『日時計主義とは何か?』に学ぶ

October.14.2009「『日時計主義とは何か?』に学ぶ④」

Photo_4 October.14.2009「『日時計主義とは何か?』に学ぶ④」
今日の詩::都路の 生八つ橋は 夢の味
*帰りに家族に「生八つ橋」をお土産に買いました。(京へ来て 生八つ橋は 夢の味)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E3%83%84%E6%A9%8B

 今日の学習は、「悪を放置するのか?」21頁3行目から30頁の10行目までです。先ずは、質問です。
①生長の家は悪を放置するのか?
②悪はどこにあるか?
③「悪は人の心の中にある」とは、どういう意味か? 
④悪事をはたらいた人を死刑に処せば悪はなくなるか?
*ご著書を拝読しない限り、なかなか難しい問題です。ご自分で答えを出してから、ご著書をお読み下さい。何倍も御教えが心に染みこんで参ります。
 
【答え】

①の答えは、22頁の8行目です。
『生長の家では、「悪を放置する」のではなく、「本来非存在」である悪を本来の無に帰するために「善を行う」ことに力を入れる、』ということです。
  この答えの詳しい考え方は、30頁の4行目です。ここに至って、先生は「悪本来無し」の教義の神髄を説き尽くしておられます。

 『私は、「悪という実体」はないと言っているのだ。実体のないものは、放置するもしないもないのである。そこにあるのは「悪」ではなくて、私たちがある事件や人物に対して、心の”物差し”を当てた時に「負の値」を示したーという「状態」があるだけである。この”物差し”の当て方を変えたならば、同じ「状態」であっても、負の値を示さない(つまり、悪いと思わない)かもしれないのである。こうして、「心によって悪が消える」という魔法のような可能性が生まれてくる』とご教示されております。それは単なる「状態」であるとのことです。「悪には実体がない」とは何という幸運なことでありましょうか。もし、自分が悪を冒してその結果としての悪はどうなのかと言うことになりますが、悪が本来ナイのなれば、その結果は、「罪本来無し」となります。「罪本来無し」と心底信ずることが出来たとき、その奥に神の生命のみが実在すると知ったとき、罪そのものが消えることになります。そして自己処罰の観念が消滅して、一切の悪現象の流転からはじき出されるのです。

②の答えですが、25頁の4行目からです。おそらくこれが答えです。
『私たちが普通に「善」とか「悪」と言う場合、それは、ある「状態」に対する評価である場合がほとんどなのである』と。
 「悪」とは単なる状態であり、実体ではないということです。前頁に書かれていますが、生長の家は、戦争という実体の存在を認めません。戦争というものは、一定の空間上の容積や質量をもった物質的存在ではない。戦争は実体ではなく状態である。戦艦やミサイルなどは平和時にも存在する。それが使われる場合の、ある特殊な状態を戦争というのです。
  聖戦という言葉がありますが、神は戦争を創り給わないので、聖なる戦争がある筈がありません。神示によりますと、戦争とは、「迷いと迷いとが相打って自壊する姿」であります。

③の答えは、26頁の8行目です。
『私が「人の心の中にある」というのは、「悪を悪として感じる原因は、人間の心の中にある」という意味である』とご教示されております。
 心とは、「善悪を測る物差し」です。この物差しは、各人によって違うことが多いのです。
 単純に、コップの水が半分入っているとき、ある人は「半分しか入っていない」と不平を言い、ある人は、「半分も入っている」と感謝する。しかも、喉が渇いているときと乾いていないときとは随分と反応が違うともあります。

④の答えは、30頁の1行目です。
『私は、A氏の肉体は消えても「悪」はなくなるとは思えない。また、別の条件下で、”物差し”が一部狂ったX氏やY氏が現われて、悪事をはたらくことになるだろう』と書かれております。A氏は悪の実体ではないからです。

 島根の皆様、今日の問題と回答は如何でしたでしょうか。生長の家の根本的な教義が『日時計主義とは何か?』に説かれております。ご著書は常に拝読いたしましょう。そして実践する人にして初めて総裁先生の御心すなはち神意を理解するに至るでありましょう。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
2009年10月 6日のブログは、「絵封筒、どうもありがとう!」です。ある教区の教化部長さんからの絵封筒をご紹介しておられます。他にも信徒さんからの絵封筒をご紹介しておられます。島根のある信徒さんから「部長からの絵封筒ですか?」と聞かれましたが、私ではありません。残念ながらそんなに上手ではありません。
 継続は力です。ゴッホは毎日一枚の絵を描いていたようです。松山にいた正岡子規も毎日ものすごい俳句を作り続けました。「量は質を作る」という、私が若いときに読んだ立花隆さんの言葉が大好きです。島根の皆様、一月の「絵手紙・絵封筒展」に向けて大いに描きましょう。
http://masanobutaniguchi.com/

*今日で、宇治での会議が終わった。色々と学ばせていただくことができた。大変、有難いことです。京都の建物を見ると、色々と変化に富んでいることに気がついた。これはおそらく古都なので建設する建物の大きさに制約があり、そのためにデザインにお金をかけているのではなかろうかと思う。これは私見である。

 中内 英生

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October.13.2009「『日時計主義とは何か?』に学ぶ③」

Photo October.13.2009「『日時計主義とは何か?』に学ぶ③」
今日の詩::ビルが建つ みやこ宿場の 今むかし 
*今日は、会議のために宇治別格本山に来ている。京都駅を通過したが、駅前には大きなビルが建ち並んでいる。総裁先生がこのビルについてブログにお書きになっておられたことを思い出した。何と言おうか。都会的というか、古く歴史のある京都の雰囲気とは少し違うようではある。

 今日は、17頁の4行目から21頁の2行目までです。「2,日時計主義の生き方。」について学びます。

問い①…日時計主義とはどのような生き方ですか?
問い②…日時計主義の生活についての総裁先生の御表現のお言葉はどのようになっていますか?
問い③…悪とは如何なるものですか?
問い④…どうすれば「感動」できるようになりまか?

 一応、これまでにいたしましょう。このようにあらためて「問い」を発しますと、「?????」となります。そして改めて御文章を拝読しますと、よく頭に入るということでありましょう。

①の答えは、18頁の2行目からの御文章を頂きます。
『自分はこの標語を『日時計主義』だと云っている。そして『生長の家』では出来るだけ、輝く喜びの時刻だけを記憶し、語り、思い出す。喜びに言語の再現力、言葉の創造力を応用するのである。』
 言葉で表現すると成る程、を解ります。御文章で確認することが大切でありましょう。悪を語って治そうとするよりも、善を語って賛嘆する方が実際的な効果が上がるのはご存じの通りです。

②の答えは、19頁の2行目からです。
『生長の家では、神が創造された「本当の世界」(実相)は善一元であって「悪はない」と考えるのである。また、我々人間が肉体を使って生きる世界は、心によって一時的につくられる仮構(ニセモノ)の世界であると考える。それは、各自が一種の”心のレンズ”を透して見る世界だから、心で悪を認めれば認めるほど、”心のレンズ”は曇り、本来ある神の創造(実相)が見えなくなる、と説いている。そのような、神への無限大の信頼と信仰にもとづいた生き方をすることが、「日時計主義の生活」である。』。以上です。
 不完全な悪や病気や不幸は、私たちが目を覚まして見る「夢」です。それに対して眠ってみる「夢」もあります。夢チャンネルに合わせているといつまでも夢の続きをします。そうればよいか?それはただ、目を覚ますだけでよいのです。「ああ、なかったのだ。神様が作らない不幸も、病気も災難もなかったのだ」と目を覚ますことです。その為には、聖典を読誦しましょう。神想観をしましょう。感謝をしましょう。隣人に神の愛を捧げましょう。

③の答えですが、20頁の1行目からです。
『私たちが「悪」と称するものの多くは、心の持ち方や条件しだいで「悪でなくなる」ことを示す。これによって、「悪」とは強固で永続的な実体ではなく、人間の心や諸条件で変化する”心の産物”であることを、読者に伝えようと思う。』とご教示されております。
 雨が降ったら、笠屋をしている長男が喜ぶ。晴れたら屋根葺きを仕事にしている二男が喜ぶ。このようにある母親はどんな天気でも喜んだといいます。良きことだけを見つけて感謝しましょう。

④の答えですが、20頁の9行目からです。
『だから、私たちが心の持ち方を変えればー例えば、現実を自分中心の”意味”として解釈するのではなく、あるがままに”感覚”する態度に変わるだけでもー目の前の”現実”は変貌し、感動すべきものが多く発見されることを示したい。』とご教示されております。
 今日一日、あなたは何に感動されましたか。何を感じましたか?感動することが人生では大切であると、総裁先生からお教えいただいております。国木田独歩は、『私はびっくりしたいのです』とまで云っております。感動しましょう。「神様、私をして神のみわざの素晴らしさに感動させてください」、と祈りましょう。神様はあなたに素晴らしい感受性、真善美に対する感動力をお与えになられるに違いありません。

http://www.kojobunko.net/21back/index1-14.html

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
 2009年10月 4日のブログは、「小樽、火点し頃」です。私も小樽の町を散歩したことがありますが、場所によっては異国情緒が漂っています。先生は講習会にお出でになっておられます。そして、小樽の町の写真を掲載しておられます。そして講習会の和やかな雰囲気を書いておられます。拝読下さい。

*今日は会議出席のために宇治に参らせていただいております。教化部では練成会の最終日でした。申し訳なかったのですが、後をお任せしました。宇治では、島根の信徒の皆様のご先祖様を礼拝させていただきました。合掌。

  中内 英生 

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October.08.2009「『日時計主義とは何か?』に学ぶ②」

Img591 October.08.2009「『日時計主義とは何か?』に学ぶ②」
今日の詩::やすらかに 嵐の音を 聞き祈る
(「日時計主義とは何か?」P14~17)

 第二回目です。なかなか進まなくて申し訳ありませんが、継続して行いますので飽きずにお付き合いをお願いします。

問い
①生長の家で「日時計主義」といいう言葉が最初に使われたのは、どこですか?また、誰の言葉ですか?
②時代背景はどのようなものでしたか?

 ①から説明します。日時計主義という言葉を日頃、私たちはよく使用しているし、また毎日、『日時計日記』をつけています。しかし、いつからかとか誰が作ったか、などということは中々思い出さないのが現実のようです。
 例えば、電灯を毎日使用していますが、誰が最初に作ったかということや、両親が自分を生んでくれたことは知っていますがしみじみと感謝するということなどはほとんどないようです。毎朝の先祖供養の時に、『大調和の神示』を拝読してもです。練成会で両親への感謝を教えられて感謝誦行を集中的に行うことがあると思い出して感謝できるようであるのです。
  だからこそ、この言葉の起源を探り、ご教示下さった谷口雅春先生に感謝をさせていただきたいと思います。

②ですが、答えをP15に書かれているようには中々思い出せないのではないかと思います。総じて言えば、世界恐慌の頃であり、100年に一度と騒がれていた現代の状況と多少似ているかも知れません。違うと言えば大いに違います。当時と比べて個人的にも備蓄が多いようです。
  15頁の8行目には次のような内容が書かれています。
『1929年の10月24日には、ニューヨークのウォール街で起きた株価暴落がきっかけとなって、「世界大恐慌」に突入していった。谷口雅春先生が、この『生長の家』誌を出版しようと決意されたのは、ちょうどそのころです。』
 従って、日本が世界大戦への道を走り始めた頃であって、世の中は非常に暗くなりつつあった時のようです。しかし、日時計主義の御文章にはまったく暗い影がありません。これが私たちが教えられている日時計主義です。

回答
①P14の1行目に答えがあります。昭和5年(1930年)の3月1日を発行日とする『生長の家』誌創刊号の中です。谷口雅春先生が最初にお使いになりました。
②1929年の世界大恐慌の頃です。
 島根の皆様、今日の学習は如何でしたか。楽しかったでしょうか。私はこのような教義の学習が楽しくてたまらないのです。そして求めても会いがたき師と御教えに今生で巡り会うことができた己の幸運を魂の底から嬉しく思うのです。

【日々、総裁谷口雅宣先生のブログを学びましょう:
 島根教区講習会は、平成22年11月28日(日)です】
  2009年9月25日のブログは、「キノコの神さま (2)」です。泰二氏の信仰深化の物語とでもいうべきでしょうか。自然との共生が感じられます。石で作ったキノコの神様は私たちの心の中にもあるのかも知れません最後に、泰二氏の心の中の、科学者と夢・希望とが戦っている心象風景を御表現されております。

*昨夜は栄える会の情報交換会があった。会員数が昨年よりも増加してきていることを知って嬉しかった。それも、支部例会が盛んになってきたことが裏にあるのではなかろうか。
*今日は木曜日で休日です。先ほどまで台風の風が強かったのですが、おさまりました。風の音を聞きながら神想観をするのも大変嬉しいです。なぜかわくわくして子供に返ったような気分です。

 中内 英生

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September.24.2009「『日時計主義とは何か?』に学ぶ①」

Img569 September.24.2009「『日時計主義とは何か?』に学ぶ①」

 このテーマでは、島根教区の皆様が総裁先生のご著書を学習される参考としていただくために書かせていただく予定です。前任地の教区のブログでは、いくつかのご著書でこの形式で勉強させていただきましたが、島根ではまだ行っていませんでしたので、再開いたしたく島根の皆様とご一緒にぼつぼつ勉強して参りたいと存じます。固い内容になる可能性がありますので、あまり無理せずにお読み下さい。総裁先生と谷口清超先生と谷口雅春先生の御文章の中を生長の家大神様の御心が貫いているということを御文章に於いて確認させていただく作業ができれば、大いなる喜びであります。時々、掲載させていただきます。

出題は、「はしがき」からです。1頁~7頁
質問①日時計主義とは何ですか?
質問②何のために日時計主義を生きるのですか?
質問③「日時計主義」という名称は、いつ誰が名づけたのですか?

質問①の答えは、1頁の2行目からです。
 ひと言でいえば「人生の光明面を見る生き方」のことだ。(それが今日重要なのは、世の中の”悪い面”に焦点を合わせたニュース報道や評論、論説、テレビ番組等が社会に氾濫しているからだ。)

*明るい、積極的な人生の見方・考え方をする人は多くの人々から喜ばれて、多くの人々が協力者となり大いに人生に於いて成功するに違いありません。

質問②の答えは、4頁の10行目~5頁の3行目までです。
 私のいう「人生の喜び」とは、収入の多寡や所有物の多さのことではない。他人と比較などしなくとも、自分の周囲に、そして自分そのものの中に、真実や善や美はあるのである。それを見出すための心の訓練が「日時計主義」である。読者はぜひ、その生き方を習得され、さらに他の多くの人々にもこれを広めて、愛と信頼と明るさに満ちた地球社会実現に向かって、歩み出していただきたい。

*明るい所ばかり、善ばかり、美ばかりを見つめていると、確かに心が光明に満たされるようです。そして、同類親和の法則により、明るい物事が増加していくのです。これは単に個人のことばかりではなく、人類光明化運動とはこのような運動でありましょう。
 
質問③の答えは、5頁の7行目~11行目までです。
 この言葉はもともと「I record none but hours of sunshine.」という英文を端緒とするが、それを日本において「日時計主義」と名づけたのは生長の家創始者、谷口雅春先生が初めてである。もう77年も前のことだ。それをひとことで言えば、「人生の光明面を見る思想」であり、そういう生き方である。

*生長の家創刊号に掲載されているこの日時計主義は生長の家の精神そのものでありましょう。「知ることの差は小なり、行うことの差は大なり」であります。生長の家の御教えは別名、実践哲学とも言われます。信仰は生活であるのです。何を持つかではなく、如何に生活するかでその人の価値は定まります。

 中内 英生

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