)

【学習】
  まず、自分自身が迷いの波から抜け出すこと。これを第一とする。ライフスタイルを変える。すなわち、生き方が変わらなければ,この世を救うことはできません。小は山に隠れ、大聖は街に隠れる、という言葉もあります。しかし、大聖はいつの間にか、街の汚れが服装につきまとっているのでは無いかと危惧します。浄めるつもりが,己がよごれてしまうと,本末転倒です。それで、森の中に行ったのです。
 石川で昨年、練成会を能登光明道場で行いました。食事に関しては、しっかりとSNIオーガニック菜園部のコンセプトに従って行っています。すると、そのようなことを余り聞いたことが無い、地元の地方講師さんが私のことを、「修行僧!」と言っていました。修行僧と言われるほど、潔癖に見られて,極めて本望です。
 そういうわけで、まず、自分自身が物質主義の生活から、倫理的生活者に方向転換です。

【加賀・能登伝道記】
  今日、6月16日は、白鳩会も相愛会も推進に出ていました。とても有り難いです。私は、午前中は羽咋の方面、午後は青年会育成会議と生教会定例幹部会がありましたので、そこに出席し、終わってからはかほく方面に行きました。青年会育成会議は、成功する可能性大です。無から有を生み出す信仰が大切です。神の子はそれを実践します。女子青年会員Mさんが、集計係を行ってくれているのは、実に大きいです。想念の波に乗って、役者が実相の世界から派遣されてくるのですね。我が人生は勝利あるのみです。
 戸別訪問ですが、昨日はNさんという信徒さんの所へ行きました。肩に、コザクラインコという小鳥を乗せていました。Nさんを親だと思い、家の中で、Nさんを探し回るそうです。「自分の巣で寝なさい」、というと、自分の巣の所へ行くそうです。2,3歳の赤ちゃんくらいの脳があるそうです。驚きました.名前はピーコだそうです。
 
 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月15日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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平成30年6月15日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::九十九湾 眺め良好 生きてうれしき 
  
(生長の家石川教化部HP   工事中)
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(つづき)
P66~67
現状の「改善」でなく「転換」のために

“森の中のオフィス”はそういう「コトバの力」を表現した一例です。今は世界中で物質主義的なライフスタイルを新しい方向に転換していくことが求められているけれども、身体を使って、口(発声音)を使って、心(意)を使ってそれを実行することは、コトバの力の活用です。多くの人々はしかし、生活の転換の必要性は分かっていても、それを具体的にどの方向へ進めていくべきかがよく分からない。また、従来の生活の仕方から逃れられない。先ほども質問がありましたが、何十年も同じ仕事をしてきたのに、今さら転職なんてとんでもないと考える。その気持ちは十分にわかります。業の力はそれだけ強力です。
我々は実相に於いて皆、神の子でありますが、現象的には業の力に動かされていることも事実です。つまり、昔から積み重ねられてきたいろいろな技術とか、社会制度とか、習慣とか、法律も含めて、それを維持していこうとする一定方向に向かう習慣性の力が、社会全体にドッーと働いている。地下に眠っている資源を掘り出して、地上で燃やしたり加工して、自分たちの生活の資源やエネルギーに変えるーーこういう流れが、社会の基本的な仕組みと密接に関係していて、そうでない生き方は大変やりにくい。そのことはよく分かります。しかし、生長の家はそれをやろうとしているのです。
(つづく)

【学習】
  森の中のオフィス、そのものが「コトバの力」の表現であるとのご教示です。要するに、実在の世界にあるところの、「神・自然・人間の大調和」を体現しているのですね。素晴らしいことです。習慣性を変える、ことの難しさとその難しいことを,生長の家がやろうとしていることが説かれています。そのポイントは、まず自分自身が出来るかどうかなのですね。さあ、今日も自己変革のチャレンジです。自己変革の基本は、まず、自分を物質と見るか、神と見るかです。神想観の実修です。倫理的生活は三正行の実践からです。それは万物の奥にある神の生命の礼拝に行き着くからです。

【加賀・能登伝道記】
  6月15日は、奥能登へ行きました。九十九湾のMさんに会いに行ったのですが,Mさんの所属団体の会合でなかなか帰ってこず、会えませんでした。2時間半超待ってようやく会うことができました。良かったです。伝言ミスや早合点などが重なりました。しかし、その間に、九十九湾の風光明媚な景色を楽しめました。庭にあったコンクリートの椅子と机を使って、パソコンを広げてワープロしました。待つことは楽しきかな、です。こんな場所で、2時間半以上楽しむことができたのは、本当に久しぶりでした。『凡庸の唄』、の御陰です。その間に、百楽荘というホテルに行ってきました。すると、庭で掃除をしている20歳代の娘さんが近づいてきて、「お泊まりですか」と聞かれました。「いいえ以前の経営者を知っているので来たのです」と答えました。彼女は、前経営者の女将さんや現在の経営者の女将さんと時々、食事をすることがあるそうです。前経営者は、現在は、イカの加工業に成功して,海外へも何度も行っているとのことでした。「よかった」と思いました。1年前に来たときは、前経営者の女将さんであるAさんには会えずに、その娘さんにはお会いしたのですが。庭にいたその女性は、色々と話してくれました。各部屋にある雅春先生がおつけになった部屋の名前は現在もあること。百楽荘という名前は,雅春先生がおつけになったと聞いているとのこと。色々と楽しい会話でした。現在の総裁先生が講習会においでになること。そしてご幼少時にこの百楽荘にお泊まりになり、海で泳いでおられてことなど。色々と話しました。とても不思議な出会いでした。待たされることがなければ、このような体験は無かったでしょう。私たちは、どこまで行っても、神様から護られている世界です。
 
 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月14日 「『機関誌』掲載の御文章に学ぶ」

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平成30年6月14日 「『機関誌』掲載の御文章に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::ゆらゆらと 晴れて眼に滲む 白菖蒲 
  
(生長の家石川教化部HP   工事中)
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2018年6月号 機関誌掲載
〈立教89年生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典での言葉〉
平成30年3月1日 生長の家総本山

《“便利さ”より努力を選ぼう》 生長の家総裁 谷口雅宣先生

皆さん、ありがとうございます(拍手)。本日は「立教89年の記念」と「生長の家総裁法燈継承記念」ということで、全国から大勢お集まりいただきました。誠にありがとうございます。
今日は、ちょうど日本上空を低気圧が北上していて、北日本から来られた方は、荒天のため大変な面もあったかと思います。しかし、こうして皆さんとこの生長の家の総本山で再びお会いできることをうれしく思います。よろしくお願申し上げます。(拍手)
またご存じと思いますが、本日はこの会場にカメラが入っておりまして、インターネットを通じて全世界にもこの式典の様子が放映されているところであります。日本はあいにく晴天ではありませんが、先ほど皆さんと一緒に歌った「水と森の歌」を思い出してください。そこには、人間と地球の自然環境ーー特に水との関係が、実に壮重な言葉で深い洞察にもとづいて描かれておりました。あの歌を歌いますと「台風もハリケーンもモンスーンもみな素晴らしい役割がある」ということを教わりますね(拍手)。
私たちはとかく日本の視点から、あるいは人間の観点だけから現象を見て、「善い」とか「悪い」とか言っているけれども、もっと広い立場からーー自然の生態系全体の観点から世界を見ると、日本は国土全体に占める森の割合が大きく、降水量も多いという、今日においては珍しく恵まれた国なのであります。ご存じの通り昨今、地球環境がどんどん乱れてきていて、多くの国では水不足になっています。しかし、日本は水は溢れるほどある。その中で、私たちは「自然と一体の生活をしよう」というメッセージを全世界に広げていくーーその運動が、いよいよ大切になってきていると考えるのです。
【学習】
  日本は森に囲まれているという環境立地条件がとてもよいです。私の故郷の高知県などは、ほとんど森、山です。思い出は山や川のことばかりです。私はオーストラリアの方と話をしたことがありますが、私の故郷を旅行したことがあるそうです。高知県の森、山、これほど素晴らしい財産は無い、と言っていました。(中内記)

《オリンピックは努力の産物》

さて、世界で最近注目されたことは何でしょうか?平昌オリンピックです。皆さんも、、テレビやその他のメディアを通して引きつけられるように、いろいろな競技を観戦されたと思いますが、私も同じであります。私は長い間、東京に過ごしていましたから、ウインタースポーツとはあまり縁がないのであります。しかし、北杜市大泉町へ越しますと、冬には雪がたくさんあって、ウインタースポーツができない人はちょっと寂しいーーそういう経験をいたします。しかし、その私にもできるウインタースポーツが一つあるのです。それは雪かきですね(笑い、拍手)。情報によりますと、昨晩も北杜市には20センチの雪が降ったそうでありますから、今日、私が自分の家へ帰れば、早速やるスポーツが待ち構えている(笑い)のであります。
さて、雪かきの話は別にして、私たちはオリンピックその他の競技を見て、なぜ感動するのでしょう。そのことを今回、私は考えました。講習会などで私がよく話をするのはーー皆さんも覚えていらっしゃると思いますがーー「向上心」についてです(図1)。オリンピックこそ、人間の向上心を表現するユニバーサル(普遍的)な場であると感じました。ここでは、前回からの四年間で、選手たちがいかに向上心に燃えて練習を積んだかどうかが、競技の成果に反映される。そこで、悲喜こもごもの様々なドラマが展開されました。
今年、日本にとって素晴らしかったのは、メダルを取る人の数がかつてないほど多かったことです。その中でも、男性よりも女性の選手が多かったですね。生長の家は白鳩会の運動が盛んですけれども(笑い)、日本でも女性がどんどん能力を発揮する時代が来ております。もちろん男性も、素晴らしい活躍をしました。羽生結弦さんや渡部暁斗さんは、世界を感動させましたが、その一つの要因は、彼らが二人ともケガをしていたからですね。しかし、たとえケガをしていても、自己を統御することでメダルは取れるということを証明してくれました。それとは対照的に、女性陣は明るく戦って、負けても「次ががありますから」と言って笑顔でした。その姿を見て、私は生長の家の「日時計主義」を実践しているような印象を受けました(拍手)。男女ともに、私たちにとって“希望の星”になるような活躍をしてくださいました。
このオリンピックのようなスポーツ競技は、優劣や勝敗が明確に出ることで、単純だけども重要なことを教えてくれます。それは、人間の喜びはどこから来るかといえば、「努力を重ねてそれが実ること」だということです(図2)。努力の成果が評価されるーーこれはすごく単純で当たり前のことなので、皆さんはそれが正しく、今後もきっとそういう仕組みが、世界全体にスポーツ以外の分野でも続いていくと考えておられるかもしれません。ところが、それが最近、怪しくなってきたのですね。「努力することに価値がある」という当たり前のことが、努力によって幸福感や喜びが訪れるという自明のことが、だんだん説得力を持たなくなってきているようです。
【学習】
  「人間の喜びはどこから来るかといえば、「努力を重ねてそれが実ること」であると教えていただきました。努力は期待を裏切りません。私自身、努力することが大好きです。愚直な生き方しか私にはできませんが、まじめに,真剣に、繰り返す。これはできます。その努力の結果が人生であり、競技の結果であると思います。もし、他人に負けたならば、それは他人に負けたのでは無く、生命の成長の法則に充分に適う生き方が出来ていなかったに過ぎない。だから他人を恨む必要は無い、という御教えです。相手は常に,自分自身です。(中内記)

今日の科学技術の発達の方向を見ますと、「努力はできるだけ省略し、頭や手足を使った複雑な作業は機械に代行させよう。それが人類の幸福への道だ」という考えに基づいた経済や技術改革が行われているように、私には感じられるのであります。皆さんはどう感じておられますか?世の中はどんどん便利になっていますが、「便利」というのは、人間が「努力」を省略しても、いろいろなことが可能になるということです。
ここに出したのは、向かって左側が自動運転車です(図3、次頁)。それから右側は、私たちが将来お世話になるかもしれないロボットです。日本では、ロボットを介護に使うと言っています。そうなると、私たちはロボットが覚えていること、または指示することに素直に従って(笑い)生きなければならないかもしれない。それから自動運転車って、何のためにあるのでしょうか?自動車に乗って、機械に向かって「どこそこへ行くよ」と言うと、あとは車自身が「オレは勝手にそこへ行くよ」と運転を始めるのでしょうか?私たちはそれに素直に従って、あるいは全幅の信頼をおいて、車内でのんびりする。自動車の中で何をするんですか?本を読んだり、ゲームですか?あまりすることがないですよね。そういう世界が来ることが“素晴らしい”と産業界では考えているようですね。皆が集中して、そういう「努力をしない」ための技術の開発にしのぎを削っています。
さらに、別の分野での自動化も進行しています(図4)。向かって右側の二つは「お買い物をする時には財布は不要」というタイプの自動化です。現金を数えたり、つり銭の計算をするなどめんどくさいことは全部省略して、カードやスマホ、QRコードなどを使って、すべてのことを自動化するーーそういう方向に全世界が進もうとしているようです。私は「困ったなぁ」と思っています。なぜなら、頭や手先など人間の肉体の機能は、使わないとどんどん低下していくからです。
【学習】
 自動化は人間の能力を低下させるようです。お金の支払いにしても、カードやスマホでの支払いは、私はしていません。買い物をして細かい小銭もできるだけ、財布からピッタリと出せるようにしています。その方が気分良いですね。自動化は楽。でも後が怖いです。能力の低下の危険性があるからです。どこかへ行ったとき、「荷物をお持ちしましょうか」と親切に言われることがあります。でも、私はできるだけ自分で行うようにしています。かなり、急いでいるときは別ですが。手の筋肉のトレーニングのためと、脚力をつけるためです。アンチエイジングを日常的に行っていかないと、低下するのは当然です。(中内記)

 向かって左側には、ドローンが写っていますね(図4)。ドローンって何ですか?昔、フランスにアラン・ドローンという人がいましたが(笑い)、今もいらっしゃいますかね?そのドローンさんとは違いまして、遠隔操作で空中を飛んでいく機械のことですね。これはもともと、アメリカ軍がイラク戦争などで使い始めた軍事技術で、それが今、民生用に利用させているのですが、世界最大のネット通販会社であるアマゾンが、商品の配達にドローンを使い始めました。日本ではまだやっていませんが、アメリカではやり出したそうです。これによって何が起こるかといえば、私たちが手許にあるスマホからアマゾンに商品注文すると、どこへ行かなくても数日で、あるいは1週間後には商品が空から届けられるということです。アマゾンの営業規模から考えれば、世界中のあらゆる製品が手に入るかもしれません。「便利」といえば、これほど便利なことはない。しかし、便利さには、必ず“裏側”があるのです。ワープロやパソコンを使うようになって漢字が書けなくなったことを思い出してください。
 私は、この「自動化」や「便利化」への極端な偏りはオカシイと感じています。なぜオカシイかといえば、先ほど言った通りです。オリンピックでは、「努力が実ることで幸福が訪れ、人々は感動する」とお話ししました。競技に参加する選手は、自動機械を使ったり、走るべきコースを省略したりしません。肉体の機能を一時的に向上させる薬品などを服用すれば、「努力をしなかった」として世界中から非難されます。これからパラリンピックがありますよね。パラリンピックって何ですか?肉体的にハンディキャップを背負った人たちが、ハンディキャップを努力によって克服するという、その努力を競技に反映させるものです。ドローンを使ったり、機械に乗るのではないのです。私たちは、自らの肉体と精神を使ってハンディキャップを見事に乗り越える選手たちを見て、感動する。そういう努力の価値をきちんと認めながら、一方で「努力を省略すれば人類は幸福になる」という考え方が、世界を覆いつつあるのであります。

【学習】
  雪かきをウインタースポーツと言われる総裁先生のお考えは、まさに光明思想です。日時計主義です。
 確かにワープロばかりやっているので、漢字が頭に浮かばなくなっています。だから、手で字を書くのは、そういう意味でも大切なことのようです。
 向上心、確かに人間の本質的なものです。これを現実に出すために、一秒でも惜しんで力世よ、というのが御教えです。今日も全力、です。困難はチャンスです。私は現代に生き、また生長の家の運動の中で,大いなる夢が湧いてきます。「随所に主となる」のが神の子の生きる道です。私たちは,戦中、前後を生き抜いてきました.戦争が終わった時は、生長の家はどこにあるのか、分からないくらいでした.その中でさえも、東京の飛田給で、練成会が始まりました。そして、講習会が始まり,全国に広がりました。無から有を生み出すのが真理実践者の生き方であり、地球を生かすだけでなく、自分の本質を生かす「倫理的生活者」です。素晴らしい時代と素晴らしい御教えをいただいた私たちは、世界へ環を目指して、その使命遂行に全力を尽くしましょう。(中内記)

《便利化は人を“ロボット」にする》

機械による省力化や、便利になるということが私たちに何をもたらすか?・・・私は、それによって人間がしだいに“ロボット”に近づいていくと思うのです(図5)。なぜこの二つが結びつくのか?この関係は、直感的には分かりにくいかもしれないので、これから説明します。
まず、今の社会の前提を考えてください。それは高度技術社会であり、大資本が動かしている社会です。高度技術の獲得のためには大資本が必要ですから、資本の集中を通して技術の集中がしだいに進んでいきます。つまり、企業の買収や合併を通して、高度な技術をもった会社の数はしだいに減っていきます。と同時に、資本力をもった会社の数も減っていきます。それによって、市場は独占状態に近づいていきます。実際に、その通りになっていますね?例えば、私たちが使っているコンピュータは、いろいろなことができて大変便利ですが、そのコンピュータを動かす基本ソフトは、パソコンの場合、世界で一つか二つくらいの会社に独占されています。それによって、基本ソフトがバージョンアップすると、ソフトウェアを開発する会社は、基本ソフトの仕様通りにアプリを作り、私たちユーザーはそのアプリの仕様通りに指を動かし、目を動かし、そのうち首や脚も動かすことになるでしょう。私たちはその基本ソフトの会社の意向通りに機械を動かさないと、アプリの開発もできず、古いソフトは使えなくなる。そういう時代に、もうすでに入っています。
こういう関係が、コンピュータ以外の分野にも拡がっていきます。自動車メーカーや電力会社との関係を思い出してください。不要な機能を買わねばならず、サービスのオプションはメーカー主体です。相手は巨大企業なのだから、「それでも仕方がない」と考えませんか?そういう「長い物には巻かれろ」式の心の姿勢があらゆる方面で定着していけば、どうなるでしょうか?
現在、世界の国々の中には、政治の分野で、ある中心人物のやることはすべて正しいとして、それに従っていけばいいという民主主義を放棄するような動きが目立ってきていることに気がついていただきたいのです。日本も例外ではないし、アメリカも中国もロシアもトルコも・・・個人が判断するのではなくて、強力な政治家の「言っていることに従えばいい」という考えの人が増えています。でも、そういう行動をするのは、“ロボット”ですよね?そういう意味で、今後ますます発達する高度技術社会には、私たちが考えていかなければならない問題があります。強い政治家に盲目的に従うのではなく、国民一人一人が“神の子”の力を発揮していく社会を建設していかなければならないということです。

【学習】
なぜ、人間のロボット化がいけないのか、の問題です。人間神の子の特徴を考えてみますと、①完全円満、②永遠不滅、③自主・自由、です。そう考えると、長いものに巻かれたり、他人の良いなりになるのは、決して神の子の生き方ではない、ことが分かります.勿論、相手を愛するが故に、相手の気持ちを生かす、相手の言うとおりにしてあげたい、というのは、ロボット化とは違います。それは愛の実践です。(中内記)

 次に画面に出てきたのは、今の先端技術の一つである「顔認証”の技術です(図6、次頁)。
写真や画像の中から人間の顔を見つけ出し、それが誰の顔であるかという点まで認識できるようになってきました。技術の進歩には驚かされます。
顔認識は、英語では facial recognitionと呼ばれていて、この技術は、すでにアメリカのSNS「フェイスブック」では採用されています。ですから、私たちが写真を撮ってそれをフェイスブックにアップロードすると、顔がこういう四角形で囲まれて認識され、名前が表示されることがある。こちらが何もしなくても、フェイスブックの側で勝手に名前を付けるのですよ。このことをよく考えてみて下さい。写真は今、デジタル化していて、パソコンでは優れた編集ソフトが普通に使われています。ということは、改変が簡単にできるのです。人の顔を別の顔に差し替えることなどわけなくできます。だから、正しく使えば便利だけど、間違って使うと大変危険な結果を生じる可能性があるのですね。
もう一つ、今度はイラストをお見せします(図7)。これは、2013年にテレビ東京の『トレンドたまご」』という番組で報道された「プライバシー保護メガネ」です。この番組によると、このメガネは、「街中で意図しない撮影をされてもスマートフォンやデジカメで顔認証されない」ためのもので、その電源を使わないバージョンを国立情報学研究所が開発したというわけです。
何のことだか分かりますか?私たちが今、スマホやデジカメを使って人の顔を撮る。それを機械にかけると顔認識によって、誰であるかが入力できます。そうすると、その同じ顔の人が別の写真に写っていても、誰かってことが自動的に判別される。そのような技術が実用化されてきているのです。ということは、都会にたくさん設置されている防犯カメラや監視カメラを解析すれば、機械に登録されてある人が、いつどこへ行き、どんな行動をとったかが自動的に分かるようになる。街中でランダムに撮られた映像から、そんなことをされたら、私たちのプライバシーなどなくなってしまう。それはたまらないと嫌がる人は、こういうメガネをかけたら、本人の特定が難しくなるということです。
最近のニュース報道をテレビで見ると、スナップ写真や集合写真の中で、顔をボヤカして判別できなくしてあるのがありますでしょう?昔はそんなものはなかったのです。なぜ、ボヤカすかというと、顔認識の技術が発達しているので、顔が見えると報道に関係のない人も皆、その技術によって誰であるかが特定され、個人のプライバシーが侵される危険が出てきているからです。
それでこのメガネは、そんな危険を嫌がる人が、街を歩いている時にかければ、目の周辺が覆われて本人を特定するのことができなくなるーーそういう機能をもったメガネだというのです。私は今、そんなメガネの需要があるとは知らなかったです。これから私もそれを買ってかければ(笑い)、駅や飛行場で静かに過ごせるかもしれない(笑い)ーーまぁ、今のは冗談です。
【学習】
 故人のプライバシーの侵害の問題、これは重要です。すべてどこにいるのかが,データとして残っていくというのは相当に問題があります。総裁先生がこのようなことをお書きにならないならば、私自身はあまり反応しなかったかも知れません。残念ながら、私自身は、左脳がずば抜けて発達しているとは思えないからです。しかし、『凡庸の唄』をご発表になってから,私は自信を取り戻しました。凡庸に関しては自信があるからです。愚直に神想観を行う.聖典の読誦を行う。呼吸するが如く、時間があれば伝道に出かける。こういう愚直な生き方に関しては、少しですが自信があるからです。信仰生活は愚直的行が基本にあってそれから前に進でいくという生き方です。本当に素晴らしい御文章をご発表くださったと心から感謝しております。(中内記)

 このように発達を続ける顔認識の技術について疑問をもつ人もいれば、まったく疑問を抱かない人もいることを、私は最近知りました。二月下旬にNHKがフランス2(ドゥ)の報道を紹介していましたが、中国ではあまり問題視されていないようです。ご存じの通り、中国社会では自由が許されていません。しかし、ここでは高度技術が日本並みに発達していますから、顔認識の技術も中国では実用化しています。日本でも、私たちが都市を歩くと、よく交差点とかその他、商店街や金融機関の建物の入り口などには監視カメラが据え付けられています。私たちは、それは別に自分を監視しているのではないから「何でもないだろう」と思って見過ごしています。しかし、何か街で事件が起こると、警察は容疑者を捜すために、必ずと言っていいほど、その周辺にたくさん設置された監視カメラの映像を分析するのです。で、容疑者を特定します。そこで顔認識の技術が使われる。
中国では犯罪捜査だけではなくて、普通の人の買い物にもこの技術を使い始めているようです。また、監視カメラの数は日本の比ではありません。先ほど触れたNHKの報道番組によると、日本は2016年に500万台だったのに対し、イギリスは2014年が590万台、中国は2017年には実に1億7000万台に達したそうです。だから、あの国ではほとんどの街角に監視カメラが付いていて、そこに顔認識の技術が導入されていると考えていいでしょう。すると誰が、どの時間に、どんな場所で、何をしているかが、中国の都市ではすべて記録されているかもしれない。それは、便利に使えばものすごく便利です。例えば、町角でケンカがあれば、誰が最初に手をだしたかが分かる。商店では万引き防止に役立つかもしれない。消費者にとって買い物が便利になる。ということも事実でしょう。
同じフランスのニュース報道によると、今、中国で始まっているのは、銀行や商店への顔認識技術の導入です。例えば、銀行のATMでは、カードも暗証番号も使わずに「顔」だけで現金が引き出せる。本人確認は顔でできるからです。しかも、記録が残っているので「不正が行われる心配はない」と銀行員は言っていました。スーパーマーケットへ人が入っていくと、店では誰が来たかが分かる。レジもなく、レジの担当者がいなくても、商品のバーコードと客の「顔」さえあれば、代金はその客の銀行口座から自動的に引き落とされるそうです。たぶん口座の残高も、システムの管理者には分かると思います。
この報道番組の中では、編集記者が監視カメラについて“市民”に感想を聞いていました。すると、プライバシーの侵害については、「社会の治安を守るためには必要だろ?」との答えがあり、その他「ルールを守るには良いことだ」とか「人口が多い都市では役に立つ」など、否定的な感想はまったくないのですね。まあ、“市民”というのが本当の市民かどうかの疑問は残りますが・・・。
皆さんは、どう思いますか?こういう政府による監視社会、管理社会が、もうすでに目の前に生まれている。それはお隣の国です。中国ではそれが導入されていて、国民の反対がない。私は、これは技術の悪用だと思うのですね。技術はそれが高度であればあるほど「どんな使い方をすべきか?」という倫理問題が大きくなります。核技術のことを思い出してください。しかし現在、高度技術社会になっても、先進国を含めて、どこでもこの問題はあまり真剣に議論されていない。そして、先端技術はすぐにお金になればいい、開発したメーカーが儲かればいい、そういう短期的利益、物質的繁栄ばかりを目的に、倫理や長期的な社会への影響の検討などなく、どんどん導入されているのが現状であります。
そして、お隣の国の例を見れば分かるように、私たちはそういう技術の「便利」さや「効率」に目が眩んで、自分たちが“ロボット化”していく危険に気づいていない。高度技術の無批判の導入や利用は、私たちの「自由の制限」「自由意思の束縛」になるのです。そのことをちゃんと知って、技術に対して適切に対応していくことが、これからの人類には必要だと考えます。
【学習】
  道具を使っているつもりが、いつの間にか道具に使われている。そして、人間的な生き方、考え方が失われつつある。この現象は,便利快適を求めたいきていくと、どうもそうなるしょうです。インターネットも道具です。フェイスブックもその背後には、人間らしい生き方がしにくいようになっているのかもしれません。だからこそ、自分を見失わないために、神想観がとっても必要です。随所に主となる。これが大切です。今、私はこの文証を、九十九湾の中の信徒さん宅の庭にある石のテーブルと椅子を使って書いています。右には、九十九湾です。鳥の声が聞こえます。総裁先生がご幼少の頃に、おいでになられたとお聞きしています。パソコンは使っていますが、頭はアナログです。
 自動車のロボット化を各社が進めているようです。お年をとられた方の運転は時々自己を起こすようです。それらのことが、無いようにとの配慮で、自動化をするようですが、そこまでヤル必要があるのだろうか、と考える訳です。運転がおぼつかなくなったら、免許証をお返しして、自分の足で歩く、または自転車に乗る、または公共交通機関を使用するなど、現代では色々と選択肢があるのではないでしょうか。
  中国の顔認識の技術の採用はすごいですね。フェイスブックでも、間違って顔認識をして、「○○さんは、○○さんと一緒です」などと表示されることがあります。本当はいないのですがね。コンピュータ技術は便利ですが、絶対ではありません。(中内記)

《生長の家は“必要”と“多忙”に感謝する》

高度技術の問題に少し話を割きましたが、今日は立教記念日ですから、「生長の家」誌の創刊号が出た記念日でもあります(図8、次頁)。その発刊は昭和5年3月ですから、今から89年前です。それからの人類の技術の進歩は目覚ましいものです。便利さや効率は格段に向上していますから、人類はそれだけ幸せになっているはずですが、実際はどうでしょうか?それを考えるうえで、谷口雅春先生がここに書かれている文章を紹介いたします。それは、「多忙の幸福」という題のものです。皆さんはお持ちでないと思いますが、「多忙の幸福」の本文は35ページから掲載されています。画面にもそれを出しますので、一緒に目で追ってください(図9)。こう書いてあります。

〈是非せねばならぬ仕事が多いと呟く勿れ。
忙しいと云うことを感謝せよ。
世界最大事業中の大部分は「是非せねばならぬ」と云う拍車のもとに完成したのである。〉

このご文章の背景の情報として、雅春先生と輝子先生がどういう状況で創刊号を出されたかを思い出してください。当時、雅春先生は一介のサラリーマンとして多忙の日々を送っておられたのですが、その時間を削りながら、夜帰宅してからこの雑誌の原稿の執筆や編集をされていた。なぜそうするかと言えば、「この仕事はぜひなしとげなければいけない」という強い使命感に燃えていられたからでした。だから、次のように書かれていますーー

〈是非にと完成にまで駆りたてる容赦なき鞭こそ生命の興奮剤である。〉

これは、雅春先生ご自身の体験を書かれている、と私は思うんですね。

〈「必要」はとても勝ち目のないような敵に対して奇蹟的に勝利を得せしむるところの貴重な拍車である。「必要」は生命のカンフル注射である。〉

このように、「ぜひ完成させねばならない」という心からの必要性が偉大な結果を生むのであります。これは、オリンピックの選手にも通じることですね。「ぜひ次のオリンピックに出て、メダルを取らなければいけない」という必要性を強く感じて、彼らはものすごい努力を重ねている。雅春先生は、さらにこう書かれています(図10、次頁)

〈人間の心の中に潜む悪魔ーーそれは人生を楽に寝てくらしたがる儺け者の根性である。〉

生長の家は「悪魔はいない」という教えですから、これは一種の方便的な表現です。当時は生長の家の“信徒”というのはいませんでしたから、雑誌を読むのはすべて普通の人です。そういう一般の人に対して分かりやすい表現をあえて使っておられるのです。

〈この悪魔を駆り立て、〉

つまり、私たちの怠け心を駆り立て、

〈追い出し、生命の本然を完うさせてくれるものは此の「必要」と「多忙」とである。〉

こう書かれています。だから、今のドローンとか顔認識とか、そんな高度技術や自動化によって「楽をしよう」とする考え方は、生長の家とは無縁なのであります。そのことが、次に別の言葉で書かれていますーー

〈生命の本然は働くことである。〉

労働を厭うことではなくて、働くことが私たちの生命の本然、当たり前の姿である。

〈生命は働くことによって生長する。〉

スポーツ競技の選手は、まさにこのことを証明していますね。練習をしないでメダルを取れる選手は一人もいませんね。それができるのはどーピングをしたときだけ(笑い)。そうですよね?ドーピングをする選手だって、まったく練習しないのではなく、一所懸命練習していても勝つ自信がないから薬を飲むのです。

〈生長する家は「必要」と「多忙」とに感謝する。〉
(同誌34~36頁。原文は旧漢字旧仮名遣い)

「生長する家」って何のことですか?これは、私たち「生長の家」の人間のことです。また、当時の谷口雅春先生は、ご自分の生き方のことをこう表現されているのだと思います。生長の家は“必要”と“多忙”に感謝して光明化運動するのだ、と先生は創刊号ではっきり書かれているのです。それはご自分の体験に基づいた教えであって、今でも通用する普遍的な教えだと私は思います。しかし、現在の人類社会は、それとは違う方向に一斉に動いているように見える。それが今日の問題なんですね。
もう一度繰り返します。一番大切なのは、「生命の本然は働くことである」ということです。だから、体を動かしましょう。物を作るときに、ボタン一つ押せばすむオートメーションなどに頼るのはやめましょう。自分の手や腕をしっかり使いましょう、ということです。ドローンをどこかへ飛ばせてそこへ行った気になるのではなく、ちゃんと自分の脚で歩いていきましょう。自転車に乗りましょう。肉体を使って体脂肪を燃焼させましょうーーそういうことを今、私たちが進めている背景には、この現代社会の自動化・省力化・効率化礼讃の流れがあり、その先に「自由の束縛」の危険を感じるからです。このことをぜひ、皆さんには知っていただきたい。省力化・自動化がどんどん進んでいけば、やがて人間は、ここに出したように“ロボット化”することになるでしょう(図11)。ご理解いただけるとありがたいです。
【学習】
  働くことは楽しいです。先日、曽又という奥能登へ行ったときのことです。畑を耕しているご年配の女性にお聞きしました。「あの向こうの家だよ」と教えてくれました。「私も少し畑を作っているんです」という言葉から色々と会話がありました。若い頃は金沢で月給取りをしていたそうです。しかし、この奥能登へ時々行き、畑を作るのが楽しみだそうです。働くことそのものがうれしいようでした。車の音はしません。無音です。聞こえてくるのは、風の音、小鳥の声、そんな感じです。近くに海があるはずですが、太平洋と違って,石川の能登半島の海は、穏やかです。ここの御文章を味わって何度も拝読してください。(中内記)

 現在、私たちがPBSの活動などを通してやっていることの理論的説明は、かつて私が『次世代への決断』という本の中に書いた「“めんどくさい”が世界を救う」という文章に詳しくあります。(図12)。なぜ“めんどくさい”ことをするのに喜びを感じてーーたとえば木を一本切るときでも、チェーンソーでギャーッと一気に切るのではなくて、手でノコギリを引いて切るときには、自然との接触がどれだけ増大するのか。どちらの方法が自然との一体感を味わえるのか・・・などということを逐一そこに書いています。これは、チェーンソーを絶対使うなという意味ではなく、人間と自然との間にある“道具”が進歩して強力になることで、人間と自然との距離が拡大するという一般原理の説明です。これを言い換えれば、「自動化・便利化が進むことで、エネルギーの消費と資源の浪費がふえていく」ということです。人類がこういう方向に努力を重ねてきた結果が今、目の前にある地球温暖化と気候変動であり、本来、地球生命の仲間であったハリケーンやモンスーンや台風さんが、とんでもない大きさになって私たちに襲いかかっっていることを、観世音菩薩の教えとして私たちは聴かなければいけないのであります。プロジェクト型組織の活動がなぜ始まっているかの理由も、この文脈で理解していただくと分かりやすいと思います(図13)。すでに白・相・青という運動組織があるにもかかわらず、私たちは“プロジェクト”すなわち“投げかけ”“具体化する”行動に焦点を合わせて運動を推進する必要があるからです。
【学習】
なげかけ、と具体化する、この二点に特化したのがPBSであるとのことです。だから、出来るところからやっていきましょう。私は、講習会の推進期間は,自転車はなかなか乗れません。ですが、講習会が終われば日常の生活に帰りますので、大いに乗って参ります。ヒルクライムも行いますので、医王山にも登ります。昨年は何度も登りましたが、今年もチャレンジします。糸魚川の蓮華温泉1500㍍も二年連続で登りました。勿論自転車です。出来ることは何でも行う。総裁先生が「これを行いなさい」と言われることはすべて行うことが、真の弟子としての生き方であると、実に愚直ですが、自分的には考えています。(中内記)

 「信仰」という心の内側のエネルギーを、実際生活などの外側に「行動」として表現しなければなりません。SNI自転車部では「自転車で行ける距離ならば、車で行くよりも自転車に乗りましょう」と勧めています。SNIクラフト倶楽部では、“百均”へ行けば日用品など輸入品が安く買えるかもしれないけれど、簡単なものは手元の端材で自作できないか?その方が、「物を作る」という人間の本性が活かされ、幸福感を味わえるでしょう、と提案しています。自分で作ることは大変かもしれないけど、そこに自然界の素材との直接の接触があり、「手を使う」という人間的な創造の幸福感が生まれます。多少形が不細工でも、世界に一つしかないオリジナルを創る価値を、私たちは取りもどさなければいけない。
SNIオーガニック菜園部をなぜやるのか?広大な土地を大型トラクターで耕し、ヘリコプターで農薬をばら撒き、収穫も重機を使ってするという大規模農法では、ムダを生み、化学肥料が土地を痩せさせ、作物は味わいを失い、残留農薬によって私たちの健康が害されている。市場を席巻する輸入品により、私たちは季節感を失い、自然を知らないのに知っていると錯覚しながら食事をすることになる。冬にイチゴを食べるのは、今や当たり前である。そして、お金さえ払えば世界各地のどんな食品でも輸入して食べられるから、それが、“進歩的な”ライフスタイルだと錯覚する。こうして、今日の地球環境破壊の最大の原因は自分の生活と無関係だと考える。この悪循環を断ち切るのが、自分で野菜を作ってみることです。作物を育てることの難しさと喜びを、自分で体験してみることです。有機農法で育てた野菜や果物と、スーパーマーケットで買った“規格品”との味比べをしてみることです。
【学習】
私も少しだけ、野菜を作っています。農薬、化学肥料など相当の問題があります。無農薬がよいですね。先日、普及誌に掲載された京都のマクロビのお店のご主人が中能登に関係あるようですので、中能登出身の白鳩さんに聞いてみました。すると、この白鳩さんのKさんは、弟さんが中能登で無農薬農業を行っているのです。弟さんに聞くこと、「その人は知っているよ。私の隣の畑の人だよ」ということでした。宇治に行ったときに、できればお店を見てみたいです。そして、何か石川の信徒さんや関係者に参考になる話が聞ければありがたいと思います。(中内記)

 世界人口はこれからも増えますね。今、七十五億人ですか?もう少しで九十億人になる。「貧困」のレベルを超える人の数は増えていますが、その一方で難民が世界にあふれている。海面上昇で国土を失う国があります。気候変動で作物ができず、海流が変化して漁獲量は減少し、水不足が起こることで国家間は対立するーーこういう問題は一国の統治能力を超えているのです。国際機関も国家間エゴによってうまく機能していない。私たちの価値観が変わっていかないかぎり、このようなグローバルな問題は解決が難しいのです。生長の家は「人類光明化運動」であり、「世界平和」を目指しているけれども、この「光明化」や「平和」を妨げている原因が、実は私たちの価値観やライフスタイルにあるということです。それを改めていく運動がどんなに大切であるかということを、ぜひ皆さま方には再確認をお願いし、友人、知人、地域の人々にもお伝えいただきたい。そのためには、理論よりも実践が分かりやすいのです。しかも、私たちは谷口雅春先生からいただいた「日時計主義」の基礎があります。この生き方に基づいて、他の人をいろいろ批判するのではなくて、自らが行動によって自然と一体の喜びを生活に表現し、人々に分かち与えていく。自然と人間とを“別物”と見ない価値観とライフスタイルへの転換を、多くの人々に伝え、それを仲間とともに喜びながら実践する運動を大いに進めていってください。
それでは、これをもって立教記念日の所感とさせていただきます。ご静聴ありがとうございました。(拍手)
【学習】
  ある女性の信徒さんが、一過性の全健忘症にかかったことがあります。一日中、「私は誰?、ここはどこ?」と言っていたようです。よく働く立派な人です。ご主人は、彼女を病院に連れて行くと、まだ一過性であるかどうかが分からない状態ですので、「この妻を一生涯、介護して生きていかなければならない」と思い涙を流しました.その間、祈りつつさまざまなご愛念があったものを思います。突然、正気に返りました。よかったです。後日、小職に質問しました。「どうして私はこのような状態になったのでしょうか?」と。彼女はともかく、二言目には「私は忙しいからできません、私は忙しいから無理です」と
言う人でした。私は言いました。「忙しいという漢字は、心を亡くすると書かれています。これからは、忙しいと言わずに多用です、と言おうではありませんか」と。それから、彼女は何をお願いしても喜んでやってくれるようになりました。何か大切なことをお願いするには、暇な人に頼むのでは無く、多用な人に頼むとそれを実現してくれるのです。
  価値観の問題があります。価値観は、まず「自己これ何ぞや」の問題から解いていかなければ成りません。自分は物質であるのか、肉体であるのか、それとも神の生命であるのか、と言ったことです。自分が神の子であると知るならば、神を実現する以外に価値は無いのですから、すべてを生かすことに生き甲斐と喜びがでてきます。そして、意識が全体に拡大してくるのです。
 ライフスタイルを改めることの大切さ、が説かれています。まず自分から、愚直に誠実に倫理的生活を実践する。ここから、すべてが始まります。(中内記)

【加賀・能登伝道記】
 Kさんという信徒さんから、鹿児島のお茶をたくさん送って下さいました。感謝です。毎日、感謝訪問に出かけていますので、どうしてものどが渇くのです。ちょうどよかったです。いただきます。ご愛念に感謝しつつ、飲ませていただきます。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月13日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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平成30年6月13日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::講習会 推進の間に 山の雪 溶けて消え去り 山ぼんやりと 
  
(生長の家石川教化部HP   工事中)
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※石川教区の伝道情報「光明加賀能登人がゆく」です。
  しばらくお休みです。
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  加賀・能登の神の子の皆様、菩薩の皆様、有り難うございます。

  谷口雅宣先生御著書『宗教は何故都会を離れるか?』を凡庸の歩みで学ばせていただきたいと思います。それにしても、上と横へ伸びたいという意欲が一向に衰えませんね。。

(つづき)
P65~66
これは宇宙に満つる霊の振動であり、生命の活動であります。(中略)「想念の波」を起こすと云うことであります。(中略)宇宙に満つる大生命の波動が想念即ちコトバであって、それがやがて形の世界にあらわれて来るのであります。だから、事物の本質とは何であるかと云うと、此のコトバでありまして、形ではないのであります。
(同書 185~186頁)

我々は形に表れたものにずいぶん惑わされますが(笑い)、しかし、物事の一番の本質は「コトバ」であるということが、ここに明確に書かれています。生長の家の一番深い意味でのといいますか、哲学的な意味での「コトバの力」とは、そういう表現以前の心の波動であり、魂の振動のことである。そういうことでありますから、私たちはこの「コトバ」をお伝えするという意識があれば、困難に遭遇してもそんなに驚くことはない。また、このカタカナの「コトバ」に基づいて、新しい身・口・意の運動が始まってくるだろうし、そうしなければならないのです。
(つづく)

【学習】
  これでよく理解できました。大生命の霊的波動、想念の波が理念であり、コトバです。表現以前の心の波動、魂の振動、である。このコトバを把握して、それを伝える,伝道すること。その意識が必要です。そのためには、神の正しい理解と神想観です。

【加賀・能登伝道記】
  今日は、小松地区の感謝訪問でした。一カ所、玄関に座っておられる方があり、その人が信徒さんでした。挨拶をすると、「昨年はポストに挨拶状が入っていましたね。講習会に行きますよ」と言ってくれました。昨年はお菜出来なかったのですが、今年は、玄関デまっていてくださいました。感動です。今日はとてもよく晴れており,暑かったです。小松が終わり、河北の方へ足を伸ばしましたが、カーナビがうまく家をキャッチできませんでした。5時に切り上げて教化部に帰りました。すると、小松の幹部さん達もも数人で講習会推進をしていたようです。「部長の車らしいのが自衛隊の基地のあたりの道路に停まっていましたが…」と言われました。ちょうど、田んぼに鳥が歩いていたので、車を停めて、望遠レンズで撮影していのでした。偶然はありあませんが、まさに偶然ですね。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月12日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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平成30年6月12日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::シトシトと 山の池にも 花菖蒲 
  
(生長の家石川教化部HP   工事中)
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(つづき)
聖典の中には、「コトバ」とカタカナで表現した理由を雅春先生ご自身が詳しく説明されているところがあります。そこでは「波動」とか「振動」とか「想念」という言葉で説明されています。つまり、身・口・意の形で表現される手前の我々の信仰心、神への思い、確信、悟り・・・そういうものをカタカナで「コトバ」と書くというわけです。この説明は、講師の方は後でしっかり読んで確認していただきたいのですが、『新講「甘露の法雨」解釈』にあります。『甘露の法雨』の出だしのところに「コトバ」というカタカナ表現が使ってありますね。「『心』動き出でてコトバとなれば一切の現象展開して万物なる」ーーこの文章の「コトバ」はカタカナで書かれている。それを解説して、谷口雅春先生は「コトバとは想念のこと」(98頁)だと書いておられる。
それから、『新版ヨハネ伝講義』にも、さっき申し上げた「初めに言があった」という出だしの聖句の解説のところに、こう書かれていますーー

〈天地にミチていて、事物のハジメを成しているものが言即ち、波動であり、〉
(同書、17頁)
これは、「コトバ」とは発声音のことを指しているのではないということです。神様の表現の元になっている波動であるのです。また、『新版 真理』第四巻青年篇には次のように書いてあります。引用しますーー
(つづく)

【学習】
  少し長い文ですがすみません。「コトバ」のご説明です。すべて波動を指していうと言われています。『新講 甘露の法雨解釈』の聖典をご紹介しています。この聖典は、毎月の先祖供養祭の時に、使用しています。『新版ヨハネ伝講義』も重要です。使命感が感情的に湧いてきます。19歳で学生になり、飛田給練成道場の練修生にならせていただいたとき、私の先輩から言われた言葉があります。「神を理論的直感的に知るには、『無門関解釈』を読みなさい。感情的に把握するには、『ヨハネ伝講義』を読みなさい」と。当時、『ヨハネ伝講義』は重版されていませんでしたので、神田神保町の古本屋を歩き回ってようやく入手しました。先輩からこの言葉を50年前に言われて、未だにその言いつけを継続しています。朝の○時の神想観もこのM先輩からです。継続は力です。私たちは何をお伝えするのか。それは神を、神の子を、神の国を、神様の情報をお伝えする。これが実に大切です。約束を守る、託された思いに全力で応える。『弱虫ペダル』の小野田坂道君と似ているところがあるので、彼や金城主将の言葉に感動するのでしょうかね。「自然と人間は、神において本来一体なり」というのは、神の国情報です。

【加賀・能登伝道記】
  6月13日は、会議とその後は、粟津温泉の信徒様宅に行きました。酒屋さんがいたので、聞くと、「私の家です」とのこと。それで行ってみると、居間にご年配の白鳩さんがおられました。この家には、以前,誌友会で行かせていただいたことがあるのです。「覚えていますか?」というと、「あっ、教化部長さんですね」と、思い出してくれました。うれしかったです。お嫁さんが,娘が小松の会場まで乗せていく、とのことです。できれば、お嫁さんもいったいただきたいと思います。ムスビがありますね。日々、愚直な伝道方式、これが私的なやり方でして、誰でもできる方式です。立教以来、信徒の所へご指導に行かれる、これが講習会となりました。本当に尊い伝道方式です。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月11日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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平成30年6月11日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::雨の中 輪島の海の 家に行く 留守であれども 心は通う。  
(生長の家石川教化部HP   工事中)
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(つづき)
P62~63
このように、書物として残っているものは、もちろん大変重要なものです。それがないと教えが正確に伝わらないということはもちろんある。しかし、一方では人・時・処の変化によって正しく伝わらなくなることもあるのです。これが、一番最初に申し上げたとおり、宗教の教えを文字で伝える場合の基本的な問題で、それは生長の家に限らず、宗教の世界にはどうしても出てくるものです。それはだから、表現を短くすれば済む問題ではもちろんありません。
私が今日申し上げたいのは、そういう問題が出てきているときに、我々は何を重視して運動すべきかということです。その答えは、この図を見れば分かるはずです。私たちは、こちらの「コトバ」さえしっかり把握していれば、結果としての「書物」は身・口・意の表現を通していずれ出てくるということです。「書物」がダメになっているから、「コトバ」もダメになるんだという考え方は、宗教としては原理主義に陥っていくことになります。なぜなら、それは「書き残された印刷物の中にしか真理はない」という考えだからです。教典に書かれた文章以外のもの、その文字通りの解釈以外は全部真理ではないーーこういう考え方が原理主義であり、それが今日のテロリズム等の大きな問題に関係しているという話はもう何回も申し上げているので、皆さんは十分理解されていると思います。そういう問題が出てくる可能性も秘めているのが「コトバの力」という言葉です。ですから、この意味を正しく理解することが大変重要であることが分かります。
(つづく)

【学習】
  文字、言葉の活用がこれほど難しいものとは知りませんでした。書けば,書いた言葉にとらわれる。文字以外はないように思う。しかし、そうではないようです。だからこそ、あらゆることを真理に照らして書き続ける必要があると考えられます。このブログも続いているから、こんなことも考えるに至るのでしょうね。自分にそれほどの力は無くても、継続は力です。力がついてくるのでしょう。

【加賀・能登伝道記】
  6月12日は、穴水見真会でした。参加者は2名でしたが、一人は白鳩会の地元最高幹部、もう一人は相愛会員で現在、地方講師の受験勉強を行っている人です。今日は、たった二人と思うかも知れませんが、相愛会員は珠洲の突端にすんでいる人です。奥能登に相愛会がない現在は、Kさんは、貴重な存在です。来年は相愛会が誕生するでしょう。この白鳩会幹部Kさんは、ガソリンスタンドに勤めていますが、一年近く見真会のお世話をしているうちに、あらゆる面で、光明化運動でも積極的になりました。やはり、お世話活動は素晴らしいですね。
 見真会が終わりまして、輪島の白鳩さん3人に感謝訪問にいきました。輪島は、点と点です。タクシーの会社をやっている人は、輪島の海の傍ですが、かなり雨の中を走りました。残念ながらお留守です。夜に電話をかけましたが、やはり繋がりません。後日、再チャレンジです。二人目もお留守でしたが、夕方電話をすると、講習会には行く予定であるとのことでした。貴重なお一人です。三人目は,山中です。お会いすると、「忙しいからいかない」とのことでした。少し話していると、座布団をもってきました。さらに話を続けると、ご主人の拝み方の話になりました。「いい話だったから,講習会に行きます」ということになりました。総裁先生のご指導をいただくには、それまでの魂的な準備が必要であることを痛感しました。「神・自然・人間の大調和」の中に個人の救いがある。この御教えに従って、一人一人の悩みや苦しみ、そして観の転換を促して,総裁先生へ結びつける触媒のお役をさせていただきたいと思います。もちろん全身全霊で。それは大きな喜びです。夜は,案外早く教化部に帰ってこれました。良かったです。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月10日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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平成30年6月10日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::雨の中 車走らせ 奥能登の 輪島の海を 眺めつつ行く  

(生長の家石川教化部HP   工事中)
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(つづき)
P61  形は事物の本質ではない

今、恐らく皆さんの心の中にある問題は、生長の家の中で真理を説いた書物が自由に利用できなくなったらどうすればよいか、ということでしょう。私たちは、それが聖経とか『生命の實相』のような基本的な書物だから、とんでもないことが起こっていると思うわけです。でも、宗教上の教えで一番重要なのは何かといえば、その書物の“元”になったところの「コトバ」である。
『生命の實相』(頭注版)の四十巻まで詳しく読んだ方はご存じと思いますが、同じことに対して場所によって違う説き方をしているケースは珍しくない。それは、この全集が、人・時・処に応じて雅春先生が『生長の家』誌に書かれたことを編集してでき上がったからです。
それが四十冊分あるというわけです。聖経の場合には、先生はほぼ一気に書き上げられたと書いてありますから、どのくらいの期間に書かれたかは分かりません。聖経は、『甘露の法雨』の「神」の項から『天使の言葉』の最後までを一気に書かれた。それが、日常読むにはあまり長すぎるから、今は半分ほどに分けて別々のお経の体裁になっている。
(つづく)

【学習】
  書物は形です。その形の元を把握することが第一に大切です。形の元、すなはち理念ですが、神想観や聖典・聖経読樹による把握の方法があります。愛行によっても、神を知ることができます。時代の経過によって、優れた表現方法が出て来ると言えます。

【加賀・能登伝道記】
  今日の七尾見真会でお聞きしたことですが、昨日の日光豊子さんの告別式で,小職が弔辞を読むのは、生前に日光さんが希望していたということを,今日知りました。ありがとう!日光さん。23年のおつきあいでした。
 また、発祥当時のことですが、雅春先生が七尾の信徒さん宅へ行かれたようです。そして翌日ですか?、講演会があり、二階の床が落ちると思われるほど,人が集まり、後から来た人は階段で話を聞いていたとのことです。坂井美奈子さんが若い頃の体験を言っていました。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月9日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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平成30年6月9日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::思い出す 出雲の国の 講習会 三人の友 加賀より来たる 

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(つづき)
  この図では、時間が右から左方向に流れていると思ってください。「コトバ」から始まり、「身・口・意」を通して表現が行われ、それらが総合されて「書物」(紙に書いた教えの本)ができていく。そうすると、書物ができる以前に、「口」から出る言葉による指導があるわけです。そこには当然、人・時・処の問題が出てくるから、相手に応じて、時に応じて、場所に応じて最も適切な表現を使うことが求められます。
その表現は、人・時・処が別の場合には使えないかもしれないし、使っても効果がないかもしれない。例えば、あまり医学的知識がない人の前で「病気はナイ!」と一喝したらその人の病気が治ってしまったとします。そして、その時の表現が文章に記録される。ここまでは問題ない。しかし、この記録された“教え”(書物)が万人にどんな場合にも理解されるかというと、そんな簡単ではない。ここにある問題は、人・時・処に応じた説き方が書物に記録されると、人・時・処に合わない人のところにもその書物が回っていって、「これがこの宗教の教えだ」と言われるという点です。すると、最初の反応とはまた少し違う反応が返ってくるのです。
(つづく)

【学習】
  図がないのですみませんね。図を見たい方はぜひとも、実際の本でご確認下さい。表現の仕方ですね。病気の人に対して「病気は無い」と書いてあったり、「病気になったら病院に行きなさい」と書いてあったり、人見て法説け、の世界のようです。本質の教えは変わらないのですが、相手によって対機説法です。従った、本質である、神自然人間の大調和の世界である、「実相世界」は常に説くということになります。

【加賀・能登伝道記】
  6月9日、日光豊子さんの通夜に参りました。すると、会いたくても会えなかった方がおいでになっていました。不思議なことです。日光さんが会わせてくれたようです。能登の光明化を誓いました。この人を育てて欲しいとの言葉もありました。簡単ではないですが、今後徐々に進めていきたいと思います。
 思いがけない人に会えました。やはり、日光さんのお力でしょうかね。
お坊さんのお話がありました。東本願寺へ毎月講義に行くような人だそうです。今日も2時間行ってきました、とのことでした。内容は、変化無常こそ本当の姿である。それ故に、
空しさと諦めはあるが、話を聞いていて悦びは湧きそうに無い。そのための南無阿弥陀仏、ということではある。生長の家の教えは、永遠の生命,常住の実相世界を説いている。現在は、自然と人間とは神において一体なり、という言葉で表現されている。この御教えを全人類に宣布することが、自然を救い,人を救うことになると思いました。

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平成30年6月8日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::同志あり 共に歩みし 二十年 今日の旅立ち 言葉にならず 

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(つづき)
ところで、私たちが谷口雅春先生から教わっているもう一つのことーー特に講師の人が強調して教わっていることは、宗教の講話は人・時・処に応じて説くことが必要だということです。例えば、あまり科学の知識のない人のところへ行って、科学の理論を使って教えを説いても、それはダメだ。効果がない。そんなことよりも、もっと分かりやすい言葉を使い、少し厳しい調子で「病気はナイのです!」と一喝したほうが分かる場合がある。しかし、そんなことを医者に言ってはいかん。営業妨害だと思われる。つまり、同じ真理を伝えるのでも、そのときの人・時・処に応じた言葉を使わなければならないーーこう教わります。心の中で起こった同じ「コトバ」でも、それが具体的に表現される場合は人・時・処に応じた形をとるから、それぞれ異なった表現になるということです。
(つづく)

【学習】
  伝道の心得です。人時所三相応の説法が必要であると説かれています。心の中に起こった同じコトバを具体的に表現すると、色々と異なった表現になります。

【加賀・能登伝道記】
  6月7日、加賀を走っていますと、何と亀さんが道路の真ん中にうずくまっていました。私は、自動車をよせて停まり、亀さんを逃がすために近づきました。すると、急に手足の出したのが私の手に触れて、驚いて落としてしまいました。それから、また亀さんは手足を引っ込めてしまいました。私はそっと、持ち上げて小川の方に持って行き、逃がしてあげました。そのままだと、踏まれてしまいます。気がつくと、大きなトラックが後ろで止まってくれており、私が亀を連れ出すまで停車して待ってくれていました。優しい運転手です。以前、小松で道路の亀を逃がしてあげたことがあります。これで二回目です。

  巨星墜つ、能登の日光豊子さんが、今日6月8日午前11時頃お亡くなりになりました。一昨日の夜にお見舞いに行きましたが、昨日は加賀の推進を行っており、病院にお見舞いに行けなかったのが悔やまれます。12時半頃、私に知らせが入りました。加賀へ行く予定を急遽変更して、七尾へ走りました。ご自宅で皆様に挨拶しても言葉にならず、声にならず、ただ悲しい残念な思いでいっぱいでした。朝からどういう訳か、空しい思いがズーと続いていました。理由は分かりませんでした。そして、御昇天の知らせです。ご遺体の前で聖経を拝読しましたが、声にならず、この23年間、本当にお世話になったことが走馬燈の如くに脳裏を過ぎりました。私が石川に帰ってくるのを待っていてくれたのかも知れません。私が出雲に赴任していた時も、数人で講習会に来てくれました。その後、足立美術館にご案内しました。彼女は、その後、鳥取の大根島に行き、牡丹の花を見てきたそうです。そのお店から牡丹の株を取り寄せて、現在は、七尾道場で咲かせています。何事もハッキリとものをいう人でした。遠慮なく、不満をぶつけていました。私はそういう裏表無くはっきりとものをいう日光さんが嫌いではありませんでした。私も何でも相談していました。そんなこんなで、今日、お亡くなりになりました。日光さん、本当に有り難うございました。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月7日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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平成30年6月7日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::背広着て 運転するも 楽しきや 暑さ忘れて 礼拝の行 

(生長の家石川教化部HP   工事中)
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(つづき)
言葉を使って宗教上の真理を表現するということ自体に、最初から難しい問題が含まれているというわけであります。
また、“言葉の力”については、発声したり、書いたりするという表現以前に「コトバ」というものがあって、それを身・口・意の三つの手段で表現するという説明を、講習会などではよくしています。「身」は体によって表現する。「口」は口から出る言葉によって表現する。それから、「意」は心や思念ーー神想観をしたり、念仏を唱えたりするように、心の中に起こる言葉で表現する。では、この表現する前の「コトバ」とは何であるかということが問題になってきます。これが重要である。
この図にあるように、「コトバ」とは身・口・意の表現が行われる前に起こる心の中の“波動”みたいなものです。身・口・意の表現は、その結果であります。そうすると、先ほどからお話し申し上げている聖典とか教典などは、この身・口・意の中のどれに該当するでしょうか?どれですか?この三つの中には入っていないのです。聖典や教典は書物ですから、これはどちらかというと、そこから先の話なんですね。宗教の先達が口から出した言葉、また口で唱えたもの・・・それを誰かが書き取ったり、あるいはそれを記憶していた人から聞き取って、それらを文字に書き留める。聖書やコーランなんかは、そうやって編纂された。その際、「書き取る」という行為のためには身体(身)を使うわけです。それらの文字をきちんと羊皮や紙の上に定着させ、編集を加えて「書物」の体裁にするには、やはり心(意)と肉体(身)を使う。こうして完成したのが、教典や聖典です。つまり、身・口・意の表現の結果として宗教教典は成立するのです。
(つづく)

【学習】
  思念、発声音、表情の言葉のご説明です。さらに、表現された言葉の創化力の発揮以前のコトバの存在をお説きになっています。教典や聖典は「身・口・意の表現の結果」として成立する。この明確な御言葉で、私もより深く理解することができました。問題は、身口意以前のコトバの把握です。雲を等して太陽を観るのではなく、雲の切れ目において太陽を直に観るということでありましょうか。

【加賀・能登伝道記】
  今日6月7日は、加賀地区の感謝訪問を行いました。定年の元幹部の方がお二人同乗してくださいました。それでスムースに行くことができまして、とても楽しかったです。案外、家におられる人が多かったです。天気晴れでした。背広を着ての運転ですので、汗がにじみます。暑いですが、何とかできました。同乗のMさんの娘さんが母親教室に通っており、エレクトーンの教師をしていると聞きました。フェスタで演奏をお願いできるかも知れません。それから、同乗のお二人ともかなりお疲れになったようでしたので、最後に喫茶店に入りました。「二年後の講習会も一緒に推進ができるように、体調を整えておきましょうね」と話しました。やはり、色々と、ご相談があり、それぞれお答えしました。ご協力いただいたお礼のご指導です。帰りに、店員さんが片付けにきましたが、何とそれは、Mさんの息子さんのお嫁さんでした。講習会受講予定者です。始めてお目にかかりました。こんなこともあるのですね。今日はいろいろと神様に導かれていることを感じました。今日から、朝の自宅での早朝行事の後に、近くの神社で聖経読誦をして、講習会の大盛会とムスビ力増強を祈願するようにしました。心が清まり、人生なかなか良い調子なのですね。フェイスブックの方は、申し訳ないですが、写真を撮る余裕が無く、またアップする余裕もなく、ひたすら伝道の日々です。約3ヶ月間は、伝道ツワーです。「神の子は枕する所無し」です。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月6日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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平成30年6月6日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::竹の子の 香りほのぼの 森の中 ここにかしこに 大地突き刺す 

(生長の家石川教化部HP   工事中)
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※石川教区の伝道情報「光明加賀能登人がゆく」です。
  しばらくお休みです。
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  加賀・能登の神の子の皆様、菩薩の皆様、有り難うございます。

  谷口雅宣先生御著書『宗教は何故都会を離れるか?』を凡庸の歩みで学ばせていただきたいと思います。それにしても、上と横へ伸びたいという意欲が一向に衰えませんね。。

(つづき)
これも私が講習会でときどきする話ですが、聖書のどこに何が書いてあるかを根拠にして、現在いろいろなことが世界中で行われていますが、その中にはあまり好ましくないこともある。テロリズムや女性蔑視も行われている。そういう問題をどう考えるべきかについて、私の本では『信仰による世界平和の道』(2003年刊)に詳しく書いてあります。問題はどういうところにあるのか。その理由を書いた文章を引用します。10頁です。

普通我々が使う言葉は、日常に普通に存在する事物や人、それらの関係を表現するためのものである。それに対して、宗教で取り扱う重要なことの多くは、「神」や「仏」や「霊」というような日常生活とは少し次元の違うものである。言い換えれば、普通の言葉は日常の“俗事”を表現するためのものだが、宗教は“聖事”を取り扱うのである。しかし、何によって“聖事”を取り扱うかというと、それは言葉による以外にないから、「俗を扱う道具によって聖を説明する」という一種の“離れ技”を行うのである。これが、宗教の教典や聖典の使命である。(同書、10頁)
(つづく)

【学習】
  この離れ技という御言葉で、私はよく理解できたようにおもいます。聖なるものを、俗なる言葉で表現する。それは確かに難しいように思います。翻訳すると言う言葉がふさわしいような表現形式です。総裁先生が、科学的知見を使用しながら、実相世界のイメージをご表現されるのに似ているように思います。

【加賀・能登伝道記】
  6月6日は、午前中は小松の講習会会場で打合会でした。小松市民センターです。活発な議論がありました。活力溢れる小松の信徒様達です。講習会にお誘いするにも、お誘いする人の養成が必要です。この養成は、常に行い、その結果が地方講師となり、組織の拡大になってきます。有望な若手幹部の方が来ておられました。これから次につなげる作業が始まります。
 午後は、和倉の講習会会場で打合会でした。甘露の法雨を読誦して、始まりました。石川は、金沢、小松、七尾の三つの拠点がありますので、そこを中心にして広がった教区です。お世話係の人に、全国○○ーニング協会の会長さんを永年務めた方の奥様が来ておられましたので、この方に白布類はお借りすることになりました。受付でお客様に普及誌と受講券を渡して伝道している人です。
 帰りに、能登地方と生長の家能登光明道場のお世話をしてくれている日光豊子さんの所によりました。私の行動は、随時、職員間のラインに投稿していますので、勤務時の大体の行動内容を職員様に理解していただけるようになりました。相互理解が大切です。
 不可能が可能となるには、自己変革が必要です。自己変革の最たるものは、自己否定です。自己否定なくして自己変革はありえません。もしあるとするならば、単なる変化であす。180度変わるのが自己否定であり、さらに実相の肯定から、新たな眼で現象世界に帰ってくるのが、360度転回です。これがみ教えで教えられている本当の自己変革です。この時、魂的な悦びが湧出します。しかしそれには、徹底した神想観が必要になります。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月5日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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平成30年6月5日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::鯉のぼり ハタハタ泳ぐ 川の上 

(生長の家石川教化部HP   工事中)
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  谷口雅宣先生御著書『宗教は何故都会を離れるか?』を凡庸の歩みで学ばせていただきたいと思います。それにしても、上と横へ伸びたいという意欲が一向に衰えませんね。。

(つづき)
特に、生長の家では、聖書『ヨハネによる福音書』第一章にある「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」というところから説き起こされているので、もし「言葉が神だ」と文字通りに受け取ると、私たちは神を信仰する運動ですから「言葉を信仰するんだ」(笑い)という短絡的な誤解をすることにもなる。ですから、言葉にもいろいろな意味があるということを忘れてはいけません。
宗教というものは、主として言葉によって伝わっている。この場合の「言葉」の意味は、発声音と文字を含めたものです。もちろんそのほかにも儀式とか、修行とか、あるいは文化とともに宗教は発展してきています。しかし、一番重要視されるのは言葉である。だから、宗教の世界では聖書とかコーランとか仏典など、言語によって表現されたものーーつまり、言葉を書き写したもの、そして後代には印刷したものーーそういう「記録された言葉」を重要視するという伝統が世界中で行われたし、今でも続いている。
(つづく)

【学習】
文字化されたコトバが重視されてきたということが説かれています。啓典の民、文証の考え方など、伝統があるようです。発声音と文字を含めた言葉であると説かれています。言葉の創化力、そして万教帰一の意味を色々と考えさせていただきました。それにしましても、この『宗教はなぜ都会を離れるか?』の御著書にしましても、小職のこのブログにいたしましても、やはり文字であり、言葉です。私は、石川教区内に於いては、文字だけでなく、できるだけ対面式の伝道ができるように、個人指導を重視して、一人一人の悩みや諸問題の解決の糸口とアドバイスができるようにと考え行動しています。信徒様の裾野を着実に広げるのには、それしかないように思います。

【加賀・能登伝道記】
   今日、6月5日は、地方講師受験勉強会でした。自他一体と神性隠蔽の講話がありました。現代に於いては、自他一体、万物一体の実相が隠蔽されていると考えられます。自然と人間とは、神に於いて本来一体なり、との真理を地上に満たすことが必要です。これが、普通の環境運動とは違うことです。
①中心帰一と法燈継承
②地方講師とは
③教えの中心部分と周縁部分
④自他一体とは
⑤新しいタイプの誌友会について
⑥自然と芸術について
等々、色々と勉強になりました。担当講師の方々の成長がめざましいです。
 受験勉強会が終わりましてから、小松へ感謝祝福訪問に参りました。一声かけさせていただくと、伝道の意欲に繋がるようです。うれしいです。一歩でも良い、半歩でも良い、繰り返し継続していくところに、本当の進歩があると考えています。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月4日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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平成30年6月4日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::不器用な 吾ではあれど 一つだけ 得意分野を 神与えたり 

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(つづき)
コトバの表現は人・時・処で変わる

今日は、生長の家でよく使われる「コトバの力」ということを確認してみたいのです。この言葉は、皆さんはもう耳にタコができるくらい聞いていると思いますが、今日の運動方針にも「コトバの力」は込められています。そして、それが具体的に展開していくと、皆さま方の教区や各国でのお仕事、つまり光明化運動になっていく。その時に、「運動方針書が短いのだから、真理の言葉も短く言えばいいんだ」ということでは困る(笑い)「コトバの力」ということを、生長の家ではそういう文字通りの意味で使ってはいないのです。これは、昔から講師をなさっている方にとっては「釈迦に説法」になるかもしれませんが、重要なことなので確認したいのであります。谷口雅春先生の書物を読みますと、「コトバ」というものを説明するのにいろいろな表現を使われている。それらがすべて統一されているわけではないので若干、分かりにくいところもある。私は講習会では、カタカナで「コトバ」と書いて、それがどういう意味であるかを説明しています。これは、白鳩会総裁もなさっていることです。しかし、この表現形式は、必ずしも全ての教典で厳密に統一されているかというとそうでもない。ちょっと違うこともないわけではない。それはやはり、その時の臨機応変の表現で変わってきているのです。
(つづく)

【学習】
  言葉の力の臨機応変的な表現について説かれています。「コトバの力」の確認です。いずれにしましても、言葉は創化力は強いですので、決して悪い言葉を使ってはいけません。マイナスの言葉を使うとマイナスがでてきます。プラスの言葉を使うとプラスがでてきます。

【加賀・能登伝道記】
  三界唯心の所現です。勝利感があってこそ人生は勝利します。この勝利感は、己に勝つことによって獲得できます。「行」が必須です。成長感があってこそ、悦びが湧き、魂は成長できます。それゆえにこそ、教勢発展感があってこそ、教勢は発展します。全力での色々と創意工夫が必要です。
  講習会推進感謝訪問を行っていましたら、Yさんという信徒さんの家に行きました。すると、年配のご主人が出て来られましたので、来意を告げますと家の中に向かって、「農協の人が来ているよ」と叫んで中に入りました。すろとYさんが出てきました。娘さんはどうしていますか、とお聞きすると、Tさんと結婚して子供が3人できて、上は高校生だとのことです。娘さん夫婦のご結婚をお世話した方が昨年亡くなった時に、私も参列しましたので、お会いした筈です。娘さんのご主人は、私が以前、この地に赴任させていただいていた時ですが、「蓮如さん」という三回連載の記事を書かせていただいたことがあります。それを読まれた県外の叔母さんから長文のお手紙をいただきました。その手紙には、「甥が病気で家で寝ているので、行ってもらえないか」との依頼の手紙でした。私は、その家を訪ねて、真理を伝えました。それからです。彼は練成会を受講し、青年会に入会し、信徒さんの紹介でYさんの娘さんと結婚しました。そのことを私は思い出していました。すると、やYさんは、「娘夫婦は、あまり生長の家をやっていないからねえ」というのです。すかさず、「大丈夫です。護られていますから。これからですよ」と答えました。継続するためには、良きお仲間が必要です。良きリーダー、良き同志の存在が運動継続にはとても必要です。そのことを痛感しました。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月3日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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平成30年6月3日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::どこまでも 結ぶ心に 導かれ 二人を繋ぐ 愛の架け橋 

(生長の家石川教化部HP   工事中)
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(つづき)

“コトバの力”を正しく理解する”

皆さま、ありがとうございます。(拍手)
今日の集まりは「生長の家代表者会議」という名前がついています。本当は、生長の家の関係者がすべて集まることができればいいと思うのですが、会場や日程の都合でそうはいかない。そこで、「代表」のみが集まる会議になっています。代表の皆さまは、遠い所からも近い所からもお越しいただいていますが、大切なことなので、新しい五カ年計画の運動方針を説明させていただいたわけです。
この会議に以前から出席されている方はお気づきと思いますが、ここで説明される運動方針書は年ごとに薄っぺらになっています。(笑い)ーーそういう現象があります。
昔の代表者会議では二日間もかけていました。その頃は、分厚い運動方針書の長い文章を、長い時間かけて読んでいたので、辟易した人もいると思いますが、最近は合理化が進んでいます。少し工夫して、本当は内容的に盛りだくさんあるものを短くまとめるようになってきました。ですから、先ほど質問にもありましたように、「ちゃんと書いてないじゃないか」という不満も出てくる。これは「言葉で表す」という行為の宿命みたいなものでありまして、長ったらしく書くと嫌がられるし、短く書くと不満に思われる(笑い)。その辺は、現象表現というものの逃れられない制約なのであります。
宗教の教えでも同じことが言えるのでありまして、「不立文字」という言葉がある一方で、「万巻の書物」が真理を表現しているわけです。宗教の神髄は文字を立てて表現することはできないけれども、しかし、それを伝えるのが宗教の目的ですから、どんな困難であってもそれを文字によって表現しようとして、大部の教典や書物が生まれるのです。このように言葉で表現することの難しさは、講師の先生は十分お気づきのことだと思います。これは、宗教運動にはどうしてもついてくる問題です。
(つづく)

【学習】
  経典の大切さとそれが真理そのものでは無い、ということ。やはり読んでみるとそのことがよく理解できるのではないでしょうか。「読書百遍意自ずから通ず」です。読まずに理解することも大切ですが、読んでみると本当の意味で理解できる、と思います。この方法論を選択しましょう。

【加賀・能登伝道記】
  今日(6/3)は、一日中、小松地方を感謝訪問に行きました。ともかく暑かったです。白鳩会さんは、三人で能登の輪島や九十九湾の方まで行って感謝訪問をして夜7時半ころに帰ってきました。職員間のラインをやっているので、色々と書き込んできます。状況がよく見えますね。楽しかったようです。相愛会さんは、珠洲市の一番遠いところにいる相愛会員のところまで感謝訪問にいったそうです。皆様、すごく活発ですね。素晴らしいことです。行くことは、心が繋がります。このことは事実です。ムスビとは、楽をしても結べないようです。祈り、そして、行動です。神意現成はムスビの働きからです。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月2日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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平成30年6月2日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::一歩づつ 光の中を 歩むかな 魂の底 力湧き出づ 

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(つづき)
  これが、私が「宗教目玉焼き論」と呼んでいる考え方の骨子だが、それは私の発明でも何でもない。谷口雅春先生は『生命の実相』頭注版第三十九巻仏教篇の「はしがき」で、宗教の「神髄」と、その宗教が拡大する際に派生する「幾多の時代的、場所的、民族的粉飾または付加物」とを明確に区別され、宗教間の対立は、前者を重用せず、後者の違いを強調することから生まれるという分析を打ち出されている。私の説明は、先生のこの卓越した分析を視覚的にわかりやすく再編成したにすぎない。
生長の家は「文書による伝道」を主たる手段の一つとして布教してきたため、古くからの信徒の中には、文書で表現された真理ーーつまり、書き言葉による真理の表現が、真理そのものであるとの印象を得ている人が少なくない。しかし、書き言葉も時代的、場所的、民族的制約から逃れることはできないのだから、それによる表現そのものが宗教の神髄でないことに気がつかねばならない。すでに言及した禅宗における「不立文字」の考え方は、まさにそのことを指摘していることは、谷口清超先生が繰り返し強調された通りである。
以下の文章は、私が生長の家の幹部の人たちに対して、同じことを別の角度から述べたものである。
(つづく)

【学習】
  不立文字の考え方を、谷口清超先生は、『正法眼蔵を読む』の中でご教示されております。意欲がある方は、拝読していただきたいと思います。古文の部分は読みにくいので、口語体の御文章の部分だけでもよいと思います。宗教目玉焼き論は、視覚的に分かりやすく再編成されたとのことです。これが、大いに理解に役に立っているのですね。

【加賀・能登伝道記】
  6月1日午前は、龍宮住吉分社月次祭、午後は講習会金沢会場「歌劇座」での打ち合わせと近くの産土神社での聖経『甘露の法雨』の読誦、それから野々市の会員宅感謝訪問でした。御充実さまでした。今回の講習会では、組織の連合会の皆様が、喜んで、「たのしい」と言いながら、毎日、感謝訪問の推進活動を行っておられることです。これが、一番うれしいことです。
 5月1日からは、強く心に期するものがあり、かつて行っていたように少し早く起きて、神想観をすることにしました。道場生活の時から10年間、この「行」を行っていました。これをやっていると、現象界が極めて小さく感じるようになるのですね。不思議な天地万物との一体感、生命の世界の底から動いてくるような力の感じ、そして強い祈りの実現力など。「天地は過ぎゆかん、されど我が言葉は過ぎゆくこと無し」の世界です。情報でも、実相世界の根源的な情報です。
 毎月、何度か輪読会を行っています。そのテキストは、必ず『宗教はなぜ都会を離れるか?』です。実に素晴らしい御著書です。その中に、「コトバ」についてお書きになっているところがあります。そのコトバを真に理解し、一体化するには、主として神想観が大切であるように思います。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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平成30年6月1日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」

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平成30年6月1日 「『宗教は何故都会を離れるか?』に学ぶ」 

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【光り輝く講習会の大盛会をお祈り申し上げます】

【光明加賀人の詩】::河鹿なく 夜の田んぼの 月明かり 

(生長の家石川教化部HP   工事中)
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【総裁先生のブログ「唐松模様」を拝読しましょう】
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 また、総裁先生のフェイスブックでのお名前は、「生長の家総裁」です。英語版は、「  Seicho-No-Ie President」です。
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  谷口雅宣先生御著書『宗教は何故都会を離れるか?』を凡庸の歩みで学ばせていただきたいと思います。それにしても、上と横へ伸びたいという意欲が一向に衰えませんね。。

(つづき)

しかし、生長の家では「真理を伝える工夫は皆、違うけれども、その工夫によって伝えようとしている真理は基本的に同じだ」と考えるのです。ですから、「神」と「仏」という言葉の問題を言えば、神の御徳はそれこそ無数にあるけれども、その御徳の特定の側面を強調して「仏」として観ずるーーそういう面があるのです。仏の御徳も数限りないと言われるけれども、「神」では強調され「仏」では強調されない面もある。
例えば、仏教では一般に、仏は「世界を創造する」とは考えない。“世界”は初めから在ると考える場合が多いようです。しかし、その代り仏教では「慈悲の心」が強調されたり、「執着からの解放」ーーつまり、自由自在の障碍のない境涯が強調され、そこへ救いとるものを「仏」と称することがある。しかしそれが「神の愛」とどれほど違うかというと、私はそれほど違わないと思う。同じものを、一つの角度から見ると「仏」に見えるけれども、別の角度から見れば「神」に見えるーーそういう違いにすぎないのであります。
(『生長の家ってどんな教え?ーー問答有用、生長の家講習会』、193~196頁)
(つづく)

【学習】
どの角度から観るか、という問題のようです。同じ父親でも、お父さんと呼んでみたり、親父、とよんでみたり、パパと読んでみたりする訳です。表現の違いは本質の違いとはならないということのようです。

【加賀・能登伝道記】
  今日、推進で回っていて、かつてこの辺りにおられた故人である信徒さん(Aさん)のことを思い出しました。それは、光明化運動の仲間が嫌いなので組織活動から離れるという人がいたからです。かつて先輩の故H元本部講師という方がおられましたが、講話を聞いていた時、「礼拝する対象で最も難しいのが教団の仲間を拝むことです。これができれば大したものだ」という意味のことを言っていました。家族や職場の仲間を拝むよりも難しいのですね。なぜならば、奉仕でやっている人達ですから、利害損得がないから余計難しいのです。雅春先生の録音テープで、「昔、○田清○さんという人がいましたが、残念ながら去って行きました。団体の中に愛より知恵が勝っているとそうなります」とのお言葉もありました。宗教、信仰を継続する上での大切な要因です。そのAさんからかつて、「あの先輩の声を聞くだけで腹が立つ、教えとまったく違う.ことをやっている。姿を見るだけでむかむかする」と言っていました。その時、私は即座に答えていました。「そのお仲間を礼拝するのが菩薩道であり、信仰ですよ。信仰とは、相手を糾弾して追い出すのではなく、相手の実相を礼拝する。決して相手に腹を立てない。諄々と真理を伝える。神の子の生きる道は礼拝行であり、批判行ではないのです。批判することは、常不軽菩薩の教えに反します」と答えていました。高校生の時に読んだ古文の中で、あるお寺の和尚さんは素行が悪く信者を大切にしないという人のことが書かれていました.その文章には、「お寺の住職を勤めてくれているだけでも有り難いことです、拝みましょう」ということも書かれていました。このようなことは、昔からの課題なのですね。12年経って、石川に帰ってきて、当時いた人がいなくなっていることに大いに心が痛みました。やはり、私自身が、本当の信仰を伝えることができていなかったと思うのです。与えた者が与え返されるのが人生です。上の人を糾弾する性質の人は、自分がトップになりたがらないことがあります。それは、自分がトップになると同じように、糾弾されのではないかという恐怖心があるからかも知れません。愛する者は愛される。祝福する者は祝福される。批判する者は批判される。礼拝行の一面は忍耐です。私の心に決めている使命の一つは、長期にわたり信仰を継続できる人、家族に信仰を伝えることができる人、そうした信仰者を数多く養成することだと考えています。元石川教区教化部長のF氏が、私に、「本当の信仰者を作りたい、と思って七尾で練成会を始めました」と言っておられましたが、現代は、本当の信仰者を作るために、倫理的生活者を養成するということでありましょうか。最も大切な真理は中心を大切にすることです。上を、元を、中心を大切にする教えで、我が家でも先祖供養を日常化し、そして、毎月の始めに、月次祭を行い、教区機関紙には、「生長の家大神ー総裁・副総裁ー御教え」の一文を必ず第一面に表示しています。自他共に御教えの神髄を常に心に銘記するためです。

 生長の家大神様の無限の愛の祝福が、北陸の大自然界の上に、信徒の皆様方の上に、この地にお住まいのすべての人々の上に、読者の皆様の上に満ち溢れ、健康であり、幸福であり、神・自然・人間の大調和の世界が実現することを祈ります。
 中内 英生拝

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